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0,9:Quis custodiet ipsos custodes?

女装とか注意回。

 俺はあいつの押しに弱い。それでもそれじゃあ駄目だと言うことをあいつと過ごした年月の内に学んだ。だからこそ、いつしかノーと言えるカーネフェル人になっていた。っていうか俺が基本否定姿勢になったの8割方こいつの所為だ。


 「セレス!ここは一発今年もやろうよ!」

 「だが断るっっっっっ!!」

 「というわけだ。頼むよユーカー」

 「嫌だ。どういうわけだ。あとセレス言うな」


 ほら、また来た。基本相手にした時点でこいつのペースになる。しかし無視をしても勝手に了承に解釈されるから困る。

 相手にしないように茶を片手に逃げ場確保のため歩いていけば、道の譲り合いで通せんぼ状態の均衡。ちょっと違うのは譲り合いのためそうなっているのではなく通せんぼの方が主旨として機能していると言うことだろうか。


 「お前しか頼りに出来ないんだ」

 「そんなこと言われても嫌なものは嫌だ」


 どうして俺が待っているようなことは頼まない癖に、こういう小さなどうでもいいような事ばかり俺に押しつけようとするんだ。

 このままじゃ茶が危ない。ティーカップを机へと避難。その隙に肩を掴まれる!やられた!しかしそのままやられっぱなしじゃ居られない。押し返すため奴の肩を押し返し距離を取る。


 「俺とお前の仲じゃないか。今ならそこで買ってきたアルドール飴も付けてやる。お前好きだろ林檎飴」

 「唯の身内だろ。そんなんで丸め込もうったってそうはいかないからな。っていうか明らかに着色料使ってるような真っ青に染めやがって!林檎と言えば赤だろうが!なんで無理矢理アルドールなんかにあやかって青にしやがったんだよ!明らかに毒入りっぽいじゃねぇか!むがっ……」

 「よし。食ったな。返品不可だから。いや代金は要らないから気にしないでくれ。というわけで後はよろしく」


 なんという外道。林檎飴を取り出す、一瞬の隙を与える振りをして拘束が緩んだことで逃げ出すチャンスを見つけた俺の、その口に思いきり林檎飴を叩き込む。そのまま壁際まで有無を言わさず押しつける。顎が外れるかと思った。口から林檎が抜けない。俺が藻掻いている内に、話を完結させやがった。だが、そうは問屋が卸さねぇ。

 俺は得物を仕方ないから口の中にぶっ込んだ。下手すりゃ口の中が真っ赤な洪水だ。しかしそうも言っていられねぇ。愛剣で林檎丸ごと一個を切り分けて何とかティーカップへと吐き出した。レモンティーがアップルティーになっちまった。しかも何か着色料で青い。何これ。泣きたい。


 「だれがよろしくされるもんか!っていうか窒息させる気か!こんなでかい林檎飴丸ごと咽に突っ込みやがって!」

 「生憎それはノークレームノーリターン商品なんだ。悪いな」


 爽やかに手を振るな。これから準備をしてくると言わんばかりの良い笑顔。この時ばかりは軽く殺意を覚えた。


 「殺されかけたのにクレームなし強要か!?悪いのはお前の性格だよな」

 「それからお前の往生際の悪さとか?いい加減観念してくれ。俺の願いなら何でも叶えてくれるって言ったじゃないか」

 「この卑怯者!つか俺にだって出来ることと出来ないことがあるんだよ!」

 「大丈夫、お前はやれば出来る子だよ。唯やらないだけで」

 「やりたくねぇもんはやりたくねぇんだよ!」


 この時俺はもう情けないけど半泣きみたいな顔になっていたと思う。もう嫌だこいつ。なんでカーネフェル人なのにカーネフェル語通じないんだよ。

 そんな口の中も気持ちもブルーな俺の傍らで、何やらきゃっきゃきゃっきゃ騒いでいる奴らが居る。一応言っておくが別に猿ではない。比べること自体猿に対して失礼だ。


 「嫌だ。このアルドールかき氷微妙にいける。これアルドールの癖に美味しい。レモンとブルーハワイがハーフになってて一つで二味楽しめる。なかなかいいねこれ」

 「ていうかイグニス、ハワイって何処?っていうか何味?」

 「さぁ?そんな細かいこと気にしてたら君将来禿げるよ?でもこれ溶けるとシロップ混ざって変な感じになるね」

 「お前らも止めろぉおおおおおお!っていうか現実逃避してやがんなアルドールの阿呆っ!!何陰でいちゃついてやがんだこのバカップル!!」


 その人間猿擬きはアルドールと神子だ。城からの逃亡の際に露天で菓子買う余裕があるんだから本当何なんだこいつら。大物なのか馬鹿なのか。

 何はともあれ俺が林檎飴殺人未遂事件の被害に遭ってる最中に、こいつらはかき氷つついていちゃついていたかと思うとやっぱり軽く殺意が沸く。こいつら俺の知ってる親友と違う。俺は親友のはずの男にリアルタイムで殺されかかってたんだぞ?


 「心外ですね。僕とアルドールはそんなんじゃありませんよ」


 やれやれと溜息を吐く神子。舌が不健康に青い。ブルーなんちゃらアルドールの所為だ。


 「そうだそうだ俺とイグニスは唯ちょっとかなりとてつもなく仲の良い親ゆ…」

 「そうですよ僕とアルドールは唯のご主人様と犬(しんゆう)ですよ(勿論僕が前者)」

 「何か嫌な副声音聞こえたぞ、おい」

 この神子の照れ隠しは、割と鬼畜だ。こんな照れ隠しは嫌だ。しかし俺の相方と比べてどちらがマシかと言われたら、1分以内には答えられない自信がある。俺って対人運悪いのか。っていうか俺がましな運ってあるのか?何もない気がしてきた。

 しかし馬鹿にされたら三倍返し。聖職者としてそれってどうよな神子様は、俺に言葉の刃を投げつける。


 「大体此方からすればあなた方の方が余程いちゃついているように聞こえましたが?故アスタロット嬢に男はノーカン浮気おkとでも言われたんですか?」

 「いちゃついてねぇっ!!耳腐ってんじゃねぇの!?」


 この脳味噌お花畑が。殺人未遂見ておきながらあれがいちゃついていただと?お前の言う世界が俺には全く理解できない。


 「そうですよイグニス様。あれは俺がこいつをからかっていただけです」

 「からかってたのかよ!やっぱお前最低だな!」


 俺の相方の照れ隠しも割と酷い。俺を下げることで基本的に世界の均衡を保とうとする。俺は存在謙譲語人間か。


 「大丈夫だ、9割は本気だったよ」

 「何爽やかに言ってくれたところでお前は10割最低だけどな」


 第一、その本気の内容自体が俺をからかい舐めているようにしか思えないのだ。


 「いいか。よく考えてみろ。俺は今何歳だ?」

 「今年の誕生日で17だな。おめでとう」

 「ありがとう。で、俺は17の野郎だ。それはちゃんと理解しているな?」

 「ああ。勿論。でもお前は背が低いから十分まだまだこなせるさ」

 「こなしたかねぇんだよ!!第一せっかくあのふざけた祭りが中止になったっていうのに何であんなことしなきゃならねぇんだよ!……そりゃあ城に忍び込んでエルスの野郎捕まえるには必要かもしれねぇけど俺より適任いるだろ」

 「え?中止?」

 「になったんだろ?」

 「え?」

 「え?」

 「なってないって」

 「は?」

 「うん、だから“女装男装フェスティバル”は今年も例年通り実施するって」

 「馬鹿だ!馬鹿の巣窟だこの国っ!いっぺん滅びろっ!!」

 「現にもう一回乗っ取られてますけどね」


 *


 「……っとまぁそう言うことなんですよ」

 「クソ神子、煎餅食いながら喋んな」


 ユーカーは呆れていた。何とも緊張感に欠ける絵面である。美少年改め美少女神子がばりぼりと異国の菓子を貪りながらやる気無さそうにそう言ったため流石の俺もスルーは出来なかった。

 ここは第一聖教会の一室。運び込まれてくる患者達の治療で修道士と聖十字兵達は忙しい。階下の大騒ぎを聞きながら、俺たちは今後のことを話し合っている最中だった。そんな時に神子はこの様だ。


 「五月蠅いですね……何か怠いんですよ」


 神子的にはかき氷の方がヒットしていたらしい。食べ慣れない煎餅は薄味で特徴に欠ける。しかしその歯ごたえと特徴的な音がツボに入ったらしく無意味に音を立てて囓っている。ストレスのために飼い鳥が止まり木を囓っているそれとよく似ている。


 「逃げる分には良いんですが、逃げたら逃げたで問題が起きてしまう。流石に彼方も簡単には騙されてくれませんね」

 「それであの虫の治療ってお前でも無理なのか?」

 「タロックとの外交は限られていますからね。本当に山奥の方の風土病なんて持ってこられたらどうしようもありませんよ。回復数術にしてもそうです。仕組みを理解していなければどうしようもない」


 お手上げですと神子は言う。


 「まぁ、もっとも虫による感染病だというなら虫が移動する前にこの街ごと焼き払うのが一番じゃないですか?タロック軍も言うこと聞かない都貴族も全滅させられますし」

 「そんな策があって堪るか!適当なこと言うなよな!」


 本当に疲れているのか、神子は頭の螺子がぶっ飛んでいる。


 「って怠いって……まさかお前刺されたのか?」


 俺がそれを尋ねればやっと気付いたのかこの阿呆共がと言わんばかりの目で見下された。やっぱりこいつは可愛くない。可愛いのは顔だけだ。人間は顔じゃない。顔が良ければ性格も良いなんてことは絶対にあり得ない。顔が良くて性格が悪いか、顔が悪くて性格が悪いかだ。それ以外の人間に出会えたら、それは多分奇跡か、自分自身が奇跡的に愚かで馬鹿であるかのどちらかだ。


 「どういう条件でどういう症状なのかを知るにはサンプルが要りますからね。一匹捕まえて僕に刺させました。お陰で大分解りました。ああクソ怠い」

 「い、イグニス……大丈夫?」


 おろおろと声を掛けてくる親友アルドールを相手に、神子は忌々しいと言わんばかりに舌打ちをした。俺は親友という意味を一度辞書で引いてみたくなった。たぶん俺の知らない意味が書いてあるに違いない。


 「被害者の統計データから見て、専らこの蚊は女性だけを狙います。そして怠さに吐き気、高熱、頭痛などの症状を引き起こします」


 淡々と神子は言う。そして彼女はこんな言葉で締めくくった。


 「そして……死に至らしめます」


 これには室内の人間すべてが絶句した。


 「これは由々しき自体です。カーネフェルの温暖な環境にこんな害虫あんなに持ち込まれたら最悪……カーネフェル人は絶滅しますよ」

 「イグニス様……何とかする方法はないのでしょうか?」


 神子の言葉に言葉を返すことが出来たのはランスだけ。それに神子は、しばらく考え込んで小さく息を吐く。まぁなんとかなりますよと。


 「……事態の収束はまもなく始まるでしょう。彼らの目的はあくまでカーネフェル侵略であり、カーネフェル人根絶ではないのですから」

 「んじゃ放置で問題ねぇって?」

 「はい。ただしこのままではアルドールの名は出ても逃げても地に落ちます。まぁその辺はおいおい何とかしましょう。情報工作は教会や僕の部下に頑張らせていますし、其方でなんとか凌いで貰うしか無いでしょうね。とりあえず都の外にあの虫が拡散しないよう、結界数式は張りました。最悪都から人々を避難させれば問題ありません」


 解決策はある。しかし、その妨げがあるのが問題なのだと神子は表情、言葉を渋らせる。


 「本当はそこに冷却数式を流して全滅させるのが一番なんですが、都の関所をがっちりとタロックにガードされているのが痛いんです」

 「俺らが前線送りになる前だったしな……関所の奴らなんであっさり通してやったんだか」

 「それは勿論都貴族の派閥争いですよ」

 「……はぁ?」


 ユーカーの呟きに、イグニスはそんな答えをもたらした。


 「今日、アルドールに近寄ってきた貴族達が居たでしょう?そこに入れなかった人間達……つまりは先王の時代から派閥争いに負けてきた都貴族達ですよ。彼らは革命を求めている」

 「か、革命……?」

 「自分たちに権力が回ってくるならば、国を明け渡しても構わない。王が別の人種になっても別に良いという人達ですよ。おそらくあのふざけた祭りを開催に押し切ったのは彼らでしょう。普通ならそんなことやれっこありません。開門に関わったのも正直彼らが怪しいと僕は睨んでいます」


 タロック軍よりある意味厄介ですよと神子は大きく嘆息をする。


 「つまり今僕らに必要なのは、カーネフェルの味方です。ついてきてくれる民が居なければ王も国も話になりません」

 「そうはいうけどよ、都は捨てるんだろ?」

 「ここの性根の腐った人々は手に負えませんよ。双陸殿とやらのお手並み拝見させていただきましょう。そこで良い感じに人格者に矯正してもらったところで奪い返します」

 「それじゃあイグニス……俺たちこれから、どうすれば?」


 神子からの外道発言を貰ったところで、アルドールが不安そうに指示を仰いだ。それに対して神子は胸を張って答える。しかしあまり胸はない。視覚数術で誤魔化しているのだから当然か。


 「そこでです。北部へ行きましょう」

 「はぁ!?」


 素っ頓狂な声を出したのは俺。目を瞬いているのがアルドール。絶句し石化したのがランスだ。そうだよな。こいつにとって、北部は地雷だ。


 「都を落としたことで、まぁ北部攻めの軍勢も都に向かうか、国へ帰るか。各地の守りは手薄になります」


 神子は卓上の地図を指さす。


 「僕らはそれを迅速に各個撃破。タロックの魔の手から北部の人々を救い出し、支援者を増やしていきます。そうですね、新たに北部に都を設けるのも良いでしょう。そして南部に宣戦布告するのです」


 言葉で言うのは簡単だ。しかし宣戦布告なんて言われても……そういう気持ちは拭えない。どうにもならないのではないか。それは俺もあいつも、アルドールもきっと抱えている不安だ。しかし神子は、ここで切り札を表に出した。


 「そしてそこで僕はシャトランジアを介入させます。聖十字の介入はそれだけで意味を持ちます。ここまで長らく中立をしてきた我々がカーネフェルの味方になる、それはすなわちタロックが悪だとシャトランジアが認識したということ」


 奴はさらっと言ってのけたが、奴が黙ると場はしんと静まりかえる。誰かが息を呑む音。それは俺だったのか別の誰かだったのか。それもわからないほど、俺は興奮していた。腹の底から湧き上がるのは早すぎる歓喜。こいつはなんとかなる。なるんじゃないか?そう思わせる才には……確かにこの神子は長けている。煽動者としての資格は十二分だ。アルドールなんか見開いた目からボロボロと涙を流して泣いている。鼻を啜りながら神子の名前ばかりを繰り返しながら。


 「おい、そいつはまさか……」

 「イグニス様……」

 「それまでの、悪評すべてが無かったことになります。アルドールへの悪い噂、その全てがタロックの情報操作!人々を騙していたとそうなるわけです。下手に人格者であればあるほど、疑われた時は胡散臭いものですよ。そうやって今まで我々を騙していたのか……なんてね」


 神子の自信たっぷりの言葉に、北部に行きたくないはずのランスもそれを忘れたように微笑んでいて、自然と俺の表情も軟らかくなる。それを見計らったかのように、神子は満面の笑みになる。


 「だからそのためにも都からどう逃げ出すか。話はそこに戻ります。勿論僕の空間転移という手もありますが、それはエルス=ザインに気付かれてしまう可能性が非常に高い。そしてアルドールの空間転移は不安定。前回のは唯のまぐれみたいなものですし、話になりません」


 泣き笑いをしていたアルドールが、また泣きに戻りそうになっている。怠いのは解るが少しはセーブしてやれ。こいつも病み上がりなんだから。つい数時間前に妹亡くしたばかりなんだぞ。


 「そのためには都貴族に親しい人間をたらし込む必要があるわけです。そうしてまんまと外へと逃げ出すためにも……あの祭りを利用しない手はありません」


 無理矢理話を冒頭へと戻す神子。いちゃついてた癖にしっかり俺たちの会話をキャッチしていたらしい。侮れないガキだ本当に。


 「んじゃ神子お前頑張れ。いけるいける。お前混血だし美形だろ頑張れ。そのままでも十分女装みたいなものだろ」

 「生憎今日の即位式で僕とアルドールの顔は多くの人に知れ渡ってしまいました。視覚数術はモブに溶け込む作戦で僕らはやり過ごします。となると消去法であなた方に頑張ってもらうしかないんですよセレスタイン卿?」

 「ならランス!お前やれ!お前の方女顔だろ!お前美形だし!」

 「そうしたい所なんだが、そろそろ俺は背が問題かなと」

 「いけるいける!長身の美女って設定でいいじゃねぇか!」

 「まぁ、それはそれで良いんだが、俺はあの人の顔を立てるためにも毎年参加していたわけだろ?お前が逃げてたから。別に責めてるわけじゃないんだが、二年交替で出ようって譲歩してもお前は逃げたよな?だから俺は毎年出てて?女装のレパートリーももう粗方尽きてきたんだ。わかるよな?俺の女装姿は割と晒し者にされてたから?俺が化けたら簡単に気付かれてしまうと思うんだよ」


 責めてる。絶対責めてる。目が笑ってない。


 「でも、嫌だっ!!」


 この年で女装だなんて、屈辱以外の何物でもない。俺のプライドにヒビが入る。

 俺は部屋から飛び出して、逃げる、逃げるっ!追ってくる足音がする。本気のあいつなら最悪屋内でも馬呼びだして追いかけて来る。何か背後で長ったらしい愛馬名を叫んでいるあいつの声がする。遠くからパッパカパッパカ何かが駆けて来る音がする。そして窓硝子を突き破って何かが飛び込んでくる音。来た!完全に最強装備で来やがった!とんでもねぇなあの騎士は!常識とモラルはどうした!目的のためにも手段は選んでくれ。


(くそっ!このままじゃ時間の問題だ)


 俺は息を忍ばせ、教会の一室へと逃げ込んだ。地獄に仏だ。衣装部屋をここで引き出した俺は幸運だ。流石は俺様コートカード。いや、こんなことで幸運消費したんだったら泣きたい。いや、そんなはずないよなきっと。だってこの部屋……


 「女物の服しかねぇ……」


 俺は何処までも割と、不運だった。


 *


 所用のためにのために第一聖教会を歩いていたトリシュは、知人の顔を見つけて声を掛けてみた。あの小五月蠅い相方とは、今は一緒にいないらしい。なんとなく珍しいと思ったが、よくよく考えてみればここ数年はそんなものだったかもしれないとも思う。むしろ今朝が珍しい部類に入ったのだ。


 「おや、ランス。奇遇ですね」

 「ああ、トリシュ!ユーカーを見なかったか?」

 「いえ、見ていませんが」


 仮に見ていても眼中から無意識の内に削除していたのかも知れない。そんな風にトリシュは思う。あの男は好きじゃない。いつも喧嘩腰で、貴族らしさが欠片もない。同じ地方貴族なのに、この従兄の青年と比べてどうしてあそこまで品性がないのか。本当に血縁なのか疑ってしまいそうになる。

 王からも信頼されていたこの立派な騎士が、どうしてあんな小物のことを構いたがるのかわからない。ここ数年は、昔ほどべたべたしなかったとはいえ、何かにつけて彼のことを考えているのはすぐ解った。この騎士が一目置くくらいだ。何かあるのかと思ったこともかつてはあったが、僕の思い過ごしだった。それでもランスが彼を構うのは、彼が身内だからに他ならない。この騎士は親馬鹿ならぬ従弟馬鹿なのだきっと。


 「何かあったんですか……」


 と聞きかけて、風のように走り行く友人に手を振る暇もない。あの邂逅は一瞬。残されたのは馬の嘶き、蹄が床を蹴る音。


 「……セレスタイン卿ユーカー。恐ろしい男だ」


 あのアロンダイト卿ランスをここまで狂わせるとは。冷静沈着で真面目で規則と命令を忠実に守るあの男が、静寂を重んじる教会内を愛馬で駆けさせられる男は、恐らく世に彼一人だけだろう。何があったらあんな風になるのかわからない。容姿に性格、家柄才能、欠点が一つもないはずの友人が唯一持つ欠点は、彼絡みの問題だけだろう。しかしあの人を舐めた性格の男のどこにそんな力があるのか僕には全く理解できない。あんな身内が居ても僕は可愛いとは思わないだろうと断言できる。というかまず縁を切るね。

 誰に言うとも無しに、僕は頷く。頷いていた。言うなれば前方不注意。だから此方に駆けてくる少女の姿に気がつかなかった。それに気付いたのは後ろばかりを注意していたらしいその少女とぶつかった時。その衝撃に傾ぐ彼女の身体を支えた時だ。


 「ああ、すみませんお嬢さん」


 思わず彼女の手を掴んだが、彼女は僕を見上げるなり手を振り払い少し青ざめた顔で僕を見る。見れば彼女の姿は修道女のそれ。男慣れしていなくて、男性恐怖症の気でもあるのだろうか?


 「え、ええと……お嬢さん?あの、怖がらせてしまったのでしたらすみません」


 一応相手は女性だ頭を下げ、軽く会釈するが……彼女の僕を見る目は決して好意的な物でない。初めて会うはずの相手に、ここまで拒絶されるなんて……こんなの初めてだ。何故だろう妙な気持ちが胸に湧き起こる。

 美形と謳われる僕を相手に、頬を赤らめず狼狽えもせずここまで冷たい絶対零度の視線を向ける女性なんてあり得ない。女性として何か欠陥品なのではないだろうか。


(ああ、そうか……彼女はよく見えていないのか)


 彼女はあの憎き男のように……いや違う。あいつは右目だ。彼女は左目を隠している。眼病でも患っているのだろうか。その右目はスカイブルーよりもうすい水色。氷のような微笑みを湛える彼女によく似合っていた。その目は外の光を眩しげに見つめていたから、やはり目があまりよくないのだろう。


 「お怪我はありませんか?」


 ぶつかった時の彼女を案じるように、彼女の目を覗き込む。この至近距離なら……少しは違う色をその目に映してくれるだろう。そう思ったぼくを襲ったのは、予想だにしない痛みだった。彼女に頬を打たれたのだと気がついた。いい加減離せという意味だったのか。言われてみれば確かに僕は彼女の片手を掴んだままだった。

 怒り気味の彼女の表情は、何故だろう。初めて会う気がしなかった。理不尽な痛みに呆然としている僕を残し、彼女は僕から離れる。


 「…………」


 そして彼女は最後まで無言のままで僕の横をすり抜け走た。ベールから覗く金髪がとても綺麗だった。


 「ま、待ってくれ!君っ!君の名前は……」


 振り向いて、走り去る彼女の背中に追いすがるよう叫んだが、彼女は何も答えてくれない。唯、足のスピードを更に早めただけだった。


 「……う、嘘だ」


 僕は歓喜に震えていた。間違いない。彼女は僕のイズーだ。この妙な既視感は、僕と彼女が以前出会っているからだ。そうだ。あの男は本の夢物語だと馬鹿にしたが、そうじゃない!そうじゃない!あれは本当にあったことだったんだ。言うなれば前世の記憶という奴だ。今度こそ僕と彼女が幸せに寄り添うことが叶うようにと、そのために語り継がれた物語なんだ。そうだ。あれが出版されたのは数十年前だけど。それは元々あの作者のオリジナルではなく伝承にあった物語だ。あれは僕に前世の記憶を呼び起こさせるための鍵だったのだ。

 彼女はそれを知らないから、あんな風に僕を拒絶したんだ。可哀想に。今頃自分でも気付けない無意識の海その深き海溝、彼女は自分を責めている。嗚呼、そんな必要はないのに。僕はそんなことで君を嫌ったりはしない。何もかもを許せるんだ私のイズー!!

 そう、多くは望まない。唯この腕の中に君を抱き締めさせて欲しいと思う。そう願うのはいけないことかい?私のイゾルデ!!


 *


 「何かすげー寒気したわ。あの馬鹿完全に目が逝っちまってた」

 「それは大変でしたねセレスさん」


 俺が身震いしながら先の出来事を語れば、騎士見習いの少年はくすくすと笑みを溢した。プラチナブロンドの金髪は光のように柔らかで、美しい色をしている。その対比と言わんばかりに深い青色はサファイアを溶かして固めたような深みがあった。まぁ、絵に描いたような美少年。将来はランス並にモテる男になるんだろうさ。別に羨ましいとは思わんが。


 「お前までセレス言うなパー坊」

 「パー坊言うの止めてくれたら僕も止めてあげます」

 「なら諦めるか」

 「そこで諦めないで下さいよぉ……」

 「ならシヴァルで」

 「縛らないでください」


 泣きそうな顔をされたので流石にこれ以上は苛められない。悪い悪いとユーカーが笑ってやれば、少年も笑みを溢す。ここまでがいつものやりとり。悪びれなく呼ばれる分には嫌味だとは思えない。そもそもそれが何故侮蔑か、この少年は知らないのだから。

 最近人間関係に悩まされてたから大分癒される。年下ってこういう物だよな本当は。やれ某神子、やれ某カーネフェル王。あいつらがおかしかったんだ。


 「ま、お前も無事で良かったよパルシヴァル。しかし久しぶりだな。俺ここ一週間くらい城にいたんだが、全然会わなかったな」

 「はい、僕は僕の任務に行っていました」

 「そうか。お使いか」

 「お使いって言わないでください」

 「で?今度は何を任されたんだ?」

 「はい!今度のお祭りのために皆さんお洋服を仕立ててらっしゃるみたいで、リボンやレース、フリルといった素材が不足しているって言うので」

 「街から貴族街まで届けさせられていたのか」

 「はい!」


 阿呆かと怒鳴りたくなったが、この少年に怒鳴っても仕方がない。こいつはこいつでそれが仕事だと信じているし、外の状況も知らなかった。与えられた任務を疑うことなく純粋にこなせるその子供らしさがある意味羨ましい。

 教会を無事逃げ出して街をぶらついていた時だ。この騎士見習いに声を掛けられた。他に行く充てもなかった。だから暫く身を潜めるためにこいつの部屋を借りたのだ。勿論あんな事があった後だ。城には帰れない。タロックにもう乗っ取られている。

 ついでに言うなら王宮騎士ですら砦に住まいを移されるご時世。城勤めの騎士見習いですら、街に家を借りさせられている。だからこいつの家はまだ無事だったのだ。

 砦住まいで遠出の任務ばかりの俺とこいつはその合間、城で時々顔を合わせる程度だが、その度にパタパタと駆けてくる何だかんだで可愛い奴だ。弟が出来たみたいで結構構っていた気もする。


 「にしてもパー坊、よく俺だってわかったな」

 「はい!僕はいっつもセレスさんを見てますから」

 「はぁ?」

 「僕はセレスさんみたいな騎士様になるんですよ」

 「いや、あのな。俺よりランスの馬鹿とかトリシュの阿呆あたりのが妥当だと思うぞ?一般論的なあれでは」

 「そんなことないです!セレスさんは凄いです!普段はだらだらしててもやる時はびしっとやってくれるセレスさんは恰好良いです!」


 純粋な目でキラキラとそう褒められるのはこそばゆい。流石の俺も少しは照れる。


 「それにセレスさんみたいに女の人寄せ付けない気迫みたいなのが凄いです!」

 「ああ……そう」

 「俺は女なんか興味ないぜみたいな斜めに構えてるところが格好いいです!剣一筋ってところがクールです!」


 でもこんなに純粋な子供に、お前童貞だろたぶん一生と褒められた時ってどうすればいいんだろう。ちょっと泣きたい。俺だって婚約者が死んでなければその内卒業してたかもしれないんだよ。もういいよ。お前がそこまで言うんなら、もう俺一生清らかさんでいいや。どうせそんなに余生長くないし。フラグ立ってる女もいねぇし。


 「それに僕、セレスさんのその目好きです。格好いいです!」

 「ああ、眼帯な。結構便利だぜ?暇なときに片目ずつ向こうの山の木の葉の数数えて鍛えて視力アップとか……あ、やべ。そういやお前これ黙ってろよ?男と男の約束だからな。一応これ見えないって事で通してんだから」

 「見えないんですか?」

 「まぁ、昼間はあんまり見えないな。今はちょっとチカチカして辛いぜ」

 「ああ、それでだったんですね?」


 パルシヴァルが両手を打ってにこりと笑った。


 「さっきから後ろにいるランスさんに気付かないなんておかしいなって思いました」


 しかしその笑みが見ている俺の背後が恐ろしい。振り向けずにいる俺の肩にぽんと手が置かれる。置かれた瞬間、びくっと身体が震えた。手は張り付いたように離してくれない。

 「お前がここまでやるとは思わなかったよ、なぁセレス?」

 「…………」

 「その目は今となっては俺とお前だけの秘密みたいなものだから?まさかねぇ?何があってもお前が右目を晒すことだけはないと思っていたんだよ俺は」

 「…………」

 「勿論俺とお前の仲だろう?両目を出していてくれたなら俺だってすぐに解ったと思うんだ。だけど右目だけだろう?それじゃあ俺もすぐには気付かないよ。おまけにそんなに髪までまっすぐ整えて?結構伸びたんだな似合っているよ」

 「…………」

 「そうそう、お前がなかなか見つからないからお前と仲の良いこの子の家を訪ねてみたんだったかな。お前はあんまり人付き合いが多いタイプじゃないからね。これで万が一トリシュの所にでも逃げ込まれていたらと思うと見過ごしてしまっていたかもしれない」

 「…………」

 「いや、でも俺より付き合いの浅いこの子がお前に気付いたというのに俺が見過ごしたと思うと俺は俺が自分で情けなくてね。まだまだお前を見足りないと言うことなんだろうな」


 変なところで負けず嫌い発動しないでくれ。そう叫びたいが、声も出ない。首が石になってしまったように動けない。っていうか身体全体が。蛇に睨まれた蛙の気持ちってこんなだったんだな。落ち着け落ち着け。深呼吸深呼吸。よし、咽に張り付いていた何かは取れたような気がする。


 「ところでセレス、俺に何か言うことはなかったか?」

 「いい加減放せよ。セクハラで訴えんぞ」


 もうこの空気に耐えきれず、いっそ殺せと振り返る。そうして睨み付ければ……あいつが軽く目を見開いている。


 「……失礼、これは訴えられても仕方ないかもしれないな」

 「は……!?」

 「お前、気合い入り過ぎだよ!一人でそんなメイクまでして、そこまでして逃げたかったのか?そんなに嫌だった?」

 「い、嫌に決まってんだろ馬鹿!!」

 「あはははははははは!嫌なのに、そんなに気合い入れて女装してたんだ……っはははははは!!」


 本末転倒だとランスが笑う。


 「え、マジ……そんな笑うほど俺おかしなメイクしてたか?」

 「いいや、これじゃ解るはずがないってことだよ」


 お前の本気の女装を甘く見ていたと、相方が忍び笑いをもう忍べていない。似合ってるよと整えた髪を撫でられるがそんなに嬉しくはない。やっぱり馬鹿にされている感の方が強い。


 「でも僕わかりましたよ!」


 ランスに撫でられている俺を見て、自分もされたくなったのか褒めて褒めてと寄ってくるパー坊。とりあえずよしよしと頭を撫でてやると満足げ。ほんとこいつは可愛いな。どこぞの神子とは大違いだ。見てて癒される。やっぱ年下はこうじゃねぇと。年上連中に囲まれてきたし、こういうのは新鮮だな。

 俺が癒されていると、耳に何か聞こえた。それは本当にすぐ隣から。


 「何やってんだお前」


 何故か相方が舌打ちしていた。相方が俺の変装を気付けなかったように……俺も時々相方がよくわからない時がある。唯何となく割と大人げない男だなぁと思った。

ジャンヌがなかなか出てこないので。6章前半ヒロインはセレスちゃんでいいや。

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