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0,8:Omnes aequo animo parent ubi digni imperant.

エルス君がなんか後半エロス君になってる注意報。カーネフェルの夏の暑さは異常。暑いから変なテンションなんです、きっと。

 ユーカーが飛び上がった先、そこから煙が上がって見えた。もう少し上の階だ。ランスへ彼女のことを頼んだのは、その新しい厄介事に彼を近づけたくないからだった。

 この耳鳴りの感じを、俺は知っている。ユーカーは確信を持って、室内を潜り抜け階段を飛び上がる。

 そして爆発音のあった部屋に向かえばそこは、落ちてきた少女が居た部屋だ。


 「イグニスっ!アルドールっ!!」


 扉を蹴り開ければ、そこには二人の他に……少女と見紛う様な面持ちの少年が一人。艶やかな黒髪はタロック人のそれ。しかしその薄すぎる赤。紅水晶の瞳は彼が混血と呼ばれる生き物であることを示す。


 「……やぁ、セレスタイン卿ユーカー。久しぶりだね」

 「エルス=ザインか……とうとう来やがったな」


 少年の周りはゆらゆらと揺れる小さな炎が浮かんでいる。先程の爆音はこれの仕業だろう。カーネフェルの石材は炎を囲い込む。城の中で燃やしたら……それは外には広がらない。しかし城の中はとんでもないことになる。それをなんとかするために神子は今数式を描いている最中のようだった。アルドールはその時間稼ぎをしようと思ったらしいのだが、完全に劣勢だ。精神状態の所為もあるとは思うが、相変わらず情けない。一度エルス=ザインに勝ったとか聞いたが、おそらくまぐれだろう。


 「いい加減そろそろここらで決着付けようぜ」


 俺は得物の混血剣セレスタイトを抜刀。俺に居合いなんて概念はねぇ。これで戦闘態勢ってもんだ。しかしよく辺りを見渡せば、何人かの兵士が倒れている。数術発動までの時間稼ぎに使われたのか。しかし、エルス=ザインも数術使い。数式が完成する前なら、普通の兵士でもなんとかなる可能性は高い。エルス本人は唯の非力な子供のはず。


(それとも何か、隠し持ってやがんのか?)


 迂闊に距離を詰められない。詰めようにも倒れた兵士達が邪魔だ。まだ息はあるようだし踏みつけるわけにもいかないだろう。それが止めになったらちょっと俺のトラウマになる。

 流石はカーネフェル。ヘタレ兵士達は王を見捨ててどこかに隠れている。僅かに勇敢さを持ち合わせた男達もこの様だ。都の連中は都の自宅警備もとい王宮警備に忙しく、実戦経験が怪しい奴ばかりだったのだろう。王の前で恰好付けて出世狙ったか、何処かの貴族に頼まれて、そのコネ作りの手伝いのために送り込まれた奴らなのか。まぁ、下心があっても逃げなかっただけ立派だ。これでエルスの一人や二人、倒してくれたなら俺だって勝手に出世してくれて構わないとは思うのだが。生憎あいつはカード。これで一般人はカードの相手にもならないことがよく分かった。それを証明してくれただけでも、十分感謝してやる。


 「遅いですよセレスタイン卿」


 俺の戸惑いまで……相変わらず全部お見通しを言わんばかり。クソむかつくが色だけは綺麗な琥珀色の目で神子は俺を睨み付ける。文句ならトリシュ辺りに言えよクソ。俺はこの階段上るのだって、緊急事態まで駄目だったんだ。


 「おいクソ神子。お前は本当に俺を馬車馬か何かと勘違いしてねぇか?」

 「失敬ですね。そんな風に思われていたなんて。僕は唯貴方のことを……アルドールの奴隷だと思っているだけです!」

 「余計悪いわっ!!俺にだって基本的人権の一つや二つあるんだからな!」

 「ふっ……貴方にしては面白い冗談ですね。最大多数の幸福の前に貴方一人位の人権なんて僕の権力で幾らでも握りつぶせますよ」


 仮にも聖職者がこういうこと言っちゃいけないと思う。しかしまぁ……短い間とはいえ、この神子……イグニスという少女の性格を俺も多少なりとは理解した。別に相手が女だって解ったから多少加減してやってるとかそういうわけではない。こいつが何考えてるのか何て未だによくわからないが、その苦しげな表情から数術を酷使させてはいけないのは見て取れる。


 「……ったく。仕方ねぇ」


 俺は兵士達を踏まないように飛び越え、二人の前に立つ。それに意外そうな声を出したのはアルドールもとい新カーネフェル王。


 「ユーカー……」

 「にしてもお前は本当になぁ。またそうやって情けねぇ面してやがる」


 なんでこんな情けない子供が、カーネフェル王なんかになってしまったんだか。従兄への義理とはいえ、こんな子供を守る俺の立場にもなってみて欲しい。いや、ほんと。ろくな仕事じゃねぇよ。


 「仮にもカーネフェル王ならもうちょい踏ん反り返ってろ!無意味にな!てめぇは守られる価値があるって周りの馬鹿に思い込ませたもん勝ちだ!」

 「そうか。でも大変じゃない?荷物背負って戦うのってさ」


 黙りこくったアルドールの代わりに、エルス=ザインが俺を嘲笑う。そんな奴を、俺も余裕の笑みで嘲笑ってやる。


 「なぁ、自称道化師さんよ。お前は他のジョーカーを知ってるか?」

 「何?心理攻撃ってわけ?」

 「俺は会ったぜジョーカーに。完全に遊ばれてた。見えない俺でも理解した。幸福値が桁違いだってのに。……俺はあいつに敵わねぇ。対峙してると何時心臓握りつぶされるかって気持ちになったもんだ」


 そうそれは事実。あの得体の知れない影と対峙したときのような恐怖がこの少年相手には微塵にないのだ。十分油断ならない相手なのは解っている。それでも……ここに絶望はない。


 「だけどな、てめぇにはそれがねぇ。あん時は空気の飲まれたようなもんだが、なんとかなりそうな気がするんだよ」

 「言ってくれるじゃないか」


 エルス=ザインが真顔に戻る。怒りのボルテージが大分上がって来たようだ。よし、良い感じだ。別に俺たちはここでこいつを倒す必要はない。目的は余所にある。エルス=ザインがそれを知る由は勿論ないが。


 「お飾り王!本の虫!説明してやれ!タイトル『トランプとタロットの違い』」


 かけ声としては妙な言葉だ。俺はそれを唱えて走り出す。


 「え?」

 「言ってやれ!アルドール!」


 俺の付けてやった愛称では自分が解らないとは、何とも個性と自己分析の足りない男だ。

 エルスの周りを浮遊することを止め防御に回った炎を切り裂きながら、俺はそんなことを考える。しかしどういう絡繰りか。切れば切るほど炎の数が増えていく。これは本体を仕留めるまで終わらないっていうことか。


 「ええと……トランプと小アルカナは似てるけど、まずスートが違って……それからコートカードの枚数に決定的な違いがある」


 妹からの受け売りだろう。先程のことを思い出すのは俺もこいつらも辛いが、そうも言っていられない。荒療治だが、教えて貰ったことを有効活用させてやれ。それで感謝でもしてやれ。それが今お前に出来ることだアルドール。


 「なるほど、そこに気付きましたか」


 神子は初めて俺を少し褒めるような口ぶり。知ってたならもっと早くに言えと怒鳴ってやりたいが後からにしよう。俺はそこまで空気の読めない男じゃないからな。

 この場で空気の読めない奴は、部外者である一人に絞られる。鎖国された国にいたんだ。外に来てまだ間もない。此方の文化など余り知らないことだろう。博打にトランプは使われるが、タロットのそれも小アルカナなんて持っている奴はセネトレアの船には一人もいなかったことだろう。だから、やはり解らない。


 「……何勝手に内輪ネタ走ってるの?」


 術者の戸惑いに、炎も揺れ動く。これは良い傾向だ。俺は押しを強める。


 「そうか。わかんねぇなら更に教えてやろう。俺の知るジョーカーは、空白のカードなんかじゃなかった」

 「え!?」


 これにはアルドールも驚いている。それが如何にもそれっぽい。こういう馬鹿には最初から教えるよりも、教えずにいて天然サクラとして用いるのが有効活用。こいつが驚けば、エルスもこいつが演技で上手に嘘を吐けるような人間じゃないのは知っているからなのか、それを信じて疑わない。神子だけが、僕は何でもお見通しですみたいな不敵な笑みを湛える。それが受け取りようによっては俺の肯定にも見える。勿論俺は道化師の掌も手の甲も見てなんかいないわけだが、不審と自信喪失を植え付けるには持ってこい。

 道化師からやられた分、他の奴の精神いたぶってストレス解消でもしなきゃ俺もやってられん。そのため話術があいつに似てしまっているかも知れない。


 「タロック生まれのお前にゃわかんねぇだろうがな、小アルカナにはナイトクィーンキングの他に、もう一枚コートカードがあるんだよ。そいつはペイジ。言うなれば小姓、見習い騎士ってところだ。そしてトランプのジャックはまぁ召使いやら騎士やらいろいろ言われているんだが……もしこの審判が、トランプじゃなかったらお前は一体誰なんだろうな?エルス=ザイン?」


 もしもジャックがナイトなら、ペイジはナイトに敵わない。つまりこいつは俺や神子が倒せるカードだと言うこと。勿論確証はない。唯の俺の勘だが、神子が何も言わない辺り、少し信憑性を増している。俺の間違いがあれば、あの神子が正さないわけがない。あいつは常に俺の粗探しをしているような奴なのだから。

 無意味に自信たっぷりに言ってやれば、その空気に飲まれるのは今度は奴だ。俺の言葉に、これまでの絶対の自信を失うエルス。集中力を奪えば、数術使いなんて恐れるに足りない。数式を完成させられない子供は俺の敵じゃない。


(馬鹿だぜ本当に)


 敵の言葉に耳を傾けること自体が間違いなのだ。俺は道化師と対峙して、それを痛烈に学んだ。何も聞かずに敵は叩き斬れ。理由も言い訳も後から考える。

 これで終わりだ。迷い泣く、振り下ろす一閃。それは手応えと呼ぶには、些か硬いもの。


 「……っ!」


 俺の殺気に我に返って、あいつは咄嗟に飛び退いたのだろう。それでも俺の得物のリーチから完全に逃れることは出来なかった。肩から胸にかけて、白いあいつの着物に一線の赤い色が滲む。しかし致命傷には至らない。隠し持っていたらしい小太刀が床へと落ちる。その鞘に急所を守られたのだ。

 斬られた衝撃でふらついて床に、座り込むエルス。小太刀を拾い上げて、負けじとそれを構えてみせる。まだやる気らしい。

 それどころか、その口元には再び笑みが浮かんでいる。怒りの余り狂ったのか?いや違う、逆に冷静になっているようだ。


 「……そうだな、ここは一つ礼を言っておこうか?」

 「おいおい、どんな変態だよお前は」


 とりあえずツッコミはしたが、空気が飲まれていく。空気から伝わる殺気に肌が震える。あ、死ぬなこれ。とは思わないが、少々やばいなとは思う。


 「契約数術って、君たちは知っているかい?まぁ、代償を支払うことで、大きな数術を使えるようになる特殊数式のことだね。そしてこれは本来の数術とその代償とは独立した契約だ。それは契約相手によって代償が異なる」


 専門用語を連発して、疎い者を迫力で飲ませる。理解出来ない気持ちが生む軽い混乱に乗じて、こいつはやる気だ。


 「さぁ、おいで……代償は支払った」

 「下がりなさい!ユーカーっ!!」


 名字で呼ぶのも時間が惜しいと、神子が大声で怒鳴る。それは今から起こることを知っているかのようだ。っていうか何時も思うんだが、解るなら教えろよ。勿体ぶらずに。


 「いいよねぇ、カーネフェルって。この国の夏ってこんなに暑いんだ。タロックとは大違い」


 笑うエルス=ザインの足下から生じる耳鳴り、不協和音。何か、来る。とんでもないものが。


 「くそっ……」


 ランスの手前、恰好つけただけに俺は逃げ帰れない。まだその時じゃないんだとしても、こいつはここで暫く動けない程度には痛めつけておいてやりたい。


 「てめーらから逃げろっ!」

 「この頼りないアルドールを僕だけで無事に逃がせると思うんですか!?」


 なんとも回りくどい“助けて”があったものだ。

 俺が何かを言い返そうと思ったときだ。耳障りな雑音が不意に聞こえてくる。それは何処から?すぐ近く。エルスの足下だ。それは視覚的にもノイズ。目の前が黒くて小さい何かで所々遮られている。


 「夏の悪魔力の一端。その恐ろしさ。とくと見せてあげるよ」

 「お、おい!何だあれ!!俺にも見えるぞ!?」

 「そりゃそうですよ!あれは、空間転移の数術です!唯対象の情報量が少ないからあれだけのことを引き起こしているだけで!!」

 「少ないってあれがか!?」


 耳障りなそのノイズは羽音だと俺は気付いた。唯その数が尋常じゃない。部屋中黒い点だらけ。それは群れを成しながら俺たちへと襲い来る。その数、ざっと……


 「数えられるかあんなのっ!!」

 「そうですね。10万匹くらいいるんじゃないですか?」


 足が遅い神子を面倒臭いが抱えて走ってやると礼も言わずに後ろを振り返り、襲い来る漆黒の数を数える。そんな場合か。


 「てめーももたもたすんな!走れ!!」

 「あ、う……うん」


 何ちょっとその役目は自分がやりたかったみたいな顔してんだ馬鹿ドール。鍛えてもいない元引き籠もりのお前が、神子抱えて走れるわけねぇだろうが。そう言うのは一丁前になってから言えってんだ。


 「運が良かったねセレスタイン卿ユーカー?君がボクに致命傷でも負わせていたら、こんなものでは済まなかったよ?」


 アルドールをすぐに殺すつもりがないのか、エルス=ザインは追ってこない。追ってくるのは黒い風。いや、風なんてものじゃない。これは害虫の凱旋だ。


 *


 「…………騒ぎを起こすとは聞いてはいたが」


 城の方は混乱の渦に包まれている。次々と城から逃げ出してくる人間達。それを追うのは黒い風だ。双陸(シュアンルー)はその光景に言葉を無くす。

 唯何となく、夏の暑さを思いだしていた。そうだな。夏だな。だからか。夏の風物詩だな。十分恐ろしい策だが、あの数術使い殿にしては可愛らしい悪戯だ。そう思うのは自分が慣れてしまったからなのだろうか?

 やがてその風は散り散りとなり、街の中へと溶け込んでいく。そうして街のあちこちから上がる、悲鳴……悲鳴。


 「やぁ、双陸」


 やがて背後から聞こえてくる声。振り向けば只今と言わんばかりの満面の笑みを湛えたエルス。


 「何をした?」

 「別に。唯ね、沢山人質を取っただけだよ」


 少年はくすくす笑う。


 「後はもう少しすれば、カーネフェル王の方から首を差し出しにやってくるよ。もしそこで彼が逃げたなら、国民は彼を見捨てる。タロックへの服従の方がマシだと考えるかもしれないね」


 そう言いながらエルスが合図を送れば、関所の門は開く。具合の悪そうな兵士達が、助けを求めるように頭を垂れる。それは全員金色の髪を持つ、女ばかりだ。


 「本当にカーネフェルには女しかいないのだな」


 子供ほどではないが、女人を切るのも些か抵抗がある。無血開城がなるならそれに越したことはなかった。


 「それにしてもエルス……お前は一体何をしたんだ?」

 「カーネフェルの人口の大半は女だ。それはカーネフェル軍も同じ事。ボクはその全員を人質にしたんだ」


 事も無げに彼は言う。彼の先導に続いて、双陸率いるタロック軍も都に入場。即位式のその日にこんな事になるなどと、彼らも思わなかっただろう。出来ることなら即位の前に終わらせられれば良かったのだが、もはや過ぎた話だ。

 辿り着いた城は蛻の殻……とまではいかないが、殆どの男兵士は逃げていた。残っているのはやはり怠そうな女兵士やら、倒れ込んでいる女兵士やら。


 「……ここが都か」

 「これはまた……色っぽい歓迎だな」

 「おい、あっちの姉ちゃん見てみろよ!すげぇポーズで倒れてやがる」

 「そうか、据え膳とはこういう時のためにある言葉だったのか」


 それを見て目の色を変えた兵士もいたが、双陸は一睨みしてそれを黙らせる。タロックには女が少ない。女を手にすることが出来るのは上流階級の者ばかりで、多少飢えている輩がいることは否めないが、自分に任された者達のなかから、そんな不届き者は出したくなかった。そんなことを許しても、どうせろくな事にはならない。


 「今度そこらの女に色目使った奴、ボクが直々に去勢してあげるから並んでね?ちゃんとチェックしていてあげるよ。ボクってさぁ結構地獄耳だし?」


 何が気にくわなかったのかわからないが、エルスの微笑みに不届き者が震え上がる。この少年の恐怖もこういう時は役に立つのだなと少し感心した。


 「しかし何が気に入らなかったのだ?」


 むしろこの少年なら煽り立てそうなものだが。唯の気まぐれだろうか?


 「ボクみたいな可愛い子がいるのに、女だからって理由だけで他の奴がちやほやされてるのって苛っとするんだよね」


 そういう問題でもないとは思うがプライドの高いこの少年のことだ、そう言う問題だったのかもしれない。


 「まぁ、それでもねぇ。うん、気持ちはよく分かるよ。もう我慢できないって奴がいたら後でボクの部屋においでよ。ボクがすっごいことしてあげるから」

 「俺の部下に変な色目を使わないでくれ」

 「五月蠅いなぁ。別にいいじゃないか。減るものでもないし」

 「そう言う問題でもないだろう。お前がそういう怪しげな言動をしているから、何かタロック軍への語弊が広まったんじゃないのか?」


 自分たちがここまで進軍するまでに結構酷いことを言われてきたのだ。何処の誰が広めたのかわからないが、タロックはこの偏った人口減少、少子化の所為で男ばかりが生まれる。そのため嫁を手に入れられない男が多いとか、そのため衆道に走る輩がわんさかいるだとか。根も葉もない噂なのだがそれがカーネフェルでは偏見として根付いてしまっているようで、兵士でもない一般人が、人を悪魔みたいに罵って唾を吐きかけてくるわ石を投げてくるわ。正直温厚な方な自分も少しばかり……泣きたくなった。ここまでよく我慢したと思う。後でこっそり泣いても良いと思う。

 とか思っているのにこの少年と来たら……


 「実はボクの性別気になってる人いるでしょー?二人っきりでならあんなところもこんなところもじっくり見せてあーげるー」


 お前は男だろうと、言い返したくなったが何やら疲れてきたので止めた。多分口調から少年だろうとは思っていたが、華奢な外見は少女のようだし確信はなかった。最終的に知ったのは双陸もつい先日。手当をした時だ。だがそれとこれとは今は関係ない。俺の頭も支離滅裂だ。


 「だから、いい加減にしてくれ。お前達もそこで生唾を呑み込むのは止めるんだ」


 おかしい。ここまで進軍を続けてきて疲れているのか皆は。最初はエルスを胡散臭いだとか混血は信用できないとか薄気味悪いとか言っていた兵士まで、何やら息が荒くはないか? カーネフェルの夏は確かに物凄く暑い。タロックの夏とは比べものにならない。その長い距離を超えてきたのだ。多少おかしくなってしまっても仕方がないのだろうか?しかしそこで拍車を掛けるような言動は慎んで貰いたい、切に。


 「金髪巨乳の美女が良いって? このマザコンがっ! そんなに乳が好きなら酪農でも始めたら?毎日絞り放題じゃないか! っていうか時代は黒髪ロリに決まってるよ。組み敷いたときの犯罪臭と背徳感と征服欲が堪らないだろう? 今同意した奴、後でボクの所に来るように。頭と頭の文字が付く別のものをなでなでしてあげる」

 「正気に戻ってくれ呪術師殿っ!! お前もこの暑さに参って居るんだろう実はっ!! そこの店主!氷菓子を一つ頼む!!」

 「へい、まいどありー!アルドールフラッペ一つお買い上げですね」

 「ああ、幾らだ?…………アルドール?」


 それが新たなカーネフェル王の名前か。しみじみとその名前を半数。


 「いや、あの憎きカーネフェル王も、かき氷になると少し可愛く思えるよ。うん美味しい」


 さくさくと氷菓子をぱく付くエルス。彼は暑さで頭の螺子が何本かやられてしまっているようだ。まだ何時も通りには程遠い。兵士達に一口ずつ配り歩いている。何あの優しさ。いつものエルスならそんなことしないのに。なんだこれ。何なんだこれ。俺は悪夢でも見ているのか?いや、いつものエルスの方が悪夢的存在だとは思うが、それがないとないで何か腑に落ちないものを感じるのは何故なのだろう。

 しかし何ともカーネフェルの人間は暢気なのだろう。何事もなかったかのようにまだ商売を続けている。一応俺たちは敵国の人間で、もう攻めて都まで攻め落としたというのに。平和呆けというのだろうか。違うと思うが、何にせよこの国は危機感が足りていない。敵ながら、心配になった。もう終わる国のことではあるが。


 *


 「それで人質とはどういうことなんだ?」


 カーネフェルの王宮にタロックの旗を掲げて、完全に攻め落としたことを知らしめたはいいが、この都の人間の何割がその意味を理解しているだろう。まだ街の中では、アルドールクッキーやらアルドール饅頭やらアルドール煎餅やらが売り出されている。俺たちタロック軍が攻めてくるのを知っていて、敢えてアルドール煎餅や饅頭まで販売したのかと思うと感慨深いものがある。そこまでして売りたいか。何故その前に逃げないのだ。意味が分からない。

 とりあえず城の物を物色して、久々にまともな食事にありつけ、兵士達は少し落ち着きを取り戻した。しかし今度は戦が終わった興奮から、また妙な熱狂に包まれる。

 倒れた女性達は、第一聖教会に運ばせて、其方で面倒を見て貰うことになった。しかし原因は不明だという。それもそのはずだ。それはエルスが引き起こした数術による呪いなのだから。


 「まぁ、唯滅茶苦茶にして良いなら別にボクもさ、兵士の兄さんやらおっちゃん達がはっちゃけてくれてそれで良いと思うんだけど。今回はそうじゃないんだ。慣れないことはするものじゃないね。ちょっと疲れたよボクも」


 あのおかしなテンションは彼が何時も通りを封じたがための空回りであり反動だったらしい。


 「希望として祭り上げられた王様を、惨めな人間だってここの人間達に思い知らせてあげなくちゃいけない。もう夢も希望も見ないように、現実ってものを教えてあげるんだ。そのためには僕らが悪役になっちゃいけない。僕らはあくまで紳士的に物事を攻略しなくちゃいけない」


 まぁ、後は双陸に任せれば自然と上手く行くと思うけどと、嫌味か褒め言葉かよくわからない言い方で彼は俺を持ち上げた。そうして今回のネタを明かし始める。


 「タロックは毒の王国と呼ばれるだけあって、いろんな毒を持った虫がいるよね。その中には特徴的な蚊も居てね……君も聞いたことくらいはあるんじゃない?」

 「……ああ、女だけを刺す蚊が居たな。確かに。しかし、あれはそんなに寿命の長いものではないだろう?」


 男は刺されない。だからタロック軍に問題は生じない。戦力低下が著しく現れるのは女兵士の多いカーネフェル軍だけ。そんな便利な物があるならもっと早く使ってくれればいいものを。そうは思ったが、別にカーネフェルの民を根絶やしにしろという命令が下っているわけではない。侵略は侵略をして終わりではない。支配した後の事を考える計画性も大事。だからそう考えるなら、使い所は今しかない。


 「だからこその温暖なカーネフェル様々だよ。ここは冬なんてないような土地だよ?そしてボクはちょっとした伝手でその蚊の全ての確立を引き上げた。まぁ、病気の質を高めたってことだね。この意味がわかる?刺されれば女は必ず発病する。そういう仕掛けを仕込んだ」


 簡単に言ってくれるが、さらっと凄いことを言ってはいないか?そんなことはあり得るのだろうか?万物が数字であり、その数を操る数術使いにはそういうことも可能なのか。なるほど、にわかには信じられないが呪いとは恐ろしい物だ。しかし毒と薬は使いよう。


 「詰みということか?」

 「あははっ!正解!王手だよ」


 エルスは腹を抱えて笑い出す。少しいつもの彼らしくなってきた。


 「そうだね、潜伏期間に個人差はあるけれど即日から一週間くらいで発病。そこから一月以内に必ず死亡する。治療が遅れれば、脳や身体に後遺症が残ることもある」

 「つまり……一週間以内に王が降伏しないなら」

 「カーネフェルの人々はばったばった死ぬことになる。そしてその病気の治療はボクにしかできない。ここからは噂祭りだよ、双陸!ボク、そういうの大好き」


 今まで言いがかりを付けられた分、沢山復讐出来るよとエルスはくるくる回って喜びの舞を披露する。そしてにやりと悪い笑みを浮かべる顔が一番、彼らしいなとなんとなく思った。


 「聞いた話だと、あの少年王はシャトランジアから渡ってきた。そしてこの病が広まったのは彼が都に来た後だ。後は解るね?」

 「…………我が軍の数術使い殿はなんとも恐ろしい事を言う」

 「自分で病気を運んできて、それで逃げ隠れ。民を見捨てて逃亡するような王なら、民の方から願い下げ。無実の罪であろうとも、彼はもう有罪なんだよ。民のために首を差し出して当然。犯人は、彼なんだから」


 味方が敵に、敵を味方にしてくれようと呪術師は言う。それはまるで奇術。魔法だ。恐るべき、言葉の魔術だ。

 民のためにと無実の罪を被っても、民はカーネフェル王を崇めない。それが当然の務めだと言う。無実を主張して逃げれば、民が敵になる。逃げ出すことは許されない。王とは国と共にあり、共に生き共に死ぬべき定め。その役目を放棄することは、王の資格を失うこと。


 「ま、逃げるならそれでもいいよ。唯、民は彼を見捨てるだろう。そしてタロックに靡く」


 机に方杖を付くエルスは、上機嫌。椅子の下で両足プラプラさせている。


 「タロックは毒の研究が進んでいる。だから自然と医学の方も発達している。だから偶然ボクらはその治療法を知っていた。王が彼らを見捨てるなら、可哀想だからって救いの手を差し伸べてあげるわけ。そうすればたちまち僕らはカーネフェルを救った英雄さ。これで人心までの侵略完了。ここで完全に王手ってわけ」


 なんともまぁ、呆気ない終わりだ。長らく続いた戦争の終止符がこんなあっさりしたものだとは誰が思っただろう。誰も思わない。だからこそ、城の外広がる異国の景色は……今もまだ暢気に騒がしい。侵略が終わった実感がまだないのだ。だから彼らもまだ負けた気がしていない。しかしそれもあと一週間だとエルスは笑う。


 「ここまで来れば後はカーネフェルの民が王を虱潰しで探して吊し上げてくれる。君はまぁこの都を支配してくれているだけでいい」


 「これで、めでたしめでたしだよ」

相変わらず正々堂々戦わない奴ら。こんな侵略って……侵略って……


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