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93:Divide et impera.

 タロック側に、変装している姿を見られたならば……カーネフェリアは女装して、女に紛れての移動が難しくなる。数術で変装するならば、関所の門は堅くなる。全く無関係の民達も、変装と疑われるようになるから。となれば彼らはそれを逆手に取る。


(刹那姫の、言ったとおりの展開だ)


 僧祗は高揚に身を震わせる。


 「カーネフェリアは自らを奴隷とし、捕えられた振りをして……王都への道を切り拓く。そのためには、馬車が必要」


 奴隷商を仲間に演じさせ、他の者達を商品として檻に入れる。これは徒歩では不可能だから。


 「そして……ハイレンコール。この私を医者として、誘い入れた愚かさよ」


 数術でも見破れない、究極の変装。他者に自分を保管させる数術の、なんと便利なことだろう。流石は聖教会の犬、恐ろしい程の収納能力。普通の人間は……仮死状態の人間情報であっても、一人分がやっと。それも此方が目覚めたら、脳がいかれて死んでしまう。新鮮なパーツを届けるにはそう悪くない手だが。


 「んっ……ううっ」


 手術台で少年が暴れる。拘束され会話も出来ない状況だが、混血ならば気を抜けない。……ということもなく、数術のために必要な目玉は既に別の物に変えられている。何とも無害な存在だ。


 「被献体、何か私に質問が? ああ、これに見覚えが? 偉大で存在感もあるこの知的な私を覚えていないのに、こんな物は覚えているのか」


 数値異常の影響を受けた植物には、愉快な効果が見つかっている。成長を促進、或いは減退させる物。第四島は、奴隷教育のため怪しげな薬品が多く出回る。その開発を誰より楽しんでいるのが……あの女。


 「んんっ……うーっ……! 」

 「“妹”だなんて嘘は良くないな、“フロリアス”」


 混血は、どういうわけかあの病に感染しない。どこまで純血のパーツと取り替えたなら感染するか。それを解明できれば、純血の治療にも役立てられる。そのために使われたのがこの被献体フロリアス。

 まったく、おかしな話だ。そもそもカーネフェルを滅ぼすために作った毒だ。カーネフェルの血が混ざったタロークにも反応するのは想定外だったが、それも誤差の範囲内。真純血である我々には何も問題ない毒である。


 「ふむ……パーツを元に戻しても、全ての記憶は戻らない……か。ならばやはり、施術には混血術士が必要か」


 死んだばかりの感染者と、健康な少年のパーツを入れ替える。実験の結果、完成した。

 少年だったものは、何を言われているのか分からないという顔だ。説明してやる義理もないが、その顔が愉快なので教えてやろう。


 「あの医者は、数術にも長けている。都合の良い記憶を情報数術で上書きするため、容量を空ける必要がある。一人の人間の記憶を二つに分けたなら、情報量は半分になるだろう? そこに傀儡とするための記憶を入れてやるんだよ」

 「!? 」

 「フローリアも、フロリスも……フロリアス。お前のことだ。二人が、一人で生まれてしまった。お前の身体の中にはもう一人分のパーツが一部残っていた。足りない分は購って、死神はお前を切り刻み……お前達にした。お前の記憶も二つに分けてな」


 憑依数術の究極の応用とは、現地調達で傀儡の軍隊を作り上げられるという利点。情報数術に長けた物の協力さえあれば、それも容易い。人道などを重んじるシャトランジアとカーネフェルには決して作れない数術だ。


 「おめでとうフロリアス。お前だけだ! 世界で唯一……Disに感染した混血よ! 」


 二つに分けた肉体に組み込んだ純血のパーツ。毒された混血のパーツを今再び組み込んで、呪われた姿に戻す。失った、半分の記憶分……広がる空白。そこに吹き込むのは怒りの感情。


 「お前が死ぬまでまだ暫くの猶予がある。フローリアのパーツがお前を腐らせようと必死になっているからな。それまでに都合の良いパーツと血液を集めてくるんだ。お前が死にたくなければな」


 *


 「そんなに泣くなよ。目、赤くなる」


 馬鹿なのか、生意気過ぎて危機感もないのか。金髪の子供は、泣いている僕にそんな事を言ってきた。


 「赤くなった方が良い。それならタロック人になれるもん」

 「髪、金髪じゃないか」

 「黒く染めればいいだけだ! 」


 同じ檻の中で、その子と僕は仲良くなった。僕が泣いてばかりいるからか、その子は一度も泣かず……いつもへらへら笑っていた。


 「あはは、なんだ元気じゃないか。そんな顔も出来るんだな。えっと……」

 「……フロリアス」

 「そうかフロリアス、私はリアだ」


 リアと名乗ったその子は、綺麗な青い瞳をしていた。僕が嫌味や泣き言で、その色を羨むと……終いにリアはこんな事を軽々しく口にした。


 「それじゃあ私の目をやるよ」

 「え……? 」

 「それならお前カーネフェル人カーネフェリーだろ? 」

 「いらない……」

 「なんで? 」

 「それくらいじゃ、“僕”はどうしようもないから」


 落ち込む僕を何とか勇気づけようと、その子は上からの励ましを、無謀とも取れる空元気を発揮する。いや、本当に馬鹿。強がりじゃなくて、楽天的なんだ。


 「大丈夫だ! 私は凄いんだ。絶対誰かが助けに来てくれる」

 「なんでそう思うの? 」

 「どうせ身代金目的の誘拐だろ? それならたぶん、何とかなる。お前の分もうちで払うよう頼んでやるよ」

 「……貴族とかなのに、攫われたの? 」

 「違う。私は…………“リア”だ! 」


 目を見開いて、間近で覗いたその子の目。発色はあまり良くないが……深い、深い青い色。古ぼけた高貴な青だ。その子は嘘は、言ってはいない。


 「王様なのに、目をくれるの……? 」

 「やるやる、目くらいくれてやる」


 恐る恐る聞き返した僕に、その子は朗らかな返答。


 「そんなものなくたって、私がかの血を継ぐ事実は揺るがない。民を守ってこその王だろう。あ、うちはたぶん継承権ないけど……血に恥じぬ誇りを持てと姉さんに言われた」

 「民……? 」

 「お前、同じ船に乗っただろう? 出身はカーネフェルだ。それなら目が違う色でもカーネフェルの民だ」

 「そいつばっかり狡い! 私もカーネフェルから来た! 」

 「わたしも! 」

 「ぼくもっ! 」


 違う檻からも、民を騙る声が次々上がる。明らかに、他から来た子も大勢居るのに。


 「おい、そんなに集られたら私の目がなくなってしまう」


 そう言って、その子は笑った。不思議な子だった。誰もが明日を怖がって、震えるだけの奴隷馬車。王都へ着いたら奴隷通りでみんなバラバラになる運命。そんな僕らに微かな夢を……与えてくれる、光のような人だった。


 「交渉は、私がしよう。必ず成功する保証はないが、なるべく多くを助けられるよう努力する」


 まだ幼いのに、その子の声には力があった。リアは、確かに王だった。兵も騎士も傍には居ない、そんな惨めな一人ぼっちの王であっても……誇りだけは無くさなかった。


 「例え決裂したとしても、時間は稼ぐ。その時は逃げろ。私が一番高値なはずだ。“僕”を見捨てて生き延びろ。いいな? 」


 *


 「第五島は実験に相応しい土地だった。環境の差はあるけど、タロック圏で最も温暖な土地はあそこだったんだからね」


 かつて第五島には、死神と恐れられる医者がいた。男の名はオルクス。奴は風土病Disにさえ光明を見出す天才でありながら、人身売買を営む請負組織の頭でもあった。この二点は切っても切り離せない事柄故に、彼の善悪については語るまい。しかし偉大と言えば偉大な男。その男の功績は更に二つほどあって、セネトレア数術における第一人者。情報数術分野ではセネトレアの魔女とも互角に渡り合い、憑依数術の確立にも大きく貢献をした。

 そして私の命をも、一度は救った相手が死神オルクスだ。


 「Disは基本的に、混血と真純血のタロック人には感染しない。あれは、カーネフェルを滅ぼすために作られた“毒”だ。気候も人種も比較的それに近いディスブルー島が実験地に選ばれたのも不思議ではないよ」

 「生まれるより前を、そんな風に語りますか」

 「それが数術使いってものだよ、僧祗さん。これは詳しいの貴方の方だろう? あれ作ったの、貴方のお父上じゃないか」


 あれは何度目の邂逅だったか。此方が何も答えないのを良いことに、死神は持論を展開させていた。彼は時折私に商品を卸し、そして時折壊れたそれを回収に来た。いくつかの死を受け取って、生を差し出す。


(死神、オルクス……)


 王が何故、彼を生かしたのか分かる。これは猫だ。心臓は一つではないのだ、だから簡単には殺せない。下手に怒りを買うよりは、友好的な関係を築き、その力を自分のために使って貰うのが商人として賢いやり方。


 「私としても不可解なんですよ。よくあんな物を実戦に用いたなと亡き父に聞けるものなら聞いてみたい」

 「そうかな? 結構良い線行ってると思うよあれ。これ褒め言葉だけど絶対頭おかしいよね貴方の父さん。純血があんな物どうやって作ったんだか」

 「私なら、タロック兵が感染しない毒を作りますよ。敵だけ確実に殺せる毒を」

 「それは無理だね。神は基本的に互角の盤面を好む。素晴らしい成功の陰には、取り返せない失敗が。完璧な式には必ず奴らが綻びを入れる。数たる神の手の上で……数を用いる以上、数術にも絶対はないんだ」

 「相変わらずの、化け物め」


 二人の勝負は終りを告げた。駒を用いた遊技には自信があるという僧祗が、全ての駒を失い敗北をした。傲りではなく、彼が遊び事において強さを発揮するのは私も知っている。何度か勝負をしたが、三度に二度は私が負けた。


 「混血は貴方達の言うよう神に愛された化け物だから、普通の人間と身体の作りがちょっと違うのさ。簡単には壊れないし、彼らは強い。貴方達公爵と王が何も言わないのは、基本的に自分たちにとって実害がないからさ。壊すのは簡単だけど、治すのは難しい。前者を人が天才と呼ぶなら、後者は神だ。僧祗さん、貴方は父君を越える天才となるのかな? 」

 「父などとうに越えました。私の生涯の好敵手は、オルクス殿。生きてさえ居れば貴方をも凌いでいたでしょう」

 「へぇ……興味深い話だなぁ」

 「故に彼のライバルである私もいずれ貴方を越えなければなりません。Disは私が消し去りますよ。貴方とは違う手段を持って」

 「だけど、と言いたそうな顔だねプリティヴィア公」


 セネトレア王家、公爵家は真純血ではない。外見こそ純血でも、成り上がりの混血。


 「真純血は目の色を濃くする遺伝情報を持つ。それこそがDisを退ける特効薬さ。だから真純血の血液を、定期的に摂取すれば予防になる。感染しても、発病を遅らせたり……保持者であっても発病を防げたりとね」

 「しかし、ディスブルー公爵家は悲運に見舞われた。ディスブルーは唯一、真純血を迎えた公爵家。だからどの公爵も……第五島を快くは思わなかった」

 「セネトレアにおいて王は傀儡。公爵達は王より強い権威を持った。その中でも第五公が突出するのを彼らは防ぎたかった。何年前だろうなぁ。もうとっくの昔に実験済みなんだよね。血をどのくらい輸血すれば、本来感染しない人間でも感染するかって。先の大戦でも第五島が戦場になったからね。第五公はかなり無茶をさせられて、大怪我をしたんだよ」

 「緊急時でしたからね。大量の血液を使ったそうです。真純血でも混血でもない者の血を」

 「それでも保持者……運び手止まりだからなぁ。決定的な綻びは、次代のご子息、ご息女まで持ち越した」


 あの男も十分いかれていた。自分のことを棚に上げ……昔話をするように、彼らは彼らが生まれるより以前の話を平気で語る。これが数術使いの薄気味悪さ。僧祗も数術を囓っているのだろう。漆黒の髪は、それだけで彼の血筋の良さを物語る。どちらもタロック人の色ではあるが、元々どちらも黒目だったはずの彼が……いつの間にか片目の色が、明るい赤になっていたのが妙であったが。それも隣の男の企みか。


 「火事で大怪我をしたそうじゃないですか。あのままでは命も危なかった。父様からのお願いで、僕が貴女を助けました。報酬は期待していますよ第四公? 」


 まだ少年と、呼べる外見である死神オルクス。彼が私の方へ手を翳すだけで、……私の焼けた咽から声が出る。まるで奇跡。外見こそ純血を装っていても、彼のの芸当は純血を越えていた。


 「……何が、お望み……? 」


 断ったら、この場で私を殺すことなど造作もない。セネトレア王であってもまな板の上の鯉。にもかかわらず、オルクスは王の味方を気取る。


 「今やってる仕事の関係で、まだ半焼けで無事そうな目があったら欲しいなぁー! っていうのは半分冗談で、貴女の屋敷に居た生き残りの子、気に入った子がいたんだけど貰ってもいいかな? とっても懐かしい子を見かけてね」


 自分の咽から出た声に、違和感を感じる。何が違うかと言われたら、声が高くなっている。

 鏡に映った自分の姿を見て私は絶句した。


 「僕は得た情報から、凄いものを完成させてしまった。近い内、僕は命を狙われる。勿論、逃げ場所は幾らでも用意してる。簡単には死なないよ。今回貴女が生き延びたのも、試薬品だったけど効いたんだね」

(薬……? )


 私は材料を僧祗から買っている。そして様々な怪しい薬を作り、奴隷に与えて遊んでいるが……結果的に毒薬が出来たら彼へそのレシピを教える。私が作り、使った薬に……この妙な数術に関係する材料があったというのか。


 「王に使って貰う前に、誰かで実験しなきゃいけなかったからね。助かったよ。ああ、安心して? お礼に貴女の身体もちゃんと助けておいたから。後で元に戻してあげるよ」


 *



 「馬車、いつくるんだろうな」

 「早く来ると良いですね」

 「そうだな、やっと……元の格好に戻れるよ」

 「私は早くまた男装したいです」

 「そんなに男装好きなの? 」

 「仕事着というか普段着になりすぎて……軽装は恥ずかしいですし、変に肩が凝ります」

 「鎧の方が絶対肩に来ると思うけど」


 暑いわけじゃない。昨日よりは暖かいはず、屋内なのにカーネフェルに比べて肌寒いと感じる。環境が違いすぎるから? どうにも寝付けない夜だった。しばらく俺とジャンヌは他愛ない話を交わしていたが……会話が途切れると、室内に花の香りが微かに漂った。フロリスから貰った、あれはなんの花だろう。白くて綺麗な花だけど、俺は図鑑で見たことがない。セネトレアで開発された品種だろうか?


 「ジャンヌ、あの花どうしたんだっけ? 水に生けてた? 」

 「ええ。今日くらいは眺めて……後は花びらを匂い袋にでもして持ち歩こうかと」

 「……そっか。きっと喜ぶと思う」

 「あの子……。無事なのでしょうか」

 「フロリスのこと……? 」

 「誰かの犠牲で生き存えるなら、せめてその人は……無事であって欲しいと思います。手術が成功すれば良いですね」

 「うん……」

 「……」


 突然彼女の言葉が詰まったのが気になって、俺は彼女の方を向く。青ざめた彼女の顔。俺はまた何か余計なことを言っただろうか? いや違う。何かあったんだ。枕の下に隠した剣。奇襲に備えていつでも戦えるように、剣に触れていた彼女が勢いよく飛び起きたのだから。


 「アルドール! ランスから通信がっ! 」

 「ランスは何て? 」

 「……“空間転移で今すぐ逃げろ”と。私と、貴方だけで」


 切羽詰まったジャンヌの声。同様の割に、声は小さい。彼女が先に取り乱してくれたから、俺はまだ余裕があった。


(ジャンヌの幸福値を消費しても、逃げなきゃ行けない状況。他の皆を見捨てなければ逃げられない状況)


 それだけ大変なことが起きていて、ランスは自分が死ぬ側にカウントしている。


 「分かった。逃げようジャンヌ」

 「正気ですかアルドール」


 彼女の手を掴んだ俺に、彼女は冷たい視線を投げかける。


 「ランスがそこまで言う程、今はやばいってことなんだ。下手なことをすれば全滅する。俺もジャンヌも、ここで死ぬ」


 昨日の選択とこれは変わらないはずだ。諭す俺の言葉を、ジャンヌが諭す。


 「ランスは、主君である貴方のために死ねて嬉しい。それが誇りかもしれない。ですがアルドール……考えて。本当に、私と貴方だけで……あの女王が倒せると思いますか!? 」

 「俺達は、昨日あの子を見捨てた。カーネフェリーを。民を見捨てた王が、騎士一人のために愚行を犯せるか!? 」

 「なんのための私ですかアルドール! 私がいれば、全員ここから無事に逃げられます! 」

 「それでジャンヌに万が一があったらどうする!? それこそ……この戦、本当に負けてしまう」

 「アルドール……貴方は、彼を信じてきました。あのことは、貴方とランス……二人で決めたことでしょう。貴方は彼の決断を尊重する。それが戦場において最も正しい選択だと信頼したから」

 「……」

 「それならアルドール。ランスを失って、私と逃げて……貴方はそこから誰の頭で考えるのですか? 他に、誰がいますか……? 貴方の味方は、貴方の騎士は! もはやここには彼しかいないのですよ!? 彼を失った時点で、私達が逃げ落ちる意味はないのです。その時点で、カーネフェルは敗北します」

 「……カーネフェルには、パルシヴァルがいる」


 言いたくなかった言葉を口にした。してしまった。エフェトスという戦闘兵器に一時でも反対した俺が、彼の名を口にする。生き延びられる例外を持つカードを、破滅の運命に組み込むことを是と口にする。

 それにこの言葉は……ジャンヌの死さえ肯定した、未来の話じゃないか。彼女を掴んだ指の先から、俺の手が冷えていく。自分で紡いだ言葉を聞いていて、自分の身体がバラバラになっていく。動揺しながらも、俺の脳は数術を紡ぎ始めてる。触媒は、手と手の先に……ジャンヌが握った剣だ。俺を拒絶するよう彼女は俺を振り払い、数術の発動を阻止。剣を捨て、彼女が掴んだのは……俺の両肩だった。俺が逃げられないように真っ直ぐ見つめ、彼女は言葉を投げかける。


 「アルドール……情報さえあれば、私と貴方で女王の元まで飛ぶことは出来る。二人とも、死ぬ覚悟があれば、可能です。それで女王刹那は殺せます。そこから私達が生きて逃げられるかは分かりませんが……」


 その後にはタロックとの戦も控えている。ジャンヌを失えば、パルシヴァルしかまともなカードがいない。守りと攻めを同時に行えない、苦しい戦いになる。


 「ですが……貴方は王なのですよアルドール。王が暗殺者の真似事で、国を落としたことは褒められますか? 貴方は、私達の民は胸を張れますか!? 貴方は王です。策略奇策を用いても、兵を使って勝利しなければなりません。王だけを倒して国は終りでないのです。あの女の後釜が現れるだけ。セネトレアは、世界は何も変わりはしません! カーネフェルだって! 他国の民をも従えさせる、王の器がなければ……貴方にこの国は落とせない」


 彼女の言葉に思い出すのは、敵将……双陸。彼はカーネフェルの民からも愛された、心ある侵略者だった。

 少ない犠牲で勝てればいい。なるべく民も仲間も死なせたくない。だけどどうしようもないのなら、その犠牲は肯定する。俺が見つけた正しき王、その姿は……そうあるはずなのに。どうして迷う、ジャンヌの言葉に。


 「フローリプっ……! あと、そのお姉さん!! ここに居るんだろ!? 」


 ジャンヌとのにらみ合いに負けて、俺が視線を逸らした刹那……部屋の扉を叩く、青年の声がした。切羽詰まっているからか、昼間より若干彼の声は高く……フローリアのそれに似ていた。

 なんで分かった? なんて聞く必要はないか。彼が混血ならなくもない話。探査系……情報数術、得意なのか? くらいで納得はする。


 「フロリス!? どうしたんだ? 」

 「説明は後でする、俺が案内するから、今すぐ逃げてくれ!! ……二人? もう一人は? 」


 扉を開いた俺の横、室内を見回したフロリスは……苛立ちを隠さず舌打ち。俺が何かを応える先に、彼は俺を抱えてジャンヌを呼んで、窓の外へと飛び出した。


 「うああああああっ! 」

 「お前達三人だけは、助ける。こっちだ……もう一人も、後から送り届ける! だから、早く山を降りろ! 」

(なんだ、この数式!? )


 落下の衝撃を抑える数術も、使ったのは彼だろう。風と土、それと水……三つの元素が混ざった式だ。着地した地面にはあの、真っ白な花が咲いている。落下前には無かったはずだ。これは彼の数術か?


 「視覚聴覚情報遮断の数式を張った。あとは……この花は、嗅覚情報を惑わせる。精霊憑きであっても分からない。“僕”以外は」


 この花は数式なのか? 精霊なのか? 分からないけどそれを頼りに彼は俺達を見つけたらしい。


 「え、え……ええ!? 」

 「“フロアリス”! 」


 それが彼の精霊の名か? 突如、ハイレンコールに雪が降る。……触れてもそれは冷たくない。白い、白い……小さな花。嗅覚数術、道化師も使った手。それを守りに使う意味とはなんだろう。


 「“フローリプ”、昔と名前が変わったな……」

 「え……? フロリス、“俺”を知っているのか!? 」


 彼自身が張った結界数術で、俺の声は彼に届いていない。彼の独白は、俺へとしっかり聞こえているのに。


 「駄目だ、フロリス。“俺”の名前は……」


 イグニスが言っていた。俺の脳に刻まれた数式があると。本当の名を呼ばれたら……俺は真っ新な……空っぽの人間に戻ってしまう。


 「“リア”……今度は僕が、貴方を守る」


 慌てて耳を塞いだ俺の言葉は聞こえていないのに、彼はそれ以上何も言わずに離れて行った。


 「アルドール……彼とは知り合い、だったのですか? 」

 「分からない。でも……俺達を、助けてくれるみたいだ」


 聞こえた名前は外れだったのか? 俺はまだ、俺でいる。


(リア……? )


 もしかして、渾名だろうか? 心当たりなら……カーネフェ“リア”。もし、昔の俺がそう名乗っていたのなら。それなら彼は、本当に!? 唖然とした。セネトレアで、俺を知る人……。それも昔の俺を知るというならそれは……奴隷になる前の知り合いだ。俺も知らない俺を、彼は覚えているというのか?


 「アルドール、髪に花が……」

 「え? ……」


 ジャンヌに言われて髪を探れば、そこに一輪だけ青い花。また、何かの目印だろうか? 落とさないよう俺はそれを上着のポケットへとしまう。


 「アルドール……良いのですか? 」

 「歩くと、周りの式が移動する。俺達の周りに数式がある。周りに花がある一帯は……移動しても大丈夫だ」


 フロリスが目印の花を残したのは、俺達が移動することを見越してだ。彼を信頼した前提での俺の言葉……ジャンヌは少し不安そう。


 「アルドール……貴方は何故混血を、無条件に信じるのですか? 」

 「それは違う。今は信じるしか、手がない。だから信じた」

 「嘘です」

 「そうかも。……でもジャンヌ。こんな凄い技……代償が何か分からないけど、彼は凄い代償を支払っているはずだ」


 例え混血であっても、小さな村であっても……この一帯を、山一つ埋め尽くす数術を使ったんだ。代償がなんであれ、命を削る行為に直結している。


 「俺達のためにそこまでしてくれる。返せるものは何もないから、せめて信じたいじゃないか……それに、彼もこれまでみたいに、イグニスの仲間かもしれない」

 「……そう、ですね」

 「俺達も、ランスとリオさん……聖十字の人達を探そう。失わずに済むなら、その方が良い」

 「ええ……」


 ジャンヌと俺はぎりぎりの所で決定的な仲違いを回避できた。フロリスのお陰だ。彼が何であっても助けられたことは事実。出来れば彼も無事であって欲しいと、願うことしか出来ないけれど。急ぐ先、花の雪はまだ……ハイレンコールに降り続けていた。


 *


(……真夏に雪、だと!? )


 数術の使いすぎて、頭がいかれてしまったか? ランスは我が目を疑った。


(違う、あれは……元素だ! )


 土水風……数値では、火以外全ての元素が含まれる。それならば……! 


 「力を貸してくれ、“母さん(ヴィヴィアン)”っ! 」

 《やーっと……私を呼んでくれたわねランス! 好き好き大好き愛してる結婚しましょう式はいつっ!?》

 「えっと……母さん? 」

《 信じていたわ! それでこそ私の息子っ!! 》


 窮地に呼ぶのは友の名だった。その友が、もういない。母ではない存在を、母と呼ぶことは……自分を否定する行為。だけど俺が今、呼べる名前は他になかった。


 《ランス……頑張ったわね。でも母さん、涙でよく見えないわ! 最後まで喚んで貰えなかったらどうしようかとハラハラしてたわ! 私の触媒他の子に、貸してしまったりもしてたし》


 解放するは、保管数術。その存在の名を知ったのは先日。概念ならば知っていた。離れていても母さんは、俺を祝福してくれる。その意味は……彼女の力の大半が、既に俺に預けられていたから。保管数術、その名を聞いてやっと分かった。俺が水の精霊を従えさせられるのは、俺に母さんの元素が保管されていたからなんだと理解した。


 《私の愛息子虐めてくれたのはどこのどいつかしら? 本気モードのヴィヴィアン様が相手になるわよ! 》


 触媒としての使用限界を超え……首飾りの石は割れ、召喚されるは妖精サイズの湖の精。その小さな精霊が、保管された元素をとあの花を……糧とし力を増していく。


 「保管、数術……!? 純血が……容易く辿り着くなんて」

 《お生憎様、うちの息子は凄いのよ! うちのランスに出来ない事なんてないのよおほほほほほ! 便利な式を見せたのが運の尽きね! 》


 空っぽで、中身のない箱だと自分で思ってた。そんな俺の中にも、知らない内に詰まっていった中身があった。与えられる愛情が、預けられた信頼が!


(壱の俺なら、環境数を……外部要因を力に変えられる。幸福値など知ったことか! )


 数術を扱うに、足りないのは計算処理をする脳。読めるし見える、俺は紡げる。壊れる覚悟さえあるのなら、俺はまだ戦える!


 「母さん! 」

 《ええ! 》


 掌サイズの姿から人と同程度の大きさに。元の姿を取り戻した精霊を、剣に宿らせ俺は構える。


 「保管精霊を引き抜くなんて……防御が全くなくなるじゃない。血迷ったな、騎士よ! 」

 「……これで終りだ! 」


 突き刺すのは女にではなく、足下へ。石床に剣を突き立てた俺の行動、理解できずに彼女の顔には、呆れと嘲笑が。しかしすぐに凍り付く。その表情と……その足が!

 この砂漠で水源を探すのは困難だが、水の元素をも豊富に含む花が地面に室内に……大量に落ちているのだ。


 「どれだけ多くの兵を集めても……動けなければ意味はない。勝負あったな第四公! 」

 「それはどうかしら? 次の手はもう打ってある。聖女ジャンヌは唯の小娘。精神力は並の人間と変わらない」

 「!? 」

 「全ての拠り所を失った彼女は、被憑依者に成り得るわ。そしてカーネフェル側に、彼女を殺せる人間は居ない」

 「貴様っ……この俺を脅迫するか!? 」

 「この私を殺さない限り、貴方達の窮地は終わらない。だけど私を殺した事を、彼女が知ればどうなるか。この身体は、私は……ジャンヌ=アークの大事な師だろう? 」


 足から止めても意味はなかった。女の手はまだ動く。俺へと向いた教会兵器。動けぬ俺の目の前で、彼女はゆったりと新たな弾を詰め込み笑う。

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