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1:Parva scintilla saepe magnam flamam excitat.

 “ねぇ、お兄ちゃん”

 “何?ギメル?”


 “私、アルドール大好き!”


 勿論お兄ちゃんも大好きだよと彼女は言ってくれたけど、僕は世界が揺らぐのを感じていた。嗚呼、地が落ちる。天が降ってくる。僕が空へと堕ちていく。


 “僕とあいつ、どっちが好き!?”


 僕はそう食い下がった。好きにもいろんな好きがある。幼いながらにそれは理解していたみたいな妹は……


 “どっちも!”


 と笑った。好きの意味が違う。それでも同じくらい大切だよと言ってくれた。だけどあの日の僕は恐怖した。

 だってこんなに恐ろしいことがある?生まれたときから一緒の、生まれる前から一緒の僕。その僕と同じところまで、出会って間もない彼がやって来たなんて認めたくない。本当ならあり得ないことだよ。彼は一瞬で、僕の大切な宝物を奪っていった。世界の誰より妹が可愛かった僕は、それはとてもショックを受けた。

 その反動から、僕が彼を憎むようになったのは極々自然な流れだろう。最愛の妹を憎むなんて発想僕にはなかったからね。

 そういうわけでねアルドール。僕は君が嫌いだよ。大嫌いさ。少なくともあの日まで僕は君を世界の誰より怨んでいたよ。


 “大好き、お兄ちゃん”


 彼女の言葉だ。別れの言葉だ。それが今も耳から離れない。それは多分僕だけじゃない。だからこそ……一度だけ、チャンスは僕の手にはある。


 *


 憂鬱な昼下がりの白昼夢。頭痛を感じるのは、何も熱の所為だけじゃない。

 イグニスは頭を抱えていた。

 うとうとしていた頭に届いた、部下からの情報は、酷使している脳を更に痛める問題だ。

 騎士二人が消えたことで、静けさを取り戻した教会の一室。その溜息だけが響いて空気の中へ。そんなことを何度か繰り返した頃だろうか?即位したばかりの、そしてその日の内に玉座を失った少年王。彼はうとうとしていた僕の隣で本を読んでいる。いつの間にか肩を貸してくれていたらしい。軟弱者だと思っていたけど、やはりと言うべきか。時間の止まった僕よりずっと、しっかりした肩だ。だけどその双肩に一国は重すぎる。だからこそ僕が支えているのに、こうして僕を支えようとする。憂いるべきは国の未来だろうに、自信の不幸だろうに、悲しみからまた目を逸らしている?


(いや違う)


 乗り越えたわけでもない。唯、考えないようにしている。大丈夫だと思い込んでいる。僕が傍にいれば、それを乗り越えられると信じてくれている。その上での余裕。余裕なんかあるはずないのに、あると思い込んでいる馬鹿な男だ。そんな虚勢の余裕で僕を哀れむ。労る優しさに、僕は頭痛が悪化するのを知る。


 「イグニス、大丈夫?」


 僕の目覚めに気付いて、心配そうに僕を見つめるアルドール。そういう視線を送られる度に、僕がどんな思いに苛まされるか君は何も知らない。それが君の所為だとは言わないけれど、言いたくなる葛藤くらいは気付いて欲しい。ああ、気味は何も悪くない。悪いのは僕だよ。それでもねアルドール、僕だって苛立つことはあるんだよ。例えば思い通りにならない不測の事態とか……


 「……君の悪運には本当参ったよ」

 「え?」


 ここで君を突き放すのは簡単だ。だけど、物事にはタイミングがある。迂闊なことは出来ない。だけど君がそうやって僕にだけ依存するような人間じゃ駄目なんだ。

 後は部下に任せて僕はシャトランジアに帰ろうと思っていたのに。このタイミングでフローリプさんが死んでしまった。ここで僕がアルドールの元を離れるのはまずい。精神的にかなり来ている。僕の代わりの人間を見つけるまでは、僕はここにいなければ。

 僕の策としては、あの状態のフローリプさんを連れては逃げられない。だからそこで投降。アルドールの処刑の際に彼女を送り込む。そこで一気に命の恩人として彼女と上手いことくっつける。僕の代わりに彼を支えて貰う。これで良かったはずなのに。

 それでもフローリプさんが死んだ以上、その場での投降はあり得ない。あまつさえあのエルス=ザインが面倒なことをしでかしてくれた。人質の桁が違う。


(おまけにユリスディカと来たら……僕の見込み以上の、善人過ぎる)


 都まで着くのが僕の計算より遅い。何処で道草食っているのかは大体解る。

 彼女なくして策はならない。ある意味では良かった。彼女まで病に倒れられては困る。そうだ。そう考えるなら彼女の行動は最善。僕らは北部まで逃げればそれでいい。そこからまた立て直す。唯、僕のお守りが長引いただけ。アルドールを北部まで、或いはまたこの都を攻め込むまで支えなければならないのは正直痛手だ。タロックと道化師の問題を同じ場所に集めるのは。出来ることなら道化師の問題は僕が遠くで片付けたかった。そうすればアルドール達は戦争だけに集中できる。だけど今はそうもいっていられない。ユリスディカが間に合わなかった以上、僕はされない。コートカードがセレスタイン卿一枚だけでは心許ない。万が一彼までこんな序盤で消費されたら、アルドールの手札が足りなくなる。これ以上の無駄遣いは出来ない。彼には何が何でも、覚醒して貰わなければ。……この勝負僕の負けだ。


 「……だけど参ったな」

 「イグニス?」

 「あの二人だよ。アロンダイト卿とセレスタイン卿はなんとも面倒臭い間柄だなと思って」


 あの騎士二人はなんとも扱いづらい駒だ。性格、思考に難がありフラフラフラフラって、まっすぐ歩けないのかな本当に。チェスの駒じゃないんだからさ。そんなところまでナイトナイトしないで欲しいものだよ。僕が溜息を吐けば、彼と来たらきょとんと目を瞬かせている。


 「え?そうか?……普通に仲良くないか?そりゃあ時々喧嘩くらいはするだろうけど、それは互いが大事すぎるからの軋轢であって」

 「そう思うんなら君の目は節穴なんだね」


 僕の言葉にアルドールが驚いたような顔になる。


 「あのねぇアルドール。世の中には打算無しの綺麗な感情だけの繋がりなんてあり得ないんだよ。幾らあの二人が仲良く見えても腹の底ではお互い思っていることはあるだろうさ」

 「でも俺は別にイグニスのこと騙そうだとか利用しようだとか全然思わないけど」

 「それは君が馬鹿だからだよ。彼らは君ほど愚かではないって事だね」


 君がそうであることは僕も疑わない。君はそう言う人間だからね。知っているよ、痛いほど。君がそう言う奴だっていうことは僕は何度も見せられてきたんだから。

 でも自分がそうだから他人もそうだとは思うな。自分の物差しで他人を測るな。これまで何度か言ってあげたのに、まだ理解してくれていないようで全く残念だ。後何度言えば理解してくれるんだろうね君は。少なくとも僕は君を利用しているよ。君のためにと言えば聞こえは良いけどね。


 「いいかいアルドール?好意のみで表される好意は好意と呼ばない。好意というものは何らかの負の感情を引き連れて現れる。想うことは憎むことだよアルドール」


 僕だって君を憎んでいる。目で語っておいてあげた。わざわざ言葉にするほど僕は残酷じゃない。そこまで優しくもないよ。君の理解力なら気付けるはずだと見込んであげたんだ。

 だというのに君と来たら、どうしてそこで笑うのかな。


 「……そうなんだ」


 僕は別に君が好きだよなんて言ってあげていないんだけど。忠告の言葉にまるで告白でもされたような反応されたらどうすれば良いんだよ僕は。

 そりゃあ裏返すなら、憎む心があるなら確かにそこに愛はある。それは確かだ。だけどどうしてそう都合の良いところだけ取り出して喜ぶことが出来るのかな君は。どこまでお気楽な脳味噌なんだ。

 僅かに照れくさそうな彼の様子に、僕はひょっとしてと思う。確かにあれから弁解はしていないから要らぬ勘違いをされていそうではある。制約に触れずに何処まで説明できるかは怪しいけれど、このままっていうのも気分が悪い。精神が犯されているみたいだよ。


 「…………もしかして君ってさ、僕がギメルか何かだとか勘違いしてない?」

 「そ、そんなことない!イグニスは……イグニスだよ」


 横目で睨めば、彼は大げさにぶんぶんと両手と首を振る。


 「男だとか女だとかそんなの関係ない。イグニスが、俺の親友なんだ!」


 そりゃあ初恋の人が男だったならちょっとショックだけどと彼は笑う。混血の双子は男女の双子と決まっている。僕とギメルの二人とも女ということはあり得ない。僕が女なら消去法でギメルが男だと、そういう発想に落ち着いたというわけか。


 「今更それで何が変わるわけでもないだろ?イグニスはイグニスだ。イグニスが自分を偽ってるのは何か理由があるんだろうし、俺はイグニスの秘密を全力で守……」

 「調子に乗るな」


 女は神子にはなれない。僕が女と知られれば、僕はシャトランジアでの地位を失脚する。その懸念は彼にもあったのか。だけどアルドールの癖に一丁前にいっぱしの男ぶりやがったのが気に入らず、僕は友人の頬を思いきり抓ってやった。あはは、変な顔。


 「痛っ」

 「君、何様のつもり?王様?笑わせないで欲しいね。さっそく城も玉座も奪われたって言うのに」

 「そ、それはイグニスの策の一環だろ?」

 「ほんと馬鹿だね君。この僕を守るだって?馬鹿言わないでよ。僕は強いし凄いんだ。君なんかお呼びじゃないよ。君だってセレスタイン卿だって不慮の事故がなければ気付かなかったんだ」


 視覚数術に今度は触覚数術までやっている。数術の消費を防ぐためだ。部下に数式を護符化させて持っているから問題ない。これで常時発動。僕はどこからどう見ても立派な男だ。


 「っていうかそんな変な顔して僕のこと笑わせないでよね。そんなんで機嫌直してあげないし」

 「それはイグニスの所為だろ、痛てて。ていうか美形混血のイグニスからすればどんな顔してても俺なんか基本変顔みたいなものだろデフォルトでも」


 なんか室内が変な空気になった。何これ、何だこれ。いや別に普通のことだよ。アルドールがこうやって僕を褒めるのはいつものことだし。別に当然のことだし。そうだよ僕ハイスペックだし。混血ってだけで問答無用で美形設定付いてるんだから。

 だから何当たり前のこと言ってるのって言い返せば良かったんだ。だけど……


 「…………」

 「…………」


 言い返すタイミングを逃した。だからなんか妙な間が生まれている。何か気まずい。アルドールの馬鹿なんか相手に僕は何気まずさなんか感じて居るんだろう。大体アルドールもアルドールだよ。フローリプさんがあんなことになったっていうのに……まだぐすぐす泣いてるなら可愛げってものがあるのに。っていうか君のデフォルトってそっちだったのに。何勝手に急に凛々しくなってるわけ?やばい、まずい、どうしようこれ。これ吊り橋効果とかなってないよね?なんか補正で僕への好感度既にマックスが限界突破してそうで怖い。なんかもうお前さえいればどうでもいいやっていう悟りの境地入ったりしてないよね?止めてよ本当そういう薄ら寒く暑苦しい真似は。とか思ったら、何か近い。やけに近い。覗き込まれてる。顔を。真正面からじっと、彼の青が僕を見ている。


 「イグニス?」

 「な、何!?」


 ただそれだけなのに、何だか落ち着かない。目を逸らしたい。だけどそうしたら負けのような気がして僕は彼を睨んだ。残り僅かの僕の鼓動が、大きく響く。消える前の蝋燭みたいだ。炎が燃え上がるみたいに、強く痛く胸を打つ。


(何だよ……これ)


 そりゃあ好きだよ。そう言う意味じゃないけど。だけど、これじゃあまるで違う好きみたいだ。僕は……浸食されているのか?


(違う、僕は違う)


 僕が好きなのは、友人としてのアルドールだ。これは僕の気持ちじゃない。引き摺られているのか?僕はギメルに。

 おかしいよ。彼は僕が何であっても変わらずに僕を親友と呼んでくれるのに。僕もそれに応えたいのに。なのにどうして?僕はそんなに弱くない。引き摺られて堪るか。


(僕は僕、ギメルはギメルだ)


 そう思う。そう思うのに、彼女の悲しみが喜びが……僕の胸へと流れ込む。何故だろう、唯目の前に彼が居るだけなのに泣き出してしまいそうになる。もう二度と、会えないと思っていたんだ。君がここにいる。それだけで……僕は泣いてしまいたい。

 そんな僕の様子を見て、彼は目の色を変える。また僕を気遣う瞳に戻る。


 「やっぱり熱出てきたんじゃないか?顔真っ赤だ」

 「ああ、そうだね!!怒ったせいかな!?」

 「もう少し休んだ方が良いよ」

 「……そうも言っていられないんでね」


 僕もあの蚊に刺された。エルス=ザインとは顔を合わせてしまった。ここで僕が刺されたことが知られては困る。僕が女と知られれば、神子の座を他の者に奪われかねない。そうなってしまえばカーネフェルへの支援も難しくなり、カーネフェルもシャトランジアも滅んでしまうことになる。

 とりあえずは冷却数術で体温を下げているから死ぬことはない。期限が来ても。だけどそれは自分の身体だから出来ることだ。他人のデリケートな身体を弄るのは難しい。病人全員を僕ら教会で面倒は見られない。見たとしても解決にはならない。延命措置しかできない。


 「……とりあえず何とか隙を作らないと」


 エルス=ザインがあんな手を使ってきたのは始めてだ。彼はもっと手っ取り早い方法を好む。そして無意味に残酷だ。それが影を潜めているのは……おそらくアルドールのことを理解されすぎたことが原因だろう。そう攻めた方がアルドールが苦しむと理解して。

 全く残念だよ。彼はタロック軍にとけ込めていない存在だ、適度の飴と鞭で手懐け使い捨ての手駒化でもしてくれようと思っていたのだけど、残念ながら世の中上手くは行かないようだ。


 「イグニス、北に行くのって本当に必要なのか?今ここでもう一度タロックを追い返す事って……」


 僕の体調を慮ってのことだろうか。だけど王にそんな考えは不要。僕がどうとかじゃなくて、国として王としてどう動くか。僕が求める答えはそれだ。僕が傷ついたって、仮に死んだって、君は王として最善の行動をすべきなんだ。玉座を奪われたとはいえ君はもう即位した。僕がさせた。王なんだ。その自覚を持ってくれ。


 「無理だよ。僕はこんな状況だ。まともに戦えるのはあの二人の騎士くらい。双陸とランス様、エルスとセレスタイン卿ユーカー、それぞれ相打ちに持ち込むことくらいなら出来るかも知れないけど、彼らまで失ったらアルドール、君は完全に裸の王様だ」


 セレスタイン卿ならエルス=ザインには勝てる。唯そのためには大分幸福値を削らなければならない。それはあまりに勿体ない。エルス=ザインが厄介なのは知っているが、早めに摘むには痛手の多いカード。しばらく放置して向こうの幸福値が減ってから刈り取るのが上策。刈り取るなら双陸の方が先だ。彼が下位カードであることはまずあり得ない。上位カードなら僕とセレスタイン卿が居れば絶対討てる。


(そのためにもまずは二人を引き離したい。都を取ったことでタロックの軍勢は減る。今がチャンスなのはまず間違いない)


 タロックにエルス=ザイン以外に優秀な数術使いはいない。一度彼がタロックへ帰還したなら、向こうに情報を届けられる人間がいない。エルス=ザインが再びカーネフェルに戻る前に僕らは体制を立て直し、双陸を討たなければならない。


 「タロックを追い払うだけじゃ戦いは終わらない。そのためには戦力、カードの補充が必要。このカーネフェルの地にはまだまだ他のカードの気配がするよ。それをタロックに奪われる前に回収したい。そのためにも戦力強化、北へ遷都は必要なんだよ」

 「でも……」

 「君だって見ただろ?腐りきった欲集りの都貴族達が君に群がるのを」


 だけど都の腐った奴らを正すには、双陸の支配も必要だ。この都の人間達にはお灸を据えてやった後に上手いこと飼い慣らしてやる手筈。


 「それに北部には心強い味方もいるよ」

 「味方?」

 「ランス様の……正確にはその父親のアロンダイト卿。彼の領地は北部にあるんだ。北部では結構力のある人でね、彼の所にでもご厄介になろう。ここらで彼らの親子喧嘩も終止符討たせて貰うためにも」

 「え?ランスって実家と上手く行ってないのか?」

 「だからこそセレスタイン卿を猫可愛がりしてるんだって。彼が家族代わりだから」

 「なるほど……」

 「せっかく生きてる親子なんだ。生きている内に仲直りくらいさせてやりたいだろ?何が起こるか解らないこのご時世なんだ」

 「イグニス……」


 そこまで言えばこのお人好しは乗り気になった。でもそこでイグニスっやっぱり優しいんだなみたいな勘違いは程ほどにして置いて欲しい。別に優しさから提案してるわけじゃないんだよ?完全に君を丸め込むための計算だって言うのにこの馬鹿は。


 「そうだよな」


 まだ引き摺っている部分はあるのだろう。トリオンフィ家との確執。そして今の言葉は、今朝のフローリプさんのこと思い出させる大きな引き金。彼の瞳が揺れる涙の水によって。

 それでも彼は笑顔を浮かべるから、見ない振りをしてあげた。


 「ランスには、そういう思いさせたくないよな」

 「うん、そうだね」

 「ユーカーとも、早く仲直りしてくれればいいな」


 そうだ。それでいい。君は君の優しさを僕以外にも向けるべきだ。そうやって彼らにも心を開いてうち解けていってくれれば……たぶん悪いことにはならないよ。

 そうやって少しずつ関心が余所へ移っていけばいい。君は大丈夫。その内僕なんか居なくても、ちゃんと歩けるようになる。逆を言えば僕が傍にいる限り君はずっと駄目なままだから、出来るだけ早い内に……


 *


 「……あれ」


 なんか増えてる。アルドールが最初に思ったのはそんなこと。そしてその次に浮かんできた言葉は……


 「ど、どちら様?」


 ランスが連れてきたのは二人の人間。一人は少女、一人は少年。いつも爽やかな微笑みを湛えているランスらしかぬ、ちょっとやさぐれたような表情。それにイグニスだけが納得している。


 「ああ、なるほど」

(どういうこと?)


 小声でイグニスに聞いてみれば彼女も小声で、「①、キャラが被ってる。②、何だかんだで独占欲。③、なんか釈然としない」……と答えてくれたが主語が抜けていたので俺のよくわからない状態継続。


 「あぁ?見せもんじゃねぇぞ?」


 可憐な少女と思わせて、そこからヤクザキックを決めてくるなんて誰が予想しただろう。


 「も、もしかしてユーカー!?」

 「声以前にまず見て気付け」

 「気付かないだろそれ普通っ!」


 そんなことを言われても。服装は女物。ユーカーはそこまで身長があるわけでもないから、まだ十分自然に変装出来ている。髪を下ろした上にいつも刎ねっぱなしの髪を手入れしてストレートにしてあって、それがいつもより長めだからあれっと思う。眼帯の位置を入れ替えているから目の色から受ける印象も違う。目の色素がより薄いからだろうか。少し儚げに思ってしまったのが間違い。油断するとヤクザ蹴りが飛んでくる。


 「セレスさん、今年は優勝ですね!」

 「俺は参加しねぇからな」


 そんな偽装少女の横でにこにことはしゃいでいる少年は、イグニスよりも幼く見える。フローリプと同年代くらいだろう。ユーカーのぶっきらぼうな物言いは相変わらずだが、相手が子供だからだろうか。少し優しい感じもする。え、何か狡い。俺なんか初対面の時結構酷い扱い受けてなかった?

 っていうかそれを言えばイグニスや俺だって年下なんだけど、子供としてカウントされていないんだろうか?まぁ、イグニスはしっかりしているし仕方ないか。

 それはさておきランスはと言えば、そんな二人のやり取りに無言で怖い。笑顔を浮かべてはいるのだけれど、それがちょっと怖い。イグニスの言っていた意味はよくわからないが、この二人のやり取りを快く思っていないようなのは俺でも解る。


 「ら、ランス……?」


 何かあったのと声を掛けてみれば、彼は俺に気付いたようで何時も通りの顔になる。


 「何を隠そう、王宮騎士団秘密兵器にして幻の切り札女装騎士セレスです」

 「俺としては永遠に隠して置いて欲しかった黒歴史なんだがな」


 ランスの発言が何故か自慢げに聞こえたのが不思議だったが、その横で相方のユーカーが心底嫌そうな顔をしていたので、ああと思った。この人は本当、ユーカーからかうの好きなんだな。基本優しい人なのに、どうして彼だけこんなにからかうんだろうな彼は。それが親しみってことなんだろうか?それなら俺とランスの関係は、まだまだ他人行儀ということらしい。


 「ええ、そうですね。有名ですよ。ランス様のように騎士としての働きに関してセレスタイン卿の名前は殆ど伝わってませんが、かつてカルディアの女装コンで初出場初優勝を遂げたにも関わらず、そこから二度と出場しなかったという幻のセレス嬢の噂はシャトランジアの一部の人間達の間では生きる伝説とまで……」

 「要らん情報他国に漏らしたの何処の何奴だ!!」


 まぁ、当然こうなるか。イグニスは例え怠くてもユーカーをいびる隙を見つけたらそれを徹底的に叩く子だ。なんかもう、一回りしてお前ら仲良いよね。イグニスの親友としてはちょっといやかなり複雑な気持ちだ。イグニスは勿論大好きだし、ユーカーのことだって嫌いじゃないんだけどね。


(あ、そっか)


 俺は理解する。ランスもそういう気持ちなんだろう。自分の友達が(俺も人のことは言えないけれど、決して友達が多いとは言えそうにない二人が)仲良くしてるのは微笑ましいとも思うけど、ちょっと内心微妙な感じになるものだ。

 そう思うと、当たり前のことなんだけどランスも人間なんだなぁとしみじみ思う。何でもそつなくこなす立派な騎士様って印象の所為で、神格化とまでは行かないけれど凄いって言うイメージ、先入観を持ちすぎていた。その辺改めないとな。俺は立派な王にならなければいけないんだから、俺に仕えてくれる彼のことを誤解したままではいたくない。そんな俺はきっと、イグニスの望むような王ではないはずだ。

 もっと頑張らないと。そう自分に言い聞かせている間も、イグニスとユーカーの口論改めじゃれあいは続いている。


 「いえ、先代様がよく話のネタに出してまして。うちの国の上層部の人間なら、一度は耳にしたことがあるとかないとか。僕はそれを人伝に聞きましたね」

 「あのおっさんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん!!!だ、大体、あれは当時の俺が最盛期だったからってだけだろ。今はもう無理!女装なんて歳じゃねぇ!全然似合ってねぇし!」

 「嫌ですね。好き好んで女装するような奴にやらせてもつまらないじゃないですか。貴方のようなプライドの塊である貴族を無理矢理嫌々させるのが楽しいんですよ!ぶっちゃけ貴方の女装に興味はありません。似合ってようとなかろうと、僕はその過程の方を楽しむ派です」

 「お前っ、本当っ!最低っ!!それでも神子か!クソ野郎っ!!」

 「そしてついでに言うなら、今どんな気分ですかセレスタイン卿?そんな恥ずかしい恰好を僕に見られている気分の方は?」

 「……くそっ!」


 常時男装女に言われたくねぇ!彼はたぶんそう言おうとしたのだ。だけど彼は呑み込んだ。

 それは一応最高機密。口外して良い物でもない。それが例え親しい間柄の人間でも。その咄嗟の判断と気遣いに気付いたのか、イグニスもそれ以上は言わなかった。だからユーカーが口で負かされたような形になった。何だかんだ言いながら、実は良い奴なんだなぁとはシャラット領でのいろんなことで教えられた。


 「何にやにやしてんだよ?えぇ?」


 だけど短気だ。俺が感心してたのを、今の姿を馬鹿にして居るんだと思い込んでの言いがかり。被害妄想の気があるのは、彼がいろんなトラウマとコンプレックスを抱えている所為だろう。とりあえず彼にはいろいろ借りがある。どうせ本気で殴ったりしてこないし適当にしばかれておこう。


 「……何はともあれ、ご苦労様でしたランス様。それとセレスタイン卿」

 「お前ランスは名前なのに俺は意地でも苗字呼び?」

 「呼ばれたいんですか?」

 「べーつーに。どうでもいいけどよ。んで?俺が礼を言われる理由がわからねぇな」

 「だってその子、カードですよ」

 「え?」


 室内でキョロキョロと辺りを見回さなかったのはイグニスと、もう一人だけ。必然的にその子が今の言葉が指す相手となる。


 「え?」


 その子は沢山の視線を一度に向けられて、恥ずかしそうな表情で、遅れて辺りを見回した。


 「嘘だろ?パー坊の奴がカードだって?んな馬鹿な。ちょっとお前手ぇ見せてみ?ほら見ろ両手とも何もねぇ」


 少年の両手にの無事を確かめて、ユーカー(女装)はほっと安堵の息を吐く。それでもイグニスは軽く首を振る。


 「セレスタイン卿。小アルカナには何枚、ペイジがありますか?」

 「は、そんなの剣に金貨に聖杯に棍棒……って……おい」

 「そういうことです」


 イグニスは小さく笑う。エルス=ザインの手にも、何もなかっただろうとその笑みは暗に告げている。


 「先程の貴方の推理は正解ですよ。エルス=ザインはペイジです。スートはわかりませんけどね」

 「そ、それじゃあ……」


 イグニスの言葉に、俺も息を呑む。こんな小さな子供がまたカード?


(フローリプ……)


 思い起こされる彼女との思い出、記憶。今は哀愁に囚われている場合ではないのは解っている。それでも彼女と年の近いこの子まで、巻き込んでしまうのは心苦しい。そりゃ誰が死んだって悲しい事には変わりないけれど、自分より年下が自分より早く死ぬというのはとても堪える。本来の寿命なら、俺より長生きするような相手を、俺のためにその命を使い古すというのは……

 俺の躊躇い。それに気付かないふりでイグニスは言う。王ならばその位受け入れろと俺へと示すため。


(イグニス……)


 どんな悲しいことがあったって、傍に彼女が居てくれるなら。俺は何度でも立ち上がれる。彼女の言葉があるのなら。俺は確かにイグニスがいればそれでいいけど、十分救われている、支えられているけれど……本当に、それで良いのだろうか?

 俺はイグニスに訴える。答えを求める視線を送る。それでも彼女が俺にくれるのは、先程の質問の答えだけ。


 「そうだね。普通の人が見たくらいじゃ一般人と区別は付かない。僕だって目の前に現れるまではペイジの存在には気付けない。そういう特殊カードなんだ」

 「パー坊っ!お前なんか夢見なかったか!?変な夢っ!」

 「え?夢ですか……?いつですか?僕、あんまりよく覚えてないんですよ。毎日疲れちゃってぐっすりで」


 イグニスの解説に慌てふためくユーカーが、少年の両肩を揺する。危機感を全く感じていないのか、少年は始終笑顔だ。肩を揺すられているのだって遊んで貰ってるような感覚らしい。ある意味大物だ。


 「イグニス様、ペイジとは?」


 あの場にいなかったランスの問いかけに、イグニスはカードと審判についてをもう一度語る。


 「これは模様はトランプですが、カードとしてはタロットカードの小アルカナに近いものなんです」

 「だからそう言うことは早く言えっ!」

 「余計な混乱を避けるためにも情報開示には時期というものがあるんですよ」


 食ってかかるユーカーをさらっとかわすイグニス。


 「つまり、カードはスート毎に十四枚。全てで五十六枚、そこに道化師が加わり五十七枚というわけですか?」

 「さしあたってはそうです」

 「また妙な言い方しやがって……」

 「基本、ペイジのカードは発現が遅いのと例外もありますが基本的には十五才以下の低年齢者に現れるのが特徴です。本人の願いがはっきりしていない場合や、心に背く願いを語ったりするひねくれ者である場合。彼らはペイジになる。カードとしての強弱はJと同程度かそれ以下です」

 「同程度……?」


 俺の疑問にイグニスは頷いた。恐れるには足らない。唯味方となるならそこそこ心強いと彼女は言う。


 「うん。現状ではⅩより強くてJより弱い。10,5みたいなものだと思ってくれて良い。だけど幸運値はJと同じだから序盤でエルス=ザインをどうにかしようっていうのは今となっては難しい」


 Qであるルクリースを失ったのは痛かった。そう責められているわけではないけれど、胸が僅かに痛んだ。これ以上俺の傷口を掘り返さないようにと、イグニスは今の話を先に進めることにしたようだ。


 「唯、模様が現れてからが怖い」

 「こ、怖いだって?」


 目の前の少年か、それかエルス=ザインを思いだしてか。ちょっと少年から距離を置くユーカー。それに気付かず離された分以上に近づく少年。懐いてるんだなあの子ユーカーに。


 「ええ。ペイジのカードは願いと感情のシンクロが最高値になった時だけ模様が現れます。この時一時的にですが10,5から11,5くらいになります。つまりセレスタイン卿じゃエルス=ザインを倒せる可能性と倒される可能性を持っているということですね。ですからあそこで逃げたのは正解です」

 「うげっ……11,5だって!?」


 そんなの倒せるカードは、キングとクィーン、それにジョーカーしかいない。そしてそんなカード、今のカーネフェルにはあり得ない。


 「つまり、パルシヴァルの存在は今の我々にとって大きなものであると言うことですね」

 「そうなります」


 ペイジに対抗できる可能性があるのはペイジだけ。ジャックのユーカー一人じゃ危ない場合、彼の手助けがあった方が心強いのは確かだ。


(だけど……)


 相手はまだ子供だ。渋る俺にその子は、初めてユーカーから離れ、とてとてと近づいてくる。


 「な、何?」

 「お兄さん、もしかして王様ですか?」


 キラキラと青い眼を輝かせている少年の笑顔が眩しい。記念に握手してくださいとか言われ、動揺しつつそれに応えると、また嬉しそうに笑って去っていく。


 「セレスさんセレスさん!王様と握手しちゃいました!」

 「あっそ。俺の手で上書き保存してやろうか?」

 「や、止めて下さいよ!」


 さっそくユーカーの所に誇らしげに報告に行く少年。少年を迎えながら、意地の悪い笑みを浮かべるユーカー。珍しくからかう側の相手がいるからか、生き生きしている。


 「何!この俺様の手を握れないとでも?俺が憧れとか言ってたのはどの口だ!?えぇ?そうやって簡単にアルドールの阿呆なんかに乗り換えるとはお前は……」

 「セレスさんのはこっちです」


 からかっているつもりだったユーカー。それでも少年は一枚上手。俺と握手した方ではない、もう片方の手で片手を握られて、完全に不意を突かれたらしい。微妙な悪人笑みのままユーカーは固まっている。少年の満面の笑みにやられてしまったらしい。まぁ、あんな純真な子が相手じゃ悪態も吐けなくなるよな。


 「僕この手宝物にします!洗いません」

 「お、大げさだな」

 「全くこれだからガキは」


 はしゃぐ少年に俺とユーカーが苦笑する。その無邪気さに部屋の空気が一瞬和らいだ……と思ったその刹那、何かどす黒い気配と寒気を感じた。


 「ら、ランス?」


 その寒気の方にはランスの姿。彼はくすくすと笑っているというか嗤っている。目が嗤っていないのが怖い。


 「パルシヴァルは無邪気だね。でも現実問題それはちょっと難しいと思うな。いいかい?手というのは雑菌だらけでね、その汚さと言ったら黒い悪魔と謳われる某昆虫と同じくらいの汚さだって言われているんだ。それを一生保ったとしたなら君の手はとんでもないことに」

 「お、大人気ねぇぞランス!てめぇ!パルシヴァルが涙目なってんじゃねぇか!」


 言っていることは正論っぽいが、どうにもいつものランスらしくない。


(なぁイグニス、さっきからランスちょっとおかしくないか?)

(まぁ、夏だからね)


 そう言う問題だろうか?でもイグニスがそう言うならそうなのかもしれない。


 「ほら泣くなって。俺もあの馬鹿も握手くらい何時でもしてやっから。手なんか勝手に洗えばいいだろ」

 「うう゛っ……セレスさん゛……ほん゛どう゛でずが?」

 「あーまじまじ。本当ほんと。アルドールの奴なら俺が脅せば大体のことすっから」

 「しかしその際二人の手から君は雑菌を譲渡されるということで、万が一二人の手に何らかの病原菌があったとしよう。しかし今は緊急事態。水源の確保も出来ぬまま食事、そこでナイフやフォークを使える状況下になく手づかみと言うことも十分起こり得る。その先君は……」

 「またお前は!そんなにこいつ苛めんなって!!っていうかお前どさくさに俺まで貶めんな!俺はちゃんと手とか洗う派だからな!人の名誉を失墜させる発言は止めろ!そんなに言うなら手袋投げんぞ箱毎束でっ!」


 「そこの君、怖いお兄さん達はまぁ放って置いてこっちでお菓子でも食べよう?」

 「そうそう。あの二人はほっとけばその内また関係自然修復してるから大丈夫大丈夫」


 少年を挟んでの口論が、いつの間にかスライドし少年無しの口論に発展。目をぱちくりさせている少年が可哀想だってので俺とイグニスは顔を見合わせ手招きした。


 「へぇ、君パルシヴァル君って言うんだ」

 「は、はい!」

 「何歳?」

 「12です!」

 「そっかー、若いね」

 「アルドール、君なんか変な質問してない?っていうか僕らと2,3才しか変わらないでしょ?」

 「仕方ないだろ、俺はついこの間まで引き籠もりみたいなもんで家族とも上手く行ってなくてコミュ障みたいなものでろくな友達作りもしたことがないんだよ!」

 「ああ、それで僕のこと大好きなんだ。奇跡だね。良かったね。僕と友達になれて」

 「ああ、もう本当っ!ありがとうっ」

 「だからあんな変な質問してたんだ。君、身の丈に合わないことはしない方が良いよ。無様だからさ」

 「ああ、よろしく!俺駄目だ。年下の子なんてどんな話したらいいのか全然わからないよ。今若い子達の間で何が流行ってるのかもわからないし」


 片手を上げるイグニスに、心からのありがとうを籠めてバトンタッチ。後は任せた。


 「ああ、ごめんね。こっちのは基本ツッコミ担当なんだけど、本人も所々ボケてるからさ。どっちもいけるんじゃないかって勘違いも甚だしいのにね。調子乗ってあの様なんだ」

 「そうなんですか」


 イグニス、冷たい。だけどそれでこそイグニスだ。むしろそんなところも大好きだ。でもパルシヴァル君だっけ?君、そこは同意してくれなくて良いんだよ?


 「なるほどね。君は騎士見習いだったんだ」

 「はい!」


 何この就職試験とか面接みたいな空気は。でも下手にツッコミ入れてまた滑ったら困るし黙っておこう。


 「でも何で騎士なんてなりたいの?あの二人見れば解ると思うけど、給料分割に合わない仕事だし、名誉職みたいなものだったのに最近それも地に落ちてるし、犬死に万歳とか賛唱させられそうな職になりつつあるよ?」

 「あの、あのですね!僕は……騎士様に憧れて……」

 「憧れねぇ。いるんだよね、そういう子って。結構多いんだけど、それだけじゃこの業界なかなかやっていけないよ?」


 あれ?イグニスさん、さっきまで優しくお菓子を勧めてたのに何それなんですかそれ。いきなり鬼面接官化してませんか?若い子いびりですか?自分より若い子出てきたのが気に入らないんですか!?そんなことしなくても俺はイグニス大好きだから!ダントツで一番だから!


 あとそのスルメとさきイカ何処から出したんだ?それ絶対紅茶のお菓子には合わないと思う。もしかしてツッコミ待ち?でも違かったら怒られそう。黙っていよう。


 「ってイグニス、言い過ぎだろ?もう、この子涙目じゃないか!」


 と思ったけど流石に無理だった。だってなんか小型犬みたいな可愛さで両目に涙を一杯溜めてぷるぷるしてる。これは流石に庇いたくなる。


 「若いっていいよねぇ。泣けばなんでも許されると思ってるのがまた……」

 「あ、あのさ!憧れってどんなのだったのかな?詳しい切っ掛けとか教えて貰えると俺も嬉しいな」


 イグニスの発言を遮って、少年の目の高さに顔を合わせて俺は笑いかけてみた。少しは落ち着いてくれたのか、ごしごしと袖で両目を拭いながら、少年は何度も頷く。


 「騎士様は、馬に乗ってて剣を持ってて……優しくて強くて、格好良くて……」

 「そっか。確かになぁ。俺も昔本を読んで憧れたりしたよ。いいよな騎士って格好良くて」


 たどたどしい言葉だ。それでも俺が頷く内に、少年は息を整えていく。


 「僕、前にセレスさんに助けられたことがあるんです」

 「ユーカーに?」

 「はい!凄く、凄く格好良かったんです!」

 「へぇ、聞きたい聞きたい」

 「僕が昔森で遊んでいる時に、迷子になって……躓いて転んで、その拍子に木にぶつかって蜂の巣を落としてその蜂蜜の匂いに熊がやって来て」


 流石はコートカード。地味に不運属性が入っている。


 「もう駄目だって思った時に、セレスさんが助けてくれたんです」

 「ああ、そりゃあ惚れるよな」


 両目を輝かせて思い出話を語る少年に、俺も思い出したことがある。視線をイグニスへと向けると、何か用と彼女は睨むけど。


 「イグニスだって昔、狼に襲われた俺とギメル助けてくれたことあったじゃないか。懐かしいなぁ、本当あの時は格好良かったよ」

 「あれはたまたま……ギメルを助けようとしたらおまけで君まで助けてしまっただけだよ」

 「おまけでも何でも俺は感謝してるよ。ありがとう」


 昔話にイグニスの空気が若干和らいだ。だから少年もそこに割り込むことが出来た。そんな彼が言うには……


 「違いますよ。セレスさんは熊を倒してないです」

 「え?」


 今の話の流れ的にはそうなるんじゃないの?


 「セレスさんは僕を馬に乗せてくれて、そのまま大急ぎで逃げ出したんです」


 少年は胸を張ってそう言うが、俺とイグニスは白けた気持ちで今なお口論を続ける騎士を見やる。


 「ユーカー……」

 「今の話の何処に憧れる要素があるのか不明だね」

 「僕はセレスさんの、そういう優しいところが大好きです」

 「あ、そ……そうなんだ」


 殺さないために逃げるという。その行動に胸を打たれたのだと少年は言うが、それは普通の人が考える理想の騎士像からはかけ離れてはいないだろうか?


(いや、でもさイグニス。ユーカーも一応戦争経験者なわけだからそれなりには殺してるよな?)

(だろうね。まぁ、子供の目の前で血生臭いことはやらないっていうのは評価できるかもしれないけどさ。或いは唯のへたれか)

(或いは唯面倒臭かっただけかもしれないなー……ユーカーのことだし)


 「僕はそれまでお城には、一人……強いけど乱暴で素行も態度も悪くてとても騎士らしくない騎士様がいるって聞いていました」


 あ、それユーカーだ。たぶんきっと絶対。


 「だけど僕が会ったその人は、とても優しい人だったんです」


 そう言って少年が笑う。人の噂より、目で見たものの中から真実を見つけたと。


 「そ、それだけじゃないですよ?門限を破ったって母様に怒られそうになった僕を、セレスさんが助けてくれました。自分が道案内にって連れ回したって。母様に箒と塩で追い払われて二度と来るなって言われながら帰って行くセレスさんはとっても格好良かったです!」


 「セレスさんは帰り道、ずっと王様の話をしてくれました。セレスさんがそんなに大好きな人ならきっと凄い王様なんだろうなって思ってました!お会いできて光栄です!」

 「あ、あのさそれは俺じゃなくて、俺の前の王様なんだよ」

 「え?でもセレスさんの王様なんですよね?」

 「あ痛っ!」


 笑顔のイグニスに、机の下で足を踏まれた。その笑顔はお前は余計なことを言うなと物語る。そしてがしっと少年の両手を掴み、憂いの微笑を送るイグニス。本当役者だ。イグニスは。


 「そっか。そういうことだったんだね。さっきはごめんね……君の覚悟を試していたんだ」

 「そ、そうだったんですか?」

 「でも君の覚悟はどうやら本物だったらしい。王様はね、今は一人でも信頼できる相手が欲しいんだ。パルシヴァル君、君は騎士だ。君のそのまっすぐな心はどんな騎士より騎士らしい」


 褒め殺しに入ったイグニス。飴と鞭が効いている。最初に冷たくした分だけ、優しい言葉は大きく響いて聞こえるものだ。


 「君は十分憧れた。そろそろ夢を叶える時期だと僕は思うよ。もう憧れるだけじゃない。同じ場所に立って、今度は君がセレスタイン卿を助けてあげる番だよ」

 「僕が……セレスさんを?」

 「ああ、そうさ。彼は見ての通り素直じゃないから敵も多い。誤解もされやすい。そんな時に君の助けがあれば、彼はどれ程心強く感じることだろう?あと同僚になればランス様もあそこまで君にずけずけ物を言えなくなるよ」

 「そ、そうなんですか?」

 「ああ、勿論!君さえ良ければ今日から君も騎士にならないかい?いいよねアルドール?」


 いいよねの言葉と同時に有無を言わさぬ勢いで、もう一度足を踏まれた。口答えすんじゃねぇぞの意っぽい。


 「え、……あ、イグニスが良いんなら別に良いけど」


 そうなった以上俺はこう言うしかない。カードの子を野放しにしておくより傍に置いて置いた方がまだ守る術はあるだろう。カードは基本推理小説とかと同じだ。固まっていればその分幸福値があり安全。単独行動が危険で狙われるというのは道化師との一件で証明済みだ。


 「よし。それじゃあ君にも剣と鎧と馬をあげよう。今は状況が状況だから教会の中の物になっちゃうけど、落ち着いたら改めてアルドールから贈らせてもらうから。それじゃあ行こうか?」

 「は、はい!」


 そう言ってイグニスはパルシヴァル君を連れて部屋から出て行った。去り際のイグニスの横顔は、してやったりと言うような人の悪い類の笑みを浮かべていた。

 扉の閉まる音で、我に返ったらしいユーカーが……


 「ん?そういやあいつらどうした?」


 と聞いてくるので。今あったことを教えると……


 「てめぇっ!何で止めなかった!!」


 理不尽にも一発殴られた。結構痛い。本気で殴られたようだ。


 「ユーカー、アルドール様に手を挙げるなど、無礼だろう?すみませんでしたアルドール様」


 さして申し訳なくも無さそうに、ランスが頭を下げる。そりゃあランスが俺を殴ったわけでもないからそうだよね。


 「第一その場にいて止められなかった俺たちにも責任はある」

 「お前、図ったな!?俺の意識を完全にこっちに集中させるために俺のことあそこまで苛立たせたんだろ!?くそっ!あの神子と共謀してやがったのか!?」

 「ユーカー!」

 「ふざけんな!お前がそこまで最低だとは思わなかった!あんなガキまで巻き込むってのか!?俺はそんなの認めねぇぞ!」

 「……お前は昨日の今日で、自分の言葉を違えるんだな?それなら俺もお前を見損なったよ」

 「ちょっと、二人とも落ち着いて!!……って何かこれと似たパターンがどこかで……」

 「もうお前なんか知らねぇ!勝手にしやがれ!!もう何処で野垂れ死んだって助けてやらねぇから!」

 「そうだな。俺も勝手にする」


 どうしてみんなこんなに怒りっぽいんだ?別に俺たちは蚊に刺された訳じゃないのに。


 「あ!!そ、そうだ!!これは嗅覚数術の時のと同じだ!」


 一週間前だ。シャラット領で使われた数術。あの数式は数術使いではなく、道具……匂いを媒体とした物により引き起こされると言う話だった。


(何か居るのか?この部屋に……)


 俺は室内を見舞わす。何もない。もう一度。今度はじっくりと……あれ?

 「あ!」


 天上に張り付いているものがある。あれは虫だ。蝶か蛾か。見たことのない種類だ。その羽からパタパタと鱗粉をまき散らしている。


(もしかして、あれが……?)


 じっと見る。睨み付ける……すると微かにその鱗粉から数字の群れが見える。もっと目を凝らせ。集中して。

 辛うじて俺にも見える。それが何を意味しているかは解らない。それでもそれは数式だ。


 「……ごめんっ!」


 俺は手近な花瓶を投げつけて、虫を潰す。虫が死んだことで、数式が解除されていく。


 「やった……」


 これで二人も落ち着いてくれたことだろう。そう思って振り返る。しかし、一人足りない。


 「ランス!ユーカーは!?」

 「…………お、俺は一体何を。何故あんな事を……」

 「いや、それはいいから!仕方ないから!で、まさか出て行ったの!?」


 正気に返ったランスに詰め寄れば、彼は蒼白。動揺している。俺が目を離している間に余程酷い言葉を口にしてしまったようで、それに怒った彼が部屋を飛び出したらしい。言われてみれば部屋のドアは乱暴に開け放たれたまま。


 「大変です!神子様!教会にタロック軍の者が……」


 室内に駆け込んでくる、聖職者と聖十字兵。しかしイグニスはいない。俺は咄嗟に判断を下せない。

 コートカードが側から離れただけで、この不運。図ったかのようにやって来た。


(ど、どうすれば……)


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