18:Duo cum faciunt idem, non est idem.
それは当たり前のように。
思い返せば昔の彼らはよく一緒にいた。彼らは兄弟みたいなものだから仕方のないことだとはいえ。
それが昔の僕にとって……いやつい最近までの僕にとってはとても気に入らないことだった。今とは大分違う意味で。
あの頃の僕は、数少ない友人が彼が傍にいることで奪われてしまうような気持ちになっていた。事実、彼らは友人と形容することに違和感を覚えるような親しみを持つ間柄だ。親友兼悪友とでも言えば六、七割程度は言い表せるか。
要するに数いる彼の友人の中でも彼はとりわけ変わった存在だった。よく知ればそんなことも無いのだが、基本完璧人間の彼にそぐわないその相方の存在に僕は苛立っていた。今思えば心ない言葉を口にしてしまったことも多々あった。その目の色を自分と比べて人として自分の方があの完璧な彼の親友に相応しいとさえ思っていた。
そりゃあ、簡単にイズーが僕に振り向いてくれるわけがない。これまで僕は幾度だって彼を傷付けてきたんだものね。しかし飛んだしっぺ返しがあったものだ。カードになる前と後、僕の世界は認識はあまりに変わってしまっている。
今にして思うと、彼は少し僕と似ていたのかもしれない。不器用で、人に勘違いされて溝を作ってしまう。誰とでも打ち解けられる訳じゃない。だからこそ。だからこそ僕も彼も友人という物が大事だったんだね。故郷を遠く離れ心細い時に、あの頃はまだ他に縋れる物がなかったんだ。
こんな僕を薄情だと君は責めるだろうか?
それでも変わらないものなんてない。風変わりな君だっていつかは変わっていくだろう。いや……もう変わってしまっている。昔の君と今の君とではまるで別人だ。アルト様が亡くなった今の君は、彼の亡霊に取り憑かれてしまっているみたいだよ。君は僕より彼より情に厚く、薄情な人間ではない。故に君は誰より王に依存していたんだろう。
そんな何者にも動かせないような、強い意志を持った君だ。そんな君でさえ変わるんだ。それでも僕は変わらないものを見つけたよ。君の相方は、本当に変わらない。時々本当に人間か怪しくなる位、彼は頑固だ。
昔と変わって最近は君に距離を置いている風な彼だけど、根本的な所では何も変わってはいない。昔も今も君のことばかりを考える。命というカードも君のためなら投げ出せるのだろう。泣けるほど友情に厚い男がいたものだね。君が彼のために命を投げ出すなんてあり得ないのに、彼は君のために死んでくれるんだってさ。
だけど君はそれに感謝もしないんだろう?
その死を悼んですらくれないんだろう?そして君は笑うんだ。さも、それが当たり前のように。
*
こともあろうに、こともあろうに!ランスっ!君がそれを言うのかい!?
トリシュは怒りを抑え込む。そして今言ったことをもう一度言ってくれと友人へと告げた。
友人は些か奇妙に思ったようだが素直にそれを繰り返す。
「それで、ユーカーはまだここには来ていないのか?てっきり先に其方に戻ったと思ったんだが」
どうやら聞き間違いではなかったようだ。嗚呼そうだ、聞き間違いなどではなかった。
「一つだけ言わせてくれ」
「何だ?」
「僕は今日ほど君が無神経な人だと思った事はないっ!」
彼は君が心配で追いかけていったんだぞ!?それなのに何だあの言い草は!
君のみを案じて飛び出していったあの子を。君と神子様に囮として利用された彼のこと、心配もしていない。
「イズー……」
部屋の窓辺に腰掛けて空を見上げる。彼もこの空の下で、空を見上げているのだろうか?
君は今どこにいるのだろう。危ない目に遭ってはいないだろうか?
「いや、君なら余裕で撃退してそうだけれども」
幻想と現実がイメージの中でぶつかり合う。彼は弱そうで強い。強そうで弱い。そのイメージはどちらも間違いではない。あの人は、がさつに見えて繊細だ。そんな危うい人なんだ。それを誰より知っているだろうあの男が、何故あんな事を言うのだろう。それが信頼だというのなら……
「アルドール様」
同じ、親友への信頼を口にした彼と彼。その態度はここまで違う。アルドール様はイグニス様を信じようとして、信じられていないからあんなに不安そうだったのか?それでも気丈に振る舞う彼には胸を打たれた。
その直後にランスは、「まだ帰ってきていないのか?」それとも昼寝でもしているのか?そんな軽いノリで彼のことを聞いてきた。先程まで僕はランスのことも本当に心配していたのに、一瞬でその心配も無に帰った!
あれが信頼だって?あれが友情だって!?違うだろう!?あんなのは違う!よく躾けた犬やら鳩やらペットやらが家に自分で帰ってくるのが当然だと思っている、そんな調教師の目だあれは!
一変の曇りも無い。心配がない。それが信頼だというのなら、人は人を信頼なんか出来ない生き物に違いない。心を預けられるくらい大切な人ならば、少なからず信じていても心配するんだ。それが彼にはない。彼は何かが何処かが欠けている。昔からあんな男だったか?変わってしまった?それとも僕が知らなかっただけ?
聞こえるはずがない。届くはずがない。それが解っていても竪琴に手が伸びる。
僕は何時もこうだ。受け身になりがちで、自分から何かをするというのが苦手だ。そんな時にあの本を読む。自分が彼に……本の中の高名な騎士様になったつもりになる。そうすると強気になれる。自分で壊して捨てたとはいえ、手持ちぶさたになった手は……何時も以上に竪琴にと伸びていく。本当はこの手をあの人に伸ばして、ぎゅっと抱き締められたら幸せなのに。いや、一度。たった一度だけどあの人は応えてくれた。僕が行動した。手を繋ぐことを許してくれた。その手が震える。音が外れる。その情けない音で、我に返った。いや、我に返っても同じだ。あの時一瞬でもここにあって手が今はない。それがとても寂しい。
(情けないな……僕は)
本当ならアルドール様を追いかけなければならないのに、自分のことで手一杯。追い着いたところでどうやって慰めればいいのか解らない。言葉が出て来ないんだ。
悩み事ばかりを音に乗せても、やっぱり微妙な音しかでない。下手になったと言われても仕方のないことだった。
久々に会った叔父さんは昔より年老いていた。当たり前のことだけど。……年を取って丸くなる……タイプなら良かったのにな。ますます頑なになってしまわれたみたいだ。
ポロンポロンと奏でる内に、幻聴だろうか?違う音が混ざり出す。コンコンと、それは扉の向こうから。
「は、はいっ!」
「トリシュ、ちょっといい?」
「アルドール様?」
凄いな。あの状態からもう持ち直したのか。この少年王は作り笑顔ではなく、普通の顔に戻っている。それでも、少し……目が赤い。
「ユーカーのこと、ちょっと聞いてきたんだ。最後まで見てたのはジャンヌだから……」
「わ、私は……今はアルドール様の護衛という仕事がありますし」
気にならないと言えば嘘。それでも今は気にしないようにしなければ。そう言うも、無理はしないで良いと彼は笑ってくれる。
「セレスちゃんを心配しないトリシュなんかトリシュじゃないじゃないか。むしろその方が俺は心配だよ。何か不気味」
「あ、アルドール様……そんな、私の職務怠慢を指摘なさらないでください」
「そう言う意味じゃないよ。俺はトリシュらしくてそういうの好きだよ。セレスちゃんと絡んでる時のテンション高いトリシュとか、暴走してるトリシュとか、見てて微笑ましいし」
「ほ、微笑ましい……ですか?」
流石は王。器が大きい。同僚にふしだらな関係を迫る私に何のお咎めもない所か、我に返ると我ながら恥ずかしい暴走を微笑ましいと言い切りますか。
「だって一生懸命だなって見てて解って。応援したくなるんだよ。俺は好きな人がいても、あんな風に押したり出来なくて。諦めて、わざと距離置いて……その所為で、俺はその大切な人を傷付けた」
「アルドール様……?」
「だから身を引くことが必ずしも正解って訳じゃないと俺は思う。まぁ……セレスちゃんもセレスちゃんで色々あったから難しいとは思うけどさ」
要するに、頑張れよと言いに来たんだと告げるアルドール様。
「好きな子泣かせるなんて最低だよな。俺は最低だった。それがその子の幸せなんだって……無理矢理自分を納得させて諦めた。無理だって解っててもその子の手を引いて、一緒に逃げるくらいすれば良かったって、今ならそう思う」
でも、そんなことが上手く行っていたなら俺は今ここにいないんだろうなぁなんて、アルドール様は小さく笑う。
「俺って恋愛事上手く行ったこと無いんだよ。だから周りの人は応援したいなって思うよ。だから俺はいつものトリシュがいいな。あんまり落ち込んでるところは見たくない」
「いつもの……私…………ですか」
「こればっかりはユーカーの気持ちだから俺からは何とも言えないけど、俺は二人が話をしてるの見てるの結構好きだよ。ユーカーのツッコミが一段と冴えてるし、トリシュのボケも良い感じで」
そこまで言って一呼吸置き、アルドール様は真剣な顔つきに戻る。本題に入ろう。その目はそう語りかけている。聞きたくなくて聞きたい話。トリシュはそれに頷くしかない。
「……ユーカーはコートカードだ。リアルラックは低くてもことに戦闘面、ここぞという所の勝負事での幸運は抜きん出ている。そのユーカーが負けて、更には逃げられないって言うのなら……タロックの敵将、第一騎士レクスっていう奴はユーカーより強いカードに違いない」
「第一騎士……レクス……」
聞いたことがない名前だ。それに第一騎士とはまた、とんでもない者が出てきた者だ。タロック王の重臣中の重臣ではないか。それでは幾ら彼が相手でも、カード云々の前に勝てる図が想像できない。
「ジャンヌが言うには、その男は城から沿岸に向かった軍の一員ではなくて、海から来て軍と合流したらしい。聖十字の船の幾つかを沈めたのもその男だ。ジャンヌを打ち負かしたってことはジャンヌよりも強いカードの線が強い。……結論として、相手はキング」
「……キング、ですか」
口からは渇いた笑いが漏れる。そんな無茶な。自分の掌を思い出し、かけ離れた数に目眩さえ覚える。何ということだ。私には……僕には彼を助けることすら許されないのか。
「イグニスもまさかキングがこんな初期の表舞台に出てくるとは思わなかったんだろう。ユーカーなら大抵の相手には勝てる。だからこそ彼に情報を探らせに行って貰ったんだ。……でも、トリシュ……何か可笑しいと思わないか?」
「可笑しい、ですか?」
「相手はジャンヌのカードを知っていた。それで彼女を追いかけていた。それなのに、ユーカーのカードを知って彼に乗り換えた。カード的には彼女の方が優れているのに、だ」
「……確かに、妙ですね」
「唯単にセレスちゃんが気に入ったってだけで軍を預かる者が暴走するとは思えない。勿論それもあるかも知れないけど、それ以外の理由もそこにあるんじゃないかと思う」
アルドール様はそこで初めて、少し不安そうな顔つきになる。
「ユーカーの身の安全は多分、保証されている。彼のカードには……何かあるんだ。クィーンより勝る利点が何か、あるんだ。何処まで本気か解らないけど、道化師さえ彼に一目置いていた。俺が心配なのはそこだよ」
みんな彼をカードとしてみている。それが不愉快だと彼は言う。
「俺はユーカーを何かの駒とか道具にはしたくない。されたくない。何時だって彼には彼でいて欲しい」
「アルドール様は、何故……」
「友達だからだよ。ユーカーはそう思って無くても、俺が勝手に彼ををそう思ってる」
トリシュとは違う気持ちだけど、彼が心配で大切なのは同じだよ。少年の優しげな目は語る。
「俺も道具とか人形扱いされるのが嫌だなってのはよく解るんだ。ユーカーが実家に帰りたがらないのもその所為なんだろうな……最近彼がランスと上手く行ってないのは多分カードのことが原因なんだと思う」
あの同僚と過ごした時間はまだ彼よりも自分の方が上。それでも理解しようとした時間は、この少年の方が遙かに上。だからトリシュの知らないことを知っている。それでもこの少年はそれを誇ることなどせず、唯心配そうに言葉を紡ぐのだ。
「だから俺は、ユーカーにランス以外の友達がいるって知った時、嬉しかったんだよ。パルシヴァルだけじゃない。仲が悪かったトリシュとユーカーがこんな風になるなんて」
心配そうな顔を微笑に変えて、アルドール様は息を吐く。安堵したと言う風に。
「だって二人はユーカーを、カードとしても道具としても見ていない。俺はそれが凄く嬉しいんだ」
まるで自分のことのように、アルドール様は嬉しそう。僕とは違う。違う思いだ。それでも本当に彼のことを大切に思っていてくれるのが此方にまで伝わってくる。ランスとは違う意味で強敵だ。これではまるで、敵わない。
「俺は俺を王扱いしないユーカーに、救われているところがある。だから彼にとってトリシュ達も救いになれるんじゃないかって、俺は勝手に思ってしまっている。……俺は俺の大事な人を大切に思ってくれている人と、仲良くなれたらいいなと思う」
「アルドール様……」
「トリシュが嫌じゃなかったら、トリシュの話聞かせて貰ってもいい?俺はもっと知りたい」
「私のこと、ですか……?」
「ああ。俺は最初トリシュのこと勘違いしてたんだ。だからそれが恥ずかしい。俺を政治の駒として利用するために、そう言われて近づいてきたんだって思ってた」
「……間違っていませんよ。城で貴方にお会いした頃は、貴方に取り入ることしか考えていませんでした」
「うん、でもそれはこの土地のためだったんだろ?誰かのためだ。自分の出世とか地位とかそういうもののためじゃなかったんだろ?それを知らずにトリシュに冷たくしてた自分が馬鹿みたいだなって。城にいた頃は俺、本当にユーカーに頼りっきりで……一緒に都まで旅をした人達以外、信用できなかったんだ」
「アルドール様……」
今は信用している。そう、言われたような気がした。そんな言葉を貰えたのは……
「……都貴族側に付いてたトリシュとこうして一緒にいるなんて、不思議だよな。ちょっと歯車が違っていればこうはならなかった」
「はい……全てイズーのお陰です」
「そうだな。俺にトリシュがいい奴だって気付かせてくれたユーカーとセレスちゃんには感謝してる」
「……はい」
「……だからありがとうトリシュ。俺に付いてきてくれて。俺の友達を大切に思ってくれて」
笑う少年に手を差し出された。握手を求められている。それでもそれは余りに勿体ない。だからその場に跪き、その手を取った。
「光栄です、我が君。カーネフェリア様」
はじめは、そう。あの人の傍にいたいからついて来た。それでもこの人の言葉に触れて、僕は今……この人こそ王だと思う。この国に、この人は必要だ。この人になら仕えたい。彼は僕に、そんな風に思わせる。この人ならこの土地を、この国を変えてくれる。そんな気がするのだ。その深い金の髪は獅子の鬣のように気高く神々しい。嗚呼、この人こそ王だ。
「……一曲、聞いていただけますか?我が君……アルドール様」
「うん、大歓迎!喜んで!」
そう微笑む幼い王に、かつての王には感じたことのない情が浮かんで来るのを知る。なるほど、確かにこの少年は幼く弱い存在だ。だが、王の器だ。彼は強く弱く、憎めない。不思議と彼を死なせたくない……守りたいと思わせる何かが彼にはある。絶対的なカリスマなど彼にはないのだろうが、人と同じ目線で、同じ場所に降りてこうして話をしてくれる。傷ついた相手を放っておけない。そんな心優しい人間だ。誰もが望んだ理想の王だ。
彼には欲がない。金も地位も名誉も彼は欲さない。周りの人間の笑顔。彼が求める物は、そんなささやかな物なのだろう。そう思えば自然と口元も綻ぶのだ。
“そうだ、上手いぞトリシュ”
その人は嬉しそうに笑っていた。僕はその人を父様と、呼んでいた。不思議には思わなかった。あの頃は。
誕生日に贈られた、胡弓を奏でる幼い僕。あの人はその操り方を丁寧に教えてくれた。城は古びている。それでも歴史の息吹を感じさせて、僕は好きだった。水辺に調べを響かせるのが好きだった。
だけどある時、僕はあの懐かしい城から追い出された。母さんが死んだ後だ。彼女の部屋から見つかった手記が……原因だった。
生涯語ることが出来なかった後悔がそこには記されている。母さんはチェスター卿に嫁いで来た。政略結婚だ。けれど隣のブランシュ領から仕えに来ていた甥……僕の父親と、母さんは恋をしてしまった。
夜伽には別の女を向かわせていた母さんは、僕の本当の父親が誰であるかを知っていた。それでもチェスター卿の子として僕を育てた。僕が父様と呼んでいた人は、父親どころか叔父ですらない。だから僕は父の先代ブランシュ卿、つまりは祖父が作った子供とされた。だから建前上彼を叔父さんと呼ぶ。
僕は悲しかった。これまで父と呼んだ人が、その日を境に僕を憎々しげに見つめるようになったこと。僕が何かした訳じゃない。それでも僕はそこにいるだけで、あの人を苦しめる。僕は一瞬で、共に両親をなくしたのだ。
母様がいつも眺めていた本。それはそこに自分の姿を重ねていたんだ。追い出される前に、それだけ盗み出して来た。その本だけを手に、初めて帰ったこの領地。
初めて会う。これまで顔を合わせたこともない本当の父親。彼はどんな風に僕を迎えてくれるだろう。この悲しみを埋めてくれるくらい、優しく僕を迎えてくれるだろうか?
不安と期待。矛盾した気持ちで辿り着いたブランシュ領。そこに父親の姿はなかった。代わりに残されていたのは、竪琴一つ。
戦争に行ったのだと聞いた。そうしてもう何年も帰って来ていないのだと聞いた。だけど嘘だと思った。きっと僕に会いたくないから逃げたんだ。今更どんな顔して父親面すればいいのか解らないから!
怒りにまかせて叩き付けた竪琴。だけどその時鳴った弦の音に、僕は一瞬怒りを忘れて魅入られた。まるでこの調べは、僕の悲しみを吸い上げてくれるみたい。僕を今から切り離し、嫌なことを忘れさせてくれる。
もしかしたらその人は、本当に仕事に出掛けていて。この調べが聞こえたならば、この竪琴の持ち主は……僕を見つけてくれるんじゃないか?帰ってきて、僕を抱き締めて……寂しい思いをさせたことを謝ってくれるんじゃないのかなんて、馬鹿な夢を見た。そう思って奏でる内に、季節が巡り……祖父が死んだ。
*
最初はイグニス様のことをどう伝えたらいいのか。そればかりを考えて、真っ直ぐアルドール様の顔を見ることが出来なかった。気が付けば室内からはもう彼の姿は消えていて……俺の傍に残っていたのは同僚二人だけ。だからつい、口にしてしまったのだ。本当ならここにいるのは三人のはずなのではないかと。
「……俺は何か不味いことを言ったのか?」
ランスの口からはそんな呟きが漏れる。部屋には誰もいない。おろおろしていたパルシヴァルも気まずさからか出て行った。こんな時ツッコミを入れつつ助言してくれる相方も今はいない。それがトリシュの怒りの発端になったのだとは解る。
(トリシュはユーカーを美化し過ぎている節があるな)
恋は盲目とはよく言った物だ。確かにあいつは可愛いが、トリシュのそれはもはや何かのフィルターが掛かっているようにしか思えない。
あいつは男だ。本気を出せば俺とも互角以上に渡り合える腕がある。そんな立派な騎士を心配するなんて、失礼なことだ。騎士の誇りを汚すことだ。トリシュは本の女性を重ねて彼を慕うがあまり、現実を見ていない。俺の親友はそこまで女々しくもないし、弱い男ではないはずだ。あんなにやる気がなく、鍛錬を怠って来ていながら、両目では俺を打ち負かしたのだ。それを才能と呼ばずに俺は何と呼べばいい?
今思い出しても心が震える。叶うことなら誰にも邪魔されずに最後の最後まで、白黒付けて勝負がしたかった。いつか……カードの確立なんかに左右されることなく、本当に自分たちの実力だけで、戦いたい。そんな日はもう来ないのだろうか。
打ち負かすに足る相手。認めた相手。そんな男に打ち負かされることだけが、己の未来かと思うとやるせない気持ちになる。
「イグニス様……」
あの神子様が俺を最後の最後まで信用してくれないのもそのカードの所為だろう。俺のカードは弱い。だから俺を逃がした。それは俺がまだ必要だと求められていることに他ならないのだけれど、カードの幸運は俺自身の力の不信に繋がる。俺ではあの戦況で生き残れない。高い幸福値を持ったコートカード。ユーカーが傍にいなければ満足にも戦わせて貰えない。俺の付属品だったあいつ……それがいつの間にか俺があいつの付属品になっている。
(ごめん、ユーカー)
あいつは何一つ悪くないのに、そう思うと素直に心配も出来ない。それは信頼だけじゃない。俺は嫉妬している。あいつのカードに。
アルドール様も俺よりあいつを信頼している。あの方と同じだ。だからと言って俺があいつと同じ事をしてもああはならないだろう。人には適材適所という物がある。あいつに出来ないことを俺がやり、俺に出来ないことをあいつがやる。今までも、これからも……俺達はそういう関係だったはずだ。それが何を今更……不条理だと俺は感じてしまうのだろう。
「失礼します、アロンダイト卿」
室内に響くノックの音。それに応じれば、見覚えのない顔の少年が現れる。
「君は……?」
「お初お目に掛かります。僕はチェスター卿に仕えるしがない胡弓弾き。最高の騎士様、貴方のお噂はかねがね……北部まで聞こえていますよ」
「……それは、どうも」
どうせ悪評だ。父の暴走の所為で北部で自分を良く言う者はいない。いたとしてもそれはユーカーの受け売りだ。あいつは俺を過大評価しすぎている。
「僕は嫌味を言っているわけではありませんよランス様。だからこそこうして貴方に情報を持ってきたのです」
「情報?」
「申し遅れました。僕はキール。僕らはシール様の命に従い、胡弓弾き以外に領内の警備を任せられています。先程兄弟から面白い知らせが入ったので貴方のお耳にと思いここへ」
勿体ぶった口調の少年。用があるなら手短に頼むと伝えると仰々しい態度で謝罪をされる。
「これはこれはすみません高名な騎士様」
「……それで、俺に用事とは?」
「セレスタイン卿……」
「!?ユーカーに何か!?」
「確か貴方のご親戚でしたね。彼には僕らも何度かお会いしていましたので、彼のことは覚えていたんですよ。仮に変装されたとしても、僕ら楽師は耳が良い。声まで偽らないのなら僕らにそれは通じない」
心配はしていない。していない。それでもこの少年はそれを煽るようなことを言う。そんな不確かな物言いを彼は好む。
「先程領内に入った馬車の中からどうも聞き覚えのある声がしたと僕の妹が言っていました。そろそろその馬車は僕の弟のいる検問に差し掛かるのではないかと。そこを抜ければこのブランシュ領から元チェスター領へと差し掛かるわけです。彼は何かお忍びの任務でもあったのでしょうか?それなら僕らはこれ以上口出し致しませんが」
まるでこの少年は情報を伝える体で、此方に探りを入れている風。俺にだけ揺さぶりを掛けてくる理由がそこにはあるようだ。
「セレスタイン卿お一人にタロック退治を申しつけるとは、今度のカーネフェリア様はいささか鬼畜であらせられる。我が主もそんな方は王とは認めないとのことです」
「それで、俺をチェスター卿側に引き込もうと?」
「これは聡明な騎士様。話が早くて助かります」
「なら手短にお断りしましょう。生憎俺の主はアルドール様。鞍替えをする気はない。彼が最後のカーネフェリア様なのだから」
「そこは悩んでいただける方が嬉しいんですけどね。まぁ、今回は勧誘ではなく唯の友好の証としての情報提供ですよ。東門に向かわれるといい。今ならまだ間に合いますよ。弟に足止めを頼みましたからね」
どこまで何を知っている?それを明かさず少年は部屋を去る。嘘か本当かも解らない。それでもユーカーがまだ戻らないのは困る。今はあいつが必要だ。俺にとってもあの方にとっても。コートカードのイグニス様がいない今、あいつだけがアルドール様を守れるんだ。
*
「結局父は戻らず、領主不在のこの土地は……祖父が亡くなったことで僕の後見人である叔父さんの管理下に置かれました」
トリシュが物語ったのは一人の少年の物語。それが彼自身を示すことはすぐに気が付いた。アルドールは最後まで口を挟めずそれに聞き入った。憎んでいないのだ。嫌われていても、トリシュはチェスター卿をまだ慕っている。だから、……悲しいのだ。彼は悲しむしかないのだ。
「トリシュ……」
「可笑しいでしょう?アルドール様……。私はまだこの下らない楽器を捨てられずにいるなんて、本当……女々しいったらありません」
トリシュは憎まない。父親のことも憎めない。それに続く言葉は、いつかのルクリースのそれを彷彿させる。
「……僕は父親を憎めるほど、彼のことをよく知らない。僕とランスは似ていて、それでも違う。僕にはイズーのような相手がいなかった」
憎むには相手をよく知らなければならない。人は知らない相手を殺せても、憎むことは出来ないのだと、ルクリースは俺に説いた。これはそう言う話。……父親の姿を探すように、彼は竪琴を奏でるのだ。彼を深く知るために。
「でもトリシュは憎むために、その楽器を奏でてるわけじゃないんだろ?」
「……そうですね。僕は」
悲しげに目を伏せて、それでも弦から手を放せず音色を紡ぎ続ける騎士。
「母さんとその男を狂わせたという恋。それはどんな物だったのか知りたかったのかもしれません。それは叔父さんを傷付ける以上の意味ある物だったのか。そうして産まれてしまった僕に価値はあるのかどうか」
無価値だと認められるのが怖いのだと彼は言う。そこまで愛し合った二人だ。自分は望まれて産まれたはずだ。いや、それとも不要だったのか。自分さえいなければその恋が二人を苦しめ別れさせることもなかった?
「僕の本当の父親は、本当に母さんを愛していたなら……どうして身を引いたのか。解らなくなります。それが母さんの幸せだったとは……どうにも僕には思えない」
「なんとなくだけどさ……それってトリシュのためじゃないかな」
「え?」
トリシュは気付いていないようだ。それは自分で気付くべき物だろうか?いきなり部外者の俺が我が物顔で喋り出すのはとても嫌な感じ。
(だけど……)
トリシュは悩んでいる。それなら参考までに、こういう見方もあるんじゃないかって、口にするくらいはいいよな?
「あのさ、事情をよく知らない俺がいきなりこんなこと言うのは失礼だと思うけど……それでも俺は、二人はトリシュが大好きだったんじゃないかと思うよ」
「どうして、ですか?」
「二人はトリシュが産まれるまでは隠れ忍ぶ恋人でしかなかった。でもトリシュが産まれることで、二人は親になったんだ。そして自分たちのことだけじゃなくて、トリシュの幸せを一番に考えたんだと思う」
「幸せ……?」
「だって最初からそれが知られていたなら、トリシュは両親共には育てて貰えなかっただろ?……少なくとも当時のトリシュにとっては、父親も母親も傍にいたんだ。いられたんだ。だからトリシュの父さんは、身を引いて……母さんは、生涯嘘を突き通したんだ」
その幸せがふとしたきっかけで崩れてしまったのは悲しいことだ。それでもその不幸は彼に美徳を与えてくれたように、俺には思えた。
「トリシュがチェスター卿を恨まずに生きて来れたのは、そんな優しい人になれたのは、トリシュがちゃんとみんなに想われていた証拠だよ」
「アルドール様……」
「今は拗れちゃってるけど、いつかきっとチェスター卿とも和解できる!絶対に!嫌えるはず無いさ!トリシュは何も悪くないんだ!」
「ですが……」
「イグニスが言ったんだ。人は産まれてくることが罪じゃない。生きる内に罪を背負ってしまうものなんだって。だからトリシュは恥じる必要はない。むしろ誇って良い!」
肯定する。誰が彼を否定してでもだ。チェスター卿は間違っている。それでトリシュを憎むなんて筋違いも良いところだ。彼は父ではなく何時までも男のつもりでいた。それが間違っている。
「……チェスター卿の領地!取り戻してやるんだ!俺はそれで彼にトリシュのことを認めさせる!こんな背水の陣に挑むんだ、命懸けの親孝行だよ!これで子供と認めないなんて俺が許さない!」
「……アル、ドール様」
「トリシュ!俺に付いてきてくれ!俺を助けてくれ……一緒にタロックの奴らを追い出そう!勝って全てを取り戻すんだ!」
流れる無音。我に返った。ちょっと熱くなりすぎた。トリシュに引かれてしまったか?
気まずさを感じる俺に、彼は小さく吹き出してから……強く頷いてくれた。
「はい!我が君アルドール!」
「王様!大変です!」
トリシュが頷くと同時に室内に飛び込む小さな影はパルシヴァル。
「お姉さんが走って来て、馬に乗ってまた出て行ってっ!」
「ジャンヌが?」
彼女は教会との合流を図ったはずだったのだが……
「彼女は何か言っていた?」
「街の北側を抜ける一軍と!それからタロック騎士の男を乗せた馬車が東門へと向かってるって言ってました!お姉さんはそのまま北へ!」
咄嗟に判断を下せない俺に、トリシュが進言してくれる。
「彼女はコートカード。滅多なことはないでしょうし、教会の援軍もいるはず。アルドール様、東門へと急ぎましょう!どちらが連中の狙いかは解りません!それに今からでは北の軍勢には間に合わない!」
「あ、ああ!みんな、急いで支度をしてくれ!」
*
「こんなあっさり通してくれるとかおかし過ぎるだろ」
「まぁ、もうこの領地は我々の支配下だからな。仕方ないだろう」
レクスはそう言うが、ユーカーは馬車の外……目の前の光景に唖然としていた。
船から降り立った場所。そこを真っ直ぐ東へ向かえば湖の城に着く。今いるその通過地点はブランシュ領。聞き覚えのある場所だ。あの同僚の名前と同じ。
何度か仕事で赴いたこともある土地でもある。だと言うのにここはもう、タロックの手に落ちていたのか。
「どうぞお通り下さい」
嫌らしい笑みを浮かべた少年は片手に胡弓を持っている。何度か顔を合わせたことはある。確かここを預かるチェスター卿のお抱え楽師三兄弟の一人だ。チェスター卿は我が子のように可愛がっていて、領内の大事な仕事を彼らに任せたりもしている。セミロングの金髪のこれは末弟だったはずだが、女にも見える顔髪型。正確なところは解らない。唯一分かること言えば、兄がいる時は歌以外そんなに喋らない弟妹も、一人の時は割と饒舌。普通に会話が出来る。単に面倒臭いという理由で普段は兄任せなのではないかとさえ思う。
(しかし、所詮は脳内お花畑の楽師だぜ)
今がどういう時期か解っていない。それはこの街がもう安全だから。既に内々に、征服されているから。それは何時からだ?最北での戦いから逃げ帰る時はまだ、こんな風にはなっていなかったはず。
(……俺の、所為なのか?)
北からの進軍を止めることよりも、ランスを探すことを選んでしまった。ランスを守れという言葉以外、捨てるように逃げ帰った俺だ。俺には俺だけにはこの現状を憂うる資格は無い。
こうして振り返ってみれば、自分が如何に無責任で小さな人間かがよく分かる。背負わされた物が重くて、無くしたのを良いことに、何もかもかなぐり捨てて逃げていた。今だって新しく何かを背負うことから逃げている。だからこうして敵なんかの言葉に惑わされて、逃げ出せないでいるんだ。
「黒の騎士様がカーネフェルの女を捕虜に連れ歩くなんて珍しいですね」
誰が女だ!誰が!……怒鳴ってやりたいが、男だと知られる方が屈辱だ。悔しいがその胡弓弾きの少年を、一睨みすることしかできない。あんまり見ると俺の正体がばれる。あることないこと吹聴されては敵わない。悔しいが今はこれくらいしか抵抗できない。
もっとも、もしかしたら解った上で俺に嫌味を言っているのかも知れない。だとしても言い返せない。万に一つでも気付かれていないという可能性がある限り。
「ああ。だが見ろ。あの真っ平らな胸!実に素晴らしい平面!あれぞまさに男のロマン!敵国の人間とはいえ貧乳は至高の宝。そうは思わないか?」
「ああ、捕虜じゃなくて現地妻ですか?」
「いや、むしろ本妻に迎え入れるため口説いている最中だ。しかしお前も中々良い真っ平らな胸をしているな少年」
だぁああああああああああああああああああああ!ツッコミ!ツッコミさせろぉおおおおお!!何て拷問だっ!ツッコミ入れたいのに、入れられないっ!ストレスでどうにかなりそうだ。見境無しかあの変態!タロークは周りに女が全然生まれないからやっぱあのメイド女が言ってたみたいに男色癖でも持ってるのかいい加減にしろっ!ジャックのカードが何だ!もうどうでもいい!あいつらの所に帰れなくてもこいつの傍にいるのはもう無理だ!離れようとして、鎖に繋がれていたことを思い出したが、この際あいつの腕ごと引き千切ってやる。
「待てセレス!何処へ行く?」
「もう我慢の限界だっ!これ以上俺を怒らせるなら、全員ぶっ殺す!…っうあ!」
ぐいと鎖を引かれただけで思い切り転んでしまう。相手は腐ってもキング。幸福値じゃ太刀打ち出来ない。
「くそっ……」
「随分と気の強いお嬢さんですね」
「誰がお嬢さむがっ…!」
「まったく俺も手を焼いている。だがそこがまた可愛いんだが」
レクスに丸めた拳を口の中に入れられて、喋ることもままならない。むーむー唸っていると目の前の少年楽師に吹き出された。蹴り飛ばしたい。殺したい。
顔だけなら可愛いが、なんて可愛げの無いガキなんだ。うちのパルシヴァルを見習え。あいつは外見だけじゃなくて性格まで可愛いぞ!
「しかしこういう手合いに限って褥では大人しくなる物でな」
レクスの阿呆っ!あること無いこと抜かすなっ!何時から俺がお前とそういう関係になったって言うんだお前の頭の中以外で!ていうかいい加減口の中から手ぇ退けろ。俺の口が裂けたらどうしてくれるんだ。眼帯マスクに女装なんて装備になったら今以上に不審者丸出しだろうが!
怒りを噛み殺しながら眼前を見据える俺にざわと慣れた数術の気配が届く。これは、この数術はあいつだ!
「む?」
「ランス!」
数術によって切られた鎖。数術の心得のないレクスはそれが解らない。向けられた殺気に気付き水の刃を剣で叩き落とすのが精一杯。その一瞬の隙は俺が逃げ出すには十分だった。
これまで逃げ出せなかった理由も一瞬忘れ、馬車を飛び出し相方に駆け寄るも……この相方は何故か微妙な顔をしている。
「ユーカー……だよな?」
「俺じゃなかったら何なんだ!」
「いや、何処かの口の悪いご令嬢かと」
「こんな時にボケんな馬鹿っ!」
「いや、この間の服と違うから」
「こ、細かいことは気にするな!将来禿げんぞ!」
辺りは薄暗いし、俺ほど夜目が利くでもないのにこの短時間で俺がレクスに着せ替えさせられたのに気付くとはこいつは一体どんな目してるんだ。
そんな俺とランスの会話に耳を留めたレクスは、にやついた笑みを浮かべる。ランスの名はこいつも知るところだったのだろう。
「ほぅ……そっちの美形兄ちゃんがカーネフェル王お抱え騎士で最も有名なあのアロンダイト卿か。南部の戦ではうちの軍を随分蹴散らしてくれたそうだな」
「……?彼は誰だ?見たところタロックの人間のようだが」
「お前見てたんじゃねーのかよ!」
「いや、神子様から情報を伝えられる程度で……基本お前をあそこに囮として置き去りにしていたからな」
「お前らとことん酷い奴だな!」
「そう言うな。此方も色々あったんだ」
しかし空気の読めない天然男はぽっと出の将のことなど知らないという。それに関して腹を立てるでもないレクスは何だかんだで人間出来ているのかも。
「はっはっは!まぁ、俺が軍に入ったのは一月、そろそろ二月前ってところだしな。そりゃあ知るはずねぇよ」
「いや、何か悪ぃなレクス……」
「惚れ直したかセレス?」
「惚れ直すも何も最初から惚れてねぇよ」
「まぁ照れるな」
「照れてもいねぇ!俺は怒ってんだ!」
「レクス……?」
「はじめまして、だなアロンダイト卿?俺はタロック天九騎士団が第一騎士ってのやらせて貰ってる。しかし何だ、俺とセレスの会話総スルーするとはとんだ堅物がいたもんだ。あいつと良い勝負だな」
「タロックにもこいつみたいな石頭いんのかよ。お前の所も大変だな」
思わず同情したところ、気が立っていたのか珍しく……?もないか。短気になっていたランスに怒られた。
「ユーカー、何か言ったか?」
「別に言ってねぇよ!ていうかなんで俺の言葉は聞いてるんだよ!」
「ところでお前はあいつに惚れているのか?」
「違うっ!あいつが勝手に言ってるだけだ……って聞いてたのかよ!」
「トリシュが悲しむぞ」
「そういう意味でもねぇっ!大体俺にはアスタロットがいるっていうかいたっていうか」
「もういないじゃないか」
「お前、俺に殴られたいか?」
「まぁいい、そんな格好で得物もなければ戦えないだろう。下がっていろ」
「預けておいた俺の剣は?」
「今はない、ここには無いぞ」
「つ、使えねぇっ!」
俺とランスのやり取りを、レクスは興味深そうに眺める。
「なるほどなるほど。セレス、お前の言うしがらみの一つはそこの騎士という訳か」
「俺が、ユーカーのしがらみだって?」
何を知ったような口をとランスがレクスを睨み付ける。先程よりも目つきが鋭い。そんな顔も絵になるのが腹立たしいったらない。
「おい、落ち着けよランス。何かあったのかお前?お前らしく……」
「お前は黙っていろ!」
「え……」
こんな理不尽な怒りをぶつけられるなんて、滅多にない。俺はいつもランスの怒りは理解していた。その理由もだ。だからこそ謝れなくともふて腐れても、俺がこいつの怒りに対して怒ることはなかった。今だってそうだ。怒りの前に急な寒気が身を襲う。なんだかとても、訳が分からなくて。
「ああ、しがらみもしがらみさ。こいつ程の男が王にも仕えずそれでもまだカーネフェルに残る未練。そいつがお前なんだろうアロンダイト卿?」
「敵国の将が何を。侵略者が偉そうな口を!」
「ああ、そうだな。俺は侵略者だ。それは認めるよ。俺はカーネフェルからお前から、そこのジャックを奪いに来た。その男は是が非でも俺の嫁ついでに我が陣営に欲しい」
「普通逆だろ」
「いや、こう言われた方がお前は嬉しいだろう?」
「う れ し く ね ぇ し っ!!」
「ははは、まぁそう照れるな」
「照れてねぇっ!」
「要するに殺して構わないと言うことか」
「え?ちょっ、ランス!?」
レクスは不敵な笑みを崩さない。俺が傍から逃げたのに、鎖も切られたのに、それでも絶対の自信を失わない。対するランスはどんどん取り乱していく。しっかりしろよと言葉を掛けることも俺は出来ない。これ以上、俺が傷つくのが嫌だから。
そんな俺の心まで、あの男は見透かしているのだろうか?ああ、そうだ。鎖が無くなっても、俺が逃げられない理由は二つもある。あいつはそのカードを握っている。
「一つ教えておいてやろう。そっちにも数術使いがいる以上、俺のカードの粗方の見当は付いているだろうが……王は逃げも隠れもしない。だからこそ俺は名乗ってやろう。我が名はレクス。コートカードがクラブのキング。俺に勝てるのはこの世に道化師唯一枚」
「き、キング……!?」
事も無げにレクスが見せた掌、手の甲。そこに刻まれた格の違いにランスは驚愕。あのクソ神子から俺とレクスの戦いのことは聞いていなかったのか。何処まで職務怠慢だあの女。
「さぁて色男の騎士様よ。あんたほどの高名な騎士がカードにならないはずがない。あんたは確率論的に道化師である確立は五十八分の一ってわけだが、それだけ名誉がある騎士なら下位カードであるはずがねぇ」
「だったら何だ?」
「要はあんたは俺には勝てない。俺はそいつを連れて行く。あんたは勝てない。それでも来るか?」
「望むところだ!」
「馬鹿止めろ!お前本調子じゃないんだろ?大体今は戦う理由が何処にある?」
「お前を渡すわけにはいかない」
強く言い放たれた言葉に身体の寒気が止んだ。しかし、それも一瞬だった。
「……ランス」
「お前は大事な、カーネフェルのカードだ。失うわけにはいかない」
「ランス……?」
ほんの少し離れている間に、彼には何があったのか。また埋めようのない溝が俺とこいつを隔て出す。誰よりも道具扱いされたくないこいつに、俺は……。それはまだ我慢できたとしても……お前の道具じゃなくて、カーネフェルの道具とまで言い切るか。
立ち上がり走って逃げる気力もなくなった。そのままその場にへたり込む。そんな俺を背に庇うのはランスではなくレクスの方だ。
「なるほど。なら手合わせ願おうかアロンダイト卿ランス」
「遺言があるなら今の内に済ませておくと良い。10秒くらいなら待ってやろう」
「同じ言葉をそっくり返してやるよ。まぁ、俺は10秒なんて短気なことは言わない。11秒くらいは待ってやるさ、はっはっは!」
そんなことを言いながらどちらも10秒も待つ気が無いのは見え見えだ。レクスはもう既に抜刀してにやついてやがる。この戦闘狂が!ランスも怒りで頭の螺子が何本かぶっ飛んでいる所為で、それにいとも容易く応じてしまう。結果、すぐさま二人の剣戟の幕が切って落とされる。
ランスの剣技には品がある。レクスは出身が貴族ではないと言っていた。だからその太刀筋に品こそ無いが、荒々しい力強さはある。無法者の強さというのか。一手先を読むのが非情に困難。俺もそういう気質ではあるから嗅覚でなんとか渡り合えるが、ランスとレクスじゃ相性が悪すぎる。
二人を止めないと。このままじゃランスが負ける。ランスが殺される。それでも今は武器がない。素手であの二人を止められるとは思えない。
(くそっ!)
足を思い切り叩く。それでも両足が震えて上手く歩けない。あんな言葉一つで、何を俺は参っちまってるんだ。情けない。
(どうしちまったんだよ、ランス……)
俺はお前の何を信じればいいのか解らない。昔、俺のために泣いてくれたお前に救われ……俺は家の道具じゃないと言ってくれたお前が好きでここにいたんだ。そんなお前の道具になることを甘んじても、俺は国なんて重い物は背負えない。俺がそんなに強い人間じゃないって、本当はお前が誰より知ってるはずだろ?
国のために命を磨り減らせ?投げ出せ?そんなこと出来ない。俺にとってのカーネフェルはもう死んだんだ。おっさんは死んだんだ。ランス、お前は俺のカーネフェルじゃない。それでも俺の大事な家族だ。だから俺は……逃げられなかったんじゃないか、この……カーネフェルから!
国のために戦うお前のために戦うのが俺。なのにお前が自分の怒りのために戦ってどうする?俺はお前の理不尽な怒りのために怒れない。大体何でお前はいきなり怒ったんだよ。唯虫の居所が悪かったってだけ?それだけとは思えない。
(しがらみ……)
確かランスはレクスにそう言われて切れた。それって……つまり、認めたくないって事?本当はお前も気付いている。それでも認めたくないから?お前が俺の枷だって。
「ランス……」
あの理不尽な怒りは、俺との繋がりを昔のままに保ちたいこいつのエゴだ。もう変わってしまったのに、お前も俺も。どう足掻いても戻せない。お前はもう、本当は……
(俺のことなんか、どうでも良いんだよな)
唯、それを認めたくないだけで。簡単に認められるくらいお前が素直じゃなくて……簡単に認められないくらいお前が優しいってだけで。
重荷なんだ。変わったこいつにとって、俺の変わらない信頼と思慕は。本当は……俺が傍にいない方が、お前はずっと楽に呼吸が出来るんだろう?俺がいないと呼吸が出来ないなんてそんな勘違いをしてはいるけど。
「くっ……」
「勝負あったな」
剣技でここまで食らいついたとはいえ、カードと幸福の差は歴然。たかだかⅢのヌーメラルのランスが最強のコートカード相手にここまで保ったことはそれだけで驚嘆に値する。
如何に水の数術を操れても、風が味方しなければ意味がない。し向けた攻撃が自分へと牙を剥く。それに乗じたレクスの一撃。それをかわしても水の刃は防げなかった。襲い来る水圧にアロンダイトを弾かれて、しゃがんで防ぐも刃の一つをかわせずその時に瞼を切られたのだ。血が入ってランスは目がよく見えていない。唯でさえ最初から体調が優れていない顔色だった。そんな時に数術なんて無茶するから……それは俺のため。俺のためと思いたがる、あいつ自身のために。
ようやく足が動いた。震えも止まる。ユーカーは立ち上がり、アロンダイトを拾い上げる。
(国のため……)
そう、こころからそう思えたならお前はもっと楽になれるのにな。楽になりたくて……お前はああ、言ってしまったんだよな。そうだったんだな、なぁ……ランス?そのくらい……俺はお前の重荷になってしまったんだ。そうなんだろ?
「レクス、そこまでだ。ランス程度の数札捨て置いたところで痛くもかゆくもねーはずだ」
「悪いがセレス、そうも言っていられない。剣を合わせて理解した。お前など可愛い物だが、……この男は危険だ」
「き、危険って……」
「狂人の目だ。こんな者の傍にいれば大勢の人間が壊される。正論で目を曇らせてはいるが、これの本質は狂人だ。早急に芽を摘み取る必要がある……」
剣を握るレクスの声にも力が入る。何を言っているのか解らないが、この男はここでランスを殺すつもり。項垂れたあいつの首を刎ねようと、刃をそこに添えている。
(そんなこと、させるもんか)
俺は手にしたあいつの剣を自分の首へと当てる。そしてさも当然と、俺ははったりを言う。確証はない。それでも騙しは俺の十八番だ。この場合カードの不運と幸運がどちらに転ぶか解らないが、試してみる価値はある。これで終わりに出来るなら。
「レクス、知ってるか?カードは自殺も出来るんだぜ?」
「……自らを人質とするか」
「お前は俺が、俺のカードが欲しい。そうだな?ならそいつを放せ。ここでは殺すな。じゃなきゃ俺がここで死ぬ」
「飲むと思うか?ジャックはお前の他にも三人いる」
「ああ、飲むな。俺はお前の妹に似てるんだろ?見捨てられるはずがない。その程度にはお前は最低じゃない」
俺は瞬きをも殺し、じっと暗闇に男の黒を見つめる。黒いその瞳は、やがて俺の青へと屈する。
「……セレスに感謝しておけ、高名なるアロンダイト卿」
ランスに一言言い残し、レクスは剣を収めた。そして俺の方へと歩み寄る。そして俺の手からランスの剣を奪う。でもプライド高いお前はそれが許せないよな。俺なんかに命乞いをされたこと。そんな生き恥。アルドールのためとか国のためとか、この一瞬は頭の中から忘れてしまったんだろう。感情を殺して来たお前がこうやって、暴走するのは専らあの人と……俺の所為だよな。それが良いことなのか悪いことなのか、俺にはもう……よく分からないんだよ。
「っ……!」
今のお前の青に浮かぶは、怒り一色。カードなんか無かったら負けない……という自負。理不尽な敗北へのやるせなさ。それがお前の遵守してきた騎士道さえも打ち破る。剣を収めた敵。それを背中から斬り付けるなんて……
(お前らしくもねぇ)
だから気にするな。俺が、そんなお前は嫌で、見たくなかっただけだから。
しかし皮肉なもんだ。俺が預けた俺の剣、セレスタイト。数術でそれを隠していたんだろう。持っていたことを悟られないよう、不可視数術でも掛けていたんだ。それでお前はレクスに斬りかかった。それが許せなくて俺は……あの日トリシュにしたように、お前の前へと立ちはだかった。
見事な太刀筋だ。痛いなんてもんじゃない。これでお前の目がちゃんと見えていたなら、俺の胴体は真っ二つになっていただろう。肉と皮撫でられたくらいでこの位痛いんだ。本当、お前には敵わない。
(お前は……俺の、誇りだった。だけど……けどな、ランス)
手から伝わる手応えは、慣れた感覚だっただろう。そしてお前は妙に思ったはずだ。背中から斬ったはずなのに、どうしてと?何時もと同じ。正面から斬ったようなこの手応えは何だと……必死に目を凝らすんだ。それでもまだ見えないはずだ。その高さに俺はいない。
「セレス!?」
倒れる俺に気付いたレクスの叫び声。それに確信してしまっただろう。何余計なことしてくれてんだ。せっかく庇ってやったんだから何も言わないでいてくれよ。ああ、くそっ。
「……もう、良いんだ」
「ゆ……ユーカー!?」
ランスの声が震えている。でも、その内どうでも良くなるから、そんなに脅えること無いだろう。自分に嘘、吐かなくて良い。お前が脅えることはない。
「……もう、良いから。……捨て、ちまえよ……ランス」
「う……あ、ああああ………」
「意外と、大したことないだろ……?こんなもん、なんだよ」
お前が今泣いているのは、俺を斬ったことでも俺への怪我を心配してでもじゃない。俺を斬っても何も感じない自分が信じられなくて、それが嫌で嫌で堪らなくてお前は涙しているんだ。
「俺は……コートカードだ。お前なんかに殺されない。だけど、痛ぇもんは痛ぇ」
治癒数術を掛けようとするあいつの手を振り払い、腹に力を入れて立ち上がる。
こんな傷大したことはない。痛いのは身体じゃない。だから治して貰っても意味がない。お前じゃ治せないんだよ。
「俺はお前の敵にはなれない。それでも味方でもいられない。それがお前にとって良くないことだって解ったから……俺はもう、お前を崇めねぇ。尊敬しねぇ、慕わねぇ、……でも、軽蔑もしねぇ。それでも傍にはいられねぇ」
じゃあなと二人に手を振って、フラフラと歩く。倒れる寸前それを支えてくれたのは、あいつではなくレクスだった。それを振り払える気力はなかった。逃げられない理由もある。だから甘んじてその腕に収まる。その時、何か向こうの方から何人かの声が聞こえたが、余りに遠くて解らない。唯、間近で見たレクスが怒っているのは目に見えた。
「カーネフェルの騎士よ……俺もつくづく自分は最低だと思うが、少なくともお前には負ける自信がある」
「っ…………」
「言い訳でも返す言葉があるのなら……あの湖城に来るが良い」
何も言い返せず項垂れるランスをぼんやりと見つめながら、俺はレクスに抱えられ馬車へと戻る。
「早く馬車を出せ!」
御者である兵士を怒鳴りながら、レクスは俺の手当を始める。傷は浅いぞとか馬鹿みたいに声を掛けながら。俺は敵なのにな。
最強の一角であるコートカードのキングが、俺みたいな取るに足らない駒のために涙目ですらある。
「……何故俺を助けた?」
カードの所為だ。あいつは……不運だ。あいつがあんたに斬りかかったなら、死んでたのは……あいつだってのが、目に見えてた。……そういうのは建前だろう。
「しがらみ、切って……終わりにしたんだ」
俺は誰でもないし、何でもないし、何処にもいないし、何処にいても良い。俺は自由を手に入れた。要するに捨て犬だ。悲しいのは最初だけだ。すぐに野犬になれる。俺は牙と爪を研ぐ。カーネフェルとタロック。どっちが勝っても良い。俺には関係ない。俺はじっと、時を待つ。今は何も考えられない。考えたくない。だから……
「それに……俺は今、どうしていいか……何もわかんねーんだよ」
それを彼へと伝えて目を伏せれば、静かに「そうか」と頷かれ……頭に触れられる。俺をそんな風に触るのは、あのおっさんとあいつくらいだったから……何だか無性に悲しくて、俺は両腕で目を覆うのだ。
「……少し寝ろ。城に着いたらちゃんと治させる」
「…………暇、じゃ……ねぇの?」
船で読んでいたエロ本は読まないのかと尋ねれば、震えた声で額を弾かれた。
「こんな状況で読めるか、阿呆」