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43:Bis vivit qui bene vivit.

 「いや、良い天気だなぁ。こういうのを昼寝日和って言うんだろうな」


 ユーカーの真似して木の上で昼寝をしようとしたら、物凄い嫌そうな顔で睨まれた。あ、これはこれ以上詰めちゃいけない感じの雰囲気だな。それを感じ取ったアルドールは、何食わぬ顔で芝生に寝転んだ。


 「あのさユーカー」

 「何だよ」


 木の上から不機嫌そうな声。それでも答えてくれる以上、機嫌が悪いわけではないだろう。


 「ありがとう」

 「……は?」

 「俺の顔見て、俺がサボる口実くれたんだろ?とてもじゃないけど……俺今イグニスと話なんか出来なかった。助かったよ、本当に。……ってさっきまで言おうと思ってたんだけど」

 「言わねぇのかよ。つか言ってるだろ」

 「本当はさ、色々言いたかったんだ」


 ユーカーは話しやすい。俺に仕えてくれていないから、俺のためとかそう言うことを考えない。イグニスもランスも俺のためと言って、俺の望まないことをすることがある。だから俺のためにしてくれないユーカーの傍はとても安心できる。彼が俺を守ってくれたとしても、それは俺のためじゃないんだよな。それは他の誰かのためだったり、彼という人間が勝手に動いてしまった結果。彼の善意だ。無意識の善意だ。


 「でも、こうやってユーカーみたいにだらだらしてると気が楽になって、相談したかったこと全部どっかに行ったみたい」

 「そうか」

 「なぁユーカー、俺とルクリースって似てたと思う?」


 世間話のように発した俺の言葉。そこに結局言うのかよというツッコミは落ちてこなかった。それは悩みじゃない。さっきまではそうだったかもしれない。後悔という悩みだった。それが今は……別の物。彼女を知る者と記憶を共有したいという気持ちに近い。

 俺の言葉から大凡の事情を察してくれたらしいユーカー。彼が小さく笑いを漏らす。


 「似てねぇよ。お前はランスの阿呆に鼻血出さねぇし、金にも無頓着。精々その目の色くらいなもんだ」

 「だよなぁ。俺あそこまで強くないし。家族って意外と違う風になるもんなんだ」

 「……だといいがな」


 俺に話を合わせてくれている?気を使わせてしまったか。いや……それだけじゃない。父親との確執があるユーカーの言葉は重い。似たくないしそうはなりたくないと彼自身が言っているのだ。


(うん、そうだよな)


 今更何が変わる?どうしようもない。ルクリースもフローリプも俺の家族だ。本当にルクリースが俺の姉さんだったんだとしても、俺は彼女に何もしてやれない。これからすることは全部俺の自己満足なんだ。それでも屋敷で彼女に冷たく当たった日々を思い出しては痛む心もある。


 「俺さ、南に行くよ。ルクリースを……フローリプを、ちゃんと眠らせてやらないと」

 「俺は行かねぇからな」

 「あ、うん……」


 ユーカーは南部が嫌いというだけじゃない。北部の守りに就いてくれると言っている。親友のランスを俺に預けてくれたのだろう。少しは俺を信じてくれたのか。その信頼に応えるためにも、俺はランスを……いいや誰も死なせずに帰って来よう。そうして、ぐっと握りしめた拳に触れる剣。未だ見慣れぬそれはとても軽い。だから持っていたことも忘れていた。


 「ああそうだ!これ、返すの忘れてたんだけど」

 「何だこれ?トリシュの野郎の剣か……?」


 ユーカーに向かってその剣を手渡すと、なんだこれはと返された。そう言えばあの場にユーカーはいなかった。


 「ううん、ユーカーが首に付けてた十字架」

 「お前冗談は大概に」

 「いや、本当に。俺がジャンヌに渡してジャンヌがトリシュに渡して、あの青い子から俺に返ってきたらこうなってた」

 「アホか!お前人の母親の形見になんつーことを……」


 木から飛び下り叫いたユーカー。あれが形見だったなんて知らなかった俺は、軽い気持ちで借りてしまっていたことを後悔する。


 「そんな大事な物を……」

 「ああそうだ!」

 「俺に貸してくれたなんて!」

 「そっちじゃねぇっ!」

 「痛っ」


 ユーカーに思い切りチョップを食らわせられた。この容赦ないツッコミ。痛いには痛いんだけどユーカーの反応が楽しくて、ついついからかい癖が出てしまう。俺が悪戯仕掛けられる相手ってそうそう居ないからこういう感覚は久々だ。それはなんだか妙に懐かしい感覚。奴隷商の手に渡る前の俺は案外、怖い物知らずで悪戯好きなやんちゃ坊主だったのかも。


 「でも本気で叩くことないじゃないか」

 「これでも手加減してやってんだ!」

 「そっか、優しいんだなユーカーは」

 「てめぇ……最近扱い難さが半端ねぇ。それは一体何処の何奴の真似だ?」


 ランスの野郎の嫌なところに似て来たなと、ユーカーが身震いをする。


 「……ん?何だこれ……?戻ってやがる」


 俺から剣を奪い返したユーカーが、掌に収まる十字架に、青い瞳を見開いた。試しに俺がもう一度借りてみても、やっぱり十字架のまま。


 「あれ?」

 「護符の一種……触媒だとは聞いてたが」


 ユーカーが身につけていた頃は一度も効果が発揮されなかったというその触媒。数術使いではないユーカーには使いこなせない代物なのかもしれない。彼もそれを理解したのか、舌打ち一つで俺から離れる。そのまま新しい昼寝場所を探しに行くつもりだろうか?遠離るユーカーを俺は追いかけた。


 「ユーカー、これ良いの?」

 「てめぇ、触媒持ってねぇんだろ?ランスに迷惑かけられちゃ堪んねぇ。暫く貸してやる。……貸してやるだけだからな!あんま粗末に扱うなよ!」

 「ありがとう、ユーカー……」


 俺は何か彼にお礼として渡せる物があるだろうか?立ち去る彼を追いかけながら、俺は服の上から下までポケットを検めるが見つからない。あったのはジャンヌから貰った刺繍のハンカチくらい。流石にもらい物をあげるわけにはいかないな。


(他に何か無かったっけ?うーん……)


 流石に形見を借りっぱなしというのは肩身が狭い。何か俺の大切な物を彼に預けなければフェアじゃない。どうしたものかと唸りながら俺は歩いていた。その内にユーカーはもう何処かへ行ってしまっていた。それでもまだ俺は唸っていた。前なんか良く見ていなかった。だから当然ぶつかった。庭に飛び出してきた誰かに。


 「うわっ!」


 その衝撃で芝生に倒れ込んだ俺の傍で、焦ったような声がする。その声には聞き覚えがあった。


 「ご、ごめんなさい!怪我はありませんか?」

 「ジャンヌ……?」


 俺に向かって手を差し出す彼女。助け起こそうとしてくれる彼女を見上げ、俺は息を呑む。見上げた先の彼女は両目から涙を零していたのだ。


 「ご、ごめん!」

 「え?」

 「俺にぶつかった所為だよね、本当にごめん!俺だって痛かったしそういうことはジャンヌだって痛かっただろうし……いや、この身長差なら俺、もしかして何か失礼なことをしでかしたりなんか」


 自分の失態を全力で謝る俺。そうだ。俺もしかしてジャンヌの胸とかにぶつかってしまったんじゃないのか?な、なんて失礼なことをしてしまったんだ!土下座をしてもし足りない。条件反射のように芝生に頭をこすりつけた俺を、呆然と見下ろすジャンヌ。


 「い、いえ!違います!あ、貴方の所為ではなくて……これはその」

 「え?」

 「ふっ……あはははは!だって、そんな!私甲冑着て、痛いはずが……ぷっはははは!もうっ何言って……こんな時に、こんな時に……こんな風に笑ってしまうなんて、笑わせるなんて、……馬鹿っ!……ああっ!私の方が馬鹿です!ごめんなさいアルドール!」


 笑いながら泣きながら、崩れてしゃがみ込むジャンヌ。彼女がバシバシと俺の背を叩き、無礼でしたと謝った。そういう彼女は再び、悲しみに取り憑かれている。彼女の感情の波、その揺らぎが激しい。元々そういう人だったかも知れない。出会った時からそうだ。冷静かと思えばいきなり怒ったり。

 それでも泣いている彼女を見ていると、こんな風に思うんだ。彼女の感情の豊かさ。それは彼女がいつも色んな事を考えているからなんだろう。いきなり怒ったんじゃない。いつも怒りを抱えている。それを表に出さないだけ。俺が不用意に怒りのキーワードに繋がることを口にしてしまったから、彼女は怒った。今だってきっとそう。俺が何かしてしまったんだ。だから彼女はまた泣いている。


 「やっぱり……ごめん、ジャンヌ」

 「ですから別に貴方の所為では……」

 「でも謝りたいんだ。だって、ジャンヌがそんな風に取り乱すのって……元を返せば俺の所為なんだろ?俺が不甲斐ない王だから、カーネフェルをちゃんと守れないから、だから貴女は……」


 彼女の喜怒哀楽は、常にカーネフェルという国のためにある。そんな風に俺は考えていた。彼女自身もそうだと思っていたのか?俺の言葉にそれを気付かされたのか、悲しそうに首を横に振る。


 「違います……」


 呼吸を整えるように彼女は息を吸い、数秒おいて教えてくれた。呟くような、囁くようなその声で……彼女は言った。親友が亡くなったのだと。


 「ごめんなさい、こんなこと……誰だって。貴方だって、私の知らない大勢の人達だって味わったことなのに」

 「ジャンヌ……」

 「駄目ですよね、いけませんね私……」


 気丈にも彼女は涙を拭う。それでも……


(他の誰かは、ジャンヌじゃないじゃないか)


 彼女が今悲しんでいるのは、他の誰にも、俺にだって代わることが出来ないことで、その辛さは彼女しか解らない。そんな風に無理矢理自分に言い聞かせたってきっと良くない。辛いときに辛いってちゃんと言葉にして言うことって、大事なんじゃないか?


(姉さん……)


 アージン姉さんもそうだった。俺に一度だって弱音を吐いたことがない。だからだろうか?その償いに?俺は同じ聖十字だった彼女にそうしたいと思うのか?


(違う……)


 目の前で泣いてる女の子が居るのに、放っておくなんて出来ないよ。


 「どんな人だったの?」

 「……はい?」

 「いや、ほら……ええと。もし俺で良かったら……聞きたいなって思って」


 その場に寝転んだ俺を見て、彼女もそれを真似て芝生に寝転ぶ。こうやって空でも眺めていれば涙もやがては渇くだろう。それまで俺が彼女の話を聞いていたい。


 「ジャンヌがそこまで取り乱すんだ。きっといい人だったんだろ?」

 「べ、別に私と彼は」

 「きっと凄い人だったんだろうな」

 「あ……、は、はい」


 俺の言葉を誤解しかけた彼女だったが、すぐに違う意味だと理解して、少し顔を赤らめた。だけどそれもすぐに消えて、昔を懐かしむよう悲しく笑う。


 「彼は……本当に凄い人です。私にとって大切な友人で……私はこの国のためにしか戦えない。私の正義は一方しか見ていません。でも彼は違いました」


 大きな空を見るように、彼女は遠くを見つめる。


 「私も彼も戦争により多くを失った。私はこの国を守りたくて聖十字に入ったけれど、彼はそれよりも先に世界を国を正すことが必要だと考えて……戦って終わらせるんじゃない。戦争その物を無くすために無法王国セネトレアに秩序をもたらそうと、そう夢見たのかラハイアです」

 「セネトレアに、自分から志願するなんて……凄い人だったんだ。やっぱり」

 「貴方もあの国をご存知でしたか?」

 「ああ、覚えては居ないんだけど……一回行ったことがあるみたいなんだ」

 「みたい、とは?」

 「うーん……今日は俺がジャンヌの話聞きたいからまた今度話すよ」

 「私には話せない話ですか?」

 「そうじゃなくて」


 ネガティブ入ってるジャンヌは疑心暗鬼気味だ。俺が彼女を信頼していないのではないのだと、ちゃんと説明しなければ。


 「あのさ、俺は色々あったけど……やっぱり幸せなんだと思うよ」

 「幸せ……アルドール、貴方そんな無理は」

 「いや、だって本当だろ?こんな俺を守ってくれる人が大勢いる。俺は一人じゃまだまだ何も出来ないし、みんなに助けて貰ってばかりだ。それって幸せなことなんだって思ったんだ」


 探せば悲しいことは幾らだって見つかるかも知れない。それでもその中にも何か光はある。それを見つけることを忘れちゃ駄目だ。泣いてばかりじゃ居られない。泣きたいときほど笑うんだ。情けない王はいつかは卒業しなきゃいけないから。

 そう思って探してみると、嬉しい事ってあるものなんだよな。姉さんを失った時も俺の傍にはイグニスもフローリプもルクリースもいてくれた。ルクリースの時はユーカーが俺を守ってくれた。フローリプの時だってイグニスが俺を支えてくれた。

 北部の旅だって、トリシュがいたから随分俺は笑えたよ。セレスちゃんのことになると、彼は本当に面白い人だった。そうだな、パルシヴァルにも癒された。ランスとの関係に俺は距離を測りかねていたけどさ、ランスはいつも一生懸命俺を守ろうとしてくれていた。こんな俺のことなんかを。

 守って貰っている俺が自分を不幸だなんて言えば、俺を守っているみんなまで不幸になってしまう。そういうのは嫌だと思う。気持ち一つで何が変わるわけでもないけれど。


 「だから誰かと自分を比べて不幸自慢みたいな事したくないし、それでもし哀れまれてさ……相手に気まずい思いをさせたくないんだ。そういう気を使われた顔見るの嫌だし」

 「貴方らしいですね」

 「え?俺……らしいって?」

 「哀れまれるのが嫌なのではなく、その時の相手の心を思いやる。本当に……貴方は優しいんですねアルドール」

 「プライドがないだけだよ。情けないって妹によく怒られたよ」


 小さくくすっとジャンヌは笑ってくれる。だけどすぐ後に再び声のトーンを暗くした。暗くしたと言うよりは、感情を殺したと言うべきか。


 「アルドール……貴方が怒るとすれば、それはどういう時ですか?」


 その問いかけは、彼女にとって必要なことなのだろう。自分の気持ちと向き合うために。それなら俺は出来るだけ正直に答えたい。


 「俺は……俺の所為で大切な人が傷付けられたり不幸になったりすることかな」

 「……そう、ですか」

 「俺は結構痛いの慣れてるし、自分が打たれたり蹴られたりする分には構わないんだけど、……そうじゃないのは見ててこっちがぎゃあああってなるから」

 「慣れてる?」

 「あ、いやこっちの話」


 笑って誤魔化す俺に、ジャンヌが今度は悲しそうに微笑んで……それから小さな声で呟いた。


 「私は……私の怒りは、このカーネフェルのため。これまでずっとそうでした。だから動揺してるんです。私は彼らを失ったことで……こんな個人的な怒りを覚えるなんて」

 「ジャンヌ……」

 「セネトレア女王……タロックの刹那姫。彼女の悪行はシャトランジアにいた私の耳にも届いています。何ら恥じるところがない、私の自慢の友人を!彼女は無実の罪で殺したのです!彼の理想も信念も……抱いた正義も何もかも、権力の前には意味を成さないことなのでしょうか!?」


 両腕で彼女は目を覆う。空を見上げて彼女は泣いた。俺は彼女の親友がどんな人だったのかよくわからないし、彼女の話す彼の姿から、それはぴたりと彼女に重なって聞こえている。彼女と気が合うような人なんだ。きっとジャンヌに似て、清く正しい人だったんだろう。今泣いている彼女は、勿論その人のためだろう。それでも俺には違って見える。彼女は未来の自分を嘆いているよう……どんなに正しいことを語って道を歩いても、正義は必ずしも報われないのではないか?俺はそう問いかけられている、そんな気がする。

 世界のために、国のために、誰かのために、そんな風に命懸けで尽くしても、幸せになんかなれない。見返りを求めての正義じゃない。それを理解していても、その末路が無惨な死。その先の世界が何も変わらないのなら、本当にその人達は何のために生まれて何のために死んでしまったのだろう?答えられる答えはない。答えられるはずがない。俺はまだ、生きているから。


 「あのさ、ジャンヌ」


 俺は彼女の方へと寝返って、彼女の顔を眺め見る。


 「凱旋って知ってる?勿論単語じゃなくて、トライアンフの行列のことなんだけど」

 「はい?」

 「その元は歌集なんだけどさ、俺の養子先の家が、トリオンフィ家って言うんだけど、その本のタイトルに由来してて。それで家には結構それ関連の本もあったんだよな」


 急に話題を変えた俺を訝しむ間もなく、ジャンヌは目を瞬いている。驚いているんだろうか?


 「ええと、知らないかな」

 「え、ええ。士官学校では習いませんでした」

 「あ、あはは……うん、そうだと思うよ。習うとしても芸術とかの方面だと思う。死の舞踏とかのルーツについてでも教わらないとなかなかね……」


 ジャンヌはどっちかって言うと体育会系だろう。あんまり興味ないかなと、少し不安になりながらも俺は説明を続けてみた。


 「その行進は後から現れる者程強くてさ、順番が……愛、純潔、死。それから名声、時、永遠。愛に囚われた人を救うのは純潔だし、純潔も死の力には抗えない。でも名声は死をも越える」

 「でも、それだって……時間の前には敵わないのでしょう?」

 「……そうだな、もし俺が最後の一人になれたら。立派な王になれたら……その時は国を治めながら本を書こうと思うんだ」


 そんなことは俺にとっても初耳だ。だけどジャンヌと話していて、そんな言葉が飛び出ていた。自分の言葉を自分の耳で聞いてみて、それも良いかもしれないと俺は思う。


 「この戦いで亡くなった人がいるのなら、その人。ある程度名が知られている人は、歴史書として。有名じゃない人は、……物語として残すんだ。その人の名前と、その人がどんな人だったかを……心を込めて書き記す。俺の文書が下手なら、そういう才能ある人雇ってその人達の名声を未来に残してみせる。その人が生まれたことも、生きていたことも……死んでしまったことも、それが無駄だったなんて、絶対に言わせない。相手が神様だって、俺は……」


 そこまで言って俺は何かを思い出す。言われた、言われた気がする。それと似たようなこと。無駄だとか、無……そう、無意味って。白い雪原、俺は……僕は誰かと。


 「アルドール……」

 「え、ああ!ご、ごめん」


 信心深いジャンヌの前で神を否定するなんて、また打たれても仕方ないと身構える。ぎゅっと目を瞑った俺を見て、じゃんぬが「あっ」と何やら驚いた声。恐る恐る目を開ければ、彼女が俺のポケットを指差している。今の拍子に、半分飛び出てしまったのか。彼女から貰ったハンカチだ。


 「持っていてくれたんですか?」

 「あ、うん。勿体なくて使ってないんだけど……使う?」

 「貴方って人は!」


 デリカシーのない俺に、もうと呆れた様子で苦笑いするジャンヌの目にはもう涙がない。どうやら必要ないみたいだ。


 「使って下さい、その方が勿体ないです。なんなら汚れたらまた作って差し上げますから」

 「え、本当?でも貰ってばかりも悪いしな、俺も何か考えないと」

 「アルドール!」

 「うわっ!」


 突然すっくとその場に立ち上がったジャンヌに怒鳴られる。俺を見下ろす彼女は怒っている。国とかに対する怒りじゃなくて、俺のことを怒っている。


 「貴方は王なのですから、そんなことは気になさらないでください!」

 「それならジャンヌだって王妃様じゃないか」

 「え……あ、そ、そうでしたね……何だか実感が無くて」

 「あー、解る解る」


 俺に同意され、何だか微妙な感じの表情を浮かべるジャンヌ。何だか姉さんを相手にしているはぐらかし行為にちょっとタブって見えて来て、罪悪感が胸を刺す。女心は複雑なんだ、あんまり茶化すのも良くないか。かといって、彼女が喜ぶような言葉を並べるのも何かが違う。彼女だってそういう言葉が欲しいわけではないはずだ。余計に嫌われてしまうはずだよ。


(だけど……)


 イグニスが言うように、ジャンヌと普通に夫婦らしくしても良いって……そんなこと無理だ。俺が変な空気にならないように茶化してる所為もあるけど、仕方ないよな。俺も彼女もそういうことは今は考えられないし、国の一大事に何を言っているんだってなる。俺の守護のために与えられた名目なのだ、それ以上を求めては彼女にとっても迷惑だろう。


 「そう言えばアルドール、よくも会議をサボりましたね!」

 「痛ててててっ!」


 ジャンヌにほっぺたを引っ張られる。手加減はされているのだろうけど、俺より筋力のありそうな彼女の本気三割程度でも、割と痛い。いや、養母さんの折檻に比べたら大したことはないけどさ。


 「じゃ、じゃんぬひゃん、ほういふの、ぶへえはっていってらかったっれ? (ジャンヌさん、こういうの、無礼だって言ってなかったっけ?)」

 「健全なる王の育成のためには多少の無礼も厭いません。お気に障ったのでしたらこの戦が終わってから私を処刑でも何でもなさいませ!」

 「いや、そんなことはしないけど」

 「それで?この大切な時に一体何をなさっていたのですか!?」

 「いや、ほらセレスちゃんがほっとけなくて」

 「嘘ですね!セレスタイン卿は普通に会議室に入ろうとしていたじゃありませんか!」

 「解った!解った!会議室に戻るから」

 「アルドールっ!そうやって逃げる気ですね!」


 *


 アルドールが立ち止まっている内に、俺は昼寝場所を違う木の上へと移した。そこにあの女が現れて一騒動。気まずいので息を殺して居ない振り。ようやく話が落ち着いた感じなので、こっそり退散しようと思ったのだが……そこで出会した奴が居る。


 「……お前」


 ユーカーは言葉を失った。掛ける言葉もない。この男、こんなに間が悪かっただろうか?振り返ってみて割とそうだったことを思い出す。物陰から庭先を見つめるランスの目に入ったのは、明るさを取り戻したジャンヌ。今のランスには酷だろう。


 「アルドール様は、流石だな」

 「お前、何言って……」


 全然そんなこと思っていないような顔して、心にもないことを言う。今お前は嫉妬しているよ。俺には解る。そんな無理して、大丈夫なのか?そんな穏やかな笑みを浮かべたところで、お前が笑っていないのは知ってるんだよ。


 「俺はジャンヌ様に掛ける言葉がなかった。それをあっと言う間に……あんな風に笑わせている」

 「そりゃお前、あいつは馬鹿でお前はそうじゃないってだけの違いだろ?人間馬鹿かそうではないかを比べたら、後者の方が絶対に良いじゃねぇか相対的に圧倒的に。お前がお前を卑下する必要なんかないだろ」

 「……欠点がないのが欠点、か」

 「いやお前、自分で思ってる以上にお前欠点あるからな。また欠点がないのが欠点とか言ったらぶん殴るぞ?」

 「流石にそろそろ俺も自覚したよ」


 そこでランスが苦笑する。そんな顔にも苦渋の色が見て取れて、俺は居心地の悪さを感じてしまった。


 「唯、俺みたいな人間より……愛すべき欠点があるアルドール様の方が、ジャンヌ様にとって良い関係を築けるというのは事実だろう?俺の欠点は……彼のようにはいかないよ」

 「ランス……」


 確かにお前は面倒臭い奴だ。それでもお前だって俺から見ればアルドールの阿呆なんかよりずっと愛すべき馬鹿野郎なのだ。


 「今になってあの男の言っていたことが少し解るのが何だか嫌なんだ」

 「お前の親父か?」

 「ああ。……俺も少しは女性に免疫を付けていれば、ああ言う時、……もっと誰かを救う言葉を作れたんじゃないかと」

 「気に病むなって。あのおっさんなら問答無用で寝技に持ち込むだけだろ。そんな言葉出るわけねーって」


 これは重傷だ。このランスがよりにもよってヴァンウィックなんかに縋りかけるなんて。


(っち、仕方ねぇ)


 トリシュのことが片付いたと思えば、俺はまたこの男に振り回される運命なのか。八つ当たりでも構わない、俺はあの馬鹿を大声で呼ぶ。


 「おいこらアルドールっ!」

 「セレスちゃん!良いところに!助けて!」

 「誰が助けるか!いい加減それ止めろ!ってさっきも何回かそれ言ってたろ!?てめーみたいな奴は俺がとっちめてやる!こっち来い!」


 俺の方へと飛び込んでくる馬鹿の首根っこを捕まえて、俺は物陰へと引き摺っていく。


 「セレスタイン卿!アルドールにあまり手荒な真似は」


 今の今まで頬を抓っていた女が何を言うのやら。呆れながら教えてやった。


 「俺は都に着いて行かねぇ。だからこいつに少し剣を叩き込んでやるって言ってんだよ」


 この阿呆はランスに剣を教えられたことはあったが、結局パー坊に負けた阿呆だ。ランスの奴、目上の人間が相手だからって手を抜いたとは思えないが、甘やかさなかったと言えば嘘になる。このへたれの神経叩き直す口実で、しばらくランスをあの女と二人きりにさせてやろう。俺の見事な機転だった。俺は良い仕事をした。ランスの顔も心なしかいつものイケメン面に戻りつつある。爽やかに俺に向かって微笑んでいる。


 「まぁ!それは素晴らしいことですね!」

 「……は?」


 ここで俺は予想だにしない言葉を送られる。あの女、こともあろうに……今のランスより良い表情で微笑んでいる。この女……精神的に大丈夫なんだろうか?泣いたり怒ったりもう笑ったり。喜怒哀楽が激しすぎないか?俺は少し不安になる。


 「アルドール、折角です!私も一緒に指導させて頂きますね!騎士様方のような型を覚えるよりもまずは基礎!基礎をこなすためには体力作りと筋トレが大事になります!まずは腹筋、スクワット、腕立て伏せ、それから」

 「ユーカーぁあああああっ!なんてこと言うんだよ!ジャンヌに火が付いちゃったじゃないか!」

 「知るかっ!つかあんな奴だったのかあの女!?」

 「それじゃあ三人でこの城の周りを10周しましょう!」


 眼をキラキラと輝かせてとんでもないことを言い出した。一周何㎞あると思ってんだ。日が暮れるぞ!?


 「あ、あのですねジャンヌ様。南下はまもなくですし、体力も使います。アルドール様にとっては辛い旅になるでしょう。今は体をしっかりと休ませることが大事なのでは?」


 アルドールがそろそろマジ泣きしそうだ。流石に見ていられなくなったのだろう、ランスが助け船を出しに来る。


 「ですがランス様」

 「体力作りに適した行動は何も筋肉を酷使するだけではありません。身体作りには適した食材を摂取することも大事かと」

 「……なるほど、一理ありますね。でも私料理の方は……軍では携帯食ばかりでしたので」

 「僭越ながら俺で良ければ、お教えしますよ」

 「ほ、本当ですか!?」


 しかしその助け船、俺の聞き間違いでないのならどうにも泥船の気配がする。

 これまで戦うことしかしてこなかった女に、あのランスが料理を教えるなんて。とてもじゃないが良い物が出来るとは思えない。きっと不味いに決まってる。


(おい、どうしてくれんだアホドール)

(んなこと俺に言われても……あ、今度それ言ったら俺もずっとユーカーのことセレスちゃん呼びするからね!)

(うっせー!馬鹿ドールが!)


 話弾むランス達を尻目にこっそり逃亡を図っていた俺とアルドール。目敏くそれに気付いたジャンヌがにっこり微笑んだ。ある意味その笑顔は、先程までのランス以上に恐ろしい。


 「ではセレスタイン卿、食事までの時間、アルドールの教育をお願いいたしますね!私達は疲労回復のための料理を作って待っています!」

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