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20:Medicus curat, natura sanat.

 沈んだ船にもたれながら、エルスは夜空を見上げる。血の生贄は随分と稼いだ。これでまたしばらくは数術を使い放題だ。


(それにしても、疲れたな)


 腐っても聖教会の神子。生贄の一部を逃がされてしまった。辛くも勝ったとは言え、祝杯を挙げるような気力はない。自分のために料理をする事ほど面倒なことはない。それは自分が妖怪ではなく人間だと認めるようなことだ。妖怪は食わなくても死なない。でも僕は食わなければ死ぬ。それが嫌だった。だけど妖怪は食べても死なない。だからそんな僕の気持ちを汲んで、あいつらは宴会ばかりをしていたよ。

 レーヴェ達山賊は、少しあいつらに似ている。小悪党レベルの悪行、何処か憎めない愛嬌、そして自分に正直。美味い飯が、酒が好き。綺麗な女も好きだ。そういう素直さが僕は好きだ。あの頃に帰ったような気になるから。


(レーヴェ、お腹空かしてないかな……)


 早く、帰らないと。そう思うも足がふらつく。もう少し……もう少しだけ休憩が必要か。犠牲は足りても計算式を導く僕の頭が疲れている。思えば僕もお腹が空いてきた。帰ったら彼らと自分のために、米でも炊いてあげよう。


 「……お腹、減ったな」


 この世にはいろんな死の形がある。その中でも最も辛いものは何だろう。僕が思うにそれは餓死だ。この世には様々な残酷な死の形がある。それでもその時だけはどんなに痛くとも、みじめでも、辛くとも……速やかに行われる死は慈悲深いものだと思う。

 でも餓死はどうだろう?人間にとって食は必要不可欠。それがなくなりゆるりと死んでいく。何もかもがなくなるまでは猶予があるだろう。だからこそこの死は残酷なんだ。

 次第に気が狂って行く。善悪の境界も揺らいでいく。目の前のほんのわずかな食料に、あるいは食料などではない何かを前に、自制を失った人は……普段なら犯さない過ちを犯すだろう。どんなに優しい人も、美しい人も、愛らしい子供も。取り繕っても無駄さ。化けの皮が剥がれていくよ。

 そう、だから僕は優しい方なんだよ。村を焼くのも、船を沈めるのも……兵糧攻めだけはしないであげているだろう?人の目から見ればなるほど、僕は残酷かも知れない。それでも僕は人の狂気を駆り立てているだけ。言うなれば僕は鏡だ。僕を憎く思う奴らほど、歪んだ心根をしたサディストだってこと。だから綺麗な心を持つレーヴェなんかは僕をあんなに好いている。生物的には十分僕は優しく好意的。だからそういう死だけは与えない。

 それはあまりに懐かしい死の香り。ひもじい思いは僕もよく知っている。鬼子と罵られ迫害される理不尽もよく分かる。彼女の痛みは僕の痛みだ。出会った頃の彼女はそれでも人間だった。覚醒しかけてはいたが、それでもまだ。

 いつもの僕ならその羽化を助けただろう。嘲笑い、惨めで悲惨な悲劇を作ってやろうと大いに利用しただろう。完全な鬼を作って村中の人間を食わせてやるのさ。これまで君を苦しめたやつらに同じ思いをさせてやろう、復讐をしようと囁いて。

 だけど、僕はどうして……彼女だけにいつものことが出来なかった。僕は人など哀れまない。それでも僕は彼女を哀れんだ。僕がその鬼と出会ったのは必然だったのだろうか?

 それを考えるためにも、話はちょっと遡る。僕があのめんどくさいことこの上ない僕の王の下を訪れる前日まで。


 *


 「エルス、向こうの情報入ったぜー!」

 「ああ、ありがとうレーヴェ」


 天空より舞い降りる鷹。それが止まるはレーヴェの腕だ。それをエルスは興味深く眺める。

 この少女は百獣の王の名を名乗るだけ遭って、不思議な力がある。獰猛な獣を手名付ける才があるのだ。というか獣のように戦い勝利しどちらが上かを理解させ、服従させる……そう言えばいいのかな。

 カーネフェル語はわからなくても獣の言葉は理解しているのかもしれない。人外と戯れるその姿はいつかの自分を思い出し、少しだけ悲しくなる。

 そんな僕に気付いたのかな。褒めて褒めてと言わんばかりの山賊は笑みながら、僕を笑わせようとする。その好意に感謝はしつつ、胸の中で溜息を吐く。

 僕には困った主が居る。通称狂王。俗に言うタロック王。彼は僕以上に自由気ままな風のよう。気紛れで弄び残忍でいたぶりふらりと姿を隠す。それは数術使いの僕からしても探すのは困難。住み慣れた本国ならいざ知らず、こんな未開の土地でそんな何時も通りをされては僕だって困る。カーネフェルに来てから本当に僕は働きすぎた。連日の疲れもある。

 鷹の脚に括り付けられた手紙は、彼女の部下からの情報。古風な情報収集だが馬鹿には出来ない。人海戦術って言うだろう?僕一人で何でもかんでもがむしゃらにやるのは僕が疲れる。手を抜けるところは抜くのが良い。


(……本当、疲れるよ)


 僕だって主程じゃないけどそれなりには飄々としていたはず。つかみ所がないといつもみんなに言われていたじゃないか。それなのにここ最近の僕はどうかしていた。ちょっと思い詰めていた。慣れない土地とアルドールというあの男の所為だ。

 僕が苛立っているのを見たレーヴェは何を勘違いしたのか、部下に赤飯を炊かせようとした。そうじゃないんだ。僕は男だとツッコミを入れる気力もなくした。

 彼女の場合、その見事な胸まで胸筋と解釈し、自分が物凄い筋肉ムキムキの伊達男だと思っているんだから、言葉は通じても話は通じない。

 レーヴェからすれば上手い料理が出来て可愛い=女という方程式が成り立っているのだから仮に僕の裸を見たところで彼女の中では僕が女だという認識は覆らないだろう。ていうか多分襲われる。別にそれ自体は構わないけど正直その間レーヴェの僕への惚気を聞かせられると思うと耐えられそうにない。苦手なんだ、そういうの。


 「あれから南下して来たって話はねーな。こっから向こうの北にある湖……ブランシュ領っつったか?そこの古い城は廃棄されたって話だから陣を構えるにはうってつけかもな」


 もし王が使っていないなら自分たちが使いたいくらいだと彼女は言う。それが出来なかったのは一つ二つ理由があって……地図を見ればその湖城への道を阻む領地がある。


 「そこへ行くにはアロンダイト領……ここを抜けなきゃいけないんだね。アロンダイト卿に会ったって話だったけど」

 「ああ、すげーきもいおっさんだった。この俺様を女と勘違いして口説いて来た。目ぇ腐ってんじゃねぇの?」


 残念ながらその理屈だと人類の大半は目が腐っているね。妖怪のボクまで腐りが及ぶとは本当に君は恐ろしいよレーヴェ。


 「……つーと、そのアロンダイト領って所にいるってことだよな」

 「十中八九そうなるね。他に逃げ場もない。彼らは今度こそ背水の陣、袋の鼠だ。ボクの数術で君たち全員を領地を越えさせるのは難しいから直接乗り込むしかないかな。山沿いのルートで越えるとなると簡単にはいかないし……海に出るにも君たちはザビル河を越えられるような船を持ってはいないだろ?」

 「それはいーけどよ、エルスいろいろ移動させるの得意だろ?」

 「……血が足りないんだよ。ボクの数術、その奇跡を起こすには対価が要る。ボクに力を貸してくれてる神様達は血の奉納がないとやる気を出してくれないから」

 「よし!エルス、でーとしようぜ!でーと!」

 「え?ボクは須臾の居場所を確認に、報告が」

 「そんなことよりさ!俺の馬、ちゃんと乗れてるか見てくれよ!」


 この話の流れで何でこうなるんだろう。戦う時に乗れなきゃ困るだろうと言いくるめられ、良いから良いからと同じ馬に乗せられて……と言っても彼女はまだそんなに上手く乗りこなせて……いないはずなのに、持ち前の服従能力を使ってかそれとも馬と打ち解けたのか見事な手綱さばきで野を駆ける。

 もう教えることは何もないレベルで、ちょっとなんだかなぁとも思った。だけどそんな気持ちも吹き飛ばすよう髪と頬を撫でる風が心地良い。タロックと空気の匂いは違うけどこうして感じる風の匂いは気が安らぐ。

 僕の後ろでレーヴェは慣れないカーネフェル語でデートだとはしゃいでる。仲間にからかわれた時に理解したらしい覚え立ての言葉。まったく本当にレーヴェは子供だ。図体ばかり大きな子供。僕は彼女より年上なのに彼女よりずっと小さな子供の姿。彼女の傍でも釣り合わないのだから、あの男の傍にいたら最悪親子……隠し子辺りに見られてしまうかも知れないな。そう思ってちょっと笑った。


 「で、何処まで行くの?」

 「そいつは行ってからのお楽しみだぜ!」


 にっと笑ったレーヴェ。話してくれる気はないようだ。しばらく駆け抜けて、辿り着いたのは……滅んだ村だ。家は崩れ田畑は跡形もなく、草木が伸び放題のその荒れ地。それでもそこに僅かな見覚えが僕らにはある。


 「ここは……」

 「俺がはじめてお前と会った場所だ」


 レーヴェの癖に良いチョイスだ。あっちこっちに剥き出しの骨が転がっている。人間ではない僕らのデートには丁度いい場所かもしれない。


 「お前が鬼だって知らなかった俺は、お前が婆の話に出てきた天女様ってのに見えた。なんつーか、感動ってのか?すげー綺麗なもんがあるんだなって驚いた」


 褒められるのは嫌じゃない。だけど彼女のそれはちょっと苦手だ。そこに僕への恐れがないから。感じる違和感に僕は戸惑う。


 「だからいきなり身包み剥ごうとしたわけだね」

 「羽衣取れば帰れないって言うだろ」


 今となっては笑い話。彼女との出会いを思い出して吹き出した。

 混血を見たことがなかったんだろう。初めて見る混血だからそう思っただけだよ。言うのは容易い。それでも彼女はそれが初恋だ、一目惚れだと大いに語る。だから僕もあまり意地悪なことが言えなくなる。人からこんな好意を寄せられた記憶が僕にはないから。

 彼女は鬼だと自ら名乗る。名乗るが僕からすればまだまだ可愛らしい物で、彼女は人の領分だ。僕は彼女が僕の傍まで来ようとしてくれていることに戸惑っている。でも嫌じゃない。それでもここまで引き摺り込むことに、痛む胸がある。戸惑うのはそのことだ。

 僕は鬼だ。僕は人の不幸を笑うために生きている。それが鬼だろう?だって人間は僕の敵だ。その不幸ほど愉快なことはないだろう?

 僕が彼女との距離を測りかねているのは彼女が人か鬼なのか、僕の中ではっきりとした答えが出ていないから。いっそ双陸の様な馬鹿なら簡単に……肉親殺しの自分を鬼とあいつは言ったけど、その言葉が嬉しかったけど……僕からすればあいつは何時までも人間。僕がどんな甘言を囁いても予定以外の動きをしない、王の駒、王の犬。ああ、人間ですらないのか彼は。


(って、どうしてボクはあんな奴のことなんか)


 どうでもいいことだろう。思い出す時間の無駄だ!そう思うけど……これはもはや嫌がらせだ。新しい怪我。また手当をされた。それを思い出すと、なんだか顔が熱くなる。まだ僕は怪我の熱から回復していないのか?


 「エルス?」

 「うぁわっ!な、何?」


 気付けばレーヴェに顔を覗き込まれていた。妖怪とはいえ僕も男だ。少女にこんな至近距離に近寄られれば驚きもするし照れることもなきにしもあらずって言うか。


 「俺はお前が好きだ」

 「あ、ああ……う、うん、知ってる」

 「でも、お前はどうなんだ?」


 その言葉はいつも言われている。それでも僕にそれを彼女が聞いて来たのは初めてだ。じっと僕を見てくる黒の瞳。その色がその色が……くそっ。駄目だ。直視できない。やましいことなんか何もない。それでも今は、駄目なんだ。

 あんな子供扱い、人間扱い……不服だよ。恐れ戦いてよ。僕は妖怪なんだよ。人を食らう生き物だ。人を殺す生き物だ。なのにどうして僕を哀れんだんだ、ねぇ双陸。答えてよ。

 貴方はさ、王さえ良ければそれで良いんだ。王以外何も要らない、そういう生き物なんだろう?それなのに何故僕を哀れんだんだ?馬鹿な奴と捨て置いて、見捨てて見殺しにすれば良かったじゃない。貴方は僕が嫌いなんだろう?知っているよ、そんなこと。出会った日から、軽蔑の目を僕へと向けていたじゃないか。知って居るんだ、僕は。それなのに……それなのに、どうして僕はあんな奴のことなんか一々思い出してしまうんだ。わけがわからない。


 「わ……わかんないよ。ボクは人間じゃないし」

 「それなら俺もお前と一緒が良い!それならお前も解ってくれるだろ?」


 僕が拒むのは、自分が鬼になりきれていないから。だから、人間だから。だから嫌いなんだろうと縋るように僕を見るレーヴェ。


 「どうすればいい?どうすれば俺はお前と同じ鬼になれる?妖怪になれる?もっと殺せばいい?どうなんだ!?」

 「レーヴェ……痛い」

 「わ、悪い」


 思い切り肩を掴まれた。そのことに眉をしかめると、ぱっと彼女は手を放す。それでもまだ振り払えない未練を抱えて僕を見ている。


 「何か、俺……ずっと田舎の農村にいたし。都とか城とか、見たこともねぇし。ずっと村の中で生きて死ぬと思ってて……それがなんか気がついたらこんなとこまで来てて、エルスとも会った」

 「…………うん」

 「なんつーか……何も見えなくなってた。だけどいきなり世界が開けていった。お前のお陰なんだ」


 僕に感謝するよう、熱い瞳で僕を見下ろす彼女。その目にやっぱり僕は耐えきれず視線を逸らしてしまう。こんな風に見られるほど、僕は何かを彼女にしてあげただろうか?滅んだ村を横目で見ながら、僕は彼女との出会いを思い出す。


 *


 「暇暇暇暇暇暇暇暇ぁ!ねぇ須臾ぅ!何か楽しいことないの?」

 「そう騒ぐな」

 「本当は我が儘言われるの待ってましたーって顔してる癖にぃ」

 「遠乗りでも行くか。ついでにまたどこぞの村でも焼いて来ようか」

 「ウィ……って言いたいところだけど、まーた嘘ばっかり。最近はあいつが五月蠅くて、あいつの許可無しにそういうことも自由に出来ないじゃないか。あいつ、死んじゃえばいいのに。ていうか殺していい?」

 「構わんが、返り討ちにあっても知らんし我は助けんぞ?」


 王の何は不釣り合いな、薄暗い場所に彼はいた。僕の使える主。漆黒の髪に深紅の瞳を持つ男。通称狂王……世に恐れられるタロック王その人である。

 きらびやかな玉座もない。自由に部屋を抜け出すことも出来ない。数年前まで許されたそれも狂気を理由にこんな様。宮中の奥深く、人目に触れないような場所に彼は隔離されていた。

 如何に強い王でも、戦争のない時は不要。それどころか恐怖の対象でしかない。


 「最近、議会の奴らまた力を付けて来たね。野放しで良いの?」

 「所詮小物だ。捨て置け」

 「でもさぁ、ボク……人間のああいうところが大嫌い!一匹一匹は弱い癖にさ、蹴落とし合う癖にさ、正面からこっちに敵わないとなると卑怯にも姑息にも手を組んでろくでもないことをしてくるじゃない」

 「その時は全員殺してやるまで」

 「わー須臾さまーかっこいいー」

 「言の葉に嘘偽りは良くない。我を湛えるのなら心の底から叫べ。或いは正直に言え」

 「はいはい、無論お断りしますだよ」


 酸素も薄い。換気もままならない生活って嫌だね。僕は自然の風がないと駄目なんだ。

 川魚が止まった水の中では生きていけないのと同じ事だよ。水葬から飛び出し自ら死を選ぶように僕も開けてはならぬと言われた窓から身を乗り出した。んー良い風。高さはあるけど数術使いの僕に敵は無し。さぁて何処まで飛んでいこうか。


 「それじゃ、ボクはこの缶詰生活にも飽きたしそろそろお暇させてもらいますね」

 「待て子雀。囀るしか脳がない其方が我のために歌わないとは舌でも切り落とされたいか?」

 「子雀でも紅雀でも朱雀でもなくてボクはエルス!エルス=ザイン!」

 「早口で読めば後半が朱雀院となるではないか。故に其方は子雀が相応しかろう」

 「ああ、もう!貴方がいなくなったら怒られるじゃないか!ボクが誑かしたとか言われるの本当嫌なんだけど!ボク人間に興味ないし!あったとしても中年男とねんごろみたいなありもしない噂立てられるの心外なんだけどっ!」

 「ふむ。むしろ光栄ではないか。この王とそんな噂が立つとは」

 「はいはいこーえー光栄後衛さようなら」

 「まぁ待て」

 「襟掴むなっ!脱げるっ!はだけるっ!変態変態性犯罪者!夜の帝王っ!下半身大魔王っ!」

 「そこまで罵倒されると逆に期待されていると解釈せざるを得なくなるな」

 「だからボクをそういう話に絡めるなっ!!」

 「それが嫌なら我も連れて行け。何、一日二日気にする者も居らんだろう。あまりにも暇なので思いついたのだが“衆道において四十八手はどこまで成立するのかどうか”が気になってきたのでこの子雀を用いて実践に移してみるかという建前で人払いを命じておけば」

 「貴方がそういうセクハラまがいの言い訳ばっかりするからボクの風評被害が酷いんですけどっ!!この間なんか誰とは言わないけどねっ!貴方にメロメロのどっかの馬鹿に枕から布団からびっしり剣山刺されてたんだからね!!」

 「ふむ、誰だろうな。いずれにせよ可愛いところがあるではないかその者も」

 「か わ い く な い っ ! 被害にあったボクの身にもなってよね」

 「ならば死刑にでもしておくか」

 「だからどうしてそう貴方は両極端なんだ!ていうかあんたの愛娘なお姫様が犯人だ!なんなのあの女?いっつも処刑祭りとかやってる癖にあの中途半端な嫌がらせは何なの!?」

 「ほぅ、刹那がか。あれもあれなりに自重したのだろう」

 「ファザコン女の嫉妬は見苦しいったらありゃしない。……っていうかボクをそういう愛人とか愛妾まがいの立ち位置にしないでくれない?ていうか適当に女作れ。妻が全滅してる今僕が貴方の傍にいるとそういう目で見られちゃうんだけど?正面から来ないで地味な嫌がらせ受けるのってすごい苛々する!否定しようにも王への侮辱なんたらかんたらってどいつこもいつも」


 この王は本当に両極端。心酔する者は本当にどっぷりで心底この男に惚れているし、恐れ戦き忌み嫌う者は本当に怖がっている。そして王の周りなんてその前者しか居ないに等しい。故に僕が城の中で微妙な立ち位置なのは主にこの男の所為だ。


 「まぁ、そう憤るな。何もそれだけではあるまい。あれのことだ」

 「ああそうだよ!だから嫌だって言ってるんだ!寝る場所なくてボクが困ってるのを見てそのまま自分の寝所に連れ込もうとするんだあの姫は!すぐ変なところ触ろうとしてくるしっ!本気で食われると思ったんだから!嫌ってるのか何なのかはっきりしない奴ってボク大嫌い!」

 「ふむ……一度混血を食ってみたいと言っていたなそう言えば。私情と私欲を履き違えぬあれの美徳よ」

 「わけわかんないし」


 疲れる。この人の相手をしていると疲れる。これ以上疲れるのは嫌だ。仕方ないので渋々僕は折れてあげた。


 「それで?何処まで行きたいの?」

 「子鬼、其方は海の向こうを知っているか?」

 「知らないよ。ボクはタロックから出たことないし」

 「タロックの村を焼くのも厭いただろう。たまには余所の村でも焼きに行かぬか?異国の悲鳴もなかなか趣があるぞ」

 「はぁ!?国際問題なんですけど!?」

 「それが明るみに出ればそれはそれでまた戦が始まるだろう。良いことではないか」

 「そりゃあ貴方は困らないだろうけどさ……」

 「其方もそろそろ血を浴びたい頃合いだろう?」

 「否定はしないけど……だけどこっち端から向こうまでってこんなろくでもない距離ボクにも飛べない。何度も点々と移動しなきゃ……そうなると生け贄もかなり必要だ」

 「愚か者め。地図というのは端から端まで見るからそう見えるのだ」


 そう言って王は地図を丸めて筒にする。


 「あ……」

 「セネトレア程ではないがな、カーネフェルは存外そう遠くはないのだ」


 西と東の大陸。地図の東路は通らず西へと船を進めれば……そこも確かにカーネフェル。山脈が多くて上陸には適さないし海流も激しいから使われない道ではあるがが……


 「海路など妖術使いの其方には関係のない話だ。違うか?其方に関係するのは血のストック、それから距離が問題だっただろう?」

 「そうは言うけど、今のストックじゃ行き分くらいしかないよ。距離がないとは言うけどそれでもタロック列島の半分くらいはあるじゃない。隣町まで飛ぶってのと話が違うよ」

 「ならば向こうで稼いで来ればよい。違うか?」

 「二日で?」

 「問題有るか?」

 「…………はいはいウィーウィー問題ないです」


 悔しいが僕よりこの男が強いのは事実だ。適当なところで折れないと如何にお気に入りの僕だって気紛れで殺されかねない。


 「我が臣下も老いた。新たな駒を探しに行くのも悪くはあるまい」

 「それはボクが貴方の寝首を掻くために画策しても良いって事?」

 「協調性のない其方が何かを頼るということが出来るのならば好きにするが良い」

 「確かに異国の精霊と契約するのもありですね。向こうの人間の方が信仰が有りそうだ」


 結局の所その日暮らしの切羽詰まった人間に目に見えないものを説いたところで伝わりはしない。信仰は縋るものに見えて、そうでもない。ある程度心に余裕がある人間が暇つぶしに信じるモノだ。人生に深くを与えたいっていう欲だ。或いは失いたくないものがあるから願うんだ。商売繁盛家内安全。それは店があるから家があるから財があるから。故の信仰。その全てがない者がどうして神を崇めるだろう。


 「信仰か」

 「王への恐れも同じことだよ、狂王様?」

 「……ふ、其方は時折面白い事を言う」


 他の者なら括り殺しているところだがと、王は笑った。


 「ならば我を恐れる愚民共は、まだ余裕があると言うことか」

 「いや、意外と人間ってしぶといもんだね。まだ反乱起こさないなんてさ」


 いや、反乱を起こす気力もないくらい、すでに痛めつけられているとも言うかもしれない。まぁ、僕には関係ないことか。


 *


 そう、あれは一年半くらい前のことだ。

 僕は須臾と一緒にカーネフェルへと飛んだ。十数年ぶりの異国の地にあのおっさん年甲斐もなくはしゃいじゃってさ。僕がやってあげた外見数術のために随分といい気になって遊んでた。

 うん、昔は戦場を駆け回っただけあって、カーネフェル語にもかなり通じている。ネイティブの発音で喋れる。狂人の癖に演技も上手いんだよなぁ。

 だから片田舎なんかに飛べば、訛りがある現地の住民なんかより余程カーネフェル人らしい。都からお忍びで遊びに来た王族貴族様か何かと勘違いされてちやほやされていた。顔は悪くないんだ。その気になれば幾らでも女を囲えただろうに、変な男だ。政略結婚で実妹の姫と結婚させられた以外に娶ったのはシャトランジアの姫。この男が深く愛したのはその妾である異国の姫だとはあまりにも有名だ。この男が狂ったのはその姫を殺してから。

 そんなお姫と同じ髪色目の色の女に囲まれてもしれっとかわす。それがまたクールに映るんだろうか?


(目立つなって言ったのに!)

(黙っていても寄って来るのだから仕方あるまい)


 小声で文句を言うが、チビチビと酒を飲む僕の主は満更でも無さそうだ。でも多分女に囲まれて喜んでるんじゃなくて、久々の豪勢な食事に喜んでるよねこの人。毒の入っていない食事はそりゃあ美味しいか。

 でも王の癖にタダ飯食いにして貰ったくらいではしゃぐなよ。視覚数術で醜い男にしなかった僕の優しさが憎い。目と髪色変えるだけと消費をけちったのがいけなかったか。

 僕も視覚数術で色は変えていたけど、それだとカーネフェルの女の子にしか見えなかったんだろう。お姉様方には眼中にないと言わんばかりに総スルー。別に人間なんかにちやほやなんかされたくないけど、これはこれで腹が立つ。機嫌を損ねた僕は変装を解いて一暴れしに行くことにした。


 「……でもまぁ、ボクをそう簡単に攫えると思わないで欲しいな」

 「強ぇえ……混血とはいえ、こんなガキに負かされるとは」

 「か、金になると思ったのに……」


 早速僕を襲った山賊。全員返り討ちにして半殺し。踏みつけて死屍累々のその山に腰を下ろしてみたけれど、確かに異国の景色を見ながらの人間椅子も悪くないね。血の補給をするためには全員殺しても良いんだけど、そうしなかったのにはわけがある。


 「でもそういう強欲な人は嫌いじゃないよ。どう?お金稼ぎの手伝いしてあげようか?ボクは色々されるの好きじゃないけど、するのは結構好きな方だよ」


 僕はさっそく現地で契約した精霊を召喚し、手早く彼らの傷を塞いであげる。僕の奇跡に彼らは畏怖を覚えつつ、優しく甘く微笑んであげれば彼らは僕の言葉に逆らえなくなる。


 「とりあえず近場の村でも襲いに行かない?」


 僕は人間は嫌いだけど腐れ外道は結構好きなんだ。見てて楽しいし、感性が僕らに似てるしね。


 「いやぁ!大漁大漁!ありがとうございました!」

 「愛してるぜ!エルスちゃん」


 そんなこんなで村一つ滅ぼす頃にはすっかり彼らとも意気投合。僕にフルボッコにされたことも忘れている。人間って馬鹿。でも馬鹿は嫌いじゃない。


 「ボクは戦利品は要らないよ。お金とかそういうの興味ないし」

 「あんたは女神か!最高だぜ!」

 「一生ついて行きますエルス様っ!」


 僕を売り飛ばすのは簡単じゃない。でも今日一日で僕を売り飛ばす以上の成果を上げた山賊達はみんな良い笑顔。すっかり僕に懐いたみたい。

 沢山の血が流れたし、多くの悲鳴も聞けた。僕の契約相手の神々も、大いに満足してくれた。血のストックも大分稼げた。僕も気分は最高。男の悲鳴も良いけど、たまには女の泣き叫ぶ悲鳴も悪くない。いや、ほんと楽しい楽しい。

 馬鹿面で幸せそうにいちゃついてるバカップルを引き裂いて目の前でいたぶるのって堪らないね。でも、自然界にとって人間なんか害虫でしょ?その芽を摘んであげてる僕ってとっても優しいよね。男と女なんか寄れば勝手に人間なんて害虫増やすんだから。一匹見たら三十匹はいると思え、だっけ?僕がそんなことを思っていた時だ。風に乗って何かが聞こえたような気がした。


 「あれ?……なんだか向こうの山から何か聞こえない?」


 それは獣の咆吼に似た……だけど僕が知る限りの獣のどれともそれは重ならない。不意に胸が締め付けられるような、それでもぞくぞくするような……奇妙な感覚が駆け抜けた。

 それは山賊達には聞こえなかったみたいだけど、向こうの山のことは知っていたみたい。


 「ああ、そういや最近この辺の住民が騒いでたような……」

 「なんでも凶暴な鬼だか悪魔が棲み着いただのって。近々山狩りをするって噂が」

 「まったくカーネフェリーは迷信つぅか信心深い馬鹿ばっかだな。悪魔なんているわけ……いや、いるか」

 「何でそこでボクを見るの?ボクは悪魔じゃなくて鬼!もしくは妖怪と呼んで貰いたいね」

 「いやいや、エルスちゃんは小悪魔だろう可愛いし」

 「アホかお前!確かに見た目は可愛いがものっそ強いじゃねぇかこの子!大悪魔か大魔王だろ」

 「まぁいいや。後でまた遊びに行くよ。ボクはもうちょっと散策させてもらうね」


 数術で空を舞う僕を見て、「やっぱあれ売り飛ばすの無理だわ」と口をあんぐり開けている山賊達。まだ諦めてなかった奴もいたのか。そんな彼らをくすくすと笑いながら僕は噂の山まで飛んでいく。

 近づく内に、風に乗ってくる臭いがあった。それは肉の焼き焦げる良い匂い。これはと思い僕はその匂いの方へと飛んでいく。風に乗って聞こえてくる声。噂の悪魔だろうか?

 ああ、これはいい悲劇の香り。興味を持った僕はその鬼が居るという山へと降りた。その先で、僕は見た。あの日の僕のように、焼けた村に佇む少女の姿を。


 「食い物……」

 「食べ物?お腹空いてるの?」


 僕の言葉に彼女は頷く。長い黒髪……だけどボサボサ。手負いの獣のような目をした少女。迫害か私刑にでも遭ったのか、ボロボロだ。

 でも、弱くはないのかな。返り討ちに遭わせる程度には人間止めている。1対幾らだったかなんて解らないけど、この村を一人でこの子は滅ぼしたんだ。確かに鬼の素質がある。

 そう、彼女は……言うなれば半ば壊れていた。僕と出会った時には、彼女が鬼になる……カウントダウンは始まっていた。放っておけばそうなっただろう。唯、彼女がそうなる前に僕が彼女と出会ってしまった。


 「ボクの目には特に食うに困っているようには見えないけど、君は選り好みをしている。だから飢えている。そういう者が死んでいくのは当然だ」


 辺りの死骸を指差したが、その意味が分からないのだろう。そんな彼女の口元に、僕は僕の指を差し出した。


 「食べてみる?」


 ここで自分と同じ形をした物を食らう位の気概が有れば、一つ脚本とこの子の舞台を立ててあげようかなと思った。このまま壊して、鬼の逸話でも書いてあげようか。そう思ったんだけど……


 「うわぁっ!!」


 何するんだこいつは!!僕は思わず手を引っ込めた。


(な、なななななななな舐められたっ!!)


 「甘いのかと思った。白砂糖みてぇな色してるから」

 「そ、そんなわけないだろ!?って、ちょっと!駄目だって!止めろ!」


 まだ力が残っていたのか。凄い、馬鹿力。

 一瞬の油断で僕は引き倒される。数術を紡ごうとするが、数術使いの弱点をもろに付かれた。間に合わない。

 獣のような目をした少女はじっと僕を見ている。そこに殺意は無いけれど、他意はありそう。このまま放置しておくと全身舐め回されそうだ。味覚が麻痺しているのか、本気でそう思ってそうな目をしている。……と思ったけど、それは見当違いだったよう。


 「食べていいんだったな」

 「ちょっ、意味が違う!そっちの意味じゃないっ!止めてってば!」


 がさごそと僕の服に手を掛けるその子。こんなタロックの女は僕は知らない。正確にはあの刹那姫くらいしか知らない。基本的にタロークの娘は希少価値が高いから蝶よ花よと育てられ、お淑やかか高慢ちきで何だかんだで受け身が多い。多いのだが、何なのこれは!僕は誘惑して遊ぶのはよくやるけど、襲われるのは慣れてないんだ!

 怯えからぎゅっと目を瞑った僕……だったのだけれど、何かが吹き出す音を聞き、恐る恐る目を開く。


 「…………え、ええと」


 その子が鼻血を出して倒れていた。貧血だろうか。そんな身体で無茶するから……


 「……はぁ」


 仕方ない。死とは違う身の危険を感じた僕は、彼女に食料を与えることにした。


 「で?君はなんだってあんな所で倒れていたの?」


 持ち歩きの保存食だしそんなに豪華な食料でもないのにご馳走みたいに彼女は平らげる。さっきまで瀕死の半死人みたいな顔してたのに、この子食べる内にあっという間に復活した。あの馬鹿力といいどういう身体の作りしてるんだ。

 呆れる僕の横で、仰向けに寝転んで幸せそうな顔。さっきまでの獣のような形相は何処へやら。


 「ああ、山の下の奴らは全然言葉通じねぇ。それで俺に石投げてくるし、食い物くれねぇし。それで……ここの山で適当に木の実とか茸とか食って暮らしてた」


 そこまで言って少女は再び獣のような形相に変わる。


 「けど……聖教会って奴が、山を焼いた」

 「なるほどね」


 その目を見て解った。ああ、この子は僕と同じなんだな。焼き焦げる肉の臭い。よく嗅いでみればそれは人のそれだけじゃない。獣の臭いだ。それでもこの子がそれを食べないのは、言葉も通じない異国で一人ぼっちだったこの子にとって、その臭いの源は……大切な友達だったんだろう。


 「……ついておいで。話が出来る奴らをボクは知ってる」


 僕は何を血迷ったのか、さっきの山賊達の所へ彼女を連れて行った。

 こいつらはろくでもないけど、普通の人間の方が余程ろくでもない。人から外れた者と共存できるのは、やっぱり人から逸脱した外道や鬼畜辺りだろう。


 「おお!タロークの女!流石はエルス様!また良いもん連れて来やがった!」

 「この子は駄目。売り飛ばしたら、怒るからね」


 呆れる僕の横で、山賊達にさっきを向けるその少女。


 「……てめぇ、今なんて言った?」

 「何処に目ぇ付けてんだ?あぁ?この俺様が女だって?」

 「いや、どっからどう見ても女だろ」


 反論した男。それを彼女は思いきりぶっ飛ばす。わぁ、凄い馬鹿力。


 「大丈夫?」

 「あ……あざーす……エルス」


 瓦礫に埋もれてダラダラと血を流す山賊。手加減無しでぶっ飛ばされたからなぁ。骨も結構折れてて半死状態。回復してあげると流石の破落戸も僕に深々と頭を下げた。うん、こういうのも悪くないね。

 しかしそんな僕らに近づいて、回復したばかりの男の胸ぐら掴み上げ、少女は思い切り眼飛ばす。


 「俺は男だ!この胸板を見てわかんねぇか?」


 空腹で倒れていた割りに彼女の発育は良い。というか年の割りにそれは異常だ。山で一体何を食べていたのやら……突然変異?いや数値異常に当てられたと見るべきか。

 彼女は自身の見事な胸を指差して、そんなことを言ってのける。これには僕も彼らも言葉を失った。怒りの余り彼女が吠える、がるるるる……低いうなり声は獣のそれだ。


 「あはははは、キミって面白いね!今の声リオンみたいだ」

 「……りぃおん?」

 「あ、獅子のことだよ」

 「しし?」

 「んーと……タロークなら、レーヴェって言った方が分かり易いかな」

 「……レーヴェ」


 何故かその言葉を理解した途端、怒り狂っていたはずの彼女が暗い顔になる。

 その様子から、ああと思った。もしかして群れからはぐれたかサーカスから逃げ出した獅子でも彼女は拾っていたのかも。……もしかしたら逆かもしれないけど。


 「いいな、それ!レーヴェ!俺様にぴったりのいい名前だ!」


 そう言ってあの子は笑った。過去と決別するように、唯……僕だけを見つめて。


 *


 「……本当に、懐かしいね。一年ちょっと前の話なのに、何だか全然そんな気がしない」


 そう言えば彼女がそう名乗りだしたのは、僕との出会いからだった。実のところ僕は彼女の本当の名前も知らない。僕にとってレーヴェはあくまでレーヴェなのだ。

 そんな彼女がタロックに暮らしていた頃の事を僕に言うなんて、何だか不思議な感じ。変な話で、もし彼女があの国にいたなら僕はいつかこの子の村も焼いていたかもしれないのだ。そんな相手が今や僕の同僚で、僕なんかを好きだという。変な話だよ。本当に。


 「エルス、俺は山賊だ」

 「どうしたの?急に」


 僕の疑問に答えたのは言葉ではなく行動だった。


 「レー……ぅっ」


 あの日よりも広がった体格差。油断していたとはいえ容易く組み敷かれてしまう。戸惑う僕に一度だけ、噛み付くように彼女がキスをする。色気よりもなんだか食い気を感じさせるやり方だった。食われるっていうか食われると思った。食欲的な意味で。内心違い意味でびくついた僕から彼女は身体を退かし、にっと笑ってみせるのだ。


 「王様の所か、別の所かお前の心が今どこにあるのかわかんねーけど、どっからでも俺様が奪ってやるから待ってろよ」


 *


 「ってやっぱ無理ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!」


 思い出した思い出した思い出したっ!こんな遠出の任務引き受けてやったのはあれの所為だった!神子との一戦数術バトルが激しかった所為でうっかりすっかり忘れてた。

 エルスはその場をのたうち回る。


 「どんな顔して会いに行けって言うんだ……」


 この僕が!この僕が!あんなことされるなんて!僕は常にからかう側であるべきであんな風に受け身になるなんて屈辱だ!……いや、まぁ……相手は普通の人間じゃないし、まだマシだけど。

 重いため息を吐けば、実体化した精霊がポンポンと僕の頭を撫でてくれる。風の元素がこの海上は多いから、そんなことも簡単にできたのだろう。


 「ううう……シルフィード」


 その外見は、ちょっと目付きは鋭いが……中性的な感じの美人だ。神子との一戦で大活躍してくれた風の精霊。この子は一年半前にカーネフェルで手に入れた精霊だ。今回判明したことだが過去に教会から逃げ出したという大精霊らしく、神子は取り戻そうと躍起になっていた。しかし風の本質は気紛れ。何かに縛れると言うことを嫌う。僕の気紛れ残酷気質がこの精霊の興味を惹いたのだろう。

 タロックで契約した神様方と違って、生贄を必要としないで使役されてくれる彼女は有り難い。有り難いが、彼女はあまりに高等精霊過ぎて言葉を話せない。神子のような人間なら意思の疎通も出来るらしいが、生憎僕は神子ではない。彼女が僕を慰めてくれていることくらいは理解できるけど。


 「……うん、そうだね。とりあえず……須臾に報告しに行こうっと」


 僕はよろよろと、重い腰を上げてみた。


 *


 「ありがとうございます!ありがとうございますっ!」

 「いや……礼には及ばん。大事にな」


 こういうのはどうかと思う。双陸は帰って行く病人達に釈然としない思いを抱える。感謝されるようなことではないのだ。その病気を振りまいたのは自分たちの方なのだ……それを言えない以上、その手当をするのは当然だ。


(それでも……)


 まだ、マシだ。これが一番犠牲の少ないやり方だった。あの同僚……エルスの連れて来た虫の力で、無血開城は成った。王を逃したとはいえ都は落ちた。倒れた民達の手当を施すことで、タロックへの不信、偏見も和らいでいく。しかし、その間にもこのローザクアでの貴族と庶民達の軋轢は増している。


 「金なら幾らでもある!うちの娘から診てくれ!」

 「ふざけんじゃねぇ!俺達は朝から並んでるんだ!」


 城の外では諍いが絶えない。


(この国は……)


 我々が滅ぼしたのではない。きっと、こうやって内から滅んだのだろう。国の危機より自分の危機か。都を取り返そうという気概もないカーネフェルの民。外圧によってでも今より良い暮らしが出来るならそれでもいいと思う連中が跋扈している。

 あのような諍いを見ると、見捨てて死なせる方がこの国のためではないかとさえ思う。それでも国より家族を思う気持ちがある分だけ、兵としては劣っても、まだ人としては自分よりは優れているのだろうか?本当に最低なのは、病人自身が「自分から診ろ」と叫き出すパターン。ああ、また始まった。止めに行かなければと、双陸は城の外へと出向く。


 「皮肉なものだ」


 タロックよりも豊かであるはずのカーネフェル。この国の人々は……我が国と同じ、いや或いはそれ以上に貧しい心を持っている。飢えを知ってもここまでの心の貧しさを、我が国は知らない。


 「治療は順番通りに行っている。幾ら金を積まれてもそれは飲めん。ここは戦場だ。戦場に金も身分も価値亡きものと知れ。あるのは全てが等しい一なる命。必ず全ての治療を行おう。だから今暫く待っていただきたい」

 「黒髪族が!」

 「本当に治療してるのかも怪しいぜ!」

 「毒の王家の王の騎士!毒でも盛ってるんじゃねぇか!?」


 そこまで言うなら治療など受けに来なければ良いだろうに。毒味役を買って出て、悪態吐いてでも順番を早めようという浅ましさには辟易する。


 「治療を終えた人々の身内の方には、治療の手伝いをして頂いている。これから効率も増していくだろう。だからこそ、お待ちいただきたい。彼らも金のためではなく厚意で協力してくれているのだ。我々を信用できなくとも彼らの厚意を疑うことは私が許さぬ。窮地にこそ人の真価は問われる。同胞を蹴落としてまで助かろうとは、あなた方カーネフェルの人間はそこまで落ちたか?」


 怒りを込めての一喝に、その場はしんと静まりかえる。つい激情に駆られタロック語での発言だった。理解できない人間も多かったはず。それでも、此方の言いたいことは届いたのだろう。だから俺は同じ言葉だけをカーネフェル語で言い直す。


 「もう一度言おう。全ての人に我らは治療を行おう。だからこそ争わずにその時を待っていただきたい」


 強く前を見据えてそう言い放てば、病人も、その身内共々ざわめき出す。


 「あのタロックの将……随分と疲れた顔をしているわ」

 「不眠不休で……?どうして敵国の将が……うちの国のために」

 「私は王からこの地を任せられた。その任がある以上、この都を人を守る義務がある。それをどうか分かって頂きたい」


 一度頭を下げれば、やがて人々は列を整えきっちりと並び直す。どうやら解ってくれたらしい。

 安堵から少し身体がふらつくが、そうも言っていられない。治療を待っている連中は大勢いるのだ。うちの兵士達も交代で休ませなければ倒れてしまう。その分俺がしっかりしなければ。

 大変な仕事だ。だがやり甲斐はある。王から与えられた命が、この都での虐殺でなかったことを本当に感謝する。ここは、まだ心根までは腐っていない人々も多い。


(まだまだ捨てた物ではないな、カーネフェルという国も)


 こんな形の征服は腑に落ちないが、もしかしたら……タロックとカーネフェル。二つの種族が共存できる明日もあるのかもしれない。そんなものを見たなら王も……お心を取り戻されるだろうか?


(那由多様……)


 せめて彼が生きていてくださったなら。一言あの方に許すと言ってくれたなら。王はどんなに救われることか。

 それが不可能だからこそ、エルス。王にはお前が必要だ。

 お前が王を深く愛し、慈しみ……何もかも許してくれたなら、あの方は……昔の良き王に戻ってくれるはず。

 エルスの残虐趣味さえ俺が矯正出来たなら、……それが一番難しいのだが。王も変わっていくはずだ。王の狂気が増したのは、あの子供が笑うからだ。村を焼く、人を殺す。そうすると嬉しそうにあの子供が無邪気に笑うからだ。

 そこに失った我が子を見るからだ。エルスがもっと他のことで心から笑ってくれるなら……王は、須臾王は……

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