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12:Est autem fides credere quod nondum vides; cuius fidei merces est videre quod credis.

 「痛ぅ……」


 頭がガンガン、クラクラする。どうしてそんなことになったのか。ユーカーは重い頭でそれを思い出しながら、義妹である少女を恨めしく思う。


(エレインめ……)


 桶ってあんなに重かったか?中に石でも積めて落とされたような痛さだったぞあれは。彼女を呪い、痛む頭を押さえながらゆっくり身を起こせば……寝台に寝かせられていることに気がついた。辺りを見回せば視界に飛び込むものがある。


 「何してんだお前ら……?」


 傍には今朝のようにくっついているパルシヴァル。ちょっと離れたところの椅子に座って本を読んでいるのがアルドール。夏だってのに何この人口密度。暑い。暑苦しい。


 「あ、起きたんだユーカー」

 「つかなんでここにいるんだよ。こいつはともかく」

 「ユーカーってほんとパルシヴァルに優しいな」

 「そりゃあまぁ……こいつはまだガキだし、普通はランスみてーに大人げねぇこと出来ねぇだろうが」

 「ちなみにここだけの話、俺も年下なんだけど」


 そうぼやいたアルドール。言われてみれば確かにそうだ。それでも何をパルシヴァルと同列の扱いを要求しているんだこいつは。馬鹿か?阿呆か?変態か?大体どうしてそんな義理何処にもないはず。


 「馬鹿かお前?なんで俺がてめぇなんかにそんな薄気味悪いことしねぇといけねぇんだっての。つぅか普通にここだけの話でも何でもねぇだろ、余裕でんなこと知ってる」

 「しかし狡いぞセレス君。君は確かにこの子ばかりを可愛がりすぎている。少しは叔父さんにも優しくしてみてしかるべきだろう?ん?」

 「ぎぃゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 突然耳元で聞こえた薄ら寒く生理的嫌悪感を醸し出す言葉の羅列に、俺は寝台から転がり落ちた。今日は全然見かけないと思ったら何処で何をしていたんだあの男は!

 おそるおそる目を開ければ……もうこいつ妖怪じゃね?人間止めてね?ランスもこれと血が繋がってると思うと嫌だよな。俺でも嫌だよ。そんな思いを禁じ得ない物体がいた。

 マットレスに身体を隠し、勝手に切り抜き首の穴を開ける。そこから顔を出し、羽根枕の羽根を半分取り出して、枕カバーを頭に被る。気絶していたとはいえ、こんな者に気付かずずっと添い寝をされていたかと思うと首を吊りたくなる。ていうかアルドールもパルシヴァルも気付いとけこんなもんっ!!ていうかもう嫌だ、何この人生。俺コートカードじゃねぇの?何でリアルラックこんなに最悪なんだ。毎日毎日ろくなことがねぇ。


 「何やってんだ普通に働け馬鹿領主っ!この大変な時にあんたって奴はっ!!」

 「落ち込んでいる暇はないぞセレス君!今すぐに叔父さんの欲求もとい要求を受け入れてくれないと君の可愛い弟分に何をしてくれようか」

 「そいつ汚したら本気でぶっ殺すぞ?」

 「っていうかそんなところで何してたんですか……?」

 「おお、これはこれはアルドール様。いえ、何息子があまりに冷たいのでね、セレス君でも苛め……可愛がって癒されようかと」

 「勝手に癒されんな!!こっちの不快指数はパねぇってのにっ!!」

 「う、うわぁ……そ、そうなんですか」


 本気で気付いていなかったらしいアルドール。流石のあいつも若干軽く引いている。それもそうか。妖怪マットレスはいつの間にか妖怪シーツに進化だか退化だかしていて、寝台に寝転がっていたパルシヴァルをその白い布で絡め取って抱き寄せている。あれは誰がどこからどう見ても犯罪者だ。当然俺もそう思う。即刻今すぐすぐさま死刑か宮刑か島流しにすべきじゃね?割と本気でそう思う。

 寝起きの身体に鞭打って、俺は愛剣セレスタイトを構えると、俺の殺気に飛び起きたらしいパルシヴァル。流石は俺の弟子。危機管理能力はあるようだ。


 「あ、セレスさん!!」


 あ、無いようだ。あったらそんな笑顔ここで浮かべるはずがない。しかし奴はそう言いながらするっとヴァンウィックの拘束を解除。


(え?……)


 あいつは腐ってもランスの父親。この国でも有数の名騎士だぞ?お遊びとはいえその拘束をものの数秒で解除するってどういう事?

 よくよく見ればシーツのあちこちに線が引いてある。俺がそれに気付いた後に、はらはらと細切れになったそれが宙に舞い、床へと落ちる。油断していたとはいえ、今の攻撃はかなりの速度だ。気を取られた所為もあるが、全く見えなかった。気がつかなかった。

 俺に駆け寄ってくるパルシヴァルが剣を鞘に収めるところを目撃し、今のがこいつの剣技だったんだなと確信したまで。一日足らずで本当に自分の技を編み出すとは、本当にこいつは天井知らず。っていうか俺に見せた技と全然別物じゃねぇか。一日で一体いくつ生み出したんだってんだ。


 「無事で良かったですセレスさん、どこも痛くないですか?」

 「お、おう……」


 あくまでパルシヴァルは俺の身を案じてくれている。その目に宿る光は何処までも純粋な色。それでもだ。ここまで教え子が天井知らずに優秀だと、劣等感が酷い。俺の教え方が上手いからとかパルシヴァルは言ってくれたが、そんなレベルじゃないだろう。俺が涙目になっていると、廊下からノック音。ランス……じゃねぇな。叩き方があいつと違う。ていうかただ事じゃない。この激しいノック音は。


 「アルドール様!此方ですか!?」

 「トリシュ?」


 室内に飛び込んで来たのは、今日一日領内の仕事を押しつけられていたトリシュその人。俺の視線に気付くと一瞬何か言いたげに俺を見たが、すぐに仕事を思い出しアルドールへの報告を急ぐ。


 「北に動きがありました!」

 「何だって!?」


 トリシュの言葉にアルドールは青ざめる。そして周りを見回して、神子とランス……その二人がどちらもここに居ないことを思い出し何故か俺に縋るような視線を送る。

 

 「……湖城から抜け出す一派がありまして、彼らは此方に向かってくるわけでもなく、更に北上、いえ……北西の方角へ向かっていきました」

 「つまり湖城の警備が手薄になったってことか……攻めるなら今がチャンスってことだよな」

 「いいえアルドール様、一概にそうとは言えません。最悪これが此方を誘き寄せるための罠ということもあります」


 要するに、こっちもこの領地の守りをゼロにするってわけにはいかねぇってことだな。それは結局有利なんだか有利じゃないんだか。せっかく敵に斬り込むチャンスだってのに、全力で攻められねぇってのはこっちとしても不完全燃焼って感じだ。


 「とりあえずこのままうだうだ話してるのは時間の無駄だ。さっさとランスと神子を連れて来い」

 「わ、解った!イグニスはたぶん部屋にいると思うから……」


 ばたばたと慌ただしく部屋から出て行くアルドール。それに続く者はない。


 「……?どしたよ?さっさとランスの馬鹿連れて来いよトリシュ」

 「それが……ここに来る前に彼に会いまして、先にこのことを伝えると……自分が神子様を呼びに行くと言っていたのですが」


 まだここに彼らがいないのはおかしい。そんな顔つきになる。


 「まさか、あいつら……」

 「トリシュっ!ユーカー!」


 俺の不安を煽るよう、出かけた時以上に慌ただしく戻ってくるアルドール。


 「イグニスがいないんだ!どうしよう……もしかして道化師に攫われたとか」

 「あー……それはねぇよ」


 確かに神子は女だが、そんなヒロイン属性は持ち合わせちゃいない。あんな腹黒暗黒ドス黒神子にそんな属性俺が認めねぇ。しかし本気で心配してるらしい、この馬鹿王の目にはあいつがどう映ってんだか俺にはよくわからない。


 「ったく……あの馬鹿」


 にしても王が王なら部下も部下だ。


 「何で俺を殴るんだよ」

 「お前の馬鹿があいつに移ったからに決まってんだろ」


 溜息ながら自然と手が出た俺に向かって、アルドールが不満そうに此方を見上げる。自慢の従兄に馬鹿菌を移された俺からすれば何が不満なんだと言いたいが、まぁ満足そうに見上げられるよりは幾らかマシだ。


 「……ランスの馬鹿のことだ。多分一人で北に向かったと思う」

 「ひ、一人で!?」

 「恐らくそれに気付いた神子がそれを追ったって所だろう。幾らあいつが強くても、今のあいつはカードだ。カードの相性とか弱さはあいつの強さでカバー出来ねぇもんがある……幸い神子はコートカードだ。戦力バランスを考えたんだろう」


 戦力バランス。神子があっちに行った以上、それを考えるならここを守るのは俺の役目だ。北の城を手に入れたところで、このアロンダイト領を奪われりゃ意味がねぇ。籠城戦を強いられるのがあいつらじゃなくて俺達ってことになる。

 でもそれを考えたのはあいつじゃなくて神子の方。俺が本当に殴りたいのは叔父の方だ。ランスの馬鹿は、父親の汚名により汚された自分の名誉のために暴走している。そのために正しさとか正義とか、そういうもんに縛り付けられている。

 自分の強さを過信しているとか、そんな風には言わない。事実、あいつは強い。それでもだからって無茶をするのは違うだろう。人に頼ることにあいつは慣れていないんだ。無駄に強いから、プライドがそれを許さない。

 第一、今日は久々に俺に負けたりしたわけだ。プライドが参ってやがる。俺が負けていれば、あいつより弱い俺を頼ることが出来ただろうが、あいつに一回でも勝った俺をあいつは頼れない。あいつはそういう面倒臭い人間だ。パルシヴァルのためとはいえ、俺は本気を出すべきじゃなかった。ましてや夜に戦う必要はなかった。


(そうだ……夜)


 あいつは俺ほど卑怯な戦いに慣れていない。騎士道を重んじ基本は正々堂々戦い勝利してきた奴だ。だから夜の戦いはあいつに向いていない。


 「ユーカー……?」


 不意に俺の顔を覗き込むアルドール。この馬鹿は馬鹿だが妙なところで聡い。ボロを出す前に始末する必要がある。


 「うるせぇうるせーうるせぇ五月蠅ぇっ!!こっちは寝起きだぞ怪我人だぞやってられるか!俺は疲れた!俺は眠ぃっ!よって俺はこの件では絶対働かねぇっ!ランスの馬鹿のフォローなんかやってられるか」


 いいからお前ら出てけ俺は二度寝するっ!そう怒鳴り散らして全員廊下へを追い出し鍵を閉め……ついでに棚を扉の前まで移動させる。

 ここまでやれば、バレないだろう。しばらくは。……要は俺が居ると思わせられれば良い。北部での俺の名はそれだけで守りだ。俺がここにいると知れば直接俺を知らない敵はここを攻めたりしないだろう。

 カードではないとはいえ、あの変態叔父だって騎士だ。パルシヴァルの件は油断しただけだろう、能力的には現在の俺やランスなんかよりまだまだむかつくことにあの叔父は強い。ここを守るのはそもそもあの男の役目であり義務だ。それをほっぽり出したとしたらそれはあいつの責任だ。


 「…………悪ぃな」


 俺はあいつみたいに立派な騎士じゃない。ここに残るのがベストだ。解っていても、それが出来ない。領地のためになんか、俺は戦えねぇ。

 俺が戦う理由は今となってはもう一つ。仕える俺の王も、守るべき貴婦人も居ない。俺が戦うのは俺の友人、ランスのためだけだ。


 「来いっ!リンガーレット!」


 俺が愛馬の名を呼ぶと、蹄の音が近づいて……窓の下に俺の馬が現れる。俺の格好を見てこの馬は俺を小馬鹿にしたように笑う。仕方ないだろこればっかりは。変装でもしないとここを抜け出す意味がない。

 基本こいつは暴れ馬だから、あんまり束縛するとストレスで凶暴化する。都にいる時はそれで大分俺への当てつけが酷かったが、ここへ来てから放し飼いにしてるのが効を成した。いつもより機嫌が良さそうだし、第一繋いでたらこいつがいなけりゃ俺の不在がもろバレだった。


 「思い切り飛ばしてくれ!ランスの馬鹿に追い着くくれぇに!」


 *


 「ユーカー……」


 寝起きで機嫌が悪かったのか、それともやっぱりエレインに攻撃された痛みがまだ酷かったのか、或いはあの叔父の行動に何もかもが嫌になって無気力になってしまったのか。

 アルドールは原因を考えてみたが、正解なんて解りそうにないので考えるのを適当なところで止めた。問題はそこじゃない。ユーカーの協力を得られないところだ。


(困ったな……)


 イグニスがいない。そうなった時に一番距離を感じず頼ることが出来る相手はユーカーだ。

 他のみんなとはまだ出会って日が浅い。人見知りというわけではないが、物凄く心が落ち着くわけでもない。例えそれが見ていて和むパルシヴァルであっても、気を使ってしまう。知らないことが多いから、うっかり触れてはならないことに触れてしまわないかが怖いのだ。ユーカーにはそれがない。

 シャラット領での一件で、彼の心を垣間見た。彼の弱さも見せられた。それで彼のことを深く知ったつもりになっている。だから俺としては個人的に親しみを感じてしまっているのだ。彼がどうかは知らないけれど。


(どうすればいいんだろう……)


 イグニスがいないと何をすればいいのか解らない。北の湖城に向かったというのならそれを追うべき。ランスとイグニスだけでは心配だ。それでもこの場所の守りをどうするべきか。それも考えなければならない。

 俺が挙動不審に陥ると、横でトリシュが心配そうに俺を見る。パルシヴァルは夜中と言うこともあって少し眠そうだ。


 「どうかなさったんですか?」

 「エレインさん!」


 廊下に屯する俺達に、ランスの婚約者の少女が駆け寄ってくる。屋敷の見回りをしていたのだろう。片手に鍵の束を持っていた。


 「いや、それが……」


 ランスがいなくなったなんて言ったらこの少女はどんなに驚くだろう。そう思い言い淀む俺に彼女は意外なことを言う。


 「ランス様ならお出かけになられましたけれど、ランス様にご用でした?」

 「し、知ってたんですか!?」

 「知るも何も、ランス様の愛馬が消えていましたもの」


 けろりとしたその返答に、驚いたのは俺の方。


 「ランス様が何も言わずにここから消えてしまうのは何もこれが初めてではありませんわ。私はその留守を任されているのですから、鍵の管理にも身が入るというものです。それが、妻の役目ですから」


 そう語り、俺達に一礼。窓や扉の鍵をひとつひとつ彼女は確認していく。


 「あら?お義兄様の部屋も鍵が……?まだ寝てらっしゃるんですの?」

 「え、ええと」


 よくもまぁ寝ると形容できたものだ。昏倒させたのはこの子自身だろうに。


 「……ええ。気分が優れない様子で、しばらくそっとしていて欲しいそうです」


 俺の代わりに答えてくれたのはトリシュ。何か言おうとしたパルシヴァルの口をさっと両手で覆ったのはヴァンウィック。どうしてか、普段の言動の所為で犯罪者じみて見える。


 「あの……彼が何か?」

 「これは失礼」


 俺が何事かとランスの父親を見上げれば、彼はエレインが階下に降りていくのを確認し、そしてパルシヴァルから手を放す。余程怖い思いをしたのだろう。パルシヴァルは涙目で俺の背中に隠れてくる。


 「あの小さなレディには余り余計なことを言わない方が良い。彼女は暴走気味な所がある。彼女がセレス君に何かしようものなら弟と息子に私も少々顔向け出来なくなるのでね」


 「さて、たまには私も領主らしいことをしようか。留守番は任せられましたよアルドール様」

 「え?」

 「あの馬鹿息子だけで北の城が落とせるとは思えない。今のあれも、暴走しているだけです」


 そういう意味ではお似合いの二人なのだがとヴァンウィックは肩をすくめて苦笑した。そんな彼を見て、ランスのいない所では、やけに優しい目をして彼のことを語るんだな。そんなことを思う俺を、ヴァンウィックは品定めをするようじっと見つめる。そこに先程までの優しさはない。


 「俺に似ず、それでいて俺に似て馬鹿な息子です。アルドール様、どうかあの馬鹿を諫めてやってください。あれは騎士であり騎士ではない。あれは剣とは何かを理解していない」

 「あの……それってどういう……」

 「貴方があれの主でありたいと願うのなら、どうか貴方はもっと尊大であって下さいアルドール様」

 「……え?」

 「命令を待たず、感情で走るような者は騎士とは呼べません。今日のあれは実にあれらしくない」


 いつも王のために生きてきた、ランスが王である俺を置いて行動した。俺の意見も聞かずにだ。それは本来彼らしくないことなのだとその父親から告げられている。


(それは……確かに)


 上位カードが一人で行動すること。それがどんなに危険なことか解らない彼ではあるまい。ましてや向こうは敵陣真っ直中。死にに行くようなものだ。幸いイグニスが傍にいるなら何かしらの目的があってのことだとは思うけれど、イグニスが本当に彼と一緒だという保証もない。


(大体イグニスだって……)


 イグニスはコートカードだけど、女の子だ。数術使いで神子とはいえ…。

 俺が思い出すのはシャラット領で傷ついた彼女の姿だ。俺より彼女が強いのは知っている。心配するなんて烏滸がましい。だけど……今のイグニスはエルス=ザインの使役虫に刺されているし、本調子ではないはずだ。彼女に何かあったら、そう思うと不安に駆られる。

 これは長らくイグニスとギメルが世界の中心だった俺の本能のようなものだ。いつも何時だって心配で仕方ない。

 それでも脳裏に浮かぶのは彼女だけじゃない。今日一日見た、ランスのいろいろな顔。俺が貰った言葉。それが俺の脳裏を駆けめぐる。

 ランスがこんな行動を取ったのは、俺が頼りないから?俺を危険に遭わせないため?俺が戦えないから?だから、全部自分が解決しようとしてしまったのか?


 「ランスが……変わったって言いたいんですか?」

 「ええ。それは貴方のおかげであり、貴方の所為だとも言えるでしょう」


 それは良くもあり、悪くもあることだと俺は今咎められている。しかし、俺の所為かと思ったところにお前の所為だと言われた俺は、他人の目にも解る程に衝撃を受けた。それを見て言葉が過ぎたと、ヴァンウィックは苦笑し俺へと軽く謝罪する。


 「……おっと、これは無礼を失礼します」

 「いえ……別に俺は、そういうのは……」


 気にしていないし責めるつもりはない。そう口にする俺に、彼は残念そうに息を吐く。その目はとても俺を王とは認めてくれてはいなかった。


 「駄目ですよアルドール様。ここで私を無礼者と罵る位でなければ貴方に王は務まらない」

 「……俺は、そういう風な王になりたいわけじゃない」

 「でなければ家臣に民に貴方は軽んじられます。先王様がその典型的な例です」


 ランスがユーカーが慕った王。その人にこの男も仕えたはずなのに、どうしてそんなことを言うのだろう?俺にはよくわからない。ランス以上にこの父親はが何を考えているのかわからない。


 「例え善で正義であろうとも、王はそれで良い国を作れない。威厳のない王に国は守れませんよアルドール様。それでは誰も貴方については来ない」

 「っ……」


 それなのに、その言葉は俺を抉る。その言葉は嫌なくらい正論だ。俺は視線を彷徨わせる。いない。イグニスが隣にいない。ランスもいない。ユーカーも部屋から出て来ない。ルクリースが、もういない。フローリプももういない。姉さんだって死んでしまった。こんな俺が果たして王と呼べるのか?


 「師匠、流石にそれは無礼です」

 「トリシュ……」


 俯いた俺を庇うように、ヴァンウィックの視線から遮るように立ったのはトリシュ。長い綺麗な金髪が、俺の視界に広がった。


 「無礼を承知で言わせて貰えば、アルドール様。貴方には王族としての威厳がない」

 「うっ……」

 「そして特別美しいわけでもない。余りに貴方は平均止まり」

 「ぐ……っ」

 「端的に言うとカリスマの欠片もない。」

 「…………」

 「それでも貴方に付いてくる者がいる。それは何故だとお思いで?」

 「え……?」


 グサグサと胸に刺さる正論の刃に打ちのめされていたが、最後の一文はこれまでと違うものだった。


 「貴方は自分に何も無いと思っているようだが、実はそうでもないんだろう」

 「そんなんじゃ、ありません」


 それは俺がエースだから。俺が最上位カードに選ばれた人間だからこその幸福だ。俺が優れた人材に出会えるのはイグニスの采配と、俺のその運によるもの。もっとも俺の幸運は、他の所で働いた試しがない。他は全てが空回り。今となっては最低幸福値カードなのだから仕方ないと言えば仕方がないのか。

 この運だって、俺を突き落とすための幸運だ。だって嫌な奴に出会って別れるよりも、良い奴に出会ってその人を失う、死なせてしまう方が俺にとっては何倍も苦しいことだろう。

 俺の幸運は、そのための幸運なんだ。イグニスとギメルと出会ったのも、一度二人を失ったのも。そういうことなんだろう、きっと。この騎士はそういうことまで知らないから、そんな見方が出来るだけ。俺を正しく理解なんかしていない。


 「貴方は多くを持たず、愚かで幼い。それが貴方の利点でしょう」

 「すみません、全く褒められてる気がしません」

 「一応褒めさせていただいたつもりなのですがね」


 中年騎士が苦笑する。


 「……確かにある意味貴方に王の才はある。貴方は人の庇護を引き出すのが上手い。貴方は弱く、何も出来ず、何も持たないからこそ……人は貴方の力になりたいと思うでしょう。近しい人間ならば貴方の良さを理解も出来る、だからこそ」


 俺には近しい人の協力を仰ぐことは出来る。それでも、民を従えるまでには至らない。そこまでのカリスマが俺にはない。そう言われている。

 だから俺にはみんなが必要で、その力を持つイグニスの、ランスの加護が無ければ何も出来ず何にも至れない。何時も人に守られ、人を頼ってばかりの情けない俺。俺には何も出来ない。

 ランスの言葉を思い出す。俺はもう剣を握らなくて良い。人を斬らなくて良いと言ってくれた。倒すべきは道化師。それ以外の戦いは俺には必要ない。守ってくれると言ってくれた。言わせてしまった。


 「アルドール様。貴方の青はあの海のように青く澄んでいらっしゃる。その輝きは貴方が幼いからに他ならない。貴方のその幼い理想に惹かれる者も居るでしょう。無くした夢を希望を託す者も居るでしょう」


 彼の言葉が指しているのが、なんとなくイグニスで、ランスなんだとぼんやり思う。


 「しかしアルドール様。腐った大人としての意見を言わせていただけば、世の中には貴方のその目が勘に障るような種類の人間もいるんですよ。貴方の青は、青過ぎる」


 いつか人は誰でも大人になる。変わってしまう。夢も理想も移ろい消える。希望も姿を変えるだろう。その時になって取り残されるのは貴方だけなのだと、この騎士は予言するよう言葉を紡ぐ。

 その時俺の傍には本当の意味で誰もいなくなる。正しさで優しさで哀れみで守れるものはない。はったり……虚勢のプライド。それでもいい。嘘を吐いて誰より王らしい王を振る舞え。それが守るということだ。一度王を失った騎士が俺に言う。


 「俺には貴方の言っていることがわかりません。どうして俺がわざわざランスに嫌われるようなことをしないといけないんですか?」

 「……カーネフェリアというのはどうしてこう、お人好しばかりなのだか」

 「はい……?」


 俺の言葉にヴァンウィックは少し眼を細めて笑う。まるで遠くを見るように、彼は俺を見ていた。


 「いつぞやに、私の主も今のアルドール様と同じことを口にしたんだったかでしてね」

 「……アルト王が?」

 「ここだけの話、アルドール様。私は過去に一度私の主を裏切ったことがありましてね」

 「貴方が……王を?」


 それは以前も少しは耳にした。あの時はそれが本気かどうか解らなかったけれど……


 「むしろ一度だけとういうのは少ないと驚きですか?これは手厳しい……というのは冗談で」


 その冗談というのが裏切ったという言葉ではないのは明らかだ。


 「私はその行為と結果を後悔したことはありませんが、その裏切りを悔やまない日はなかった。私の主はまったく腹立たしいまでに、憎むべき所がなく、憎めないことを私はとても憎んでいた。いっそ彼がもっと悪い人間だったら、私は私を正当化することも出来たでしょうにと」

 「…………そうですか」


 この男が言いたいことが解った。この人は本当にだらしない男だけれど、確かにランスの父親なんだ。

 俺がそういう風になれば同じようにランスが苦しむ日は来ない。いつまでも正しいままで居られる、彼が。だけど俺までそういうものを目指すなら、正しくいられなくなるのは彼の方なのかも知れない。


 「でも、俺なんか欠点だらけだと思うんですけど」

 「謙遜ではなく本気でそう思えるような貴方とでは、あれも貴方も苦労するでしょうな。アルドール様、貴方はもう少しセレス君辺りの不貞不貞しさを見習うべきだ。あれはあれで可愛いものだろう?うちの馬鹿息子とも打ち解けやすくなりますぞ?」

 「あれはユーカーだからですよ、俺が真似てもそれは別の話です」


 否定する俺の姿に、中年騎士は小さく笑う。その目は一瞬ユーカーの部屋の方を見て、もう一度笑った。


 「あの……何か?」

 「いや、何。それでどうするおつもりですかアルドール様?」

 「俺は……俺も北の城へ向かいます。ランスとイグニスを放って置けない」


 俺の言葉に、ユーカーの部屋と俺を交互に見てパルシヴァルが口を開いた。


 「王様、僕も行きます」

 「ユーカーの傍にいなくていいの?」


 この子ならセレスさんの傍に残りますとか言いそうなのに。ちょっと驚いた。


 「君も行きなさい。引き籠もりの怠け姫様は、働き者の男が好みのようだから」

 「そ、そうですか?でも……」


 ヴァンウィックにけしかけられるトリシュ。彼はユーカーとそれからこの領地が心配のようで踏ん切りが付かない。そんな様子の彼に、中年騎士は小さく溜息。


 「パルシヴァル君とやら、言ってあげなさい」

 「良いんですか?」

 「何かあったんですか?」


 突然通じ合ったようなことを言う中年少年コンビに、俺とトリシュは首を傾げる。


 「セレスさん、もうあの部屋にいませんよ」


 平然と、それでも確かな確信をもった、パルシヴァルの言葉が響く。


 *


 北の湖城。その湖の中に……母さんの死体が眠っている。

 トリシュから北の動きを聞いた後、俺は気がつけば馬を走らせていた。

 ランスが我に返ったのはその城が視覚出来るほど近くに来てからだ。湖から少し離れた森の中、月下に佇むその城は……冷たい夜の空気を纏うように、物静か。寂れ捨てられた城は、物悲しい雰囲気を漂わせる。その空気が記憶の中の母に重なるようで、ふらふらと……歩き出しそうになった背中に落とされる声がある。


 「こんな夜更けにどちらまでお出かけですか?ランス様」

 「……っ!?イグニス様!?」


 誰にも言わずに出てきたというのに、振り返った先には息一つ乱れのない涼しげな神子の姿がある。木々の影から僅かに覗く、月明かりに照らされる彼の琥珀の瞳は……、普段とは違った印象を此方に与える。神子は穏やかに笑んでいるのに、何処か突き放すような冷たい光をそこに宿している……そんな風に感じるからか。


 「まさかお一人であの城を攻略できるとでも?」

 「……ええ」


 自惚れではない。冷静に考えて、それが一番効率的だと思った。そう言い返そうとする俺を、神子様は冷たく見つめる。それは俺を哀れむようにさえ見えた。その哀れみの理由がわからない俺をも彼は哀れむようで、無礼だからそんなことをは口には出せないが……俺は今彼に馬鹿にされている気もしていた。


 「そうですね。この神の審判が始まる前ならそれも叶ったかも知れません。ですが今はこれまで貴方が暮らしてきた世界ではない。確立や勝率、そんな数字が弄られた今は、貴方の強さも歪みます」


 いや、責められているようですらあった。何故“彼”を頼らないのかと。


 「認めたくない気持ちは解りますよ。僕だって彼を認めたいわけじゃない」


 それでもユーカーはコートカードだ。神子様はそれを言う。


 「僕のように残り少ないカードと違う。彼はまだ、生命力に溢れています」


 まだ。その言い方が気に入らなかった。この人はあいつの死を計算の内に入れている。もう決められたことだと言うような、その予言めいた響きが嫌だった。

 俺があいつを頼れない理由は二つ。一つは単純に俺の心が。二つめは神子様の言うそれだ。


 「俺は極力あいつに頼りたくないんです。あいつの命を磨り減らす、食い潰すような真似は……なるべくならしたくない」

 「それで大人しくしていてくれるなら良いんですけどね。彼は彼の馬と同じですよ。誰にも飼い慣らせません」


 だから上手く使ってやらなければならないのだと、彼は言うけれど……俺はそんな風に、あいつを道具には思えない。矛盾しているのは解る。誰よりあいつをある意味で道具扱いしているのは俺なのに。


 「僕としては放し飼いの方が、彼への負担が増すと思います。そして彼は貴方の思惑から外れて動いてしまうでしょう」


 躾が出来ないならしっかり縛り付けてでも言うことを聞かせろ。その言葉にはそんな暴力的な響きがあった。


 「でないとこんなことになります」

 「……はい?」


 神子様が示した方向から、近づいてくる蹄の音。暴れ馬の跳躍、それが俺達の頭上を越えて立ち塞がるよう向き直る。


 「ゆ、……」


 振り落とされないよう馬を操るのに苦心したのだろう。心底疲れたように苛ついているユーカーというかセレスがそこにいた。


 「……ったく、面倒かけやがって」

 「来て、くれたのか……?」


 お前を危険に晒したくない。そんな聞こえの良い建前。内心は半分以上はお前への対抗心からお前を頼れない。そんな俺のところまで、どうしてお前は駆けつける?


 「数術も使えない癖に、ぴたりと此方の居場所を割り出す辺り、気持ちが悪いですよねセレスタイン卿は」

 「ちょ、おま……人の勘の良さをそういう風に言うな!お前の発想の方が気持ち悪いわクソ神子っ!」


 もはや息をするようにユーカーをからかう神子様。仲が良いのやら悪いのやら。本人達は悪いと思っているようだけど、端から見れば逆に息が合っているように見える辺りどうなのだろう?それは俺も本人達も望むところではないだろうが。


 「しかし何故またそんな格好をしているんだ?癖になったのか?」

 「断じて違うっ!!変装しないと俺が抜け出して来たのバレんだろうが!」


 暴れ馬に乗って道を急ぐ婦人なんかが居たら余計目立つと思う。幸い今が夜だからそんなこともなかっただろうが。


 「……ったく、スカートで馬に乗るの結構大変なんだからな。おまけに飛ばしたせいですげぇ気持ち悪いし身体痛ぇ」


 馬鹿だこの子。馬鹿可愛い。努力と頑張りの方向性がよくわからない辺りが俺のツボだ。思わず吹き出す俺を、真正面から睨み付けてくる従弟。それでもすぐに目を逸らす。その意味が分からない俺に、ユーカーが小さく呟いた。


 「……怒らないのか?余計なことって」

 「どういう意味だ?」

 「お前の領地離れて……」

 「ああ……」


 カードのことを考えれば、国のことを考えれば確かにそうだ。けれど今神子様に言われたことと俺自身の引け目があった。だから責められない。むしろ、責められた時の俺の方が俺は俺が異常だったように思う。

 言うことを聞かせる。俺が本当にそれを願えば多分こいつは聞いてくれるんだろう。それでもそうすることを俺が嫌がるから、だからこいつは勝手にここまで来てしまった。結局は全て俺の所為なんだと結論づけられる。それでこいつを俺が責めて詰るというのなら、俺は何処まで最低なのだろう?


 「俺が怒るとすれば、お前にそんな風に思われている俺自身だな」

 「……そっか」


 少しほっとしたように笑うユーカー。俺は確かにこいつを追い詰めていたのかもしれない。


 「俺とイグニス様の幸福値を心配して来てくれたんだろう?なら俺にお前を責める理由はないよ、ありがとう」

 「別に神子のためではないからな」

 「ええ。でしょうから僕は感謝はしませんよ」

 「なるほど、俺のためか。ありがとう」

 「それはそうなんだけどな、わざわざ取り出して言われるとなんか腹立つ」

 「お前は時々理不尽だな」

 「お前ほどでもねぇよ」

 「それもそうだな」

 「自覚あったのかよ」

 「いや、言ってみただけだ」

 「質悪過ぎる」

 「じゃれてらっしゃる所失礼ですが、そろそろ頃合いです。行きましょう」

 「失礼しました、つい癖で」

 「っていうか別にじゃれてねぇっ!…………って、え?おい?神子、そっちじゃねぇだろ?」


 歩き出した神子様に、疑問符を投げかけるユーカー。確かに彼が向かおうとしているのは湖城のそれとは違っている。


 「城の攻略はアルドール達に任せます。僕らには他の仕事があるんですよ」


 そのためにも行かなければならない場所があると彼は言う。


 「ですがイグニス様、それではあの城は放置……そういうことですか?」

 「いいえ、あの城は落とします。そのためにアルドールには囮になって貰います」

 「はぁ!?」

 「コートカード二枚の守護が外れた彼は良い餌です。必ず食い付いてくる奴が居る。ペイジとはいえコートカードのパルシヴァル君もいます。まぁ最悪の事態は避けられるでしょう」

 「お前……それでもあいつの親友か?」


 あっさり友人を囮に使うような神子様に、憤る風なユーカー。お前には関係のないことだろうに、結局この男は何も見捨てられないのだ。本当は俺などより余程騎士らしいのはこの男だ。


 「違いますよ」


 それに答える神子様の冷たい声。それが何処か自分に似ているトーン。ある種の薄情さを感じる。


 「確かに僕はアルドールの友人ではありますが、それ以前に彼はこのカーネフェルの王であり僕はシャトランジアの神子です。僕は彼に仕え彼を支え助言し彼の力になる代わりに、彼にこの地と平和を守る義務を植え付けました。僕らの関係はそういう協力者であり、そこに私情を挟む余地はありません」


 年下に言い負かされる。もっともらしい言葉に服従を強いられる。それでも負かされても、心まで納得は出来ない。神子様を睨み付けるユーカーの目は怒りに燃えている。


 「あの馬鹿は、いなくなったお前のことを本当に心配してたんだぜ?」

 「僕がそれを強いたわけではありませんし、そんなことで僕が責められるいわれはありません」


 人間らしいユーカーの言葉に返るは、機械的な神子様の返答。先程まで仲がよいのではと疑わせた雰囲気も一変、今の二人はまるで噛み合わない。本当に、錯覚だったのだ、あれは。

 ユーカーが無意識的にアルドール様を庇うのは、多分本質的なところで気が合うからだ。神子様はどちらかというと……俺側の人間なのだろう。俺がユーカーと親しくするように、神子様とアルドール様は親しくいらっしゃる。それでも俺とアルドール様が、こいつと神子様がうち解けられるかはまた別問題。なぜなら全く考え方が違うから。


 「セレスタイン卿、感情で国を治めることは出来ません。その結果がこの国だと貴方が誰より知っているはずですが?」

 「っ……」


 先代……アルト王はその感情のために亡くなった。ユーカーを庇って、死んでしまわれた。俺の主は……。

 その結果国はこれまで以上に荒れ、侵略もここまで進んでしまった。もうこれ以上は負けられない、そこまで俺達は追い詰められている。

 そう思った途端に俺は、俺を心配してきてくれたこの友人を殴り飛ばしたくなる。国のことを考えるなら、お前はここへ来るべきではない。何故ここへ来たなんて。先程あんな言葉を口にしたのも忘れそうになるくらい。そんな俺の身勝手さが嫌になる。


(すまない、ユーカー……)


 俺はお前をまだ心の何処かで憎んでいる。あの方を失ってしまった、その一因がお前にあると、あの方の心を知った今でもそう思ってしまっているのだ。

 お前が死なせたんじゃない。あの人が自らそれを選んだ。選ばれなかった俺はそれを羨み憎んでいる。遺された言葉は身に余る光栄。それでも俺は言葉より、あの方の行為という好意を求めていたのだ。だから俺はお前が羨ましい。

 あの人はそれが俺でも同じことをしてくれたのだろうか?そうなったんだとは思う。思う……それでもわからない。だから俺はお前が羨ましくて堪らない。憎らしくて堪らない。


 「それでイグニス様、どちらに向かうおつもりですか?」


 お前を庇うことなく、本題に戻そうとする俺の言葉。俺の表情が、俺の目の色が冷たくなったのに気付いたのだろう。それにお前が傷つくのが解るのに、どうして俺はちゃんと笑ってあげられないのだろう。俺が兄代わりだったのに……こんな大人げない俺は兄貴分失格だ。


 「ちょっと海まで。沿岸の方にそろそろ援軍が着く頃なんです。それと合流し、あの城を叩きます。アルドール達にはそれまで敵の目を惹き付けていて貰います」


 中と外から。確かにそれはあの湖城を攻め落とすには理想的な配置かもしれない。でもその中に入った者達が、人質にでもなったなら、この話は成立しないのだ。いや、それ以前に……俺はトリシュの話を思い出す。


 「……ちょっと待ってください。まさか、城から出て行った一派というのは……!?」

 「ええ、その援軍を叩きに行った。そう考えるのが妥当です。ですから僕らはその一派を背後から叩く」

 「叩く……っつってもよ。んなこと出来るのか?」


 神子様の話に、冷静な口調で切り込むユーカー。俺の大人げない対応により、沈んだ所為で頭が冷えたのか。


 「そりゃあお前とランスは数術使いかもしれねぇ。だけどそんな一軍相手に現実的に人間三人で何処まで出来る?数術だってただじゃないんだ。そう無理は出来ないはずだ。援軍と合流するまでどう動く?」

 「問題ありません。僕の部下は優秀ですから」


 ユーカーの問いかけに、神子様が意味深にそう笑った。


 詳しくは黙して語らず。秘密主義の節がある神子様に続き、俺も馬を進ませる。湖城が、母さんが遠くなる。それでもこれが策なのだと言われれば、俺は神子様には逆らえない。幼いアルドール様を支える参謀がこの神子様なのだ。誰よりも先を読むことが出来る彼が言う言葉は真実だろう。その目を信じる他にない。彼が敵ではなく味方であることを俺は喜ぶべきなのだ。その立場から多くを語れないのだとしても、感謝だけは忘れてはならない。そうあるべきだ。

 しかし、そんな神子様をやはりユーカーは快くは思っていないようで、また少し不機嫌になる。俺の後ろを走るユーカーからは強い殺気を感じる。

 だけどそれは神子様に向かうものではない。そこまでユーカーは悪になれない奴で、結局のところお人好しなのだ。

 まだ病み上がりだろうに、気を張り巡らせて殿を務めている。そんな彼は夕暮れに手を合わせた時のような妙な雰囲気。馬を走らせるのを止めさせて、あの勝負の続きを今すぐ挑みに行きたくなる。そんな思いが浮かぶようだ。


(いや、今は……)


 余計なことは考えるな。任務に集中しろ。剣になれ。忠実に命令をこなすだけの駒になれ。そう自分に言い聞かせるため目を閉じる。俺も騎士だ。馬は手足の一部で自分の分身だ。目を瞑ってでも操れる。この子は何時でも俺の意思を思いを汲み、地を駆けてくれる。だから危ないことは何もない。

 目を閉じて、感じるのはこれまで気付かなかった風の音。心地良い風が吹く。香る海風。久々の北の大地、これが故郷の風の匂い。その懐かしさに帰って来たと思うのに、歓迎されている気がしない。吹き付けるは向かい風。

 俺が何をしたわけでもないけれど、その風は全てを知っているようだ。俺の生まれ持つ罪を糾弾するよう夏だというのに夜風は冷たく俺の頬を撫でる。

 何故裏切った?何故裏切った?あんなに良くしてくれた人を。あんなに崇めた人を。答えは俺の中にない。俺はあの人を裏切っては居ない。裏切ったのはあの男だ。俺はあの男じゃない。だからその気持ちが解らない。


 「止まってください!」


 神子様の言葉にはっと目を開ける。俺の愛馬はその合図に足を止めていた。

 見渡せば周りの景色が変わっている。西へと進み、森の出口まで来た。海岸が遠くに見える。そこには数隻の船がある。

 海岸の傍にはその船を迎えるような一団。おそらくあれがタロック軍の連中だ。


 「……あの様子じゃ上陸出来てねぇってことか?」

 「いや、それなら場所を移せば良いだけだろう。何も海岸はここだけではない」

 「何かあったという……ことでしょうね」


 神子様が神妙な顔つきになる。


 「湖城からあの者達が出て行った以上、此方からは何らかのアクションがあったはずです。その伝達を受け彼らが駆けつけた。つまり、もう既に何かはあったということです」

 「……つぅと、例えば何だよ?」

 「そうですね……あくまでこれは例えばですが、あの城への支援物資を運ぶ船を、僕の部下がうっかり撃ち落としてしまったとか、です」

 「うっかり?随分と具体的な例えだな。大体聖十字は武力行使が出来ないはずじゃなかったのか?」

 「世の中何があるか解りませんからねぇ。それに聖十字もまったく無力というわけではありませんよ。武力行使の条件が厳しいと言うだけで」


 「あなた方もご存知でしょうが、聖十字は正義のための軍隊ですが、それ以前に基本シャトランジアの守護のためにあります。ですからシャトランジアの領海領土を守るため、他国がその禁を侵せばそれなりの措置はとります」


 それでもここはカーネフェル。今回はそれには該当しない。


 「そして聖教会の掲げる十字法は、殺さないことを前提にした法です。それは兵士もその範疇であり、敵から彼らを殺させないこと。死なせないこと。これも踏まえた上で自衛の権利を認めています」

 「それって矛盾してねぇか?」

 「明らかな悪を前に無抵抗で死ぬのは正義でしょうか?そうすることでその悪がより多くの人を傷付け殺すのならば、命懸けでその悪を討て。罪を犯しても正義と貫け。それが真の十字法です。元々十字法に死刑がないのは、そう言った正義の罪人を目には目をと殺してしまうのは酷い話だというのがそもそもの原点だったと記憶してします。現代では随分と解釈がねじ曲げられてしまいましたが」


 当然神子様が生まれても居ないような時代のことを、さらさらと彼は語り出す。齢14の少年とは思えない、不思議な重みを持った言葉だ。


 「ですから土壇場ではですが、僕の解釈では十字法は殺人を認めているんですよ。正当防衛と言いますし」

 「おい、聖職者が何を言って」

 「矛盾した法であるのは確かです。ですが兵士を数ではなく、物でもなく、人としてカウントするのが十字法。故に仕方のない矛盾です。最も重きが“人を殺すな”ではなく、“正義を守れ”にある。そこを誤認している者が最近では多くて困りものですよ」


 ユーカーの言葉に神子様は肩をすくめて息を吐く。貴方もその一人ですかと言うように。


 「失礼ですがイグニス様、十字法には教会の定義が記されてはいませんでしたか?」

 「ええ、そうですよランス様。今回の件はそれに触れたものだと思います」


 十字法は正義のための法律だ。それが行使出来るのは限られた場所。まずはシャトランジア国内。教会の敷地、所有地内。そしてこの教会というのに聖十字兵が含まれる。彼らが居る場所……この場合教会のある国限定。つまり今日ではタロック以外の三国、シャトランジア、カーネフェル、セネトレア……この三国で、この法は発動する。大体は国法と拮抗してしまうため効果が弱まるが、聖十字兵本人が教会と同じということは……現行犯逮捕では十字法が優先されると言うことになる。

 中立国という立場のため戦争には荷担できないシャトランジアが、正義の番人という観点から介入することが許されるのは悪をその目で捉えた時だ。


 「ここしばらく僕も国境警備とカーネフェルの領海警備は目を光らせました。そろそろ僕も理由が必要ですので」

 「理由?」

 「腑抜けの国王派共を黙らせて、シャトランジアが全面的にカーネフェルの支援をするための理由ですよ」


 そのために特に正義感の強い兵士、それからカーネフェルに縁のある兵士をそこに配置した。そこで接触があれば、一戦やらかさずにはいられないとそれを見越して。


 「もう言い逃れが出来ない位、シャトランジアがカーネフェルを庇っていることが知られれば、保守派の爺共も重たい腰を上げるしか無くなります。平和呆けで他人事と傍観しているわけにも行きません。今は事が事です」


(この方は……)


 本当に俺の年下なのだろうか?頭が切れる。そう言えば聞こえは良いが、少し不気味だ。年令的にはまだまだ子供のはずなのに、常に正しい先を読む。冷静すぎるその思考はどこか冷酷ですらある。俺はそんな神子様に、尊敬と共に畏怖の念を覚える。

 国を守るために、人を平気で駒にする。法は兵士を人とカウントすると言ったその口で、人を守るためだから?人を物のように扱うような事を言う。そしてそのことに対する迷いなど微塵も表に出さないなんて。……そんな子供が何処にいる?


(…………)


 ありがたいのは確かだ。そうなればこの戦争も、負け戦から勝率が変わってくる。教会兵器が味方に付くのなら、セネトレアともタロックとも互角以上に渡り合えるようになる。そんな策を練る、この方は本当に頼りになる。だからこそ、少し怖い。俺が俺達が、カーネフェルが。この方に本当に利用されていないかなんて否定できない。無論、そんなことはないとは思う。それでも可能性としては胸の隅に留めておくべき。現にアルドール様は彼の言いなりだ。それは一抹の不安に違いない。

 そもそも神子様は一体何が望みなのだろう。世界平和?それはどういう風にして作られる物なのか。


 「さて、話を元に戻しましょうか」


 そう言って笑う表情は年相応、幼く可憐なものだというのに。


 「まずは、彼らがあそこで立ち往生している理由でも探りに来ましょう」


 くるりと首を回し、ユーカーへと視線を向ける神子様は、今度は可憐……ではなく、悪巧みをするような、それでいて爽やかな笑みを湛える。ユーカーはその視線に青ざめて、自身の姿を省みていた。


 「おい、ランス……」


 助けてくれ。そんな縋るような視線に、俺は今日一日のことを振り返る。そう言えば俺、久々に此奴に負けたりしたんだったな。


(…………)


 逡巡、答えは決まった。


 「頑張ろうな」


 俺も神子様のように笑みかけてみれば、くそぉと悔しそうにユーカーが顔をしかめた。


 *


(くそっ!)


 ユーカーは思う。あの神子と出会ってから、ほぼ毎日は舌打ちをさせられているような気がすると。


(何が大丈夫です問題ありませんだってんだ。問題しかねぇだろうが!)


 ランスのため。ランスのため。ランスのためだっ!呪文のようにその言葉を繰り返し、何とか浮かんだ涙を乾かせる。

 敗因は変装のためとはいえ女装して来た自分に日がある。そう言われてしまえばそれまでだが……「そういえばここ最近おまえはずっと女装してたけど今日はまだ有効活用していないだろ?」とか相方に言われた日にはどうすればいい?むしろそのつもりでこのためにそうして来たんだろみたいな顔されても俺は困る。

 普通に神子が女なんだからお前がやれよとか言えない自分が嫌になる。なんで俺、あいつの秘密守ってやってんだろ。いっそのことランスにバラしてやろうとか思うのに。確かに女のあいつにこんな真似させるのはちょっと気が引ける。悲しいことだが俺の心の一部は完全に騎士なのだ。気に入らない奴とはいえ、女に囮なんかさせられない。……しかし、だ。あの適当すぎる嫌がらせのような計画には溜息しか出て来ない。思い出してもそれは同じだ。


 「タロック人は基本カーネフェリー女は尻軽ビッチの軽薄女とでも思っている節があります。おまけに相手はここしばらく戦続きで鬱憤堪っているでしょうし、元々タロックでは女が少ないですし物陰でもつれ込んだら間違いなくゲロりますね」

 「俺カーネフェリーだけど女じゃねぇし」

 「ええ。ですから何かあっても問題ありませんね良かったですね」

 「問題だらけだっ!」

 「頑張れよセレス、俺は向こうで応援している」

 「いっそお前が女装しろっ!お前は無駄美形なんだから絶対似合うだろっ!!」

 「流石にそろそろ俺の身長じゃ怪しまれるよ」

 「俺をチビみたいな扱い止めろっ!俺だって神子やアルドールよりはあるんだからな!これからまだ俺は伸びる!」

 「しかしお前は魚を嫌うからカルシウムが不足して……正直それは怪しいな」

 「半分以上お前の所為だっ!」


 なんか泣けてきた。思い出しても泣けてきた。俺なんであいつの後なんか追いかけちゃったんだろう。あいつのためとか心配してとか、そんな思いだったのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。


(俺は貴族だぞ?それがなんであんな神子に顎で使われねぇといけねぇんだ)


 立場は一国の主に等しい神子とは言えど、生まれは卑しい下賤の民が。ランスからも頼まれたとはいえ、そこにイグニスの思惑が絡んでいるかと思うとやるせない。

 神子が俺の武器を奪って代わりに渡してきたのは、タオルに洗髪料に風呂桶に石けんにという謎の銭湯行き一式セットだった。

 「なんだこれは」と聞いた俺に、あの女はにこりと微笑み……「もし相手方に見つかったら水を浴びに来たみたいな顔をして下さい」とか含み笑った。なんだその無謀な策は。精々正体ばれない程度に着エロ色仕掛けでもなさってくださいじゃねぇよ。俺は騎士だってのに何でそんなことしねぇといけねぇんだよ。ていうかなんでそんな物を用意している。ここまで読んでいたのか数術で取り出したのかは解らない。


(っていうかそんな馬鹿な言い訳通るのか?)


 あの神子はそれが本当に策なのか、俺への嫌がらせなのかよくわからないことをする。


(でも、……まぁ)


 一番夜目に慣れているのは俺だ。多少の無茶は利く。上位カードのランスに無茶させるよりは余程良い。俺は高幸福値のコートカード様なんだから、そうそう酷い目にも遭わないだろう……と思いたい。

 そろそろと息を潜ませ

 ていうか視覚数術くらいかけてくれれば良いものを、神子はいい笑顔で「すみません省エネ中です」とか言い放った。やっぱこれ嫌がらせだ。それでもそんな嫌がらせにも負けず、敵陣との距離を目と鼻の先まで詰めた俺は凄いと思う。森より間隔の薄い海沿いの木々。その陰を縫ってここまで俺は近づいた。その距離、僅か10メートル。僅かもう相手方のひそひそ話まで俺の耳に届いてくる。


 「第一師団長は……どちらに」


 戦場でやり合うにも相手の言葉を知らなければ降伏の意思も引き出せないし伝わらない。方言や訛りまではわからないが、標準的なタロック語なら俺もとりあえずはマスターしている。だから大体の意味なら解る。


(第一師団だと?)


 聞こえた言葉に俺は飛び上がらん程驚いた。

 んな馬鹿な話があるか。基本天九騎士団は、一から九までの騎士と師団があり、数値が上がれば上がるほど狂王の側近だ。その側近中の側近が、どうしてこんなところに居る?

 それはつまり……そう思うとぞくと肌が鳥毛立つ。


(狂王が……タロック王が、この傍にっ……あの城にいるってことか!?)


 深すぎる赤。睨まれた、あのどす黒い血色の目。身体が震えて動けない。あの人がいなかったら、あそこで死んでいたのは俺の方。


(くそっ……)


 取り乱すなと自分に言い聞かせ、俺は目を閉じ息を吸う。思い出す。あの人の青。最期まで優しかったその色を。その青色が、あの馬鹿王のそれに似ていて少し苛ついた。それでもその苛立ちが、俺に俺を取り戻させる。


 「レクス様はまだお戻りではないのか?」


 俺の耳に届いた言葉。その言葉に目を開く。俺は底に妙な引っかかりを感じた。


(レクス?聞いたことねぇ名だな)


 第一タロック人らしくない名だ。平民ならそんな名の者も居るだろうが、師団長ともなる騎士は元々貴族出身、大抵漢字の名を持つ。エルス=ザインは元が平民だから仕方がないのだろうが、それでも当て字の漢字名は持っている。だから妙だ。

 そんな者が様付けで呼ばれている。こいつらが第一師団の中の一派なら、様付けで呼ばれるのはそれを従える者だろう。だが、タロック人は何だかんだで血に五月蠅い。あのガキと同じよう身分が低い騎士が居たとしても……それが第一位の騎士になれるはずがない。


(部下には真名を教えてねぇ……通り名ってことなのか?)


 そうだ。俺は天九騎士の全てを知っているわけじゃない。実際俺や同僚がやり合ったという者の名を知る程度。これまでやり合った個人的な感想だと、上位騎士程実力も上がる気がする。そして上位騎士がカーネフェルまで赴くことは殆ど無い。


(本腰入れて侵略に、カーネフェルを落としに来やがった……そういうことか)


 エルスが第六位、双陸が第四位。四位の騎士が数術全開殺す気本気のランスと同等レベルってことは、俺じゃ勝てるか正直怪しい。

 通常の俺はエルスとやり合うのですらギリギリライン。不意打ち奇襲で夜に仕掛けるなら殺せはするだろうってところだ。

 今日俺がランスに勝てたのは、ランスが俺を殺す気がないからだ。殺すつもりでやり合ったなら、負けるのは俺だと解る。俺は唯の人間で、あいつはそうじゃない。才能に恵まれた騎士で剣士で数術使い。俺の本気なんて、たかが知れている。

 だからここに第一位のタロックの騎士がいるならば、俺の勝算はほぼゼロだ。今すぐ引き返し、この情報をランスと神子に伝えるべきだとそう思う。それなのに……何故か片手が熱い。俺のカードが燃えているみたい。そこに心臓があるんじゃないかって誤認するようにドクドクと血が巡る。カードは戦いを求めるように、置いてきた剣を欲している。


(タロックの、最高の騎士……それがこの近くにいる)


 俺の勝算は、この手のカード。その幸運だけ。何故だろう。以前の俺は命の危険を感じたならばすぐに逃げ出していたのに、どうしてこんなに心が胸が躍るんだ?死ぬかも知れないのに。あの日のように死ぬのが怖くない。あの赤い色が傍にあるかも知れないのに。肌が震えるのは、あの日と違う感覚だ。背筋がぞくぞくするのは恐怖ではなく、期待だ。

 今日ランスとやりあって、あんな中途半端な結果に終わった。まだ戦い足りない。飢えている。もっとこれでもかてくらい、徹底的にやり合いたい。

 そうだ。本当の本気を出せないのは俺も同じだ。味方相手に本気は出せない。殺すわけにはいかない。それでもそいつは敵だろう?殺してもいい。むしろ殺すことが仕事だろう俺の。本気でやっても俺は何も悪くない。咎められることはない。あいつ相手の本気の試合で、北部で暴れ回っていた頃の戦闘欲が目を覚ましたのか。そりゃあ弱い奴斬り殺すよりは、強い奴と剣ぶつけ合った方が楽しいよな。楽しい。楽しい。愉しみたい。

 そんな思いに支配され、その場から撤退が出来なくなる。もう少し情報が欲しい。そいつを知りたい。守る者が傍にいないだけで、ここまで気持ちが楽になるのか。パルシヴァルには見せられない。こんな戦いだけを求める俺なんか。


 「誰だっ!」

 「なるほど……聖十字の少女とはお前のことか」


 不意に我に返った。それは何者かの気配をすぐ傍に感じて。

 見上げた先には一人の騎士。馬に跨るその男は、黒い瞳に長い黒髪……夜に溶け込むようなその一色の闇に俺は目を見開いた。

 その目のなんと無感動なことか。先程までの俺の期待を裏切るような面白味のない目をした男。それでもその男にはまるで隙がない。強者だというのは一目瞭然。


 「…………と思ったが、少々妙だな」

 「それはどうも」


 俺の気配からこの男は何かを感じ取ったらしいが、俺が手にした風呂道具セットを見て呆気にとられているようだ。それを感じて俺は声のトーンに気をつける。先程の第一声は、緊急事態だから仕方ない。そう言うときは普段と違う声が出るものだ、と向こうには思っていて貰おう。

 馬から飛び下り近づく男は、俺より大分背が高い。ぱっと見俺より年上だ。この男はタロックで成人するかしないかその辺りの年だろう。俺が丸腰なのを悟り、腑に落ちないといった表情。


 「失礼。別人か」


 その言い方が引っかかる。つまりこの男は誰かを捜していたのか?


(聖十字の少女とか言ってたな……)


 それはあの神子の部下のことだろうか?俺達はそいつらと合流しなければならないんだから、ここで情報を引き出すのは悪い手ではない。俺は素知らぬ顔で男を睨む。


 「しかし先程のあれは水浴びに来た少女が纏うような殺気にも思えん」

 「誰だって自分が使ってる風呂場にあんなに屯されちゃ堪らない」

 「それなら使ってくれても構わんが」

 「あのな常識的に考えて、人目のあるところで脱げるか?ったく……この暑さだ、ひとっ風呂浴びようって来たのにあれでは誰だって怒る。普通の女なら誰だってあの位殺気纏う。これだから女慣れしてない黒髪族は困るぜ」

 「女慣れしていない……か」


 その言葉に俺は一瞬寒気を感じた。言葉の違和感。これまでタロック語を話していた男が突然カーネフェル語に切り換えたのだ。


 「しかしお前は唯の村娘というわけでもなさそうだ。唯の村娘がタロック語を話せるはずがない」

 「っ!」


 しまった!それもそうだ!!俺はあそこで言葉が通じない振りをするべきだった。俺の受け答えはカーネフェル語ではあったが、その意味は相手の言葉を、タロック語を理解してでの言葉。この男がカーネフェル語で返して来たのは、冷静に俺の過ちを指摘していた。


 「それに見れば衣服の質も良い。眼差しは気高く、その言葉の響きにも高貴さがある。どこぞの有力者の娘と言ったところか」


 捕らえておいて損はない。その言葉からは物騒な響きがした。


(何をとち狂ったことを)


 この俺を人質にするだって?んな馬鹿な話があるか。近寄る男に俺は蹴りを撃ち出した。しかしそれは容易く掴まれる。


 「凶暴でも育ちが良いらしいな、青目の娘」

 「っ……」


 そりゃあ恥ずかしい。今の格好では本気で蹴りは入れられない。蹴りを入れるにはスカートが広がる。中身見られては困る。下着見られるのも嫌だ。ていうか万が一正体バレたらもっと嫌だ。何されるか解ったもんじゃない。

 不意にあのメイド女のルクリースが当てつけで言いふらしていた、タロック人の嘘だか本当だかわからない噂が脳裏を過ぎる。むしろこいつら女が殆ど生まれない男社会で暮らして来た奴らだし、普通に女より男とかの方好きだったりしないよな。俺が女装だとかバレたらむしろ嬉しいとかむしろご褒美とか、あの人数で宴会でも開かれて全員の相手させられたりしないよな。そんなの嫌だ!嫌すぎるっ!誰かっ、この際トリシュでも良いから俺を助けろ!助けてくれっ!ていうか働けコートカードっ!俺には幸運があるんじゃねぇのかよ!?


 「そう言えば先程、俺が女慣れしていないとか何やら口にしてはいなかったか?」

 「いいいいいいいいい言ってないっ!」

 「とのことだが、お前達はどう思う?」

 「っ!?」


 お前達?それはなんのこと?恐る恐る男が向いた方向に視線をやれば……海岸に屯していた兵士達が此方の方を向いていた。


(しまった……)


 俺の「誰だっ!」というあの声。あれは少し大きすぎた。俺とこの黒髪騎士の茶番は一部始終こいつらにも見られていたのだ。


 「師団長!よくぞお戻りに」

 「レクス様!それが噂の女ですか!?」


 師団長?こいつが、この男が第一師団を治める騎士なのか?こんな生気の感じられない目をしたつまらない男が?

 いや、違う。生気が感じられないんじゃない。こいつは表面に何も出さないだけ。その奥底では何かが渦巻いている。その得体の知れなさがこいつを不気味に見せている。何を考えているのか解らない。とても冷たい目をしている。俺を突き放す時の、俺の嫌いなランスに似ている。


 「ああ、隣町まで探したが聖十字の少女は見つからない。彼女を見た者はいないか?これは彼女とは違うのか?」

 「いえ……我々も金髪青目の女と聞いただけで、あと髪は長かったとか」

 「……髪は短いな。しかし切りそろえられているわけではない。これなら適当に切ったようにも見える」


 俺が面倒臭がって、剣で髪切ってた所為だがそんなところで他人に勘違いされるとかねぇよ。何このデジャヴ。アルドールに会う前も俺、あいつに間違えられて酷い目に遭ったってのに。

 周りには大勢の兵士。そしてタロック最高の騎士。丸腰の俺がどこまで戦えるのか。この騎士自体に興味は失せたが、この状況には少しだけ胸が躍る。そんな俺の様子を悟り、騎士の目に少し変化が変化が現れた。


 「得物が欲しいか?青目の少女」

 「突然なんだよ」

 「質問に答えたならば貸してやろう。このままならお前はどうせろくな事にはならないそれは解るだろう?」

 「……何が聞きたいってんだよ。俺はお前の探してる奴のことは全然知らないぜ」

 「ああ、そうだろうな。お前は何も信じない目をしている。神になど仕えていないだろう」


 お前は俺の何を知ってるっていうんだ。怪訝そうな目でそいつを見ると、俺の変わる表情をそいつは懐かしそうに見つめるのだ。


 「だがお前が彼女ではないという保証にもならん。お前の青には強い意志がある。それがこの国に向いていないとも言い切れん」


 知らないものをどう吐けとういうのか。呆れる俺の顔すら演技だと思っているのだろうか、男はじっと俺を見つめる。


 「そうだな。それでは……俺が聞きたいのはお前の名だ」

 「名前?」


 それは何か俺から情報を引き出そうと言うこと?俺の正体を怪しんでいる?ここで本名は名乗れねぇ。……となると。


 「俺はセレス。苗字は自分で考えろ」


 どこぞの有力者の娘だと思うなら自分で調べろ。そう逃げた。しかし男が食い付いてきたのはそこではなかった。


 「一人称まで同じか。……なるほどな」


 男は薄く笑って自分の剣を一振り俺へと投げてきた。


 「セレス!俺はお前が気に入った。この俺レクスに勝ったならこの場を見逃してやろう!」

 「随分と気前がいいじゃねぇか」


 タロック人の癖にと少し褒めて笑ってやると、男は一瞬嫌らしい笑みを浮かべる。第一印象からはかけ離れた、へらへらした兄ちゃんって感じの笑みだ。

 先程まで無感動だった騎士の瞳に表れた感情は、更に得体の知れないものだ。まるで道化。どこまで本気なのかまったく解らない、底知れなさがある。


 それは部下達にとっても新鮮なものだったようで、そこらの連中みんな呆気にとられている。そんな笑みで……奴は言う。


 「可憐な外見に似合わぬその男勝りな所がツボに来た!負けたら俺の嫁に来い!」


 まさかの予想だにしない敵将の言葉に思わず吹いた。なんでこんなんばっかなんだ最近。コートカードになってからこんなことばっかだぞ俺。


 「正気ですか師団長!?」

 「相手は金髪族の女ですよ!?」


 女じゃねぇよ。そう突っ込みたくなったが、言えるはずもない。いろんな意味で。


 「……解った、やってやる。勝負方法は?」


 よっぽどのことがあったら神子は兎も角ランスは助太刀に来てくれるだろう。もうこの際自棄だ。それに……雰囲気が変わったこの騎士は、なかなか骨がありそうだ。戦う気は俺も出てきた。


 「相手が降参するまで」

 「……うっかり手が滑って殺してしまった場合はどうなるんだ?」

 「その場合はまぁ、それも仕方ない。残った者が勝者で良いだろう」

 「そっか。それなら仕方ねぇな」


 渡された剣を拾う。タロックの剣は変わっている。これは刀と言うんだったか。片刃しか付いていないため、諸刃に慣れている俺にはちょっと扱いづらいが仕方ない。


 「それなら本気で行かせて貰うぜ!」


 得物を抜き払う。隻眼では俺の正体がバレる。そう思って両目で屋敷を飛び出して来た。だからすぐに本気でやれるっ!

 片刃剣は俺のセレスタイトよりもかなり軽い。俺の一撃のスピードに、黒髪の騎士も驚いている風だ。

 ルールを聞いて迷わずその首を狙った俺の判断に、男は唇を釣り上げる。いきなりあんな事を言われても、普通の娘ならそんな決断瞬時に下せない。だが生憎俺は普通でも娘でもない。


 「……ますますただ者ではないな」


 男は笑う。俺の迷いのなさにこいつにも火が付いたようだった。


 「くそっ」


 得物の形状は同じようなものなのに、男の攻撃は一撃一撃が重い。俺だってそれなりにはやれるはず……そう思うがこの剣は軽すぎる。長さも重さも足りない。いつもなら届く攻撃、やれる技が上手く出せない。


(こいつ……)


 両目の俺に負けてない所か俺が負けている。こいつの夜目が特別優れているわけでもないだろうに。俺は俺よりこの闇を見えていない奴に押されているのだ。

 完全に遊ばれている。俺は一撃一撃をこいつを殺すつもりで放つのに、この男は子供をあやすように、遊んでいるのだ。だってこいつは俺の急所を一度も狙わない。狙っているのは……


(待てよ……?)

 何度か刀をぶつける内に、俺はそれに気がついた。男は俺の手を狙っている。それは得物を叩き落とし、降伏を迫るという意味か。


(いや、……それだけじゃねぇ)


 俺もこいつも感じてる。無意識に、互いがカードだと。

 俺が押し負けているのが単に騎士としての力量、体格の差なのか。それともカードとしてのそれなのか。それを見抜く上でも俺は、……その情報を知らなければならない。

 そしてこの騎士もそれを知りたがっている。俺のナンバーを確認したいのだこの男は。それを俺に気取らせないため、あんな妙なことを言って気を動転させたに違いねぇ。


(もしこいつが俺より強いカードなら……あいつらを逃がさねぇと駄目だ)


 神子は弱っている。ランスはカードとしてはかなり弱い。だから俺がやるしかない。


(俺は神なんか信じねぇ!崇めねぇっ……認めるもんか!)


 そんなものがいたのなら、どうしてあの人を救ってくれなかった。どうして彼女をあんな目に。それを運命なんて言葉で片付けさせない。神なんていない、あれは全部人の悪意が生み出した。

 あの人が死んだのはタロックの所為、そして俺の弱さの所為。彼女が死んだのは、親父とそして俺の所為。ほら見ろ。神なんかが介入する隙間はねぇ。だから神はいない。いるはずがない。


(それでも……)


 手が熱い。焼き焦げるみたいに。俺を使えとカードが俺を呼んでいる。願いを求めるのなら、祈れと俺を責め立てる。


(それがあいつを守る力になるなら)


 この一時だけは信じてやる。否定し続けた神って奴を信じてやる。だから俺に力を貸せ!

 俺の祈りに吹いた海風。砂を含んだ風に、騎士は一瞬目を瞑る。しかし生憎俺は見えない方が得意分野だ。思い切り突き刺す一撃。手応えはあった。

 それを褒めるよう、俺の肩に触れる手がある。


 「レクス様っ!」

 「良い、気にするな」

 「しかし……」

 「見事だ。この俺に一撃加えるとは」


 駆け寄る兵士を片手で止めて、男は小さく笑う。脇腹を突いただけだが血は流させた。急所は外したが無傷というわけでもない。だって腹に穴空いてるんだぜ?

 ……だと言うのに俺の肩を掴む手は、微塵に揺るがない。弱々しさなど感じさせない。今のでどれだけダメージを与えられたかまるで読めない。


(硬ぇっ!幸福値を使って、これかよ)


 刀を抜くために両手に力を入れるがピクリとも動かない。筋力で押し留めているのか。痛いだろうに全くそんな素振りを見せないから傷のない俺の方が痛くなってきた。

 得物はもうどうにもならない。それを悟ってそこから俺が手を放そうとする寸前。奴が俺の両手を掴んだ。


 「だが敵に不用意に近づくのはあまり褒められたことではない」

 「う………っ!放せっ!」

 「降参するなら考えてやる」

 「…………」

 「降参する気は無いようだな」

 「おうよ、腕封じたくらいで調子に乗るなよ騎士の兄さん。俺の両足は常に金的狙っているものだと思え」

 「なるほど、それは怖い」


 そう言いながら愉快そうに笑う男の意図が分からない。

 俺は拳を握りしめる。その手を放せばすぐに殴ってやるとういう意思表示。それから意味はもう一つ。だからこいつは手袋を脱がせられない。それを切り裂いたって、読めるのは模様だけ。数値までは解らない。


 「そう言えば……先程俺が女に慣れていないとか言っていたな」

 「根に持ちすぎだっ!俺はそういう執念深い奴は嫌いだっ!」

 「我が国には据え膳という言葉があってだな、お前が降参しないというのならそれはそれで美味しい話だ」

 「や、止めろっ!」


 服に手を掛けられたくなかったら、手袋の下を見せろとその目は語る。その数字によってここで殺すべきか生かすべきかを考えている。

 思い切り蹴りを繰り出すが、駄目だ。女の服だとうまく戦えない。それも相手に見抜かれていて、俺は簡単に投げられる。そこを押さえつけられれば、為す術もない。いっそ降参するか正体バラしたくなる。


 「そこまでです!」


 俺を助けるように、凛と響いたその声に、俺はその人の姿を思い描いた。


  「……ラっ、……………」


 咄嗟に奴の名前を呼びそうになって、それはいけないと踏みとどまった。敵に与える情報は少ないに限る。


(え?)


 しかし、何かがおかしい。現れた人影はあいつではなかった。それは金髪の、見覚えのない少年の姿。


 「情報通りだな、些細な悪も見過ごせないか」

 「民間人に手を出すとは、軍人失格です!恥を知りなさい!」


 此方に突きつけらたのは、まっすぐに伸びた綺麗な長剣。それは十字架を模っているようで。月明かりに照らされ鈍く輝く刀身は、聖十字を名乗るに相応しい輝きだ。


 「なるほど、これは見つからないはずだ。少女というのは誤りだったか聖十字」


 船の者達は女の群れに男が混ざっているとも知らず油断したかと忍び笑う黒の騎士。


 「いますぐその子から手を放せ!用があるのは私にでしょう!?」


 力強いその言葉。そいつの目は静かに澄んで、だけど熱く燃えている。青い炎を宿しているような、不思議な輝きを放っていた。

 触れれば焼き焦げるだろう。それでも温かいのか冷たいのか、触れてしまいたくなるような、そんな不思議と何かを人を惹き付ける。現れた救いの主を、俺は惚けたように見上げていた。

ようやく6章ヒロイン登場。長かった……

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