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26:Pater, peccavi.

 何でこんな事になったんだろう。


(イグニス……)


 最初に力を貸してくれと言われた時は、こんなことをやれと言われるなんて思いもしなかった。結婚。その二文字は俺の心に重たくのし掛かる。


(ごめんイグニス。やっぱ俺無理っ!)


 脱走の知識はある。二年間常にそればかりを考えていた。カーテンとシーツを使って綱を作って窓から垂らしあっという間に俺は外へ。


(要するにイグニスは俺が弱くてカリスマがないから結婚しろって言ってるんだ。つまり俺がカリスマを付ければいい)


 タロック軍はブランシュ領に逃げたと聞いた。あれを一人で追い払えるくらいじゃないと、カリスマとは呼べない。


 「待っててくれイグニス。俺はカリスマを付けてくる」


 大体聖職者のイグニスは結婚が出来ないんだ。親友をほっぽって、俺だけ結婚なんて不義理にも程がある。その不義理を働かせようとしてるのがその親友本人だって言うのはまず置いといて。

 城を一度だけ振り返り、俺は裏門へと走り出す。その時だ。向こうから走ってきた何者かと俺はぶつかり尻餅をつく。


 「痛てて……」

 「うっ……その声、アルドール?」

 「お、お姉さ……ジャンヌ!?」

 「どうしてここに?」


 ふと視線を上げれば窓の上からは俺がしたのと同じような綱がぶら下がっていた。ああ、この人も俺との結婚が嫌で逃げ出してきたんだな。彼女も俺がどうしてこんな時間に外にいるかに気が付いて、二人で気まずく目を逸らす。


 「なんか、ごめんなさい」


 その内思わず申し訳なくなって俺は頭を下げる。


 「い、いえ別に私は貴方が嫌とかそういうことではなくてですね」

 「そうだよな、いきなり結婚なんて言われても嫌だよな」


 俺も別にジャンヌが嫌いってわけではなくて。突然のことに頭と心がついていけない、そんな感じでこんなアクティブに動いてしまいました。イグニスに見つかったら怒られる。我に返ってぞっとする。怒られるで済めばいいけど。これってある意味イグニスの信頼裏切ったことになるのか?

 冷ややかな笑みで罵られるか、敢えてその目で優しく声をかけてくるか。それならまだ良い。ピンポイントな言葉責めも辛いけど、完全無視が一番辛いっ!イグニスに避けられるくらいなら俺が逃げる。嫌われたって知る前に居なくなりたい。そんな思いで零す言葉を間違えた。


 「んー……じゃ、ジャンヌも一緒に逃げ……、あ痛っ」

 「どこに逃げるおつもりですかカーネフェリア様」

 「ぎぶっ!ギブギブギブっ!逃げるじゃなくて、言い方間違えたっ!」

 「では何と?」

 「一人でタロック軍蹴散らしに行こうと思ったんだよ!そうすればイグニスも俺を認めてくれる!俺にもカリスマがあれば結婚しなくて良いって…」

 「聖下がそんなことを……」

 「おね、さ……、驚きでっ、関節技決めないでっ……」

 「あ、すみません」


 軟弱ですねとジャンヌの顔に書いてある。だけどそんなこと言われても。


 「そうですね……私がそんな形でしかアルドールの傍に仕えられないのは、私がいけないんです」

 「ジャンヌ?」

 「私の男装が様になってないから駄目なんです!故に私はこれから更なる男装の高みを目指すべく、角刈りか坊主刈りにでもしてこようかと。あと胸そぎ落としてきます」

 「や、止めてっ!そんな怖いこと言わないでっ!そこまでさせるくらいなら結婚くらいするする!そこまで大変なことさせられないよ!」


 お姉さんが本気で女捨てに掛かってるのを見て、俺も必死でそれを止める。髪を更に短くする位なら兎も角この人、本気で胸そぎ落として来そうだ。ここで彼女に出会えて良かった。今ならまだ止められる。


 「止めないでくださいアルドール。これは私なりの決意で」

 「いや、今はそれで良くても何年か後に絶対後悔するって!」

 「何年か後、ですか?」

 「うん」

 「そんなものはありません。この国に、何年か先の未来なんて……今守らなければ無くなってしまう。国の未来がないのにどうして私の未来があるでしょうか?」


 至極当然に自分は故郷と共に生きているのだと彼女は言う。俺にはまだ理解できない感覚だ。


 「どうしてそこまで、ジャンヌはこの国のために生きられるんだ」

 「ならば私も貴方に尋ねましょう。何故貴方はこの国で生まれ、この国の王でありながら、この国のために生きられないのですか?」

 「それは……」

 「答えられない、まだわからない……ですよね」

 「……ああ」

 「私も同じです。取り繕った理由なんか幾らでも出る。許せないだとか、二度と同じことは繰り返させないだとか……確かにそれは始まりかも知れない」

 「……うん」

 「でも私は今生きていて、自分の生まれた国が蹂躙されていく様をじっと見ていることが出来ない。息をするように、当たり前で、大切なんです!この国がっ!」


 どうしてとか、なんでなんて言葉で、胸の内を完全に表すことは出来ない。そんなつもりでなくても綺麗事になる。飾った言葉は誰の胸にも響かない。それを彼女は知っているのか、敢えて理由を殺すのだ。そんな彼女から絞り出されるその声は、カーネフェルという国の声。彼女の身体を借りて、カーネフェルが俺に訴えかけてくるようだった。


 「王妃なんてお飾りは御免です。政治の駒も御免です。私は兵です。崇められたい訳じゃない。私は戦うために、守るために兵になった。だから、嫌なんです……そんな風に使われるのは」

 「ジャンヌ……」

 「お願いです!私を遠ざけないでください!私に戦わせてください!貴方を、この国を私に守らせてくださいっ!私は、そのためのコートカードなんですっ!」


 俺は彼女を死なせたくなくて、戦わせたくなくて……部下にすることを拒んだ。その拒絶が彼女をここまで追い詰めていたなんて思わなかった。


 「……あのさ、それじゃあこの国の女王にならないか?」

 「はい?」


 それは思い付き。俺なんかよりずっと、彼女の方がこの国を思ってる。本当は……王になるべきは俺なんかじゃなくて。そんな思いが紡がれた。


 「俺とジャンヌの二人とも王様。対等な戦友だ。……二人で一緒にカーネフェルと結婚しよう。形式上はそんな風に出来ないのかも知れないけど、気持ちの上ではそんな風に」


 妙なことを口にしている自覚はある。法律とか制度とかの関係上、そういうことは出来ないのかも知れない。

 俺と彼女の二人の問題と考えるから俺も彼女も混乱する。だけどその間にカーネフェルという国を挟めば、俺達は上手くやっていける。


 「この戦争の間だけで良い。俺を傍で支えてくれないか?」

 「アルドール……」

 「俺が間違ってたら怒ってくれて良い。代わりにジャンヌが何かを間違えそうになった時は俺が止める。確かにこれだけカーネフェルを思ってくれる人を遠ざけるのはよくないことだ。ジャンヌがいてくれたら、俺もカーネフェルを大切に思う心を勉強していけると思うんだ」


 最後まで俺が語り終えると彼女は無言。その沈黙に耐えかね、俺は焦る。


 「あ、でも……ジャンヌに好きな人がいるなら俺は邪魔しないし、戦争が終わったら形式上も離婚にしていいから」

 「いいえ。今はそんなことは考えられません」


 気にしないでと言う風に、ジャンヌは静かに首を振る。


 「そういうものは平和な国という土台があってこそ出来上がる物。今のカーネフェルにはそんな土はありません。私も同じ」


 女として生きる道を考えられないほど、この国は追い詰められている。女子供でも剣を取らなければならない時代。何を馬鹿げたことをと言う風に、彼女は静かに笑うのだ。


 「…………ジャンヌ」


 女の子が普通の女の子として生きられない。いいや、それは男も同じなのか。それはつまり人が人として生きられない時間、場所。俺はそんな国の王だ。それをおかしいと思うなら、守り、変えていかなければならない。

 彼女は氷山の一角。俺が名も知らない兵士にも沢山、いるんだよ。本当は戦いなんか知らずにいても良かったはずの子が。カードはその幸福を捧げることで、そんな人々を守ることが出来るのかもしれない。数字になった人。兵士という生き物。人形のようなそれを、人間に戻してあげることが、俺の仕事……。


 「俺はやっぱりまだこの国の全部は見えない。何もかも大切だっては思えない。だけど……」

 「だけど……?」


 だけど、大事なんだ。死なせたくないんだ。ユーカーもランスも、トリシュもパルシヴァルも、イグニスもジャンヌもっ!そういう人達の大切にしてる物、守りたい場所……それを引っくるめていけば、俺はこの国の全てを守りたいって思えるようにならないか?

 広げるのは国じゃなくて、俺の心。彼女の志を受け入れる。そうすることで、俺はもっと王として多くを思える?


 「ジャンヌが前に言った気持ち、解ってきた。自分が戦ってそれで誰かが戦わずにいられるなら……俺は、王は戦わなければならないんだよな。俺が弱くて戦えないなら……誰かに代わりに戦って貰うなら、その罪と責任を俺は逃げずに背負わなきゃ駄目だ。逃げちゃ駄目だったんだ……何処にも、行っちゃいけない」


 俺はどっしり構えて踏ん反り返ってお飾りでいる。指揮をするような顔をして、ランスかイグニスに立てて貰った策を調子に乗った顔で語り出す。そうやって、嘘の仮面を付けて、欠片もないカリスマを演じなければならない。王とは人形。そうなんだ。


 「ジャンヌ。お飾りの王は俺だ。俺が成る。だからジャンヌには王でいて欲しい。人形の王じゃなくて、戦ってくれる王。みんなを励まし、支えてくれる王が俺とカーネフェルには必要だ」

 「アルドール……」

 「その戦いで生まれる責任と罪は全部俺になすりつけてくれ。そのための王なんだ。俺は」


 イグニスが言いたかったのは、多分そういうことなんだ。


 「俺はいつも、みんなに守って貰ってばかりで……弱くて馬鹿で、情けない奴で。感謝してても恩を返せない。大事な人も守れずに、死なせてきてばかりだった。……だけど、そんなことはもう嫌なんだ」


 ジャンヌを見上げれば、視界が滲んでいく。女の子の前で泣くなんて、本当俺は情けない。視線を逸らした先にあるのは湖。この三日間、城の修繕作業を手伝っていて探す暇もなかった。


(ごめんな、フローリプ)


 心の中で詫びれば、何かが見える。水面に吹く風が、岸辺に小箱を近づける。

 痺れを切らして向こうから、俺に会いに来てくれたんだなと、意を決して開ければ中には白い骨。随分と小さい。


 「アル、ドール……?」


 小箱を愛おしげに手に取る俺を見ても、ジャンヌは意味が分からない様子。それはそうだ。彼女はそこにいなかったし、彼女はフローリプを知りもしない。だけど説明する気にはなれなかった。余裕もなかった。


 「軽く……なった、なぁ……フローリプ」


 俺に寄り掛かる妹。抱き付いた妹。その重みが懐かしい。

 それがこんなに小さな骨になる。現実味を帯びない。ちょっと前までは普通に一緒に暮らしてて、顔を合わせて。そのフローリプが、こんなに白い骨になる。俺は生まれて初めて、人間の骨という物を見た。屋敷ではそんな物は見なかった。姉さん達はどうなったんだろう。ちゃんと埋めて貰えただろうか。まだあの屋敷に転がり野晒しにされているんだろうか?そう思うと悲しい。でも今、骨まで目にすることはない。だからまだ現実として認識せずに済む。

 だけどフローリプ。冗談みたいに軽くなったお前。小柄な身体の妹は、骨になればこんなに小さい。焼けてしまった骨も多かったのだろう。なにかの悪い夢、質の悪い嘘みたい。

 悪趣味だな。みんな俺を騙そうとするなんて。そう笑い飛ばしたくなるほど、これは俺の知る妹と一致しない。だから俺は泣いているのに口元が歪んで笑ってしまう。

 ルクリースの時は土葬だった。シャラット領にあった棺を拝借し、埋めて来た。都まで連れて行きたかったけれど、都に遺体を運んでいくのは目立つし危険だと諦めた。戦争のごたごたに巻き込まれることのない、滅んだ領地なら……静かに眠れるだろうとイグニスに言われて。

 最後までそれはルクリースの形をしていた。綺麗な顔だった。眠ってるだけみたいに見えて……それはフローリプから見てもそうだったんだろう。掘った穴に棺桶を埋める作業……土をかけていく内に、フローリプが暴れ出した。

 取り乱す妹を押さえ付けて、俺は取り乱すことを忘れさせた。今はフローリプがいるけどいない。俺は取り乱しても良い。その権利がある。自由がある。


(なのにさ……)


 こんなにも軽くなった妹は、俺の知っているフローリプには思えなくて……悲しみも置いてきぼりにされてしまう。胸に込み上げる切なさだけが夜の闇へと染み渡る。


 「ジャンヌは、人が死ぬところを見たことがある?」

 「ええ、あります」

 「そっか」

 「……はい」

 「人ってこんなに軽く小さくなるものなんだな。俺、知らなかったよ」


 身体が綺麗に残っていれば死んだと信じられなくて、身体がバラバラになって骨になれば別物に見えてやっぱり死んだと受け止められない。事実として死という言葉が横たわるのだけれど、振り向けばまだ二人が俺を見ていてくれるような気がする。ああ、だけど、目の高さが合わない。フローリプともルクリースとも違う高さの所に、違う少女が居るだけだ。


 「俺は……妹をゆっくり眠らせてやりたい。そのためにはこの城を奪い返されることがあってはならない。そんな自己満足から国を守りたいと思う俺を、王と認めてくれなくても良い」


 一度唇を噛み締めた後、恐る恐る口を開いて俺は、彼女に手を伸ばす。


 「でも俺はもう、こんな風に泣きたくない。誰が骨になるのも見たくない。同じ理由でみんなを泣かせたくない。……大事な人を、俺の国を守るためにどうか力を貸して欲しい」

 「……喜んでお受けします、我らがカーネフェリア様」


 伸ばされる手には、白いハンカチ。派手さはないがレースの刺繍が綺麗だ。


 「え?」

 「差し上げます。人前で泣きたくなった場合はこれで鼻でもかんでください。貴方は王なのですから」


 「ではアルドール、良い夜を。私は部屋へ戻ります」

 「あ、……」


 ジャンヌは壁際まで歩いていったと思うやいなや、綱をするすると昇って消えていく。聖十字でどんな訓練受けてたんだろう。俺は降りるのも怖かったのに、登れる自信ない。俺運悪いから死ぬかも知れない。こんなことで死んだら情けない。カーネフェルという国に申し訳ない。ならじっとしている?俺、今日野宿か。城の扉閉まってるし。


 「はぁ……ほんと、俺、いっつも情けない」


 思い返してみれば本当にそう。箱の中のフローリプを傍らに、湖の岸辺に寝転がる。


 「どうしよう……これ」


 くれるって言ったけど洗って返すべきか。三倍の値段の商品を贈るべきか。とりあえず野宿決定ということで違う意味で泣けてきた俺は目頭にハンカチを押し当てる。女の子からハンカチを貰ってしまった。情けない王だと思われたんだろうな。


 「でも、イグニスは……」


 俺が泣いた時、見ない振りしてくれたっけ。ジャンヌは見ない振りじゃなくて見た上でこれをくれた。どっちの方が優しいことなのか俺には解らない。唯二人が同じ組織に組していても、同じことはしないんだなというのを漠然と感じていた。渡された物からはふわりと香る清潔な香り。花の香りの石けんかな。


 「はぁ……格好いいなぁジャンヌは」


 俺には真似できない。泣いてる女の子にハンカチ差し出す自分の図を想像できない。してもハンカチは使用済みとかになってそう。だってこの暑さだしカーネフェル。

 それならこれって最初から誰かに渡すように持ってたってことだろ。自分が使う用じゃないの持ち歩いてたんだろ?きっと本当は誰かの怪我の手当とかするためのものだったんじゃないかな。それか泣いてる子供にあげるんだ。良くみるとこの刺繍、手作りだ。レースも手編み。彼女の手作りなのかな。

 女の子だったらこんなの貰ったら嬉しいだろうな。ジャンヌは男装してるし、もし俺が女の子ならうっかり惚れていたかも知れない。

 フローリプの箱にその白いハンカチを被せてやれば、俺の記憶の中で彼女が笑ったような気がする。そうか、いっつも黒い服ばかり着ていたフローリプも、こういうのは好きだったのかもしれないな。


 「よしっ!俺も刺繍の勉強始めようっ!」

 「始めるなっっ!」


 水面から顔を上げた俺。満点の星々が俺の決意を祝福するような夜に、何故か俺は思い切り背中を蹴り飛ばされる。


 「がぼっ……げほっ……ってイグニス!?」

 「どうして君はそう見当違いの方向にぶっ飛んでるの!?もうっ!様子が心配になって見に来てみれば脱走とは良い度胸じゃないか」

 「いや、これは違うんだ!そ、そう!フローリプに会いに」」

 「まぁ結果としてそうなった以上僕も責めないけどね」


 全てを見透かすイグニスの視線。納得はしているけど何だか気に入らないとかそんな様子が見て取れる。何に対して気に入らないのかは不透明。

 それでも湖に落とされて沈みかけた俺を引っ張り上げてくれるイグニスは優しい。プランクトン塗れの俺の手を掴んでくれるなんてと感激しかけ、落としたのもイグニスかと気付く。


 「本当に君って奴は。何でそこで刺繍に走るんだか」

 「ええと、これから街で泣いてる子を見かけたら俺も泣きやませてあげたくて。綺麗な物をあげれば嫌なこと忘れられたりとかしないかな、なんて」

 「馬鹿。君は泣きやませるんじゃなくて、泣かせないの!泣かせないために王がいるんだ。まったくもう……国滅んじゃったー村ももう駄目だねこりゃ。ごめんねーでもこれ綺麗でしょ?あげるよなんて言う王がいたら僕ならまず殺すと思うよ」

 「面目ない……」


 イグニスさんの言うとおりです。はい。すみませんでした。


 「君が民に与えるべきは目に見えて目に見えない物。この国土であり、この国の平和というものだ。安易に逃げない。わかった?」

 「はい……」

 「そんなことに血税費やしたり出来ないんだから」

 「で、ですよね……でも、ほら、俺個人として。アルドールとしてはそういう目に見える支援なんか」

 「君の何処に金があるの?」

 「うっ……それもそうだ。わかった、イグニス」

 「わかってくれた?」

 「俺、畑耕す!贈り物ってすぐに役に立つ物の方が喜ばれぶはっ!」

 「わかってないみたいだけど」


 にこりと愛らしく笑うイグニスは俺の頬を引っ張り抓る。


 「君は王であればそれでいい。下らないことは考えないでいいんだ。シャトランジアも大手を振って支援できるようになったんだし、必需品はどんどん此方に送り込む」

 「……イグニスには、いつも助けて貰ってばかりだよな俺」

 「何?突然……」


 俺は解放された頬を押さえながら、岸辺に火を付け暖を取る。夏とはいえ夜風びしょ濡れのままじゃ馬鹿でも風邪を引く。イグニス自身はこの暑い季節に何をと焚き火から離れたところに座す。


 「イグニスにも、泣きたい時ってあるだろ?」


 俺がイグニスの涙を見たのは二度。二年前に一度。それからシャラット領で俺に女だと知られてしまった時。


 「前に俺が泣いてた時に、イグニスは俺に肩貸してくれただろ?恥ずかしかったけど、嬉しかったよ」

 「……そんなことあったっけ?」


 照れからか知らない振りをするイグニス。そんな反応も嬉しく悲しい。ああ、俺は頼りないんだな本当に。

 辛いときくらい素直になってくれて良いのに。俺じゃ、支えきれない?

 見てれば解るよ。何か嫌なこと、あったんだろ。イグニスが不機嫌な時って、本当にイグニスが大変で辛いことを一人で抱え込まされている時だろ?俺じゃそこから助けられない?そのストレス解消になるなら後二、三回湖に突き落とされても俺は構わないんだけどな。


 「……だから俺もイグニスが安心してもたれ掛かれるような奴になりたいなって思って。それでも俺はいつも情けなくて頼りなくて。イグニスが辛い時に、ちゃんと傍にいることも出来ないのかなって思うと本当……泣けてくる」


 俺はこの国の王。イグニスはシャトランジアという国の王をも越えた存在。今や出世し王より偉い教皇様だ。


 「なぁ、イグニス」

 「何?」

 「俺はカーネフェリアだけど、イグニスと二人の時はアルドールでいたいな。駄目?」

 「……それって君の前では僕は僕でいろって意味?」

 「ははは、流石イグニス」


 俺の言いたい事なんて、言う前から伝わってしまっているんだな。この分なら多分部屋を抜け出したところから見られていたのかも。ジャンヌとの話を邪魔しなかったのは、それが俺と彼女にとって必要な物だと考えたんだろう。


 「ジャンヌが俺に、人前で泣くのは立派な王じゃない、だって。だから俺なんかより立派な国の長をやってるイグニスは、俺以上に重たい物背負わされてるはずだ」

 「長い。手短に」

 「ええ!?ええと、それじゃあ俺がイグニスを泣かせたい」

 「げほっ!……ちょっと、変なこといきなり言わないでよっ!咽せたじゃないか!」

 「え?……俺は、イグニスのこと、もっと解りたいんだ。これまで支えて貰った以上に俺がイグニスを助けたい。泣いて楽になることがあるなら、幾らでも肩貸すし!肩タックルとか余裕で歓迎……ちょっ、腹タックルは止めて」

 「馬鹿」


 俺に頭突きをかましたイグニスは、少し吹っ切れたように笑っていた。あ、ちょっとは役に立てたのかな俺。


 「この僕を慰めようだなんてアルドールには百年早い」

 「だったら百年後まで長生きさせてやる。夢枕に立ってでも肩貸しに行くからな」

 「なんで君は死んでる設定なんだよ」

 「俺は一歳年上だから一年前に死んだんだ」

 「……ほんとう君って馬鹿だよね」


 くだらないとイグニスが鼻で笑う。俺もイグニスもおそらく百年後なんてない。この神の審判が終わるまで、生きていられる保証もない。くだらないからこそ、笑うしかない会話。


 「ていうか君にもたれた所為で僕の服濡れたんだけど。これどうしてくれるわけ?」

 「え、俺の所為?じゃイグニスもこっちおいでよ。すぐ乾くよ多分」

 「全く。唯の焚き火とは君はつまらない男だね」

 「ええ?俺が仮に何か持ってても突き落とされた時点でアウトだろ、そこで魚でも掴んで来てればよかった?」

 「流石にここの湖の魚は食べる気がしないよ。ランス様に悪い」

 「あ……そっか」


 俺は思い出す。ここにはランスの母親の遺体が安置されている。


 「水死体なんて見る物じゃないよ。まぁ、いい加減魚とかに分解された頃だと思うけど」

 「……そうだよな。俺じゃなんて声かければいいのか解らない」

 「とりあえず、落ち着いたらフローリプさんのお墓を作ろう。ルクリースさんもこっちに移すためには南部まで取り戻さないといけない」


 しばらくはその箱のまま手元に置いておけと言われた。だんだんと、俺はこれがフローリプなんだって思えるようになるのかもな。


 「イグニス、もしかしてそのためにシャラット領に埋めさせただろ」

 「安全圏だったのは確かだよ」


 ルクリースとフローリプを同じ墓に眠らせてやるには俺達は北部を制圧し、南部も取り戻さなければならない。決して簡単の道程ではないが、俺の操り方をイグニスはよく理解している。


 「僕はこの北部に……この城を新たなカーネフェルの王都にしようと思う」

 「ここを?」


 今はここだけがカーネフェル領。アロンダイト領もブランシュ領も奪われた。だから取り戻さないといけないのだと彼女は言った。


 「元々南部と北部を一つの都で統治しようというのが間違いだったんだ。理想的なのはそれぞれ大陸の中央に位置する都だね。その二つの都の連携で、この国を守る」


 イグニスは土にカーネフェルの大陸を描き、理想の都に石を置く。それはローザクアとは別の場所。


 「南部を取り戻したらイグニスは、遷都するつもりだったのか」

 「都貴族共に毒された都は百害あって一利無しだからね」

 「ははは」

 「でもさ、面白いだろ?あそこってザビル河に守られてると思われてるけど、本当に背水の陣なんだよ。だから僕らが南北から攻めれば……面白いことになる」


 都を敵に取らせたのは、そのためだと自慢の親友がほくそ笑む。俺、イグニスのこういう顔好きだな。何か企んでる顔が知的で良い。ていうかイグニスが楽しそうで俺も嬉しい。


 「シャトランジアの数術船から海上を包囲。大河も制圧。そうしてしまえば都は落ちる。確実に」


 タロックの敗因はシャトランジアに喧嘩を売ったことだとまだ負けてもいないタロックの敗北宣言をイグニスは口にする。


 「そうなれば今度は僕らはタロックに支援を行うセネトレアを攻めに行く。タロックから落とすのは時間が掛かるし、何しろセネトレアの後方支援が厄介だ。そこを断ち切ればタロック攻めも比較的容易になる」

 「セネトレア……か」


 ルクリースとイグニスが声を合わせてこの世の地獄と言った国。まだ見ぬ敵に身体が震える。勿論恐怖で。


 「その時には南都と北都にそれぞれ君の信頼できるカードを配置して貰いたい。勿論セネトレア攻めに連れて行くカードも必要だ。その辺考えて周りと仲良くするように」

 「……はい」

 「君としてはセレスタイン卿を傍に置きたいって言うんだろうけど、彼は指揮官には向かないからどっちかっていうと守りの方が適任だね」

 「それじゃあ、ランスと一緒にセネトレア……か」


 ちょっと気が重い。こんな事言ったらランスに悪いんだけど。彼と仲良くなるって難しいよ。どうやったらもっと打ち解けられるんだろう。今まで彼がモテても付き合うまで至らなかったのがよくわかるよ。さながら彼は難攻不落の城だ。それでも頼もしい人であることは確かなので……


 「指揮の上では問題ないし、戦力としてもありがたいんだけど、カードとしてはどうだろう?」

 「そこはジャンヌさんがいる。彼女の幸福値でガンガン背中を押して貰おう」

 「イグニスは?」

 「僕は海上戦で敵を引き付ける役になると思う。隙を見つけて君たちの所と行き来するとは思うけど」


 一応イグニスは味方だけれど、シャトランジア側の人間だ。共同戦線を張ることは出来てもカーネフェルの留守を預かることは出来ないと言う。でもそのために拾った人材がいるじゃないと彼女は笑った。


 「パルシヴァル君もコートカードだ。彼はセレスタイン卿から離れたがらないかもしれないけど無理矢理引き離して、北部と南部の守りをそれぞれやってもらう」

 「そのためにもローザクアでパルシヴァルを助けないとな」

 「残るはブランシュ卿のことなんだけど、連れて行くか残すかは君の判断に任せるよアルドール。君もランス様もカードとしては弱いから、連れて行った方が安心だとは思うよ。彼はランス様の友人でもある。君たちの間を取り持ってくれることもあるかもしれない」

 「なるほどな」


 イグニスの言うことに納得させられた俺は、つくづく自分が情けない。彼女にまた頼っている。でも何というか自分の器を恥じるより、この親友の有能さに感服してしまう気持ちの方が強くなり、清々しい気分で打ち負かされる。


 「あのさ、アルドール」

 「ん?」

 「僕が思うに人と人との繋がりとか、関係性はその名称で決まるものではないと思うんだ」


 話に一区切り着いたと考えたのか、イグニスはじっと俺を見据えて言葉を紡ぐ。


 「確かに僕は君と彼女に結婚して貰いたい。シャトランジア側も自国と関係のあった人間が国の中枢に入ることは悪くは思っていない。彼女は教会から離反した。だから国王派の人間も好意的に解釈している所があるんだよ」


 だからそれを用いて国内をまとめることにしたのだと彼女は語る。


 「最初からカーネフェルとシャトランジアが対等な立場というのを望まない輩が多い。はっきりいってあの国の連中はこの国を格下に見ている。助けてあげている精神なんだよ上から目線で」


 「僕ら教会がカーネフェルに味方するのはいざという時、僕らを助けて欲しいから。そのためにカーネフェルを助けているに他ならない。だからこれは施しの援助ではなく、見返りを求めての行動なのだと認識して貰いたい」

 「イグニス……それって」

 「いつか僕が君を頼る日が来る。だから僕は君を助けている。そう思ってくれて良い」

 「そっか」


 聞くだけなら突き放すような言葉。だけどそれは国を隠れ蓑に、イグニスが俺に頼ってくれている。


 「本当は最初から対等な関係を結びたかった。それが出来なかったのは僕の力不足と強攻策が裏目に出たんだ。その妥協で君には彼女と結婚して貰うことになってしまったし、しばらくうちの貴族連中から見下されると思う。それでも」

 「俺が立派な王を演じて見返せば良いんだろ?」

 「演じるんじゃなくていつかはちゃんと立派な王になってね」

 「はい……すいません」


 揚げ足を取られた俺が頭を下げると、イグニスは苦笑。情けないとその顔に書いてある。でもそれはイグニスの前だから、俺は王を演じなくていいからだろ?

 ランスの苦悩に俺も思うところがあった。俺は王だけど、王だけになってしまってはいけないんだ。俺は王である自分とアルドールとしての自分をそれぞれ殺さず持っていかなければならないんだ。空っぽの王になってはならない。空っぽの英雄は泣いている。俺がその背を抱いたって、彼の慟哭は止まらない。俺じゃ涙を拭ってやれる背丈もない。貸せる肩は、彼が跪いてくれなければ貸してやれない。俺がもっと大きな男だったら、彼の悲しみを丸ごと受け止め支えてやれたかもしれないのに。


 「俺が結婚しても、イグニスは俺の友達でいてくれるよな?」


 ランスにとってのユーカーが、俺にとってのイグニス。俺が俺で居て良いはずの場所。


 「アルドール、僕はそういう無駄な言葉が嫌いなんだ」


 何気ない言葉は、素っ気ない言葉で返された。それでもイグニスは、言葉をそこで終わらせなかった。


 「確かに僕は君の友人でありたいと思う。それでも僕は言葉だけの人間になりたくないと願う。君の友人を名乗った以上、僕は君の親友として恥ずべき行いだけはしたくない。それはその言葉を紡いだ僕の決意への裏切りだ」


 恥ずべき行い?それが何を意味するのかは解らない。それでもその言葉は俺にとって嬉しいものだ。イグニスが俺をそんな風に呼んでくれるなんて。


 「それって、友達でいてくれるってことだよな?」

 「今更言葉にするようなものでもないと思うんだけど。僕はいつかどうでも良くなるような相手を友人とは呼ばないよ。一度でもそう呼んだ以上、僕は覚悟を持ってその言葉を発したんだと理解して貰えると嬉しい」


 言葉ほど薄っぺらく、罪深い物はないと彼女はやるせないと息を吐く。

 イグニスの行動、頑張りは、俺にとっての友であるためにという気持ちも入っているのだろうか。

 この二年、離れている間にイグニスばかりが成長していた。俺より小さな身体なのに、俺よりずっと世界を知っていた。その身体の中には何が詰まっているのだろう?多分俺とは違う物。もっと素晴らしい何か。そう思ってきたけれど……もしイグニスの行動理由の一部にでも俺が入れていたのなら、光栄なことだ。そしてそんなイグニスに俺は安堵する。

 イグニスも最初は、そういう周りへの気持ちから今に至ったんだと思えるから。俺が信じる物は間違っていないと思えた。そうやって俺も、少しずつ世界を愛していけばいい。イグニスみたいに……俺も立派な王になる。なりたいと思う。

 そんな気持からでもいつか本当に平和な世界を作れたのなら、誰も文句は言わないだろう。始まりがどんなに不純な動機でも、そこまで至ることさえ出来たなら……


 「要するにだよアルドール」


 へらへらしているところへ、イグニスが俯きがちに俺を見る。


 「彼女と君だって同じだ。名目上は夫婦と言うことにさせてもらうけど、そこからどうしようと君の勝手だ。本当に彼女を好きになっても良いし、ならなくてもいい」


 イグニスは、いきなり俺に結婚を押しつけたことを気に病んでいたらしい。嫌がる俺にきつい言い方をしたこと、それが原因で俺が逃げだそうとしたと勘違いしているんだろう。そんなイグニスを見るとなんというか可愛いなぁって絆される。癒される。

 俺のこと解ってるつもりでイグニスは解ってない部分もあるんだな。数術だって万能じゃない。俺の感情は理解しても心までは解らないのだ。そんな不完全で不器用な彼女が人間らしくて俺は思わず抱き締めたくなる。勿論、我慢した。また服が濡れたとか怒らせるわけにも行かない。


 「例えばだよ……今の僕はこんな身体だけど君とは友達だ。君もそう言ってくれた。だから僕は友情って言う物は性別種族に関係なく生じる感情だと思う。だから君と彼女の繋がりを、無理矢理艶やかな物にしなくてもいいと思うんだ」

 「イグニス……」

 「君は今、フローリプさんとかギメルのことで……そういう方面は何も考えられないだろう?そんなふらふらしたままローザクアを取り戻せば、すぐに都貴族達が娘を送り付けて来る」


 掌を返したように崇め奉るだろうよと、彼女は肩をすくめ、ごろんと横になる。その目に映るのはどんなものか。同じ景色ではないだろう。彼女には世界が数字に見えるのだ。それでも同じ気持ちを共有したくて、俺も真似して夜空を仰ぎ見る。


 「最悪、適当な男を相手に孕ませた娘を、あの時の子ですとか言って連れてこられかねないわけ。へたれな君にはそんな甲斐性あるわけないのに」

 「ですよね……」

 「そう言う輩は数術で遺伝子鑑定してすぐ偽者だって公表してあげるけどね。そういう付け込まれる隙を生まないためにも、名目として傍に妃を置いておくことは悪い事じゃない。虫除けになる」

 「む、虫除け……」


 すごいやイグニスさん。まるで人が虫のようだ的なあれですか。政敵には容赦ないな。


 「まぁ、その、だからだよアルドール。綺麗なお姉さんとか可愛い女の子とか格好いいお兄さん見かけたからってホイホイついていかないこと。一発でも搾り取られたら大変なことになるんだから」

 「搾り取るってそんな乳牛でもあるまいし」

 「似たようなものだよ君なんてやりたい盛りの年齢じゃないか」

 「そ、そんなことない!お、おおおお俺はそんなの全然」


 どっちかって言うと俺は、普通に一緒に買い物行ったりお茶飲んだり、そういうことに憧れるんですが。でもそういうデートした相手がイグニスしか今のところいないような気がするのはどうしてなんだ。流石に親友はデートにカウントしたら失礼だろう。イグニスに対する侮辱だ。本で見たタロック風の表現だと腹斬って詫びろレベルだ。


 「だろうね。箱入りの君には刺激が強い世界だから」

 「解ってたならからかわないでくれよ。ていうか何で格好いいお兄さんもカウント?」

 「君も何だかんだで美形に弱いじゃないか。格好いいお兄さん、好きでしょ?ランス様にデレデレしてたの何回か見かけたことあるし」


 イグニス意外と俺のこと見てるんだな。そんなに俺挙動不審な動きしてた?してたかもしれない。


 「いや、ランスレベルなら仕方ないだろあれは。男でも惚れるよ」


 あれは正統派美形だし。王道は王道たる所以があるんだきっと。あんなのに顔覗き込まれたらそりゃあ挙動不審にもなります。よくユーカー平然としてられるよな。あれって慣れ?


 「ジャンヌさんにも悪い気してなかった癖に」

 「いや、だってジャンヌ格好いいだろ。綺麗だし爽やかで優しくて強くて……あれで男なら惚れてるよ、いや俺何言ってるんだろうな」


 女の子に対して失礼なことを言ってる気がする。申し訳ない気分にになった俺にイグニスの呆れた声が降る。いや、吹き出すのを堪えているような響きでもある。


 「やっぱり格好いいお兄さん系にも弱いね君」

 「知らなかった俺ようこそこんにちは……」

 「ま、男だと思って油断してたら女で搾り取られたとかそういうオチは止めてよね」

 「俺ももうちょっと鍛えないとな……ジャンヌに余裕で筋力負けてるよきっと」


 確かに俺、普通に女の人に襲われても勝てないかも。兵士やってるお姉さんたちの筋力舐めたら痛い目みる。ルクリースや姉さんあたりが本気で俺に襲いかかってきてたら多分俺負けてたよ。


 「でも、良かったよ」

 「?」

 「カーネフェリアの血を守るために子供作りまくれとか言われたらそれこそ俺逃げてたよ」

 「だろうからそれは言わなかった。大体意味ないし」

 「意味?」


 へたれだもんねと笑うイグニスだが、妙なことを言う。


 「あのねアルドール、この神の審判で世界の滅びが決定すればどっちにしろ滅ぶんだよ勝者の命日で。そうなれば王の血縁なんかもうどうでもいい。意味を成さない。それに来年からは新世紀になる。この神の審判は今年の12月31日がまでという期限がある」

 「今が7月下旬だから……あと五ヶ月?」

 「うん。五ヶ月で子供なんか作れないだろ?君がちゃんと生き残るって保証もないし」


 万が一俺に子供が生まれても俺が勝者にならない限り俺はその子に会えないわけで、勝者の願いによってはその子は寿命を前に世界の滅びと共に死ぬ。どうせそんな風に死ぬなら生まれない方が幸せだとイグニスは言っているようだ。


 「ていうか君なんかに跡継ぎ作れなんて言わないよ僕は。そこまで君に望んでいない。生まれない方が幸せな子供もいる。だから僕は君の甲斐性のないところとへたれなところがとても好きだ」

 「あ、ありがとう」


 イグニスがこんなに素直に俺のことを褒めてくれるなんて滅多にない。好きだなんて言われたのも……初めてかも。どういう心境の変化なんだろう。


 「“男なんて下らない。女なんて下らない”」

 「え?」

 「僕の部下の子の口癖の一つだよ。全く持って僕も同意見だ。人間なんて下らない。僕が神でも僕は世界の安寧など願わないだろう。一度浄化し、綺麗な世界に作り替える。悪人共はみんな消えて無くなればいい」

 「イグニス……?」

 「僕はねアルドール、こんな世界滅んでしまえばいいと思っていたんだ。この世には一つの救いもなく、救う価値のないものばかりだと」

 「……でも、今はそう思ってないんだろ?」

 「どうしてそう思う?」

 「イグニスの口調だよ。声が温かい」

 「……アルドールの癖に」


 イグニスが小さく笑う。顔がこっちを向いている。寝そべって見上げた星空よりも、彼女の笑みから目が逸らせない。何というか、可愛かったです、凄く。

 そんな胸の高鳴りを親友に感じる自分を恥じ、よくよく考えれば彼女は女の子なんだからそんなに悪いことでもないんじゃないかと思いかけ、彼女は聖職者なんだからやっぱり恥ずべきことだと目を伏せる。

 イグニスはこんな俺を友達と呼んでくれるんだ。その期待に俺は応えたい。だから俺は彼女が何者であっても、変わらず親友で居続ける。そうでなくてはならない。

 俺が彼女をそういう目で見ることは俺にとっては大罪だ。神聖な彼女を汚す行為だ。


 「前にも話したよね。僕とギメルに父親がいないわけ」

 「……うん」

 「僕はその男の名前は知っている」

 「え!?」

 「タロック軍の天九騎士の一人……元、だけどね」


 イグニスが自嘲の笑みを浮かべて俺を見る。


 「酷いものだったよ。母さんに触れ、その記憶を見せられる度、僕は死にたくなった」


 イグニスは触れることで情報を引き出す。それはつまり、イグニスの母親は……イグニスに触れる度にその忌まわしい過去を思い出していた。取り繕ったような笑みを浮かべても、愛してくれていないのはイグニスには見えていたんだ。


 「母さんは今、僕らが死んだと思ってる。いい人に出会えたらしくてさ、ちゃんと笑えるようになったんだって風の噂で聞いた。その人との間には子供もいるんだって。僕は、それが……すごく、嬉しいんだ。あの人がそんな風に幸せになれて、良かったと思う」


 イグニスが笑う。口は引き攣っている、目はもう俺を見ていない。音のない悲鳴が聞こえるようなその笑顔。

 泣いて良いんだよって手を伸ばしたくなった。だけどイグニスは俺を見ていない。それは俺を拒むような仕草だった……


 「何で君が泣いてるの?」

 「いや、……つい……感情移入して」

 「他人事なのに」

 「イグニスのことは他人事じゃない!」


 友達は他人かも知れない。でも俺は、イグニスが悲しいなら俺も悲しい。イグニスが痛いなら俺も痛い。イグニスの痛みが俺の痛みだ。そんな風に心が思う。他人なんて、言わないで欲しい。俺はイグニスの一部とか、分身とか……そのくらいに近しく感じているんだ。

 イグニスの馬鹿野郎。いつでも大人ぶって、自分の痛みに気付かないふり。

 本当は愛されたかったんだろう?どうしてそれが言えないんだ。ここにお母さんなんかいない。いないけど俺はいる。少なくとも俺はイグニスが好きだよ。尊敬してるし好きなんか通り越してもういっそ愛してるって形容しても構わない。大切なのは事実だ。イグニスのためなら死ねる……とか言ったらまた蹴られるんだろうけど。


 本当は誰より幸せになりたい癖に、理不尽な現実を受け入れる。それが報いだとでも言う風に、苦痛ばかりを引き受ける。イグニスだけが苦しむ必要なんか無い。俺に全部背負えなくても、一緒に悩ませて欲しい。少しでも救われて欲しい。


 「俺は、イグニスに出会えて良かった!心の底からそう思うっ!俺はイグニスがここにいることに感謝してる!イグニスの父さんと母さんに土下座するほど感謝したい!」


 始まりがどんなことでも、それはイグニス自身を否定する理由にはならないじゃないか。二人にとってイグニスとギメルが必要のない子供だったとしてもだ。俺にとってはそうじゃない。俺にとっては……希望だったんだ。生まれてきたことを感謝したんだ。生きていることが至福になったんだ。


 「俺はイグニスが好きだよ……それじゃ、駄目?」


 これ以上自分を否定しないで欲しい。そう思って彼女を見つめると……イグニスがゆっくり目を開く。目尻には涙が浮かんでいた。それを拭う前に涙は地へ落ちた。勿体ないと思った。こぼれ落ちる涙さえ美しく見えた。もしかしたらそれは宝石なんじゃないか?

 土に染みこませるくらいだったらこの手で受け止め肌に染みこませてしまいたかった。それかこの服。今イグニスが俺の胸で泣いてくれたなら、涙の染みこんだこの服は一生物の宝だ。俺に着られなくなっても飾って取っておく。


 「馬鹿。……そういうのはギメルか女の子に言う物だよ」

 「イグニス、女の子じゃん」

 「色々あったんだよこの二年」


 手は伸ばした。だけどイグニスはすぐに笑ってそれを拒んだ。こんなことで頼れるかと俺を拒絶する。


 「ま、あの男は僕が全力で呪ってやったから何年か前に死んでるけどね」

 「なんかもう一周して何処に驚けばいいのかわからないや」

 「だろうね」


 涙はあの一滴だけ。泣いたなんて本人は気付いていないのかもしれない。イグニスは軽い調子で完全犯罪を笑っていた。

 呪いか。だけどそんなもの存在するなんてにわかには信じられない。本気にしていない俺を知り、イグニスはずいと顔を近づける。疑ってるなと睨まれて、俺はおろおろするばかり。


 「僕はさアルドール。物心着いた頃から零の神の声を聞いていた」

 「零の神っていうと、死を司る方の神様だよな」

 「神子に選ばれるとそんな風に付きまとわれるんだよね。本当迷惑で、何かにつけて救済という名の破壊を僕に訴える。そんな迷惑な神様にストーキングされる精神的苦痛の代わりにメリットも与えられている。それが先読みの力。いや、正確には先読みレベルまでの才能持った奴にストーキングするの間違いなんだけど。ああ、それからもう一つあった。言霊だ」

 「言霊?」

 「良い言葉、悪い言葉。ギメルは良い言葉を現実にする言霊数術を持っていたけど、僕はその逆。呪いの言葉が真実になる」

 「あ……」

 「トリオンフィの家が断絶したのは2年前の僕の恨み言の所為なんだ」


 2年前イグニスは言った。トリオンフィ家の滅びと、娘達と息子の死を。


 「子供心の怒りを今更悔いても遅いのは解っている。だからアージンさんはなんとか助けられないかと思って部下を護衛に当たらせた。……でも駄目だった」

 「それって、預言なんじゃないのか?」


 それなら別にイグニスの責任には成らない。決められた未来だったってそれだけのことじゃないか。だけどイグニスは首を振る。


 「確かに僕は未来をある程度知っていて、未来を語ることが出来る。味方とも言いがたい神様が一人味方に付いてる。その加護で未来を呪うことは出来る」


 死神に魅入られている神子は、悪い未来を作ることは出来る。それでも良い未来は願っても言葉にしても、形にならない。だからこそ代々の神子は自分を律し聖人であろうと戦ってきた。神の力を借り未来を知り、それを語り悪い預言からは逃れられないかと戦ってきた。破壊者が聖人であるために、祈りは生まれたのだと彼女が俺に教え説く。


 「だけどねアルドール。僕は僕の言葉を殺せない。僕の力じゃ僕の言葉を無かったことには出来ない。だから僕は行動で僕の言葉を殺しに行かなければいけないんだ」


 イグニスは2年前、俺の死を口にした。


 「君にはこれから辛いことがいっぱいあると思う。君の不幸の半分以上が僕の所為だ。…………それでもそんな僕を親友と言ってくれた君が大切なんだ、アルドール……」

 「イグニス……」

 「僕は君を死なせたくない。君に出会えて良かったって……君に伝えるために、僕は……っ」


 その正の言葉でも、イグニスでは意味を成さない。


 「もしも僕がギメルだったなら……この言葉を何千何万何億回君に捧げれば、君はちゃんと幸せになれるのに、僕の言葉じゃ何にも成らない」


 だからイグニスはいつも俺に大事なことは何も言わない。言葉が虚しいのを知っている。そうやって背負って行動して、いつも一人でボロボロになっているんだと知る。


 「イグニス……俺は、やっぱりお前に会えて良かったと思うよ」

 「僕はまだ……っ君に償え切れていない」

 「償うとか償わないとか、そんなこと関係ないよ。俺はイグニスのことは何があっても憎まないし嫌わない。イグニスを苦しめたいとは思わない」


 馬鹿。そう呟いて……イグニスが泣いた。俺の目の前で泣いた。

 これは肩か胸を貸して良いのだろうか?ぎこちなく動く俺にぐいと彼女が手を伸ばす。涙は温かい。焚き火で乾いたばかりのシャツをまた湿らせていくその水が、胸へと触れる

 同じ言葉を口にした。それでもイグニスが泣いたのは今。さっきのはイグニス自身のため。今のは俺のため。思い返せば2年前もイグニスは……俺のために泣いてくれたんだよな。

 俺は知ってた。知ってて気付かないふりをした。イグニスは俺を遠ざけようとして、それでも遠ざけたくなくて、俺に否定して欲しかったんだ。何があっても守ってやるとか、傍にいてやるって言って欲しかった。それでも俺は現実としてそんなことは出来ないと理解していて、そういう嘘をイグニスに吐きたくなかった。だからイグニスの言葉を受け入れた。

 イグニスはさ、俺に会えなくなることが嫌で……泣いてくれたんだ。俺に消えろと言いながら、傍にいてくれって泣いていたイグニスを、2年前にこうして抱き締めてやれれば良かったのに。あの頃の俺は人の心を知ったつもりでまだまだ人形で、イグニスの命令には逆らえなかった。

 今は俺も王だ。だから一緒に逃げようとか、ずっと傍にいるとか守ってやるなんて言えない。どんなに言いたくても、言っちゃいけない。


 「イグニス……俺は、神様なんか信じない、だから呪いなんて存在しない。イグニスは悪くない。……俺も死なない」


 イグニスのためなら神様なんか全否定。実際目にしたとしてもボロ糞に扱って見下して嘲笑して存在を抹消してやる。

 意味ならあるよ。だって俺は嬉しい。イグニスにそう言って貰えるだけで幸福値全部使い果たしたんじゃないかなんて思いかけてる。


 「アルドール……僕は、君が幸せであればと思うよ」


 俺の手をぎゅっと掴んで自分の額に押しつける。祈りを捧げるようなその仕草はどこか神々しくて、俺は見惚れてしまう。

 俺の幸せ。そこには当然イグニスも必要なんだけど、イグニスはそうは思っていない。これから俺から遠離ると告げているようで、とても寂しい。

 俺には傍にいてくれと言うことが許されなくて、イグニスにも背負うべき国がある。ずっと傍にいて貰うことは出来ない。歯痒い思いが込み上がる。ずっと隣にいて守りたい。そう思うのに俺が一番弱いカードで。何も出来ない。心だけじゃ足りない。

 イグニスは言葉だけでは足りないというが、俺の思いだけというのも力不足だ。行動。必要なのは行動。でも俺が彼女にしてあげられることって何?立派な王になること?でもそれで……それで彼女は幸せになれるのか?



 「君がそう言うことを考えるのは君が生き残って、世界が平和で……その先で初めて考えるべきことだ」

 「イグニスは……」


 俺が生き残るって言うことは、他のカードみんながいなくなる。その可能性の示唆。そしてそれは高確率で……


 「アルドール?」

 「いや、何でもない」


 俺は発言取り消す。言ってはいけないことだこれは。

 イグニスが俺の結婚を何とも思わないのって、それって……もしかして自分もジャンヌもどうせ死ぬからとか考えてない?そんな風には聞けなかった。

 だから彼女のことを別にそういう好きにならなくても良いなんて言ってくれるんだ。そうなったら、辛いのは俺だと言うみたいに。


 「何?アルドールの癖に、僕に隠し事とはいい度胸だ」

 「ぎゃあああ!止めてくれっ!この服は記念に洗わないで取っておくつもりで……」

 「そうなんだそんなに湖が恋しいんだねアルドール」

 「ぎゃあああああああ洗浄嫌ぁあああああああ!ついでにサイン下さい聖下っっ!この服の背中の所に、それで家宝にして額に入れて飾るんでっ!」

 「誰が書くかっ!君まで僕を崇めないでよ!僕はイグニスだっ!」


 俺はイグニスにズルズルと引き摺られてまた水辺まで持って行かれる。

 イグニス水属性だから水場だとパワーアップでもするのか?元素の効果はコートカードにはあまり関係ないって話だけどイグニスは数術使いだから元素に関係なくはないわけで、関係あるよね、うん。だからって好戦的になるとかそんなわけはないよね?

 イグニスは俺を湖に放り投げる寸前、湖面に映る自分を見て、俺を引き摺る手を止める。


 「イグニス?」

 「…………」

 「イグニス?」

 「会いたいのに会えない。会わせたいのに会わせられない。確かにいるのに何処にもいない」

 「イグニス……?」


 謎々のような問いかけ。イグニスは複雑な色を浮かべて湖面から目を逸らす。


 「謎々だよ、アルドール。いつだかの言葉へのヒントだよ。頑張って僕の嘘を曝いて欲しい」


 あまりにも見当違いな事ばかりを言うからみていられなくなったと言わんばかりのその口調。

 瞬間的に浮かんだ答え。それは彼女の名前。だけどその謎かけの響きは暗い。再会の希望を語るような口調ではない。イグニスの嘘を曝く。真実を知る。それが俺自身にとって辛いことならどうすると、彼女が語りかけてくる。


 「イグニス……」

 「………もう遅い、そろそろ帰ろう」


 肝心なことをはぐらかすように微笑んで、踵を返すその前に思い出したよう彼女は俺を押す。

 本日二度目の湖は、イグニスの視線よりもずっとずっと冷たく本日二度目のイグニスは、俺に手を差し伸べてはくれなかった。

ヒロイン回。


ジャンヌ回のはずが予定以上になんだかイグニスがデレて困った。親友に政略結婚させなきゃならないんだけど、それはそれで寂しいらしい。

別にそう言う好きじゃないんだけど、大好きな友達が他の奴に取られると思うとそれが幸せなんだと思っても、寂しいなと思ったり。笑って手を振って陰で落ち込む。大好きな友達に自分より仲の良い友達が出来たりするとこんな気持ちになったりしませんか?

子供の内の女の友情ってこういう心理働くところあるよね。イグニスは今女なのでその感情に戸惑ってる。

大人びたつもりでどうでもいいを装って、お幸せにねー(にたにた)みたいな顔しつつ、胸にぽっかり空いたような穴を感じる。


ああもうアルドールにもう少し甲斐性があればっ!セネトレア見習ってハーレム作れ。そんなことしたらランスにアルドールが殺されるか。


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