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23:Quemadmodum possums scire utrum vere simus an solum sentiamus nos esse?

 「ランス、大丈夫だ」


 取り乱した己の部下に、アルドールは笑みかける。


(俺のカードは最弱だ。俺は弱い)


 それは事実。だけど俺は誰より一番火の元素に愛されている。だからそれは出来る。一つの心配は、触媒を拾いに行く余裕はないこと。だけど時は一刻を争う。

 俺も数術使いだ。イグニスのように、見えない物を見らなければ……俺達はここで終わってしまう。だから俺はそれを見なければならない。

 このカーネフェルという国土は火の元素に満ちている。だから、解るはずだ。近づいてくる膨大な水の元素に。

 身体を燃やせ。炎に変われ。炎は俺を傷付けない。


 「何……!?」


 炎が生じる際、風は生まれる。炎が激しければ激しいほど、その勢いは増す。より多くの酸素が必要だ、燃やすために。それを奪うために炎が風になる。

 その風圧が、敵を次々吹き飛ばす。刺し貫いた刃も抜けて、俺の体を自由にさせる。俺の仲間はランスが数術で守ってくれている。咄嗟の判断で理解して貰えて嬉しい。タロック王も吹き飛びはしなかったが、風に後退させられる。

 近づく水。その落下までの時間。全てを一瞬で蒸発させられる温度。風向きに対する抵抗、それを押しのけるだけの勢い。それを一つずつ計算していく。

 炎は作れる。だけど問題は……俺の計算速度。


 「王様っ!」

 「っ!?」


 風の精霊をイグニスから与えられていたパルシヴァル。その力を借り俺の風と炎をかい潜り、俺の触媒トリオンフィを俺へと投げる。俺の得物には見慣れぬ水晶の首飾りが巻き付けられていた。それに触れた途端、水の動きがこれまでとは比にならないレベルで情報が見えてくる。トリオンフィを手にしたことで、俺の数術も精度を増していく。

 剣を掲げ、傾けるは西の方角。

 一つ間違えば大変なことになる。救うことは殺すことの裏表。トリシュの数術だってそう。数術は過ぎた力だ。この城を襲わせるはずの攻撃が、守りたかった街を飲み込む。

 だけどここには俺だけじゃない。ランスが、トリシュが、パルシヴァルがいてくれる。だから、大丈夫だ。俺がここにいるのは、道化師を殺すためだけじゃない。俺を守ってくれる人達。彼らの守りたい場所、何かを、誰かを守るため。

 焼かれる熱さにぎゅっと瞑った目。それでも数字が見えている。元素の変動、世界の全て。その数値を理解する。


(今だっ!)


 壁を突き破って一直線に伸びていく炎の柱。それが迫り来る高波を迎え撃つ。

 僅かの狂いも許されない。沸騰した海水が人を襲うなら、それは唯の水より危険なことだ。水が人を襲う前に。俺はそれを全て空へと帰す。


 「はぁっ………はっ……」


 終わった。緊張の糸が途切れて、俺はその場に倒れ込む。部屋は熱気に包まれていたが、ランスの守りでみんなは無事らしい。それにほっと息を吐く。だが、みんながみんなとは行かない。敵だと言えばそこまでだが、風に飛ばされ壁際まで打ち付けられたり……炎に炙られ火傷を負った敵兵がいる。鎧に熱が通ったのだ。

 それは俺が守りたくて、傷付けてしまったという事実。カーネフェル王が守る命にタロック人は含まれない。だけど……


 「何故、守らなかった……?」

 「何故そんなことを我に問う?」


 俺はトリオンフィを構え、タロック王を睨んだ。身体の震えは恐怖じゃない。怒りに変わっていた。


 「お前は風に愛されている。守れたはずだっ!お前の民をっ!」

 「なるほど、其方は確かにカーネフェリアぞ。愚かな血を引いておる」


 タロック王はくくくと笑い、自らの得物を手に取ると……苦痛に喘いでいる自らの民を、冷たく見下ろすのだ。


 「幼き王、民とは何ぞ」

 「民は財だ!王の宝だ!自分の命に代えても、守らなければならないものだ!」

 「愚かだな。民は財だ。だが数だ。取るに足らない。王の命令、王の気分一つで好きに使って良いものだ」

 「っ……!」


 グシャ。何かの潰れる音。

 タロック王は剣を鞘に収めたまま。切れるはずのないそれで、役立たずと認識した兵士の頭を潰したのだ。


 「解るか小さき王。王とは奪う者。其方らは奪わずに生きてきた。故に奪われる弱者になり下がった」

 「違うっ!そんなのおかしい!」

 「奪わぬと言うことは、奪われることを容認すること。今日のこのカーネフェルの弱体化は其方の綺麗事が生み出したことに他ならん」


 そんな略奪者、侵略者の理屈、納得しろっていうのがおかしい。力が正義か?そんなの違う。こんなに間違っているのに、どうして誰もこの男にそれを言わないんだ?死ぬことが、そんなに恐ろしいか?生きながら、死んでいるのに。それが生きていると言えるのか?


 「……タロック王、お前は間違っている」


 視線を一度タロック王からランスへ移す。それだけで彼は此方に駆け寄った。次に俺が何を命令するかを察し、僅かに心苦し気な顔になる。敵兵の治療など、そう思うのだろう。


 「ランス、手を貸してくれ」

 「……はい」


 だが、彼は立派な騎士。命令ならば拒めない。回復数術を紡ごうとした彼に、違うと俺はその手を掴む。


 「アルドール様?」

 「俺は数術を理解した。そうだよ、難しい事じゃなかったんだ」


 代替数術という存在がある。あの時間数術がそれだ。フローリプとユーカーに起こった数術変化。代償を払ったのは二人。だけど術を紡いだのは道化師だった。


 「ランスは何時も通り数式を展開してくれ。それを俺が書き換える」


 犠牲を払うのは、民じゃない。臣下じゃない。王だ。

 俺の数術代償は命に関わらない。だから、やれる。


 「これは……!?数式が……っ」

 「大丈夫。ランスの命は減らない。代償は俺が払う」


 頭を潰され即死した兵は助からないが、火傷や骨折程度ならまだ間に合う。

 膨大な数式の代償。身体が急速に冷える。それでも触媒が無理矢理俺の身体を温める。その温度の変化に耐えながら、俺はタロック王を睨み付けた。


 「タロック王、俺は戦いたくない。出来ることなら誰とも戦いたくない。だけど俺は王だ。俺の民が領土が侵されて、俺は黙っていられない。タロックの民よ。俺は戦いたくない。出来ることなら戦いたくない。だけど俺は王だ。タロック王に付くのなら、戦わなければならない」


 イグニスが俺に言っていたこと。逆転への道しるべ。

 だけど打算じゃない。俺は、彼らをこんな非道な王の下へと置いておきたくなかった。目の色髪の色が違うだけで、戦う理由にはならないから。救うために傷付けたことを、見て見ぬ振りは出来なかった。


 「だが、俺と……私の民になるのなら、私はあなた方を守ろう。この世の全ての者と物から守ろう。この国に、あなた方の居場所を作ろう」

 「相変わらずの綺麗事と甘さだね、アルドール。ボクはそれは聞き飽きた」

 「エルス……」


 混血の少年は出来上がったばかりの死体に腰掛け、やれやれと息を吐く。


 「世間知らずのカーネフェリアに良いこと教えてあげるよ。彼らはただ恐怖で須臾に従っていると思う?」

 「どういうことだ?」

 「兵役を拒めばそりゃ死刑だ。だけど受ければ……衣食住の保証が出来る。活躍すればするほど、本国に残した家族に優先的に食料物資が与えられる。タロック人は生きるためには戦わなければならないんだよ、どうしても」

 「それくらい俺がやるよ!戦わなくたって、ちゃんとその人達の口に入るなら、うちの農作物分けてやる!」

 「それは出来ない。裏切れば、国にいる家族がどうなると思う?」

 「……あ」

 「親も子供も恋人も兄弟も親戚も、一族揃って皆殺し。見せしめにそりゃあ残酷に処刑される。その村に食料は与えず、代わりに処刑した人間の死体を食料として送る。普通は誰だって、そんなの嫌だろ?後は舌がそれへの抵抗を無くした頃に供給を止め、兵糧攻めさ。そうなりゃ村は内から滅ぶ」

 「なんで、そんな酷いこと……」

 「酷い?面白いこと言うね。聞いた話じゃ、シャラット領だっけ?あそこも同じように滅んだんだろ?前王の忠臣、あのセレスタイン卿ユーカーの父親がそれをやってのけたと聞いたよ。結局お前らも何も変わらない。同類なんだ。綺麗事ばかり並べるなよ」

 「え……?」


 ユーカーから聞いた。シャラット領を攻め滅ぼしたのは父親だと。


 「本当……なのか?」


 それでも、その詳しい話を俺は聞いていない。動機は聞いた。だけど方法を、俺は知らされていなかった。


 「…………あいつは、この国を憎んでいます。カーネフェルのために、ユーカーは……戦えない」


 だから、先代のため。だから親友のため。そんな風にしかこの国を守れない。愛せない。誰かを通してじゃなければ戦う理由もない。彼は、許せないんだ。父親が、この国が。


 「ああ、あそこはその前に食料と一緒に黒死病にかかった鼠を放り込んだんだっけ?かなりえげつない技だよね。カーネフェル人だって汚いこと卑怯なことは幾らでもするよね?お前達を信じるに値する物なんか、何もない。そうだろう?」


 エルスの囁きに、起き上がった兵士達が俺達を取り囲む。戦いたくないとほざいてすぐに、それを撤回するのかとエルスに言われ、機械的に彼らは動く。エルスは人を煽動する術に長けている。ルクリースと同じだ。それは、二人がこの世界をよく理解している。人の心を、その悪意を知り、正しく理解しているから。この世の地獄と彼女は例えた。違う場所、それでも同じ風景を、彼は知っているのだろう。


(でも、俺は知らない)


 その景色を多分、ユーカーの……あの青の瞳も知っているんだ。


 「俺は……」


 俺は何を言っていたんだろう。

 エルスに嗤われるのが解る。ユーカーが俺を嫌うのが解る。俺は何も見えていないんだ。今ばかりを、明日ばかりを求める。その時、俺は何もしていない。それでもそれは、俺の罪だ。カーネフェル王になるということは、そう言うことなのだから。

 ユーカーに、戻ってきてくれという資格なんか無かった。それでも彼はトリシュを守った。帰ろうとしてくれた。それをランスが傷付けた。俺を守るために、傷付けた。俺がここにいる所為で。

 ユーカーの親父さんと同じだ。彼は王への忠義のために、シャラット領を攻め滅ぼした。ランスは俺のために、ユーカーを傷付ける。ユーカーは家の道具になることを嫌ったのに、アスタロットさんと同じ。国の玩具に成り果てて、殺されてしまう、このままじゃ。カーネフェルにいれば必ず、ユーカーは……そうなってしまう。

 そうなれば、トリシュはパルシヴァルは……ここにいる理由はあるのか?ユーカーがいるから、彼らとの結びつきが俺にも出来た。ユーカーがいないなら、俺は……俺には、ランスしか残らない。


 「そんなことありませんっ」


 それは俺に発せられた言葉ではない。それでも俺の顔をぐいと上げさせる、そんな力を持っていた。

 パルシヴァルはランスを睨み付けていた。いつも彼に脅えていた彼が、真っ直ぐにランスを見上げている。


 「君にあいつの何が解るっ!」

 「解ります!貴方が知らないこと!」


 過ごした年月の違い。それが勝ち負けじゃない。


 「貴方は彼を知っている。だけど貴方は彼を知らないっ!僕も彼を知らない、だけど……僕は彼を知っているっ!」


 人と人の関係に、勝ちとか負けという概念を持ち込む方がおかしいのだと彼の澄んだ青は言っているようだ。


 「セレスさんが本当にカーネフェルがどうでも良いならっ!あの人は僕を助けなかった!今日だって、トリシュさんを見捨てたはずだ!」

 「それはあいつがお人好しなだけだ!」

 「セレスさんは、見て見ない振りをしないっ!見えないけど、見えているっ!」


 パルシヴァルはその青い眼で、部屋中の人……一人一人を追っていく。尋ねていく。


 「国って何ですか!?民って何ですか!?」


 その場にいる誰より幼い子供。最初に俺が話したときは、たどたどしい言葉使い。それが、小さな少年が……必死に考えカーネフェルとタロックの、二人の王に負けずに人に訴えかける。


 「目の前の、助けられる人を見捨てて……誰かの犠牲を勝手に肯定してっ!無関係の大勢の人が助かるっ!見たこともないっ!会って話をしたこともないっ!そんな誰かの幸せを、願える人間がいるんですか!?」

 「……っ、君に何が解るっ!騎士になったばかりの見習いが!人を斬ったことがあるか!?殺したこともないだろう!?人の未来を奪って希望を奪って、それで英雄扱いだ!それでも守らなければならないものがある!自分を殺して、あいつを殺してでも、国を殺させるわけにはいかない!」


 勝ち続けた騎士が泣く。勝てば勝つほど辛いのだと。

 勝手な理想を押しつけられて、自分を殺していく毎日。自分が何処にもいなくなる。そんな自分に帰れる場所を、失った。もう一人も失いかけている。


 「そんな自分勝手で国が、王が守れるものかっ!王を無くせば国が終わるっ!もっと大勢の人が……」

 「大勢の人って誰ですか?名前は?年齢は?何をしている人ですか!?」

 「それは……」

 「あなたは負けたことがありますか?」

 「俺は……」

 「この国は負け続けた。王様もそう。セレスさんもだ。だけどあなたはいつも正しい。そう思われていることが何よりおかしいです。勝つことが正しさではありません。負けたって正しいことは正しいんです!だから正しい人は、負け続けても……最後には、絶対に負けてはいけないんです!」

 「俺は………………」

 「知らない誰かが貴方を崇め、讃えても、あなたは僕の憧れにはなれません」


 驚いたって顔してる。あの日の俺とジャンヌみたいに。

 打たれたパルシヴァルは打ち返さない。ランスは自分の行動に、狼狽えている。こんなあからさまに間違ったこと、彼は自分が許せない。


 「あなたは立派な騎士じゃないっ!そんな風に、よく知りもしない人を大事に思える貴方はおかしいっ!傍にいる、見知った……大事な人をあんな風に傷付けられる、貴方はおかしいっ!最低ですっ!狂っているのは貴方だっ!」


 しんと広間が静まり返る。こんな小さな少年が、大人達を言い負かしたのだ。狂王でさえ、彼を愚かと呼ぶことはなかった。


(俺は……)


 俺は、この少年に劣っている。彼の方が余程……この国の王だ。

 その場に崩れるランスを支えたのは、俺も同じ気持ちになったから。悔しいよね。悲しいよね。貴方は俺よりもっとずっと頑張って生きてきたんだから。ある程度正しいことは、多少は間違っている。ある程度間違っていることは、多少正しいことなのだ。


 「俺だって……なれるものなら、あいつになりたかったっ……」


 自分が欠けているのが解る。足りない物がある。

 だから手を伸ばした。完璧な自分になりたい。自分の誇れる自分になりたい。

 誰かに讃えられるほど、この人は自分を見失っていったのだ。今、何処にいるのか解らない。俺は誰だと自分自身に問い続けている。


(俺じゃ、駄目だ……)


 彼を知らない。彼の過去をよくは知らない。支えてやれない。答えをあげられない。

 助けて貰ってばかりなのに、唯の一度も俺が彼を支えることは出来ないのだ。


 「……カーネフェル王と、その騎士共を処刑しろ。ただし、その少年だけ残せ。残りの順番は其方に任せるが、その前に仕事を一つ頼みたい」


 タロック王はパルシヴァルを指差して、兵に彼を取り押さえさせる。そして縛り上げてからエルスに託す。


 「あの子に何をする気だっ!」


 駆け寄ろうとした俺は、すぐに兵達に押さえ付けられてしまった。


 「国に置く傀儡だ。幼い方が御しやすい。小雀、それをカーネフェリアとして都に送れ。双陸に教育を任せる。補助にレクスとおまけを連れて行け。そのおまけがいれば大人しくしているだろう」


 パルシヴァルを託されたエルスは、主の考えを探るように自らの予想を述べる。


 「つまり、この間の即位式は嘘っぱち。そこの本物も神子も、全部偽者だった。国民を騙した逆賊って事で良いんだね」

 「無論」

 「解った。それじゃあその間しっかり此奴ら監視しててよね!僕が殺す前に逃げられましたーとか言ったら僕が須臾を殺してやるから」

 「くそっ!」


 触媒が手から離れた。だけどそうは言っていられない。エルスが離れる前に、助け出さなければ。


 「3つ数える内に俺から離れろ。でなきゃ全員焼け死ぬぞ!」


 目の前で見せた炎への恐怖。それを思い出した兵士達に動揺が走り、好きが生まれる。好機だ!

 俺は手から離れたトリオンフィを拾い上げ、炎を纏わせる。タロック王は片手で再び剣を取り、それを俺へと振り下ろす。


(怖くないっ!こんな奴っ!怖くないっ!)


 俺と同じAじゃないか。勝機はある。

 受け止められるっ!戦えるっ!俺が真正面からやり合って、殺せるかも知れない相手!殺さなければならない相手!それは、道化師だけじゃないっ!

 力の差。体格の差。場数の差。負けているものは幾らでもある。だけど俺だって、勝っている物は一つくらいはあるだろう。年齢、身長、体重……それからええと。全部それってマイナスにもなる。だけどプラスにも出来る。負を正に変える。それを生かすためのやり方を考えるんだ!


 「っあ……!」


 俺の無茶な数術の連発。耐えきれなかったんだ。元々トリオンフィは戦うための剣じゃない。唯の、装飾品。本物の……人殺しの剣には敵わない。

 防いだ一撃。それが決定打になり、トリオンフィが砕け散る。これはマイナス……?いいや、違うっ!


 「ぐっ……う、ぅぁああああああああああああああああああああっ!!!」


 まだっ!まだだっ!この欠片全てが俺の触媒。身体を燃やせ。剣を燃やせっ!鉄をも溶かす炎に変われっ!


(ごめん、姉さん……)


 だけど忘れない。俺に誇りを、ありがとう。剣が折れても無くなっても、無くならない物があると俺は信じるっ!信じたいっ!

 咽から振り絞る咆吼。それが俺の触媒トリオンフィを溶かし、狂王の得物をも溶かす。高熱を纏った液体状の鉄。それを奴にぶつけてやった。


(終わるっ……)


 こいつさえ殺せば、戦争なんか、終わるんだ。誰も戦わなくて良い。誰も殺されなくて良い。勿論風でダメージを軽減するだろう。それでもこの至近距離であれを浴びて、無傷なんて……そんなことはあり得ない。絶対に隙が生まれる。そこを俺の騎士達に叩いて……貰………


 「……タロック王家の二つ名を、其方は知らぬかカーネフェリア」

 「そ、そんな……」


 黒い煙の向こう。肉の焼ける匂い。想像も絶する激痛。それでも男は倒れない。


 「“毒の王家”。痛覚などとっくに麻痺しておる」


 手にはまだ高熱を帯びた液体がある。炎は俺を傷付けない。だが、あれは炎ではない。


 「だが、其方はどうだ?」

 「ひっ……!」


 それを顔面に押しつけようと手が迫る。自分がしたこと。でもされるのが怖い。先走って口から悲鳴が漏れそうだ。

 間近に迫る、人の肉が焼ける匂い。これは、二回目。いや……


(三、回目……?)


 あの村で嗅いだ時はここまで近くじゃなかった。人を燃やしたんじゃなくて、燃やした家の中に人がいた。

 今が1、カーネフェルに上陸した時の村で1……残りの一回?俺は何処で……


(でも俺は知ってる……気がする)


 こんな風にすぐ傍で、誰かの肉の焼ける匂い。


 「う、ぅ……ぁあああっ」


 何か見えた。一瞬何かが見えた。だけどすぐに頭痛に襲われ蹲る。命令されている。俺は強いられている。思い出してはならないと。


 「…………っ、…………っ!」


 何かが口から零れた。言葉だ。だけど聞こえなかった。俺の耳が利くことを拒否した。……俺の脳が俺を拒絶した。俺は俺の禁忌に触れかけた。

 その事実にはっと我に返った俺は、目の前に迫り来る高熱の凶器に目を見開いた。もう避けられないっ!

 目を瞑る間も与えられず、俺の身体は悲鳴をあげる仕度だけをはじめた。

 悲鳴のカウントダウン。見えていたのに動けなかった。

 決闘で、そして今日……ユーカーがトリシュを庇ったように、ランスが俺を庇ってくれていた。数術を紡ぐ時間が惜しいとその身を盾に狂王の前へと挑み出て、彼は腹を焼かれていたが、悲鳴を一つも発さずに……


 「……ご無事ですか、アルドール様」

 「ら、……ランス?」


 立派な騎士以外言えない台詞を口にした。

 俺はそれが悲しくなった。この人はとても立派だけれど、今のだって俺のためじゃない。王を守ること。それが立派な騎士として刻み込まれた習性だ。

 ユーカーは逃げた。王を守らず王に守られ生き延びた。それを責めた自分が同じ事は出来ないと、俺を庇ったのだ。騎士としてのプライドが。


 「馬鹿……そんなこと、しなくていいんだ……そんなこと」


 そんなこと、本当に貴方は望んでいない。それじゃあまるで人形じゃないか。


(違う……ちがうんだ、ランス)


 俺は貴方を殺したいんじゃない。生きて欲しいんだ。その心臓を動かして、その唇で息をして。俺の命令じゃなくて。俺が王だからでもなくて。もっと我が儘に、傲慢に……人間らしくっ!


 「ランス……痛いって、言って」

 「命令ですか?」

 「違うっ!」

 「痛くないはず無いだろ!?痛いって言えよっ!人間なんだろ!?」

 「アルドール様……俺は……、私は騎士です」


 同じ言葉を話しているのに、どうしてこんなに空回る?言いたいこと、言っているのに彼には何も届かない。


 「騎士は、人間ではありません」

 「人間だろ!?」

 「……名誉に胡座をかいた、殺人鬼です」

 「でも、人間だっ!生きて、今ここにいて、呼吸してるっ!なのに人間じゃないなんて、どうして……」

 「人殺しに痛いなんて言っていい権利はありません。殺すことは、殺されることです」

 「それが、痛みが報いだって言うのか!?守るために戦って、その全部が罪だっていうのか!?」

 「……だから我々は王を、光を求める。貴方に許されることを望む」


 贖罪の証。そのために失えない。王を無くせば、彼の偉業は彼の中で本当に唯の人殺しに成り下がってしまう。だから俺を失えないと彼は言う。

 俺が誰でも良い。俺がどんな人間でも構わない。俺という人間が本当に最低で救いようのない屑でも、彼は俺を光と呼ぶだろう。


 「そんなの、間違ってる……」

 「パルシヴァルの言う通り……俺は狂っていたのかもしれません」

 「そんなっ……」


 間近で香る、焼け焦げた肉の匂い。非日常の香りに目眩がした。


 *


 「おいおい、マジかよ」


 レクスはこれで会うのが二度目の可愛子ちゃんに命令を下した男を呪った。


 「こいつこんな状態で連れ出せるわけねぇだろ」


 まだ安静にしてなきゃ無理なところをまた腹かっさばかれたんだ。

 一度目は気を保ったセレスが今度は卒倒したんだ。よっぽど身体と心に負担が出ているのだ。しばらく安静にさせたい。

 大体、日に二度もこんな重傷数術で塞いだら身体に負担が出る。一度だって怪しいもんだ。それに完治させたら暴れるのが解っている。暫く大人しくさせるため、わざと完治させずに治させた。俺も俺の主も此奴を壊したい訳じゃない。何とか絡め取りたいのだ。


 「数術を使うから問題はないよ」


 そう言う問題じゃねぇんだよ。と、言ったところで数術使いに人間の心はわからねぇ。人間を理解できるのは人間、数術使いを理解できるのもまた数術使い。要するに別の種みたいなもんなんだとレクスは頭を抱えた。

 この子は狂王の味方というわけではないが、狂王派と言えば狂王派なのだ。いや、狂王がこの子派とも言うのかもしれないが。


 「それも困るんだって。普通に治療させなきゃ身体が保たねぇ」

 「誰も治してやるとは言ってない!ボクはそいつとこれを都に届けろって言われてるんだ」


 二度も治してやる義理はないとエルスちゃんはすっかりご立腹。怒った顔も可愛いが、俺の妹には似ていない。俺は僕っ子より俺女派なんだ。悪いな。


 「やれやれ。呼びつけておいて今度は左遷か?双陸だっけ?俺あいつ苦手なんだよ」

 「それはボクも同意しますけど」

 「だろ?あー嫌だやだ、俺ああいう真面目人間と相性悪いんだよ。俺何もして無くても反感持たれたりするし」

 「それは貴方が何もしないから何じゃないですか?」


 なるほど、エルスちゃんは適度に怒ると敬語になるのか。それじゃこれ以上文句も言えないか。


 「この子、そいつに懐いてるんだって?だから丁度いい人質じゃないか。貴方が彼を逃がさなければ、この子も逃げられない」

 「だってよセレス。どうすっか?」


 どうせ寝ている。そう思いながらも聞くだけ聞いて見れば、大した奴だ。カッと目を開いて起き上がろうとしている。


 「こいつに……何を」

 「カーネフェル王にするんだって。こっち治めるのに駒は要るし、傀儡にするには幼い方が楽だしね」

 「あー、寝てろ寝てろ。まだ無茶すんなセレス。そんなに激しい運動が好みなら回復してからいくらでも付き合ってやっから」


 軽口にツッコミすら入らない。こりゃセレスもセレスでキレている。お前は子連れの熊か。確かにこの少年騎士は庇護欲を誘うような感じではあるが、お前の子でもなかろうに、そんなに可愛いか。


(未練ってのは何もあの色男だけじゃないみたいだな)


 ポエム騎士にこの少年騎士に、随分慕われてるじゃないか。流石俺の妹似の男。俺も鼻が高いぜ。


 「……なぁ、エルスちゃん。一つ取引しねぇ?」

 「何?」

 「俺が須臾王の僕じゃないことは知ってるだろ?」

 「勿論」

 「ならエルスちゃんにとって有利な情報一つばかり教えてやる」

 「……バレない保証はあるわけ?」

 「そりゃあ勿論。俺のご主人様は人の裏を掻くのは誰よりも得意だ。狂王の目くらい幾らでも」

 「……聞いてから考える。それくらいの譲歩は?」

 「俺がお願いしてる立場だからな、仕方ない。その方針でいいぜ」

 「それで……情報っていうのは?」

 「俺のご主人様は、タロック王の縁者。そして彼は天九騎士の中の一人だ」


 同僚達に仲良くなった奴でもいたんだろうな。俺のとっておきの爆弾に、みるみるエルスちゃんの顔が青ざめる。まったく可愛いもんだ。これじゃあこの子の人間不信に拍車が掛かるぜ。しかし俺の言葉攻めはこんなもんじゃない。


 「エルスちゃんが須臾王を殺すのはいいけどな、タイミング間違えば大変だぜ?新しい王のイメージアップに退治されかねない。元々エルスちゃんの評判は最悪だろ?王を更なる狂気に走らせた鬼ってな」


 迫害されて、どんな辱めの中、殺されるんだろうな。そう囁いてやれば、それでもまだまだ強気に俺を睨み付けてくる不貞不貞しさは、いっそ可愛らしい。


 「キングなんかにボクが負けるか!」

 「あのな、エルスちゃん。ジョーカーはちゃんと出るぜ、カード。俺見たし」

 「な、何だって!?」

 「確かに手の甲には何もない。しかし掌には鎌によく似た紋章が浮かぶ。逆さまのLって文字に似ているな」

 「じゃあ……ボクは………」


 信じられないと己の両手を見つめ、小柄な身体が膝を着く。その女のそれのような艶やかな黒髪を撫でれば、小刻みな震えが伝う。


 「良かったじゃないか。エルスちゃんは狂王を殺せる。だが狂王もカーネフェル王もエルスちゃんを殺す力はない」

 「嘘だ!ボクはアルドールに手を焼かれたっ!」

 「でも死ななかっただろ?生きてる内は負けじゃねぇ。生き延びるって事は勝ったってことなんだ……って子供にはわかんねぇか?」

 「一方的に勝ってもつまらないんだよっ!そんなの唯の虐殺じゃないか!」

 「虐殺、好きだって聞いたが?」

 「ボクは面白く勝ちたいんだっ!計算通りだけじゃつまらないっ!全然面白くないっ!」

 「……アクシデントが好きって、エルスちゃん女王様面してエムいじゃねぇか」


 エムいMよりエスいMのが俺の好みだ。俺は口の端を釣り上げる。

 だが、生憎俺は人の良さそうな顔したSなもんで。容赦ってもんは時々敢えて行方不明。


 「それとも、抵抗の手段もない逃げ道もない虐殺は……昔を思い出して嫌?」

 「っ……」


 顎に触れれば、震えが止まり、少年の身体が強張った。そうだよな。俺なら殺せる。怖いだろう?そう瞳で囁けば、誰が怖いものかとまだまだ強気。元は平民だって言うが、どうしてなかなか気位が高い。こりゃあセレスとも犬猿の仲な訳だ。そこそこ俺の好みだぜ。


 「なぁエルスちゃん、一人称ボクから俺に変えてみる気ねぇ?それで俺を兄貴とかクソ兄貴とか呼んでくれたら最高だ。そしたらこっちサイドに迎え入れる特典とついでに妾にしてやるぜ?」

 「興味ない」

 「残念、振られちまったか」


 こりゃ完全に怒らせたな。怒りが一定度合い越えると今度は乱暴な口調になるっと。


 「……エルス=ザイン。俺からも取引だ。ペイジって、知ってるか?」

 「おいおいセレス、あんま無茶するなよ。お前一人の身体じゃないんだ」

 「気持ち悪いっ!俺一人の身体に決まってんだろうがっ!いい加減にしろよてめぇ……」


 せっかく労りの言葉をかけてやったのに、セレスに三白眼を向けられた。あー、こっちも本気でキレてしまっている。ほんとお前らそっくりな。しかし、そんなセレスとあの堅物色男がべったり仲良かったってんなら、案外エルスちゃんも双陸ってあの堅物同僚と気が合うんじゃね?警戒しとくか。


 「ペイジ?」

 「タロットの小アルカナの一枚。神子が言うにはカードの強さは10,5。普段はカードが消えている。強く願ったときだけカードが現れその強さは、11,5まで跳ね上がる」


 へぇ、そいつは初耳だ。やっぱセレスを傍に置いてて正解だった。俺が情報を流した分、流してくれる。なんだかんだでフェアなの好きなんだな。いや、お人好しってことか。俺も大概だが。


 「俺とガチでやり合えば、お前は負ける。だが、勝てるときもある」

 「それじゃあ、どうしてボクにカードが出ない?」

 「お前には、まだ明確な願いがないんだ。ペイジは……神子が言うには基本まだ無垢な子供にしか現れない」

 「ボクに願いが、ない……だって?」

 「ペイジは特殊なカードだ。カードが現れていない間は幸福値は与えられてもカードじゃない。だから別にペイジを殺さなくても、このゲームは終わる。お前は俺達とは違って、生き延びられる可能性がある。……これくらい話せば十分だろ?取引、受けるか?」

 「…………」

 「……足りないなら教えてやる。俺はお前を許さないが、あの馬鹿は馬鹿だ。あいつはお前を傷付けたことも、トラウマだ」

 「アルドールが……ボクを?」


 ぽかんとその言葉を受け入れかけたエルスちゃん。我に返って、憎しみの視線をセレスに向ける。そこに別の男を重ねて。


 「ふざけるなっ!鬼のボクを人間風情が哀れむかっ!?ボクに何度屈辱を刻めば気が済むんだあの男はっ!ボクは……ボクは……」

 「解るぜエルスちゃん。エルスちゃんは強い鬼だもんな。怖がられたいんだろ?恐怖されたいんだろ?」

 「っ!ボクは貴方も嫌いだっ!」


 一秒だってもう同じ空気を吸いたくない。ちょっと苛めすぎたか。潤んだ瞳で睨まれたが、やはり恐怖は感じない。

 数術をいつの間に紡いでいたのだろう?俺は元素の加護がないから解らなかったが目の前の少年二人の身体が薄くなる。


 「パー坊っ!」

 「まだ起き上がるな馬鹿っ!」

 「その呼び方止めて下さいって約束し……」


 寝台から降りようとするセレスを押し留める内に、完全に二人の姿は消えた。今度は涙目のセレスに睨まれた。


 「お前っ、俺の言いたいこと解ってただろ!?」

 「俺とお前をここに残してもらうってのが交渉の限度だ。それに都の方が安全だ。双陸ってのは堅物で、お前を斬ったあの色男みたいな感じのステレオタイプの忠臣だ」

 「……そんな言葉っ」

 「その王があの子の安全を保証した。ありゃ、殺せない人間の条件持ってるから大丈夫だろう」


 狂王にもトラウマがある。だからそれに触れると殺せない対象が出てくる。

 俺の主が言うにはまずそのタイプ1がエルスちゃん。殺した我が子を重ねた相手。

 そしてもう一つ。それは金髪青目。そして……


 「悲しいもんだよな」

 「は?」

 「俺は数術なんか使えねぇが、あの王の死に様が目に見える」

 「……どういうことだ?」

 「狂気の淵には何があると思う?」


 俺の投げた言葉に、首を捻って……その動作に今更痛みを思い出したのか腹の傷を押さえる仕草。


 「そんなの、怒りとか憎しみとか……絶望じゃないのか?」

 「これだから男を知らないガキは」

 「俺が男を知ってたら大問題なんだが」

 「愛だよ愛」

 「……は?」


 瞬く色違いの蒼と青。


 「狂気の底には愛がある。それがなければ狂えない」

 「そんなの、変だ」

 「どうしてお前はそう思う?」

 「それじゃ、どうして俺は狂えないんだ?」

 「そりゃお前が尽くし系だからだ」

 「は?」

 「お前は愛されないことに慣れている。だからお前は愛することに美徳を感じ、献身しちまうタイプだ。それで満足しちまうんだよお前は」


 何故そんな知った風な口を聞く?そんな目で睨まれるが俺は視線で流す。

 そんなの見てれば解る。これまでの他の同僚達とのやり取りを見ればそれは明らかだ。


 「お前は俺と同じだ。既に一回、大事な物を亡くしている。それをちゃんと愛せなかった後悔がある。未練がある。だから新たに何かを愛せない」


 俺と違うのはそこだ。俺ならその未練を二度と繰り返さない。だからこそ口説くのさ。


 「セレス、例えばだ」

 「例えば?」

 「お前あの色男の兄ちゃんと、同じ女に惚れたらどうする?」

 「それは……」

 「無理だよな。お前はあの兄ちゃんを慕いすぎている。比較しちまう。自分が劣っていると思ってしまう。奪ってでも手に入れたいとは思わないんだろう?」


 自分の欲はある。それでもそれを優先できないこの男に、狂気の才能はない。


 「だからお前は狂えないんだ」

 「意味が、わからない」

 「それであの兄ちゃんが、その女を死なせたとしても……お前はあの男を怨まないだろ?」


 自分より優れた男に守れなかったのだ。それじゃあ、仮にそれが自分だったとしてもそうなる。或いはもっと最悪の結末に。お前はそう思ってしまう。


 「お前はさ、愛より大事なもんがある」


 それも俺と同じだ。


 「お前は許してしまう。許せてしまう。どんな理不尽も受け入れてしまえる才能がある。それくらい誰かに心酔できる力がある」


 絶対の正当化。永遠の味方。そんな芸当出来る奴が、狂えるはずもない。


 「違うっ!俺にだって……許せない奴はいるっ!」

 「誰だそいつは?」

 「………ロジアン=セレスタイン。……俺の親父だ」

 「そうか……」

 「レクス……?」

 「俺がそいつを殺してやるよ。王の命令じゃない、俺の意思でお前のために」

 「お前には関係ねぇだろ!」

 「関係あるな」

 「ないっ!」

 「そいつがお前が隻眼だった理由だろ?御貴族様はプライド高いからな、どういう目にあったのかは大体解る」


 右目のそばにそっと触れれば、びくとその目が閉じられる。余程この眼がトラウマなのだろう。


 「お前は仲間を殺さなくて良い。お前の同僚と俺が戦うことになったら俺の邪魔をしても良い。だが、俺から離れるな」


 「でも、ま。元気になった方だな。じゃ、俺らもそろそろ出掛けるか」

 「……出掛ける?」

 「俺の主は、まだタロックに勝たせる気が無いんだよ。ていうかタロックに負けて貰っても構わない。そんなわけで俺は仮の主の命令を遵守するため、これからお前と南部の都に旅立つってわけさ。別に都にどういう方法で行けとは言われてねぇし問題ないな」

 「はぁ!?問題あるっ!こんな怪我で旅だって!?馬車とか船とか揺れるじゃねぇか!」

 「なら俺に抱き付いてみるか?」

 「揺れた方がマシだっ!」

 「おいあんまり叫ぶとまた腹の傷切れ……」


 ふらっと傾ぐ身体。流石に妹よりは重い。当たり前か。


 「……言わんこっちゃねぇ」


 妹にはいつも死の香りがあった。死をそこにあるものとして感じているような遠い目。何のために生きているのか、何のために生まれたのか。

 優しい子だった。獣の命まで、同じ数字に見えていた。食って生きる意味を見出せない。それでも生きていることに彼女は罪を感じていた。

 セレスはそこまで柔じゃねぇが、本質的には同類だ。奪うことに罪を感じる、躊躇いがある。それは自身の幸福を願えないという致命的欠陥。誰かのためにしか生きられない人形。そんな姿がそっくりだ。


 「……お前の言うことも解るんだ。確かに綺麗だよな」


 奪う人間は美しい。理不尽と傲慢の中にありながら、絶対的な力で魅せる。お前は奪われることに至福を感じているんだろう、あの日の俺のように。

 自分は絶対にそうはなれないから、だからこそ魅せられる。これまでの常識も概念も全て覆し、奪い、征服してくれる相手。

 俺は彼に出会い、奪われて……初めて手に入れた。気付いたことがある。俺は、奪われるより奪う方が好きだ。奪ってみて初めて解る。気分が良い。凄く爽快な気分。

 何かを手に入れること。何かを奪うこと。初めて自分の満たされない心が埋められていくようだ。躊躇わなくて良い。俺もあの人のように、あんな風になりたい。自分の心の欲望のままに生きてみたいと思った。

 絶対に触れてはならない相手がいた。どんなに欲しくても求めてはならない相手だった。

 それはとても狡かった。かつて同じような物を手に入れた奴らがいた。その癖俺にはそれを禁じる。物心ついたときから、俺にとっての世界はおかしかった。そのおかしな世界とそれを壊した奴がいた。

 悲しみ、怒り。勿論あった。それでも何故か、視界が世界が開けていくような不思議な感覚さえあった。

 それに触れる前に俺はそれを失った。それを悔いている。その渇きを埋めようと、俺は水を求めている。咽が渇いた。水が欲しい。俺の聖杯は何処だ?


 「お前が俺の、聖杯。俺の水……命の聖杯」


 コートカードの癖にやたら不幸ばかり訪れるセレスに、業が深いなと俺は苦笑い。

 カードでも補えないくらいの罪がお前の生まれにはあるんだろうさ。腹の包帯を取り替え手当もそこそこに、俺は旅支度を始めることにした。


 *


 馬鹿にするな。僕を馬鹿にするな。

 恐れ敬え!恐れ戦け!僕は鬼だ!妖怪だっ!


(くそっ……)


 エルスは何度目かもう思い出せない舌打ちをする。

 嫌なことを聞いた。とても不愉快な気分。


 「双陸っ!」

 「……エルス?」


 南部にある都ローザザクア。チェスター領からは大分離れていた。帰り道に生贄を補給しなければ。


 「須臾から命令だって!この子をカーネフェル王として傀儡として育てろ。貴方は摂関政治でもしてればいいよだって!」

 「こんな幼い少年がカーネフェリアだったのか。お前の情報と大分違うが」


 僕が運ぶ際に数術で眠らせて、今ソファーに転がした少年に、同僚は目を瞬かせる。


 「こいつは別人っ!アルドールの騎士の一人っ!まだ子供だからって須臾が甘さ出しただけ」

 「そうか……」

 「なに嬉しそうにしてるの?」


 須臾の甘さに感涙、男泣きでも始めそうな双陸にエルスは数歩引き下がる。


 「いや……須臾王は、やはり須臾王なのだと思ってな」

 「意味が分からない」

 「本当は優しい方なのだと言った……」


 美しい思い出を紐解くように、僕の同僚はうっとりと笑む。しかしすぐに我に返ったらしく、顔を赤らめた。


 「俺は呪術師殿を相手に何を言っているんだろうな。忘れてくれ」

 「ふーん……」


 レクスとの一件でテンションが落ちた。からかう気も起きず、僕は聞きたいことだけ口にする。


 「ねぇ、第一騎士レクスって男と何度か顔を合わせている?ボクは北に行って初めて会ったけど」

 「あの軟派な男か。カーネフェルに赴く前に何度か会話をしたくらいだが」

 「いつからいた?」

 「一月……いや、そろそろ二ヶ月経つかもしれん」

 「本当に最近だね。ボクが船の手配で国をあけていた時期と重なる。……他に、最近メンバー代わったのってある?レーヴェの身元は僕が保証するからそれ以外で」

 「何かあったか?」

 「あいつ、裏切り者だよ。ボク以上に」


 僕の言葉。真っ直ぐに僕を見る赤。あいつよりは明るい赤。僕よりずっと深い赤。手を伸ばしても届かないその深み。複雑な気持ちで僕はそれを見つめ返す。


 「本人が言ってた。王の血を引くものに仕えてるって」

 「王の血?」

 「死んだはずの王子のどっちか」

 「恒河様と那由多様はどちらもお亡くなりのはずだ」

 「だといいんだけどね。生きてたら危ないよ。そいつ、須臾を殺して玉座を奪う気。おまけにレクスはキング。まず、太刀打ち出来ない。……おまけに奴が言うには、天九騎士の一人にそいつの主が隠れてるって話」

 「本物を殺し成り代わっていると言うことか?」

 「それは解らない。だけど貴方が須臾を守りたいなら……注意すべきだ」

 「……そうか、礼を言う」


 不意に頭を撫でられて、僕は訳が分からなくなって……視線を迷わせる。


 「…………双陸。ボクの言ったこと、まさか信じるわけ?」

 「短い付き合いだが、……確かにお前は残酷だ。しかしお前はいつもトゲのように鋭く真っ直ぐな言葉を紡ぐ。嘘は言わない」


 視界が揺らぐ。

 言うつもりはなかった。これからずっとこの男を馬鹿にしてせせら笑うために黙っておくつもりだった。だけどそんなこと言われたら僕は……もう……


(僕は貴方を、信じたい……)


 貴方とレーヴェは違う。王の血縁なんかじゃない。こうしてもたれ掛かっても、僕を殺さないと、信じさせて欲しい。

 だって、貴方も鬼なんでしょう?それなら僕を、受け留めて。恐れないならせめて、あいつらみたいに僕に親しんで。僕の宴会に貴方も交ぜてあげる。桜がとっても綺麗なんだ。


 「エルス……?」

 「双陸っ……ボクは……二つの墓の数値を図ったことがある」


 抱き付いた途端、とても落ち着いた。涙を見られたくなかったからそうしただけ、そのはずなのに。


 「どっちの王子の墓の下にも死体はないっ!だから気をつけろっ!」


 僕が貴方を恐れるから、信仰するから、ずっと……鬼でいてよなんて。とても言えない。そんな僕に貴方は、言った。既に自分は鬼であるのだと。


 「……須臾もそれは知ってる。時々命令を記した文が届くんだ。死んだはずの王子の名を騙った奴から。須臾は面白がって、それの通りに動いてる。いつかそいつが自分を殺しに来るのを待っているんだ」

 「…………それではその名は」

 「……“那由多”。須臾が狂った原因だって王子の名前」


 須臾が呼ぶんだ。僕のこと……たまに那由多って。まだ忘れられないんだろう。馬鹿な男。

 その未練に手紙は上手いところを突いてきたのだ。


 「勿論本人からかどうかはわからない。むしろそっちの方があり得ないと思う」

 「確かに。那由多様の処刑は確かにあった。死体が盗まれたという事実もあるが、その死は確認されている。……レクスか。虚言を吹聴しているのならばそれは王子への冒涜でもある」


 だが、どちらにせよ注意は必要だなと僕の同僚は頷いた。


 「エルス……いや、エルス殿。今回の行動には感謝する」

 「気持ち悪いからエルスでいい」

 「……そうか?ならエルス、感謝している。だが何故ここまで俺に教えてくれたのだ?」

 「…………貴方は自分を鬼だと言った。僕は鬼だ。鬼は鬼を食わない。襲わない。だから教えた。それだけ」

 「そうか」


 嘘だ。解っているんだろ貴方も。


 「なんで、突き飛ばさないの」

 「されたいのか?」


 黙って僕のなすがまま。迷った末髪と背に触れる掌。それに疑問を唱えると疑問で返された。

 寡黙で不器用な男は、こうしていることについての理由を話したりしない。自分自身も何かに飢えているのだと、僕に語ることもない。 僕も自分の話なんか出来ない。だから、他の何かを欲しがるんだ。こんな風に。

 飢えている。お腹が減って死にそう。そんな気持ちはよく知っている。あの山で、何度もそれを体験した。

 どうして僕は此奴と一緒にいるときに、あの飢餓を思い出すのだろうか?この男も鬼だから?レーヴェはまだ鬼じゃないから?だからこんな気持ちにならないの?

 お腹が減った。もっと満たされたい。よく分からない何かが欲しい。宴会でもする?だけど今は桜がない。違う宴会はこの男の好むところではないだろう。僕とこいつの宴会は、どんな物?真面目なこの男は僕に飲酒を許さないだろう。僕は鬼なのに。


(お腹、減ったなぁ……)


 じっと視線を上げる。赤い眼とかち合った。その刹那、何かが聞こえた。密着していたからこそ、大きく聞こえた。

 それは虫の羽音。何の虫かというと……腹に住んでいる。


 「双陸、格好悪い」

 「……………お、鬼とて腹は減るものだ」


 視線を逸らすその男。机の上には大量の書類。馬鹿。仕事優先で食事睡眠をしっかり取っていないんだろう。我に返れば目の下の隈が酷い。今まで僕はこの男を何らかのフィルターを通して見ていたらしい。


 「食べたい物ある?こう見えても料理は得意だよ」

 「作れるのか?」

 「僕も僕で苦労してたんだってば。須臾のところに来るの毒入り料理ばっかだろ?」

 「……ああ」

 「僕は三大欲求は素晴らしい物だと思う。特に食は神聖な物だ。その食事という行為を汚すことは許せない」


 だから僕は食事での毒殺は行わない。それから兵糧攻めも絶対に行わない。食べられないのは本当に辛いことだから。


 「僕が須臾を殺すまで、須臾には健康に生きて貰っていないと意味がないんだよ。弱った男殺しても、僕に箔は付かないから」

 「……つまりなんだ。お前は須臾様に手料理を振る舞っていたと?それも我が君を哀れんで?」

 「なんだよ。何笑ってるんだよ」

 「面白いな、お前は」

 「は?……僕が面白い、だって?」

 「我が君がカーネフェルまで攻め込む気力を取り戻したのは……確かにお前のお陰なのかもしれんな」


 僕が並べた食事達。それに双陸が微苦笑。


 「王は幼少より毒を食らい続ける。こんな温かな食事を毎食用意されてみろ。王がお前を寵愛するのも致仕方ない」

 「どういうこと?」

 「これほど美味い食事を口にしたのは俺も、何年ぶりか解らない」


 レーヴェより回りくどい。そういう褒め言葉。

 なのに、どうしてだろう。じわじわと心に迫るんじゃない。耳から入った途端、僕の中で強く大きく響く。


 「そっか……」


 よく分からないけど僕は、やっとこの男に借りが返せたような気がして力が抜けた。それを見た男は、カーネフェル風の部屋の一角に作った座敷スペースに僕を手招く。


 「お前も空腹なら、此方に来い。一人の食事は味気ない」

 「……宴会、宴ってこと?」

 「ふむ、鬼は食事を宴と呼ぶのか。覚えておこう」


 だし巻き卵と炊きたての白米。レーヴェの所に漬けて置いた沢庵を少し転送。麩と豆腐と大根の味噌汁。焼き魚、煮魚。煮物と夏野菜の天麩羅。

 宴と呼ぶにはささやかだ。それでも食欲をそそる匂い。僕が作ったんだもん当然だ。言われるままに僕も座敷に上がり込む。


 「では、日に三度もお前達は宴をしていたのか」

 「うん、山ではいつもそう。朝から晩までどんちゃん騒ぎ、本当に楽しかった……」


 「精霊って知ってる?カーネフェルでは妖怪のことをそう言うんだ」

 「聞いたことはある」

 「でも、本当は別の物なんだ」

 「別の物?」


 シャトランジアから始まる聖教会の信仰は歴史が長い。だから多くの人が知っている。認識されているから概念として消えることはない。だから精霊は滅びない。

 同じく元素の塊でありながら、妖怪は違う。


 「タロックは宗教という物の歴史が浅い。王への恐怖信仰が強すぎて、霞んでしまうんだ。だから妖怪には滅びがある」

 「滅ぶとどうなる」

 「また元素に返る。意識とか個性とか、記憶とか……存在がなくなる。僕の仲間はそういう風に、殺された。僕一人の信仰じゃ助けられなかった」


 ご飯が美味しい。なのに不味くなるような話……だとは相手は言わない。あれがどう美味いだの、これはどう出汁が効いているだの実況を交えつつ僕の話を聞いている。僕と僕の料理、どちらも蔑ろにはしないでいてくれた。

 絶対にこいつには話せないと思っていた。そんな言葉が勝手に口から溢れ出す。奇妙な感覚。それは此奴も鬼だから?そういう怪異なのかこの男は?


 「僕が立派な鬼になって、信仰を集めれば……またあの山に妖怪は生まれる。僕はそんな怪異と共にありたいだけなんだ」

 「エルス、あの方も鬼にしては貰えないか?」

 「え?須臾?」

 「あの方が鬼ならば、お前の願いも容易く叶う」

 「でも、一国の王を鬼だなんて噂、物語を語るなんて風評被害も良いところだよ」

 「今更我が君の評判がこれ以上下がるとは思えない」

 「……意外と言うんだね貴方って」

 「いや、俺は唯……あまりにもこれが美味いので、あの方がここにいて、食べていただけたならと思っただけだ」

 「ああ、そういうこと」


 自分ばかりがこんな料理を食べていて良いのかと、まったくこの忠臣は。


 「いいよ、そういうことなら、須臾も鬼にしてあげる」


 向こうに戻ったら、須臾にも同じ物を作ってあげよう、久々に。

 レーヴェだけだと思ってた。


(だけど……喜んでくれるんだ)


 不思議な気分。見知らぬ感覚。温かい日溜まりの温度。すぐに冷える血だまりのそれとは違う。いつまでもぽかぽかと……僕を妙な気持ちにさせるのだ。

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