34:Vestis virum reddit.
「神子、……いや教皇。お前馬鹿だろ」
待機命令を下されたトリシュとジャンヌ。片や思いこみの恋のために国まで捨てかけた、割とろくでもない騎士、片や聖十字の法に背いて祖国に戻った聖十字。言われたところで大人しく待っているはずがない。ユーカーがそれを指摘すれば、イグニスにも返す言葉がなかったようで頭を押さえ項垂れた。
「貴方だけには言われたくありませんけど、今回だけは否定しません」
*
思い返すこと暫く前……ユーカーがアロンダイト領から連れ戻されたのは、その日の夜中も夜中。それでも妙な使いが来たのは丁度夕飯が終わった頃?山賊達の埋葬も終わり、それに協力してくれた兵と領民を労って炊き出しをして、見張りを残し身体を休めるように言って回っていた頃だったか。
薄暗い闇の中からすっと現れた二人の女。その片方は見覚えがある。確かジャンヌの同僚の、元聖十字兵。だがもう一方は見覚えがない。明かりの下でまじまじとその女を見るがやはり見覚えはない。それでも相手は此方の名前を知っていた。
「はじめましてセレスタイン卿。教皇聖下からの勅命でここまで参りました。聖十字軍神子改め教皇親衛隊が一枚、ルキフェル=ラ=トゥールと申します。以後お見知りおきを」
その女に惚れたとかはアスタロットに誓ってあり得ないが、ある一点に俺の目は釘付けになる。
(あのメイド女より凄ぇえ……)
身長もそこそこある。その上ブーツなんか履いてるから、顔より先にそっちが目に飛び込んだんだ。俺は八割悪くない。胸部から目を逸らし、見上げた先にはシスターに扮した青髪の娘。年は俺と大差ない。十代半ばを過ぎた辺り。その瞳はアクアマリン色に僅かに染まった水晶。見るからに混血という出で立ち。
「おい、まだこっちに潜入してた部下がいたのか?」
「いえ、シャトランジアには転送専門に特化した空間転移数術使いが居りますので」
カーネフェルとは言えそれは危ないのではないかと指摘すれば、思い出したように娘は金髪青眼を装った。この様子を見るに、すぐにここに飛ばされてきたという感じか。混血は空間転移なんてろくでもない技を持っている。あり得ない話ではないが。
しかしあの女の部下にしては何というか、物腰丁寧な女。派手な外見の神子と違って、一般的なシスターらしい出で立ち。清楚な膝下ロングスカートを身に纏うその女は顔こそ少女らしい童顔だが、くびれはあるわ胸やら尻やらは何とも健康的な肉付きだ。神子なんか全然なのに。俺の知る混血と比較して見れば、全体的に悪くない。混血の癖に……と好印象を抱いたところ、背後から女兵士の一人に抱き付かれた。その金髪女は俺の部下じゃない。この混血女を案内すべく、湖城から連れ立ってやって来た?ジャンヌの戦友。何事だと振り払うと女は崩れ泣く。
「北部の英雄様もやっぱり殿方で、ルキちゃんみたいなでか乳女がタイプなんですね」
「シャル、あんた何その恰好……潜入任務って女装だったわけ?」
「え?」
若干呆れた様子の青髪女。俺とその女兵士を汚らわしいものでも見るように、あからさまに目を細めた。
(じょ、女装だと?)
視覚数術を使っているわけでは無さそうだが、目の前の兵士は何処からどう見てもカーネフェリーの女に見える。でも……そうだ、そう言えば聞いたことがある。
(聖十字はジャンヌみたいに敵に舐められないよう男装して警備に当たる奴もいる。それならその逆で、腕っ節の立つ男を女の振りして敵に油断をさせて警備に?)
人を隠すなら人の中。なんともあの姑息な混血教皇らしい手だ。
「あいつらしいやり口だぜ」
「神子様を馬鹿にするんですか!?」
ユーカーの溜息に、ルキフェルという女が初めて敵意を向ける。
「まぁまぁ、落ち着いてルキちゃん。神子様も彼には一目置いてるんだから」
「全くそんな気がしないんだが」
「ほら、最近流行ってるじゃないですか。ツンデレでしたっけああいうの」
「全世界のツンデレに謝れ、割と本気で」
啀み合う俺と女の仲裁に入る女装男。しかしそれは火に油を注ぐようなもの。俺のツッコミに青髪女が怒り狂った。
「神子様は可愛いわよ!この眼帯野郎っ!人が下手に出れば調子に乗って!あんたさっき私の胸見てたでしょ!この変態っ!痴漢っ!性犯罪者っ!恒久的久遠的永劫的エターナルDT!」
「なっ……誰がお前みたいな女を見るか!つか何だ最後のは!その口の悪さ、飼い主そっくりじゃねぇか!」
個人情報の流出ってもんじゃねぇ。人のプライベートまで部下に流すとはあの女、俺との全面戦争やり合いたいのか?
「つか何だ、教会的にはむしろ俺は褒められるべきだろ!禁欲的って意味で」
「何よ、男なんてみんな獣の癖に!何清らかぶってるわけ?女の子に相手にされないだけなんですよねわかりますー。はんっ、どうせ騎士様だって所詮男よ。夜な夜なソロ活動に勤しんでおられるんでしょうよ!汚らわしいっ!」
「なっ……てめぇは俺の何を知ってるってんだ!大体俺はお前なんかに興味ねぇよ!」
「へー、そうなんですかー。それじゃお偉い騎士様は女の子に興味ないんだー。神子様、十字法的に影ながらこの男抹殺しちゃ駄目ですか?吹き飛べ同性愛者消し飛べ××野郎」
「な、何だよその消去法の二択はっ!」
やっぱりあのクソ神子改めクソ教皇の部下だ。性格が破綻している。メイド女とは別方向に俺の苦手なタイプだ。あの女はインモラルセクハラーだが、この女は禁欲的弾圧者だ。
「マリアージュを救った男だって聞いたからどんな男かと思ったけど、神子様の足元にも及ばない」
「え、そう?結構イケてない?僕はタイプだなぁ……」
「これ以上俺を不幸にするのは止めてくれ」
これ以上男とのフラグは要らんとシャルルスとかいう女装男を突っぱねる。外見だけはトリシュよりも女らしいが、俺が不幸だと言うことに変わりはない。
「いいえ騎士様!僕は女装男ではありません!職場の女の子達のねちねちドロドロのねちドロっぷりから女性恐怖症が発症、今では男性的な女性が好み!ついでに言えば女性より男性がタイプなだけのナイス×イですっ!女装好きの貴方でしたら私の気持ちも理解してくれると思いましたのに!」
「何時から俺が女装好きかつ××なんて設定になったんだよおい!あと第一人称は統一しろ!トリシュとキャラ被るぞ!」
「女装キャラが心まで女化して男に惚れるとカマ成分が増してなんだか萌えられないっ!手術でもさっさと受けて来いやって言いたくなるっ!それでもあくまで心が男であって女装が好きなだけなんですーとか言われて彼女なんか作ってそれで男の娘とか名乗られるとそれはそれでなんだか気に入らないっ!リア充断罪されろっ!っとなれば大事なのは精神的な男らしさと女らしさの黄金比率っ!あくまで心は男のまま男らしくっ、それでいて外見だけは女の子よりも愛らしくっ!そのギャップこそが素晴らしいっ!要するにホ×ですよ。言い逃れなんかしても所詮は×モですよ。男の娘は男じゃないから××じゃありませんとか、少年愛は同性愛に含まれませんとか言うのは腐れバ×野郎の言い訳に過ぎませんよまったく。それに引き替え貴方を取り巻く状況はなかなかです!ソフィアの任務先が羨ましいと思ってたけど、こんなに美味しい逸材がカーネフェル側にいたなんてっ!もういっそ敵のあの女装少年に走ろうかと思っていました!」
「……えっと、何言ってんのお前……?」
ユーカーは血の気が引いていくのを感じた。本気でシャルルスの言っていることがわからない。がっしりと両手を掴まれ熱く語られても同じ言語を話している気がしない。
「第一人称はやはり俺に限りますよね!だけどほら、僕には外見的に似合わないって言われて妥協したんです。嗚呼、男らしい性格言葉遣いなのに、あんなに可憐に女装が出来るなんてっ!お兄様、或いはお姉様をお呼びしてもっ!?」
「呼んだらぶっ殺す」
「きぃやああああああ!ktkr!むしろ貴方がツンデレですねわかりますっ!」
是非ともお近づきになりたいとうっとりした目を向けるシャルルス。あの神子の部下、ろくな奴がいねぇ。
「シャル、あんたそんなろくでもないことのためにここに来たわけ?」
「あ、そうだった」
青髪女にツッコまれ、こほんと咳払いを一つ。女装男は俺の方へと向き直る。
「改めまして僕はシャルルス=コンクェスト。潜入任務の女偽名はシャルロット。神子様の親衛隊が№7、其方のルキフェルが№16。」
「親衛隊?№……?」
俺がなんだそれはと言ったところでシャルルスは天に向かって一発銃を打ち上げて、俺に耳鳴り……つまりは数術を紡いだ。
「防音盗聴防止数術。ここでならお話しできます」
これまでのハイテンションを何処かに潜め、シャルルスは少年らしい地声で言葉を話し出す。
「僕らは表向きは親衛隊、裏は聖教会隠密密偵諜報部改め死刑執行機関運命の輪。ナンバーが若い方が優れた数術使い、下位ナンバー程武闘派の戦士。中にはイレギュラーもありますがその辺は気にない方向で」
詳しい名前は知らないが、そんなものがあるという噂は聞いたことがある。あの腐れ神子にこれまで部下部下言われていた連中の総称かと思えば話が早いが、死刑執行機関とは。俺を殺すと言っていたのも嘘ではなかったのだろう。どの程度こいつらが戦えるのかは知らないが、こいつらは殺し専門。戦争専門の俺とは得意分野が異なる。同じ人殺しでも、やり合うに不利な相手というのは事実だろう。こんな明るいノリでも、それを俺に告げると言うことはイグニスの奴が名乗りを許可した。俺への圧力を掛けるため、カーネフェルに俺を縛り付けるため……?いや、違うな。
(俺をカーネフェルから裏切らせないため、か?)
あの教皇の手段は飴と鞭。俺を悪意と善意で脅す。マリアージュの犠牲をも、俺を讃える餌として割と心根が単純そうな脳筋部下らにそれを教えた。そうやって慕われれば俺が動き辛くなると見越して、だ。こんな状況で、一応は共闘関係の俺まで根回しするとは恐れ入る。知っているのは道化師とレクスとその主だけだと思ったが、この様子じゃ教皇も怪しい。きっとあいつはジョーカーの存在を知っている。知っていて誰にも話さない。あんなにアルドールを信頼している癖に、それを隠すのは何故だ?何も見えない。しかし、奴は俺の正体を知っている。その上でこうして俺を絡め取ろうと策を練る。其程までに……どいつもこいつも、俺のジョーカーを求めるのか?
(家の道具の次は、国の、世界の道具かよ……くそっ!)
孵化の可能性を持たないカード達。カードにすらならなかった権力者達。俺さえ絡め取れるなら、どんな願いも叶える権利を根刮ぎ奪うことだって不可能じゃない。もし俺がカード以外の人間を大切に思う日があったなら……アスタロットが生きてさえいれば、彼女は格好の人質だっただろう。だけどランスにトリシュはカードだ。人質としての価値はないに等しい。例外的なペイジのパルシヴァルが怪しいところだから、警戒すべきはあいつだけ。そう思っても……カード以外の知り合いなんて、まだまだいる。生き残った俺の部下とか、アロンダイトの領地の奴らにランスの父親とか。この情報は極力誰にも知られない方が良い。教皇はそれも脅迫内容に含んでいるに違いない。孵化のことを黙っていてやろう。カーネフェルでの居場所を守ってあげるから、ここに留まれと奴は言っているのだ。
突然目付きが鋭くなった俺に、死刑執行部の二人は瞬時に警戒態勢。なるほどな、裏方仕事やってるってのはあながち嘘でもないらしい。深く息を吸い、俺は殺気を解く。それに遅れて二人も続く。
「運命の輪、か。……聞いたことくらいはあるが、そんな国家機密何俺なんかに話してるんだよ。秘密の共有で俺を飼い慣らそうと?それともクソ神子の思惑から俺が外れたら何時でも俺を始末できるって教えたいのか?」
「いいえ、貴方がいずれカーネフェル王の忠臣になることは神子様の預言で出ています。よって情報の共有は早いほうが良いとの神子様の判断です」
何故俺なんかを頼るのだと問いかければ、連中は妙なことを言う。神子の言葉は絶対な物だと信じるあまり、こいつらは何も見えていないんじゃないか?少なくともジャックの孵化の話は知らないようだ。もっとも、そう振る舞っているだけかもしれない。
「へいへい、勝手に言ってろ。俺はあんなガキに仕えねぇよ」
溜息一つ吐き出せば、その場の空気が完全に平時のものへと戻る。そうして呆れてやるとシャルルスは……
「でもそう言って仕えるんですよねわかります。だって預言に出てますもん。ツンデレの多用乱用は良くありませんよマイナス10点。でもやっぱりツンデレは良いっ!」
と訳の分からないグッジョブサインを送ってくる。ルキフェルという女は「眼球腐ってるのシャル?神子様の方が一億万倍可愛い」と俺を鼻で笑っている。第一印象は何処へ消し飛んだのか。もはや消し炭同然だ。
「そんなことよりセレスタイン卿、今抱き付きながら一通り身体を調べさせて貰いましたが、目測通りで安心しました。手直しの必要無さそうです。というわけでこれをどうぞ。僕がこの数日夜なべして作った衣装です」
「どういうわけだ」
やけにテンションの高い女装男が差し出す包みを開ける前から嫌な予感は感じていた。そこから出てきたのは女が貰えば嬉しいだろう清楚で可憐なドレスだが、男の俺が貰っても嬉しくもなければ横流しで贈るような相手もいない。
「何だこれ」
「貴方の衣装です。これでイゾルデ姫を演じてください。神子様の預言通りならこれでさくっと解決します」
「俺のトラウマを蒸し返す気か!?問題解決して堪るか!」
「さぁさぁ、そこに座って!僕の変装技術で作り上げた貴方の髪質にあったエクステもご用意してあります。やっぱりお姫様の変装はロン毛に限ります。女装にはレパートリーが必要ですよ騎士様!ささっ、これで作戦決行のための準備を!」
「おい、てめぇアークと同じ悪ノリは止めろ!つーか作戦って何だっ!俺はここの警備がっ…」
「ジャンヌの傍で潜入捜査してる内にすっかり変装に磨きが掛かってしまって困りました」
全然困った様子に見えないシャルルスが俺に詰め寄る。逃げようとしたところでルキフェルに腕を掴まれた。
「お、女の癖に…っ」
なんつー力だ。混血って力は大したことがないって話だろ。だってのに幾ら踏ん張ってもその拘束から逃れられない。16は割と下位ナンバー。数術そこそこ使えて鍛えてもいるってどんなチートだ。肉付きは良いとはいえ、必要ない部分は一件細身のその女。この俺を拘束するとは、数術で何かしているとしか思えない。しかし耳を澄ましても耳鳴りが殆どしない。それはこの女にとって代償の軽い術だということだと思う。俺の耳鳴りが強ければ強いほど、それは大きな技。数術代償も増していく。
マリアージュのように、この女は何らかの数術にだけ特化している可能性がある。油断がならない。もし万が一、俺がイグニスと対立した時……この二人は俺の敵になる。というか、既に別に意味では天敵だ。
「それじゃ、世界平和のためにちゃっちゃと女装してくださいね」
にっこりと可愛らしく微笑むシャルルスに、俺の血の気が引いていく。
「何が世界平和だ!俺が不幸だっ!不幸になるぞっ!」
「最大多数の最大幸福のために犠牲は付き物ですもの」
俺の背後で笑った青髪女、ぐぎぎと首を動かして睨み付けるも目が笑っていない。俺は悲鳴を上げる間もなく昏倒させられ気が付けば……
*
「……つーわけで、俺はフル女装させられてこの旧チェスター領まで飛ばされていたわけだ」
何なんだお前の部下はと教皇を睨めば、遠い目をしてイグニスが笑う。あの二人にアロンダイト領を任せる形で、俺は再び湖城に運ばれたのだろう。
(俺……なんか最近女運が悪い。いや、男運も悪いが……)
コートカードの幸福値を温存できているということなんだろうか?リアルラックは普通にいつも以上に悪い気がする。小言を吐けば、教皇はさっと目を逸らして笑う。しかし微笑がぎこちない。
「こ、個性的で可愛い子達ばかりですよ、ははははは」
「お前俺に初めて会った時、自分は混血わんさか選り取り見取りの美形ハーレム親衛隊持ちだとか言って俺を馬鹿にしてたよな」
ただし性格に難ありと、その後ろに付いていそうだ。会ってみたら別に羨ましくとも何とも無いのは気の所為か?目を逸らしたまま奴は、こほんと一回咳払い。いつもの不貞不貞しい目で俺を見る。
「マリアージュを早々に失った痛手、そして貴方にブランシュ領攻略に出向いていただく以上、僕も手札を本国から調達する必要があったんですよ」
「それはシャトランジアの警備が薄くなるって事だろ?道化師に狙われたらどうするんだ?」
何気なく零れた言葉。それは共通認識だと思っていた。こうして啀み合っては居ても、今は一応共闘関係にあるのだから。しかしそれはこの女にとって意外なものだったのか、珍しく邪気のない、可愛らしい顔で惚けている。
「……貴方がそれを心配してくれるんですか?」
「そうだな、俺には関係ない話だった。忘れろ」
舌打ちを一度して、ユーカーはイグニスに改めて言う。
「話が逸れたがやっぱりお前馬鹿だろ」
「失敬な。僕だって色々考えて居るんです。唯、この国の人々は個性的過ぎるだけですよ」
火のクラブも風のスペードも水のハートである自分とは相性が悪いのだと、教皇も舌打ちをする。
「あの二人は僕には御しきれません。同胞の尻拭いは貴方の仕事でしょう?」
それがランス様のためですから。そんな含みがそこにある。俺は再び溜息だ。
「んで?何で俺が女装なんかしねーといけねぇのか問い質しても良いか?」
「貴方はチェスター卿とも面識があり、彼の抱えた胡弓弾き達とも顔を合わせた。変装も無しに乗り込めるとでも?」
敵陣に乗り込むためには一役演じる必要があると説かれた。
「勿論貴方一人では行かせません。策ならあります。僕が悪役を演じ貴方をトリシュ様の恋人として売り飛ばす!そして貴方がアルドールとランス様の力になるべく頑張る。命と幸福値を削って内から引っかき回す。以上です」
「状況が状況だけにツッコミは極力控えるが、策じゃねぇにも程がある……それは目標だろ」
「時間がないんですよ」
どいつもこいつも俺を汚れ役やら餌やらに使いやがって。不満は幾らでも見つかるが、見つけようとするのも時間の無駄。これ以上時間の浪費も出来ないか。
「はぁ……まぁいい。これが終わったらトリシュの野郎に文句言ってやる」
「ええ、そうして下さい」
出来るものならね、そんな含みを感じた俺は教皇を見やったが、奴は視線を窓際に逸らしたまま、馬車の仕度が調ったと言い放つ。
「なんだってあの野郎……」
そんな無茶をするんだとユーカーは独りごちる。あのトリシュが“イズー”関連話以外でそんなに我を忘れるようなことがあっただろうか?チェスター卿との親子関係を修復したい?それともアルドールとランスを心配してか?
(それとも俺が、そうさせた?)
俺がそれを強いたのか?ランスのための駒になれと無理矢理良いように使っている?それを無意識として罪悪感も知らないまま。ランスが俺にしてきたことと同じことを、今トリシュに強いている?思い当たればその瞬間から、どくんと後悔の音が脈打つように息吹き始める。心臓が握りつぶされそうなプレッシャー。
「二人が馬で出掛けたとはいえ、領内に忍び込むのは骨が折れるでしょう。僕らが先回り出来るとは思います」
此方の不安を感じ取ってかイグニスがそんなことを呟いた。そこからどうなるかはお前自身の力の問題だと、突き放されるようでもあった。この教皇としてはアルドールのための駒はなるべく消費したくないと考えているようではある。それならトリシュのことも捨て駒にはしないだろう。そう思うのだが、教皇の横顔は俺自身より不安気に見えてならない。不安だと感じることがあるのなら、それが何よりの不安だった。
「辛気臭ぇ面しやがって。そんなにあいつが心配か?」
カーネフェル一の騎士が付いてるんだぞと睨み付けるも、女教皇は溜息を吐く。
「だから心配なんですよ」
「は?」
「ランス様がアルドールなんかのために頑張られても、それは二人のためにはなりません。アルドールが本当に良き王にならなければ、何の意味もない。ランス様の感じている苦痛の何もかも……全て無意味に変わってしまう」
「俺は思ってねぇが、お前はアルドールが良い王になると思ってやがんだろ?」
「信じていますよ。だけどそれは、すぐに結果として現れることじゃない。死に急いでいるランス様には、それが牛の歩みよりも遅く映ることでしょう」
隣にいたとしても、二人は時間の流れを同じように感じられない。アルドールの何もかも、苛立って不快に見えても仕方ないと、イグニスは目を伏せる。
「あいつが生きている内に、それが叶わないかもしれねぇってことか?」
「……そこまでは僕には解りません。アルドールは幼く、これから更に弱くも強くもなれる。王としては未知数です」
溜息を吐く教皇。その口元が見えないことに気が付いて、ユーカーは改めてイグニスを見る。いつもの修道服とは違う、教皇になってから着ていた礼服とも違う。耳まで覆う妙な髪飾りと帽子と錫杖。それが正装なんだろうか。しかし口元を隠すマスクは正装としては失礼というかシャトランジアらしかぬ感じはする。
「そう言えば、その格好どうしたんだ?」
「相手は毒使いですから、僕も完全武装を施したまで」
「俺には何もないのかよ」
解毒数術なんてランスでもなければ使えない。レクスから貰った解毒剤も底が尽きた。そういう支援はないのかと問いかけても教皇は冷たい。
「衣装差し上げましたよね」
「これに女装以上の意味があるのか?」
「ある数術効果を刻む計算文様と刺繍を施してあります」
なるほど、唯の嫌がらせ以外の意味はあったのか。なら仕方ないと受け入れるしかないのが悲しい。
「トリシュ様はこれまで貴方に助けられてきました。森での決闘、湖城での一戦、そしてあの城を奪い返す戦いにしても間接的にはそうでしょう」
「何が言いたい?」
突然トリシュの話を口にするイグニスは何を考えているのか。
「彼は貴方を助けたいんでしょうね。そのために自分の抱える問題全てと蹴りをつけたい。そして余裕を持って貴方を支えられる男になりたい。それが今の彼の願いでしょう」
「……俺にはそんな価値はねぇ。あいつだって解ってるはずだ」
「さぁ、どうでしょうね。唯、僕が仕組んだことではありますが、今の彼には驚かされます。そしてセレスタイン卿、貴方にもです」
「は?」
煽てても何も出ない。それを理解して何故俺を褒める?訝しげに女を見れば、そんな俺を奴は嗤った。
「僕の知る世界において、トリシュ様の理想の女性は綺麗な金髪、回復数術の使い手の高貴な女性という条件がありました。後者は絶対ではありませんがなるべくなら必要な要素」
もしローザクアでイグニスかランスが囮になっていれば、今トリシュがイズーと呼んだのはその二人のどちらかになっていただろうと奴は言う。美しい少女、金髪、回復数術……全ての要素を持っているのはイグニスだ。この女は自分がトリシュという面倒事を避けるために俺を囮にしていたのか。それは何故かと考えて、思いつくのはあのぼんくら王との微妙な関係。自分は聖職者だと言い張っているが、この女はアルドールに惚れているのではないだろうか。それならジャンヌの問題もランスの問題も杞憂に過ぎない。ならば今俺がトリシュを押しつけられた現状は、比較的マシだったと思わないでもない。
「違いますよ。僕は定められた定義、世界の法則を破った貴方に畏怖の念を覚えたまでです」
此方が何を言い出す前に、教皇はそれを察して否定する。あんな男に誰が惚れるかと、邪推したユーカーに軽蔑の視線さえ向ける。
「定義ってなんだよ」
「預言が定める法則です。例えば如何なる世界においてもランス様はカーネフェル王となったアルドールの妻に心を奪われてしまうことが定められている」
しれっとした態度でとんでもない事をもたらす教皇。その言葉に唖然としている間も説明は流れていく。
「な、何言ってるんだお前……」
ランスがようやく手に入れた感情。あんな人間らしいランスを見たのは何時ぶりかも解らない。そうやって選び取った感情の矛先も、何らかの情報に基づき定義された式であると万物が語るのだと教皇は言う。
「貴方はその定義の一つを破った。それが数術を扱えないコートカードにのみ与えられた力なのかどうかは解りませんが、貴方を連れて行くのはそう言うわけだと思って下さい」
孵化のことは知らない。それでも何かを勘ぐっていると言わんばかりのその言葉。急速にこの場の居心地が悪くなる。命を磨り減らせ。全てを捧げる覚悟を決めろ。奇跡はその先にある。預言を討ち滅ぼす力がそこにある。だから死ねと俺は言われているようだ。
ぐっと俯き目を伏せた。やるべき仕事が来るまで何も考えたくなかった。そうして心を閉ざして馬車に揺られていれば、俺の命を駒とかカードとか考えない人間は何人いただろうと考えた。
(トリシュ……)
その中の一人には、間違いなくあの男が居て。俺はそんな身勝手な安堵のために助けに行く風で、酷く気に入らない。俺という人間は、純粋に奴の心配が出来ないんだろうか。
「くそっ……」
アルドールとランスじゃエルスに敵わない。明確な願いを抱いた時、ペイジカードは強くなる。それまでだってエルスが負けることはあっても死にはしない。恐らく此方はクィーン以上のカードを出さなければ殺せない。これまで同様、俺が汚れ役をすることが出来ない相手になる。その時ジャンヌの、女の手を汚させるのか?それだけでもランスとアルドールの確執は深まる。それを回避すべくエルスを封じることが出来る人間が居るとしたらトリシュだけ。そこまでアルドールの阿呆が考えていたかは知らないが、結果として上策だ。しかしその場合エルスの説得に敗れた場合トリシュは危うい。ジャンヌが共に向かったのは最善だが、どうにも胸騒ぎがする。
(ルクリースだって、クィーンだった)
本来キングかジョーカーが出なければ死なないはずの。あの女を殺したのは、道化師の直接攻撃ではない。道化師はフローリプや死体を操り戦った。そんな間接攻撃で良いのなら、カードの相性はどうなる?超遠距離攻撃に長けた人間が有利なことこの上ない。それが違反でないのなら、道化師は幾らだって同じ手を使ってくるはずだ。幸福値を磨り減らすことが目的なら、トリシュの援護をさせられるジャンヌの負担は大きい。そこにアルドールとランスが加われば、あっと言う間に食い尽くされる。中でも属性不利かつキングのレクスとやりあった、トリシュの幸福値の消費は顕著。ジャンヌとトリシュを組ませるのは効率の悪い賭け。ならばいっそ、イグニスはトリシュの保護のために俺をイズーとして配置したのかとすら思える。そうすることで何が得られる?北部制圧のための、アルドールの王としての地固めか?
(いや、こいつは)
トリシュとチェスターの爺を和解させる気なんて更々ない。トリシュにチェスター卿を討たせることで、王への忠誠のために養父を手に掛けた悲劇のヒーローを演出したいのだ。トリシュへの支持率はトリシュが仕えるアルドールへの支持になる。そしてそれが成功すれば……トリシュは俺とアルドールを天秤に掛けた時。アルドールを裏切りにくくなる。アルドールへの忠誠が気の迷いを上回れば、万が一俺がカーネフェルを裏切っても、トリシュは俺の味方にならないだろう。トリシュが生きても死んでも、利用するつもりなのだこいつは!
そのためにこの教皇はまだトリシュを死なせたくない。だから国から部下を派遣してでも俺を連れ戻したのだ。俺は俺の首を絞めるためにここに連れてこられたというのか!?
「てめぇ……」
「そこに気付きましたか」
気付いた刹那、その場に立ち上がり相手が女だと言うことも忘れ、胸倉を掴み上げて睨んだ。それでも教皇は妙な憂いと自信、優位性の宿った瞳で臆さない。先に目を逸らし手を離したのはユーカーだ。襟首を直しながら、イグニスは息を吐く。
「勿論、和解がなれは僕もその方が喜ばしい。継続してブランシュ領をチェスター卿に任せられる」
トリシュをブランシュ領の守りに封じることは、アルドールの護衛が減ることだ。それも問題だと奴は言い、そのためにお前を連れてきたのだと琥珀色が語る。
「二人の仲違いを止められる者がいるならば、法則としてそれはその世界でトリシュ様がイズーと認めた相手だけ」
「それなら最初から俺を連れて行けば良かっただろ」
「説得は生け捕りにした後からでも可能だと思ったんですよ。面倒臭いことにその配役は薬であり毒だ。どう転ぶかはわからない、危険な賭でもある」
「そんな、馬鹿な話が……あいつの持ってた本でもねぇんだ」
ユーカーの嘆息には何も答えず、教皇は答えを沈黙の内に秘める。
「一つ教えて差し上げますよ。……ランス様もジャンヌ様も、貴方の弟分もトリシュ様も。皆なんらかの法則に縛られています。言霊って知っていますか?」
「言霊?」
「言葉が繋げる奇跡、数術の一種です。名前も記号の一種。その名を呼ばれれば呼ばれるほどに因縁は深まり、それに由来する全く別の人間の運命にシンクロしてしまう。その名が持つ因果に引き寄せられて。だからそう言った束縛名詞ではなく別の由来を持つ自由名詞のカードには打開のための数式が宿るのだと僕は解釈しています。貴方への過度の期待は自由名詞の貴方がコートカードでもあるからですよ」
「専門用語マジ止めろ」
意味わからんと眉間を押さえる俺を、せせら笑うような教皇の視線が突き刺さる。それでもその笑みはやがて誰かへの自嘲へ変わる。恐らくそれは、奴自身への……
「僕は部下に名前を授ける時は力ある言葉の自由名詞を授けます」
言われてみれば奴の部下の名前は皆風変わり。それはこいつなりの祝福の名詞だったのか。とは言えそんな名前一つに人生振り回されるなんて馬鹿げている。幾ら万物が数字であったとしても、人の名前や声まで数字化されているものか。到底信じられない。
「セネトレア程新しくはありませんが、カーネフェルの歴史はシャトランジアタロックに比べてまだ浅い。その劣等感からでしょう。よってカーネフェルには伝承や過去の偉人の名に肖り命名する風習があります。この国で法則に縛られていないのはアルドールと貴方くらいなものです。そのアルドールだって、一つの法則に縛られている」
「あいつが……?」
自由名詞を名付けられたアルドールも法則の中にあると言うのは妙。それならここまでの話全てが嘘だと言われた方が納得できる。
「元は大したことはない話だとしても繰り返されることで因縁は深まる。小さな嘘でも積み重ねれば大きな事へと変わるでしょう。これはそれと同じ事」
「いや、本当に意味がわかんねーんだけど……」
「僕の知る全ての未来。預言が告げる数多の可能性の全てに置いて、アルドールは生き残れない。それでも彼を生き残らせることが出来れば、彼は賢君となりこの世界を救うことを断言できます。世界の救済のためにそれ以外の道は無い」
だから血眼になって奔走しているのだと教皇は大げさに肩をすくめた。その仕草の所為でそれは大げさな法螺にも聞こえ、信憑性に欠けている。……とは言え宗教に浸かってる奴と戦人間の話が合うとは思えない。話の半分も俺は理解していない。話すだけ双方にとって無駄なことだ。とりあえず道化師とジャックの関係に、教皇が確信を得ていないことだけは伝わって来た。法則と因縁を知ることが出来ても、未来その物はもはや見えない。二枚目のジョーカーのことはこの女はまだ知らない。
(それともそう思わせるための……罠?)
俺だけに情報共有を図る辺り、何を考えているのやら。一応は味方の立ち位置でも、完全に信用できない相手。こうして一緒にいても気が抜けないのは面倒だ。どちらにせよ、利用されていることは確か。ならば今は思い悩むことすら無駄か。そんな余裕は今の俺には無いはずだ。一度両手で頬を打って眠気を払い、気合いを入れる。その音に釣られたように空が白ずんで来て、ブランシュ領が見えて来た。
今、ブランシュ領に乗り込むためには協力をし合う必要がある。啀み合うのは後からでも構わない。ユーカーは座り方や佇まいを直し、人質らしい顔をしてやることにする。それを確認したイグニスも、小さく頷きよく似合う悪党らしい笑みを浮かべて嗤う。こうして見ると本当に道化師によく似ている。それがあまりにそっくりで、一瞬だけ本心からビクついてしまった。
「何だ、おまえ達は!」
「頭が高いですよ、まったく。私は聖教会、聖十字を束ねる者。いいえ、今はシャトランジアの全権を握る役職にあります。チェスター卿とタロック王との会談を望みここへ来ました。通していただけますよね?」
拒否出来る立場の者など居ないし、いるのならシャトランジアと教会兵器を敵に回すぞと愛らしくも恐ろしい微笑で教皇が笑う。
「な、何を勝手なことを!大体お前の身分を誰が保証……」
教皇を馬車から引き摺り下ろそうとした兵士。その横を掠めた風と音。その場に尻餅をつき、腰を抜かしてしまう兵士。警備兵とと俺が見たのは弾丸一発で、封鎖されていた関所を跡形もなく破壊した。音は最初の破裂音だけ。その後それが破壊される音などしない。訳が分からないその奇跡に連中は恐れ戦く。脚部の裾から取りだした、銀色の銃。それを構え兵士に向かい教皇は照準を合わせる。引き金を引けば消えるのは次はおまえ達だと暗に脅して。
「タロック王の配下が事もあろうにこの私が乗った船を沈めたんです。これは挨拶をしなければと思いましてね。そう、何も手土産がないわけでもないですよ。私は平和主義者ですからね」
どの口がそれを言うんだとこの場の人間全てが思っていたはずだ。それでもそんなことを言ったなら今度消えるのは自分。全ての兵がその場に固まり動けない。勝手に動くことも教皇の怒りを買うのではないかと、恐怖からの震えもそれぞれが殺そうと必死になっている。それでも最も年配の兵士が震える声で跪く。
「し、しかし恐れながら……教皇聖下、我々はシール様の許可がなければここをお通しするわけには……」
「良いんじゃないですか?話だけなら聞きましょう」
不意に聞こえた弦の旋律。見上げれば生き残った城壁の上に見える胡弓弾き……あれは確か弟。カミュルという少年がヴァイオリンを奏でながらそんなことを言う。
「それで貴方を信頼するための手土産が其方の女性と言うことですか?」
「ええ。此方はイゾルデ姫。さる高貴な家の出であり、ブランシュ卿が大切にしている方。それだけでチェスター卿には意味のあることだと思うのですが?」
人質としての価値は十分にあるだろうと笑う教皇に、胡弓弾き弟も同類の笑みで応じる。
「……良いでしょう。許可が下りました。此方へどうぞ」
馬に跨り馬車を先導……それでも演奏を止めないカミュルが案内役として此方に背を向けた。その背にも眼があるのでは?そんな風に思わせる少年の背中に、距離を縮められないまま俺たちは後を追った。
ユーカー回というかイグニス回。
イグニスの部下がまた表舞台に顔出し。ユーカー以外には話さないっていうのも伏線っちゃ伏線。
最後までアルドール守れて道化仕留められる(上に最後アルドールが殺して勝利できる)駒があるとすれば、それはユーカーだけだから、イグニスはいろんな意味で期待(脅迫)してるんだ。