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17:Non mihi, non tibi, sed nobis.

 そりゃあさ、あのさ。最初は苦手な奴だと思ったよ。俺の嫌いな典型的なお貴族様だって。だけど今日ほど彼の不在を呪ったことはない。時に敵意より悪意より、無邪気と好意がそれを上回る悪意に変わるのだと、未だかつて無いほどアルドールは痛感している。

 ガクガクと揺れる暴れ馬に掴まって、朦朧とした意識の中思い出すのはどうしてこうなったのかということ。

 それは確かそうだ。湖に近づけば、タロック軍に気付かれる。ブランシュ領を目指すには沿岸を通過することになった。


 「あはは!走れ走れ!リンガーレット!」


 アルドールは無邪気にユーカーの馬を乗り回すパルシヴァルを生暖かい目で見守る。本来の持ち主であるユーカーのことは完全に舐めているあの馬も、子供相手にはまだ甘い。いや、彼の無邪気さがあの暴れ馬の気性を物ともしない器のでかさがあるのかも。

 本来彼に与えられた馬はと言えば、聖十字の彼女……ジャンヌに貸し与えられている。元々イグニスが教会から持って来た馬だ。船専門だった彼女も最初こそ戸惑っていたが、暫くすれば乗りこなす。


 「やややややっぱりおおおおおお姉さんは凄いいいいいなななななな」

 「元々士官学校では勉強させられました。ここしばらく海上警備ばかりだったので忘れては居ましたが」


 一番軽いのは幼いパルシヴァル。一人で馬を乗りこなせない俺は彼に乗せて貰ってる。つまりユーカーの暴れ馬に一緒に乗っているというわけで。今にも振り落とされそうだ。ていうか酔う、酔う、酔うぅううう!

 道を進めるほどに顔が青ざめていくアルドール。それに気付いたのかジャンヌが口を開く。


 「アルドール様、私の馬に」

 「いいえ、ジャンヌさん。幾らアルドール様でも婦人と同じ馬では緊張してしまい、余計酔ってしまうでしょう。此方へどうぞ」

 「いいえ!私のことは女などと思わなくて結構です。王に何かあっては国の一大事!カーネフェルのためにも私は貴方を失うわけにはいかないのです!」

 「跳ねろ!跳べ!いいぞリンガーレット!見てください王様!こんなに高く跳んでますよ!」

 「ちょっ!駄目っ!ぱるしう゛ぁるぅうううう!俺吐きそ……」


 二人が馬上口論している間にも幼い騎士は無邪気に馬を操る。そして俺の胃を揺する。我慢の限界が来た。馬が地面に着地する頃、朝食が逆流リバース。情けなくてもう泣きたい。呆れられてるんじゃないかと涙目でみんなを振り返ると、何故かジャンヌもトリシュも心配そうだ。


 「大丈夫ですかアルドール様!?」


 水とタオルを取り出して、甲斐甲斐しく俺の口元を拭ってくれる聖十字兵と……


 「全部吐いた方が楽になりますよ」


 と背中を優しくさすってくれる騎士。


 「あれ……」


 何でみんなこんなに優しいんだろう。イグニスならここで……普通ここでは「うわ、君何やってんの?」と嫌そうな顔で睨まれて、「臭い取れるまで僕の方に近寄らないでよね」と香水ぶっかけられるのがデフォじゃないのか?

 そう思うと涙が流れた。イグニスが居ないのが寂しい。不安だ。ここまで優しくされると不安になる。俺にはそこまで価値無いだろうに。


 「駄目ですよパルシヴァル。アルドール様はまだ馬に乗り慣れていないのです。あんな乗り方したら、こうなって当然です」

 「ご、ごめんなさい」


 ユーカーの不在時にはパルシヴァルを甘やかしていたトリシュ。そのトリシュに叱られたことがショックだったのか、パルシヴァルはしゅんと落ち込む。それが見ていられなくてアルドールは無理にでも笑って見せた。


 「い、いや、朝食べ過ぎたからあれだっただけだよ。楽しかったから、また俺が元気になったら乗せてくれよ」

 「は、はい!王様!」


 ぱぁと明るくなった少年騎士に変わって今度は聖十字の少女の顔が青ざめる。


 「私が貴方に無理矢理朝食を食べさせてしまったからこんなことに……貴方は大事なカーネフェリア様なのに」

 「い、いや……あの、ジャンヌさん?」

 「王を守らなければならない私が王を傷付けてしまうなんて、私は何ということをっ」


 なんだこのクソ面倒臭いパーティは。

 助けてイグニス!この聖十字のお姉さんに思い悩まないでこいつは馬鹿だからって言ってあげて!助けてユーカー!パルシヴァルをちゃんと良い感じに褒めたり叱ったり出来るのはお前だけだろ?ていうかお前が居たなら俺この馬乗らずに済んだんだよな?いやこういうフォローならきっとランスが適任だ!帰って来てくれランス!

 ……そんな現実逃避をしても何も変わらないわけで。仕方ないので俺は、遠い目をするのを止めた。


 「ち、ちょっとこの辺で一旦休憩しようよ。一息吐けば俺も落ち着くし、その間にこれからの進路の確認とか……そ、そうだトリシュ!ブランシュ領ってどんな感じの所なんだ?」


 草地に腰を下ろして俺は無理矢理話題を変える。


(あ、しまった!)


 途端にトリシュが微妙な笑みのまま硬直。地雷に触れてしまったらしい。如何にこれまでのパーティがイグニス、ユーカー頼りだったのかを痛感する。

 トリシュとパルシヴァルは俺との繋がりよりユーカーとの関係が深いし、こっちのお姉さんはイグニスの部下。一応トリシュとパルシヴァルは俺の部下って事になるんだろうけど、やっぱり縦より横の繋がりの方が強い。


 「う、うちの領地ですか………?」

 「というよりそろそろアロンダイト領を越えてトリシュ様の領内に入っている頃なのではないですか?」

 「……そ、そうですね」


 ジャンヌの問いにしどろもどろになるトリシュ。その遠い目は俺同様、ここにはいないユーカーを探しているようだ。本当に何なんだこのパーティは。満足に意思の疎通すら出来ない。通訳か!?ユーカーは同僚達の仲裁と通訳で、イグニスは俺の取扱説明書みたいな?


(……言ってて虚しくなってきた)


 事実、その通りとしか言えない。俺が沈んでいると、同じような顔をしていたトリシュが荷物の中から竪琴を取り出す。何時も持ち歩いてるのかこの人は。そして何やら歌い出した。ツッコミを入れるべきなんだろうか。だけどそうすることで既に微妙なこのパーティ。ちゃんと均衡を保てるのか?テンションがもっと下がったりしないか?大丈夫なのか?


(本当に早く帰ってきてくれユーカー!)


 前王が彼を重宝していたわけが解った。王宮騎士って基本天然か堅物かしかいないんだ!だからボケとボケ殺しで大変なところへ行ってしまう。その軌道修正ツッコミスキルを持つユーカーがいないと日常会話すらままならない!

 俺が悩んでいる間にも、トリシュは苦悩の歌を歌い奏でる。でも歌の内容がここに帰って来たことじゃなくてセレスちゃんの不在を嘆いているだけなのはどういうことなんだ。唯の照れ隠しなのか?それとも本当にユーカー欠乏症なのか?


 「トリシュさん、歌お上手です!」

 「ええ、惚れ惚れするような演奏です」


 うああああああ!このお姉さんもパルシヴァルも純真過ぎる!そうじゃない!そうじゃないだろう!?ツッコミ!ここはツッコミ入れるところだよ?褒める所じゃないよ?

 アルドールはツッコミを入れたいのに入れられない現状にストレスが貯まり始める。そして思う。


(やっぱりランスがいなくて良かった)


 いたらこんなレベルじゃ済まない。天然ボケとボケ殺しがそんなにいたらもう駄目だ!


 「あれ?」


 不意に顔を上げれば竪琴の調べに加わってくる新たな音色。胡弓……ヴァイオリンの旋律だ。どちらの音色もそれぞれは美しいのに、新たな奏者は敢えて不協和音となる曲をぶつけてくる。その不快さから我に返ったらしいトリシュが楽器を置いて剣を取る。


 「下がって!アルドール様!」

 「え、ああ!うん」


 その背に庇われて前を見据えれば、一人の少年の姿がある。彼は明るい金髪に緑の目。年は俺と同じくらい?背丈は俺が勝っているが顔のレベルは明らかに俺が負けている。

 それは可愛らしい顔をした絵に描いたような美少年。だけどイグニスともパルシヴァルともジャンルは違う。

 な、なんなんだ!カーネフェルは男が少ないんじゃなかったのか?都来てから男率上がっただけじゃなくて基本みんな俺より設定イケメンしか出て来ない!今頃ルクリースが生きていたら毎日鼻血パラダイスだ!どうせならそんな幸せな出血死をさせてやりたかった。


 「誰かと思えばトリシュ兄さん、帰ってらっしゃったんですね」

 「キール……」


 にこやかに笑う少年を見て、トリシュは完全に固まっている。そんな様子の騎士にアルドール達も戸惑う。


 「に、兄さん!?」


 トリシュに兄弟がいたなんて聞いてない。でもボケ殺し二人はこの兄弟から発せられる殺気のような物に気付いていない。


 「トリシュ様の弟君ですか。兄弟揃って楽器の覚えがあるなんて風情がありますね」


 ジャンヌさん、違う。お姉さん、そうじゃない。何カーネフェルも平和になったらいろんな人がそういう風に音楽を楽しむ余裕が持てるような国になればいいですねみたいな顔をしてるですか。音楽に携わってるこの人ら、心に全然余裕無いよ。無さそうな顔してるよ。笑顔なの表面上だけだよ。


 「でもあんまり似てませんね」


 二人の兄弟を見つめ、邪気無くパルシヴァルが呟いた。言われてアルドールもまじまじ二人を見比べる。どちらも繊細というか陰のある美形。ランスのような正統派美形じゃないし、ユーカーみたいな二枚目半でもない。ジャンルとしての美形ジャンルは似ているが、確かに雰囲気が違う。トリシュの方はいつも何処か悲しげな雰囲気があるのに、その弟らしき少年は、不敵な態度というか自信のような物が見え隠れしているのだ。パルシヴァルはそこを示唆したのだろう。少年の笑顔は無邪気と呼んでも良いような可愛らしい物ではあるが、パルシヴァルのような純粋さが感じられない。何か裏があるような、そんな計算された笑顔。


(もしかして……)


 アルドールは思う。トリシュが実家に帰りたがらない理由にこの少年も一噛みしているのではないだろうかと。


 「あれ?兄さんそっちの方々は?……わぁ、綺麗なお嬢さんですね。もしかして兄さんの彼女ですか?」


 周りを見回し、少年が目に留めたのは聖十字のお姉さん、ジャンヌの姿。


 「「違います」」


 そして息ぴったりに否定するトリシュとジャンヌ。


 「私を女などと愚弄しますか?私は歴とした男です」

 「お姉さん……」


 今は男装している。そこを見抜かれるのは彼女の勘に障ったらしい。なにか変装に関してのプライドがあったのだろう。それでも怒るポイントがよく分からない。


 「我が友トリシュ様の弟君と言えども、彼と私の崇高なる友情を邪推するなど許し難い行為です!撤回を要求します!」


 何時の間にこのお姉さんとトリシュは親友になったんだろう。今朝のあのやり取りでこのジャンヌさんの中では愛国の意を持つ戦友ということになったのだろうか?


 「あはははは!僕と兄さんが兄弟だって!あはははは!お姉さん、そっちの方がトリシュ兄さんには屈辱ですよ」


 そんな彼女の言葉を少年はけらけらと嘲笑う。


 「トリシュ?」

 「……紹介が遅れました。彼は私の……」


 弟なのか?それとも裏をかいて実は妹なのか?その言い辛そうな表情からして腹違いとかそういう設定なのか?どうなんだ?

 内心不安になりながらトリシュの顔色を窺ってみる。その先で彼がようやく発した言葉は……


 「私の叔父お抱えの胡弓弾きです」

 「は、はい?」


 俺の想像を超えていた。というか下回っていた。


 「え、ええと。それじゃあ彼はトリシュの叔父さんの養子とか?」

 「いいえ。養子の許可が下りていないのでお抱え楽師です」

 「僕が勝手に懐いて兄さんって呼ばせて貰ってるだけですよ」


 にこにこと少年は微笑むが、何か背筋が寒くなる物がある。なんというか俺に優しいイグニスを見たような気持ちの悪さがそこにある。この子は嘘を吐いている。


 「へ、へぇ……そうなんだ」

 「兄さんだって解らなかったら、敵かと思って間違って殺してしまうところでしたよ、あはははは。でも兄さん暫く見ないうちに琴の腕落ちてませんか?あんまりにも下手すぎて兄さんを騙った侵入者かと思って殺そうかなと思ってました」


 そして笑顔でとんでもないことを喋り出した。イグニスもこういう事言うけどイグニスは大抵の場合本気じゃなくて照れ隠しだから可愛いんだ。だけどこの子怖い。目が笑ってない。


(なんなんだよトリシュ、あの子なんか怖い)

(申し訳ありませんアルドール様)


 面目ないと頭を下げたトリシュ。けれど彼はすぐに殺気を察し……俺を庇って剣を振るった。

 キンと三度響く金属音。思わず目を瞑ってしまったが、恐る恐る目を開けば、トリシュが俺の前にいる。地面には二本の矢。そして楽器の弓でトリシュに襲いかかった胡弓弾き。他の攻撃が失敗したことに彼は軽く舌打ちし、手を引いた。


 「あーぁ、やっぱり気付くか。楽器の腕落ちた分、剣の腕は上がってるんですね兄さんは。カミュル!コルチェット!残念ながら失敗だ。領主様の所まで案内しよう」


 少年の言葉に揺れる茂みと木々。木の上から飛び下りて来たのは長いツインテールの少女。それからセミロングの髪の少女とも少年とも言い切れない中性的な子供。服装から見るなら少年と言えるだろうか?並ぶ三人は外見色も顔もそっくり。この三人が兄弟だというのは何となく解った。それでも年までそう変わらないところを見ると、解らなくなる。


 「な、なんだなんだ!?」

 「彼らは三つ子の胡弓弾き。よく言うじゃないですか。黒光りする虫は一匹見かけたら三十匹はいると思えと」


 それと同じことですとトリシュは言うけれど、それは彼らの間柄がとても険悪だと言うことを俺に教えてくれていた。


 「で、でも三つ子!?純血で三つ子って珍しいな……」

 「……そうですね」


 トリシュは曖昧に笑う。


 「シールのじっさは愉快なお人。だけどトリシュの兄さが死んだなら、シールのじっさはやれ愉快♪」

 「シールのお爺は気の良いお人。トリシュの兄ちゃん消えたなら、シールのお爺はますます愉快♪」


 現れた三兄弟の残りの二人は何やら物騒な歌を歌う。トリシュ本人の前でそれはあんまりだ。


 「な、なんてことを歌うんだこの子達は……」

 「貴方達、ここはトリシュ様の領地なのでしょう?後見人様のお抱え楽師と言えどそれは無礼ではありませんか?」


 アルドールとジャンヌの抗議にも子供達は聞く耳を持たない。愉快気に歌を歌って歩き出す。最初の一人の少年が悪びれなくすみませんねと笑うだけ。


 「この子達は僕と違って嘘が吐けない子なんですよ」


 自覚はあるのか。やっぱりこの少年も質が悪い。


 「……ごめんトリシュ。これじゃあ帰りたくなんかないよな」

 「いいえアルドール様。むしろ私は安堵してるくらいです」

 「え?」

 「ここにあの人を連れて来なくて済んで、ほっとしました」


 トリシュが言うのは言うまでもなくユーカーのこと。どうしてここでトリシュが彼の身を案じるのか解らなかったから、それ以上の追求はしなかった。

 三人の楽師に先導されるまま、馬から下りてゆっくりと歩みを進める内に、段々遠くに城が見えてくる。街に踏み居れば、彼方此方から楽器の音色。なんだか変わった雰囲気の街だ。


 「ここがトリシュの実家か……チェスター卿も音楽が好きなのか?」

 「……ええ、まぁ」


 トリシュは曖昧に頷く。耳を澄ませば街の彼方此方から……聞こえてくるのは弦楽器。それでもその中に琴の調べはない。ヴァイオリンにビオラにチェロにコントラバス。ハープもリラもそこにはない。

 何だか肩身の狭さを感じつつ、三兄弟に案内されて城の内部まで踏み込んだ。


 「シールのじっさ!客人さね」

 「シールのお爺!お客人」


 ツインテールとセミロングがパタパタと駆け寄る先には一人の老人。彼が奏でているのもヴァイオリン。三兄弟で一番物をしっかりと話す少年が、彼の足下に跪き、此方を振り返る。


 「チェスター様、トリシュ兄様がお帰りです」

 「トリシュだと?」


 その一言に老人は、奏でることを止めてしまう。


 「お久しぶりです、シール叔父さん」

 「何をしに来た」


 トリシュを見る老人の視線は冷たい。それでもそこには静かな怒りが宿っている。


 「……大事な用があって参りました」


 トリシュが人払いを目で訴える。それを悟った老人は、三人の胡弓弾きを下がらせる。


 「それで、用とは?」

 「……こちらの方は私の仕える新たなカーネフェリア様。カーネフェル王アルドール様にございます」

 「カーネフェリア?……この少年が?」


 王には子がなかったはずと言う老人に、トリシュはその遠縁ですと説明してくれている。でもそんなあやふやな話、誰が信じてくれるだろう。今は俺の身元を証明してくれるイグニスもいない。


 「彼の青をご覧下さい!こんな深い青!カーネフェリアの他にあり得ません!」

 「馬鹿者が!目などいかようにも誤魔化せる!最近セネトレアでは目玉まで商品にしている業者がいると聞いたぞ!?その辺の田舎者を拾って王に仕立て上げたのだろう!聞けばお前は腐れ都貴族に顎で使われているそうではないか!」

 「そ、それは……」

 「これだから竪琴なんかに現を抜かす輩は駄目なのだ。楽器と言えば胡弓だろうに!琴弾きにはろくな奴がいない!お前然り!あの男然りだ!心根の浅ましさが滲み出るようではないか!」


 そんな些細なことで咎めるなんてなんて人だ。この人はほんの少しの違いさえ、トリシュの苛立ちへと変わってしまっているのだろう。


 「チェスター卿、貴方の言うことはもっともです。ですから私のことは構いません。しかしそんな不甲斐ない私に仕えてくれるトリシュのことを悪くは言わないでいただきたい。私が都から落ち、今日まで健在なのは彼らのお陰です」

 「アルドール様……」

 「何一つ誇るところのない私が持つ誇りが私の騎士です。彼への侮辱はこのカーネフェル王への侮辱と知っていただきたい」


 ここでアルドールは我に返った。思わず感情的になってしまったが、この場の静まり具合と言ったらなんだ。もしかして言い過ぎてしまっただろうか?だけどここで弱みを見せたらトリシュにとっても良くないはず。

 あの城のことを尋ねたかったのだけれど、彼に俺を信じて貰うには、あの城を落とすくらいのことをしなければならないようにも思う。何にしろ、今は不味い。彼には頭を冷やして貰う時間が必要だ。


 「本日の用はまた改めさせていただきます。突然の訪問、失礼しました」


 そう告げてこの地を預かる老人にアルドールは背を向ける。それに続いて他の三人も。老人は此方に何も投げては来なかった。


 *


 「何て言うか……ごめん、トリシュ。俺の所為で余計チェスター卿と話辛くなっちゃったよな」


 街の宿に腰を落ち着けて、アルドールはトリシュに謝罪した。謝らずにはいられなかった。家族間の気まずさは、自分もそれなりには知っているつもりだったから。


 「いえ……」


 優しい騎士はそれを責めずに首を振る。そして微笑してくれた。


 「少し、気が晴れました。私の代わりに叔父さんに色々言って下さってありがとうございます。……私はランスやユーカー程、貴方のお役に立てていないと言うのに、あんな勿体ないお言葉……」

 「そ、そんなことないよ!トリシュはよくしてくれている!」

 「そうでしょうか?」

 「うん!俺はトリシュの竪琴、結構好きだよ。綺麗だし」

 「…………ありがとう、ございます」


 会話が続かない。俺もトリシュも今一歩踏み込めない。俺にはユーカーみたいには出来ない。ああいう強烈な個性がない。強く言えない。沈んでいる彼をちゃんと励ましてやることも出来ない。彼もそうなのだろうか。美味く言葉が作れなくて、それに頼るように竪琴へと手を伸ばす。……それはとても悲しい調べだった。やっぱり俺の言葉では彼を救えていないんだろう。


 「アルドール様、ちょっといいですか?」

 「え、あ。はい」


 聖十字のお姉さんに呼ばれて、俺とパルシヴァルは部屋を出る。今は一人にしてあげるべきという、彼女の気遣いだったのかも知れない。彼女は教会に身を寄せているという仲間に会うべく、街に教会を探しに行くと言う。俺達もそれに付き合うことにした。そんな往き道で……彼女がぽつりと切り出した。


 「私には大切な友人がいます」

 「え……?」

 「仲間ならば大勢いますが、心から親友と呼べる相手は彼だけでしょう」


 街を歩きながら、お姉さんはそんなことを言い出した。


 「彼とはとても気が合って、こうして違う場所にいても、同じ方向を向いているのだと信じられる。そんな相手です」


 心地良い風がお姉さんの髪と、耳に揺れる十字架の耳飾りを優しく揺らす。


 「そんな相手のことでも、私は解らないこともあります。彼が沈んだ時に、どう語りかければいいのか解らないことが何度もありました」

 「……そう言うとき、お姉さんはどうした?」

 「どうだったでしょうか」

 「え?」

 「そのままそっとしておいたこともありますし、無理矢理剣の稽古に付き合わせたこともあります。十字法と国法全書を彼の前へと叩き置き、その暗唱特訓を挑んだこともありました」

 「え、ええと」

 「要するに考えるだけ無駄です。思ったままに貴方がしたいこと、してあげたいこと。それを選べば良いんです」

 「でもそれって……」

 「それが嫌なら言ってくれますよ。貴方は相手を思うあまり、相手にその言葉すら言わせられないようにしている」


 俺が周りの人々と上手くやれていないのはその所為だと指摘され、はっとするものがある。

 イグニスには……イグニスが人の心を読めることもあり、俺がそれを恐れないこともあり上手くやれている。イグニスははっきりと俺に駄目だと言ってくれるから。ユーカーもそうだ。いつも俺を悪く言ってくれる。それでも助けてくれる。だから少なくとも嫌われてはいないんだって思う。それは俺が彼らが好きだからで、彼らが自分に懐く相手を邪険にするような人間ではないからだ。

 俺はまだ他の騎士達をユーカーほどには知らないのだ。ランスのことは少しは解ったつもりでも、やっぱり踏み込めない場所があって距離がある。トリシュは……自分のことを話さない。いつも愛しのイズーのことしか口にしていなかったから。彼の悩みはきっと恋くらいなものだろうと勝手に決めつけていた。


(でも、そうじゃなかった)


 だからどう対応すればいいのか解らなくて。あんな悲しそうなトリシュを立ち直らせることも出来なくて、こうして逃げてきたんだ。

 俯く俺の頭にまだまだお姉さんの言葉は続く。


 「私は貴方のそう言うところが嫌いです」

 「うっ……、ご、……ごめんなさい」


 いきなり嫌いと言われる。これはこれで結構ダメージが大きい。俺はこの人に好かれるようなことは何もしていないけど、嫌われるようなことはして来てしまったんだな。そんな風に思うから。けれどお姉さんは、落ち込む俺を見て小さく笑う。


 「それでもアルドール様。私は先程の……貴方の言葉は好きです」

 「え……」

 「チェスター卿の前で貴方が語った言葉は、トリシュ様の胸にも響いたのではないでしょうか?」

 「で、でもあんな……俺の自分勝手な言葉」

 「アルドール様。王も一人の人間です。心無い人に誰が国がついてきますか?」


 お姉さんは不思議な人だ。純血で、数術使いでもないのに……イグニスみたいな事を言う。同じ聖十字の人間だから?それでも違う。アージン姉さんはこんなことは言わなかった。


 「私は機械的な正義を説かれるより、心ある温もりのある正しい言葉が好きです」


 王は人形でも機械でもない。王は人間。貴方も人間なのだと言われた気がする。それが昔のギメルの言葉に僅かに重なって、涙腺が緩んだから俺はを空を見上げた。そこに何かあるのかと彼女は尋ねるように、彼女もまた空を見上げて……同じ物を見出せなかったのか、静かに俯いてから……そっと、俺を振り返る。


 「…………貴方の手、触ってみても良いですか?」

 「え……」


 真意が分からず、それでも断る理由がないので戸惑いながらも俺は聞き手を差し出す。手袋の下の文字をそこから見つめるように、お姉さんが俺の手を取る。


 「カードを、見せて頂いても?」

 「……どうぞ」


 「やっぱり貴方がカーネフェル王なんですね」


 刻まれたAの文字を見て、彼女は悲しそうに笑う。


 「何かの間違いなら良いなと思ったんです」

 「……え?」

 「シャトランジアで、貴方は不思議なことを言いましたよね。まるでカーネフェルが自分の物であるかのように私にお礼を言ってくれました」

 「あ、ああ……」

 「貴方の目の色は、とても深い青だった。だけどまさか貴方みたいな子供が王だなんて私は信じたくなかった。……アルドール様はお幾つですか?」

 「今が15です」

 「そうですか。それならばまだまだ解らないことも多いでしょう。これから知っていけば良いんです。貴方には未来がある。時間がある。カーネフェルは終わらせない。私が貴方をお守りします」


 お姉さんは俺の足下に跪き、俺のカードを見つめる。


 「私を貴方の軍に加えてください。この私のカード、私の魂。全身全霊を賭けてこのカーネフェルの未来を守らせてください」

 「俺は……嫌だよ」

 「どうしてですか?」

 「俺は……もう目の前で女の子が死ぬのは見たくない」


 これ以上何かを抱え込みたくはない。だって失った時が辛いんだ。強いルクリースだって死んだ。姉さんだって死んだ。死んでないのは男のカードばかりだ。だからこのお姉さんを俺の傍で戦わせれば、きっと死なせてしまうよ。イグニスが帰ってきたら早くこのお姉さんのこれからをイグニスに丸投げで放り投げて……


(駄目だっ!)


 いつもそうやってイグニスを頼って。何もかも責任押しつけて!そんなんじゃ駄目だ。いつまで経ってもイグニスの望むような俺に、王になれない。

 抱え込んでその全て守れるような男が王。だけど俺は弱いから、抱え込んだら潰れてしまう。まだ俺は理想の王になれていないのだ。


 「私はカードです!女などとお思いになりますな!」

 「それでもお姉さんはお姉さんじゃないか!」


 侮辱のつもりはない。強い女の子が一杯この国にいるのは知っているよ。男でも俺みたいなへたれは沢山いるし、ユーカーみたいに逃走癖のある奴だっている。

 それでも、思い出すんだ。男の俺なんか未来を上手く思い描けない。これと言って夢もない。だけど女の子は違うだろう。近い夢も、遠い夢も、しっかりイメージ出来るはず。


 「俺の姉さんも……聖十字で。いっつも男勝りで女の子に人気があって……何一つ女の子らしいことが出来なくて」


 姉さんは何時だって自分に嘘を吐いていた。本当は良いところのお嬢様なんだ。綺麗なドレスを着たかっただろう。それなのにかっちりとした軍服に身を包み禁欲的に生きて。

 女の子なんだからさ、格好いいなんかより可愛いって言われたかっただろうな。俺があげたリボンを、嬉しそうにしていたじゃないか。

 姉さんの夢を俺は知っていた。知っていて逃げた。イグニスの言う未来の一つでは、それは叶っていたのだと言う。だけどそれさえ、カードは派閥に分けて……政治の駒にしてしまう。俺はどうあっても姉さんを幸せには出来ない情けない男だ。


 「俺はそんな姉さんを、いっつも傷付けて生きていた。姉さんは優しい人だった。だけど俺は何一つ姉さんに報いてあげられないまま……姉さんは、道化師に殺された」

 「道化……師?」


 このジャンヌさんも道化師を知らないから言えたんだ。確定している。コートカードのお姉さんでも、道化師には勝てない。ジョーカーは最強だ。ルール上勝てるはずの俺ですら一太刀も浴びせられなかった。


(そうだ……)


 あの道化師は、俺の傍の女の子を快く思わない。殺そうと思えば殺せたはずだ。俺のこともユーカーのことも。それでもターゲットを姉さん、フローリプ、ルクリースに狭めて来た。


 「道化師は、俺を憎んでる。俺と親しくなった女の子は道化師の標的になる。だからお姉さんも危険だ。俺の傍にいない方が良い。カーネフェルのために戦ってくれるって言う気持ちは嬉しい。だけど……」

 「アルドール様。これでも私を女と言いますか?」

 「え?」


 解いた長い髪を、手にした剣でばっさりと切る。折角の綺麗な金髪が風にながれて飛ばされる。


 「つまり私がこうして男装していればなんの問題もない。違いますか?」

 「ああああ!勿体ないっ!折角の綺麗な髪がっ!」

 「髪なら何時でも伸ばせます。それでも貴方に仕える許しを得るチャンスはそうそうありません」

 「でもっ!」

 「なら、無くした髪の代わりに貴方の長い御髪を梳かし、結い、整えさせてくれる権利を私に与えてくださいますか?」


 微笑むお姉さん。それはやっぱり傍に仕えることを俺にせまる言葉だ。


 「お、お姉さん狡いっ!」

 「その呼び方では道化師に私の正体がばれてしまうので、お控え下さいアルドール様」

 「うううっ………と、兎に角!俺の一存じゃなんとも言えない!ジャンヌさんは聖十字の関係者なんだからイグニスに話を通さないと。この件は神子が帰ってくるまで保留!」

 「はい」


 俺の言葉に、お姉さんは小さく笑って頷いた。俺の答えが子供みたいだったからだろうか?自分じゃ何一つ決められない情けない奴だと思ったからなんだろうか。


 「……俺はお姉さん、ジャンヌさんみたいに立派な人じゃない。王にはなった。だけどまだまだこの国のことをよく知らない。俺が守りたいと思っている物はお姉さんが考えている物と今は全然違うかも知れない。そんな情けない俺が、貴女みたいな人の王にはなれないよ」

 「カーネフェルを良く知らないのですか?」

 「俺、カーネフェルに住んでた頃の記憶がないんだよ。シャトランジアには養子奴隷として送り込まれて。なんでもセネトレアで脳味噌弄られたみたいで、昔のことは何も解らない。本当の名前も家族のことも」

 「…………アルドール様」

 「でも俺は、別にそれが可哀想だとか思わない。今の俺には大切な友達が、仲間が……ううん、友達になって欲しい人が沢山いる。それって凄く幸せなことなんだ」


 哀れまれたい訳じゃないんだ。それだけは彼女に断っておく。同情されたくはない。だって俺は十分、アルドールとして幸せだ。この名前で出会った人、呼んで貰った人。今でも耳に残ってる。呼ばれる名前はこれなんだ。だから俺は俺の今が過去より大事。


 「だけど世の中には俺みたいな馬鹿で幸せな奴だけじゃない。可哀想な人は幾らでもいる。それを生み出しているのが戦争と奴隷貿易……そこから起こる人の価値の格差、それに始まる人種差別。すべてはその二つを解決しなければ意味がない」

 「…………戦争と、奴隷貿易」

 「俺が王になりたいって思ったのはそこなんだ。その二つのシステムは、俺の大事な人を何人も傷付けた」


 俺は可哀想じゃない。それでも俺大事な人達を傷付けたその世の中の仕組みが許せない。

 イグニスがギメルが奴隷になったのは、混血に価値を見出す風潮。二人が父親の顔を知らないのは戦争の所為。

 奴隷商から守った混血の子供達。彼らが家を家族を失ったのも戦争と奴隷貿易の所為。俺が養子に入ったから、姉さんもフローリプも……長らく暗い影を宿した。純血至上主義がユーカーとアスタロットさんを引き裂いた。


 「誰かが言ったんだ。夢でだけどさ……人はみんな最初は無意味で無価値なんだって。それで頑張って生きて生きて生きて……やっと死ぬときになって意味と価値を宿すんだって。でも俺はそうじゃないと思った。だけどそうであるべきなんだと思う」

 「どういうこと、でしょうか?」

 「人はみんな無価値なんだ。値段を付けるべき者じゃない。血とか目の色とか髪の色とか、そうやって何が優れているとか決めつけては駄目なんだ。……そう言う意味ではみんな無価値で無意味。意味なんかない」


 あの空が何色だってあれは空だ。それ以上の意味はない。それと同じだ。それを美しいと思うのも醜いと思うのも人の心だ。


 「みんな、意味なんかないんだ。だけど俺には大切な人がいて、俺はその人達が大好きだ。だから俺はその人達を守りたいと思う。死なせたくない。少なくとも俺にとってその人達は無意味でも無価値でもない。その人達にとって俺が無意味でも、無価値でも……俺がその人達が好きなんだ」


 俺を見下ろすあの空は、遙かに漂うあの海は、俺を何だと思っているだろう?何とも思っていないだろう。そんなちっぽけな俺だ。でもその俺はあの空も、あの海も綺麗な青だなぁと思う。俺の片思いだ。でもそれで良いんだ。馬鹿な俺はそんなことにさえ、幸せを見出せるだろう。


 「死んで、死なせて……殺されて。それが意味になるなんて認めない。生きててそこにいるだけで、意味はあるんだ。俺にとってその人達は。だから守りたい。そうやって大切な人を増やして守れるようになれば……俺はその時やっとこの国を守れる奴になれるんじゃないかなって思うんだよ」

 「…………そうですか」

 「俺の考え方は変だろ?びしっと格好良く王様になれない。俺が強くならないと、俺は守りたい者ばかり増えて、どんどん駄目になる」

 「いいえ」


 お姉さんが笑う。笑って俺の手を取った。


 「カーネフェリア様。貴方は強い。強くなれます。王に仕える者が、貴方の力です。守りたい者を増やして良いんです。騎士様が、私がその人達を守っていきます」

 「でも俺が王なのに……」

 「ですからアルドール様、どうか良き王に。良き人であってください。心を忘れず、人のために悲しみ、人のために怒ることが出来る貴方は十分王たる資格があります」


 王の仕事は戦うことではない。正しく人を導く指針であることだと彼女は言う。


 「人が心を無くした時も、貴方はその優しい心をお守り下さい。どんなに強い騎士様の剣でも、貴方の心までは守れないのです。貴方が守るべきは貴方の心に他なりません」


 たったそれだけ。それだけでいい。後は全て仕える者が守ってくれる。守ってみせると彼女は言った。


 「アルドール様。多くの人は自分のために嘆き、自分のために憤る。他人なんかお構いなし。自分さえ良ければそれで良い。そんな王は最低です。そんな私欲の王が国を腐らせ民を殺すのです」

 「ジャンヌさん……」

 「私がお嫌いですか?アルドール様」


 不意に彼女は妙なことを聞いてくる。そして嗚呼、と気付いた。彼女は俺に問いかけている。私は貴方の民ですか?貴方の民になれますか?と。

 どうだろう。嫌いではない。尊敬できる部分が沢山ある。だけど……まだよく分からない。だってまだ彼女のことはよくは知らない。いきなり好きだなんては思えない。


 「嫌いじゃないけど……苦手、かな」

 「どの辺りがですか?」

 「その、様付けとか。俺そう言うの駄目なんだ。お前とは絶対に友達になりたくないって言われてるみたいで。敬語が癖っぽい騎士のみんなはもう諦めてるけどさ。立場もあるし。ランスとかトリシュはオンオフの切り換え出来そうにない堅物だし」

 「ふ、ふふふふふ、あははははは!」

 「お、お姉さん?」


 俺の言葉に突然蹲るお姉さん。両腕でお腹を抱えてぜぇぜぇと呼吸がおかしくなるほど笑い転げている。


 「あ、す、すみません。ちょっと、可笑しかったもので」

 「ち、ちょっと……ちょっとですか」


 そんな泣くほど笑わなくても。


 「それならアルドール、私も貴方が苦手です。さん付けされるのは私もお前とは絶対友人になりたくないと思われているような気がして憤慨です。敬語が癖の騎士様ならば兎も角、敬語が似合わないやんちゃ坊主みたいな外見の貴方に敬語を使われるのは違和感が迸り全くもって遺憾です」

 「そ、そこまで言う?」


 此方を真似てアレンジされた言葉に、アルドールも忍び笑う。


 「俺は外見は確かにそうかもしれないけど、実は結構繊細なんだぞ!?」

 「ええ!そんな気はしていました!釣り目なのにそんな感じがしない雰囲気がありますよね」

 「あはははは!そっか」

 「ふふふ、そうですよ」


 よく分からない応酬で、何故か俺達は笑い合う。久々に笑った気がした。イグニスとかユーカー以外の誰かの前で。ここまで大笑いしたのは……前は何時だったかな。


 「……ありがとう、ジャンヌ。何か元気出たよ。これならトリシュにも何か気の利いたこと……は言えないかも知れないけど、こいつ馬鹿だなぁって吹っ切れさせられるような馬鹿なことは出来そうな気がする!」


 俺が頷き礼を言うと、彼女はどういたしましてと小さく笑った。


 「アルドール、相手のことを考えても言葉にして貰わなければ解らないこともあります。その言葉を引き出すためには行動です。見たところあなた方はそのどちらも不十分に私の目には見えました」

 「……行動と言葉、か」


 どちらが不足しても伝えたいことは伝わらない。目から鱗だ。今まで俺はそれを怠っても何とかなる環境にいた。イグニスの力とユーカーの状況把握空気読みスキルに甘えていた。


 「そっか……そうだよな」


 フローリプとだって、俺が俺の言葉を押しつけるだけじゃなくて、俺が聞けば良かったんだ。俺のことをどう思っているのかとちゃんと聞いてあげれば良かった。それを無視したから俺達は、拗れてしまったんだ。あんな風にまた誰かが道化師の餌食になっては嫌だ。俺は俺の言葉と行動を磨く必要がある。


 「ありがとう、ジャンヌ」


 改めてもう一度お礼を言う。今度は行動も添えて。

 俺が差しだした手を、彼女は近づき手を取って……握手に応えてくれた。


 「友に助言するのは当然のことです」

 「……そっか」


 いきなり友人認定を貰って気恥ずかしくなり、手を離す……が何か気まずい。気まずさから周りをキョロキョロ見回して……俺は血の気が引いていく。


 「ぱ、パルシヴァル!?何処行ったんだ!?」


 会話に夢中になっていた俺達は、後ろ……いや、前?あれ?うろちょろしてたよなあの子。……と、兎に角歩いていた少年の姿を見失っていた。

 ジャンヌの方を見れば彼女も顔色が悪い。俺達は熱く国について王についてなんて語っていたが、子供にとっては退屈だろう。欠伸物だ。愉快な音楽にでも誘われて何処かにふらふら出掛けていってしまったのだろうか?


 「大変だ!あの子に何かあったらユーカーに殺される!」

 「セレスタイン卿がですか?」

 「ユーカーは俺には基本冷たいけどみんなに親切だし彼には本当に優しいんだ!可愛がってるんだ!」

 「私は恩人である彼を見直すべきなのか軽蔑すべきなのでしょうか?」

 「今のは褒めるところだよ」

 「ならばそうしておきます」


 来た道を引き返す?いや、先に行ったかもしれない。そうだ。最後は俺達を追い越して歩いていた気がする。街の外れまで走って、それでもまだ彼は見つからない。


 「おーい!パルシヴァルー!何処に行ったんだー!?」

 「おーさまー!こっちですー!」


 いや、聞こえた。そんなに離れていない場所から声がする。


 「アルドール!あれを!」

 「パルシヴァル!」


 見れば彼はズルズルと何かを引き摺っている。それは彼よりも大分大きい。近づいてみればそれが人間なのだと解る。


 「ら、ランス!?どうしたんだ!?凄い怪我じゃないか!」


 数式を展開。一時的に傷を塞ぐことしかできないけれど、応急処置にはなる。治療を始めれば、彼が薄く目を開く。


 「アルドール……様っ……」

 「喋らないで!話は後で聞きます!アルドール!今はすぐに宿に運びましょう!」

 「あ、ああ!」


 それなら俺が背負おう。そう思った。けれどジャンヌは自分より背丈のあるランスをさっと抱える。鍛えているのだろう。そんなに筋肉があるようには見えなかったけど、鎧に隠れていて見えないだけだったのかもしれない。

 それでも颯爽と彼を抱える彼女は格好良い。再び姉さんに憧れた聖十字兵達の気持ちが解る。ルクリースがいたら鼻血が大変なことになっていそうな図だ。


(って違うだろ!俺の馬鹿っ!)


 ランスは大丈夫なんだろうか。どうして彼が一人でこんな所に?


 「パルシヴァル、何処で見つけたんだ?」

 「風のお姉さんに呼ばれて、行ってみたらランスさんが海辺で倒れてたんです」

 「風のお姉さん?」

 「はい!船の時から僕の心配をしてくれていて、それなら丁度いいって神子様が僕の遊び相手にってくれたんです!」

 「まさか……精霊!?」


 よくよく目を凝らしてみれば、少年の肩に小さな妖精みたいなものがある。ランスの養母みたいにはっきりとは見えない。見せる気がないのか、はたまた風の化身だからなのかは解らない。


(イグニスめ……)


 唯で姿を消すようなことはしないってわけか。本当に頭が上がらないよ。それでも今はそのイグニスの行方も知れない。ランス共々心配だ。


 「トリシュ様!この辺りにお医者様はいらっしゃいませんか!?」

 「何事ですか?……ら、ランス!君は一体何を!?」


 突然の騒ぎにトリシュは、大あわてで宿の部屋から飛び出して来てくれた。友人の有様を見て彼もまた狼狽えるが、それに落ち着けと言わんばかりの冷静な声が響く。それはランス自身の声だった。


 「……手当の道具だけ頂けますか」

 「ランス!無理はするな!」

 「大丈夫です、アルドール様。俺は数術使いですから」


 意識を完全に取り戻したらしいランスは、すぐに自ら回復数術をかける。それでも深い傷だ。完全には治せなかった。今の体力では逆に負担になると考えてのことか。傷口の手当てを彼は渡された薬箱でどうにか誤魔化している。

 とりあえず安静にするようにとベッドを占領させたが、そんな彼を見ていると心配にもなる。

 俺が慌てふためくことで、トリシュは落ち着いたのか今はどっしりと構えてくれている。


 「……ランス、何があったのか話してくれるね?」

 「……俺は神子様と……沿岸に向かったタロック軍を叩く予定でした」


 「そこを追いかけてきたユーカー。彼を囮に使い、相手の情報を探らせながら、俺達は停泊してあった聖十字の船を調べに行き……その船の傍に潜んでいた聖十字兵達と合流し、海に出ました」

 「……ジャンヌ、船の人達は領内に逃げたって話じゃなかった?」

 「ええ、ですが船は一艘だけではありませんでしたし……私達以外にも上手く上陸出来たものがあったのかもしれません」

 「上手く上陸……?」

 「……それは後でお話しします」


 今は彼の話をと伏せられて、確かにそうだとアルドールはすんなり引き下がる。


 「ランス、続けて貰えるか?」

 「……はい、……イグニス様はシャトランジアに援軍を呼びに行くおつもりだったのです。アルドール様達が湖城に仕掛ける。その陽動に、沿岸のタロック軍も帰るはず。そこを逆に挟み撃ちにする。そんな策でした」

 「………うん」


 渋るようなランスの言葉。嫌な予感がひしひしとする。額に汗が浮かんできた。


 「その船をエルス=ザインに襲われました。彼の数術で船は壊され……神子様と言えど本調子ではないあの方には、全ての人間を空間転移させることは出来ませんでした」

 「イグニスは……」

 「……俺は、俺が飛ばされるところまでしか伝えられません。イグニス様は、俺が見た限りでは、最後まで船にお残りに……」

 「……………そっか」

 「アルドール様……」


 そんな不安げに俺を見ないでくれ。虚勢が剥がれ落ちてしまいそうだ。

 すぅと息を深く吸い込んで、俺は精一杯笑って見せた。みんな不安なんだ。俺がしっかりしないと。


 「伝えてくれてありがとうな、ランス!イグニスなら、絶対大丈夫だよ!なんたって俺の自慢の……自慢の親友なんだ!絶対何とかしてくれてる!」

 「アルドール様…………」

 「俺が信じなくてどうするんだよって話だよ。だからランスは気にするな。ゆっくり身体、休めてくれよ。俺、何か食べる物でも作ってくるな!」


 そう言い残して、部屋を出る。それだけで息が荒い。上手に息が出来ない。廊下に蹲る。でも駄目だ。みんなに見られる。

 もっと離れないと。震える足で立ち上がり、壁にもたれて遠くを目指す。そうして歩いて何歩めか……壁がない方の肩を誰かに支えられていた。


 「え……?」

 「私は壁です。お気になさらず」


 ジャンヌだ。微笑む彼女は、俺に肩を貸してくれていた。


 「調理場まで、ですね?」

 「……うん」


 調理場で顔を洗って気分を落ち着ける。その間に彼女はコップに冷たい水を用意してくれていた。そして何も言わずに椅子に腰掛けている。彼女は聞かない。今は言葉ではなく行動が俺には必要だと考えたのだろう。それじゃあ、俺は……


 「……イグニスは、俺の一番の友達なんだ」


 なんとか絞り出した第一声。それはそんなものだった。


 「一番の?」

 「どっちでも一番。一番最初に出来た友達で、一番大事な友達で……」


 まさかあいつが神子になるなんて思わなかった。……俺は王になるとか国を救うなんて、最初は全然考えて無くて……。そんな俺が王だなんて、この人から見れば笑い話だよな。


 「俺はイグニスとギメル……大事な友達を助けたかった。償いたかった。また、昔みたいに三人で……笑える日が来ればいいなって。そんなことをカードに願った。だから俺はジャンヌみたいに最初から国とか誰かの幸せを願ってカードになったんじゃない」

 「貴方はその友達に、何かしてしまったのですか?」

 「したなんてものじゃない。俺は許されないことをした。俺がしたんじゃない。でも俺がしたんだ」

 「……え、ええと?」

 「友達は、選べって……母様が、言ったんだ」


 意味が分からないという彼女に、言葉を改める。


 「二人は母様にセネトレアに送られた。奴隷として売り飛ばされた。俺なんかと友達になった所為で!二人は辛い思いをしたんだ。貴族の家の息子が、移民なんかと友達になっちゃいけないって。馬鹿みたいな話だよ。俺だって元は奴隷上がりだっていうのに。血とか身分とか、そんなの、笑い話だろ?」

 「……そうですね。馬鹿げています」


 「そんな辛い目にあって……それでもイグニスは言ったんだ。この世界を変えたいって。もう誰もあんな悲しい思いをしないようにって、俺に力を貸してくれって……」


 俺はあの日あいつに言われなかったら、王になっていなかった。すぐに殺されて死んでいた……何も知らないまま、俺は死んでいたんだ。


 「俺がいろんなことを悩んだり考えたり出来るのは、全部イグニスのお陰なんだ。イグニスが俺に世界を与えてくれた」

 「……それでは」

 「心配なんかしてないよ。イグニスは強いし、何でも出来るし……それに俺、嬉しいんだ。昔のイグニスは……ギメルのことしか頭にない奴だったのに。イグニスの世界も広がったんだ。イグニスはランスを助けてくれた。……それがっ、イグニスの成長が見られて、俺は……すごく、嬉しい……嬉しいのにっ……」


 そうだ俺は嬉しい。本当に嬉しいんだよ。幾ら言い聞かせても、もう涙が止まらない。堪えられる量を越えてしまった。ボロボロと両目から次から次へと溢れ出す。


 「変だよな。……俺、嬉しいのに、どうして」

 「アルドール……無理にプラスに考えることはありません。貴方は王ですが、人です。部下の前では王として、強がるのは良いでしょう。それでも私はまだ貴方の臣下ではありません。だから今、貴方は王ではなく人であるべきです」

 「…………っ」

 「アルドール、貴方は友人に嘘を吐くようなそんな軽薄な人なのですか?」

 「違うっ……」

 「それではアルドール、貴方は今……?」

 「悔しいよ!悲しいよ!何も出来ない!助けられない!力になれない!肝心な時っ!俺がっ!何時も助けて貰ってばかりで!俺が助けたかったのにっ……俺は何も知らないで!何も出来ないでっ!」


 導かれて、吐き出された言葉。胸の内。それを聞いた彼女は、優しく俺の頭を撫でる。まるで子供にするように。


 「……アルドール、貴方は王です。立派な王です」

 「……俺が?」


 こんなボロボロと泣いている、情けない俺に何を言っているんだろうこの人は。


 「貴方が責めたのは自分自身。その怒りがあの騎士様へ向かわなかったこと。それは十分立派な王の証です」

 「だってランスは何も悪く無いじゃないか。船を襲ったエルスだって……これは戦争なんだし、悔しいけど……起こり得ることだよ」


 命令されたのならば、従うのが彼らの仕事だ。目の前で残虐な行為をされれば俺も怒るが、船を沈める、それは仕方のないことだ。援軍を呼ばれて困るのは彼らにとって切実な問題だから……そう、起こり得ること。それに気付けず何の対策も練ることが出来なかった自分が俺は許せないのだ。


 「……驚いた。貴方は敵も憎んでいないのですか?」

 「だって、敵だって人間じゃないか。色々あるよ……生きていれば」

 「…………不思議な人。子供みたいで、貴方は時々大人よりも遠くを見ているみたいです」


 そんな風に不思議だと、俺を見る彼女の目の方が……近くを見るようで、何処か遠くを見つめている。そんな風に俺には見えた。涙で視界が揺れていた所為だろうか?

 解らない。だけど鼻水まで垂らし出した俺を見て、自分のハンカチで鼻を拭ってくれる彼女は優しい人だと思った。涙はそのまま流すことを許してくれるのだから。


(この人は……)


 自分は女だから守られる存在だとは言わない。そして同時に男だから泣くなとも言わない。俺から見ればこの人の方が、ずっと不思議に見えていた。

トリシュ回に見せかけて、ジャンヌとアルドール回。

いちゃついて……は、いないかな。


イグニス好きの友人に絞め殺されそうな回だ。

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