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36:Tempus est quaedam pars aeternitatis.

 「ジャンヌ様」

 「!」


 突然掛けられた声に、ジャンヌは肩を振るわせる。数術で姿を消しているはずのジャンヌの背後に現れたのは、湖城に残してきたはずの少年。


 「い、イグニス聖下!?」

 「しっ。お静かに。数術で音を防いでいるとは言え、目立つ行動はいけません」

 「も、申し訳ありません」


 どうやってここまでやって来たのか。流石に神の使いであるその少年は人間の域を超えている。恐れ多く頭を垂れた後、ジャンヌはこの度の暴走を詫びた。


 「まぁ過ぎたことです。しかしトリシュ様に不可視数術が扱えるとは思いませんでした」

 「い、いえ……あれはセレスタイン卿の」

 「ああ、あの十字架が触媒でしたか。なるほど……不可視数術の数式だけを属性術者限定で扱う触媒、か。見覚えがあると思えば戦時中に広く使われた触媒に似ています」

 「ご存知だったんですか?」

 「何、感傷的な彼のことです。神を信じずそれでも十字架を身につけるくらいですから、恐らくは母親あたりの形見でしょう。……となればセレスタイン卿の母親は水の人間だったということか」

 「え、ええと……」

 「今は説明している暇はありませんね。この場は僕が変わります。ジャンヌ様は先に城へ向かい、アルドール達の救出を」

 「え……?」

 「不安ですか?」

 「……はい」


 本来なら喜ぶべき所。彼らを助けに行けるのだ。感謝をすべきなのだろう。それでも何故だろう。私は胸騒ぎを隠せない。

 馬も連れずにこんな風に現れる教皇聖下。それに比べて私の何と無力なことか。唯剣を振るうことしかできない。平凡な人間だ。私などより余程才ある騎士様が、ランス様が敗北した。コートカードの私が傍にいながら、負けさせてしまった。タロック王に敗北するランス様……本来勝てるはずのカードが勝てないという不可解な現象。勢いでここまで来た物の……冷静になってみると不安にもなる。


(私で勝てるのだろうか?)


 このカードを得た時、カーネフェルのために尽くせる幸せを感じた。このカードさえあれば、きっとこの国を侵略の魔の手から救えると信じた。だけど……風は本当に此方に吹いているのだろうか?


(道化師……)


 トリシュ様が口にした相手。この国を脅かすもう一つの脅威。相手は得体が知れない。数術も扱えない自分に太刀打ちできるのか。そう思えば不安にもなる。


(違う……)


 本当に怖いのは、間に合わないこと。駆けつけた時にもう、アルドールに何かあったなら。彼の少年は本当に頼りなく弱い。そう思うと不安で不安で堪らない。


 「大丈夫ですジャンヌ様」

 「イグニス聖下……」

 「僕の方が今の道化師よりは、一枚二枚は上手ですから」


 策ならありますと微笑まれ、思わず赤面してしまう。これまで神聖な人だと見てきた相手が、何だかとても……人間らしいお顔をされたのだ。年相応……とは言わないか。それより少し背伸びをした、ませた感じの子。それを微笑ましいと見ると言うより、相手を男の子だなぁと思った。その言葉や態度をどうこうということとではなく、そう感じたのだ。表情の一つ一つに私では演じきれない何かがあった。

 私はそれを羨んだのか。男の服を着て、女扱いしないでくださいとそう言ったところで……私ではそういう風にはなれないのだと、気付かされてしまいそう。


(私ではやはり……)


 アルドールにとってのイグニス聖下や、騎士様達のようにはなれない。幾ら彼が私を友達だと呼んでくれたって……多分私達は同じ景色を同じように見て取り、感じることは出来ない。それはきっと、別の物。そう思うと何故だろう、僅かに胸が痛む。

 だからアルドールはあの場で私に戦えとは言わなかった。代わりに逃げろと言った。女扱いされている。馬鹿にされている訳じゃない。それは解っている。彼はそう言う人なんだ。そう、優しいんだ。優しいから。だから自分もランス様に同行した。捕虜になるなんて本当は怖いはずだろうに、精一杯強がってみせる。あんなに弱い子供が。満足に剣も操れない、戦知らずの子供が。そんな弱い子に、私は……女だと思われている。


(何でだろう……)


 何だか、少し悔しい。守っているのは私、私のはずなのに。私のカーネフェルは私を何だと思っているのか。髪を切ったところで、胸を潰したところで私は男の子にはなれないんだ。何が違う?何処が駄目だ?もっとしっかり考えて、男らしくしなければ。

 仮に、味方に女だと軽んじられるのはまだ良い。唯敵に馬鹿にされるのは我慢ならない。カーネフェルの痛みは私の痛みと同じ事。


(アルドール……、貴方は)


 なんて綺麗な青い瞳。彼の瞳は故郷の海を……このカーネフェルを思わせる。シャトランジアで育ったアルドール。彼のあの目はきっと、この世の綺麗な物ばかりを見て来たのだ。だからあんな風にすぐに人を信じるし許せる、優しい少年に育った。ここに来るまでの間に家族の全てを失ったと言うのに、彼はまだ気丈にも明るく振る舞う。人の心配をすることで、自分の悲しみから目を逸らすように。彼の優しさはきっと、それなんだ。あの青は、この海はきっと悲しみの色。この国で流れた全ての血が流れ着き、沈む果て。それがあの子。これ以上自分が悲しくならないために、彼は周りの幸せを願うのだ。それが王の在り方だとイグニス聖下は説く。それはとても立派なこと。それはそうなのだ。自分のことを優先し、民を蔑ろにする者は王の資格はなどないのだから。

 それでも玉座はあの小さな子供を王にしてしまう。アルドールというちっぽけな少年は霞んで消える。兵である私を女の子などと言うあの少年が、唯の王になる。犠牲のための、王になる。

 王の癖に、兵や騎士のために身を滅ぼすなんて駄目。それを諫めればますます彼は彼ではなくなる。アルドールが死んでいく。ランス様に付き添ったのは、あの少年なりの言葉?俺はここにいるのだと、自らという人間を主張するかのように。


 「確かに不安でしょう。アルドールは弱いです」

 「イグニス様……」

 「恐れるならタロック軍を。それ以外はまだ手出しはしてきません。僕がさせません。さぁ、行って下さい」

 「はい」


 策はある。そう保証されてもジャンヌは不安を拭い去れない。教皇への礼もそこそこに、トリシュを任せ、城の中へと踏み込んだ。


 *


 コルチェットに肩を貸されたキールが先導。城へ行くその最中……


 「トリシュ様、ちょっと良いですか?」


 そう言ってイグニス様は、僕の手から十字架を奪う。抗議の前にそれは返され……


 「え?」


 手渡されたのは十字架ではない。それをもっと大きくしたような一本の剣。

 それまで十字架だった物の姿が変わっていた。イグニス様の肩には、土の香りがする苔むした精霊が見える。


 「これには仕掛けが施されていたんですよ。全ての元素に触れることで真の力を発揮する」

 「これは唯の触媒ではないのですか?」

 「ええ。これまはず火の元素を貯め込む。セレスタイン卿とアルドールを渡り歩き元素を十分に得たこの触媒は、水の元素に触れることで不可視数術を紡ぐ触媒に変わる。そしてジャンヌ様の風の元素に触れ、次なる段階へのフラグを立てた。後は土の元素に触れれば……この通り。僕は水の元素の人間ですから、土の精霊とは一番相性が良いんです」


 精霊の力で元素反応を引き起こしたのだと教えられる。しかし先程まで十字架であった物が剣になるなんて信じられない。


 「元々これは剣だったんですよ。それを封印数術で十字架に変えていた。いざという時の護身用に作られた触媒ですね」

 「そのようなことが可能なんですか?」

 「人間はまず一つの元素に縛られていますから、四元素を操ることが出来る人間はほぼ存在しない。ならば、本来性格の合わないだろう四元素の人間か精霊が力を合わせてこれを作った、それか全ての元素の精霊を従えた精霊数術の使い手なら或いは……」


 話ながら謁見の間の側まで来たところで、イグニス様は僕に違う方へ向かうよう視線を向けた。その視線に従うように土の精霊が僕の肩に飛び移る。


 「い、イグニス様!?」

 「トリシュ様も水属性ですから、その子は使いこなせると思いますよ。貸してあげます」

 「こ、この子は?」

 「僕が教会から譲り受けた精霊の一つで、土の精霊です。名前はシルヴァン=ウィリディス。僕はシルヴァとかウィリスとかリディスとか読んでいます。お好きな方で」

 「で、ではリディス……?」


 肩が土臭く、ひんやりする。しかしよくよく見ればモグラのように愛嬌のある生物だ。頭からは双葉の芽が生えていて、小さな鯨のようにも見える。それでもそれには両手両足があり小さな人間の姿でもあった。その精霊は何の言葉も発さず、それでも僕の視線に気付き、頭の葉っぱをわさわさ振りながら挨拶らしい動きをしてみせる。


 「よろしく、だそうですよ。トリシュ様、貴方の幸福値はそろそろ問題が出るレベルです。フォローは必要でしょう」

 「あ、ありがとうございます!」

 「それではその剣を、触媒を失ったアルドールに届けて下さい」

 「え、しかしそれって」


 俗に言う借りパクというものではないだろうか。アルドール様から託されたジャンヌ様から託された私がそれをイズーに黙ったまままたアルドール様に献上するというのは如何だろうか。


 「良いんですよ。彼、アルドールに貸したんですし。半永久的に借りると言うことで問題在りません」

 「は、はぁ……」

 「どうせ数術使いではないセレスタイン卿には使いこなせませんから」

 「そ、そうですか。それなら……」


 何だか言いくるめられた感があるが、僕はその言葉に頷いた。


 「もっとも……この触媒はまだ秘密がありそうです。こんなものを何故セレスタイン卿が持っていたのか」

 「それはイズーだからでしょう」


 誇ったように言う僕に、イグニス様はさっと目を逸らしてから向き直り、にこりと微笑みそうですねと同意。


 「ひとまずはエーテルイーサー、いえ輝く或いは(エイテ)燃やす元素剣(リーサー)とでも言って置いて下さい」

 「え、えいて……?わ、解りました。エイテリーサーですね」


 一部古代語を用いられての発現に耳を疑ったが、何だか酷く適当な名称を聞いたような錯覚もする。


 「……案内はしました」

 「ええ、そうですね。貴方がたも下がっていて構いませんよ?それからキール君でしたっけ?」

 「……何か?」

 「僕なら混血は受け入れられる。貴方の弟君も妹君も、聖教会は拒絶しない。それを踏まえた上での行動を望みます」


 これからキールが僕らの邪魔をするように動けば、その話も無くなる物と思えと、イグニス様は脅迫をする。コルチェットは一度僕らに怨みがましい視線を向けた後、キールの治療のためか廊下の向こうへ姿を消した。


 「トリシュ様、これで此方は問題在りません。先を急いでください」

 「は、はい!イグニス様、お気を付けて!」


 託された剣と精霊を抱えて、トリシュは走り出す。すると精霊がトリシュを飛び下り、先を進み出す。


 「リディス?」


 着いて来いと言うその様から、この精霊は目的地までの気配を感じ取ることが出来るのだと漠然と信じられた。今は他の術もない。頼りになる物は他にないのだ。トリシュは精霊の導きに従い走り出した。

 精霊は窓から外へと出、屋根伝いに向かった先は古びた塔。


(あ……)


 僕はこの場所を知っている。領地に暮らしたのはそう長くはなかったけれど……


 「父さん……」


 父の竪琴が置かれていたのはあの塔だ。何時も手にしていたそれを置いてきてしまったことが、今更のように悔やまれた。精霊が示す方向は向こう。そこで僕を何が待っているのか、……解らないが鼓動の音が大きく聞こえるようになる。屋根を伝って窓から塔に飛び込むも、螺旋階段を上る足は重い。

 空っぽの部屋。顔も知らない父親。自分を迎えてくれることもなかった。今だって生きているのか死んでいるのかさえ解らない。


 「僕は……」


 僕は何故、運命の人にあんなにも縋ってて生きていたのか。それは多分……僕はずっと寂しかったんだ。母に捨てられ、父に捨てられ……養父とも溝が出来た。領地のことは、出来る限りの尽力をしたいというアルト様は言ってくれたけど、その力になろうと僕も頑張ったけど……結局北部は何も変わらなかった。都での生活は僕を孤立させていくばかりで……。アルト様という主、ランスという得難い友人はいたけれど……僕はそれだけだった。それさえいつも僕はランスの次、二番手という道を歩いて来た。誰にとっても僕は一番じゃない。別に僕じゃなくて良いんだ。だからせめて……運命の人には、僕を好きでいて欲しかった。誰かの次じゃない。僕を遠ざけないで欲しかった。


(ユーカー……)


 僕のイズー。彼にとっても僕は、一番にはなれない。彼はランスのために死ねても、僕のためには死ねない人だ。


 「それでも僕はっ!」

 「トリシュの阿呆っっっっ!さっさと来やがれっ!」


 葛藤を振り切ったところで、塔の上から愛しのイズーの叫び声!途端に足が軽くなり、僕は塔を駆け上る。


 「イズーっ!」

 「トリシュ……っ」


 一瞬ほっとしたような彼の……いや、今の格好で言うなら彼女の表情にくらりと目眩がした。それだけじゃない、何なんだそのけしからん格好は!いつもの髪型も良いけど今はもっと良い!手入れの施された真っ直ぐな長い金髪、高貴な貴婦人を思わせる装い。大怪我を負っているらしいのに、先程までの安堵も消えて、不甲斐ない僕を叱咤するような強い瞳に戻る。その目の光が堪らない!


 「阿呆か!」


 僕が鼻血を出したのを見、腹の大怪我を推して僕に蹴りを入れに来るユーカー。僕を蹴った拍子に腹から血が噴き出している。貧血で辛そうな表情が、何とも言えない味がある。


(なんて言っている場合じゃない!)


 僕はすぐさま彼に駆け寄って倒れる前に肩を抱く。


 「イズー、今すぐ手当てを!」

 「俺なんかより先にあっちをなんとかしろ!ていうか精霊連れてやがんな!耳鳴り酷ぇからこっち来んな!」

 「え?耳鳴り?あっち……?」


 他にこの部屋に人なんていたのか。まったく眼中に入っていなかった。それでも彼に大怪我を負わせた相手がいなければおかしい。僕が彼の示す方を振り向けば、戦っている最中のイグニス様とカミュルが見える。


(え?)


 何故ここにイグニス様が!?狐か狸に化かされたような夢心地。よく分からないと戸惑う僕の頬を抓って、ユーカーが指差すのはその下だ。


 「シール叔父さんっ!」


 ここでやっと気付いた自分自身を呪う。床に血まみれで倒れているのはチェスター卿……僕の養父さん!


 「よくも……その顔を、儂の前に……出せた、ものだ……な」

 「おじ……さん?」

 「化けて……出るとは、そんなに……儂が、憎いか」

 「何を、何を言っているんですか!?しっかりしてください!僕は……僕はトリシュですっ!」

 「馬鹿か!お前まで錯乱してどうする!」


 倒れ込むように後ろから頭突きをかまされた。ユーカーは青い顔色で、それでもこの状況を説明してくれる。


 「……手当てしようにも、俺じゃ数術使えねぇ」


 自分も怪我人ながら、応急処置は施してくれたらしいユーカー。見ればドレスの一部が破れていた。確かにこれ以上の手当ては凡人には出来ない。僕はイグニス様に助けを求める。


 「イグニス様っ!回復をっ!」

 「生憎手が塞がってるんです!三兄弟で数術の才能、この子が一番ありますよ!」


 ヴァイオリンを操るカミュルはその音楽その物が数式となって、イグニス様に飛びかかる。その音を数術で無効化しなんとか距離を詰めて、楽器の破壊を狙うイグニス様だが、無効化した端から違う旋律を紡ぎ、相殺の数式を殺していく。流石のイグニス様でも、得体の知れない数術相手には簡単には行かないようだ。負傷者の治療を施す暇もないということは、其方に回れば全滅しかねないレベルの戦いなのだと言うことだ。キール相手の時とは違う、余裕の薄れた横顔が印象的だった。


 「トリシュ様はその子を使って下さい!」

 「は、はい!」


 精霊のことを口にされ、この相手が本物のイグニス様だと信じた僕は、土の精霊の方を見る。


 「リディス、お願いします!」


 縋り付くように精霊を見ても、精霊はピクリとも動かない。次第に呼吸の数が減っていく養父を前に再び僕は取り乱す。反面冷静に、言葉を紡ぐのはユーカー。


 「数術代償だ」

 「え?」

 「ランスもヴィヴィアンとヴィヴィアン贔屓以外の精霊を使う時は払ってる」


 両耳を手で押さえながら、ユーカーは呆れている。

 幸福値を補うために貸し与えられた精霊に幸福値を奪われるなんて、本末転倒。それを告げれば、違うと彼は首を振る。


 「で、でも……僕はもう払える物なんて、楽器もない今……愛しのイズーへの愛の言葉ポエム朗読大会くらいしか」

 「俺でも要らんのに、第三者が要ると思うか?」

 「……ごめんなさい」


 ユーカーに睨まれ条件反射で頭を下げて、そうしている内にも時間は足りなくなっていく。これまで見たこともないような苛立ったイグニス様の横顔。彼は僕らに舌打ちし、カミュル都の戦いの間を縫って助言を落とす。


 「森は眠り!眠りは記憶!食らうは時間です!」

 「え?」

 「シルヴァン=ウィリディスは魔を祓う魔、森の精霊。教会の装飾細工が苔むすことでそこに貯まった土の元素から生じた精霊!数術代償は回復対象、攻撃対象から得る!樹木が年輪を増すように、林が森へ居たるよう……シルヴァは過去の記憶を食らう!」


 この精霊を貸し与えられた理由が分かった。直接精霊を使う者が代償を支払う精霊ではないからだ。


 「し、しかし!」

 「ええ!それじゃあ困る時もある!だからこそシルヴァの数術は、その場の人間に失われる情報の共有を展開させる!」


 イグニス様の声に従い、精霊が展開させる数式は鈍く輝き、僕らを包み込む。それでも耳鳴りに耐えきれなくなったユーカーは、見えないながらも数式の輪から脱し、倒れ込む。

 数式が包み込むのは僕とシール叔父さん。その閃光に目が眩み、辺り一面は真っ白に塗り潰されて……光が引けば、そこは変わらぬ景色。

 それでもカミュルと戦うイグニス様がいない。倒れ込んだ叔父さんと、イズーが見えない。代わりに見えるのは、竪琴を弾く青年の姿。明るく輝く金髪と、悲しみの青を宿した瞳。その若者は自分によく似ていた。だからその正体に察しが付いた。


(父さん……?)


 ポロンポロンと鳴る竪琴の調べと美しい歌声。悲しみに暮れるその音楽は、何処の誰に向けられた歌か。


(貴方は……馬鹿な男だ)


 父親になんてなれないのに、父親面をしようとして。僕なんかの幸せを願って、最愛の女性を諦めた。諦めたつもりで、ここで歌うのは会えない僕への歌じゃない。会えない母さんに向かっての歌。貴方という人は何処までも馬鹿な男だ。馬鹿な男であって、父親にはなれない男だ。


 「怨みがましい音だな、メリオス」

 「シール様……」

(叔父さん!?)


 突然室内に現れたのは、今よりずっと若いチェスター卿。十数年前の景色なんだと推測できるのに、この頃の彼はもっと若い。まるでこの後急激に老け込んだように感じるほどだ。


 「私が何も気付いていないと思っていたのか?」

 「何の話ですか?」

 「ふん、惚けるのも大概にしろ!」


 叔父さんが床に叩き落としたのは、母さんの日記。


 「これを妻の部屋から見つけた」

 「……そう、ですか」


 謝るなら今だぞと視線を送りながら、謝られたところで決して許さない。そんな気迫を感じさせるチェスター卿の鋭い視線が、父を射抜いた。


 「おまえ達は、今までずっと……この私を騙し、裏切り続けていたのだな!」

 「いいえ、私も彼女も貴方を裏切ってなどおりません」

 「よくも、そのようなことをぬけぬけとっ!恥を知れっ!」

 「私が裏切ったのは……あの子、トリシュのことだけです。私は彼女を愛したことも、貴方に仕えたことも決して恥じません!私が恥じるとすれば、あの子の父になることが出来なかった、我が身の他に何があると言うのです!?」

 「ふ、笑わせるなっ!」


 払い除けられた竪琴は床に落ち、歪な不協和音を奏でた。それが静まりかえると、室内には唯……あの人の怒りばかりが谺する。


 「貴様が手放した者を手にした私がっ!それで報われただの、幸せだとでも貴様は言うのか!」

 「……」

 「愛しい我が子と思い育てた息子が、私の子で無いと知った日の!妻の心を得てすらいなかったと知った私のっ!この屈辱が!絶望が!怒りが痛みが貴様に分かるかっ!こんなものが幸いだと!?ふざけるなっ!」

(叔父さん……)


 その悲痛な叫びに、もう一つ声が響き出す。それは回復の数式を纏った……床に倒れている、老いた方のチェスター卿。


 「どんどんあの男へ似ていくトリシュが憎い!また私の前に現れるかメリオス!」


 回復数術が効き始めたのか、立ち上がるだけの力を得たチェスター卿。それはまるで鏡像のように。抜き払われた二本の剣。過去のチェスター卿が父の胸を貫くと同時に、現在のチェスター卿がトリシュの胸を貫いた。


 「がっ……」


 それと同時に数術は消え、過去の幻は消える。


(そうか、そうだったのか……)


 今の幻は母の死後ではない。生前の映像だ。養父はあの日記に気付き、父を殺した。それに気付いた母が耐えられなくなり自害したんだ。僕の命の重しでは、母を現世に繋ぎ止めることが叶わなかった。天秤は父に傾いた。良い母親をすることに、疲れてしまったんだ。


 「トリシュっ!」

 「イ…ズー……」


 倒れ込んだ僕を心配そうに見つめる人。僕が泣いているのに気が付いて、傷が痛むんだと勘違いしている。そうじゃない、そうじゃないんだ。


 「神子っ!俺と代われ!そいつとは俺がやる!トリシュの回復に回れ!」

 「出来ません!」

 「ふざけんな!そんなに幸福値が大切か!?この外道っ!」


 僕の手当てをする人が、僕を置いて怪我を推して戦いに行こうとする。今置いて行かれたら、もう駄目になりそうな気がして、縋るように手を伸ばした。そんな僕に気が付いて、彼はそこから動けない。実際、数術使い達の戦いに割り込める程の装備が女装している今の彼にはなかった。


 「くそっ……!」


 ぐっと強く握られた手。自分に回復数術が使えたらと、悔やむような彼の表情。その手の熱さが胸を打つ。


 「ユー、カー……」

 「な、何笑ってんだよこんな時にっ!」


 空色の目から落ちる涙が綺麗だ。僕らを見下ろすあの空が雨を降らす時、空はこんなに綺麗な色じゃない。


 「あなたは……綺麗だ」


 すっとこぼれ落ちた言葉に口をぱくぱくさせて、狼狽える彼。


 「良かった……」

 「え?」


 動揺の内にぎゅっと彼を包んで庇い込む。錯乱したチェスター卿が僕らに狙いを定めたのに彼はまだ気が付いてない。僕も彼も満足には逃げられない。だけどこうすれば、せめて彼だけは助けられるはず……


 「リディス!……お願いだっ!彼の中から……都から旅して来て今日までの、僕の記憶を食ってくれ。その時間と引き替えに、彼の傷を治してくれ!」

 「おい馬鹿っ!何を勝手な……っ!」

 「やってくれっ!」


 貴方は優しい人だから、どうでも良い僕が死んでも引き摺るはずだ。

 今だって僕の怪我を気にして突き飛ばせない。だけどそれじゃあ駄目だ。僕は死んだ後まで貴方に迷惑を掛けたくないんだ。貴方は貴方の願いに向かって、走っていけるように。いつも僕が僕がと僕の気持ちばかりをぶつけて来た。貴方のためだと言いながら、結局何時も僕の自己満足だった。


 「さよならユーカー」


 最後に彼に囁いて、覚悟を決めて目を閉じた。

 それでも僕には見えてくる。精霊が伝える情報だけじゃない。この眼で見た、貴方と過ごしたその時間。走馬燈って言うには出来すぎているか。短いけれどその一瞬一瞬が、今の僕には宝物だった。

トリシュ回。

いろんな意味(ギャグとかムードメーカー的な意味とか)で死なせるには惜しい男なのですが、長生きして輝くキャラでも無いんだよなぁと。

ユーカーやランスと惰性の付き合いになるのも本人の望みじゃないでしょうし。


そんな葛藤のトリシュ編。

チェスター卿との関係も修復してやりたい気もするけどこれ、全章バッドエンドがお約束の逆位置なんだよなと思い直すと……道も決まってくるのかな。


モデルのトリシュタンのバッドエンドの運命か、それともコール王のマザーグースの愉快な王様を信じてみるか、悩み所です。あんまりコール王がモデルのチェスター卿を悪役にしたくないんだよな、あの歌好きだから。

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