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48:inter caesa et porrecta

 教皇が言うにトリシュの阿呆が惚れる相手には幾つかの条件があるらしい。まずは綺麗な金髪。それから回復数術の使い手。しかし余程好みにクリーンヒットした場合なら、回復数術が使えなくても構わない場合もある。あの女はトリシュが自分に惚れることがないように、それからランスに問題事が増えないように俺を生贄にしたんだ。


「良いです!凄く似合ってますランス様っ!」

「あ、ありがとうございますジャンヌ様」


 向こうから聞こえてくる声。気恥ずかしそうな声色にもしっかりと嬉しさが滲み出ている。折角ランスの馬鹿がはしゃいでるんだ。あの馬鹿、何がジャンヌ様が笑ってくれればそれで良い、だっての。ああいうの、しっかり嬉しいんじゃねぇか。いや、女装なんか褒められても男としては傷付くだけのような気もすんだけど。


(まぁ、嬉しいだろうな)


 惚れた女の服借りてんだ。あいつがそこまで変態ではないにしても、普通の男ならまぁ、多少は嬉しいはずだ。これ以上水を差されるわけにはいかねぇ。


(ランス……)


 これまであんな風に笑ったあいつを俺は知らない。良いことなんだと思うぜ、多分。俺なんかにもたれ掛かるより、よっぽど健康的だ。そんなあいつの幸せな一時を、ぶち壊されて堪るか。


「あれ、ユーカー?」

「ほっとけ馬鹿!」


 食堂から飛び出す俺とアルドールに目敏く気付いたランスが声を掛けてくる。お前は何でこんな時でも俺を視界の隅に入れてやがるんだ!睨み付けたが、相手の顔に俺は言葉を無くしてしまう。

 ランスは物凄く困っている表情だ。惚れてる女と話せるだけで嬉しいとか幸せなあの馬鹿を、何も知らないジャンヌは無邪気に褒め讃えている。いつもよりも更に男装が様になってるのは別に良い。顔の良いだけの男なら十分見慣れてるんだ俺は。問題はランスの方だ。

 奴が俺の方を見ていたのは、困った時の俺頼み。ジャンヌ相手に会話が続かなくなったか、褒められすぎて恥ずかしくなったのだろう。長身の男とは言え、顔だけならカーネフェルの国宝みてぇなもんだ。女装が似合わないはずがない。女は顔だとは思わないが、そもそも相手は女ですらないが、そんなクソ女装色男に縋るように見られては、幾ら俺だって多少はたじろぐ。あの野郎、どっから調達してきたのか解らないが、長く真っ直ぐなウィッグを付けている。あいつの地毛に近い色合いだ。綺麗な金髪……回復数術、条件は嫌なくらい揃っている。


「あら、セレスタイン卿?そちらの女性は?」


 此方に気付いたのはランスだけじゃない。見慣れない顔ですねと近付いてくるアークに、アルドールが俺の背後に隠れる。


(ユーカー!お願い助けて!)

(っち……)


 確かにこの場を去りたいのは俺も同じ。仕方ないから乗ってやる。


「おい、糞シスター!食い過ぎで気分が悪いからって俺にもたれんな!教皇に食事運ぶ係だろてめぇは!」

「うう……」

「っち、俺の料理で腹壊したなんて言ったらぶっ飛ばすからな!とりあえず外で吐いて来い!行くぞ!」


 その場の思い付きで煙に巻き、俺達はその場をずらかった。廊下に出て暫く。後ろを振り向いても奴らは追って来ていない。ほっと胸をなで下ろし、俺は無理矢理引っ張ってきたアルドールから手を離す。奴も一息吐いて安堵したのか、今度は違う心配事に気付き、キョロキョロ辺りを見回した。


「ユーカー、俺の新しい着替えって……」

「いいから黙って歩け。着替えくらい何処の部屋にでもあるだろ」

「それもそうか」


 目についた部屋に入り込み、どっと疲れが出た俺は一度ソファーに倒れ込む。こっちの苦労も知らねぇで、アルドールの阿呆は脳天気ににやける。


「いや、でも良かったユーカー!やっとやってくれる気になったんだな!」

「というわけで、さっさとその服を脱げ」

「え?」


 自分が参加しないで済むとはしゃぐアルドールが、突然何やら固まった。俺の発言は別に問題ないはずだ、こいつだって話の流れは解っているんだ。


「アルドール?」

「え、うん。そうだよね。わ、解った」


 落ち着いたと思ったらまた挙動不審。キョロキョロと室内を奴は見回す。ここはたまたま見つけた空き部屋だ。簡素な客室で、一通りの家具は揃ってる。それでも仕切りや個室などは設けられていない。それが問題だと言う風に、奴は狼狽えているようだ。


「お前な、俺を何処かの変態と一緒にすんなっての」

「いや、全然そんなことは思ってないよ!唯……」

「ああもうっ!鬱陶しいっ!俺はさっさと着替えねぇといけないんだよ!さっさと脱げっ!」

「いきなり一国の長を密室に連れ込んでその発言は人間性が疑われるのではないかねセレス君」


 何故そこから現れる。端から見れば、平然と室内のベッド下から這い出してくる叔父の方が余程人間性を疑われるし、俺は疑う。アルドールもそのようだ。


「何であんたがこんな所に!」

「ははは!ここに隠れているだけで随分と多くの人の着替えが覗けてだね、いやはや有意義な息抜きだった」

「阿呆か!」

「何か……ヴァンウィックって、そういうことに困って無さそうなのに何でそんなことするんだろう」


 女、(だけじゃなくて時々男も)漁りの激しいこの男が何故覗きのような真似をするのかと疑問を抱えるアルドールの発言に、当の本人は平然とこう言ってのける。


「良いですかアルドール様。覗きに意味などありません。覗くことに意義があるのです」

「いや、よく分からないんですけど」

「つか、男が男の着替え見て何が楽しいんだよ」

「ならば問おうセレス君!如何にも!男が男の着替えを見るのは無意味!無意義!プライスレス!だがしかしっ!それなら君たちはそれを拒む意味もそこにはないはずだ!違うかね!?」

「うっ……なんか凄い正論に聞こえる」

「阿呆か、変態の戯れ言だ」


 俺は納得しかけたアホ王の頭を軽くど突いてやった。


「そうは言うがねセレス君。君はあれだろ?やたら顔だけは良いうちの馬鹿息子の女装姿に、トリシュ君が万が一でも惚れたら困るんだろう?」

「ぐっ……」

「君はあの馬鹿倅の幸せを願って止まない子だからねぇ」

「ぐぅうう……っ!」

「大事なことなので繰り返すが、ランスは私に似て顔は良い。君の生半可な女装で彼奴に勝てると思うのかい?ここは百戦錬磨のこの私の美的センスが必要な場面じゃないのかい?」

「でも、セレスちゃんも女装が板に付いててるような……?」

「お言葉ですかアルドール様。セレス君の変装は、男ウケは良くても女ウケはさほどよくありません。女装の中にも男らしさを残しておかなければ、その票は得られないのですよ!だからねぇ……男女共に喜ばれるポイントさえ押さえておけば、この勝負、まだ勝機はあるのだが?」

「ぐぎぎぎぎ……っ!」


 クソ、あのクソ叔父!ちらっちらってこっちに視線寄越しやがって。確かに俺は顔じゃランスに絶対勝てねぇ。あいつの青い目。あの深くて綺麗な色には、俺が逆立ちしたって敵わねぇ。清楚レベルでも彼奴が上だ。俺はおっさんとかマニアとか、変態ウケが良いだけなんだ。その点彼奴は女ウケも良い。アークの奴、俺の女装見たときよりずっとはしゃいでた。城の連中もそうだ。ここに来るまでだってあっちこっちでランスの噂を聞いた。本当顔の良い奴は良いよな!何やっても好意的に解釈して貰えるんだからよ。兵士の女共がなんて言ってたかって?はっ!笑わせるぜ。


「こんなお遊びにも付き合うなんて、ランス様って顔だけじゃなくて性格も良いのね!」

「性格だけじゃなくて愛嬌もあるし、茶目っ気もあるわ!」

「生まれも家柄も最高!欠点がないところだけが欠点よ!」


 だってんだから、もう俺本当あいつ嫌い。嫌いになっても良いんじゃないか?あいつがこれまで俺に何やってきたか知らないからあいつをそんなに褒められるんだ。あいつフェミニストに見えてあれだからな。普段女子供に甘くしておいても、極限状態なら俺にしたことと同じ事平気でやるぞ?山賊レーヴェの時だって……


(くそっ……嫌なこと思い出しちまった)


 あの時は、俺の後ろから着いて来てくれる奴が居た。今はもういない。これでいいんだ。そう言い聞かせても、少しは苦しい。俺、こんな性格だしあいつもああだったし、俺は……ランス以外に同世代に親しい人間っていなかったんだよな。トリシュはそんなつもりじゃなかったろうし、下心で俺に色々してくれたんだろうが、それでも俺が友人になれたかもしれない相手を失ったことは事実なんだ。誰かを選ぶって事は、そうやって切り捨てることだ。俺はそれで良いって言ったはずだ。残りの命はランスのために。そう決めた。誰を傷付けても、誰を裏切っても、俺はランスだけは裏切らない。あいつの幸福のために、俺は俺の命を消費する。

 そのために危険を冒す。……でもそれは、もう一度トリシュを傷付けることになるかもしれない。ああやって、突き放しておいて、……また突き放すのに利用しようと俺の方を振り向かせる。


(それって……)


 俺とトリシュを利用した、教皇と何が違うんだ?俺はあの女を、イグニスを……責められるのか?


(それとも……)


 俺のこの葛藤さえあいつは見抜いて、罠を仕掛けたか?この状況、全てがあの女の罠。罪悪感さえ計算の内。そうして俺を飼い慣らすつもりなのだ、あの女は。


(くそっ!)


 悔しげに、拳を握りしめた俺に気付いて、アルドールが近寄って来る。あいつはとても不安そうに、心配そうに俺を見る。どうしてそんな風に俺を見るんだよ。俺がお前に何をしてやったって言うんだ。懐かれる理由なんか無い。俺は何時だって、俺のために生きて来た。お前のためにしてやった事なんて、一つもないんだ。このお人好しが。そう言うところが、大嫌いだ。


「ユーカー……」

「何だよ!」

「そんなに嫌ならさ、止めようよ。俺がこのまま出て、頑張るから。トリシュに好かれるように、平凡顔だけど頑張ってみる!一時的な物なら俺、回復数術使えるし!金髪だし!俺だって条件満たしてるよな?」


 こいつは、俺の顔が一瞬……もっと酷く歪んだのに気付いただろうか?


「さっきから何なんだよお前。俺のため、俺のためって!お前、今までずっとそんな風に生きてきたのか!?」

「え、違うけど」


 アルドールはそう言う。だけどそうじゃないだろう。


「ああそうだな。お前は今までイグニスやルクリースに依存してたもんな。それが出来なくなった途端今度は俺か!?それともアークか!?」

「ゆ、ユーカー?」

「そんな風に、周りの機嫌取って楽しいか!?てめぇが王だろ!?王なんだろ!?王の癖にどうして俺の顔色伺う!?そんなんでも王のつもりか!?」


 八つ当たりのつもりはない。それでも今、目の前の男が俺はどうしても許せなかったのだ。こんな卑屈な男のために、これまでこれから何人死ぬんだ!?


「てめぇはそうやって優しくする相手を自分で選んでるって言うつもりだろ!?だから良いんだって!馬鹿だろお前!?散々言ってきたつもりだが伝わってねぇならはっきり言っておく!俺はお前が大嫌いだアルドールっ!」


 真正面から睨み付けた。それでもこの女装男、一歩も引かねぇ。もっとびびったりすると思ったのに、この反応に俺は些か驚いた。そして生じた隙にあいつが一歩踏み出して来る。これはもっと、予想外。


「うん、知ってるよ」

「だったら」

「それでも俺が、ユーカーと友達になりたいんだよ」

「……お前。昔神子に嫌われてたろ」

「うん!」


 確かに嫌うわ。友達になるまでこんなんにずっと追い回されるんなら。俺が離れた距離を、こいつは平然と詰め寄ってくる。得体の知らない、屈託のない笑顔のままで。それが俺にはとても恐ろしかった。あの泣いてばかりのぐずぐずめそめそアルドールが、俺の言葉に折れないだと!?信じられねぇ。


「俺はユーカーとかイグニスみたいに、真っ直ぐ怒って嫌ってくれる人は好きだよ」

「……お前のやってることは無意味だ。敵意を持ってる人間に、捧げる好意ほど、無意味なことはない」

「そんなことないよ!俺、無駄とか無意味って言葉こそ無駄で無意味だと思う!」


 妙な確信を持った強い口調で奴が言う。だけど、そんな言葉は信じられない。王を助けられず、逃げ延びた恥さらし。そんな俺が今ここに生きていること。それにお前は意味があるって言うのか?


(あったとしても、それは……)


 命を食い潰されるためにあるんだ。教皇の奴はそれをこのアルドールのためにさせようとやっきになってるが、俺にはそんなつもりはねぇよ。幾らお前が俺に懐いたところで、俺はお前のためには死なない。そんなこと、解ってるはずだろ?なのに何故俺に近付く?そこに意味なんかないはずだろうが。


「俺はユーカーの顔色伺ってるんじゃない。俺がしたいことを俺が王として、我が儘に利己的にやろうとしてるだけなんだ。大体ユーカーの顔色伺って、俺に何の得があるんだよ?」

「それは……」


 悔しいが、言い返せない。そうだ。本当にそれは無意味なのだ。それなのにどうしてこいつはそんなことをする?馬鹿みたいだ。見ていて苛つく。不愉快だ。自分の見たくない過去の姿を見せつけられているようで、本当に嫌なんだ。


「はっはっは!これは一本取られましたな。セレス君、今回ばかりは君の負けだよ」


 ぬっと俺達の間に湧き出たヴァンウィック。奴が俺達の方をポンと叩いて引き寄せる。嫌な予感がした。


「というわけで、二人とも参加という話で宜しいかな?」

「え?」

「はぁ?」

「実はだね、先程チェスター爺の夜這……ごほん、失礼。語感が似ていて間違えた。見舞いに行ったのだがその際にこれを渡されてな」


 変態が取りだしたそのドレスに、俺は血の気が引いていくのを感じていた。言うまでもない、この城を攻略する際に使ったアイテムだ。


「例の衣装をあの爺、胡弓弾きに洗濯させておいたらしい。血の汚れも斬られた箇所もこの通り!無事に修復されたようだ、良かったな」

「別に俺は勝たなくて良いんだよ!トリシュの件さえ何とか出来れば、ランスが勝って構わねぇんだ!」

「それならアルドール様だけ参加させるかい?その場合私が彼の変装を徹底的な物にすべく手取り足取りお手伝いをさせていただく形になるが、何の問題もないだろうね?」


 この変態め!俺がこの部屋を出て行ったら、この阿呆王に何かしてやろうかと脅しをかけて来やがった。


(どうして俺がアルドールなんかの心配してやらねぇといけねーんだ)


 そんな義理俺には無い。無いのだが……一瞬でも嫌な想像をしてしまった以上、そうなれば流石に目覚めが悪い。


「変態の力なんか必要ねぇ!さっさと出てけ!」

「やれやれ。命拾いしたね、アルドール様。この場で脱がずに……“あれ”を見られずに済んで良かったね?」


 俺がクローゼットにあったモップを振り回して変態を追い出すも、アルドールは奴が去った扉を見つめ動かない。


「……?何だよ、そんな青い顔して」


 あの変態に肩触られたのがそんなに嫌だったのか?さてはあの変態、手に変な液体でも付着させてたか?いや、幾らあの男でもそこまでは……こんなんでも一応アルドールはこの国の王だ。それにここまでの平凡顔まで本気で手を出すとは思えない。半分くらいは唯の戯れ言だ。万が一って事はあるかもしれないが。


「別に何もなってねぇじゃねぇか」

「いや、ええと、うん。そうじゃなくて、さっきは危ないところでは逃げたし、見られてないはず。髪のセットと化粧しかされてないし、うん……俺の勘違いなんだろうけど、ちょっと驚いて」

「勘違い?」

「そんなことよりさ!俺このままこの服でいいのかな?」

「ああ……そうだな」


 新しい衣装が手に入った以上、俺がこいつを脱がせる理由はないし、こいつが着替えに困る理由もない。だが何か引っかかる。人前で服を脱ぎたがらない?その理由を考えて、シャラット領での神子、いや教皇のことを思い出す。


「まさかお前まで女だったりしねぇよな?」

「あはははは!無いない無いない、それはないって」


 腹を抱えて笑い出す馬鹿。視覚数術使えるレベルの使い手は、数術の気配痕跡を隠し消すのもまず得意。どっちも高等数術だ。この阿呆がそんなの使えるようには見えない。教皇だってこいつが女なら、もう少しマシな扱いしているだろう。


「俺あんまり肌見せたくないんだよ。何て言うか、情けないしみっともないし、恥ずかしいから」

「みっともない……?」


 アロンダイト領で湖に落ちた時は、辺りが薄暗かったし、上着も羽織っていた。見られては居ないはず。そう前置きしてから奴は言う。


「見たい?」

「いや、そんな風に言われると急に見たくねぇ」

「そう言われると物凄く見せたくなって来るなぁ」


 さっきまで少し沈んでいたかと思えば、急ににたにた笑い出し俺に詰め寄る。からかうように此方を覗き込む様は、どこかあの人に似て見えて複雑だ。アルトのおっさん、ランスルクリースにアルドールっ!どうしてカーネフェリアって奴らはみんな俺をからかうのが好きなんだ!血か!?そういう血なのか!?


「てめぇまであの変態の真似したらぶん殴るぞ?」


 何が悲しくて一日の内に二回も野郎の全裸を見なきゃならねぇんだってんだ。あぁ、嫌なこと思い出した。俺の料理があの変態に汚される寸前のとんでも画像を思い出して、涙と胃液が出て来そう。そんな俺の背をさすりながら、カラカラとアルドールは笑っている。人を安心させるような笑みだが、その根拠の無さからやっぱり俺は不安になる。


「ごめんごめん、冗談だって。これはちょっと昔の怪我とかの跡があって。唯でさえ情けないのにそんなの見せられないだろ?これ以上みんなに情けないって思われたくないから」


 その言葉には他人の顔色を窺うと言うより、前向きな決意が感じられる。それでもその心とこいつ自身の力量が噛み合わない。だから何だかとても不安に映るのだ。本人がやる気出して明るくなってる所悪いが、俺はそれを告げずには居られない。こっちまでその火の粉を食らいそうで怖い。


「お前、そんなんで大丈夫なのか?」

「大丈夫って?」

「あれもこれもって抱え込んで。お前なんかにやれることなんかたかが知れてるんだから、余計なことはすんなよ」

「あはは、心配してくれるんだ?もしかしてユーカー、実は結構俺のこと好きだったりして?セレスちゃんは素直じゃないなー」

「そうじゃねぇよ。つか心底うざってぇ!」

「きゃああ!暴力反対ー!」

「気味悪い声出すなっ!」


 一発殴ろうとして逃げられた。仕方ないので枕を投げれば、にやっと笑ってあいつも応じる構えを取る。何だか急に不貞不貞しくなったなこいつ。しかしこいつの外見的にはうじうじしてるより似合っている。教皇から離れるだけでこんなに変わる物なのだろうか?

 あいつは枕をフェイントさせて投げる振り。それでも結局投げず、身構えた俺を見て笑うだけ。俺の不安の端を捕らえたように、俺を安心させるよう、優しい声で訴える。


「大丈夫だって。それにさ、そんなのランスとかに見られたら、幸福値無駄にしそうだろ?そんなの俺は嫌だから」


 その声は、俺だけに向かっている物じゃない。昼間はあんなに切羽詰まってやがったのに、ジャンヌと出かけてからすっかり落ち着いている?ジャンヌや青髪のガキのことだけじゃない。アルドールが、ランスを労るようなことを口にする。

 こいつ、俺だけじゃない。俺に逃げるだけじゃない。一応ランスに歩み寄ろうともしているのか。そう思うとほっとして、違う意味で泣きそうだ。


「あいつのこと、少しは信頼したんだな」

「ランスが悪いんじゃないんだよ。俺が悪かったんだ。ちゃんと意思の疎通も出来ない内に、解ったつもりになってさ。馬鹿みたいだろ?俺っていつもイグニスとかユーカーを頼ってばかりで。ランスが取っつきにくいとか壁があるとかそんな理由で、ランスのこと傷付けてた」

「そうか」


 喜べランス!アルドールがお前を信頼し始めたぞ!何やったんだよお前!よく分かんねぇがおめでとう!内心ちょっと感動しながら、涙ぐむ。あの馬鹿の空回りが少しは報われたかと思うと涙腺も脆くなる。しかし、続く言葉に俺は目を見開いた。


「でもこうしてちゃんと接してみるとさ、ランスって何か可愛いよな」

「……は?」


 え?何なに、何?こいつ何言ってんの?俺とランスのやりとり見てきて、何故そんなことが言える?あいつ鬼畜だろ。天然鬼畜だろ。おまけに最近計画的腹黒化してきたしろくでもねぇ男だろ。お前は何寝言を言っているんだ?


「か、可愛い……?」


 お前だってあいつが山賊血祭りに上げた時は、脅えて避けまくってたじゃねぇか。


「不器用な人だけど、何時も一生懸命で、見てて和むよね」

「……え?」


 確かにあいつは一生懸命だが、俺は見ててハラハラするぞ?見るだけで寿命吸い取られそうなくらい、心臓握り潰されそうだ。


「ランスって、周りに男ばっかりだったから、結構女の子に免疫ないのかな?ジャンヌにからかわれてたさっきのランス可愛かったって。ランスでもあんな顔するんだな」

「何だその余裕面は」

「いや、ほら俺シャトランジアで女の子に囲まれてたから。色々失望して女の子への幻想は殆ど無いし、免疫だけはばっちり!……ま、その分男に免疫なくてさー、お陰でこうして人間関係とか築くの苦労してるわけなんだけど」


 シャトランジアで養子育ちのこの馬鹿は、同世代の男は殆ど居ない環境で育ったらしい。そう言われれば、無神経な一面も多少は理解できる。こいつは男の友情って奴がよく分かっていない。本で読んだとかその程度。でもって憧れはある。教皇への依存も俺への寄っかかりもそこから来てたのか?いや、それでも許せない。黙って聞いてりゃ何だ。人のこと馬鹿にして。お前だってDTだろうに俺らのことを上から目線で語るとは!アルドールの癖に何様だ。ランスのあれは相手がアークだったから取り乱してただけだろ。人の気も知らねぇで。


「あいつだって俺達だって部下の大半は女だ。婚約者も居たし免疫くらい……」

「でもさ、ユーカー達って女の子の友達とか、居る?」

「……う」


 アルドールの深い青。その青目が俺を責める。「俺も人のこと言えないけど、そもそもお前ら友人からして少なそうだよな」って視線が突き刺さる。そういやお前の親友なイグニス、一応女だったなこんちくしょう。

 悔しい。悔しいが答えられない。そもそも俺ら騎士連中って、曲者揃いでまともな友人関係育んでる奴って殆どいねぇぞ?ランスとトリシュが一応それだが、後は権力争いとかで殺伐してたし、俺とランスだって……まぁ、友人っちゃ友人に区分されるんだが、それだけでは言い表せない腐れ縁があるわけで、そう言われるのは何か釈然としないが、まぁいい。確かに俺達は部下に大勢女が居るのが、あいつらとの関係は上司と部下で、身分を越えた友情なんてまず無い。

 部下にちやほやされた時期もそりゃ、ランスなんか何時でもあったが、あの朴念仁は天然スキルで回避しまくった。人の好意ドッヂボールで避けまくった。人間の屑め。いや、俺も人のこと言えないけど。思い返せば俺も大概屑だ、ちくしょう。あの野郎に関わると俺まで屑になっちまう。

 くそっ!俺とパー坊は友達って柄でもねぇし、トリシュだって何か違う!俺なんか辛うじてランス一人じゃねぇか!かといって、アルドールの阿呆の友達ごっこに付き合う気なんか更々ねぇ!男との友情すらこの様なのに、女と友情なんか築けるか?そんな暇あるもんか!俺の仕事は戦って殺すことだぞ!?残りの寿命潰えるまでそれが仕事だってのに、遊んでる暇なんかあるもんか!アスタロット、これは恋愛じゃなくて友情だから浮気じゃねぇから!なんてあの世で土下座をするのは御免だぜ。俺はもう女なんか……女なんか。


(くそっ……)


 思い出すのは目の前で散ったルクリース、一人で去ったマリアージュ。俺がもう少しカードの使い方をどうにかしていれば、何とか助けられたかもしれない奴ら。すぐ傍にいたのに、守れなかった。アルト様も、あいつらも。俺が死なせた部下だって、両手の指じゃちっとも足りねぇ。俺は全然凄くなんか無い。パルシヴァル、解るだろ?お前は俺が守ったって言うが、俺は守れなかったことの方が多いんだ。南には行かない。そう言ったにも関わらず、まだ俺は迷い出す。何時も俺に着いて来る、あの無邪気な笑顔。

 あいつはもう立派な騎士だなんてそれっぽいこと言って、助けに行かない。それでもしあいつに何かあれば、俺はズルズル引きずり出すんだ。ランスだけ守れればいい。後は誰が死んでも良い。北から逃げてきた時のように、人の屍に胡座をかいて……そんなことを俺は言うのか?


「ユーカー?」


 からかっていたはずの相手が、突然黙り込む。それに驚いたのか、アルドールが戸惑っている。だがそんな物は無視だ。俺はさっさと着替えを始める。


「ごめんユーカー!俺からかいすぎたよな?怒ってる?」

「これ以上俺に構ったら本気で怒る」


 一睨みしてやれば、あいつは慌てて退室をする。もう一度謝罪の言葉だけを残して。静まりかえった室内で、俺は変装を仕上げ、考えをまとめる。その間に、遠くから聞こえる晩餐会の賑やかさが何処か皮肉に感じられてならなかった。


(カーネフェルのために、ランスのために……守りは必要。教皇側のカードに頼るのは危険だ。あいつはカーネフェルのために動いてるわけじゃねぇ)


 明日か明後日か。南下は始まる。動けるとしたら今夜しかねぇ。パルシヴァルに当てられる時間は、俺には今日しかない。その全てをトリシュのために使うわけにはいかない。


(トリシュも、パー坊もカードだ。カーネフェルには、ランスには必要なはず)


 俺の私情だけじゃない、これはランスのためなんだ。それは間違いない。そうだろ?それなら俺がここで動くのは、仕方のないことだ。

 意を決し、俺は食堂から離れた方に歩き出す。夕食に顔を出さないあの女。何を企んでいるかは知らないが、どうせ俺の考えなんかお見通しなんだろう。耳鳴りのする方向へと突き進めば、会議室。開ければ奴は待ってましたと言わんばかりの不貞不貞しい笑みで俺を迎えた。


「教皇っ!」

「遅かったですねセレスタイン卿。貴方の用件は解っています。空間転移をお望みですね?」


 僕としても有り難いですよと奴は言う。パルシヴァルというカードを取り戻したいというのはこいつも同じことなのだと。


「外道が」

「言えた義理ですか?貴方は彼が心配で行くんじゃない。名目上は大切なランス様のためと言い訳して向かうのですからね」


 幼い憧れを汚すような意思で、どの口でお前を助けに来たなんて言えますか?……そう奴は俺の心に言葉の剣を刺す。腹立たしさのあまり舌打ちをしてしまったが、それで拭える怒りではない。それでもここで時間を無駄にするのも馬鹿げている。怒りを抑え、俺は話を進めていく。


「それで……、俺に何をさせるって?」

「ザビル河で指揮を執るのは第一師団長レクス。聞けば貴方はタロックの第一騎士に気に入られているそうじゃないですか。そして貴方のその格好、手間が省けました」


 そう言ってにたりとほくそ笑むあの女。顔だけは整っているが、悪魔みたいに俺には見えた。腐った性根が顔一面に滲み出ている。


「嫁になる気が出来たとか言って、適当に色仕掛けでもして来て下さい」

「あ、阿呆か!そんな馬鹿みたいな策があって堪るか!」


 幾ら俺達仲が悪いからって、こんな嫌がらせみたいな策を打ち出す必要があるのか?一応俺は貴重なコートカードなんだろ?お前も俺を手駒にしたいはずだろ?何だってそんな扱いを!!


「それが有りなんですよ。彼はそこまで今のタロックに肩入れしている風には見えません。タロック王もカーネフェルから撤退しました。貴方が靡くのなら、彼も撤退し本国へ帰ろうとするはず」

「隙を突いてあいつを殺せって?馬鹿か?俺にキングが殺せるか!」

「そこまでは言いませんよ。唯、貴方とパルシヴァル君。それにジャックも付けましょう。コートカード二枚相手なら、如何にキングと言えど、ある程度数値を削れるはず」

「俺やパー坊に何かあっても、あのガキの力で最期の最後まで利用出来るって!?ふざけんな!!」

「ええ、そういうつもりではありませんよ。良いですか?」


 俺の理解力の無さに呆れるように、教皇は深く嘆息。そして卓上の地図を指し示す。


「第一騎士レクスが前線を指揮する。都の守りは第四騎士双陸。タロックに帰ったエルス=ザインも、再びカーネフェルに戻らないとも限らない。その前に早急に蹴りを付けたいけれど、そう上手く行くかも解りません。そのために、万が一エルスが戻った場合、彼を引き付ける役が必要だ。解りますか?」

「そいつは……二枚のコートカードを、俺達三枚で足止めしろって?」

「ペイジのエルス、キングのレクス。二枚のカードが傍にいなけければ、風は一気に此方に吹く。進軍にはジャンヌ様一人の幸運で持って行けるでしょう」

「だが、北部の守りは!俺はお前ら教会が信用出来ねぇ!」

「けれど、がら空きの北部は罠になるとは思いませんか?」

「がら空き……?」


 俺はこの女の意図するところが理解できず、言葉を失う。何を考えて、こんな無謀な策を練る?


「ジャンヌ様は前線に。僕も南下に同行する。そしてあなた方が南部に回り込む。今のところ、タロックで空間転移を扱えるのはエルスのみ。もし他の者が潜り込むならそれで、此方にとっては大きな情報ですし、彼が来るにしても良い時間稼ぎにはなる」

「アホかお前!折角取り戻した北部を囮にするって!?そんなん元も子もねぇだろ!?」

「ええ。ですがまずあなた方の味方である胡弓弾きを残します。それに僕側のカードとして僕はルキフェル一人を残します。これで一応はフェアですね?」

「フェアじゃねぇ!胡弓引き共はお前に保護されてる状態だ!お前はキールを幾らでも脅せるはずだ!弟妹を人質にでもすれば!」

「しかし彼らの主であるチェスター卿は、セレスタイン卿。今の姿の貴方にぞっこんだ。カミュル君も貴方には感謝している。余程貴方が有利です。ついでに出掛ける前に何かお願いでもして来られては?そうすれば彼らは僕になど従いませんよ、チェスター卿に従うはずです」


 一応、話としては筋が通る。それでもこんな役回りばかり。絶対こいつは俺に屈辱を与えて楽しんでいやがる。


「……ルキフェル、だったか。あの女そんなに強いカードなのか?」

「コートカードではありませんよ。それでも弱いカードと組む限り、彼女はまず誰にも負けない。コートカードも道化師も、彼女の敵ではありません」

「なんだ、そりゃ」

「強ければ強いほど不利になる。彼女はそういう数術の使い手です」


 何だか胡散臭い。そんな強い部下がいるなら、何故もっと早くに連れてこない?そもそも何故前線に出さないのだと言う疑問が出る。


「貴方の疑問はもっともです。しかし当然、僕はシャトランジアの人間。カーネフェルのために貴重な部下を易々と、そう何人も注ぎ込めますか?僕は本国の守りも同時に行わなければならない。マリアージュ、ルキフェル、ジャンヌ、シャルルス、ジャック。カーネフェルのために僕は五人も手札を晒している。正直既に痛手です。ですからさっさとここからタロック追い出して、僕も部下の何人かはシャトランジアに帰したいんですよ」


 国の長としての言い分は確かにもっとも。確かにこいつはカーネフェルのために、アルドールのために国益以上の支援を惜しみなく注いできた。そこだけは認めてやるし、評価してやっても良い。

 ならばこれはどう見る?カードを入れ替えたという話。ルキフェルという女の数術は、それと関係している?もしそれが簡単なら、こいつはあの女をさっさと陣営に招き、道化師と誰かを入れ替えていたはず。それを今までしてこなかったのは、そう簡単にはできないから。それを行うための条件を、敵側は満たしていない。だから自分の手駒の誰かと取り替えたのだ。

 ここであの女を招くのは、その条件を満たしたからではないだろう。あの女は、教皇が行った術とは別の力を持っている。似た系統の、別の能力。そこをミスリードさせるため、敢えて今陣営に置いたのだ。おそらくその力を持った人間はシャトランジアに配置されている。万が一道化師が第一聖教会を攻めたなら、相手は此方は手薄だと油断している。その能力で絡め取ることも可能になるのかも知れない。


(なるほどな、考えてやがるぜ)


 この二重の罠なら、確かにシャトランジアもカーネフェル北部も守れるかもしれない。そして都攻めの難易度も大幅に下がる。俺たち騎士とアルドールの評判が南部ではガタ落ちしているだろう今、確かに新たなカリスマが必要。そうなった時、掲げる相手はアークしかいない。あの女の影響力とカードの力は確かに魅力的と言って良い。

 ならば今できる最善の策、なんか?俺を都に飛ばすことで、挟撃も可能になる可能性は、ある……のか?


 「だが、俺は南部では嫌われ者だ。パルシヴァルを助けたところで俺の名声は上がらねぇ。挟撃するための兵力をどこから調達しろって言うんだ?」

 「何をおかしなことを。貴方には忠義深いお父上がご存命では?」

 「て、てめぇ……!あ、あいつに頭を下げに行けって俺に言うのか!?」


 信じられねぇ!人のトラウマ踏み抜くのもいい加減にしろ!殺意を込めて俺は奴を睨んだが、奴はいつものように不貞不貞しく尊大だ。


 「セレスタイン卿。これはカーネフェルのため。そしてカーネフェルが大事な、貴方の大事なランス様のためです」

 「それは、……」

 「カーネフェルが僕のシャトランジアに加勢を求めている形になる以上、カーネフェルは僕に従わざるを得ません。僕がカーネフェルを見捨てれば、この国は終わりですよ?カーネフェルには戦に耐える十分な数の船もない。教会兵器もなければ武器だって質が劣る物ばかり。食料があっても戦地に輸送するための転送に秀でた数術使いが何人いますか?僕の協力なしに、カーネフェルはセネトレアともタロックとも戦えない。僕が見限ったその日が、カーネフェルの滅亡ですよ」


 それはぐぅの音も出ない程、見事な言い草だった。


 「貴方には南部に行って貰います。精神安定のためにリスティス卿を取り戻す前提で、それから空間転移も使えるエフェトスをお貸しします。ああ、後これも」

 「何だ、これ……?」

 「パルシヴァル君に渡してください。これを彼が持っていれば、貴方のお父上の説得も容易な物になるでしょう」


 手渡されたのはエメラルドが埋め込まれた、杯型のブローチだ。裏には文字が刻まれている。誰かの名前……?殆ど錆びているが、辛うじて読める文字を拾っていけば、一つの家名が浮かび上がる。それを読み取り、俺は言葉を失った。


 「お解りですかセレスタイン卿?あの子はシャトランジアで言うアルドールだ。パルシヴァル君は、僕にとってある種の脅威なんですよ?そんな彼を飼い慣らしている貴方が僕を快く思っていない。これだけでも十分僕は譲歩しています。これでフェアだとは思いませんか?仮に僕が彼を排除しようとしているのなら、ますます貴方は都に行く必要が出て来ますよね?僕が彼を捨てる策を練る前に。別に良いんですよ?幼い子供が犠牲になれば、彼方は悪役臭が増しますし、その正体が明るみに出れば、シャトランジアはますます戦う理由を得ると言うもの」

 「お前……あいつが、炎の、クラブのカードだって言ったのは嘘だったのか!?」

 「彼がカーネフェル生まれならその可能性が高いと言っただけですが?」


 敵を欺くにはまず味方からだと教皇は薄ら笑った。


 「彼には僕が、本来あまり相性の良くない風の精霊を付けました。敵や味方の前では彼に懐いているように演技をするよう命令もしてあります。これで大抵の者は騙されることでしょう。ペイジの数値は変動的で読み辛いものですから」


 出来うる限りの支援はしてやるんだ。だからさっさと覚悟を決めろと教皇は言う。それでもこのままでは、俺の気が収まらない。せめて一撃でも、こいつに言い返して、言葉の力でぶん殴りたい。


「まぁ、これで南部はなんとかなります。僕らの方も……そうですね、道化師は僕の部下を確かめるため、僕らが南下すれば北部に一度現れることでしょう。何もここはエルスのための餌場じゃない。道化師に邪魔されずに都を攻略できるなら、話はスムーズに進みます。そしてそうでなければならない。ジャンヌ様について行けば、勝利は必ずもぎ取れると、兵に民に信じさせるためにも」

「お前……本当は、道化師と同じなんじゃねぇの?」

「何ですか、突然?」


 俺が本気でそう思って言ってはいないことを知ってか、そこまで怒りを顕わにせずに、教皇は質問を返す。


「お前がアークを死なせたいのは、策のためでも国のためでもねぇ。アルドールって男に近寄る邪魔な女を合理的に排除したいだけじゃねぇのかって言ってんだ!親しくなった奴が死ねば、あいつはますますお前に依存するだろうから!」

「僕がそんな個人的な感情で、枢要悪のために彼女を厭っていると?あはははは!随分と妄想がお好きなんですね貴方は!これだから女を知らない男は困ります」

「何だと!?」


 胸倉を掴めばすぐに回し蹴りが飛んで来る。避けた瞬間手に電撃が走り、俺は手を放してしまう。俺に掴まれ皺が寄った服を直しながら、教皇は俺を馬鹿にするような目を向けることも忘れない。


「彼女は貴重なクィーンだ。ルクリースさんがもう居ない以上、易々と失うわけにはいきません」

「……何が、言いたい?」

「セレスタイン卿、過去に囚われた貴方の所為で、ルクリースさんもマリアージュもこんなに早く死んでしまった。貴方はそう思っているのでしょう?」

「その言い方だとお前はそうは思ってねぇみたいに聞こえるが?」

「ご冗談を。僕だって多少はそう思っています」


 人を見下すような目で、イグニスは俺を睨んだ。


「なるほど。過去を、失った人を大切に思う貴方は確かに立派です。人としては尊敬に値しますよ」


 全く褒められている気がしないその賛辞。一種の嫌味だろうか?


「しかしそれで喜ぶ者は誰もいません。傷付く人は居てもね。貴方自身の心の安寧のため、そしてそれは時に貴方自身を苛む枷だ。貴方が何時も今を見つめていれば、彼女たちだけじゃない。トリシュ様のことだって、もっと違う解決法を導き出せた。今この状況を作り出したのは、貴方自身なんですよセレスタイン卿」

「てめぇは馬鹿か?人と人の繋がりを、何でもかんでもやれ男だ女、恋愛関係って繋げなきゃ気が済まねぇのか?一体俺が何時、メイド女に……マリアージュに気のある振りをしたって!?」


 こいつの物言いは、人の死まで汚しているようで気に入らない。俺だってあいつらだって、違うものを優先して生きた、死んだ、生きている。それに何ら後悔はないはず。俺が過去を断ち切って、他の女に手を出して、それであいつらの決断が変わったって?ふざけんな!そんなはずはねぇ!あいつらはそこまで弱くはねぇよ。あいつらの死に顔を見て、どうしてそんなことが言える?達成感すら感じさせるような微笑みで、あいつらは死んでいた。自分の選択に一片の悔いもない。俺が羨むような、死に顔だった。こいつのこの言い方は、その死さえ脅かす!人をそんな物で踊らせられると思うのか!?誰がお前の思惑通りに……!


「貴方にそのつもりがなくてもね、貴方は彼女たちに、好感は抱いていたはず。断言しましょうか?少なくとももしルクリースさんが生き残っていれば、彼女はランス様ではなくて、最終的に貴方に気を持ったはずですよ」

「そ、そんな……今更わかりっこねぇ話を持ち出すな!」

「そうでしょうか?貴方をからかう時の彼女は、本当に楽しそうでした。彼女が男相手に猫を被らず彼処まで遠慮がないのは珍しい。それに貴方の居ないところでは、貴方をランス様よりいい男だとまで評していましたよ?」


 嫌な言い方しやがる。俺が自分に気がある女を省みなかった所為で、アスタロットの時同様、あいつらは死んだんだとこいつは言う。


「そう言った意味では良かったのかもしれませんね。トリシュ様も。貴方のような疫病神のことを忘れれば、死期も今暫く遠離る。幸運な貴方は、他人を犠牲にして、その屍の上に生き延びて居るんだ。これまでも、これからも!お前に出来るのは、踏みつける相手を後回しにするか今かを選ぶことだけ!」

「違うっ!俺はっ……」

「だから正しくて立派で、カーネフェルにとっても多くの民にとっても必要である、ランス様に踏みつけられて犠牲になりたいですって?とんだ加虐趣味者がいたものですねセレスタイン卿!」

「……っ」

「言えよ偽善者。お前は誰のためにここに来たんだ?憧れのランス様?可愛い弟分のパルシヴァル?それとも自分自身のエゴのため?」


 自分でも解ってる、自己嫌悪の心。暗い心の声を曝くように、教皇は言葉を紡ぐ。見たくない自分を見せられている。それに気付いた刹那、ぶわと勝手に溢れる涙。

 こ、この俺が!こんなガキに……っ!それも女に泣かされるなんて。悔しくて噛んだ奥歯がキシキシ鳴った。だけどこいつは正確に、俺の地雷を踏んでいく。傷口の上でナイフを突き立て瘡蓋剥いで、グチャグチャと掻き回すような陰湿さ。

 口から漏れそうになる嗚咽を隠して部屋を飛び出す。せめてもの嫌がらせに思い切りドアを蹴り飛ばし、バンと叩き付けてやる。扉の向こうからは、俺の再訪を預言するような教皇の言葉が響く。


「精々その汚い泣き顔洗って、仕度が調ったらまた来るんですね。転送のチャンスは今夜くらいしかありません。貴方が善人でも、悪人でも……貴方は僕を頼るしかないのですから」


 *


 薄暗い廊下。窓硝子に映る情けない泣き顔を見て、ユーカーは自嘲するしかない。


(俺は……最低だ)


 俺はアルドールのことを馬鹿に出来ない。あれはやっぱり八つ当たりだったんだ。

 イグニスに頼れなくなったから俺に懐く。そう責めた。だけど俺だって……トリシュが俺を忘れた。だから心に空いた穴がある。あいつを受け入れられもしないのに、離れていったら寂しいなんて、どんだけ俺は情けなくて嫌な奴なんだよ。

 そこから目を逸らしたくて、ランスのため、ランスのため。そんな言葉で蓋をする。俺が納得できる大義名分。それでもあいつはアークに惚れてて、やっぱり俺も少しは寂しいわけだ。だから今度はパルシヴァルを気にし始める。これまで以上に心配し始める。本当、都合の良い奴だよな俺って。


(パルシヴァル……)


 あいつにどんなに救われただろう。癒されていただろう。感謝していたんだ。多少の勘違いや食い違いはあっても、無条件に俺を肯定し、憧れてくれる無垢な笑顔、明るい声。弟みたいで可愛いと、思ったのは本当だ。息苦しいとか感じることもあったが、心配だったのも嘘じゃない。

 これまでだって心配だったはずなんだ。唯、優先順位からすればランス以下。目の前にいたら助けるけど、遠くにいたなら選べない。そんな俺があいつを心配だって?

 多少はあったはずの心さえ、何だか汚れてしまったようで、申し訳なくて……どんな顔であいつを助ければ良いのか解らない。あいつの正体を知った今、俺は以前と変わらず接することが出来るのか?パルシヴァルが自分の素性を知れば、あいつが変わってしまうんじゃないか?

 パルシヴァルに、これまでと違う戦う理由が出来た時、あいつがアルドールと……ランスと対立したら。俺はランスのために、パルシヴァルを殺すのか?俺があいつを助けたのも、守ったのも……出会ったのも、殺すためだったなんて認めたくはない。一回でもこの手で救った相手を、どうして斬れる?それなら最初から、助けなければ良かっただけだ。そんな、相手を傷付けるような……拾って捨てるような真似!俺は……俺がランスを守り続けるっていうこと。ちゃんとこの胸で、この頭で理解できているのか?


(くそっ!!)


 俺一人じゃない。俺だけ犠牲にしても駄目なんだ。話はそれで終わる所に無くなった。いつの間にか話が広がっている。俺に犠牲の選択を迫るのだ。

 守れなかった奴らが増える度、俺は足を引きずられる。胸を張って、歩いてきた道が正しかったと言えなくなる。これ以上苦しみたくないから手を伸ばして守っても、それは明日の俺を苦しめる枷になる。ランスだけ見て、ランスだけ守って、あいつのことだけ考えていれば、こんな風に悩まずに済むのに。


「其方のお嬢さん、お加減でも悪いのですか?」

「……!」


 誰も居ないと思って油断していた。突然かけられた声に、びくっと肩を振るわせ振り返る。


(トリシュ……!?)


 いつものロン毛、いつもの格好。竪琴を携えた優美な同僚優男。会いたくない人間に、こんな所で、こんな顔で出会してしまうなんて最悪だ!固まる俺を見て、あいつが浮かべる柔和な笑みに、時間が巻き戻ったような錯覚、恐怖。女装ランスにこいつが惚れるなんて心配、する必要なかったんだ!お前は俺の女装姿がどんだけクリーンヒットなんだクソっ!ていうかそもそもランスが女装祭りに参加してるのお前見てたしな!惚れるならとっくの昔に惚れてたよな!!ああ、くそっ!あのクソ教皇と変態叔父に踊らされたっ!危なかったのは精々教皇くらいじゃねぇか!

 こ、困った。声を出して罵るべきか。変な勘違いが生まれる前に、俺は俺だと暴露する?今後ずっと白い目で見られるのは腹を括れ!どうせ元々犬猿の仲なんだ。だが、今何か喋れば、何だって言葉にならない。嗚咽が出る。全部忘れたこいつの前で、そんな情けない姿は見せられない。


(ど、どうすれば……)


 今すぐこの場から逃げ出したい。だが、ここで逃げたらあの日の二の舞だ。それは結局トリシュを振り回して、命を食い散らかして傷付けるだけ。ランスのためだと言い訳しても、俺に再びそれが出来るのか?出来るわけがない。一度だって、心苦しかったのに、どうしてそれがまた出来る?

 ランスの幸福を願うこと。それだけを祈り、それだけを願う。そう決めたなら……俺は誰を傷付けることも肯定しなければならないのに。こいつを利用して、パー坊も見捨てることを計算の内に入れなければならないのに。

 パルシヴァルも、あの頃のトリシュももう居ない。俺を絶対的に肯定してくれる相手はもう居ないんだ。俺が俺に自信を持てない間、俺はずっとこの葛藤に苛まれ続ける。過去の俺の選択が、引き起こしたこととして……受け入れるしかないのだ。

ラテン語の本から。

犠牲と奉納の間に。って意味だそうです。


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