10:Qui omnes insidias timet in nullas incidit.
名前って何だろう。よくわからない。母さんが僕をパルシヴァルと呼んでいたけど、僕はそれがいつからなのかわからない。誰が僕にくれた名前なのかもわからない。
物心ついたときには、僕はその森の中にいた。別に寂しくはない。母様も一緒だった。
だから別に僕はおかしいとも思わなかった。それは世の中はそう言うものなのだと思ったから。
母様は僕に、この森の中から出てはいけないと言った。どうしてとか僕は聞かなかった。母様がそう言うのならそういうものなんだろうと思った。今覚えばとっても変だ。そんなことを言う母様も、それを疑問に思わない僕も。だけどその時の僕にとって、この世界とはそう言う物だったんだ。だからそれも仕方のないことのように思う。
そんな森の中にあるとき人が現れた。僕とも母様とも違う第三者。それは僕がはじめて目にした他人だ。
僕を危険な目に遭わせたって母様はとても怒っていた。本当は違うのに。僕はそこではじめて母様に疑念を抱いた。だってあの人は、セレスさんは何にも悪くないんだ。僕を助けてくれて、母様から僕を庇って自分の責任だなんて言ったんだ。
そのまま森から出て行こうとしたあの人を引き留めて、一晩の宿を母様に願い出た。僕のはじめての我が儘だった。
その時僕は、セレスさんは疲れているだろうに一晩中質問攻めにしてしまった。世間知らずの僕にあの人はいろんな事を教えてくれた。セレスさんは男で騎士で貴族でカーネフェル人。僕の中には僕と母様という概念しかなかったから、あの人の言うことすること何でも新鮮で輝いて見えていた。
僕にとってあの人が憧れなのは、彼に助けて貰っただけではないのだろう。この森という狭い僕の世界。その外を教えてくれたのがあの人だ。森の外に広がるであろう青。木々の合間から覗くあの空のような人。あの人への憧れは外への憧れ。僕にとっての外の代名詞があの人だった。あの人の何もかもが綺麗で正しく見えた。母様のすべてが歪んで濁って間違っているように思えた。
だから僕は許せなかった。それが大好きだったはずの母様の言葉でも許せなかった。僕の大好きなセレスさんに酷いことを言う母様が許せなかった。
セレスさんの綺麗な目を馬鹿にして、罵って……
「汚らわしいっ!そんな薄い色でよくも騎士になれたものだ!お前も所詮は城を都を腐らせた都貴族!!落ちぶれて騎士などになったその飼い犬なのだろう!?汚れた血がっ!!私とこの子の前に立つなっ!!」
違うよ母様。セレスさんは真純血です。それに綺麗な青です。それにセレスさんはセレスさんです。僕を助けてくれた、恩人で……僕のヒーローです。世界で一番格好いい騎士様です。少なくとも僕にとってはそうです。僕の憧れる騎士を、貴族の駒とか犬とか言わないで下さい。
どうして何も言い返さないんですかセレスさん?貴方は何も悪くないのに。どうして何も言わないんですか?
「…………あ」
僕は目を開ける。なんだ、夢か。そうだよ、夢だ。
「………母様」
僕は薄暗いその場所を飛び出した。暗いところにいると気持ちまで沈んできてしまうみたいで怖いから。だからあんな嫌な夢を見てしまったんだ。
いや、嫌な夢でもないか。久々に母様に会えた。思うところはあるけれど、やっぱり僕は母様を完全には嫌いになれていないんだ。それに……であった頃のセレスさんにまた会えた。懐かしくて、嬉しいはずなのに少し悲しい気持ちになるのはどうしてなんだろう?
「……お帰りなさい、セレスさん」
いつの間に帰って来たんだろうこの人は。せっかく驚かそうと思って隠れていたのに、セレスさんは疲れていたのかな。着替えもせずに眠ってしまったらしい。
そこから出てみれば、室内は少し明るい。もう早朝になっていたらしい。でも僕も眠った気がしない。それもそのはず。クローゼットで体育座りなんかしてうたた寝。ちょっと無理な体勢だったのか身体が痛い。
この人にもう一度会いたくて、この人みたいになりたくて……この人を追いかけて僕は森を飛び出して、はるばる都まで来たけれど……最近のセレスさんは、というか外で会うセレスさんは前ほど僕を構ってくれない。それはセレスさんが関わる人が僕以外にもいっぱいいるからで、それは仕方のないことなんだけど僕は少し寂しい。
だけど夢の中で、母様に言い返さず唇を噛み締めていたあの人は、言い返さなかったんじゃなくて言い返せなかったんだと思った。あの時はそんな風には見えなかったけど、今はそんな風に僕は思った。ずっと強くて凄い人だと思っていたけど、この人は弱い人でもあったんだ。外で見るセレスさんは、あの頃より強くない。他にもっと強い人がいて、セレスさんを狼狽えさせる。でもそれでもそれはセレスさんだ。
(僕も強くなりたいな……)
この人が弱いなら、僕が助けてあげたいんだ。あの日この人が僕を助けてくれたように。僕はセレスさんみたいになりたい。セレスさんにとって、僕にとってのセレスさんみたいな騎士になりたい。恩返しをしたいとかそんな格好付けるつもりはないし、僕に憧れて欲しいとかそんなつもりは毛頭無い。
僕が森の外へと来てみれば、僕に世界の広さを教えてくれたこの人が……世界の全てを知っているように見えたこの人が、とても小さな存在で、何も知らなくて……狭い世界を生きていることを知ったから。僕はこの人に教えてあげたい。空はあんなに青いんだよって。片目で世界を見て、わざと貴方は狭めていませんか?本当はもっと……そう思うのに。
ランスさんは僕の母様みたいだ。セレスさんにとってのそれだ。僕は母様の言うことを信じた。母様が空は赤いというのなら、僕はそうなんだろうって思った。
セレスさんはランスさんが正しいっていつも言うけれど、僕にはどうしてもそうは思えなくて……ランスさんとセレスさんなら、僕は即答できる。正しいのはセレスさんの方なのにって。
*
「…………」
これはどうしたことだろう。俺は、ユーカー=セレスタインは考え込んだ。
確か昨日は窓から扉から鍵は掛かっていたはずだ。ていうか掛けた。それなのに何故自分の部屋にこいつがいるのか。いつも結ってる髪は解いてあって女みてぇだ。本当気持ちよさそうにすやすや眠ってやがる。神子と違って外見だけじゃない。こいつは内も外も天の使いに見えないことはない。可愛いのは素直に認めてやろう。だが何でこいつが俺のベッドに潜り込んでなんかいるんだ。正直俺にそんな趣味はねぇ。絶対ない。たぶんないはずだ。ないんじゃないかと思う。ないんじゃないかな。いや、弱気になってどうする俺!そんなんじゃアスタロットに申し訳が立たねぇよ。
「おいこらパー坊」
自分の部屋くらい与えられただろうに何故俺の横で寝てるんだこのガキは。ランスの失敗に懲りて俺はこいつには鍵開けを教えてねぇはずだ。自分でやってのけたのならなんつーガキだ。恐れ入る。だが恐れ入ってる場合じゃねぇ。肩を揺すって起きろと怒鳴る。
「……う、……あ、おはようございますせれすさんー」
起こしてみたがまだ半分寝ているらしい。ろれつが全然だ。っていうか腕が動かなくて金縛りか何かかと思って飛び起きたが、実の所俺もまだ結構眠い。昨日は夜中まで連中と馬鹿騒ぎやってた所為だな。大体の所ランスの所為だが、責任者として神子かアルドールが悪い。神子は女だしここは騎士道精神でアルドールが悪いと言うことにしてやろう。よってこんちくしょうアルドール。俺の睡眠時間を邪魔しやがって。だが、眠すぎて怒る気力もねぇ。
「ふぁあ……眠ぃ」
俺ももう一度ごろんと横になる。
「一つ教えろよ、お前いつ来たんだ?」
「せれすさんおどろかそうとおもって……くろーぜっとにはいどいんですたんばいしてましたー」
俺も身に覚えがある。昔親父を驚かそうとして、俺がいなくなったらびっくりするんじゃないとか思って……でもその日誰も部屋に来なくてそのまま泣いた気がする。何やってたんだ俺、馬鹿じゃないのか?まぁ、兎に角だ。気持ちはなんとなくわかるが意味としてはわからない。何で驚かせ用なんて思うんだか思ったんだか。発想がガキだ。
しかしなるほど。確かにランスの阿呆に連れ出された時に部屋の戸締まりはしてなかったかもしれない。その隙にやって来ていたのか。
妙に納得していると、パルシヴァルがまたこっちに密着して来る。俺は枕じゃねぇ。
「おいこら、暑いから離れろ」
文句を言ったが相手は完全に爆睡している。寝付きの早さが羨ましい。こんな暑い日によくここまでやれるもんだ。でも暑いのは事実なので、無理矢理引っぺがそうとした俺に、パルシヴァルが寝言を呟いた。
「かあさま……」
恐るべしマジックワード。俺も実家とは上手くいっていないからそういうことを言われると弱い。
「……仕方ねぇな」
耐えるしかない、この寝苦しさにも。
俺がこいつに甘いって自覚はあるが、こればっかりは仕方ない。こいつが家を飛び出したのは大体俺の所為と言っても違いないんだから。
(…………立派な騎士になるまでは、か)
それまで故郷に帰れない。母親に会えない。寂しいだろうな。こいつはまだ子供なんだから。でもそこまでしてどうして騎士になんかなりたいのか。俺やランスなんかは他の職業選択の自由が無かったに等しい。だからこうしてる。でもこいつは違う。他のことだって出来ただろうに。
おまけに神子にそそのかされてアルドールの護衛になんかさせられちまった。こいつに何かあったらただじゃおかねぇ。最悪こいつの憧れである騎士って職業がどんなに最低最悪な物かを教えてでも、諦めさせて家に帰すのが一番なのかもしれない。そのためには……まずはこいつが嫌気の差すくらいビシバシ厳しく指導すべきだろうか。それとも仕える王であるアルドールに幻滅させるのが最善か。そうだ、そうなもんじゃねぇ。
「騎士なんて……」
名誉に覆われただけの人殺しだ。英雄という名の殺人鬼だ。金が名誉が欲しいわけでもないだろうに、そんなものにわざわざなりたがるなんてパルシヴァルは一体何を考えているのだろう。うっすら涙を零すその寝顔からは、伺い知れる物はない。唯母恋しさを感じさせるだけだった。
*
読書の出来ない時間は殺されたり生き埋めにされていることに似ている。まさにその通りだとアルドールは考える。言うなればこの一月、俺は生き埋めにされてきたようなものだ。
読書はいい。一時現から浮遊する。まさに現実逃避。けれどそこで全く何も得られない訳じゃない。本の知識がすべて真実と言うことはあり得ないが、それでもそこから得られるものは多い。他人という物、自分という物。それを考えるに読書は最適。
例えその本が創作の物語なのだとしても、そこにはその本を記した著者がいる。それは何時の時代の人かは違っても、彼や彼女が生身の人間だったことは間違いない。心のある人間が何を思い何を考えそれを記したのか。そこからそれを読み取るのが読書の神髄だ。時を隔てた一方通行の会話と言ってもいい。理解の難しい彼や彼女を暴いていくのが読書の醍醐味。そして何より読書が優れているのは、此方が相手を知ることが出来ても相手が此方を知ることは絶対にあり得ない。相手の心が思考が赤裸々に明かされているのに対し、俺のプライバシーは完全に守られている。だから安心してその一方的な対話に身を任せられる。
「…………」
この本だって内容自体は面白い。興味深くある。以前も読んだことがある本だけれど、懐かしくて手に取ってしまった。本はその時とはまた違う味わいを俺に与えてくれている。
それなのに何よりも大好きなはずの俺の趣味。その趣味に没頭できない理由が俺にはあるらしい。
久々の読書なのに、そう思うのはとても残念だ。しかし、つまらないのだ。この一月俺は俺の現実を生きていたのだから。その差違に俺は戸惑っている。俺がして来た対話とは、こんな一方的な物じゃない。俺が著者になったかのように、俺の心の内を暴かせる。相手に伝えたいと思う。そうしなければ相手に何も伝わらないから。
例えばイグニスとユーカー……あの二人は捻くれているけど繊細で真っ直ぐだから。俺が嘘を吐いてはならない。自分は嘘を吐くけど相手には真実を望むのがあの二人の共通点だ。人間不信が入っているけど純粋なところだと評価すべき箇所だろう。
俺はアージン姉さんに嘘を吐いた。だけどそれが姉さんを傷つけた。だから俺はフローリプに対し真摯で在ろうとした。姉さんに出来なかった分、その代わりとして彼女に俺は嘘を吐かなかった。しかしそれが彼女を傷つけた。
ルクリースはいつも嘘ばかりを吐いていた。息をするように冗談を口にしていた。それでも俺の中で彼女の評価は揺るがない。肝心なときにはいつも傍にいてくれて、いつも俺を守ってくれていた。そう言うときは絶対に嘘を吐かない人だった。
嘘と本当。相手によってこのさじ加減は難しい。自分に偽りなくいれば、それですべての人と上手くやっていけるわけじゃないんだと俺は学んだ。
今読んでいる本の中には、当面の問題を解決してくれるような答えはどうやらないらしい。俺はこれが現実逃避なのだと認めざるを得なかった。
(難しいなぁ……)
だって相手はあのランスだ。
最初こそ完全無欠の完璧超人美形騎士か何かと思っていたが、彼はそんな簡単な人ではなかった。表面上、彼は完璧だ。由緒正しい貴族の家柄と血筋、穏やかで品のある容姿と親切なその性格と、騎士の鏡と言うべき精神。剣の強さも一級品。その評判は国を超え、多くの人の憧れだ。
……かと思いきや、料理の見た目が最悪だったり、何かにつけて魚介類をぶっ込もうとしたり、父親が性犯罪者すれすれだったりする。後、素で相方のユーカーには天然で鬼畜入ってる。弟代わりの従弟が可愛いのは解るが、彼の可愛がり方はちょっと間違っている。何だかんだで二人がそれで楽しそうだから俺がとやかく言うことじゃないとは思うから、その点はスルーしよう。それでもだ。
あの二人の関係性はちょっと異常だ。親友兼親戚なんだから、他人兼身内っていうちょっと微妙な繋がりなのは解る。だから本人達もその距離を測りかねている節がある。
俺だって親友のイグニスが他の人に取られたらちょっと嫌な気持ちにはなる。寂しいと思う。当人達同士がいがみ合っているのは知っていても、イグニスとユーカーが毒舌合戦をしているのを見るとちょっと自分が取り残されたような気持ちになる。俺としてはイグニスは大好きだし、ユーカーのことも気に入っているのにこういう気持ちになるのはとても嫌だ。二人がじゃなくて、そんな風に思ってしまう自分のことをとても嫌な奴だと思うのだ。
詰まるところ、大事な相手というのはそれが例え友人であっても執着が生まれるのは間違いない。それは何故かと考えた時に、相手が他人だからという結論に俺は至った。他人は他人。自分の考えで、どうこう出来る相手じゃない。だからこそその軋轢、葛藤の末の執着なのだと考える。
仮に相手が身内なら、そんなことはあり得ない。身内は完全にとは言わないが、ある程度干渉できる相手だ。年長者ならば年下の相手をある程度従えることも可能。言いなりに出来るってことは、執着を産まない。従えることが出来ないからこそ、そういう執着が生まれると仮定しているから。だから身内相手にそんな感情を抱くなら、それは身内に違う感情を抱いている。そう考えることも出来なくはない。
だからそう言う意味ではランスは……彼を身内として見ていて、それでも他人として見ている。だから言いなりになるようでならない、ならないようでなる彼への思い入れがちょっと大きい。
みんなに優しいっていう彼が、優しかったり優しくなかったりする唯一の相手だ。ある意味特別だということだ。ランスの仮面を引きはがせるのはユーカーだけだと俺が思うのはそういうところからだと思う。現に、窓の外からの殺気が凄い。半端ない。
「ちょっと腕がおかしいな。いいか、一回手本見せてやっから。……っとこうだ。解るか?」
「ああ、なるほど……はい!解りましたセレスさん!」
「もう解ったのかよ!?」
「え?変ですか?」
「お前一ヶ月かそこらで俺より強くなったら呪うからな」
「そ、そんな一月で何か無理ですよ!それにセレスさんの教え方が上手いってだけで僕は全然……」
「つ、……続けるぞ!む、無駄口叩いてる暇はねぇ!」
「はいっ!解りましたセレスさん!」
外では弟分のパルシヴァルに稽古を付けてやってる、意外と面倒見の良いユーカー。そんな二人を見守る体でにこにこと、それでも冷房数術が不要となるような殺気を発しているランス。とてもじゃないが彼の第一印象とはまるで重なるところがない。
北の湖城とやり合う意味で、戦力強化は確かに必要。ユーカーのしていてくれることは正直誰にとっても有り難い。それはランスも理解しているだろうに、内心複雑なのだろう。
可愛い自分の弟分兼玩具を他人に取られているのだ。ユーカーはランスの精神安定剤でも担っているのか。ユーカーに接する時間が減れば彼の表面上の余裕が削れていくような気がする。
しかしそんな不機嫌顔まで絵になるような美形だからどうしよう。たぶんどうしようもない。大抵の女の人はあれだけのイケメン相手なら何されても許してしまうんじゃないだろうか。理不尽だ。だけど男の俺でも納得してしまいそうになるから怖い。血の何分の一かは同じはずの従弟のユーカーがあれなのに。ランスのお母さんってよっぽど美人だったんだろうな。あ、いやユーカーのご両親を知らない俺がこんなこと言っちゃ失礼か。ユーカーもなぁ。黙っていればそこそこなのに。黙ってないから。彼の印象を美形から遠ざけるのがその内面なのだとしたら、いやでもそれじゃあそもそもの話が成り立たない。内面ならたぶんランスの方が酷いんじゃないのか?見る限りそうだ。それが許されてしまうクラスのイケメンだから恐ろしいと言っているんだ。男に五月蠅いあのルクリースが鼻血を出すような美形だ。その恐ろしさは察するに余り得る。
それでもだ。流石にあれは大人げないんじゃないだろうか?っていうかランスも他にやるべきこととか仕事とか山ほどあるんじゃないのか?王としての俺の補佐もあるし、遊び歩いている父兼領主の尻ぬぐいもあるだろう。こんなことを何も手伝えない俺が言うのも何だけど、ランスも暇ではないだろうに。仕事も手に付かないほどあの二人が気になるのだろうか。
さっきまでちょっと離れたところから声援を送っていたトリシュはユーカーに領内の仕事でも手伝って来いと怒られていい笑顔で颯爽と消えていった。ええと、トリシュが幸せそうで何より。
ランスの殺気にはユーカーも脅えているのか、単に気付いていないのか。ランス相手に同じようなことは言わなかった。言っても無駄だと思っているのか、はたまた「こいつもパー坊の稽古つけてやるつもりなんだな」と盲目的に好意的に解釈して勝手に好感度を上げているのかも知れない。ユーカーはランスに憧れているところがあるから、それも充分あり得ることだ。
しかしそんな二人に挟まれているパルシヴァル……あの子が哀れだ。あんな年からそんな苦労人の役を押しつけられてはあまりに酷い。何とかしてやりたいと思う。パルシヴァルは裏表なく素直で無邪気な少年だけれど、ユーカーには可愛がられているのに対し、あの誰にでも人当たりの良いランスにはあまりよく思われていない。とか思えば、これまたある意味純粋なトリシュとランスが友達だったりする。人間関係って複雑だ。
「なぁ、イグニス」
「何?つまらない用件なら自重してよね」
ベッドに寝そべりごろごろとしているイグニス。目で俺に扇子でも持ってきて扇げと言わんばかりのくつろぎっぷりだ。ランスの次に仕事があるだろうに、彼女もこれまた働かない。病人相手にあまり酷いことは言えないし、充分これまでイグニスはよく働いてくれた。だから彼女が休んだりだらけるのは俺も異論はない。異論はないのだけれど、むしろ俺がここにいて良いのか解らなくなる。むしろ邪魔じゃね?でもここ俺に割り振られた部屋なんだよ。ここ追い出されたら俺何処行けばいいの?俺の部屋が一番いい風が吹き、俺のベッドが一番広くてふかふかだとかそんな理由で乗っ取られたんだけどどうしよう。
ってそんなことじゃなくて俺がイグニスに相談したかったのはランスのことだ。でもイグニス今機嫌悪そう。暑いのかな。そんな暑くて苛々してるときに夏生まれの俺なんかに話しかけられただけでも暑くなるかもしれないな。っていうか君の存在自体暑苦しいんだよ視界から消えて。っていうか毟ってやろうかそのロン毛とか言われたら一日くらい立ち直れない。
「そっか、ごめん自重する」
「そこまで言いかけて止めるとかこの上なく煩わしいんだけど、君の様子から察するにどうせまたセレスタイン卿かランス様辺りのことかい?」
「流石イグニス、その通りなんだけどさ」
彼女を認めながら、語尾を濁す俺。そんな俺の態度にイグニスは一度小さく嘆息をした後、こんな言葉を投げかけた。
「……ねぇアルドール、同族嫌悪って知ってる?」
「言葉としては」
「意味は僕も余裕で知ってるから脳内ペディアとか脳辞苑で読み上げないで良いからね」
俺の得意分野が潰された。ちょっとイグニスの前でたまには良い格好を付けたかったのに駄目でした。調子に乗るな屑ってことですよねわかります。
「君は根暗だし自分大好きの自己愛者でもないし、君は君にそっくりな人間に会ったことがないんだろうね」
もし俺が自分にそっくりな奴に出会ったら、心底苛つくはずだと彼女は言った。それが起こりえないのは、俺のような考え方をする奴がそんなにいないからだろうとも。
「じゃあ仮にこうしよう。これは君に限らずだ。昔の自分が目の前にいたら、それはとても苛立つだろう?」
「それは、まぁ」
頷く俺に、イグニスは……そういうものさと目を伏せる。
「ウィリアム症候群とでも名付けようか?今の自分がその昔に勝っていても劣っていても、人はそう思ってしまうものなんだ」
「ウィルソン症候群でもいいかもな」
俺が手にした本を見て、イグニスが小さく笑う。それに俺も笑って返した。流石はイグニス。世界最高峰の数術使いは、読書なんかしなくとも本の情報までカバーしている。本は一方的な世界だけれど、こうして時に誰かとの共通の話題になるっていうのが嬉しいところだ。
「イグニスもこの人の話知ってたんだ。何が好き?俺はあの宝探しの……」
「僕は振り子の話が好きだな。あとワイン蔵の復讐話。ぞくぞくするよね」
「流っ石、イグニス!通だなぁ!」
ブレずに今日も俺の親友はドSで鬼畜でいらっしゃる。でも不殺を説く教会の神子がそんなこと言っちゃ問題発言だよ?いやしかし、だからこそ神子になっても相変わらずイグニスなイグニスが俺は大好きなんだけれども。
それはさておき割と本気の冗談はこのくらいにしてと、イグニスは窓の外へと視線を投げる。
「仮に今と昔が全く同じであっても人は彼や彼女に嫌悪するだろう。彼と彼の場合はそのどれに当てはまるのかは、君の想像にお任せするけどね」
「それじゃあ、あれはどうしようもないってこと?」
「それでも今の状況ならまぁ、どうにもならないよ。このドッペルゲンガーはどちらもカードだからね。ランス様にはパルシヴァル君を殺せない。だから小説通りとはいかないさ」
「……ランス“は”って」
嫌な言い方するな、流石イグニス。先を見据える彼女の瞳はとても遠くを見つめている。
「パルシヴァルだってそんなことはしないよ」
「今はね。だけどさアルドール。幾ら彼が無邪気な子供とはいえ、無邪気さは時に諸刃の剣だよ。僕はある一点において子供ほど残酷な生き物を他に知らない」
「ある一点?」
「愛情だよ」
「愛情……?」
「ああ。子供って言うのは人からの好意を、無償の愛を欲しがるものだ。特に彼は親元から離れているわけだろう?寂しくないはずがないんだ」
その愛情欲しさに世の兄弟は蹴落とし合い、貶め合う。フローリプを、姉さんを……俺は思い出していた。確かに、そういうことはある。確かに、……ある。
「セレスタイン卿は兄貴分として彼にそれを注いでる。だから彼はあんなに彼に懐いているんだよ」
パルシヴァルにとってユーカーは唯のヒーローでも恩人でもない。やっぱり他人と身内のような思い入れが内在しているのだと彼女は言う。まぁ、兄代わりだけじゃなくてここ最近は女装で姉代わりまでやってくれてるんだから母恋しさのある子にとっては有り難いだろうなぁ。
「……ランスがユーカーに執着してるのも、それと同じってことなのか?」
「そういうことだよ。ランス様は弟代わりのセレスタイン卿に、セレスタイン卿はパルシヴァル君に無条件で慕ってくれる……自分を愛してくれる気持ちを貰っているんだ。彼らは自分が大嫌いだからそういう相手が貴重なんだよ」
そこでイグニスは……君だって、とは言わなかった。俺がルクリースとうち解けた理由がまさにそれだった。俺の大嫌いな俺を、彼女は好きだと言ってくれた。そんな彼女の言葉に支えられ、俺は大嫌いな自分を好きになれるよう、頑張っていこうと思った。
俺だってルクリースがフローリプとうち解けてからは、ちょっと疎外感を感じていた。どっちも大切だったのに。今と同じ馬鹿な気持ちをあの頃だって持っていた。俺はまるで成長出来ていないのか。
「でも……」
幾らイグニスの言葉とはいえ、俺はそれを頭ごなしに受け入れられない。それが俺のことならランスのことならともかく、これはパルシヴァルの話だ。
だってパルシヴァルはそんな子じゃない。まだ付き合いの浅い俺でも彼の純真さは知っている。彼は在りし日のギメルを彷彿させる程。彼が女の子だったら俺はうっかりときめいていたかもしれない。
「彼が本当に良い子なのは認めるよ。だからこそ僕も彼を引き入れた」
それは認めると起き上がったイグニスが俺に言う。だけど彼女はそこで言葉を止めたりしない。
「でも考えてご覧よ」
イグニスは、俺に思考を促した。
「彼がこのままランス様の悪意に当てられてごらん?白い色ほど良く染まる。彼は今のままでいられるだろうか?」
「それなら、尚のことどうにかしないと」
「具体的には?」
「解らないけど、ランスとパルシヴァルに何かあったら困るよ」
「どうして?」
「どうしてって、そんなの当たり前だろ?二人ともこんな俺に仕えてくれているんだ。だったら俺が二人を守らないと」
本を置き椅子から腰を浮かせ、今にも飛び出さん勢いの俺を見て、イグニスが待てと視線で止める。そしてゆっくり俺に近づいて、俺より低い背丈から、俺の頭をそっと撫でる。
「い、イグニス?」
「馬鹿の君にしては合格だ。少しは王らしくなって来たじゃないか」
あのイグニスに褒められている。嬉しくて涙と鼻水が出そうだ。っていうか今のイグニス本当優しい顔で笑ってる。飴と鞭とは言うけど普段の鞭が厳しい分、この飴は格別だ。この笑顔のためなら多分何されても俺は許せる、耐えられる。
「アルドール。王の資格はね、人を憐れみ思いやり、愛する心だよ。王は奪う者であってはならない。守る者であり愛する者であることだ。例え愛されなくとも、君は国を人をちゃんと愛してあげて欲しい」
出来るかい?と彼女の目が言う。ここで出来ると答えられないのが俺という人間だ。自信はないけどそんな風になれるように頑張りたい。そう返すのが今の俺の精一杯。いつかもう出来ているし、ずっとそう出来るように頑張るよと答えられたらとは思う。
俺らしい情けない返答に、イグニスは苦笑して俺から手を放す。そしてさっさと行けと背を蹴った。
「その上で考えて動けば、最悪は避けられるよ。絶対に」
確信を帯びた強い口調でイグニスは、俺に伝えて扉を閉める。よく見れば俺の得物であるトリオンフィまで一緒に廊下に追いやられていた。
窓から突き落とされなかっただけ充分これは優しい対応だ。でもそうされた方が楽に外に出られたんじゃないかなとか思う俺はちょっとどうかしているかもしれない。まぁ、今更か。廊下を走り外に出て、俺はユーカー達のところへ行く。
「何だよ。てめぇも面倒見ろって言うのか?」
そんなに露骨に嫌そうな顔しなくても。ユーカーって俺のこと嫌いなんだろうか?いやでも嫌われるのって嫌なはずなのにそこまで嫌な感じがしない。おそらくそれは彼がそこまで俺を嫌がっていないからだと仮定しよう。本当に嫌ならユーカーは斬りかかってでも俺のことここから追い出すだろうし口も聞いてくれないだろうし。
逆にここで満面の笑みとか浮かべられたら気持ち悪いよな。それはあまりにユーカーらしくないし、俺もドン引きしてしまう。なるほど、それならこれは俺と彼にとってのいつも通りに違いない。
「おいそこの暇人。振り返るなボケ。お前以外に誰がいるってんだ」
「あれ?俺が暇人だったのか。ちょっと気付かなかったよ」
「人の稽古邪魔する勢いでこっち睨んでくるような輩が多忙とはどうにも思えねぇんだがな」
「言われてみれば確かに」
あ、ユーカー気付いてはいたんだ。言われるまでランスは解らなかったのか。本当この二人はボケとツッコミとしては良いコンビなんだな。釣り合いは取れてる。
「アルドールはお前の上司だろ。お前が面倒見てやれよ。その馬鹿は馬鹿でも頭で考える馬鹿だから身体に教え込んでも意味ねぇだろうし、理論的に潰さねぇと多分無理だ。俺そういう面倒臭ぇの大嫌いだし」
「まったくお前はどうしてそう……」
そう言いながらも頼られたのが嬉しいのか、ランスは少し機嫌が良くなった。ユーカーはこうやってランスを立てるのが上手い。面倒臭いと口にして、自分という存在の駄目さをアピール。自分をまず貶める。それは謙譲語のような働きだ。ランスのことは一切褒めていないのに、ランスを結果として持ち上げる。こういうのをさらっと嫌味なく出来るのがユーカーの対ランス用スキルだろう。
これが他の人間にも適応されるなら、彼はもう少し楽に世渡りできるだろうに、ランス限定だから勿体ない。でもその限定仕様がかかっているからこそ、このスキルを使われた側の気分は非常に悪くない。っていうか最高。確かに気分は良いだろう。俺だけ、自分だけ。そういう限定。捻くれ者のユーカーに唯一認められてるってことなんだから。
俺もちょっと勉強させて貰いたいけど、真似したところでそれをイグニスに使っても馬鹿にされるのがオチだ。あんまり俺が面倒臭いネガティブに入るとイグニスはうざったいって嫌がるし。俺をからかえるレベルのそういうのは大歓迎だろうけど。
「それではアルドール様、僭越ながらお相手させていただきます」
「あ、うん!よろしく!」
俺のところまで来たランスはいつも通りのさわやかスマイル。それに上機嫌分がプラスされてとてつもない破壊力を持っている。俺が女だったら完全にここで攻略されていただろう。イケメン恐るべし。あまりのさわやかさに目が直視できない。
カルディアの砦でだったか、ランスと目を合わせた女はそれだけで孕むとか冗談でユーカーが言っていたが、この瞬間ありえないはずの信憑性を感じさせられた。ランス、恐るべし。
「……おい、ランス」
「何か?」
「見た感じ、アルドールとパー坊の力量の差は今のところあんまねぇ。身体能力的にはアルドールの方が年の分勝ってるが、こいつの飲み込みの速度は異常だ。良い勝負になると思わねぇか?」
「あまり感心できないな。仮にもアルドール様をそんな風に……」
「馬ぁ鹿。素振りは確かに基本だが、そんだけで強くなれたら世話ねぇよ。何事も大事なのは実戦なんだよ。植え付けた理論を身体に行き渡らせる意味でもな」
本だけ読んでも強くはなれない。強くなったような気がするだけだ。だから参考書だけ読んでも計算が出来るようにはならない。応用問題が必要なんだと言わんばかりのごもっとも。
「つーわけであれだ!俺はこれから徹底的にこいつに教え込む!お前はそいつにそうしろ!その上でだ、夕方にでも一回こいつら手合わせでもさせようぜ?」
「僕が、王様とですか?」
「遠慮は要らねぇ。ここで手を抜くことが無礼だと思えパルシヴァル!それが騎士道精神って奴だ」
「はい!セレスさん!」
戸惑い一瞬、やる気十分。秘密の特訓でもするのか場所を変えるぜと二人は去っていく。でもとりあえず一言言わせてくれ。
「え……?騎士道ってそういうのだっけ?」
俺の言葉に、隣でランスが小さく吹き出していた。ユーカーのやることなすこと彼の笑いのツボらしい。
「し、失礼しました。アルドール様の前でとんだ無礼を」
「いや、いいよ。本当ユーカーは面白いな」
あ、こんな言い方したらお前と一緒は全然面白くねーよ的ニュアンスを醸し出したりしないだろうか?どうしよう俺うっかり酷いことを。いや、面白くない訳じゃないんだよランス。唯ちょっとランスと二人きりだと俺も緊張するって言うかなんというか。ユーカーとセットの時のランスは穏やかだしボケ度全開なんだけど、ランス一人だとボケもあんまり発生しないっていうかツッコミ入れて良いのかどうか判断に悩むっていうか、そもそもキレのあるツッコミが出来ないとこの人の応対が出来ない。俺にはそういうキレがないからちょっと難易度が高い。
そんな割とどうでもいいけど本人としては深刻な葛藤をする俺に、あっさりランスは頷いた。
「はい、見ていて飽きません」
だからってガン見は自重しろよとは俺にはちょっと言えなかった。所詮チキンです。すいません。
「それじゃあユーカーみたいな喜怒哀楽の激しい女の子がタイプ?」
「な、何故突然そのような話を?」
ちょっと狼狽えたランスが可愛い。こういう余裕のある相手が戸惑ったりすると生じるギャップってのがあるんだな。
「いや、ランスは当然モテるだろうから。好きな子いなくても好きなタイプくらいはあるんじゃないかなって」
「それはあるかもしれませんが、そのようなことを聞いてアルドール様が得られる物などあるのですか?」
「後学のために」
「……アルドール様はおモテになられたいのですか?」
あんまりそういう風には見えないけれど、そうなのならば答えなければと使命感に駆られるようなランス。
なっても煩わしいだけですよと言わんばかりの空気をしれっと出せるのが羨ましい。一回くらい言ってみたいわそんな台詞。ていうか俺の人生における一度目のモテ期ってもう終わったんだろ確か0章で。残り二度が何時来るんだかわからないし、明日の我が身も知れないこの人生……モテ期カウントで寿命を測れると思うとちょっと手放しで喜べない。後今ユーカーは男にモテてるけど、あれもモテ期にカウントしていいんだろうか?一回目がアスタロットさん、二回目が今回っていうとユーカーあと一回モテ期来たら危ないよな。ちょっと心配。ランスとトリシュは日常茶飯事でモテてるみたいだからこの方法では測れない。いや、困ったね。良いんだか悪いんだか。
「あいつはあいつですから、あまりそういう事と結びつけたことはありません。確かにああいう妻でもいれば、結婚などしても毎日楽しく過ごせるんだろうなとは思いますが……」
流石、婚約者のエレインさんと結婚するくらいなら女装ユーカーなセレスちゃん娶るとか言っちゃうだけはある。イグニスと父親にはめられてあんなことまで出来ちゃうわけだ。
ランスは一緒にいて楽しい相手と一緒にいたいんだな。精霊に育てられたからなのか、俺より年上なのにこの人色恋沙汰に疎い。疎すぎる。だって幾ら好きだって言っても相手は親友で男で……とてもじゃないけどあんなこと……仮に俺とイグニスで置き換えて…………余裕で出来そうで、困った。イグニスを男だと思ってた時点でも余裕で出来そうでちょっと悩んだ。まぁいっか。仕方ないよイグニスだし。ギメルと瓜二つだからとかそう言うことでもなくて。俺のイグニスへの好きも、ちょっと行きすぎてる感はある。俺にとってイグニスとギメルは神聖なものなんだろうな。例えば敬虔な聖職者が神様にでも出会ってキスなんかされたらむしろ光栄ですっ!!とか思うだろう。それと似ている。そこに友人としてのフレンドリーな親しみが混ざっているんで、よくわからない物になってしまっているんだろう。
ちょっとしたことで、彼女が女の子だと思うと多少は意識はするが、それ以前にイグニスはイグニスって言う概念が強すぎて、女の子らしくないとかそういうわけではないんだけれど、あまりそういう対象には思えない。それでもずっと一緒にいられるなら俺は嬉しいし、そのための手段だって言うんなら、ランスの言いたいことも凄くよくわかる。むしろ結婚したいよ俺もイグニスと。毎日楽しそうだし。
だけどイグニスそのものが俺の好みのタイプってわけじゃない。それならイグニスのような性格の他の女の子がいたら?ときめくか?結婚したいか?って言われると答えはノーだ。俺が好きなのはあくまでイグニスであってその子じゃないからだ。
(この人は、誰かをそういう好きになったことがないんだな)
返答に悩み思い悩んでいる風なランスに俺はしみじみそう思う。好きの区別が付けられないのは、そもそもそういう好きを知らないからだ。
子供って残酷だってイグニスは言った。この人は子供なんだ。そういう意味で。だからとても残酷なんだ。そういう好きでもないのに悪い大人に騙されて「え?これって挨拶だろ」とか言ってしまう。魔除けの儀式とか古来より伝わる神々に捧げる戦の勝利のための奉納なんちゃらとか言われたら鵜呑みにして最後までやりかねないなこの人なら。
ていうか俺より長く生きていてそういう文献にぶつからないこの人が不思議だ。お父さんがあれなら屋敷を探せば官能小説の百冊でも二千冊でも出てきそうなものなのに。なんとなくそれがランスの目に入る前に燃やしたり隠したりぶん投げてるユーカーの図が脳裏に浮かんだ。それと同時にそれを拾ってきて物を粗末にしちゃいけないとか説教した挙げ句、これ何の本なの?とか尋ねて来るランスの図まで想像して、俺は少しユーカーが不憫で愛おしくなってきた。イグニスがユーカーをよくいびるのはこういう心境からなんだろうか?でも……あれはちょっと違うかも知れない、なんとなく。
それは兎も角だ。今はランスのことを考えていたんだった。ランス……ねぇ。時々俺はこの人が純粋なんだかよくわからない。そんなこと言って常識と良識のある相方の心を抉り、新たなトラウマを植え付ける天然鬼畜というわけだ。
「……ランスはさ、アスタロットさんってどう思ってた?」
「はい?」
「会ったことあったの?」
「……そうですね、何度かは。大人しいですが、五月蠅いあいつとは釣り合いが取れていたのではないかと」
来た。仮面だ。ランスが当たり障りのないことを言って、本心を隠している。
俺が思うにこの問題は、ユーカーじゃない。ランス側にある。ランスが一回でも誰かをそういう好きにならないと、パルシヴァルがとばっちりを受ける。それを何とかさせるためには一度ランスに自覚をさせるしかないんだと思う。
「そうかな」
「え?」
「俺は……どんな似合いの相手を連れて来られても落ち込むよ。それがイグニスだったら」
ランスはイグニスが女だとは知らない。だからこう言う。二人は親友だ。俺にとってのイグニスが、ランスにとってのユーカーだから。だから貴方は違うのかと問いかける。そのための言葉だ。
「一緒にいられる時間が減る。凄く寂しいって、そう思う」
俺の言葉にランスが押し黙る。どうやら自覚してくれたようだ。自分の中に巣くった悪意に。
「私は……いえ、俺は………」
言い直すのは騎士としてではなく、ランスとして俺の問いに答えようとしてくれているからなのだろうか?
「そうですね、俺もそうです。彼女が現れてからあいつと過ごす時間が減った」
愛情と友情は少し似ている。相手が大切だって事に違いはなければきっとそう。独占したいという気持ちが生まれる。だから勘違いする者も世の中にはいる。正直俺も怪しい部類にカウントされるだろう。
でもランスもユーカーも俺と違って頭は良いからその辺を勘違いはしてはいない。けど、知った上で代用しようとしているから質が悪い。友情が代替品として機能しているから、ランスは他者に興味を示さない。限定された興味が周りにとばっちりが及ぶ執着になってしまっているのだ。
「共に切磋琢磨、立派な騎士になろうと誓ったことも忘れて、恋愛ごとにうつつを抜かすあいつを腑抜けと笑ったこともありました。失望したのも事実です」
そうですね、俺も多分寂しかったんだと思いますとランスが俺の言葉を肯定する。
「だからこそ……今更俺だけそんな風に幸せになったら、あいつはどう思うでしょうか?俺はあの日に俺が感じた以上の苦しみをあいつに植え付ける事になってしまいます」
その思いを知るからこそ、同じ思いを味わわせたくないというランスの優しさ。なんだかんだ言っても互いに思い合ってるところはあるから、結びつきは無駄に強い。生半可な覚悟じゃ二人の間に割っていることは出来ない。
仮に俺が女でも正直ごめんだ。関わり合いたくない。正直お前ら結婚しろと思わないでもないが、危害が周りに及ぶのが目に見えている以上、その辺何とかしないといけない。そんなことにでもなればユーカーがエレインさんに刺されるだろうし、パルシヴァルやトリシュがランスに何をされる事やら。一番平和的解決法はランスとエレインさんがうち解けて良い感じになることだ。何とかならないものだろうか?
「俺は逆だと思うな」
「と、申しますと?」
ユーカーは生きていた彼女への気持ちに嘘を吐いたから、今でも悩んでいるし忘れられない。だからユーカーは今後誰かを、少なくとも女の人を好きになることはあり得ない。そう言った意味ではまだトリシュにはチャンスがあるのかもしれない。
「ユーカーはそこまでランスとお揃いでいたい風には見えないよ。自分に出来ないこと、出来なかったこと。それをランスに託したがっているように俺には見える」
婚約者への冷たさ。それが昔の自分と重なるのだろう。同族嫌悪とは少し違うけど。
アスタロットさんにはもう何もしてあげられないから、その妹の幸せを願い、そして自分の分身と彼女の分身としてランスとエレインさんを見る。その二人が幸せになれば自分たちも少しは救われるような気がする。
「託されましても……」
「ユーカーは万が一でも自分と同じ後悔をランスにして欲しくないんだよ」
もしエレインさんに何かあったとして、それでランスは何も思わないのだろうか。思わないのならそれはそれで人として騎士としてどうなのだろう。それはランスの言う立派な騎士像とは離れてしまうのではないか?
「それでも俺は」
そんなこと望んでいないと言うランス。確かにそうだろう。それはユーカーの押しつけだ。でも、それが一番簡単に、ランスを幸せにする方法だと思っているのだ。
「俺は……あいつなら兎も角、仮に彼女に何かあったとしても……それで痛める心は私にはありません」
「……本当にそう?」
「ええ」
ランスは頷く。嘘を吐いているようには見えない。そこから見るに、彼にとって女性は守る対象であって、優しくするべき存在であって……それは騎士道精神から来るもので、そこに使命以上の感情はない。騎士だから条件反射で守るだけ。使える王の名に恥じない騎士らしい騎士であること。それが彼にとっての正義だからだ。守るべきはそれであり、彼女たちではない。
(本当にこの人は……)
誰かに恋をしたことがないんだな。だから、そういう痛みを知らない。愛する人が死んでしまう悲しみとか、変わってしまう想いの悲しさとかやるせなさとか。
(……可哀相だなこの人は)
もしかしたらこの人は世界で一番幸せなのかもしれないけれど、同じくらい可哀相かもしれない人だ。
この人の外見と外面と名声に人は集まり、彼に好意を捧げるけれど、彼女たちは彼を知らないし見ていない。つまりは愛してはいない。けれど彼自身、誰も愛せない。
愛されないから愛さないのか、愛さないから愛せないのか。俺にはよく分からないけど、ランスが変わるか、ランスにとって新世界……言うなれば未知。これまでにないような相手が現れなければ彼は一生このままだ。カードなのだから彼の一生は決して長くはない。
ユーカーが必死になっているのは、最後の一枚になる気がまるでないランスの幸せを思ってだ。生き残らないのならせめて死までの道程が幸せなものであるようにと、彼は一生懸命彼のことを考えている。
ユーカーが何でコートカードか、ちょっと解った。彼はその幸福を自分のためには使わないんだ。ルクリースとユーカーの共通点が、コートカードということ。ルクリースも……幸せのはずのコートカードになったのに、彼女がその幸福を使い果たしたのは一月にも満たない。その幸福の幾らを自分のために使っただろう?俺を守るため、フローリプを、イグニスを救うため……その幸福を、命をすり減らした。
ユーカーもそうするつもりなんだ。それが彼の生き方なら俺が止めちゃいけないんだとは解る。それでも俺は……あんな風に誰かが死ぬのはもう嫌だ。ユーカーがそれで良いと言っても俺が嫌だ。
ユーカーは自分の幸福、命と引き替えに……ランスの幸せを願っている。その祈りでも彼を守ることが出来なければ、その時はアスタロットさんを生き返らせることを望むのだろうけど……ランスが生きている限り、ユーカーはそれを望まない。
二人とも目的が違うから、その優しさとかが無意味になって、思いが空回りしている。だから見ていて歯痒いんだ。
「……そうだね。俺は……俺も、ユーカーに……いや、ユーカーにも、死んで欲しくない」
そこでランスがはっと顔を上げたのが解る。驚いたように俺を見る。
「より難しい、困難な願いは幸福値を大量に消費する。確立をねじ曲げて結果を変えるのがカードの力だ」
「…………」
「ランスがふらふらしてるとユーカーの願いも定まらない。幸福値が無駄に垂れ流されるんだとしたら、そういうのは良くないよ」
「俺があいつを犬死にさせると……殺すことになると、そう仰りたいのですか?」
「違うよ。俺はランスが俺のためにユーカーをそう使うことを嫌だって言ってるんだ」
ユーカーは俺にじゃなくて、ランスのためにカードの力を使いたいんだ。そのランスが俺のためにユーカーを消費するのはちょっと違う。だってランスが本心からそれを望んでいるわけじゃないんだから。それじゃユーカーも煮え切らない部分があるだろう。
「だってユーカーは俺に仕えているんじゃない。だからさランス……ランスはもう少し自分のやりたいこととかはっきりしてあげるべきだと思うな」
「…………そう、ですね」
それが解れば苦労しません。重い溜息からは、そんな言葉が聞こえた気がした。ランスはなぁ……俺並に自分を知らない人なのかも知れない。
でも周りから見ればそれなりに彼の個はあるきがするのに……例えば、そう思って俺は手にした得物に気がついた。そう言えばユーカーが何か言っていたな。夕方に試合だとか何とか。
ランスも騎士だし、剣技の中には個という物があるはずだ。案外こういうタイプは理詰めより、行動というかそういうのでぶつかる方がいいのかも。ぱっと見はユーカーの方がそういう感じするのに、ユーカーは行動より言葉とかの方が伝わるし、ランスはその逆なのか。本当見た目で測れない面倒なコンビだ。
「まぁ、それは置いといて。そろそろ始めないと俺の負け確定色が濃厚になっちゃうと思うんで、剣の方見てもらえたりする?」
俺がトリオンフィを掲げれば、ランスもそれは得意分野だからかとてもいい表情で、喜んでと頷いてくれる。
「解りました、それではアルドール様。一度屋敷に戻りましょう」
「え?」
素振りとか、形とかそういうところから入るんじゃないの?驚く俺にランスは小さく首を振る。
「アルドール様は槍の心得は?」
「いや、全然」
「騎士という物は剣だけではありません。剣と槍と馬術、この三つを兼ね揃える必要があります」
騎士のイメージ、象徴としてまず掲げられるのが剣。そう思っていたけれど……ランスはそうじゃないと口にする。
どうしてここで槍の話になるんだろうとは疑問に思ったが、俺はランスに連れられるがまま屋敷に戻り書庫へと入る。そして槍についての本をいくつか持って来た彼に促され、席に着く。
「言われてみれば確かに本の中の騎士様って槍の名人とかもいるよな。試合とかっていうと槍試合の話とかの方が多いか」
「騎馬戦ですと剣より槍の方が活躍出来ますからね。剣を使うのは主に白兵戦になってからです」
「へぇ」
「そしてパルシヴァルは剣こそまだ囓ったばかりですが、槍の方はあの年ではかなり卓越した部類に入ります」
「ええっ!?」
「これまで騎士見習いだったので剣と馬を持っていなかったので仕方ないと言えば仕方ないのですが……」
「ぶっちゃけ……槍についてまったく心得ない俺とあの子だったら」
「槍試合ならまず間違いなくパルシヴァルに軍配が上がるでしょう。ことに槍において彼には天性の才があります」
別に俺としては勝ち負けはどうでもいいけど、俺も強くはなりたいからやる前から負ける気で勝負に望むのは良くない。それじゃあちっとも身に付かないと思う。だけどランスは完全に俺を勝たせる策を考えるポーズに入っている。それが主としての俺を立たせることであるし、俺の名誉に泥を付けたくないのだろう。後、単にランスの負けず嫌いが発動しているのか。
勝つ方法を模索する。そのための鍛錬を怠らない。確かにこの人は立派な騎士様だ。だからこそ……俺は出会った頃のランスがとても窮地に立たされていたのだと知る。
この負けず嫌いの男が、命を投げ出すための負け戦……仇討ちのために的に突撃しようと考えていたなんて信じられない。アルト王を失った彼はそれほど脆い存在だった。その彼がここまでいろいろ考えてくれるようになったってことは、少しは立ち直ってきてくれているってこと?状況は未だ最悪だけど……俺を信じていなくても、王っていう俺がいることで、少しは彼を支えられてはいるんだろうか?こんなお荷物みたいな俺でも、彼の役に立てているのか?それなら俺は……今彼の傍にいられてとても嬉しいと、そう思う。だから自然と彼の講義にすんなり集中できた。
「アルドール様。一概に剣と言っても、その種類や技や目的には様々な用途があります。まずは切る、突く、刺す、殴る。彼は殴る切るの技はありませんが、突く技ならば槍の鍛錬で既に習得しているでしょう」
「あのー……刺す、については?」
「刺すというのはそうですね。鎧の継ぎ目、隙間などを狙う技です。突くに似てはいますが実戦経験がない以上それについても彼は知らないはずです」
「……実戦か」
「はい。アルドール様は都までの旅をされる途中に何度か実戦もあったとのことです。その点はアルドール様に分があります」
人を傷つけること。その躊躇い。覚悟を持って得物を手に取ること。それをあの子はまだ知らないのだと彼は言う。
「先ほども言いましたが、槍は剣よりリーチが長い。幼い彼が身体能力の差をカバーするには最適な武器であるとも言えます。今回はそのリーチが失われている分、確かに良い勝負に……いえ、若干アルドール様が有利です。しかし相手はあのユーカーです。どんな技を教え込んでくることか」
「ああ、そっか」
だから俺に槍についての知識を植え付ける必要があったのだ。ユーカーはゼロから剣技を教えない。これまでパルシヴァルが一人で培ってきた槍技を活かしたやり方を探してくるに違いない。ランスはそれを読んだんだ。
「確かに俺……切るとか振り下ろすとかはやったけど、受け止めるとか剣で防御するとかはじくとか解らないな」
振り下ろされるならなんとか読める。でも突かれたらどう防御すればいいのか全く解らない。多分逃げに入る。避けることを考える。今までは傍にイグニスがルクリースがいたからそれで良かった。逃げなくても庇ってくれる。守ってくれる人がいた。だけど何時までもそれじゃ駄目だ。俺も自分の身くらいは自分で守れるくらいに強くならないと。
「では一通りの技の流れと、その対応を説明後、実際実技に入りましょう」
「ああ、よろしくランス!」
「ランス様ぁああああああああああああああああ」
「え、えええええええええええエレインんん!?」
突然書庫に飛び込んできたカーネフェリーの少女。手の盆には二人分の茶を持っている。どうして俺たちがここにいるのかわかったのかわからないが、気が利くというのは間違いない。しかしその美徳が美徳として感じられないのはどうしてなのだろう?
にじり寄る彼女にランスはじりじりと後退。本棚の周りをそんな調子で何周かしている二人に俺は助け船を出すことにした。
「エレインさん、ありがとう。ちょうど喉が渇いてたんだよ」
ランスの主である俺がそう言う以上、彼女はここで俺を立てなければならなくなる。一応俺も王だし。それに彼女も気付いて机の方へと駆け寄ってくる。
「いえいえ、お気になさらず!私としたことが、アルドール様へのご挨拶が遅れて申し訳ありません」
俺という客人の手前、あまりぶっ飛んだことも出来ないようで、エレインさんはにこにこと笑顔を湛える。ランスも今は安全圏かと彼女から遠く離れた席へと腰掛ける。
「わざわざすまない。助かったよエレイン」
俺が感謝している以上、ランスも一応彼女に礼は言わなければならないみたいで、そんな言葉を口にした。それに彼女はきゃっと喜びの黄色い声を発するが、ランスの端正な顔には冷や汗が浮かんでいた。
「それで、用事はそれだけ?」
なら出てけ。さっさと出てけ。そんな言葉を含む黒い笑顔でランスが笑う。しかしそんな彼に夢中の少女は真実を見据えることが出来ない様子。
「ランス様ったらぁ!アルドール様の前で私にそんなことを言わせたいんですの?そりゃあエレインは“ランス様にお会いししたくて”ここに来たに決まっているじゃありませんか」
なんてメンタルの強い子なんだ。帰れスマイルから強制的にバカップルの会話まで昇華させて来た。
「いや、そうじゃなくて……今私とアルドール様は大切な話をしていて」
「あ、そうでした!お義兄様からご伝言です!」
「ユーカーから?」
そこで初めて会話の流れに興味を持ったようなランスにむっとするエレイン。可哀相にユーカー。またこうやってとばっちりでエレインに恨まれるんだな。
「唯勝負するのもつまらないから、負けたチームは勝ったチームの言うこと何でも一つ聞くってのはどうだ?ですって。セレスお兄様ったらまたご自分の首を絞めるようなことを言うんですから困った物ですわね。それともそういうご趣味なのかしら」
ちょっと返答に困る言葉が続いたが、ユーカーもいったい何のつもりなんだ?俺やランスにさせたいことなんてないだろうし、あったとしても料理のリクエストをするくらいのかわいらしいお願いだろう。だが、相手はランスだ。俺が勝った場合……俺の指導者であるランスも必然的に勝ちになる。その場合ランスが何を言い出すか。ユーカー相手にはそんな酷いことは言わないとは思う。思うけど、相手はパルシヴァルだ。どんな大人げないことを言い出すことかと思うと恐ろしい。そして俺が手を抜くようなことがあったらそれはそれで俺とランスとの距離、温度差がまた酷いことになる。ええと俺はどうすれば……?
「何でも言うことを聞く……ですか」
善人面が完全に悪人面になってるよランス。それでも美形度が揺るがないのは流石ランスだ。ランスに火が付いた。今までの比じゃない程にやる気を出している。この人一体何をさせたいんだよ。っていうかさせたいことあるんだ、そんなに。
(ユーカー、まさかこれを狙って?)
本気で来いって言っているのか?それが俺とパルシヴァルの成長に繋がるって信じて?……いや、よく考えたら何も無い試合じゃつまらないってだけかも。よくわからないけどユーカーがある程度ランスの操り方を心得ているのは事実らしい。
「頑張りましょうねアルドール様!」
「え、あ……う、はい」
何を考えているんだかよくわからないランスの満面の笑みに、俺は少し押され気味に頷いた。……もとい、頷くしかなかったのだ。
*
「つーわけで、だ」
ちょっと悪巧みをする時のセレスさんはとても楽しそうだ。僕はそんなセレスさんを見ているのが楽しい。
パルシヴァルがにこにこと笑みを返すと、少し居心地悪そうにその人は顔を背けた。結構照れ屋な人だから、人の視線に慣れていないのか時々こういう事をする。綺麗な目なのに勿体ない。
「ランスの阿呆はアルドールの馬鹿にきっと槍の知識を植え付けるところから始まるだろう。基本的な型とその切り返しは記憶させてくるに違いねぇ。アルドールは記憶力だけは良いらしいからな」
「そうなんですか」
王様は、アルドール様はやっぱり凄いんだなぁ。何かそういう凄いものがないと王様になんてなれないのかもしれないな。そんなことを僕は考えた。
僕とセレスさんがやって来たのは領地の外れ、緑の多い森の中。ちょっと僕の住んでいたところと雰囲気が似ている。
「そこで、だ。俺はお前に型を今日は教えないことにした」
「どうしてですか?」
「パルシヴァル、記憶力ならお前もなかなか良い線行ってるぜ。っていうかお前の場合飲み込みが異常に早い。教科書通りの技なら多分教えれば今日中に習得できるはずだ。試しに一回俺に打って来てみろ」
「は、はいっ!えいっ!」
「さっきまで教えてた素振り通り、良い太刀筋だ。だが正確過ぎて簡単にガードされちまう。わかるな?」
「はい」
「特に相手は知識吸収型だ。お前が本の中の技を使ったり、俺やランスの技を使うようならその辺看破される可能性がある。だからお前は夕暮れまでにお前自身の技を一つ編み出す必要があるってことだ」
「僕の技……」
その響きにはちょっと憧れる。でも出来るんだろうか夕方までに。いや、セレスさんが僕を信じてくれているんだ。絶対にやってみせる。僕はその期待を信頼を絶対に裏切ったりしない。
「んー……だな、お前が磨くべきは反射神経だと思うぜ。頭で考えてからじゃ遅いってこともある。常に気を読めるようになっててまず損はねぇ。これさえ覚えておけば勝てない勝負でも負けることはまずあり得ない。死ぬ気でかじりつけば誰相手でもドローに持ち込めはするだろう」
「……勝てないんですか?」
不安になる僕に、セレスさんは言う。早まるなと。
「これだけ会得してても勝ちはない。だからちゃんと型とか型破りでも剣技はマスターしとけって話だ。勿論技はいくつか教えてやる。そっからお前なりに考えていけってことだ」
「はい!解りました!」
「んじゃまず最初に俺の技を見せる。お前がそれを覚えたら俺に打って来い。そこでそのガードを教えてやる。その後は三時までひたすら実戦だ。三時なったら息抜きに茶飲みタイム。その後もう一回手合わせだ。そこまでにお前の技を俺に見せること。いいな?」
「はい!頑張ります!」
「ああ、それからだ。さっきエレインにも言ったが……」
「勝った時の話ですか?」
「……そうだな。お前が勝ったなら俺もお前の言うこと一つ聞いてやるよ」
さらっとそんな事を言うセレスさん。だけど突然そんなこと言われても、そんなすぐに何かを思いつかない。僕はこうしてセレスさんに、指導してもらえるだけでも嬉しいのに。
だけどそんな思いに水を差したのは、そのセレスさんだった。
「だが、お前が負けた時は……お前はもう一回考え直せ」
「セレスさん?それってどういうことですか……?」
「お前はうやむやの内に騎士になっちまった。だからまだ実感もないだろうし、騎士になってやりたいことってのもよくわからねぇと思うんだ。だがこれは憧れだけでやっていけるような職でもねぇ」
僕の夢であるその人が、僕に現実を語る。騎士とはそんなに良いものかと僕に問いかける。お前だって俺の悪い噂くらいは聞いたことはあるんだろうと、僕の憧れる自身を貶めていくセレスさん。
「……だってのに、残念ながらお前は才能がある。このまま行けばいつか絶対強い騎士になるだろう。だからこそ俺はお前に聞きたいことがある」
「…………聞きたいこと、ですか?」
「いいか?騎士は戦う道具だ。国の駒だ。命は自分の物じゃねぇ。命がけで、お前は何のために戦う?俺のためじゃねぇだろ?でもアルドールのためでも、カーネフェルのためでもねぇ。それなのにお前はアルドールに仕えている。お前はそれでいいのか?もしそんな風に自分が死んで、それでもお前は本当に良いのか?」
死ぬ。それはどういうことだろう。
痛いこと?苦しいこと?死んだことがない僕にはわからない。ただ、動かなくなること。喋れなくなること。目を開けられなくなること。大切な人の傍にいられなくなること。それが死ぬって言うこと。裏を返せばそれが殺すって言うこと。それが騎士なんだってこと。
僕は何のために剣を取る?これからこの手を汚すんだろう?考えたこともなかった。唯この人みたいになりたくて、走って走って……僕はここまで来てしまったんだ。
「それをちゃんと見い出せねぇと、いつか辛い思いをするのはお前だ。強くなる意味と、強くあるための意味をちゃんと心に構えとけ。それが騎士の心得だ」
「……セレスさん、一ついいですか?」
「何だ?」
「セレスさんは、どうして騎士になったんですか?」
それしかなれなかったなんて嘘だ。セレスさんの性格なら、本当に嫌なことは絶対にやらない。騎士になりたくないのなら、別のものになれたというのは彼だって。それでも敢えて騎士になったこの人には何か思うところがあったはずだ。
「お前と同じだ」
「え?」
「認めさせたい奴がいた。それで俺は騎士になった。でもな……未だにそいつは俺を認めちゃくれてねぇ。だから俺は騎士として中途半端に終わってる」
その言い方から、それが僕と同じ……母様へではないことに気がついた。だってセレスさんの母様はもうお亡くなりだったはず。
(セレスさんは確か……)
南部の出身だ。でも滅多に地元に帰らない。実家とは縁を切ったとか勘当されたとかそんな話を耳にしたことはある。セレスさんはセレスさんの父様と仲が悪いんだ。
(だけど……父様か)
それは一体どんなものなのだろう?僕の家には母様しかいなかったから、よくわからない。セレスさんはとても寂しそうに、そして憎らしげに……怒りと悲しみを共に抱えた暗い目をする。そんな風な目をさせるような相手が、この人にとっての父様というものなら……僕も僕の父様について知る日が来れば、こういう思いに捕らわれるのだろうか?
「だからお前が俺なんか目指しても、きっとろくな事にはならねぇ。だからお前はしっかりそういうことを考えろ」
セレスさんの傍には母様も父様もいない。本当は僕以上の寂しいを、この人は知っているんじゃないのかな。
「はいっ!」
それなら僕は頑張ろう。寂しいなんて弱音を吐いていられない。僕はセレスさんみたいに強い騎士になるんだ。セレスさんは何の弱点もない、本当に完全無欠の強さを誇るわけじゃない。それでも僕の前では絶対弱音を吐かないセレスさんはやっぱり僕にとってはヒーローだ。その人が言うんだ。母様に認めさせるだけじゃ駄目だと。貴方に認めて欲しいってだけでも駄目だって。何故僕が騎士を貴方を目指すのかを、しっかり考えなさいって。