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19:Fortuna amicos parat, inopia amicos probat.

(ど、どうしよう)


 アルドールは狼狽える。こういう時、しっかりしろと檄を飛ばしてくれるイグニスも今は傍にいない。

 ランスがユーカーを斬るなんてあまりにもショッキングな映像を見てしまったから、みんながみんな狼狽える。

 トリシュとパルシヴァルが狼狽えたのは一瞬。トリシュはランスを一度睨み付け、先に飛び出したパルシヴァルに続く。彼らは俺の言葉を待つ間もなく、すぐさま馬を飛ばして馬車を追う。俺も追いたかったけれど、ランスのことも放っておけなかった。

 ランスの手にはユーカーの得物。手が石にでもなってしまったようにそれから手を放せずに、彼は自分の罪にうち震えている。


 「ランス……」

 「アルドール……様っ……俺は……」


 こんな弱り切った彼を見るのは初めてだ。ランスが泣いている。俺の前で、泣いている。

 一時的な治療しかできないけれど、今俺が彼にしてやれることはそれくらいしかなかった。だから彼のを傍へと膝をつき、切られた瞼の回復をする。それから冷たくなった指先をぎゅっと握って震えを押さえ込む。


 「大丈夫だよランス、ユーカーは俺達が迎えに……助けに行く。それにあのユーカーがあんなことでランスを嫌うわけがないじゃないか」

 「違うんです……俺は、俺が……」

 「違うって……?」


 アルドールが必死に励ましの言葉を紡ぐも、ランスの震えは増すばかり。


 「同じ、だった……」

 「同じって?」

 「あいつを切った感触。……同じ。これまで殺した人間と、何も変わらない!」

 「そ、それは……ユーカーも人間だしそうだろ?」

 「だから俺は……俺はもっとあいつは特別で、特別だと思っていて……だからっ!あいつを傷付けたりなんかしたら、こんなもんじゃない!もっと……もっと……違う思いになると思った!なのに……同じなんです!……何も、感じないっ!!俺は、あいつが大切で……あいつは俺の、大切な……家族で、親友なのにっ!」


 大義名分、人殺し。騎士の仕事は名誉を冠するだけの人殺し。だから次第に何も思わなくなる。それが仕事だ。剣を握った瞬間から自分は眠る。自分は捨てる。そうして別の生き物になる。大切な人を傷付けて、それでも何時もと同じ無感動。何も感じない自分にランスは深く傷つき悲しんでいる。ユーカーのために泣けない自分が悔しくて、許せなくて……そんな自分のために泣く。自分の中での大切が、意味を無くし、意味を変えていくことを知らされたようでそれが許せなくて。

 もしそれを自分に置き換えたなら。アルドールは考える。もし俺がイグニスを傷付けて、それでイグニスのために泣けなかったなら……俺は俺が許せない。ランスもそういう気持ちなんだ。今の俺には解らない。それでもそう言う日が来たら、俺もこんな風に慟哭するのだろうか?


 「ランス……」


 ランスは知っている。ユーカーが今まで自分のためにどうやって生きてきたかを。それを知っていたからこそランスはユーカーが大好きだったんだ。嫌えなかったんだ。そんなに好かれているのに自分は、何も思えない。その事実を突きつけられて、受け止めきれなくて……ランスは涙を流している。


 「あのさ、ランス……ランスが本当にユーカーがどうでもいいなら、今こんな風に泣かないよ」

 「でも、俺は!あいつのために泣けないんですっ……こんな俺がどうしてっ!あいつの友と言えるでしょうか!?俺なんかよりトリシュがパルシヴァルが!彼らの方があいつのことを思っているっ!!」


 ランスは他の騎士達と相方の関係を比べる。何時でも自分が一番でなければならないような強迫観念。誰よりも信頼されているから、誰よりも厚い信頼で返したい。ユーカーの信頼に縛られて、がむしゃらに彼は彼を大切にしたがる。それが解ってしまったからユーカーは……あんな風になってしまったんだろう。トリシュを庇った時だって……こうなっていてもおかしくなかったんだ。


 「負けちゃ、駄目なの?どうして比べるんだ?」

 「だって、俺は……俺があいつの……」

 「それでもランスがあいつを大切に思ってること。思ってたことは本当なんだろ?」


 この人はとても負けず嫌いな人。彼を誰かに奪われたくないのだ。縋っているのがユーカーのように見えて、それ以上に依存しているのはランスの方だ。それに気付いていたからこそユーカーは、あまり親しい人間を作らないでいたんじゃないかとさえ思う。そんな献身的な犠牲がまた、依存に繋がる。そこまでされた以上、大切にしなければとランスは苦しめられる。

 この人が泣いているのは、自分の心が解らないから。本当にしたいこと、やりたいこと。それがわからない。今何を悲しんでいるのかも、本当の意味ではまるで理解していないのだ。



 「ランスは今泣いている。自分のためにだ。それはエゴだ。それが欲だ。それが人間ってことなんだよランス。お前は人間なんだ、我が儘で良いんだ」

 「アルドール……様?」

 「いいじゃないかなそれで。何もかも諦める必要はない。欲しいものは欲しいって何でもかんでも手を伸ばして欲しがって良いんだ。それが人間だ」


 力なく項垂れた人の頭をぎゅっと抱く。俺じゃ先王みたいに父親代わりにはなれないだろうか。俺も養父さんとは距離を感じていたし、本当の父親って言うのがどういうものか良くは知らないけど……俺がアルト王だったら多分こうしていたんだと思う。だからそうした。

 不思議と拒まれなかった。それだけの力が今のこの人には残っていないのだ。精神的に磨り減っている。


 「約束……したんです。昔あいつと……二人で一緒に、立派な騎士になろうって。この国を守ろうって」

 「そっか」

 「なのにあいつは!どうしてタロックの将なんか守ってっ……」

 「まったく情けないな我が息子よ」


 不意に響いた低い声。振り返ればそこには白馬に跨った男の姿。ランスの父親であるアロンダイト卿ヴァンウィックその人だ。


 「はっはっは、今朝ぶりですなアルドール様」

 「り、領地に残ったんじゃ……」

 「な、何故貴方がここに……」

 「一つ言い忘れたことがありましてな。馬を飛ばしてきたわけだが……全く情けない顔を…………していてもこれでもかと言うくらい色男だなランス。流石は私の息子だ」


 我が子がイケメン過ぎて貶すに貶せずやれやれと肩をすくめる親馬鹿がいる。確かにランスはこんな時でも顔だけは整っている。


 「さて」

 「っ!?」


 そんな我が子の鳩尾を思い切り殴り上げ、無理矢理気を失わせる中年騎士は、そのまま馬上に彼を担いだ。


 「ひぇえっ!?」

 「アルドール様もご同行願いますぞ」


 かと思えば俺の手を引き馬上に引き上げ馬を走らせる。それが目指すはチェスター卿の城。

 その間中年騎士の背中にしがみついて、俺は振り落とされないように努力する。


 「忘れた事って、何ですか?」


 聞きたいことは色々あったけれど、まず第一にはそれだ。


 「あのお嬢さんのスリーサイズというのは冗談で、チェスター卿は堅物でしてな。年々石頭になっているとか。神子様のいない今、アルドール様の身元を保証するのは難しい。私が後ろ盾として出向かなければ話も聞いてくださらないだろう」

 「何でそんなに大事なことを先に言って下さらなかったんですか?」

 「いやー彼とは私も馬が合わなくてね、あまり顔を合わせないようにしていたんだよ。むしろ私が顔を出すことで話し合いは逆効果になりそうだと思っていたのだが、そうも言っていられないかと」


 どうせすぐにイグニスと合流すると思っていたのだろう。それがそうはならなかったということは……船が沈められたことは、彼にも伝えられたのだろうか?


 「うちの領地に神子様が飛ばした直属の部下が来てね、大方のことは耳にした。あれだけの人柄のお人だ、おいそれと何かあったとは思わないが私の所に送り込むくらい切羽詰まってはいたのだろう。ここは私も前線に出るしかあるまい」

 「……ありがとうございます」

 「はっはっは!何、男は30過ぎてからが華だろう?まだまだあっちもこっちも現役さ」


 ヴァンウィックはけらけらと笑い飛ばし、気を失ったランスを見つめる。


 「セレス君が攫われたと来たらうちの馬鹿息子は気が気でないだろうからねぇ。親馬鹿のなり損ないとしても放っておけないんだよ、これでもね。さて、まもなくだ!」


 ランスを抱えたまま颯爽と馬を飛び下りるヴァンウィック。彼は恭しく俺に片手を差しだし、降りる手伝いをしてくれる。かと思いきや、空いた片足で城門をガンガン蹴り付ける。

 中から顔を出したのはあの胡弓弾きの少年だ。


 「こんな時間に何事ですか!?」

 「こんな時間にとはご挨拶だね少年。無論夜這いは夜にするものじゃあないか」

 「……は?」

 「ほらほら掘られたくなかったらさっさと領主様に案内したまえ。早く通さないと領民片っ端から老若男女構わずR18も真っ青のR180クラスのエロワールドを展開するエロリスト、アロンダイト卿ヴァンウィックが食らいに行くと伝えて来るがいい」

 「し、シール様!なんか変な変態が!!アロンダイト卿を名乗っています!ええ!?信じて良いんですか!?変態イコール証明!?は、はい!解りました!」


 取り次ぎを図る少年の動揺っぷりが酷い。城内からは悲鳴すら上がっている。ヴァンウィックの悪名は隣の領地にまで響いているようだ。


 「……あの、貴方は本当にこれまで何やってきたんですか?」

 「アルドール様。男とは常に過去は振り返らない。前だけを向いて向かっていく生き物です故」

 「いつか刺されるんじゃないですか?」

 「既に過去に何度か刺しに来た相手を逆に私の自慢の息子を刺して満足させてから帰らせましたよ。ああ、この場合の息子とはランスではなく」

 「…………へ、へぇ」


 駄目だ、この人。本格的に全体的に根本的に潜在的にどうしようもなく果てしなくとめどなくこの上なく屑だ。男としては最低の屑だ。父親としては少し見直したのに。


 「え、ええと……許可がおりました。ただし“城内の者にも領民にも手を出すな”とのことです」

 「ふむ、よかろう。私もそこまで飢えてはいないのでね」

 「いまいち信用できませんが此方へどうぞ」


 老人の夜は早い。そして朝も早い。チェスター卿もその例外ではないらしく、夜の7時とか8時はもう深夜に相当するらしい。かなりの不機嫌そうな顔で彼は迎えてくれた。


 「何用だ、アロンダイト卿ヴァンウィック」

 「これはシールの爺様、お久しぶりですな。まだご健在でしたか」

 「そんな嫌味を言いにわざわざ参ったか?」

 「いやいや、そんな暇があるのなら私は他のことをしますよ。実はですね、このブランシュ領をタロック軍が横断したという情報が入りましてな。縦断ならまだ解りますが横断とは如何なものか。北から進軍してきたタロック軍が我がアロンダイト領の上、貴方の元領地に留まっているというのにですよチェスター卿?これ以上あの場所に敵軍が増えるのは私にとっても好ましいことではない」


 ヴァンウィックの切り込みを、俺は固唾と飲んで見守る。昼間にこの老人に啖呵を切った身は肩身狭くあるが、それでも気合いで負けては駄目だとじっと二人の勝負を見つめる。


 「何が言いたい」

 「負傷していたうちの馬鹿息子もそのタロック軍の将と一戦やらかしたようでしてね、情けないことに負けてしまったわけですが、東の門を貴方のお抱え胡弓弾きが通してしまったらしいじゃないですか、敵軍の将を」

 「……つまり儂がタロックの連中と手を組んでいるとでも?」

 「ええ、違う風に聞こえたならば耳の医者を紹介するところでしたな」

 「戯れ言を」

 「本気ですよ。裏は大分取れていますのでね。でなければ辻褄が合わない。ここ数日で城の観察をしていた者から言われているんですよ。城に兵がどんどん増えていくとね」

 「ふん、さしずめ貴様の所の甘い警備の所為で突破されただけではないのか?」

 「生憎うちの領内に上陸した者は北上する者が多いんですがねぇ……海からうちの北側はこのブランシュ領だったと思うのですが?」


 チェスター卿が、タロックに下っている。それを示唆されたが、俺には意味が分からない。どうしてそんなことを?本当に降伏しなければならないほど追い詰められているようには見えない。この街は音楽を奏でる余裕すらある場所だ。それが何故?

 疑問を浮かべる俺は、ここを治める老人に……強く睨まれた。


 「本当のところは解りませんが貴方がタロック側に回ると言うことは、この方を……カーネフェリア様を敵に回すと言うことをお忘れ無きよう。この方がカーネフェリアだとは私が保証しますよ。彼はシャトランジアの聖教会の神子様が身元を保証されている」

 「儂には貴様などのために身を引いたアルト王が理解出来ん……だが、ヴァンウィック!貴様のことは理解もしとうないわ!貴様のような男が今更忠臣を騙るか!?」

 「はっはっは!そんな今更そんな気はありませんよ」


 中年騎士は明るく笑う。しかし笑みを殺して一度だけ、老人を睨み付ける。


 「ですがね、私は貴方と違って残された時間はこの馬鹿息子の父でありたいと思うのです。あの可愛いトリシュ君と違ってうちの馬鹿息子は私を毛嫌いしていますがね。さてご老人、身辺整理でもなさったらどうです?タロックが負ければ貴方もこの領地を追われる。彼は立派に育った。この領地を治めるに値する男だ」

 「ふん、あんな優男に領主が務まるものか」

 「務まりますとも。恋とは時に愚かで時に偉大なもの故に。若さもそれにまた似ています。その内麗しい姫君を連れて帰ってきますでしょうよ彼もまた」


 こうしてユーカーのいないところでまた勝手に不幸フラグをこの人は。弟子可愛いのは解るけどもう少し甥っ子を真っ当に可愛がってあげてもいいんじゃないのか?


 「さて、そろそろお暇しましょうアルドール様。この馬鹿息子をいい加減寝かせてやらんとあれですからな。というわけで客間をお借りしますぞ」

 「出て行け変態」

 「仕方ない。ならばチェスター卿お気に入りの三兄弟とやらを三人まとめて相手にでも」

 「くっ!キール!適当な部屋に案内しろ!」


 手をわきわきと動かしたヴァンウィックにはご老体も青ざめる。我が子のように可愛がっている楽師達がこの中年騎士の毒牙に掛かったら大変だと城の部屋を提供。確かにこの人が来てくれて助かった。こういう路線に走らないとチェスター卿とは話も出来ないのだとよく分かった。


(……はぁ)


 ルクリースがいてくれてばどんなに心強かっただろうか。彼女を見習いたいとほんの少し思ったけれど、どうにも俺には出来そうにない。ヴァンウィックを真似たら多分今以上にランスに嫌われてしまいそうだし。俺は俺なりのやり方を、模索していくしか無さそうだ。


 *


 それは何時からだろう。よくはわからない。それでも何時しか俺は……本当に酷いことだと思うけれど、あいつのことをやはりペットか何かだと思っていたのだ。俺の可愛がり方はそれだった。

 本当に目に入れても痛くないくらいに思っていたし、出来ることなら俺以外に懐かれたくないし、懐かれたとしても一番は常に俺であって欲しい。あいつが捨て犬。拾ったのが俺で俺が飼い主。だからそれは当然の権利であるべきだと何時しか俺は思い始める。


 「何キレてんだよお前」

 「別に怒ってないよ」

 「普通に怒ってるし」

 「怒ってない!」


 「何キレてんだよお前」

 「別に怒ってないよ」

 「はいはい、んじゃ怒ってないならなんでそんなに不機嫌なんだよ」

 「別に不機嫌じゃないよ」

 「へいへい。どうせおっさんが俺ばっか連れ出すから腹立ててんだろ、お前アルトのおっさん大好きだもんな」

 「別にそれだけじゃない」


 「は?それ以外にお前に何があるんだよ?」

 「ユーカー、最近俺と遊んでくれない」

 「ぶはっ!遊ぶってお前……年上だろ?何ガキみたいな事」

 「ユーカーばっかりアルト様と遊ぶの狡いけど!アルト様ばっかりユーカーで遊ぶの狡い!」

 「ちょっと待て。“と”と“で”の違いは大きくないか!?俺で遊ぶな!百歩譲って俺と遊べ!」


 昔はこんな喧嘩も良くしていた。昔はそうだ。もっと素直に俺は色々口に出来ていて。それが年々言えなくなって。傍にいてくれだとか、もっと一緒に過ごしたいとか、そんなことも言えなくなった。

 お前は俺からの好意の形が歪んでいったのに気付いていながら、それに異を唱えることが出来ない人間だった。どんな形であれ、好かれることは嬉しいから。そう思ってしまうのがお前だから。お前は自分を好いてくれる人間を完全に嫌えないという欠点がある。しかし面倒臭い性格のお前だ。目のこともある。俺が傍にいることで、初対面の第一印象からお前を好くような変わり者はそうそういなくなる。

 いつも一人のお前を構う振りをして、俺がお前を一人にさせていた。そうしてお前を構いたがる。飼い犬はそうでいてくれなきゃ困る。威勢の良い番犬。俺には懐く。可愛いものだ。

 いつもお前をからかうことで癒されていた。お前の前では素に戻れる気がした。そんなお前からも俺は騎士として見られるようになっていって、お前は俺を見てくれなくなった。

 それは俺の本音じゃないんだ。お前は気付いてくれるだろう?そう思っていたことも俺の殻が厚くなるにつれてお前には届かなくなって。その内自分でも本音と建て前の区別が付かなくなって、俺は俺を見失う。

 俺はここにいるよ。殻をぶち壊してくれないか。また、昔みたいにお前と話がしたい。一緒に馬鹿なことを話して一緒に下らない馬鹿をやりたい。それが今では許されない。だから俺は苦しいんだ。お前の傍にいると俺は、俺に嘘を吐き続けている。お前みたいになりたい。お前にはなれない。

 俺の理想がお前だ。それでも人々の理想はお前じゃない。偽った俺が理想だと彼らが言う。だから俺は偽る。情けない顔は出来ない。弱音は吐けない。

 でも、それはもう良いんだよとあいつが言った。終わりにしようと俺に言う。

 ああそうだね。そうしよう。それがいい。そうすれば、俺がお前を傷付けることももうない。いつだってお前を苦しめていたのは俺なんだ。俺がお前の重荷だった。枷だった。それを認めることが辛かった。反対のことはもう認めていたのに、相手にとってのそれが自分だと受け入れるまで……こんなに長い時間が掛かってしまった。俺もそうだよ。何時しか重荷になっていたんだ。変わらないお前が眩しくて。

 そう思うと変わった自分が惨めに思えて、どんどんお前が憎くなる。お前が何かしたわけじゃない。解っている。解っているからこそ俺は俺を嫌い出す。そして俺は俺をそんな思いにさせるお前を嫌いになって来る。

 それでもお前は変わらず俺を立て、俺を崇めて慕うのだ。俺の誇りだ、俺の自慢だと。増長していく俺の空っぽのプライド。俺の中には何もないのに、俺は不遜に傲慢になる。中身などありはしないのに。

 だから俺は俺とは真逆のお前の中ならば、俺に欠けている全てが備わっていると思い込んだ。お前を縛り付ける心は空虚な自身を満たしてくれると思っていた。

 そんなお前は荒んでいったのだろうか。俺が縛り付ければ付けるほど、お前の中身が消えていく。手綱を緩めればお前は多くを手に入れ遠離る。ますます俺は荒んでいくばかり。

 俺の平穏とは常に、お前という犠牲の上に成り立っていた。

 まだ、大切なのは本当だから。だからこそ、さよなら。お前はお前だ。そう言ってあげられなくてごめん。お前をお前として見てあげられなくなってしまってごめん。最後にそれを伝えたい。だけど声が震えてもう何も……言葉が出ないんだ。


 「………」


 あれ?おかしい。ランスは目を瞬かせる。自分は外にいたはずなのに、見たことのない天井を見上げている。

 精神的なものか、酷く怠い。頭が痛い。身を起こすのも億劫だ。そんな中、誰かの声が聞こえる。


 「お前の初めての我が儘を、私はまだ忘れられずにいるよランス」


 声の方向を向けば、何故か父である男が寝台横の椅子に腰を下ろしていた。何故ここに父さんが。そう思ったが、この男のことだ。何をやらかしてもおかしくはない。実は隠し子が100人くらいいるとか言われても俺は多分驚かない。むしろその程度で済んでいることに驚くか。だからこの程度、よくあることだ。

 それに、今は強く言い返す気力もない。だから俺は先の言葉を聞き返すことしかできなかった。


 「俺の、我が儘?」

 「ああ。お前は忘れてしまったか?」


 父はにやにやと笑う。


 「私はよく家を空けていたからねぇ。お前に我が儘を言われるなんて滅多にないことだ。だからお前が私に何かを頼むと言うことは、私にとってとても印象的かつ衝撃的なことだったんだ」

 「俺は……何を」

 「これが“父様仕事に出掛けちゃ嫌ぁ”とかだったらまだ可愛いんだけども、お前は昔から顔は良いのに中身が可愛くない子供でなぁ……」


 肩をすくめていた父が、にっと口を歪ませて……彼の名前を口にする。


 「だが、そんなお前が唯一可愛くなるのがセレス君がらみの時だった」

 「ユーカーの……?」

 「お前はアロンダイト領にセレス君を引き取りたいと言ったんだったな。病気の療養という建前で、あれの傍にあの子を置いておきたくなかったんだろう」

 「俺が……そんなことを」


 すっかり忘れていた……


(そうだ、俺は……)


 こんな目さえなければ、きっと父は愛してくれる。泣きながらその目を抉ろうとしたあの子。唯守りたくて、誰にも傷付けられたくなくて。守ってあげたかった。だからどんな理不尽からも守ってあげられるように、俺の傍に置きたかった。

 それでもあいつがどんどん強くなって、俺が一度、打ち負かされた。剣なら誰にも負けないと思っていた。それが俺より後に剣を覚えたあいつに負かされて。それが悔しくて、悲しくて。俺が守られる側になるのが許せなかった。そうして俺のあいつへの情は……次第に歪んでいったんだ。そうして今や、俺があいつにとって何より大きな理不尽の権化と化した。本当に、皮肉なことに。


 「お前も覚えているだろう?あの子とうちの領地で遊んだ日々は」

 「……はい」


 今も思い出せる。毎日が楽しくて、新鮮で……輝いていた。あいつが一緒なら、何も怖いものなんか無かった。一緒に領地を探検して遊び歩いた。次第に元気になったあいつと一緒に悪さもした。だけど俺は……母さんが死んでから沈んでいた俺が元気を取り戻したのは、あいつのお陰だったじゃないか。あいつがうちに来てから俺は、毎日ずっと笑っていた。


 「私も驚いたものだよ。あれが死んでからはいつもはしょぼくれた顔をして出迎えるお前が、あんなに笑って私を出迎えた。セレス君には悪いが、長らくお前のお守りを彼に任せてしまったなぁ……」


 しみじみと感慨深そうに父は言う。あいつを犠牲にしてきたのは自分も共犯だと語るように。


 「いっそ彼が姪っ子だったなら、一生お前の面倒を見て貰っても良かったんだがね。甥っ子じゃこの辺が限度なのかも知れないな」


 確かにそうだ。彼が女の子だったなら俺は……俺がずっと守る側でいられたのに。負かされることもなく、屈辱を知ることもなく……唯、真っ直ぐに……大切にしていられただろう。


(それでも……)


 そうなら俺とあいつの繋がりは……ここまで密接な物にはならなかっただろう。多分何かの枠に収まって、それでお終いだ。今はどの枠に収めてもしっくり来ない。だから投げ出したくなるくらい重い。それでも、大事だったのは本当で……遠く離れていくあいつに、心にぽっかり穴が空いたよう。


 「俺は……」

 「お前が嫌じゃなくてもセレス君が嫌なんだろうよ。なるほど、確かに時に友情は愛に傷ついた心を癒してくれるかもしれない。しかし同じ物にはなれない。お前達は……いや、お前がその辺を正しく理解していない」

 「俺が……?」

 「ああ、そうさ。セレス君はシャラット卿のお嬢さんと恋仲だった。しかぁし、セレス君が大好きなお前はそれをあんまり快く思わなかった」

 「…………」


 友情と愛情を履き違えてごっちゃにしている阿呆がお前だと、父は俺を指摘する。母親からの愛、父親からの愛、兄弟としての愛。アルト様が現れるまで、そんな物を全部彼の親愛から得て置き換えようとしていた。偏狭で嫉妬深く、依存ばかりが強いそんな男と長年親友をやっていてくれた彼は本当に有り難い存在なんだと言われた気がする。多分、それは一生物だ。彼を逃せばもう、代わりは永遠に見つからない。そのくらい希有な人材なのだと俺は教えられている。


 「それでアスタロット嬢が死んだのを良いことに、お前は彼を騎士人生に縛り付けた。聞くところに寄れば二人で剣の道を究めるべく国に命を預けて生涯独身でもして男の喜びも知らずに生きていくつもりだったんだろう?ああ、勿体ない!セレス君もあれでそこそこ可愛いし、お前は私に似て美形だというのに」


 かと思えば父の言うことは解らない。回りくどく大げさだ。


 「何が言いたいんですか?」

 「つまりだな、セレス君はお前と違い人を愛すると言うことを知っている男だ。そして失う怖さも知っている。だからお前との繋がりさえも許し愛せる器があるんだよ。友情もまた一つの愛の形故、彼はお前のためにでも死ねる覚悟がある」

 「…………そう、ですね」


 それは知っている。あの子は本当に俺を大切に思っていてくれた。だから俺もそれに応えたかったんだ。思ってくれる以上に思いたかった。大切にされる以上に大切にしたかった。そういうところでも俺は、どうしようもないほど負けず嫌いだったんだ。


 「しかしお前は愛を知らない。誰かに恋したことも愛したこともない。だからお前の彼への友情には愛がないのさ、覚悟もない。親しみが惰性で依存に変わっただけの繋がりだ。お前のそれは愛ではなく、唯の情に過ぎん」


 俺と人との繋がり、それは情なのだと父は言う。その全てに愛がない。アルト様との関係ですら、情に過ぎなかったのだと言い切られたようで胸が痛い。突然そんなことを言われても、愛なんて……そんなの意味が解らない。


 「我が息子よ、彼と真の友になりたいならばまずは愛を知れ。誰でもいい。心を開け。そして一度恋に愛に生きてみろ。それはお前の器を広げる。お前が愛という物を知ったなら、その時はお前も彼と対等の親友になれるさ」

 「でも……っ!」

 「私は私の親友と同じ女性に恋したことがあったが……それでも今も彼への思慕は尽きない。私はあの時ほど自分が男だったことを感謝したことはない」

 「どういうことですか?」

 「女性の友情は時に愛のために崩れるが、男の友情という物は愛の前にも不滅と言うことさ。別物と言うことだ。時には恋敵同士友情が芽生えることもある……」

 「……」

 「今となっては私は、そんな友をもう一度……あの男のような奴に巡り会いたいから、食い漁りをするのかもしれないなぁ……」


 父は遠い目をして眼を細め……小さく息を吐く。


 「要するに、お前とセレス君が娘と姪でなくて良かったと言うことだ。お前達が私を取り合い友情にドロドロの亀裂が入るところは見たくなかった」

 「仮に俺とあいつが女に産まれてもそれだけは絶対無かったと確信できます」

 「まぁ、考えるな、感じろ。そう言うことだ。心のままに行け。さすれば否応なしに恋の嵐は猛々しく吹き荒れる。お前は下らないことを考えすぎだ」


 頭をがしと掴まれ何度か揺さぶられ、目が回る。そんな様子の俺を見て、父は小さく笑うのだ。


 「それが彼への礼儀だ。彼はお前ほど心の狭い人間じゃない。お前の世界が広がることを喜ぶ器量のある男だ。まぁ、陰で寂しがるくらいの可愛気はあるだろうがな。たまには相手をしてやればそれで十分喜ぶだろうよ」

 「…………」

 「別に私としてはお前がトリシュ君の恋敵に立候補してくれても構わないのだがね。そんな殺伐とした修羅場も端から見る分には酒が進みそうだ」

 「ふ、ふざけないで下さい!俺とあいつの繋がりを、そんな下世話なものにしないで欲しい!」

 「なら馬鹿息子、さっさと友人としてよりを戻しに行くんだな。そんな下世話な関係を迫る男が少なくとも二、三人はいるらしい。セレス君のリアルラックの低さは異常だぞ?それにもう私の弟子にあの少年騎士君が追いかけていったそうじゃあないか。もうお前の出る幕は終わっていたら面白いな王子様?」

 「二人までは把握していますが、三人目とは?」

 「無論私に決まっているよ」

 「あいつに何かしたら俺が許しませんからね、父さん」

 「ははは、お手柔らかに………む?ランス、今何と?」

 「仕度の邪魔です、出て行ってください」


 しつこく同じ言葉を引き出そうとする父を部屋から追い出すと、彼は去り際こんな言葉を残していく。


 「そうだ馬鹿息子、寝台の下をチェックしておけ」

 「は?」


 また何か変な本でも置いたのかと不安になるが、この状況でそんなことをするような父親なら今度こそ軽蔑する。仕方なしにとりあえず言われるがままチェックはしてみる。するとそこには……


 「混血剣セレスタイト……」


 ユーカーの片手半剣。俺が……あいつを斬った剣。アロンダイトはあの時タロックの騎士に奪われた。


 「ユーカー……」


 お前の怪我を治すのが、長らく俺の役目だったのに。その俺がお前にあんな大怪我負わせてしまうなんて……

 痛む胸と共にそれを装備に加えるが、慣れない剣は手に重い。それでも人を斬る感触は同じ。あいつはもっと強い物だと思っていたのに、……人間、だったんだな。この壁なんかよりももっと脆くて、柔らかくて。俺も……お前を美化、神格化していたところがあったんだなと、思わせられる。あいつは何もしないが何でも出来るって、俺はそう決めつけていた。だけど、そうじゃない。そうじゃなかったんだ。

 これまで明確にイメージできなかったあいつの死。それが俺の中でリアルに想像できる物に変わっていく。死ぬんだ。いつか。あいつも、死ぬんだ。俺が死なせてしまうんだ。だからあいつは……俺から離れた。死にたくないからじゃない。俺に殺されたくないからだ。名誉のない汚れ役。それを俺にさせたくないから……


 「ランス、起きてる?」


 聞こえるノック音。声はアルドール様の物。


 「はい、どうぞお入り下さい」


 身支度を調えて扉を開ければ、少年王が部屋へと踏み入れる。


 「疲れてるところ悪い。本当は今すぐにでも……って言いたい所なんだけど、ユーカー無しでの夜道は危険だ。敵の罠に嵌る可能性もある。この辺の地の利は俺達にはない」


 みんなが心配だとは思うけれど、出発は翌朝にしよう。アルドール様はそう言った。それでも俺はそれに従えなかった。


 「ですがアルドール様!」

 「心配?」

 「はい」

 「そっか。じゃあ行こう今から」

 「……はい?」


 突然のことに面食らう。彼の意見はほんの瞬く間に変わってしまった。


 「ごめん、今のはランスを試したんだ。いつものランスならきっとああは言わなかった。俺の言葉に従っていたはずだ」

 「アルドール……様?」

 「ランスは人形じゃない。人間だ。だからそれでいいんだよ」


 そう言って、アルドール様は俺に笑みかける。


 「俺もみんなが心配だ。ていうか俺とランスが一番カード的には今ピンチだ。みんなに心配されないためにも合流を図るのが当然の流れだよな」

 「そ、そう言われてみればそうですね」


 AとⅢ。最弱と弱い方から数えて三番目。こんな時に道化師にでも襲われたらひとたまりもない。


 「しかし王の護衛が一人とは心許ない。どれ、私も付いて行ってあげるとしよう」

 「領地は良いんですかアロンダイト卿?」

 「聖十字兵のみならず、運命の輪の子が来てくれたのでね。教会兵器持ちがいるなら正直私の出る幕ではないだろう」

 「……また貴方は何処から出て来てるんですか」


 何食わぬ顔で会話に加わる父はクローゼットから現れた。おかしい。扉から出て行ったはずなのに。


 「いや、あまりにここの領主が腹立たしいのでな。壁ごとクローゼットの背中を切り抜きまたハメてこうして隠れていたわけだ」


 さも当然のように器物損害を語られても……反応に困るのだがこの人は何も解っていない。


 「む?どうしたランス?」

 「何でもありません」


 少しでもこの人を見直した、俺が馬鹿でした。

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