9:Ridentem dicere verum, quid vetat?
聞いた話に寄れば、アロンダイト領はここからそんなに遠くない。馬車や馬を使えば一日足らずで迎える距離だ。かく言うエレインという少女も馬車を用いてここまで来たらしい。
アルドール達がトリフォリウムを出たのは翌日の朝早く。その甲斐あって日暮れ頃にはアロンダイト領が見えてきた。
「ここがランスの実家かぁ……」
緑に囲まれたなかなか良い景観の土地。ランスの言うよう領主がしょっちゅう土地を開けている所為でそこまで賑やかな様子はないが、だからこそ保たれる……人の手が入らぬ静けさその美を湛えた土地だ。
俺としては結構好感を持ったが、ランスとしては余り良い思い出がないのかその顔は暗い。
とりあえず客室に通されたが、それが気になって俺は何も手に着かない。というか今日はやることがない。人の家なのだからあまり好き勝手に動けないし、そうしたところで俺に何が出来るというのか。帝王学を受けてきたわけでもない、王としての仕事も解らない。そして今は俺に出来る仕事もないのだろう。忙しいのはイグニスとアロンダイト卿親子くらいだ。
そしてそんなお荷物兼暇人の俺の相手を務めるのが……
「アルドール様!この本などは如何ですか?」
「うわ、面白そうだなー!」
暇つぶしはやっぱり本に限る。本の虫の俺はそう言う結論に至った。同じく読書家のトリシュと屋敷内の書庫を漁っている。
パルシヴァルは明日からユーカーに稽古を付けて貰うとかなんとかで、早めに就寝してしまった。
「……にしても、何だかんだで北部も暑いな」
「この辺りには水辺がありますからまだマシな方だとは思うのですが……」
そう言いながらトリシュは窓へ視線をやった。その時……
「遅くまでお疲れ様です!アルドール様!トリシュ様!」
「あ、ありがとうエレインさん」
書庫に響く明るい声。振り向けば茶を運んできた少女の姿。彼女が淹れてくれたお茶は、しっかり冷やされたそれは夏の暑さを僅かに払拭させる。良い葉を使っているのか味も香りもなかなかだ。
「でも俺達なんか構ってていいの?」
「はい、だって私のランス様の仕える方と、大切なお友達ではありませんか」
夫の主は私の主。夫の友は私の友も同然ですわと彼女は言う。その言葉はとても立派な物だ。しかし……
「それに将を射んとせばまず馬を射よと言うじゃないですか」
「ああ、うん、そうだね」
一瞬お茶を吹き出しそうになった。その馬に当たる本人を前にして言うだろうか。裏表のない子なんだなと、ある意味好印象。
「エレインさん、ちょっと窓を開けていただいても良いですか?」
「あ、はい!今すぐに」
トリシュの言葉にエレインは鍵の束を取り出して窓辺に駆け寄る。窓の一つ一つにも施錠が為されており、それは専用の鍵がなければ開かない。 不便だが、仮にもここは領主の屋敷。内外に簡単に機密が漏れるようなことがあってはならない。仕方のないことなのかもしれない。そして屋敷の鍵の一部の管理を任されているのが彼女。
家の鍵を任されるのが妻の務め。この子はランスの婚約者として彼の留守を守っているのだ。彼女の鍵が増えることは着実に外堀を埋めに来ている証拠でもあり、ランスにとっては見たくない現実なのだろう。
(そりゃあランスの気持ちも解るけどさ……)
恋愛対象に思えないものは思えない。俺だってフローリプを妹として見てきた。それが彼女を傷付けているとも知らず。それでもここまで想われて彼は何も感じないのだろうか?この子は暴走しているが、ランスへの好意に嘘はなさそうだ。
「どうかしましたかエレインさん?」
窓に手を掛け固まった。そんな少女を心配して近づくトリシュ。彼も外を見固まった。そんな二人を疑問に思い、俺も恐る恐る其方へ向かう。幸いというか残念ながらというか俺は固まらずに済んだ。
「あれって、ランスとユーカー?」
こんな時間に何処へ行くのだろう。二人は森の方へと入っていく。それも人目を忍ぶようにこそこそと。
「ら、ランス……っ!君という人はっ!!ぱっと見彼を諦めたように装いながらまだ全然懲りていないじゃないか!」
「こ、こんな時間に二人で何処に出かけるっていうんですの!?ランス様っ!お兄様っ!!そんなことエレインは許しませんよ!」
嫉妬に身を焦がす騎士と、屋敷中の鍵は閉めて回ったのにどうしてと慌てる少女。書庫の静寂は途端に破られた。
「これ以上僕のイズーを汚されて堪るかっ!」
「ランス様!私がお兄様のベッドと枕に画鋲を仕込んだからって、お外で何て不潔ですっ!」
そんなことしてたのかこの子は。可愛い顔して陰湿だなぁ。
俺がそう思っている内にも二人は窓から飛び出していく。ここ、二階なんだけど。悩む魔もなく飛び下りるか。恋する人は恐ろしいなぁ。俺も恐る恐る後を追う。あの暴走した二人を野放しにすることで、ランスとユーカーがどうなるかがちょっと心配だったのだ。
どうせあの二人のことだ。紛らわしいだけでたいした理由も意味もないだろう。久々の領地、大嫌いな家。そんな場所から息抜きにどこか散歩に行ったとか、そんなのが正解に違いない。違いないのだが、あの盲目の二人にそんな声は届かない。たぶん自分の目で見るまで何も信じない。溜息ながら俺は二人を追う二人を追いかけた。
*
こいつは本当に訳が分からない。今日一日ろくに口も聞いてこなかったと思えば、こんな時間に俺の所へやって来る。それで何を言い出すかと思いきや……
「ユーカー、頼みがある」
「な、何だよ」
真剣な目。どんな頼みなのだろう。こいつがこんな顔をするなんて。期待と恐怖で内心びくついている俺にこいつは微笑み……
「鍵、開けてくれ」
「はぁ!?」
「お前に基礎を教えられた程度の俺には破れなかった。エレインとこの家……また鍵の技術を上げている」
「俺は便利アイテムじゃねぇぞ」
酷ぇ。こいつ俺を飼い犬所か、イベントアイテムか何かと同列にしてやがる。売れないし捨てられないし一回使うと大体用無しってあれな。でもたまにまた使う奴とか出てくるから預けるに預けられず手元に置くってあれ。酷いにも程がある。
「引き受けてくれるんだな、ありがとう!流石はユーカーだ」
俺の不満も引き摺って、ランスは俺に鍵を破らせる。多少面倒臭くなっているが俺に破れないものではなかった。さてはこいつ途中で面倒臭くなって俺に投げに来たな。
「んで?何処行くんだよ」
「母さんの所。顔出せって言われたし……それに頼んでいたこともある」
おおよその見当は付いた。だから詮索は無用ってのも。だから俺は代わりに違うことを言う。
「なんつーか……ここ来んのも久々だな」
「?お前は北部に来ていただろ?」
「あの女の所に一人で顔出しても文句言われるだけだっての。ランスはどうしたのって」
俺にとっても本当に久々だ。アロンダイトの領の中には綺麗な湖がある。そしていわく付きの場所。こいつの言う母さんは、どっちの意味の母さんなんだろうな。皮肉なもんだ。墓参りと、養母への挨拶、両方がそこなんだから。
こいつは水辺からあの精霊を呼び出すことが出来るが、本当にこいつの養母が棲んでいるのはこの湖だ。
夜の湖は物静かで不気味さを漂わせる。昔の俺は夜にここに来るのが嫌だったが、この間死人祭りみたいなものを見せられてきた今となってはそこまで怖くもない。
「只今、母さん。お久しぶりです」
《きぃやあああああああああああああああああ!!お帰りランスぅううううううううううううううううううううううううううう!!!あんたこの間より更にいい男になったんじゃないの?母さん鼻が高いわぁ!ってことで再会の挨拶を》
「いい加減にしろよこのクソ精霊」
とりあえずその声の発生源、ランスの顔のすぐそばに軽く回し蹴り。無事にヒットしたらしく、うめき声が聞こえる。
《空気読みなさいよユーカー!なんで母子の再会に水差すの!?》
「普通の親子は口にしねぇしディープまでしねぇんだよ。全世界の親子と俺に謝れ詫びろ謝罪しろ」
「謝るのは貴方でしてよお兄様っ!」
突然俺達の会話に飛び込む女の声。近くの茂みから飛び出してきた少女が一人。恋する乙女は恐ろしい。それを体現した奴だ。
「そ、その声……え、エレインんん!?こんな時間にどうしたんだよ!?」
いいところのお嬢がこんな夜中にドレスに葉っぱや蜘蛛の巣泥やら何やらで汚してまで……ってどんな風にしたらあんなに汚れるんだ。こいつ、匍匐前進か何かで追って来たのか?
しかし俺の疑問に答えずに、エレインは俺に詰め寄りぎりと瞳を釣り上げる。
「それは私の台詞ですわ!女装しランス様を誘惑してあんなことをしたにも飽きたらず、今度は何処までお出かけですの!?Bですか!?Cですか!?Zですの!?」
「むしろ俺が被害者だ!っつーか、Zって何だよ」
《ユーカー!あんた私のランスになんてことしてくれてんのよ!確かに私のランスは格好いいし可愛いし優しいしいい男だしあんたみたいな屑が惹かれても仕方ないと思うけど、身の程を弁えなさい!》
「だから俺が被害者だって言ってんだろうが!」
「母さん、あんまりユーカーを苛めないでください」
「ランス……」
「それは俺の特権です」
「結局そこでお前は落とすのか!?俺オチ止めろ!!」
俺がツッコミを入れ終える。そこで俺は当たりが静まりかえっていることを知る。それにちょっと思い出すことがあって、恐る恐る後ろを振り向けばエレインが両肩を振るわせている。
「ランス様……お兄様……お二人は、またそんな明後日の方向を見て会話などなさって。お二人の前世は猫ですか!?まだ幻覚が見えてるんですの!?」
「あ、いや……」
「いけませんわランス様!お疲れなんですわ!エレインが添い寝をしてお疲れをとって差し上げますわ!そうすればすぐに幻覚なんか見えなくなりますわ!」
そうだ。こいつには精霊が見えない。見えないどころか聞こえもしない。
湖の精と会話している俺達が、異常に見えるのだろう。幾らランスが数術使いとはいえ、知らないことを知らない人間が正しく理解するのは難しい。
「ランス様のお母様は亡くなったんですのよ?そんな亡霊に惑わされてはなりません!水妖は水辺に人を招いて引き摺り込むと言うじゃないですか!お兄様はどうでも良いですけどランス様に何かあってはエレインは……エレインはっ」
「ランス……こ、こいつも悪気があって言ってるわけじゃなくて、お前を心配してるってのは解るよな?」
大切な養母を否定され、仏頂面になるランス。俺が必死にエレインとの仲裁を図るが、無意味に終わる。ランスがエレインを快く思っていないのは、たぶんこういうところ。でもこればっかりはどうしようもないじゃないか。
「エレイン、俺はやっぱり君とは結婚できない。母さんが見えない、声が聞こえない。それは許せても……彼女を否定する君を、俺は好きにはなれない。君と結婚するくらいならセレスでも娶った方が何倍もマシだ」
「だからそこで俺を引き合いに出すんじゃねぇって!」
「お兄様の馬鹿ぁっ!」
「ぐっ……」
やっぱりここで打たれるのは俺なのかよ。だから顔のいい男は嫌いなんだ。そういうのに惚れた女は本人じゃなくて近くにいる俺を殴るから。
走り去るエレイン。俺は追うに追えなくて、ランスに視線をやるが、この男と来たら追う気ゼロ。ぷいとそっぽ向いている。こいつは本当母親絡みの話になると大人げない。エレインより何歳年上だと思ってるんだか。
「……仕方ねぇだろ。あいつは何も解らないんだから」
「解らないからって人を傷付けて良いという理由にはならない。俺は彼女のそういう思慮の浅さが大嫌いだ」
「今日のお前が言うな大賞はお前な。ここんとこ連日受賞しまくってんぞお前」
「え?」
「えじゃねぇよ。ったく」
またいつもの天然面に戻った従兄に俺は重すぎる溜息。あれとこれ、どっちも素だから質が悪いんだよなこいつは。
「んで、そこに隠れてる奴出て来いよ。5秒以内に出て来ねぇとどうしてやろうか……」
俺のカウントダウンに、茂みから飛び出す金髪三つ編み。即位式のポニテからまた庶民ルックスに戻りやがったアルドール。
「ったく、どうしてエレインなんか連れて来たんだよ」
「いや俺は、止めに来たんだって。あの子ほっといたら何しでかすかわからないし、二人が心配で……」
《誰?その子》
「アルドール様ですよ母さん。俺の仕える方です」
「あ、初めまして。ランスのお母さんですか?いつも彼には助けられています」
湖の精ヴィヴィアンのいる方をちゃんを見ながらお辞儀をするアルドール。その様子はエレインのそれとはまるで異なる。
「お、そっか。お前みたいな阿呆でも一応数術使いだったな。んじゃ、見えるか」
「一応って何だよ」
「最弱が一応じゃなくて何なんだ?」
「うっ……」
俺の指摘に言葉を詰まらせる情けない奴。相変わらずのへたれ野郎だ。
《ああ!あのアルドール饅頭のアルドール様ね!》
「ま、饅頭!?」
精霊にまで都のお祭り騒ぎを知られていたのかと絶句、赤面するアルドール。ほんと都の奴らって馬鹿ばっかだよな。こいつも大概だが。
(まぁ、それでも……)
ランスが俺を気に入った、最たる物はたぶん……俺がヴィヴィアンの声を聞くことが出来たからだ。それがあったから俺達は出会えたし友人になった。それじゃあこの精霊を見ることが出来るアルドールとなら、俺よりも親しくなれるのかもしれない。
入れ込みすぎて依存になると以前と同じ事の繰り返しだが、友人として話せるようになったなら、少しはこいつの王への神聖視は和らぐだろう。
こんな阿呆に俺の自慢の友人を貸し与えるのは癪だが、それが今はランスのためなのだ。仕方ない。
「ランス、てめぇはこの馬鹿に話しておくことがあっただろ?俺は攻撃も喰らったしもうてめぇに付き合いきれねぇ。んじゃあな」
そう言い残して足早に森を抜ける。後ろから俺を呼び止める両者の声があったが聞こえない振りをする。俺はお前らの通訳じゃねぇんだ。便利アイテムでもねぇんだよ。お前らも人間なら直接会話をしやがれ。
*
(ど、どうしよう)
アルドールは悩んでいた。困惑していた。動揺もしていた。ついでに言うなら逃げ出したかった。
しかしイグニスに言った言葉を思い出し、なんとかその場に踏みとどまった。
エレインは帰ったし、トリシュもそれを追って消えたし、頼みの綱のユーカーももういない。ここは俺が何とかするしかないのだ。
「話って……俺に?」
ユーカーが残してくれた話題の種を拾って、俺は何とか顔を上げた。その先でランスは視線を母親に逃がしている。
流れるような水の色。そんな綺麗な髪をした小さな妖精のようなそれ。それが噂に聞いていたランスの母親らしい。その節はカルディアではお世話になりました、魚料理三昧で。
「…………」
どう言えばいいのか解らない。そんな様子のランスを助けるよう、口を開いたのは彼女だ。
《饅頭……ごほん、ええとアルドール様だっけ?改めまして初めまして。私はヴィヴィアン、この湖の精でランスの養母。実はこの間私はこの子から預かり物をしたのよ》
何で俺より先に饅頭の方が記憶に残って居るんだろう。ここにイグニス居なくて良かった。居たら明日から俺は彼女に饅頭呼ばわりされているところだった。そんな馬鹿なことを考えている俺に、彼女は真面目な顔つきで言う。
《貴方の妹の亡骸。とある水辺に埋葬させて貰ったわ。ぼちぼち落ち着いたら引き取りに来て貰おうと思ったんだけど……ちょっと参ったことになったのよ》
「フローリプが……?」
「どういうことですか母さん?」
《真っ当な精霊って血の穢れを嫌うものなのよ。悪い数字に当てられるとこっちも調子狂ったりするから》
詰め寄る俺達に、ちょっと黙って話を聞きなさいと彼女は言う。小さな精霊に似合わない溢れる怒気に睨まれた俺達は口を閉ざした。
《要するに、だから預かり物を匿ってくれる宛って言うのがなかなか見つからなかったのね》
その口調ではここにフローリプが居るわけではないらしい。あの状況で満足に葬ってもやれなかった。敵の手に奪われないようしてくれたランスには感謝しているが……俺はフローリプの墓にまだ手を合わせることも出来ないのか。
《でも時々そういうのが得意な精霊もいる。環境汚染に感化されて慣れちゃったっていうかまぁそういうの。ちょっと好戦的っていう所を除けば私達とそこまで大差し、能力自体は秀でてる。でも人間嫌いは私達以上。故に契約するのは難しい。そういう精霊が居るのよ》
「それでその方に預けたんですか?」
《ええ。綺麗な場所であるのは確かだし、景観だけなら良い所よ。不吉な気が漂ってるのが残念だけど》
問題はその不吉な気のことではないのだと、そう前置きをした上で彼女水を凍らせ氷のオブジェと地図を作る。
《最近そいつ引っ越したらしくて、私も預けた後に知ったのよ。返して貰おうにも他に預かってくる相手もいない。ここに移したら数値異常の容量オーバーこの湖がどうにかなっちゃうわ。大体向こうにも数術使いがいるんでしょ?あんまり騒ぎになるようなことは出来ないわ》
フローリプの運び入れはエルス=ザインが南部にいた頃だから出来たことだと言う精霊。今エルス=ザインが何処にいるのか俺には解らないけれど、あの子は俺を怨んでいる。追って来ないはずがない。
ヴィヴィアンの溜息が今居る湖のオブジェを水に戻し、湖面に返す。そして湖の精は、ここから北に位置する古城を静かに指さした。
《でその場所って言うのがこの近く。あの古城の浮かぶ湖よ》
「古城っ!?それはタロック軍が居座っているというあの!?」
その言葉にランスも驚きを顕わにする。俺に至っては驚きのあまり何も言えなかった。
《だから私もどうかなと思ったのよ。まぁ、湖引っ繰り返して小さな箱探しなんてしないとは思うんだけど》
「最近その精霊が場所を移したというのは……それが得意な精霊であっても耐えられないほどのことが、そこで起きているから。そういう風にも受け取れますが」
《ええ。たぶんそう言うことだと思うわ》
タロック軍が居るという場所。そこにフローリプの亡骸が安置されている。行かなければならない所。それでも、そこにもう一つ理由が増えた。負けられないと思う理由も。
「……ありがとうございますヴィヴィアンさん。ランスも俺の妹を、ありがとう」
「アルドール様?」
「俺もやる気出てきた。あの場所だけじゃない。フローリプを取り返す。そういう風に思ったら……もう負けられない」
そこにタロック王が居るのだとしても、俺は震えていられない。
(フローリプ……)
最期まで笑っていた。泣いていた彼女。そんな血生臭い場所……彼女は好みそうではあるが、兄としてはもう少し穏やかな場所で眠らせてやりたい。違う場所に眠るルクリースだって寂しがっている。フローリプだって……きっと寂しい。あんな別れ方をしたんだ。ルクリースにちゃんと会わせてやりたい。
俺には死ぬのがどういうことかまだわからないけど、それでも二人とも俺の家族だ。
「家族が離れ離れなんて、悲しいことだよ。フローリプは……トリオンフィのみんなとも離れ離れなんだ。せめて……フローリプが大好きだったルクリースの傍にいさせてやりたい」
「……アルドール様」
ランスが俺の方へと近づいて、初めて会った日のように……俺に跪く。
「俺も尽力させていただきます。フローリプ様を、ゆっくり眠らせて差し上げましょうアルドール様」
「うん、ありがとう……ありがとう、ランス」
俺も膝をつき彼と視線を合わせてその手を取った。俺の行動に彼は驚いていたが、これ以上謙る体勢を思いつけなかったらしくそのまま固まる。
彼の風変わりな物言いと、正論に人は押されてしまう。だから彼は自分が押されることに慣れていないのだ。そう思って俺が笑えば彼はわけがわからず戸惑った風な顔になる。そういう反応をされると相手が年上だと言うことをちょっと忘れてしまいそう。
俺は小さく笑って立ち上がり、当たりを見回す。夜の湖はなかなか良いところだ。幻想的だとでも言うのだろうか。こんなところで暮らせるランスの母さんが羨ましい。
「良いところだな、ランスの実家って」
「そうでしょうか」
さっきまでの可愛さは何処へ、実家の話題になって露骨に嫌そうな声色になるランス。
「ああ。良いところだよ。緑と青に溢れている。シャトランジア……俺の実家の近くじゃこんなに綺麗な湖はなかった。こんな綺麗な場所だから、精霊も棲み着くんだろうな。ランスの母さんは見る目があるよ」
《あら?褒めても何も出ないわよ王様君?》
照れている小さな精霊は可愛らしい。ランスの母だとは言うが、大人女性という感じはしない。精霊ならではの無邪気さというのだろうか。そういうものに溢れている。
「……そうですね。景観は俺も嫌いじゃありません」
俺の言葉に少しだけ機嫌を直してくれたのか、ランスも湖を見つめながら小さく微笑する。だけど湖面を覗き込む彼のその面影は少し悲しげ。
「でもこれだけ綺麗だと泳ぎたくなるよな」
「アルドール様、冗談でも止めてくださいよ。母さんの家はこう見えてかなり深……」
「うわっ!」
「アルドール様!?」
水際を歩いていた俺は、自分の足に躓いて体勢を崩す。流石最低幸福値ホルダーだ俺。そのまま湖に頭からダイブ。夏服とはいえ水を吸った服は重い。これまで本の虫の箱入り息子同然に育てられてきた俺は……服を着て泳いだことなどない。自宅の風呂で適当に泳いだことがあるくらいだ。勿論適当なのでちゃんとした泳ぎ方など知らない。
身体が重い。息が苦しい。段々沈んでいく。
沈む間際、ランスも飛び込んでくるのが見えた。だけど彼だってそんなに幸福値の高いカードではない。俺の不運に彼まで巻き込まれてしまったら……ユーカーやエレイン、トリシュにヴァンウィック、いろんな人が悲しむ。ランスはいろんな人に好かれているんだ。俺とは違う。
(ランス、来ちゃ駄目だ!)
拒むように伸ばされた手を振り払う。ここで掴んだら彼まで溺れてしまう、そんな気がした。
*
夢の中を漂うような酷くぼんやりした……こんな感覚、何処かで前に。それはつい最近。シャラット領で……ユーカーに叩き起こされる前に。
目を開けるが、目の中に水は入ってこない。痛くない。水のそこから見上げた景色。それはこの世の物とは思えないほど美しい。キラキラと差し込む光のカーテン。魚たちの群れ。ゆらゆらと揺れる水草。一面の水の世界。
俺がその景色に見惚れていると、突然バシャンと上空から大きな音。見れば誰かが振ってくる。長い綺麗な金髪の美しい女性だ。その人の両足は紐に縛られ、その紐の先には大きな石が括り付けられている。足を固く縛られたその人は、人魚のように見える。だけど青い眼の人魚に赤い色は似合わない。彼女は苦しげに胸を押さえ、そこから赤い色を滲ませる。はっと気付いた。これは自殺ではない。彼女は殺された、殺されるのだ。
我に返った俺はその人に近づくけれど、俺の手はその人をすり抜け、その縛めさえ解けない。その美しい人が苦しみから恐ろしい形相に変わるのを、俺は見届けなければならなかった。彼女が息絶える刹那まで。
目を背けたくて、背けようとしても口から漏れる空気の音が、苦しそうなその音が聞こえる。それに耐えられず俺はまた、その人を見てしまう。
人間って呆気ないんだな。それが俺の感想だ。俺にとっては物凄い長い時間だったけど、実質そんなに時間は経っていなかったんだと思う。
彼女が死んだそのしばらく後に、血の穢れに気付いた湖の精が現れて、どうしたものかと考え込むような仕草。彼女が湖面を見上がればそこで涙を流す小さな子供の姿。それが母さん、母さんと泣いている。その青すぎる程青い瞳の少年は、俺の知る人によく似ていた。
その子供の泣き声に、精霊は困り顔。俺も本で読んだ事があるが、この程度の重りなら腐敗の程度によってこの死体は浮かんであの少年の目に晒されてしまう。
変わり果てた無惨な姿。それは子供に見せるには忍びない。精霊は女の遺体を数術で何処かに飛ばす。
それは単に血の穢れで自分の家を汚されたくなかっただけとも取れるが、それだけではないのかも知れない。帰ってはまた現れて母さんを呼び続ける少年に、精霊は母性が目覚めたのか、心配そうに彼を見上げていた。そんな日が続いた、ある日少年が身を投げた。母さんに会いたくて、水の底を目指して。
精霊は人間をあまり好まない。だから関与しない。あの女の人が死んだ時、気付いていたとしても精霊は彼女を助けなかったに違いない。この精霊を突き動かしたのは、変えたのは……あの少年。傍観を止め、精霊は水の底から浮かび上がり、沈む彼を陸へと戻し、息を吹き返さない彼に口付けをする。
「母さん……」
そう朧気な意識で呟いた少年の、その小さな手を取って彼女は只今と言うのだった。
*
「っ……!」
そこで俺は目が覚めた。
「ら、ららららららららららランスっ!?」
「……お帰りなさい、アルドール様」
出オチに出イケメン。水も滴る何とやら。何しててもこの男は様になるし絵になるなぁとちょっと現実逃避。だって顔近いし。顎捕まれてるし。今正に人口呼吸というかもう終わったんじゃねこれ?的な。ユーカー、他人事だって笑っててごめん。そっか、別に嫌いじゃないけどショックはあるなこれ。俺のファースト……女の子に囲まれてた時にはそんな展開なかったのに、ここで来るか?別にランスは嫌いじゃないけど、初めてが男かと思うとちょっと泣ける。
いやでも命の恩人相手に何言ってるの俺?失礼だろ、最低だろ。本当ごめん。
でも俺もイメージではギメルとか妄想したことくらいはあったんだ。淡い夢だった……今のギメル(?)は俺に跪いて靴を舐めろとか靴キスを強いてくるようなドSだ。多分俺のイメージと重なることはない。そう思ったら無性に泣けてくる。
「ああ、ご心配なく。未遂です」
「み、未遂ですか」
涙目になる俺に、ランスが優しく笑みかける。その笑顔に安心してほっとしてまた俺は泣きそうだ。だけど何故に俺敬語?いや、ちょっと緊張して。
それきり黙り込んだ俺に、飛び込む前に脱いだらしい上着を羽織らせて、……ヴィヴィアンの方を向くランス。そんな薄着でそっち見たらあの精霊は流血物じゃなかろうか。主に鼻血で。見れば彼女はドキドキしている。しかしその顔は赤くなく、どちらかと言えば蒼白だ。どうやら彼女も見たらしい。そしてそれは彼女だけに留まらず……
「母さん……俺の母さんは、ここにはいないんですか?」
ランスのその発言に、彼もあれを見たのだと知った。
《そ、それは……》
口籠もるヴィヴィアン。俺は咄嗟に彼女を庇う。
「ランス、ヴィヴィアンさんは悪くない。彼女はランスに見せたくなかったんだ、真実を」
「退いてください、アルドール様。これは俺と彼女の問題です」
「違う!」
「アルドール様……?」
「お前は俺の騎士だろう!?だったらランスの悩みは俺の悩みだ!ランスの問題が俺の問題だ!違うか!?」
ぎりと彼を睨め付ければ、ランスが押されて押し黙る。ここは一気に攻めるしかない。
「知らない方が良いこともある。思い出を思い出のまま愛せる方が幸せなことだって……」
俺だって知りたくなかったことはある。道化師に騙られたギメル。彼女は被害者だ。何も悪くない。それなのに俺は、昔のように彼女を愛せないのだ。彼女は何もしていないのに、彼女の笑顔を信じられない。いつか本当の彼女に再会したとしても、道化師の顔が笑い声がちらついて……彼女の顔をまともに見られなくなる。たぶん、昔のように好きなままではいられない。もう、彼女を愛せないのだ。俺の恋は壊された。彼女の所為ではなく、赤の他人の悪意によって。だけどまだ彼女が好きだから、俺の心は痛み続ける。泣いて居るんだ。知らなければ良かったと。思い出を汚い手で汚さないでくれ。踏みにじらないでくれ。綺麗なまま、飾らせてくれと。
「例え血は繋がってなくてもヴィヴィアンさんはランスの立派な母さんだ!一生懸命お前の心を守ろうとしてくれたんじゃないか!」
「…………すみませんでした。母さん、アルドール様」
俯いたまま小さくそう残し、ランスが走り去る。俺はランスとヴィヴィアンさんを交互に見てどうしたものかと狼狽えた。そうする内にランスは森の中へと溶け込んで、今追っても俺じゃ迷うだけ。仕方ないと俺はヴィヴィアンさんの方へと目を向けた。
《……さっきはありがとうね、アルドール様》
「え、いや……先に助けてくれたのはランスですし」
俺が首を振ると、精霊は苦笑し……小さく溜息。ランスの消えた方を心配そうに見つめている。
《あの子はあの色男なお父様と不仲な分、母親への思い入れが強いのよ。自分を愛してくれる父親じゃなくて、自分を愛してくれなかった母親の方が好きなんだから……よっぽどね》
母親に愛されなかったのは、あの父親の所為だとして……今も生きている父を憎く思っている。もう何処にもいない、手にはいることがない母からの愛。それをまだ心の何処かで諦められていないのだと彼女が俺に教えてくれた。
《人間って不便な生き物ね。なくした物は何でもかんでも美しく見えて仕方がないの。それで今傍にある物、手にしている物をそんな風に思えないんだから》
それをなくすまでそれがどんなに光り輝いていたか、それに気付けない曇った目。彼を愛してくれている人は幾らでもいるのに、彼はそれに気付けず、認められず、受け入れられない。そんなランスを精霊は深く哀れむ。
「……ランスは、犯人を捜そうとするんでしょうか?」
《しない理由がないわ》
ヴィヴィアンは空を仰ぎ、その暗さを瞳に宿す。
《あの子が取り乱すのは何時だって、家族に関係することだけよ》
「あの……彼女は何処に送ったんですか」
《北……。当時はあの湖は無人……何の精霊も居なかった。だからそこに送ったの……》
無人の湖。穢れの流れ着く場所。精霊達のゴミ捨て場。フローリプが居る場所に、ランスの母親の遺体もある。だからこの精霊は、あんなに言い辛そうだったのか。
*
「さて、これでちょっとは仲良くなれるかな……って思ったのに何なんだろうねこれ」
数術で身を隠し、イグニスが木陰から様子を窺うと……予想とはちょっと違う展開。これまでの情報と人物関係の齟齬が生じたからこうなってしまったのかもしれない。やはり何でもかんでも計算通りとは行かないか。そう溜息を吐けば、背後からそんな狂った計算結果を讃える者がいた。
「……流石ですのね、神子様は」
「マリアージュ、仕事中だよ」
「それを言うなら同罪だわ」
「ああ、そうだねエレインさん」
こうして二人で話すのは実に数日ぶり。見事に彼女を演じてくれてはいるが、過度の接触は周りに違和感を覚えさせてしまう。あくまで僕らは他人として演じなければならない。僕は結界を彼女に広げ、外部への情報をシャットアウト。
「僕は先読みってだけでもないからね。後読みを見せることくらいは余裕だよ。まぁ、アルドールは馬鹿だから自分の数術の力がなんか知らないけど暴走してシンクロを引き起こしたとかそんな風に解釈してくれるんじゃない?」
僕が彼らに見せたのは、この湖の記憶だ。僕は先読みだから未来を見ることが出来るけど、今は後読みの力もある。後読みは過去を見る力。数術使いの大半は、そこに残された数値からある程度の過去は読み取れる。その情報量を深く正確に読み取ることが出来る者が、後読みを名乗れる。長い時間が経てば、残る情報量も少ない。0でないとはいえ限りなく0に等しいそこから正しく真実を暴き出せる使い手は、世界に数人いるかいないか。僕にとっての幸いは先読み後読みが数術ではなく、特技という点か。数術を使わなくとも、情報伝達を行える。代償を必要としない。それはそれでメリットだ。使える分には使っていきたい。
ここは水辺だから簡単に情報伝達を行えた。僕はハートのカード。水の人間だから、彼らが水に触れることは僕に触れることに等しい。水を媒体に彼らの頭に過去を映した。
「数術使いってなまじ人に見えないものが見えるから、ちょっと不思議なことは大体肯定してしまう。数術に出来ないことはあまりない。だからそう思ってしまう。騙す力を持つ者が、最も騙されやすいっていうのは皮肉だね」
だからこそ一番厄介なのは見えない相手なのだ。
「トリシュさんは数札。数術の才に目覚める事もあり得る。パルシヴァル君は精霊への適正がある。あの二人はその内視覚開花もなるだろう」
「となれば……厄介なのはお兄様、そういうことですの?」
「そういうことだよ。彼は味方なら本当に心強い相手だ。でも出来ることならランス様への依存を少しずつアルドールに移していくのがベストだね」
「そうでしょうか?」
「だって最悪の場合、覚醒した彼をランス様に持って行かれたら、このゲーム僕らの負けだ。そうならないように、まずは決して裏切ることがないように、ランス様の手綱をアルドールに握らせないと駄目なんだけど」
セレスタイン卿がアルドールを裏切るとすればそれは十中八九ランス様絡みだ。ランス様とアルドールに不和が生じなければその展開は避けられる。さらにその対策として、セレスタイン卿をアルドールに入れ込ませる。その二重策が最善の手だと言う僕に、マリアージュは異論唱える。
「昨日と今日とあの二人を間近で観察いたしましたけど、お兄様は正常ですわ」
「と、言うと?」
「彼には狂人の才能がありませんのよ。それがお兄様の才能です。お兄様は何があっても、誰が狂っても、正常で居続けられる才能があります。だからこそ人一倍、傷つきやすいんだと思いますわ」
確かに過去を振り返ってみても、彼は自棄になることはあっても狂うことはなかった。あれで彼は正常なのだ。
「普段まともな奴ほど狂う才能があるってのもなんだかなぁ……ああいう社会不適合騎士が一番まともってどういうことなんだろう」
「だから彼はあのままで良いと思います」
僕の悩みを振り払うよう、マリアージュは力強い響きでそう言い切った。
「度を外すほど、ランス様が狂ったならば……彼は間違いなくアルドール様側に付きます」
「どうしてそう思う?」
「だってお兄様は本当にランス様が大好きですもの」
演技から外れた彼女はそこに嫉妬など映さない。それもそうだ。別に彼女はランス様が好きなわけではないのだ。彼を好きだった少女をそれは見事に演じているだけ。そんな彼を何とも思っていない彼女がいう言葉、それはとても客観的なものだった。
「だからそんな人がおかしくなっていく姿に耐えられるはずがないんです、あんな正常過ぎる兄様が。……ですからその場合、兄様は止めようとします」
「確かにね。……彼がトリシュさんを庇う理由がないとは思った。そう言うことだったのか……」
憧れる余り、その憧れから道を踏み外していくその人を見ていられない。尊敬するからこそ、誰よりもその崩壊に耐えられないのだ。もし自分に神の如く崇める人がいて、その人がある日突然悪魔に変わったなら、何とか元に戻ってくれと懇願するだろう。それが叶わないのなら、これ以上思い出を過去を汚さないでくれと……戦うしかなくなる。それが自分とその人との思い出を守る方法だ。アルドールが道化師に挑む力を手にしたのもたぶんそんなものだろう。追い詰められて追い込まれて、そこで精神崩壊から自分を守るための防衛策。一種の逆ギレ。好きな相手だからこそ、許せないことがある。マリアージュはそれを狙えと言っているのだ。そのために彼らはあのまま放置がいいだろうと。
「でも君もなかなかえぐいことを言うね」
「神子様は変なところで甘いんです。優しいんです。これには世界がかかっているんですのよ?誰が相手だろうと徹底的にやるべきですわ」
愛らしい笑顔で、彼女はそんなことを言う。
「まぁ、セレスタイン卿だしいいか。追い込めば追い込むほど、アルドールは彼を気に入るだろうし、気に入られればその人を悪く思えなくなるのがセレスタイン卿だ。そうなれば余計アルドールを裏切れなくなるはず」
(残る問題は……ユリスディカ。彼女のことくらいか)
彼女が現れるまでに、アルドールの周りの女性陣が全滅というのは初めてだ。だからこれがどう転ぶか解らない。心配なのはそこだった。
*
「帰ってなかったのか?」
森を進む俺の後ろから、ガサと現れる人の気配。振り向かなくても解る。足音一つで気配の色で。ランスは静かに息を吸い、背中の向こうに声を投げた。
「お前ら二人なんてちゃんと会話が成り立つか心配だろうが」
「ならどうしてあそこで助けに来てくれなかったんだ?」
「馬鹿か?あいつはお前の主だろ。俺には関係ないね」
ユーカーが面倒臭そうに、俺の傍までやって来て、上着を投げる。
「向こうで火焚いてやってるからこっち来いよ」
「お前はどこまでお見通しなんだ?」
「暇だっただけだっての。お前ら置いてったら屋敷に入るのに二度手間だろ」
どうせお前は俺に鍵を開けさせるのだろうと奴はいう。それもそうだ。確かに、待っていてくれた方がありがたい。俺達は窓から帰ればいいが、アルドール様はそうもいかない。
「お前……何やっていたんだ?」
「お前の所の領地だろ?畑からちょっと拝借して来た」
火の周りはこいつが一人で暇つぶしをしていたというのはあまりに……楽しそうだ。干し肉焼いたり、畑からかっぱらって来たという野菜や果物を焼いていたり。一人でバーベキュー気分じゃないか。何豪勢な夜食を用意して居るんだ人の気も知らないで。
(これだけ用意していると言うことは……全部見てたわけじゃないんだな)
どこまで俺を過信して居るんだこいつは。俺なら大丈夫とか、そんな風に思っているのかお前まで。それは信頼なんだと思う。わかってる。それでも俺だって……
「ユー……もがっ」
「黙れ」
「……うぇ?」
「いいから食え。良い感じに焼けてるぜ」
話しかけようとした俺の口を物理的に塞いできた従弟。口に突っ込まれた野菜と肉の串。でも俺は肉より魚派……そこまで思い、先程の不思議なあの映像を思い出す。あれは俺の記憶ではない。だって俺の視点ではなかった。そんなものが何故俺に見えたのか。
母さん。死んだ母さん。それが餌に変わったことを知った魚が……魚が集まって。母さんを食べようとした。その前に、養母さんが母さんを逃がしてくれた。だけど俺には衝撃的過ぎたのだ、あの映像は。もし養母さんがああしなければ俺は知らずに、母さんを食べた魚を俺が食べていたのかも知れない。そう思うと……しばらく魚は見たくない。食べたくもない。
ユーカーに寄越された串を噛み締める。確かにそれは美味かった。荒っぽい料理だがこいつも基本何でも出来るから。唯、しないだけで。
「……美味いな。特にこの味付けが」
「秘伝のタレだ」
「…………お前は何屋だ?」
騎士の癖に何故そんなものを持っているのかと尋ねれば、自作の物だと白状する。何処が秘伝なのかはわからないが、砂糖のほどよい甘さとピリリと微かな辛さが堪らない。味付けは良かった。それをかけるだけで香りまでもっと良くなる気がする。
「いや、だってよ。よく俺飛ばされてたし。干し肉とかばっかだと味飽きんだろ」
こいつはなかなか味にうるさいグルメ肌。単に飽きっぽいとも言う。ユーカーが自慢げに取り出した数々の小瓶。それぞれがオリジナルの調味料と香辛料らしい。
「光栄に思えよ。この俺様の切り札の一つを食らわせてやったんだからな」
「切り札?」
「美味い料理を食わせてその隙に逃げ出すっていう策の大事な切り札に決まってんだろうが」
「そうかなるほど。お前は賢いな。だが馬鹿だ」
「そこで何でがっちり俺を押さえ込むんだよ!ここでお前相手に逃げるか馬鹿!」
「それもそうだな」
「うわっ……いきなり何しやがんだてめぇっ!!」
「悪い、手が滑った」
火消しのための水桶の一つ。それをうっかりユーカーの頭からぶちまけてしまった俺に当然烈火の如く怒りを顕わにする従弟。目を逸らしつつ謝ってはおいた。
「うっかりやれることじゃねぇだろ!」
「俺だけ水浸しなのがなんだか不公平だと思っただけだ。気にしないでくれ」
「気にするに決まってんだろうが!」
「いいじゃないか。お揃いで」
「そんな不幸までお揃いたくねぇぜ。せっかく髪セットしたってのに」
「お前はセットしてそんなわざわざボサボサにしているのか?」
「お前っ、人の髪型そんな風に言うんじゃねぇよ!人の気も知らねぇで……」
その言葉は先程、俺がユーカーに対して思ったことだ。
(俺は……)
なんて自分勝手な。こいつのことを解ろうともしないで、それで俺のことは何でも解ってくれだなんて。肝心なことは何も話さないのに、それでもちゃんと理解して肯定してくれだなんて。そう思った途端、自分が嫌になる。せっかくこいつが用意してくれた食事が咽を通らない。
「……悪かった。ごめん」
「?何だよ急に。気味悪ぃ」
気にした風でもなくユーカーが目を瞬かせる。こいつはもう、俺を許してくれたのか。どうしてそこまで……俺を。
「髪は…………降ろしてるとお前と比べられて嫌なんだよ。それに髪伸びて来るとセレス呼ばわりされっし」
確かに言われてみれば……髪切る暇があまりないのだ。こいつは何時も山賊、海賊退治でセレスタイン領以以外に西へ東に北に南へ派遣ばかりされていたから。体裁を気にする都周辺では評判が悪いが、それ以外の土地なら案外俺なんかより……こいつの支援者はいるのかもしれない。そんなこいつが俺を引き合いに出し俺の自慢ばかりするから、俺の名声が広がった。この素直じゃない男が認める程の男だ。どれだけ凄い奴なのだろうと。多分それだけのような気もする。
「お前は……俺がそんなに凄い奴だとでも思っているのか?」
「何だよ突然」
「教えてくれ」
「思ってねぇよ」
「嘘だ」
「冷静になれよランス。お前俺に何したと思ってんだ?ここ数日のことだけだけでもお前が最低だって証明できる証拠は幾らでもあるんだぜ?」
正論過ぎて否定できない。
「良いか、お前は最低だ。俺に関してはその一言だ。だがそんな最低な野郎がどうしたわけか俺の自慢の従兄だ。この国一番の騎士様だ。俺はお前が最低なのを知ってるが、それを補って余り得る位良い奴だってのも知ってる。だからここにいてやるんだろうが」
そんなことも解らないのかと呆れられた。
「そういう馬鹿にこの食い頃の串はやらん!ってあああああ!」
「甘い」
「て、てめぇ!意外に素早いなこんちくしょう!!素早さは俺の方が早いのに!!」
「お前の振りには無駄な動きが多い。それを読めばこんな風に先回ることも出来る」
良い感じに焼けた串を強奪した俺を睨み付けてくるユーカー。だがそれはそこまで悔しそうではない。むしろ嬉しそうだ。本当にこいつは俺に負かされるのが好きなんだな。俺に勝って俺に怨まれるより、負けて……俺が凄いというのを近くで見ているのが好きらしい。或いは勝ってひっそりと喜んでいる俺を見抜いて、それを見つけるのが楽しいのかもしれない。
「そっちの串も焼け頃だな。取ってくれないか?」
「仕方ねぇな……ってぎゃああ!」
「ユーカー?」
視線を逸らして火を見つめていた俺も、ユーカーの悲鳴を聞いて、其方に向き直る。すると何処から湧いて出たのか、俺の父親がそこにいた。ユーカーの隣に腰を降ろして串を指ごと咥えている。
「ぎぃやああああああああああああああああああ!!放せ妖怪っ!」
「ふむ、これはなかなかの味付けだねセレス君」
「何でその状態で普通に喋れんだよあんたはっ!腹話術か!?怖ぇえっての!!ぎゃああああ!指舐めんな!吸い付くな!しゃぶるな!噛むなこの変態っ!」
「俺の従弟で遊ばないでください」
父と呼びたくもない男の頭を踏みつけて、焚き火の炎の間近数㎝の所まで追いやった。しかし男は悪びれない。やっと解放されたユーカーは半泣きで桶に手を突っ込んでいる。
「まったく私の偏狭馬鹿息子はこれだから。お前はセレス君に依存しすぎだぞ?少しはお父さんに分けなさい。そうだな、例として上半身はお前に、下半身は私が貰うみたいな」
「気色悪い例え方すんなっ!俺は俺のもんに決まってんだろ!!」
「もっと踏まれたいですか?そうですか。じゃ全体重乗せますね、えい」
「はっはっは、まだまだランスは軽いな」
両足で踏みつけるがそれでもその体勢を保っているこの男は腐っても騎士。鍛えてはいるらしい。それが腹立たしかった。こんな男に負けているような気になって。
「おや、もうじゃれつくのは終わりかい?」
「貴方なんか構うより、ユーカーを構ってた方が楽しいし俺的には癒されます」
「っていうかこんな時間にあんたまでなんで外に居るんだよ」
「久々の領地だろう?年頃に育った食べ頃の娘がいるかと思って領内を見回りにな。いやぁ、たまには帰郷もするものだ」
「アホか!!あんたここ数日ずっとそればっかだろうが!!自重しろ!っていうか枯れろ!今更跡継ぎ争いとかなったらランスが可哀想だろ!この年で今更弟妹出来てみろ!」
俺の気持ちの殆どをユーカーが代弁してくれる。本当出来た従弟だ。
「なるほど。ランスの弟代わりの君は、その愛着が余所に移ると心配なのか、可愛いところがあるじゃないかセレス君。それじゃあ叔父さん頑張って種蒔きでもしてくるよ!そうすればランスに捨てられた君が叔父さんの所にやって来るだろうからね」
「誰が行くかっ!!あんたもう今度こんなことしてみろ!三本目の足ぶった切ってやるっ!」
「いいのかいそんなことを言って。困るのは君だろうに」
「余裕で困らねぇよ!!」
ユーカーが焚き火の中に入れていた焼き石を手袋越しに掴んで、あの男に向かって投げ出した。流石にこの過激な歓迎には耐えかねたのか全力疾走で逃げていく中年。
「やっと消えたかあの性犯罪者」
ユーカーは、ふぅと安堵の息を吐く。その手袋は焼き焦げている。
「ユーカー……」
「な、なんだよ」
俺に手を捕まれて驚いたような顔。手袋を外させるとやはり火傷になっている。
「無茶するな」
「だってああでもしねぇとあのおっさん何時までも居座るぜ」
「それとこれとは話が別だ」
俺は回復数術を紡ぐ。その代償を知ってか逃げようとするその手を思いきり掴んで放さない。治療の際に何度か舌打ちをされたが放す理由にはならなかった。
ユーカーの手。手袋に隠されていたその手は、俺とは違う文字が刻まれている。俺はⅢ、こいつはJ……こいつのそれはコートカードを意味する数字。俺なんかより余程生き残れそうなその数字。
だけどもっとも強かったルクリースさんが死んだ。こいつだって例外ではない。幸福値……それがなくなれば、こいつも俺も。それは解ってる。解っているのだが、これは癖なんだ。こいつの怪我を治すのが。
それにカードになる以前から俺は回復数術を使ってきた。その間は何を犠牲にして俺はこれを紡いでいたのだろう?それも幸福値?それならそこまで回復数術は幸福値を削らないのではないだろうか?大きな傷なら兎も角、小さな傷ならそんなには……
「……お前、それどうしたんだ?」
俺の首から提げられた水入り水晶に、ユーカーが気がついた。いつもは上着に隠れていて見えなかったのだろう。俺も言われて思い出す。
「これは母さんがこの間……これがどうかしたのか?」
「いや、いまちょっと光ってたから。数術に反応すんのかと思っただけだ」
その言葉に俺も考える。いつもは数術を使えば、少しは疲れる。それが今はない。計算を手伝ってくれているのだろうか?目を瞑り自分の数値を確かめる。幸福値が減ったような形跡もない。
(これは……触媒か?)
俺の幸福値が減らぬように、母さんが俺を守るために……これを贈ってくれたのだ。弱い俺が少しでも長く生き延びられるようにと。
「……ごめん、ユーカー。俺……母さんに謝りに行ってくる!何本かは残しておいてくれよ」
「その必要はないみてーだぜ?」
立ち上がり、湖へ戻ろうとした俺にも……聞こえる話し声。
「それじゃあトリシュ、エレインさんのこと見失っちゃったんだ?」
「ええ、面目ありません。これでは鍵をどうすれば良いのやら」
「先に屋敷に帰っちゃったのかな……」
《アルドール様も私のこと無視しないでぇー!》
「あ、ごめんヴィヴィアンさん」
がさがさと鳴る草むら。木陰から現れたのは母さんとアルドール様、それからトリシュ。
「あ……」
「ら、ランス!?」
まずアルドール様と目があった。気まずさを互いに思い出す。それを打ち破ったのが母さん。ユーカーめがけて突進していく。それを紙一重で避け続ける従弟。
《ちょっとユーカー!何楽しそうなことやってんのよ!私のランスを独り占めしてっ!!》
「別に俺は悪くねぇよ!ランス!虫除けスプレーか蠅取りリボン持ってこい!」
「領主があんなこの領地にそんな画期的な物があるとでも?」
「くそっ!里帰りしねぇと補充できねぇのかよっ!!」
セレスタイン領は南部でもそれなりに南に位置する。防虫技術はそれなりにある。逆を言えば虫が多い。だからそれに慣れているユーカーは虫が得意というかと言えばそうでもなく、むしろ苦手に近い。城での一戦ではたぶんこいつが一番震え上がっていただろう。アルドール様達の手前格好付けてはいたんだろうけど。まぁあれは虫じゃなくて母さんだしそれとこれとは関係ないか。
「イズーぅううう!?ど、どうしたんですかその格好!頭から水でも掛けられたような、びしょ濡れじゃないですか!」
水を浴びた所為で髪が下ろされているユーカー。ああ、半ばセレス化しているようなものか。トリシュが大喜びだ。しかしそんな姿に直視出来ず目も合わせられないとは、どこまでこいつに本気なんだろう彼は。目を逸らしつつ上着を渡す。今日は上着リレーが頻繁だな。アルドール様も自分の上着は雑巾のように絞って片手に。結局ここにいる誰もが自分の上着を着ていない。唯それだけのことなんだけれど、何故かそれが俺のツボに来て俺は吹き出してしまった。
それにみんなが驚いた顔をしたあとに、釣られたように笑い出す。ユーカーも呆れたように、だけど優しく笑って……俺達に串を刺しだした。
「めんどくせーからお前ら全員残りの食材処理手伝え。あとついでに片付けも」
「えー俺も片付け?ここ散らかしたのユーカーだろ?」
「黙れ宿無し野宿王。一口でも食った以上お前も共犯だ。あと文句言うなら鍵開けてやらねえ」
「解った。何でもするよ。ていうかこれ美味しいね。お代わりある?」
「変わり身早ええよ」
「イズーの手料理……手料理、イズーの……」
「お前はさっさと食え。冷えたら勿体ねぇだろうが」
ツッコミの傍ら背中や頭を軽く叩かれている。トリシュは幸せそうだから別に良いとして、流石にアルドール様にまで手をあげるのはどうなんだ?
「あ痛っ!」
「だからお前はアルドール様に対して無礼だ」
脳内会議すぐに終了。やっぱり却下。俺もユーカーの頭を軽く叩いておいた。
「くぅっ……」
俺を数秒睨んだ後に、言い返せないらしいユーカーがアルドール様に向き直る。
「もう、アルドールお前帰れ!お前居るとランスがランスじゃねぇ!」
「えええ!?それ俺の所為!?」
「ランスの所為だがランスの所為はお前の所為だ!こいつお前の騎士だろが!」
そのやりとりが再び俺のツボに来た。腹を抱えて笑う俺に……二人は目を瞬かせる。そして二人で顔を見合わせたと思ったら、二人して吹き出した。
「ざまぁランス、凄ぇ阿呆面!せっかくの唯一の取り柄の顔が残念になってんぜ!」
「ユーカー!まだ全然許容範囲だろこのくらい!これで残念なら平均顔の俺なんかどうなるんだよ!!」
「お前は顔面生ゴミって名乗ったら良いんじゃね?」
「酷っ!!ちょっと最近ユーカーイグニスに似てきたろ!?そんなに俺に好かれたいのか!?」
「似てねぇよ!そして俺に近寄るなっ!!むしろてめぇが神子に似て来た!!そんなに俺の嫌がる顔が見てぇのか!?」
そこでユーカー以外の全員が頷いて、とうとう彼も本気で怒る。これは不味い。
「てめぇら全員ぶっ殺す!コートカード様の力見せてやんぜ!」
「まぁ、落ち着け」
咄嗟に俺はもう一つの水桶を彼に思いきりぶちまけた。
「落ち着いたか?」
「いい加減にしろ阿呆っっ!!」
怒りを通り越し、呆れに至りユーカーが笑う。今日一番のいい顔だ。俺と馬鹿なことをするのがこいつはやっぱり好きなんだな。胸ぐらを掴みかかって来た従弟は、俺を殺したいほど怒っているようには見えなかった。
「アルドールっ!それからトリシュっ!そっちの桶に水汲んで来いっ!そんでもってこの野郎の澄ました面にぶちまけてやれ!」
鍵開け係がこういうのだ。誰も逆らえない。
走り去る足音。暫く後にまた戻ってきて……それは予告も無しに俺とユーカーを狙ってきた。
「冷てぇっ!何しやがんだっ!!」
「だってユーカー離れないし、邪魔だったから俺ごとやれ的なあれかなって」
「合図くれれば俺も逃げるわ阿呆っ!」
アルドール様を怒鳴るユーカー。その声を留めたのは、次の水攻撃だった。
「聞いてたのに何でてめぇまでやるっ!!」
「水も滴るいいセレス……素敵です………」
「阿呆っ!お前戻ってこい!ちょっと!目がおかしくなってんぞ!?大丈夫か!?おいトリシュ!!」
水桶を投げた後、力尽きたかのように崩れ落ちるトリシュ。駆け寄るユーカーに見取られながら卒倒。何が原因だったのか俺にもよくわからない。
「って次は誰だよ!?」
俺から離れたユーカーを狙い、再びぶちまけられる水。その方向からはくすくすという笑い声。
「この僕を誘わないなんて良い度胸してるじゃないか。こんな美味しそうなタダ飯会を開催しておいて!」
「あ、イグニス!」
「い、イグニス様……?」
何時の間に現れたのだろう。神子様が火の側に座り、焼けた串をもぐもぐ食していらっしゃる。秘伝のタレは無断で使用されていた。今のは彼の数術だろうか。
「アルドール。君のそっちの焼きたての串僕にくれないと、絶交ね」
「好きなだけ食えよイグニス!」
「てめぇ何処まで神子の犬なんだ!この乞食神子!飼い犬王!勝手に俺の秘伝のタレ使うな!それ作るの結構面倒臭いんだからな!」
その騒々しさに嫌気が差したのかユーカーから離れた母さんが、俺の方へと飛んでくる。しかしその顔は嫌がってはいなさそう。
《賑やかね、ランス》
「母さん……さっきはごめん」
《……いいのよ。あんな形でじゃないけど、いつかは教えなきゃいけないことだとは思ってたから》
母さんが俺の謝罪に首を振る。
《あんたがこれからどうするかはあんたが決めなさい。私が指図できる事じゃないししてもいいことじゃない。それでも心配だけはさせて。それが親の務めだもの》
それ、大事にしてねと首飾りを指さされた。
「ええ。母さんだと思って大事にします」
《きゃああ!もう!嫌ねぇ!あんたが言うと何でも腹立つ位格好いいわ》
母さんが照れたように俺の周りと飛び回る。確かに若干、蠅っぽい。
《でもちょっと安心したわ》
「え?」
《あんた、しばらく見ない内に……良い友達増えたじゃない。何時までもユーカーだけかと思って心配してたのよ》
「そ、そりゃあ……俺だって。ユーカーは大切ですけど……俺も人間ですから、他に繋がりのある相手だっていますよ」
人間社会は縦横の繋がりで構成されている。誰とも関わらず生きてはいけない。精霊に育てられても、俺は人間だから。
(でも……友達か)
そう呼んで良いのか若干困る相手も数名いるが、俺を支えてくれる人であることには違いない。イグニス様もアルドール様も、俺に身分を感じさせない、自分自身の言葉で……俺を励ましてくれた。トリシュもそうだ。まっすぐ俺にぶつかって来てくれた。俺に過ちを教えてくれた。
《でしょうけど、それでも……良かったわね》
「はい、母さん」
*
「酷いですセレスさん!どうして僕を起こしてくれなかったんですか!?」
「あー、うんと、その、悪い」
翌日ユーカーに泣きついていたパルシヴァルを見て、昨夜全く彼のことを思い出さなかったことを心で詫びた。でも彼と俺はまだ友人とかそう言うレベルまで親しくないように思う。親友の弟分って……まぁ、殆ど赤の他人だな。
「わーった。今度何でもお前だけに特別にこっそり作ってやっから、な?機嫌直せって」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
むしろ敵かもしれない。俺の従弟に抱き付いたその子供に、大人げないが割と本気でそう思う。