第18話、遊園地【後編】
観覧車のゴンドラに閉じ込められ、約一時間が経とうとしている。閉園されたはずの遊園地は青や青紫といった寒色のライトで照らされており、不気味さを醸し出している。狭い空間で二つの影が、会話もなくその景色をただ眺めていた。
これが互いに深く想い合っている仲ならば、非常にロマンチックな流れになっていたであろう……二つの影はどちらも男性のようだ。同性愛という関係が世の中には存在するが、残念ながら二人はそういった仲ではない。たった今日顔を合わせたばかりの先輩と後輩──花夜とファウストは、不幸な事に任務で敵にどういう訳かゴンドラ内に閉じ込められてしまったのだ。
……非常に、気まずい。冷や汗をかきながら二人は内心、"自分達は、今何をしているんだろう。"と途方に暮れている。花夜は耐えきれなくなったのか、ボディバッグから非常食のコンビニおにぎりを二つ取り出して、一つをファウストに差し出す。
「おにぎり……食う? ……二つとも梅だけど。」
「……あ、……頂きます。」
今回の任務先は自殺者達が時間を弄りまわしていないので、腐る可能性はないため持ってきていた。黙々と食べた二人はその後水筒でお茶を少しだけ飲む事に、あまり飲みすぎるとトイレが近くなりそうなので気を付ける。花夜は蓋を開けて冷たいお茶を注ぐとファウストに渡し、飲み終わった蓋を受け取りお茶を注ぐと自分も飲んだ。
そういえば……、ふとファウストはこんな事を言い出した。
「これ……"関節キス"ですね……。」
本当にふと思った事だったので、彼に悪気はない。しかし花夜は飲みながら噎せた。
***
──アロンザがとある人物を呼び出してから十分後辺りが経過。少し離れた場所から二つの気配がこちらへ向かってくるのを感じ取り、アロンザと毬慰はそちらへ顔を向けた。一見削除者と同じ制服にも見える服装をしているのが一人、しかしその色は黒に染まっている。もう一人はスーツタイプではなく同じく黒のツナギ服タイプのようだ。
一人は左目を隠す程の前髪の長さ、それから細く鋭い目をしており、制服と髪と同じく黒いまるでオニキスのような色の瞳を持つ女性。顔も整っている上細身体型、モデルにいそうな美人だった。制服は袖が長く両手が隠れ、歩く度にプラプラと揺らしていた。
もう一人は手入れが面倒なのか、伸ばしっぱなしの鬱金色寄りの金髪ボサボサヘアー。気怠そうなタレ目は海と同じ青色の瞳──顔つきといい色といい、どことなくファウストと重なる男性。こちらの男性は制服がスーツタイプではなく、色は黒だがツナギ服タイプのようだ。
ツナギ服の男性はのっそりとしたマイペースな速度だが、片目ヘアーの女性はアロンザの姿を見ると、無表情からパッと向日葵が咲いたかのような明るい笑みを浮かべその場を走り出した。猪でも突進してきそうな勢いでこちらへやって来るのを、アロンザは目の前ギリギリにまで近づいてきたところでサッと横に避けた。
──ダストボックスに華麗にシュートした女性はめげずに、その場でスポッと抜け出すと背筋良く立ち、パッパッと素早く髪に付けたゴミクズを両手で払った。くるりとステップを踏むかのように体をこちらへ振り向かせ、女性はニコニコと怖いくらいに笑みを浮かべ、両手を後ろで組みながら歩いてきた。
「あぁ私の愛しのアロンザさんっ! 貴女のためであれば針山であろうと血の池であろうと何処へだって来ます!」
女性は目の前に来るとその場で跪き、アロンザの左手を両手で包むよう触れ、大きなオニキスの瞳で見上げた。アロンザに向ける表情は熱で溶けたチーズと同じくうっとりとしており、頬を桃色に染め、続けて彼女はこう言った。
「貴女の邪魔をする輩は全て滅びればいいと思います。しかし仕事上そのまま確保せざるを得ないのがとても悔しい……さて、罪人霊は何処にいやがります?」
「その前に、お前のその目が合う度に飛びつこうとする癖は何とかならないのか……いや、これはある意味反射神経を鍛えるトレーニングになるのか? よければ今度ファウストにもやってくれ。」
仮に花夜がこの場にいたとしたら、"違う、そうじゃない。"と内心呟いていた。女性は勢いよく立ち上がり、「私の"コレ"は愛情表現です!」と言い切る。その後「大体、何故私がセジールの兄なんかに……そうです。あの男、アロンザさんとほぼほぼ毎日共に居てなんて裏山案件……!」とブツブツさらに呟く。
両手の拳をぷるぷる震わせながら俯き、何やら黒いオーラを体内から放つ女性の様子に毬慰は恐怖を覚え……または心底引いているとも言える。女性は夜空をガバッと見上げて大きな声で「ジェラる! 大ッッ変ジェラる!! 私は今! ジェラシーを感じております!」と言い右手の拳を作り、長い袖から少し捲れて見えた拳は爪が食い込んでいるのか、血がほんのり滲んでいた。
「あのお姉さん、大丈夫、かな?」
毬慰がアロンザに少し屈んでもらい耳元でコソコソと聞くと、「通常運転だ、問題ない。」と答えられる。あれが通常運転ならばそれ以上となると……考えただけでも恐ろしい。
──ここで女性は漸く毬慰の存在に気づき、スッと真顔になる。アロンザ以外の者全てに対し興味がないのか、氷みたいな冷めた表情に変わり極端に温度差が激しい。毬慰はなんだか女性が怖く見えてビクッと肩が跳ね、アロンザの後ろに隠れて彼女のコートを握った。
少々面倒そうだが、一応女性はアロンザに「この少女に自己紹介は必要ですか?」とニコッと笑みを浮かべて聞く、アロンザに対してはどんな時も笑顔を欠かさない意識をもっているのだろうか。アロンザが質問に対し頷くが、女性に注意を促す。
「子供を怖がらせるな」
「あぁ申し訳ございません……愛想笑いくらいは必要でしたね。」
一言余計な気もするが、女性は胸に手を当て毬慰に顔を向け張り付けた笑みで自己紹介をする。
「お初にお目にかかります。確保・廃棄係ブルーベリー(※S)確保者、"裏鏡"です。本日はアロンザさんからの情報提供により、罪人霊確保に参りました。よろしくお願い致します。」
「自己紹介くらい、誰に対してもしたらどうだ?」
裏鏡と名乗った女性は、必要最低限でしか人物を頭に記録しておきたがらない。その逆も然り、必要最低限でしか他人の記憶に自分の存在も残されたくないという妙な拘りがある。アロンザの注意に対し、裏鏡は眉をハの字にさせて謝罪するのだが……。
「しかしお言葉ですが……そちらでアロンザさんを盾にしている挙げ句、私に対し"怖い"とあからさまに怯えた反応を見せる少女も、失礼なのでは?」
隠す気もなく、棘のある言い方と声で言う表情は毬慰を小馬鹿にしていた。毬慰はアロンザのコートを無意識に強く握っていた手が少し弱まる。アロンザも裏鏡の言い分に一理あったので、無表情のままだが何も言えなかった。相は毬慰に片手で握りられながら、毬慰に"しゃんとしろォ、言われてっぞ"とテレパシーを送っている。
相に言われ、自然と背筋を伸ばす……。自分の相棒でもある花夜だったら、こういう時なんて言うのか想像してみた。裏鏡の言い方や圧は確かに子供には厳しく恐怖を覚えるが……自分は今、仕事で此処へ来ている。
ファウストへの挨拶の時も、自己紹介は辛うじてできていた。しかし、その態度自体はビクビクとあからさまに怖がっており、相手によっては不快にもなる。そのため、実は花夜は目を瞑っていた部分があった。
毬慰はエジリオへの報告の時も、"怖くて苦手だから"という理由でなるべく花夜に任せている。それは自分がまだ未成年だからであり、本来は自分で挨拶に行き報告するべきだ。
……今、毬慰は成長しようとしている。生前の父も"仕事は責任を持って、中途半端にせず向き合わなければならない。"と言っていたのを思い出す。花夜もそろそろ注意しようと考えていた時期だった……それが少し早まっただけの事。
毬慰は自分に喝を入れるため──両手で頬を思い切り大きな音を響かせ一度叩く。その後、アロンザの後ろから少々時間をかけながらもそろりそろりと出てきて、口を精一杯ニッとさせ、真っすぐな目で裏鏡を見上げ「削除・没収係のサンシュユ削除者、胡桃まり"い"ですっ!!」と元気よく挨拶をする。
また一歩、彼女は成長できた。相は内心嬉しくもあり、寂しくも思えた。
「あの……」
ここで、横から様子を窺うように恐る恐る声をかけてくる男性の声に、裏鏡以外の者が漸く彼の存在を思い出しハッとする。……哀れな事に、すっかり置いてきぼりされていたのは──確保・廃棄係ヒエンソウ(※E)確保者、"セジール"だった。彼はファウストの弟である。
また、削除者にはEランクにフラワーランクは与えられていないが、確保者の場合はEランクにもフラワーランクが存在する。理由は、確保者の中には花無しに納得がいかない者も多く、“Eランクにだけ花を付けないのは不公平”という意見があったため、最近付けられたらしい。
……さて、その後セジールも軽く自己紹介も済まし、皆早速仕事に入る。裏鏡達も二タトジを既に飲んでいるらしく、大体の霊には気配を気づかれる事もない。開発チームは削除者側にも確保者側にも存在しており、道具も共有しているのだ。アロンザはメリーゴーランドの罪人霊の様子を裏鏡に説明し把握してもらう。裏鏡はセジールにその場を任せる事にした。
セジールは無言で頷くと、ゆっくりと胸のホルスターから微かに光を反射している拳銃を取り出す。
彼の持つそれは銃の種類からしてグロック17と呼ばれている種類で、持ち手の下部分から薬莢弾を込め、撃ちだすものだ。排出された空薬莢は撃ち込みと共に消失する仕様になっているため回収の手間はない。
彼が下部に触れれば、かちりと音がし銃の下部にあるスライドがするりと落ちてくる。そこには前もって装填されたレッドパンサーが込められた銃弾が入っていた。しっかりと弾が込められているのを確認すれば、再度かちりと嵌め直す。
そうして彼はその眠たげな眼差しを相手に向けゆっくりと銃口を向けた。彼は頭の中で敵と自身の距離を計算し、的確な照準をものの数秒で導き出せば、躊躇うことなくその引き金を引いた。
パン、という乾いた音がその場に響く。
ライの動きがガクッと動いたかと思うと、その場で固まってしまう。ターゲットの左胸には……しっかりと穴が空いていた。何が起きたのか理解が追い付かない内に、数秒後穴から螺旋状の紐が勢いよく飛び出して来て、一瞬でライの体中に巻き付いてしまった。
身動きが取れなくなったライは必死にもがきながらもその場で倒れ込み、漸くセジール達の存在に気づき「いつノ、マニ」と怒りの感情と悔しそうな表情でクシャリと歪ませ、歯を食いしばりながら言う。セジールは「無駄です……よ……。」と、首を傾げながら気だるげそうに歩み寄って来る。
「それ、俺の赤い豹で作った強力なネットランチャーの網みたいなアレです……ぇーと、おりじなるってやつなんで、名前ないけど。」
セジールは目の前にまで来ると、カクンッと夜空を見上げて「あ、」と思い出したようにこう言った。
「罪人霊に……赤い豹とか言っても、わからないかァ」
セジールは夜空を見上げたまま、ズボンのポケットからゴソリとペットボトルらしき物を取り出した。何やら普通のペットボトルではないようで、真っ黒に塗られた底の見えない物だ。
──これは"ゲットボトル"、罪人霊の魂を回収する道具だ。キャップを外しライに向けると、ライの姿がぶるぶると震え出す。ライは「何、ナニ……!?」と動揺する。その内全身が異様に細長く伸ばされ、ゲットボトルに吸い込まれていきながら発狂した。
最後にンポンッと可愛らしい音が鳴ると、セジールはキャップでしっかりと閉める。ゲットボトルの色がスゥッと黒から白に変わっていった。その様子を遠くから見ていた毬慰は、目をキラキラさせて「た、……と、とても楽しそうッ!」とピョンピョン跳ねて興奮した。
こちらへ戻ってくるセジールに対し毬慰は未だ緊張は多少あるものの、彼の雰囲気からして、今後のきっかけ次第ではセジールとも仲良くなれるかもしれない。
「#赤い豹__レッドパンサー__#の腕を上げたな……あのような仕掛けも作れるようになったのか。」
「ありがとうございます……。にいは……どうです?」
腕を組みながら感心した様子でアロンザがそう言うと、セジールは実の兄であるファウストの現状を聞く。"にい"というのは親しみを込めた兄の呼びらしい。アロンザは「飲み込みが早く、伸び代が大きい。」と誇らしげに答えた。
セジールは独学で試行錯誤を重ねながら赤い豹を極めようとしている。ファウストは自分の中で実力があると確信した先輩から確実に学び極めようとし、セジールは独学で極めようとしているので面白い。
しかし、セジールはファウスト程本気ではないので、素質がある故に少々勿体ないと感じるアロンザだった……。
次はジェットコースター、メリーゴーランドの時と同じく今度は四人で様子を窺いに行く。乗り物にはあの時と同じように虚ろな目をした乗客が数名乗っていた。乗り物は動き出し、レールの上をゆっくりと移動していく──その先には乗り物が急降下する地点。さらに、急降下した先には赤みがかった茶髪のポニーテール女子が大きなハンマーを片手に待機していた。
この女子も先程のライと同じく制服を着ているので、恐らく同級生であろう……彼女の首や手足にも枷が嵌められている。鋭いツリ目と自信に溢れた表情を見るに、姉御肌に感じられた。ハンマーの女子は歯をニッと見せながら、少し離れたこれからやって来るであろう乗客に対し、見上げてこう言い放った。
「オラオラ来いやァ! ウチがアンタ等というメインディッシュを一気に"お嬢"の元へ突き落してやるからなァ!」
"お嬢"という単語に、アロンザ達は反応する……恐らく、自殺者や罪人霊達を裏で操っている張本人の事でだろう。女子は「冥土のミヤゲってヤツを教えたろォ~かっ!!」と言った後に、自分の名を教える。
「ウチはビッグハンマーの"ハマちゃん"! さァさおいでェ!!」
女子は両手でハンマーを振り上げて、急降下してきた乗り物がこちらへやって来るのを確認すると、思い切り振り下ろした。耳が割れそうな程大きな音を響かせてレールが破壊されると、破壊されたレールが次々に乗客の体中を砕きにかかった。
腕や足等身体中が変な方向へ曲がっている乗客を乗せた乗り物は、尚もスピードを落とさず無慈悲に進む。そのままレールの無い先へ飛び出し、落下した先に大きな黒い異空間が出現すると吸い込まれていった。ハンマーを振り下ろしたと同時に飛び退いたハマは、一汗かいたのか左手の甲で額を拭った。
罪人霊化した彼女達の虫でも遊び殺している無邪気さに、毬慰は怒りを歯を食いしばりながらも必死に堪える。彼女達を相手にするのは自分達の仕事ではない……ここは確保者達に任せるべきだ。
「セジール、行きなさい。」
裏鏡はどうやらこの場もセジールに任せたようだ。セジールは無言でコクンと頷き、ハマの元へ走って向かった。毬慰は、あれだけ自分に対し偉そうな発言をしていた割には、彼女が先程から一切仕事をしていないと感じ頬を膨らませ少々不満そうだ。
裏鏡は毬慰が何やら言いたげなのを察し、顎に右手を添えながら目を細めてクスクスと笑い、「使える人材は上手く利用するものです。」と何も言っていないのに見抜き返した。その態度がさらに毬慰の神経を逆撫でした。
──セジールがハマを相手にしている間、三人はお化け屋敷へ入る。ここで裏鏡は、毬慰に振り返らずにこんな事を言い出した。
「何故、私が今まで全ての罪人霊をセジールに任せたと思います?」
先程の話がまさか続いていたとは思わず、毬慰は「ぇ?」とつい聞き返してしまった。毬慰は裏鏡に対し、今のところ良い印象がなかったため"面倒だったのでは"と言いたくなったが、決めつけは良くない。言いたくなった本心を一旦伏せ、改めて考えてみる……。
「……ぁ、」
少し時間はかけたが、よく考えれば理解はできる。メリーゴーランドやジェットコースターは遠くから観察できるため、大体の状況を把握してから動けるが、この二つの場所に比べお化け屋敷は"一発勝負"に近い。初めから全く調べていないので、中に入れば何が出るか分からない状況な訳だ。
つまり、この場合は"咄嗟の判断力"が必要になってくる。セジールはフラワーランクからして新人、仕事を覚えさせるにしても、初めは少しでも把握しやすい状況があればそこから慣らしていかなければならない。仕事を覚えさせるといっても、確保者も削除者と同じく命の危険と隣り合わせの仕事だ。
……そう考えると、自然とお化け屋敷の罪人霊は先輩である彼女がやるべきだ。嫌味の多い確保者ではあるが、先輩としての判断は正しく、毬慰は自分が彼女に対し勘違いをしていた事に恥ずかしくなった。裏鏡は黙り込む毬慰に対し、それ以上何も話しかけてはこなかった。
毬慰の様子は見なくても、全てを理解したのだろうとわかっていたからだ。決して微笑ましくは思っていない……寧ろその様子でさえ面白いと内心小馬鹿にしているくらいで、多分エジリオ並みかそれ以上に、裏鏡という人物は意地の悪い性格なのかもしれない。アロンザはその様子を見て呆れ、深く溜め息をついた。
「さて、アロンザさんの説明や先程のハマというアマ……女が発言した"メインディッシュ"という言葉からして……」
(今、アマって言った……!!)
初めから毬慰の裏鏡に対しての評価はかなり低かったが、口の悪さが見えたので今ので更に下がった。裏鏡はアロンザ以外は全てどうでもいい精神なので、どう思われてもかまわないので表情を変えず話を進める。
「恐らく、このお化け屋敷内に潜んでいる罪人霊が、人間を選別しているのかと……。」
メリーゴーランドのライも"味が少々薄い"と発言していた事から、人間の魂の中でも、特に"濃い"のを自殺者──それから"自由者"へ主に捧げられているのだろう。
──少し離れた障子裏から、こちらの様子を窺う者が一人いた。オレンジ色に染めたボブカットヘアーの可愛らしい女子、この者も制服を着ているので同級生と思われる。白のボンボンが付いた赤色の綺麗なニット帽、ライやハマと同じく、また彼女にも首や手足に枷が嵌められている。
彼女は裏鏡達を一目で見て、本能で"手を出してはならない"と全身に鳥肌を立たせ、きゅるんとしたまん丸い目を更に大きく開かせていた。嫌な汗が両手に滲む……明らかに自分では敵わないと、機能していないはずの心臓がそわそわした。
(それに……ハマちゃんタチのケハイが、……さっきからナイ!!)
場所が離れているとはいえ、仲間の気配は多少感じていたはず……が、どういう訳か数分前に突然消えてしまったのだ。このような異常事態は初めての事、どうすればいいかわからない。しかし、このまま何もせずに此処で突っ立っててもいずれ見つかってしまうのがオチだ。
滑稽なものだ。お化け屋敷で驚かす側の……それも"霊"がこうして生者に怯えているのだから。そう考えると、何だかいっそ苛立ってもくるだろうが必死に抑える。
……女子はもう一度、裏鏡達を見る。あのような強力な生者ならば、もし捕らえるのに成功すればかなりの栄養になるはず、"お嬢"からお零れを貰える可能性もゼロではない。一か八か、女子は無謀にもその場を飛び出してしまった。
「わ、ワタシベロベロ味見の"アミちゃん"!! 主人のお口に合うカワタシがチェックしてあげルッ!」
アミと名乗った女子は、デロンッと異様に長い舌を出して見せながら三人の背後に飛び出した。彼女も一応霊、人間よりも素早く移動したつもりだ。……しかし所詮は低級、霊に対し耐性もあり対抗できるよう鍛えられた彼女達には通用せず、アミが飛び出す前には気づいていた。
アミが背後に着地した頃には、三人は既に彼女に振り返った後だった。この時点で、自身の敗北は決定していると確信した彼女は、顔中汗で塗れている。それでも、平然を装うのに必死で歯をガチガチとさせながらも、精一杯笑みを浮かべていた。
"殺らなくては殺られる"……。アミは体を休めず舌でまず裏鏡を舐め取ろうとした──彼女の能力は"相手を舐めると廃人化させる事ができる能力"だった。舐めたと同時に魂の味も把握できるので、彼女はお化け屋敷担当のスタッフだった。
──トンッ……と、軽く裏鏡はアミの左肩に右手の中指、薬指、人差し指を置きグルンと体を逆さにさせ彼女に全体重をかける。そのまま彼女の背後にストンッと着地し、一瞬何が起きたのか理解が追い付かない彼女は#蹌踉__よろ__#ける。その間に裏鏡は容赦なく回し蹴りを彼女の頭に食らわす。
これだけでもかなりのダメージであるが、裏鏡は両手をパンッと叩いて両腕を広げた──すると、裏鏡の頭上に大きな卓上両面ミラーが音もなく滲むように出現する。裏鏡は右手で指をパチンッと鳴らすと、ミラーはパリィンと無数の破片に割れて空中に浮いた。
破片といっても大きさは元々かなりあるため、一枚一枚がスタンドミラー並みにある。破片は無駄のない動きと速さで、アミの周りをあっという間に囲んで合わせ鏡みになる。
アミからしたら、この遊園地に相応しくミラーハウスのようにも見えてくるであろう。前を見ても、後ろを見ても、横を見ても自分が映る。裏鏡の鏡はただの鏡ではなく、一瞬でも映った自分を目にすれば、段々精神が不安定になっていく能力を持つ。
──無数の鏡には無数の自分、自分は此処にいて、一枚一枚にも自分がいる。どれも真であり、同時にどれも偽りである。何故ならば自分は此処にいるのだから、周りは自分ではない。
──自分には意思がある。だが鏡に映る自分から見れば、自分は鏡に映る#偽__・__#り、ならば真は鏡で自分は偽り? 自分は何だ、自分は無数の内の……一体。
「──さて、お前は誰ダ?」
……ここで、目の前の鏡から裏鏡が薄気味悪く笑みを浮かべながら、顔だけ通り抜けて出てくる。アミの鼻と鼻が付きそうな距離で、じっとりと問いかける。恐怖、焦燥感……アミは脳内が最早この時点でぐちゃぐちゃになっており、ここにいる自分が果たして本当の自分なのかわからなくなっていた。
更には鏡から顔だけ飛び出してきた裏鏡に対し、完全に恐怖一色で染まり上げてしまったアミは、失禁してしまいその場で喉を一気に枯らす勢いで発狂──クシャリと顔中皺を寄せてベタンと座り込んで、両手で頭を抱えて俯き目を固く閉じた。
裏鏡は仕上げに、右手でまた指をパチンッと鳴らすと、バコンッと容赦なく鏡が彼女を挟んで中に閉じ込めてしまった。無数の鏡は音もなく再び裏鏡の頭上に集まり、大きな一つの卓上両面ミラーに姿を戻した。どうやら彼女にはゲットボトルは必要ないらしい。
近くで見ていた毬慰も、子供故に影響されやすく恐怖心が生まれてしまった。もう少し間近で眺めていたら混乱していたかもしれない。霊的なものに関しては仕事で多少耐性はあるものの、精神的ダメージに関しては大人でも不安定になり、恐怖を覚えてしまうものだ。
横にいたアロンザは、毬慰の肩に手を置いて「お前はお前だ。しっかりしろ」とさり気なくフォローを入れる。毬慰は我に返り、"しっかりしろ自分"と目を閉じて頭を横にふるふると振った。
「……ではアロンザさん。名残惜しいのですが、私はこの辺で失礼します。」
本当の本当に心の底から寂しそうに、両目をうるうるさせながら口元に左手を添えて話す裏鏡。アロンザは素直に「ご苦労だった。ありがとう。」と微笑んで裏鏡を褒め、礼を言う。アロンザの言葉と笑みに、裏鏡は二へロとだらしのないうっとりとした笑みでこう言った。
「ありがたき幸せ! その言葉その声その笑顔! しっっっかりと脳内に刻みました!!」
……と、ここで裏鏡のハイ―ルから振動。中からスマートフォンを取り出すと、裏鏡は届いたメッセージの内容を確認した途端、げんなりとした表情に歪める。アロンザがどうしたのか聞くと、セジールからの報告だったようで内容を話してくれた。
「……どうやら、トンファーでボコボコに攻撃していたら、あのハマとかいう罪人霊が逃げたい一心で、まぐれにも鎖を引き千切ってしまい……そのまま逃走したらしいです。場所はここからそう遠くない美術館内だと……。」
「……そうか。」
"それは、どんまい。"……としか心の中で言えなかったアロンザと毬慰だった。裏鏡と別れる前に、アロンザは捕らえたアミから"お嬢"と呼ばれる人物が居る場所を聞き出すよう裏鏡に頼む。裏鏡は両目を閉じテレパシーを送り、自身の鏡に居るアミから情報を聞き出した。
"お嬢"とやらは、遊園地内のステージショーに居るらしく、そこで届いた獲物を自殺者と食べているらしい。自殺者はやはり捕らわれの身らしく、彼女の玩具として暴行を受けているとか……いい性格をしている。
──桃色に染めたツインテールの女性が、ステージショーに居た。彼女のすぐ横には自殺者である"金賀梨子"も居たが、その姿は酷い状態だった。首と両手両足に銀の枷と鎖に繋がれ縛り上げられ、首元は何度も締め上げられた痣、全体重はだらんと垂れ下がっている。
元々の自殺した時の継ぎ接ぎも身体中にあり、見ていて痛々しいのだが、女性からの暴行で更に見た目が悪化している。尚も女性は、心の底から楽しそうに梨子の背中をサンダルで強く踏みつける勢いで蹴る。サンダルに付いているボンボンが可愛らしくふるふる揺れた。
「なァ~んカさっっきからっ! 変なケハイがするよネー!」
女性は「ま、はじめから気づいてたケドっ」と語尾に星でも付きそうな声で言う。獲物はとっくに平らげており、お零れも梨子に食べさせている。女性の予想では、梨子達を使って獲物を狩るこの遊園地も今夜で潮時だと考えている。そう……この者が、"お嬢"と呼ばれ自殺者や罪人霊を利用し、この遊園地を支配する"自由者"だ。
「ボスやチェーンさんからはぁ~……あんまし削除者と関わるなっつってタけどォ~……ぬひ! ちょ~きっっになるよネぇぇ~!」
女性は右手をグーにさせ顎に添えて、歯をニッと見せながら楽しそうに笑う。どうやら此処へ来たのは削除者というのはお見通しのようだ。"削除者と関わるな"との命令は、きっとボスの場合はただ単に女性の身を心の底から心配しての事で、チェーンの場合は自分達の居場所を知られる危険性を警戒しての事だろう。
女性は自分の身の危険や、ボスからの心配より先に好奇心が勝った。段々とこちらへ近づいてくる天使の気配に、女性の機能していないはずの心臓が、何だか高鳴っているみたいにワクワクとした気分にさせた。
……自殺者は、"何故こんな事になったんだろう"と脳内でぼんやりと考えていた。自殺後の痛みは常に感じているが、自殺を繰り返していた頃よりかは考える余裕は少し持てている。虚ろな目でショーの床を見つめながら、生前の記憶を思い出していた。
***
金賀梨子の家は貧乏だった。その上彼女は両親からもそれ程愛されてはおらず、虐待は受けてはいなかったが、"言葉の暴力"に苛まれていた。生まれてから一度も欲しかった物も買って貰えた事もなく、本当にただ、生きているだけの日々だった。
無論スマートフォンなんて物も持ってはおらず、コミュニケーションの殆どがスマートフォンのこの現代では、クラスメイトとも馴染めるはずもなかった。だが、そんな梨子にも素晴らしい友人がいた。
授業を抜け出し遊び歩く不真面目さと、校則違反に髪を染めた子達が多く、パッと見明らかに梨子みたいな子は苛めを受けるかこき使われるのどちらかだが、そのような事は一切なかった。寧ろ、皆家庭事情に問題も多く、梨子を見て親近感がわいたのだろう。
赤みがかったポニーテールの浜田、茶髪の来瀬、オレンジ色に染めたボブカットヘアーの亜実。三人の事を"ハマちゃん"、"ライちゃん"、"アミちゃん"と梨子は呼んでいたし、梨子も"ナコっち"と呼ばれていた。
「そんな……いいよぅ!」
カフェでもショッピングでも、三人は梨子がお小遣いが無いのも知っていたので、純粋に四人で楽しみたいため何かしら奢ろうとしてきた。初めは申し訳なさそうに断り続けていた梨子だったが、その内諦めてお言葉に甘える事にした。
奢られるのは慣れないが、せめて三人と心の底から楽しむのが恩返しだと、そう思っていた。両親に愛されていなかった梨子は友人には恵まれていた。いつか、成人して社会人になったら、学生時代の恩を倍にして返そうと心にも決めて……。
──ある日、梨子は遊園地に誘われた。チケット代もかなり高く交通費も必要なので、流石に断ろうとした梨子だったが、三人の中で裕福に入る亜実がこんな事を言い出した。
「ナコっちのオカーサンに許可を取ろう!」
"これはまずい"……梨子は内心焦った。母親は特に神経質なので、電話越しではあるがもし友人に酷い言葉を向けたら……折角素敵な友人ができたのに失う危険性があった。しかし、それも梨子の考え過ぎだったようで、亜実は梨子の両肩に手を置き、安心させようとこう言った。
「そんなんで友達やめる程ォ~、ワタシ等の友情脆くナイっしょ?」
帰り道、亜実に言われて梨子は目を大きくさせて固まる。彼女の後ろにいた二人も気にしていない様子で安心させるよう笑顔を浮かべていた。亜実は「それに、お金なら全部ワタシが出すし問題ナシ! ねっ?」と必死に説得してくる始末。
三人は心から梨子とただ遊びたいだけで、見返りは一切求めてはいなかった。彼女達のバックに映る夕日が、ユラユラと揺れる。視界は涙でまともに見えなくなっていった。ここまで言われては、じわりと温かくなった気持ちを胸に、"きっと大丈夫、きっと……"と、彼女達を信じると決めた。
……しかし、案の定母親は激怒した。いくら亜実が電話の向こうで必死に説得しようとも、その内父親まで出てきて「貧乏なウチを馬鹿にしてんのかッ!!」と感情をぶつけて、父親は電話を切ってしまった。梨子には意地でも"行くな"と言い、母親は部屋に戻ってしまった。
梨子は自室にこもり泣いた。今まで貧乏な事に泣いた事等それ程なかった梨子は、初めてこの時大泣きして布団に潜り込んだ。悔しくて、悲しくて、情けなくて、辛くて……。裕福でなくても、何故普通の家ではなかったのだろう。梨子だって友人と遊びたかった。何ならバイトもして良かったが、学校ではバイトが禁止されていた。
両親を初めて憎む。そして数日後──復讐の機会が訪れた。
父親の仕事の都合で引っ越しが決まった金賀家は、駅のホームにいた。梨子はぼんやりと立ったまま線路を眺め、前に亜実に借りて読んでいたネットの記事を思い出していた。
──『電車への飛び込み自殺は、遺族への賠償責任が生じる。』梨子はこの時、両親へ最初で最後の復讐を心に誓い、そして……。
***
「お前がこの遊園地の支配者か……自由者」
アロンザと毬慰はついに自由者を目の前にし、アロンザはそう問いかけた。自由者は両手を後ろに組んで、不気味な程にニコニコと笑みを浮かべている。自由者は静かにくすくすと笑い、徐々にそれは高笑いに変わって夜空に顔を向けた。
「どォも、天使サン? ワタシぃ~、生前のコロの名前キライだからこう名乗ってル!」
気が済むまで笑い続けた後に、自由者は両手をバッと上げて楽しそうな顔を向け、語尾にハートでも付きそうな声でこう名乗った。
「"ウサたゃん"! よろしくネッ!!」




