33:Non omnes qui habemt citharam sunt citharoedi.
甦る戦慄に、瞳開けば夜の闇。虫達の囁く声が、そっと心を慰める。キールは目覚め、身体を起こしそして夜の庭に下り立った。
そうして目を閉じ、心を静め……ヴァイオリンを奏でても、夢現の靄の中で甦るのは終焉のラッパの音。始まりと終わりを告げるための道具だ。その音色が何もかもを奪って消えた。村を焼いて両親を焼いて、幼い僕らだけを残した。それだって、それだって……今じゃ足りない。
(楽器は楽器。人の命に替えられない)
それが彼女の信条だった。こうしてチェスター卿に仕えるようになって、それがよく分かる。どうして守ってくれなかったのかと詰るために近付いたのに、彼は僕らを召し上げて傍に置いた気紛れな人。だけど彼は悲しい人だ。音楽の悲しみに気付いている。
戦争の中、芸術は死ぬ。芸術家も死ぬ。殺される。価値がないんだ。そういったものは平和な時代でなければ保護して貰えないような生き物。絵にだって音楽だって、値段が付くのはそういう場所でだ。それでもそう言う場所ならば、人の命はもっと軽くなる。人の命は楽器以下の重さに変わる。楽師だった父の形見。大事に手入れをして守ってきた楽器は、思いの外価値があったのだ。それでも彼女は最後まで楽器は楽器と口にした。どんなに軽くなった僕らより楽器は軽い物なのだと。それを否定するかのように、守れなかったことを悔いるように……チェスター卿は僕らに価値を置き、大切にしてくれる。それは罪滅ぼしだろうか?
(だとしたら僕は……)
再び脳裏に甦るのは、日暮れ前の決戦跡地。ラッパが消えて戦が去った野で奏でた曲のこと……
*
僕らはあくまで民で王などではないから、誰かの幸せよりも遙かに僕ら自身の幸福を願う。それは音楽本来の在り方とは違うものだと解っている。聞いた人を幸せにするのが本来の音楽だろう。それが僕は人を不幸にするために曲を奏でている。
音楽数術。それはなかなか高度な数術である。本来音声数術は人間には使えない。その大前提の中、僕と“彼女”が発現させたかなり特殊な才能だ。奏でる音楽によって人を耳から支配する。喜怒哀楽その他諸々、感情を自在操り望む事象を巻き起こす。それは脳に働きかける電気信号のように絶対。生きとし生ける者、脳と聴覚があるものなら僕らの数式から逃げられない。味方の軍の士気を上げたり、敵を恐れ戦かせるのは得意中の得意。それを人の耳に聞こえない音階で奏でれば良い。
チェスター卿とトリシュの仲はもはや修復不可能。僕は常にトリシュへの猜疑心を乗せた曲をあの人に聴かせている。最高級の材料を使ったヴァイオリン。僕らにとっては何よりの触媒にして増幅器。自然の元素に語りかけ、代償少なに奇跡を紡ぐ手段と成り得る。
僕は奏でてみる。拍手はない、歓声もない。みんな帰るか還ったから。
今日の戦も望む戦果が得られた。それでも相手側には犠牲が出ているのも確か。その殆どは何の罪も無い普通の人間。僕らと何ら変わらない。それでもカーネフェル王なんかに、弱い王に付いたのが悪いんだ。そう言い聞かせても心は晴れない。間違っているとは気付いている。それでも僕らは王じゃない。そうして納得させるんだ。還った人が憎むとしたら、死ぬ間際に伏せて見ただろう生い茂る草木、見上げた空。その色にして欲しい。
こうして踏み締める大地。この草の色だって誰の血を吸ってこんなに青々としている?両親だって“彼女”だって、この国で死んだんだ。それが僕らの心を殺した。カミュルとコルチェットの精神だって深く傷付けた。響く、響くヴァイオリン。悲鳴のように痛ましい。僕の恨み言を乗せて、それは一つの歌になる。その歌に重なる音色が二つ。そうして踊るような軽い足音が一つ。
「え?」
驚き振り向けば、浮き足立っていたカミュルとコルチェット。
「ついて来ていたのか?」
二人には城での待機を命じていたのに、何時の間にやら僕の背後に彼らはいる。それも僕らの数術の成せる技。僕が止めても続く二重奏。
「四重奏!四重奏!」
「トウィードゥルダム!トウィードゥルディー!るるるーりらりー」
いつも仏頂面の二人が本当に嬉しそう。僕が止まった腕を動かせば、二人は更にニコニコ笑う。
「四重奏?」
「シールのじっさ!」
「四重奏!」
僕らは今は三兄弟。主のヴァイオリンを加えれば、なるほど確かに四重奏。確かにそうだ、僕は二人に言ったんだ。あの男、ブランシュ卿トリシュさえ消えて無くなれば、僕らがチェスター卿の本当の子供になれると。もう旅をする必要もないし、食うに困ることもない。他人行儀でなくて良い。安全な場所でもう一度家族を得られる。音楽を愛し、音楽の価値を理解してくれる人の傍で幸せに……毎日楽しく生きられる。だからそれが今か今かと待ち侘びて、二人はやって来てしまったのだ。
(トリシュ……ブランシュ)
今、あの人の音色を曇らせるのがあの男。僕らの音色があの人に響かない最大の理由。戦争から逃げて逃げて、辿り着いたブランシュ領。僕らを拾ってくれたチェスター卿。
弟と妹が歪だけど笑顔を取り戻したのはここに来てから。二人は恐れ多くも主に悪戯をするような子供だったが、あの人はそれを叱れど、いつだって受け止めてくれた。だから二人も彼によく懐いたのだろう。
だけど僕には複雑だ。彼女が死んだ原因の一つであるその男。その優しさは罪滅ぼしと僕は考え甘んじていた。けれどその内にこの領地が僕らにとっての居場所になった。彼は領主として有能であり、仕えないのは国王の方。カーネフェル王の威厳がないから都貴族達に良いように使われている。そうして被害を被るのは、僕ら民だって話し。憎むべきは、カーネフェル王。そしてその昏君を崇める腐れ騎士共。
(その中でも一番あいつが許せない)
チェスター卿が僕らを可愛がってくれる理由がトリシュ。奴に出会った時、僕は言いようのない憎しみに駆られた。それは弟たちも同じだと思う。僕らはあの男の代用品だった。そのために注がれた愛情だった。
僕らは僕らの演奏であの人を笑わせてあげられていると思っていたのに、そうじゃなかった。仕える人に心から楽しんで……喜んで貰えない音楽なんて、悔しいじゃないか。弾く側も聞く側も楽しめない音楽なんて、そんなの音楽じゃない。
僕は多くの人を笑わせた彼女の足元にも及ばない。音楽も数術も。だけど……あの男。戦火から逃れて幸せに育った温室育ちの純血男に、僕らの音楽が劣るなんて言わせない。少なくとも僕の音楽は有能だ。唯の音楽なんかじゃない。
奏でた楽器、響く音。其処から生まれる数式で、死体の中から情報を引き出した。捕まったのはカーネフェル王とアロンダイト卿ランス。捕虜の中にも死体の中にも探していた男は居ない。わくわくしている弟妹には悪いけど、残念だと首を振る。
「結構しぶといね、トリシュ兄さんは」
さっさと死んでくれないかな。キールは考える。カーネフェルはお終いだ。そうなれば諸侯が考えるは今後のみの振り方。王には子がなく、命を投げ打って尽くしてやるだけの忠義や恩義がここにはない。仕えるべき新たな王は何処の馬の骨とも知れぬ少年。
「それに引き替え、シール様は賢明でいらっしゃる」
僕らの甘言に乗せられてくれた。そりゃあそうだ。我が子のように僕らが可愛いと言って止まない彼のこと。従わない理由がない。そう自らに兄弟に言い聞かせても、期待を裏切られた二人から新たに感じ取れるのは、我に返ったような恐怖の音色。タロック王への恐れ。相手は狂人、理性など無い。ここまで上手く取り入れたとしても、何かの間違いでチェスター卿を手に掛けることがあるかもしれない。だからこそ、ここに三人はいない。二人のことは置いて来た。二人が付いてきたと言うには些か語弊があった。
「キール兄さ」
「そう不安がることはないさコルチェット。トリシュさえ始末すれば、この領地は領主様の物になる」
「兄さん」
「カミュル……僕は、シール様と共に戦場へ立った。この意味が分かるかい?」
「……」
「僕は見た。見てしまった……先の戦で」
戦場の王の傍に侍る、あの混血の少女のような黒髪の……子鬼の姿。彼を見て、まったく僕らは何をしてきたんだろうなと思ったよ。彼は姿を偽わらず、己を偽らず、そして居場所を……庇護を得た。それはとても愚かなことで、僕らには真似できないこと。
真実を語れば僕らはここにいられなくなるかもしれない。シール様は僕らを純血だと思って、可哀想な子供だと思って拾ってくださったのだ。僕らの素性が知れれば、このヴァイオリンの音だってこれまで通りに聞いてはもらえない。
(僕は……)
トリシュ兄さんはどうでもいい。取るに足らない。羨ましいなど思わない。それでも狂王とあの少年の間の繋がりに、僕は僕らが失った過去を見る。あれは、あれが家族という物だ。僕らとチェスター卿の間には明確な嘘が埋もれている。
「冷酷無慈悲、残虐非道。それでも子供に甘い王」
騎士見習いの少年を見逃し、傍に一人数術使いの子供を置く。その理由を紐解けば、過去への贖罪と妄執に違いない。
「あの黒の王は別に僕らが嫌いな訳じゃないんだよ。お前達だって見ただろう?彼はあんなに小さな子供のために、化け物のためにわざわざ出陣なさった。そして天敵達の真っ直中に飛び込んで……こうして勝利した」
「兄さん……」
「お前とコルチェット。そして僕とディー姉さんで僕らは」
双子が二組、四重奏。片割れを無くしたのはこの僕だ。
「カーネフェリアは信用できない。僕らが、僕らと同じような奴らが生きて行くには、この土地が必要だ」
混血と子供に甘いタロック王は僕らを傷付けることは無いだろうと確信を得た。そうなればどちらに組するかは一目瞭然。タロックと戦うことより、受け入れることの方が犠牲は少なくて済む。少なくとも混血にとっては、狂王の庇護の方がセネトレアへの牽制となり安全だ。トリシュを殺せば、この土地はチェスター卿の物となる。チェスター卿は僕らの傀儡。タロックに貸しを作ったことだし、あの少年王の首さえ刎ねれば全てが終わる。本当の平和が訪れる。
*
「まだ起きていたのか」
鼻歌交じりに愉快げに。明るい明日をそこに見て、楽しく奏でるヴァイオリン。夜の城の中……突然後ろから声を掛けられて、キールは肩をびくりと震わせる。振り返れば少し疲れた様子の主の姿。僅かに心配の色が滲む声色に、胡弓弾きは少し安堵する。
「シール様?すみません、起こしてしまいましたか?」
「いや……あまりよく眠れん。一曲頼もうかと思ってな」
「それでは僭越ながら……」
音楽数術には二種類がある。曲その物が数式であり、他者に決められた左様をもたらす効果があるもの。或いは演奏者の感情をそのまま相手に送り付け、喜びや安堵、不安や痛みを共有させるための数式。
トリシュと戦う時はすぐそこまで来て居る。念には念を入れ、戦いに望まなければならない。上手く立ち回らなければ生き残ることは難しい。更に後ろ盾であるチェスター卿を失うわけにも行かない。志半ばで自分が倒れたときのことを考えて、弟と妹がタロック側でも上手くやっていけるように取り図らなくてはならないから。自分よりも純粋にこの男を慕う弟妹を見て、僅かに心が揺らいだけれど、これはコルチェットとカミュルのために行うこと。キールは主に向かい、じっくりと音楽数術を施す。まずは眠気を誘う音色で頭の中を空っぽにさせ……そこにトリシュへの憎しみを、カーネフェル王への憎しみをたっぷりと共有させて埋め込んで、うとうととし始めた主のふらつく身体を支え、寝室まで付き添った。
「お前も早く休め」
ぽんと一度頭に触れて、主は床に倒れる。それが一本の楔となって、後から後からキールに罪悪感を煽っていく。それでも願いのためならば、他人を犠牲にすると受け入れたはず。
(良いんだ、これで……これで良いんだ)
深く息を吸い、心を静める。抱え込むには辛いこと。昔はもっと楽に息が出来ていた。
「ディー……」
審判の力は失った者をも甦らせる。
欲しい物がある。僕には、僕らには。取り戻したい物がある。僕らには。
だけど弟と妹の手には何もない。星が降る夜に、選ばれたのは僕だけ。だって二人には願いがない。あったとしても願えるような心がない。今の言葉だって僕の受け売りなんだろう。
(でもそれでいい。それでいいんだ)
生きてさえいれば、続いていけば自ずと願いは生まれ出る。そのためにやむを得ない犠牲はある。部屋へと帰り寝床の毛布にくるまれば、聞こえてくる旋律。夢だ、夢を見ている。僕は見ている。もう戻らない夢を。
*
鏡のように瓜二つ。だけど全然違う音。高音低音、トウィードゥルダム、トウィードルディー……キーキー、ギーギー。響け、響けヴァイオリン。僕が好きなのはヴァイオリン。彼女が好きなのはフィドル。僕らはそっくりで、だけど全然似ていない。
「ディードル!なんなんだよその音は!」
はっきり言って彼女の音は不愉快だ。調律が狂いっぱなしでこっちまでおかしくなりそうだ。
「貸して。僕が調律してあげるから」
「ちょっと!何するのキールダム!」
これがいいんじゃないと、彼女は汚れた指で、繊細な弦を弾く。嗚呼、そんなことをしたら弦を痛めてしまうじゃないか。彼女の楽器まで自分の恋人みたいに扱う僕を、彼女はけらけら笑い見た。
「楽器は楽器じゃない」
「生活の道具だ」
「貴方の場合、もはや身体の一部みたいよ」
「否定はしない」
お堅い奴ねと彼女が笑う。僕とそっくり同じ顔で、僕が浮かべないような笑顔で。
「ダムはほんと、ヴァイオリンみたい」
「何それ」
「キーキーキーキー五月蠅すぎ」
「ディーが投げやりすぎなんだ」
「そうかしら?……ひゃはは」
「今度は何したの?」
「貴方怒るから言わないー」
「吐きなさい」
「いやー、ちょっと今転んだらそこの肥だめにフィドル落ちたわ」
「笑いながら言うことかっ!」
泣きながら彼女の楽器を取りに行く僕を、彼女がカラカラ笑いながら見送った。信じられない!こんな女が僕の片割れだって!?
「このヴァイオリンは父さん達の形見じゃないか!どうしてそんなに適当に扱えるんだ!」
「形あるものいずれなんちゃら。ていうかねダム、私と母さんのはヴァイオリンじゃなくてフィドルだし」
「仮にそうだとしても!君は楽器に対する愛がなさ過ぎる!」
「はいはい。貴方がヴァイオリンと結婚したらお祝いに行ってあげるわよ。で?どっちがお嫁さん?子供は何人の予定?サッカーチームが作れるくらい?オーケストラが組めるくらい?」
「どうして君って奴はっ!!!」
一家の長女がこんな人だなんて教育に悪い。弟と妹を真人間として育てるために僕は彼女の分まで頑張らなければ。僕はまだ楽器の扱いになれていない二人に一つ一つ教えていく。だけど一番大事なのは、構え方でも手入れでもない。心構えだ。
「いいかいカミュル、コルチェット。姉さんみたいな人間になっては駄目だよ。音楽家だった父さん達が泣くからね」
「うわーそうやって弟達洗脳するから家で私の立場無くなるんだけど」
「洗脳じゃない!教育ですっ!こらコルチェット!弓は生きてるんだ。迂闊に指で触っちゃ駄目だ!」
「兄ちゃん、うざい」
満面の笑みでコルチェットが微笑んだ。それに反して僕の表情が凍る。ぎぎぎと首を動かして、睨んだ先に口笛女。
「……ディー、さては君が妹達にそんな言葉を教えたな!」
「あっはっは。いやぁ、ほんとダムって馬鹿ねぇ」
「馬鹿ってなんだ!」
「昔みたいにお姉ちゃんって呼んでくれたら教えてあげる」
「死んでも御免だ」
「つれない奴ー。まっいいや。ようするに私が言いたいのはね……楽器なんて所詮楽器なのよ」
「全面戦争を望むんだね、解ったよ。僕はディー姉さんのおかずだけ夕食から一品減らす方針で行く」
「あー、待て待て待て!だからつまり、幾らでも換えが利くってこと。所詮人の命より高価な楽器なんてないんだわ」
私はこんな物残してもらうより、両親に生きていて欲しかった。彼女はそういうけれど、過ぎてしまったことはどうしようもない。
「……これは大事な形見だけど、高価な品だ。丁寧に大事に扱えば、いざというときお金に替えられる。そうすればカミュルとコルチェットにちゃんと食べさせてあげられる!」
だけど今は商売道具を打ってしまったら元も子もない。辛うじて僕と彼女は音楽の知識と才能がある。幼い僕らが他に稼げる術は無い。だから楽器が壊れたら大変なんだと彼女に僕は訴える。
「だけどそうはなりたくないから何処かの貴族の人に気に入って貰って、お抱えの楽師になるしかない!」
「そうは言うけど大河を越えて都に渡るなんて無理。海を渡るような稼ぎもない。大人はみんなこっちが子供だと思ってぼったくる気だし、乗せてもらって奴隷船だったなんてなったら大変だし海は渡れない。かといって北部で私ら拾ってくれるような御貴族様なんている?このご時世に」
カーネフェル北部は侵略が多い土地。戦争があると言うことは、音楽を楽しむ余裕なんて無いような土地だってこと。日銭を稼ぐことだって容易ではない僕らの現状が、それを代弁している。
「唯でさえ、私達目立つの危ないのに。ダムとミューはそんな格好でもしないと旅も出来ないのにね」
「それを言うな」
元の姿は非常に危ない。目の色を誤魔化したって、カーネフェリーの男児は危ない。純血を装った所で僕と弟は奴隷商に攫われる。
(だからってこれはないだろ……)
僕は路上にがっくり膝をつく。近くの水辺に情けない僕の姿があった。混血の我が身が惜しい。女の子の格好が普通に似合ってしまう僕らが。
「トウィードゥル四姉妹でーすっ!フィドル四重奏一曲どうっすかー!」
「だから僕のはヴァイオリンっ!」
まだ肥だめ臭のする楽器を手にした彼女が笑う。とても陽気な声と踊り。踊り踊るその音色……格式張った僕の演奏じゃ、田舎の民は靡かない。悔しいけど稼ぎ頭は姉さんだ。そのメロディに僕が重ねて、見様見真似の弟妹。始まった四重奏。四つの音が重なって、大きな音の波が生まれる。流れ流れて、風になる。それは始まりとか終わりとか……何かを告げる音じゃない。何にもならない音だけど、何にも人から奪わない。お金もそんなに奪えない。けどまぁいいか、そんな気持ちになる。
トウィードゥルダム、トウィードルディー……高く、低く、重なって。キラキラと世界が光る。音が弾けて数字が見える。万物が数字なら、一つの音も数字の一つ。音楽は流れるような計算式。その意味なんて解らない。僕には音楽数術以外の才能がない。見えるだけ、見えるだけ……でも見えるから、僕は音楽が好きなんだ。普通の人は音楽を耳でしか楽しめない。だけど僕は目でも音楽を、楽しむ力が与えられている。それだけで、……それだけで。僕は幸せを感じられた。父さん母さん、姉さん僕の四重奏。二人が欠けても四重奏。過ちは繰り返さない。僕らが生き残ったのは、幼い二人を守るためだと……僕は信じていた。
だけど本当は……本当に、生きるために必要なのはなんだろう。それは知識だったり名声だったり財力だったり力だろうか?だけど何処にでもいる。その全てに恵まれない人間だって、何処かにはいる。僕らはその誰かだったんだ。
始まりのラッパが鳴る。戦争が無くなっても村が焼かれる、人が死ぬ。カーネフェル王が弱いから。セネトレアからの略奪行為は止まらない。風の噂で聞いた音楽好きの領主シール公の話。今彼が居るのはブランシュ領。それを知らずにチェスター領を目指した僕ら。あの頃あの領地はそれでも人がいた。領地を没収されても長年そこに住んでいた人はなかなか移動はしないもの。頑固で堅物、それでも音楽好きの人達が多くて、その街は僕らを歓迎してくれた。それでも領主の消えた土地は守ってくれる人がいない。チェスター領より北にはもう砦がないのだ。後々考えるなら、カーネフェル王はわざと北部に穴を開けたのだ。チェスター領を囮に、ブランシュ領、アロンダイト領から兵を向かわせ挟撃するのが狙い。そう考えれば、あれは起こるべきして起こった悲劇。北から上陸した略奪者達が城下を焼いた。宿を焼かれ逃げ惑う僕ら。が楽器を忘れてきたと気付いたのは、その場を逃れてから。四人とも無事だった。命には替えられないと言った姉さんの言葉が僕に重たくのし掛かる。そう、それは真実。だけど僕は明日からの生活、その不安から寝付けない。
野宿の夜、夜中にこっそりと姿を消した姉さん。用を足しにでも行ったのかと思ったけれど帰りが遅い。心配になって連絡を取ろうと思ったが、数術を紡ぐための楽器が今手元にない。迂闊に彷徨き僕まで何かあれば弟と妹がどうなるか。それを思い出した僕は、再び寝床に戻る。夜明け前、逃げてきたチェスター領で大きな音がして僕らは一斉に目を覚ます。その騒ぎに人々が恐る恐る戻ってみれば、略奪者達はみんな血だまりの中動かない。そこに残る僅かな数術の気配に、それが姉さんのしでかしたことだと僕はすぐに気が付いた。
「姉さんっ!」
街中を駆け巡りようやく見つけた姉さんも……既に事切れていた。その惨状は一番酷く、遺体は傷だらけ、身体の一部は切り落とされていて……姉さんのフィドルも同じような有様だった。その傍に彼女が取り戻してくれたらしい僕らの楽器。楽器は命に替えられない。そう言い続けた姉さんが、楽器のために命を落とした。その日から僕も変わった。そして僕は怨みに怨む。
世の悪は僕らから、大切な姉さんを奪って行った。それはタロックの所為。だけどセネトレアの所為。そして力なき、誰より罪深きこのカーネフェルの所為!
不在の二人の領主とカーネフェル。そいつらの尻拭いを姉さんがさせられたのだ。あの場所にチェスター卿が居ればこんなことにはならなかった。ブランシュ領に領主が居れば、チェスター卿が其方の後見人として居城を移すこともなかった。カーネフェル王がもっと強ければ、誰も泣かずに済んだ。この荒れた大地が罪の象徴。力なき正義は総じて悪だ。よってカーネフェリア共は皆悪人だ。馬鹿な理想のために何人犠牲を払ったのか。僕らに心苦しい嘘を吐かせているのは、奴らが情けない所為だ。
夢の中でも現でも、構えるヴァイオリンの音色は足りない。僕が泣きそうな顔でそっと奏でるのは重ならない音色のため。解っている。才能があったのは僕じゃない。彼女だ。僕を笑わせられる音楽は、姉さんのフィドルの音だけだから。僕は今日も多分明日も、心からは笑えないままなのだろう。例えトリシュを殺しても……
*
「妙ですね」
「妙、とは?」
ブランシュ領近くまで辿り着いたトリシュは眉をひそめる。辺りの木々に隠れて様子を窺う二人だが、トリシュ以上に数術を理解していない様子のジャンヌは疑問の表情。仕方なく、トリシュは見える情報だけを彼女に伝える。
「勿論警備兵がいるところにはいます。しかしわざと警備に穴を設けてあるようでして、そこに数式が張ってあります。それが誘いと言いますか」
「ならばそこに一人が潜り込み、何らかの情報伝達手段により警備兵が穴に群がる。薄手になった警備網を正面突破という手法でしょうか?」
「いえ、それこそ向こうの狙いでしょう。正面突破するにも、大勢の警備兵を相手にするのもそれなりに幸福値を消耗するはず」
鼻息荒く、では攻め込みましょうと言わんばかりの少女を宥め、トリシュは首を横に振る。
「内側からか、外側からか。何らかのアクションがあった解き、動くのがベストかと。焦りは領内の二人の危険に繋がります」
安心させようとして紡いだ言葉が、更に少女を不安にさせてしまったようだ。トリシュはどうしたものかと軽く嘆息。この少女にはあの少年王がカーネフェルという国そのものに見えているのだ。生ける神とか擬人化神に等しい象徴。彼への危機は国への危機だと思っている節がある。
「ジャンヌ様……」
ランスを信じて下さいと言おうにも、目の前で狂王に敗北したランスの姿を見ていただろう。余計な不安を煽るだけ。そうなれば選ぶ言葉も限られる。
「ジャンヌ様、アルドール様を信じて下さい」
「アルドールを……?」
何を根拠に。そんな言葉を隠さない、見開かれた沈んだ青。その色に向かってトリシュは精一杯の言葉で微笑む。
「そして私を信じて下さい。私もアルドール様もジャンヌ様の戦友でございます。必ずや貴女様をアルドール様の元へお連れしましょう。トリシュ=ブランシュ、この命に替えても」
「トリシュ様……」
驚いたままこちらを見ていたその目が、ふっと優しく和らいて、彼女は僕の手を取った。
「はい、貴方を。貴方とアルドールを信じています」
やがて夜が明ける頃、領地を訪れた馬車があり……其方に警備の目が向いた。数術もそれに興味を奪われるよう、式が弾けて消えてしまう。元々夜間だけの警備数式だったのか。それともその解除こそが誘いだろうか?
(どちらにせよ、ジャンヌ様をお連れするまで)
「しっかりとお掴まり下さい!」
「はい!」
トリシュはジャンヌを馬上に誘い、槍を手に取った。武器を重視した積み荷。二人とも鉄の鎧ではなく軽い装備に変えている。二人乗りは速度が落ちる。それを考慮した攻防バランス。それが命取りになる可能性も十分にある。だからこそ油断は出来ない。
気を引き締めるよう、お守り代わりに持って来た十字架を手綱と共に握りしめる。それでも高幸福値の彼女が付いていてくれるから?向かい風は追い風へと変わり、力がみなぎってくるかのよう。
(いざ参ります、アルドール様!)
幸運の成せる技か。駆けだした馬の疾駆に気付いた兵士はいなかった。
(いや、違う……)
城壁を乗り越えたところで自らの手から数術が紡がれていることを知る。しかし自分はそんなことをしてはいないはず。咄嗟に後ろを見ればジャンヌが見えない。そもそも愛馬の姿さえ。
「これは、触媒……?」
これが数式だと気付いてやっと、元の視覚情報が戻る。
「トリシュ様!?」
同様に狼狽えている少女にこれは数術ですと教えてやっと、彼女も視覚を取り戻す。
ユーカーの十字架。それは元々数式が刻まれていた触媒だったらしい。数術の使えない彼には意味のない物だったかも知れないが、今自分たちは視覚数術。不可視数術の中にいる。
(昨日アルドール様が身につけたときは何ともなかったと言うのに)
何か人を選ぶ触媒なのだろうか?例えば属性とか。何にせよ預かっているだけなのに、愛しのイズーの愛に助けられているようで大変嬉しく、そして虚しい。
(別にこれ、僕相手に渡された訳じゃなかったしな)
とりあえずまた、物陰に隠れトリシュは十字架をジャンヌに手渡す。数術の扱えない彼女ではやはり何の式も展開しない。或いは彼女が風だからか。
「それではこれはトリシュ様が持っていなければならないようですね。私が先に向かって城で囮になりましょう」
「しかしそれでは……いや、まさか」
触媒はあくまで魔法使いの杖に過ぎない。それなら術縛りの杖だろうと、多少の融通は効くはずだ。トリシュは何度か数式を展開させ、その仕組みを完全に理解する。
「お待ち下さいジャンヌ様!私が先に参ります」
思いついた策があった。とっておきの秘策だ。それを伝えると、少女も納得して頷いてみせる。
「解りました、それで行きましょう」
*
「僕がトリシュを……奴を迎え撃つ。二人には報告と例の件を頼んだ」
新しい朝はキールに、二つの朗報を伝えてきた。そう、策はある。面白い物を手に入れた。
そうやって考えるなら……僕らにとっては、どちらに転んでも悪い目は出ない。アロンダイト領から入手した謎の書類。其処に映った少女とトリシュの姿。少女に見覚えはあるけれど誰かは思い出せない。その答えを僕にくれたのは、カミュルだった。少なくとも地位と名声あるトリシュ兄さんに、カードとして僕が劣っているとは思わない。思わないが、連中のこれまでの行動パターンから読んで、切り札的カードはあるだろう。今回の敗戦を見るに、少年王とアロンダイト卿は大したカードではないようだ。しかし生まれの低さから考えるに、そこそこのカードであっただろう山賊レーヴェが殺されたとなれば、下位カードかコートカードを持っている者がいると見て良い。
(視覚数術まで使うとは、油断は出来ないな)
何度か数術の発動の気配があった。痕跡を辿れなくともそれさえ解れば相手の手の内も知れるという物。
相手の進行方向からして、迎え撃つは城の裏庭。目で合図して、妹に下がるように言えば、何か言いたげな視線を一瞬送った後……彼女は姿を消した。間もなく近付いてくる。数術だけなら僕はあの男より格段に上。カードになったくらいで純血の凡人がその上を行くことはない。
構えた弓とヴァイオリン。トウィードゥルダム、トウィードルディー……低音、高音。奏でる音楽を、僕は数字に変えて行く。凡人には見えやしない、極限まで高めた不可視のメロディー。
(さぁ、踏み込めトリシュ=ブランシュ!)
お前じゃ絶対に僕には勝てない。
*
(何だ?)
城の裏へと愛馬を奔らせていたトリシュが足を止めたのは、馬の不調に気付いてから。立ち止まってから気付いたが、確かに自分も身体が妙に怠い。頭が痛い。疲れだろうと思っていたが、その原因は違っていた。
「……キール」
「この領地に何用ですか?トリシュ兄さん」
胡弓弾きの少年は、楽器を弾いてはいるがその音が届かない。しかしヴァイオリンにはきちんと弦が張ってあるし、弓に触れている。その絡繰りを説明する事象があるとするなら。
これは人間には聞こえない超音波。キール本人が攻撃を食らわないのは、別の音色で相殺しているから、或いは……特定の音だけを遮断するような奇蹟。
「……数術、か」
「僕は貴方のそう言うところが大嫌いです」
胡弓弾き達の正体に気付いていて、それを領主に話さない。それさえ侮辱なのだとキールが睨む。
そうだ、そっくりな三つ子と言うにはこの少年だけ年が離れている。身体ではない、精神の。混血は迫害により身体の成長が止まることがある。それで同じような年齢に見えているだけの、兄弟。混血は必ず男女の双子で生まれる。戦争が終わるまで、トリシュは移民の多いシャトランジアにいた時期もあるのだ。だから混血について、多少は知っている。
「胡弓弾きトウィードゥルと言えばそれなりに名の知れた楽師の名家……その中でもヴィローネは」
「父が何か?」
「風変わりでそれで腕の良い楽師だった。しかし、おまえ達は彼にそこまで似ていない」
チェスター卿がこの楽師達を拾ったのは、その縁だと考えた。叔父は昔城にその胡弓弾きを招いたことがある。トリシュの記憶にあるその楽師はこの兄弟の誰とも似ていない。似ているところがあるとすれば……その柔らかな金髪だけ。余程母親が美人だったか、それか死んだ胡弓弾きの名を勝手に継いだ模倣者か。最初はそう思ったが、キールの下の弟妹を見た時に、思い浮かんだ説がある。
「混血には美形が多い。親がどんな顔だったとしても、それなりに整って生まれる者が多い」
「言いがかりですね」
「そうでもないんだ」
純血至上主義者は言う。奇異な色、物珍しさから混血は愛玩奴隷として求められているだけだ。その本質は美しくなど無い、価値など無いのだと。しかし色だけならば彼らはもっと多くの差別に苦しめられただろう。だが混血は、迫害から逃れるためか……此方が攻撃を躊躇うように作られている。本当に可愛い子が多いのだ。それ故妬みが迫害に繋がるというのが今日の現状ではあるが、確立に背いて生まれる子供達は、両親に余り似ていない。両親が元から見られる美形であったならそれを継ぐことはあるが、平均以下だったなら問答無用で平均以上に作られる。シャトランジアでは、本当の親子が歩いていても親子に見えないということが多々あった。この胡弓弾きは三つ子ではなく二組の双子……そこから一人が失われたと考えるのが妥当な線だ。
「その数術……間違いない。おまえ達は混血だろう」
「この数字が見えましたか。いや、完全には見えるはずがない。第一貴方にはその意味すら解らないはず」
トリシュが数術を覚えたのはカードになってから。数式のその意味を理解するというより、心や感情に従い勝手に数式が紡がれる。数字は読めてもそれが何を意味するかは不明。言うなれば言葉の意味を理解せず奇声を発する赤子の泣き声。それはきっとそんなもの。
しかし相手は天才的な数術の才能を持つ混血。純血が数術を齧ったところで敵うはずもない。数術勝負に持ち込めば間違いなく正気は消える。こんなことならばランスから数術の概念について習っておけば良かった。友人の腑抜けた姿を思い出し、やはりそれは無理だったかとすぐに気付いたけれども。それでも思い出したこともある。
(数術使いは、接近戦に弱い)
だから間合いにさえ至れれば勝機は此方にある。今の装備を振り返り、トリシュは考える。愛馬に積んだ武器は槍と弓。自身が持つ剣と短剣。肌身は出さず持っていた、琴は置いてきてしまった。だがそのためここまで武装することが出来たのだから問題はない。後は布を破って耳に無理矢理栓をする。
「リオ、やってくれるか?」
同僚達にはそれもどうせイズーだろと思われているようだが、この馬にはちゃんと名がある。愛馬のリオネスを撫でれば、此方の意を汲み彼は小さく嘶く。トリシュは槍を構え、馬を走らせる。相手が何やら奏でているのなら、同じことをすればいい。自身と愛馬に届く範囲、その見えない音を掻き消すような歌を歌えばいい。相殺出来るほど、数術には明るくない。見えない音を撃ち落とすのは不可能。
(それでも今は……)
馬の聴覚上限は人間の上を行く。人の耳には聞こえない、超音波の一部を聞くことも可能。キールの奏でる音が超音波ならば、その音の波をかいくぐって向かっていくことも出来るはず。その音が普通の音であり僕の聴覚だけ奪う数式ならば、仮にリオネスも同じ死期が施されていたならば抜け道はある。この場合彼に施す数式は馬用に設定し直さなければならないはず。この少年が馬相手に数式を施したことがあるとは思えない。
「くっ……」
槍を投げられる所まで距離を狭めた所でキールの顔に焦りが浮かぶ。しかしそこでリオネスが突然倒れる。その音は聞こえた。人間の耳には聞こえる低音!耳栓をしていても物凄い不快な大音量。自分はそれの高音攻撃を食らっていたのかと思うより先に、槍をキールに向かって振り上げ、馬を乗り捨てる。そして音の聞こえた方向に近付く。矢が飛んできたが叩き落とす時間が惜しい。一気に飛び込み弓使いに馬乗りになり剣を突きつける。見れば相手はキールの妹コルチェット。相手が女だということに一瞬戸惑うも、そんな甘い考えに取り憑かれていてはならない。この娘を人質にしてでも領地に向かわなければ。迷いを捨て、トリシュは胡弓弾きを振り返る。
「キール!武器を捨てるんだ!」
振り返った先で胡弓弾きは薄ら笑い。倒れ込んだ馬を見て、反対に此方を脅すような顔をした。その手には胡弓の弓。その中からすっと引き抜かれた細身の刃。
「知ってますかトリシュ兄さん?タロックの人達って馬の肉を食べるそうですよ?」
「なっ……」
共に戦場を駆ける愛馬を殺して食料にするなどと脅されては、狼狽える。狼狽えてしまう。しかし国の大事に迷ってなどは居られない。
「人と馬の命が釣り合うとでも?」
「そうは思いません。ですから今、とっておきのゲストを迎えに行きました」
この場にいない弟が、何処にいるのかとキールは笑う。それははったりかもしれない。それでも此方に与える恐れは絶大。
「これ、本当にお似合いですよね兄さん?」
胡弓弾きが手にした紙は、かつて神子がユーカーを北部に連行するための脅しとして、北部にばらまいた女装写真。そのシーンはトリシュがローザクアを突破し駆け落ちをしようとした時のもの。
「彼女を確保したと言ったら、貴方はどうしますか?」
「……っ」
決断を迫られている。主君への忠誠か、あの人への情熱か。
(アルドール様……)
御身が今どうなっているのか。心配でならない。最も弱いカード。この国の最後の希望。それは建前。都から付き添ってきたあの少年は、とてもじゃないがまだまだ王とは呼べない、至らない。それでも人間的な魅力のある方で……此方が沈んだときはそっと側に来てくれるような優しさがある。領地に戻った私の心配をしてくれた。此方の心の傷もその胸の内に抱え込もうとするような、海のようにおおらかな人。小さな子供の背中に、この国も……周りの傷も重かろう。それでも彼はいつも笑う。笑おうとする、そんな弱い少年なのだ。その弱さを慈しみたい。守りたいと思った。
(きっといつか良き王になってくれると信じて、僕は)
それでも不意に甦る主の声は、道ならぬ道を支える声。
“俺はトリシュが好きだなぁ”そう言ったあの人は、どんな私を好きだと言ってくれたか?それは確か、あの人へ空回りの恋をしている私を見て。
(嗚呼、イズー……)
貴方は強い。守られたのは僕の方。ランスとの決闘でも、黒騎士との戦いでも。いつも僕は彼の背中に守られた。その度に胸が締め付けられるようで、僕は愛しさと悔しさが募る。
僕が守るなんて。彼より弱いカードの僕が。守れるはず、ないのに。だけどそれは何時まで続く?時は流れる。数字としての僕らの命だって。幸福値はいつかは尽きる。僕も彼もだ。ここで彼を信じることが仇となり、彼の身を危険に晒すくらいなら……このまま城に連れて行かれた方が良い。潜り込めたのならアルドール様とランスを助けることと、本来の目的の遂行も果たせる。この場は無理をする必要はない。問題は、キールが僕を生きたまま連れて行ってくれるかどうか。
「死ぬ前に、最期に叔父に挨拶がしたい。それを許してくれるなら、投降しよう」
「貴方に選択権はありませんよトリシュ兄さん。これは唯の時間稼ぎですから」
何のことだと思ったところで身体が傾ぐ。そこで思い出すのは湖城での一戦。その二回ともに仕掛けられた罠。
「毒……?!」
コルチェットの矢には毒が塗ってあったのだ。タロックと組したとはいえ、そこまで手段を選ばない相手だとは思わなかった。
「兄さんは僕には勝てない。それでもここまであの少年王が生き残ってきたということは、其方にはそれなりのカードがあるということ」
胡弓弾きはトリシュを人質に、辺りの草木を見回した。
「出てきて下さい。まだ仲間がいるんでしょう?」
胡弓弾き回。
視点が増えて話が上手くまとまらずにちょっと困った。
群衆劇だから敵側の掘り下げもせんとね。