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0,が付いてる内はまだ0章軸。フローリプが死んでからが6章軸。

まだプロローグみたいなものです。

 「アルドール様……」


 一週間ぶりの主を目に、まずランスの口から零れたのはそんな言葉。扉の先の風景に、あらゆる言葉が霧散して、そう絞り出すのが精一杯だったのだ。

 久々の王都。馬を奔らせ都へ急ぎ、城へと向かい、あの方が居ると聞いたその一室に駆け込んだ俺を迎えたのは二人の人間。あの方の傍には1人の少女が居た。

 その人は俺が初めて見る人だ。彼女よりは短い金色の髪。伏せられた瞳の色はうかがい知れない。まだ小さな女の子だ。おそらく彼の言う、“妹”君なのだろう。

 無事に道化師の魔の手から、彼女を救い出すことが出来たのだ。しかしそれにしては彼の表情がおかしい。目的を達成したにしてはそれはあまりに暗すぎる。


(そう言えば……ユーカーの奴も何か様子がおかしかった)


 *


 俺がいない間、王の護衛を頼んでいた俺の従弟。嫌々と言った口ぶりで護衛に付いたにもかかわらず、律儀にもここ数日寝ずの番でもしてくれていたのだろう。再会した従弟は少し窶れた様子で左目の下には隈が見える。隠されている右目もおそらく同様に。


 「……んじゃ、後はお前の番だ。子守りなんて柄にもねぇ仕事させられたんだ。戦まで俺は昼寝でもしてくるぜ」


 軽く欠伸をしながら、背を預ける壁から身を離す。そして背を向けそそくさと消えていこうとする彼に、俺は違和感を覚える。


 「ユーカー……何があった」

 「見りゃ解る。嫌でもな」


 場合によっちゃ俺はまたお前に殴られるかもしれねぇと、彼は小さくそうぼやく。

 些細なことで喧嘩を繰り返していた昔は兎も角、近年では俺がこいつに手を挙げるのはそうそうない。その時点で俺は気付いた。誰かが死んだのだ。

 俺にとっての最悪は、主を失うこと。ユーカーの語る言葉がアルドール様の死ならば確かに俺はこいつを殴らずには居られない。そして何故だと問い詰める。そしてそうしてしまった自分とまた何も出来なかった自分を深く悔いることになる。

 早く扉を開けてあの方の安否を確認したい。それでも何かが妙だ。何かあったというのは誰かではなく、目の前のこの男自身のことのように感じられるのは何故なのか。


(違う。アルドール様じゃない)


 その様子からそれを察する。けれどあの人に連なる物事……それ以外でこいつをここまで変貌させる何かがあっただろうか?

 1人だけいた。しかし彼女はもういない。


(これではまるで……)


 この様子は見覚えがある。彼女の死を知った時のそれによく似ている。此方が言葉を掛けることを躊躇ってしまうような静かな気迫。怒っているのか沈んでいるのか何とも言えない危うい均衡。迂闊に触れれば何が彼の地雷になるのかわからない。彼とはそれなりに長い付き合いだ。粗方互いを理解している。そう、そのつもりだ。それでもこういう時、それは誤りなのではないかと思わせられる。それは唯の自惚れで、本当の理解には程遠い。


 「それじゃあ……お前には何があったんだ?」

 「お前には関係ねぇことだ」


 言いたくないと彼はそう吐き捨てる。ばっさりとそう切り捨てて関わることを許さない。

 彼には元々排他的なところはある。それでもそれが自分に向くことは本当に稀だ。だからこそ彼にそう言わしめる程の事態が引き起こされたのだとは知る。


 「いや、悪い。言い過ぎた」


 そう言ってユーカーは目を逸らす。小さく息を吐いて呟く言葉は自暴自棄のそれとは違う。暗い中にありながら、明確な線、一本の芯を感じられる。何かの決意を感じさせるような言葉。


 「……お前が死ぬまでは、俺がお前を守ってやるよ。仕方ねぇから、あいつのお守りもしばらく付き合う。ついでだけどな」


 本来その言葉には安堵すべきだ。少なくともあの少年の無事は確定された。自分もアルドールも弱いカードだ。道化師などと対峙したなら間違いなく敗北するだろう。Aであるアルドールはジョーカーを殺せる唯一のカードではある。それでもそれには条件があるのだと神子は言う。

 コートカードであるユーカーがアルドールの護衛を継続してくれるというのなら、それは助かる。その時が来るまでの時間を稼ぐまでに彼が必要な人材だということは誰もが理解している。しかしやはり疑問を感じる。しかし繰り返される問いかけに、彼は答える気がまるでない。


 「……俺は下から三番目のコートカード様だからな。いねぇよりはいくらかマシだろ」


 それは自嘲だろうか。彼が笑った。

 「お前が必要としているのはカードとしての俺の力だろう?それとお前に劣る剣技くらいだろう?劣るとはいえあいつの護衛としてないよりマシだから」……彼の言葉にはそんな響きがあった。


(違う、俺は……)


 そんなことを言わせたいのではない。それでも彼はもう決めている。此方の言葉など介さない程頑なに。

 アルドールを守るのはアルドールのためじゃない。お前がそういう俺を望むからだ。お前があいつを守れと言うならそうしてやるよと言う言葉。

 騎士として主に仕えるのは当然のことだ。それでもユーカーはアルドール様に仕えてはいない。彼を主君とは認めていない。それでも護衛をしてくれるのは、偏に俺の言葉があってこそ。それは俺を死なせないため。だからこいつはここにいる。

 それでも俺の頼み事は、違う。騎士としては当然のこと。それでも、それはこいつにとっては当然ではなかったんだ。今までは同じ人に仕えていた。だから俺たちにとってそれは当然だった。それでも今、それはもう当然ではない。無くなってしまった。

 俺はアルドール様のために自身の犠牲を肯定するが、ユーカーはそうじゃない。こいつもカード。カードとして他を殺めて生き残る道を選ぶのか、それとも自らの犠牲を肯定して願いを託すのか。こいつは自分の命の使い道をとうとう決めたのだ。

 こいつは今、お前のために死んでやる。そう言った。自身の願いを諦めるに値するのはこの俺だけだと言っている。その言葉の重さと、認識の違いに俺は言葉を失った。


 こいつに騎士であることを求める俺は、「仕えたくもない子供のためにお前は死ね」と言っているようなものなのだ。こいつは俺に生きろと言ってくれているのに。言葉の違いに、俺は俺が本当に薄情な人間なのだと思い知らされる。俺の言葉は消極的に、間接的にこいつの死を望んでいるようなものだった。

 こいつはそれを嫌がった。それが嫌だったんだ。どうしてそれに気付いてやれなかったのか。今のこいつはもうそれを受け入れている。「そのために俺が死んでもどうでもいいんだろ。俺はそうじゃなくてもお前はそうなんだよな。別にそれでもいいけどよ」……そんな虚ろを抱え込んでしまっている。

 俺がこいつを本当に何とも思っていなくて、大事な家族の命さえ使い捨てるような男だと認めた上で、こいつはそれでもいいと言ってくれている。死んでやるよと口にする。そこまで追い詰めてしまった自分に反吐が出る。

 そうじゃないんだと思っても、伝えられる言葉が俺にはない。何とも思っていないはずがない。それなのに俺はいつもこいつを犠牲にしてしまう。忠義に私情を挟めるはずもない。俺は人である前に騎士だ。王のため、即ちそれは国のため。そこにたった1人だ。どんなに近しい親しい身内でも、俺はその命を肯定できない。


 「ユーカー……本当に、何があったんだ?……それは俺に言えないことか?」


 それでも諦めきれず、聞いてみる。しかし答えは変わらない。


 「……言いたくねぇことだ」

 「そうか……」


 そう言われてしまえばもう何も言えない。俺は今拒絶されている。当然だ。こいつはいつも俺を案じてくれている。そのため感情的なこいつは騎士としても将としても失格だ。それでも人間としては俺より遙かに優れている。俺は騎士として将としては優れていても、人間としては失格だった。俺は世界で一番嫌悪する男と同じ例えを背負ってしまっているのに気付き、胸の中に苦いものが込み上げる。


 「……さっさとあいつの所行ってやれよ。お前の主なんだろ。俺は昼寝でもしてくるわ。ここんとこあんま寝てねぇんだ」

 「……ああ、俺の主を守ってくれて……ありがとう」


 今度こそ背を向けて歩き出した従弟が、ピタと足を止める。だが振り返らない。


 「………………まさか礼を言われるなんて思わなかった。殴られんの覚悟してたんだけどな」

 「……あの方は無事なんだろ?それなら十分礼を言うには値する」

 「お前って意外と淡泊だよな。……誰にでも優しいけど、実際はどうでもいい奴らも多い。お前は本当部下体質だな。主さえいりゃそれでいいんだろ」


 そう語る彼は今、どんな顔をしているのだろう。子供の頃からの付き合いの俺でもそれを察することは出来なかった。

 俺に対してこんな風に棘のある言葉を吐く従弟は珍しい。見下している訳じゃない。それでも僅かに軽蔑している?いや違う。それは先程の笑み、自嘲に似ている。これはいつも強がっている彼の、捻くれた弱音なのだろうか。


 「ユーカー……?どうしたんだ、本当に……」


 どうにもこうにも彼らしくない。戸惑いを覚える俺に、彼は苛立ったように舌打ちをする。

 命捧げてもいいってくらい大好きな王様が待ってるんだ。そこらのゴミと大差ない俺のことなんか構ってる暇あったらさっさと会いに行ってやれ。そう背中を蹴られたようだ。


 「……眠くて苛ついてるだけだって。いいからさっさと行けよ」

 「あ、ああ……」


 部屋の扉に手を掛ければ、俺の頭が切り換えられる。仕事に私情は挟んではならない。俺の最優先事項はアルドール様なのだ。僅かに後ろ髪を引かれる様な気持ちも頭の中から振り払う。

 部屋の中には長い金髪を結った少年と、寝台に横たわったままの少女。ここに来るまで出会わなかった人間はいるか?ユーカーのあの様子。誰かが死んだのはまず間違いない。


(イグニス様は教会にいるとの話だったが……)


 彼らの中から失われたのは何なのか。皆が一様に虚ろを宿した表情。そうだ彼らからは明るさというものが消えている。


(そう言えば……ルクリースさんを見ていない)


 そこでランスは答えに気付く。そうだ、影のようにこの少年の傍にいつもべったりしていた……彼の姉がどこにもいない。


(まさか……彼女が)


 アルドールを見送る時、その傍には1人の女性が居た。長い流れるような金髪に、海色の青い瞳の少女。夏のような人だなと思った。その瞳は涼しげな色なのに、笑顔はどこまでも温かく、その目は炎のように燃える強固な意志を持っている。

 カーネフェルは男が少ない。このご時世だ。この国における女性は必ずしも守られる存在というわけではない。彼女もそうだった。俺よりも多くの幸運に守られた最強の一角、コートカード。あの方を守るカードとして、俺たちの中で最も適任だったと言える。

 彼女は笑っていた。最後まで笑っていた。此方に不安を感じさせることもないような、軽く明るい笑みで何時までも。

 ユーカーのあの沈みよう。幾らかは彼女が関係しているのだろう。ユーカーは本当に嫌いな相手には口さえ聞かない。彼と毒舌合戦が出来ると言うことは、多少は心が開かれている証拠だ。


(ユーカー……)


 アスタロットのことがあってから女性から距離を置いていた従弟だが、彼女とはなかなか気が合いそうに俺には見えた。……あれはこの少年だけの力ではない。あいつが昔をほんの少し取り戻したのは……その何割かは、あの女性の力もあったのだ。

 彼女は俺たちの知る女性とはかけ離れたような性格をしていたけれど……それでも人を惹き付ける何かが彼女には確かにあった。それが彼女の、王の血だ。


(殴れるわけ、ないじゃないか……)


 彼はまた、目の前で王の血縁(カーネフェリア)を失ったんだ。俺はまた大事な時に何も出来ず、王の傍にいられなかった。


 「アルドール様……申し訳ありません。俺は……貴方を守れなかった」

 「…………何言ってるんだよ。ランスはちゃんと役目を果たしてきてくれたんだろ?……お帰り。良くやってくれた。感謝してる」


 此方を見向きもせずに主が喋る。その姿の何と痛々しいことか。

 傍らの少女しか目に入らないと言うように、その寝顔を見守る姿は1人の兄だ。王などではない、唯の弱い脆い傷つきやすい少年だ。俺が今ここにいることはおそらく邪魔でしかない。2人の時間を妨げるだけの存在。その先続く沈黙に耐えきれず、俺は一言を残して部屋を後にする。


 「いいえ、俺は守れなかった」


 それに対する答えはなかった。それは彼もその通りだと思ってくれていたからなのか。事実としておれは彼の心を守れなかった。だからこんなに彼は傷ついている。

 人間失格だって?何を言っていたんだろう俺は。人間どころか……使命も果たせない。俺は騎士さえ失格だ。傷ついた主の支えにすらなれない。こんな俺に意味はあるのか?

 無い。あるはずがない。


 *


 「アロンダイト卿!わざわざ此方まで来て頂いてすみません」

 「イグニス様……」


 約束通り出向いた第二聖教会。俺を迎える神子の顔もまた明るいとは言い難いそれだった。

 一週間。たかが。それっぽっちの時間で希望は容易く絶望へと姿を変える。


 「いいえ、確かに最善ではありませんが最悪ではありません。よく時間を稼いでくださいました」


 王に代わってお礼を言わせてくださいと幼い神子が言う。その言葉は確かに勿体ないが、ランスにとってそれは喜びではない。何よりその言葉を与えて欲しかった人はもういない。その代わりの人も、今は深く沈んでいる。


 「しかし流石ですね。よく一週間も時間を稼いでくれました。お陰でタロックの奴らに立派な式を見せつけてやれそうです」

 「策が見破られぬように、籠城の構えを見せ、私も何度か討ち死にを思わせる無謀な行動を取りました所詮は烏合の衆。そう思わせ瓦解したと認識させる風にバラバラに逃がしましたが先程全ての部隊が都入りを果たしました。タロック軍はカルディアを陥落した勢いでこのまま都までやって来ます。おそらく明日には此方に辿り着くでしょう」

 「そうですか。……それでは気を引き締めてもう一戦に挑みましょう」


 一度そこで会話が途切れた。決戦前夜だというのに不安は尽きない。そればかりが雪のように降り積もる。真夏の暑さでさえそれを解かしてはくれない。


 「……アルドールには、会われましたか?」

 「はい……」

 「……ルクリースさんのことは残念です。……彼女は、僕とアルドールを守ったせいで………」

 いえ、物は考えようですねと彼は首を振る。


 「相手は道化師でした。彼女一枚で切り抜けられたことの方が奇跡ですね。痛手には違いありませんが」

 「………俺で、あの方をお守りすることが出来るんでしょうか」

 「……僕よりはあなた方の方が適任ですよ。……僕が行くと彼は空元気を振る舞おうとして余計に痛々しいことになりますから」

 「イグニス様……俺は俺が情けないです」


 沈んだ顔。表情一つ変えずに瞬きも忘れたように眠っている少女を見つめていた主の姿。その背中に幾ら言葉を投げかけても虚しさは拭えなかった。


 「こんな時にあの人を……俺は支えることすらままならない!」


 聖堂に響く自分の言葉に、情けなさばかりが募る。自分の無力を実感する。どうしていつも自分はこうなのだろう。大切なときに大事な人の傍に居ることが出来ない。そうしてその身と心を守ることも叶わない。下された命令を幾ら果たしたところで、主を守れないのなら、騎士たる我が身に一体なんの意味があろうか。


 「…………アロンダイト卿、貴方は多くの時間を作ってくれました。まだ今日の夜には時間があります」


 俯いて頭を抱えるランスにイグニスは歩み寄る。その向かいに腰掛けて、両目を閉じて淡々と言葉を紡ぐ。ひっそりと囁くようなその声の中に何故だろう、憐れみか慈しみのような得体の知れない温かみを感じる。


 「僕も神も貴方を救いはしませんが、貴方が貴方を救うための手伝いくらいなら喜んでさせていただきますよ」


 懺悔をしろ。悔い改めろ。自身を救う、そのために。聖堂を流れる夜の空気がそう、語りかけてくるようだった。


(後悔か……)


 そんなもの、ある。幾らでも。

 幾ら周りに持て囃されても自分も1人の人間だ。不可能事は幾らだってあるだろう。

 力が足りないとは思わない。それを感じるのならそれを補う努力をすればいい。だから非力を嘆くことはない。

 それでも無力を感じることはある。今更どうにもならないことを悔いる気持ちは尽きない。


 被害は最小限に。民と兵を逃がすための時間稼ぎ。指揮官が前線に出るなんて無謀、それを犯した。捨て身の攻撃だとタロック側は受け取った。それに応じる潔さをもって彼方の将が前に出た。もうカーネフェルは虫の息。カルディアの砦もランスが散れば陥落。逆を言うならその騎士1人いるだけで、何時までもこの砦は屈さない。最後の1人になるまで戦い続けるだろう。

 だからこそその指揮官が前に出ることは意味がある。大きな餌だ。それさえ撃てばいよいよ王手。弓兵達の攻撃も、精霊に愛された数術使いを前には意味を成さない。数術使いの弱点は接近戦。ランスを落とすには接近戦を挑む必要がある。それを向こうの指揮官が悟るまでに一日。その力量を見極めるためにまた一日。翌日、三日目から将同士の一騎打ちへと持ち込んだ。それが無駄な犠牲を減らす術だと両者が認め合うことで。

 しかしランスは唯の数術使いではない。あくまでランスは騎士。数術の才のある騎士。数術使いの欠点である接近戦を克服どころか、むしろ其方が本分だ。そこから三日間はランスの優勢。武人としての礼儀を持ってそれに応えていた双陸も、相手が窮鼠ではないことをいよいよ悟り、これ以上の時間を割けないことを知る。武人の礼儀も誇りもタロック王の命令には及ばないのだろう、方針を変えそれまで待機させていた弓兵が狙うのはランスではなく他の兵士。その全てを援護しながらの一騎打ちとなれば、数術の分も詰められる。剣技だけなら力は拮抗。こうなれば、ランスももう命令を下さなければならなくなった。

 王都ローザクアへの撤退。それは要塞カルディアの陥落を意味した。

 なじみ深い場所を敵に明け渡すのは非常に苦い思い。それでも俺にとって王の命令は絶対だ。あの優しい少年は、王でありながら民や兵の命を尊ぶ。その優しさは先王と通じるところが感じられ、今度こそ守らなければと思わせられた。


 「償いのつもりだったんです」


 長い沈黙の後ポツリとランスの口から漏れた言葉。それにイグニスが問いかける。


 「償い……ですか?」

 「ええ……俺が俺を保つためには、俺には王が必要だった」


 理由が欲しかった。あの人を死なせてしまった俺がやるべきことは何か。冷静な判断能力を失っていた。だから感情に振り回されて言わなくても良いことを口にしてしまいユーカーを傷付けた。あいつは俺の身を案じていてくれたのに。

 ……そんな俺たちを仲裁してくれたのもアルドール様だ。今は回数も減ったが、昔はそれなりにあいつとは仲違いをしていた。子供だった。お互いに。その度に間に入ってくれたのはあの人だ。そんなところまでアルドール様はあの人によく似ている。だからこそユーカーも文句は言いながらも彼を放っておけないのだろう。あいつと俺はよく似ている。あいつも求める物があるのだろう。償いか、死に場所か。それを思う気持ちはあいつにもきっとある。


 「アルドール様は、俺の希望です。死に急いでいた俺にあの方は生きろとお命じになった……そんなあの方に、俺はあの人を重ね見ていたんです」


 そんな命令をされたのは、彼で二人目。込み上げる懐かしさと慕わしさ。それが俺に忠誠を誓わせた。口先だけのそれじゃない。あの時、俺の心が彼へと跪くのを感じた。

 あの人を死なせてしまった俺なんかに彼は生きろと言う。それは許しだ。同時に命令だ。俺を許した言葉が俺に忠誠を誓わせる。生きろと命じる言葉は、俺に俺の死への決意をより強固にさせる。


 「俺はアルドール様のためなら、この命を使っても構わない。そう思いました」

 「アロンダイト卿、貴方は本当に立派な騎士ですね」


 決意の言葉に、神子は含みをもたらす言葉。


 「だからこそ僕は貴方を疑問に思います」


 見開かれた琥珀色。その双眸は月明かりのような冷たい光を映し出す。その全てを包むような、それで居て突き放すような冷たい瞳に彼の言葉もよく似ている。魔に魅入られたようにランスはその言葉に耳を傾けるしかなくなった。


 「アロンダイト卿。僕は神子です。人を救うべき立場の人間です。それでも僕は多くの犠牲を肯定しなければならない立場の人間でもあります。僕に求められているのは犠牲を上回る救済。最小限の犠牲で最大多数の幸福を実現させるのが僕の役目です」


 博愛を義務づけられた役職に据えられた子供。それでも彼はまだ幼い。そんな子供に背負わせるにはあまりに重すぎる荷物。そんな重荷を抱えながらも彼はまっすぐ顔を上げ、しっかりとした口調でそれを言い切る。


 「仮に僕の中に深い葛藤があったとしても、僕は見捨てなければなりません。ルクリースさんも、フローリプさんも……救える力があっても僕は彼女たちを救えません。僕は彼女たちを諦めた。フローリプさんも、もう長くはありません。どうにかする方法を知ってはいても、僕は僕の役目と考えのためにこの件に関してどうすることも出来ません。それでも勿論後悔はします。悔いてもいます。それでも僕は割り切っている。犠牲を肯定する以上、僕には前を、上を向いていなければならない義務がある」


 「……ここの戦いが終われば、大きな戦が始まります」


 未来を見据える瞳は、それは避けられないことだと此方に訴えかけてくる。タロックをカーネフェルから追い出すだけでは神の審判は終わらない。カードというものがある以上、何度でも侵略者は現れる。今回の戦は殺すか殺されるかの泥沼だ。国の上層部にカードが生じてしまう以上、この戦争は世界を巻き込む。


 「それまでにアルドールには持ち直して貰わないと……国も民もついてこない」


 親しい者が死んだくらいで毎回毎回あんな風になっていてはいけない。ずっとあんな情けないままで居られたら困るのだと神子は言う。そう語る彼の顔は僅かに困惑しているようだった。


 「イグニス様……」

 「正直な話……僕もあんな彼を見たのは初めてで。なんて言葉を掛ければいいのかわからないんです」


 彼を奮い立たせるために、わざと傷付けるようなことを口にした。それは彼のためだ。それでもそれが彼にはちゃんと伝わらない。それがもどかしいと神子は溜息。


 「言葉って難しいですよね。傷付けるのは簡単なのに、どうすれば救うことが出来るのか…………」

 「………それならアルドール様の傍にいてあげてください。今はきっと……それが一番心強いと思います」


 ルクリースのように、いつも彼の傍にはイグニスがいた。アルドールが誰より深く信頼し、心を預けている相手。それはこの神子以外にはいない。たぶんそれだけで彼は今より救われるのではないか?それが自分には無理でも、この神子ならば……


 「……彼は貴方に傍にいて欲しいはずです」

 「…………また、その言葉を聞くとは思いませんでした」


 驚いたようなイグニスの目。


 「え……?」

 「……いえ、何でもありませんよ。そうだアロンダイト卿。同じ言葉を貴方にお返ししますよ」


 聞き返すも、柔らかい笑みに流される。


 「……セレスタイン卿、いろいろありましたから、凹んでるんじゃないかと思いますよ」

 「あいつが……?」


 その言い方ならば彼は何があったのか知っている。それでもそれを簡単には話してくれないだろう。神子とあいつは険悪でも、そこには漠然としたルールがある。口ではどんなに言い争っても、相手を行動で貶めることはしない。二人ともプライド高い性格だ。ある意味で互いを尊重しているとは言えるのか。言うなれば、忌み嫌いあってはいるが似通っている箇所があり、深く理解し合っているとも言えるのだろう。

 もしかしたら俺よりも、あいつの本質をイグニス様は見抜いているのかも知れない。

 これ以上彼の話題に貴重な時間を割くのも億劫、そんな風に頭振り神子は話の流れを引き戻す。


 「……でも、貴方の言葉は有り難いですがそれは出来ません。暫く道化師は僕を狙ってくる。僕が彼の傍にいれば、彼まで余計な危険に遭わせてしまう」


 話の本筋はあくまでカーネフェル王アルドール。それ以外は些細なことだと彼は言う。彼を失うことはカーネフェルにとってもシャトランジアにとっても痛手だと。そのための策を講じなければと神子は顔を上げた。


 「……明日の即位式を最後に、僕は彼から距離を置きます。勿論彼への支援は続けますし必要ならば僕の部下も送ります」

 「……それでは、イグニス様は」

 「彼も、いつまでも僕だけじゃ駄目なんです。彼は王になるんだから」


 彼を強く想っていることは此方まで届くのに、敢えて突き放すようなその言葉に戦慄を覚える。これがたかだか14、5の子供の言葉か?


 「アロンダイト卿……僕が道化師を倒すまで……彼をよろしくお願いします」


 カードの強弱。前提条件としてまずそれはあり得ない。イグニスはコートカードとはいえそれはJ。道化師との間にはQとKを挟んでいる。幸福値の差は歴然。強弱で言うなら圧倒的に不利。ルールとしてはまず勝てない相手。いくら彼が優れた数術使いなのだと言っても、その言葉を信じることは出来なかった。

 いくら才があっても運に見放されれば勝てる勝負も勝てなくなる。世界は非情。どんな努力も才能も、時に全てが無意味に変わる。


 「お言葉ですが、コートカードと言えど相手が道化師では……」

 「大丈夫ですよ策はあります。それに僕もいつまでも彼だけではいけません。僕には頼り甲斐のある部下が大勢いますから」


 にこりと満面の笑みを浮かべるのは此方を安心させるためではない。これ以上文句を言わせないという脅迫だ。


 「………削れるところまで、削ってみます。僕では無理でも、アルドールがあいつを殺せるくらいの所まで幸福値を削ります」


 ルール上殺すことは出来なくとも、勝敗を分けるのは幸福値。道化師の幸福値をアルドールの所まで削ることが出来たなら、A はそれを討つことが不可能ではなくなる。理論上はそうだ。それでも最低幸福値を与えられたAの領域まで最高幸福保持者である道化師を落とすのは並大抵なことではないはず。


 「……イグニス様、何故貴方はそんなにも……」


 わからなかった。どうしてそこまで彼のために尽くすのか。この少年の寿命はそう長くはない。自身もそれを覚悟している。その上で躊躇いもなくこんな子供がその犠牲を受け入れている。

 神子は騎士とは違う。騎士になったのは自分の意思だ。家が少なからず関係しているとはいえ別の生き方もあった。逃げる方法はあった。それでも神子は違う。誰でもなれるものでなければ逃げる方法もない。選ばれたら最後。生き方から全ての自由を奪われる。強要された生き方が求められる役職だ。

 自らの犠牲を前提に、イグニスは話をしている。騎士でもない。主などいない。言うなればそれは世界だ。そんなわけのわからないもののためにどうしてそこまで尽くせるのだろう?自分は一つの国で精一杯だというのに。


 「……アロンダイト卿。貴方がアルドールを王と呼ぶのと同じですよ。これが僕の償いなんです」


 その言葉にはっとする。此方を見つめる神子の目は、癒えること無い悲しみを抱いている。その目をランスはよく知っていた。


 「……昔、僕には大切な人がいた。僕はその人を守ることが出来なかった。僕が死なせたと言っても過言ではないくらい……」


 償いという言葉がすんなりと溶け込んでくる。その亡くした誰かのために、彼は生きているのだろう。


 「これはその償いなんです。僕は僕よりアルドールが大切です。国のこともありますが、彼を死なせたくないのは確かです」


 神子としてだけではない。人間として彼を死なせたくないのだと彼は言う。神子としての役目と彼の友人としての思いが同じ方向を向いているからこそ出来ること。だからこそより強く彼はいられるのだ。立ち止まらないし迷わない。これが逆方向ならば人は迷い身動き一つ取れなくなる。


 「……貴方は、少しだけ僕に似ている。昔の僕に」


 イグニスが目を伏せ笑う。


 「貴方は世界がたった一人だけのものだと思っていませんか?」


 彼は問いかけてくる。騎士としてではなく、人としてのお前の心は何処にあるのだと。


 「昔の僕はその外側がどうでもよくてそれを省みることもありませんでした。貴方が僕と違うところは、その外側を何の見返りも無しに本当に大切にし守ろうと思えること」


 自分は違う。その外側を愛することなど出来なかった。常に憎悪していた。外は敵だとそう頑なに心を閉ざしていた。だからそうならずに居られることに感嘆さえ覚えると神子は言う。


 「でもそれはたった一人のため。その人が大事にしていて、守ろうとしていたものだから。その遺志を継ごうとしている。その一人を失った後も……貴方は幻影を見ている。……昔の僕もそうでした」


 貴方はアルドールを見ては居ませんね。静かな口調で諭すよう、そう告げられている。

 神子と自分の違い。彼を支えられない原因はそこにあるのだと教えられているようだった。


 「すぐにではなくてもいいんです。いつかアルドールをアルドールとして……見てやってくれませんか?」


 頼み事というよりは、願い事を言うような……悲しい響きがそこにはあった。それだけそれが難しいことだと理解した上で、神子はそう頼み込んできている。

 自分は彼の傍には居られない。自分の代わりに彼を理解して支えてくれる人間が必要なのだとそう言うように。


 「彼は先王に似ているところも、似ていないところもある。一人の人間です。貴方がそんな風に変われたなら、きっと彼の支えになれるはずです。そしてそれは、貴方にとっても支えに変わることかと思います」

 「……変われるでしょうか、俺は」


 先読みの神子は是とも非とも答えない。代わりに別の言葉を口にする。


 「昔の僕は何時までも幻影を追い求め……取り返しのつかない罪を犯した。僕はまだその後始末に追われている」


 貴方にはそんな過ちは犯さないで欲しいと訴えられる。そのためにもと神子は言う。

 お前が生きているのは過去ではなく今なのだと彼は俺にそう告げている。


 「自分の心を貴方はもっと大切にしてあげるべきだと思います。心に名付ける正しい名前を知らないと……人は道を誤ってしまうことがある。貴方は貴方をよく知らずに生きている。それは貴方の周りを、貴方の大切な人々を苦しめていることに気付きませんか?」


 それが貴方の罪ですよと、俺は今イグニス様に糾弾されている。

 自分がどうでもいい。そういう姿勢は、そんな自分を思ってくれる人々を傷付けること。

 そう言われて思い出すのはユーカーのこと。死に急ぐこんな自分のことを案じてくれる俺の従弟。考え方や生き方を改めようとは思わない。俺は騎士である以上、そういう風にしか生きられない人間だ。イグニス様もそれは解っている。だからこそ、人としての俺をこうして尋ねに来ている。

 立場や役職はまず頭の中から捨て去れ。人として何を思う?大切な者は?出来る範囲で良い。自分の心を理解し、時にそれを省みてやれ。おそらく彼はそう言いたいのだ。


 「……貴方が昔の僕と違うのは、世界の外側に自分を置いてしまっているところもですね。貴方は人としての欲がない。自らの幸福を願う心が、その欲が……貴方の中には欠けている」

 「幸福……ですか」

 「聖教会の教えに背くようですが、僕は人に原罪なんてないと思うんです」


 神子は神子でありながら、自分としての考えを持っている。熱心な信者の耳に入れば問題になりそうな発言もこうして平気に口にする。彼は子供らしくはないが、人間らしくないわけではない。理由もない博愛も無償の愛もあり得ないとその顔には書いている。先程イグニスは自分とランスの類似点を挙げてみた。それは1人のために多くを守るということだ。

 それはそもそもの神子としては失格なのかも知れない。神子に求められるものは打算的ではなく平等に祈りを捧げる精神だ。それは自国やカーネフェルだけでなくタロックやセネトレアにも向けられるべき慈しみ。戦争に荷担するということは、それを拒むということだ。聖教会が掲げるは平等、平和それから正義。多くの神子は自国の平和を重んじるばかり正義が疎かになっていた。この神子は自国の平和、その均衡を崩してでも行動へ打って出た。そのためには犠牲は少なからず生じるだろう。しかし救われる命もまた少なくはない。

 自国の利益だけを求めるような人間だったなら信用は出来なかった。如何にシャトランジアがカーネフェルと協力関係にあるとはいえ、彼がシャトランジアの神子とはいえ、その役職だけでは味方だと受け入れることは出来なかっただろう。自分が彼を協力者として認めたのは、彼のその人間臭さだったのかもしれない。

 混血という彼の外見は、神懸かり的な美しさがある。しかしその中身は自分たちと変わらない人間なのだと思わせる彼の自我。そこから生じる言葉は人の胸を打つ。彼が唯綺麗事を吐くだけの機械ならば、誰もそれには従わないだろう。けれど彼は違う。時に平気で企み、人を陥れる策を練る。常時はその可愛らしい外見にそぐわない毒舌を吐いたりもする。かと思えば、友人との関係に思い悩む節を見せたりもする。


(アルドール様がイグニス様を気に入っているのはそういうところなのかもしれない)


 もっとも普通の人間からは程遠い立場にありながら、素の彼は何処までも人間くさい。彼の名前の前には役職の名が霞んで消えてしまいそうだ。

 人前では立派に神子を演じるこの少年も、一目のない今では掲げられた偶像に忌々しげな視線を送るほどだ。その内舌打ち所か俺が居なければ唾くらい吐きかけそうな気迫があった。その瞳からは、神への信仰心も畏怖もまるで感じられない。世界で最もそれに近しい立場でありながら、神も教会も道具程度にしか捉えていないようでさえある。確か以前に「神なんかクソ食らえ」とか言っていたような気もする。そんな真っ向から神を否定するこの神子が、説く教えは神への反逆。罪の意識からの救済だ。

 生まれることは悪ではない。そこに罪などあるはずがない。その言葉は俺に僅かの光を与えるようだった。


 「人は確かに罪深く愚かで救いようのない者です。それでも生まれることは罪深いことでない。生きていくことが罪深い。人は生きる最中に罪を犯してしまうもの。貴方の父が、貴方の母が誰であれ……貴方は貴方ではないですかランス様?」


 先読みと名高い神子は、過去まで見通す力があるのか?何処まで知られているのだろう。胸の内を見透かされているようで、少し気後れしてしまう。

 しかし先程まで人間臭さを醸し出していたこの神子は、真面目な顔つきになっていて……そうしているとその辺りの精霊以上に神々しく見える。ここまで神の使いを名乗るに相応しい人間はいないのではないかと思うような風体だ。


 「先王も、セレスタイン卿も……そして他の多くの人々も。彼らが貴方を慕うのは貴方の血ではない。貴方が貴方だからなんですよ。貴方が人形みたいな顔をしていて喜ぶ人間は誰もいません。悲しむだけです。貴方の気付かない人としての一面。その素顔に彼らは惹かれているんです。だから貴方はそれを殺さないであげてください」


 本当に勿体ない言葉だ。カードとして死ぬべきこの身にさえ、幸福の在処を探せと彼は言う。生の長さに幸福は比例しない。いつか自分が策のために平和のために死ねと言うかも知れない。それを理解した上で、神子は言う。お前にも幸福になる権利はあるのだと。


 「………イグニス様のお話は、俺にはどうも難しいです」


 しかしこれまで剣として生きてきた自分がいきなり人としてどうのこうのと言われても、あまりにそれが漠然とし過ぎていて理解しがたいものがある。


 「ええ。ですからそちらもすぐにではなくて構いませんよ。唯、貴方に聞いて欲しかっただけです。これは僕の自己満足ですよ」


 世の中にはどうしようもないことも、やはりあるものですからと神子は小さく笑った。

 言わなければ後から自分が後悔しそうだから、その自己満足のために言ったまでだと彼は言う。


 「でも、本当に些細なことだと思いますよ。遅かれ早かれ人は誰でも死にますから」


 だからこそ、後悔ないよう今を大切にして欲しいとも思うんですよと神子は最後にそう言った。


 *


 「俺の……今、か」


 教会からの帰り道、神子に言われた言葉が何度も思い起こされる。

 自分にとっての今とは何だろう。これまでは敬愛する王という道しるべがあった。アルドールという少年はまだ王としては未熟も未熟だ。それを支えていかなければとは思う。けれど今の彼は道しるべには成り得ない。となれば全体の指揮を執るのは自分かイグニスかということになる。

 これまでは従ってくればそれで良かった。けれど今はそれでは駄目だ。何時終わるとも知れない戦争。明日から始まるのは背水の陣。どんな小さなことが綻びになるかわからない。プレッシャーはある。しかしもうどうしようもないのではないかという思いもある。ここから巻き返すことなど本当に可能なのだろうか?自分は何処まで何時までこの国を見つめることが出来るのか。あの人が望んだような国が出来上がっていく所をこの眼に焼き付けることは叶うのか?わからない。そんなに簡単に国が世界が変わるとは思えない。


(だとしたら俺にとっての今は、そんな理想論ではないわけだ)


 有事があれば戦って。それがなければ剣技を磨いて。そうして都貴族に顎で使われて。本当に何のために頑張っているのか解らなくなりながら、囲いが増えて頻繁には会えなくなったあの人に仕事の報告をして。あの人の話を聞いて、それでまた俺が笑わせられる。本当にほっとする。あの人は。あの人は俺を憎んでも良いはずなのに、本当に俺を我が子のように可愛がってくれる優しい人だ。それが俺の今だった。無論今はもうない。

 あの人が俺の日常から欠けるなら、残されるのは砦での生活だけだろう。部下の教育が主で剣の扱い方を教えたり、時折戻ってくる従弟を窘めたりだ。

 ユーカーは常時砦にいるというわけではない。むやみやたらに危険な任務ばかりに飛びついて、やれ海賊討伐。やれ山賊討伐。生温い仕事は好まない質で、すれ違うことも多かった。

 アルドール様との出会いで、あの人の生存の可能性は潰えた。しかし彼が取り戻してくれたのは、ユーカーとの繋がりだ。

 あいつの文句聞き流し、あいつをからかって遊んでみたり。文句を言われながらも無理矢理料理を食べさせてみたり。何処かですれ違っても仏頂面で適当な答えしか返してくれなくなっていたあいつが、感情を表に出すように戻ったのもあの方のお陰だ。それはまるで昔に戻ったような錯覚だ。つまりは全てに絡んでくるのはアルドール様。アルドール様が何時も通りになってくれたなら、ユーカーもまたすぐに元通りになるだろう。

 逆を言えば、ユーカーが感情的な姿を取り戻せば、それに釣られてあの方も感化されて元通りになるかもしれない。というか、俺とあいつはその恩返しのためにもアルドール様を今救い支えるべき役回りであるはずだ。


 「……俺は本当に、最低だ」


 あいつのためという考えから始まったことが、頭の何処かで置き換えられる。結局は仕事のことで頭がいっぱいになってしまう。何処までもあいつを利用することしか考えられない。


(俺は何時からこんな風になってしまったんだろう?)


 王への忠誠が強まれば強まるほど、俺はあいつを蔑ろにするようになってしまっていた。俺はあいつに騎士を押しつけて、あいつ自身を殺してきたのだ。それはあいつの兄として、最低な行いなんだろう。やはり俺は人間としても最低だ。

 昔はもっとちゃんとあいつを思いやれていたはずだったのに。今では「俺のために働け、そして死ね」とか「死ぬまで扱き使ってやる」とか言外に言っているようなものだ。だからこそあいつはあんなに追い詰められている。

 自分としての自分と騎士としての自分。そんなもの両立できるはずがない。だから一方を殺して捨てるしかない。俺は今まであいつという犠牲を肯定してきた。あいつはいろんな大切なものを混在させてそれでも自分を守っていたのに。


 王もアスタロットももう死んでしまった。となればあいつが守ろうとする者は俺しか居なくなる。その思いを利用しようと、きっと俺は考えていた。どう利用すればそれをより良く最大限利用することが出来るかと。騎士としての俺はそこで心が痛まない。それで傷つくのは人としての俺の心だ。……話せるはずがない。こんな俺には。

 俺とあいつは別の人間だ。それを俺はちゃんと認識できていたのか?心の何処かで頭の何処かで、自分の一部だとか片腕とかそんなものだと思ってはいなかったか?

 同じように生きるのが当たり前。同じように死ぬのも当たり前。俺は一度だってちゃんとあいつの話を聞こうとしたことがあったのか?俺は押しつけすぎてはいなかったか?

 それであいつが傀儡になったのを見て、それに不満を覚えるなんてあまりに理不尽ではないか?

 俺はあいつを心配する顔で、何とも思っていないんだ。騎士としての俺を優先させると言うことは、俺が感じたあいつへの心配も全て切り捨てると言うことなのだから。

 自分の心と見つめ合えと言う言葉はなかなか重い。考えたこともない。気付こうともしなかった、自分の醜い部分を突きつけられる。

 イグニス様は俺が多くを守ろうとしていると言ったが、そうではなかった。一番身近な人間を守れていなかった。人を傷付けることに慣れた俺だ。そんな俺がアルドール様を誰かを支えることなど出来るはずもない。


(思い出せ。……思い出すんだ)


 唯何となくの腐れ縁。そんな風に馴れ合って、気まぐれで弄ぶだけ。それで入れ込むだけ入れ込ませた後、道具としての利用価値で物事を図るなんて関係、何かがおかしい。

 昔はそんな無意識下の打算もなく、ちゃんと接していられたはずだ。

 それをちゃんと思い出せたなら、俺は正すことが出来る。もっとちゃんと上手くやれる。不用意に傷付けたりしない。悲しませたりしない。大切だったのは嘘じゃない。本当だったはずなんだから。


 *


 フローリプの部屋の前。ランスの姿はない。代わりに何人かの兵士が居たが、お疲れと片手を挙げれば下がっていった。ランスも忙しい奴だから、或いはあんなあいつを見てられなかったのか、ここに留まりはしなかったのだろう。襲撃は開戦まではあり得ない。神子のお墨付きだ。それでも俺がここに居たのは俺の自己満足ってだけ。今こうしているのもそれと同じだ。


 「よう、ボケ王。起きてっか?」

 「寝てます」


 ノックのそこそこに扉に手を掛けるが施錠済み。ユーカーは軽く舌打ちしながらそれを者ともせずに片手で解錠。

 室内の少年王はやはりまだ起きていた。満足に寝ていないのはこいつも同じだ。生憎俺はこういう時に自分だけぐーすか眠ってられるほど単純な神経と精神を持ち合わせてはいない。片手に乗せていた盆を机へ降ろし親指でそれを指さした。


 「アルドール、少しは食え」

 「今はそんな気になれない」


 食材に謝れと殴り飛ばしたいところだが、このガキは暴力に従うような奴じゃない。言葉で言いくるめなければ駄目なタイプだと、ここ暫くの付き合いでユーカーも学んでいた。


 「今日という今日こそ食え!この俺が作ってやったんだから何が何でも食え。食わなきゃ殺す」

 「う、うわぁい……いただきます」


 要は押しだ。こいつはへたれだ。基本的に押しに弱い。それでも頑固なところがあるから譲らないところは絶対に譲らない。それでもそこに触れなければある程度動かすことは難しくはない。

 明日は即位式だというのに倒れられては困るのだ。希望の火が灯る前に皆のやる気が消し飛んじまう。


 「げ」


 黙々と食を進めていたアルドールが、突然何やら嫌そうな声を発する。何か好き嫌いでもあったのだろうか?これだからガキは面倒臭いと視線を向ければ、複雑そうな表情だ。


 「げってなんだよ失礼な」


 睨み付ければ渋々と、アルドールが理由を零す。


 「ユーカーの料理の癖に普通に美味くてなんか腹立つなぁ」

 「お前は俺を一体何だと思ってやがんだ!!」


 釈然としないと言わんばかりのその物言いに此方が釈然とするわけねぇだろうが。怒鳴ってやりたいがここは病人もいる。出来るだけ控えめに怒鳴ってやった。

 しかしこのガキ全然こっち見ていねぇ!!眠りこけてる妹を見ている。かと思いきやぱぁと明るい表情になり此方を振り返る。


 「あ、フローリプが心なしか口元が笑った!もう一回頼む!お前が大笑いさせてくれればフローリプが起きるかも!」

 「本当にお前は俺を何だと思ってんだ馬鹿っ!俺は道化じゃねぇっ!やってられるか!」

 「王な俺にここまで言うんだ。もう今日から爵位剥奪して宮廷道化にでもジョブチェンジしてみるとか?」

 「誰がやるかっ!!」


 こちとら地方出身とはいえ地方貴族だ。辺境伯の跡取りだ。それを今日からお前道化なとか言われて誰が喜ぶか。俺にもプライドというものくらいはある。余裕である。


 「でも意外だな。ユーカーって意外と何でも出来るんだ?料理なんてランスの担当だと思ってた」

 「まぁ、俺は凄ぇから当然だ。もっともやりたくねぇことは死んでもやらねぇけどな」

 「うん、ありがとう」

 「は?」

 「何て言うか、ありがとう」

 「意味わかんねぇんだけど」


 わからないなら別にいいよと奴はくすくす笑い出す。馬鹿っぽい面してる割りには何だかんだで育ちいいよな。笑い方一つ取ってもそうだ。ここで大口開けてげたげたとかがははははとか笑い出してたら一発殴っていたかもしれない。

 こいつが笑うことで、少しは場も明るくなったような気がする。これじゃほんとに俺が道化の役回りみたいでなんだかなぁとは思った。


 「ユーカー相手だと、何か吹っ切れるというかなんていうか。楽に話せるんだよなぁ。意外と癒し系だったんだな」

 「俺の癒し力を舐めるなよ。この俺に癒せねぇ者なんてあのクソ神子と狂王くらいなもんだ」

 「あ、イグニスは無理なんだ」

 「ああ。まず俺に癒す気がない」

 「ああ、そういう意味。あれでもイグニスも女の子なんだし少しは優しくしようよ」

 「女だからってだけで誰彼構わず優しくされると思うなよ。俺は基本的に誰にでも厳しく行く派だから」

 「そんなんだからモテないんだよユーカーは。ランス見習えよ」

 「阿呆か。俺がモテねぇのは実家から勘当されてんのと目の色が原因に決まってんだろ」

 「あ、そう逃げるんだ」

 「てかおまえ馬鹿か?今のは違うだろ。今のは調子に乗るなとか比率真逆だろとか突っ込む所だろ?この俺が敢えてボケに回ってやったってのに気の利かねぇ奴だなおい」

 「自虐ネタですか」

 「ちっとはレベルが上がったな。やれば出来るじゃねぇか」


 軽く背中を叩いてやれば、大げさに痛がりやがる。その反応に俺も思い出す。こいつは背中をフローリプに刺されたんだ。一応神子が回復したとはいえまだ違和感は残っているのだろう。そのくらい深い傷を負ったんだ。


 「そういやお前もまだ病み上がりだろ?いい加減寝ろ」

 「でも」

 「……俺は数字は見えねぇが、耳は割と良い方だ。数値の変化があったなら、気付いてやれる」

 「え?」

 「何かあったらすぐにわかる。その時はすぐに叩き起こしてやる。だから寝ろ。もう面倒臭いからお前もここで眠ちまえとっとと。これ以上うだうだ言うなら昏倒させてやろうか一発殴って」

 「お、お休みなさい」


 脅してやれば、アルドールも寝台へと潜り込む。妹とはいえ元は他人だ。同衾に抵抗があったのか。馬鹿かこいつは。こんな状況でやましい気持ちになんかなれるような度胸お前にあるわけねぇだろうが。お前基本へたれだろ。

 やっぱり疲れていたんだろう。すぐにあいつも眠ったようだ。部屋の戸締まりの確認をし施錠し外へ出た。


 「ったく手間かけさせやがって」


 これで明日は少しはまともな顔になるだろう。こんな面倒な役回り、どうして俺が引き受けなければならなかったのか。一言で言うなら義理だ義理。


 「俺が過労死して死んだらお前のせいだからなランス」


 その時は墓の前で手合わせるぐらいはしろよと独りごちてみたが、少し虚しい。



 「ありがとう……か」


 アルドールのその言葉に、数時間前のやり取りを思いだしてしまった。

 ランスの馬鹿は俺と話しているときに、誰がいないかくらい気付いていたはずだ。それなのに平然と、あんな顔で礼を言う。どうかしてるよ、あいつ。

 ルクリースとかいうあの女。ちょっとはお前に気があったんじゃないのか?そこそこ気が合ってる風に俺には見えた。綺麗な青目同士、お似合いだってな。

 少しは驚くなり悲しむなりしてやれよ。そういうのは俺がするよりお前の方がきっとあの女は喜ぶだろう?


(その程度なのか?)


 騎士の鏡とか呼ばれる男が。そこまでお前は欠けているのか?指針があればそれでいいのか?主が王がいれば……それでいいのか?本当に……

 ランス、あいつは欠けている。傍で見てきた俺がそれは一番理解している。あいつは立派だから、立派すぎて人間らしさに欠けている。それはあいつが天然だからとかそういう問題ではなく、あいつは自分をそういう風にしようと頑張っていた。自分を律して頑張ってきた結果だ。それは俺には真似出来ねぇ生き方だ。だから素直に尊敬している。凄いと思う。それでも時々、本当にそれで良いのかと思うときがある。

 基本あいつは良い奴だ。欠点を探すことの方が難しい。その位良い奴だ。悪いところって言ったら料理がグロいところとなんだかんだで俺の扱いが酷い所くらいなものだろう。

 そうだ、あいつは酷い。基本俺がどうでも良い。俺は人間箸置きだろ。あれば使うが別になくても困らない。その程度さ。


(もし俺があいつ守って死んだとしても……お前はきっと俺の墓の前で礼なんか言うんだろうな)


 そうだ。その程度だ。俺なんか。


(その程度でも……俺は)


 俺はもう駄目だ。多分駄目だ。新しく何かを大切に思うことなんか出来ない。だけどお前は違うだろう。お前はそんな生き方に縛られる必要はないんだ。

 そんなに何かに追われるように過去に縛られて。どうしてお前は生き急ぐ。お前は俺とは違うじゃないか。お前は何も悪くない。勝手に罪を被ったような面をして、自分犠牲にして楽しいか?そんなことをするくらいなら、あることないこと全部俺に押しつけてしまえばいんだ。八つ当たりでも何でも大いに結構。それでお前が今より楽になれるなら別にそれでいい。


 アスタロットの声を聞いてから……俺は前ほど焦燥感が無い。

 絶対に生き残ってやるだとか。そういう気持ちが薄れて宙ぶらりんの気持ちが浮いているだけ。唯漠然と……どうしていいのかわからない。

 彼女は俺に自由に生きろと言ったけれど。俺はそれがよくわからないままなのだ。俺は今も囚われている。そしてそれを望んでいるんだ。失われたからってはいそれじゃあ次の女って切り替えられるほど俺は人間出来てねぇし人間止められねぇ。

 アスタロット。俺が最後に望むのは……やっぱり彼女だ。だけどそれはランスが死んでからの話。俺じゃお前を殺せないよ。カードとしては殺せるのだとしても。


(この手でお前を殺したら。お前も俺の過去に変えてしまったら……)


 最後の最後で俺は彼女を選べなくなってしまう。抱え込んではいけない。これ以上何かを背負ったら俺は身動きが取れなくなる。こんなこと、今まで無かったのに。死なんか何処にでもありふれている。それをいちいち悲しむなんて馬鹿げてる。そうじゃ、なかったのか?

 あんなちょっと数日話した程度の女の死を、未だ振り払えない俺がいる。たった数日だ。赤の他人だ。その数日の付き合いで、こうなっているんだ。それがお前なら俺はもう立ち上がることも出来ないくらい沈んでしまう。

 いや、違うのかもしれない。俺はあの女の死が悲しいんじゃない。俺は驚いているのだ。そして感銘を受けている。

 ルクリース。どうしてあんなことが出来る?たかが姉弟。それもアルドールは自分のことを覚えていない。そんな相手に……命を賭けてあいつは守りきったのだ。


(俺には、同じ事が……出来るのか?)


 俺はランスのために。俺の兄のために俺はあんな風に命を投げ出せるのか?俺はそこまであいつを大切に思えるのか?思えているのか?

 口だけじゃ駄目だ。俺はちゃんと行動しなければならない。彼奴を死なせたくないなら、俺は本気であいつを守らなきゃいけない。


(くそっ……道化師の野郎)


 植え込まれた疑いの種。それはまだ胸の奥に息づいている。それを取り去りたくて心臓を抉り出してしまいたいくらい。

 なぁ、ランス……いっそ、お前が殺してくれないか。

 そうすりゃもう何も考えないで済む。彼女にもまた会える。それで終わりだ。もう何も思い残すことはない。 だけど俺はJであいつはⅢ。カードがそれを許さないなら……やっぱり俺は戦うしかないのだろう。

 お前が俺より先に死んだなら、俺は俺の願いのために殺して生きる。もし最後の二枚が俺とお前なら、俺はお前と戦うだろうか?そんな日、来るわけがない。いや、来ないで欲しい。だからお前と戦う日が来る前に、お前のために死ねればいいな。俺がその程度だって、その方がずっと……たぶんそれは、その方が幸せなことなんだと思う。

 だって俺はあいつを殺してまでアスタロットに会いたくない。あいつを殺した俺はもう、俺ではなくなってしまうような気がする。それなら俺は生きて死ぬ。いつか人間なんかみんな死ぬ。だから死にたくないとはもう言わない。死ねば俺は今度こそアスタロットに会えるんだ。だからむしろ死にたい。でも死に急ぎはしない。彼女に話す土産話は多いに越したことはない。それも彼女の願いだ。

 そうなった時、新しく何かを大切に思えない俺は、必然的にあいつのサポートのために人生命を費やすことになる。

 その間にせめてあいつの死にたがりだけは直してやりたい。そういう悪いものは全部俺に押しつけてくれて良い。死ぬのは俺で、生きるのがお前。それでいいじゃねぇか。

 俺はお前に夢見ている。希望を見ている。俺には見られないものをお前なら見てくれる。俺は限られた中を生きているが、お前はそうじゃない。俺が守りたいのはお前のそんな可能性だ。俺は託している。俺にはもうどうしようもないことを。

 本当に昔から一緒だったから、近すぎて境界が見えなくなっている部分がある。あいつを見ていると、もう一人の自分を見ているような気持ちになるんだ。もし何かを間違えたなら俺たちは逆の場所を生きていたかもしれない。例えば兄弟である俺の親父とあいつの親父が逆だったなら。その時俺はあいつとして生きていてあいつは俺として生きていたんだろう。

 俺は俺にない物を持っているあいつに憧れている。あの青過ぎる程青い目がその象徴だ。目の色一つそれだけで、俺の人生はここまで変わった。今更どうにもならない。それは仕方のないことだし、俺は俺を否定はしない。だからあいつを妬んだりはしない。

 だから俺があいつを見る目は何というか、なんだろうな。そうだ、憧憬か。あいつが何もかも上手く行って幸せに生きて暮らしていけるんなら、俺はそれでいい。

 俺の幸せが必ずしもあいつのそれには結びつきはしないが、俺は履き違えている。でもそれでいいんだ。少なくとも俺にとってあいつの幸せが俺の幸せだ。


 *


 「ユーカー……?」


 部屋の扉を叩く。返事はない。扉を開ければ鍵も掛かっていない。不用心というか何というか。しかし部屋の何処にもあいつの姿はない。


 「もう遅い時間だって言うのに……」


 全く何処に遊びに行ったのか。一瞬でもそう思った自分を心から恥じる。

 アルドール様の居る部屋へ足を向ければ、その部屋の前にユーカーが居た。壁に背を預けて目を閉じている。

 疲れて眠ってしまったのだろうか。それでも気を張り巡らせている。ここで殺気の一つでも発してやればすぐさま飛び起き斬りかかってくるはず。

 イグニス様への報告の折、護衛は他の兵士達に頼んでいた。主の側を離れるのは不安だったが、眠っているあいつを叩き起こすことは出来なかった。

 それが何だ。言ってもいない。命令なんかしていない。別に俺はこいつの主じゃない。あくまで同僚だ。


 「…………お前は、本当に……何処まで馬鹿なんだ?」


 馬鹿は俺だ。こいつにこうさせてしまっているのは俺なんだ。この気位の高い気難しい男がなんだこれは。何処の忠犬だという話じゃないか。

 俺は差ほどお前を理解していないのに、こいつと来たら頼みもしない仕事を引き受ける。そこに見返りなんてない。あるとするなら、それが俺にとっての何かに繋がるかどうか。こいつは俺の幸福を願っていてくれている。カードの願える願いは一つだけだからこそ、その他の願いはこうして行動しなければ叶えられない。こいつが願ったのは俺ではないのだろう。それでも俺を見捨てず切り捨てず、こうして支えようとする。

 こいつは何時もそうだ。やる気がないだけで、俺には出来ないことを平然とやってのける。その癖いつも俺を立て、だらだらと適当に時間を送り、負けた気になっている。

 そんな従弟の姿にふざけるなと殴りかかりたい気持ちと、もういいいんだと優しく告げてその髪を滅茶苦茶になるまで撫で回してやりたいという気持ち。


(……そういう、ことだったのか)


 俺の中にも確かに俺が居る。騎士として以外の俺が居る。騎士の俺はこいつを心底嫌っているのだ。こいつは俺より優れている。全てにおいて才能がある。それは王からの信頼を根刮ぎ奪いかねないという恐れ。それでいてわざと才能を枯らし俺に負けを演じるこいつにプライドを踏みにじられたような思い。その俺はこいつが何処かで死んでくれないかとさえ思っているのだ。

 けれどこいつの従兄としての俺は違う。俺を家族として慕ってくれるこいつの好意は素直にありがたいと思うし、こいつが本当に俺を大切に思ってくれていることには涙さえ出る。

 一緒にいれば楽しいし、からかうのも面白い。俺が何をやっても見放さず、逐一ボケを拾って小マメにツッコミを入れてくれる付き合いの良さも好きだ。何もかも適当なこいつの世話を焼くのが好きだ。才能を認めている振りをして、それでも基本駄目な弟分を、やれやれとか言いながらのが構うのが好きだったのかも知れない。

 でもそれは基本的に俺がこいつを見下さなければ出来ない芸当だ。俺は確実にこいつを格下だと見ていたのだ。そうすることで俺は、こいつと良好な関係でいられる。

 しかし……だ。悔しいが、こいつは天性の才を持っている。俺より後に剣を覚えた癖に、あっという間に俺を追い越し飛び越えた。幼い頃に打ち負かされた屈辱は、今だって忘れられない。だからこいつにだけは負けたくないという気持ちは何時でも持っていた。でもそれは誰だって同じはず。負け続ける人間の気持ちを想像するだけでも耐え難い。そんな相手を再び打ち負かしたときの爽快感と言ったらなかった。

 だからどうしてお前はそんなに適当なんだと言いながら、心の何処かでは安堵していた。それでも物足りなさを感じる俺は本当に自分勝手だ。負けたくはない。それでも常にギリギリの瀬戸際の勝負が出来る場所にはいて欲しい。それでずっと俺に負け続けて欲しい。

 自分が負けず嫌いだとは知っていた。それでも今の今まで自分がここまでプライドの高い人間だとは思わなかった。ここまで薄汚い心を持っていたとは知りたくなかった。


 「お前はどうして……」


 どうしてこんなろくでもない俺を守ろうだなんて、命を預けてやるだなんて平然と口に出来るんだ?俺なんかの幸せを願ったところで、お前は何も得られやしないのに。どうしてこんな俺なんかをまだ慕ってくれるんだ?お前を全く省みないこんな俺をどうして?


 殴れもしない。撫でられもしない。抱き締めたりも出来ない。その腕を首をへし折ってしまうかもしれないから。

 それでも涙は溢れる。俺は後悔している。今までの俺と今の俺に。

 変われるだろうか俺は。

 償いに生きることで、更に償うべき相手を作ってしまった。それでもその相手はそもそも俺に償いを求めない。恨み言さえ口にしない。だから今まで気付けなかった。こいつは最初から俺を許してくれていた。怨みなんて概念俺との間にはあり得ないと言わんばかりに。


 「ごめん……ユーカー」


 劣等感なんてどうして抱いてしまっていたのか。それは何時から?お前の方があの人に愛され可愛がられていたように感じていたからなのか。

 最初はこんなものではなかった。唯、……唯楽しいだけだった。そのはずなのに。

ヒロインまだー?野郎共の友情から始まるなんて聞いてねぇぞと言う方すみません。しかし友情からさくっと一目惚れのヒロインに流れる薄情者の男を描くためには最初に友情書かないけないわけなので。

6章でいう恋愛三角関係はアルドール&ジャンヌ&ランスがメイン。裏恋愛三角だとアルドールとイグニス(もしくはギメル)とジャンヌか。春の愛憎祭り(パン祭りみたいに言うな)万歳。舞台は今のところ8月っていう夏だがな。

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