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22:Exoriare aliquis nostris ex ossibus ultor.

 キラキラ光る金色の髪と、森の緑と、海の青……それを瞳に映した人間は、人を哀れみ、人を見下し、人を差別し、決めつける。奴らは俺を鬼だの悪魔だの言うが、俺からすれば奴らの方が化け物だ。


 「意味わかんねーし」


 俺は生まれた時から男の格好させられて来た。タロックじゃそれが普通だ。タロックで女として生まれることは、親からすれば良いことだが、本人からすりゃそうじゃねぇ。

 それでも俺は幸せ者だ。同じ売り飛ばされるでも違う。

 俺の親父とお袋は、俺のために俺を売り飛ばした。女として大金を得るためじゃない。俺の自由を願って俺を端金の男として売り飛ばした。

 多くは望まない。唯、生きて……本当に心から愛せる相手と出会えるようにとそう願ってくれたのだ。いまいちそういうの、よくわかんねーけど。だけど嫌いなものは簡単だ。すぐに解る。俺が嫌いなのは俺を嫌いな奴だから。目を見ればすぐに解る。だから人間以外は結構好きだ。目に嘘がねぇ。


 「異国の少女よ。何故お前はそのように己を偽る?」

 「俺様は俺様だ。それの何が悪いんだよ」


 ある日、聖教会を名乗る爺が俺の所に現れた。カーネフェルに来て始めて言葉が通じた相手だった。だけどその爺は話が通じなかった。


 「神様って何だよ。そいつに祈れば腹一杯食わせてくれるのか?違うだろ」


 俺は祈った。願った。それでも何も変わらなかった。幼心に学んださ。そんなものいやしねーんだ。

 幼なじみから離され乗せられた船が沈んで気がついたらこの大陸に流れ着いていた。助かった幸運を喜ぶよりも、俺は異国での暮らしに戸惑った。なぜなら言葉が通じない。

 食い物を分けてくれとか言っても話にならない。タロック人に何の怨みがあるのか知らなねぇが、奴らは俺に石を投げてくる。固くて食えたもんじゃねぇ。だからその日も俺は腹を空かせていた。機嫌も悪かった。だってその爺俺に手土産の一つも持って来ないんだ。喋るのって体力要るのに。


 「女の身でありながら男の衣服を身に纏うなど正に悪魔の所行」

 「いや、本気で意味わかんねぇ」


 田舎ほど偏見っていう奴?酷いんだよな。俺も知ってる。タロックでもそうだぜ。子供の頭でもおかしいって思うことがおかしいって思えない大人が大勢いる。この金髪族の国でもどうやらそれは変わらないらしい。


 「つぅか俺が何処で何してようと別にあんたに関係ねーだろ」

 「良いか悪魔の子よ。この世は須く主の物であって、何処で何をするにも規律と戒律という物が」

 「わけわかんねぇ」


 こんな山奥でひっそりしてる分にも文句言いに来るとはよっぽど金髪族って暇なんだな。


 「いい加減にしてくれよ。これ以上俺の昼寝邪魔するってんならぶっ飛ばす。死にたくなかったらさっさと帰れ」

 「改宗の意思無しか、これは救えん」

 「俺が何時あんたに助けてなんて頼んだんだ?」


 俺が肩をすくめると、ぶつぶつとその老人は文句言いながら山を下りていった。

 そのすぐ後だ。その日の夜か?寝ている俺が燃えるような暑さで飛び起きたのは。


 「レーヴェ……」


 飛び出した山小屋。その外には傷ついた俺の友達。

 心細い草原で、俺はこいつと出会った。豊かな黄金の鬣は、金髪族のそれに似て……それでも奴らとは違う。あの頃のこいつはそんな鬣はまだ無くて、ちょっとでかい猫みたいなもんで。怪我してたんだよな。親が毛皮を狙われて……殺されて肉だけになってて、それを他の動物に食い散らかされていた横に、あいつは転がっていた。そいつも腹減ってるだろうに、絶対食べないんだ。なんだかほっとけなくて、盗んできた鶏を一緒に食った。怪我が治る頃にはすっかり意気投合して友達になってた。いいや、家族だった。

 その家族が……もう動かない。金髪族に、殺された。


 「さぁ、悔い改めろ!悪魔!」


 教会兵器を掲げる老人。俺にはお前が悪魔に見えた。松明掲げた村人達も同じだ。


 「許せねぇ……」


 怒りで呼吸が荒くなる。俺の黒い目が見据えるのは奴らの姿。それが次第に大きくなっていく。いや、違う。俺が近づいているんだ。


 「ば、化け物っ!」

 「ええい!怯むなっ!」


 俺には武器がない。だから思い切り引っ掻き噛み付く。奴らの手から落ちた松明を奪ってそれで連中を殴りつけて火で焼いた。半数くらい片付けたところか。聞き慣れない音が響く。あの老い耄れが手にした教会兵器だ。それに足を射抜かれた。血が一杯出た。痛くて動けねぇ。それを良いことに連中は袋叩きだ。

 意識がもうろうとしてくる。それでも負けるわけにはいかない。俺は腹の底から咆吼っ!全てを怯ませる。そのうなり声が俺に最後の力を奮い立たせる。袋叩きってことは、近くに敵がわんさかいるってこと。つまりはさ、殺し放題って訳だ!奴らの方から俺に近づいて来てくれてるんだ、簡単なことだよな。馬鹿な奴。逃げれば良かったのに。


 *


 「君がここらで噂の鬼?」


 綺麗な鈴のような声の後、ふわと空から舞い降りる影。その少女は俺が今まで見た人間の中で、一番綺麗。肩で切りそろえられた流れるような黒髪を、結うは赤い絹のリボン。桜色の瞳が春を思わせる。

 陶磁器のような雪のようなその白い肌に手を伸ばせば、解けて消えてしまうんじゃないか。そん躊躇いを覚えるほど、そいつは綺麗だった。空から天女が舞い降りた。あの日の俺はそう思った。それは死神だろうか?あんな綺麗な死神さんに看取られ死んでいけるなら、俺は十分幸せか。そう思ったが腹が減っていた。辺りの死骸を食う気は無かった。だって食ってやったら供養になるだろ?俺は供養してやる気もなかった。

 俺が食ったのは俺の友達、レーヴェだけ。唯意味もなく殺されて死なれるなんて俺が許せない。その死を無駄にするものか。焼けた山。焼けこげた友達。泣きながら俺は食った。それでも腹は膨れねぇ。胸はすーすーと風吹くように満たされない。


 「食べてみる?」


 その綺麗な人はそう言って俺に妖しく笑みかける。こんな綺麗なんだ。あんなクソみてぇな人間共よりきっと美味いよな。そう思って捕まえて……噛み付こうとして、我に返った。だってあんまりにも綺麗だから、食うのが勿体なくなった。間近で見たら本当に可愛いんだ。あんまりにも可愛いもんだから、頭がくらくらして俺は……気を失った位だ。

 俺が目を覚ますとそいつは俺に食事を与えてくれた。久々の人の手料理。涙が出るほど美味かった。

 エルスは俺に仲間をくれた。エルスは俺に居場所をくれた。感謝してもし足りねぇ。毎日24時間ぶっ続けで一生お礼を言い続けることで、こいつを俺の傍に留めることが出来るなら、俺は喜んでそうするよ。

 俺は俺の両親が願った物が目の前にあるのだと理解した。こいつが欲しい。俺はこいつを手に入れるためにはるばる海の向こうに流されたんだ。

 こいつが狂王の物だっていうんなら、俺が王を殺してやるよ。そしてお前を奪ってやるんだ。王を殺したいって言うお前のための力になる。

 だってエルスは俺の名前を当ててくれた。俺の友達と同化した俺を言い当てた。すげーと思ったよ。お前なら俺のことを、何でも解ってくれる。何でも受け入れてくれるって、そう……信じられたんだ。だから俺がお前を解ってやりたい。何もかも。お前が鬼でも妖怪でも何でも良いんだ。俺がお前の全部を受け入れる。それが愛ってもんだろ、なぁ親父?そうだろお袋?俺はエルスを愛してる。戦う理由はそれで十分。エルスのためだ。あいつを手に入れるためなら俺は、国くらい、幾らでも沈めてやるぜ。


 「さて、そういうわけだ野郎共!大仕事だぜ」


 みんなろくでもない奴らだが、エルスに感謝してるって意味では俺達は仲間だ。エルスに着いていけば欲しい物は何でも手に入ると、俺達は知っている。


 「アロンダイト領、だったか。随分水で東に流された、生き残りがいても俺達に向かって来る気概のある奴はいないだろう。」

 「ん、なんだてめーは」

 「夫の不在を預かる身として、私はあなた方をこの領地に入れるわけには行きません」


 現れた金巻き毛の少女。それが手にするは漆黒に金の装飾が施された美しい銃。あの日見たそれとは色が違うが、教会を意味する十字が刻まれている。


 「その武器……お前教会の人間だな」

 「あら?唯の預かり物でしてよ」

 「どうだかな。まぁ、邪魔するんなら誰が相手でも容赦はしねぇ」


 *


 「神子様……どうかご無事で」


 定時連絡が入らないと嘆く声。シャトランジア第一聖教会。そこで待機を命じられていた少女がいた。彼女は本当に僕を心配してくれていた。長い青髪、修道女の衣服に身を包んだ混血児。

 イグニスは、目を開ける前からその声を聞いていた。


 「イ……っ、み、神子様っ!」


 寝台から身を起こす僕に抱き付いてくる少女は、自分がしたことに気付いてさっと飛び退き顔を赤らめる。


 「ご無事で、何よりです」


 涙を拭いながら彼女はぺたんと床に座り込む。安心して緊張の糸が切れたのだろう。僕はこの子が苦手だ。嫌いではないが、彼女の真っ直ぐすぎる好意は少し、アルドールに似ているから。


 「敵に誤解させるために、わざとギリギリまで攻撃を受けるだなんて……あんな策っ、策でもなんでもありませんっ!」

 「心配かけたなら謝るよ。だけど僕は、負ける賭けはしない。僕は何時だって勝って来た。そうだろう?」

 「……はいっ、神子様」

 「まぁ、……この様子だと僕は無事にシャトランジアまで飛べたようだね」

 「はい」

 「……シャルルスは?」

 「神子様が助けた数名と共に、無事カーネフェルに到達。以後ブランシュ領の警備を」

 「マリアージュは?」

 「引き続きアロンダイト領の警備を」

 「不味いな」

 「不味い……ですか?」

 「マリアージュの数術能力は貴重だ。しかし……」


 彼女に戦闘能力はない。正確には、今の彼女には。今は非力な少女に化けている。

 他に渡している情報は、まるきりの役立たずの情報。使い所が違う。彼女の能力は少々特殊で、そんなに簡単にいろんな者になったり戻ったりは出来ない。役者と同じだ。台本を熟読し役作りをし、台詞を暗記、物語の背景を知って……ようやく役者は出来上がる。そして同時進行でこなせる役は二役まで。


 「アロンダイト卿ヴァンウィック……彼はどうしている?」

 「アロンダイト領からブランシュ領に移動しました」

 「……あれほど離れるなと言ったのに」


 ヴァンウィックの傍に配置したのは、あの男はカードではなくとも力は確か。それにマリアージュの教会兵器が合わされば、カード相手でも戦える。それはあの男にも僕は教えていたのに。


(ランス様の心を折らせないため、彼女に化けさせたのが仇となったか)


 真実を知ればあの親子の溝は埋まることなどないだろう。それは僕が困る。彼の婚約者が、セレスタイン卿同様……自分の父親に殺されたなどランス様が知れば、彼のスイッチが入ってしまう。まだ、彼に狂われては困るのだ。カーネフェルにはまだ、彼の力が必要だ。


(ならば……)


 方法はあれしかない。


 《マリアージュ、攻撃は威嚇に留め、北へ向かえ。領主の屋敷には僕が数術結界を張っておいた。ブランシュ卿程度の数術、どうにでもなる。山賊共を屋敷前まで誘い、籠城に徹して下さい》

 《えー、妻としての役目が》

 《役者は結構、だけどマリアっ……君もいい加減本業を思い出せ!まさか本気でランス様に惚れてやいないだろうな!?》

 《神子様のどけちー!了解しましたわ》

 《シャルルス!今に其方にも波が来る。だが……タロックへの威嚇にもなる。君に預けておいた教会兵器の使用を許可します》

 《ですが》

 《僕の最も信頼できる人……カーネフェル王を信じて欲しい》

 《神子様……》

 《……シャル。君の名前はあの腐れ爺国王と被ってて苛つくんだ、これ以上ぐだぐだ言うなら君の部屋の女装衣装全部焼き払うけど?どうする?》

 《ひぃいい!了解しましたっ!あとコードネームくれたの神子様なのに酷いっ!でも愛してるっ!絶対今度女の子の格好させてやりますからねっ!》

 《女装なんかごめんだよ》


 少なくとも今は彼女である彼女と、彼女ではなく本来彼である部下に指示を出し、やれやれと息を吐く。疲れた。変装上手の部下は公私混同ぶりが目立つ。お願いじゃなくて、命令じゃないと僕でも操縦出来ない面々が多すぎる。

 シャルルスめ。カーネフェル人の男は目立つ。度々女装させて任務に当たらせたのは確かに僕がしたことだ。だけど本格的に目覚めなくても良いじゃないか。

 マリアージュもマリアージュだ。役に入り込みすぎている。もう少し冷静な役を与えるべきだったか?しかし……生きている人間を演じさせるのは、何かと面倒事が多い。あれは仕方のないことだ。


 「神子様っ!?」

 「っ……!」


 起き上がりすぐにふらついた僕に、彼女は駆け寄ってくる。その手から伝わる思いは僕には刺激が強いんだ。


 「……大丈夫。念話数術を使っただけだから」


 だからをそれを振り払い、僕は行くべき場所へと向かう。


 「神子様っ!その怪我はっ!まだ手当も満足には……っ」

 「その必要はないよルキフェル。これが動かぬ証拠だ。これから王に会いに行く。君はここで待て」

 「でもっ!」

 「……僕に命令されたい?」

 「……いいえ、行ってらっしゃいませ、神子様」


 君たち運命の輪。僕の手足。任務では道具として使う。だからこそ普段は最大限、人間として接したい。それが死に行く彼らへの僕なりの手向けなのだ。


 「ああ、行ってくるよルキフェル」


 都は第一聖聖教会の総本山とは違う場所にある。だから僕はメルクリウルス港から城のある都まで飛ぶ必要があった。なら最初から都に飛べばいい……とは限らない。あまり知らない土地へ行くこと。遠距離を飛ぶこと。それは僕であっても負担が大きい。船で行けるものなら行きたかったが無理だった。

 実質僕が空間転移を発動させたのは二度。一度はランス様一人を飛ばし、二度目は僕自身を飛ばした。船に囚われていた兵など最初からいなかったのだ。僕が見せたまやかしだ。それでも数術使いのランス様とエルス=ザインを欺くとは、僕の視覚数術もまだまだ捨てた物じゃないらしい。


(まぁ、英雄的なあの騎士様なら、ああすれば動かざるを得ないだろう。必死に戦ってくれるはずさ)


 二度の遠距離移動は流石に応えた。かといって便利な教会兵器を表舞台に持ち歩くわけもいかない。敵の目に留まってはいけないのだ。万が一でも奪われればとんでもないことになる。数術は誰にでも使えるものじゃない。だが、教会兵器は……本当の教会兵器はそんなものじゃない。使い道を間違えれば取り返しが付かない。恐ろしい物なんだ。


(アルドール……)


 僕は、君を信じてる。君ならきっと、大丈夫。

 僕が隣にいなくても……君はちゃんと、戦える。

 意味がないんだ。僕がやるのは。君がやらなきゃ意味がないんだ。君の力で勝ち取って、初めてあの国は……この国は、生まれ変わるんだから。


(僕の仕事は、君を信じること)


 傍にいられない日が来ても、それは変わらない。だから僕は、僕の仕事をする。

 数術での移動は出来る。寿命を減らしても良いなら可能だ。だけどそれでは意味がない。本当は移動した方が早いのかも知れない。こうして都まで、護衛も無しで徒歩で歩くのは……幾らシャトランジアでも危険なことだ。だけど僕は自分にルールを科す。都に着くまで、数術は使わない。

 まずは視覚数術、触覚数術で僕の身体を男に見せる。後は僕の身元を証明する十字架。その成分を数値化。体内に取り込む。これで最後。これから暫く僕は唯の子供だ。

 今の僕には世界が見える。かつてちゃんとは見えなかった空の色も、海の色も、君の顔も解る。それは僕が僕ではない何よりの証。君を裏切っている、騙している証拠。だけど君はそれでも良いと言ってくれる。いつか僕の嘘を曝いてくれると約束してくれた。だからいつか、僕まで……ここまでおいで、アルドール。僕はここにいなくても、僕は君を待っている。


 「何だあの、薄汚いガキは」

 「怪我してるのかしら?」

 「ほっとけ、ほっとけ」


 「あいつ、混血だ」

 「まぁ、混血ですって!?混血なんかが昼間から偉そうによくもまぁ往来出来た物ね」


 「あのガキ、薄汚れているが身なりは良い」

 「女か男かよくわかんねぇが、顔は悪くない」

 「売り飛ばしたら金になるんじゃないか?」

 「やめとけ、バレたら大変なことになる」


 あの日から、何も世界は変わっていない。今日もまた、醜く薄汚れている。

 世界は鏡だ。人の心を映す鏡だ。今日という日が美しいと思えないのは、そこに暮らす人々の心が醜く、その世界を見つめる僕の心が貧しいからだ。

 それでも言おう。やはり世界は醜悪だ。


 「けっ、金目のもん何も持ってねぇ!身なりは良い癖に」

 「ちょっと待て、こいつ教会の聖職者か?やばい、さっさと逃げるぞ」


 「お嬢ちゃん、酷い怪我だね。ちょっとうちで休んでいけよ……おい!無視かよ!?」

 「……っち、その顔で男か。とんだはずれクジ引いちまった。紛らわしいことすんじゃねぇ!今度やったら殺してやる!」

 「災難だったね坊ちゃん、もう辺りも暗くなってきたからうちに来ると良い。っち、五月蠅い!さっさとこいつを馬車に詰め込め!逃がすな!追えっ!」


 「あの走ってる子供、混血だわ!」

 「まぁっ!不吉っ!」

 「混血は街に出てくるな!聖水臭ぇ教会か、薄汚い移民街にでも帰れよ」

 「お前ら、もっと石を持って来い!混血なんかにこの街を歩かれたら堪らん!」



 絶望したかと奴は聞く。僕は答える。消え失せろ。


(五月蠅い、零の神)


 希望は何かと奴が問う。僕は答える。見て解れ。


(黙れ、壱の神)


 *


 「イグニス、ほら」


 何時だっただろう。彼と出会って半年くらいした頃だろうか?

 僕は手を差しのばされた。


 「何?」

 「ギメルが裏庭と森で遊ぶのに飽きたって言うんだ。ちょっと街まで遊びに行こうよ」

 「本気で言ってるの?」

 「大丈夫、ほら」


 きちんと結われた髪をボサボサにして、アルドールは僕らと遊ぶ時用にって、僕に多めのお金で買って来させた平民用の服に着替えている。確かにそうすれば貴族だとは思えない。


 「そんなに出掛けてバレないの?」

 「今日は世界名作全集全24巻を読みたいからって理由で部屋に引き籠もってるんだ」

 「感想聞かれたら?」

 「昨日のうちに全部読んだ」

 「君って馬鹿?」


 意味が分かっていないらしい彼に、もう一度同じ言葉を繰り返す。


 「君って馬鹿」


 ただし今度は断定したが。


 「僕らは街には出られないよ。ギメルは迷ってたまに出て行くけど、街は危ない。迎えに行くのも大変なんだから」


 街は混血至上主義で溢れている。移民に対する風当たりは冷たい。タロック人ほどではないが、混血だってその次に扱いが酷い。基本格式高い、名誉を重んじる腐れシャトランジアの人間達は、よそ者を嫌う。かといって今の社会、集団意識が強いわけでもない。敵愾心だけ残ったまま、社会コミュニティの機能は低下している。

 つまりこの中途半端な金髪族達は、セネトレアの民のようにコンプレックスを持っている。自分たちが真純血だと信じていたにも関わらず、タロック人の血が流れるカーネフェル人の一派に過ぎないことを知ったから。カーネフェル人の目は青か緑。青が劣勢遺伝。

 高貴なエメラルドと語っていた王族貴族の緑の目。それが遺伝的に希少価値など無いと知り、その青目を羨み怨んだ。ありふれた誰かではなく、価値ある自分を人は、親は求めた。誰かに馬鹿にされたくなかった。馬鹿にされることに耐えられなかった。そのためには何だって出来た。

 そもそもカーネフェルの青目の人々を、最初シャトランジアは未開の地の野蛮人と軽んじていた。大昔に島流しにでも遭った罪人の子孫に違いないと。

 しかし遺伝子を調べる内に、それが逆なのだと知らされた。古代シャトランジア人は一度カーネフェルの文化を全て焼き払い、女子供を残して殺した。そしてその血を取り入れて、高貴なサファイア、青目を手に入れようとした。

 生き残りの幼い子供、幼い赤子。それを王や貴族は我が子として迎え入れ育てる。何代も続いた家の血を途切れさせてでも、青い瞳が欲しかった。

 そこまでした奴らだ。プライドが無駄に高い。この国の先祖は歴史を無かったことにしたろくでもない奴らなのだ。

 そして現代にそれを語る書物はない。歴史は嘘偽りが刻まれたまま。過去にそれを改訂した数術使いもいたが、人は彼や彼女を糾弾し、嘘偽りで彼らを貶め、再び嘘の歴史を掲げ始める。だから今はもう誰も言わない。皆、自分の命が惜しいのだ。

 だけど僕は知っている。だから血を重んじる無知な貴族や純血至上主義がいかに下らないことかも解る。自分たちだってタロックの血が混ざった混血なのに。ただ、その血の度合いが違うってだけ。なのに誰かを馬鹿にするの?見下すの?僕にはそれが解らない。解りたくもないし、許せなかった。


(この男は、そんな醜い世界を見て、同じ綺麗事が吐けるだろうか?)


 人は同調する。多数決に流される。お前もきっと……そうなんだ。

 一人が石を投げるなら、お前は僕らを庇うだろう。だけど二人三人、お前は迷うだろう。五人十人、お前の心はもう遠離る。百を越えたらお前は僕を友達だなんて言えないはずだ。

 世界は、万物は数字で出来ている。人はそういう数字に流され生きる、薄情な存在なのだから。


 「いいよ、もし僕らが苛められたら君が僕とギメルを守ってくれる?」


 約束してくれるなら行っても良い。僕は確かそう言った。

 君は笑って僕の手を取った。


 「うん、約束する!」


 僕はそれを鼻で笑った。出来もしない約束するんじゃねぇよと。裏切られることを、期待していた。君を見限りたかった。お前もその程度の人間なのだと、烙印を押したかった。ギメルを守れるのは世界に僕一人。僕の心を守ってくれるのはギメルだけ。僕らの世界は二人で完成されている。第三者など要らない。排除する。僕からギメルを奪う君を僕は排除する。


 「混血が街なんか歩くなよ」

 「この人間擬きっ!」

 「お前らの仲間ってさ、海の向こうじゃペットにされてるんだろ?」

 「ほら、御手!御手も出来ないのかよ馬鹿犬!」


 妹の手を握る僕。その手に汗が滲む。手の震え。それがどちらのものかわからない。先程まで楽しそうにショーウィンドゥを眺めていたギメルも何も発さない。

 街に迷い込んだギメルを僕は探しに行く。殴れば相手に更に理由を与えてしまうから、僕はただ睨み付けるだけ。彼女を石から庇うのが精一杯。数術で弾き返せばそれがまた不気味がられるから、ぶつかる寸前にその物質を柔らかい物質へと変換、ダメージを弱める。そして地面に落ちる前にまた硬質化。相手の気の済むまでそれを繰り返す。


 「な、お前ら本って読むか?」

 「は?」

 「歴史の中には復讐の法典ってのもあるらしいよな」


 アルドールはにこりと笑って、漬け物石大の大きさの石を携えている。


 「な、何だよお前!脅すつもりか!?そんな石、怖くなんか…」

 「俺、石マニアなんだ」

 「は?」

 「君たちの持ってる石、一個100シェルで買い取らせてくれないかな」

 「は?」

 「頼むよ!庭先に砂利道作るのに良い石集めててさー」


 よく分からないまま子供達の手から石を奪い、代わりに貨幣を握らせていくアルドール。

 確かになんの儲けにも成らない移民苛めと、お金。どちらが美味しい話?何の俗物な子供達は計算の結果、どちらが得かを判断する。

 言いくるめられた子供達は、思わぬ小遣いが手には入って混血虐めなんかするよりお菓子か玩具でも買いに行こうとその場を立ち去った。

 金に物を言わせた勝利だった。


 「よし、俺の勝ち!」


 アルドールは満面の笑みを浮かべ、空いている方の僕の手を掴む。


 「……馬鹿だこいつ」

 「何だよ、守ってあげたじゃないか」

 「守り方が格好悪い」

 「ええ!いいじゃん、無血解決」

 「もっと大勢現れたら?」

 「もっとお金をばらまく」

 「お金が無くなったら?」

 「質屋に駆け込む」

 「身包みなくなったら?」

 「セネトレアに行って臓器売ってくる」

 「どうしてそこまでするわけ?」

 「そんなの、友達だからだろ?」

 「あははは!」


 僕らの会話に突然ギメルが笑い出す。あいつらが来てから何も言えなくなっていたギメルが。


 「アルドール、格好良い」

 「そ、そう?」


 僕の手を離し、アルドールのもう片手を掴みに行くギメル。僕は失われた片手の温度に酷く焦った。

 二人の笑い合う温度。その意味が分かる。僕がギメルに捨てられる。僕はここにいるのに、僕がここにいない。僕とギメルの世界が、彼に奪われていく。嫌だと手に力を込めれば、何?と僕を心配そうに見つめるアルドール。

 こんな僕の気持ちなんか何も解らない癖に、僕の心配なんかしないで欲しい。掴まれている彼の手を振り払って、ギメルのもう片手を求めに行った。

 君と過ごせば過ごすほど、僕は僕を見失う。解らなくなるんだ。最初はギメルを奪われたくなかっただけ。それが次第に君を好きになっていく。僕が怖いのは……僕だけ置いて行かれること。おまけのようにそこにあること。

 君は僕が好きなんじゃない。ギメルが好きだから、その小姑の如き僕に気に入られようと必死なんだ。

 あの日感じた恐怖は二つ。僕だけの妹が、彼に取られてしまうと言う恐怖。それだけじゃない。僕は君が怖かった。どんどん僕の内側に入り込んでくる。君は普通じゃない。

 君に気を許したらいけない。その瞬間、そいつは僕を投げ捨てる。あの男と同じだ。母さんを傷付けただけの男と同じだ。利用して、用済みになれば捨てる。僕って何?僕の存在って何?僕はギメルのために生きている。そのギメルは僕の代わりを見つけた。僕って、何のために生きているの?僕は何のために生まれたの?

 それが解らなくなる。アルドール。そいつのせいで、僕はここまで苦しめられる。


(本当は、解ってる)


 君は僕を見捨てない。だけど僕は……君を信じられなかった。知っているんだ。予言の言葉が僕に囁く。この男は僕を僕らを裏切らない。だけど、世界は人は僕らを裏切る。僕の心が壊されていく。だから彼が裏切らなくても僕らは、彼の傍にはいられない。それを強く確信した出来事だった。

 その日のお礼という名目で、僕らの移民街に彼を連れ出したのは……僕が彼を恐れたからに他ならないだろう。

 苦しめられたくない。君なんかのことで、何も悩みたくはない。

 僕は頭の先から足の踵爪先まで。その全てがギメルのためにある。髪の毛一本たりとも違う。彼女以外にあり得ない。勝手に僕の中に入ってくるな。僕の世界を広げるな。壊さないで、放って置いて、そっとしておいて。何も知りたくない。何も聞きたくない。僕は今手にしている物に満足している。これ以上を望まない。だからこれ以上を奪われたくない。


(だから、君は要らない)


 ずっとずっと、そう思いたかった。


 *


 見上げた空では、月が僕を見ている。嗤っているようだった。

 旅の一日目。気が付いたら僕は道に寝転がっていた。綺麗な夜空を見上げていた。財布はなくなっていたし身体に傷が増えていた。向こうは殺したつもりだったんだろうな。


(やれやれ、酷い目に遭った)


 それでも、こんなものか。そう思う。よくあること。それはよくあることだった。それを酷い目だと感じるのは、ここ暫くの僕が、幸せすぎたからなのだろう。


 「アルドール……」


 僕は知ってるよ。平和。これが、平和。

 みんな目を逸らす。見てみない振り。

 多数決に従い、あるいは金の数に従い僕を追いかける。

 下らなさすぎて、泣けてきた。こんな物のために、僕は命を磨り減らして……大事な部下を何人も犠牲にしたのか。


 「零の神……それに道化師。お前の言うことも解るよ」


 一度壊してしまえ、何もかも。こんな醜い世界全て焼き払ってしまえばいい。僕だってそう思う。

 だけど、アルドール。君の優しさに触れて僕は……人をこの世界を信じてみようと言う気になった。

 シャラット領で、君は燃え落ちるシャンデリアから僕を庇った。弱い癖に、自分を犠牲にして誰かを守ろうとする。君は何時も、力尽くではない選択肢。君が無理矢理何かをしたことなんてこれまで一度もないだろう。今の君は怖くない。だけどその自己犠牲が僕は怖い。恐ろしい。


 「僕には……君と同じ事が出来ない」


 僕があの日の君と同じ解決法を取ることは不可能だ。立場がある。君と同じやり方で、僕と同じような混血、移民は救えない。


 「だから僕は、君と同じ事は……しない」


 神子という身分、優秀な部下、そして僕自身の数術。それがなければ僕は、こんなにも小さい。数術を使えない僕は、とても小さな存在で、何も出来ない。命を食い潰してでも奇跡を起こす。だから僕に価値は生まれる。

 君みたいに何も出来ない。だけどそこにいるだけで、誰かを救える人は幸いだ。僕はここにいるだけでは、何も出来やしないから。


 「もう……行こう」


 誰に嗤われても僕は、これ以上立ち止まっているわけにはいかない。勿論無駄なことはしない。これは意味あることなのだ。

 スリに遭うわ、ナンパされるわ、誘拐されそうになるわ、石投げられるわ、殺されかけるわ散々だったが、丸二日……眠らずに歩き続けて都に着いた。


 シャトランジアには派閥がある。僕の治める教会に従う教会派と、王の統治下にある国王派。アルドールの養子先トリオンフィ家は国王派。そこの娘であるアージンさんが聖十字に入ったり、フローリプさんが礼拝に来たりとそこまでの抵抗は無い程度の、代々そうだからっていう表向きの国王派。そういうどっちつかずの層が多いのが現状だ。だから僕が兵を集めようにも、士気が足りない。この国には危機感がない。

 僕のために戦ってくれるのは、どっぷり宗教にのめり込んだ狂信者くらいだが、正直戦力として宛には出来ない。特攻捨て駒隊くらいだろう。

 しかし、国王のために命を投げ出せる民もまた少ない。聖十字だって、正義を心に持っている者は故郷を奪われたカーネフェル人、狂王の迫害にあったタロック人の何割か。大多数は格式を重んじる腐れ宗教国の移民差別により就職先が無かったとか、給料が良いからとかそんな理由で組みしている連中。本気で国を守ろうという気概など無い。

 だけど僕は預言者だ。僕は未来を知っている。悪い未来を回避する術を持っている。だけどそれって、僕が嘘を吐かないことの保証にはない。悪い未来を避けるということは、結果的に僕は見知った預言を外すと言うことなんだから。平和とは僕の信仰が失われること。信仰を甦らせるには、多少の危険が必要だ。

 安穏と暮らす愚か者共の目を覚まさせるためには、身の危険を教えてやらなければならない。その上で僕なら力になれると言うことを、たっぷり教え込ませなければならない。


(カードならある。幾らでも)


 部下達が必死に世界を巡ってくれたお陰だ。僕は王を揺する切り札がある。今に見ていろ。

 薄汚れた僕を見ても信じない。十字架を取り出して、ようやく通されたくらいだ。本当に嫌そうな態度で王の下へと案内する兵士達。今に見ていろ、僕に平伏させてやる。


 「二度と顔を見せるなと申し上げたはずだが」

 「言われたのは私ではありません陛下。先代です」

 「……ん、混血か。……ならばお前が噂の次期神子か」


 シャトランジア王は金髪を失った年老いた男。その白髪は、あの王子のそれには似ても似つかない。彼の銀髪には遠く及ばない惨めな色だ。顔も大して似ていない。仕方のないことだけど。


 「そ、その怪我は……」

 「メルクリウルスから歩いてここまで来ました」

 「な、何!?」

 「物騒ですねこの国。何度か死にかけました」

 「……正気とは思えん」

 「私は認めたくない。こんな国が、世界一平和で安全だとか!平等と正義を重んじる国だなんて認めたくない!いいえ……この国だけじゃない」




 「王を即位させた帰り道……カーネフェルの海で、タロック軍に私の船が沈められました」

 「何!?」

 「街の警備もあり私の護衛に人員が割けず、私はこうして歩いて参りました」




 「私と貴方の民が殺されました。よって私はこれをタロックの宣戦布告と見なします。このままでは我々のシャトランジアが、カーネフェルの二の舞です」

 「戦争など認めん。和解も認めん。儂の娘を誰が殺した!?お前達教会と、憎きタロック王っ!!二度とあんな事を儂は繰り返さんっ!!」


 かつて、タロックとカーネフェルを休戦に導いた姫がいた。王女マリーはこの男、シャトランジア王の愛娘。彼女に惚れたタロックの若き須臾王が、彼女との婚姻を望み、それが叶うなら休戦に応じると言った。中立と平和を掲げるシャトランジア。姫はその申し出を受け、家族を捨てた。しかしその先で、彼女は我が子共々殺された。老いた王の嘆きは解らなくもない。家族を失う痛みは僕だって知っている。それでも……

 何のための僕?それは……僕は、シャトランジアが聖教会の神子である僕は、誰に攻撃された?多くの仲間を海に沈められた?タロックは僕をシャトランジアを傷付けた。逃がすものかっ!僕はこの国を変えるっ!その理由を手に入れたっ!


 「……既に都は落ちました。カーネフェル王は北部に逃がしましたが、時間の問題です。時代は変わった。売国奴共の手で、数術も数術兵器もこの国から盗み出されている。世界中を敵に回し、今なおシャトランジアが世界最強に座していられるかも危うい」

 「教会兵器が後れを取るとでも!?」

 「ええ、取りますねっ!兵器は僕らを裏切らない!それでも人は僕らを裏切るんだっ!」


 いっそ数術で人を操り人形にすればそんなこともなくなるだろう。だが、それは人道に反する。正義に反する行いだ。僕は教会は、そんなちっぽけな正義のために多くを奪われてきた。いっそ何もかも焼き尽くして皆殺しにしてしまえば良いんだ。そうすればもう何も壊れない。奪われない。無くさない。


(だけど、それじゃあ駄目だと……僕に教えてくれた馬鹿がいる)


 僕はあの馬鹿を信じる。世界を救う鍵はあいつの中にある。可能性なんだ。あいつだけが世界の……僕の。どんなに困難な闘いでも、やってはならないことがある。だから人は自らに枷を、法を作った。だけど法は奪う物ではなく、守るための物。


(僕らはそれを、忘れてはならない)


 こんな小僧にと思うだろうな老いぼれ。

 だけど大人が、年を食っていれば何もかも正しいのか?


(爺、せめて100回くらい殺されてから吠えろよ。僕はそんなもんじゃない……)


 お前にそういう目を向けられたのが、これで何回目だ?もう数えるのも嫌になるくらい、僕はここから消えて、ここにいる。何年生きた?誇る事じゃない。それは僕の敗北回数。彼を救えなかったという事実なのだから。

 それでも僕は、少なくとも同じ輪の中から抜け出せない貴方よりは、多くを見て、多くを知っている。


 「解りますか王。子を失った貴方と同じ思いを、この国の民が、盟友の民が全く同じ思いをするのですよ!?貴様は親である前に王だろう!民を守らぬ王など王足る資格はないっ!今すぐその座を明け渡せっ!」

 「渡せるものなら渡しておるわっ!だがっ……儂の娘もっ、娘の愛した男もっ!儂は二人の孫まで失ったのだ!今更誰にこの国を継がせるというのか!?誇りを無くした売国奴か!?独裁を望む貴様にかっ!」

 「いいえ、アスカニオス殿下、或いは……那由多王子にです」

 「ふっ……戯れ言を。儂の孫は……もう」

 「生きていますよ、二人とも」

 「何っ!?」


 僕は毎度のように、彼に優しく笑ってやった。希望の糸を垂らすように……罠を仕掛けるように。


 「見せてあげましょうか?」


 僕が数術で映し出す映像。部下から送られた情報群。

 美しい銀髪と紫色の瞳を持った、少女と見紛うような少年。それから長い金髪、深い緑の目を持った一人の青年の姿。前者は混血、後者は真純血のカーネフェル人。それでもこの老人の孫であることに代わりはない。


 「おお、おおっ……これが、これがっ!あああ、マリーに似て……おおおっ、こっちは顔つきなんかアトファスそっくりでっ……まるで二人が儂の所に帰ってきたようじゃ!!」


 そうですね。その所為で向こうは向こうでなんか色々カオスな事になってるんですけどね。でも老人にはショックが大きそうだからまだ黙っておこう。あんなこととか話したらこの爺空気も読まずに単身セネトレアに出撃して討ち取られそうだから。

 感極まって、立体映像に抱き付こうとして爺はそれを擦り抜け……その映像が温度もなく触れられないことに気が付いて床へと倒れる。


 「殺人鬼Suit……それが那由多王子の今の名前です」

 「なんと、あのセネトレアの殺人鬼が、儂の孫だというのか!?しかし、処刑されたと聞いたが……」

 「僕が大事な部下を犠牲にして身代わりにして、彼を助けました。これは貸しですよ」

 「ぐっ……」

 「そして今、彼らの傍に僕の部下を送っています。この意味、解りますよね?僕は貴方に彼らを会わせることも出来るし、その前に殺すことだって出来る」


 愛娘そっくりの那由多王子。それをこの男は失えない。つくづく罪な男だよ、彼。

 その手で抱き締めたい。お帰りと、良く生きていたねとその髪を撫でてやりたくて堪らないのだ。


 「……何が、望みだ?」


 馬鹿な男。この男は王ではない。何時も親……祖父としての自分に転ぶ。一度として王としての答えを選んだことはなかった。今回も例に漏れずそう。これで王手だ。


 「勿論世界平和のために、協力していただけますよね?」

 「……本当に、会わせてくれるんだな?」

 「ええ、約束しますよ。タロックのカーネフェルからの追い出しと、セネトレアを潰した頃には面会も叶うでしょう」

 「……解った。なら、まず何をすればいい?」

 「今の十字法では無理なんですよ。ですから十字法の改正と、国法の改正。議会の解散。教会兵器の扱いは僕ら教会が長けている。戦時下では国王より僕が権限を持つことをまず認めていただきたい。でなければ国も動かせない」


 この国の民は安全を求める。法を守ることは自らの平和を脅かされないことを望むから。どいつもこいつもそんな自分勝手な小さな平和を守るため、他人を犠牲にすることを厭わない。

 だから、犠牲の立場に立たせてやる。それでやっと命の重みを、平和の本当の意味を知るんだ。


 「法律で、民を縛るか。それは狂王のすることと何も変わらないではないか」

 「拝金主義に蔓延る悪徳により信仰が薄れた。人を信仰で操ることは今の時代では不可能です。そして王の権威も既に地に落ちている。民を従えさせるには、もう他に何もありません」


 法律は絶対の正義じゃない。それでもなるべくなら正義の側でなければならないもの。

 見て見ぬ振りをするのが正義だろうか?馬鹿だな。恩を売るのが正義だよ。恩を仇で返すような奴を殲滅するのもまぁ、正義さ。だってそっちが悪だからね。

 こういう考えは、国王派だって持っているはず。そこを刺激すれば御すのも難しくはない。シャトランジアの食料自給率はかなり低い。だからカーネフェルがタロックに落とされることは本当にシャトランジアにもよくないこと。有耶無耶の内にセネトレアに牛耳られれば、シャトランジアからもっと多くの金が奪われる。その金で奴らはこの国を攻め滅ぼすつもりだ。カーネフェルがいてくれるから、この国は安全なんだ。そのカーネフェルが滅んだら、殺されるのは自分たちだとシャトランジアの奴らは解っていない。それを解らせる必要があるんだ。


 「身分も人種も関係ないっ!法律により、一定年齢上のシャトランジア国民の全てを徴兵の対象とします。それが平等というものです。拒むなら身分を剥奪、国籍を奪いそのままカーネフェルに送ります。そうすれば嫌でも今の世界を知るでしょう。そして外の世界をその目に見せてやるんです。自分たちのこれまでの日常が、犠牲の上に成り立つ物であること!それが脅かされていることをっ!」

 「権力を握り世界を牛耳り……神にでもなるつもりか」

 「あんなつまらないものに僕は興味在りません。唯……守りたい物があるだけです。神なんて……あんな理不尽な奴らに、誰が」


 誰が屈するものか。神の手で作り出す奇跡なんてろくでもない。愚かな人が生み出す奇跡の方が余程優れている。


 「安心してくださいよ。僕の独裁は来年まで。今年の12月31日までの話です。戦争もそれまでに終わります」

 「どういうことだ?」

 「予言ですよ。シャトランジアは戦いから逃げられない。それが運命の日です。このまま逃げるならその日に滅ぶのは我が国です。しかしここで戦うならば……それは避けられる運命です」


 そう、それは確かなこと。勝者が決まるのはその日だ。それまでに決まらなければ……何もかもがお終いだ。この神の審判にタイムリミットがあることを多くの人は知らない。常識的に考えるなら簡単なことなんだけど、信仰の失われた現代では、知らない者もまた多い。


 「それで願いが叶うなら、戦争してでもカードを殺したい。それが世界の王の言葉です。陛下……貴方やその近辺にもカードが現れたのでしょう?」

 「…………」

 「間違いなく貴方も狙われます。タロックがシャトランジアも視野に入れているのはそのためですよ」

 「儂は、そこまで命は惜しくない。だが……成長した孫達に一度も会えんというのは心残りだ。会って話がしたい。この手で……抱き締めてやりたいのだ、よく生きていたと」

 「予言します。それは叶えられる願いです」


 その言葉で完全に、老いた王は屈した。王は自身の冠についた飾りを外し、僕へと手渡す。ハート型のそれと、教会トップの僕が持つ十字架と組み合わせて出来上がる、命の十字架。これさえあれば、後は小五月蠅い貴族共も黙らせられる。


 「“ねぇ、アトファス。もしも生まれたのが女の子なら……”」

 「そ、それを何故!?」

 「僕は未来視と過去視が出来ます。だから協力を受けてくれた貴方に一つプレゼントです」


 僕は振り返り、堅物爺に笑みかける。


 「那由多王子の今の名前は、リフル。彼女が残した名前を殿下が与えたそうですよ。その時に、しっかり呼んであげられるよう精々覚えていてください」


 床に蹲る王は泣いていた。国より民より孫可愛さに屈してしまった自分を恥じて、それでも嬉しくて。


 「確かにこの国、お預かりしました。預かった以上、そう悪いようには致しません」

 「……信じて良いのだな、教皇……聖下」

 「ええ。ご安心を、陛下」


 都からの帰り道、僕は王都の教会で身だしなみを整えて……そこに配置していた部下を率いて悠然と歩む。王から借りてきた兵士も一緒にだ。


 「まぁ、なにあの子?」

 「教皇様、ですって」

 「教皇聖下っ!?あんな混血の子が!?」


 「おい、一昨日あの子から金盗んだ奴がいなかったか?」

 「女だと思って襲って、服脱がせかけて、舌打ちして逃げた奴もいたわよ」

 「男だと解った上で追いかけてた変態貴族もいなかった?」


 人々は震え上がる。僕を助けなかったこと。僕に取り入るチャンスを自ら放棄したこと。そして彼らは何のために僕が一人で歩いていたのかを考え始める。

 こういう時、混血に生まれて良かったと思う。混血は基本無駄に顔だけは良いから。


 「僕は悲しい……」


 はらはらと涙を流しながら僕は帰り道を進む。混血に反感を持っている相手をも、ドキッとさせるような泣き顔を僕は作る。混血迫害は妬みから来る部分も大きい。逆を言えば心酔させれば便利な駒が出来上がる。それは紙一重でもあるのだ。

 彼らが僕らを化け物と呼び人ではないと言うのなら、僕らは人以上に悪徳を嫌い、人以上に正義を愛そう。人を慈しもう。そうすればこうやって、僕への信仰が生まれる。

 知ってるんだ。飢えてるんだよ彼らは。金に満たされるほど、心が渇いていく。真実の愛を求める。僕は万物を愛そう平等に。視線一つに貴方を愛していますと囁こう。セネトレアの殺人鬼には及ばなくとも、僕もこの外見と演技力なら似たようなことが出来る。効率よく、もっと上手に。そして奴らは己の罪を知っている。だがそこから目を背けている。

 だからその罪をまず曝こう。


 「きっとこれまでだって、僕と同じような目に遭った人々が大勢いたのでしょう。そんな人々を救えなかったことが、僕は悔しいのです。どうして僕はその時、そこにいなかったのだろう……」


 人は責めない。僕は僕を責める。それが彼らの心を炙り焼く責め苦に変わる。

 お前達はそこにいたのに、何故助けなかった?直接そう問われるよりも、心苦しいだろう。

 だが、敢えて許そう。曝かれた罪。突きつけられたその罪から、救ってやろう。

 無条件に許され無償の愛を捧げられたそいつらは、もう僕の手駒だ。どうせ悔い改めたところでまた罪を犯すだろう。僕に肯定されたい、許されたくなる。君は悪くないと言って欲しくなる、絶対に。


 「教皇様っ!俺っ……俺っ!」

 「聖下!私は……っ!」

 「俺の話も聞いてくれっ!」


 湧いて出る人だかり。それを一人一人相手をし、慰め、叱り、許してやった。

 人は憑き物が取れたように礼を言って帰路に就く。

 あくまで善人を演じる僕。それを疑う者はいない。今日の、そして昨日の一昨日の僕のデモンストレーション。僕は意味のないことなどしない。殴られるなら、蹴られるならば……その痛み以上の意味をそこに持たせる。

 その一連の行動を見ていた、借りて来た兵達。彼らも僕を見、教会派への誤った認識を塗り替えていく。


 「神子は……いや、教皇様は徳の高い方なのだな。あんなに幼いというのに……悟っていらっしゃる」

 「彼は教会と城を繋ぐ架け橋に……いや、この国そのものを変える方なのかも」

 「俺達は今……とんでもない歴史の一頁に立ち会っているのではないか?」


 噂はやがて広まるだろう。神子は……いいや教皇は、確かに平和を願っていると。

 この国は、もう落ちた。後は適度に部下達に情報操作をさせるだけ。何、嘘は言っていない。だって僕が昨日と一昨日されたこと、それは事実なのだから。


(アルドール……)


 君と同じ事は出来ない。だけど、僕にも違うこと……出来るんだよ。

 道化師に襲われたら終わりだった。だけど賭けてみる価値はあった。これでシャトランジアは名実共に、僕の物になっていく。君を全力で支えられるようになる。


 よく分からない魔法のような奇跡を見せられても、人は僕を恐れるだけ。僕について来ない。だから僕は、人間の範囲内で出来る魔法を見せる。それが許すこと。普通は許せないことを許すこと。見ろよ、そこの連中の顔。こんな下らないことで、まるで魔法か奇跡か見たような顔してる。

 こんな簡単なことさえ、心の貧しい民にとっては魔法なのだ。そう思うと哀れだと思う。本当の意味で救ってやれるものならと、僅かには思うのだ。


(ごめんね)


 だけど、あなた方を救うのは僕じゃない。そこまで僕は生きてはいられない。だからそれを彼に託す。そいつは、そいつの名前はカーネフェル王、アルドール。

教会回。


教会に迫害された異国の少女レーヴェと、守るべき民に迫害された神子イグニスの対比。

イグニス出世回。王権奪って教皇に進化。これからどうなることやら。

イグニスは普通にアルドールが好きで困りますね。

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