0,2:Fiat eu stita et piriat mundus.
暗い表情で闇に消えゆくように歩き出した騎士。その背中を見送るイグニスに、闇より声が投げられる。
「良かったんすか?」
振り向けば闇から輪郭を徐々に表す少女が1人。彼女は部下の中でもそれなりに腕の立つ数術使いの1人。風にそよぐのは、春を思わせるような薄桃色の髪。それは彼女が純血ではないことの証明そのもの。
「Ⅲはカーネフェルには…………アルドールには必要なカードだよ。そのためにも彼が唯の駒では困るんだ」
「マリアージュ、君はクラブの本質を知っているかい?」
「何すか?ハートなら知ってますけど」
あんなの農民か男の象徴物じゃないんですかと見下すように少女は嘲笑う。それを窘めるようにイグニスは答えを告げる。
「情熱さ」
「情熱っすか」
さしたる興味も無さそうに、彼女は言葉を鸚鵡返しに繰り返す。
「そんなもの何の意味が?私にゃ、よくわからないっすよ」
「そう言うだろうと思って君をここに派遣したんだ。しばらく僕の代わりに彼らのサポートは君に任せる。セネトレア慣れしてる君ならカーネフェル程度の揉め事なら何とでもなるだろう?」
「そりゃそうっすけど、この国ほんと何もなくてつまらないったらありませんって」
「そう言うだろうと思ってそんな君にぴったりの任務を用意させて貰ったんだ」
「なんすか、これ?」
「最近死んだばかりの少女の情報。これを使って君は裏方からサポートをしてもらう」
「お言葉ですけど、めんどくさいっす神子様」
「間違いなく泥沼になるね。君の好きな揉め事が起こる」
「マジすか神子様!それってあれってあれすか!?三角関係?!痴情の縺れ!?痴話喧嘩でドッロドロの昼ドラっすか!?やべぇマジやべぇ!!」
「君の働き次第に因るけどね」
「はーい!頑張ります!これでもかってくらいにやりますんで!」
僕の6番目の部下、マリアージュ。彼女は恋愛事に目がない。司りながら意味しない。矛盾した存在だ。外見は僕とそんなに変わらない年のに、中身は完全にあれだ。耳年増を通り越してもう何処かの家政婦的なポジションじゃないか?まぁそれも仕方ない。混血は基本的に外見と年齢が一致しないものだから。女性の年をひけらかす趣味はないけれど、少なくとも彼女が僕より年上だということだけは事実。実年齢より遙かに幼い混血の方が、有する力は大きいものだ。それだけの闇を抱えていると言うことなのだから。
「でもでもでもっす、ねぇ神子様。あんまり引っ掻き回したら、それはそれでこの国やばいんじゃ?」
「マリアージュ、種を植えるだけで花が咲くとは思う?」
「意味不的な」
「ああ、そうだよ。それだけじゃ駄目だ。綺麗な花を咲かせるためにはまずは豊かな土壌が必要だ。そのためには耕すことが必要だし、肥料も必要。水もあげないといけないね。まぁ、つまりはそう言うことなんだ」
一粒の種を落としたところで死んだら死んでお終いさ。死んでも実など結ばない。だからこそ、収穫のためにはやらなければならないことが幾らでもある。
「未来の修正っていうのはそう簡単な仕事じゃない。予言から世界を変えるためにはある程度の狂気も必要なんだ。今という概念を破壊するためにも」
「マジたりぃっす」
口ではそう言いながら、彼女もようやくやる気を出してくれたよう。情報を取り入れて、その姿を変えていく。彼女の数術は他のメンバーではちょっと真似できない。同じように見せることは多くの者に出来るのだとしても。情報との同化も進み、彼女はなるほどと小さく呟く。
「っにしても神子様マジ半端ねぇつかマジパねぇ。あの兄ちゃんこんな顔してたんすけど!イケメンが台無し的な!無駄イケメン的な」
「唯の飼い殺しの忠犬じゃ意味がない。歪みを生むのは人の狂気さ。未来を変えるためにもこれは必要なことだ」
あの騎士が、アルドールの命令を聞くだけの道具ならカーネフェルはお終いだ。だってアルドールは基本人に命令なんか出来ない。絶対に正しい命令なんか出来ない。王としての器はお世辞にもない。絶望的なまでにない。それは僕が保証する。
それでもアルドールは人を集める才がある。それを磨き上げ、掌握することこそが彼に求められていることで、僕が裏から支えていくべきことでもある。
別に全ての国民から好かれろなんて言わない。彼には無理だ。それも僕が保証する。なら周りの使える人間だけでも好かれろ、人として。そして人として意見を気持ちをぶつけ合えるような関係まで構築できれば……それがより良い道へと繋がる。そうなったなら……変えられるはずだ、何もかも。
「……っていうかマリアージュ、その口癖まだ直らないの?違和感しかないんだけど」
「お、おほほほほ!嫌ですわ、ごめんなさい神子様。いやぁ、前の潜入先で演ってた人間がこういうキャラでこういう口調情報だったのでなかなかつい癖に」
ここしばらくセネトレアに派遣していたのがいけなかったのか。やはりあの国一回滅ぼすべきだな、うん。マリアージュは工作員としてはメンバー中1,2を争う力量だ。足での情報収集能力は彼女の右に出る者はいない。同じことを僕に出来ないわけではないけれど、支払う代償の重さを考えれば僕向きの技ではないことは確か。数術は出来る出来ない、それを越えた先に向き不向きという問題が横たわる。
「まもなくユリスディカもこの国に来る。最近加わったエフェトスはともかくとして君でも彼女のことは……君たちは知らないよね?」
「№11?ええ。私は見たことありませんわ」
「№11は№2に次いで特殊な役職だからね。本人も自分が運命の輪に組み込まれているとは知らないだろうよ」
「それはまた、おかしな話ですわね」
「ああ。代々そう言うものなんだ№11は。彼女は常に正義で在らなればならない。それを揺るぎなきものにするためには」
11番目の切り札は、少々特殊な環境にいる。彼女が僕の部下であることは変わりないけれど、他のメンバーも彼女自身も互いに互いをまず知らない。
そんな二人が同じ場所での任務に就くというのは滅多にない状況だ。カードの表と裏が向かい合うようなもの。つまりはあり得ない。
そんなことが起きると言うことは、それだけ今が危うい状況なのだと言うこと。それは彼女も理解しているようで、マリアージュがごくりと息を呑む。
「それでも敢えて組み込むというのは?」
「指標さ、正義の」
「指標、ですか?」
「ああ。君たちに僕は残酷な命令を告げることがある。時に君の中の正義が揺らぐこともあるだろう。世界を憎み人を呪うこともあるだろう。それでも尚信じるに足るもの。それを示すのが彼女の役割」
「……神子様がそこまで言うだなんて、どんな子かちょっと気になって来ました」
任務が楽しみな理由がもう一つ増えたと彼女は言って笑う。しかしそれは今の外見にはそぐわない、もっと大人びた笑みだった。
「マリアージュ、今度の役は貴族令嬢なんだ。そこを忘れずにね」
「ふ、ふん!わかったわよ!」
どうやら情報の方もインストールが完了したようだ。彼女の髪の色は混血のそれからカーネフェル人の金髪へと変貌している。別にこれは視覚数術などではない。これが彼女の数術だ。
彼女は凄い。彼女の役作りは完璧だ。情報さえ与えれば外見人格、記憶さえも完全に模倣できる。上司への敬意も失われるほどに、今彼女は別の少女を演じている。
そしてもしものためにもう一つの台本を渡している。彼女をカーネフェルに置くのは、万が一のそのためでもあった。
「マリアージュ、…………」
「レディの名前を間違えるなんて、失礼な男性がいたものね!私はエレイン!覚えておきなさい!」
長い巻き毛をリボンで括った、幼い姿の少女が吠える。
そう言ったきり背を向けて走り出す少女の姿に、イグニスも言葉を引っ込める。
「…………本当に、ノリが良いね君は」
代わりに出てきたのはそんな言葉。大事な部下を死地へと送り出す上司に、こんな言葉しか言わせない。それが、彼女の優しさだったのだろうか。それに触れて、遅い溜息が口から漏れた。それに気付いて自嘲する。よくもまぁ、感傷になど浸れたものだ。
他の誰にその権利があっても世界にたった1人、イグニスという人間にだけはそれは許されないことだ。それは重々承知している。
入ってくる情報はどれもろくでもないものばかり。前回の審判とは大分状況が変わってしまった。先読みの神子とは名ばかり、全てを見通すことなどもう出来ない。ある程度の予測を立てのは計算だ。
如何に他人を犠牲にしながら王を生き残らせるか。簡単な話、神の審判というのはチェスのゲームそのものだ。そのゲームのおかしなところは元々手持ちの駒がないことくらい。だから駒を拾って育て、駒を配置しゲームに応じなければならない。その一つ一つが本当に生きている人間という駒だと思ってはいけない。それを哀れむのは僕の役目ではない。
「裏切って良い。裏切って良い。だから、どうか……裏切らないで」
願いではない。これは願いではない。唯の祈りだ。
心のままに生きてぶつかる分には構わない。それは大いに結構だ。
問題はそうじゃない。心を押さえつけて、とんでもない後悔をしてしまうこと。そこから膨れあがる歪みは、とてもじゃないが正せない。なら初めからそうならないようにし向けるのが僕の仕事だろう。
セレスタイン卿は油断ならない爆弾であり地雷だ。とてもイレギュラーな存在だ。時と場合によっては、最悪の敵がもう一人増えてしまうことになる。それでも上手く飼い慣らすことが出来たなら、あれほどアルドールにとって心強い味方もいない。
そしてその鍵こそが、アロンダイト卿であり……11枚目の僕の切り札。
この問題をどう片付けるか。それが次の難関へと向かう問題だ。あの山さえ越えられたなら、今度こそ変えられる、変えてやる。
(僕は間違えない、僕は間違えない)
幸福を願う権利があるのは生きている人間だけだ。最後の最後で慈悲を生み出すことが出来るのも彼らだけだ。
僕は無慈悲だ。僕は多くを見捨てる者だ。だからこそ僕は幸せを願う権利もない。鼓動の音は偽りだ。それを僕は知っている。僕は、……知っている。
*
部下から届けられた情報。ユリスディカと密かに名付けられた少女は海上にいた。そこの配置したのはイグニス自身。彼女がユリスディカに足るかどうかを見極めるために、或いは11枚目の切り札としての彼女を完全なものにするため。
カーネフェルの領海。それを守護する任に就かせた聖十字の兵士達。聖十字の船も武器も現代最強。それは間違いない。だからこそそれには多くの制約が掛かっている。僕は彼女に問いかけている。正義とは何なのかと。
「あの船……セネトレアの奴らだわ!」
兵士の1人が敵船を見つけた。その声に全ての兵士が身構える。
「セネトレアですって!?」
カーネフェルと戦っているのはセネトレアではない。タロックだ。それなのに何故セネトレアが来るのか。それは誰もが知っている。奴らは飢えたハイエナだ。金の臭いを嗅ぎ付けて、世界中の何処にでも現れる金の亡者だ。
「くそっ……、厄介な」
奴らを止めるためには、これから彼らが奪ってくるだろうその総額よりも多くの金を差し出す他にない。しかしこれは氷山の一角。その金に更なる亡者が引き寄せられる。そんな風に平和を金で買うことは出来ない。そんなことを続ければ聖教会はおろかシャトランジアという国が財政破綻してしまう。唯でさえ移民と亡命者の受け入れで馬鹿みたいに金がかかるのに。
また、そんな無茶を愚行を犯したとして、それで奴らが引き下がる道理はない。金は受け取り、更なる宝島へと船を進めるだろう。そんな無駄金誰が使ってやるものか。
今代のユリスディカは年若い少女だ。彼女はカーネフェル人。長く綺麗な金色の髪に、空海の浅瀬と水面に映る草木を混ぜ合わせたような調和の碧色の瞳。
騒ぎ出す同僚達の中、彼女は思い悩んでいるのか無言を貫く。その顔にはもう答えが決まっているようにも見えた。
「《これより先は、カーネフェルの領海だ!止まりなさい!!》」
許可無く他国の領海を侵すことは許されない。正義と平和を守る聖十字は国際警察のようなもの。けれど万能ではない。タロック王が民を虐げているのだとしても、聖十字がタロックに乗り込むことが出来ないように、聖十字は多くの法に縛られている。正義のために作った法が自分たちの足枷になるというのはなんとも歯痒い。
しかしカーネフェルとシャトランジアは切っても切れない関係にある。そして戦争が再び起こってしまった以上、シャトランジアは十字法という観点から正義を行うことが許される。議会とシャトランジア王がそれを許さなくとも、神子である僕とそしてカーネフェルがそれを許している。問題は、正義の在り方だ。
「総員、衝撃に備えろ!」
金の亡者には聖十字の声など届かない。ならば他の方法を取るしかない。
船の指揮官達は、合図を送り予め指示されていたように船の配置を換える。相手は唯の船。それでも此方には教会兵器が搭載されている。速度なら負けない。敵船の進行方向に先回りし、それを迎え撃つ形へ持ち込んだ。
壁のように立ちふさがるシャトランジアの船。それに気付いた金の亡者達が騒ぎ出す。恐れ戦き、ではない。金の臭いを察して、だ。
「おい、見たか!?」
「凄ぇ早さだ!あの船、唯の船じゃねぇ!!教会兵器ってのをわんさか積んでやがるに違いねぇ!」
「おお!そいつを奪って売り捌けばいい金になるっ!これは幸先いいな!」
「聖十字なんて言っても、相手は女ばかりの兵隊だ。負ける気がしねぇぜ」
「カーネフェリーの女は金にならないからな、奪うもんだけ奪ったら魚の餌にでもしてしまえ!船に積める宝の量は限られてるからな」
下卑た笑い声は次第に近づいてくる。それどころか速度を上げている。教会兵器が使えないことを見抜いてだ。
此方が動けるとしたらそれは正当防衛。教会は打たれたら反対の頬を差し出せということになっているが、聖十字はそうじゃない。打たれてからが戦争だ。右の頬を打たれたら、相手の左の頬を骨ごと粉砕し黙らせる。しかしそれはシャトランジアが攻められた場合の話。残念ながらここはカーネフェル。
その場合はどうなるのか、上に聞かなければ解らない。指揮官もどうしていいのかわからない。一発食らうまで待っていたら船が沈められてしまうかも知れない。今すぐ発射許可が欲しい。それでも焦って言葉が出ない。通信が途切れる。声も出なくなる。
しかしここで動かなければ自分たちの身も危ない。十分正当防衛と言い張れる。そのことに兵士達が気付くのはあまりに遅すぎた。法に縛られた場所で育てられた、法を守らせるための存在。それはどうやって範を示す?それは自らが頑なに法を守ることによって。
不遇に涙し悪を憎み正義を重んじればこそ、命令違反を恐れるようになる。だから誰も動けない。
その時だった。一艘の船が動き出す。
上がる轟音。大砲が向かい来る船へと伸びる。
セネトレアの船は油断していた。法の番犬達は吠えるしか能がないと侮っていた。その油断が後悔に変わった時、船はもう傾いていた。
「アーク三等星!貴様という奴は、なんてことをっ!部下のお前がこんなことをしでかしてっ……私は減俸か!?それとも降格か!?左遷か!?」
「お言葉ですが、隊長。貴方は何を言っているんですか?貴方の言う正義とは何ですか?私は貴方にそれを問いたい」
船を動かしたのはユリスディカ。砲門の傍に彼女は佇む。轟音で我に返った指揮官が駆けつけ怒鳴るが、彼女は毅然とした態度のまま彼を睨んだ。
「給料が減らされるのがそんなに怖いですか?今の地位を失うのが怖いですか?法を犯すことが恐ろしいですか?それは命よりも重いものだと思うのですか!?」
動けずにいた多くの船員達も彼女の言葉に心を動かせられる。彼女の行動はカーネフェルだけではない。この船の、そして他の船の船員達の命をも救う行動だったと気付いたのだ。
「私は知っている。もっと怖いことを、恐ろしいことを!!だからこそ、私は教えたくないんです!私が知ってる怖いこと!それからカーネフェルの人達を守りたい!!あの船を見逃せば、カーネフェルは蹂躙される。多くの人の平和が壊されます。人としての尊厳も、命も失うかもしれない。それを知って見過ごせるんですか貴方はっ!」
「そんなこと私には関係ないっ!俺は仕事だから、この任務が高給だって聞いたから名乗り出たんだ!カーネフェル!?あんなでかいだけの遅れた国どうなったって構うもんか!!」
よし、あの男は左遷させて減俸の上降格させよう。窮地になると人間本質が出てくるものだ。そしてそれを見せつけるには打って付けの場面。上官が屑であれば屑で在るほど、ユリスディカは光り輝く。彼女の正義が魅了する。
「貴方はそうでも私はそうは思えない。自然が豊かなことが悪いことだとは思わない。技術だけが全てだとは思わない。あそこには人が住んでいる。暮らしている。優しい人、厳しい人、でも……とても温かい人達。それは誰も替わることが出来ない、唯一で尊いもの。お金なんか!位なんかで購うことが出来ないものです!!」
少女の目にはうっすらと涙さえ浮かんでいた。奥歯を噛み締めるように息を吸い、ユリスディカは天へと吠える。
「十字法第一条“汝、殺すことなかれ”!十字法第二条“正義を行うべし、たとえ天が崩壊するとも”!十字法第三条“正義を行うべし、例え世界が滅ぶとも”!」
十字法の掲げる正義でもっとも重い罪は殺人。だから正義は二の次、そう解釈する輩が現れる。しかしそうではないのだ。殺さない、許すことが信じることが正義なら、誰もが改心することが出来るなら、それは理想としての正義の在り方。けれど、そうじゃない。殺されるまで罪を犯し続ける人間はいる。十字法が問いているのは法を犯すな、ではない。どこまで正義を示せるか。それを問いかけているのだ。
教会には死刑がない。だから殺しても殺されないという不平等の法ではない。その解釈は間違っている。
例えるならこんな話か。
その男を見逃せば、男は100人殺すだろう。その男を見逃せば、男は自分の命は助けてくれるという。それでもその男は殺す。間違いなく100の命を殺めるだろう。男はどんな言葉にも従わない。提案をする権利は男にのみ存在する。
男を止める方法は1つだけ。問答無用でそれを殺める。たった1を殺めるだけで確実に100は救われる。賭けるべきは自分の命。たかが1。それでもされど1。
見逃せば男は100を殺めるだろう。それを殺めることをしくじったとしても男が殺める人間が101に変わるだけ。たかが1。たった1だ。
今の罪を恐れて未来の罪を見過ごすか。未来の犠牲を憂いて今動くか。
殺人が最も重い罪だと知りながら、それでも正義のために罪を背負う覚悟があるのか。それを十字法は問いかけている。ユリスディカは年若いながら、その解へと至ったその場の中で唯一の存在だ。
彼女の発した言葉に上官はまだ理解できていない。今の言葉は彼女の覚悟だ。正義のためならどんな罪でも背負おうと天へと告げたのだ。
それをこの無能な男は、懺悔の言葉だと決めつけにたりと笑う。決して許してなるものかとその目は笑っていた。
「今すぐ船を戻せ!ここは危険だ!早く退避させろ!こうなったのは全てお前の責任だ!上には俺が伝えておいてやる!全てはお前の所為なんだ!!」
「…………」
敗北宣言を口にした。そう思い込んでいた相手がまだ燃えるような意思を宿した目で睨む。それに男は震え上がった。その羞恥が怒りとして膨れ上がっていく。
「何だその目は!上官へのその生意気な態度に十字法に背く行為!お前達、こいつを捕らえろ!!」
指揮官を見る兵士たちの蔑むような冷たい目。それに彼は追い詰められていく。
「何故だ!上官命令だぞ!?今すぐ従えっ!」
ついに銃へと手を伸ばした男。彼はもう善悪の区別も付けられない。何より教会が禁じることを今正に犯そうとしている。
突きつけられた銃口にも、ユリスディカは怯まない。彼女は信じている。そしてその信頼が、彼女に応えた。
一斉に取り囲まれた指揮官。彼が兵士達から銃を突きつけられる番だった。
仲間割れをしている暇はない。敵船の混乱もそろそろ静まる。他の船が逃げ帰るか向かってくるかわからないが、正義のためには逃がすわけにはいかない。それは確かだ。
馬鹿な男以外、誰もが解っている。けれどユリスディカという人質が居る。その凶器に恐れて誰も動かない。それを恐れてだ。しかし1人の兵士が縄を持って上官へと跪く。
でかしたと言わんばかりに、男が笑ったその刹那。甲板に転がったのは男の方だった。
「な、何ぃっ!?」
「馬鹿ねぇ、この子が1人ならどうやって船を動かしたと思ってんだか」
「し、しまったっ!!」
芋虫のように転がる男をくすくすと兵士が笑う。本当に馬鹿な男だ。船を動かした協力者が居ると何故見抜けなかったのか。
「命令違反が怖いんなら、この芋虫連れてボートで他の船へ逃げなさい!」
女の声に、全ての兵士が首を振る。
「私も行きます!連れて行ってください!」
「あんたらばっかにいい格好はさせないわよ!」
「カーネフェルは、私達が守るんだ!」
ここに配置した兵士はカーネフェルからの移民、亡命者ばかり。祖国の危機を間近で見せられて、黙ってなど居られない。そんな女傑ばかりの船だ。
この船の騒動が伝わり、あちこちの船で兵士達の歓声。指揮官にもまともな正義を持っている人間や、ユリスディカに魅せられた者がいたのか、反乱はこの一艘に留まった。
「だってよ、ジャンヌ?」
「……皆さん……ありがとう」
「あら、そんな号令じゃ駄目よ。余所の船どころかうちの船でも見張り辺りの子には全然聞こえないわよ」
「しょうがないから今回はあんたに花を持たせてやるわ」
銃を突きつけられても泣かなかった少女が感激のあまり、口ごもる。それに兵士達は優しく微笑み、彼女の背を叩く。
「“正義を行うべし!”」
「「「「「「“たとえ天が崩壊するともっっ!!”」」」」」」
高らかに告げる少女の声に、兵士達が正義を唱える。
勢いづく聖十字に、金の亡者達が顔色を変える。この船は何かが違う。今までの腰抜け腑抜け去勢軍じゃない。
「おいふざけるな!こんな時に風まで!?」
「マジかよ!?退路がっ……」
吹くのは追い風。逃げられないそれをものともせずに聖十字の船は来る。あの船達は別の風に操られているように、すいすいと大海原を向かってくる。
略奪者達も、船の速さでは敵わないのはもう知っている。勝機があるとすれば白兵戦。しかしそれは相手も承知。だからこそ、来るのは銃なんて小さな鉛玉ではない。大砲の照準が次々に合わせられていく。
「“正義を行うべし!”」
「「「「「「“たとえ世界が滅ぶともっ!!”」」」」」」
ようやく6章ヒロインの登場。何か気付いた人……あくまでフィクションです。不審船っていうと密漁とかそんなノリでイメージしてたのに、0章ゲー完成間際にあんな事件が起こるから……もう苛立ちのあまりゲームのエピローグに急遽ぶっ込んだイベント。それを小説用に書き直しました。それまでいつも何気なく何とも思ってなかったけど、何だかんだでこの国が好きなんだなと思いました。好きだからこそ不満を感じてもっとより良くなって欲しいと思うんだろうな。上の人とかはあまり好きではなくとも国の文化とか風土とか自然とか、そういうのは好き。そういう宝が侵略されて破壊されるんだとしたら、やっぱり許せないことだ。




