おまけ「メルティローゼ、マーラーに出会うこと」
「まぁ!」
ショッピングモールの一区画にある、お店の中で、のばらの声が陸の耳に響いた。
「リク! リリー! マーラーをみつけましたよ」
アラフィフ女子が少女のように、見つめているものは、ライオンマークのインスタントコーヒー。
表示価格を見れば、普段のインスタント珈琲の3倍はする……ような。
「まーらー?」
ライオンマークのそのライオンの名前だろうか?
そんなことを思いながら、陸は一瞬固まる。まるで少女ののばらが、『のばら』じゃないのではないかと、思ってしまったのだ。いや、しかし、今までも、こんなことはままあった。
その度に、後遺症のせいだと、自分に言い聞かせていたのだが、……。
そう思い、そんな考えを振り払おうと陸は頭を振った。
そもそも、家族3人で出かけるのは、本当に久し振りだった。あの事故の後、のばらは乗り物に興味を持ち始め、まずは『バス』そして『電車』、さらにマンションの駐車場に陸の『軽自動車』があると知ると、乗せて欲しいと言い出したのだ。
へ?
と思ったのは確かだった。バスに乗りたいと言った時点で、おかしいとは思っていたのだ。あれほどの事故に遭って、なぜ『バス』なのかと。
しかも車が趣味だった陸にお金を掛けるなと言って、普通自動車にすら乗せてもらえなくなった過去まであるのだ。
まぁ、あの時は、百合菜が6年生になって、今後の蓄えが本気で必要になってくる時期に差し掛かっていたから、仕方のない申し出だったのかもしれないけれど、と陸も思っているのだが……。
そんな百合菜も無事に高校へ入学し、久し振りに少し離れた場所にあるショッピングモールへお祝いのお食事会をしようと、なった。
そんな家族でのお出掛けの中、のばらが、急に立ち止まり、「『施し』の香りがします」と訳の分からないことを言い出したのだ。
セール品をお慈悲と言うようになっていることもある。だから、きっと、サンプル配布か何かなんじゃないかなぁと思いながら、陸が妻についていくと、外国の食品を扱う店に辿り着いた。
そして、あの言葉だ。固まっていると、百合菜が何かどぎつい色のパッケージを持って、やってきていた。そっちもそっちで何持ってるの?
「あ、ほんとだ。マーラー」
えっ! アニメキャラか何かなの? なぜか、娘も知っていた。
「リリーももうほぼ大人です。一緒にマーラーを楽しみましょう」
「えっ、でも苦いんでしょう?」
「蜂蜜とミルクたっぷりで美味しくいただけるのよ」
「ふーん。じゃあ、飲む」
あれ? なんか買う予定になってない? 多分だけど、3倍くらいはしない? 普通ので良くない? そんなにさらりと買える値段じゃなくない?
「まぁ、それは『ライラの恵み』ではありませんこと?」
「うん、そっくりだから、持ってきた」
娘の持つものは、おそらく高カロリー決定のシロップコーティングされたナッツのバー大袋入りだ。そして、激しい感じの英語で書かれてある文字は、どう見ても『ライラの恵み』とは翻訳できそうにない。こちらも、雑な作りなくせにの『高級感』を醸し出している。
それなのに、ふたりは通じ合っているようで、陸は息を呑んだ。
「それ、買うの?」
「えぇ、マーラーの施しは、普段の疲れから解放してくれるリラックス効果がありますの。リクもいつもお勤めにお疲れでしょう? ユリナも頑張ったことですし。私も飲みたいですし」
最後に添えた一言に、なぜか頬を染めるのばら。
そして、こんなにも、きらきらのお目々が似合うアラフィフはいないのではないだろうか、というくらいの輝きで陸を見つめてくるのばらと、対照的にジト目の娘が怖い。
陸は、黙って彼女たちを見ていた。彼女たちが「楽しみだ」とかなんとか言っている。
「リク、あちらがお支払いのようです」
「お父さん、行くよ」
いや、やっぱり勘違いだ。この有無を言わせない感じ。
雰囲気は変わっているけれど、確実に、のばらだ。
しかも、百合菜の奴ものばらに似てきている……。
あれが、親子じゃないだなんて、信じられない……。
娘の成長がそれを物語っている。
陸は、そんなことを思いながら、マーラーに後ろ髪を引かれるようにして、ふたりの背中を追いかけた。
後から聞いた話、マーラーやライラは、百合菜がよく読んでいるネット小説の中に出てくる神様らしい。
百合菜オススメの中で、のばらが一番興味を持った話でもあるらしく、まるでその中で生きてきたかのように、そこに出てくる貴族達を解説するそうだ。
家族の安寧を守るのも、家長の役目。
そう信じて、陸もマーラーをいただく。
どこかすっきりとした苦味のある、『珈琲』で間違いなかった。
『マーラー』は、あの珈琲ではありません……たぶん。




