0,4:Multi famam, conscientiam pauci verentur.
俺のそれも誇れるものではないけれど、彼の生い立ちはとても羨めるものじゃない。
彼の目の青。その色素異常は彼の血が濃すぎる故だ。それは両親が共に代々真純血の家系だからとか、そんな単純な理由でもない。
それは十数年前のことだった。すべては一人の女性を巡って引き起こされたこと。彼女の周りには三人の男がいた。一人は彼女の夫、今は亡き俺の主、先代カーネフェル王。そして彼に仕える兄弟、二人の騎士。その一人は俺の父親、もう一人が彼の父親。
王は二人の騎士を本当に信頼してくれていて、都貴族に持ち上げられた親族との覇権争い……それが王妃が巻き込まれぬよう俺の父親にその守護を任せた。アロンダイトの領地は北部にある。ザビル大河を超えてまで王妃に危害を加えることはないと踏んでのことだった。
もう一人の騎士は王の傍で戦いを続けた。彼はとても奮闘し、とうとう反逆者を討ち取った。そこで王から停戦が宣言された。まだまだ討つべき者はいくらでもいたが、そうせざるを得なかった。戦いは内乱が長引いたことで、タロックの侵略の機会を与えてしまった。今は唯でさえ少ない兵力を失わせることが出来なかったのだ。
王の言葉に都貴族達もしぶしぶ従って、カーネフェルはタロックの侵略への抵抗を開始した。王は信頼できる部下に辺境領の守護を任じ、彼らの活躍もありなんとか侵略を阻止出来た。
しかしこんな時でも悪巧みを忘れないのが悪人の性だ。忠臣達が都に戻るその前に、都貴族達は議会を開き、王の忠臣達の地位と権力……それを底辺まで貶めた。王一人ではその決定を覆すことも叶わない。
これでも最悪だというのに、俺の父親はもっと最悪だった。事もあろうに、守護を任された王妃と互いを想い合うようになる。それが俺の母さんをどんなに悲しませたことだろう。
王妃の心変わりにより、王はとても辛い思いをしただろうに、それで俺の父親を責めることはなかった。
その件でも一人の騎士は俺の父親と不仲になった。敬愛する王への背信行為が許せなかっただけではない。血を重んじる貴族間の結婚など、そこに自由はない。忠義の騎士である彼が王を裏切ることはなかったが、彼もまた王妃を慕っていたのだ。それでも忠義の前にその思いを殺していた。それを自分の血を分けた弟が、とんでもない裏切りを働いた。それは絶対に許されないことだと憎みながら、行き場のない羨みが浮かんだのだろう。そしてその羨望は怒りに変わる。怒りのままに荒れ始めたその騎士は罪を犯した。
その報いがどうして彼の方へ向かったのか。嗚呼、神子様に言われるまでもない、神なんてクソ食らえだ。何度だって言ってやる。お望みならば本人の前で最高の笑顔で言ってやる。
*
「……愚かなところはあの女譲りか」
俺が運んだ彼を見て、まるで一つの取り柄もない。そう言い捨てるような伯父の言葉。そんな言葉を言った後に、彼は俺に笑いかける。そのとても優しい笑顔に俺は戦慄を覚えた。
「手間をかけさせてすまなかったな、ランス君。どうせこれが駄々を捏ねて無理を言って外へと連れて行かせたのだろう?」
「え、……?」
その言葉に硬直した俺の背中から、ひょいと彼を伯父は奪う。そのまま部屋に運ぶのかと思ったら、階段を上らず下り始める。彼の部屋はそこじゃない。彼のいる階ともう一つ。地下が立ち入り禁止とされていた。その地下へ彼は下っている。何のために?わからない。
「私の監視不足だ。もう二度とこんなことはないように監視体制を改めよう。この馬鹿にもわかるように躾を施す。君にはもう迷惑をかけないから安心して欲しい」
「何、言ってるんですか?」
彼があんな怪我を負ったのは。この男に愛して欲しいからじゃないか。我が子として認めて欲しいからじゃないか。
想像できない。眼球に刃物を突き刺す痛みなんて。同じことが自分に出来るとは思えないししたくもない。その痛みでショック死を引き起こさない彼の精神力。それは願いを信じていたからだ。希望を夢を見ていたからだ。それを超えればすべてが手に入るのだと。
犠牲を捧げても願いが届かないのなら、彼は今まで何のために生きていたのだろう?見える目を見えないと言い、病もないのに人を遠ざけ、寂しいと口にすることも出来ない。それでもまだ生け贄は足りないと、痛みまで捧げたのに……何一つ彼の願いは叶わないと言うのだろうか?
(そんなのあんまりだ!)
俺はもう泣いていた。そのまま見送ることなど出来ず、揺らぐ視界の中彼を追いかけるけれど、辿り着くのは施錠を施された部屋の前。扉はもう閉められていた。
「お前はどこまで俺に恥をかかせれば気が済むっ!?俺の名誉をっ!俺を辱めて愉しいかっ!?何だその目は、それが親を見る目か!?糞生意気なガキめっ!!」
聞こえるのは、打ち据える鞭の音。音と怒鳴り散らされるその大声。悲鳴は上がらない。上げる気力が無いのか、それとも彼が耐えているのか。
「泣いて許しを乞えば許されるとでも!?そういう甘い考えがあの女にそっくりだ!!不貞不貞しいお前のことだ!どうせ反省などしていない!自分は悪くないと思っているのだろう!?顔に書いてあるわっ!」
それは後者だったのだろう。奮われる暴力の音が増した。それでも声は聞こえない。唯言葉から、彼が泣いている。それだけは理解した。
彼は弱いけど、強いからそんなつもりでは泣きはしない。それを父親である男は正しく理解もしていない。数週間に満たない付き合いの俺だって、それくらいはわかるのに。
彼は今悔しいんだ。悲しいんだ。どれだけ願ってもどうにもならないことを痛感している。醜くも浅ましくも、嘘をついて自分を誤魔化して幸せだよと口にした、その仮面が剥がれ落ちているのだ。どんな犠牲を払っても欲しいものは手に入らない。例え命を投げ出したって、この男は顧みない。愛してなどくれないのだ。諦めず縋ってきた希望を断ち切られた。諦めてしまった。だから、彼は涙している。それが手に取るようにわかるから、俺も扉の前で泣いていた。
お前の何もかも。すべてが気に入らないのだと、男は罵る。打ちのめす。心も体も虐げる。
数術で治したとはいえ応急処置だ。今は安静にしておかなければいけないのに。涙は傷に染みるだろうか。それは痛くはないのだろうか。
いや、痛くないはずがない。それなのに彼はまだ何も言わない。言葉の力なんか信じていないから。何も変わらないのだとそれも諦めて。
彼の世界は残酷でとても無慈悲なもの。だから見ていられない。俺は耳を塞いで蹲る。まだ強がっているんだ。何も受け入れられなくて。拒絶されることがわかっているから、その前に拒絶する。それが自己防衛。これ以上傷つかないように幸せに生きるために。彼はああなってしまったんだ。助けてなんて言えない。苦しい痛いなんて言えない。誰にも何も話せない。
それでも彼はもう耐えられなかったのだろう。遅すぎる反抗。父親へと牙を剥く。
「……っ、笑わせんなよ糞親父っ!“ ”の変態野郎っ!!腐れ“ ”!てめぇでてめぇの“ ”に手ぇ出しといて!?やることやって傷つけて!?それで全部俺の所為かよ!?俺がこんな目になったのは、母さんの所為じゃない!全部てめぇの所為だろうが!!」
すべては目の色の所為。自分の目の所為。そう逃げ続けた彼が向き合っている。自分は何も悪くない。悪いのは目の前の男の方だ。隔離されていたのも、見えない生活を続けたのも、外にさえ出かけられないのもすべてこの男が犯した罪。その罰を何故本人ではなく、自分が払わなければならないのか。それはあまりに理不尽だ。その理不尽を受け入れてきた彼が今、声を上げて反抗に出た。
彼は俺じゃない。その痛みは彼のもので俺のものじゃない。それなのにそれが自分のことのように痛くて堪らない。彼が他人とは思えない。なにもかもが違うのに、どこか通じている。その所為だ。彼の幸せを願って止まない。
仮に彼一人の支払う代償で足りないなら、俺も犠牲を捧げれば、願いは届くのだろうか?
痛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。でも、彼をあんな自虐の嘲り笑いなどじゃない……本当の笑顔で笑わせてあげたい。どんな願いでも叶えてやりたい。
「もう、止めてくださいっ!」
手に携えるのは彼がその目に突き刺したナイフ。拾っていたのだ。なんとなくそのままに出来ずに持ち帰った。
「これ以上ユーカーを傷つけるなら……俺も俺に同じことをします」
伯父は俺には甘い。何故かはまだ知らなかった。それでも俺は俺が人質に出来ると悟ったのだ。そしてそれは効果的だった。俺の言葉に扉の向こうがしんと静まるのがわかる。
「片目じゃ足りませんか?両目に突き刺して、抉って抉って抉って抉って!そうすれば止めてくれますか?」
高すぎてこちらからは覗けない格子越しに伯父が俺を見る。ナイフを構えた俺を見て、その顔色が瞬時に青ざめた。
そして願いは叶った。俺の願いは。こんな簡単なことで。実際俺はナイフを振り下ろしてもいないのに。それはあまりに不公平で、俺は釈然としないものを抱えていた。だけどそのむしゃくしゃも、彼が目を開けた喜びの前には霞んでしまう。
「ユーカーっ!!良かった!!」
喜びのあまり抱きついたせいだ。ぼんやりとした口調で痛ぇと抗議されてしまう。ごめんと謝り離れれば、寝台の上半ば焦点の定まらない空色の瞳が俺を見る。
「何で……あんなこと、したんだ?」
「今度はさ、ユーカーが俺のところの領地においでよ。伯父さんから許可は貰ったから」
「…………何でそうなるんだよ」
「俺がそうしたいから」
「わけがわかんねぇ」
「ユーカーと一緒にいると楽しいし」
「あっそ、悪趣味だな」
「そんなことないよ!」
「どうだかな」
相変わらず素直じゃない。どこまで自分に自信がないのだろう。
それでもこの面倒くさい性格も、回りくどい会話も楽しんでいる自分が居る。こんな風に俺を話をちゃんと聞いて言葉を返してくれる人間がいるということが、どんなに幸せなことか。俺の周りは一方的な人間ばかり。自分のことばかり考えている。そんな人々はそれを俺に押しつけてくる。だけどユーカーはそうじゃない。
「俺のところって本当つまらないんだ。使用人は俺の相手なんかしたくないって顔だし父さんはいっつも都に出張だし、母さんはそれが苦で身投げしちゃったし。今の母さんは湖の精で母さんが入水したその湖で出会ったんだよ」
「お前なぁ……さらっとそういうこと言うなよ」
「俺は好きだよ、お前の青。空みたいに綺麗で」
「話題飛びすぎ。あと俺が連続で同じ返答するような語彙のない奴に思われそうな発言は控えてくれねぇ?不名誉だ」
そう言って彼はそっぽ向く。
「目……治っちまったんだな」
《ちょっと!うちのランスの頑張りを何そんな嫌そうに言うわけ?!》
「余計なことしてごめん。あと母さんはちょっと黙ってて」
《え!?うぅっ………ユーカーの馬鹿っ!人間の癖に生意気よ!あの時私が助けてやったのも知らないでっ!》
俺の言葉でユーカーに、八つ当たりのような言葉を残し窓の外へと飛び去る母さん。でも母さんが火の元素を減らしてくれていたのは本当だ。本当は母さんも嬉しかったんだろう。見えもしないのに自分を認めてくれる人間の存在が。
「だけど、俺はお前の青はお前だけが持ってるお前らしさなんだと思うんだ。だから俺はお前の青が凄く好きだし、俺の他にもそう思う人が居る。人間ってそういうものだよ。みんな違うから、みんな違うものが好きなんだ。人が百人いたとして、誰もが好きな色なんてあるわけないだろ?」
そんな色はあり得ない。皆が違う色が好きで違う色を嫌い。その統一化を図ろうというのは横暴で傲慢だ。好きなのは悪い事じゃない。嫌うことも悪い事じゃない。唯それを他の人まで押しつけるのが悪いこと。それは許されないことだ。だから俺はそれを許さない。
こいつが嫌いな人間がいるならそれは仕方ない。気が合わない人間はどこにでもいるものだから。それでもそれを他の人まで広げるのは酷いことだ。伯父さんのしていることは、たぶんそういうこと。身分のある人がそんなことをすれば、下は従わざるを得ない。だから偉い人は、そういうことをしてはいけないんだ。何かの可能性を潰すことがあってはならないのだから。そしてそれは彼にも言えること。
「それなのにさ、そんな綺麗な目を隠すなんて勿体ない」
その目を潰そうだなんて。抉ろうだなんて、もっともっと勿体ない。何も持たない人間を誰が好きになってくれるだろう?引き出しが空っぽ。引き出しの取っ手すらない。それじゃあその人がどんな人なのかさえわからない。
「仮にお前が悪趣味なんだとしてもそれはお前くらいだ。他にそんな変人いるもんか」
「いなかったら何だよ?」
俺一人じゃ不服かと問いかければ彼は返答に困ったのか視線をまたそらす。
当然不服だろうさ。俺は父親代わりにも母親代わりにもなれない。精々やれるとしても兄代わり兼友人だ。別にユーカーはそんなものが欲しかったわけじゃないんだ。それでももらえるものはもらっておくべきだと俺は笑う。
「俺はお前の目が好きだ。自分で歩けるお前と外を歩くのも楽しい。だからそうしていて欲しいっていうのは俺の我が儘かもしれない。だけど我が儘で何か悪い?人間ってみんなそういうものだろ?みんな我が儘。自分の勝手で自分の都合で生きてる。なのにどうして俺やお前が我が儘言っちゃいけないんだ?」
開き直るような言葉を口にすることが出来るのは、彼と出会って感化された所為。引いて駄目なら押してみろ。願いがあるのなら、手段は選ばない。我慢したって耐えたって何も願いは叶わない。それなら我が儘に貪欲に欲しがって手を伸ばすべきだろう。彼にそれが出来ないのなら、彼の分まで俺が手を伸ばす。
「俺だけじゃ不服だって言うんならもっとユーカーも我が儘になればいいんだ。もっといろんなものを欲しがっていい!そのためにも自分は大事にしてあげないと」
俺が開き直ることで、簡単に願いが叶うのなら。ずっと傍にいて、どうしようもなく報われない彼の代わりに叶えてやりたい。
外はもっと広いんだ。領地の外にやって来て、俺は初めてそれを学んだ。別れを惜しんでいつまでも過去に囚われる。それじゃ駄目だ。だから外へと連れ出してやりたい。今までの悲しみも些細なことだと思えるくらい、もっと広い場所へと。
俺は感謝している。母さんの死で沈んでいた俺を、周りに見えない母さんと俺を否定され続けた俺を、笑わせてくれたのは彼なのだ。だから俺は彼を否定しない。いつも味方でいてあげたい。
「まぁ、でもとりあえず今日のところは俺で手を打っておいてよ」
「なんかもう……お前の言ってることわけわかんな過ぎて笑える。何なんだこの状況は。何なんだこのわけのわからなさは」
何がツボに入ったのかわからないけれど、彼はしばらく咳き込む程に笑い出す。笑いすぎて彼は泣いていた。そこまで喜んで貰えると、こちらとしても気分は晴れやか。自然と口元が笑みの形へ変わっていき、俺も一緒に大笑い。何が面白いのかよくわからない。それでもとてつもなく愉快な気分だったのだ。
「お前、本当に変な奴だな」
ひとしきり笑い合った後、彼がそう言った。
「それが俺の個性なら有り難く受け取らせて貰うよ」
そうあることで、彼に気に入ってもらえたならこんなに嬉しいことはない。
その時は確かに、そう思った。
*
酒を呷っても忘れられないことはある。それでも半ば夢見心地。少しは口も軽くなるだろうか?ランスは一人考え込む。
別に彼を哀れんでだとか、そんなことで優しくしているわけじゃない。実際あまり優しくできていないとかそういうことは置いておくとして。
借り部屋に戻って二人でちびちびと酒を飲み始めたが、こいつはあまり強くはなかったと思う……殊酒に関しては顕著に俺より弱い。だからこその酒だ。寝付きの悪い彼を、少しはゆっくり眠らせてやりたい。
「なぁ、ユーカー……」
「何だよ」
「逃げても良いんだぞ?」
どこにとか誰がとか。ツッコミどころはあっただろう。それでも彼は何も言わずに怪訝そうに俺を見る。
「……お前が逃げたいなら、逃げても良いんだ。お前の王はもういない。これまで俺の我が儘にお前を付き合わせてしまっていた。お前には、アルドール様に仕えなければならない理由も義理もない」
そう、振り回していただけだ。お前の命の使い道も、俺の手の中にあると決めつけていた。そんなはず、なかったのに。
「お前が逃げねぇのに俺が逃げられるかよ」
「そうじゃない。そうじゃないだろう?お前はそれでいいのか?」
「っていうかコートカードの俺がここ離れたら、たぶんこの国終わりだぜ?」
イグニス様はタイムリミットが迫っている。そうなればコートカードはユーカーだけ。そうなれば負担が増すのはユーカーだ。
「ああ、そうだな。だから俺が道化師ならお前からまず狙うな」
「…………そうだな」
何か心当たりでもあるのか、彼の顔に翳りが浮かぶ。既に危険な目に遭っていたのか。
「俺さ……あいつに会った。アスタロットに」
「…………え」
「気をつけろよお前も……道化師の奴には。あいつ、死霊使いみたいな技使いやがる」
告げられた名は彼の婚約者だった少女の名前。少女との面識はランスにも何度かはある。彼女を失ってからのユーカーの様子から、婚約を蹴ったものの……大切な人だったということを理解した。あの頃のユーカーは本当に酷かった。
失った人にもう一度会えるという奇跡。道化師の見せる夢。そこから抜け出して来た彼は、現実に何を求めるのだろう。悪夢は此方の方だろうに。
(まったく……俺なんかって言いたいのは余程俺の方だというのに)
嗚呼、俺なんか。お前が悪夢に戻ってきたのは、そこに残る俺を憂いてのことだろう。考えればすぐわかる。そこまでの価値が俺にあるとは、俺としてはどうも思えないのだけれど。それだけのことをこいつにしてやれたようにも思えない。
気分的には飼い慣らした犬に、ブーメランを放り投げているような感覚。取って来ーいとか言いながら面倒な仕事を任せられ、それを成し遂げたとしてもよしよしと頭を撫でられる程度の報酬。こいつの言うこともそんなに間違っていないのが何とも言えない気分だ。確かに俺は外道で鬼畜だ。
「アスタロットは俺に自由に生きろってさ。だから俺はここにいる。土産話が後悔ばかりってのは嫌だしあいつにも愛想尽かされる」
人間ブーメラン犬改め俺の従弟は首輪で鎖に繋がれたまま、自由なんぞを語り始める。ちなみに説得力は皆無に等しい。
俺がそんなことを考えているとも知らず、綺麗な空の瞳は目覚めたことを後悔していないと言わんばかりに小さく笑う。彼はこれまでのような生ではなく、生き方に執着を始めたのだ。
何で生まれたとか、何のために生きているのかとか、そんな悩みを打ち棄てて。唯自分はどうしたいのか、それをたぐり寄せる。
「俺はあいつにもう一回会いたかった。だからカードになった。……だけど俺は死んでも願いが叶うんだ。だからお前を殺すような馬鹿やろうなんて思えない」
彼は笑う、夜に似合わない明るい空色で。その目の中に雲一つ無い。迷いの色などあり得ない。
ある種の諦めの境地?それは死を見据える瞳だ。だけどそれは自暴自棄だった俺やお前のそれとも違う。人の限界、終わりを認め諦めている。永遠なんてあり得ない。それを知っている瞳だ。
その諦めを知り抗わない潔さ。その中に宿る生の色の何と美しいことか。
(……ユーカー、お前……)
自分の心その方向。何を思い悩み考えるのか。それを正しく理解して、歩く道をもうお前は見つけたのか。やっぱり俺はお前が羨ましい。俺は道こそ見出したとて、理由が未だに彷徨っている。心の在処も行方不明。なんとくなく生きているのは俺の方。
「いいかランス、俺がここにいてやるのはアルドールの阿呆のためでもあのクソ神子のためでもねぇ。俺のためだ」
そして、そう言い張る。そう言い切る。それでお前は良いのか?
「俺のためじゃなく?」
「自意識過剰じゃね?これだからイケメンはナルシーで困るってのはアルドールの妹の口癖らしいぜ?」
そうやって鼻で笑う。お前なんかどうでも良いと言ってのける、晴れ晴れと。
「お前を見てれば誰でもそう思いそうなものだが」
「見んな馬鹿。観察すんな呆け。俺は夏休みの朝顔とかになったつもりはねぇぞ?」
「そうだな。お前の髪は向日葵っぽいな」
「論点そこじゃねぇよ、向日葵に謝れ」
「お前じゃなくて?」
「ボケてやったんだよ。最近お前のツッコミの切れ味が下がってるからな。てめぇは基本ボケとツッコミの両刀だろうが。何俺はボケ専門ですって顔してんだよ。腹立つ」
「なかなかそれっぽい言い訳だけど、今の絶対素で間違えてたよなお前は」
「何でそう思うんだよ」
「1、俺がそれを期待している。2、俺はドジっ子属性に弱い。3、その方が面白いから」
「4、俺をからかって遊んでいるに来月の給料半分」
「流石だな。何故わかった?」
「わかって堪るかっ!ていうか何で当たってるんだよ!?そうだったら嫌だなってのを敢えて言ってみたのに!!ってお前もう何だよこの空気っ!俺せっかく真面目な話してたのにっ!!なんでそうやっていつもいつもいつもいつもこういう変な感じにするんだよ天然馬鹿っ!天然笑い探求馬鹿っ!」
「ああ、別に深い意味はない。唯の八つ当たりだから」
「八つ当たりかよ!?てか意味ねぇのかよ!?ならやるなっ!!」
「些細なことだ。気にしないでくれ」
「気にするわ阿呆っ!!」
再会して違和感を感じたのは、たぶんこいつ自身の変化。
押しつけない。恩を売らない。自分がやりたくてやっているだけ。そのことでお前がどう思おうがどうでもいい。
迷惑だって気にしない。文句を言われても止めない。嫌がらせのように押し売りのごとくお前を支え助けて守る。だから感謝だって受け入れない。そんな言葉は言わせない。
墓の前でだって泣かせて堪るか。これはそういう勝負なんだと彼は言っているようだ。命が燃え尽きる刹那まで、仕える人に馬鹿な奴だと最後の最期まで笑わせるのが道化の仕事。こいつは騎士だけど騎士じゃない。主を恐れず敬わず……時に主さえ馬鹿にする、道化のような不思議な騎士。
でも俺もひねくれ者だから、そんな風にされたらその勝負、負けられない。俺は負けず嫌いだから、何が何でも泣いてやるさ。お前に笑わせられたりしない。ちゃんと悲しむ。悲しみたい。お前のことでそう在るのが今の俺らしさの一つ。一つに過ぎなくても欠けてはならない大切な欠片の一つ。お前のことで悲しめなくなったならそれはもはやたぶん俺ではない。
(お前が逃げてくれないなら、俺は見ている)
お前という人間がカードとして道具として使われて……目の前で傷付いて使い古されて殺される姿なんか見たくない。だから遠い何処かで死んで欲しいだなんて、これも俺の我が儘。お前はそう言っているんだ。
目をそらしたりはしない。最期までお前を見ている。先に倒れるのがどちらかはわからないけど。
それが礼儀だ。それが俺にしてやれる唯一のこと。お前にありがとうなんて届かないだろう?受け取って貰えないんだろう?悲しんでも聞いてはくれないんだろう?それなら俺はずっと見ている。
それでも最後に、俺はもう一度聞いてみる。この疑り深い性格には、ほとほと呆れてしまう。
「でも本当にいいのか?」
「何が?」
「俺はまだまだ未熟で至らない人間だ。それは俺の仕える人も俺以上にそんな感じだ。それはお前を困らせて、傷付けて、嫌な思いをさせることにもなる。お前は別にそんな思いになる必要はないんだから……」
「お前はともかく……アルドールか。そうだな、考えとく。それでも俺は借りは返すぜ。じゃないと俺の気が治まらねぇ。あの女には借りがあるんだよ。それ返すまで面倒見てやるさ」
「ルクリースさんに、お前が?」
「出会い頭に跳び蹴りくらって、その後脳天延髄蹴り食らって吊されたし、俺はあのクソ女に代わってアルドールの阿呆を二回もを助けてやったし、それで足捻ったし……恨みはまだまだ尽きないぜ。この恩を全部アルドールの馬鹿にきっちり三倍返しで払って貰うまで仕方ねぇからなぁ、あいつの傍にいてやんよ」
恩返しをしろと言いつつ、それは守ってやると言っている風にしか聞こえない。それはそうとして、俺はこの従弟を弄るネタを一つ見つけた。こいつを弄ぶことはもはや俺の趣味というかライフワークというかそんな領域に来ている。どうしてそんなことになったのかは俺にも良くわからない。
「なるほど。そういう趣味だったのか」
「……?趣味ってなんだよ?」
「出会い頭にそんなことをされたルクリースさん相手に仄かに未練を持ったり、手酷い扱いしかしてこなかった俺なんかになんで懐いてくれるのかと思ったが……そうかそういうことだったのか」
「おいこら待て。なんか変な勘違い妄想してねぇか?」
「思えばお前には昔から自虐やら自傷やらの癖があったな」
「失礼だな!!俺の何処がMだ!ええぇ!?どっからどう見ても俺はSだろ!お前は人間磁石でSNだけどな!!」
「えー……?」
「その不服そうな声はなんだよ?」
「やっぱり俺の身内贔屓目無しに見てもお前は絶対Mだと思う」
「つぅか自分のよりそっちが不満なのかよっ!!」
別に本気で言っているわけではないが、言っている内にそんな気もしてきた。あ、何だ。俺悪くなかったんだ。そう思わせる酒の力はやはり凄い。
こいつは怒り上戸と泣き上戸が混ざっているのか、「俺はMじゃねぇし」と半泣きで啜り泣いて拗ねていた。その内うとうとし出したようなので、俺はユーカーの部屋を退散することにした。
気分はそんなに悪くない。適量の酒を飲むに留めた。それでも足下はおぼつかない。それはきっと、酒だけの所為ではなく……あいつの言うよう俺にも疲れが貯まっているのだろう。
「たまには忠告にも、耳を傾けてみるか」
神子に言われたように、従弟に言われたように。自分に充てられた部屋まで辿り着けば、とてつもない睡魔が襲ってくる。それに抗っても明日きちんと働けるのか解らない。
いつものように、一介の騎士として、最低の部屋を用意されているのではない。今回は、新たな王の使い。用意された客室は上等で、部屋に飾られた花の香りは素晴らしいし、寝具の清潔な匂いと寝台の柔らかさと言ったらもう……それに抗うなんて馬鹿らしくて、馬鹿らしくて……それ以外の感想を抱けないままに、泥のように眠りに就いた。
*
願い事が叶うのなら。カードとしての運命を受け入れるなら、チャンスが与えられるという。禍々しいような輝きの恐るべき星の降り注ぐ夜、俺は夢に魘された。
あの頃は噂に惑わされながら、北に北に馬を奔らせていた。
北部出身の俺が南部に。南部出身のユーカーが北部に。故郷と別の場所に向かわせられたのは指揮の関係上という事だったが、家との確執を知る王が、それを気にせず力を奮えるようにと考えてのことだったのかもしれない。久々に会った伯父さんは、以前より年老いていたが……俺には相変わらず甘かった。兵達の連携も悪くはなかった。だから南端から攻めてきたタロック軍を追い払うことに成功もした。
それでも胸騒ぎは止まらない。北へ戻れば戻るほど、悪い噂が聞こえてくる。
俺が願ったのは“カーネフェル王の無事”。そうだ、その願いは叶えられた。でも、そのカーネフェル王はあの人じゃない。俺はあの人が死んだなんて信じられなかった。だから、あの人を蘇らせるなんて事……願いたくもなかったんだ。認めたくない一身で、俺は都を目指していた。
ユーカーとの再会は、絶望と希望。
カーネフェルはまだ終わらない。あの人の願いを俺は守れるチャンスを与えられた。それは紛れもなく希望。それでも俺はまだ償いから逃げることは出来ないのだ。まだ死んで楽になんてさせてもらえない。この命の最後まで磨り潰されるまで、最後の血の一滴まで償いのために生きろと言われるが如き絶望。
それは仕方ない。そうも思った。
俺がそれを知ったのは、王に仕えるようになってしばらく。それまで俺は何も知らずに脳天気に罪深く年月を貪っていた。
城に出入りするようになって、時折聞こえてくる噂話。都貴族達のひそひそ声。それは俺や俺の従弟を貶めるための根も葉もない噂なのだと思っていた。
だけどある時、それが本当だったのだと俺は知った。目の前が真っ暗になり、上手く息も出来なくなる。がくがくと身体が震えた。苦しくて堪らない。
だけど従弟は強かった。いつも平然と毅然として。何を言われてもその三倍は言い返し、相手を打ち負かしていた。
でも俺はそんな風にはなれなくて、言い返せずに口ごもった。だってそれが本当なんだって俺はもう知ってしまった。彼だって俺の方は唯の噂なのだと思っている。自分が傍にいる所為で嘲笑の的に加えられて風評被害に合っているだけなのだと信じ、俺のこともよく庇ってくれた。
庇われれば庇われるほど、俺にはそんな価値がないと思ってしまう。同じ志で王に仕えられるはずもない。彼の父親も確かに最低だけど、王に対する忠誠心は本物だ。だけど俺の方はそうじゃない。どんな顔をしてこれからあの人に仕えればいいのだろう?と、うつむいてばかりになった。そんな俺を心配してくれる、従弟にも何も話せない。
彼のそれも誇れるものではないけれど、俺の生い立ちはもっと羨めるものじゃない。
俺の目の青。その色の深さは俺の血が許されないことだから。昔の俺は俺のことを何も知らずに生きていて、だから平然とあんなことを口に出来たんだ。あいつのことを本当の弟みたいに思っていた。面倒くさがりで手のかかるところまで目に入れても痛くなかったくらい。出来るのにしない。手を煩わせるその行為は家族からも放置されていた俺のことを、確かに必要してくれていた。そう言われているようで嬉しかったんだ。
でも俺は知ってしまった。俺はお前とは違う。どんな顔をして領地に戻ればいいのか。どんなつもりでこの名を名乗ればいいのか。胸を張って家名を掲げることが出来ない。俺なんかがどうしてお前の兄貴面をしていられるのだろう。
お前はその目のために自分を追い詰めたけれど、もっと本質的な過ちは俺の方だ。俺は本来あってはならない。そもそも俺がいなければ、お前がそんな風に生まれることはなかったかもしれない。それくらい、俺の罪は重い。
ここでこうして何食わぬ顔で生きて息をしていることの罪深さ。それをどう打ち明ければいいのか。お前にだって話せない。
このままじゃ俺も母さんみたいになってしまう。湖が俺を呼んでいる。でも、その前に言わなければならないことがあった。父が王に謝らないというのなら、俺が謝る。父が償わないというのなら俺が償う。
生まれてきてごめんなさい。泣きながらそう告げた俺をあの人は、お前のせいじゃないと小さく笑った。俺は信じられなかった。俺なんかを許すその人の……広すぎる心に胸を打たれた。
彼女の心変わりを招いたのは自分が至らず不甲斐ないから。それは彼も彼女も悪くない。ましてやお前が悪いはずもない。悪いのは全部私だよ……王は少し寂しそうにそうつぶやいた。
俺はそんな、あの人の懐のでかさに惹かれたんだ。これが王の器かと、彼を見上げて呆気に取られた。そして俺は騎士として生きることを決めたんだ。騎士の家の子だから騎士になるんじゃない。この人に仕えたいから騎士になる。俺はそんな器を持たない。俺では王にはなれないから。だから俺は騎士になってこの人を支えたいと思ったのだ。
そんな大きすぎる人を失うことは、世界が逆さまになるような衝撃。地が落ちる。空へと落ちる。俺ももう立ってはいられない。もうお終いだ。終末だ。もう笑うしかないと、狂い出しそうな俺を、つなぎ止める者がまだった。それが希望と絶望、そしてその運び手。
そんないかれた世界にもまだ、変わらない者がある。前進している。成長している。それでも本質はなんら変わらない。そんな彼の変わらなさは、ある種の永遠だ。天地が何度入れ替わっても彼はそのままなんだろう。それは指標だ。俺の心の。北を南を東を西を、俺に教えてくれる光。その温かさを慈しむ気持ちを思い出させてくれたのは、希望と絶望という名の王だ。その凱旋の名はまだ未定。彼が潜る凱旋の門が天か地獄かはわからない。このままついて行っていいのかという不安もある。それでも俺はあの少年に、かの人の面影を見た。許し慈しむ、あの人の優しさを信じたい。その強さが変えられるものがきっとあるのだと信じている。あの優しい人ならば、一枚を除いて全てが死に絶えるまで続くという悪魔のゲーム、神の審判。それを覆してくれるのではないか?
あの人はユーカーをあんな目に変えたんだ。俺では片目を外させるのが精一杯だったのに。それはなんだか悔しいけれど、凄いなとも思う。感嘆もする。
あの人は、俺も変えてくれるのだろうか?迷わずに生きられるよう、そんな揺るぎなきものを……心に宿せるようにと。
でもあの人はまだまだ成長過程。しっかり支えて守ってやらなければ。彼は与えられる者にはならない。彼が立派な王になれるかは、彼自身だけではなく周りの人間達にも関わってくることなのだから。夜が明けたら、眠りが覚めたら、気を引き締めていかなければ。そう眠りの淵で言い聞かせる自分の脳裏に蘇るのは、自分のそれによく似た声。
(俺が、道化師なら。俺が狙うなら……まずはお前から)
そう言ったのは確か自分だ。
「……っ!!」
暗い室内。飛び起きる。カーテンを開ければ、もうすぐ明け方といった時間帯。
何時間かは眠っていた。それでもあの言葉が蘇る。足は勝手に扉の外へ。足音を忍ばせる余裕もなく、向かう先は飲み明かした人の部屋。
鍵は掛かっている。あの寝ぼけた従弟が自分でかけたのだろうか?かけろとは言ったが聞こえていたのか?それとも誰かが入って締めた?
(くそっ……)
どうして俺はちゃんと施錠の音を聞かなかった?こいつは最初に狙われる。道化師にも目を付けられているという話だった。一人にしてはいけなかったのに!
それでも冷静な部分の頭は、もし唯寝ているだけだったらどうするんだと騒ぎ出す。せっかく熟睡しているところを邪魔したら最悪だよと。しかしそんな声は聞こえない。もしそうだったら俺も安心できる!それでいいじゃないか。ここで確かめないで引き下がるよりは余程良い。
俺と出会う前の従弟は、もう少しばかり聞き分けがなかったようで、大人しく病人なんか演じる子ではなかったそうだ。その時に身につけたという特技。使う機会なんかあるものかと聞き流したが、一応記憶の端には留めていた鍵開け術。それを従弟よりは時間を掛けて、それでも出来うる限り素早くこなし、扉を開く。
床にもテーブルにもいない。ベッドにもいない。ソファーにもいない。
焦って混乱しそうになるが、クローゼット、机の下……ベッドの下一つ一つしっかり確認。血なまぐさい臭いはしない。ここで事件は起きていない。そう自分に言い聞かせた。
「……あれ?」
やがて気付く違和感。ベッドにはいない。そう思ったがいた。夏だというのにしっかり頭から布団を被って丸まっているらしき膨らみ。
南部の下の方育ちの彼には、南部最北端の夜は夏といえども寒いのかも知れない。北部のアロンダイト領に来たときは、よく夏でも長袖だったのを思い出す。
それを恐る恐る捲れば、彼の何と馬鹿そうな顔。どんな夢を見ているのか。へらへらと笑っている。馬鹿みたい“に”可愛くはないが、馬鹿みたい“で”可愛いが、馬鹿“だからこそ”可愛いが、それが少しばかり憎らしくて、その頬でも抓ってやろうかと思う。こっちの気も知らないで。酔っていて判断能力の鈍った自分のことは棚に置いておく辺り、酷い発言なのは自覚している。それでもどうせ聞こえていないんだし別にいいんじゃないか?
「まったく……人に心配ばかりかけるなよ」
そう呟いて、ああそうか。俺は心配していたのかと遅れて知った。
いやでもそれは普通だ。普通に心配くらいするだろう。だってこいつは俺の大事な弟みたいなもので、同僚でそれで友人だ。その心配をしない方が非常識だ。俺はこれまでその非常識に傾いてしまっていた。
だからそんな普通のことが当たり前のように感じられる。今に少しだけ感謝を覚えたが、その感謝の相手が神などではないことだけは確かだった。
世話を焼くのは割りと好きだ。分かり易く、力になれている気がするし、とても簡単に必要とされているような錯覚に陥る。それが迷惑なんだって言われたなら、何も出来ないししないだろう。それでも本当に嫌ならこいつは年甲斐もなく本当にマジ泣きするか、或いはぶん殴ってでも止めさせる。もしくは全速力で逃げるかだ。
前にとあることを頼んだら、本当に泣かれて困った。その翌年は流石に殴られた。その次の年から逃げられた。
それはそれとして、面倒臭がりのこいつは誰かが世話をしてやらなきゃいけないし、こいつはこいつで構われるのが好きみたいだし、世の中バランスってものはそれなりに取れているのかとも思う。むしろ構われたいがためにこいつは何もしないんじゃないかと時々疑うほどだ。
それでも心配はする側より、される側の方が幸せだという。そんなものが幸福の定義なら、俺たちも少しは報われているのかもしれない。父や母が心配なんかしてくれなくても。もう出来なくても。それでも、まだ……心配出来る、心配してくれる相手はいる。
「イグニス様はそう言いたかったのかな……」
自分を心配してくれる人がいることは、十分幸せなこと。幸せとはそんな、本当につまらない……些細でどうでもいいような、そんな小さな事なんだって。
そろそろ0章軸の話終わりにしたい。でも0,なんとかとかやっちゃったからこれ9までやらなきゃならんのか?馬鹿ですねこの人……。いきなり次から1とか振っちゃ駄目ですかね……駄目ですね。