29:Nemo surdior est quam is qui non audiet.
「頼むよ、ユーカー」
親友であるその男は笑っていた。
いつものように優しく強く微笑んでいた。だけど、そうじゃないだろう。俺は叫びたかった。
パルシヴァルが攫われていて良かった。そして俺自身、今更ながらレクスについて行けば良かった。そう思う。だけどその場合これを任せられたのは神子かジャンヌだ。女にこんな辛い役目を押しつけるくらいなら、俺がやるしかない。
山賊レーヴェ。まだ若い。年端行かない娘。捻くれてるって言っても俺は騎士だ。俺も騎士だ。その俺が女子供を斬らなきゃならないなんて。
(こんなのおかしい、間違ってる)
アルドールがそう言うのもよく分かる。ランスが俺にこんな事を頼むなんて、それ自体がもう既におかしい。
「ランス……」
お前はそんな事を言う奴じゃないだろう?縋るように見上げた先で、友人は尚も優しく微笑んでいる。他の山賊達は壊滅状態、死屍累々。レーヴェ自身も深手を負っていた。カードの相性、……一度は敗れかけた相手をこうも容易く打ち負かす。今の友人は、何かがおかしい。幾ら父親が怪我を負わせられたからと言って。幾ら婚約者を演じていた娘が殺されたからって。だからって。お前はそこまれあいつらに関心は無かったはずだろう?そうではなかったということ?それだけ?いや、違う。これはまるで生き急いでいるような……
「お願いだよ、ユーカー。俺に力を貸してくれ」
「ランス……」
「アルドール様に。アルドール様のために、アルドール様のために。俺は二度と負けられない。俺があの方の剣なんだ。俺が任せられたんだ、俺が……その期待に俺は応えないと駄目なんだ」
汚れ役はいつも俺だった。そうすることでこいつは何時も俺にとっての理想であり続けた。汚れ役が誇らしかった。その分俺は俺の理想の騎士が、憧れが……光り輝いて見えたから。それが今は何だ。お前はそんな嬉々として、剣を振るっちゃいけない。そんな……アスタロットを失った頃の俺みたいに。
(お前が何を失ったって言うんだよ)
何もない。何も……
(あ……)
俺は思い出す。これまで見たこともないほど取り乱した相方。ジャンヌが女だと知って喜んだこの男。そうして俺は何を教えたか。アルドールとジャンヌの……政略、結婚。
「ランス……お前……」
一瞬でも芽生えた気持ちを無かったことにしたがっている。そのために本当にどうでもいいアルドールを大切に思おうとして居るんだ。生まれて初めて芽生えた恋心を封じるための、重しとして。そのためにアルドールのために忠義を尽くそうとこいつは空回っている。自分の心から、目を背けるために。そこまで気付くと。俺はもう何も言えない。緩む涙腺、噛み締めた唇。自身のそれを素知らぬふりで、剣を手に取るだけだった。
せめて苦しまないように。
最後の瞬間、女はにやっと笑った。その口元に浮かんだ名前は……短い。落ちた首がそれでも最後に形作った、誰かの名前。それは俺には解らない。唯、もうどうしようもなく……取り返しが付かないことだけはよく分かった。死んだ女の生首は、俺を嘲笑うでもなく哀れんでいるようにさえ見えた。
(山賊レーヴェ……)
悲鳴を上げず、往生するとは立派なもんだ。最高だ。いい女じゃねぇか。こんないい女、どうして誰も守ってやらなかったんだ。タロックでは女は稀少なんだろ?何で守ってやらなかったんだよ。
責任転嫁の思いが生じる。ああ、解ってるよ。俺がランスをアルドールを説得出来なかったのが悪い。だけどどうしろっていうんだ。ランスの先が見えない。救いがどこにもない。ここで俺までこいつを裏切ったら、それことランスは救われねぇ。裏切れるはずがない。それがおかしいと解っていても、俺にはそうすることしかできなかった。俺の方が強いカード、大きな幸福値……それがあれば他の選択肢だって導き出せたはずなのに。
「っ………」
これまで幾らだって人を殺して来た。何を今更。そう思う。それでも……女を斬ったのは、これが初めてだったんだ。それがこんなに、俺を強く揺さぶるとは思わなかった。こいつは敵だ。敵将だ。だけど女だ。本当は、こんな所にいるべき奴じゃなくて、出てきたこいつが悪いんであって、俺は悪くない。そう言い聞かせても駄目だ。頭を失ったことで騒ぎ出す山賊達。その悲鳴が次々上がり、次々消えた。
「ユーカー」
「……っ、…………」
ぽんと頭に置かれた手。優しく温かく、血生臭い。
「助かったよ、ありがとう。お前がいてくれて良かった」
「っ……」
ふざけんな。そう胸倉を掴み上げて、ぶん殴れたらどんなにいいか。今の俺はそれも出来ない。奥歯を強く噛み締めて、涙を堪えて上を向く。
昔……立派な騎士になろうよと、俺に言ったはずのランスを、俺は真っ直ぐ見つめられない。こんなものが、俺とお前の目指した……立派な騎士だったのか?叫びたい。苦しくて、どうにかなっちまいそうだ。
そこにアルドールと神子が戻って、蒼白の面持ちのアルドールがぶっ倒れた。
「アルドール様!?」
急いで軟弱者を抱え起こすランスは、不気味なほど何時も通り。何時も通り過ぎて俺は怖い。こいつが怖い。
こんなにおかしいランスを見るのは、生まれて初めてだ。
「……ランス、君はアルドール様の看病を。ついでにお父上の様子を見て来るといい。ここは僕が任せられましょう」
じっと俺達の動向を見ていたトリシュがそう取り計らって、負傷したヴァンウィックの所へランスを向かわせる。奴はそのまま兵達に墓場を作るように命じて、俺の手を引いた。森を進みながらポツリポツリとトリシュは俺を励ますような言葉を贈る。
「……イズー」
「……気、使わせちまったな。悪い」
湖が見えてきたところでようやく俺も一息吐いて、言葉を発せられるようにはなった。
「情けねぇよな。とっくに俺だって人殺しなのによ……汚れ役の騎士にも欠片は騎士道精神残ってたんだな」
「そんなことはありません!貴方は立派な騎士です!僕なんか……とても」
「トリシュ?」
「貴方は友情に厚く、友であるランスを裏切らない。そのために自らの信条をも犠牲に捧げた」
「俺にそんなたいそうなもんはねぇよ」
乾いた笑いを浮かべる俺の両手をぎゅっと握ってトリシュが訴える。その真っ直ぐな目が今は辛く、目を逸らす。
「いいえ、あります!パルシヴァルから聞きました。貴方が如何に見事に彼を救ったか」
「それはあいつの思い出補正掛かってんだよ」
「いいえ、違います!貴方は僕のことだって助けてくれた」
「あれは……俺がランスに友達殺しをさせたくなかっただけだ。お前のためじゃねぇ」
「そうです、だから貴方は素晴らしい」
「……は?」
尚も俺を褒めちぎる同僚。なんなんだこいつは。少し呆れて視線を戻す。すると奴はランスのそれとは異なるけれど、それ以上に優しい目で俺を見ていた。
「僕も彼とは友人です。ですが貴方のようにはなれませんし、出来ません。彼の友人である前に僕は僕ですから」
物語の騎士口調はなりを潜めて、トリシュ自身が物語る。
「僕は僕の愛の前には彼との友情を無下にする。してしまう。そしてそれは彼も同じです。ランスはこんなに貴方に思われているのに、それでも貴方との友情よりも大事な物がある。だから貴方の心を傷付ける」
「それは……仕方ねぇよ。あいつだって」
「ですが貴方は違う。どんなに苦しくても見返りが無くても、彼との絆に殉じる。そんな貴方を卑下する言葉を僕は見つけられません。貴方は僕ら以上の騎士だ。僕もランスも貴方だけには敵わない」
「トリシュ……」
そんなに俺を美化しないでくれ。そんな綺麗な気持ちで守ってるんじゃない。俺が本当にあいつを心底尊敬してるなら、むしろ誇りに思うはずだ。今頃胸を張って、頼られたことを喜んでいるはずだ。
(そう思えないのは……)
俺はランスに失望しているんだ。理想の騎士じゃなかったあいつに。
それでもまだ縋ってしまうのは、今更切り離せるような繋がりではないからで、情の鎖に縛られる。
あいつも人間だ。弱くて卑怯でどうしようもない最低な心がある。それを知って少しだけ嬉しくて、そのどうしようもない不器用な最低野郎が巡り巡って愛おしいんだ。
何もそんな道選ばなくて良いだろうに、あの女に惚れたんなら口説いてかっ攫ってやれよ。お前の欠点なんて、欠点が無いところくらいだろ、女の目から見れば。だからお前が本気で見つめて口説いたら、あの女だって頷くはずだ。アルドールの阿呆だってジャンヌに惚れてるわけじゃないんだ。だからそういう手助けなら喜んでしてやっても良いのに。好みのタイプ聞き出したりさ、好きな食い物とか聞いてくるとかしてやってもいいんだぜ?それなのにお前は、そういう道を選ばない。
あくまで思いを否定する。そのために王として惚れてもいないアルドールに、心酔した振りで依存するんだ。忠義の騎士であろうとして、その証明に……あんな女子供を犠牲にさせる。俺のことだってもうどうでもいいんだ。俺の心だってどうでもいいから、あんな頼み事が出来るんだ。ああ、本当にあの男は最低だよ!そんな最低な生き方しか出来ない可哀相な男なんだ。だから見限れないんだ。どうしようもなさ過ぎて、情が生まれる。傍にいてやりたくなるんだよ。そんな俺の気持ちなんざ、あいつは全然解ってないんだろうけど。
「……僕も同じ気持ちです」
「え?」
俺は何も言ってない。それでも全て解っていると言わんばかりにトリシュは頷いた。
「あんな男のために尽くすどうしようもない貴方を、そんな貴方だから僕は……貴方の傍にいたい。貴方の力になりたい、守りたいんです」
「それ、遠回しに俺を馬鹿にしてるだろ」
「……ですがここで彼に対して何も思わず、僕に振り向きいちゃついてくれるようなイズーならば、僕は貴方にここまで惚れはしませんでした」
「確かにそりゃあ最低だが……ぐはっ」
「い、イズーっ!?」
突然頬に何かがぶつかる。とんでもなく勢いよく。
それでようやく俺はここが何処かを思い出す。
「おい、羽虫っ!」
《誰が羽虫よっっっ!!ってうわっ!血生臭っ!こっち来ないでっ!》
「てめぇが体当たりして来たんだろうが。つか俺が血生臭いのが誰の所為だと思ってんだよ」
ランスの養母である湖の精。俺には見えないが叫く声はする。大体の位置も何となく解る。飛んできた水鉄砲をかわしつつ、ユーカーは文句を言った。
「ランスが変だ」
《はあ!?うちの自慢の子に何てこと言うのよ!》
「そういう意味じゃねぇ」
《大体あんたこそ何よ!折角うちの子の親友でいさせてやってるのに、私の住処で他の男といちゃつくなんてどういう了見!?縁切って絶交させるわよ!》
「どうやったらあれがそう見えるんだよど腐れ精霊」
何て偏狭なんだこの過保護精霊は。俺がランス以外を省みるようなことがあってはならないと言わんばかりの言い草だ。
「ああ、貴女がランスのお養母様でしたか。お噂はかねがね……どうか誤解なさらないでください、私は彼の友人ではなく恋び……」
「てめーも黙ってろ」
ちょっと見直したと思ったが気のせいだった。隙あらば外堀埋めようとするなこんちくしょう。人の弱みに付け込むとはなんて卑劣漢なんだ。
「つか、お前前は見えなかったのに見えるようになったのかよ」
「……先日数術を酷使した時からでしょうか。数術の数値が目に映るようになりました。その影響でしょうね」
《まぁ……そっちの子はユーカーと違っていい男じゃない。うちのランスとは別方向の美形だわ》
無視されずに相手にされたことでランスの養母も機嫌を直したようだ。俺を軽んじた発言の精霊に、トリシュの目が一瞬怖い光を宿したが、外堀のためか怒りを収める。
「……ヴィヴィアン」
「い、イズー!?どうしたんですか突然」
精霊の気配がする方へ俺は頭を下げる。ランスのためだ。そう思うと土下座だって痛くない。
「あんたに頼みがある」
《ユーカー……?何よ気持ち悪い》
俺の突飛な行動に湖の精も同僚も戸惑う素振り。柄にねぇことしてるのはわかってるよ。でも……
「ランスに言ってやってくれ。俺の言葉じゃ届かない。けど母親のあんたからならまだ通じるかもしれない」
《あの子に?》
「……あいつ、惚れた女が出来たんだ」
《な、何ですって!?》
「……その女、アルドールと政略結婚することになっちまった。だからランスはあいつみたいになりたくなくて、自分に嘘を吐こうとしてる。その所為でらしくもねぇことして、無理に笑ってやがる。俺はそんなあいつを見てるのが辛いんだ」
《……ユーカー、あんた……》
「俺に女殺させて、よくやったなんて笑うあいつはおかしい。そんなのいつものランスじゃねぇ。無理してやがる。だからあいつに無理すんなって、諫めてやってくれお願いだっ!」
額を地面にこすりつけ、俺は涙を流す。無力な自分が嫌だった。それでも今はこれしか思いつかなかった。藁でも何でも縋れる物は縋りたかった。あのランスには、俺の言葉はもう届かない。諦めたんじゃない。それでも事実として俺はそれを確信している。
あいつにとって俺は本当に、どうでもいい物に成り下がっているんだ。それでもいい。それでもいいんだ。それであいつが幸せになれるんなら、幾らでも俺なんか忘れて置いていけばいい。だけどそうじゃないだろう。ジャンヌへの思いを否定して、アルドールなんかに仕えても、辛いだけだろ。身も心も削って生きて、道具みたいに死んでいく。利用されるだけ利用されて、ほんの一握りの幸せも味わえない。
「あいつにとって、あれが初めてなんだ」
あいつは誰かをそういう風に思う心が理解できない堅物だった。精霊に育てられたあいつは、どこか人と違う雰囲気がある男だった。良く言えば天然、年に似合わず純粋で、汚れを知らない。そんな男が初めて恋ってものを知ったんだ。俺はそれが嬉しいんだ。あいつは人間になったんだよ。人間に、なれたんだよ。
「あいつは本当に、今まで人の心が解らない奴だった。それが初めて人間みてぇな面したんだよ……あいつが心底惚れた女が出来たんだ!見届けてやりてぇじゃねぇか!あいつとアルドールなんか、比べるでもねぇ!ランスの圧勝だ!あいつはいい男だ!俺が保障する!あいつが口説けばあの女だって絶対惚れるに決まってる!それなのにっ……」
《ユーカー……、あんたは本当に、あの子のことを思ってくれているのね》
涙ぐんだ声色で、ヴィヴィアンが呟いた。
《……解ったわ。あんたで出来なかったこと、私に出来るとは思えないけど……あの子には私から言い聞かせておくわ》
「恩に着る……」
《お礼は良いわ。代わりに……一つ、いいかしら》
「ああ」
《何であんたはそこまであの子を思ってくれるの?》
「俺は確かにあいつの従弟だが、俺の母親はここの領主の母親だ」
《え……》
「変なもんでさ、あいつの方が年上なのに……俺もあいつの頼みには弱いんだよ。俺があいつに対して抱いている物は、ヴィヴィアン。あんたのそれと似た物だ」
心の何処かであいつを子供のように思ってしまっているんだ、俺は。
俺があいつに憧れたのは、純粋な憧れじゃない。俺がああなりたいっていう憧れじゃない。自分の子供が立派になって、それを喜ぶ親の気持ちに似ている。
「い、イズー……」
「そういうことだ、トリシュ。俺があいつを放っておけないのはそんなわけだ。お前の思っているようなもんじゃねぇ。俺が騎士としてお前やあいつより優れてるはずもねぇ。俺は唯の身内贔屓、エゴの塊だ」
失望しただろうか。トリシュは言葉を失っている。だが、それならそれで別にどうでもいい。それで俺は困らない。
「……さて、気を取り直して今後のことを話し合わなきゃな。教皇ん所行くぞ。今のアルドールは使い物にならねぇ」
湖に背を向けて屋敷に向かえば遅れて続く足音一つ。けれどそれ以上は屋敷に着くまでトリシュは何も発さなかった。
*
「……ってお前いたのかよ」
「居て悪いのかよ!」
話し合いの席に着いていたアルドールを見るなりユーカーがそんな声を上げる。
「セレスちゃん、本当俺に冷たい」
「擦り寄るなっ!」
「なんだよけちー」
「俺に懐くなっ!」
「ユーカー年下に甘いんだろ?もっと俺にも甘くなってよ。はーい、王様は優しさに飢えてます」
「調子に乗るなっ!順調にあのおっさん並にうざったくなるんじゃねぇ!」
「あのおっさんってどのおっさん?サラさん?それともヴァンウィック?」
「俺の周りおっさんだらけかっ!つか全員それなりにうぜぇっ!」
俺は何食わぬ様子でこっそり席を移動。嫌がるユーカーに腕を回してもたれ掛かる。片隣りはトリシュで埋まってるからもう片側のユーカーの隣……じゃ、駄目だ。
「あ、アルドール様!?」
(御免トリシュ、匿って。後でトリシュの恋全力サポートするから。今ならセレスちゃんの女装生写真付き)
(ならば是非是非喜んでっ!)
「てめーら今なんか不穏な以心伝心図ったろ、この腐れ主従。つかトリシュてめーまだ俺に失望してねぇのか。ぐっ!じゃねぇよ。親指立てんな」
ユーカーからの苦情は聞こえない振り、片手を立ててごめんなさいとトリシュには軽く謝り二人の間に割り込んだ。俺の意図するところを理解したのか、トリシュも今回は目くじらを立てずに居てくれたのは助かった。丁度扉から入ってきたランスに、俺の身体が強張ったのに彼も気付いたんだろう。
今の精神状態じゃランスの隣に座ったり何か出来ない。こうしてユーカーとトリシュでガードして貰えば、俺は平静を保てるはず。完璧な策っ!そう思ったのだけれど…
(て、天然鬼畜だあの人っ!)
俺の気持ちを理解していないランスは、俺の正面向かい側に座ってしまった。しまった、その手があったかと内心蛇に睨まれた蛙状態。見かねたイグニスが助け船を出してくれた。流石は俺の親友だ。もうイグニス本当大好きっ。
「ランス様、そこは僕の特等席なので譲っていただけませんか?」
「え?」
「アルドールの阿呆面を正面から見るのが僕の趣味なんです。癒されるんですよ彼の馬鹿面は。彼、泣きそうになると涙より先に鼻水から出るタイプなんですよね、あれが本当笑えて笑えて」
「ああ、すみませんイグニス様」
イグニスー……でももうちょっと優しくフォローしてくれても。鼻水って、俺そんなの垂らしてた?垂らしてないと思うんだけどそのフォローどうなんだよ。いや、でも俺で癒されてるのか。社交辞令でも嘘でも嬉しいな。
「アルドール、泣きそうになったりへらへらしたりして気持ち悪いよ」
「ご、ごめんなさい……」
イグニスの辛口毒舌にほっとする。ああ、これが俺の何時も通りだ。イグニスがこうして俺を罵ってくれれば俺は、さっきまでの非日常を忘れられる気がする。
「さて、とりあえずようやく僕らが一勝。領土を僅かながら取り返せたというわけだ。今流れはこっちに来ている。このまま勢いに乗って一気に北部平定に乗り出すのが定石だろう」
イグニスは俺の気持ちが解っているのか死んだ山賊のことには触れないで話を進めてくれている。有り難いことなんだけど……少し、違和感を感じる。見ない振り、聞こえない振り……そんな、目を逸らして居るような感覚がある。それが守られているということなんだろうか。
(……彼女は敵だったのに)
敵が死んだの、はじめてだ。敵が死んでも、こんなに痛い。苦しい。
あの残虐非道なエルスが、か弱い子供のように泣いていた。レーヴェは俺が殺したわけではないけれど、俺がカーネフェル王。俺の民が殺したならばそれが俺の罪なんだ。玉座って、こんなにも……重く冷たい場所なんだな。
「アルドール……?」
「あ、ええと……なんでもない、気にしないで」
俺は無意識で震える手で隣のユーカーの脇腹を掴んでいたみたい。くすぐったいと思ったのだろう。訝しんでいた彼も俺の様子がおかしいことに気が付いて、それ以上の言及は避ける。
俺何してるんだろう。この場所で頼れる人……俺の痛みを分かってくれる人、一番人間らしい考えが出来る人、それがこの人だと思うからなのか、彼に助けて欲しいと思ってるのか。
「心底うぜぇ」
「え?」
なかなか手を離せないで居る俺に痺れを切らしたのか、チョーカー飾りの十字架を俺へと投げて寄越した。
(そいつでも握ってろ。痛くて目が覚める)
小さく投げられた言葉通り、それを掌を丸めてぎゅっと握れば手が痛い。その痛みで、次第に手の震えも収まってくる。
「凄いなユーカー!俺こんなの考えつかなかった!Mの発想だな!」
「阿呆かっ!どっちかって言うと俺はSだ!」
「君たち、今作戦会議中なんだけど」
イグニスの咳払いに俺とユーカーは我に返って視線を逸らす。お前の所為で怒られたと言わんばかりにユーカーがテーブルの下で俺の足を蹴って来る。
「なんと羨ましい……会議中にイズーといちゃつくなんてアルドール様……」
トリシュはトリシュでなんかこれがいちゃついている風に見えるらしい。でもさ、地味に痛いんだけどこの攻撃。絶対青あざ何個か出来てるって。
「手始めに、まずはブランシュ領の攻略。あそこにタロック軍と狂王が潜んでいるのは確かです。連中をカーネフェルから追い出せば、一気に風は此方に吹く。問題は攻めと守りのためのカード配置ですね」
イグニスはそんな痴情の縺れなどどうでもいいと言わんばかりに話を進める。今日も俺の親友は薄情冷静クールな所が実に良い。イグニスらしくて。
「当面のところ、タロック側で注意すべきカードはエルス=ザイン程度。後はカードとしては強い部類に入りません。ただし問題は……上位カードが多いと言うこと。連中は風の元素の加護を受けている。風と毒の連係攻撃は確かに厄介」
「……なら、前線に俺がいれば問題ないんだろ。俺は数術は使えねぇが幸運値は高い。運の良さで風の流れを変えることは出来るってことだろ?」
「……そうなりますがセレスタイン卿、貴方では駄目です」
「はぁ!?何でだよ!」
ひっそりと自己犠牲を口にしたユーカーの発言を、イグニスは聞く耳持たずに一蹴、切り捨てる。
「貴方にはカリスマがないんですよ」
「か、カリスマだと!?」
「貴方は女装で兵を集める程度には人心術がある。けれどカーネフェル軍は圧倒的に女性が多い!野郎共に人気があろうと女性人気の無い貴方では決め手に欠けるんです!」
「そ、そんな理由かよ!」
「ですが事実です」
ユーカーを鼻で笑ったイグニスは、代替案として湖城に残してきた彼女の名前を口にする。
「その役目はジャンヌ様に買って頂きましょう。救国のヒロインというものは盛り上がると相場が決まっています。男側からすれば女の子に負けていられない、守ってやりたいと思う心!女側からすれば頼もしい男勝りな女性の雄姿に惹かれる心もあるでしょう」
「待ってください!」「イグニスっ!」
同じタイミングで発せられた声。その内一つが俺で、もう一つが……テーブルの向こうにいる人だ。
「ランス……」
「アルドール様……」
何故ここでそれを口にしたのか。互いに互いの胸の内が解らない。それでも彼は俺の話を遮ったことを詫び、先にどうぞと譲ってくれる。
「あ、あのさイグニス。そんな危ない役目、女の子にさせちゃいけない。彼女は確かに兵士かも知れないけどそれ以前に女の子だ」
「アルドール、セレスタイン卿は何?ジャックだ。つまりクィーンより幸福値が低い」
「ここでユーカーに無茶させれば、ユーカーが死ぬかも知れないって……言いたいのか?」
「彼はここまで何度かカードと戦っている。まだ殆どカードとやりあったことのない彼女とでは幸福値の差は歴然だ」
「でもっ!」
「それ以上言うなら僕も言いたくないことを言わなければならなくなるよアルドール。既に南下したとはいえタロック側にはキングもいる。僕らはキングと対峙するまでにコートカードはなるべく多く温存しておきたい。わかるね?」
「イグニス……」
「アルドール、君がフローリプさんを振ったことで彼女は道化師に踊らされた。結果として貴重なコートカード!クィーンであるルクリースさんを失ったんだ!彼女が生きてさえ居ればっ、クィーン二枚もあったならキング相手でも道化師相手でも引けは取らなかっただろうに!」
テーブルの向こうから俺を睨むイグニスの顔。その目の冷たい光。それは俺を律するためだとわかるけど、それでも塞がりきらない俺の傷口をその言葉の剣は深く貫く。
「イグニス様……それは流石に言いすぎです」
「ランス様、ではお聞かせ頂きましょう。貴方は何故異論を唱えたのですか?」
「え……わ、私は」
「貴方だってこれまで多くの兵を率いて戦って来られたはずだ。その兵の中には大勢の女性軍人がいたことでしょう。彼女たちだって命を落とす危険はあった。現にそうなった方もいたはず。ですが戦う以上その覚悟はあってしかるべき」
どこまでも正論なイグニスの言葉。感情論では太刀打ちできない言葉の壁に、ランスでさえ押し黙る。
「ランス様。その兵士達が良くて、彼女では駄目な理由を私にお聞かせ下さい。そこに明確な理由があるのならば」
「……いえ、申し訳ありません。イグニス様の仰る通り。……唯の気の迷いです。私もどうかしていたんです、……今日は色々ありましたので」
「……ランス様。彼女は貴方を助けました。その恩を感じていらしたのでしょう。それはわかります」
飴と鞭。本当にイグニスは上手い。先程までのきつい口調を和らげて優しく微笑む彼女を見れば、誰だってその言葉に流されそうになる。
「でしたら今度は貴方が彼女を守ってください。貴方のその剣の腕と数術の力があればきっとそれも叶うはず。共に戦い、すぐ傍で……守ってください。……元とはいえ、彼女は僕の部下です。僕だって犬死になんてさせるつもりはありません」
「……はいっ」
影の差していたランスの顔が綻んでいく。明るくなったその表情は、元通り……いつものランスに戻ったようだ。
「そ、そうだよな。ランスは強いし、ランスだったら安心できるよ。俺からも頼む。彼女危なっかしいから……」
イグニスに便乗して俺も笑ってランスに彼女のことを頼もうとした。その刹那、不意に背筋に寒気が走った。なんだろう。その寒気の原因を探すとそれは……笑っていたはずのランスの目から。
「ランス……?」
「い、いえ……。確かに任せられましたアルドール様」
俺は何かやらかしてしまったのか?助けを求めるようにユーカーを見れば、彼は遠い目をして頭を掻きむしっていた。
「お前本当、空気読め」
「えええ!?」
ユーカーに足の小指を軽く踏まれた。何がいけなかったのか目で尋ねても彼は教えてくれやしない。自分で考えろってことなんだろうけどさ。心当たりがないから解らない。
話に一区切り着いたとイグニスが手を打って、俺の意識を話へ戻す。
「……ではブランシュ領攻略にはランス様、ジャンヌ様。その間の守りですがコートカードの僕とセレスタイン卿で、それぞれ湖城とアロンダイト領を守りましょう。問題はアルドールか……君はどうするつもりだい?」
「え、ええと俺は……」
「僕としてはブランシュ領には元々そこに縁のあるトリシュ様も向かわせるべきだと思う。けれど君がここか彼方に残るなら、君の護衛としてトリシュ様も残って貰わなければならない」
ブランシュ領には狂王が居る。エルスも居るかも。そう思うとあまり行きたくない。
(それでも……)
俺は隣のトリシュを見る。チェスター卿との蟠り、なんとかしてやりたいと思う。
「トリシュはここまで俺を助けてくれた。それなら今度は俺がトリシュを助けたい。セレスちゃんと引き離しちゃうの悪いんだけどさ、一緒に来てくれるか、ブランシュ領に」
「アルドール様……」
「……さっさと仲直りして来いよ。てめーがチェスターの爺説得出来りゃ、あっと言う間に平定だろ」
「イズー……いえ、ユーカー」
俺とユーカーの言葉に両目に涙をため込むトリシュ。俺よりユーカーより長身だけど顔が可愛いからこういう顔されると味方してあげたくなる。ユーカーも観念してあげればいいのに。
「解りましたっ!貴方のために彼を説得してきます!そしてこの国を平和にしたその暁にはっ、実家と上手く行っていない貴方に彼をお義父さんをプレゼントしましょう!」
「さりげなく結婚を前提に話を進めんなっ!誰がてめーなんかと!」
「そうだな、カーネフェル平和になったら同性婚認める法律作ってトリシュに報いらないと」
「本当にそれだけは止めろアルドールっ!」
ユーカーが本気で泣きそうなので、この話はここまでにしておくか。そう思って俺は顔を上げる。何か何時もとちょっと違うなと思ってしまったのはランスの様子。
いつもならユーカーが必要以上にトリシュに絡まれた時は不機嫌になっていたはずのランスが上の空。窓の外の空を眺めている。
「ランス……?」
「ほら!ぼさっとしないアルドール!君たちは湖城に戻る仕度して!あ、セレスタイン卿がここ残ってくださいね。僕向こうに部下いるんで命令がてら湖城担当になりますから」
ユーカーが異を唱えるのも許さずに、イグニスは俺の背中を押して、廊下へと誘う。
「アルドール、僕はブランシュ領にはついて行けない。君の判断でしっかりと彼らを動かすんだ。いいね」
「う、……そう言われるとなんか緊張するな」
「アルドール、曖昧な命令は駄目だ。しっかりと君の意思を言葉にしないと今の彼には通じない。解るね……?」
「……ああ」
「僕もセレスタイン卿も今回は傍にはいられない。その上で毅然とした態度で挑むんだ。彼に躊躇するならトリシュ様か彼女を頼って良い。君は女慣れしてるし男より頼り易いだろジャンヌなら」
「へ、変な言い方するなよ。確かに屋敷には女ばっかりだったし……女の子の方が気が楽ってのはあるけどさ」
カーネフェル人の若い男と接した機会というものが俺には少ない。カーネフェルに来てから、ユーカーと出会ってからそれ以降芋蔓式にと言って良い。接した機会が一番長くて多いユーカーに懐いてしまう心があるのは無理もない。ユーカーってあれで結構分かり易いんだ。だけどランスは……未だに解らない部分が多い。まだ出会って間もないトリシュやパルシヴァルの方が俺は理解できているような気がする。
「彼女のカーネフェルへの愛国心は本物だ。彼女は僕を神とは思っていないが君をそのくらい大事には思っているよ」
「お、大げさだなぁ」
「君が死ねばカーネフェルは終わりだ。そうなれば彼女のような人達がこの国にかける思いも情熱も潰える。それをしっかり認識した上で君は立っていなければならない」
「イグニス……」
「やれるね、アルドール」
「……頑張る」
「よし!」
愛犬を撫でるようにイグニスが俺の頭に手を伸ばす。だけどそうやって笑うイグニスは、少し悲しそう。
(イグニス……震えてる?)
それに気付いた途端に、視覚数術が解けた。外見はイグニスそのままなのに、イグニスの背が少し縮んでいることに気が付く。震えていたのは彼女が背伸びをしていたから。
(イグニスの吐いている、嘘……)
イグニスはそれを見つけてと俺に言った。俺がそれに気付いたことに彼女は気付いているのだろうか。
「な、なぁイグニス」
「何……」
彼女が振り向く瞬間に、俺は自分の鼻を指で押し潰してみた。
「ぶひぃ」
「ぶっははははは!何その馬鹿面っ!あはははははははは!」
「な、なんだよ!酷いなぁ」
「酷いのは君の顔でしょ!あははははっ!」
腹を抱えて笑い出したイグニス。それを見て俺は一つの確信をする。
どっちが本当でどっちが嘘かは解らない。
(だけど、今のイグニスには……俺の顔が見えている)
これが数字だったなら、そうだ。数字にしか見えていなかったのなら、イグニスはこんな風には笑わない。
「アルドール?」
「早く準備しないとな」
手掛かりの一つを手に入れた後……何食わぬ顔で、俺はイグニスを急かす。やることは山積みだ。俺の言葉に彼女もそうだねと頷いた。
*
「我が息子よ、見舞いには果物よりたわわな果実のような実りのあるバインボインの女の子でも見繕って来てくれると私は嬉しい」
「ブランシュ領に行く前に一度挨拶に……と思ったのですが、やっぱり来なければ良かったと今は思います。では」
「まぁ待て待て息子よ!」
病室の父に背を向けようとしたランスに、ヴァンウィックは妖怪のようにその手を掴んで離さない。
「良い面構えになったな」
「……何のことですか?」
大量殺戮をした日になんて事を言うのだろうこの男は。我に返れば会議の後もそそくさと自分から離れるアルドール様とユーカーに、自分のしたことの意味を省み始めていたのに。
幾ら父が重傷を負ったとは言えあそこまで取り乱す必要があったのだろうか?今冷静になって考えればアルドール様はあの山賊を仲間にしたがっていた。そう解釈できる。その心を察せず傷付けてしまった自分はあまりに罪深い。次の仕事ではもっと彼に喜んで貰えるような仕事ぶりをして、償わなくては。
「ここ最近出会した女性と言うならあの子かね」
「はい?何の話ですか?」
「だからお前が惚れたのはあの聖十字のお嬢さんかねと聞いているんだ」
「はぁっ!?」
「いや、違うなら違うでもいいんだよランス?その時は手を出すだけだ。流石に我が子の惚れた女には手を出さないが、そうではないならそうしよう。看病してもらいに私も湖城に行こうかなーそれでつきっきりで看病して貰っている内にベッドに引き摺り込んで一発。これであの子も私にメロメロさ」
「くっ……」
この男なら正直やりかねない。彼女の博愛精神に付け込んで看病をさせる口実で彼女を襲う図はありありと想像できてしまう。
「彼女は素晴らしい人だ。貴方のような汚らわしい男が触れてはならない」
「ははは、ランス。お前は我が子ながら馬鹿だなぁ。抱けない女など意味がないし価値もない。絵に描いた餅だ」
「全世界の女性に謝ってください。全ての女性の価値は等しくそれぞれ美しい。その美徳が見えやすいか見えづらいかだけのこと!勝手な男の価値観で人を見下すなど騎士の風上にも置けません!」
欲望に飢えた獣。こんな低俗な男が自分の父親だなんて信じたくない。認めたくない。その怪我を心配したことを心から悔やむ。
「それとも?ああ、こういう解釈もあるな。抱けない女ほど美しい女はいない」
だというのに、この男の言葉は俺の中に深く響く。紛れなく、逃れようなく、同じ血が流れていると言うように、その言葉は世界の心理を俺へと告げる。
「女は抱けば抱くほど神聖みが薄れるんだよ。だから私も基本的に同じ女は二度は抱かない。いい女なら二度はあるが三度はないか。そう、言うなれば触れられない女ほど魅力的に見えるものはない」
「ふ、巫山戯るなっ!俺はそんなことはっ……思ってなどっ」
「かつては私もそう思っていた。その美しい人に触れられないからこそ、他の女を食い散らかしてその不満を解消しようともした。だが、せめて一度触れれば忘れられる。どうでもいい下女に成り下がる。諦められる。そう思って私は彼女を抱いたんだ」
彼女。それは俺の母親。本当の母親。あの方の……奥方様。
記憶の中……都で見た王妃様。冷たい目で俺を見る。愛しさと憎しみの入り交じった目で俺を見る。その目の意味は段々に理解していった。
だからあの人は湖に身を投げたんだ。ああ、可哀相に俺の母様。俺を愛せないはずだ。死にたくもなるでしょう。貴女はきっと本当の子供を奪われて、殺されたんだ。その子があの方の死産した王子と言うことになったんだろう。それで王妃様から生まれた俺が、母様の子供とされたんだ。取り替えられたんだ、赤ん坊を。そうするためにこの男は同じ時期に大勢の女に手を出したんだ。それでたまたま王妃様の出産と重なるような日に子供を産みそうな女を妻にしただけなんだろう。
「……だがなランス。世の中には紛れもなく愛という物は存在している。愛してしまったならば、彼女は何時何時如何なる時も神々しく美しいのだ。その手で触れようと汚そうと、幾ら貶めても変わらず愛おしいのだよ。そこまで思える女を、私は彼女の先にも後にも他には知らない」
「貴方は最低だっ!そんな自分勝手な心っ!愛なんて名前で都合良く綺麗に飾っているだけだ!貴方のその身勝手な行動で何人の人間が泣いたと思っている!?母さんっ、アルト様っ!それだけじゃ済まないっ!」
「俺は絶対に、貴方のような男にはならない!俺は絶対に……彼女に触れたりしない!あの方は、アルドール様の伴侶なんだ!」
「やれやれ、我が子ながら頭の固い子だな。歴史は繰り返すのかねぇ……昔の自分を見ているようだ」
「俺は貴方のような軽薄な男じゃない。……第一ユーカーがこの先女性を愛さないと決めているのに、俺だけ女性に手を出すなんてフェアじゃない。あいつがアスタロットを失ったのに、俺が何かを手に入れるわけにはいかない」
「美しい友情かな、……そう見せかけているだけでお前はいつも彼を言い訳にしておきたいんだねランス」
「何を……っ」
「聞けばお前、セレス君を斬ったそうじゃないか。それでも彼はお前を見限らずまた助けに戻ってきてくれた。だと言うのにお前があの子を助けたことがこれまで何度ある?」
「それは……」
父の言葉に甦る。ユーカーを斬った手の感触。驚くほど悲しめなかった自分の軽薄な心。それは……友人であるアルト様を裏切った、この男!父と同じではないか?
駄目だ駄目だ駄目だ。俺はもっとあそこで傷つかなければならなかったのに。もっともっともっとあいつを大切にして大切にして大切に思わなければいけないのに。助けに来てくれたのはあいつもそうだ。なのにどうして、あいつのことなど忘れるほどに……俺はジャンヌ様ばかり追いかける?俺の目は、俺の心は……
「どんなに取り繕ったところでランス、お前は私だ。私の分身、私の生き写しだ。私と違う人間になろうとしても、お前は私と同じ事を感じて考える。お前の悩みはいつかの私の悩みだよ。だから言うんだ」
「違うっ!俺は貴方じゃないっ!俺はっ、俺なんだっ!」
「ほぅ、ではお前と私の何処が違うと言うのだね?」
「っ……ユーカーは」
「やれやれ、またあの子か。まぁいい。言ってご覧?」
「ユーカーは貴方より、俺に懐いてる。俺のことを慕ってくれている。貴方のために死んだりしないけれど、俺のためなら死んでくれるんだ。それは俺が俺だからなんです父さんっ!」
自分と彼の違うところ。それを挙げるなら、彼以外の名前は出て来ない。俺でなければならないとその行動で必死に言ってくれるのは彼。信じられるのは彼。俺の自我を守ってくれるのは、彼という存在に依る。
「誰かを愛することでお前がお前になるのではなく……誰かに好かれることで、お前がお前になる、か」
俺の言葉に父は苦笑し肩をすくめた。
「ふっ……これは一本取られたな。確かにあの子は私などよりお前を慕っているだろう」
そうだ。だからユーカーは、ユーカーだけは俺を嫌わない。あいつは唯の従弟じゃない。
あいつは俺のことを子供のように見て居るんだ。馬鹿にしているのではなくて、庇護欲を俺に抱いているのだ。それが解るから俺は……あいつが俺を見捨てないのだと感じ取る事が出来る。
「だが、あまりそう縛り付けてやらんことだ。私も多少は弟思いの兄でも在りたいのでな、一応忠告しておこう」
「……よく言いますよ」
「ははは、第一本当にお前が友人思いならばどうなんだ?トリシュ君もお前の友人だっただろう?彼の恋路を応援してやってはどうだね。それでお前もセレス君に義理立てする必要もなくなるだろうに」
「ユーカーが乗り気なら俺だって応援してますよ」
「まぁ、息子よ。恋と忠義と友情がそこに並んだとき、人が選べるのは一つだけだ。それを努々忘れるでない。忘れると私のようにろくでもない男になって息子から疎まれるからな」
「俺に……そんな時間があるとでも?」
「やれやれ……無欲すぎるのも罪だぞ、ランス」
この審判を勝ち抜く気は無いのかと父が問いかける。
「……貴方に王妃様が殺せるんですか?」
「ふっ……まったく痛いところを。だがなランス、私はカードではない。だがお前はカードだ。つまりお前は……仮に彼女を失ったとしても再び彼女を手にすることが出来るのではないか?その時はあの少年王もセレス君も死んでいる。誰に義理立てすることもない」
父の言葉は悪魔の囁きに似た何かだ。これ以上耳を貸してはならない。今度こそ俺は病室を後にする。
「思ったより元気そうで何よりです。それでは」
こんな男に回復数術をかけてやるのではなかった。幸福値が勿体ない。そんなものがあったなら、もっとアルドール様のために俺の寿命を使わなければならなかったのに、なんとういうことをしてしまったんだろう。
ヒロイン連中が0章で死んだ所為で、最近男ばかりでむさいですね。
次回からまたジャンヌが戻ってやっと華が添えられるかな。