のばら、踏み出す
大きな白い門構えには、この家の紋章であろう百合の花があった。ローゼはそこの第二子であり、母と、兄一人、妹3人と暮らしていた。そんな、メルティローゼの記憶溢れる屋敷に着くと、彼女の生きた膨大な記憶に、のばらは一瞬めまいを覚えてしまった。
父である公爵はもっと王都に近い場所にいることが多い。今日いらっしゃるのかどうか、それは分からないが、この婚約破棄も私よりも早くに知っていたのかもしれない。だとすれば、わざわざ、自分で伝えるというリック殿下は、誠実なのか、自意識が高いのか、それも分からないのだけど。
まぁ、惚れた女の前で良い格好したかったというのはあるのだろう。
まさか、勝手に婚約破棄を突き付けたわけでもあるまい。
若いって、やっぱり人を簡単に傷つけようとするものね。この子を含めて。
片頭痛を起こしながら、沙汰が下るまでの数日間。それをリリーが支えてくれていた。
「大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫」
少しずつ馴染んできた記憶に、めまいを起こさなくなってきた私は、そんな風に答える。
「お父様はお帰りなの?」
一応、そんなふうにも尋ね返してみる。
「えぇ、昨日からお部屋にお籠もりでございます」
頭を抱えて引き籠もっているのか……。
さて、私の行く末はどう転ぶのだろう?
申し開きは出来なさそうだし、ひたすら謝るしかないのかも。本当に、どうして、私がこの子のために謝る役目になっちゃったんだろう?
あぁ。……。
自分を棚に上げながら、顔もよくないくせに収入もないとずっと陸に言い続けた罰かしら……。
百合菜が反抗期でかわいくないと思ってしまったからかしら……。
家族が楔のよう……と思ってしまったからかしら……。
フルで働きに出ようとして、ブランクに自信をなくして、彼らのせいにして家に籠もっていたからかしら。ふと家事のアレこれは誰がするんだろう、これは誰が引き継いでくれるんだろうと思い耽ってしまったからだろうか。
「私だってあなたたちがいなければ」
喉に痞えて出なかった言葉は、言い放たれないままでよかったと思う。
だって、そう思うのはいつも一瞬。一時。ループのようにただ巡ってくるだけのものだって、知っていたもの。
大きな溜息は自分に吐き出された。
冷静になってくると、いろいろと考えてしまう。
リリーに連れられて応接間にある生地張りのソファに座って待つことになる。このソファも立派な意匠のものだ。ヨーロッパアンティークフェアとかで見ていたような、それをもっと新品に近づけたような、百合の花の刺繍が座面に施されていて、肘掛けは濃茶色でしっかり磨かれている。
憂鬱な表情でこの子が座っているだけで、絵になる気がする。
神様はきっと思い通りになったのでしょう?と笑っている。
美人になって、お金持ちになって、美男な婚約者がいて。
陸は私を振らなかったけど、リックは私を振ってきた。
世の中、変よね。
美人が振られて、ブスが振られないなんてね。
リリーが背の高い薄紫の髪の男性と紫色の瞳の女性を連れてきた。おそらく、彼女の両親。
だけど。そんな神様の気まぐれに気持ちを伏してばかりいても仕方がない。
立ち上がり、深くお辞儀をする。
女の子はいつだって立ち上がり、前を向けるんだから。この子の分も幸せになるくらい、がめつく生きられるんだから。ぐっと拳を握りしめる。
「お父様、お母様……申し訳ありませんでした。私、殿下を心底怒らせてしまったようでございます。きっと、ご迷惑をおかけ……」
そこまで言って、どうすることが良いのか、久しぶりに『娘』という立場に立つと、よく分からなくなった。
しかも、この人たちのことは、両親であると同時に他人と感じるわけで。どう見ても『中にいる私』の方が年上だろう中年越えの私には、彼らの娘であろうとすること自体が難しかった。
「いや、良いのだ。先ほど、お前が部屋に引きこもっている間に、早馬が来てな。リック殿下は、お前のその取り乱しぶりを心配なさっておって、さすがにお前をこのままにはできないが、好きに生きてよいとのことだ……つまるところ、平民として生きろということなのだが……」
えっ、そうなの?
「ローゼ。気にすることないのよ。あんな浮気性の男なんて」
「おまえ、口を慎め。だが、父さまも母さまと同じ思いなのだよ。我が公爵家がお前を援助するから、心配いらない」
母らしき女性と父らしき男性が、とても心配そうに私を眺めている。
「平民……」
そんな顔を見ていると、思わず呟いてしまった。この意味にどれだけ心を砕かれたことだろう。
ごめんなさい、この子のご両親……私のせいで、この子、もしかしたら……。
あぁ、せめて。この子をしっかり独り立ちさせますので。
だから、
「お願いがあります」