おまけ「メルティローゼ、旦那様を独り占めする日のこと」
のばらの誕生日は10月。
これは、あちらの国のメルティローゼとも重なる。
そんな日は、特別に暮らしたい。
これはふたりとも同じ感覚。
だから、今日は『元王子 陸』を独り占めする日だと、彼女はひとりで決めていた。
「お母さん、今日はプレミアムなあれを買う日」
なんとなく気だるそうに声を出す百合菜に、のばらは構わず張り切った声を出す。
これも以前と同じ。
「リリー、嬉しいわ。覚えていてくれて」
そう言ってアラフィフが頬を染めて嬉しそうにしている。
百合菜の百合の部分が英語で『リリー』というということを知って、のばらは百合菜のことをそう呼ぶようになった。あの事故の前なら、完全拒絶で戦ったことだろう百合菜だったが「お母さんがそう呼びたいんだったら、それでいいよ」と言ってしまった結果だ。
少し後悔している。
だけど、こんな母も嫌いじゃないな。
嬉しそうにビールを二缶。
「まぁ、今日はお慈悲の日じゃなくて!」
とセールの表示で真面目に喜んでいる母を見て、百合菜はやっぱりお母さんなんだなと思ってしまう。
だけど、お慈悲の日って。
百合菜は心の奥で笑うのを堪えてしまう。今の母はこういうおかしさが多々ある。あの事故で頭を強く打ったせいだとも言われている。
「リリー、あなたのその目立とうとしない気配り能力はきっと国王様にだって引き立ててもらえると思うわ」
そんな変な褒め方をされながら、百合菜は母のばらを考える。
だけど、事故の前の母もセール品を好んでいて嬉しそうにしていた。
「百合菜、今日はスーパー万来で、タイムセール! 荷物持ちに来なさーい!」
と喜び勇んで百合菜に声を掛けて、連れて行く。
あの事故の後から、確実に言葉遣いは変わってしまっているけれど。
「リリーのことは任せてと、この体に誓ったのよ」
とても不思議な誓いまで持っている。
あの事故から変わったことは、たくさんある。だけど、根本的なところは変わっていない。
百均に必ず寄ること、お菓子売り場で必ず5分は悩むこと。
体型の部分は、今は説得力のある悩み方ではある。一応摂取カロリーを見てから買うのだ。
「リリー、今日は特別な日。あなたも好きなお菓子とジュースを持ってきなさい」
「えっ、いいの?」
「えぇ、なんでもいいわ」
ビールのセール分で浮いたはずの部分は、こうしてなくなる。そんな部分も。
だから、お母さんなのだろうなと思っている。
だけど、一番不可解なところは、あれだけ毛嫌いしていた父との仲が良くなったこと。ほら、今も、「リクのおつまみは何が良いのかしら……」とスルメや梅ピー、チーズなどに頭を悩ませている。まぁ、すでに自分のためにとデザートチーズを買い物カゴに入れているところは、母らしいのだけど。
今夜もマンションの屋上で、星空ではなくしょうもない夜景を見ながら、ふたりで晩酌をするのだろう。
自分が住んでいる建物のてっぺんで、自分たちの住む町の発展を眺めるという、よく分からない自己満足と共に。
「これ」
「リリーはブドウが好きなのね」
「別に好きとかじゃないけど……」
言い当てられて口を尖らせる百合菜に、のばらはにっこり笑う。そんなのばらに、百合菜がぼそぼそ言った。
「あのさ、お父さんは、塩っ辛かったらなんでもいいんじゃね? ポテチでも喜ぶ」
記憶がところどころ抜けていて、さらには夢の中の記憶を本当だと信じていると思われる、母。心配で『ついて来い』と呼ばれなくても、買い物へと付き添ってしまう。そんな百合菜だ。
「やっぱり、リリーは観察力もあって素晴らしい娘だこと」
そう言って、あっさりお菓子売り場へ向かい、今度はポテチの味で唸っていた。
やっと決まったのは、10%増量と書かれた、なぜか一番高い奴。
レモンサワーソルト味だって。
新商品選びやがった。私だって食べてみたくなるじゃない。美味しさの保証はないけど。
そんな百合菜の気持ちを読み取るように、母のばらが百合菜に言った。
「今夜はリリーも一緒にいらっしゃい。この体にとって特別な区切りである50年。この年齢でこれだけ元気でいられるだなんて、快挙よ。きっとあなたのおかげなのよ」
娘にして侍女だと思われている百合菜。だけど、健康でいられるのは、きっとこの子のおかげなのだ、と信じて疑わないのばらに、恥ずかしくなった百合菜は笑顔を隠してしまう。
今の母は、年齢よりも若々しく見えるし、いつも前を向いている。
「この調子だったら100まで生きられるんじゃね?」
百合菜が零した言葉に、のばらはにこにこ笑って「あなたが言うなら、きっとそうね」と足取り軽く、レジに向かった。
そんな母のばらの背中を見て、やっと笑顔をこぼした百合菜は、まぁ、元気でいてくれればいいや、と呟いて、その背中をゆっくり追いかけた。




