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11:Ubi maior, minor cessat.

 「お茶は如何ですか神子様」

 「ああ、ありがとうエレインさん」


 ノック後に、イグニスが鍵を開ければぺこと一礼、部屋に入ってくる金髪の少女。相変わらず見事な役者っぷりだ。その顔にはにこにこと愛想の良い笑み。だけどそれは「ここで点数稼いでおけば巡り巡って外堀埋まって私とランス様の後押ししてくれますよね」的思惑が滲み出ている。彼女の何が凄いって、本人は別に彼のことが好きでも何ともないのにこんな顔を、こんな雰囲気を表せるところにあるだろう。


 「しかしパルシヴァル君とアルドールの試合か。なかなか面白いことになって来たね」


 確かに戦力強化は有り難い。弱さをカードの幸運でカバーするなんてことになったらせっかくのコートカードの高幸福値が無駄になる。幸福値を温存して戦って貰うためには本人自身が強くなってもらわないと。

 北の湖城との一戦のためにも。というかその一戦で終わりじゃない。それこそが、はじまりの戦だ。


 「ランス様のご指導ですもの、もう勝ちは決まったようなものですけどね」


 うきうきと冷えた茶をカップに注ぐ少女。あくまで僕が数術で盗聴防止諸々の結界を張るまで演じる気でいるようだ。僕は完璧すぎる部下に感嘆の溜息。その後にさっと結界を張ってやる。


 「それでアロンダイト卿、いや……あのお父上、ランス様じゃなくてヴァンウィック様の方だからね。彼に君の話は付けておいたよ。彼は彼女のことを知っているしね」

 「あら、そうでしたの。それではさぞかし驚かれたことでしょうね」

 「驚いたって言うより何だろうね。少しは罪を感じてくれたんじゃないかい?」

 「それで神子様はあの親子に決定的なまでの仲違いを起こさせたいんですか?」

 「別にそういうわけじゃないんだけどね」


 茶を口に運びながら、僕は目を伏せた。


 「唯、後悔は限りなく大きく味わって欲しいだけだよ。じゃないと人は何度でも同じ過ちを繰り返す」

 「それはどちらのアロンダイト卿へのお言葉のおつもりで?」

 「え?両方」


 僕の言葉にエレインが苦笑すべきか吹き出すべきか固まっていた。


 「まぁ、その件はまだ当面先延ばしになるだろうけど、他の問題ならセレスタイン卿の機転で少しは前進するんじゃないかな」


 これで少しはランス様とパルシヴァル君の関係が改善すればいいんだけど。やっぱり根本的な解決策としてはランス様が他の誰かを好きにならなければ駄目だと思う。騎士としてはアルドールという王がいないと生きていけないし、ランスという人間としてはセレスタイン卿にもたれ掛かっている。このバランスと比率が結構難しい。


 「好かれ過ぎても嫌われ過ぎても彼はアルドールを憎み、恨むようになるだろう。何事も程々にとは言うけど難しいよね」

 「かといってどうでも良ければそれはそれで困るんですよね?」

 「そういうこと。せめてアルドールが彼より年上だったらなぁ。あんなことにはならないんだろうけど……年下を父親代わりに慕うっていうのはちょっと難しいか。彼にもプライドとか見栄って物があるだろうから」


 あの問題を本当に難しくしているのはそのプライドと見栄というものだ。アルドールがランス様に敵う物なんて何一つ無いのに、それでも手にしてしまうアルドールに彼は釈然としない物を感じてしまう。いつもそうだ。それで彼は欲しがるだろう。手に入らない物ほど魅力的に見えてしまう。その前にこの際誰相手でも良い。彼にはきちんと自分の正しい好意という物を見つけておいて貰わなければ。

 でもルクリースさんもフローリプさんもいないっていうのは本当痛い。セレスタイン卿が女とフラグを立てると同時にランス様も他の女とフラグを立てれば、どっちも上手く行く可能性が強い。だけどその肝心のフラグ立てる相手が皆無。だからこんな手まで使って彼女にエレインを演じて貰っているのだ。

 最悪この際僕が彼とフラグ立てても良いんだけどっていうか一回そういう風に試した世界もあったんだけど、それだとアルドールの方から険悪化するからなぁランス様と。


 「でもそれならイグニス様。アルドール様の伴侶はランス様の趣味とは真逆の方を添えればよろしいのでは?」

 「あんまりにも心身共に最低人間だとアルドール自身が病むよ。あくまで王妃はアルドールにとってプラスになる人間、味方であって欲しいんだ」


 王妃にはアルドールを支えて貰わないと困る。


 「それにランス様はその生い立ちから王妃っていう立場になった女性には興味を持ってしまうんだ、必然的に。これはどこの世界でもそうなってしまう。これまで気にしていなかった相手でも王妃っていう属性を手に入れた途端、気になってしまうものなんだよ」


 これは確か王妃がアージンさんでも、ルクリースさんでもそうなった気がする。ギメルが王妃になった世界もあったけどあの時もそうだった。他人の手にした女ほど、魅力的に見えるものなんだろうなぁ。それも仕方のないこととは言えなんとも業深い。


 「だからその前に本当の恋って物でも知ってもらうか、失う痛みを覚えて貰えばそういう危険を冒すこともなくなるんじゃないかっていうのが僕の考えだ。ぶっちゃけた話、これを今の内に何とかしておかないと後々本当に厄介なことを引き起こす。もう一つ策を敷いたとはいえ、あっちもどうなるかはわからない」

 「ユリスディカのことですか?」

 「ああ。彼女はおそらく誰ともそういう風にはならない。正義の化身だからね」


 彼女が恋をする日が来るとしたら、それは本当に世界平和が成った日だろう。そしてそんな日は……来ない。だからそんな事はあり得ない。


「彼女はアルドールにもランス様にもそういう気持ちを抱くことはないだろう。ルクリースさんやアージンさんみたいにブラコンだったりアルドールアルドールしてない分まだ彼に恨み妬みっていうのは発生しないんじゃないかと思う」

 「……なるほど、そうかもしれませんね」

 「ここだけの話、最悪彼女がランス様に振り向いてくれても別に良いんだよ。今のアルドールは女の人に興味を持つような精神的余裕がないからね」


 あんな顔してるけどまだまだフローリプさんやルクリースさん、アージンさんのことは尾を引いている。今のアルドールはそれを裏切りだと思うだろう。今回ばかりはセレスタイン卿と気が合うわけだ。一回自分に好意を寄せてくれた相手を亡くした人間同士なんだから。次の恋に脅える、それを裏切りだと思う。一途って言えば聞こえは良いけど、馬鹿って言えばそれまでだ。世の中には多種多様の馬鹿がいる。もっとも……そういう馬鹿に限っては、僕も嫌いじゃないけどね。

 まぁ、ついでに言うならば、道化師に負わせられた心の傷も深い。道化師の策で生じたギメルへの不信から恋愛感情って物が行方不明になっている所為もある。


(全く余計なことをしてくれたものだよ)


 ギメルは本当に何も悪くないんだ。ギメルは本当に君のことが大好きだったんだ。僕はそれをよく知っている。痛いほどよく知っている。だからその弁解出来ない制約が恨めしく、呪わしい。

 僕の知る情報開示はゲームの公平性を保つため、ゲーム進行を見る二神の許可がなければ降りない。ゲーム盤が複雑化した今回から新たに作られたルールだ。それはそうだ。だってこれまでこんなことはあり得なかったんだ。前回の僕っていうかこの僕は実にナイスな提案をし過ぎた。だからこそこんな制約背負わされた。神様ってんだから唯願いだけ叶えてくれればいいのにさ、同時に呪いまで掛けてくるとは話が違うんじゃないの?全く詐欺みたいなものだよあいつらは。

 そんなわけで大体はその情報が道化師の口から表に出た後からしか僕には言えないことになっている。口にしようとしても言葉として発せられない。喉を思い切り絞められるような痛みが襲ってくるだけだ。文字にして伝えようとしても同じだ。肝心なことを書こうとすると指がしびれるわ、紙が燃えるわ。あんな神様さっさと廃れればいいのに。ていうか滅べ。


 「でもイグニス様。私が迫れば迫るほど、ランス様はお兄様とフラグが立ってしまっていませんか?」

 「ぶっちゃけた話、それで後の問題が発生しなくなるなら一回そうさせてみるのもありなんじゃないかとさえ思うよ。でもなんだかんだであの二人は頭が固いし常識人だから難しいだろうけどね」


 じゃれつく要領で周りがドン引きするような仲の良さを発揮するが、あくまであれは遊びの域だ。それに比べてセネトレアで部下に見張らせている某王子主従周辺なんか酷いものだ。定期的に入る連絡の度に部下が戸惑っているのがよくわかる。那由多王子はもう人としていろんな意味で壊れてるし、期を見て始末することになるんだろうな今回も。今回はどうなるんだろうなあの周辺は。今回は駒の配置に気を使ったし上手く機能してくれないと困る。そのために僕はもう、部下を何人失ったことか。

 ラハイア……あの子の事は残念だけど、彼の犠牲があったからこそ……僕は二枚の切り札を得た。あの日、彼と出会ったのはこういうつもりじゃなかったんだけどね。そういうこともあるかなって……嫌な性分だ。粗方の先の展開、分岐パターンの解るからこそ、僕はやりたくもない根回しをしなければならない。それがこうなる布石なんだと思うと何の因果かと思うよ。それとも僕はあの日の僕の抜かり無さを褒めてやるべきなんだろうか?


 「話が変わるようで変わった気がしないけど……マリアージュ、君も向こうで彼らは見たかい?」

 「ランス様程じゃありませんけどなかなかレベルが高かったんじゃないです?」

 「本音だと?」

 「リフル様は本当にお綺麗ですね、いっそ不気味なほど。思想こそご立派ですけど、正直あれは危ないと思います」

 「正論だね。僕も彼はタロック王の後釜にはなれないしさせるつもりもないよ。彼の力は国を守る物ではなく滅ぼすための力だ」

 「アスカ殿下は……国王派の奴らに見せてやりたいくらいいい男になられて。リフル様に現を抜かす彼の姿を見れば国王派の保守派爺共が首を吊る勢いですね」

 「彼ね……あの両親からなんであんなんになっちゃったんだか。いや那由多王子の魅了邪眼って怖いね」


 でも一番怖いのは彼の狂気の方向性こそ違えど彼は何処の世界でも大抵おかしな事になる。殿下はもう那由多王子に惚れた時点で人生詰んでるね。彼を人身御供にでも差し出さない限り、シャトランジア王になって僕の手駒にはなってくれないんだろう。今回の展開上それはちょっと無理。となると僕があの国王派共を説得、一掃しなきゃいけないわけで……現状で殿下の力は頼れない。やはり一度僕は何が何でもシャトランジアに帰らなければならないわけだ。それもなるべく早い時期に。ユリスディカと合流したら後はマリアージュと彼女に任せて僕は一度退くべきなのだろう。

 だけど窺うからに、アスカニオス殿下の病みっぷりに対してのへたれっぷりから一線越えることは今回の世界は無さそうだなぁ。よ、魔法使い。とまでは行かなくても魔法使いの弟子くらいは名乗って良いんじゃないかな彼、来年辺りから。残念なことは彼に来年って言う概念がないから僕は殿下を言葉攻めで陥落、手駒化することが出来ないって事だ。

 でも、ああいうタイプは反動が怖いんだよね。僕はその反動をより強めて、彼が道化師に一矢報いる矢にでもなってくれればいいなぁとは思うけど。そのためにも僕は何としても那由多王子がより最悪で見るも悲惨な死に方をするように祈らないといけないな。殿下は那由多様が死んでから本領発揮するようなもんだし。あれで数兵っていうんだから詐欺だよ全く。いや、数兵だって捨て身になればあれだけやれるって証明ではあるんだろうな。


 「でもまぁ……君は魅了されなかったみたいで安心したよ」

 「あら?だってそんなこと台本には書いてありませんでしたもの。それに神子様、世の中には混ざるより見ているだけの方が面白い物もありましてよ?」

 「はぁ、あの国はどれだけ僕の忠実な部下を腐られば気が済むのかな」

 「それでは神子様、私のハートは文字通り神子様に魅了されておりますので。そういうことで如何?」


 ひらひらと手の平、手の甲を惜しげもなく晒す彼女。そこに先程までは何もなかった。本当に彼女は演じるのが上手い。嘘と本当の使い分けが見事で、僕でさえ時々どっちだったっけと思うくらいだ。だけどそこに刻まれた数に、僕はそれが嘘であることを知る。模様は同じでも、カードのナンバーが彼女のそれとは異なった。本当に見事だよ。それは視覚数術ですらない。僕でさえ使えない数術の一つだ。そんなことが出来るなら、僕の身体もこんな厄介なことにはなってはいないし、彼女の力が他人に及ぶなら僕はさっさと男に戻ることが出来たんだけど世の中そう思い通りにいかないわけだ。敵に神様がいる以上、凄いと言っても僕も人間だし反抗できる範囲っていうものがある。だから、それも悔しいがそういうことなのだ。


 「ライルとラディウスの事は……残念でした。私も」

 「そうだね。それは僕も同じ気持ちだ」


 僕は両手を握りしめる。その手の甲がヒリヒリと痛むような気がするのは、そのカードを一時彼に貸し与えていたからだろうか?

 足掻きという名の策をもってしてもあそこで二人とも生かすのは無理だったか。キングの力が二枚合わされば或いは……そう思ったんだけど、儚い夢だった。あの二人は息ぴったりだけど、向いている方向も同じなのに歩く場所がまるで異なる。そりゃあ簡単にその思想は交わらないか。

 運命の輪№12が吊された以上、セネトレアとタロック、それから道化師攻略には那由多王子とアスカニオス殿下の力が必要だ。アルドールとやり合えるくらいまで、あいつの幸福値を削って貰わないと困るんだよね僕としても。

 いっそソフィアの代わりにユリスディカでも那由多王子の所に送り込んだらそれはそれで面白いことになったんだろうけど、彼女はラハイアとにているけれどカーネフェルが大好き分が強すぎて、那由多王子とは気が合わないかもしれない。彼女は凛々しくもまだ幼い。無意味に人生経験の厚いあの王子と比べては酷だ。今の彼女では混血や他の国を救うことまではまだ考える余裕が無さそうだから、アルドールと引き合わせるのが一番だろう。


 「マリアージュ……いいやエレイン、彼らのことを哀れむのも悲しむのもそれは今じゃない。彼らの無念を晴らすためにも僕らにはやるべきことがある。違うかな?」

 「……そ、そんなことイグニス様に言われなくても解っていますわ!」


 僕の合図にさっと配役に戻る彼女。でもまぁ、これで少しは彼女の胸のつかえも取れただろう。同僚達の死を語らう暇もないのでは、彼女の仕事にも支障が出るだろうから。部下の心のケアっていうのも大事なことだ。人を動かすのって本当に大変だ。些細なことで大きな失敗が生まれることもある。僕はどうでもいいような選択肢も間違えてはならない。それで何度も痛い目見て来たからそう思う。僕は立派な神子を演じる。少なくともそれは僕の心とは違うけど、僕が世界平和のために動いていることは限りなく真実だ。これは間違いない。それがヒントだ。言えないからこそ、大きなヒントだ。僕はばらまく。運命の輪が、そしてアルドールがいつか僕の本当に手が届くように。死人に口なしって言うから、今の内にやれるだけのことはやるしかないんだ。

 予言として未来の可能性を示唆することは出来るけど、それだって道化師が今知っていることまでしか僕は言えない。じゃないと矛盾するからね。僕に忠実でいてくれる可愛い部下達にだって僕が話せる情報は限られて来る。もっともアルドール達相手よりは情報、秘密の共有が進むのは確か。あの頃彼や彼女が知っていたこと。それを語り教えることは矛盾に当たらないってルールだから。言葉遊びって言うのが好きなんだね神様って奴は。ああ面倒臭い。さっさと廃れろ、そして消えてしまえ。


 「そうですわ、ふと思ったのですけど。殿下達のようにお兄様達がとぉっても仲良しになって下されば、この件は丸く収まるのではありませんでして?」


 僕はソフィアの心底嫌そうな声での報告と、数多のゲーム盤での殿下達のぶっ飛んだ仲良しっぷりを思い出していた。あれは那由多様だから絵になるってだけで、セレスタイン卿じゃギャグだよね。幾らランス様が相手でもカバーしきれないよ絶対。セレスタイン卿は中盤までは僕にとってはいてもいなくても良いしどうでもいいし存在自体ギャグみたいな物だから仕方ないね。


 「まぁ、見るに堪えないしあそこまでとは言わないけれど……。そうだな、ランス様じゃなくていっそのことセレスタイン卿がブランシュ卿辺りと本当にこれでもかってくらい良い感じになってでもくれれば或いは」

 「むしろアルドール様がお兄様とあれやこれやとあんな感じになってしまえばよろしいのでは?もうこの際お兄様を女装させて王妃ってことにして」

 「なんか更にカオスな状況になるような気しかしないよ。それでランス様の王妃萌え属性が加わったらどんな泥沼になることか……」

 「…………王宮がそんなカオスな空間ではちょっと、士気に関わりますね」


 想像して泣きそうになった。うん……僕はもうあの世界の記憶だけは見たくないよ。流石の僕もあの時ばかりはセレスタイン卿を哀れんだくらいだ。そんな僕の反応を見て、エレインが微妙な顔で苦笑した。


 「やったことあったんですねもう既に」


 冗談で言ったつもりだったのにと、僕の言葉に冷や汗を浮かべるエレイン。でもちょっとそわそわわくわくちょっと詳しく話を聞かせろ状態のように見えるのは、この間までセネトレアに送り込んでいたために生じた弊害だろう。おのれセネトレア。僕の部下を何人腐らせれば気が済むんだ。


 「世紀末ってこういうことを言うんだなーってちょっと意識が遠くなったよあの時は。滅びの前夜祭っていうか何というか。もうこの世界滅ぶのも仕方ないなーってなるような狂いっぷりだった。あの時ばかりは道化師もドン引きして、しばらく出没しなくなった程だよ」

 「そ、そうですか。それはさぞかし壱の神様も零の神様も驚かれたことでしょう」

 「これだから人間は面白いって壱の神は爆笑。零の神はやっぱ滅ぼすべきだって言ってた」

 「……零の神様って意外と常識人なんですね」

 「壱の神が良くも悪くも悪くも悪くもおおらかなんだよ」


 こういう神の愚痴はアルドール達の前では出来ないから困る。下手に神の存在を植え付けるわけにも行かない。いることはいるんだけど、あくまで彼らには神なんか信じて貰っちゃ困るんだ。神に対する最大の攻撃は無関心。過度の恐れも怒りも信仰になり得る。そういった意味では僕程神を信じている人間も他にはいない。そりゃあ僕が神子になるわけだ。


 「それにしてもコートカードってものは男運も女運も……っていうか対人運がとりわけ悪いって特徴でもあるのかな」

 「総合的にリアルラックが低いのがコートカードに選出される条件かつ特徴のようなものですから、必然的にそうなってしまうんじゃないですか?」

 「なるほど、返す言葉がないよ」


 *


 「逃げ出さずにやって来たことだけは褒めてやるぜ」


 約束の時間、約束の場所。裏庭まで出向いた俺達を迎えるのは不敵な笑みを湛えたユーカーと無邪気な笑みを浮かべたパルシヴァル。本当対照的な笑みだ。

 アルドールはそんな二人が不思議に思う。どうしてこの二人が仲が良いのかわからない。そのうちパルシヴァルがユーカーみたいな笑い方をするようになったら嫌だな。別にユーカーが嫌いとかそういうのとは違うけど。

 俺がそんなことを思っていた最中、悪役っぽい台詞を口にした従弟に対しランスは少し目を見開いて……


 「ユーカー、それは俗に言うフラグというものでは?」


 言われてみれば某タロックの決闘物の話でも、わざと時間に遅れて苛立たせるって話があった。


 「馬鹿野郎が。自ら死亡フラグを立て、それをへし折るのが最高に格好いいんじゃねぇか?なぁパー坊?」

 「セレスさん格好いいです!」


 パルシヴァルは本当にユーカーが好きなんだなー。でもああいうところまで真似するようにならないで欲しいな切実に。

 でも死亡フラグか。死亡フラグってでもあんな台詞だったか?あれは敗北フラグだよなどっちかって言うと。弱い犬ほど良く吠えるっていうあれだよな。それじゃあ、死亡フラグっていうと……俺は書物で目にした言葉を思い出す。


 「ええと、有名どころだと“俺、この戦いが終わったら結婚するんだ”とか?」

 「くくくっ!かかったなアルドールっ!お前は本の虫という話だった!こう言えば必ずお前が死亡フラグと立てるのは目に見えていたぜ!お前みてーな知識野郎は自分の知識をひけらかしたくてたまんねぇんだからな!」

 「くっ……惑わされてはいけませんアルドール様!しっかりと気を強くお持ちください!!」

 「え?どうしたんだよ二人して。そんな現実問題そんな言葉一つで勝敗が左右されるなんてことないだろ?負けたんなら俺の力不足だったってだけだろ?」


 有名すぎる死亡フラグを口にした俺に、もう勝利は決まったと言わんばかりのユーカーと、真顔で俺を励ますランス。意味がわからない。言霊っていうのはギメルやイグニスみたいな数術使いならある程度操れるっていうのは知っているけど、あの言葉だけではプラスともマイナスとも知れない言葉だ。故に言霊としての性能は未知数。そして俺は言霊数術を使える数術使いでもない。だからこれにあんまり意味はない。

 それでも数々の死線を越えて来た二人の騎士には違うらしい。


 「甘ちゃんが」

 「アルドール様は実戦経験がまだ少ないだけだ。そうやってあまりこの方を愚弄するのは止せ」

 「ふん、その言葉を口にして死んだ奴を何人見てきた?俺は両手の指でも足りないほどだ」

 「その程度か。俺は両目の睫毛の数はくだらない」

 「ああ、悪い。俺は左右の眉毛の数並だったかな」

 「あの……二人とも、それって多いの少ないの?」


 数が微妙すぎる。髪の毛よりは遙かに少ないと解るけど、具体的な数はよくわからない。実際抜いて確かめて数えてみたいと思うけど、痛そう。あとそんなわけのわからないことで張り合わないで欲しい。この二人は変な会話が好き過ぎる。見てみなよ、ほらパルシヴァルだって話について行けずにうつむいて……いや違う。ランスの睫毛とユーカーの眉毛を凝視している。いや、純粋すぎるからっ!どうせ二人の見栄だから!!本気で数えなくていいんだよ!?だけどここで水を差すのはどうなのだろう。数えたことはないけれど俺も人体における睫毛と眉毛の平均本数とか瞬時に答えられるようなそのためのサンプルとしてその数を教えてもらえたら今後何かの役に立つわけ無いんだろうけど実生活で役に立たない無駄な知識ほど胸が焦がれるのは何故なんだ?


 「と、兎に角ですアルドール様っ!戦場では常に何が起こるか解りません。僅かでも自身に疑念を抱くような言葉をかけてはなりません。一時でもそこにない幸せを見るということはこの現実から目を背けるに等しいのです。その油断が大きな隙を生むことにもなり得ます」

 「死亡フラグを舐めんじゃねぇーぞ」


 なんか釈然としない物があるんだけど。この二人口裏合わせて俺をからかってたりしない?いやでもランスはそういう人の悪さはない。違う意味で人が悪いけど。そっち方面で悪いのは完全にユーカーだ。


 「っていうか普通に俺、結婚とか相手いないし……」


 これって死亡フラグとして機能するのか?


 「そうも言っていられませんよアルドール様。都を取り返しタロックを撃退すればすぐにそう言う話もやって来ます」

 「あはは、なんだか遠い話だなぁ」

 「お前がもっとしっかりしてりゃ近い話なんだけどな」

 「ご、ごめん……でもまぁ、そう言うのはあんまり気が進まないけど、頑張ろう。カーネフェルを取り戻さないといけないのは本当だし」


 女の子にモテたいから戦うわけじゃない。俺は王だから、この国を取り返さなきゃいけないんだ。俺を守ってくれたルクリースのためにも、……フローリプのためにも。俺はここから逃げちゃいけない。フローリプをちゃんと眠らせてやるためにも、北との戦いは絶対に勝たないと。これはもう、負けて良い、逃げて良い戦いじゃないんだ。ここからは……勝たなきゃいけない戦いになる。そのためにも……


 「相手、お願いするよパルシヴァル。本気で来てくれ。俺も……強くなりたいんだ」

 「はい、王様!セレスさんの言う礼節持って、全力でお相手させていただきます!」


 俺の視線を受けたパルシヴァルはにこと微笑み得物を手に取る。彼が手にしたのはちょっと変わった長剣だ。普通の長剣とは違う。あれって確かユーカーの混血剣、セレスタイトにちょっと似ている。……重くないのかな。いやよく見ればあれは片手半剣。ユーカーは片手持ちと両手持ちで技を切り替えたりしてるけど、パルシヴァルは両手で持っている。両手でやっと扱えるということなんだろう。でも……イグニスも気が利くんだな。パルシヴァルがユーカーに憧れているのを知ってて、ユーカーのに似た武器を彼に与えるなんて。

 まぁ、それはさておき。俺の扱うトリオンフィは、基本的に片手剣。おまけに元々装飾品としての剣だ。素材が良いから触媒としては優れているけど剣としてはお飾りも良いところ。全力でやり合ったら勝負的には際どいところだ。今回は剣の勝負だから数術は使ったら駄目だろうし。

 それを見かねてランスが俺に得物を貸してくれる。ランスの家に伝わるアロンダイトというその剣は装飾も見事な事ながら、かなりの強度を誇る。どのくらいの間受け継がれてきたかはわからないが、刃こぼれ一つ無い立派な剣だ。


 「でも、俺なんかが使っていいの?」


 それに今日一日俺が使ってきたのはトリオンフィだ。握りしめた感じの違和感、手に来る重みの違いに俺は戸惑う。今になって不安になってきた。俺は何時だってトリオンフィを手にしてきたんだ。


 「大丈夫ですよアルドール様。アルドール様はしっかり学習なさいました。それは得物が変わっても失われる物ではありません」


 戦場では得物を弾かれ、相手の得物を奪って斬る、拾って斬る。そんなのも日常茶飯事だという話もある。王には手にした剣を瞬時に自分の物として使いこなせるような力量が、必要なのだと言われた気がした。


 「……わかった。頑張ってみる」

 「その意気ですよアルドール様」


 顔を上げて頷く俺に、ランスが小さく微笑んだ。不意打ちで驚いた。彼はなんだかとても優しい顔をしていた。それがちょっと俺は嬉しかった。


 「……んで、どうすんだランス?一本?三本?それとも降参引き出した方が勝ちか?」

 「アルドール様、如何なさいますか?」

 「そうだな……より本番に近いのは?」

 「最後の、です」

 「それじゃあそれで行こう!いいね?パルシヴァル?」

 「はい!解りました!」

 「おい、馬鹿ランス、そいつはちょっと不味いんじゃ……」

 「アルドール様のご命令だ」

 「いや、そうじゃねぇだろ?あいつらまだガキだぜ?」

 「それではアルドール様、パルシヴァル、構えてください。それでは行きます、はいっ、始めっ!」

 「あ、こらっ!」


 ユーカーの制止を待たず、試合は始まった。俺はまず様子見ということで相手からの一撃を待つ。と思ったが彼は動かない。彼も俺の様子を観察している。

 これは不味い。この硬直状態が続けば、先に集中力が途切れた方が危なくなる。開始の合図と共に走り切り込む位の方が良かったのかも知れない。


 「…………」


 いや、彼は唯動かないのではない。距離こそ詰めては来ないが、円を描くよう俺の周りを回り出す。何時こっちに踏み込んでくるか。それを恐れてついつい視線が彼を追う。身体の向きが変わっていく。その瞬間、彼が反対側へと回り込む。俺の身体は今までの動作を続けようとこれまでの方向に回ろうとする。だけどそれじゃあ駄目だ。反対側を向かなければ!勢いよく身体を捻ろうとした所為で、首と背中に激痛が走る。何やってるんだ俺!

 そんなことをしている内にもパルシヴァルの一撃が迫ってきている。今からじゃ避けられない。ならっ、迎え撃つ!

 片手と両手の違いは……両手の方が力が入る。攻撃力が増す。振り下ろす動作ならば両手の方が重さで早い。しかし、振り幅は片手の方が範囲が広い。身体の捻りなどを上手く使えば両手でもそれなりには戦えるが、剣を囓って一日でそこまで出来るはずがない。

 そして今の攻撃は、突きでも振り下ろしでもない。これは薙ぎだ。横から胴体切りにかかってきている。


(薙ぎ払いなら、片手の俺の方が早く払える)


 多少手は痺れるかも知れない。それでも俺はこれを防げる。彼の攻撃を弾くため、俺は攻撃を迎え撃つ姿勢に入る。しかし、だ。パルシヴァルは攻撃のリーチ範囲に入るその寸前……片手を離したのだ。


 「……っ!?」


 途端に速度の上がる彼の剣。これまでの捻りの動作。それが生み出すスピードを持って剣の重さを軽減したのか。そしてそこに片手特有の振り幅を加える。唯待つだけの俺の剣では打ち負ける。咄嗟に俺も彼の剣を目指して一撃をぶつけに行く。

 キィインと耳に残る鈍い音。手の震え、痺れ。手が重い。だけど俺はしっかりその手に得物を握っていた。


 「え?パルシヴァル?」


 見ればパルシヴァルは剣を手放し、俺の足を押さえていた。


 「あー……危なかった」

 「あのなぁ……」


 ほっとしたよう息を吐くパルシヴァルが何をしたのか理解したらしいユーカーが呆れた顔で近寄ってくる。


 「馬鹿かお前は!だからてめーは騎士に向いてねぇって言ってんだろうが!」

 「でもセレスさん、セレスさんはそういう騎士様じゃないですか」


 軽くユーカーに頭を小突かれて、それでもそれに関しての文句は出ないパルシヴァル。


 「セレスさんは強い騎士様です!セレスさんなら熊くらい殺せたはずです。でもセレスさんは殺さなかったです!」


 見れば俺の足下には、小さな虫がいる。蟻の群れだ。

 この子、どんな動体視力を、視野の広さをしているんだ。俺はそこに驚いた。戦いの中で、他のことに気を取られるなんて、そんな危ないこと……実戦ならこの子死んでたかもしれないのに。


 「僕は殺すための騎士じゃなくて、あの日のセレスさんみたいな守る騎士になりたいんです!僕はセレスさんのそういう優しいところに憧れたんです!」

 「それはお前が俺を知らないだけだ。あの時はそうだったってだけで……お前の知らないところで俺がどんだけ人を殺したか、お前は知ってんのか!?」

 「それでも僕にとってはそれが本当です!それにセレスさんは何の理由もなくそんなことはしません!」

 「するかもしれねーだろうが!」

 「そんなことないです!理由もなく人を殺すような人は、理由もなく人を助けたりなんかしない!理由がなければ人を助けたり、守ったりしません!必ず損得利益を考えます!でもセレスさんは頭じゃない、身体で動く人です!貴方は反射的に、本能で人助けが出来る優しい人です!」

 「反射的に苛ついて殺したかもしれねーだろ」

 「セレスさんが本能的に苛つくような相手です!余程酷いことをしてきたんですねその人は!」

 「あ、あのなぁ……お前は俺を買い被りすぎで……」

 「そんなことありません!」


 ユーカーに食って掛かるパルシヴァル。彼が俺に背中を向けた隙に、俺は気がついた。無事じゃなかった。俺の靴の裏に張り付いたその死骸。俺は既に数匹、気付かずに殺してしまっていた。たかが虫だ。人じゃない。これは人殺しじゃない。それでも……確かに命だ。言い訳をしようとする自分自身に怖気立つ。俺はいつか、人をこの虫のように見て語る日が来るんじゃないのか?

 あの子は、こんなちっぽけな虫のことまで気に病むのに。俺は“こんなちっぽけな”なんて形容をしてしまうほどに最低だ。そう思う、感じること自体、俺の心が醜く歪み、汚れている証拠なのだと気付かされる。

 パルシヴァル。あの子は確かに騎士には向いていない。それでも……あの子は俺より王に向いているのではないのか?

 王の資格とは何だろう?イグニスは愛することだと言った。愛するって何を?人を?でも人って何?何処から何処までが人?

 人って、カーネフェル王にとっての人って……カーネフェル人だけ?それともカーネフェルの味方だけ?それじゃあ俺がこれから戦うタロック人は何?人じゃないの?虫?この蟻と同じ?踏みつぶして、殺しても……何とも思わなくなるのが正解?そういう物なの?

 そもそも虫と人の違いって何?姿形が違うこと?意思の疎通が図れないこと?隔たった環境で暮らすこと?

 実戦経験は俺の方がこの子より上。それなのに、どうして俺は今更こんな事に脅えているんだ?俺はエルス=ザインを斬った。あの子の腕を燃やして斬った。イグニスは当然のように次はあの子を殺すことを考えている。そして双陸。俺に親切にしてくれたタロック人。彼は敵の将だ。都ローザクアを占領した相手だ。倒すべき敵だ。俺が踏みつぶすべきはこの虫じゃなくて、彼らの方だ。

 彼らをまだ人と思えるこの躊躇いは、王に必要なのだろうか?それとも要らない物なのだろうか?だけど何とも思えなくなったらそれこそ俺は……狂王と同じじゃないか。

 タロック人を人と思えず殺せる奴が、どうしてカーネフェル人を人と思って殺さない?だって両者の違いはたかだか目の色髪の色だけなんだ。

 だって例えは赤い蚊と青い蚊がいたとして、どっちも血を吸うならどっちも殺すんじゃないのか?例えば黒いゴキブリと、虹色のゴキブリがいたとして……そのどっちもが家の中をガサガサと走り回り飛び回り増殖していたら、それは何色だって嫌な人は嫌だよね?人だって同じだ。どっちも勘に障れば……そういう風に見えてしまうものなんじゃないのか?


(俺は……)


 俺は人が人に見えていることを、喜ぶべき。喜ぶべきなのに、手が震えて仕方ない。これ以上、パルシヴァルと戦えそうにない。勝つためにという思いによって……一瞬でも彼の顔が人に見えなくなったらと思うと怖いんだ。でも彼が人に見えていたら、人だから彼の背景を考えてしまう。家族構成から彼の立ち位置、その目標。もし手が滑ってここで彼を殺してしまうなんて事があったらそれはどうなるんだ?

 真剣で戦うのがこんなに怖いことだったなんて、俺は……知らなかった。いつも数術に頼って来ていた。剣だけで戦うなんてこれが初めてだった。


 「アルドール様……?」


 俺の肩が震えているのに、いち早く気付いたランス。俺は彼を見上げて笑って見せた。そうしなければ俺は今にも泣き出してしまいそうな程に、心が追い詰められていた。


 「……ごめん、ランス。俺の負けだよパルシヴァル。君は立派な騎士だ。その優しい心をずっと忘れずに、これからも俺に仕え、支えて欲しい。そしてその優しさでこの国のいろんな人を助けてあげてくれ」

 「王様……?」


 背中を向けたままの俺に疑問を感じたらしいパルシヴァル。俺は一呼吸置いて、笑顔を作る。振り返る。


 「君を助けたユーカーみたいに、優しい騎士になってくれるね?」

 「は、はいっ!」


 そうだ。この子は俺に、必要だ。この子のような子が傍にいてくれないと、俺は……いつか見誤る時が来る。イグニスはそれを見越してこの子をスカウトしたんだろう。ギメルと出会った頃の、そうだ初心を忘れるなと……イグニスは俺に訴えたかったんだ。一体いつから俺はこんなに捻くれてしまったのだろう?


 「アルドール様……」

 「いや、ごめんランス。向こうで数術やってもらえる?ちょっと首ぐきっていっちゃってさ。パルシヴァルとユーカーは、俺達にさせたいことでも考えててくれよ」


 こう言えばランスも俺に逆らえない。俺はランスの腕を掴んでぐいと引っ張り歩き出す。空き部屋に入って治療をして貰いながら、……俺は無言に耐えかねもう一度ランスに謝罪をする。


 「ごめん……せっかく教えてくれたのに。剣まで貸してもらったのに」

 「アルドール様。悔しいと思うことは向上心の表れですよ?それは立派なことです」

 「そうじゃないんだ」


 静かに俺が首を振ると、ランスは青い瞳を瞬いた。


 「俺が殺した蟻にもさ、家族がいて兄弟がいて、友達がいて……もしかしたら好きな子とか恋人とかいて、死にたくないなとか思うとかそんなことがあったんじゃないかなって思うと馬鹿みたいに悲しくて。勿論蟻の習性とかから人と違う、あり得ないことってのもあるんだとは解ってる。あれは女王蟻じゃなくて働き蟻だから家族とか恋人とかって枠組みはないだろうし……」

 「アルドール様?お優しいのは結構ですが……」

 「そうだよな。目に見えてないだけでもっと俺は小さな虫とか微生物とか殺しまくってるんだろ?解ってる。解ってるんだ。これが本当に馬鹿げたことだって。くだらない事なんだ。馬鹿みたいな事なんだ……でも俺、あの子見てたら……虫と人の違いが解らなくなって来たんだ。あの子が本当に優しくて良い子なのはわかるんだよ。それなのにそれを見ていて俺はそんなことを考えてしまって……」

 「………………」

 「何も感じないか、可哀相のどっちか。両極端なんだ」

 「両極端……ですか?」

 「家族を殺されるのは、辛いし苦しい……悲しい。これから俺が戦うタロックの人たちも家族がいるんだよな。でもカーネフェル人を殺させたら、その人の家族が悲しむわけで……だから守らなきゃいけなくて、でもそのために殺すってことは俺はタロックの人から恨まれて憎まれるってことなんだよな」


 それが王としての役割。仕方のないことだ。憎まれることだ。味方を得るってことは多くの敵を得るってことなんだから。それは解っているつもりなのに、手の震えが収まらない。

 姉さんが死んだ。ルクリースが死んだ。フローリプが死んだ。それと同じ思いをする。俺が人を殺すのは、誰かに俺と同じ悲しみを押しつけるって事だったのか。そんなすぐに解りそうなこと、どうして俺は今まで気にも留めずにいたんだろう?


 「俺はカーネフェルの王なんだから、敵をあの蟻と同じみたいに思えるようにならなきゃいけないんじゃないかって……そう思うんだ。相手を人だと思ってて……そんな甘さでここから巻き返せるとは思えない」

 「アルドール様……」

 「でもそうなった時……俺はちゃんとカーネフェルの人達を人だって思えるのかな。見境無くみんな蟻に見えてくるんじゃないのか?」


 俺はどうして今、彼の前で泣いているんだろう。どうして彼に頼っているんだろう。寄りかかっているんだろう。違う。本当は俺が彼を支えたいと思ったのに。立派な王になりたいって……彼に信じて貰えるような、安心して心を打ち明けて貰えるような、預けて貰えるような人間になりあいって思ったんだ。思ったのに……どうして俺はこんなに情けなくて頼りないんだろう。


 「なぁ、ランス……。俺はどっちになるべきなんだろう?」


 先王をよく知る彼に、正解を欲しがっている。答えをくれとせがんでいる。本当は俺が自分で見つけてそれを彼に知らしめるべきなのに。俺はどうしてここで彼に頼ってしまったんだろう。

 それとも俺は聞きたかったのか?誰よりも優れた騎士と呼ばれるこの人に。人を斬ったことがあるこの人に。お前はどう思い人を殺すのか。殺した相手をなんだと思うのか。そんな本人が誰かに教えたくもないであることを、根掘り葉掘り穿り返すのか俺は。


 「大丈夫です、アルドール様。貴方は王であって貴方は騎士ではありません」


 幼い俺に剣、人殺しを教えること自体が間違っていた。ランスはそんな響きを持つ口調でそう言った。


 「人を斬るのも殺すのも、すべては騎士の役目です。貴方は唯……国の希望であってくれればそれでいいんです。……俺が軽率でした」


 俺の手からアロンダイトを引き取ったランスは、俺には二度と真剣を持たせない。静かにそう告げた。

 これにトリオンフィは含まれないのか。トリオンフィは剣っていうか装飾剣の触媒だから、魔法使いの杖のような物。数術を使うための道具だからそれを俺から奪ったりはしない。必要最低限の身の守りはそれで出来ると考えてのことだろう。


 「俺が貴方を傍で守ります。だから貴方が戦う必要はありません。誰が相手でも……貴方には傷一つ付けさせない。命に代えても守ります」

 「ランス……」

 「だからアルドール様は、アルドール様のお心のままに。人が人に見えるというのは才能であり美徳です。無理に人を虫にしようと思われる必要はありません。アルドール様は……道化師以外のカードを殺す必要もないんです。それ以外の人間だって同様です」

 「……ありがとう、ランス」


 なんとなく、解った。俺はやっぱりこの人の前で格好付けようとか立派な王になろうとかそういうところを見て貰おうと思うこと自体が烏滸がましかった。俺は自分がどんなに駄目な王で至らないか。それを自覚し彼に弱さを見せていく。それが俺とランスにとっての正解だったんだ。だってランスはいつもより自分の言葉で話してくれるし、優しい顔で俺を見る。俺が弱くて何も出来ないから、彼を頼る。頼られることで彼は、そこに何かを見い出す。そういうこと、なんだよな?

 こんな風にしか自分を認めてもらえないなんて本当に情けないけど、少し……ランスとの距離が縮まって行くのは嬉しい。俺が先王とは違う人間だと、理解してくれようとしているのだ、彼が。


(でも……)


 アルト王なら俺の質問になんて答えてくれたのだろう?人は何か?敵とは何か?……俺の答えは多分間違っている。人にランスに人殺しの役目を押しつけるなんて。俺は直接その罪から逃げているだけだ。王として彼らの罪を間接的に背負う立場にあるからって、彼らに人殺しを命じて自分は安全なところに守られているだけなんて。そんなの……多分正解じゃない。


(でもそれなら……)


 本当に正しい王の答えって、一体何なんだ?


 *


 「で、頼み事は決まったのか?」


 裏庭に戻った俺とランスに、待ちかねたぜと欠伸をするユーカー。そんな彼にランスが問いかける。


 「ああ。俺の分は後で言う。その前にパルシヴァルの奴を聞いてやれ」


 ユーカーが眠たそうに目を擦り、傍らの少年を手招き。俺の方へと歩かせる。彼は俺の傍までやって来ると、じっと綺麗な青で俺を見上げた。


 「……王様、アルドール……様。僕ともう一回戦ってくれませんか?」

 「……え?」

 「考えてみたらおかしいです。僕はまだ何もしていない。技も出していません。アルドール様だって、あの隙に僕に剣を向ければ降参してたのは僕の方です」


 決着はまだ付いていない。今日一日お互い頑張ったのに、あんな幕切れはないだろう。確かに誰もがそう思う。俺の手の震えを知らない二人は尚のこと。

 出来ることならその勝負を受けたい。望むところだと言ってやりたい。それでも……まだ駄目だ。手が震える。もし万が一でも。このトリオンフィでも……うっかり数術が暴走したら?相手はペイジのコートカードなんだから俺が怪我をさせるとか殺してしまうなんて事はあり得ないんだ。わかってる。何度やったって勝のは多分パルシヴァルだ。ランスだってトリシュとの二度目の決闘に負けてしまったらしいじゃないか。基本的に上位カードは下位カードと真正面からやり合って勝てる幸運がない。さっきのだって彼の幸福値が生み出した、俺の心の隙を突いた勝利なのかも知れない。無理したところで俺の幸福値がすり減るだけ。そしてここで挑めば、また俺はくだらないような悩みに囚われて、精神に異常を来しかねない。これはパルシヴァルが悪いわけではないけれど。


 「アルドール様はお疲れだ」


 返答に困った俺に代わって、冷たくそう答えたのはランス。得物のアロンダイトを片手に、鞘から抜き払って……パルシヴァルに目を向ける。


 「もう一戦というのなら、私がアルドール様に代わってお相手しよう」

 「え!?ランスさんですか!?」

 「大人げねーぞランス。鬼!悪魔!」


 驚きを顕わにするパルシヴァルと、ソロでブーイングのユーカー。


 「……もっとも虫に気を取られて勝負を投げ出すような君が、俺に勝てると本気で思うのなら、掛かって来ると良い」

 「だから、てめぇはどうしてそういうこと言うんだよ。んなこと南部で言ってみろ。お前の評判駄々下がりで、人気騎士ランクがトリシュに抜かれんぜ」


 俺のためとはいえ、あまりに容赦のない言葉。それにユーカーも呆れている。そんなユーカーだがパルシヴァルにも一応聞いてはみる様子。


 「んで、どーするパルシー?」

 「ぱ、パルシー?!」

 「いや、こいつが勝ったらパー坊呼ばわり止めろって言われてたんだよ。んで適当に今考えた。呼びやすいしこいつからの評判も上々だ」

 「へ、へぇ」

 「シヴァルでも良かったんだが、連続で呼んでたら誰かにうっかり縛られそうで何か嫌だろ」

 「へ、へぇー……」


 そんな発想出るのはユーカーくらいだと思うよ。でも実際ルクリースに出会い頭に縛られたりしてたし経験者はこういう発想になるんだろうか?

 そんなことはどうでもいいんだけどさ、俺はおそるおそるランスの方を見上げてみる。笑っているが目が氷のように冷たい。いつの間にか従弟がその弟分に渾名を作って親しげに呼んでいたことが、そんなにショックですかランスさん。ていうか貴方はもう名前が短過ぎて愛称も略称も作りようがないですって。頑張って作ってもランさんとかラっさんとかンっさん程度?どうしろって言うんだ。


 「まぁ、お前が嫌だってんなら……俺が代わりに出てもいい。その位はそっちも許可してくれんだろ?ていうか許せ。頼む。ていうか許すもんだろそのくらい。だから許せ。ていうか許せ」

 「ああ」


ユーカーの押しに真っ正面から向き合うのが面倒だったのか、或いはその言い方がツボに来たのかは俺はランスじゃないから解らないが、推測するに半々……いや、後者が七割ってところだろうか?


 「それじゃ、パルシヴァル。こいつが今日の最終授業だ」


 俺とランスがやり合うところを見たのはないよなと、ユーカーがパルシヴァルに尋ねる。それは俺も見たことがない。戦うのが嫌と言った矢先に不謹慎だとは思うけれど、ちょっと胸が高鳴った。だって、二人とも本物の騎士で……その二人が試合をするなんて。これでわくわくしない男はいないだろう。


 「俺とランスをよく見てろ。あれが王道で立派で世間一般的ではもてはやされる騎士って奴で、こっちが騎士の風上にも置けないような邪道騎士って奴だ」


 そこから得られる物すべてを持って行け。そういう風にユーカーは俺達に伝えたような気がした。


 「おい、アルドール」

 「様を付けろユーカー」

 「いいんだよ俺は」

 「あ、うん。気にしないでランス、いいんだよユーカーはそれで。で……何?ユーカー?」

 「お前が審判やれ。試合条件はさっきと同じで良いんだよな?」

 「え、降参するまで……って奴?」


 もうすぐ日が暮れるっていうのに、降参が終了条件なら、どうなるんだこの試合。だってランスもユーカーも頑固っていうか負けず嫌いの節がある。おまけにランスは俺の思いを背負っているし、ユーカーも弟分兼愛弟子の手前、いつもみたいに折れたり拗ねたり出来ない。俺の頬を撫でる風。その風は夏の風にしては……妙に涼しげを帯びていた。虫の声も種類が変わってきている。夜が近づいてきている。


(夜……?)


 確かヴァンウィックが言っていなかったか?ユーカーは……夜には凄く強くなるって。それを思い出した途端、俺はどくんと鼓動が鳴るのを聞く。


(見てみたい……)


 思えば俺がユーカーの戦う所なんて、シャラット領でと盗賊戦で少し。ランスはあの盗賊戦……そのくらいだ。

 普段ならランスの方が強いだろうとなんとなく思う。それでも夜なら?北部で崇められるセレスタイン卿ユーカー。彼の本当の力は、最高の騎士と謳われるランスとどこまで渡り合える?同等?それとも……それ以上?


 「ああ、それでいい。どうせ結果は見えている」

 「どうだかな。あとお前のそれ負けフラグっぽくね?」


 弱い犬ほどなんとやら。そんなことを思っただろうが口にはしなかったランス。でも彼の目には一瞬ユーカーへの侮蔑が浮かんだ。しかしそれは本当に一瞬。その直後、その青は驚愕に見開かれたのだ。


 「……ユーカー?」

 「何だよ?」


 ユーカーがランスを見る、両目で。彩度の明度の異なる二つの瞳で彼を見る。俺はシャラット領での一件で彼の目を知っている。パルシヴァルもユーカーとセレスを知っているからその目のことを知っている。それでも、だ。ユーカーが変装のためでもなくやむを得ずでもなく、こんな風に両目を開けるのを、俺たちもランスも知らなかった。

 いや、ランスだけは知っていたのかもしれない。だからこそこの驚愕だ。それを彼はある種の裏切りと捉えているのだろう。

 ユーカーは自分の目を嫌っているけど、両目を開けたユーカーは……いつもともセレス時とも何か違う。彼の左目は浅瀬の青。彼の右目は薄氷を思わせる美しい空色だ。突き刺すような冷たさが、その右目に宿って……彼の周りに不思議な空気を纏わせる。いつも騒がしい彼が、とても落ち着いて見える。もしかしたら彼は……彼の心はいつもこんな風な温度をしているんじゃないのかな。開けた視界は彼にそれを取り戻させる。


 「本気でやらねぇのは相手にとって最大の侮辱だ。こいつの手前そう言っちまった以上、俺も本気出すのが礼儀だ」

 「……やはり普段は手を抜いていたか。この間は怪我だから仕方がないとはいえ」

 「だってお前嫌いだろ。負けるのも、お前に勝つ俺も」

 「……ああそうだな」

 「その癖、手を抜く俺も嫌いだ」

 「否定出来ないのが悲しいな」

 「そこだぜ。俺とお前の最大の違いってのは。つかアルドール、いい加減合図出せ」

 「あ、ごめん」


 出して良かったんだ。なんだか二人の会話を遮ってはいけないような気がして出来なかったんだけど……これ以上躊躇ったら俺の所為にされそうだ。


 「そ、それじゃあ二人とも用意、構え。……開始っ!」


 戸惑いがちに発した俺の合図に、二人は同時に飛び出した。俺やパルシヴァルとは違う。一手に悩むんじゃない。一手のスピードに二人は焦点を置いた。


 「そんな、セレスさんがスピード負けをするなんて……」

 「違う、……あれは数術だ!!」


 飛び出してしばらくはユーカーの独壇場。しかし、先にリーチ圏内に届いたのはランスの剣だ。見ればランスの靴底から噴射される水。そこには光り輝く水が見える。俺の言葉の意味が解るのか解らないのか微妙なパルシヴァルも、それがとても卑怯なことだとは理解して……


 「セレスさんは数術を使えない!それにこれは剣の試合です!そんなの卑怯ですよランスさん!!」

 「いや、いいんだよパルシヴァル。これが立派な騎士って奴だ」

 「セレスさん!?どうしてランスさんを庇うんですか!?」


 攻撃の押収を繰り返しながら、それでも冷静に言葉を紡ぐユーカー。喋りながらもランスの剣を払える余裕が感じられる。ユーカーが受けた攻撃は、最初のあの一撃だけだ。それも軽傷で済むよう彼はかわしたようだった。凄い。ユーカーはほとんどランスの攻撃を見ていない。見ずにこれだけかわしているのだ。両目が見えているはずなのに、両目で見ない。気配を感じ取っている。全神経を集中させている。それなのになんて……涼しげな顔。

 次第に視界が闇に包まれていく。一撃一撃を繰り出すランスの方は常に必死だ。それに対しユーカーはランスの攻撃の切れ目を見計らい的確な攻撃を繰り出す。そんなユーカーの冷静さが心底腹立たしいだろう。その相手が自分を褒めちぎるのだから、どんなにそれが憎く聞こえるだろうか。


 「庇ってねぇ。それでもこいつはあいつの騎士だ。あいつの代わりにあいつの名誉を背負ってる」

 「名誉……ですか?」

 「あいつが負けるってことはアルドールの、カーネフェル王の名誉に傷を付けるってことだ。そのためには自分の、騎士としての名誉を汚してでもあいつは勝利をもぎ取りに来てる。それが本当に立派な騎士って奴だ」

 「俺を褒めて手元を狂わせるつもりか?」

 「事実だろ?つかそんなちゃちな技お前に通じるなら連戦連勝は俺だろ常識的に考えて」


 名誉を持つこと。誇りを持つこと。それが立派な騎士。その名誉を誇りを預かり、絶対に負けないこと。それがランスという騎士の強さで魅力なのだとユーカーは言うけれど……パルシヴァルはそれで納得などしない。


 「セレスさんが王様に仕えていないからって、セレスさんが間違った騎士だとか、名誉がないとか、そんなの嘘です!貴方の剣を、目を見れば解ります!貴方に何も無いのなら、僕の目に……貴方はあんなにも大きく映ったりしませんでした!」

 「…………ランスはこの国で一番大勢の奴らに信頼っつぅ名誉を預けられてる。だからランスは負けるのが誰より悔しいし、負けられない。だが俺にはそんな名誉はない。だから俺は別に負けても良いし、逃げても良い」


 最初はそのはずだったんだ。そう零して、ユーカーがランスに切り込んだ。

 辺りは薄暗い。普段なら見えている剣の軌道。それに気付いても避けられない距離。ユーカーが両手で振るった渾身の一撃。それを受け止めるランスの手にしびれが走る。その隙を見逃さず、ユーカーがランスに足払いを仕掛ける。体勢が揺らいだその刹那、彼を踏みつけ地面に落とす。


 「俺は逃げるためにこの北部へ来た。その結果、解るかパルシヴァル。そんな俺にも勝手に信頼なんて言葉が生まれてやがる。俺はそんなもんいつか捨てるしそこから逃げるかもしれねぇ。そんな奴を信じる馬鹿が湧きやがる」


 そう言いながら、ユーカーはランスの首筋に刃を当て、降参を迫る。


 「解るかパルシヴァル。騎士ってのはそういうもんだ。一度なれば、何処にも逃げ場はない。守れば守るだけ、身動きが取れなくなる。その内本当に守りたかった物も解らなくなる。奪われる。なくしてしまう。だってのに信頼っていう重荷だけが残される。……んで、降参はすんのか?」

 「言うまでもない」

 「だよな、お前ならそう言うよなやっぱり」


 さっと剣を引くユーカー。本当なら、本番ならここで幕引き。降参されなくても剣を振り下ろす。そういうものなのだと俺もパルシヴァルも悟って、戦いの怖さを垣間見る。名誉が誇りが……そういう物に縛られて、命乞いすらままならない。負けたとしても命乞いなどしない。それが本当の騎士という物だ。自分の命恋しさに、主を売るような者は本当の騎士とは言えない。ランスが最高の騎士と呼ばれるのは、戦場で命乞いなどしない。そもそもするような状況にすらならないから。


 「んじゃ、続けるぜ」

 「……ああ」


 試合の続行に、ユーカーが微笑。それにつられたようにランスが苦笑。そのかわされた笑みに、場の空気が僅かに和らいだ。


 「二人とも………楽しそうだ」


 真剣で渡り合っているんだから、二人とも怪我をする。手元が狂えばどっちかが死ぬことだってあり得るのに。

 ユーカーが剣を退くことで、ユーカーはランスに教えた。これは本番じゃない。あくまで試合だと。誇りってそんなに大事かと彼はあの時問いかけた。ユーカーは……こうして尊敬する相手と手合わせできることが楽しい、それだけでいい。勝敗などどうでもいいとランスにその刃をもって伝えたのだ。

 俺に誇りはない。今に限っては守る者もない。だから負かせてみろと、勝負を続けた。その姿は、いつかパルシヴァルが見た騎士とは違って見えたのだろう。救うために逃げる騎士が、戦いをこんな風に好むなんて思わなかった。そしてあんなことを言われれば……取り乱すのも無理はない。だって二人はもう俺たちの声が聞こえないくらい、この試合にのめり込んでいる。


 「僕は…………セレスさんにとって、重荷……だったんですか?それなら最初から…っ、僕なんか助けなければ、見捨てていてくれれば良かったんですっ!どうして今になって……そんな事を言うんですか!?」

 「違うと思うよ」

 「え……」

 「ユーカーは、……俺みたいになるってのはそういう大変なことなんだって言ってるんじゃないかな?」


 誰かに仕えるって事はランスみたいになるってことで、二人から見れば……形だけ仕えてもそこまで出来ない奴は騎士じゃないってことで……。ユーカーみたいに主に礼儀なく仕える、或いは主を持たない姿勢は、誰から見ても立派な騎士とは言い難い。

 それでも縛られない彼は、主を持つことで信頼を持つことで身動きが取れないランスに救えない者を救うことが出来る。そうやって救い続けた結果、自由だったはずのユーカーも身動きが取れなくなりつつある。人々の信頼を裏切って、これまで通り自由に生きるのか……それとも信頼に折れて自分のやり方を捨ててしまうのか。その結果、守りたかったものを守れなくなってしまったとして、誰かではなく大勢を選んだことを本当に誇れるのかと彼はパルシヴァルに聞いているんだ。


 「ユーカーは言うこととやることが全然噛み合って無くて、あれで君に何かあれば絶対助けてくれるだろ?俺にもそうだよ。俺に仕えてなんかいないけど、それでも守ってくれるんだ」


 ランスとユーカーの違いは、見捨てられるかられないか。命令以外のことが出来ないランスと、自由に動けるユーカーは……それぞれ違う辛さを抱えている。

 絶対に負けられないっていうのも辛いし、やりたくないことをさせられるのも辛い。だけど、負けても逃げても良いのに……逃げられないって言うのも辛いんだろうな。だからユーカーは……ああなんだ。

 殺すために剣を振るうことが好きなんじゃなくて、最初はこうやって……遊ぶように競い合うのが好きだったんだろう。それが人殺しの道具として使われるようになったのがこの二人だ。そこから歩く道が隔たっていったのがこの二人……


 「命令されるのって便利だよね。その善悪の判断をするのは命令される側じゃない。だけど命令されないってことは全部自分で考えなきゃ駄目ってことで……特定の主を決めないって事は、そういうことなんだよ」


 手の届く限り、救える限りを救い続ける。際限なく……いつまでどこまでってのもわからずに、それでも助けたい相手を助け続ける。放っておけない限り、何人でも何人でも。それはきっと、そういうこと。


 「どういうこと……ですか?」

 「ユーカーはランスも助けたいんだ。だからそのために……全力で相手をしている。その上で、自分が負かされるまでこの勝負を続けるつもりなんだ」


 名誉が地に落ちても、それで何も手に入らなくても、失うものばかりでも。そうすることで助けられる相手がいるのなら……彼はそんなことは絶対に言わないだろうけど、見ていればなんとなく解るんだ。


 「ユーカーは、自分みたいになっても良いことは何もないって言っているんだ。名誉も地位も得られない。感謝だってされないことも多い。敵も多いし恨みを買ったり。それでも君は彼みたいになりたいのかな?」

 「僕は……」

 「みんながみんな、君みたいに彼を理解して慕ってくれるわけじゃない。だからこそ彼も捻くれている」

 「…………」

 「ユーカーが君に優しいのも厳しいのも……君の気持ちが嬉しいからなんだと思うな。ユーカーは本当にどうでもいい相手にはそんなこともしないと思うよ」

 「セレスさんが……?」

 「ああ。ユーカーは君を気に入っている。間違いない。君はその自信を持って良いよ、俺が保証する。なんならカーネフェル王の証明書を発行してもいい」


 職権乱用かもしれないけど、それで彼の悩みが解決するなら安いものだ。


 「……ユーカーはさ、決断を急がせてるのは悪いよな。そんなこと急に言われても解らないと思うよ俺だって」

 「はい……」

 「だから、そういうことをゆっくり考えながら彼の傍にいればいいんじゃないかな?形式上俺は君の主って事になるけどさ、君が他に仕えたい人を見つけたっていうのならそれでもいい。騎士の称号を剥奪するってことはないから安心していいよ」

 「アルドール様……」

 「……それにしても、やっぱり凄いなぁ。あの剣捌き!本職はやっぱり違うな。君もユーカーがこういう風に戦うのを見るのは初めて?」

 「は、はい」

 「ああいうユーカーをどう思う?」


 踊るように戦い続ける二人を、じっと見つめるパルシヴァル。しばらく彼はそうしていた後、そこから目を離せないまま……小さく言葉を零す。


 「……僕も、戦ってみたいです。あの人と」

 「どうしてそう思う?」

 「僕も、あの人をあんな風に笑わせられるような勝負が出来る騎士になれたら素敵だなって思うんです。殺すとか殺さないじゃなくて……そういう次元を越えて、あの二人は笑っている。あのくらい強くなれたら、ランスさんみたいになれたら……僕ともあんな顔をしてくれるんでしょうか」

 「そうだな。あの二人は今、磨いた剣の腕をぶつけるのがこの上なく楽しいって顔だ」

 「……やっぱりあの人は、殺すために傷つけるためにあんな風に強くなったんじゃないと思います。たぶん最初は……あんな風に」


 家のためでもなく国のためでもなく……好敵手とのじゃれ合いだったのだ。皮肉なことに二人ともじゃれ合いと呼べる以上の才があり、じゃれ合いで済ませられる身分ではなく……そのまま騎士になってしまった。誰かのためにという理由を見い出したのは、先王との出会いがあったから。だからそれが失われた今、二人はまだ不安定。理由がふらふらとしたまま、強さと弱さと危うさだけが残された。

 だからユーカーは俺たちみたいになるなと彼に言う。ランスみたいに一人だけにしがみついても、自分のように何にも執着せずふらふらと気の向くままに守っても。どちらもろくなことにはならないからと。


 「僕も同じです。セレスさんに色々教えて貰って、それが嬉しくて楽しくて……褒めて貰えるのが何より好きで……セレスさんが驚いてくれるのが好きで……だから僕は、頑張って……」


 そのセレス……ユーカーが初めて褒めてくれなくなった。褒めることがパルシヴァルのためにならないと感じ始めたからだろう。今のパルシヴァルは幼く、純粋過ぎる。人はきっかり白か黒ではない。それを認められないくらいに彼は幼い。


 「どうして騎士になったか、じゃなくて。騎士になって何をやったか。それじゃあ駄目なんでしょうか?」


 パルシヴァルの問いかけは、言葉を変えて俺の胸へと響く。

 俺はどうして王になったか。王になって何をやったか。そのどちらで評価されたい?どちらで責められたら苦しい?

 どうして王になったか。俺は決して褒められた理由で王になっていない。Aカードだから、イグニスに言われたから。イグニス達と同じ混血を守りたかった。力が欲しかった。それがはじまり。そこから俺は何をした?まだ何もしていない。国のためになるようなことは何も……即位してまもなく都を奪われ落ち延びた、哀れな王だ。今の俺はどちらも評価できるところがない。だからパルシヴァルの言葉は有り難い。それはこれからを評価してくれる可能性。ユーカーも同じだ。

 パルシヴァルはユーカーが何故騎士になったかじゃなくて、騎士になったユーカーが自分を助けてくれたことを評価している。だからどうして自分が騎士になるのではなく、これから自分がすることで、自分を認めて欲しいと考える。唯の憧れでは終わらせない。ここから考えて自分なりにこの道を歩いて行くからと、戦う二人をじっと見つめている。

 それにつられて俺も二人の試合へ視線を戻す。ランスの数術と剣技に翻弄されることなく、剣技のみでそれと渡り合うユーカー。彼は数術こそ見えないが、数術への反応は過敏。本気で集中すればここまでランスとやり合えるのか。

 数術使いと一般人の力量の差は歴然。数術使いの弱点である接近戦すら克服しているランスは最強。そのはずだ。そのランスとここまでやれるユーカーも見事だ。だって彼は唯の人間なんだ。

 不意に俺は彼の中に何か探している答えが見つかりそうな気がして、目を凝らして彼を見つめた。道化師と俺が戦う上での重要なヒントがそこにあるのではないか。そんな気がして……


(……でもこうやって見てみると、二人は本当に良くお互いを理解しているんだな)


 だからこそ、本当ならかわせないはずの一撃をかわせる、防げる。そこからの攻防。一手先……違う、もっと先までを読んで二人は今を戦っている。剣とは単純で単調な攻撃ではない。まるで、チェスだ。俺は目先のその一撃をどうするか考えるだけで精一杯なのに。

 平常心を取り戻してからのランスは、乱れていた攻撃も防御もいつものように堅実で無駄のないものに。ユーカーのそれはいつも以上に自由気ままで、動きを読ませない。俺なんかじゃたぶん今のユーカー相手じゃ一撃だって防げない。それに食らいついていけるのは相手がランスだからこそ。辺りはすっかり日が落ちて薄暗い。その空気こそ、ユーカーの本領発揮というものなのか。彼の動きはいつも以上にキレがある。常に片目を隠し、昼間は昼寝ばかり……それは彼のこの夜目と関係していた。夜起きているから眠いのか、それが元々夜目だから、昼間が眠いのか。


(ちょっと待てよ……?)


 鶏卵の関係は置いておくとして、昼間ユーカーが眠いというのはほぼ間違いないとしよう。それなら表現がおかしい。夜が強い、じゃなくて……本来の強さはこっちが本物ってこと?

 俺たちは今まで昼間にフクロウを捕まえて喜んでいたようなものだ。夜の彼を捕まえられるはずもないのに昼間の彼こそ彼なのだと決めつけて。


(昼と夜……?)


 何処かで聞いた表現。この胸騒ぎは……嫌なことだ。俺は脳内を漁って、一つの文献を思い出す。その文献と共に思い出された記憶は、あの名も無き村での出来事だ。フローリプとルクリースがトランプで遊んでいた時にジョーカーについて何か言っていなかったか?ジョーカーが二枚ある理由。一枚しか使わない理由。二枚のジョーカー……その二枚の名前を、俺は以前本から拾った記憶がある。


 「真昼と真夜中……」


 トランプには様々ないわれがある。

 例えば……トランプは4スート13枚。4×13=52枚。それにジョーカーを足して54枚。その数を足すと1+2+3+4+5+6+7+8+9+10+11+12+13=91×4=364。これにジョーカー2枚を足すと366。つまりは一年を表すという説がある。他にも……ジョーカーの一枚が昼をもう一枚が夜を表すという話もある。


(昼夜、道化師……チェス………“よく、知っている”……)


 それは言葉の連想だ。俺は昼と夜から道化師を、道化師から以前あいつが“この神の審判はチェスに似ている”と言っていたことを思い出す。そして道化師は……俺に恨みを持つ以上、“俺をよく知ってる人物だ”とルクリースが言っていた。

 ユーカーがランスの攻撃をこうやってかわせるのは、ユーカーがランスを知っているから。ランスがまだ戸惑っていて押されがちなのは、夜のユーカーをランスがまだよくわかっていないから。

 俺と道化師の関係もたぶん同じだ。道化師はユーカーと同じで対戦相手を深く理解している。対する俺とランスはそれを知らない。だからユーカーより強いはずのランスが劣勢になったりもする。

 俺が道化師に勝つためのヒント……それはランスの中にあるんだ。カードとしてはランスの方が不利。それでもランスはここでユーカーに勝たなければならない。俺の代わりに戦う彼は、俺が許すとか許さないではなく、それでも負けることは許されないのだ。本人がそれを許せない以上、絶対に。これは遊びだろとユーカーが語りかけても、それでもランスはそれでも仕事だと言い張るだろう。互いに相容れない理由がある。だから戦う。

 それでもユーカーは負かされるのを待っている。どうしてユーカーはそんなことをするんだ?ランスが好きだから?ランスを勝たせたいから?違う、そうじゃない。

 ユーカーはランスとトリシュの決闘に割り込んだ。下手したら死んでいた。ユーカーは出会った頃は死にたくないって言っていたのに、ランスに殺されることについては何も言わない。それどころかそうなりそうな事を何度かしている。


(ユーカーは、ランスを殺したくない。だから……?)


 殺すくらいなら殺されたい。他の人を殺させるくらいなら殺されてやる。そう考えたなら彼の行動の意味も多少は理解が出来る。

 ユーカーが守りたいのは誉れ高いランスの騎士としての名誉と、ランス自身だ。だからランスを庇うし、ランス自身がその名誉を汚すような振る舞いを仕掛けた時は必死になって止めるのだ。

 相手を負かすと言うことは、自らが相手のタブーになること。思考の駒を動かすことが出来ない程に、追い詰めること。殺されないと言うことは、相手に殺されないだけの理由を手に入れる必要がある。俺が道化師相手にそれを教えることはたぶん無理だ。だから俺は相手からそれを教えられることがあってはならない。そうだ……それさえなければ俺が負けることはない。負けではないのだ、まだ。ルクリースが死んでも、フローリプが死んでも……悔しいし悲しいけれど、まだ負けではない。俺も道化師も互いに生きている以上これは引き分け。

 ルール上俺と道化師は互いに互いを殺せるカード。それでもジョーカーとエースの幸福値の差は歴然。俺が道化師と引き分けにするには他のカードを犠牲にしなければならない。そうやって俺は爪を研ぎ、牙を研ぎ………道化師が幸福値をすり減らして、ここまで落ちてくるのを待つしかない。

 ランスも言った。人を人として思ってはいいと。俺が蟻と思うべき相手はあの……道化師唯一人。あれが誰であっても俺は、彼か彼女をこの手で殺さなければならない。

 そのための王だ。そのために、ランス達騎士に手を汚させる罪の温床。道化師を殺さなければ、この審判は道化師の一人勝ちだ。他のすべてのカードの願いも思いも無に帰る。そこに至るまで失われた命すべてが無意味。そんなこと、あってはならない。


(でもそのために……)


 俺は後何人の死を見なければならないのだろう。道化師を殺すまで、俺は……俺の傍から後何人奪われるのだろう?失われるのだろう?ユーカーもランスも、トリシュもパルシヴァルも……イグニスも。みんないなくなってしまう?

 せめて俺が強ければ。そう思って剣を教えて貰ったのに……。ランスとユーカーの試合は心が躍るのに、そっとトリオンフィに手を伸ばせばその手が震える。それは、そんな自分に小さく嘆息した時だ。


 「夕飯ですわよランス様、それとお兄様」


 突然響いた明るい声。その直後にばしゃんと言う音。二人の騎士の動きが止まる。


 「え、エレインさん?」


 見れば屋敷の上の階の窓から少女が顔を覗かせている。その手には空になった水桶が。

 勝負に文字通り水を差されたランスとユーカーの表情は、それでもまだ戦闘意欲が冷めないようで、夕飯抜きでもとことん目の前の相手とやり合いたいと言っている。それがますます気に入らないと少女は眉をつり上げる。


 「ご飯ですっ!!」

 「っ!?」


 エレインは思い切り水桶を眼下……もといユーカーの頭を目掛けて叩き落とす。ランスに気を取られていたユーカーはその攻撃をもろに食らった。


 「ゆ、ユーカー!?」


 ふらつき倒れるユーカーに、ランスが駆け寄りそれに遅れて俺とパルシヴァル。見ればユーカーは完全に伸びている。まさかあの勝負がこんな風に終わらせられるだなんて。


 「ユーカーってコートカードなのに……」


 どうしてこんなに運が悪いんだろう?カードの力を頼らない力に長けているんだろうか?

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