54:Gladiator in arena consilium capit.
「はぁ……」
早々に寝室へ下がったアルドールは、それでも寝付けないで居た。明日はもう南下が始まる。だからこそ休んだ振りをしてランスを早々に下がらせた。彼も休まなければ明日から大変だ。
(ね、眠れない)
そう、今俺がぶち当たっている問題は自分のこと。体力はしっかり温存しておかなければならないのに、眠れないのは困った。
(ユーカーに嫌われた、ランスと気まずい、イグニスは頼れない)
次から次へと湧いてくる、悩み事は尽きない。今相談できる相手はジャンヌくらいな物だけど、彼女はもう部屋に戻っただろうか?耳を澄ませば、城内は夜の闇に溶け込むように静か。もう催し物は終わったのだろう。
(でもなぁ……)
こんな時間に女性の部屋を訪ねるのは失礼ではないだろうか?
「でもジャンヌなら、最悪俺を殴って気絶させてくれそうだしそれで眠れたら助かるかもなぁ」
「アルドール、あなたそういう趣味が……」
「え?」
口から漏れた独り言に、何故か返答がある。しかも聞き覚えのある声だ。恐る恐る振り向けば……今正に俺が名を呼んだ人。
「じ、ジャンヌ!?」
何でジャンヌが俺の部屋に。驚きのあまり寝台から転げ落ちる俺。情けない俺に呆れながら、彼女が助け起こしてくれる。
「あ、ありがとう。でも何だってこの部屋に?」
「ランスからの伝言を預かりました」
「え、ああそっか。ありがとう」
「アルドール、鍵くらいしっかり掛けてください。貴方は王なのですから、いつ何時命を狙われるか解らない……せめてカード一枚は護衛として配置しなければ駄目でしょう?」
「ご、ごめん……」
ランスと喧嘩したことを責められているんだろうか?
(いや)
何かがおかしい。ランスが俺の護衛を離れた。あの真面目なランスが護衛を他の者に頼みもせず持ち場を離れるなんて思えない。下がれと言っても廊下か隣室で待機していそうなもの。何かあったのだろうか。
(それとも)
傍にいたくないくらい、俺はランスにも嫌われているのだろうか。思考が沈んでいく俺を、ジャンヌはぴしゃりと叱り付ける。
「アルドール、イグニス様がお帰りになられて不安なのは解りますが、ここからは私達の戦いです。気を引き締めて皆を率いていかねばなりません」
「うん……って、え!?イグニスが、帰った!?」
「ええ。それがお伝えすることの一つでした、すみません」
「え、いや、そっか」
イグニスがシャトランジアに帰った。それはこれからの準備のためなのだろうけど、俺に一言もなしに帰るなんて。
(イグニス……)
先に避けたのは俺だ。イグニスは悪くない。イグニスはシャトランジアに必要な人間なんだ。それを俺が頼りないからいつまでも、カーネフェルに縛り付けてしまっていただけ。挨拶とかしている暇も本当はなかったんだ。
(頑張らないと。これからは、イグニスは頼らない。カーネフェルのことは俺達の力だけで……成し遂げなきゃ駄目なんだ)
もっとしっかりしないと。今いてくれるみんなを信じて、信じて貰えるように俺が立派な王にならないと。そのためにも、明日からの戦いは負けられない。これまでのようにギリギリの戦いは出来ない。
「ジャンヌ、それで他の伝言って?」
「はい。明日からの策です。貴方の了承が必要だと思いここへ」
ジャンヌは卓上に地図を置き、説明をしてくれる。
「まずは旧チェスター領へと戻り、アロンダイト領へ。この二領で進軍のための物資と集めた兵を連れて南下を初め、そのままザビル河を目指します」
「あれ?すぐに南下するんじゃないの?」
「ランス様の話では、アロンダイト卿……お父君がイグニス様の命でいちど旧チェスター領へ戻るようにとお伝えにいらしたそうですが」
「……ヴァンウィック、か」
仮にも彼はランスの父さんだ。疑うのは良くはない。それでも何か嫌な感じがする。それは彼の性癖とかそういう意味ではなくて。
(彼は俺の秘密を知っていた)
それに気付いているのはイグニスくらいなものだろうけど、イグニスがそれを人にベラベラと喋るとは思えない。ましてやヴァンウィックはシャトランジアの人間ではない。
(でも彼は……ランスの父親)
俺が彼への疑念を伝えたところで、ランスは俺を信じてくれるだろうか。彼ならそうしてくれるだろうが、それは彼との溝を広げる原因になる。ユーカーだって実家とは仲が悪いのに、ランスまでヴァンウィックと絶縁させるようなことがあったら……流石に可哀想だ。ヴァンウィックはユーカーには(セクハラも多いけど)良い叔父さんみたいだし、ヴァンウィックがランスを可愛がろうとしてそれが空回りしているのは何となく解るんだ。
(……俺は)
決断できない。いつもならイグニスに言われる。やれって。彼女の言葉は信じられる。それが間違った方に進むはずがないと俺は盲信していた。それは俺達にとってはそうだ。だけど……彼女の言葉には、いつも誰かの犠牲があった。俺はそれに気付こうとして来なかった。それは俺の罪だ。
俺は今、俺の意思で決断を迫られている。平和を望み不安の芽を見て見ぬ振りをする。それか……場が荒れるのを、仲間の胸の内を抉ってでもカーネフェルを思うのか。
(ランスはいつも、戦ってきた)
親友よりも国を……王を取る。そんな彼は立派な騎士だけど、がらんどうの……中身の無い空っぽな人間になってしまった。イグニスの言う、立派な王とは何だろう。ランスのように大多数のためなら大事な少数でも割り切り、切り捨てられる人間になること?それとも……
(俺にそれを決めさせるって言うのか)
俺にとってどちらが正しい道なのか。自分で決めろと。
答えの見えない問題の中、ふっと俺が我に返ったのは、カードの刻まれた手から流れ込む暖かさ。手を見ればそこに誰かが触れている。誰かって、ここには俺ともう一人しか居ない。ジャンヌだ。
何時しか震えていた俺の手。それを彼女が握ってくれている。
「アルドール……」
「ジャンヌ……」
「お心をお決め下さい。大丈夫です。貴方は一人じゃありません」
「……どうかな」
少し捻くれた心が出た。そんな俺を咎めるように、彼女が俺の頬を抓る。
「痛てて」
「まったく貴方と言う人はっ!本の読み過ぎで視力でも下がりましたか?」
俺が大げさに反応して逃げようとしても、彼女の手は離れない。それはまるで、必死に何かを伝えようとするように。
「暫くそんな暇も無いって」
「でしたら何故私が見えないのですか?」
「いや、見えてるけど」
「いいえ、見えていません」
何故私を頭数だとちゃんと見てくれないのかと責めるよう、ジャンヌが俺を睨んだ。
「少なくとも私は今、ここにいます。何事かをお悩みなら、どうしてジャンヌを頼ってくださらぬのです!私はそんなに頼りないですか!?それならやっぱりここにはランス様に来て頂けば良かった!貴方もそう思っているんですね!」
「ら、ランス!?」
びくと俺がたじろぐのを見て、ジャンヌは俺の悩みの一つを察した様子。
「また、ランスと何かあったんですね」
「え、ええ……ええと、えへへえへえへ」
「笑って誤魔化さない」
「そんな頬ばかり抓るなよ」
「怒って誤魔化さない」
反応に困って悩み始める俺を見て、ジャンヌが額に手を当て重いため息。
「アルドール……」
「い、いやでもランスに気を使われるようじゃ俺もまだまだだなぁ。どうしたらユーカーとかトリシュみたいにランスと上手くやれるんだろ」
「私としてはセレスタイン卿とランス様やアルドールが打ち解けて仲良くできる方が凄いと思いますけれど。まだランス様の方が接しやすくありませんか?」
「ど、どうだろうなー……」
痛い、痛い、痛いから!ジャンヌさんもう止めて!俺の地雷でタップダンスするのは止めて!俺ユーカーと打ち解けてないし嫌われてるよ!引き攣った笑みを浮かべながら俺は視線を横にずらした。それでもジャンヌは其方に回り込む。その先で彼女はにっこり笑う。
「それからアルドール、脱線して誤魔化さない」
怒りと呆れ、それから呆れを通り過ぎての苦笑。そんな表情で彼女が俺を見る。ジャンヌって意外とノリが良いんだな。天然ボケかと思ったら、容赦ない感じのもいけるんじゃないか。変なところで感心している俺に、再び呆れが怒りと笑いを上回ったらしい彼女が目を伏せ嘆息。
「ランスが何故私をここに来させたと思って居るんですか貴方は」
「あれ、そう言えば……」
じっと彼女の方に注目してみれば、なんと珍しい。ジャンヌが女の子の格好をしている。今まで気付かない俺もどうかしているが、髪を下ろしているし……切ったはずの髪が湿り気を帯びてほんの少し長くも見える。ああ、風呂上がりだったのか。
女の子をこんな時間に男の部屋に送り込むなんて、ランスも鬼畜だな。相手が俺じゃなかったらどうなっていたことやら。例えばヴァンウィックとか。
そんな恐ろしいことを考えていると、いい加減俺に苛ついたらしいジャンヌが肩をすくめて恨めしそうに俺を眺める。
「貴方って変な人」
「え、ありがとう」
「褒めてはいません」
「そうだよね、ごめん」
「別に責めてもいません」
「……うん、ごめん」
「私って、そんなに怖いですか?」
「え?」
すぐ謝ってばかりの俺に、ジャンヌが傷付いたような目を向ける。言葉の意味が分からない様子の俺を見て、彼女はそれ以上の言葉を笑みで隠して話題を変えた。
「私が思うにここへはランスが来ても良かったとは思うのですが、彼は貴方が寝ていたら起こすのは無礼だと言うので。私であれば貴方を起こしても無礼に当たりないんですって!おかしな方!」
「は、ははは」
今度苦笑いをするのは俺の番。ごめんジャンヌ。それただランスが俺と今日はもう話したくないだけだったと思うよ。なんてそんな事を言えるはずもない。ジャンヌも会わせてくれると思ったのに、何だか今度は少し拗ねたような眼差しが俺を見ていた。
「笑わないでください。貴方はそこまで愚かではないはずです」
「え?」
「ですから、彼は私と貴方の関係を立てた上で、私ならば貴方を起こしても問題がないと口にしたんです!だと言うのに何ですか貴方という人は!貴方は自分の伴侶一人も信用出来ない王なのですか!」
「は、伴侶!?」
いや、そうなんだけどさ、うん。でもそれってイグニスが無理矢理決めたことだし。まだ式の一つも挙げていないし。そんな恋人とか夫婦みたいな前提で話を進められても俺の心と頭は置いてき堀だ。それでも俺の顔は勝手に、彼女の言葉に反応し……急速に赤くなっていく。こんなに熱く感じるのは、今が夏だからと言うだけではない。何かに脅えるように、心臓が一度……大きな音で脈打った。俺にはそれがとても恐ろしかった。だって今にも道化師の、笑い声が聞こえてきそう。そんな風に思ったから。
(こんなの、裏切りだ)
俺はギメルが好きなんだ。それなのに彼女とまだ再会もしていないのに、他の誰かと結婚なんて。ジャンヌだってどうしてそんないきなり前向きなんだよ。俺達の関係は名目上夫婦になったとしても、戦友とかそんなものだろ。そもそも俺なんか好かれる要素何にもないよ。だからそこは伴侶じゃなくて、友人と言うべきだろう。
いきなりジャンヌの態度が変わった訳じゃない。それでも言葉一つ切り換えるのにも、俺は理由を探ってしまう。何かの心境の変化があったんだ。
親友を亡くした彼女が、俺を彼の代わりにしないようにと……俺を俺として見て、俺との関係を模索しようとしてくれているんだ。それは嬉しいよ、本当に。だけど、興味を持ってもらうことに俺は慣れていない。そんな目で見ないでくれ。俺を探るな、曝かないでくれ。俺が本当につまらない人間だって事がバレてしまうよ。そうしたらジャンヌは俺を嫌いになる。
赤くなったり青くなったりする俺の顔をみて、ジャンヌがひょいと顔を寄せてくる。
「気分が優れませんか?」
子供の熱を測るよう片手を俺の額に、もう一方を自分の額に彼女は置いた。珍しく軽装な彼女は籠手も付けていない。そんな彼女の手が触れる。彼女の手は、俺が想像していたより……女の子らしくない。俺よりずっと長い間、剣を振るい続けた手。柔らかさよりも先に硬さを感じる。それでも彼女の手は温かい。対照的に思い出すのはイグニスの冷たい手。
数術代償に悩む俺を鎮めてくれた彼女の手。だけどジャンヌの手は熱い。そこから得体の知れない熱を、俺の頭に顔から耳に送り込む。
手を触られたときだってこんなに意識はしなかった。今更彼女の濡れた髪と、女の子らしい姿がよく見える……頭で認識できるようになる。
(なんでだろ……)
手よりも額に鋭敏な神経があるのだろうか?カメレオンの第三の目とか、そんな感じ?俺っては虫類系だったのか。そうか。だからそこを触られるとこんなに色々……
(ってそうじゃないだろ!何ノリ突っ込みしてるんだ俺は!)
ああ、ここにイグニスかユーカーが居てくれたら!絶対ツッコミ入れてくれたのに。ジャンヌはと言えば、目を丸く見開いて……
「まぁ!本当に熱がある!アルドール!明日までに気合いで治しましょう!」
「え!いや、そうじゃなくて」
「反論は後日聞きます!でりゃあああっ!」
「うわあああああっ!」
もうちょっとソフトに病人(いや、病人じゃないけど)運べないのかこの人は。問答無用と俺を一本背負いでベッドまで投げ飛ばしたぞ。
「いや、ほんと!何でもないんだ!ちょっと疲れただけで……」
「疲れた?……はっ!」
不味い。墓穴だ。今日の俺は大分ジャンヌに振り回された。彼女もその自覚がある。自分の所為で俺が不調なのだと思いこみ、青ざめた顔で俺に布団を被せてくる。
「あ、アルドール。私に出来ることはそんなにありませんが、もう今日は休んで下さい」
「ジャンヌは?まさか付きっきりなんて止めてくれよ」
ジャンヌに倒れられても困るんだからと部屋に帰そうとするも、彼女に俺の言葉は聞こえていないよう。彼女、思い込んだら一直線というか何というか……少し見ていてはらはらする。
自分の思考に嵌ってしまった場合、外界の音声をシャットアウトする術に長けてるよね。俺は少し疎外感と孤独を感じながら彼女の横顔を眺める。
「戦う以外で私に出来る事なんて……レパートリーの聖歌を三〇〇曲歌えるくらいしか」
「うん、止めて」
本当に彼女は信心深いんだな。シャトランジア歴は俺のが長いはずなのに。
しかし、そんな羊数える感覚で歌われても困る。なんか変な夢見そうだよ。なんかまたあの神様とか出てきそう。
「ランスやイグニス様のように、私も数術が使えたら」
はぁと溜息の後にもたらされた彼女の言葉。それに続くのは、「貴方の不調を治せるのに」、それとも……「貴方の心が知られるのに」?
彼女は語尾を濁して俯いた。額を触られているからだろうか。答えはなんとなく解ってしまった。俺も一応、数術使いの端くれだったんだなと思い出す。それでも読めることなんて殆ど無い。ジャンヌは姿を偽っても心を偽らない人だから。
「アルドール。女の私では、貴方を守れる騎士にはなれないかもしれない。それでも、貴方を支える友ではありたいと思うのです。それはいけないことですか?」
俺の眠りを妨げるのは、ランスとのことだけではないだろうと彼女は尋ねる。
彼女も不思議な人だな。俺を平然と伴侶と言ってみたと思えば、今度は自信無さそうな様子で俺を友と呼ぶ。
さっきのあれはそうか。俺と友人関係を築けている自信がなかったのだ。だから名目上の関係を口にしただけ。別に深い意味はない。それに気付いてほっと俺は安心したが、彼女はまだ不安そう。今俺が笑ったことで、彼女は俺に嘘を吐かれている気がしているようだ。隠し事があるんじゃないかって。それを話して貰えない自分は、信用されていないんじゃないかと不安で押し潰されそうな彼女。でも思いの外、目だけはしっかりと強い光を失っていない。何かに追い立てられるよう、彼女は俺を見つめている。
「例え取るに足らないことだとしても。貴方との会話に無駄なことなどありません。何の理由があって、私は私の友を厭わなければならないのです?例えどんな小さな悩みでも、私にはそれを聞く価値があります。貴方の悩みですもの」
ジャンヌの真剣な目。ああ、彼女は優しい人だな。気にして居るんだ、今日のこと。俺がジャンヌの話に付き合ったから、それを借りだと思ってる。その借りを返したいと思って居るんだろう。
(人と人の対等な関係か。そういうのって普通、恋人とか夫婦とかそういう物とかなんじゃ……)
俺は再び恐怖する。優しい彼女の言葉に脅え出す。だってジャンヌが言うそれって、友達とは違うような気がするんだ。少なくとも俺は、友達相手に貸しとか借りとか考えないよ。ジャンヌは友人関係は対等なものだと考えているのかも知れないけど、俺にとってはそうじゃない。
だって俺はいつもイグニスに助けられていた。ルクリースに守られていた。ユーカーは俺を追わないけれど俺は彼について回った。ランスと俺の間には主従関係という溝がある。少し例を挙げるだけでこんなに俺達は対等じゃない。
ジャンヌの言うことはとても綺麗だ。立派な言葉。理想だとおもう。だけど現実的じゃない。それは俺の生きている世界じゃない。彼女はどこか遠くの世界から来た人なんじゃないかな。そんな馬鹿げたことを思うほど、俺の感じる世界にとって彼女は異質だ。良く言うならば新鮮、か?
君の目には、この世界が……今俺がどんな風に見えて居るんだろう。多分俺とは違った風に見えている。だからこんなキラキラした目をしていられる。その目が見つめる先の世界には……夢とか希望とか、そんな綺麗な物ばかりで世界は構成されているのかもしれない。
(俺には、無理だ)
俺は知っている。君がカーネフェルと、希望と見つめる俺は取るに足らない人間だ。俺自身、俺を知れば知るほど嫌になるのに、君がどうしてこんな俺に優しくしてくれるかが解らない。そんな理由なんか無いだろ。俺がカーネフェルの王でなかったら、君はこんな風に熱く語りかけることもない。そのはずだ。それ以外の理由がない。
ジャンヌは俺と対等な友人関係を築きたがっているようだけど、その時点で俺達は対等じゃないんだ。君に、俺が圧されている。負けてしまっている。引き摺られてしまうんだ。
「あのさ……俺が思うに友達は、ジャンヌのそれとちょっと違うんだ」
「違う……んですか?」
「うん」
まぁ、ととても驚いたように口を丸くする彼女。年上のお姉さんだって言うのに、こういう表情はなんだか少し幼く見えて可愛らしい。少し気持ちが和んだ俺は、彼女の目を見て小さく笑う。
「俺は……昔間違えた」
ぽつりぽつりと俺が語り出すのは、昔の話。昔と言ってもほんの数年前のこと。そこから二年前まで続いた“彼”との話だ。俺が“彼”と信じて疑わなかったあの子の話。
「その人はとても嘘吐きだった。でもその嘘が俺にはよく解ったから、とても素直な人に見えたんだ。だから俺はその人の言葉の逆を何時も考えれば良かった。嘘吐きなその子は……誰より正直。そう思うと可愛くて思えて、その人は俺が信頼できるとても大切な人になった」
「……」
俺の話をジャンヌは、じっと聞いてくれている。時折小さく頷きながら、一言も挟まない。話を聞いていると言うよりは、俺を見ている。話をする俺の中から、俺を探そうとしている。今その話をする俺の真意を知りたいようだ。そう思うとこの人も素直な人だと思う。
ギメルとは違う。幼くも無邪気でもない。それでもジャンヌは真っ直ぐだ。嘘も汚れもない、信頼に足りる人。それでもこうして隣にいても、昔ギメルに感じたような気持ちは芽生えない。
さっきだって思った。ランスじゃなくて良かった。来てくれたのがジャンヌで助かった、だなんて。ランスと一緒にいるより落ち着くなんて、女性であるジャンヌにとってはなんだかとても失礼な話だな。それは俺が彼女を全く女性として意識していないようなものじゃないか。
(いや、今は話に集中しよう)
変なことを考えた。その所為でいきなり彼女を女性として見てしまっていた。こんな時間に年頃の女の子が男の部屋にってどう考えても不健全だ。目を逸らすと怒られるので、俺は伏し目がちに物憂げさを装った。
「ある時、俺はその子と喧嘩をしたんだ。……その子は本当は、何処にも行かないでって思ってた。それでもその子は俺に、二度と会いに来るなと言った。本当はさ、俺に否定して貰いたかったのに。俺はそれに気付いてたのに、表面上の言葉を受け入れた。それこそがその子の望みなんだって……」
「どうして、ですか?」
「それは……」
どうしてだろう。短い自問自答。すぐに答えは出る。その答えは簡単だ。
「俺は諦めていたんだ。行動するより先に頭で答えを出していた。そんなの無理だって。俺じゃきっと彼らを守れない。傷付けることしかできない。それなら俺が諦めて……それで彼らは幸せになれるんだって信じたかった。全部俺の所為だと思いたかった」
ギメルが寂しい思いをしているのも、イグニスが泣いたのも。どうすれば二人を幸せに出来るのかが解らなかった。
「俺はさ、俺にとっての友達って……とっても大事で、大好きな人のことなんだ」
笑ってみせる。それでも俺の頬を伝う涙が止まらない。声が、震えだしていた。
「その人にはいつも笑っていて欲しい。幸せでいて欲しい。そのためなら俺は……一生辛くても、悲しくても笑ってみせる。笑っていられる。その位、大事なんだ。大事だったんだ」
掛け替えがない物。彼らのためなら命を投げ出しても構わないと、心の底から思えたよ。あの気持ちは今だってこの胸に残っている。それなのに今、とても遠い。距離じゃない。イグニスの心が解らないのだ。ギメルなんか、今どこで何をしているのか。それだって本当のところ何も解らない。
「でも俺もその子も成長して、自由になった。自分の力で歩いていけるようになった。生きてる世界が広がった。そして、他にも大事なものをいっぱい見つけてしまった。俺も……友達のために死んであげることは出来ない」
俺が命を投げ出すべき相手はこの国、カーネフェル。言い換えればそこに住まうカーネフェルのすべての民のため。入れ込んではいけない。私情で国を動かしてはならない。鳥籠のような屋敷を飛び出して、手に入れた世界は……もっと広くて重い檻だった。俺一人の力でそこから逃れることは出来ない。
ユーカーが俺から逃げるのも、ランスが俺との間に壁を作るのも、つまりはそういうことなんだ。俺は誰とも対等にはなれないし、それが許されない。俺が優位に立つことは許されても、謙ることは絶対に許されない。それがカーネフェルという国のため。
(でも……)
それはとても寂しいんだ。だから俺は求める。安心してもたれかかれる相手。ほっと息が吐ける場所。
俺が相手に与える好意は、そういう見返りを求めてなんだって気が付いた。気が付いてから俺は自己嫌悪の気持ちが止まらない。今まで以上に自分が嫌いになる。気持ち悪いと逃げ出したくなる。どうすればもっと、人から好かれる人間になれるのか。嫌われない人間でいられるのか。
ジャンヌは誤解している。俺はただ駄目なだけで、優しくもない。嫌われたくないから優しくするだけ。それだけなんだ。言うなれば……人間が好きで、人間になりたくて足掻いている人形だ。馬鹿みたいだな、俺。
「……ごめんなさい。私、貴方を苦しめていました……よね」
対等な関係。それを出過ぎた真似、身の程を弁えない発言だったと悔いるよう、ジャンヌが潤んだ目で笑う。ショック、だったのだろうか。ああ、そうだ。これは親友を亡くしたばかりの彼女に言うべき言葉ではなかった。
彼女と彼女の親友は……国を世界を憂いた。だから俺のように狭い視野で生きてはいなかった。立派な夢と理想を持つ人は、時に薄情に見えてしまう。ランスがそうであるように。
ジャンヌもそんな風に感じてしまったのだろう。何も間違ったことはしていないはずなのに、俺に責められているように思えたのだ。お前の言う友達関係は、その程度の物なのだと俺に嗤われた……とも。
(いや、違う)
彼女が傷付いた目をしているのは、俺を見つめて。彼女は気付いたのだ。俺と彼女では……俺の言うような友人関係は築けない。友達には、なれやしないのだ。
そうだ。なれるわけがない。ジャンヌとも、ユーカーともランスとも。俺は友達にはなれない。ユーカーが怒ったのは、そういう所にも気付こうとしない、目を背ける俺の卑怯で腐った性根のためだ。苦しげに笑う俺を見つめて、ジャンヌもまた俺の鏡のように辛い表情で口を開いた。
「私は貴方にとって、そこまでの存在ではありません。いられるはずがありません。だって……貴方のために私は死ねても、貴方は私のために死んではならない方、ですから」
「違うんだ!」
「え?」
思わず彼女の手を掴んでしまった。それも思い切り。僅かに痛みから眉を寄せたジャンヌ。だけど彼女は気付いて赤くなる。その理由を知って、俺も釣られて赤くなる。
「……」
「え、えっと……」
「こんなこと、初めてです」
ジャンヌの方が、とうとう俺から目を逸らす。その反応が、これまでで一番……女の子に見えた。そんな取るに足らないこと。どうしてこんなことで、俺はこんなに緊張するんだ。
振り払おう、振り払おうとすればするほど、手が震えて固まった。そんな俺の手をもう一方の手でジャンヌが触れる。今はちゃんと俺を見て、少し嬉しそうに微笑んだんだ。
「握手以外で、事故以外で……貴方が、貴方から私に触れるなんて」
それは、本当に取るに足らないこと。そのはずなのに。彼女が嬉しそうに笑うから、俺はそれを恐怖と認識出来なくなりそうで……もっと大きな恐怖に飲み込まれていく。駄目だ、駄目だ、駄目だ!笑うなジャンヌ。君の笑顔が俺は恐ろしいっ!だってその先には……
知るよしもない未来。頭に流れ込む、“彼女たち”の死のイメージ。想像に俺は心を半ば殺されて、まだ頬の熱も引かぬ間に……手も放せないままなのに、頬を涙が伝って流れた。
(ジャンヌ……)
どうしよう。彼女は……彼女を俺は、守れない。そんな未来を感じ取り、俺は急な吐き気を催した。
アルドールとジャンヌ回。
ヒロインとフラグが立っても全力で脅える主人公。多分へたれを超越(良い意味ではない勿論)した何か。




