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16:Quo vadis, Domine?

 遠くで誰かが呼んでいる。

 ぼんやりと霞掛かった意識の中、僕を呼ぶ声がある。

 だけど咽につっかえた小骨のように、感じる違和感。それは何故だろう?

 ああそうだ。それは名前だ。

 彼女が僕を呼ぶそれは、僕の名前ではないのだ。


 そこまで思い、俺は目を見開いた。辺りを見回す。ここを俺は知っている。

 一面の白景色。カラカラと回る音。

 起き上がった俺のすぐ傍で、糸を紡ぐ美しい女性。その姿に思い出す。これは夢だ。以前も見た、夢に似ている。

 以前はこれが夢だと気付けなかったから、彼女の顔まではよくは覚えていなかった。記憶力しか取り柄がない俺が、意識すらしなかった。後から思い出せたのは、彼女の赤い唇だけ。後は服も髪も目の色も俺は思い出せなかった。

 それでももう一度見てそれがその人だとは解った。外見ではなく、それは雰囲気的なものだろう。だって彼女は以前より……若返っている気がするのだ。以前の彼女は20代半ばくらいだった用に思う。それが前半くらいの印象。女性というか少し少女らしさが感じられるのだ。他に変わったことはと言えば、彼女傍には紡がれ終わった生糸の束。それが幾つも積み重なっている。それは以前より数が多くなっていた。


 “…………貴方は不思議な子。生きたままここを何度も訪れる人間を私は他に知らない”


 そんな言葉一つにも感じることがある。以前俺に、優しい声で残酷なことを言った彼女。優しい声色、それは一見好意的に思える。だけど何故だろう、その残虐性が少し増したような気がするのは。


 “貴方は零の人間でしょう?”


 零?零の数術使いという意味だろうか?それなら確かにそうだけど。


 “それでも貴方からは懐かしい壱を感じる……貴方は一体何なのかしら?”


 彼女は少し考え込む素振りを見せて、まぁいいやと言うのだろうか?どうでも良くなったように小さく笑った。


 “あれから少しは色を、意味を……名前の手がかりを貴方は見出しましたか?”


 まだ実体は掴めない。だけど輪郭には触れている気がする。

 俺は頷く。だけど何故か彼女は俺を鼻で笑うのだ。


 “貴方は青。まだ貴方は青。貴方は何も知らない”

 “どういうことですか?”

 “人の子よ。貴方は人を愛したことがありますか?”


 彼女が指差すは、穴の空いた繭。


 “わぁ!”


 繭から生まれることが出来たのか。数匹の蚕……その成虫がそこにはいた。


 “可愛いなぁ……”


 初めて見るその虫に、俺は好奇心を擽られた。本で見たことはあっても実物を見たのは初めてだ。

 人に近寄る性質があるとは聞いたことがある。人なつっこいその虫に、俺は浮かれて観察をする。そんな俺を彼女は観察しているようだった。

 しばらくすると俺の指を上っていた虫たちは、何かに呼ばれるように俺の指から離れていく。


 “あれ?”

 “何も彼らは貴方と遊ぶために生まれてきたのではありませんよ”


 驚く俺に彼女は小さく溜息を吐いたよう。


 “彼らは愛し愛されるために生まれたのです”


 彼女が再び示す先、気恥ずかしくて目を背けた。だけど彼女は見ろと言う。それは意味あること。それは美しいこと。彼らの生まれて死ぬ意味なのだと。

 だからといって虫の交尾の様子をまじまじと観察なんて出来ない。何だか邪魔しているみたいで気まずいから。そっとしておきたいという俺に、彼女は目を逸らすなと言う。


 “少年よ、貴方も同じです”

 “え?”

 “少年王よ、お前も同じです”


 突然の言葉に戸惑うと、彼女は言葉を改めた。


 “彼らの一生はあまりに短い。生まれて恋をするまでの時間のなんと短いことか。……或いはそれは恋などとは呼ばないのかもしれません”


 それは恋ではなく愛というものに違いないと彼女は言う。


 “お前も同じです。お前の一生も長くはありません。お前は失った恋を新たな恋で癒す時間すら与えられない。それでもお前は愛さなければなりません。それが人であり、王の役目なのです”

 “…………俺は”


 そうかもしれない。俺には時間がないのかも知れない。それは決して間違ってはいないけど……


 “俺はそんな中途半端な気持ちで誰かをそういう好きになったりしたくない。それに……いきなりそんなこと、考えられないよ”

 “考えられないのではなく、お前は考えたくない。考えようとしていないだけではないのですか?そこの虫も同じです。羽の意味も忘れてしまった。空の色も覚えていない”


 それでもお前は男か、この欠陥品めと詰られているような気がした。


 “だってそんなのおかしいよ!そんな風に誰かを手に入れたって必ず誰かが不幸になる!”


 本能だとか欲望のまま、他人に言われるがままにとか。そんなの変だ。

 イグニスやギメルはそういう欲に冒された人間の所為で生まれた。イグニスはそんな自分の出生を呪っていた。ユーカーは家の道具になることを嫌った。それで家を飛び出し、アスタロットさんを失った。

 愛の始まりは恋であるべきだ。それも正しい手筈を踏んでの恋だ。でなければきっと誰も幸せになんかなれない。


 “俺は王だ!カーネフェルの王だ!俺の仕事は人を不幸にする事じゃない!その反対になりたいって俺は思ってる!”

 “子も残さず死ぬ王が王と名乗るか、滑稽な”

 “それでもそんなのおかしいよ”


 嗤う彼女に、静かに俺は目を伏せる。


 “俺は何も出来なくて、俺は誇るものなんか何ももってなくて……大人の言うことだって解らない”


 金と地位に固執する都の貴族の言い分や……ユーカーを深く傷付けたセレスタイン卿の考えや、ランスの心を抉るアロンダイト卿の行動も。今の俺にはとてもじゃないけど納得できないことばかり。

 そういう人達が大人だというのなら、俺はまだまだ子供。そして……そんなものが大人だというのなら、俺は大人になんかなりたくないと思う。そんな男が親に何てなれるものか。俺はどういうものが親というものなのか、正しく理解もしていないのに。


 “あのさ、貴女は間違っているよ。人は恋をするためにでも愛し愛されるために生まれて来たんじゃない”


 俺の言葉に美しい人は笑みを消した。じっと俺を観察する目がギロリと光る。


 “人は幸せになるために生まれるんだ。恋も愛もそのためのものであって、それ自体が目的じゃない。そんなことをしなくても幸せを感じられる人はいる。幸せの手に入れ方を無理矢理統一化してそれが唯一のことだなんて……そうやって誰かを見下すなんて、貴女は最低だと思う。そして人を正しく理解していない。知ったような顔で貴女は物を言うけれど、貴女は何も解っていない”


 空の色も運命の色もわからない。自分の意味も名前もわからない俺でもそれはわかるよ。そう告げればはじめて彼女は怒りのようなものをその美しい顔に浮かべた。


 “いつか俺が親になるのなら、俺はその子に軽蔑されないような自分になれた時が良い。誰に何を言われても……その子を絶対に幸せに出来るって自信と覚悟が持てるまで、そういうことはしちゃいけないんだよ。じゃないと誰も幸せになんてなれないんだ”


 俺の言葉を拒絶するよう、辺り一帯強い風が吹く。白い景色は雪だったのか。それが吹き飛ばされて、掘り起こされて見えてきたものがある。

 雪の下から現れたのは、凍り付いた無数の墓。数え切れない。数えることを放棄したくなるような、限りなく無限に等しい数。その墓を背に、女性が泣き叫ぶ。


 “お前に何が解るというの!?誰かを愛したことも!親になったことも!腹を痛めたこともない……人の子が!”

 “それなら、お姉さん。貴女は覚えているの?子供の頃に見た空の色。始めて誰かを想った心の温かさ。他には何も要らないと……心の底から思えるくらい、狭くて愚かな世界のことを!”


 あの日の俺は本当に狭い世界に生きていた。それは間違っていたのかも知れない。それでも俺はその間違いを否定しない。その間違いだって今でもまだ、愛おしくて堪らない思い出なのだ。

 大人になることがそんな世界を捨てることならば、俺はそれこそ間違っていると思う。何かを拾って何かを捨てるような生き方はおかしい。重くて重くて歩けなくなるまで背負い続けるのが人の道なんじゃないのか?忘れていい事なんて、きっと何一つ無い。辛いことも苦しいことも、全部引っくるめて今の自分が作られる。自分の中の記憶は……どれだって否定してはならないものなのだ。

 俺の服の下の無数の傷も、必要なことだったんだ。いつかそう言える日が来ると俺は信じる。養母さんは大嫌いだ。それでも、王になれば敵に捕まれば……いつか拷問される日だって来るかもしれない。その時大事なことを話してしまわないように、痛みに強くなった俺はそれに耐えられる。そう思えば無駄な事なんてない。


 “貴女は人を無意味と言った。死ぬまでに積み重ねたことでようやく意味になると言った。だけど違う!人はそんなピリオドなんかなくたって、もう意味になっている!”

 “っ……”


 亡くしてしまった人。傍にいてくれる人。みんなが俺を呼んでくれた名前。俺はその名前が大好きだ。他の答えなんか要らない。俺はもう、答えを知っている。


 “あの日の答えをくれてやるっ!俺の名前はアルドール!それが俺の真実だ!”


 俺の叫びに、何故だろう。最後に……何も見えない吹雪の中、あの女性が笑った。赤い唇を釣り上げて。それがどうしてかわかるのだ。彼女はその笑みに、きっとこんな言葉を残した。


 “それならばやってご覧なさい。お前が王だというのなら、すべての生きとし生けるもの……その全てに幸福を。神さえ成せぬ奇跡を起こしてみるが良い!”


 *


 「起きて下さいアルドール様」

 「なんだよルクリース……俺の部屋勝手に開けるなって……」


 おかしいな。扉を鍵開けされないように衣装棚を移動させて……そんなことを思って我に返った。

 目を開けるとそこは屋敷じゃない。そもそももう屋敷はない。ルクリースだって……もう死んだ。それじゃあ誰?俺を呼んで揺すって起こそうとしているのは。

 それは青。それは蒼色。ルクリースのそれより明るい色だ。


 「お、おおおおおおおおおお姉さんんんんん!?ど、どうしてここに!?」

 「わけあってご一緒させていただきました。本日はブランシュ領へと出向くのでしたよね?無礼とは思いましたが、これ以上出立が遅れるのは如何かと思い起こさせていただきました」


 そんなしれっと返されても。それにお姉さん、今朝は髪を下ろしている。教会で会った時のまま、長い金髪だ。おまけに服装も昨日と変わっている。いつ着替えたんだろう。普通に女物の服だ。


 「失礼します」

 「え」


 寝台から身体を起こしたところで急にお姉さんが膝をついて近づくから、俺はさっと目を逸らした。額に触れる彼女の手に、なんとなく緊張した。


 「熱はありませんね……なんともないようで安心しました」

 「あ、ありがとうございます」


 ふぅと息を吐いて彼女は笑う。真面目なその態度と危機迫る雰囲気から、あまり想像できなかったのだが……間近で見ると思ったより優しい笑顔だ。ちょっと脅えていた自分がこの人に対して申し訳ないことをしていたんだなって実感し……ここまで来て俺はようやく昨日のことを思い出す。


(そうだ、俺……倒れて……)


 ここまでこの人が運んでくれたんだろうか?想像して自分の情けなさにちょっと泣きそうになる。


 「それでは食事の方を運んできますので」

 「え?俺普通に大丈夫です!」


 急いで寝台から飛び下りて、さくっと身だしなみを整える。わざわざ運んで貰うまでもない。ちゃんと食堂まで歩いていける。それを伝えたのだが、彼女には怪訝な顔をされた。


 「本当に、大丈夫ですか?」


 俺は何処まで貧弱だと思われているのだろう。大丈夫ですと返し微笑むと、彼女もそれ以上の追求はしてこなかった。

 だがそれも、食事が始まるまでの短い間だけだった。


 「アルドール様、無礼を承知で言わせていただきますが、貴方はその年頃の男性としては軽すぎます。もっとしっかり食べてください。王あっての国です。いざという時に倒れられては困ります」

 「お姉さん……無理、俺もう食えない……」


 俺の空いた皿を見るやすぐにお代わりを装ってくれる甲斐甲斐しさ。その厚意が重い。胃に重い。やっぱり俺この人苦手かも。


 「ははは、甲斐甲斐しいねぇお嬢さん。どれ、おじさんにも装ってくれないか?」

 「はい、何をお取りいたしましょう?」

 「う~むそうだな、それでは麗しのお嬢さんと生クリームともぎたてフルーツの女体盛りで」


 俺はグラスのジュースを吹き出した。朝からこの人は何を言っているんだ。

 咽せて咳き込む俺に、聖十字のお姉さんが背中をさすってくれた。もう片手では、布巾手早くシミにならないようにと俺の口元と衣服を拭ってくれる。


 「大丈夫ですか?」

 「あ、……ありがとうございます」

 「なんという華麗なスルー。これは今までにいなかったタイプだな」


 俺達の向こうでヴァンウィックが何やらしきりに頷いている。


 「なんで僕の耳塞ぐんですかトリシュさーん!」

 「いや、あの……イズーのためです」


 横目で騎士達を見ると、自分がいない内に純真な少年が悪い大人から悪影響を受けてはユーカーに怒られると、トリシュはパルシヴァルの保護をしていた。


 「……そう言えばトリシュ、俺は北部のことは全然解らないんだけど……この辺りの地理にはやっぱりくわしいのか?」

 「ええ、まぁそれなりには……私も近年は領地には帰省していませんでしたし勝手が変わってしまったところはあるでしょうが」

 「ああ、そうだよな。都での仕事が中心なんだもんな王宮騎士は」


 ついついユーカーのことが頭にあって、みんなあっちこっちに派遣されているものだと思ってしまったが、それは本来の仕事ではないはず。王宮騎士は都の治安維持……突き詰めれば城の警備が専門のはず。常備軍的側面もあるからユーカーの仕事も間違いではないのだろうけど。しかし王宮という割りに城に住めない現状は本当おかしなものがある。いや……今はその城さえ奪われてしまったのだけど。


 「それについてはセレス君がイレギュラーと言うべきだな。彼は南部では肩身の狭い思いをしているし、渡り歩く任務を好んでいたから」


 俺の考えの粗方を理解したのかヴァンウィックがユーカーの事を口にした。


 「そ、そうなんですか。それじゃあトリシュやパルシヴァルは都でどういう仕事を?」

 「僕はお使い専門です!お城の人のお買い物や頼まれ事をして届けるのとお城のお掃除と……そんな感じです!お仕事している内に仕立て屋さんのポイントカードが凄いことなりました!」

 「私は竪琴を。よく都貴族の方々に引っ張られて行き仕事どころではありませんでした……というより他にろくな仕事回ってきませんでしたし」

 「夏と冬には王都一斉ゴミ拾い清掃奉仕活動とかありましたね、セレスさんさぼってましたけど」

 「いえ、しかし四度に一度の割合でランスに捕まっていましたが……というかパルシヴァル。君も去年の冬は見かけませんでしたよ?」

 「セレスさんに、“いいかパー坊、ランスの阿呆なら例え遊びでも何でも全力で挑めとか阿呆な事抜かすかもしれねぇが、余裕無く常に全力で行くのは騎士としてみっともないし情けない。適度に力を抜いて息を抜け。そんなわけで今回は休みだ!ひゃっはー”って言われてカルディアまで遠乗りに連れて行って貰いました」

 「イズー……貴方という人は」

 「ユーカー……」


 それ単に面倒だったからじゃ……。それで万が一ランスに捕まっても自分1人に説教が向かないように共犯者仕立て上げるなんて、なんて汚い。乾いた笑いを漏らす俺の向こうでトリシュと言えば……


 「なんて素敵なんだ!!」


 感激していた。もうユーカーなら何でも良いのか。駄目だこの人。やっぱりもう取り返しの付かないところまで来ている。痘痕も靨的な溺愛領域入ってる。


 「噂には聞いていましたが……都はそこまで腐敗していたのですね」


 聖十字のお姉さんが、少し悲しそうに俯いた。トリシュがこうなったのはその反動に違いないとか好意的な解釈してそうなのがちょっとあれだけど。その辺の誤解は解いた方が良いのかそっとしておいて見なかったことにするべきなのかちょっと瞬時に判断は下させない。


(でも……騎士や騎士見習いが使用人や小間使い、楽師みたいな仕事させられるなんてなぁ……)


 それも王の命令じゃなくて、都の貴族に顎で使われるという有様。言われてみれば確かに酷い……。あまりにも酷い。それ騎士の仕事じゃない。絶対騎士の仕事じゃない。

 ユーカーから話には聞いていた。騎士なんてろくでもねーと。肩書きだけの名誉職。働けば働くほど王の名声が地に落ちる。自分を人殺しの道具みたいに言うユーカーの仕事がマシに思えてくるからどうしよう。


 「ふむ、ローザクア近辺は都貴族がのさばっているからねぇ」


 ヴァンウィックも肩をすくめている。


 「あの、アロンダイト卿?湖の城が手放された理由というのはどういったものだったんですか?」

 「ああ。あの城は元々チェスター卿の物だとは話しましたねアルドール様」

 「はい」

 「要はですね、あの城は北部の守りのために作られた要塞ですよ。長年この土地を守った要なのですが、老朽化を理由に風情のない都貴族共は経費削減としてあの城を捨てさせた。ついでのどさくさで跡継ぎのいなかった彼の領地まで没収。それで若くして色々あったトリシュ君の叔父であり後見人と言うこともあり、ブランシュ領を任せられた……だったかな?」

 「いいえ師匠。正確には元々父が消え私の母が死んだ時から、シール叔父さんはうちの領地の管理をしてくれていたんです。本当に物心着いた時分でしたし幼い私には何が何やら……」

 「へぇ……そうだったのか」


 二人の話を聞く限りではチェスター卿はいい人っぽい。これなら割ととんとん拍子で今回の話はうまくいくかもしれない。


 「それでトリシュが騎士になった後も、そのまま領主としての仕事をしてくれているってことなのか」

 「はい、概ねそれで正しいですよ。ですが……」


 俺の言葉にトリシュは頷くが……


 「叔父さんは長年治めた土地をそのままにはしておけず、時折以前の領地に出かけて……領民を気に掛けたりあの湖城の手入れなどをしていたようです」

 「領地を奪われたのに……? そんなことして大丈夫だったんですか?」

 「仕方有りません。カーネフェルはあの土地に何もしてはくれなかった。それで何とかする権利すら奪ったんです。ブランシュ領だって叔父さんがいなければ……とっくに国に奪われていた土地です」

 「え……?」

 「私が南部へ降り、騎士になったのは……王にそのことを嘆願する意味もあったんです。……もっともアルト様にはそんな権限がもう残っていなかった。悲しいことです」


 もしかして。トリシュが都貴族と穏和な関係にあったのは……もといいいように使われていたのは……自分と身内の故郷のため?それなら……ユーカーとのことがなければ……トリシュは俺に付いてくれなかったかもしれないんだ。ごくりと唾を飲み込んだ俺に、ヴァンウィックがそう落ち込むでないよと生暖かい視線を送ってくる。


 「土地を奪ったとはいえ、都貴族共は我々地方貴族の権力を殺ぎたいだけだからね。その後の目的なんてあってないようなものさ。跡継ぎが居ないと言うだけで見せしめに嫌がらせを受けたようなものか。それもトリシュ君を養子に引き取るか引き取らないかのタイミングでの決行だ。どうして治世の才が無い者は、人を出し抜き蹴落とし権力にしがみつく術に特化しているのだか」


 これだから無能をのさばらせているのは問題なんだと言わんばかりの中年騎士。この場合の無能は前王ではなく都貴族のことだろう。


 「しかしだな我が弟子よ。君もうちの馬鹿息子のように、領地には帰りたくないのではないのかい?無論帰って貰わないとカーネフェルとしては大変なのだが」

 「……別に私は叔父さんを嫌ってはいませんよ」

 「トリシュ?」

 「…………彼方がどうかはまた別の話です。それに」


 一度目を伏せたトリシュだが、一呼吸置き目を開く。そして自分に強く言い聞かせるよう呟いた。


 「それでこの国を怨むのは筋違いです。このカーネフェルという国の危機にそのようなことは言ってはいられない。それは彼も同じ気持ちのはず」


 力強く言い放つトリシュの言葉。それに俺の横の聖十字のお姉さんが肩をぶるぶる震わせる。


 「お、お姉さん?」

 「ブランシュ卿!私は貴方を誤解していました!貴方は素晴らしい騎士様です!」


 お姉さんは勢いよく席から立ち上がり、トリシュに握手を求める。迸る感涙。その溢れる涙を拭おうともしない豪快な男泣きだ。男装が似合っているだけあって、性格までなかなか男前だなこのお姉さん。普通の格好していると普通のお姉さんに見えるのに……どうしてなかなか普通のお姉さんじゃないらしい。


 「あの……私のことはトリシュで構いません」

 「トリシュ様っ!貴方は素晴らしい人です!このご時世にちゃんと愛国の心を持った騎士様がいるなんて」

 「あ、ははは。ありがとうございます聖十字のお嬢さん」


 トリシュがさっと目を逸らした。ここまで純粋に褒められると辛いよね。トリシュこの間まで「国などどうなっても構わん!私のイズー!!イズーがいればそれで良し!」みたいな恋愛至上主義突っ走ってたよね。やっと運命の人に出会えたと思ったんだから多少の暴走や心ない言葉は仕方ないとして、その記憶が新しく本人にしっかり残っているため罪悪感はとんでもなく大きいだろう。このお姉さんを直視なんて出来ないくらいには。


 「そんな余所余所しい!共にこのカーネフェルを憂うる者同士……私は、アーク。ジャンヌ=アーク。私のことはどうかジャンヌとお呼び下さい!組する場所が違えども、私は我々は貴方の同士です!」


 キラキラ輝くお姉さんの綺麗な目。こと国に関しての愛情は、パルシヴァル並の純粋さを持ち合わせているみたいだ。


 「ジャンヌ……さん?」


 言われてみればまだお姉さんの名前も聞いていなかった。それとも俺は故意にそれを避けていた?名前を呼ぶこと。それは愛着を持つ。持とうとする行為。始まりの一歩。それを恐れた。知れば失うことを恐れる。俺としては……カードの名前を、特に……女の人の名前を聞きたくなかったのだ。だから俺は、その名を知った時に喜びは感じなかった。むしろ……夏だというのに一瞬血の気が引いた気さえした。それと同時に、俺の知る……無くしたカードの誰ともその名が重ならないこと。それに安堵し絶望していた。


 「はい、申し遅れました。色々あって挨拶が遅れてしまい申し訳ありませんアルドール様」


 俺の言葉に振り返り、にこと微笑むお姉さん。


 「ああ、男装の仕事の時は男性名らしくジャンと名乗っています」

 「ジャンヌ様、それは些か偽名としては単純すぎるのでは?ヌージャンとかンヌージャとかどうですか?」


 トリシュ自身は神妙な顔つき。至って真面目な言葉だったのだろうが、その言葉はその場の人間達の時を止めるだけの衝撃があった。ジャンヌさんも目が点だ。


 「……トリシュさん、問答無用偽名必須仮面舞踏会の時に偽名が分かり易過ぎてもろばれだったってセレスさんが笑っていましたよ」

 「ああ、その噂なら北部まで届いていたな。タントリーシュだったかな?」


 カーネフェル……そんな祭りまでやっていたのか。というかトリシュ……ネーミングセンスが酷い。もし仮にセレスちゃんが本当に女の子で運良くその心をこの人が射止めて外堀も埋めて結婚とか出来ても……このネーミングなら家出されるかもしれないな。


 *


 「へっくし!」


 やっぱ海風は冷える。かといって窓を閉めていると蒸し暑い。昨夜は暑いと駄々を捏ねてレクスの野郎に窓を開けさせたまでは良かった。ユーカーは昨晩のことを思い出して頷いた。


(タロックの服って慣れねぇと動き辛ぇ……)


 窓からの脱走を試みるが立ち上がってすぐ帯を踏んで転ぶ。裾を踏んで転ぶ。俺はそんなドジっ子属性なんか身につけた覚えはねぇぞ!恐るべしコートカードキング。こいつが傍にいるだけで、俺は逃亡すらままならないというのか。

 しかし見当違いも良いところ。そんなに外の空気が吸いたいのならばと甲板まで連れてきてくれたこいつは確かに優しいさ。そう言うところは我が儘な捕虜の言いなりなんだから。


 「冷えたか?ならば中へ戻るか」


 何処へ向かって進んでいるのか解らない。そんな船に俺はいる。嗚呼、空は海はあんなに青いのに、どうして俺はこんな所にいるのだろう。情けなくて泣けてくる。

 思えば最初からおかしい。あの時見た船は一艘だったはずそれがなんだ。俺が連れて行かれた場所はあれではなくて、そこから離れた場所にある別の船だった。数術の力で隠されていたとしか思えない。神子がスルーするってのは、わざとなのかその存在に気付けなかったのか。正直俺には解らない。今神子は弱っているし後者の可能性も十分あり得る……が、普段が普段なので前者のようにしか思えない。これは俺は悪くないよな。

 寒がる俺を案じたのかレクスに甲板から降りようと促されるが、その間もジャラジャラと耳障りな音が聞こえてくる。


 「つーか何なんだよこれぇ……」

 「セネトレアから仕入れた拘束具だな。なんでも数式が刻まれているとかで数術でも使わない限り取れないらしい。どうせろくでもないか虚偽の商品説明だろうと思っていたが、試しにお前に付けてみたら……どうやら本物だったようだということで、俺も使ってみることにした」


 そいつは鍵穴のない手錠。付けられた時点でお終い。俺には数術の才能がない。コートカードの俺には幸運はあっても元素の加護がない。それを見越してのこれだ。

 嫌別に俺だって何処かの柱と俺とか、か自分の両腕に拘束とかならここまで騒がない。問題は俺の手と鎖が繋ぐ、それの向こうの相手に文句があるだけだ。

 これを付けてる間はタロックの服じゃ着替えが出来ないと瞬時に悟ったらしいこの変態騎士は、寝ている俺を昨晩の俺のカーネフェル風の女装服に着せ替えしてたというのだから驚きだ。そこまでして俺で遊びたいかこんちくしょう。お前も侵略者なら真面目に侵略をしろってんだよ!


 「こんな誰得俺損生活俺は嫌だ!こういうのは普通あれだろ!?思わず守ってやりたくなるような華奢な婦人とか!むちむちのお色気漂うセクシー婦人とかだろ!もう少し騎士心擽るようなチョイスは無かったのかよ!」

 「残念ながらタロックでは女が不足していてな。そんな美味しい展開はない。だがそう問題もないだろう。現に俺得ではある。流石はキングの幸福は素晴らしいな。毎日24時間がウハウハだ」

 「お前が得でも俺は不幸だっつってんだろうが!」


 ていうかどうなのこれ。俺は俺のことを神子とランスが監視してるもんだと思ってて、それで何かあったら助けてくれると思ってたんだけど……そんなことは全然全く無かったぜ!……自分で言ってて悲しい。


(そりゃあ……相手はキングだし?あいつら逃げてくれた方が良いっちゃいいけどよ……)


 それならそれでちゃんと逃げましたよ的な合図が欲しい。俺はどう動けば良いんだよ。それにあんなこと言われて……何を信じればいいのかもわからなくなりつつある。こんな時くらい、びしっと傍にいてくれよ。


(俺がジョーカーになるかもって知ったら……あいつ喜ぶのかな?)


 俺が味方すれば絶対に負けはない。勝ち残れる。最後に俺が死ねば問題ない。

 でも……俺がお前より強いカードになったことに苛立っているお前のことだ。ますます俺を嫌いになるかもしれない。そもそも俺がジョーカーになったって、あいつが自分の勝利を望むかも怪しい。その力でアルドール様とカーネフェルを頼むぞ!とか良い笑顔で討ち死にしたりしそう。そんな展開嫌すぎる。

 元々俺は自分が勝ち残れないもんだと思っていたから、諦められたんだ。お前を殺してまで……俺にはアスタロットは望めない。だけどここで道化師だ。それを聞いたら少しは揺らぐ。こうしてじっとしていて……レクスに守られて。そうしているだけで俺はジョーカーになれる。俺に殺せないカードはない。一つだけならどんな願いだって叶う。

 だけどもしもだぜ?俺の知らないところでランスもパルシヴァルもトリシュも殺されて。アルドールの阿呆も死んで。そこで漁夫の利よっしゃあ!!!と喜べる強さが俺にあるのだろうか?過去の何も引き摺らないと言えるのか?

 そもそもだ。願いの力で1人を生き返らせたって、どうせ死ぬ。人なんかすぐ死ぬ。大したこと無い理由で殺される。頑張ったって百年足らずの命だ。

 それならそこに五十数人の命を費やす意味ってあるのか?そいつら全員の百年を奪ってまで誰かを生き返らせる意味はあるのか?その日の内に、その次の日に……その幸せが崩れないって保証もないんだ。

 生き返らせた相手と一緒に寿命が来るまで仲良く幸せに暮らす……なんて願いはあり得ない。願いは一つだけだ。文章長くなっても区切らなきゃ一つってのは無理な話。端的に一つ。願いは一つだけなのだ。

 俺は臆病だから、ちゃんと絶対だよって保証されないと何も出来ない。あんなに大切にしていたアスタロットとの約束も揺らいできている。

 彼女は俺に生きてくださいと言ったけれど、俺はもう……俺の生には興味が持てなくなっている。変な話だ。つい先月までは、どんなことしてでも生き延びてやる。死んで堪るか。そう思ってたはずなのに。

 生きる意味が死ぬ意味に変わってしまった。俺の生に希望なんて一つもありゃしない。死ねばそこで始めて意味が生まれる。誰かのためになれて、アスタロットとも再会できる。

 ランスの阿呆はアルドールっていう希望を手に入れたけど、俺には何もないんだよ。仕える王なんか、アルトのおっさん以外いやしねぇ!アルドールなんか……あんな奴、王でも何でもねぇよ。あいつは唯のガキだ。戦争も玉座も似合わねぇ……唯の普通のガキなのに。そんな普通のガキのために、ジョーカーになってもまだ、あいつのために働けってお前は言うのか?


 「…………」


 俺がジョーカーになったら。勝ち残りたい奴が俺の力を欲しがるようになる。今だって、まだジャックの俺をその確保のために欲しがる奴がいる。俺は家の道具が嫌で逃げて来たのに、また道具になっている。逃げても逃げても俺は何処へ行っても人間にはなれない。


(ランス……)


 道具でも、お前の力が必要だって。そう言って貰えたなら、まだ踏ん切りが付く。だけどあいつのことだから、そんな風には言わないんだろうな。もう俺が人には見えていないのに、まだ幻影を夢見てる。俺の顔が人間に見えていると自分を騙すように笑ったりして。

 だって俺は知ってるんだぜ。お前が俺のカードを知った時……どうしてお前がって顔したの。格下の俺が強いカードってのが気にくわなかったんだよな?そこで俺がもっと強いカードになんかなったりしたら……ますますお前の気分を害するだろう。

 嫌だな。ランスのこと。アルドールのこと。思い出すだけで気が沈む。暗い気分を振り払おうとして……思い出すのは何故だろう。その相手はトリシュとパルシヴァルだ。あいつらと一緒に行動する日が来るとはなぁ。感慨深いものがあるぜ。

 だけどあいつらもカードで。危険が迫る対象で。いつ死ぬかも解らない。あいつら俺と違っていつも明るくて、そんなシリアスなんか似合わねぇだろ。そう思ってるような相手だって死ぬ。あのメイド女みたいにさくっと格好付けて死ぬかもしれねぇ。油断も隙も無い。この世界はそれだけ悪意に満ちている。

 ああ、どうしてだろう。どうしていつも俺ばかり、不安に苛まされている?俺が弱いからなのか?ジョーカーになれば強くなれる……わけがねぇ。ジャックでこの様なのに。これでジョーカーなんかなったらもっと手に負えなくなるだけじゃねぇかよ。


 「なぁ……あんた、強いよな」

 「否定はしない」


 部屋に戻って暫く考え込んでいた俺が、突然投げかけた言葉。それにも騎士はすぐに相手をしてくれる。お前本当にこんなことしてる暇有るなら仕事しろよと言いたいが、戦うことが仕事なら、移動中の今は暇なのかもしれないな。

 だけどこいつのその余裕すら、強さの欠片に見える俺はどうかしているんだろうか?


 「あんたは何で強いんだ?」

 「それなら少年、お前は何故俺に負けたと考える?」


 カードの力、騎士としての力量、体格差。言い訳は色々ある。それでも決定的な何か。こいつにあって俺にないもの。それは確かに存在する。二度の戦いで俺はそれには触れている。気付いているが、掴めない。


 「何度やっても同じ事。今のお前では俺には勝てない」


 ヒントは与えたと言わんばかりのレクスの言葉。


 「俺を王に引き合わせるって、言ってたよな?」

 「ああ」


 あっさり奴は肯定。目を逸らして背中を向けて俯いていた俺が悪いのだが、あまりにも簡単に答えが返ってくるので話を真面目に聞いていないのでは。そう思って振り返る。

 すると奴は床に寝そべり何やら雑誌を片手に寛いでいる。こそと近寄りタイトルを盗み見ると、『月刊貧乳つるぺたマガジン』とかろくでもないタイトルが書いてある。当然こんなろくでもない資源の無駄遣いの発行元はセネトレアの書店だった。タロックとは違う意味で確かに一回滅べばいいと思う。割と本気で。……にしてもタロックの第一騎士がこんなのってどうなんだ。こんな姿、本気で部下が泣くと思うから止めて欲しい。

 何とも言えない表情になって俺はまた奴からギリギリの所まで離れて背を向ける。それを見計らったように奴は言葉の続きを口にする。


 「セレスタイン、お前には……お前の中には王が不在だ。そのような空の心では何も守れはしない」

 「……王じゃねぇけど、大事な奴はいる」

 「それは1人ではないだろう?」


 頭から冷や水を浴びせられたような感覚。血の気が一気に引いていく。こんな変態エロ本読んでる馬鹿に、俺の心が筒抜けなんて。何だかとても恐ろしかった。


 「王とは複数いてはならないものだ。王は唯一無二でなければならない。お前がそれを完全に選べない限り、お前はそれ以上強くはなれんだろうな」

 「王って……なんだよ」


 レクスが身体を起こし、引っ張られた俺も無理矢理それに倣った。


 「王とは奪い尽くす者。お前はその1なる者に全てを奪われて尚、一変の曇りも無く彼を許し愛し肯定し、心からの忠義を持って仕えることが出来るのか?」


 外はあんなに明るいのに……この部屋は暗い。レクスの黒い目が、闇の向こうから俺を見据えるようにそこにある。


 「俺の妹を殺したのは狂王だ。しかし狂王を動かしたのはあの人だ。……俺は最愛の妹をあの人に奪われた。……それでも俺はあの人の騎士だ。王に仕えるって言うのはそう言うことなんだと理解しろ。セレス……お前はそこまで、このカーネフェルという国を許せるのか?」


 俺を何も知らない癖に、この男は…………俺がこの国を愛していないことを知っている。俺が好きなのはあくまで人であって国じゃない。俺を縛り付けるのはしがらみであって土地じゃない。この国が俺にしたことを、俺は今だって覚えている。

 この国の風習が俺の人生を狂わせた。この国のシステムが俺の王を貶めた。この国の存在が俺の理想を苦しめる。

 滅んでしまえ、こんな国。どうにでもなればいいんだ。そう思ったことが一度としてないなんて、俺には言えない。何度とだって思って来たし呟いた言葉だ。

 許せるのか俺に。もしもランスがあいつらを。他の誰かを殺しても……それでもあいつは俺の、俺の理想で在り続けるのか?崇められるのか?


 「放せ……」

 「セレス……?」

 「俺は……俺は道化師なんかなりたくないっ!そんなにジョーカーが欲しいならっ……他のジャックを捕まえろ!」


 そうだ。このままで良い。俺はジャックで良い!これ以上何かが変わるところなんか、見たくない。嫌だ。そんなの俺に見せるな。見せないでくれ。

 今のままなら、これ以上はなくとも今以下は無い。誰もこれ以上俺に失望しない。期待しない。それでいいじゃないか。それの何が駄目なんだよ。


 「生憎それを決めるのは俺でもお前でもない。……俺の仕えるタロック王だ」

 「っ……」

 「だが、それとは別として……俺はお前が気に入った。お前のその弱さ、どう変わって行くかに興味がある」


 好意的ではあっても、敵は敵。感情に訴えても逃がしてはくれない。この男、公私混同はしない。そこに微塵の迷いもない。それが強さの証なのだろうか。迷いに迷ってブレまくりの俺は、だから駄目なのか。

 そんなこと言ったって。何か一つを何て。選んだつもりでも、どいつもこいつもどいつもこいつも……関わった以上は見捨てられねぇだろうが!そんないきなり切り捨てられるもんじゃねぇよ。もう何もない。これ以上何かを手に入れることもない。だから暴走できた。それがどうして……今更俺にのし掛かってくるものが、重みが増すんだよ?俺なんか最低の屑だ。みんな何処かへ行っちまえ。俺の記憶の中からもいなくなってくれよ頼むから。

 そう思っても、そう願っても……呼ばれる声が甦る。忌まわしい名前。呪文のように縛めのようにどいつもこいつも俺を呼ぶ。痛くて頭が割れてしまいそう。


 *


 「ボクはエルス=ザイン。第六師団を受け持ってる狂王様の手下だよ」

 「ああ、話だけは聞いたかな。狂王のお気に入りって子な」

 「はじめまして?へぇ……貴方が第一師団長様ね」

 「ああ、俺はレクスって名乗らせて貰ってる。ま、程ほどによろしくな」


 我が儘な王様からの伝令のため、飛ばされたのは海の上。探し当てるの一苦労。それでもそれをさも簡単に。颯爽と。こんなこと朝飯前だという顔をしておくのが妖怪というものだ。人間は恐れさせてなんぼのものだ。畏怖もまた負の信仰。僕らの力を強めるためには必要なこと。

 だと言うのに何だこの男は。エルスは少し苛立った。

 ここの部下達は僕の登場に驚いたり腰を抜かしたり混血である僕の可愛さに参って違う意味で腰を抜かしたりしたっていうのになんなんだよこの男は。

 黒髪黒目のタロック人。真純血には見えない平民色。それが第一騎士とはねぇ。おまけに何だろう。船の中畳みに改造してゴロゴロしてる。おまけに何か手にはでかいアクセサリーがあると来た。そのもう片方の手にはいかがわしい本を持っている。

 幾らプライベートルームとはいえここまで酷いプライベートが未だかつてあっただろうか?一応今、戦争中なのに何これ。緊張感の欠片もない。明らかにおかしいのに狂気の香りすら見受けられない。さも日常のようにこのおかしな感じを肯定しているこの男、やはり何処かがおかしい。歪んでいる。


 「にしてもこれはこれは、随分と可愛いお嬢ちゃんが来たもんだ。もっともこいつには劣るが」

 「冗談が上手いんだね貴方は」


 ふて腐れてそいつからギリギリ離れたところで膝を抱えている女の気配には、どうも見覚えがある。


 「で?セレスタイン卿ユーカー……貴方までいつの間にそういう性癖に目覚めたの?」

 「目覚めてねぇっ!カーネフェル事情解ってんだろ!?女装してた方が色々移動するのに便利なんだよ!!」


 流石の僕も驚いた。これまで何度か戦った騎士が、まさかこんなところでこんな事になっていようとは。でも予想以上に似合ってたからちょっと腹立たしい。まさかこの男にそんな才能があろうとは。これで僕らの目をかいくぐっていたのか。そう思うと尚更だ。しかし当の本人は、まさか僕にまで知られるとは思っていなかったのか、半分泣いている。精神的に参っているらしい。こういう顔を見ると駄目だな……………うん。なんていうかさぁ、この間の仕返しもあるし?思い切りいたぶってやりたくなる。


 「うわぁ、恥ずかしい!それでもボクより年上?女装が許されるのは何歳までだったかなぁ?!御貴族様が?真純血が?女装ですか!?あはははは!!」

 「ぐぅっ………くっそぉ!!人が言い返せないのを良いことにっ!」

 「さぁて、どうやって辱めてあげようかなぁ?キミの恥ずかしい写真でも撮って国中にばらまく?それともそうだなぁ……そのまま、強行軍で色々飢えてる獣の軍に女装で放り投げてあげようか?仲良しの騎士さん達宛に?それともアルドールに?リアルタイムでキミが襲われるのを実況してあげようか?良い息抜きになったりして向こうにとってもさぁ!だって色々重んじる連中多くてキミらって経験無い奴多いんでしょ?貴族様って大変なんだねぇ!あはははは!その分たまってるじゃないの?」

 「エルスちゃん、あんまりこいつを苛めないでくれ。これは俺の妹二世或いは二号機だ」

 「違ぇええええよっ!!」

 「だが今の恥ずかしがる顔は良かった。お兄さんがポケットマネーを渡すから今度セネトレアの船から撮影装置を買って来てくれないか?噂だと人間の屑方面との交友関係広いそうじゃないか」

 「そんなの欲しいの?似たようなものなら軍にありませんでした?セネトレアから横流しで来た……」

 「ああ、だがしかしあれはモノクロセピアだった。高画質のフルカラーでなければ意味がない……………しかしエルスお嬢ちゃん。お前もなかなか良い貧乳して……」

 「お前は見境無しなのかっ!」


 ようやく立ち直ったのかツッコミという仕事を思い出したらしいセレスタイン卿。第一騎士を鉄拳制裁。それでもあまり効いていないらしく、逆に近づいてしまったことで髪触られたり胸元凝視されたりとなんだかんだと被害を受けている。


(こんな男が第一騎士だなんて……あの男何考えてるんだ)


 頭が痛い。だけどこの男がキングなら、利用価値はあるだろう。須臾にも思うところがあるようだし、星が降ってから行方をくらました……僕の力でも居場所の知れないあの男を引っ張り出すためのチャンスだ。


 「とりあえず須臾からの言葉を伝えます。“兵と合流したなら此方へ来い。作戦に加われ”だってさ」

 「やれやれ。到着早々扱き使われるわけだ。しかし良いのか?海へ出た船……あれを逃して。我々はカーネフェルに余所の船を近づけるな、そして逃がすなと命じられたのだが」

 「そっちは問題有りません。ここまで船を出して貰ったんだ。ここからならボクが飛び移れます。だから交代ってことです」


 そう、僕はこの距離なら跳べる。空間転移を発動し、船へと一気に跳躍。カーネフェルを出てシャトランジアへと向かった聖十字の船がある。あれを逃すなとは須臾の命。シャトランジアとカーネフェルは組ませるわけにはいかない。数式に包まれれば、すぐに見える景色が変わる。

 突然現れた僕に驚いたような金髪美形騎士と、舌打ちし眉を寄せる混血神子。


 「やぁ、久しぶり。そして貴方には初めまして」


 エルスがぐるりと辺りを見回せば、その他にもそれなりの数の、船を操る聖十字らしき乗組員も居る。どうやら陸に逃れた奴らだけでもないようで、船に乗り込まれた時のため、隠れ潜んでいた兵士もいたのだろう。それに気付かないとはあの第一騎士、数術の才能が皆無なんだな。ならば、付け入る隙はありそうだ。その事実にエルスは気分良く、自然と顔にも笑みが浮かんだ。


 「海っていいよね。良い風が吹く」

 「神子様!風向きがっ!」


 船を動かす風が変わったことに戸惑う乗組員達。それを見エルスはほくそ笑む。この神子も風の精霊は操れるようだけど、そこまで好かれてはいないのだ。

 僕は全属性使えるけど、一番懐かれてるのは風なんだ。見たところ彼らは土水に好かれた水使いに、水に好かれる火使い。其方の騎士は火の人間のようだけど、水の気を纏っている……だから情熱の炎という感じでもないし、風との相性はあまり良くは無さそうだ。

 神子は仮にも聖教会の神子を冠するのだから、自分同様全属性は操れると見て間違いない。それでも得手不得手はあるのだろう。どんな腹黒でも性悪でも神子は神子、分類されるなら聖。残酷をも司る風とは相性が悪いのだ。


 「全く……何処に逃げたかと思ったら、そんな子に入れ込んでたのかシルフィード」

 「ああ、顔見知りだった?」


 その少年は、僕の傍に控えた風の精霊。それを神子は睨み付けている。風の精霊シルフィード。前にカーネフェルに遊びに来た時に拾った精霊だ。何も言葉を発さないのが奇妙な奴だけれど、僕には従順だし精霊としての力も強い。神子の様子から見て、元は教会の所有する精霊だったらしい。


 「このままシャトランジアに行くつもりだったんだろう?だけどそんなことはさせない」


 風の精霊に大暴れをさせ、船を揺らす。浮いている僕は大丈夫だけれど、咄嗟に受け身を取れなかった小柄な神子は転がる。騎士はそれを助けて抱き起こす。それでも他の乗組員達は女ばかり。あちこちに横転し、身体を強かにぶつけて呻く。船の動きが止まる。

 うん、良い感じだ。エルスはにこりと微笑んで、紡いでいた召喚数式を完成させる。


 「このまま海に沈んで貰うよ」

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