第17話、遊園地【前編】
「あ~ぁ……なんでカナァ?」
"もし、全て自分と似ていたら"、なんて彼女は考える。"似ている"とは境遇の事だった。目の前で首と両手両足に銀の枷と鎖に繋がれ縛り上げられた哀れな少女に対し、桃色に染めたツインテールの女性は心底うんざりした様子でそう呟いていた。
目の前の少女の境遇は女性とは大体似ていた……ほぼ似ていた。右耳には逆さまの兎、左耳には逆さまの人参のデザインをしたピアスをチャリンッと揺らしながら、女性は兎毛で作られたボンボン付きのサンダルを動かし、少女に背後から近づく。
クロップド丈のフリルが付いた麦藁色のブラウスに、デニムのショートパンツという露出度の高い女性は、少女をふわりと優しく抱き締める。女性からは香水を使っているのか桃の香りが漂うが、それと同時にほんのりと生ごみの匂いもしてくるので、良い匂いとは言い切れない。
それは彼女が人ではないからだ。その証拠に、彼女の瞳は血と同じく赤く、白目部分も墨みたいに黒かった。……これだけで、例え彼女の正体の詳細がわからなくとも、人ではない事だけは明らかだった。女性は割れ物でも触れるように抱き締めていた両腕に段々力を込めていき、次の瞬間──瞬時に少女の折れてしまいそうな細い腹に左手が回り、濡れた雑巾を一気に絞る勢いで絞める。それだけでなく、右手は少女の首枷に繋がれた鎖を掴み、後ろへ締め上げる勢いでグイッと容赦なく引っ張る。少女はぐぇ、と舌が出て苦しそうにぷるぷるっと小刻みに震えさせる。
「あぁあぁ苦しイよねェ苦しイよねェ?? デもデもしょうガナイナイッ!! だってだってアナタガ悪いンだもんネ? ネ? ネ? アナタアナタ、折角アタシと似てたノニ、アタシよりほんノ、ほんノすこぉぉぉしダケ! 幸せそぉぉだっタんダもんっ!!」
がぐんッがぐんッがぐんッと効果音でもなりそうな勢いで、何度も、何度も、何度も少女の首を繰り返し締め上げる。その度に少女はただでさえ身体中継ぎ接ぎであちこち自殺した時の激痛に苛まれているのに、さらに首枷で締め上げられるという拷問染みた苦痛も味わう。頭に血が上る痛さ、既に死んでいるのでこれ以上は死にきれない。
それでも解放されない。女性に目をつけられなかったとしても、少女は自殺した時点で死を繰り返さなければならない。不運な事に、そこに女性からの理不尽な拷問が追加されただけだった。「ナ、マ、イ、キ、ナんダもんっ!!」と、女性はさらに少女の首を締め上げていたのを左右にグイッグイッと動かした。
──三十分くらいが経過し、大分気が済んだのか女性は両手をパッと離した。少女は重力に従い、ガクンッとその場でぐったりとしながら垂れ下がる。女性は瞬時に無表情になっていたのが、切り替え早くニッと口元を不気味なまでに吊り上げて、両手を後ろで組みながら首を傾げて、目の前の少女にこう言った。
「あァごめん。イジメすぎたネ? アナタはアタシのために魂を狩ってくれてルのニ」
***
「わぁ! 可愛い女の子です!」
語尾に音符でも付きそうなルンッとした声で、少し離れたところで後輩の織鶴の声がしてファウストはそちらを見る。どうやら織鶴は、先輩のシルイートに赤ちゃんの写真をスマートフォンで見せてもらっているようだ。スマートフォンを片手に持ち、隣で目をキラキラと輝かせている織鶴に対し、シルイートはまるで我が子を自慢するみたいに「でしょ~?」とニヤニヤしながら言う。
その後、何やら織鶴は考え込み黙ってしまう。どんな表情かはここからでは見えないが、シルイートは何かを察したのか、考え込んでいる織鶴の様子を見て"ぅぇ~"と心底嫌そうな表情で織鶴を見ていた。普段の様子から彼が織鶴に対し嫌悪感を抱く事はまずあり得ないが、彼がこれ程までに嫌悪感を抱く相手なら誰でも想像はつく。
……そういえば、たまたま織鶴と休憩所で話す機会があったので雑談をしていた時、彼女から好きな相手がいるのを聞いた覚えがある。シルイートが嫌悪感を抱く相手、そしてその表情を織鶴に向けた事から……ファウストはこの時、たまたま全てを理解してしまった。
それにしても、会話の詳細までは聞こえなかったが、シルイートから放つ黒いオーラにファウストはギョッとする。
(……絶ッッ対に、……彼を怒らせない方が良いですね。……怒らせる気もありませんけど。)
そんな事を考えていると、隣で座っていたアロンザのところに、新たな任務の内容がメッセージでスマホに届いた。アロンザは内容を確認した後に立ち上がると、ファウストに「現世へ行くぞ」と一言。ファウストも「はい」と返事をすると立ち上がる。
「今日はエジリオさんのところの部下と任務へ向かう。詳しい話は歩きながら話す。」
「ぇっ……初対面ですね。」
二人は会話をしながら月桂樹の間から出て行く。……幹部の一人である"エジリオ"、噂でしか知らないが、あまり良い話を聞かない。
新人の頃から優秀な男ではあったが、エジリオの前の幹部──"因幡兎一郎"が引退する際に、優秀な部下を何人か選び楽しそうな様子で『僕に勝てた者を次の幹部にしよう。』と言い出し、見事エジリオは兎一郎に勝利したのだという。
兎一郎は極端に普通を嫌う男だった……。いつも冷めた目で笑いながら、口癖のように『フツーは嫌いなんだよ』と言い、時にはそこそこ優秀だった者も自分の部下から外していた。理由? その者が普通だったからだ。自分の身なりも、見た目は中年そのもので髭も生やしていたが、普通に衣類を着たくないという理由でスカートを履き、髪飾りにリボンも結んでいたという。
実力もあり部下から畏怖され、身なりもふざけた変わり者……そんな相手から幹部の座を奪ったのだから、兎一郎程ではないがエジリオも部下から畏怖され、どこか感情が掴み取りづらい他の幹部とはまた違った雰囲気を持つ者だとも聞く。
そして──部下は皆、嫌う訳ではないがエジリオに対して苦手意識を持っている。ただ、機嫌を損ねないよう、皆エジリオになるべく気を遣いつつ関わらないようにしている。
会う前にも関わらず、ファウストは何となくエジリオにはあまり関わりたくないなと本能で思っていた。顔に出ていたのか、任務内容を説明していたアロンザは一旦話しを止め、体調を聞いてきた。ファウストは内心慌てて「大丈夫です……すみません。」と謝罪した。
「体調は常に万全にしておけ、……今夜の任務は特に危険かもしれない。」
「そうなんですか……?」
常に任務に対して真剣なアロンザがさらに警戒心を高め念を押してくる様子に、ファウストも内心身構える。……そういえば、今回は珍しく#他枚__たまい__#の削除者と協同する。
──削除者の幹部は五人存在し、フラワーランクとは別の花の名前が存在する。正式名称は"桃ノ花"、幹部の一人一人は"花ノ一枚"、"花ノ二枚"と枚数で呼ばれる。そしてその部下も互いに"他枚"や"一枚のところの~"と呼んでいたり、幹部も他枚の部下に対し"二枚員"等と呼ぶ事もある。
"桃の花"の花言葉は、"気立てのよさ"、"天下無敵"。部下に対し言葉の通りに意識し管理せよといった意味で付けられたのだろうが、……幹部達の殆どを見ると、花言葉の意味とは程遠い者達ばかりである。因みに、エルネストは"花ノ一枚"、エジリオは"花ノ二枚"である。
アロンザの話しによると、今夜の協同相手は二枚員である元一枚員の"花咲花夜"、もう一人は"胡桃毬慰"らしい。
(二枚員の胡桃毬慰ちゃん……確か最年少か、)
こちらも噂は聞いている。あの十六歳のスペランツァより年下のはず、確か十四歳だ。言動や行動は年齢より幼いと聞き一部ではよく思っていない削除者もいるみたいだが、ファウストは"まだまだ凄い天使達もいるんだなァ"と素直に尊敬していた。それに、毬慰はファウストより先に削除者になっているので、立場的にも先輩でもある。
──エジリオの執務室、"花ノ二枚"と書かれたドアプレートがある部屋の前に到着する。アロンザがノックし声をかけると、中からエジリオから中へ入るよう許可が下りる。
中へ入ると、そこには既に花夜と毬慰の姿もあった。アロンザとファウストは二人の横に並ぶ前に、一歩後ろでその場に跪くと、左手を横に低く伸ばすような姿勢を取り両目を閉じる。この姿勢は天界での敬礼で、羽搏いていた天使が翼を下ろしその場で止まるのを意味する。
「お初にお目にかかります。一枚員、削除・没収係アリウム・コワニ―削除者、アロンザ・ヴィヴァルディです。」
「一枚員、削除・没収係サンシュユ削除者、ファウスト・サンチェスです。」
ファウストも続けてその場で敬礼し、自己紹介をする。エジリオから立ち上がるよう言われ二人は敬礼を止め立ち上がると、背筋を伸ばし目の前の人物を漸く目にする。
雨が降る前の曇り空を連想させる灰色の髪は、前髪がきっちり揃えられており、肩より少し上辺りの後ろ髪は滑るように外に沿って跳ねている。この世の全てに対し興味が持てない故に、無の面がそのまま張り付いたような表情。そんな印象を持つ男性の背中には、桃ノ花にしか与えられない藍色の外套が羽織られている。
「君達が花ノ一枚……エルネストの、……ね。」
机の上に肘を置き、組んだ手の甲に顎を乗せながらこちらを見てくる気だるげな目、そのシトリン色の瞳に光はない。……何となく、子供でなくても恐怖心を抱いてしまいそうになる。男性にしては綺麗に整った小顔で可愛らしさを持ち、しかしその見た目からは感情は一切感じられてこないので、まるで生きた西洋人形みたいなのだ。
手の甲から顎を離したエジリオは、二人に挨拶をする。
「二十五代目花ノ二枚、エジリオ・ヴィットーリだ。」
ファウストはチラリと花夜の横でガチガチに固まっている少女──毬慰を一瞬だけ見る。毬慰はエジリオが苦手なようで、緊張のためか石みたいに微動だにしない。どうやら顔に出やすいタイプのようだ。ファウストはエジリオにすぐに視線を戻し彼の説明に耳を傾ける。
「全員集まったようだからなるべく簡潔に説明し、早急に任務に向かってもらう。」
今回の任務では、通常の自殺者だけではあり得ない範囲の異空間らしい。通常の自殺者は怨念が溜まり暴走したとしても、動ける範囲も作れる異空間の範囲も限られる。今日向かう任務先は"遊園地"……成る程、自殺者にしては広過ぎる空間だ。
また、この件では"例の自由者"が絡んでいる可能性があるとか、……しかし、ここでファウストは疑問を抱く。確かにここ最近は自由者絡みの件が立て続けだったが、"罪人霊の可能性"もあるのではと疑う。
──削除者とは別に、"確保者"という組織がある。この者達の仕事は罪深き霊を地獄へ送る……まぁ獄卒のような役割を持つ。罪深き亡者達は、時に攻撃性が高い暴走した自殺者達を利用し悪事を働く。罪人霊も無関係の霊や生きた人間を食べれば力が蓄えられるため、このような行動に至ってしまうケースもある。
そのため、稀にこういった件の時は削除者と確保者が協同する事もあった。今回の件、自由者の仕業もなくはないが、そうと決めつけず罪人霊の可能性も考えた方がいいのではと内心思ってしまった。それが顔に出ていたのか、エジリオはファウストに対し、小馬鹿にした様子でこう言った。
「……優秀と聞いていたけれど、案外頭の回らない子なんだね。ファウスト」
「──確保者側からの事前調査で、そのエリアには居ないという結果が出た訳ですね。しかし、自由者や罪人霊の事です。予想外の事態も考えられます。」
エジリオの後にすぐ、アロンザが口を出す。表情には出さないが、その声には少し棘が感じられた。アロンザは最後に「──ファウストはあくまで、その可能性を考えたまでに過ぎません。」と言い切った。
……アロンザの言葉でこの場の空気が一気に凍り付く、毬慰はさらに居心地が悪くなり、両目をつい固く閉じて汗を浮かべてしまった。花夜は毬慰の頭に手を置きつつ、内心は"流石アロンザ、恐れ知らず"と冷や汗をかきながら苦笑い。幹部に対し無礼な発言、アロンザは自分が罰せられてもいい覚悟で自分の後輩を思い反論したのだ。
察しのいいファウストはそんなアロンザに対し素直に喜べなかった。他枚の幹部に下に見られようと、ここは職場で自分が我慢すればいいだけの話、そこまで我慢できない程子供でもない。この事で自分の憧れの先輩が罰せられフラワーランクまでもし落とされたら……考えたくもないしそちらの方が耐えられなかった。
少々空気は凍り付きはしたが、エジリオはこのような庇い合いの仲良しムードに内心うんざりしつつも、面倒だったらしく、どうやら罰する気までは起きなかったらしい……話を続けた。
アロンザの言う通り、事前に確保者側からの調査で罪人霊の仕業ではないとの事……。しかし、暴走した自殺者を何者かが操っている様子は感じられたので、やはり自由者が居る可能性が高い。そこで、今回エジリオは自分の優秀な部下の内花夜と毬慰を選び、エルネストの優秀な部下の内アロンザとファウストも借りる事になったのだ。
……ここでまたファウストは疑問、何故わざわざ他枚の部下を借りるのか、その必要性がいまいちわからずにいた。だが、すぐにその意味を理解する。
(……あ、そうか。)
削除者には優秀な者達が沢山いるが、五枚の内どれか一枚でも優秀な部下がごっそりと欠けてしまえば、すぐに競り合いが起きてしまう。そうなれば幹部自身だけでなく、部下への評価も自然と下がってしまう。そのためエルネストもこういった争いは好きではないが、部下を思うと、互いに優劣がつきにくい状態を保たなければならない。
部下達を思っての事とはいえ、やっている行為自体はエルネストも不本意だろう。幹部同士の嫌な部分を知ってしまったファウストだったが、こういった話は削除者に限らない……仕方のない事だ。
──エジリオからの説明も聞き終わり、四人は執務室を出る。毬慰は歩きながらも後ろをチラチラと振り返り、執務室から大分離れたのを確認すると、表情をパッと明るくさせアロンザの三つ編みにピョンッと跳ねて抱き付いた。四人は自然とその場で足を止める。
「アロンザさんー! おひさしぶりですーっ!」
ぴょんぴょんっ! と兎みたいに跳ねては喜ぶ毬慰の様子に、先程まで酷く怯えていた子とは思えない急な変わりように、ファウストは目を丸くさせて驚いた。……パチリとファウストと目が合った毬慰は、またスッと笑顔が苦笑いに切り替わる。
どうやら、初対面や慣れていない相手には極端に苦手意識を持ってしまう子らしい……いや、誰だってそれは当たり前か。ファウストは毬慰と顔を合わせやすいよう少し屈んで、ニコッと彼なりの笑みを浮かべた。
「アロンザさんとは師弟関係の、そして貴女の後輩でもあるファウストです。よろしくお願いします……毬慰センパイ。」
"センパイ"……と聞き、アロンザの後ろで半分隠れていた毬慰の耳がピクリと反応する。人見知りではあるが、先輩扱いをされるのは悪い気はしない毬慰は、ほんの少し口元をニマニマとジグザグにさせる。少々時間はかかり、結局アロンザの後ろから出てきてもじもじとした様子で「胡桃まり"い"です……サンシュユ……で、です……っ」と言いにくそうに自己紹介をした。
「ふぁ"あ"すと、さん……ぇと、」
ファウストの名前が少々言いにくそうで、それを察したファウストは「呼びやすい呼び方でいいですよ」と柔らかく言う。緊張が多少解れたのか、若干表情が明るくなり「じゃあ、じゃあ……! ファーストさん! あと、私の事、マリーって呼んで! ほしぃ……な!」と言い切った後、恥ずかしくなったのか今度は花夜の後ろにササッと隠れてしまった。
続いて花夜も、屈んでいたファウストが姿勢を元に戻したのを確認すると流れで挨拶をした。
「二枚員、浄化兼削除・没収係アリウム・コワニ―削除者、花咲花夜だよ……ファウスト君、よろしくね。ぁ、……名前と花はさっき聞いたから挨拶はいいよ。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
花夜への印象は……一言で例えるならサッパリとした塩味だった。今の挨拶で、無駄な会話と時間は使わないのが理解できる上、こちらとしてもスムーズに話しやすそうだとファウストは感じた。花夜もファウストの理解力の早さに感心し、今のところ、二人はお互いに好印象なようだ。
「アロンザさんとマリーさん、仲がいいんですね。」
四人は歩きながら軽く世間話をする。ファウストはふと、見たところ人見知りな毬慰が何故こんなにもアロンザに懐いているのか気になった。アロンザは懐かしむように、両腕を組んで微笑み話し出した。
「以前、共に任務へ向かう機会があってな。」
……初めは緊張していた毬慰だったが、任務先で動く度に大きく揺れる"アロンザの三つ編み"が気になって、その内うずうずしだした毬慰がじゃれついてしまったのだという。言われてみれば、先程からずっと毬慰はアロンザの太い三つ編みを両手で掴み、顔を埋めてみたりモフモフと頬で触り心地を楽しんでいる。
ファウストはつい"まるで猫"と連想してしまったが、流石に口には出さずに内に秘めつつ「……そうなんですね。」としか言えなかった。
***
──ペガサスの馬車で何時間かかけながら、現世の遊園地前に到着。この施設は既に閉園しており、かつては賑わっていたはずの場所が、あちこち錆びれ草も生えっぱなしに荒れており、人々から忘れ去られた悲しき過去の場所となっていた。
毬慰は遊園地には来た事がないが、テレビ越しでは何度も観ては、楽しそうにしている子供達を羨ましく思っていた。まさか、初めての遊園地が人が誰も居ない任務先になるとは……複雑だ。
さて、エジリオの説明によると、この遊園地を支配している自殺者に会えるには条件があるらしい。聞けば聞く程、自殺者一人ができる仕組みには思えない。条件の順番は"お化け屋敷"から始まり、次に"メリーゴーランド"か"ジェットコースター"に分かれて連れて行かれるらしい。
先ずは順番通りに行く前に、何が待ち構えているのかわからないので、詳しくそのエリアを調べなければならない。四人は手分けして、アロンザとファウスト、花夜と毬慰の二手に分かれ行動をしようと決める。アロンザ達はジェットコースター、花夜達はメリーゴーランドへ……しかし、ここで早速異変が起きた。
頭上からビッと液体のようなものが髪に降りかかり、不意打ちだったもので避けられず二人は反射的に目を閉じてしまう。次にそのまま一歩足を出すと、グラリと足元が揺れる不安定さに、体全体のバランスが崩れそうになった。
「ぇ、」
……初めに声に出したのは花夜だった。ゆっくりと目を開くとそこは入り口前ではなく、狭いゴンドラ内だった。真横で自分以外の気配があり顔を向けると、自分と同じく状況がよく理解できていないファウストの姿があった。彼も目を丸くさせ、こちらに顔を向けぱちくりさせる。
「……とりあえず、……座ろっか。」
「……はあ、」
お互い髪には血飛沫がかかっていた。どうやら、この遊園地を支配する者の能力か何かで、何故か男性陣だけは省かれ移動させられたらしい。……花夜とファウスト、観覧車に二人きりで閉じ込められました。
「──花夜っ!?」
一方その頃、頭上から何か降りかかり音がしたかと思うと、瞬時に隣にいたはずの男性二人の姿が消えて毬慰は困惑していた。二人の安否も気になるがこのエリアの調査もありどちらを優先にすべきか悩む毬慰に、アロンザは彼女の肩に手を置いて、落ち着くよう声をかける。
「花夜が簡単に死ぬような奴なら、お前の相棒は務まらないだろうし、初めから任されていない。私も、ファウストがここで死ぬような呆気ない男とは思わない。」
アロンザは笑みを浮かべ、毬慰の肩から手を離すと両腕を組んで「彼等なら危険を上手く回避しているさ」と言い切る。毬慰は暫し考え込んだ後、歯を食いしばり大きく頷く。時には相方を信じ、自分のやるべき事を全うするのも大事だ。
ここで、アロンザはさらに思い出したようにこんな事も言い出す。
「花夜は元々一枚員だったんだが……よく隙を見ては一休みするような奴だったな。案外、今サボッてるかもな。」
「……! 後で、問い詰めるッ!」
まだ今サボッているとは限らない上に、行動するも何もゴンドラから抜け出せないのでどうしようもないのだが、花夜が任務後毬慰からの制裁を受けるのは確定らしい。
……気持ちを切り替えて、二人は先ずメリーゴーランドへ向かった。その次にジェットコースターを調べ、最後にお化け屋敷になる。お化け屋敷が自然と後回しになるのは、この場所がゲームでいうところのスタートボタンになってしまうからだ。
お化け屋敷に入り、ここで何かしら選定され他の二つの場所に分けられる。そうなれば他のエリアを調べる余裕は恐らくない。なら初めに調べるのはお化け屋敷以外の場所だ。二人はメリーゴーランドへ向かう途中、自殺者とは別の気配を感じ取り足を止めると、アロンザはハイ―ルからチャック袋を出す。
──これは体内気消臭の錠剤、"二タトジ"。これはサラではなく、その弟子のスペランツァが発明したアイテムだ。この錠剤は、霊達から自分達"人ではない者"の気配を感じ取れないようにする便利な物。ネーミングセンスは……この師匠にしてこの弟子あり、といったところか。気というのは体内から漂ってくるので、『臭い物には蓋をしろ』という意味だろう。
スペランツァも毬慰とそう歳は変わらないので、どちらかというと味覚の感覚が子供に近い。なのでサラの発明のように効力だけに偏らず、スペランツァは効力と同時に子供でも飲みやすいように考えて作っている。毬慰も二タトジなら若干甘味も感じるので飲みやすい。
二人は二タトジを水無しで飲み込む。味は様々、二タトジの味はソーダなので、キャンディーのように舐めていたくなるが我慢する毬慰だった。二タトジを飲み込んでから効果が出るまで十秒、毬慰が小声で一秒一秒数えるのを、アロンザは微笑ましそうに見ていた。
……メリーゴーランドへ近づき、少し離れた植栽から様子を窺う二人。閉園したはずのメリーゴーランドはくるくると回っていて、木馬やゴンドラには数人の生きた人間が乗っていた。毬慰はすぐ「助けなきゃ……っ!」と飛び出しそうになるが、アロンザが彼女の手首を掴み行かせなかった。
「よく見ろ、……彼等の目は虚ろ、恐らく……そこにいる人間は皆魂を半分以上抜かれた者達だ。」
つまり……酷な事だが、生きる屍と化した彼等は仮に生還したとしても、一日も持たず自殺する。この世界では自殺後に千年間死を繰り返す。このままただ殺されるか、または自殺させて千年間死を繰り返させられるかの二択で考えると、いっそこの場で殺された方がましなのかもしれない。
その二択を本人達に選ばせる事もこの状況ではまず不可能。選ぶ者が自分達しかいないなら、答えは自然と決まって来る。毬慰の答えは、……アロンザと同じだった。悲しいが、せめてあの犠牲者達の様子を見てこのメリーゴーランドを探るしかない。
暫くし、メリーゴーランドの屋根で何者かが浮かび上がるように姿を現す。性別は女性、茶髪のおでこが見える肩までのヘアースタイルで、年齢は大体中学生くらいだったし制服らしき服装だった。見たところ自殺者ではなく、普通の霊の気配だったのだが……何やら不自然だ。
彼女の気配は間違いなく普通の霊そのもの、しかし目は明らかに、白目部分は黒く瞳は赤色。このパターンは自殺者のものか、または"罪人霊"のもの。これもよくある事だが、本来は普通の霊だったはずが、死後の行いによって罪が重なってしまい"罪人霊化"してしまう場合もある。
罪人霊化した茶髪の女子は、両手を大きく広げて楽しそうに自身もその場でくるくると回ると大声でこう言った。
「みぃぃんな! たの死ンでくれてルカナァァァー!?」
茶髪の女子はどこから出したのか、両手に折りたたみナイフをスチャッと出すと自己紹介をしだす。
「ワタシは人間スライスの"ライちゃん"っ! ココにいるミンナは味が少々ウスイノデ! 私タチスタッフで美味しくイタダキマス!!」
"ライちゃん"と名乗った女子は、両手に持っていたナイフをくるんっと小さく振るう。すると、ゴンドラ内にいた者は"エッグスライサー"みたいにブリュリと平べったくスライスされ、木馬に乗っていた者は前方に出現した大きな刃で、そのまま何度もザクザクと粉々とスライスされてしまった。
こういった惨殺現場は仕事上見慣れてはいるが、それでも気分は良くない。毬慰は苦虫を噛んだような表情で相を握る手が震える。恐怖心からではなく、無関係の人間をこれ程までに惨たらしく殺める罪人霊の神経に、心の底から怒りがわいてくる。
スライスされた者達は、その場でぼたぼたと餡子を落とすように肉片や血をその場で零す。その光景を怒りで見ている毬慰の横で、怒りの感情を一旦施錠し、辺りをよく観察するアロンザ。ライの姿を見ると、通常の罪人霊とは異なる点に気づく。
──通常の霊が死後罪を犯し、罪人霊になる事はよくある……それだけだ。しかし、彼女の手首、足首、首には"枷鎖で繋がれていた"。
(確かに、この件は自由者が絡んでいる可能性が高い。)
アロンザは自分が以前童話の世界に入り込んだ時に、暴走した自殺者と思われる狼に遭遇した。しかし、自らがその世界の主のはずが、妙に枷鎖に繋がれ窮屈そうだったのを思い出していた。その時は異空間の範囲があまりにも広過ぎた故に、自らに制限がかかってしまった可能性も考えられた。
だが、任務遂行後……童話内にいた自分達の衣装に、背中にだけ小さな二つの穴が空いていたのを思い出す。明らかに意図的であり、これは自分達が天使であるのを見破られていると考えられる。
実を言うと、中には限られた天使が翼を持つ事もあるが、大体の天使達には翼はない。"天使には翼はある"というのは、人間達が勝手に創造した設定に過ぎず、本来は飛ぶ事は不可能。服の背中に穴が二つあるのは、恐らく翼があると考えた者が作り出したのだろう。
……そこまで余裕を持って行動する自殺者は、今まで聞いた事も見た事もない。罪人霊が自殺者を利用する事もあるので断定はできないが、その際自殺者の体に枷を付ける話も聞いた事もなく、今回に至っては罪人霊が利用されている。
元々、罪人霊はこのような広い範囲を支配できる程の力は持っていない。自殺者も罪人霊を支配できる程の脳も持っていない。……エジリオの言う通り、自由者が絡んでいる可能性が高い。
ライは枷鎖をジャラジャラと音を鳴らしながら、屋根から飛び降りると地面の直前で空中にふわっと浮きゆっくり着地。くるりと後ろを振り返り、ゴンドラや木馬に居る元人間だった者達の様子を見て、「ハァァァ~……ちょーりスル者の特権ネッ!」と言いながら木馬の一つへちょこちょこと向かう。
「こぉぉんナつまみ食いモ、できちゃウんダカラッ!!」
語尾に音符でも付きそうな声で、少し屈んでは死体からしたたり落ちてくる小さな肉片や血を、舌でキャッチして舐め取る。その表情は熟した桃を連想する色に頬を染め、両目はうっとりと蕩けている。……魂の味を占めてしまった様子を見ると、もう彼女は通常の霊に戻る事は不可能だろう。
ライは唇にベトリと付いた血を舐め取ると立ち上がる。にまりと笑みを浮かべ、右手で指をパチンッと鳴らすと死体の乗っている範囲に黒い穴の空間を出現させて、中へ落としていった。
最早救いようのない彼女の様子を確認したアロンザは、ハイ―ルからスマートフォンを取り出し、チャットアプリである人物に連絡を取ろうとする。……その人物とのチャット画面を開くと、二百件を超える相手からのメッセージにうんざりとした表情に変わる。
「……別の者、いや、いいか。呼ぼう」
彼女にしては珍しく、そうぶつぶつと呟き深く溜め息をついた後、渋々相手にメッセージを送る──数秒もかからず、ブルッとスマホが振動し返信が帰ってきた知らせを受ける。「誰か呼ぶの?」と横で毬慰に聞かれ、アロンザは思い出したように毬慰にこんな質問をする。
「……マリー、これから来る者なんだが……男か女、どっちがいい?」
……質問の意味が、よくわからなかった。毬慰は男性より女性の方がまだ初対面で怖くはなさそうだと思えたので、とりあえず「女の……ひと、」と答えておいた。




