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35:Nemo enim fere saltat sobrius, nisi forte insanit.

 遠隔地まで通信しての踊りは結構疲れる。これも一種の数術だから。終わった時にはすっかり疲れてエルスは眠り転けていた。そうしている内に夜になっていたらしい。いや、それどころか明けかけている。夏の夜は冷える。それでもクシャミ一つでないのは何故だろう。身を起こせば、自分の肩にはマントが掛けられていた。


 「……血生臭い」


 多くの血を吸ってきたのだろうその匂いに、何だか安心してまた目を閉じる。そこではっと思い出し、立ち上がれば……玉座にはタロック王の姿があった。


 「須臾……」


 僕は主の顔を覗き込む。タロック王は玉座で眠りに就いている。戦場に出たことによる疲労だろう。


(年甲斐もなく無茶するんだから)


 その後に酒なんか飲むからだ。はしゃぎすぎたのか。呆れて物も言えなくなり、王から背を向けて息を吐く。


 「ミストラル、回復してあげて。二日酔いもね」


 この度新たにカーネフェルで契約した風の精霊の一つを使い、王の疲労を奪ってやった。風の元素は使い勝手が良い。攻守ともの優れた万能の数式が数多く存在する。とは言え人には得手不得手がある。攻撃自体は僕も得意だから、カーネフェルで回復持ちと契約できたのは大きかった。タロックで回復持ちの精霊と契約してはいるけれど、進行の薄れた土地だから、回復量もたかが知れている。

 王の寝顔を眺めていると、日頃の復讐に額に落書きでもしてやろうか何て思うけど、この男が何故ここまで疲れているかを察すれば、悪戯の気も消え失せる。


 「馬鹿……」


 僕の呟きに、そっと伸ばされる手。寝惚けているのだろう。同じ三文字。それでも違う名前を彼は口にする。


 「……“那由多”、か」


 うん、解ってた。解ってるよ。須臾は僕に殺した我が子を重ね見ている。だからこんな風に僕のために戦いに行ってくれたんだ。大切にして貰っているのは解る。だけど僕自身をちゃんと見てくれている訳じゃない。

 そんな解り切ったことで、今更傷つくなんてどうかしている。僕はレーヴェのことで心が参ってしまって居るんだ。昔みたいに、仲間の妖怪達が殺された時みたいに落ち込んでいる。須臾に子鬼呼ばわりされるように、所詮僕はまだ子供の鬼なんだ。


(やめたやめた)


 こんなところで沈んでいても埒があかない。マントを主へと返し、僕はその場を遠離る。屋根の上にでも出よう。風に吹かれるのは気持ちが良い。少し気分を変えに行こう。謁見の間を出て、上の階を目指したところで急な突風。これは自然の風じゃない。


 「シルフィード?」


 喋れない大精霊が僕を守るようにまとわりつく。

 何か数術の気配を察知したのだろう。確かに結構近くで数術の気配がする。でもすぐ消えた。術者が隠蔽を行ったのだ。そうなれば相手は僕らの味方ではない。

 でも、そんなことをしなくても大丈夫だよと、僕はシルフィードに笑みかける。何処の誰だか知らないけれど、ストレス発散にいたぶってやる。生贄は船でも今も十分捧げたから大丈夫。相手は視覚数術と防音数術を使ったみたいだ。


 「それで人間相手は誤魔化せるかも知れない。だけど……」


 まだまだ甘いね。嗅覚数術ってものを相手は知らないんだろうか?僕は汗に強く反応する虫を召喚。この前都に放したのとは別の虫。確かチェスター卿の所には女は一人しか居なかった。アルドール達が逃げたのだとしても僕に抜かりはない。


(チェスター卿の所の重臣はみんな混血だ。ボクも混血だしそれくらいは解る)


 今度の虫はカーネフェル人の男が大好き。唯召喚するのにコストを食う虫だからなかなか使えなかっただけ。アルドール達が苦しみもが居て死ぬ様見たら、少しは僕の心も落ち着くだろう。レーヴェも少しは浮かばれる。


 「さ、行っておいで」


 召喚した虫は汗の臭いに引き寄せられて、僕を相手の場所へと連れて行く。もうすぐ、相手の姿も見えてきそうだ。


 *


 どうしよう。もう何度もアルドールの脳内を同じ言葉が行ったり来たりの往復祭り。

 目覚めたのはつい先程。それを思いだしてみると、最初に感じたのは違和感。皮膚が無理矢理引っ張られるような感覚。これはあったはずの怪我がなくなったことで身体が戸惑っている痛み。回復数術を施されたのだと気が付いて、はっと目を開ければ視界がゆらゆら揺れている。場所はおそらくブランシュ城の通路の何処か。見ればランスの背に負ぶさっている自分が居た。

 負ぶさっているということは……まぁ、密着しているわけで怪我のためか血の匂いがする。しかしここまでの美形と来ると血やら泥やら浴びても嫌な感じがしないというか、相手にそう思わせない辺りランスの美形度は恐ろしい。何か出てるに違いない。美形ホルモンとかイケメナリンとかそういう類の物が。そういうのに感化されて、相手は相手のマイナス方面のなんやかんやの一切が気にならなくなるんだ。


(って何考えてるんだ俺)


 寝起きでまだ呆けてるんだろうか。何だかとてもくだらないことを考えてしまった。その間も元怪我人のランスは俺を背負って頑張っているわけなんだから、ここは気を利かせてさっさと降りるべきだろう。でも何て声を掛けたらいいものか。


(とか思ったけど……ランスにこんなにくっついてるのって何だか感慨深いなぁ)


 最近彼とはとても微妙な感じになってしまっていた。そうだその所為でこうして第一声に悩んでいる。もっと気さくに話しかけられる話しかけて貰えるような間柄になれれば良いんだけど難しそうだ。ランスという人は知れば知るほどなんだかよく分からない深みにはまっていくようで、結局の所近付くほど何も見えなくなる。遠くから離れてみている方が彼の本質を見抜くことは容易くて、もっと付き合いやすい関係になれるのだろうなと、なんとなくだけど解るよ。


(俺は結局どうしたいんだろ)


 俺は仲良くなりたいよ。折角仕えて貰うんだから、その方がお互い気分良く一緒に居られるはずだ。

 なら仲良くなるってどこ?仲が良いって言うとユーカーか。でもユーカーの位置になりたいんじゃないなぁ、俺は。俺とランスらしい距離を探って行きたいと思っているのは確かだけど、手本になるような間柄ってあったかな。嗚呼、そうだ。トリシュとランスの距離は丁度良い。いや……そう、なのか?何か違うような気がしてきた。

 友人同士……一応親友って話だけど割とドライだよなあの二人。依存とか無いからさばさばしてる。その分ウェットしまくりなユーカーとランスの依存親友コンビと比べると、あれ?トリシュとランスって本当に親友なんだっけ?って思ってしまう。トリシュ自身別に悪い奴じゃないし俺も世話になっているから時々トリシュが可哀想に見えてくる。出会った頃にユーカーとトリシュが対立してたのも、トリシュからしてみれば「どっちがランスの真の親友か勝負ですっ!」って流れのテンションだろう。親友が何人もいるっていうのは密度とか価値が下がる気がするし、親友にランクを付けた場合、自分が負けてしまうのが悔しかったんだろな。俺もそう言う気持ちは解るよ。もしかして俺よりユーカーの方がイグニスと仲良いんじゃないかなとか思ってしまったりもしたし。

 つまり……だ。トリシュはそれだけランスを自慢の友達だと思ってたんだ。対するランスはどうだろう?決闘であっさり殺そうとしたり……何人かの例外はあっても基本私情を仕事に挟まないスタンスの彼は、多少薄情にも映る。何だかそれもちょっと寂しいな。


(もし俺がランスみたいになったなら……)


 俺はもし国にとって良くない行動をした友達や部下が居た時、その相手を殺さなければならなくなる?ランスは立派な騎士だ。だけど俺がそうすることは……それって本当に立派な王様なんだろうか?

 イグニスとの約束の意味を、俺は今一度考える。


(立派な王になる……)


 そう約束した。俺がこの審判に勝ち残って、その過程で敗れた人達のためにも平和な世界を作り上げる。それがこれまで失った人達と、殺してしまった人達への償いなんだ。

 山賊レーヴェはまだ若い女の子だった。彼女は人殺しだったけど……俺はランスに彼女を殺させてしまった。俺の騎士の罪は俺の罪だろう。それが王となった俺の背負うべき責任だ。解ってる。解って居るんだ。解っているから……俺はランスにどう話しかければいいのか解らない。こうして背負われていると彼も生きているんだって解る。彼の背中は温かい。それにほっとするくらい、彼は今生きている。


(そうだよな……そうなんだよ)


 ランスは血も涙もない男ではない。出会った頃の彼の笑顔が懐かしい。彼はどうでも良い相手には、凄く良く笑うんだ。そこから本当の笑顔を引き出せるようになるまでの道が長く険しい。俺は今その道の何処に立っているのか。今それが出来るのは多分、ユーカーしか居ない。

 その例外中の例外であるユーカー相手にも、泣けないってランスは泣いていた。とても不器用な人なんだと気が付いて、……これまでずっと何でも出来る強い人だと思ったランスが等身大の人間なんだとはじめて教えられたような気がした。

 そこから俺も一杯一杯で、いっつもランスを一番にして見ていてあげることが出来なくて、ランスの気持ちを裏切った。ちゃんと話すことを怖がって、彼を避けた。そして彼に怪我をさせてしまった。


(ランスに無茶をさせているのは俺なんだ……)


 少し彼に頭を近づけて、血の匂いが薄くなっていることを確かめる。戦場でも身だしなみに気を使う余裕があったのかと思うと、やはりユーカー辺りなんかより出来た男だと思わされる。


(でも……本当に良かった。ランスが無事で)


 ランスが自力で歩けるくらいに回復したのかとほっとしたのも束の間、現状について我に返った。カーネフェル引っ繰り返したって並ぶような相手が見つからないんじゃないかなってレベルの超絶イケメン捕まえといて、その首筋の匂い嗅いでるってどういうこと!?


(いやいやいやいやいやいやいやいやいや何してるんだ俺!)


 自分の姿を省みて、物凄く恥ずかしくなった。何俺犬みたい。いや、犬ならまだ許せた!許された!俺人間だから!完全になんかもうアウト!っていうか今戦争中で味方だって大変なときに何変なこと考えてるんだろう俺は!楽天的ってレベルじゃないだろ!

 己の現実逃避癖を前に、いい加減自分自身で呆れてしまう。それでも、それでも多少は仕方ない。相手が相手だ。カーネフェル一のイケメン騎士に密着するとか挙動不審にもなるだろう。

 そう思ってちょっと身体を離そうとしたらバランス崩して落ちそうになる。慌ててまた彼にしがみつく。色々あったけど根本的なところはやっぱり天然なんだろう彼は、俺の行動には気付かずに自分のミスだと思ったらしい。もっとしっかり背負わないとなんて独り言を言いながら、腕の位置を戻している。これだから困る。彼は基本的に性格だって悪くないんだ。ただ仕事と私情が並ぶと酷いことになることが多いってだけで。

 ここまで粗探しが出来ない相手だからなんだよきっと。相手が無駄に美形だから変に意識してしまったりして、そこで自分はおかしいんじゃないかと思って落ち込んだり、いやここまで美形だとこれは条件反射だよねと開き直ってみたり……変に緊張してしまうのを相手の顔の所為だと思うのも、やっぱり逃げ、なんだろうか?


(そうだよな)


 その方が納得しやすいし簡単に逃げられる。相手を怖がっている訳じゃないからと言い訳して、自分は何も悪いことはしていないと自分に言い聞かせて居るみたい。俺は認めなければならない。それはそうじゃないんだと。俺はランスを怖がって、脅えて居るんだ。よし、それは理解した。


(でも、なんで?)


 俺は彼の何が怖い?自分自身に問いかけてもなかなか言葉は出て来ない。ランスのしたことが怖いんじゃない。強いて言うなら意思の疎通が出来ないところ?解り合ったと思ったのが、まったくのでたらめだった。嗚呼、そんな感じ。

 此方が信頼したつもりでも、全く信頼されていない。独り相撲の二人三脚。多分彼は俺が何を悩んで脅えているのかも全く理解していない。


(ランスはレーヴェを殺した)


 これは戦争だし相手は敵将。これまでカーネフェルの人々を苦しめた相手。そうだ。ランスは悪くない。騎士道に背いても国の害となる者を排除する。ある意味で彼は本当に正しいことをしてきている。それでも腑に落ちないのは、俺が見て認識していたランスとランスの行動が噛み合わないからなんだ。

 ランスは何時も優しくて、騎士道精神の映し鏡って感じのお兄さん。それがいきなり笑顔で幼い女の子を殺すようなことをやってのける。……本当は、そんな風に女の子ばかり庇護しようとするのも平等ではないんだろう。出来ることなら誰も殺さずに全てを終わらせられたらそれが良い。それでも俺は、俺の騎士に女の子を殺させた。王として間違った道を歩かせてしまった気がしてならない。


 「あれは……」


 一瞬、起きていることが気付かれたのかと思った。だけど違う。ランスの呟きは、外の景色を見てのこと。夜の明けた空の下……対峙する二人の男。


(トリシュ!?)


 助けに来てくれたんだ。そう思って嬉しくなったのは一瞬。相手は胡弓弾きのキールという少年。どうやらトリシュは苦戦しているらしい。


 「ふぅん。純血の癖にあれが見えるんだ」


 ランスは勿論不可視数術を施していただろう。だがそれを破って窓の外を見ていたランスに声を掛けた者がいる。その声はまだ幼く、少女の声のような……その声に素早く振り返るランス。薄目で俺もその相手を視認した。


 「エルス=ザイン……」


 ランスと遭遇したのはタロックの幼将エルス。その顔には普段の不貞不貞しさが大分戻ってきている風だが、完全に立ち直ったと言うことはまだないだろう。ならばあれは空元気。

 彼とはトリシュをぶつけるつもりだった。それでもランスと鉢合わせてしまうなんて。これは非常にまずい。ランスは交渉に長けても話術に向かない。頭は良いが、幾らか脳筋傾向がある。ランスは敵将が女子供でも容赦はしないし、カード的には圧倒的にエルスが有利。エルスは明確な願いをまだ抱いていないから、出し抜くことはそう難しくはないが、決定打は下せない。相手を殺すことは出来ないけれど、互いに幸福値を無駄に消費する衝突になる。ランスにとってそれは命を削ること。元々割り振られた幸福値が上位カードは少ないのだから。


 「アロンダイト卿ランス、貴方も数術使いだって話ですよね?それならこんな話は知っていますか?音声数術というものを」

 「概念上での存在数術だろう?人智を越えた数式だ」

 「ウィ。その通り。通常人間には扱えないとされる数術分野。人は音を媒体とし数術を紡ぐことは出来ない。それが出来たなら数式展開というタイムロスを行うことなく数術を扱える」

 「……」

 「なら、純血とはいえ数術を齧った貴方は不思議に思うはずだ。胡弓弾きの彼は音楽を媒体とし数式を紡いでいる。あれは分類するなら一種の音声数術だ」

 「ならば……彼らは」

 「基本的人間には扱えないだけで、余程優れた媒体なんでしょうねあの楽器。彼らの腕と才能、それと楽器と合わさってようやく成し遂げられる奇跡に違い在りません」

 「あの胡弓弾きは、混血だったと言うことか」

 「ウィ、そう言うことです」


 雰囲気は殺伐としている。それでも続く二人の会話に俺は入っていけない。新しい情報に驚かされているのだ。もう、あれなのかな。美形を見たらとりあえず全員混血だと疑ってかかれみたいな。言われてみればあの胡弓弾きの子達は美形だった。


 「ブランシュ卿トリシュという騎士様には貴方ほど見えては居ないようだ。あれを自力で打ち破るのは困難でしょう」

 「……」

 「助けに行きますか?その邪魔な荷物を捨てて。その前にボクを倒してみます?だけどいくらお強い騎士様だって、荷物背負ったまま接近戦って無理だよね?」


 うわ、まずい。数術使いが接近戦に弱いとはいえ、中距離長距離攻撃はとんでもなく強い。ランスは純血の数術使いだから数術勝負なら混血のエルスに劣る。そこに鍛え上げた剣術による接近戦の強みがあるから、ランスは強いんだ。数術でカバーしながら接近戦に持ち込めば混血相手でも勝機は十分にある。


(ど、どうしよう……)


 ここで俺が降りればランスはエルスに勝てる。だが、そこでエルスが俺を狙ってきたら?ランスは俺を守ろうとまた危ない目に遭うかもしれない。いや、エルスがそうする余裕が今なかったら、ランスがエルスを半殺しにする可能性だって……。違う。もしかしたら殺すことだって出来るのかも。もう助からないくらいまで追い込んで、後は下位カード……うちの陣営で絶対にエルスを殺せるのはジャンヌだけ。彼女が来るまでエルスは決して助からない怪我を負ったまま首を刎ねられる時を待つことになるのかもしれない。レーヴェのことを思い出し、吐きそうになる気持ちを堪え、こっそり俺は息を整える。


(それなら……俺が起きれば良い。それでランスを外にやれば……)


 俺をここに置いていけばランスはトリシュを助けに行ける。瞬時に俺は思った。降りよう。そう思った。だけどしっかりとランスの腕に押さえられ、俺は身動き一つ出来やしない。


 「友と主のどちらが大事かと、問われるまでもない。俺の主はアルドール様であってトリシュではない」

(ランス……)


 その言葉にはランスのしっかりした意思が灯っていた。ランスが本当の意味で初めて俺をアルドールと呼んだのだと解る。先代のアルトさんの身代わりじゃない。俺を俺として見てくれたんだ。嬉しくて言葉に詰まる。漏れそうになる嗚咽を必死に堪えた。

 だけどそこで俺はもう一つ、気が付いてしまった。友とはトリシュのこと。主とは俺のこと。ランスは俺を主と認めてくれたけど、友達だとは思ってくれていないんだって断言されてしまったんだ。そう思うと、……ちょっと凹むし悲しいな。多分俺はこの先ずっと、どんなに頑張ったってこの人と……俺が望むような関係にはなれないのだろう。俺にイグニスのような預言の力はないけれど、何となくそれを確信した出来事だった。

 ランスの言葉に驚いたのは俺だけでもない。エルスもだ。

 ユーカーとランスを同列に見ていたのだろう。所詮先王の陰を王だけの生ける骸。そんな男がどうして俺に固執するのか解らなかったのだ。


 「な、何なんだよ……お前っ!」


 それまで丁寧だったエルスの態度が豹変。動揺を隠せずに狼狽える。混血の数術使いである彼は、きっと俺達より多くが見えている。その狼狽ぶりは尋常ではない。恐らく彼は気付いてしまったんだ。山賊レーヴェを殺したのが一体誰なのか。山賊達の血を吸った剣、アロンダイトを掲げたランスから、全てを悟った。

 そんな男が今、人間らしい熱い言葉と眼差しを持っていることが理解できない。それはつい昨日のことなのに、何一つ陰を感じさせないランスの立ち振る舞いは恐れに値したのだ。

 俺はいつもの、出会った頃のランスをそこに感じられて……それは嬉しかったけれども、ランスをそこまで知らないエルスは、彼の未知に震え上がっている。


 「哀れだな」

 「こ、このボクを馬鹿にするのか!?」


 ランスの言葉と眼差しに憤慨し、いつものギラギラした瞳を取り戻すエルス。確かにこれはランスらしくない。相手を挑発するなんて。だけどその声に演技は感じない。これもランスの本心らしい。


 「お前には本当の友はいないんだな」


 ランスは自分の友を誇るように言い放つ。その言葉から俺はランスがユーカーを、トリシュを信頼していることを感じ取った。


(そっか……)


 トリシュの腕を一番理解しているのはランスなんだ。これまで切磋琢磨してきた仲だし、命を賭けた決闘を二度も行っている。ランスにとって大事なユーカーにそこまで入れ込む相手だ。


(言われてみればランスってセレスちゃんのことでパルシヴァルに嫉妬はしても、トリシュにはしないんだよな)


 幼いパルシヴァルには大人げない対応をするこの男が、トリシュ相手にはあんまりユーカーを助けてやらないことが多かった。普段ユーカーにどっぷり依存している癖に、トリシュが絡むとユーカーに「式には呼んでくれよ」と言わんばかりのからっとした微笑みを浮かべそう。それはつまり……ランスはトリシュのことを認めている、ということなんだろうか?ドライな関係過ぎて全く解らなかった。


 「ぼ、ボクの友達を殺した奴に言われたくないっ!」

 「ならば言い直そう。お前には本当の主がいないのだなと」

 「にっ、人間風情がっ……!」

 「本当に仕えるべき相手がいれば、何があっても心が揺らぐことはない。仮に友を失ったとしても、俺は揺らぐことはない」


 ランスが精神攻撃で押している。本当はトリシュの愛の言葉でエルスを退けようと思ったけれど、これはこれで行けるかもしれない。


(ランス……)


 ランスは解ってくれたんだ。レーヴェの時のようなやり方を、俺が望んでいないこと。僅かでも、彼と心が通じたようで俺は涙で視界が揺れる。先程のちょっと悲しい気持ちも吹っ飛んだ。この場はきっと大丈夫。そんな余裕が心に生まれ、俺は外のことを考える。


(ていうか、トリシュってどのくらい強いんだろ?)


 カードとしては可もなく不可もなく。騎士としてはランスに劣る。それでも武術勝負でユーカーとどっちが勝つのか解らないけど、騎士らしさという点では軍配がトリシュに上がる。ユーカーは邪道騎士だし。もっとも幸福値の関係で、運を味方に付けるのはユーカーだろう。騎士としてユーカーより優れていてもトリシュはユーカーには負けるだろうな。惚れた弱みもある。

 決闘に敗れて仲間になった経歴から、彼にはそんな先入観があった。そこからはセレスちゃんに現を抜かすことが目立ち、騎士としての彼を感じることは無くなった。宙ぶらりんになっていた彼の強さがここから見られるのかと、嬉しくなった。


(おお!)


 馬を操り槍で戦う。そこから矢で敵を仕留める。剣だけでなく他の武器も扱えたのか。やっぱり馬に乗って戦う様は格好良い。まるで騎士みたいだ。いや、騎士なんだろうけど普段が普段だからちょっと忘れていましたごめんなさい。

 窓からこっそり外を見れば、彼は見事あの場を打ち破り、胡弓弾きを追い詰めていた。しかしやはり運がない。毒にやられたのだろう。トリシュの身体が傾ぐ。その様子に、エルスも精神的に持ち直した。


 「ははは!やっぱりカーネフェルの連中って馬鹿ばっかり!」

 「……どうかな」


 エルスの嘲笑に、ランスがふっと小さく笑う。その反応にエルスも目を凝らし、隠された数術を曝く。いや、曝いたんじゃない。その時に相手が数術を解いたんだ。だからそれは俺にも視認できた。それは何時もと違う格好の。だけど凛とした彼女の纏う水の気配は変わらない。


(あれって!)


 どうしてここに?とかは考えない。

 彼女は俺が知る中でもっとも優れた数術使い。彼女ならきっとどんなことでも成し遂げる。そう信じているから驚かない。


(だけど情けないな……)


 彼女が来てくれたと言うことは、俺は心配されていると言うことで、まだまだ立派な王にはなれていないと言うことだから。


 *


 草木の影から姿を現した人……それを見て、トリシュも軽く目を見開いた。けれどそれはトリシュ一人だけのことではなく……


 「い、イグニス様!?」

 「そ、そんな馬鹿な話が……!?では今、城に向かっている者は一体……!?」


 突然のことに胡弓弾きまで取り乱す。同じ顔の人間が二人。そこでトリシュは冷や汗をかく。どちらか一方が道化師である可能性が高い。


 「キールっ!僕を城へ連れて行けっ!城に向かっているのは道化師だっ!」

 「道化師……?」

 「最強最悪のチートカード、ジョーカー!全てのカードを殺める特権と力をもつカード!カミュルやあの人が人質にされたら、お前だって困るだろう!?」


 毒に冒された身体を、無理に持ち上げ立ち上がる。すぐに目眩と立ち眩み。毒が身体を回り出す。再び倒れそうになった僕を抱き留めたのはイグニス様。そのままそっと数術を紡いで解毒をしてくれたのか、身体が急に楽になる。しかしその数式は僕の目には見えない。特殊な式で数式を隠したのだ。


(イグニス様……)

(聞きたいことはあるでしょうが、今は演技を続けてください)


 まだ毒に冒されている振りをして、隙を窺えとの目配せ。それにトリシュは頷いた。


 「兄さ……」


 不安げな様子のコルチェットに根負けしたのか、キールは此方に背中を向けた。


 「……いいだろう。ただし妙な真似をしてみろ、城にいるおまえ達の仲間が……」

 「仲間?」


 心底人を馬鹿にしたような嘲笑。それがイグニス様の口元に浮かんだ。キールが背を向けた一瞬を見逃さず、こともあろうにその背中に数術を叩き込んだのだ。それはキールのすぐ背後の土を食い破れ地上に吹き出す地下水。それを数術により氷に変えて、無数の棘で無防備な背中を食い破る。


 「駒の間違いですよね?」


 こんな所で捕まるような駒に人質の価値なんかありませんよと肩をすくめて皮肉顔。演技だとしたら彼は役者だ。それが本音なのかと僕まで疑いそうになる、完璧な声だった。


 「兄さっ!」

 「大丈夫だ、コルチェット……」


 苦々しく此方を睨み付けたキール。しかしその焦点は定まらない。

 氷を音の数術で振動させて粉砕したキールだが、その細かな破片が彼の目の中に入り込んだのか。地下水と共に凍らせられた砂や泥が目潰しとして機能している。


 「僕は今日、カーネフェルなんぞの都合でここに来てないんですよ。聖教会が教皇たるこの僕の船を沈めたタロック軍にいちゃもんつけに来ただけですからね。これ以上タロック軍を匿うならチェスター卿もろともシャトランジアに敵対するものと見なしますが?」


 悪役面が様になっている。なんだかとても楽しそうな教皇聖下。これとんでもない相手に当て逃げしたようなものだと、無関係のトリシュまで顔が青くなる。


 「辺境領主など相手になりません。さっさとタロック王の所まで案内していただきましょう」


 *


 「……随分な言われようじゃない?」

 「あれはイグニス様の策だ」


 いや、半分くらいは本音だと思う。ランスのイグニスへの信頼深さに、アルドールが少し申し訳なくなった。勿論向こうの言葉が聞こえるわけがない。数術を使いこなしている二人は違うのかも知れないが、アルドールは口の動きで大凡の会話を察しただけだ。だから倒れていたトリシュや、城に背を向けている胡弓弾きの発した言葉はわからない。


 「ふぅん……だけど道化師か」


 会話の全貌が見えない俺は、その言葉に凍り付く。ここに道化師が来ているって!?そんな馬鹿な。


(いや、わからない話でもない)


 ここにはタロック王と俺……二人のAカードが来ている。道化師がそれを狙いに来たというのなら。道化師がまずどちらを狙うかにも寄るが、互いに道化師がそれを行ってくれるのなら有り難いとも思える。その次に自分が狙われる前にカードで防御を固められれば……

 それでも今の俺の守りはⅢのランス一枚。とてもじゃないが太刀打ちできない。だが、タロック王だってレクスが南下した今……守りはエルス一枚のはず。そのエルスが王を離れてここにいる。それに気付いたのだろう。撤退を考え始めたエルスにランスが距離を詰めようとする。エルスを足止めできれば、ここでタロック王を討ち取れるかもしれないのだ。


 「あんまり寄らないでくれない?DT臭さが移るから」


 狸寝入りの俺も傷つくような、エルスの言葉。結構本気で胸が痛い。ランスはキャベツ畑やらコウノトリ然り、こういう方面の攻撃を天然スキルでスルーしそうなイメージだったけど、珍しくクリーンヒット。その場にガクリと膝をつく。彼に何があったのだろう?毒舌合戦で今度はランスが苦汁を味わう番だった。


 「貴方って無駄に美形だし、女の子からモテるんでしょ?噂はカーネフェルに入る前から聞いてるよ。だけど一回も付き合ったこと無いんでしょ?うわ、その年でDT?それとも何?主が主ガー友が友ガー言ってるけどそれって何?男にしか興味ないとか?うわー」

 「ち、違う!断じて俺はそのようなことは!」

 「なんていうかさ、必死に否定するのが逆に怪しいんだよね」

 「そ、そういう其方こそ!タロークは女不足で衆道が溢れているそうじゃないか!」

 「うちはうち、よそはよそ。教会圏の癖にそれってどうなの?カーネフェル一の騎士様がそっち系だなんて、シャトランジアに知られればあっと言う間にカーネフェルと同盟切れるんじゃないの?」

 「お、俺にだって惚れた女性の一人くらい……」


 エルスの言葉に乗せられるよう、ランスが苦しげに溢した言葉。初耳だった。ランスもちゃんと人間だったんだなぁと感心、安心した反面、ランスと仲の良い女の子なんていただろうかと考え込んだ。


(セレスちゃんではないだろうし、イグニス……じゃない、よね?う、うん!た、たたたたぶんそれはないない!ランスはイグニスのこと男だと思ってるはずだし)


 消去法で探って行くも、その苦しげな声に思い出すのはもういない人。これでもし仮に、その相手が実はルクリースやフローリプでしたなんて知ったら、俺は二重の意味で鬱になりそうだから止めてくれ。


(あ……もしかして)


 ユーカーとアスタロットさんみたいに……今更エレインさんやマリアージュに絆されたのか?だとしたらこの辛そうな声も、アロンダイト領での暴走も理解できる。


(そうか……だからランスはレーヴェと山賊に当たってしまったのか!)


 そう思うと途端に俺も切なくなった。耳まで赤くなったランスは羞恥に打ち震えているようだ。だけどそれはエルスの嗜虐心を煽る結果となる。こういう展開になるともうこれは相手の独壇場だ。


 「あー、駄目駄目。絶対無理だね、成就しないよ」


 棘在る言葉に俺もランス共々傷ついた。胸が痛い。


 「だって貴方全然女心が解ってない。与えられる好意が解らない。ボクだって女子供を殺したことはあるよ。だけど直接手を下したのは一度もない。数術で村を焼いたことはあるけどね」


 エルスの言葉に、最初にエルスと出会ったときのことを思い出す。言われてみれば確かにそうだ。エルスは直接手を下さない。あの虐殺はエルスが先導しただけで、実際に人を殺したのはセネトレアの破落戸達だ。なまじ正論を言われているだけに、非難されているランスの行動を肯定してあげることが出来なくなる。


 「それでもボクだって考える。敵意を向けられるのなら敵意を向ける。好意を向けられたのならボクも悩む。人間を止めたボクだって、揺らぐことはある」


 レーヴェを失ったことで揺らいだエルス。その弱さを自ら肯定するようなその言葉。それはレーヴェから与えられた好意にある種の好意と慈しみをもたらすような不思議な柔らかさがあった。最初は残虐非道な鬼畜だと思ったこの少年が、今の俺には人間にしか見えない。


 「揺るがないという貴方の方が余程妖怪だ。化け物だ。人間じゃない。そんな男が人間の女を幸せに出来るとは思えないね」


 都に来てから、来る前から……ずっとランスの噂はあった。カルディアの砦でも女性兵士の好意が彼に集中していた。幅広い年齢層の女性に人気の騎士。騎士の鏡、誰にでも優しい、完璧な騎士様。だけどそれは歪だと、この少年は指摘する。


 「レーヴェは真剣だった。ボクがおかしくなるくらいに、彼女は何時だって真剣だった。そんな彼女を見て何とも思わないような貴方が、恋だの愛だのそういう物を理解しているとは思えない。貴方の好意は侵略者の好意だ!僕らとそう大差ない!貴方は誰に何を与えることも出来ない独りよがりな男なんだよ!」

 「違うっ!」


 強い口調でランスがエルスの言葉を遮った。今にも泣き出しそうなその声色。一人でこの場に立っていることの辛さがそこにはあった。


 「確かに今、俺の内にはそういう物がある。それは認める。だが、人間はそれだけじゃない!恋にも愛にも勝る物が人には、俺にはある!俺は人間だ!欲だけの獣に成り下がるつもりはない!」

 「それが人間の真の姿だ。綺麗事が好きだねカーネフェルのDT騎士共は。誰かを愛したことも愛されたこともないから、そんな風に綺麗事が言えるんだ。人の本質がまるで見えていない」


 人の理性を語る男と、人の本能を語る少年の対話は平行線だ。それでもランスが押されている。やはりエルスにランスをぶつけるのは無理があった。こういう方面はトリシュの方が強い。あの人頼まなくてもセレスちゃんへの愛を語っているんだから、頼んだら多分凄いことになる。そりゃあエルスが裸足で逃げ出すくらい熱烈な愛を語ってくれることだろう。うん、それって俺も割と逃げたい。


 「……まぁ、茶番はこの位にしておこうか。まだ気付かないなら貴方、本当に数術の才脳無いよ?」


 そう言えば、確かにおかしい。どうしてランスは膝を床についたままなのか。アルドールの顔も青ざめる。これまで会話で聞こえなかったが、エルスとランスが黙り込んだことで、新たな音が生まれる。エルスの余裕に疑問を感じたらしいランスは辺りの様子を窺い、途端に顔色を変えた。


 「……っ、不可視数術!?」


 耳を澄ませば微かに聞こえる。それはモスキート音。都での敗戦を思い出し、必死に目を懲らすも虫は見えない。


 「敢えて防音数式はやらなかったんだよね。ヒントあげるために。だけど喋ってたら解らないだろ?混血と純血の差ってのが解った?」

 「……数術は使って居たっ!なのに何故っ!?」

 「それが純血の発想なんだよ。視覚聴覚を奪えばいいと思ってる。だけど足りないよ全然。嗅覚数術に対する防備が足りてない」


 それはシャラット領で道化師にもやられた手。イグニスさえ嵌められた罠。

 嗅覚数術というのはとても厄介だ。それを遮断することは、状況把握能力を狭めることになるし、自分の匂いを消す数式というのを俺は知らない。多分あるにはあるんだろうけど、イグニスも使わないことからかなり特殊な数術なんだと思う。それでも嗅覚数術は道具を用いれば誰にでも扱える分野なのだから、奥が深い。匂いを発することは簡単、それでも消すことは難しい……ということか。匂いを感じないようにする数術をイグニスは持っていたけれど、それはまた別の話か。


 「まぁ、正確には虫の場合は触覚数術って言うんだけどね。嗅覚数術に対する武装を施したところで虫の力からは逃れられない」


 ランスとエルスの差は数術に対する理解の差であり発想の差だった。召喚数術を得意とするエルスは、何かに頼ると言うことを恐れない。人間だって利用する。ランスにはこれが出来ない。自分が何でも出来るから、自分の力で全てを成し遂げようとしてしまう。それが今日のこの状況に繋がった。


 「精々そこで倒れていなよ」


 この場で俺とランスを殺すことは容易い。それでもそうなれば道化師の狙いは狂王に向く。少々意外なことではあるが、エルスはタロック王の守りのためにこの場を退いた。揺らいだと言った。その弱さが、エルスを以前より強くしているように俺には思えてならなかった。


(エルス=ザイン……)


 アルドールは息を呑む。村を焼いた彼を見たときとは違う、別の震えに襲われた。人間らしくなっていく彼。余計に殺し辛くなっていく彼。手強い敵だと俯くしか術がなかった。そうだ……俺も虫に刺されていたんだ。ランスの背から、動けない。


 *


(おいおいマジかよ、あの野郎本気で信じてるのかよ)


 自分たちを先導する胡弓弾きを前に、内心ツッコミが追い着かないユーカー。自分とあの少年は面識がある。数術効果が刻まれた服だとは聞いているが、そいつはまさか視覚数術じゃないだろうな。そうとしか思えない。

 領主の城までやって来て、更に不思議なこと一つ。城の守りを固めているのはタロック兵ばかり。領内警備や検問を行っていたのがカーネフェル兵のよう。


(タロックに城の一部を貸し与えているような形か?いや……)


 しかし領主の方が謙った立ち位置。今この城の実権を握っているのはタロック王。ランスとアルドールを捕らえたのもタロック。今どうにかしようとしているのもタロック。チェスター卿はそれと渡り合う切り札が欲しい。トリシュは狂王よりも強いカード。エルスを無力化した後にジャンヌまで出て来られればタロックとしても非常に危うい。それを理解した上でタロックと渡り合うための切り札として、トリシュの恋人役の俺を求めたか。


(違う……)


 チェスター卿は審判とカードのことをそもそも知っているのか?それを知らずに俺を必要とはしないだろう。ならば、他に理由がある?カーネフェルに関係するような理由が。

 連れて行かれたのは謁見の間ですらない。城の裏手の古びた塔。その中に誘われ、警戒しながら階段を上る。扉を開けて、客人を先に室内へ入れる胡弓弾き。後ろへの警戒も忘れず前へも注意を向けた時……ユーカーは驚くべきものを見た。


 「!?」


 そこまで来てチェスター卿の傍にはカミュルの姿。これはどういう事だと目を凝らすが、確かに彼は二人いる。ヴァイオリンの音は前後から聞こえるのだ。ならば片方がコルチェットかキールの変装か?ばっと後ろを振り返ろうとしたところで、腹から血が滲む。刺されたわけではない。身体の内側膨れあがる血液により傷口を穿り返されたのだ。これは水を操る数術だ!


 「……て、てめぇ」


 絨毯に倒れ込み、見上げた先にいたのは赤いドレスを身に纏うあの女……道化師が居た。目が合うとその女は「なぁんだ」と言わんばかりに無邪気に笑う。


 「あーあ、あの騎士様に騙されちゃった」


 笑いながら歩み寄り、それでも人の傷口を靴底でグリグリと踏みつけることを忘れない。


 「ぐぁっ……」


 痛さで半分俺は涙目になっていたかも知れない。そんなこともお構いなしに、教皇は道化師と対峙する。回復数術使えるなら出し惜しみしないで何とかしろよおい!


 「何時から楽器なんか使えるようになったんだ?」

 「こんなの初歩の初歩でしょお兄ちゃん?通信数術の触媒を使って音を拾っていただけだよ」


 ニコニコと微笑む道化師にイグニスの目がつり上がる。


 「でも困ったねシールおじちゃん。あの騎士様の言う通り、彼女がアルドールとブランシュ卿の三角関係でカーネフェルの世継ぎを宿していないと解った以上、タロックと渡り合う駒には使えない」

 「……無関係の人間に、審判のことを話したのか!?」

 「別に話しちゃ駄目ってルールはないでしょ?タロック側はあまりにルールを知らな過ぎる。それじゃあゲームとしてつまらない」


 カーネフェルとタロック……それに属するカード達をあわよくば相打ちさせたいというのが道化師の本心だ。自分にとっていずれ脅威になるであろうAが二枚も相打ちになるか疲弊するならそれは喜ばしいこと。そのためにこの女はタロックに組するチェスター卿に荷担したのだ。道化師の身勝手な言葉に、イグニスは激怒した。


 「それは悪戯に混乱を招くだけだ!カードにはまだ幼い子供もいる!それが欲集りな大人に知られればどうなる!?家族や友人、大切な人を人質にされて無理矢理自分の願いでもない、汚れた願いのために利用され非業の死を遂げる!」

 「そんなの同じだよ。それじゃあ何も知らないまま、よく分からない内に他の殺人者に殺されるのが幸せだとでも?」


 鏡のようにそっくりな、教皇と道化師。それでも意見はぶつかった。普段は嘘で塗り固めたような顔をしている教皇も、こういう熱い言葉からは嘘が臭わない。普段こういう言葉を言わないからか。控えているからか。これこそが本心だと周りに思わせられる。今はそれをアピールする相手などいないし、俺にアピールする意味などないだろう。ならばこれは本当に本心なのかもしれない。


 「無関係でもないよ。胡弓弾きの子にもカードはいるもん。それならその主であるシールおじちゃんは知っておくべきだと思わない?」

 「その子からはカードの気配はしない。双子の両方が生きていて、どちらか一方が選ばれるとも考えにくい。一人年の離れたキールという胡弓弾きが怪しい」

 「それが解ったところでジャック二枚で私に敵うとでも?」

 「僕が何時、ジャックだとお前に話した?」


 イグニスは今、とてもいい顔をしている。目の前の相手を心底馬鹿にしている顔。馬鹿にすることを楽しんでいる顔。それが似合ってしまうのが、この女の不可思議なところでありそして真骨頂。笑顔などの方が余程胡散臭いというものだ。こういう顔をしているときのこの女は、無条件で信頼できてしまいそうだとユーカーは呆れ嘆息。


 「お前は耳は良いし、そして目が良すぎる。だから見えない物を見ようとしない。悪い癖だ」

 「……!?す、数値を改竄した!?そんな……あり得ないっ!」

 「そうだろうね。この僕と対峙するんだ。初回は改竄を疑ったりはしただろう。それでもお前はそれを毎回続けようとは思わなかった。己の目を過信しすぎたんだよ」


 小気味よい笑いを発しながら、イグニスは手袋を外し左手を道化師に見せつける。手の甲にはハートの紋章。裏返された掌には……王を表すKの文字!


 「は、ハートのキング……!?自殺王!?馬鹿な!それはセネトレアから検出された!それにあの少年は……自殺王の名の通り、死ねないカードが自ら死を遂げたはず!他のカードに自殺は出来ない!ジャック風情が自害だと!?そんな馬鹿な話があるか!」

 「僕は一人で戦っているわけじゃない。僕の従える切り札達は、皆優秀な子ばかりですよ」


 イグニスの言葉は、部下の中にカードを入れ換える数式を覚えている者がいると言っているに等しかった。その言葉にさっと道化師の顔色が青くなる。そりゃそうだ。それはあまりに得体が知れない。どういうタイミングでそれが発動するのかも解らない。それをされたなら、最強のチートカードさえ破られる可能性があるのだ。


 「解ったら暫く此方からは手を引け。消耗した騎士様達が御しやすいと思うな。彼らとカードを入れ換えられた時、困るのはお前だろう」

 「……っ、お前の方が“僕”より余程道化だっ!」


 捨て台詞を残し、道化師は姿を消す。空間転移だろう。大きな耳鳴りが起こったがそれはすぐに消えた。


 「さて、邪魔者が消えたところで……」


 此方の治療でもしてくれるのかと思いきや、教皇は笑顔でチェスター卿に向き直る。


 「お初お目に掛かります、チェスター卿シール様」

 「おい待ておいこら腐れ神子」


 床に這い蹲ったままのユーカーは、教皇の服の裾を引いて転ばせた。


 「何するんだ!」

 「てめーが何だ!」

 「大体僕は教皇であってもう神子じゃありません、頭が高いんですよ地方領主の勘当息子風情が」

 「クソ喧しいのはてめぇだ!元々てめぇ唯の平民だろうが!」


 喧嘩腰で俺の髪を引っ張り上げるイグニス。やりかえしてやろうと思ったが、流石に女相手にそこまで出来ず、頬思い切り抓るに留めた。


 「回復数術出来んなら出し惜しみしねぇで何とかしろ!」

 「どうせまだ貴方死にそうにないし良いじゃないですか!後々のことを考えると幸福値の無駄遣いはしたくないんですよ」

 「あー、折れた。これ完全に折れたわ。俺死んでもあの野郎の味方しねぇわ。俺がアルドール裏切るフラグ完全に立ったわ」

 「そういう天の邪鬼とかツンデレが許されるのは、僕みたいな謎めいた美形くらいなもんなんですよ。十代後半の男にそんな属性あっても喜ぶのはトリシュ様くらいなものです」

 「自分で言ってりゃ世話ねぇぜ!」

 「黙れDT騎士」

 「ぐっ……そ、そういう罵倒は名誉毀損だ!っていうか何だ!やったくらいでそんなに偉いのか!?そんなら世の中の変態共はみんな鼻高いだろうな!」

 「へぇ、そこまで言うのなら良いですよセレスタイン卿?本来であればカーネフェルの守りに配置する予定でしたが貴方もセネトレアに送り込んで差し上げましょうか?貴方みたいな微妙な二枚目半でも一応は真純血で稀少なカーネフェリーの若い男ですもんね?おまけに初物と来れば微妙な嗜好の変態共が遊んでくれることでしょうから!女装属性もおまけに付けてそのままのフル女装で空間転送させましょうか!?幸福値の出し惜しみに文句があったんですよね?なら出し惜しみせずにして差し上げますよ!」

 「い、いや待て落ち着け。お、俺もほんの少しは悪かった!」


 これ以上そういう話は御免だ。俺はよろよろ起き上がり、自分で応急処置を施すことにする。最初からそうしていれば良いんだよと蔑みの目を送った後、教皇はチェスター卿へと再び向き直った。


 「お見苦しいところをお見せしました。主に彼が」


 もはや何もつっこまんと心に誓い、俺は耳に蓋をする。


 「混血が教皇とは……シャトランジアも地に落ちたか」

 「そういう固定概念はよくありませんよ」


 ニコニコと応対するイグニスだが、俺には解る。あれ今瞼の辺り怒りで一瞬ぴくって動いた。それでもこの教皇は、やられたらやりかえす。右の頬を打たれたら、相手の右頬を貫いて左頬まで貫通させるくらいの精神的過激派だ。話術でこの女に勝てる相手が、世界に何人いるだろう?


 「だって、貴方のお抱えの子達も僕と同じ混血じゃないですか。てっきり貴方は混血に対する理解があるのだと思っていましたよ」


 投下された爆弾発言に、その場が凍り付くのが解った。信じられないという風に胡弓弾きを見るチェスター卿の視線。その疑いの眼差しを向けられた時点で、多分全ては決まっていたのだ。


 「みんな、同じなんだ」

 「カミュ……ル?」


 チェスター卿の胸を貫いた矢。それを射た胡弓弾きは、冷たい目で領主を見ていた。これまであまり感情をもてに出すことがなかったその少年が、泣きながら……地に伏せる領主を見下していた。

あと少しでトリシュ編終わらせられるかな。

そこから今度はやっとセネトレア戦争編が始まります。ここからが6章本番。

この章は長くなりそうです。

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