53:Acherontis pabulum
エフェトスの目を通して見るその景色。まもなく朝焼けだ。南部から見える海は北部のそれより美しいのだけれど、彼らには今そんなことを認められるだけの心の余裕がないのだろう。遠く離れた場所で僕は……イグニスという人間は考える。
全ての朝は必ずしも美しいとは限らない。この朝焼けを絶望だと感じるような人間も確かに居るのだ。朝焼けが美しければ美しいほど、惨めな思いになる夜の人間。道化師の種の一つである彼も、そんな闇を抱えている。
全ての始まりは、喜ばしいことではないかもしれない。それは僕にとっても。そして今、それは彼にとってもだ。
セレスタイン卿ユーカー。彼は今、……いや、今になるかもしれないいつかのこと。その時彼は、左目を思い切り見開いている。見開いていた。眼帯の下のもう一方も同じであることは、誰にとっても明らかだ。
「聞こえていなかったか?」
ならばもう一度だけ言おう。もう一人のセレスタイン卿。ユーカーの父親である、セレスタイン卿ロジアン。彼は冷たい瞳でもはや用済みとなった我が子を見下していた。
「その剣を返せ。出来損ないの道具には……譲る名も家も、剣も領地も無くなった」
*
教皇の導きに従って、踏み入れた懐かしい故郷。日も登らぬ早朝ということもあって、領地は不気味なほど静か。それをユーカーはとても恐ろしいと感じる。
(嵐の前のなんとやら、か?)
もう何年も父親には会っていない。縁を切ったのだ。向こうは勘当したと言うのだろうが、俺から縁を切ってやったのだ。それでも何かに縋るよう、未だ家名から名付けられたセレスタイトという剣を持っている。
どんなに自分が活躍して立派な騎士になっても、親父は俺を認めない。アスタロットが殺されて、ようやくそれを理解した。俺はあんなに純真じゃなかったが、パルシヴァルを見ていると、昔の自分を思い出す。母に認められたがっているあいつは、親父を追いかけていた当時の俺によく似ている。
人を殺すこと。パルシヴァルは悩んでいる。人の命で自分の名声を買うことを。
でも俺は……そんなこと良く覚えていない。敵を殺したとき、俺は嬉しい気持ちばかりが先走り、後悔なんて……。死なせてしまった仲間の事への後悔の方が、俺にとっては重い物。
俺は悪い人間だから、味方の死は悲しんでも敵まで哀れんだりしない。でもパルシヴァルは良い奴だから、……アルドールの馬鹿は弱いから、敵のことまで考える。そんなんじゃ戦えなくなる。戦場じゃ命取りだ。アスタロットを失ってから……死にたくなかった俺は、そんなこと考える暇もなかったよ。
(じゃあ、それ以前は?)
そうだな。すぐに忘れた。人を殺すことで、自分が認められていく?そんなはずないのに、それを馬鹿みたいに信じていた。それが守るって事なんだと思っていた。
力だけでは意味ない。それに気付いたのは何時のこと?いや、これは直ぐに解ったな。
(俺には、あいつがいたから)
俺に足りない頭はランスが補ってくれる。あいつと俺がいれば、出来ないことは何もないと思った。あいつと俺で、あの人を……この国を守ろうって……そう約束したのに。
腑抜けになったのも、抜け殻になったのも俺の方。俺が破った約束を、あいつは一人で守り続けた。その結果、あいつは立派な騎士になれたけど……自分自身を失った。そのランスが今、もう一度自分という概念を形成し始めている。それを見守り守るのが、あいつを裏切った……アルト様を守れなかった俺が果たすべき最後の仕事。色々気は進まねぇが、これもランスのためだ。木陰で、渡された服に袖を通す。
「着替えましたか?」
「……おう」
「馬子にも衣装ですね」
「……はぁ」
女装じゃないだけでもう何でも安堵してしまいそうな自分が怖いが……教皇が用意した服は思っていたよりまとも。むしろ、まとも過ぎて肩が凝りそうな礼服だった。教皇演じるエフェトスは、イグニスの野郎が教皇になってから着始めた服を数術によって着用している。顔も髪型も違う人間なのに、全く違和感を感じさせない。まったくどういう絡繰りなんだかな。被憑依数術とは聞いたが、こいつがシャーマンだとすると教皇の奴が悪霊みたいなもんなのか。よく分からないが、乗り移られたこの少年自身に罪はなくとも、小憎らしい表情まで再現されるとたまに殴りたくはなる。
「でもどうするんだよ?親父が俺なんかに会うと思うか?」
「その辺は問題ありません。先に教会の通信を使いました。領内の教会から領主様には手紙を届けさせています。さぁ、行きましょう」
なるほど、数術ってのは便利なもんだぜ全く。ランスが使えるような数術とは違うような物を、教会は幾らでも持っている。それだけの力があればカーネフェルなんて簡単に守れただろうに、シャトランジアはそうはしなかった。
先読みの神子は、どうしようもないことはどうしようもないと認めた上で、次の策を考える。決められた犠牲のために無駄なことはしない。そうやって切り捨てる。正義と平和を語る奴らだって、他人の命で生き存えて居るんだ。実際のところ、最低な俺と大差ない屑だ。それで屑同志、気が合うかって言えばそうじゃねぇ。
「なんだ?誰もいないのか?」
「いえ。気配はあります」
何か聞こえる。何かが叫ぶ声。はっと昔を思い出し耳をすましてみたが、それはあの場所からは聞こえない。
(そりゃそうだ……)
俺も母さんも、もうここにはいないんだ。誰を親父が泣かせるって言うんだ?一度息を吸い、冷静さを取り戻す。そうして再び聞いてみる。
「あれって……赤ん坊の、声?」
姉貴の誰かが子でも生んだか。結婚したなんて話は聞かないが、跡継ぎの俺が家出したんだ……名家の息子でも婿入れさせた?そんなことならあるかも知れない。
「……セレスタイン卿。あれは僕なりの気遣いです」
「は?」
これまでの何処にお前の気遣いがあったのだと、俺はエフェトス越しのイグニスに問いかける。
「パルシヴァル……リスティス卿を置いてきたのは、貴方がそれを彼に見せたくなかっただろうと思ったからです」
「俺が、パー坊に?」
見せたくないこと?見せられないこと?そう言われて思い出すのは過去のトラウマ。しかし……
「お前、元々あいつを親父の説得に使うつもりだったんじゃないのか?」
「ええ。そのつもりでしたが、時間が遅くなりましたから仕方ありません。もう少し早く彼を救出出来れば良かったのですが……あのレクスとかいう第一騎士によってタイミングをずらされましたね。あの男さえいなければ……生まれる前に間に合ったのに」
「生まれる、前?」
「ええ。これは確立ではなく、法則の話です。その前に来られていれば、生まれていたのは四人目のご令嬢だったはずなのです。その場合はまだリスティス卿を連れてくる意味もありました。貴方に価値もありましたしね」
しかしこの声が聞こえた時点で、別の預言の世界に来てしまったのだとそいつは言う。
「貴方に今、最上級の嫌味を言うのなら……それは、おめでとうございます、となるでしょうか?」
「……おい、待てよ。ちょっと待てって!」
何だよその話。今の流れ。これじゃあまるで、これじゃあ……そんな。この家に、俺以外の男が生まれたみたいじゃないか。
「わ、笑わせんなよ。お、俺に、異母弟が生まれたって言うのか?」
そんな話があるか。親父は異母に女しか生ませられなかったはずだ。だから親父は……お袋に手を出したんだ。二人も男を生んだ女なら、男を生めるはずだからって。
「教皇聖下、こんな片田舎までようこそお出で下さいました」
俺たちが扉の前で話し込んでいると、突然扉が開いて、中から人が現れた。
見たこともない使用人。そいつは若い女だ。蝋燭の明かりを持っているが、屋敷の中が暗くて顔までははっきりとは見えない。だけど女だ。だと思う。シルエットは小柄だし、服装もメイドのそれだ。そいつから発せられる香りは甘い香水。確実に女物だろう。
「旦那様が、お入り下さいとのことです。案内いたしますわ、さぁ……」
何故家の明かりが消えているのか。不審に思いながらも教皇が何も言わない以上、問題もないかと俺はその女に従った。考えてみれば心当たりが無いでもないのだ。
(俺が家出してる内に、光熱費けちらねぇと生活出来ないくらいに没落したのか?)
そう思うと多少の罪悪感も感じたが、悪いのは親父の方だとその気持ちを否定した。
「さぁ、どうぞ」
通された部屋。赤ん坊の声はそこから聞こえる。場所としては居間の方だったと思う。それでも暗くてよく分からない。
唯、ぼんやりとした明かりには……椅子に腰掛け此方に背を向けた男の姿。おそらくはあれが……
(親父……)
なんて語りかけようか。そもそもこっちには偽者とは言え教皇が居るのに、何故親父は挨拶もしないんだ?親父の性格からして、それはおかしい。
「親父……?」
おそるおそる、椅子に近付く。そうすることで何かが見えてきた。金髪の男の頭に回った猿轡。それから両手両足を椅子に拘束する縄と鎖。
これはどういうことだと振り返る、その先でぱっと急に光が溢れる。部屋の明かりが付いたのだ。
「久しぶりだね、片目のジャックさん?」
「お、お前は……!」
金髪に琥珀の瞳をした混血女。使用人に扮していたのは、シャラット領、ブランシュ領で出会ったあの女。最強のカード、道化師だ!
俺がそれに気付いた瞬間、後ろで木が折れる音。椅子が壊れて親父が床へと投げ出されたのだ。それでも身体は縛られているから動けない。這うように、親父は道化師に近付く。だけど女は親父を見下ろして、手にした蝋燭を掲げて見せた。その蝋が親父の顔を焼く。それでも親父は道化師に近付くことを止めない。まるで、何かを懇願するかのように。
(信じられない……)
俺は呆然として、その行為を止めることも出来ずにいた。目の前の光景が信じられなかったのだ。俺を、母さんをいたぶったあの男が……拷問される側に回っているなんて。
いや、頭がくらくらしていたんだ。慣れ染みついた血の匂い。それがこの部屋からしていることに、今の今まで気付かなかった。この女の香水に、騙されていた。
「セレスタイン卿?……ああ、こっちのじゃなくて貴方の方ね」
道化師は愛想良く笑いながら俺を見る。こうしているとイグニスなんかよりずっと、普通に可愛く思えるが、今やっている行為は大差ない。いや、むしろ酷いか。この女、視線が俺の方に向いたのに、親父の目に蝋を飛ばした。猿轡の向こうで上がる悲鳴も気にせずに、この女はにこりと微笑む。
「この間私の勘違いで、貴方のこと刺しちゃったでしょ?悪いなーって思って、お詫びにさ……貴方の嫌いな人、殺して置いてあげたから」
「こ、殺した……!?」
「うん。貴方のお姉さんにお姉さんにお姉さんに、お義母さん!そして……」
耳鳴りの後、何時の間にやら女が手にしているのは布に包まれた赤ん坊。それを目にして教皇は、初めて言葉を発した。
「なるほど。そういうわけか」
「うん、そういうこと」
「出産日にはまだ日があったんだけどね、殺した時に取り出しておいたの。それでお兄ちゃんの予言は外れる。困るでしょ?」
先読みを知っていたかのような言葉を道化師はもたらす。
「ね、騎士様。お兄ちゃんに随分と苛められたんでしょ?」
蝋燭と赤ん坊を片手でまとめ、女は血まみれのもう片手を俺へと差し出す。
「私と一緒に来てくれるなら、ここでこの子とこの人も殺してあげる」
「な、何言って……」
「私、知ってるよ?私がこうしてあげなかったら、貴方がここの家族を全員殺していた。私はそれを見ていた。知っている。だから私が貴方の代わりに、貴方の罪を被ってあげた」
確かな未来を語るよう、道化師が俺へと告げる。
「この子がこの家の跡取りになれば、貴方は困る。貴方の大好きなあの騎士様を助けられない。でも貴方がこの人達を殺せば、……解るよね?貴方は貴方の大嫌いなお父さんと同じ事をした。そう語られるようになるよ、みんなに」
ランスを助けるために、南部の力を手に入れたい。でもそれを人々は違う意味で捉えるだろう。王のための人殺し。俺が家督を継ぐために、親父と弟を殺したなら……人々は俺にそう言うだろう。それはアスタロットを殺した親父と同じ……王のためならどんな親しい人間もその手に掛ける、忠臣。
「……イグニス、お前は」
俺を攻略するために、外堀から埋めようと……わざと俺をここに連れて来た?俺に親父達を殺させるために。そうすることで俺は……逃げ場もなくなる。アルドールに、カーネフェルという国に縋るしかなくなる。そうし向けるために、お前は。
おっさんの時と同じだ。助ける前に誰かを見捨てる策を練る。おまえ達教会は!
「僕を疑うのは結構です。ですがお忘れですか?僕はその気になれば、いつでもランス様を死なせる策を練ることが出来ます。ああ、それにトリシュ様やパルシヴァル君もいましたね」
「てめぇっ!!」
俺の親しい人間を、味方を人質扱いするか。どうしてもこいつは許せねぇ。それでも……こいつに従わなければあいつらが。
「でもそうしたところで、貴方はちゃんと守れるの?お兄ちゃんは貴方が望む配置に置いてくれないよ?だから今もこうしてこんなところに来てしまった」
苦しげな俺の顔を見て、哀れむように優しく語りかけてくるのは道化師だ。
「ねぇ騎士様、私の所に来るなら私……あの騎士様だけは見逃してあげるよ?どうせ放って置いてもいつかは死ぬようなランクのカードだし、わざわざ殺してあげるでもないかなって」
「……それって、どっちの」
ランスのこと?トリシュのことかと問いかければ、道化師が思い出したようにトリシュのことを口にする。
「ああ、あっちのポエム騎士様もそろそろ危ないね。それじゃあ見逃してあげる。あっちのちっちゃい子はそうだなぁ。ナイトにさえ覚醒しなければ生かしておいてあげてもいいよ?でも、あの女とアルドールだけは駄目」
「あの女……?」
「ジャンヌ、だっけ?あの子は殺すよ。別に良いでしょ?」
「だ、駄目だ!」
「どうして?」
「それは……」
ジャンヌが死んだら、ランスが悲しむ。ランスの最初で最後かもしれない恋が、悲惨なものになってしまう。
「だってお兄ちゃんだって、あの子死なせるつもりなんでしょ?でなきゃあんなに前線に配置しないよね」
あいつらを人質にする教皇、あいつらの身の保証はしてくれる道化師。どちらを信じたらいい?解らない。
(アルドール……アーク……)
あの二人は殺すと言う道化師。アルドールは守っても、ジャンヌは死なせると言う教皇。俺は誰の下で誰を守れば良いのか。
(俺は)
俺は自由な騎士になったつもりだった。ランスに守れないものを俺が守る。二人であの人を、この国を守る。なのに俺は不自由だ。身動きが取れない。俺は立派な騎士じゃないのに動けない。
(俺は、こんなはずじゃ……なかったのに)
*
「何、にやにやしてるの?」
「いやぁ、そいつはエルスちゃんにも秘密ってもんだ」
数術とはまったく便利なものだ。さっき接近したときに、仕掛けた物がまだ生きている。
遠くを見つめながら、レクスはにたりとほくそ笑んだ。
(まったく、セレスは可愛いな)
あんな事であんなに狼狽えて。だから言ってやったのに。俺が殺してやろうかって。
しかし傍について行けなかった以上、今できることは何もないな。さくっとこっちの仕事を終わらせて、傷心のセレスを慰め口説き落としに行くとしよう。
「んじゃ、俺はそろそろ城を出るぜ。じゃねぇと大河まで間に合わねぇ。幸い雨も止んだわけだしな」
「待て。先程の説明がまだだ」
堅物の双陸が道をふさぐが、俺は適当に笑って流してやる。先程までの痴話喧嘩は何だったんだってくらい、こいつら息ぴったりだなおい。
「おいおい、誤解すんなよ?俺は別にあのリボンちゃんを逃がしたわけじゃねぇんだぜ?」
「言い逃れをする気か?」
「そいつはマジだって。あの子のカードがそれだけ恐ろしいって話だよ。願いの片鱗を見せただけであれだぜ?エルスちゃんもまだまだこれから怖くなるってことかねぇ」
「ね、双陸。刺されただけで、一生下の息子が使い物にならなくなる虫でも召喚しようか?」
エルスちゃんが恐ろしい拷問を提案している。それはいいなとか頷くあたり、この堅物もこの恐ろし可愛子ちゃんに大分毒されてないか?
大人しく縛られているわけにも行かないと、さっさと縄抜けをして距離を取る。これ以上文句を言うなら、戦うかいと武器を見せれば……カード相性的に分が悪いと奴らも認めたようだ。
「ま。俺が信用ならねぇってんなら、どっちか付いて来るかい?俺の馬に乗っていくかエルスちゃん?あの坊やがまもなく覚醒するってんなら、今後のためにも見といて損はないはずだぜ?」
「おあいにく様!ボクは飛んだ方が早いから」
馬に同乗なんかしたらどんなセクハラされるか解らないそうだ。人聞きの悪いことで。
ユーカーは目の色が薄くても貴重な男だから辛うじて跡継ぎだったわけで、弟が生まれたら家にとって何の価値もないわけですね。
不運は続くよどこまでも。コートカードだもの。
次回はそろそろアルドール側に戻るか。
いきなり都攻め成功したらユーカーが欝になってても面白かったかなぁと思うんだけど、家を弟に乗っ取られてて居場所無くなって。
でもそこで頭の中に現れた道化師が「はいはい私やったげるー」と言うもんで、こうなりました。たぶんユーカーの父殺し、異母弟殺しはこれまでのゲーム盤で何回も起こったことだったんでしょう。