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37:Mens agitat molem.

 山が燃える。海が燃える。人が燃えて消えていく。

 景色が消えて、音が消えて……みんなみんな、消えていく。その内何もかもが無くなって、僕だけが暗いところでじっと息をして居るんだ。

 やがてそこから連れ出され、いろんな手が僕に触れる。温かい手。生きている手。気持ち悪い手。生温い温度。

 その手は僕を船へ乗せ、海の向こうへ連れ出した。その手はやがて僕を引っ張り、山の上へと連れて行った。山の上の教会は、暖かく生温く、何処か息が詰まる。僕の見たもの、聞いたもの。その全てを無理に遠ざけたような、目隠しの世界。そこは僕にとって現実味のない場所だった。それは僕を袋詰めにする奴隷商の腕のように、不気味な生ぬるさ。それを事実として僕は唯、眺めていた。その山の上で、僕に触れた何人目の腕だろう。シスターじゃない。ドクターでもない。勿論……お父さんでもない。


 「はじめまして」


 その人はそう言って僕を抱き締めた。

 綺麗な金髪。だけど目の色は琥珀色。青ではない。また、父さんではなかった。シャトランジアに来てから何人もの金髪に会った。だけど父さんは居ない。何処にも居ない。教会の何処を探しても見つからないんだ。辛いこと、悲しいこと。それから逃げるように、無理に心を浮上させなくて良い。ずっと沈んでいても良い。希薄でいても構わない。僕の心を魂を、海の底に埋めて構わないと言うような、冷たい両腕に包まれた。

 寂しいとか、悲しいとか。そういことはもう解らなくなっていて、唯冷たいと思った。その腕が。


 「お、……父……さん」


 そうだ。父さんに似ている。冷たい腕が、この体温がよく似ている。死んでいく人の体温。死んでいる人の体温。その温度にくるまれると僕も眠くなる。死の眠りに片手を引かれ、落ちていけば……僕はもう何も感じない。それを冷たいと思う心も、ゆっくりと眠りに就く。


 *


 重々しい扉。まずは挨拶だ。

 契約数術は時に便利。代償がそれぞれ別にあるから、幸福値を気にせず使用できる物もある。今は幸福値を気にする必要はないけれど、後々問題になるからやっぱり消費は押さえていきたい物だから。

 雷撃で扉を相手の方向へ吹っ飛ばすのは演出としてはまぁ、及第点と言ったところ。相手がどの程度数術を使いこなしたかを量る意味でも。


 「初めましてタロック王。先日は貴方の所の数術使いに随分世話になりました」


 玉座に座した男は、風を操り襲い来る扉から身を守る。なるほど、多少は風の数術を理解しているようだ。それでも毒使いが屋内戦をするのは賢いとは言えないな。


 「……すると其方がシャトランジアの神子か」

 「いいえ、最近出世しましてね」


 胸元の命の十字架を見せて、イグニスは笑った。


 「名乗りましょうか?僕はイグニス=ベルンシュタイン。聖教会改め、シャトランジア教皇。即位はまだですけどね。ここから貴方がたを追い出してからということになりそうです」

 「ベルンシュタイン……?」


 名乗った苗字がタロック語であることに、タロック王は反応。そして僕をじっと見つめて、ようやくその正体を悟ったように笑みを浮かべた。


 「琥珀卿に子があったとは、ふっ……なんともそれは、面白い」

 「カードとして僕がここで貴方を殺すことは容易いんですがね、残念ながら幾ら喧嘩を売られたとは言え平和主義者の僕が直接手を下すことは世論が許さない。だから貴方には一つ、力ある言葉を授けましょう」

 「ふっ、許そう。言ってみるが良い」


 僕はすぅと息を吸い、契約数式を展開。夥しいかずの0の数式が広間一帯を包み込む。繰り光は鎖となって、目の前の男を縛り上げ、滅びの言葉を刻み込む。


 「では。“狂気の淵はまだそんな浅瀬ではない。何も見えない暗がりだ。そこにお前を突き落とすは過去の亡霊。銀の刃は眠りの森を率いて夜になる。貴様を刈り取る夜となる”」

 「銀色の……?」


 その単語にタロック王が思い出すであろう人物は、己が殺めた愛しい我が子。この男を狂わせた元凶の名。


 「その剣をいずれ僕が彼を貴方に差し向けますよ。その日まで脅えて、歓喜して待つが良い。貴方の苦悩はまだ終わりませんよ、そんなのまだまだ生温い」


 それまで無感動であった男の深紅の瞳に、初めて感情らしい感情の火が灯る。凍った血がどくどくと、身体を流れ胸を打つ。男に再び、僅かばかり生きた人間の顔を取り戻させる。


 「ふっ……それが偽りであれ、真実であれ……か」

 「ええ、そう言うことです。貴方はここで引かざるを得ない」


 無理をすればここでタロック王とエルスは討てるかもしれない。しかしそうなった場合世界は混乱を極める。第一……そもそもそれはそうすんなりとはいかない。道化師は姿を隠したとは言え、まだ近くに潜伏している。ならばここでタロック王を討つのは難しいだろう。道化師としてはタロックとカーネフェルの全面戦争を求めるはず。そうなればその戦争にシャトランジアもセネトレアも関わってくる。隙あらば一枚でも多くのカードを疲弊させたい。その上で高みの見物というのが奴の目論見。踊らされてやる振りをして、どの程度相手を踊らせることが出来るか。だが今下手に抗うのは無駄にカードを消耗させるだけ。


(序盤で狂王を討つのは危険だ。僕の計画も、その後の展開も大いに乱れる)


 リスクを冒すだけのメリットが今はない。ペイジはかなり特殊なカードだ。エルスを討つのは骨が折れる。全てのカードで一番しぶといカードはペイジだと、僕には断言できる。


(唯でさえ、あの山賊を仲間に出来なかったのは痛い)


 山賊レーヴェを仲間に出来れば、エルスを無力化出来た可能性も少なからずあるのだ。レーヴェ亡き後、エルスは狂王への依存分が増す。ここで狂王を撃てば道化師を喜ばせる上に、エルスの覚醒を招く可能性もある。そうなれば危険だ。父が殺されたとなれば、セネトレアの女王も黙っていないだろう。やはり物事には順序がある。まずはセネトレアから討たなければ、タロックは落とせない。これはタロック王一人殺したところで収まる戦いでもないのだから。


 「須臾っ!」


 ほら来た。王の下へと戻ったタロックの幼将エルス。彼は僕の狙い通り、息を切らして現れた。


 「走ってきたところを見ると、数術代償が尽きたようですね」

 「くっ……謀ったな!」

 「ええ、そうですよ。貴方が船で沈めたと思ったのは僕の作った幻影。貴方はここしばらく空間転移の距離と頻度が激しかったのでは?連絡役というのも大変ですね。最近の生贄は須臾王が討ち取った分だけ。しかしその大半は退却に成功。とてもじゃないけど、タロックからの召喚を行った後……空間転移には足りない。この間のように逃げることも出来ませんよ」


 この意味が分かりますかと僕が笑めば、タロックの数術使いは悔しげに目を釣り上げ、タロック王は愉快げに笑う。


 「ほう……流石は聖教会の長と言ったところか」


 生贄が足りない。タロック軍はこの少年の空間転移で逃げることは出来ない。逃げるとすればそれは船だ。船の仕度を調えるより先にカーネフェル軍に囲まれれば、逃げ場も失う。逃げるのなら今すぐにでも行動に移さなければ危ないぞと教えてやるも、タロック王は動かない。流石にエルスという少年も、山賊達を生贄として神に捧げることは出来なかったのだろう。それが出来ていたならまだ、話は変わってきただろうに。

 それでもこの状況を恐れる素振りなど、タロック王は微塵も見せない。依然、余裕を保ったままだ。


 「だが、その時はその時。カーネフェル軍を一網打尽にしてやれば生贄は幾らでも稼げる。違うか?」

 「そうですね。しかしそこの子がこの僕に仕掛けてきたというのが大きい。僕は正当な理由で教会兵器を用いる事が出来るようになった」

 「其方は理由欲しさにわざと子鬼にやられた芝居をしたということか」

 「ご想像にお任せしますよ。しかしまぁ、僕に喧嘩を売ったのはそこの少年です。その少年の身柄を此方に渡してくだされば、この場は貴方は見逃して差し上げますよ須臾王」


 タロック側の切り札はペイジとキングにある。その一枚を欠けば、この先有利に進められる。まだ明確な願いを抱いていないエルスならば、セレスタイン卿相手でも処刑は可能だろう。タロック王はここで討てない。討つならエルス一択だ。


 「さぁ、如何しますかタロック王?」

 「其方は愚かな。常人と狂人の間に取引が成立すると思うたか?答えは否!シャトランジアとの戦争大いに結構!積年の恨みは余にもある!」


 狂人とは笑わせる。まだ十分しっかりしているじゃないか。狂王は長い刀を手にとって、玉座より立ち上がる。予め侍らせておいた精霊達をサポートに使い僕も戦闘態勢に。

 接近戦になれば体格差から敗戦必至。となれば遠距離中距離戦闘で足止め、仕留めるしかない。


 「ったく、処女信仰ですかタロック王」

 「詐欺師国家に言われたくはない」

 「生憎僕ではなく先代時代の話なんですけどね、甘んじて受けましょう」


 既婚で子持ちの非処女王女を送り込んだことを根に持っているのかと尋ねれば、随分な罵倒を受けた。僕には全く身に覚えがないが、高位職を継ぐと言うことはこういうことだ。仕方ない。

 精霊数術は見限られない範囲で使わなければならないため、意思の疎通が出来ないと難しい数術になるが、会話に支障がない僕レベルならばあまり大きな問題はない。


(一発当てれば僕の勝ち)


 両手に構えた白銀の銃。仕込んだ弾はとっておきの教会兵器。しかし相手は風使いが二人。あの風の壁を突破するのは至難の業。サポートに前衛要員が最低二人は必要なところだ。


(幸福値を如何に消費しないで時間を稼げるか。それが問題だな)


 向こうには伝説の精霊まで憑いてる。僕の持つ精霊全てを使っても、あの精霊には及ばない。油断は出来ない。数神の力を使うには、複雑な数式展開と詠唱が要る。あれも前衛が居なければちょっと難しい。

 だけど意外なのは、タロック王が僕の想定よりもエルスを可愛がっていることだ。あそこで那由多王子への含みをもたらせば、この男は代替品の少年への興味を無くすはずだった。


(今回の世界にはまた何か、想定外のイレギュラーがあったのか?)


 それは読めないが、攻撃対象はエルスに絞れば良い。勝手にタロック王が援護に回ってくれるはず。


(とならば問題は風の精霊シルフィード)


 トリシュ様に貸した土の精霊にはちょっと秘密がある。上手い具合に全てを終えて加勢に来てくれば良いのだが……


 「考え事とは、随分と余裕だな教皇聖下!」


 風の力でスピードが上がっているのか。相手が距離を詰めてくる。いや、距離だけじゃない。剣の纏う風圧で、鎌鼬が生じている。砂埃は目潰しに……相手の剣は無数にあり、それは数値としてしか視認できない。


 「くっ!」


 重い……!何とか一撃を水の壁で弾くが、壁を一枚壊された。


 「ウンディーネ!」


 風で四季の元素配分が出来るエルスは今はガス欠。傍にいる二体の風の精霊の自立防衛システムが機能しているに過ぎない。それでもエルスが傍にいることで、Aに過ぎないタロック王の戦闘運が向上し出す。破られた壁を氷に変えて相手にぶつけるも、相手の風に破壊され、ダメージには至らない。


(彼も幸福値が数術代償ではない)


 屋内と言うことで操れる風にも限度があるが、毒には注意が必要だ。マスクを装備しているけれど、欲しい前衛が毒に対する抵抗がない者だと、足を引っ張るだけになる。まともに戦えそうなのって……回復と数術によるシールド持ちのランス様くらいだ。後の連中は攻撃は最大の防御と言わんばかりの脳筋共と恋愛脳だし。やっぱりそうなると……“僕”に戻って貰うしかないか。


(戻れ、“ジャック”!)



 *


 「アルドール!?ランス様!!しっかりしてください!」


 何処へ向かえばよいのだろう。解らないが、皆の無事を祈りながら走り続け……ジャンヌは通路で倒れている二人を見つけた。二人は熱に浮かされているようで、意識もない。


(どうしよう……私は数術なんて使えないし)


 回復数術をマスターしているランス様まで倒れられては、どうすればよいものか。


 「アルドール……」


 天に祈るような気持ちで彼の手を握り……それでも何が変わるわけではない。


 「こ、こうなったら私がっ!」


 アルドールを抱きかかえ、ランス様を肩に背負って立ち上がる。イグニス様の所へ運べばまだ何とかなる!


(やれる!やれるわ私!全然余裕っ!)


 ぐぎぎと歯を食いしばって進み出す。

 アルドールなんかもやしっ子ですし!ランス様だって、身長の割りに細身ですしっ!絶対私の方が筋肉とか体重とかありますし!なせば成るっ!士官学校での筋トレを思い出すのよジャンヌ!


(視覚数術が掛かっているのは私だけ。この二人は周りから見えているはず……)


 このまま進めば数術で姿を消した者が居るのは城内の兵士達に気付かれる。これではいけない。


(何とか違和感なく運べないかしら?それも敵が怖がるように)


 ええい!もうこの際二人まとめて二人重ねてお姫様抱っこにしてやる!そんな男二人が空中に浮いてる図って絵面的になんだか怖い!例え敵に見つかっても驚かせて先手は取れる。そこを私が体当たりか蹴りか肘打ちを入れ、突破口を。


(くっ……やはり誰とも遭遇しないわけにはいきませんね)


 左の通路から足音がする。此方に駆けてくるその相手の足音……体重は軽い。小柄な子供?こんな場所に居るとすれば……胡弓弾きの残りの誰かか噂に聞くタロックの数術使いか!


(混血の数術使い……)


 シャトランジアにいた頃に、教会で何人にも会っている。実際、実戦でやり合ったことは無いけれど、接近戦に持ち込めば勝てると教えられた。逆に距離を取られれば私のような唯の人間では勝ち目はない。


(仕方ない)


 私は荷物の二人をそっと床へと下ろし、身構える。向かってくる相手が来た時に攻撃を仕掛ける!相手から私は見えない。倒れている二人に気付いたその相手が此方に曲がって来る瞬間!私に背を向けた隙にっ!


 「……っ!」


 背後から相手を羽交い締めにして、その口を手で塞ぐ。そうしてやっと、相手の姿に見覚えがあることに気が付いた。


 「って、あああ!イグニス聖下……!?申し訳ありません!」


 青ざめ技を解き、その場で頭を下げても……相手はとても冷ややかな目を私に向ける。これは本気で怒っていらっしゃる。せっかくイグニス様が加勢に来て下さったのに私という者はっ!


 「イグニス様、この無礼は如何なる償いでもします!ですからどうかアルドールとランス様をお助け下さい!……イグニス、様?」


 恐る恐る顔を上げて……私はその少年の違和感に気が付いた。綺麗な金髪、琥珀の瞳……白い肌は同じだけれど、先程会った教皇聖下と服が違うのだ。礼服の丈とマントはいつもより短め。正装より大分砕けた修道服。イグニス様が神子の頃着ていた服のように見える。


 「貴方、誰?」


 思わず発してしまった、無礼極まりない言葉。けれどその呟きに、硝子が割れる音がする。これは視覚数術が破られた音。それまで私が見ていた少年は姿を変えて……現れたのは長い空色の髪の男の子。イグニス様よりも幼い彼は、十を僅かに越えたばかり。年齢なら十一、十二と言ったところか。彼の目は僅かに白く染まった透明。人間とは思えないその色と、愛らしさは彼が混血だと私に教えてくれるけど。


(この子。なんて……悲しい目)


 感情の色が全く感じられない。抜け殻のような少年が見える。


 「あ、あの……君」


 この子は何?敵か味方も解らない。何の情報も此方に与えられない存在。


 「……おとう……さん」

 「お父、さん?」


 私が男に見えたのだろうか。そう思ってドキッとしたけれど、どうやら違う。彼は床に倒れた二人を見ている。


(ま、まさかアロンダイト卿には隠し子が!?)


 いや、それはどうだろう?父親の方ならば、むしろいない方が怖い。彼ならば両手の指では足りないくらい、居そうだ。それでもランス様の方はとても誠実な方。まさかこんな大きなお子さんが居るようにも見えない。そうだ計算が合わない。ランス様は十代後半とは言え、いくら何でも。年齢詐称なんてしているはずもないでしょうし。


 「え……?」


 青髪の少年はその場に跪き、回復数術を紡ぎ始めたようだ。私に数式は見えないけれど、二人の顔色が次第に良くなっていくのは解る。


 「お父……さん」


 少年は譫言のように同じ言葉を繰り返す。彼が今見ているのはアルドール。ならばお父さんというのは……


(そ、それならアルドール!?いや、アルドールなんてもっと計算が合わないっ!よ、養子とか!?)


 確かにアルドールはお人好しなところがある。シャトランジアでは貴族だったという話だし、金に者を言わせてどんどん孤児を引き取っていたのかもしれない。


(でもおかしいわ)


 北部に来る前に、彼は全ての家族を失ってしまった。そう聞かされた。養子だってアルドールならば家族というだろう。ならばこれは感動の再会?それにしてはこの青髪の少年……あまりに無感動すぎる。それでも数術の腕は確かなのか、アルドールの瞼が震え出す。


 「あれ……ここは」

 「アルドール!」


 良かったと駆け寄ろうとして、視覚数術がかけられていることを思い出す。見えているだろうか?どうすれば気付いて貰えるだろう。そう思って戸惑うも、青い瞳に安堵の色が燃え広がった。


 「ジャンヌ……来てくれたんだ」

 「は、はい!」


 ほっと顔を綻ばせる彼に、此方も安堵の息が出る。


 「ごめん、……ありがとう」

 「いえ、私は何も……貴方がたを治してくれたのはこっちの彼で」

 「あれ……?イグニス……、じゃない……!君は……」


 混血の子をまじまじと見つめるアルドールは、口を大きく開けて驚き顔。その反応で初対面とは思えない。


 「知り合いなんですか?」

 「うん……でも、どうして君がここに?」

 「お父さん」


 相変わらずの問題発言と共にアルドールに抱き付くその少年。予想が当たってしまったのかと私は少しよろめいた。


 「あ、アルドール!やっぱり……」

 「い、いや誤解だジャンヌ!この子はええと……」

 「い、いえ別にいいんですよ!貴方のことですからそんなはずはないでしょうしそもそも私にはそんなこと何の関係も……」


 互いに何でこんな弁解みたいな会話をしているんだろうと思ったはずだ。気まずい顔で目を逸らし合う。


 「やっぱり違う」

 「え?」


 ぽいっとアルドールを捨てて今度はランス様に抱き付く青髪の子。丁度目を覚ましたランス様も、突然のことに戸惑っている。


 「おとうさん……?」

 「え……ええと、君は?」


 優しく微笑み、よくわからないままその子の頭を撫でたランス様。アルドールの対応とは雲泥の差だった。それがその子の心の琴線に触れたのだろう。初めて笑みらしき表情を浮かべた彼は、ランス様の両手を握って飛び跳ねる。


 「お父さんっ!お父さん!?」

 「いや、あの……」


 離れなくなった少年に困った様子のランス様。それはそうか。目立つような行動は控えたい。その気持ちは私にも解る。


 「アルドール!?」

 「ごめん、ジャンヌ」


 敵から隠れるために、数術を紡いだのだろう。ふらついているアルドール。よろめいた彼を支えるも、少し顔色が悪い。今回復して貰ったばかりだろうに。


(冷たい……?)


 触れた肩がひやっとしている。本当に大丈夫なのかしら?不安になりながら、彼に上着を掛けてやった。すると彼はまたごめんと謝りながら、ランス様の方へ歩いていく。


 「ランス、その子……シャトランジアに亡命した戦災孤児なんだ」

 「え!アルドール……それは」

 「一ヶ月……そろそろ二ヶ月か。タロックとの開戦……南部のニルマーナの子で、俺旅立つ前に、シャトランジアでその子と会ってるんだ」

 「亡命してきたということですか?」


 何気ない私の言葉。けれどアルドールもランス様も暗い顔になる。


 「……奴隷貿易、ですね」

 「……うん」

 「え?あ……」


 そうか。私は何を馬鹿なこと!

 開戦地の酷さは話に聞いている。亡命が間に合うはずがない。生き残りだって殆ど居ない。それがシャトランジアでアルドールと出会うということは、救い出された後じゃなく……


 「シャトランジアに、密貿易!?そんなっ!」


 あの国はカーネフェルと違って安全だった。少なくとも私はそう思っていた。


 「あのさ、ジャンヌ。ジャンヌは海上警備の仕事が多くて、シャトランジア国内の警備ってあんまりなかったんだろ?」

 「え、ええ」

 「俺の姉さん……アージン姉さんって言うんだけど」

 「アルドール……」


 アルドールが自分の家族のことを話してくれるなんて思わなかった。驚愕とそれから……僅かな信頼を感じて、こんな時だけど嬉しくなる。それでもその嬉しさも、すぐに掻き消された。私は彼の言葉から思いだしたのだ。彼の家族は全員、殺されたと……道化師に。


 「姉さんも、聖十字にいて。第一聖教会所属。そのお膝元メリクリウス港に配属されてて……」

 「まぁ、そうだったんですか。私……何も……」


 アルドールが私を避けていたのは、私が女だからではなくて……死んでしまったお姉さんを思い出すからだったのか。私は何も知らないのを良いことに、彼に無理を言って……これまで何度も苦しめていたのかも知れない。


 「いや、いいんだ。俺が言わなかったのが悪いんだ。ごめん。……でもさ、姉さん港の警備が仕事だったから、よく密貿易の取り締まりをしてたんだよ。俺もその……まぁ、偶然その手伝いみたいなことをしたことがあって、彼はその時会った子なんだ」

 「そう、ですか……」

 「うん。イグニスは教会で引き取ってリハビリしてくれてるって言ったんだけど……どうしてここに彼が居るのかは、ちょっと俺にも解らない」

 「アルドール様、これを」

 「え?」


 私とアルドールの会話が終わるのを見計らい、ランス様が少年の手を此方に向けてくる。手袋の下、現れるのは不思議な紋章。


 「この子も、カード!?」

 「そっか。俺……この子に会ったの、星が降る前だ」

 「いえ……これは」


 よくよく見ればその子の紋章はおかしい。ハートでもクラブでもダイヤでもスペードでもない。馬を模った紋章と言えばよいだろうか?そして掌に刻まれた文字は>Iという謎の文字。


 「この子はカードではないんでしょうか?」

 「しかし……この少年、パルシヴァルのカードと数値の気配が似ています」

 「そうなんですかランス様?」


 明るいのと暗いの。二分化しているとはいえ、確かに二人と無邪気な少年には見える。しかしカードの気配までそれで見抜けるのだろうか。数術がよく分からない私には、全く解らない世界だ。


 「そう言えばイグニスが言ってた。ペイジは明確な願いを抱くと強くなる。強さは11,5。ジャックとクィーンの間くらいになるって……」


 思いだしたように語るアルドール。そこで皆が黙り込んだ瞬間、青髪の子がランス様から離れて走り出す。


 「あ!……待って!」


 こんな所によくわからない子供がいるのは危ない。彼がカードにしてもそうではないとしても、危険なことには変わりない。先を行く彼がぴょんと飛び込んだのは、謁見の間。異様な雰囲気の中、それでも追いかけないわけにはいかない我々は、彼に続いてその場に飛び込む。


 「お父さん!お父さん!」

 「お帰り、ジャック」


 イグニス様に抱き付いたその少年は、今度こそ本物を見つけたと言うようなはしゃぎ具合。それを見た私達も、彼が今戦っていた相手も呆気にとられてしまっている。


 「え……」

 「ま、まさかイグニス様に」

 「ええ、ジャックって」

 「ああ、勘違いしないでね。ジャックと言ってもカードじゃないよ。この子の本名さ」

 「あ、否定するのそっちなんだ」


 アルドールが少しズレた突っ込みを行った。


 「彼は僕の切り札№1。プラエ=エフェクトゥス。愛称はエフェトス。切り込み隊長にして僕の魔術師。数術使いとしては部下の中で二番目に強いよ」


 対するイグニス様の返答も何処かズレている。


 「そ、そうじゃないだろイグニス!どうしてあの子がこんな所に!ていうか何でお前の部下なんかに!」

 「エフェトスは戦争でのトラウマで、精神崩壊を引き起こした。自我の殆どが消滅している。だけど、だからこそ……彼だけが扱える数術がある」


 イグニス様の言葉は説明であって、弁解ではない。ある種の開き直りの言葉。アルドールの傷ついたような顔が私の目に飛び込んだ。


 「被憑依数術」

 「ひ、被憑依数術?」


 身長も背丈も変わらない。それでも青髪の少年の顔つきが変わる。顔の造形が変わったわけではない。けれどもそう思わせるのは、彼の表情や雰囲気……いいや姿まで、別人をすっかりトレースしたように見えるから。だから、被憑依。別の誰かが乗り移ったような……その言葉は確かに言い得て妙だ。見覚えがある。だけど誰か解らない。


 「ご無事でしたか、アルドール様」

 「と、……トリシュ?」


 声も別人のもの。それでも名前を呼ばれることで、その子が誰を演じているかをアルドールは理解したよう。言われて私も、彼がトリシュ様の雰囲気に似ていることを知る。


 「アルドール様。貴方にこれを……」

 「え?」


 青髪の少年からアルドールに渡されたのは、一抱えほどもある大きな長剣。


 「な、何これ」

 「触媒です。お使い下さい」


 そう言って笑う少年の雰囲気は、本当にトリシュ様の生き写し。当事者のアルドールもよくわかっていないようだけど、端から見ているだけの私にも、さっぱりわけがわからない。


 「い、イグニス聖下!これは一体……トリシュ様は!」

 「話は後です。今我々がすべきことは……」


 教皇聖下の視線の先に佇むは……黒衣を纏った一人の男。血よりも深い赤い眼が、ギラギラと輝いている。その目を私は知っている。湖城の一戦、そして昨日の戦いで、私はそれを目にしている。その男は……数術を纏う私達が見えている。視覚数術は破られていると見て良いだろう。


 「狂……王!」


 それでもカードの数は圧倒的に此方が有利。数術使いは此方にも居る。よく分からないけれど、青髪の少年が別人の力をも模倣できるのなら、この場にいるのはトリシュ様だと見て良いはず。彼はイグニス様同等の力と知識を有していた。

 数術が使えるイグニス様、アルドール、ランス様、そしてトリシュ様。イグニス様以外は接近戦も可能。とは言えアルドールへの配慮も必要。彼を守りながら何とか敵を排除する。そうだ。ここでこの男さえ討てば、戦争は終わる!


 「アルドールは下がって!イグニス様!指揮を!」

運命の輪№1エフェトス回。

0章からの伏線解消できてとりあえずほっとする。

アルドールが奴隷商から救った少年が、イグニスの部下に加わって助けに来るという構図。南部を守れなかったランスの罪悪感も今後突いてくるという風に仕上げられたらいいな。


親友に任せた子が、戦争兵器として投入されるっていうのも今後アルドールとイグニスの間に不和を持たせる一因になればと思います。

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