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8:Amantium irae, amoris integratio est.

6章サブヒロイン、エレイン登場。

だというのに何故か野郎共の絡みの方が強いので注意回。

女装有り、変態有り、なんでもあり。

ランスの父ちゃんのせいで本編までおかしな事になってきた。メインヒロイン登場までの辛抱。

 「昨日の彼女はZirkuszelt(ツィルクスツェルト)…… サーカス小屋と言う名の山賊、そのお頭にしてうら若き乙女だ」


 翌日の話し合いでアロンダイト卿ヴァンウィックはそんなことを言い出した。今のは後半部分は必要ないじゃないかとアルドールは少し思った。


 「彼女はタロック語しか理解できないようでな、あることないこと他の連中に吹き込まれているようなんだ」

 「……レーヴェが現れたのはいつ頃なんですか?」

 「元々この辺りに山賊は居たんだよ。セレスちゃん……いや、セレス君が北部に討伐に来ることは多々あっただろう?」


 言い間違えにユーカーが叔父をぎりっと睨む。その目が寝不足そうに見えるのは、たぶん俺達の知らないところでトリシュとの攻防があったからだろう。ていうかここにトリシュの姿がないのは何故だろう。


 「ユーカー、そう言えばトリシュは?」

 「あの馬鹿なら問答無用殺戮血染め枕投げで沈めてやった」

 「何やってんだよユーカーは……」

 「だってあいつ五月蠅ぇし、スキンシップの一環だって言って気絶するまで枕投げてやったんだよ。あいつはイズーを傷付けることなど出来ませんだのなんだのってやり返してこねぇし。気絶した隙に縛って適当に転がしといた」

 「なのにお前は眠そうだな」

 「あいつ何気に避けるの上手ぇんだよ。沈めるまで時間食った。あいつ沈める前に俺の体力尽きて気絶するかと思ったぜ」

 「ああ、そっか……」

 「つまりあれだな。私の弟子は最終的に息遣いの乱れるセレス君に辛抱堪らんとデレデレになり卒倒したのか」

 「ああ、血染めって鼻血だったんですか」

 「あいつこの数日でほんと人生と周りの信頼の坂降りまくりだよな」


 「でもユーカーなんだかんだで付き合い良いよな」

 「俺はあいつは嫌いだが、あいつをいたぶるのは好きなんだよ」

 「そうですね、セレスタイン卿はこう見えてSっ気ありますからね」

 「こう見えてってどう見てたんだてめぇは」


 ああ、言われてみれば。登場当初はそんな感じだったな。でもルクリースに負かされて吊されたりしてたから、すっかり忘れていた。


 「セレスタイン卿、トリシュさんを連れてきてください。彼にも話聞いて貰わないと困ります。同室引率者としての責務を果たしてください」

 「はぁ?寝惚けたあいつが何してくるかわかんねぇだろ」

 「それもそうか。それじゃあ可愛い甥っ子のためだ。叔父さんも付いて……いや、突いていってあげよう」

 「無理に誤変換に言い直すな。朝っぱらからセクハラ止めろよ。パー坊、お前も来てくれ。どうせこんな話聞いてもちんぷんかんぷんだろ?」


 俺にいいよなと視線を送ってくるユーカー。確かにパルシヴァルはよく分かっていない上に眠そうだ。俺は頷き許可を出す。イグニスも文句を言ってこないから問題はないはずだ。


 「パー坊じゃないです」

 「はいはい、んじゃパルシヴァル」

 「はい!ご一緒しますセレスさん!」


 アロンダイト卿ヴァンウィックは、叔父さんも連れて行ってみたいなことを叫いていたが、ユーカーに足蹴にされて扉を閉められたところで、急に真面目な声色に戻った。


 「さて、癒し系の二人が消えたところで殺伐した話に戻ろうか?」

 「い、癒し系?」


 パルシヴァルは解るがユーカーはどうなんだ?あれは卑しい系の食意地系じゃないのか?いやでもランスとかこの人がユーカーからかって癒されてるのは確かみたいだからアロンダイト家専用癒し係ではあるのかもしれない。


 「おじさんとしてはいやらし系の方がもっと好きなんだけどね。この中での一番のいやらし系は実は神子様なんかじゃないかと思うんだ。その露出度の低いストイックな修道服の中にはどんなエロスが隠れ潜んでいるかと思うと興奮するね」

 「ははは、アロンダイト卿は冗談がお上手ですね。本気ならこの国が落ち着いた後に僕の手下に暗殺させますよ?」

 「ははは、神子様もなかなか冗談がお上手だ。不殺の聖十字を使ってなかなかいい皮肉をおっしゃる」

 「神子様への無礼はほどほどにして下さい。第一誰も貴方の好みなんか聞いていません。さっさと本題に戻ってくれませんか?」


 父親に向かうランスの視線も言葉も冷たく刺々しい。それにヴァンウィックは乾いた笑いを漏らして小さく溜息。


 「やれやれ。まぁ、つまりだな。この辺りの賊はセレス君がストレス解消相手ってことでそりゃあぎったぎたんにして来たんだ」

 「でもタロックの欲しがる物資は南部に集中しているって話だったよな、だよなイグニス?」

 「都があるのも南部だしね。南部の守護は結構厚い方だったんだよ。セレスタイン卿……ああ、これはユーカーのお父上の方ね。彼が失脚さえしなければもう少し渡り合えたと思うんだ。彼は酷い父親かも知れないけど、忠臣であるのは事実だからね」


 シャラット侵攻により都貴族から非難を受けて軍事力と支配権を削られた。その結果が今回の敗北に繋がるのだとイグニスは言う。


 「その浮いた金で都貴族達は遊んでるんだからほんと腹立たしいよね。死ねばいいのに」

 「ははは、今度の神子様は過激でいらっしゃる。夜の方も過激だと面白いんですがな」

 「……下らないことを言う暇があればさっさと話して下さい。ユーカーが帰ってくる前に終わらせられるものは終わらせておきたいです」


 下世話な話に入る度、ランスが苛立ちを顕わにする。俺の視線に気付いては、何時も通りを演じようとするけれど、苛立ちが大きすぎてそれが隠しきれていない。仮面の下からどす黒い感情が滲んできている。


 「はぁ……多少の冗談を嗜まないと女性も寄って来ないぞランス」

 「国の大事に女性と遊ぶ暇などありません」

 「どうしてこんな堅物になってしまったんだか。いいか息子よ。男で固くて喜ばれるのは性格でも意思でもなく三本目の足くらいだぞ?」

 「二足歩行になりたいのでしたらこのアロンダイトで切り落として差し上げましょうか?」

 「ははは、それは遠慮したいな。生憎私はそういう趣味はないんだよ」


 笑顔で得物に手を掛けたランスにヴァンウィックは目を逸らした。こうして見ると本当、似てるのは顔だけなんだなと感慨深い。


 「さて、何の話だったかな」

 「南部と北部の警備の話ですよ」


 イグニスの助言を受け、ヴァンウィックはああと頷いた。


 「神子様の言うように、南部はカーネフェルにとって要所だ。だからそれなりに警備も置いている。だから略奪者の数で言えば、被害は北部の方が多いんだ」


 地図に印を付けて、沿岸に丸。山脈にも丸。そして数値を書き込んでいくヴァンウィック。北部と南部のその差は歴然。


 「南北を繋ぐ橋の周りには、北部に積み荷が運ばれるのを待ち受ける者がいる。あの山賊達の居城は丁度いい場所なんだ。レーヴェが現れたのは、ここ1、2年のことだ。それまでこの一帯は山賊同士勢力争いをしている狩り場で……それをまとめ上げたのがあの可憐な少女というわけだ」


 「しかし噂は聞いてもお頭自身山から下りてくることは少ない。だから昨日のはとても珍しいことだ」

 「それなのにどうして噂が?」

 「レーヴェは気紛れだがとんでもなく強い。それは実際戦ったお前が一番よく知っているだろう。その手は暫く使い物にならんはずだ」

 「…………見くびって貰っては困ります。俺だって数術使いだ。あの程度の痺れ、もう消えました」

 「え!?ランス怪我してたのか!?大丈夫?!」

 「心配ありませんアルドール様。もう完治しました」


 にこりと笑って手を見せるランス。確かに怪我は見られない。


 「彼女は女とは……人間とは思えない怪力でした。この剣だから刃こぼれしませんでしたが……迂闊にやりあえばアロンダイトも折られていたかもしれない。鬼と噂されるのも理解しました」


 彼女は短剣。それでもそこまで力を込めてきていたのだと言う。俺はランスが劣勢だったのは地の利と怒りの所為だと思っていた。しかし、それだけではなかったのだ。


 「ランス様より下位カードということはアルドールはまず無理。やり合うなら僕かセレスタイン卿かパルシヴァル君ってことになりそうだ」

 「………そう、ですね」


 イグニスの言葉に少しランスが悔しそうに呻いた。


 「でもまだ見習い騎士も同然のパルシヴァル君が現役山賊とやり合えるかは難しい。となれば僕と彼でやるしかなくなる」

 「あのさイグニス」

 「何?」

 「でもさ、ユーカーは北部に何回も討伐に来てたんだろ?レーヴェとやりあったことってないのか?」


 昨日の様子だと顔見知りという感じは全くしなかった。それでも手下達とぶつかったことくらいはありそうなものだ。


 「アルドール様。討伐任務をしていた頃のあいつはとても荒れていたんです。山賊さえ震え上がるよう、手加減無しで片っ端から殺していたんですよ」

 「ゆ、ユーカーが?」


 ちょっと信じられない。ユーカーはなんだかんだで甘いから、半殺し程度で済ませてそうな印象があった。


 「そんな事が続けば山賊側からは目撃者無し。それでも住人達の噂を聞き、セレスタインの名くらいは知ったんだろうね」


 互いに名と評判は聞きながら、遭遇したことがないユーカーとレーヴェ。そんな二人が真っ向勝負をしたならば、どんな結果になるのだろうか。


(でもランスが押されてた相手だ。ユーカーに何とか出来るとは思わないんだけどなぁ……)


 ランスが戦ったところを見たのは昨日が初めてだけど、剣の扱い方からしても騎士としてはユーカーよりランスの方が上だと思う。

 そんな俺の表情に気付いたのか、ヴァンウィックは苦笑する。


 「ここだけの話、セレス君は夜は凄く強い。普段の三倍くらいはやり手になる」

 「え?」

 「何故だか知らないが、彼は夜襲をことごとく返り討ちに出来る技量がある。だからセレスタインの名を聞いて夜に襲ってくる馬鹿はいない。任務でこの付近を通る時、彼は夜間の内に通るようにしていたんだろう」


 そうか。ユーカーは片目を隠しているが、別に視力を失っている訳じゃない。片目を夜目に慣らしているのだ。他にも何かあるのかもしれないが、よくはわからない。よくわからないがユーカーは暗いところの方が強いらしい。

 だから一昨日は見張りを買って出てくれたのだろうか?見張りの交代を彼が他の騎士に頼んだのは早朝になってからだったと思う。


 「その噂が一人歩きして、あの辺ではセレスタインと唱えれば山賊が寄って来ないとまで言われています」

 「でも昨日山賊達の前でイグニス、セレスタインって口にしてなかった……?」

 「毒に倒れてへばってるようなの本物だと思うわけないじゃないか。向こうのイメージでのセレスタイン卿はあんなちびでもないし屈強な猛者みたいな先入観があるんだよきっと」

 「なるほど……」

 「昨日のはアロンダイト卿の噂の方を恐れての撤退だったようですね」

 「ははは、私などあの甥っ子に比べれば大したことはありませんよ。捕らえた山賊は私ルートに入って朝チュン迎えるだとか18禁通り越して180禁くらいのことをされるだとかもう昨日までのようには生きられないとか色々言われていますがね」


 それは確かに怖いと思う。実際この人昨日も片っ端から口説いていたしユーカーよりも現実味に溢れている。


 「だから北部は嫌いなんだ……」


 ランスが遠い目をしている。北部でアロンダイトを名乗るとそういう目で見られると。南部じゃ騎士様騎士様ってあんなに人気なのに……お父さんがこんなのだってだけでランスも可哀想なことになっているらしい。


 「でも……それっておかしくありませんか?討伐ではなく、ユーカーにも避けさせるなんて」

 「あいての技量が解らない以上下手に軍勢も向けられません。かといってあいつ一人でどこまでやり合えるかもわからない。被害を最小限に留めるには最善かと」


 先王の判断に異論を唱える俺に、ランスがその説明をしてくれた。


 「僕もランス様の意見には同意ですね。アルドール、今はあそこを無事に切り抜けられただけでも良かったと思ってよ。今は山賊退治より先にやるべき事がある」

 「やるべき事?」


 イグニスはそう言うが、俺にはわからない。北部に来たものの、ここからどうすればいいのかまるで見えない。


 「僕らは都を取り戻すために、まずは北部の結束を固め化ければならない。そのためにはアロンダイト卿のお力添えは必要不可欠。協力していただけますよね?」

 「都には私も忘れ物がありましてな。そうですね喜んで」


 アロンダイト卿のその言葉から、しばらくはアロンダイト領に身を預け、そこから北部をまとめていくという方向に決まった。


 「あの山賊のことが気になりますか?」


 まだ前の話題を引き摺っている俺に、ヴァンウィックが尋ねて来る。


 「レーヴェが居ることで、賊は一種の節度を守っている方ですよ。彼女はまだ子だ。だからそこまであくどいことを思いつかないんだろう。一時期より被害は収まったものだ。彼女があそこにいることで北部への海賊被害が減ったことは確かです」

 「だから王は彼女には手を出すなと?」

 「ええ。そういうことです」


 頷いた後、ヴァンウィックは小さく微笑を浮かべる。あくどい笑みだ。


 「それに昨日はあっちこっちで北部にセレス君が来たことを言いふらして来ましたからね」

 「ランスっ!匿ってくれ!」

 「ユーカー!?」


 ヴァンウィックが言い終わるか否かのところで室内に飛び込んでくるユーカー。その後ろからは歓声めいた声が聞こえる。


 「なんなんだあれ!何なんだよあれ!!おっさんてめぇ何しやがった!!」

 「こう見えてセレス君は北部では人気があるんだよ。君が滞在する場所は賊に襲われないからね。あと女装祭りでの君の武勇伝を尾鰭を付けて話してあげたところ、妙なファンも付いてな」

 「尾鰭付けんなっ!!!歓声の半分が野太い声ってどういうことだ!!」

 「いやいや、君は良い客寄せパンダ……げほん、兵寄せパンダだな。男の少ないと言われているこのカーネフェルからあれだけの支持者を集めるとは。家で死ぬのを待とうとしていた老人も、布団を被って震えていた中年層も君に一目会いたくてこれだけ書類を集めてくれたんだぞ?」

 「こ、これって……」

 「私も唯北部を遊び歩いていただけではありません。女を時に男を口説く傍ら、兵の志願を募っていたんですよアルドール様」


 分厚い書類の山を俺とイグニスの前に叩き出すアロンダイト卿ヴァンウィック。そこには老若男女の名前が書き連ねられていた。

 そのどや顔は格好良く見えるが、ユーカー苛めもここまで来たか。親子揃ってまぁ鬼畜。


 「ランスの持っていた幻のセレスちゃんの一枚を、最後の帰郷の際に奪っておいて、それを複製して配ったんだがこれがかなり反応良くてね。カーネフェルの女から失われた清楚さがそこにはあると人気者だよセレス君」

 「野郎にモテても嬉しくねぇっ!!つーかランス!あの時のか!あれは捨てろって!捨てたって言ったじゃねぇか!!」

 「初出場で優勝まで輝いた女装祭りでのお前の雄姿じゃないか。そんな捨てるなんて勿体ない。ゴミ箱に捨てたのをアルト様が拾ってきて下さったんだ!言うなればあれはお前だけではなくあの方との思い出でもある俺の宝物だ!」

 「っていうかアルトのおっさんまで……!!どうしてはそんなにランスに甘いんだっ!!俺をからかうのが楽しかったのか!?酷ぇっ!!」

 「ちゃんとアルバムに入れて保管して持ち歩いていたのに……いつの間にか最盛期の一冊が消えたと思ったら!!貴方が盗んでいたんですね!?返して下さい!!」

 「返して欲しくば“お父様愛しています大好き”の後にほっぺにちゅーを所望する」

 「よし、頼んだユーカー」

 「なんで俺が代役なんだよ!?」

 「元はと言えばお前の写真じゃないか」


 ぽんと肩を叩かれて、ほら行けよと視線で促されるユーカー。ほんとランスはユーカー相手だと素で鬼畜入るなぁ。


 「うぅ、嫌だ。死ぬほど嫌だぁ……」

 「そうだなぁ。そのままでは君も恥ずかしいだろう。それでは女装してきてくれても構わないぞ?」

 「もっと嫌だ!!」


 半泣きになってヴァンウィックに噛み付くユーカー。そんな彼に跪き、レースのハンカチを差し出し、にこりと優しく微笑むのはトリシュ。


 「わかりました、愛しのイズーのためです。私がやりましょう」

 「と、トリシュ!?」

 「見ていて下さい愛しのイズー。このトリシュ=ブランシュの生き様を!!」


 おお。初めてユーカーがトリシュを見直したみたいな目で見ている。今のは好感度が1位は上がったんじゃないのか?


 「というわけで師匠。僭越ながらやらせていただきますが、私にもその幻の一枚、いえアルバムごと譲って下さい」

 「やっぱてめぇも俺の敵だっ!!信じた俺が馬鹿だった!!」


 *


 窓の外の群衆は本当に凄い数だ。宿の外では更に志願者と書類が増えていく。


 「い、いやでも凄いよユーカー」

 「褒めたって何も出ねぇからな」


 ユーカーはすっかりふて腐れている。そりゃそうだ。客寄せパンダよろしく、また女装させられたのだ。向こうからはこっちの声が聞こえない。だから恥ずかしそうにしてる所やふて腐れている様も女装姿だと儚げとか物憂げに映るから不思議だ。これはユーカーなのに。


 「でも別に女装の力だけでもないんだろ?ユーカーが北部で頑張ってたから、みんなお前を信じて頼って来てくれたんじゃないか」

 「……んなの重いだけだ、俺は最悪この国捨てるつもりだったってのに」


 どうして俺なんかにしがみついてくるんだよと、ユーカーは本当に嫌そうに溜息を吐く。それすら窓の外からは違った風に映るらしく、国の行く末を憂う切なげな眼差しとかそういう解釈がなされているようだ。


 「俺にはもう……あいつ以外守るものなんか……」

 「ユーカー……」


 俯くユーカーに俺が言葉を無くしたその時。扉を開けて室内に入ってくるイグニス。


 「セレスタイン卿、貴方にお客様ですよ」

 「次は何させようってんだよ……」


 嫌々後ろを振り向くユーカー。その動きがそこで止まった。


 「お帰りなさいませ!セレス様!」

 「よくぞご無事で!!」

 「お、お前ら……」


 室内に流れてきたのは、二人の女性兵士。ユーカーの前に跪き、報告をと口を開いた。


 「……数は減りました。それでもセレス様の留守を預かろうと今日まで戦って参りました」

 「お噂を聞き、ここまで参った次第です」


 橋を壊した時に、ユーカーは全員死んだと言っていた。しかし、そうではなかったのだ。涙を浮かべるユーカーに彼女たちは不敵に笑う。


 「勝手に殺さないで下さいよ。そんな簡単に死にませんよ。セレス様の部下ですから」

 「逃げることとしぶとさには自信があります」

 「おや、そう言えば言い忘れていたな。すまないすまない」


 女兵士達の後ろから現れたヴァンウィックがわざとらしい笑みを浮かべる。


 「彼女たちは北部でザビル河沿いの警備に当たってくれている。タロックはこの北部に二分し滞在しているからね」


 これから南部に渡ろうと河の前で立ち往生している者。それから北部に居座り北部の支配を固めようとしている者。

 言われてみればここまで、北部のタロック軍については何も聞いていなかった。南部へ向かうため北部は通り過ぎるだけの者が多かったとは聞いていたが……都が落とされた今、無理に河を越える必要はない。北部の足場を固めるため、また北上して来る者も出てくる。ヴァンウィックはそう言った。


 「敵が今居る場所は解りますか?」

 「ええ。アロンダイト領より北。今捨て置かれた古城を奴らは陣取っています」

 「それじゃあ河を渡るのを諦めて……南と北から攻められたら」

 「今度こそ背水の陣だね」


 イグニスの言葉に俺もユーカーも息を呑む。だけどイグニスは違う。そこで不敵な笑みを浮かべた。


 「でも、だからこその双陸だよ」


 地図の上で都を指さして、イグニスはにたりと笑う。


 「教会から入った情報だ。双陸は都の法整備の他、橋の建設計画を打ち出した。北部の支配を行うためにも、物資を送るためにも橋は必要だからね」


 双陸は人格者だ。彼に支配させること、それがカーネフェルにとって良い方向へと変わってくれる。彼が北部の人々を兵をそのままには出来ないと、見越してのイグニスの策。彼のその正しさが、背水の陣を打ち破る。

 都を落とすのが彼の役目。落とした以上、それ以上の被害を望まない。新たな命がタロック王から下らない限り、彼は敵だが敵じゃない。


 「だからザビル河流域に駐屯している奴らは北上しない。南と北から建設作業を行い、短期間で橋の修繕を考えるはずだ。僕らは橋が完成するまで待って、その間に北部の支配を進めよう。兵達の訓練もその間でどこまでやれるか解らないけどやるしかない」


 「唯、セレスタイン卿が会ったタロック王。彼がこの北部にいる可能性もまた否定できない。その古城には彼がいる可能性もある。油断は禁物だよ」


 まず討つべきはエルス=ザインだと、イグニスが口にする。

 狂王と双陸の間の情報の運び手。そこを断ち切らなければ駄目なんだとは、彼が再三言ってきたこと。


 「……んじゃアロンダイト領で、その古城とやり合う。そっからまず北の敵をやっつける。そこで一緒にエルス=ザインの野郎をとっちめる。そう言うこったな」

 「言うのは簡単ですがね……」

 「カードとしては狂王もAなんだろ?幸福値の差なら……俺なら余裕で殺せはする。そういうことだよな?」

 「理論上はそうです。ですが、王の所まで簡単に辿り着けるとは思いません。いずれにせよ、簡単な仕事ではありませんね」


 やる気を取り戻したユーカーの言葉を、遮るイグニスは何かの不安を感じているようだった。


 「でもとりあえずはアロンダイト領に向かう。それで間違いはないんだよな?」

 「……まぁね」


 俺がそう言うと、イグニスはとりあえずは頷いてくれた。


 「セレスタイン卿のお陰で、北部の人はアルドールにもそこまで反感はないみたいだよ。あのセレスタイン卿が仕える人だって」

 「別に仕えてはいねぇけどな。仕方ねぇから表向きはそう言うことにしてやるよ。カーネフェルとランスのためだ」


 部下の無事を知ってか、ユーカーもほんの少しこの国に未練を取り戻してくれたらしい。だからいつもより俺への風当たりも冷たくない。

 次第に日も暮れ……外の人垣も収まってきた。この街だけでも志願兵もかなりの数が集まった。後は明日……アロンダイト領に向けて旅立つだけ。

 狂王とやり合うかも知れない。そう思うと脅える気持ちは、不安は俺にもあるけれど。イグニスが不安がっている、こんな時くらい俺がしっかりしなきゃ。俺がイグニスを安心させてやれるような……そんな、立派な王に。

 緊張を和らげるため深呼吸を俺が始めた時……廊下を駆ける慌ただしい足音。そして室内に飛び込んできたのはこれまで見たことが無いような危機迫る顔したランス。


 「ユーカーぁあああああああああああ!」

 「う、うあ!な、何だよランス!?」

 「匿ってくれ!頼む!」


 匿う?そう言いながらランスがしたことは、何故か女装ユーカー、セレスちゃんに思いきり抱き付くことだった。

 いきなり尊敬する従兄に抱き付かれて目を白黒させているユーカーは、しどろもどろになりながら、今の状況を分析している。


 「は?お前まで何か……?確かにお前は人気あっけど叔父さんがはっちゃけ過ぎてるせーで、北部じゃそこまで……」

 「そうじゃないんだ!」

 「ラ・ン・ス様ぁあああああああああああああああああああああああああああ」


 その声は、甲高い。幼い女の子の物だ。そしてその台詞全体的にハートマークというか好意が思いきり乗せられている。


 「き、来た!彼女が来たんだよ!!うちの領地からっ!!」

 「あ、あの声まさか……」


 その声に脅える騎士二人。目を見合わせて、ほぼ同時に頷いた。


 「解ってくれたか。頼んだぞ、俺に合わせてくれ」

 「くそっ……」


 舌打ちし、ユーカーは眼帯を右から左に付け替える。それが済むと同時に、ランスが鍵を掛けたた扉が開けられた。


 「嫌ですわぁランス様ったらぁ!お帰りになられたのなら恥ずかしがらずに私の所へ来て下されば良いのに」

 「や、やぁ……久しぶりだねエレイン」


 金の髪に青い瞳。その青はユーカーのそれよりもずっと濃いがランスよりは大分明るい。それでも美しい金髪だ。彼女も恐らく真純血。巻き毛の髪をリボンで結い、可憐なドレスに身を包む……明るい笑顔の素敵なお嬢様。フローリプと同じくらいの年だろうか?

 俺がフローリプを恋愛対象に思えなかったように、ランスも彼女をそんな風には見られないようで、熱い視線を送られても全く嬉しそうではない。


 「あら?セレスお兄様は?お二人がご一緒ではないなんて珍しいこともあるものですのね。……というか噂ではこの街にセレスお兄様もいらしたとお聞きしたのですけど?」


 この子がエレイン=シャラット?彼女は確かユーカーの婚約者アスタロットさんの妹。だから彼を義兄と呼ぶのか。もしこの二組の男女の婚約が上手く行っていたならランスとユーカーの関係がまたややこしいことになっていたのか。


 「まぁ、どうでもいいですわ。お兄様がいないのなら私とランス様が二人っきりということですものね?」


 うわ、この子凄い。俺とイグニスとランスの父さんスルーした。存在そのものをデリートしに来た。


 「ら、ランス様!何をなさってるんですか!?」


 そしてセレスちゃんも今まで眼中に入っていなかったのか。言われてみれば彼女はさっきからずっとランスの顔だけロックオン。未だに顔ばかりを見ている気がする。


 「婚約者の私というものがありながら……この泥棒猫っ!売女!私のランス様から離れなさい!!」


 そしてその過激な暴言。お嬢様の割りに気性が荒いなこの子。シャラット領で見たアスタロットさんとは全く違う。

 ユーカーの背中をぼかすか殴るその少女の攻撃からユーカーもといセレスちゃんを庇うよう抱きかかえるランス。


 「な、何故そのような雌豚を庇うんですかランス様!!」


 「言うなぁ……あの子」

 「…………」


 乾いた笑いを漏らす俺の横で、イグニスはなんだか微妙な顔をしている。


 「あれ?どうかした?イグニス?」

 「いや、何でもないよ」


 毒舌家のイグニスがこんなに吃驚?するなんて。自分と似たタイプの人間が苦手ってことなんだろうか?


 「すまないエレイン。俺は君とは結婚できない」

 「どうしてですの!?ランス様がお帰り下さらなかったこの三年間!エレインは女を磨いてきましたのよ!?小柄身体!華奢な肢体!マニアには堪らないこの胸囲!ランス様に相応しい女になりましてよ!?」

 「それまだまだ子供って事じゃないのかな……?俺はマニアでもないし、君のような年下の女の子と結婚だなんて出来ないよ」

 「エレインは、もう年だって二桁になりましたもの!何時でも結婚出来ますわ!そんな女と遊ばなくとも私が満足させて差し上げます!」

 「そうじゃない……そうじゃないんだ」


 子供だからそういう風に思えないっていう断り文句じゃ通じない。それを予測してのランスの行動。


 「俺が君と結婚できないのは……この子を愛してしまったからなんだ!」

 「っ!?」


 セレスちゃんが口をぱくぱくさせながら身体を震わせている。話を合わせるとは言ったがここまでドストレートな手法で来るとは思っていなかったわけでもないだろうに動揺している。顔が真っ赤だ。


 「信用できません」


 しかしエレインはランスの言葉を真っ向から否定。


 「その様子じゃそっちの女の方はランス様に惚れているようですけど、ランス様がその子を愛しているようには見えませんわ。所詮口だけです。私にそのような嘘が通じるとでも思ってらっしゃるの?」


 惚れてねぇよというユーカーの心の叫びが俺の元まで届いてくる。頑張れユーカー。見てる分には楽しいよ!親指を立てて頑張れよーと心の中で声援を送ったら涙目で睨まれた。女装中だからあんまり怖くない。むしろ怖さが減るからいっつも女装してくれてればいいのに。

 イグニスはイグニスでユーカーが面倒事に巻き込まれているのが面白いのか、いつもの余裕を取り戻し、失笑しながら彼を見下している。

 ランスの父さんアロンダイト卿ヴァンウィックは最初こそ神妙な顔をしていたけれど、今はイグニスと同様、若い三人を見つめてにたにたしている。


 「そうだぞ馬鹿息子。愛は言葉より行為。そんな言葉誰でも言える」


 そして悪ノリし出した。これはランスへの嫌がらせなのかユーカーへの嫌がらせなのかはたまた二人への愛なのかはよく分からない。


 「いえいえアロンダイト卿。言葉は言霊。愛の一歩も百里の道も言葉から。エロスは行為、愛は言葉に宿るものかと」

 「イグニス!?」


 イグニスまでイグニスらしかぬ変なことを言い出した。


(まさかこれって……)


 二人を実際飲み会のノリで何かをさせて苛めたいヴァンウィックと、言葉攻めの羞恥プレイをさせたいイグニス。二人とも酷いけど、酷い同士で対立している。


 「エレイン、君はこの馬鹿息子がこのお嬢さんにあんなことやらこんなことまでいかないにしてもキスくらいは見せてくれないと納得出来ないんじゃないかい?」

 「いえいえ、婚約者の方を蹴るくらいなんですから、求婚の言葉辺りを言えるかどうかが鍵ではないですか?」


 いや、違う。この二人、共闘している!極論二つを押しつけて選択肢二つのどちらかから無理矢理選ばせようとしている。どちらに転んでもそれなりに楽しめるランス父に、ユーカーの嫌がる所が見られるイグニス。


 「……わかりました。それで俺のことは諦めてくれるんだね?」


 解るな馬鹿!とか思ってそうだなユーカー。ランスは本当何とも思って無さそうだ。野良犬に舐められるというか野良犬を舐めるって言うか飼い犬って言うか。何とも思って無さそうだからこそユーカーの独り相撲が可哀想だ。動揺したり緊張したり嫌がったり嫌がったりして相手が傷つかないだろうなとか考えてるの彼だけだ。ランスは精霊に育てられたから、色々と浮世離れしてるのかもしれない。しかしユーカーはそうもいかない。アスタロットさんとの一件もある。


(嫌だ!何もそこまでしてやる必要ねぇだろ?)

(しかし今後の面倒事を避けるためには。北部にいる間中ずっと彼女に突進される俺に身にもなってくれ)

(ふ、ファーストがお前とかになりそうな俺の身にもなってくれ!)

(挨拶みたいなものじゃないか)

(場所がちげーよ!!っていうかお前はあんのかよこんなん……)

(俺は母さんにされたことある。精霊の世界では挨拶なんだって話だった)

(あ、あの精霊……何処まで俗世に染まってんだ)


 俺、数術使いじゃないのに大体二人が小声で言い争っていることが伝わってくる。そこまでエレインと言う子は解らないようだが、二人が揉めているのは解ったらしい。


 「……そのご様子だと、やはりランス様はその方のことを何とも思っていらっしゃらな…………」


 皮肉を口にした少女が固まる。それを見た俺が視線を其方へ向ければ、俺も固まる。そしてその先でセレスちゃんは石化していた。

 俺の隣で咳き込むほど笑っているイグニス。そして景気よくシャッターを押すヴァンウィック。


 「イズーちゃん!もっと色っぽく!目付きは悩ましげに!そう!いいよ!その調子だ!馬鹿息子!そこで舌をだな!顎に添えた手で下唇を撫でて!片手は腰へ!そうだ!お前もやれば出来るじゃないか!」


 もう一回石化で意識が飛んで、自棄になっているセレスちゃんはノリノリだ。どうにでもなれという捨て身のテンションだ。


 「いや、いい絵が撮れた。これならカーネフェルの腐ったお姉さん達を軍に引き摺り込むのも手堅い」

 「やりましたねアロンダイト卿」


 イグニスとヴァンウィックはがしと固い握手を交わしている。……これ、募兵のためだったんだ。国のため何て言われればそりゃあランスだってやる気出すよね。あの人カーネフェル大好きだから。

 でもあれの最中って息できるのかな。鼻で息するのかな。俺腹式呼吸苦手なんだよ。みたいな感じ半狂乱なユーカーも怪しい。その内酸欠起こしそうだ。

 俺がそんなことをぼんやりと考えていると、引き千切られたドアノブに疑問を浮かべるトリシュが現れた。


 「神子様、書類は向こうの部屋に移しておきました。そして今日はお疲れ様でしたイズー……」


 無論、絶句。その手が両肩がわなわなと震えている。


 「ぼ、僕を裏切ったなランスっっっっっっ!!僕のイズーに手を出すなんてっっ!!!決闘だ!決闘を申し込む!!」

 「セレスさーん!夕飯の前に一緒にお風呂に……」


 得物を手に泣き喚くトリシュ。その背後からひょこっと顔を出したのはパルシヴァル。


 「……セレス?……まさか、貴女、ユーカーお兄様!?」


 目の前の光景の真実に、石化が解けるエレイン。


 「ふ、不道徳!不潔ですわお兄様!ランス様!と、殿方同士がそんな……そんなっ!」

 「エレイン、法的には問題ないよ、従兄弟は結婚出来るじゃないか」

 「野郎は出来ねぇよ」


 妙なボケを発するランスにユーカーがツッコミを入れる。ツッコミすることで平常心を取り戻しているようだ。でもうっすら涙目だ。


 「どれどれ、可哀想なお嬢さんは未来のお父さんが慰めてあげよう。ほら、あの馬鹿息子そっくりの顔だよー」

 「私はそこまで安い女ではございませんわ!」


 抱き付こうとしたヴァンウィックを近くに立てかけてあったモップで撃退する少女。しっかり汚れの付いている箒部分で顔を狙うという見事な技だ。


 「どういうことですのお兄様!お姉様がお亡くなりになったからって、今度は殿方に走るつもりですの!?」

 「ご、誤解だエレイン!」

 「元々お二人は妙に仲良しだと思っていましたらそういうことでしたの!?」

 「ああ、実はそうだったんだ。だから諦めてくれ」

 「お前なぁ!この期に及んでまだ言うか!?」


 あくまでしらばっくれる気でいるランスは父親とは違う意味で質が悪い。しかしそれに釣られる奴が一人だけ居た。


 「決闘だランス!もはや君は僕の友ではないっ!!僕の最愛の人の純潔を汚すとは!!」


 ユーカーには似合わなそうな形容詞の羅列にとうとうイグニスが発作寸前まで笑い転げている。


 「セレスさん、早くお風呂行かないと夕飯の時間なっちゃいますよ」

 「もう嫌だこいつら。ううっ……行こうぜパルシヴァル」

 「はい!」

 「お前は本当可愛いな。あいつらみてぇな変な騎士にはなるなよ」

 「イズー!わ、私も……いえ僕もご一緒にッ……」

 「てめーは決闘なんだろ。頑張れよ」


 てめぇは付いてくるなとユーカーが決闘を盾に持つ。それでも嘘でも頑張れと言われれば頑張るしかないのが彼の悲しい性だ。


 「……で?どうするんだトリシュ?」

 「け、決闘だ!!」

 「よし。それじゃあ外でやろうか。室内じゃ宿に迷惑だ」

 「ら、ランス様!そうやってうやむやにしてまた逃げるおつもりですのね!!お待ちになって!!」


 ランスとトリシュ、それからエレインが消え、室内は随分と静かになった。残されたのは俺とイグニス、それからヴァンウィックの三人だけ。

 イグニスは特殊な身の上だから男湯にも女湯にも入れない。後から夜中に借りることになるんだろう。俺は俺であんまり人前で肌を晒したくない。イグニスとユーカーにはシャラット領での治療の時に見られたから仕方がないとして、他の人達に傷を見られるのは抵抗がある。となると夕飯まで暇だ。


 「それでは私も食事の前に風呂に行ってきます。失礼」


 鼻歌を歌いながら出て行く中年騎士。ユーカーが居るから大丈夫だとは思うが、あれはパルシヴァル狙いだろうか。やっぱり止めるべきだろうか。


 「どうする、イグニス?」

 「そうだね……確かに中途半端な時間だね」

 「それじゃ、街でも見に行こう!よく考えたら昨日着いたのは遅かったし、昼間は忙しかったしあんまりこの街回れてないよな」


 ここはどんな街なんだろう。昨日夕飯を食べた店くらいしか俺は知らない。見聞を広めるには良い機会だ。


 「……確かにね。それじゃあそうしようか」

 「やった!んじゃ行こうぜ!」


 つい昔のように気軽にイグニスの手を引いて、宿を出て、街の中を歩いて……呼び止められるまで俺は気付かなかった。


 「そこのお二人さん」


 占い師だろうか。道に座った老婆に声を掛けられる。


 「微笑ましいねぇ。デートかい?」

 「え?」


 イグニスは外見だけならどっちにでも見える。口調で男だと気付くが、喋らなければ話は別だ。修道服も見ようによってはスカートだ。スカート補正で知らない人から見れば女の子に見えるのかも知れない。っていうか女の子だし。


 「14,5にもなって男友達が仲良く手なんか繋ぐわけないだろ、馬鹿」


 イグニスに睨まれる。

 イグニスの外見だけではなく俺の軽率な行動がその勘違いを引き起こしたのだと彼女は言う。見れば少しイグニスの頬が赤い。嫌だったのか。そうだよな。こんなの恥ずかしいよな。俺は何て馬鹿なことを。イグニスと二人で出かけられると思って嬉しくて……つい、はしゃいでしまった。


 「ご、ごめんイグニス!」


 俺は急いで手を離す。イグニスの手は相変わらず冷たいけど、俺の手が熱かったのか、それで彼女の手も温まり、俺に返ってくる温もりは暖かだった。


 「あらあら。照れ屋さんだねぇ彼女は」


 下手に否定をするとややこしくなるだけだとイグニスは無言。でも俺と視線を合わせてくれない。


 「それじゃあ二人が仲直りできるように私が何か占ってあげようかねぇ。いや、お代は結構だよ。私の所為で二人が喧嘩してしまったんだものね」


 手相を。そう言われ俺は、利き手にカードの紋章が刻まれていることに気付く。右手は出せない。左手を出す俺に、老婆は不思議そうな顔をする。


 「俺、両利きなんです」


 でも本当は左利きだと言って手を見て貰った。だから色々見当違いのことを言われてちょっと笑えた。


 「あら、生命線長いわねぇ。貴方長生きするわよ」

 「ははは、そうですか」


 出来るわけ無いよ。俺はカードだし。頭の中に浮かんでくる。幾つもの死の場面。姉さん……ルクリース、フローリプ。みんな、死んでしまった。今俺の傍にいる人達だってカードばかり。いつか死んでしまう。殺される。そんなの嫌だ。守りたい。死なせない。死なせたくない。だけど最弱の俺に一体何が出来る?

 俯いた俺を伺うイグニス。俺を心配してくれているようだ。


 「すみませんが僕は占いを信じませんので」


 イグニスは右も左も老婆に見せず、俺の手を掴んでその場を後にする。立ち去る間際老婆に笑いかけたイグニス。その顔を見て、老婆が蒼白の面持ちになったのが少し不気味だった。まるで、死相が出ているわと言わんばかりのその顔が……


 「アルドール」

 「な、何?」

 「僕アイス食べたい。買ってきて。五秒以内に」

 「五秒は無理っ!」

 「それじゃあ一分待ってあげる。シャーベットとクリーム系のダブルね。勿論君の奢りで」


 ベンチに腰を下ろし、近くの屋台を指さすイグニス。その命令に何故か逆らえなくて俺は走り出す。


 「か、買って来ました」

 「うん、ご苦労」


 俺の手からご所望の品を奪い、イグニスはぱくついた。そして俺に小銭を渡す。


 「物欲しそうに僕の見られても困るし、買ってきなよ君の分」


 何だかんだ言ってやっぱりイグニスは優しい。俺は笑って頷きもう一度屋台に走る。


 「あ!すみませんお姉さん!俺このクッキー&クリームにそれから洋梨のシャーベット!」

 「申し訳ありませんがお客様、其方の代金ですとシングルになります」


 ベンチでイグニスがくすくす笑っている。や、やられたぁっ!イグニスが、あの守銭奴イグニスがダブル料金など俺にくれるはずもなかった!

 俺は苦笑し自分の財布から追加料金を支払う。しかしベンチに戻った俺を、イグニスは冷たい視線を溜息で迎える。


 「……君って気が利かないよね。どうして僕と同じのにするかな」

 「いや、イグニスが美味そうに食べるからその味当たりだったのかなって」

 「意地汚いなぁ元貴族の癖に。君が同じのにしたら僕が他の種類を味見出来ないじゃないか」

 「えええ!?俺の奪うの前提!?」

 「文句ある?」

 「ありません」


 ああ、やっぱりイグニスはイグニスだなぁ。こういう所を見ると本当にそう思う。

 苦笑しながら隣に腰を下ろす。そんな俺に目を瞬かせ、疑問符浮かべたイグニス。


 「……何?」

 「俺、イグニスと友達になれて良かったよ」


 イグニスが何であっても、俺の親友はこのイグニスだ。それは揺るがない。俺はこうしてイグニスと話をするのが好きなんだ。もう二度とこんな事出来ないかもと恐れていた二年。それに比べれば今は、夢のよう。

 だけどイグニスが居るのに、悲しい気持ちが浮かんでくるのは……俺も変わってしまったから。きっとそうだ。イグニスとギメルだけが大切だった俺ではなくなった。


 「なにさ、突然……」

 「なんていうかさ。ありがとう、傍にいてくれて」


 ルクリースが死んでから、イグニスは俺から距離を置いた。俺がイグニスにこれ以上依存するのを恐れてだろう。だけどフローリプを亡くしてから……イグニスは俺から離れずに、傍にいてくれる。俺がここまで歩いてこられたのは、平気な振りが出来たのは……イグニスがここにいてくれたからだろう。


 「本当はイグニス、シャトランジアに帰って国をまとめなきゃならなかったんだろ?それをこんな所まで付き合わせて……悪いと思う」


 何時も俺がイグニスに頼ってばかりで情けない。イグニスがシャトランジアが安心して頼って来られるような俺に、カーネフェルにしたいと思う。


 「君が頼りないからだよ」

 「うっ……」


 「でも……頑張ってるのは解ってる。君はちゃんと周りの人を見てあげてるね。セレスタイン卿のこと、ランス様のこと。そうやって少しずつ背負うものを増やして……大事な物を増やしていく。それが王に一番必要なことだよアルドール」


 「君はこの国が好きかい?」

 「まだよく分からないよ。だけど……」


 俺を守るために死んだ人がいる。俺はだからここから逃げたりはしない。俺はカーネフェル王。殺されるその日まで、そこから逃げない。それだけは俺を守ってくれた三人の俺の家族のためにもしてはならないことだ。


(それに……)


 ユーカーが悲しんでいて、ランスが苦しんでいる。俺は二人にとって先代のアルト王のようにはなれないけれど、それに代わる場所を探して行きたい。

 都を捨てるなんて無謀な策に乗っかってここまで来てくれたのだ。それに報いてやりたいと思う。


 「ランスが、ユーカーが……必死になって守ろうとした場所なんだ。取り戻してやりたいと思う。あいつらの……カーネフェルを」

 「……気に入ったんだ。彼らのこと」


 イグニスは珍しく穏やかな笑みで俺を見る。


 「そりゃあユーカーには世話になったし、ランスも俺の力になってくれてるし。俺も何か出来たらって思うんだ」

 「まぁ王様って言っても多少はそういう謙虚な思いは大事だね」


 イグニスがうんうんと頷く。


 「まぁ、セレスタイン卿が気になるのは解るよ。君は人が弱ったところを見せると気にしてしまう所がある」


 シャラット領でのユーカーを見たことで、親身に感じてしまっているのだとイグニスは言う。確かにそうかもしれない。ユーカーの弱さを見て、そこに好感を覚えたのは確かだ。


 「ユーカーはさ、俺とは違って必死に生きてるって感じがして、気がつくと見ちゃってる」

 「それじゃあランス様は?」


 ランスは……。そう言われて昨日のことを思い出す。意地でも俺に頼らない。寄り掛からない強情な人。俺は唯の人間なのに、そこまで崇めなくて良いのに。俺との距離を彼は欲しがる。俺はもっと彼に近づきたいのに。


 「ランスはさ……俺より何でも上手に出来るのに、昔の俺みたいに見えて……ちょっと心配なんだ」


 人形は、人の心が解らない。だから人を傷付けてしまったり、人に傷付けられたりする。その内、嬉しいことも悲しいことも解らなくなって……本当の人形になる。


 「俺は……ランスには……俺にとってのイグニスになりたい」

 「……何それ?」

 「イグニスは俺の前で怒ったり泣いたりしてくれた」


 ギメルが俺にくれたのは優しく温かい感情で、イグニスが俺にくれたのはいつだって激しい感情だった。


 「ユーカーは、ちょっと違うけどランスにとってのギメルなんだよ。だからランスも少しは解ってるんだ、人の心が」


 ユーカーがランスの癒しなのは、ユーカーがランスを傷付けるようなことは言わないからだ。だから居心地が良い。だからランスもユーカーを気に入っている。


 「だけどユーカーは逃げるだろ?ランスに嫌われたくないから決定打になるようなことは言わない。ああ見えてイグニスみたいな遠慮なさがないんだ」

 「失礼な物言いだけど言いたいことは解るよ。続けて?」

 「だからランスは解ってないことも多いんだ。ユーカーがそれをぶつければ、ランスも悩んで考えて……もっと多くを理解していくんだと思うんだ。だけどそれをユーカーがしないなら……誰かがそれをしなくちゃ駄目だ」


 それを言うことで嫌われても、嫌がられても俺は言う!俺がイグニスを好むように、それでランスが俺を好きになってくれるとは思わない。それでもいい。俺はランスのイグニスになる!何でもずけずけと口にする。そうして彼に考えて貰うんだ。


 「俺はランス相手になるべく臆さない!頑張る!思った通りのことを言う!そうやってランスにランスの心を引きずり出させる!」


 拳を固めて決意を語る。俺が顔を上げれば……


 「あれ?」


 イグニスがいない。俺の話に嫌気が差したのか、また先程の露天でアイスのお代わりを頼んでいる。


 「イグニスー……」


 俺ってそんなに暑苦しい?話聞いてて嫌になる?


 「嫌になるって言うならそういう被害妄想だね。まぁ調子に乗られるよりはそっちの方が良いけどさ」

 「え?何これ?」

 「君にしてはよく考えた方だと思ったから」


 ご褒美。そう言って差し出されたのはカップに入ったアイスが一つ。ああ……イグニスは元々、ここで俺にくれる予定だったのだ。それを俺が勝手に自分でダブルを頼んで……馬鹿みたいだ俺。

 イグニスの手には別の種類のカップが一つ。流石イグニス。俺のを一口貰う気でいるな。っていうか既にスプーンで一口頂かれていた。俺が手を付けたのからは貰いたくなかったんだな。うん、そうだよな。


 「……あ、美味い」


 ほんのりと香る紅茶。これはミルクティーのアイスだ。


 「……君たち貴族はそういうの、好きだろ?最近旅ばかりで紅茶なんてあんまり飲めてないかと思って」

 「イグニス……」


 違かった。これはイグニスが毒味したんだ。先に食べて俺の口に合うかどうか見極めて。その上で自信を持って俺に差し出した。

 言葉にしないけれど、言葉では嘘を吐くけれど……俺はイグニスのこういうところがとても好きだ。言わなくても解る。だから俺が彼女を嫌いになることはない。何を言われてもそこから真意を探り取れる。取れなくても諦めない。見つかるまで探し続ける。

 こういう気持ちを他の人にも持ち続けられるかどうか。諦めない。信じてるから、真意を探す。そう言う姿勢が大事なんだろう。

 ランスのことも、俺が諦めなければ……いつか良い方向に転ぶ。それをまず俺が信じる。信じて突き進む。

 だけど見つけたからってわざわざ口に出す必要はない。俺が解っていて、こうして笑えばきっと俺が解ってるって相手も解る。その上で嘘の言葉に俺も乗っかる。そんな言葉遊びも楽しいと思える。それがイグニスなら。


 「イグニスのも一口貰っても良いか?」

 「いいよ」


 差し出されたカップ。その真っ赤なシャーベットは何かの果実だろうか?一口すくって口の中に放り投げた途端……つーんと喉と鼻の奥を突き刺す痛み。


 「イグニスー……」

 「百倍唐辛子ペッパー。面白そうだから頼んだら、失敗だった。勿体ないから食べるけど。君も手伝ってよ」

 「何で甘い物と辛い物混ぜるんだよ……」

 「北部の知恵らしいよ」


 北部の特産品の一つがこの辛子なのだという。


 「カーネフェルの夏は暑いからね。夏バテに効くんだってさ」


 アイスを食べるイグニスは少し疲れ気味。怠そうにも見える。……そこで俺は思い出す。一昨日、イグニスはエルス=ザインの虫に刺された。そしてその治療もまだ受けていない。


 「……イグニス、身体の具合はどうなんだ?」

 「北部まで虫は来てないし、僕は数術で体温変えられるし、熱は抑えられてる」

 「でも数術使うの疲れるんだろ?」

 「簡単な数術だからそんなでもないよ。常時展開ってセットすれば良いだけだし」


 高熱で死に至る病なら、熱を抑えれば死ぬことはない。簡単なことだとイグニスは言うが……


 「ごめん……イグニス大変な時に。俺……」

 「いいんだよ。君が僕のことを忘れるくらい忙しいっていうのは良いことだ」


 ユーカーやランスのことで気を取られていた自分を恥じる。だけどイグニスはそれでいいと首を振る。


 「それに心配されたところでどうしようもないこと悩まれるより、まだ何とかなりそうなこと考えて貰った方が僕としてもありがたい」

 「でも!……俺は…………」

 「それじゃ、ちょっと肩貸して」


 甘い物食べたら眠たくなったと俺にもたれ掛かるイグニス。頼って欲しいとは言ったけど、それは精神的な意味だったんだけどな。いや……同じ事か。イグニスがこんな風に寄り掛かるなんて……おいそれと出来る事じゃない。もたれ掛かってくる身体と一緒に心の一部を俺に預けてくれている。そんな気がする。


 「イグニス……アイス溶けるけど……?」

 「勿体ないから残りは君が食べて良いよ。残したら怒るから」

 「う、うわぁ……」


 唐辛子アイスは辛かった。でも後味はふわりと甘い不思議な味わいだ。鼻が喉がつーんとするけれど、少しイグニスに似ているなぁなんて思いながら、俺は重くなる手を動かした。


 *


 「はぁ……一番風呂って良いな。昨日はゆっくり風呂は入れなかったからなぁ」

 「はい!貸し切りって良いですね」


 邪気のない子供を相手にしていると心が洗われる。風呂から出てやっと男の格好に戻ることが出来た。ユーカーは一息吐いて、ロビーでパルシヴァルと寛いでいた。


 「ほら、何か買って来いよ」

 「あ、ありがとうございます!」

 「俺にも牛乳頼む」

 「はい!」


 売店でじっと飲み物のを見つめていた姿に折れ、小銭を与えると、明るい笑顔で走り出す。


 「ん?お前も普通のにしたのか」

 「はい!僕はセレスさんみたいになりたいんです」


 だから同じのにしましたと笑うパルシヴァルは可愛い。


 「お前はほんと良い奴だな……」

 「?」


 濡れた髪を撫でれば、きょとんとした顔で大きな瞳を瞬かせる。


 「でも俺より身長伸びたら殺す」

 「セレスさん、大人げないですよ」


 くすくすと笑われた。


 「しかしなぁ。こんな所までお前巻き込んで連れて来ちまって悪かった。こんな形で帰郷なんて嫌だろ?」


 こいつは立派な騎士になるまで故郷には帰らないと願を掛けていた。それが都へ行くための母親との約束だったらしい。こんな幼い子供だ。母恋しさはあるだろうに。そこまでして騎士なんてなって楽しいものでもないだろうに。


 「セレスさん、僕はまだ立派じゃないですけど騎士です」


 こいつの故郷も北部にある。俺が出会ったのは北部の森でだ。


 「母様にはまだ会えないけど、寂しいけど……寂しくないです!セレスさんに、王様に……いろんな人がいますから。僕は頑張って、セレスさんみたいな優しい騎士様になって母様を見返すんです!」

 「……お前も馬鹿だな」


 こいつは騎士になりたいという気持ちを否定され……そこで母親に俺を馬鹿にされたのを怒り、家を飛び出して都まで来てしまったのだ。子供に見えても才能はあるのか、独学での槍術はなかなかの物だ。棒を片手に都までの一人旅を遂げてしまったのだから。


 「でもまぁ……強くなって損はねぇか」


 こいつもカード。いざってときは自分の身は自分で守れるようにはなって欲しい。


 「んじゃ、アロンダイト領に着いたら暫く俺がお前に剣を教えてやるよ。騎士は剣も使えないと駄目だからな」

 「あ、ありがとうございますセレスさん!」

 「ふむ、無邪気な子らが戯れる様は心が洗われるものだねぇ」


 俺は口に含んだ牛乳を思いきり吹き出してしまった。


 「おやおや。言った傍から卑猥な子だ。白い液体を口から垂らしてぶちまけるとは」

 「そういう言い方止めろ!牛に謝れ!俺に謝れ!世界に謝れ!万物に謝罪しろ!」


 咳き込みながらそれでも俺は、この叔父を睨み付ける。だってこいつ絶対おかしい。


 「なんで平然と女湯から出て来んだよ変態っ!!」

 「いや、先に入っていたお姉さん方は最初こそ驚かれたがね、すぐにみんな私の虜さ。みんな今は余韻に浸っているみたいだから先に上がってきたんだ」

 「変態!犯罪者っ!強姦魔っ!あんたはどうしてそうなんだ!!」

 「ははは、失敬な。合意の上だよ途中からは」

 「アウト過ぎんだろうが!!最初からアウトじゃねぇか!!そういうのは終わりよければってのはねぇんだよ!」


 しかし女湯に入って女を食って出てくるとは。この変態、ランスには悪いが本当一回殺しておくべきなんじゃないかと割と真剣に思えてくる。


 「若い村娘も悪くないが、ほどよく筋肉の付いた女兵士も悪くないな。筋肉と脂肪の絶妙なバランスがまた。鍛えているとあそこの締まりも良くなるんだろうかな」

 「ま、まさか俺の部下まで食ったのか!?何てことをっ!!」

 「セレス君。あんな明らかに君に好意がある女の子を野放しにして欲求不満がらせてる君が悪いんだ。下手な操立ては時に相手を不幸にすると覚えておきなさい」


 怒りと動揺で震える俺の肩を叩いて、この変態叔父は俺に囁く。


 「何も一番じゃなくても、そういう好きでなくとも好意に甘えたい。その好意をキープしたいのなら手を出すのも一つの手だ。野放しにしておくと……こうやって悪い男に食べられてしまうんだから」

 「あんた、最低だっ!!」

 「ははは!良く言われるよ。むしろ私のような男には褒め言葉というものさ」


 爽やかな笑顔を残し変態男は走り去る。


 「くそっ……嫌なこと思い出した」


 せっかくパルシヴァルに癒されて忘れていたのに。現状維持?好意をキープ?それって……俺があいつにされてることとそっくりじゃないか。親子揃って……やっぱあいつら最低だ。


 「セレスさん……」


 俯く俺を心配そうに見上げてくるパルシヴァル。


 「これ、どうぞ」


 差し出されたのはまだ半分以上残っている牛乳瓶だ。

 どうやらこいつは俺が吹き出して殆どをぶちまけてしまい、飲む物がなくなったことでこんなに落ち込んでいると思ったらしい。

 そうだよな。訳の分からない話を聞いて、右から左。目から見た情報だけならそう解釈してもおかしくはない。


 「気持ちだけもらっとくぜ」


 それでも嬉しかったからお礼は言っておく。


 「お前はまだまだ伸び盛りなんだから、しっかり飲んでしっかり食え。年下から飲み物食い物奪い取るのは騎士としてやっちゃ駄目なことだ。だからお前が飲め」

 「でも……」

 「俺は新たに酒を買う!飲まねぇとやってらんねぇ!」

 「お酒って美味しいんですか?」

 「……んー、その日によるぜ」

 「そうなんですか」


 こいつは酒と言うより酒を飲むという行為自体に興味を持っているようだ。


 「お前と酒飲むのはお前が立派な騎士になってからな」

 「はい!」


 俺の言葉に頷くパー坊。その無邪気な笑みが、少しだけ……昔のあいつに似てるなぁとか思って。俺はもう一度口にする。


 「お前は絶対ランスみてぇにならないでくれよ」

 「?」


 何故そんなことを言われるのか解らず疑問符を浮かべ、それでもこいつはこいつなりの解釈で俺に笑いかけるのだ。


 「はい!僕はセレスさんみたいになります!」


 いや、それもどうなんだろうな。自分を否定するわけじゃないが、あまりお勧めできないように思うのは。


 *


 トリシュは考えていた。


 「ランス様ぁ」

 「これから決闘だから離れてくれ」

 「私見届け人役やりますね」

 「そうかありがとう。それじゃあここからそうだな、1000メートルくらい離れたところから見届けていて。俺は数術使いだしその位距離を取ってもらわないと危ないよ」

 「きゃっ、やっぱり私が大切なんですねランス様は」


 ランスはこの少女を心底嫌がっている。この婚約者を遠ざけるためわざと手近な相手である私のイズー……ユーカーを使ったのだ。そのくらいは僕も解る。解るのだが……腹立たしいのは同じだ。

 僕が迫ると逃げるし拒むのに、この男相手に彼はあまりに従順だ。嫌がっても最終的には流される。これ以上何かがあっては僕が困る。

 僕としてはランスがこの婚約者さんと上手く行ってくれる方がありがたい。


 「そんなお似合いの彼女が居て、それでもまだ僕のイズーに手を出すなんてね。君は男の風上にも置けない」

 「やはり見る目がある方から見れば、私達はラブラブなんですねランス様!」

 「……正気かトリシュ?」


 少女は俺の言葉にうっとり。ランスは本当に嫌そうな顔。取り柄の顔がもう少しで崩れそうなところまで来ている。


 「それは君が嫌っている父様、僕のお師匠様そっくりじゃないか!」

 「…………」


 ランスが笑う。冷ややかな笑みだ。私のイズーの前じゃ見せないような冷酷なその表情。背筋が震える程の殺気。そんな顔で彼は俺の方へ手袋を叩き落とす。


 「……あまり乗り気じゃなかったんだけど、ありがとう。やる気出てきたよトリシュ?」


 やる気が絶対これ殺すってかいて殺る気って読む方のあれだ。しかし僕もここで負けるわけにはいかない。例えイズーが僕を応援してくれていなくても。


 「君には……貴方にだけは負けません!アロンダイト卿ランス!貴方の愛は間違っている!」

 「……それはお前の方じゃないのか?」

 「道としては逆送している自覚はあります。それでも僕はまっすぐあの子を愛してる!」


 彼をまだイズーと呼ぶのは、名前で呼ぶのが恥ずかしいからだ。もしそんな風に呼んで彼に嫌そうな顔をされたら立ち直れない。僕が彼の女装に喜ぶのは、背徳感が薄れるからだ。

 冗談めかして接しなければ絡むことさえ僕には出来ない。本の中の騎士になりきることで、演じることで僕はなんとか彼に話しかけることが出来るのだ。

 だけど自らの危険を顧みず、大嫌いな僕なんかを庇ってくれたあの子。理屈じゃない。理屈じゃないんだ。気付いたらもう、仕方がない。正体を知ってもまだ好きなんだ。


 「僕は彼が好きです。だけど貴方のそれはそうじゃない!彼を人として貴方は見ていない!その目が彼をどんなに苦しめているか!それさえ気付かないような貴方になんて負けるものかっ!!」


 こんなこと言いたくなかった。僕は友人としてはこの男を気に入っている。

 今だって忘れない。彼は僕を否定しなかった。

 大切な僕の宝物。母さんの形見の本だ。

 父は領地に帰ってこない。本のようなそんな恋物語に憧れて、恋をして捨てられた……そんな哀れな女が残した本だ。

 哀れな女は酷い男を責めることも怨むこともなく死んでいった。一時でも燃え上がるような恋を教えてくれたのは確か。彼の火は消えても、彼女の火は燃え続けた。その身を焼き焦がす程、彼女を燃え上がらせた。その気持ちを教えてもらえただけでも私は幸せだと馬鹿な女は言っていた。

 例え幸せになれなくても、心から愛せる人に出会いなさいと、その思いはお前を強くしてくれるから。母さんは僕にそう言ってこの本を遺してくれた。燃える火の海。思い出と共に消えたあの人。僕には解らなかった。そんなもののために命を投げ出すその意味が。

 でも理解したかった。大切な母さんが見ていたもの。見た景色を僕は知りたかった。そして今……それを僕は見ようとしている。


 「これ、君の本だろ?」

 「……え?」


 昔の記憶だ。僕がまだ幼い頃の。

 泣いていた僕の前に現れた、優しく穏やかに笑う少年は……あんな冷酷な顔で笑う男ではなかった。


 「だっていっつもこの本を抱えているじゃないか」

 「み、……見てたの?」

 「いつも大事そうにしているから、きっと宝物なんだろうなって」


 見習い騎士の時の僕は、周りに馴染めなくていつもこの本だけが友達だった。空いた時間で頑張って剣と槍を磨いても、強くなればなるほど人は僕から離れていった。怨み、妬み、僻み。そういった物が渦巻いている。努力もせず、だらけている。それなのに人を羨み憎む。僕は唯、頑張れば……誰かに、みんなに認められると思っただけだ。だけどそんな相手誰もいない。いないと思っていた。


 「最近凄く頑張ってるよねトリシュ君。次の手合わせの時が楽しみだよ」


 目をキラキラと輝かせて、その子は笑った。見ていてくれた僕のことを。僕の努力を彼は見ていた。


 「あ……ありがとう」

 「でもさ、彼らも酷いよね。人の物を盗んで隠すなんて騎士失格だよ」

 「何で僕……こんな目に遭うんだろう」

 「うーん……城にはあんまり同世代の女の子っていないからじゃないかって母さんが……いや、何でもない」


 妙なことを言いかけ、彼は慌てて否定する。噂ではアロンダイト卿も似たような目に遭っていた気がする。ちょっと代わった言動と、何処かを見ている目と、時々現れる一人言。精霊の養母がいるとか言う不思議な子だ。剣は騎士見習いの中でもトップクラスの実力だし、礼儀も正しい、……僕にも優しい。だけどやっかみを僕以上に買っているはずだ。それでもこんな風に笑える彼は強いと思った。


 「君は髪も長いし可愛いし、女の子に見えるからじゃない?人間の男の子は幼少時に好きな子を苛めるものらしいじゃないか」

 「…………」


 悪意からの嫌がらせじゃなくて、好意からの嫌がらせだと彼は言う。君は嫌われている訳じゃない。そう僕を彼は持ち上げた。

 女顔か。そう言われればそうなのかもしれない。だけどだからってそこまで僕の顔は母さんには似ていない。たぶん父親に似ているのだろう。顔も知らない何処かの男に。


 「こんな顔……嫌いだよ。母さんに……全然似てない。似てたら……また、何時でも会えるのに」

 「……そうだね。俺もそう思う。俺も母さんに似たかったな」

 「え?」

 「俺も母さんに似てないんだ。それにもう会えない」


 彼も母親を亡くしている。それを聞いて互いに親近感を感じた。だからだろう。彼はもう一度俺の本を尋ねてくる。


 「……それ、宝物なんだよね。どんな本なの?」

 「ええと……騎士とお姫様のお話。二人は両思いなんだけど、一緒にはいられないんだ」

 「そうか。悲しい話だね……」

 「うん。でも……僕はこのお姫様が大好きなんだ」


 この話のヒロインは、母さんにちょっと似ている。だから……読むと母さんに会える気がする。悲しいけれど、それでも年々朧気になっていく人の輪郭を取り戻せそうな気になるのだ。


 「僕はこの本のお姫様に会いたいと思うんだ。……おかしいと思う?」

 「思わないよ」


 僕を嗤うことなく彼は真面目な顔でそう言った。


 「誰かを好きになれるって才能だと思う。君は凄いんだね」


 言い方一つで馬鹿にされている。そう感じるかもしれない言葉。だけど彼は本当に羨ましそうに僕に言った。あの時から僕はランスが、とても好きになったんだ。僕を馬鹿にしない。僕を笑わない、最高の友人だって思った。

 だけどこの男は未だに、僕を羨んでいるのだ。まだ何も好きになれないこの哀れな男は。僕の方こそ君をどんなに羨んでいたことだろう。

 ランス、……君の傍にはいつもセレスタイン卿がいた。僕らの境遇は似ていたけど、僕にはそんな相手はいなかった。君が困ればいつだって、何処からともなく現れて。君の悪口をいう奴がいれば、君の代わりに走り出し、そいつらを懲らしめに行く。

 君がそんなに綺麗でいられるのは、彼が悪いことを被ってくれるからだ。悪いことをされても人を怨まずに居られるのは、彼が代わりにそいつらに三倍返しをお見舞いするから。やり過ぎだよと彼を窘める。そんな君は心が広く優しい人だと思われる。

 だけど僕には彼がいない。彼は僕を守ってはくれない。あの頃からもう、あの子は……君の物だった。

 ランスと親しくする僕を彼は気にくわないと思っていただろうし、僕も大切な友人との時間を邪魔する彼を疎ましく思っていた。だけどそれは本当は羨んでいた。僕にも彼のような相手が欲しかった。

 だからだ。彼に初めて守られた時、僕は涙が出るほど嬉しかった。僕が好きだったのは、ランスじゃなくて。ランスは勿論好きだけど、それ以上に僕は彼に憧れていたのだ。あの時、それに気付いた。


(だけど……僕も騎士だ。僕も男だ)


 女顔だと馬鹿にされても、僕だって騎士なんだ。大切な人はこの手で守れる男になりたいんだ。今度は僕が彼を守りたい。


 「イズーは……セレスタイン卿は君の玩具でも愛玩動物でも所有物でもない!一人の人間なんです!それを貴方はちゃんと正しく認識、理解出来ているんですか!?」

 「それはトリシュ……君だって…」

 「僕は違う!」


 大切な宝物。それを僕は放り投げた。そしてそれを手にした剣で切り刻む。風に吹かれて飛ばされていく頁達を僕は見向きもしない。


(母さん……)


 僕は見つけました。だからもう貴女も、本も要らないんです。例え幸せにはなれなくても、僕は思いに生き、想いに殉じる。それを悔やんだしはしません。その位好きになれる相手を見つけました。


 「と、トリシュ……?」


 僕の行動はランスにも衝撃を与えた。僕がどんなにこの本を大切にしてきたか彼が一番知っているから。だからこそこの意味も分かるはずだ。僕は、本気だ。


 「そんな中途半端な好意で彼に近づかないで下さい。彼の心を傷付けるのなら、僕は例え君でも許さない!」


 *


 もう夕飯の時間だというのに帰ってこない三人。少しに気になったから、先にパルシヴァルを食堂へ向かわせ……俺はロビーで待っていた。それから十数分、やっとあいつが現れる。


 「珍しいな、お前が負けるなんて」

 「そういう日もあるよ」


 帰ってきたランスは少し落ち込んでいる風だ。そこでカードの所為だと言い訳しないのは男らしいと思う。でもそんなボロボロの姿で男らしさもクソもないとユーカーは苦笑した。


 「ランス様!今手当の道具を取ってきますね!」


 慌ただしく廊下を走るエレイン。そして自分の借りた部屋に飛び込むと、がさがさと物を漁るような音を立て出した。


 「イズー!!」

 「うおっ」


 そう言えば後一人居るのを忘れていた。背後から現れて、抱き付いてくる同僚。長い金髪が身体を撫でてくすぐったいから止めて欲しい。


 「貴女のために勝ちました!この勝利は貴女の物です」


 これで相手が俺じゃなかったら絵になるんだろう。跪いて手の甲に口付けられる。気味悪い。


 「そっかサンキュー。しかし手が汚れちまったしまた風呂入らねぇと」


 ごしごしと服の裾で手を拭いながら溜息を吐く俺に、トリシュは生暖かい目を送る。意味が分からない。

 いつもならここでそれじゃあ一緒に入りましょうとか言ってきてもおかしくないのに。なんだ?調子狂う。そして何故か俺を見るランスの目が酷く冷たい。


 「ユーカー」

 「何だよ?」

 「言って良いことと悪いことがある」


 今のはその悪い方だと突然俺を非難するランス。


 「は、はぁ!?」

 「お前は人に好意を向けられて、それでよく相手をそこまで傷付けられるな」


 お前にだけは言われたくない。そんな言葉が脳裏に浮かんだが、とうとう口には出せず……俺は感じの悪いランスを見送った。


 「ま、負けたからって俺にあたることねぇだろうが」


 ランスの背中が見えなくなってから、ようやくそんな一言を絞り出すのが精一杯。


 「……ん?そういやお前いつもの本はどうしたんだ?」


 横を見ればトリシュがいつも抱えている古本がない。それに気付いたことに、何故か嬉しそうに奴は笑う。宝物をなくしていかれてしまったのだろうか?


 「なくしたのか?ったく……何処に置き忘れたんだよ」


 心当たりはないのかと、本探しを手伝ってやろうとした俺に、奴は静かに首を振る。


 「あれはもう良いんです」

 「は?いいって……あれ、大切な物なんだろ?いつも肌身離さず持ってたじゃねぇか」


 いつだか俺が読ませろと言ったが貸してくれなかった。ランスには読ませる癖に。かと思えば女装した俺には預けるという不条理。女装してない俺には探し作業でも触れられたくないのか?やっぱ俺のこと嫌いなんじゃねぇかこの野郎。


 「あの……本探しはいいですから」


 そう言って恐る恐る、本の代わりを求めるように、トリシュは俺に片手を差し出した。顔が真っ赤だ。その手が震えている。


 「しょ、食堂までで良いんです!て、手を……あの……その、つ、繋がせて!下さいっ!!」


 その姿があまりに一生懸命で、俺はついつい吹き出した。そんな俺の反応に、トリシュは涙目になっている。嫌がられていると思ったんだろう。馬鹿だなこいつ。

 いつもの変なテンションは、本の騎士になりきろうとする所為でおかしなことになっている。本がなくなった今は、これがこいつの素なんだろう。変に偉ぶらないと意外と可愛いところがあるもんだ。ランスの阿呆に比べればこいつの方がずっと純真なのかもしれない。なんとなくパルシヴァル系の一生懸命さを感じて、俺は仕方ねぇなと思い始める。


 「ほら」


 俺も手を出してやった。でも掴まない。掴みたいならそっちからやれ。


 「あの馬鹿に勝つなんてやるじゃねぇか」


 その点だけは褒めてやろう。あいつには俺もちょと苛ついてたんだ。少しだけ胸がすくような気持ちになった。そう俺が笑ってやれば、余計泣きそうな顔になるトリシュ。

 元々どちらかと言えば女顔のこいつだが、そういう顔をされると、ますますそうだ。俺がこいつを苛めているみたいでなんか居心地が悪い。くそっ、これだから顔のいい男は嫌いなんだ。

 これ以上待ってやる必要はないなと背を向け俺は食堂に歩き出す。そこから数歩遅れて走ってくるあいつが手を掴む。たかだかそれくらいで馬鹿みたいだ。横目で同僚を見れば、阿呆みたいに幸せそうな顔している。


(……変な奴だな、こいつ)


 今更だがこの男がどうしてここまで俺を気に入るのか、俺にはさっぱりわからなかった。

ランスに恋人代わりのふりをしろだの、誤魔化すためにあれしろだの。トリシュに心底惚れられるだの、受難ですねユーカー。

メインヒロインが出て来るまでもうちょっとの辛抱。頑張れセレスちゃん。

客寄せに女装させられるわ、アルドールとイグニスがのほほんとデートしてる傍ら中年騎士に部下食われるわ……不運だなぁコートカードは。


6章序盤はセレス編なんだろう、きっと。中盤からジャンヌ編が始まるんだと思います。え?エレイン編?終盤だと思います。

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