30:Hoc coactus sum.
(一体何があったのだろう?)
ジャンヌは考える。アロンダイト領から帰ってきた一行の様子がおかしいことはすぐに解った。しかし誰も何も話してくれない。やはり自分が女だから。除け者扱いされているのか。
(どうしてたら信じて貰えるんだろう)
私は本当にこの国が大切で、それは確かなことなのに。
(いや、今は悩んでも仕方ない。これはゆっくり私を信用していって貰うしか他にない)
ジャンヌは静かに心に頷く。他の騎士様達と自分では王に仕えた時間が違う。信用は言葉で買えるものではないのだ。ならば私は精一杯この国のために尽くそう。そうすればこの心をきっと信じて貰えるはずだから。
「アルドール」
「え、あ……何?」
「それでブランシュ領攻略の手筈は?」
「あ、ああ。それだな」
馬や積み荷の仕度を始め、それも整ってきた。連れて行く兵達も緊張を顕わにせわしない。策を全ての兵に話すことはしないのだろうが、少なくとも傍で戦う私には。進軍前にその位は聞いておきたい。
「まずは注意を惹く意味で俺が前線に出る。その援護をランスとジャンヌに頼みたい」
「正気ですか?」
「ああ。それで俺達が敵の注意を惹いている内に、なんとかトリシュにブランシュ領への侵入を図って貰う」
聞いてみたがあまりの無謀な策にジャンヌは少し呆れてしまう。しかし無謀でも無策ではないと少年は言う。
「イグニスはこの城に残る。だけどここから空間転移は出来る。それで隙が出来たところでトリシュを送り届けて貰う。必然的にトリシュは一時的にこの城に残って貰う形になる。イグニス、頼めるか?」
「王である君が一人で考えた策だ。それを立ててあげるのも僕の仕事。いいよ、引き受けた」
ふっと小さく笑う神子様……いえ、教皇様。二人はご友人だと聞いてはいたけれど、本当にそうなのだなと思わされるような親密な空気だ。目と目を合わさずとも解り合えているような阿吽の呼吸で二人は会話。互いに互いを信頼し合っているのが端から見てもよく分かる。
「だけど解ってるアルドール?トリシュ様の傍にコートカードを一枚も配置できない。かといって前線からランス様を外すのは不自然。君が居なければ囮作戦も出来ない。ジャンヌ様を抜かせば……相手方のカードによっては君たちじゃ勝てない」
「ああ。もしエルスがブランシュ領の奥に隠れていたならトリシュが危ない」
「それじゃあ君はエルス=ザインが前線に出ると確信している?」
「いや、多分それはない。だけどエルスは多分今戦えないし、そこでエルスを殺せるカードを送り込むのは違うんだ」
アルドールは少し悲しそうに、それでも優しい目でトリシュ様を見た。
「トリシュ、第一の目的はチェスター卿との対話だ。エルスを倒すことは考えなくて良い。もし遭遇したら話すことを考えてくれ」
「話す……ですか?」
「うん。多分今、一番あいつに響く言葉を話せるのはトリシュしか居ない」
アルドールは少し妙な言い方をする。やはりアロンダイト領で何かあったのかしら?
「あのさ、俺は上手く言えないけど……トリシュのことを信じてる」
「アルドール様……?」
信じている。そう言う割りに、少年の目は酷く寂しげ。信じているから信じて欲しい。分かって欲しいと訴えかける目。まるで何かを恐れるように。
「なんだろう。ええと……俺は最初に城で出会った頃のトリシュより、セレスちゃんを好きになった後のトリシュの方が好きだよ」
「アルドール様、仰る意味が……」
「つまりですねトリシュ様、アルドールは貴方の才能を褒めて居るんです」
しどろもどろの王のフォローをする教皇様。言われてああと、騎士様も合点がいった様子。
「トリシュ様、貴方には人を愛する、思える心があります。それがあればきっと、チェスター卿の頑なな心も溶かせるはずでしょう。そう言いたかったんでしょアルドール?」
「う、うん!流石イグニスっ!」
「はぁ。今回は僕はついていけないんだからしっかりするっ!解った?」
「は、はい……」
年下の友人に押されて済まなそうに縮こまる少年王。そんな風な少年達のやり取りは、年相応の少年らしくてジャンヌも少し笑ってしまう。
(私よりも幼い子供が、カーネフェル陛下様に、シャトランジア聖下様だなんて……)
こんな小さな身体で彼らは国なんて重いものを背負わされている。そう思うと身も引き締まる思いだ。少しでもその重さを軽減させてあげられたなら……
「ジャンヌ様」
「は、はい!」
突然自分を呼ばれて、驚くジャンヌ。声の方には小さく愛らしい教皇様。
そんな一国の長に等しい人に様付けで呼ばれるなんて違和感しかないのだけれど、彼は私をそう呼ぶのだ。私の責任を全うしろと言うために。
「アルドールはあの調子で危なっかしい。ランス様共々フォローをお願いします」
「はい」
畏まりましたとお請けするも、もう一人の護衛である騎士様の姿がない。
「アルドール、アロンダイト卿……いえ、ややこしいですね。ランス様が見当たらないのですが」
「え、……ら、ランス?」
「アルドール?」
その名を口にしただけで、いつにも増して挙動不審な少年王。これはあの騎士様と何か喧嘩でもしたのかしらと私は思う。
明るく見えて虚勢ばかり、何も隠さないように見えて、多くを隠し話してくれない少年王。それからお父上の方とは正反対で、礼儀正しく騎士の鏡のようなアロンダイト卿。この二人の性格的に喧嘩なんてありそうにないと思うのだけれど、そうでもなかったのか。今のアルドールは何故かあの騎士様の名前に脅えている。これは探しに行くのに付き合わせるのは良くないか。
「ちょっと探して来ますね。彼が居なければ出陣もままなりませんから」
「う、うん……」
ぎくしゃくと手を振るアルドールの顔色はあまりよくはない。本当に何があったのか。それをランス様側から聞くためにも、話をするべきか。
(流石に高名な騎士様ともあろう方が仕事を前にフラフラとしているはずはないのでしょうが……)
兵士達に何か指示でも出しに行っているのだろうか。そう思ったのだけれど、彼を見かけたという人が言うに、彼は湖の畔に座り込んでいたと言う。見れば、嗚呼確かにそこにいる。しかしその様子は些か変だ。物思いに耽っていらっしゃる。出陣のあの策が心配なのだろうか?
「ランス様?」
「へ?」
背中から水面を覗き込むように彼を見れば、突然話しかけられたことに驚いたのか。彼は湖に転げ落ちそうなくらいに驚いた。
「じゃ、じゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃジャンヌ様っ!」
「ふっ……そんなに驚かなくても」
あまりにも愉快な反応に思わず口元がほころんだ。いや、これは失礼なことだ。私はそう思い直して口元を引き締める。
「ランス様、そろそろ出陣のご用意を。アルドールはなんだか頼りになりませんし、お願いいたします」
「は、はい」
「あの、そんなに畏まらないでくださいね。聖下様が色々お考えのようですが、私は唯の小娘。一介の兵士に過ぎませんので、騎士様方に敬われるとなんだか調子が狂うので」
「い、いえ!それでも貴女様は……アルドール様の、陛下の大事な女性にございます」
「それは、そうなんですが……」
アルドールは頼りない。それでも大事なカード。それを守るために、傍に私を配置するには良い隠れ蓑だと教皇様は仰った。これもカーネフェルのため。それならその役職を甘んじて受けるのも正義。とは言え、元々庶民の娘である私が代々騎士の家を守ってきた方々に丁重に扱われるというのも何かがおかしいような気がする。
「私も貴方も同じ国の未来を憂うる同士でしょう?もっと気軽にジャンヌとお呼び下さい」
呼び捨てで構いませんよと言ってみても、礼節重んじる騎士様は頑としてそれを拒む。
「お、恐れ多い!そのようなこと俺には出来ません!」
そう言われてしまったら、彼の父親との呼び分けで困って名前呼びをしてしまった私の方が恐れ多いような気がして困る。
「アロンダイト卿はお父上と違って、真面目な方ですね」
あれはあれで行き過ぎたくらい砕けた方だけれど。もう少し柔軟に足して二で割った感じにはなれないのだろうかこの親子。
「……父は、私にとっては恥です」
「まぁ、仮にもご自身のお父上に対し、それは良くないことではありませんか?」
「………」
「尊敬できる場所の一つも貴方は無いと仰るのですか?」
「はい」
即答されてしまった。しかしそれはあまりにも……
(なんだかあの中年領主様が少しばかり可哀相に思われて仕方がないわ)
仮にも父親なのに、こうして我が子から尊敬の一つもされていないなんて。確かに色々と凄く、ええと何といいますかその……ぶっ飛んでいらっしゃる方ですが。そんな人だって一箇所くらい尊敬すべき点はあるはず。この方はお若くいらっしゃる。だからそのたった一つに気付けずにいるのでしょう。
「ランス様、先に無礼をお許し下さい」
「え」
「私はこれから貴方にほんの少しばかり暴言を吐かせていただきます」
「え?あ。はい」
「いいですかランス様。確かに貴方の目から見て、彼はそう言った方なのかも知れません。ですが他の観点、例えば領主としてはどうでしょう?かの領地がこれまで長らく平和であったのは彼の治め方に関係しているのではありませんか?」
「それは……」
「ランス様。貴方もいずれはあの領地を継いで、どなたかを娶り、父になるお方なのでしょう?そうなった時に貴方も我が子からそのように言われたら悲しいはずです。ですからそんな滅多なことを言うべきではありませんわ」
「ジャンヌ様、それはありません」
「え?」
これまで言葉少なに話を聞いていた騎士様が、突然その場に立ち上がり、悲しげな顔で首を振る。そうして彼は籠手と手袋を外し、その下にあるものを私へと見せるのだ。
「俺は……私はカーネフェルの、アルドール様の騎士です。私が生き残ることは絶対にありません。そんな未来も要りません。私はこの国に、アルドール様のために最後までこの命を使う。そのためにここにいるんです」
一度王を失った。こうして新たに王を得た。その未練のため、アルドールを縛り付けるという彼は、とても悲しく深く……寂しい青い瞳の人。
「……ご、ごめんなさい。失礼な発言をお許し下さい」
そうか、この方もカード……。教皇様は私にアルドールとランス様を守れと言ったのではなく……私とランス様でアルドールを守れと仰ったのか。
この方も、カーネフェルのために命を捨てるつもり。普通の幸せ……未来を捨てた人なんだ。この人が我が子を得ることはないから、その子に尊敬されるかされないかという心配をすることもない。自分のことならそれで割り切れるけれど、父との蟠りを抱えたままのこの騎士様もそうだというのは、見ていてとても忍びない。
「……あの、ランス様?」
「……はい」
「アルドールは……」
やっと解った。どうしてアルドールがあんなにこの方を恐れているか。
「アルドールは、貴方とお友達になりたいんだと思います。彼が私にそう言ったように」
敬う私に彼は、呼び捨てが良いと言ったんだ。王らしくもないこの国の王。シャトランジアで私を見送ってくれた時の笑顔そのままで。
私は何も知らなかった。彼こそがこの広大で重い国を背負わされた王であると。王の苦悩は私の知るところではなく、神に恨み言を言う彼は私の知らない悲しみを心に刻んでいると言うこと。そしてそれは今なお、私の知ることではない。話して貰えるほどに、私は彼に心を許されていないのだ。そんな私でも彼は友達になりたいのだと言う。これから私を知っていきたいと、そう言ってくれたんだと思っている。
だけどこの方は、それを拒絶する。アルドールを求め必要としながらその心を拒絶する。近付きたい、もっと知りたい、知って欲しい。そんな心を切り捨てる言葉の刃。その拒絶が生んだ軋轢に、あの王は苦しめられているのだろう。
「アルドールは貴方をもっと知りたい。知って欲しい。貴方をもっと信じられる人間になりたいし、貴方に信じて欲しいんだと思うんです」
「ジャンヌ様……どうして貴方はアルドール様のことをそこまで理解しているのですか?」
つい最近出会ったばかり。仕えた時間は自分よりも短い。それなのにそんなことを口にする私がわからないと彼は言う。それでも解らないのは私の方。
「ランス様、貴方にはアルドールがどう見えているんですか?」
「どう、とは?」
「……私が出会った時の彼は、王ではなく普通の少年でした。だから今も私には……彼が普通の男の子にしか見えません。多分彼もそのつもりです」
本当にそう。周りに騎士様達が居るから辛うじて王に見えているだけの少年。私と同じ。カードだからと祭り上げられた王なんだろう。
「そんな普通の幼い少年が、周りの人間と心を通わせられないとすれば、心細く不安なのではないですか?彼は今、その不安に押し潰されそうに見えます」
「ジャンヌ様……」
「ランス様。例えば私と貴方では友人になれはしませんか?私とそうなれるのならば、貴方はアルドールともきっとそうなれるはずです」
「そ、そんな恐れ多いっ!」
「そんなことはありません!我々は共にこの国を守る同志ではありませんか!私だって貴方ともっと仲良くなりたいです!それとも貴方も私が信用出来ないのですか!?」
「い、いえ!滅相もないっ!俺は貴女を信じています!」
「でしたら、私のことは呼び捨てで頼みます」
「は、はい…………ってジャンヌ様っ!それとこれとは話が別でっ!」
まぁ、アルドールとは違った感じに挙動不審のランス様。アルドールがネガティブ挙動不審系なら、ランス様はポジティブ挙動不審系に見えるわ。
先程まで物思いに耽った彼は絵画のように静かにそこに佇んでいたのに。その先入観を打ち破る彼の反応が面白い。こうやってちゃんと話してみて、初めて解ることは沢山ある。ランス様にもこういう素があるのだから、それをアルドールの前できちんと見せて差し上げれば宜しいのに。不器用なのかしら?
(それならまずは私が取り持って、二人を仲裁させる。これが聖下様のお考えなのですね)
でしたらこのジャンヌ!聖十字の名の下に、その使命を全うさせていただきます。人と人との和やかな関係の輪こそが平和の基本。地道な周りの人間関係、その改善を広げ拡大していく事が地道な平和の第一歩!教皇様のお考え、ようやく私も理解しました。この重大な使命に私は燃えに燃えております!
「アルドールは名前で呼び合うのが友人関係の基本だと言っていた気がします。試しに私を呼び捨てにしてください、ランス」
「え?」
「さぁ!」
「あ、あの」
「頑張ってくださいランス!」
「お、おっ……俺には無理ですジャンヌ様ぁあああああああああああああっ!」
何故か涙目で走り去ってしまった騎士様。
「やはり突然騎士様を呼び捨てだなんて失礼だったかしら……?」
これではアルドールとあの騎士様の仲を取り持つなんて夢のまた夢。もっと頑張らなくては。教皇様も私に期待しこの任を与えて下さったのだから。
「それとも私がまだ女に見えるから、騎士道精神溢れるあの騎士様は私が苦手なのかしら?」
男装をもっと気合い入れてやり直す必要が出てきました。髪をもう少し切るべきか、少し悩む。覗き込んだ湖に映る自分の姿は、髪の手入れもしていないしボサボサ。鎧に身を包んだ姿は女っ気など感じられないような粗野なものだけれど。
「やはりここはサラシで胸を潰してもっと男らしい鎧にバージョンアップを図るべきですね。アルドールに聞いてみましょう」
その内アルドールへの忠誠を競うべく騎士様方と夕暮れの河原で殴り合うようなテンションの友情を得るためにも、私が女扱いされることがあってはならない。国のために戦うとはそういうことだ。
そっと外した籠手の下。私の手にもそれはある。
(スペードの、クィーン……)
このカードがこの国を守る力になるのなら。私もあの騎士様と同じ気持ちだ。
もう家には帰れない。普通の幸せなんてあり得ない。一人しか残れない戦いならば私は祖国の王……カーネフェル王アルドールを生かす道を選ぶ。このカードは私の命は、彼に捧げるものになる。
ランス様も同じ気持ちで彼に仕えているのだから、きっと仲良く出来るはず。彼だって、私とアルドールのように……少しずつでも友達になれるはずだわ。なのにどうして、彼はアルドールを拒むのだろう?それが前の王様への義理立て、なのかしら?
「ジャンヌー!」
「アルドール?」
「そろそろ出発だって」
「それはすみません。貴方を煩わせるつもりはなかったのですが」
湖の畔で今度はジャンヌが考え込んでいると、パタパタと忙しなく駆けてくる少年が見えた。わざわざ呼びに来てくれたのか。それとも……
(向こうに向かったランス様に出会して、気まずくなって逃げてきたのかも)
どちらかと言えば後者だろう。それが見えてしまうのだからこのへたれ王はまったく。トリシュ様は一時的にお留守番。教皇様にもセレスタイン卿にも頼れないとなって、そこでようやく私を頼る。何なんですかおその消去法は!全く嬉しくありません!だってその信頼は私が培い勝ち取ったものではなく、本当に消去法っ!ランス様が苦手だから私に逃げるとは見下げた王です。
(私をカードだけの女だと思っているのかしら?)
そりゃあ騎士様方には劣るかもしれませんが、仮にも私も兵士。アルドールよりはちゃんと戦える。それでも私が戦うところを殆ど知らないアルドールにとって、私は信頼できる兵ではないのかもしれない。少しむくれた私を見て、アルドールは何も分かっていない様子。確かに王としては未熟者だ……だからこそ、見限ってはならない。ちゃんと厳しく指導し立派な王になっていただかなくては。
深く息を吸い決意も新たに私はアルドールを見る。この王を躾けるためには私一人では力不足。やはり騎士様達の協力は必要不可欠。見ていなさいアルドール。きっと貴方を何処に出しても恥ずかしくない、立派なカーネフェル王にしてみせますから。
「どうもありがとう。だけどアルドール、顔に書いてありますよ?」
「え?」
「貴方は王なのですから、もう少しどっしり構えていらっしゃい。どうしてそうやってすぐ敵前逃亡のような振る舞いばかりをするのですか!」
「えええ!?」
「……あら、アルドール。武器はどうしたんです?」
早速逃げ腰のアルドールを見ると、以前携帯していた剣がない。それを尋ねれば彼は少し気まずそうな顔をする。
「……壊れたんだ」
「壊れた?」
「大事な物だったんだけど、狂王と戦って……それで」
「……そうだったんですか。聖下様でも直せないんですか?」
「イグニスは……零の数術使いだから、何かを直すのは苦手なんだ。俺もそういうのは全然だし、回復数術得意なのはうちにはランスしかいないし……」
「頼めないのなら私から頼んでみますか?」
「いや、ええと……そうじゃないんだ」
「と言いますと?」
もごもごと言い辛そうな様子のアルドール。それでも話した方が楽になるかと思ったのか、やがてぼそぼそ小さな声で教えてくれた。
「ランスって上位カードだろ?振り分けられた幸福値は少ないんだ。だからランスばかり頼って酷使すると、ランスが大変なことになる。だからあんまり、ランスには数術使って欲しくないんだよ。ランスに何かあったらユーカーも悲しむし」
だからランスに数術は頼れない。頼るとしたらその頭脳と指揮と剣の腕だけ。アルドールはそんな風に思っているようだった。
「アルドール……」
「なるべく誰にも死んで欲しくない。これ以上……敵にも、味方にも」
「アルドール?貴方は何を言って……」
何気なくこぼれ落ちた言葉。そこにあってはならない言葉が潜んでいるに驚いた。この少年は一体何を言っているのだろう?
「絶対この審判には何か抜け道があるはずなんだ。現にペイジのカードは殺さなくてもゲームは終わる。犠牲は少ないに越したことはない。越したことはないんだ」
「アルドール、それはそうかもしれませんが、ある程度敵の頭は殺さなければ戦争は終わりませんよ?王である貴方が敵を許すようなことはあってはなりません」
この子は間違っている。王がそんなことを言っては駄目なのに。
王が迷えば民も兵も惑う。そんな風に勝てる戦は一つもない。王は常に山のようにあらねばならない。どんな波にも流されない不動の者でなければならない。私はこの少年の重しになるよう、言葉を刻むけれど……彼の心に届かない。
「解ってる。解ってる……でも」
「でも?」
「……敵だって、斬られれば痛いし、仲間を失えば泣くんだよ」
「アルドール……これは戦争です。貴方は王です。優しさも弱さも表に出してはなりません。貴方が迷うことで不安になる者も居るのですから」
なるべく優しく諭してみるけれど、涙を堪えるように顔を歪めて空を見上げる、その少年の表情に胸が痛んだ。
「だけど俺は……ランス達にそんな風に頑張って貰っても、良くやったって笑ってあげられないんだ。そんな風には……なれないよ。それが俺の役目なんだとしても、そんな風に、俺は……笑えなかったんだ」
解ってる。解ってるさと彼は言う。頑張ろうと思った。出来ないことをしようとした。だけど無理だったんだ。彼はそう言う。この少年と騎士の関係がぎこちなかったのは、そのことが原因らしい。
「……タロックの将の一人を討ち取ったんだ。その子は俺とそんなに年の変わらない女の子で、そこまで悪い奴にも見えなくて……その子もカードだし、うまく行けば仲間に引き込めるかもしれなかった」
甘いこの王は、戦力強化の名目で敵を許すつもりだったのか。けれど殉職した仲間がいるというのに、そんな敵を許すのは難しいこと。アルドール、貴方がそれを許せても……周りの人々がそれを許せるかは別のこと。そんなことばかりを続ければ民の心も離れていく。それを告げようとしたけれど、よくよく思い返してみればアルドール達はかの領地から一人の捕虜も連れ帰らなかった。それの意味するところは……?
「だけど俺の言葉が足りなくて、ランスにちゃんと届かなくて……俺はその子をランスに殺させてしまった」
「アロンダイト領で、そのようなことが……?」
敵とはいえ幼い少女を殺してしまったというのは、この少年には酷く堪えたのか。
思い出すだけでも辛いのか、アルドールはもう泣いていた。ボロボロと大粒の涙を流し、それを夏場に不自然な長袖で拭い続けるも、その雨は止むことがない。
「……俺も、ここに来るまでに王になるまでに……何人も大切な人を失った。だからそれがどんなに辛いことかよく分かる。そういう思いをする人を無くすためにも、この戦いは終わらせなくちゃいけないってのも解ってる。頭では……解ってる」
この子は矛盾にぶち当たってしまっている。悲しみを殺すために、悲しみを生み出し植え付ける自身に苦悩しているのだ。それが王と言ってしまえばそれまでだけれど、そんな小さな事に悩めるこの王は、王としての強さを身につければきっと誰より優しい王になれる。きっと全てを守ってくれる、理想の王に。だって他の王は誰もそんなことに悩まない。横暴な王、金に踊る王、権力に執着する王、そんな者ばかり。
「……そうですね、貴方の剣が壊れて良かったのかも知れません」
「ジャンヌっ!」
どうしてそんな酷いことを言うんだよ。泣きながら彼が私を睨む。だから続けて言ってやった。
「貴方は戦わなくて良い。貴方の戦場はまだここではありません。来るべき日が来るまで貴方は守られ生き延びる。それが最優先事項です」
「俺は、……嫌だ」
戦いたくない。殺したくない。だけど仲間だって守りたい。死んで欲しくない。だから辛いし苦しいんだ。そんな思いが青い瞳から見て取れる。そうだね、そうだよね。だから貴方の目はそんなに深い色をしているんだ。貴方の悲しみはランス様のそれとも違う色。
「大丈夫です、アルドール。私がきっと、貴方に平和な国を与えてみせます。貴方の戦いはそこからです。貴方が苦しむのも、悩むのもそこからがはじまり。それまで貴方は何も悩まなくて良い。貴方の大事な人達は、私がこのカードで全て守ります。誰も死なせません。だから貴方はそんな風に泣かなくて良いんです」
二枚目ですね。そう言ってジャンヌがまた刺繍のハンカチを渡せば、アルドールは恥ずかしそうに顔を背けた。
「なんか俺、いつもお姉さんには情けない所ばかり見せてる気がする」
「ふふふ、今更ですよ」
少し恨めしそうに言う様がおかしくて、ジャンヌの口元は綻んだ。
けれど……本当にこの子は普通の男の子なんだな。そんな風に思うと、やっぱり少し悲しくなった。
(守ってあげなきゃ……)
この子は守る、死なせない。その思いは変わらない。
だけどカーネフェル王として生きることは、やっぱり普通の少年としての幸せ全てを手放すことだから。この子は生き延びても、王の幸せを手にするだけ。普通の幸せなんて手に入らない。王の幸せはこの平凡な少年の幸せと合致するようには見えなくて、そう思うと何だか途端に彼が哀れで堪らないのだ。
兵であるジャンヌや騎士達と仲良く友人になりたいと思ってるようなこの子が、身分と地位と名声、そんなものに胡座をかいて「嗚呼、幸せだなぁ!」と笑う姿がどうしても想像できない。
自分がこの子を守ったところで、幸せになどしてはやれぬのだ。そう言われているような気がして……何の疑いもなく立っているこの場所が、不意に風吹き揺らぐのだ。お前も所詮騎士と同じ。大事なのは王であり、この少年個人ではない。少年の意思も思いも国のためには犠牲に捧げるものだと思っているのだろう?そんな風に自らの心が問いかけてくる。
(私は……)
私が守りたいのは、この子。この子というカーネフェル。
守りたい国の中に、アルドールという少年はいない。こんな目の前にいて、弱々しく頼りなく、泣いている少年を……私は守ってあげられない。
それに気付くと、これまでの発言全てが霧散して、虚しい気持ちになっていく。
(私は、何を言っているのだろう……)
こんな少年一人、守れない癖に。
ジャンヌ回。
6章三角関係の掘り下げのため。