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41:Qui tacet, consentire videtur.

 「……トリシュのこと、チェスター卿のこと。何かあったんだろう?話してくれないか?」

 「別に何にもねぇよ」

 「……二人の件はあまりに事象が酷似している。そしてイグニス様の使った精霊……あれは自然の精霊というよりは、物質の媒体。ある種の人口精霊だろう。俺が見たこともないような精霊だ。成長や元素の量により姿を変える精霊はいるが、あそこまで別物に変わる精霊なんて」

 「…………何が、言いたい?」

 「俺が思うにあの精霊が、別の形状になるためには、必要なエネルギーがあると思う。例えばそれが……人の記憶とか」


 とんでもないところに来てしまった。トリシュが再び寝入った後、アルドールはユーカーが心配になった。そうしてブランシュ城の中を探ってみてしばらく、やっと見つけたユーカーは、城の屋上でランスと話し込んでいた。それは一向に構わないけれど、問題はその会話内容。

 胡弓弾きのカミュルから耳打ちはされた。トリシュがユーカーのことを忘れてしまったようだとは。だけどその理由まで分からなかった俺に、その仮説は重すぎた。


 「こんな所で盗み聞き?」

 「い、イグニス!?」


 階段の下に現れたイグニス。慌てて駆け下りた俺に、彼女は呆れたような視線を送る。


 「君は彼らより、僕に話が聞きたいんじゃないの?」

 「そ、それは……」


 二日前の戦闘。気になることは沢山あった。それでも弱っていた俺は、優しいイグニスの数術に、思考の一部を停止したのだ。二日も君も休んだだろう?そろそろ考える時期に入っているよと彼女は俺に示唆するように俺を招く。


 「……こっちに来て。話をしてあげるから」


 言い返すことも出来ずに頷くしかない。彼女に従い着いていく。空室に入ると、そこで彼女は結界を張る。


 「それで?君は何が聞きたい?」

 「……トリシュが、ユーカーのこと忘れたのって」

 「おいでシルヴァン」


 イグニスが歌うように綺麗な声で呟くと、空気が光って小さな生き物が現れる。苔むしたそれを土の精霊だと彼女は言った。


 「この子はシルヴァン=ウィリディス。教会の建物から生じた精霊。だから教会の石像や柱の形に変わることが出来る。今の形状がグリーンマン、一昨日の戦闘でのあれはガーゴイル。前者は回復数術が得意。数術代償は回復される側の人間の記憶」

 「それじゃあ……ランスの言っていた事って、本当に?」

 「流石に精霊数術使えるランス様には気付かれてしまったみたいだね」

 「なんで、そんなこと……」

 「トリシュ様の幸福値はそろそろ危ない。術者にとって負担の少ない精霊を持たせたいっていうのは真理だろ?小さい傷ならどうでもいいような記憶で直してくれる。今回のはトリシュ様が瀕死になったのが問題だ。だから彼にとって一番大事な記憶をこの子は食らった。僕がおかしな事を言っている風に聞こえる?」

 「…………そうじゃ、ないけど」

 「それにこれは敵にとっても有効な技なんだ。奪われる記憶は、その場に居る人間が盗み見ることが出来る。死にかけた敵を助けて恩を売り、情報を抜き出すことだって時には叶う。こっちにとって都合の悪い記憶を奪うことだって、そう難しくはない」


 イグニスの言葉は間違ってはいない。有効な手だ。


(でも、それならどうして?)


 イグニスはあの少年を連れてきた。それはユーカーかトリシュ……誰かが瀕死になるだろうことを見越していたようにしか思えない。そこまでイグニスには解っていたから、最善の策を練った?


 「あの子を戦列に加えたことが不服かい?」

 「……うん」

 「そう言うと思ったから、僕はこれまで彼を召喚しなかった。しばらくはマリアージュ達のサポートだけで事足りると思っていたからね」


 奴隷商から助けたはずの子が、どうしてこんな所にいるのか。それを問うても、返ってくる言葉は虚しい。あの子を呼んだのは、マリアージュを死なせた俺達の不甲斐なさが原因だと、責められている。そう思うのは俺が卑屈だからか。


 「あんな精霊……連れていたなら、どうしてもっと早くにって君は言うつもりだろうか?」

 「!」

 「知っての通り、あの精霊は曲者だ。記憶を奪ってルクリースさんやフローリプさんを直したところで、結局の所意味はない。幸福値が完全に尽きた彼女らを救う手立てはないんだから。それでも何か共有したい記憶があった?」


 もっと多く、死者に縋る未練が欲しい。そんな甘えはイグニスに叱られる。


 「彼女達と情報の共有は出来ないよ。フローリプさんは兎も角、ルクリースさんは絶対駄目だ。最悪君の脳に影響が出る」


 俺は奴隷になったときに、数術使いに脳を弄られている。養子奴隷として最適化されたのだ。過去の記憶に触れるようなことがあってはならない。それは理解できるけど……


 「教えておくべきだったかな。アルドール……どうして彼女があれだけ君を大事にしていたのか」

 「え?」

 「僕にとってのギメルが、ルクリースさんにとっての君だったんだよ。彼女がそれを明かせなかったのは、そうすれば彼女は君を本当の名で呼びたくなってしまうから。そうなれば、君の記憶はリセットされる。彼女は今の君を守るために、過去の思い出全てに蓋をしたんだ」


 突然明かされた真実に、俺は目を白黒させる他何も出来ない。その間にもイグニスは、言葉を重ねて俺を追い詰める。


(ルクリースが……)


 彼女は深い海色の目をしていた。船で、数術使いに姉弟に間違われた。彼女は何時も俺を守ってくれた。彼女は俺なんかのために泣いてくれた。気付こうとすれば幾らでも思い当たる節はあった。それでも言われるまで解らなかった自分自身が解らない。


 「精霊シルヴァン=ウィリディスはエフェトスの被憑依数術と合わさって、真価を発揮する。彼を戦列に加える以前に用いても、意味を持たない」


 耳から聞こえるのは、今度はあの少年のこと。寝たきりの人間やもう助からない人間だったとしても、彼の力があれば暫くは戦線に出られるし、最悪遺言だけは貰うことが出来る。そう言われれば確かにあの子の数術能力は魅力的ではあるけれど。


 「僕だってあの子を早々に戦場には出したくなかった。大事な切り札の一枚だからね、道化師に手の内の多くは知られたくない」


 イグニスが回復数術を使えないと言っていたのも、あんな精霊や教会兵器を持っていたことも、幾人もの切り札的手下を従えていたことも。イグニスはなかなか明るみに出そうとしなかった。それを早々に打ち明けさせようとしてしまったのは、今俺達の置かれている状況が、あまりにも絶望的だったから。背水の陣を打ち破るためにも、イグニスは手の内を明かすことになった。


 「……あの子のカードって、なんなんだ?」

 「彼のカードはナイト。Kだとキングになるから、それを反転させた文字が刻まれる」

 「ナイトって?」

 「言っただろ、ペイジが明確な願いを抱くと強くなるって。出たり消えたりの内は、ペイジの紋章だけどね。紋章が現れ定着したのが彼、ナイトだよ」

 「でも、……あの子って瀕死とか昏睡状態の人間しか憑依させられないんだろ?」


 ブランシュ領に侵入する際、イグニスが二人いた気がすると言ったのはジャンヌとトリシュ。その言葉を信じるなら、イグニスは……こんなにピンピンしているはずがない。


 「それか並列処理出来る人間か」

 「並列処理?」

 「僕は同時に二つの場所の物事を、脳内処理したってこと。混血の数術使いなら、そう難しい事じゃない。……もっともこの場合、僕が彼に信頼されてなければならないけどね」


 何を憑依させるかを決めるのはイグニス。あの子はそれに従っているだけ。それでもそこに信頼関係がなければそれは出来ない芸当だという。


 「それって、あの子がお前を……父親だと思ってるってこと?」

 「それがあの子の望みだからね」


 俺もジャンヌもランスもだ。お父さんと問われて、それを肯定した人間は居ない。受け入れたのは、イグニスだけ。イグニスのしていることは……親への恋しさを募らせた子供を宥めて優しく語りかけ、戦争道具にしたてあげること。混血と奴隷の解放を口にしていたイグニスが、混血をそんな風に使うなんて、俺は信じたくなかった。それでもそれがあの子の望みだと、イグニスは肩をすくめる。


 「それじゃ、願いって言うのは……」

 「残念だけどねアルドール、君がうだうだ悩んでいる暇はない」


 この戦争を終わらせるために、多少の清濁厭わず飲み込む覚悟をイグニスは持っていた。一国の王が、出来るだけクリーンな勝者になりたいなんて言うの甘えだと、そう告げられているような気がする。


 「今日明日にでも都に向かって進軍しなきゃ。タロック王を追い出したこの波に、今乗らないで何時乗るの」


 この二日で、イグニス率いる聖十字は情報活動に勤しんだ。タロック王をカーネフェルから追い出したこと。そのために活躍したジャンヌのことを褒め讃えたのだ。北部はこれまでにない興奮の渦に包まれている。ちょっと怖くなるくらい。セレスちゃん騒動なんかもう足元にも及ばない。確かにこの勢いなら都を取り戻すことも出来るかも知れないけれど……国が戦況が、どんどん俺の手から離れていくようで何だか怖い。


 「エフェトスを哀れむのなら、救いたいと思うなら……僕を批判するのなら、せめて南部を取り戻してからにして欲しい。彼の故郷はまだタロックの手の中にある」


 それさえ成さずに批判するのも哀れむのも、偽善に過ぎないとイグニスに罵られた。悔しいけれど、俺には対抗する言葉がない。イグニスの言葉は、本当に真実だ。


 「午後から会議をするから、そのつもりで」


 *


 兵を連れ出すような数術代償が今は無い。飛ばされた先で、人を襲って少し回復したけれど、これから残りの兵を迎えに行くような余力はない。


 「どうする須臾?」


 飛ばされたのはカーネフェルの漁船。乗組員達を殺したお陰で、僕らがタロックに帰るくらいの力はある。


 「そこはやっぱりちゃんと戦って貰わないと」


 主の返事が聞こえるより前、知らない少女の声がした。


 「だ、誰だ!?」

 「はじめまして、タロックの王様。それから私と同じ数術使いさん」


 赤いドレスを纏った可憐な少女。髪こそカーネフェルの金。しかしその目は琥珀、純血のそれではない。


 「混……血?」


 いや、この顔は見覚えがある。


 「お前、シャトランジアの!」


 そうだ。シャトランジアの神子にそっくり。それを指摘すれば、少女はからからと明るい笑みを溢した。


 「ああ、お兄ちゃんのこと?」


 確かに混血は男女の双子で生まれる。その言葉は信憑性には足りるけど……何故神子の妹が、僕らと接触を図るのか。この流れ、僕らをあそこから助けたのは、この少女である可能性が高い。


 「お礼は別にいいからさ。ね、私と取引しない?」

 「取引……?」

 「ブランシュ領に残った兵をタロックに送ってあげる。それに王様も。向こうには危ないカード沢山揃ってきたもんね。しばらくは王様は前線に出ない方が良い。カーネフェル王の護衛達が消耗して死ぬためには、時間が必要。そのためにはいきなりタロックと戦うのではなく、ワンクッションが必要」


 カーネフェル王のバックにはシャトランジアが付いている。そうなればカードとしての戦力の差は埋めようがない。


 「小娘、何を企む?」


 この少女の含んだ物言いに興味を持ったのか、須臾が少し笑いながら問いかけた。


 「まずはセネトレアと戦わせるの。どちらが勝っても問題ないでしょ?セネトレアは武器こそあれど、戦力はそこまで高くない。第二公は今、戦える状況にない。第五公の陸軍、城と商人組合の持つ海軍、その辺がどこまで頑張れるか」

 「ふむ」

 「当然セネトレアはタロックを頼ってくる。そうなればこれまで出し惜しみしていたような武器の譲渡もあるはずだよ。そうなれば、シャトランジアの教会兵器を前にしても、遅れは取らない。そうでしょう?」

 「それで我が其方の申し出を拒めば?」

 「その時は少しカーネフェルの方が有利になるように、そう言う情報カーネフェルに流すだけ」


 嗤う少女が翳した掌、そこには逆さまにしたJの文字。いや、あれは鎌を刻んだような紋章。


 「改めまして始めましてタロック王。私はこの審判における最強カード、貴方の天敵ジョーカーです」

 「じ、ジョーカー!?こ、これが!?」


 一時は自分がジョーカーだと信じて疑わなかったエルス。それが誤りであったと、本格的に後押しされた。


 「……セレスタインの奴」


 あの男が言っていたこと、そう誤りでもなかったようだ。しかし考え耽る暇もない。相手が道化師だと言うことは、僕にとっても須臾にとっても今は絶体絶命に等しい。


 「ふっ、我らに風が吹いていたのは其方の所為か」

 「え?」

 「楽しかったでしょ?私アルドールが嫌いなの。アルドール達が有利になるようなこと、したくないから」


 道化師と須臾が失笑し合う。その反応に思い返してみれば、確かに須臾は最弱のカードだというのに、幸運に守られすぎていた。それはこのジョーカーが味方に付いていたからなのか。


 「世界すべてを陥れる阿鼻叫喚の渦、か」


 それも悪くないと須臾は笑った。


 「シャトランジアとカーネフェルには借りがある。セネトレアにしても、刹那の采配を見るのも一興か」

 「ええ?あの女、戦のやり方なんか解るの?」

 「解らぬ。解らぬ故に、面白い。セネトレアなどに嫁ぐなど、何を血迷ったかと思うたが……あの娘はこうなることが以前より見えていたのやもしれぬな」


 それは我が子の成長を楽しむような不思議な響き。須臾は、刹那姫が戦争という大舞台で何をしでかすかを楽しみにしているようでもある。


 「時間稼ぎならば、我も望むところ。少しばかり調べたい事柄もある」

 「……つまりそれを調べれば、私との取引成立ってことですね?」


 須臾はそう言うつもりで言ったのではない。それでもより前向きに応じられるよう、道化師は須臾に土産を持参するつもり?


 「わかりました。セネトレアとカーネフェルの戦いが終わるまでにそれを調べておきましょう。私が貴方を殺しに行くのは、他の三枚のAが倒れてからにしてあげますから」

 「聞かぬのか?」

 「聞かなくとも、貴方の顔に書いてあります。私が必ず生きた那由多王子を貴方の前にお連れしますよ」


 にっこり女は微笑んで、すぅと姿を消した。いや、違う。僕と須臾が飛ばされたんだ。飛ばされた先はタロックの城。


 「信じられない……あの女、自分が知らない場所に転送するなんて!」


 そこは謁見の間。辺りには大勢の捕虜達が座り込んでいて、牢から救われたことに驚きを隠せずにいる。


(それも、これだけ大勢の人間を)


 恐ろしい女だ。僕だって代償を支払わなければこんな事は出来ないのに。あの女……契約数式を使ったようには見えなかった。


 「呪術師様、俺達を助けてくれたんですね!」

 「え。ボクは……」

 「呪術師様万歳!須臾陛下万歳!」

 「いや、あの……」


 あの少女の話術なのか数術なのか。救い出された捕虜達は、助けたのは僕らと言うことになっていて、僕や須臾への忠誠心が増していた。これは一体どういう事だ。わけがわからないと須臾を仰ぎ見る僕。そんな僕に向かって、須臾は薄く笑む。


 「なかなか愉快な娘ではないか。しばらくあれに世界を遊ばせるのも楽しかろう」

 「須臾……」


 楽しそうに笑う須臾に、僕は不安を隠せない。


(那由多王子、か)


 結局僕は……彼の代替品でしかなかったんだな、本当に。

 須臾が面白いと愉快がる相手はもう、僕以外にも……いるんだ。



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