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55:Absit omen!

 手を繋いだことはある。それは俺がシャトランジアで過ごした時のこと。

 柔らかくて温かい……ギメルの手。あの時は唯……そう、楽しかった。嬉しかった。好きな女の子の隣を歩いている。唯それだけで……それだけのことなのに。俺はその日一日が……いや、この先一生が幸せな物だとさえ思えたよ。


(それから)


 掴まれたことならある。家出をした時、アージン姉さんに無理矢理家に引き摺られた。姉さんはあんな風に乱暴にじゃないと俺に触れられない。自分は姉だと言って、保護者みたいな言葉を口にし、女の子の顔で俺を見た。

 俺なんかの何処がいいんだろう。姉さんには怨みも罪もない。それでも、俺が憎む相手の娘。だから俺は姉さんの好意には応えられない。気付かぬふりで傷付けた。

 あの日掴まれた手。力強いその手は、それでも微かに震えていたんだ。


(ああ……女の子なんだなって思ったよ)


 フローリプはどうだった?フローリプとは……そうだな。俺はフローリプと和解して、本当の兄妹になれたことが嬉しかった。だから彼女を女の子として、一人の女性として見てあげられなかった。甘やかしたかった。可愛がりたかった。でも俺から何かしてあげたことはあった?いつも彼女任せだ。

 俺は心が通じた相手に嫌われることが怖かった。だから俺が俺から何かをするということは無い。相手が望むなら多くは受け入れるだろうけど。


(そうだ、俺は……)


 俺はここ最近、自分から手を伸ばす相手って……女の子ならイグニス、それ以外は騎士のみんなとかばかり。俺は、女の子が怖い。女の子に近付くことが怖い。道化師の顔がちらついて、ここから逃げ出したくなるから。俺なんかに近付かないで。それが身のためだ。振り払おう、今すぐに。そう思うのに、動けない。


(あ、ああ……ああああああ!)


 女の子の手。女の人の手。勝手に触ったんだ。何すんのよとか振り払われて殴り飛ばされても仕方ない。それでも彼女はそうしない。感動したような潤んだ瞳で俺を見つめている。


 「アルドール……」


 そんなジャンヌの視線を向けられた俺はと言えば……


 「うぇっ……おぇええ」

 「きゃあああ!」


 折角女の子らしい格好をしているジャンヌの服に、ぶちまけてしまった。夕飯に食べた物全て。ああ、ジャンヌの悲鳴って意外と女の子らしいんだなぁなんて、場違いなことを考えながら、俺はその場に倒れ込む。


 *


 目覚めた頃には俺は寝台に寝かせられていた。傍らには心配そうに此方を見ているジャンヌと異臭。着替える暇も無いくらい、俺に付き添っていてくれたのか。それは本当に有り難いけど微妙に空気が読めていないところが何とも彼女らしい。いや、元はと言えば悪いのは吐いた俺なんだから、自分の吐瀉物の異臭にまた吐き気を込み上げている場合ではない。なるべく鼻から息を吸わないようにしつつ、俺は彼女に頭を下げる。


 「……ごめん。本当にごめんなさい」

 「……いえ、寝ているところを起こした私が悪いのです。それに……」


 具合が悪かったんですねと言いながら、室内の掃除をしてくれる彼女。俺も手伝おうとしたのだけれど、病人は寝ていなさいと寝台に沈められ、その衝撃でまた吐きそうになる。


(なんか、本当に情けないな俺)


 俺は少し泣いていた。いや、あの展開で吐くか普通。女の子と手繋いだだけで吐くって、俺の人格と性癖が疑われそうだよ。でもまだ気持ち悪い。

 それにしても……至近距離から吐かれても、嫌悪感一つ示さず後片付けをしてくれるなんて彼女は人間が出来ている。出来すぎている。そんな彼女の傍にいると、俺はますます自分が情けなくて泣けてくる。

 どうしてこんな惨めなことになったんだろう。前は普通に女の子と接することが出来たのに。アージン姉さん、ルクリース、フローリプ。それからレーヴェにマリアージュ。俺はこの短期間の内に、大勢の女の子を死なせてしまった。だから怖いんだ。今だってまだ覚えている。

 俺のリボンにはにかんだ姉さんは、いつになく可愛らしかった。俺のために泣いてくれたルクリース。その涙の暖かさ。フローリプが最期に俺に向かって幸せだったと言った笑み。仲間になってやっても良いと不敵に笑った山賊レーヴェ。演技でも愛らしく笑ってくれたエレイン……いいや、マリアージュ。


(ジャンヌ……)


 その名を口にし思い浮かぶ最初のイメージは何だろう。そう、それは……シャトランジアの聖堂で出会った時。神に祈りを捧げる彼女の姿。今よりずっと長かった金髪。彼女の名前を知らなかった当時の俺は、お姉さんと呼んでいたっけ。ああ、そうか。そういう風に出会ったから、俺は最初から彼女を女の子として見てしまったんだ。カーネフェルで再会した彼女が男装しようと、女らしさを捨てようと……俺には彼女が彼女に見える。例え俺より強くても、やっぱり俺にはジャンヌが女の子に見える。


(イグニスの策は、ジャンヌを危険に晒す物……)


 イグニスがいなくなった今、俺は自由に指揮を執れる。そう思ったけどそうじゃない。俺みたいな素人が口出しできるような事ではないのだ。そういう方面で今、一番頼れるのはやっぱりランス。ユーカーもジャンヌは性格こそ異なれど……兵士としての側面が強すぎて軍師としての働きは期待出来そうにない。ランスの次に頼れそうなのはトリシュなんだろうけど、彼は私情で暴走しがちなところがある上、今は記憶に不備がある。ちょっとその辺が心配だ。


(……でも現実的に考えて)


 今、ジャンヌを軸に据える以外の戦法などここにあるのか?ジャンヌ以外でその役割をこなせそうなのは、コートカードのユーカーか。いや……他にはエフェトス、取り戻しさえすればパルシヴァル。


(駄目だ……)


 俺はエフェトス君やパルシヴァルを作戦の軸には出来ない。あんな小さな子供を危険な目に遭わせることなんて。イグニスがやったことと同じ事はしたくないんだ俺は。俺はイグニスとは違うやり方で、この戦争に勝ちたい。これ以上、誰かが死ぬところは見たくない。少なくとも、女子供の犠牲を全面的に肯定しながら進むのは、気分の良い話ではない。


(でも……)


 カーネフェル兵の大半は女性兵士。対するタロック軍は男ばかり。何の策も無いまま正面から兵を用いて戦うのは、駄目だ。それこそ大きな犠牲が出る。

 誰かが死ぬところを見たくないなら……カードを使うのが一番効率が良い。それは確か。だけどカードの命を費やし幸福を招いて進むのは、やっぱりそのカードを生贄にするような物。

 ジャンヌは今、多くの幸福値が残っている。だから道化師もすぐには手を出せない。道化師の幸福値だって無尽蔵ではないんだ。コートカード相手に幸運を競り合うのは得策ではない。前回奴が撤退したのはそのためだと思う。狙うとしたら、やっぱり幸福値が磨り減ってきた所で。ジャンヌが頑張った先、彼女が報われることはない。戦えば戦うほど彼女は追い詰められていく。


 「ジャンヌ……」

 「どうかしましたか?」


 ちらりと視線を彼女に向ける俺。看病が行き届かず水か薬でも所望しているのかと、少し狼狽えている彼女に、そうではないと否定してから俺は続きを話す。


 「ジャンヌは……何か俺に、させたいこととか。して欲しいこととか、無い?」


 どうしても、彼女を頼らざるを得ない。……そうなれば、彼女は最後まで生き残れはしないだろう。それならばと俺は問う。せめて彼女が生きている間は幸せであって欲しいと考えて、俺に出来ることはないだろうかと聞いてみた。


 「アルドール……」


 カーネフェルに平和を。そのために剣の訓練を。いつもの彼女ならそう言っただろう。それでも今日のジャンヌは小さく笑うだけ。


 「今日はゆっくり休んで、早く元気になって下さい。私はそれだけで十分ですから」


 布団を俺の顔までかけ直し、彼女は優しく笑うけど……別に寒気はないんだよな。っていうか今真夏ですよジャンヌさん。やっぱり若干彼女は空気が読めていない。散々そう言われている俺が言うのだからかなり読めていないのだと思う。それでも彼女の誠意はしっかり伝わって、俺の気持ちも落ち着いて来る。


(なんでかな……)


 こんな気分、久しぶりだ。ジャンヌは長年の友達とか家族でもないのに……ほっとする。楽に呼吸が出来るようになったように思える。さっきまでの緊張が嘘みたいだ。女の子に見えなくなったわけじゃないのに、憑き物が落ちたかのように……俺は気持ちが楽になる。

 聖歌は遠慮したいと言った俺を気遣ってか、彼女は子守歌のような鼻歌を歌うに留め、俺の眠気を誘っている。このままその歌に身を預ければ、すんなりと意識を手放せる。きっと何か良い夢が見られそう。優しい声に身を預け……俺はゆっくり目を閉じる。これなら安心して明日を迎えられる。眠りに落ちる。そう、思った時だった。


(え!?)


 激しい落雷の音。その後狂ったように落とされる大雨の音。夢にしては些か変だ。こんな目が覚めそうな……


 「下がってアルドールっ!」

 「ぐえっ!」


 半分眠っていたところをジャンヌに突き飛ばされた。何事だと目を開ければ、真剣な表情を浮かべたジャンヌ。数術の気配を感じ取ったのか、ジャンヌが俺を庇って剣を構えていた。しかしそこに落ちて来たのは……長い白金の髪をリボンで後ろに結った美少年。


 「パルシヴァルっ!?」


 打ち所が悪かったのか?いや、下は寝台だし痛くはないだろう。それじゃ何処か捻った?彼は鼻水を垂らすほど大泣きをしている。まるで窓の外の空模様を映したように。


 「うぇええ……ひっく、せれすさぁあぁああああああん」

 「いや、なんかごめん」


 傍に寄ったところ、彼は俺をユーカーと間違えて抱き付いてきた。申し訳ない気分になりながら、パルシヴァルの背中を撫でる。でも俺そこまで目付き悪くないような。そう思いかけて今度はユーカーに申し訳にない気持ちになった。


 「そ、そうだパルシヴァル!あっちにお菓子があるから貰ってくるよ!」

 「うわぁあああああああああああああああああああああああああんんんん」

 「えっとさ、うん、解った!俺が悪かったんだ。ごめん。全部俺が悪いんだ。そうなんだよ」

 「せれすさぁんんんんん、うあああああああああん!うそつきぃいいいいい!」


 パルシヴァルがぽかぽかと俺の腹やら胸を殴ってくる。そこまで痛くはないが、この子運が良いんだな。あ、俺の運が悪いのか。時折良い感じの攻撃が綺麗にヒットする。そろそろ俺の体力ゲージが黄色になりそうだ。


 「えっと、とりあえず、えい」


 彼の動きを抑え込むべく思い切り細いその背を掻き抱いた。ぬいぐるみでも抱きしめるよう抱きしめる。あ、やっぱり子供ってあったかいなぁ。なんて場違いなことを考えたのが悪かった。


 「うあああああああああああああああああああああああああ」


 腕の中で錯乱したかのように暴れ出すパルシヴァル。それに伴い外の天気も悪化する。

 ごめん、悪気はないんだ。そんなセクハラに遭ったみたいな拒絶反応示さなくても。俺って俺が思っている以上にこの子にも嫌われていたのか。そうだよな。俺なんか人間の風上にも置けないような底辺のゴミ屑で。昔からそうだ。出会った頃のイグニスは俺と目が合う度に「きもい、死ね」と呪詛の言葉を吐いてきていたよ。それも本心から言うような冷たい目で。


 「死ね」

(え?)


 何故だろう。今耳元で凄く、リアルな声がした。パルシヴァルの物ではない。あの頃のイグニスの声。幻聴だろうか?どうして?俺は今この子をどうにかしなきゃならないっていうのに、どうして昔のことなんか。ここには居ない、イグニスのことなんか思い出さなきゃいけないんだ?


(あれ?……何、考えてるんだ俺)


 イグニスのことなんか…、だって?

 そんな言い方ないだろう。俺にも彼女にも立場がある。属している場所が違うのだ。守るべき相手も違うのだ。利害が一致することもある。それでも何時でも味方でいられるわけじゃない。分かり切ったことだろう?それをどうして俺は、怨みがましく思っている風な事を考えた?


(イグニス……)


 ちょっと目尻に涙が浮かんだところで、俺は違うことを思い出そうとする。


(パルシヴァルはフローリプと同い年……)


 俺はフローリプに接していた態度を思い出す。屋敷にいた頃のじゃない。一緒にシャトランジアからこのカーネフェル……ローザクアまでの旅をしていた頃の彼女のこと。あの頃はまだ普通に接することが出来た。失敗したのは俺が彼女を妹扱いし続けたから。


(そうだ……)


 子供扱いし過ぎるのもパルシヴァルにとっては良くないことなのかも。ここは一対一、一人の男として彼を扱い冷静に話をしてみるとか。


 「うわあああああああああああああああああああああああああん」

 「う、ぐぉおあ!」


 パルシヴァル、運良すぎ。鳩尾に頭突き入った……幾ら相手が混乱しているからってこの適確な攻撃。やっぱり俺に怨みでもあるのだろうか?セレスさん以外が気安く僕を撫でるなこの庶民野郎!庶民臭いんだよ!とか思われてたりして?いや、純真なパルシヴァルに限って……そんなことは……ない、と思いたい。


 「あ、アルドールっ!?」


 突然その場に倒れ込んだ俺を心配し、駆け寄ってくるジャンヌ。


 「あ、だ……大丈夫、だから」

 「そ、そうですか?」


 ちょっと疑うようなジャンヌの視線。俺に被虐趣味がありゃしないか疑ってたりしませんか?いや、俺そう言う方面強いけど、別に好きではないよ?その辺察してくださいジャンヌさん。


 「えっと……どうしよジャンヌ」

 「ええ……そうですね」


 しかしずっとこのままにも行かない。何とか泣き止ませようとするのだが、パルシヴァルはぴぃぴぃ泣き喚くばかり。それも俺の寝室から、幼い子供を泣かせるような声。

 このままだと俺に何か変な噂が立ちそうな気がしてならない。うん、何だろうこの既視感。俺は何も知らないはずなんだけどな。


 「あのさ……ジャンヌって兄弟とかいる?俺は……妹とか姉さんとかはいたんだけど、弟とかいなかったからさ」


 いやそれは考えすぎかと思い直して俺は再びジャンヌを頼る。彼女も何やら考え込んでいるようだが、俺の質問には答えてくれる。


 「私には兄が。ですが……そうですね。年下の扱いというのは……私にとっても難題です」


 私は貴方の扱いも計りかねていますといった表情で、ジャンヌが僅かに首を傾ける。彼女の瞳が問いかける。その先で俺も自問自答を繰り返す。

 こういう時、どうしていいかが解らない。ローザクアの第二聖教会では、イグニスに泣かせられたパルシヴァルを慰められたのに、今は何を言っても逆効果。ユーカーならきっと、こういうの得意なんだろうに。


(ああ、そっか)


 俺が彼と同じ事を言っても駄目なんだ。俺とこの子はそれだけの時間を共有していない。だから信頼関係も築けていない。でもパルシヴァルとユーカーは違う。だからユーカーの言葉はこの子にちゃんと届くんだ。


(俺にとって必要なのは……これから)


 この子との間にちゃんと信頼関係を築けるか。今日は無理かも。それなら明日か明後日か、未来のいつかはこの子をちゃんと泣き止ませることが出来るかも。今彼にどんな言葉が必要なのか。それをよく考えて見なきゃ。


 「あのさ、パルシヴァル……」


 俺は彼の目の高さに合うよう膝をついて話を続ける。じっと彼の目を見て、なるべく安心できるよう……笑顔を作ってみた。そうだ。昔ギメルと遊んでいた頃のような気持ちを思い出しながら。最初に彼女に会った時……あの日のギメルも泣いていた。

 あの時俺はどう思った?彼女を泣き止ませたいと思った。今、俺はパルシヴァルに対してそう思う。それは煩わしいからじゃなくて、本当に聞きたいんだ。知りたいんだ。今彼がどうして、何にそんなに困っているのかを。


 「王様……」


 俺の模倣を見て、少し落ち着きを取り戻したパルシヴァル。だが彼は直ぐ再び涙目に。

 まさかと思い俺が後ろを振り返れば、戦闘態勢に入ったジャンヌが目に映る。何か今にも攻撃を始めそうな構えである。


 「いや、何して……何なさってるんですかジャンヌさん」

 「貴方こそ何故いきなり敬語を?」

 「えっと、何となく……です。そういうジャンヌは?」

 「このままではまどろっこしいので、一端気絶させるのが一番かと」


 大丈夫です私そういうの得意ですみたいな、邪気ない笑顔でとんでもないことを言い出すジャンヌ。ジャンヌさん怖い。俺本の虫でインドアだから、彼女の体育会系のノリについていけない。そして何この既視感。アージン姉さん思い出すんだけど。


 「い、いやいや!ここは俺に任せて!ね?!」


 パルシヴァル同様ガクガク震えだした俺。俺はパルシヴァルの肩を掴みつつ、目で彼へと訴える。不思議な物で先程まで殆ど取れなかった意思疎通が今は成る。


(パルシヴァル!痛いの嫌だろ!?まずは落ち着こう!な!)

(は、はいいいい!)


 震える俺達に何事かと首を傾げていたジャンヌだが、はっと我に返ったような顔を見せた後、毛布や着替えがないかと辺りを見回すようになる。


 「どうしたんですか二人とも?そんな真っ青になって。はっ!もしやリスティス卿、この雨に打たれて風邪でも!?」


 今仕度をします。そう言い残し大慌てで部屋を飛び出すジャンヌ。……なんだか、彼女は嵐のような人だ。


 「それでさ、パルシヴァル。一体何をそんなに……」

 「……」

 「パルシヴァル……」


 嵐が去った所で振り返ると、もう少年は意識を失っていた。疲れていたんだろな。泣き濡れた顔のまま、俺の寝台に眠り転けている。

 仕方ないと寝台を譲って彼に毛布を掛けてやり、俺はソファーに寝転んだ。詳しい話は明日でも構わないだろう。


(それにしても……いきなり雨が降るなんて)


 俺はそれを不思議に思う。先程までそんな気配は微塵にも感じられなかったのに。パルシヴァルが現れるのと同時に……この大雨は始まった。


(明日の進軍……大丈夫かな)


 鎧とか剣に雷落ちたら大変だよ。かといって軽装で動くのも心配だ。朝までに止まなかったら流石にランスに相談しなければ。


(うん、止んで。お願いだから)


 祈るように目を閉じる。だけど俺は馬鹿だった。俺のリアルラックって……とんでもなく低いのに、それを忘れていた。



 *



 翌朝は、雨は上がらず大雨のまま。


 「これは進軍は延期でしょうか」

 「そうですね……」


 会議室で項垂れているジャンヌ。気合いを入れていた分落ち込みようが激しい。対するランスは冷静に現状を見極めるべく、淡々とした口調を保ったまま。俺はと言えば、どこで素人が口を挟んで良い物かとそればかりを考えている。

 今朝になったらヴァンウィックは姿を消していた。イグニスの部下が帰還したから、その分の守りが必要になったとのことらしい。そんなヴァンウィックからは一度旧チェスター領に寄るようにとの伝言があった。だから進軍が駄目だとしても其方には向かう必要があるかも知れない。


(でも、妙だ)


 ランスの手前、非常に言い出しにくいがそれはおかしい。旧チェスター領。今俺達が拠点にしていた湖城。進軍の準備が必要だし一端戻る必要があるのは確かだけれど、ヴァンウィックからの伝言だというのが気に掛かる。だって、彼は俺の秘密を知っていた。


(信じて良いのか……?わからない)


 昨日は色々あって、大事なことを結局ジャンヌに相談できなかった。パルシヴァル騒動に疲れた俺はあのままソファーで寝てしまったのだ。あの後戻ってきたジャンヌは、警備の必要があると考えたのか、俺をパルシヴァルの隣に運び、自分がソファーで寝たようで、起きたら俺が暫く狼狽える結果になってしまった。だって朝起きたら隣に美少年って図だよ。何かやらかしてしまったのかを頭が真っ白になるところだった。「朝から何を騒いで居るんですか」というジャンヌの突っ込みが入ってようやく目が覚めました。


 「王様ー!髪の毛結べました!」


 っとまぁ、朝から人騒がせなこの少年……それでも一晩寝て落ち着いたらしいパルシヴァルは今、俺の髪を結って遊んでいる。さっき彼の髪を結んだリボンが曲がっていたのを直してあげたから、それのお礼のようだけど……今度は俺のリボンが曲がっている。まぁ、いいんだけどね。


(何はともあれ、元気になったみたいだし)


 ユーカーと何があったのかなぁ。また泣かせたら困るし。こういう時、強く言い出せないのが俺の悪いところだ。なぁなぁで済ませようとする。ユーカーが俺を嫌うのもこういうところが一つの理由。人の顔色伺いばかりをしている。確かに否定が出来ない。


 「リスティス卿が戻ったのは良いですが、セレスタイン卿、それにトリシュ様まで行方をくらましてしまうなんて……それにイグニス様と多くの配下もお帰りに」

 「いえ……その点は問題有りません。彼らが離れたのは……俺の策です。そのために、イグニス様が帰られる前に空間転移をお願いしました」


 ランスがそれっぽいことを言っているけど、多分嘘だ。イグニスの策と言ったら俺が嫌がると思って自分が考えた風な言葉を口にしている。いや、本当にそうなのかも知れないけど。そんな風に疑う自分が嫌だなぁ。俺の口から溜息が出る。


 「アルドール様」

 「な、何?」


 突然ランスに話題を振られて驚いた。狼狽える俺に彼は妙なことを言う。


 「アルドール様はどのようにお考えですか?」

 「……俺は戦に疎い。だから戦場に詳しいランスとジャンヌの意見を聞かせて欲しい」


 俺の言葉に、二人は素直に応じてくれる。昨日のあれこれは今は全く感じさせない仕事モードの顔つきだ。


 「そうですね、数術学的に言うならカーネフェルは火の元素。雨の日の戦いは向きません。金属の武具防具も今日は使えません」

 「ですがアルドール、ランス様。それは敵もそう考えているでしょう」

 「奇襲にはもってこい。そういうこと?でも攻撃手段は……物理攻撃と数術くらいじゃないのか?」

 「いえ、我々にはこれがあります」


 ジャンヌが掲げてみせるのは……銃と呼ばれる教会兵器だ。


 「それ、雨の中でも使えるのか!?」

 「ええ。それを知らない者も多いのは確かです……油断させたところに決定打として使うなら、奇襲としては成功でしょう」

 「流石ジャンヌ様」


 いや、ランス。そんなに惚れ惚れした顔で感嘆しなくても。ここで褒めるのはジャンヌじゃなくて教会兵器の凄さだと思うけど。


 「でも水の元素が増えている今……道化師が仕掛けてこないかが心配だ」

 「アルドール様。その点は心配有りません」

 「え?」

 「俺は火の人間ですが、水との相性も良い。この天気なら……俺の数術も冴え渡ります」

 「でも……」


 ランスにはあまり数術を使わせたくない。触媒があるからそんなに心配しなくて良いのだとしても、やっぱり心配だよ。


 「アルドール様。守りのことなのですが、パルシヴァルは北部に残しましょう。旧チェスター領にはパルシヴァルを戻らせます。そしてそこに残る兵達への指示を伝えさせます」

 「ええ!?」


 ランスの口からそんなことを聞くとは思わなかった。確かに幼い彼を戦場に出すのは俺も抵抗がある。エフェトスもイグニスもユーカーも居ない。今あるコートカードはジャンヌとパルシヴァルだけ。そんな中彼を置いていくと言うことは、ジャンヌを軸に据えた策を受け入れたも同然だ。


 「ぼ、僕は……僕も行きます!」

 「君には無理だ」


 ランスの方へと詰め寄るパルシヴァル。そんな彼の細い肩に触れ、ランスは鋭い眼差しで彼を見下ろす。触れた指の先からパルシヴァルの精神状態を読み取っているのだと気付いて、俺も驚いた。元々純血にしては優れた数術使いの彼だけど、こんなイグニスみたいな芸当出来るようになっていたなんて!俺も似たようなこと少しは出来るようになったけど、ここまでの精度はない。だから彼の凄さに改めて圧倒されてしまう。


 「助けられるまで逃げ出すことも出来ない。君は騎士に向かない。人殺しも出来ない君には」


 本当に逃げ出したいのなら、敵を殺して逃げれば良かった。人殺しを知らない少年の白く綺麗な手。それを責めるよう、羨むようにランスが呪詛めいた言葉を紡ぐ。


 「それならっ……そんな貴方のどこに!セレスさんが憧れたって言うんですか!?僕には全然解りません!」


 両目一杯、涙を浮かべたパルシヴァル。それでも瞳はランスから逸らさない。

 自分の憧れた人。その人が憧れた人。パルシヴァルはランスには何の憧れも抱けないのだという。ランスを正しい騎士の姿だとは思えない。認めてなるものかと、少年の瞳が食らいつく。


 「パルシヴァル……」


 俺は何と言えば良いんだろう。ランスもユーカーも苦悩している。それを伝えたところで全て理解して貰える訳じゃない。無邪気に見えたパルシヴァルでさえ、思い悩むことがあった。彼らの苦悩を解った振りして頷くのは、余計に失礼だ。


 「リスティス卿……いいえ、パルシヴァル様」


 誰も動けない、何も言えないその場所で、動いたのはジャンヌだった。彼女は騎士ではない。戦場を知る、それでも第三者の立ち位置だからこそ……言えることもあったのか。


 「確かに人を殺すのは怖いことです。恐ろしいことです。私だって最初はとても恐ろしかった。今だって、人を殺した数を増やすことが立派なことだとは思っていません」

 「ジャンヌさん……」

 「それでも、私には守りたい国が、人がいます。私が手を汚さなかったら……私の大事な人達は殺されていたかも知れない。私が何もしなかったら……私以外の誰かが人殺しの罪を被ることになったかも知れない。だから私は安堵するんです」


 懐かしい。シャトランジアで出会った頃も……似たようなことを俺は聞いた。あの日もジャンヌは……自分が普通の生活を捨てることで、普通の生活を普通の幸せを続けられる誰かのことを思いやっていた。そうだな、優しい人だと思ったよ。擦れた俺は嫌味な言い方をしてしまったけれど、ジャンヌの考え全てが間違っているわけではないのだ。少なくとも彼女が最初にそれを志したのは……他人を見捨てられなかったから。自分の生活を投げ出してでも守りたい者があったから。必要に駆られて、それとも必然的に、自分のために騎士になった彼らとはちょっと意味合いは異なる境遇。それでもジャンヌは一緒なのだと口にする。


 「騎士様達も……そういう気持ちがあるのではないですか?騎士様はそういうお仕事をしなければなりません。でもそうすることで……多くの人を守って居るんですよ。パルシヴァル様。セレスタイン卿が、ランス様が貴方に人殺しをさせたくないのは……みんな貴方が大事だからです」


 ジャンヌ、とっても良いこと言ってくれているところ悪いけど……それちょっと違う。ユーカーはそうかもしれないけどランスが居たたまれない感じで俯いているよ。「やばい、俺は別にパルシヴァルのことそこまで大事じゃないんだけどどうしよう」みたいな困惑した瞳が俺を向いている。「アルドール様どうしましょう、助けて」的な、縋るような子犬の視線だ。俺より背が高い年上の男相手に子犬の印象ってどういうことなんだと思わないでもないんだけどさ。そう思ったんだから仕方ない。


 「ジャンヌさん……っ、僕っ……僕っ!」


 昨日はパルシヴァルの対応に困って、力業で昏倒させようとか企んでいたお姉さんとは思えない。上手にパルシヴァルを懐柔し、あやしているジャンヌ。パルシヴァルが落ち着いたことで話が成立するようになっただけかも知れないけれど、ジャンヌがここにいてくれて良かったとそう思う。精神的にまだまだ未熟なパルシヴァルを前線に出すより、落ち着いてくれたジャンヌがいてくれた方が確かに安心だ。悔しいがそれ以外、今は打つ手がない。


 「ランス……頑張って策を練ろう。もっと完璧な物を」


 今俺達に出来るのってそれくらいだ。ジャンヌの幸運に縋らなければならない今、カード的に弱い俺達が支援できるのはそれ以外の分野でだ。戦いに赴く前に、出来るだけ安全な道を敷いておきたい。


 「アルドール様。その件は俺に一任させていただけませんか?」

 「え……?」

 「俺の考え得る限りの最高の策を、昨晩練りました。パルシヴァルを置いていくのもそのためです。必要最低限のこと以外は話せません。相手方にも数術使いが居る。どうかご理解下さい」


 俺を信じてくださいと、ランスが懇願するよう跪く。


(ランス……)


 まだ心配だ。俺とランスとで意思疎通がきちんと出来ているようには思えない。


(それでも……)


 俺はランスを信じたい。信じて欲しいし信じたい。この人は人としてはちょっとあれな所もあるけれど、立派な騎士なんだ。意思疎通さえちゃんと出来ていれば何も間違わない。俺が全幅の信頼を、心から彼に寄せることさえ出来れば……彼以上に心強い味方も居ないだろう。


 「解った、俺はランスを信じるよ」


 心細さは感じている。イグニスもユーカーもいないんだ。でもそれは彼も同じだろう。親しくしているユーカーもトリシュもいないのだから。


 「でもランス。ちゃんと策に俺も組み込んでくれ。今は攻める時だ。守りに入って俺のために人員を割くのは良くない。都を取り戻すまで俺は王じゃない。一人の兵だと考えてくれ。お願いだ」

 「……アルドール様」

 「ランスが俺に仕えてくれるのはそれからだ。都も取り戻せずに死ぬようなら俺はその程度の王なんだから。そう考えれば少しは気が楽だろ?」


 彼を安心させるよう、俺はにやっと笑ってみる。安心してくれたかな。解らない。

 それでもランスが小さく吹き出した。何かを懐かしむように……ほんの少し悲しい瞳で彼が笑った。


 「解りました。策を少し練り直します。一時間後には出発できるでしょう。それまでに皆様仕度を調えてください」


ヒロインの手を触って嘔吐する主人公。なにそれあたらしい(棒読み)


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