第15話、建築係
気付いた時には全てが終わっていた。何度時間が戻ってほしいと願ったか、そんな事を考えても何も意味はないのに、虚しい妄想ばかりしてしまうんだ。
人も天使も同じ、相手の感情をコントロールする事は不可能。新しい芽は出てくるだろうけれど、折れた枝が元に戻る事はない。俺は心の弱さを全て受け止めてくれた彼女が大好きで、蜂蜜みたいにドロリと甘やかしてくれる彼女に溺れていた。
……けれど、寄りかかれるだけ寄りかかって、徐々にその重さに耐えきれなくなってきた彼女は、ついに俺に愛想尽かした。たった昨日まで普通に話していたのに急な別れ話をされた俺は、一瞬何を言われたか理解が追いつかなかった。いや、彼女にとっては普通ではなかったのかもしれない。
彼女にとっては負担になっていた……だからこうなったのではないだろうか、甘え過ぎていたのは自覚していた。やはりあそこでやめておくべきだった。もし時間が戻せたら、あの辺りの時期で抑えておくべきか、そうしたら未来はもう少し変わっていた……?
時間は戻らない。俺は無駄な時間を使い、"もしも妄想"の貯金をすればする程に後悔が深まり重くなっていった。いつも聞いていた職場先や電話越しからの、透き通る落ち着く声も、いつも抱きしめていた温もりも一気に消えた。喪失感が日に日に増していき、何をしても楽しくはなくなったし、食事も喉を通らなくなった。
その内、食欲はないくせに寂しさのあまり自らの手首を噛む癖ができた。必死に食すように、食べ物ではない温かい何かを求めていた。……はむ、はむ、次第に歯に力を入れていくと心地良くて、寂しさがほんの少しだけまぎれていった。
ぐ、ぐぐぐぅ……ぎ、ぎ、ち、ち、ぐ、ぐ、ぎ、ちちち……。そんな感じの表現で、手首に歯を突き立てて力を入れれば入れる程に、……ぁ、今の少しだけ痛かった。少し口を離してみようか、歯型がくっきり見えている。よし、痛みは引いたしまた噛もう。
……そんな事を続けて、気付けば放心していて時間だけが過ぎ、あれからもう五十年は経っていた。仕事が終わった後の薄暗い夜の休憩所、窓から入ってくるひんやりとした風が頬を撫でて心地がいい……。自動販売機の前のベンチで一人座り、手首を静かに噛んでいるこの時間が一番落ち着くんだ。
ごめん、やっぱり今のはナシ。本当は寂しくて寂しくて仕方がなく、ただ虚しいだけだともわかっている。かといって、やめたらやめたで今度は刃物で刺すようにもっと心に激痛が走るだろう。虚ろな目で視界がぐらぐらと揺れながら、ぼんやりと元恋人との甘い記憶を思い出しながら、さらに歯に力を込めた時──
「何をなされているんですかッ!?」
──左耳が痛いくらいにキンと響いたのもそうだが、先程までずっと昔の事をぼんやりと考えていたので、急に現実に戻され心臓が跳ね上がる程に驚いた。
恐る恐る声のした左側へ顔を向けると、……そこには日本天使らしい美しい黒髪長髪の女性削除者が立っていた。頭の両サイドは可愛らしくお団子ヘアーで、瞳は宝石のアメジストを連想させた。顔は綺麗系だが、狐よりかはどちらかというと狸寄りの可愛らしさ。
そんな折角の可愛らしい顔が、心の底から心配しているのか血の気が引いてこちらを見つめていた。はて、何故彼女は心配そうにこちらを見ているのだろうと考えたところで、ふと、自分の噛んでいた右の手首が熱く感じた。
「……あ、」
ここで漸く、噛んでいた部分から赤いものが流れている事に気づく。口から離すとさらに出てきて流石にびびっていると、口を離したのをみた女性は即座に駆け寄り、目の前で膝をつくと傷口を塞ぐよう俺の右の手首を掴んで赤い豹を込めてくれた。
赤い豹のお陰か、傷口はあっという間に塞がり、掴んでいた手をゆっくりと離す。女性は安堵し、ホッと一息をつくとこちらを微笑みながら見上げてきた。
「良かった……です。」
「……! ぇと、あり、が」
誰かと会話自体は仕事で普段しているはずなのに、この時ばかりはどうしてか、お礼の言葉さえ上手くまともに声に出しづらかった。なんだか顔が熱くて、心臓がじっくりと、次第に早く高鳴り煩くなった。今の状態でもしんどかったのに、女性は夜にも関わらず、さらに夏の向日葵みたいな明るさを放つ幻覚付きでニッコリと笑い、こう言った。
「いつも見かける度に、何やら考え込んでいるように見えました。……私でよければ、いつでもお話しを!」
天使を越え、最早女神なのではないだろうか。ここで俺──咎目は……鶴野恩織鶴に恋をした。
***
削除者の係には三つ目が存在する。一つ目は"削除・没収"、自殺者の体内に溜まった怨念を没収する係。二つ目は"浄化"、自殺者から没収した怨念を武器から摘出し浄化する係。……そして三つ目は"建築"、こちらの説明は初だろう。
──"建築係"、仕事内容は、自殺者の死を繰り返す場所を作る事。自殺者は千年間死を繰り返すといっても、同じ建物が老化せず、千年間もそこに存在しているのは殆どあり得ない。建物等が壊されたりする前に、建築係が現世にやって来て自殺者の居る場所のデータを取る。データに沿って削除署の作業場で組み立てていき、笏形の1センチ程度のカプセル──通称“シャクプセル”に保管する。
自殺者は作られたシャクプセルに閉じ込められ、千年間死を繰り返させられる。全ての自殺者をシャクプセルに入れればいいのではという話にもなるが、シャクプセルを作るのに、かなりの赤い豹を必要とする上に、忠実に再現するため、建築係が自殺場所の範囲をほぼ完璧に見尽くして大体覚えていないと失敗する。
この係のデューティーフラワーは"一輪草"。花言葉は『追憶』『久遠の美』等で、追憶は過ぎ去ったことに思いをはせる事や、久遠の美は……何だか今までの説明から考えると、少々皮肉にも思えてくる。
「手首噛まなくなったな……お前」
建築係の事務室……"一輪草の間"にて。リップチェーンピアスを揺らし、背を椅子に体重をかけて天井を見上げながら、坊主頭の男性はふと、近くでスマートフォンを弄っている弟にそう声をかける。こちらに顔を向けた弟の姿を、アメジストの瞳を持つタレ目でジロリと目線だけを動かし見る。
彼の名は戒目、建築係のベテランの一人。一見チャラついているが、これでも建築係としてはかなりの腕を持つ……が、チクリとした痛みと赤い血を見ていると生きている実感が湧くため、袖を捲れば傷だらけ。その上、相棒でもある弟に対し、何かと意地悪をしては反応を楽しむ等……少々中身が歪んでいる男だった。
弟も弟で、過去の恋愛の失敗から引きずって病んでしまい、手首を噛む癖がやめられなくなり血だらけになるのは日常茶飯事といった一面等、なかなかに濃い兄弟なのだが今はそんな事はどうでもいい。
弟の名は咎目、この男性も建築係歴の長い削除者である。薄紫のウェーブは、パイナップルのヘタみたいに天辺に近い位置で小さいポニーテールにして束ねてある。同じくアメジストの瞳を持っており、クリッとしたパッチリ目と、緑のバンダナで額の辺りに巻いてあるのがまた可愛らしい。
戒目はコートタイプの制服で、咎目はジャケットタイプのインナー制服なのだが、二人共暑がりなためコートやジャケットは羽織っていない。
咎目は行儀悪くもオフィスデスクに足を乗っけて組んでいて、椅子に全体重をかけながら、ブラブラと上半身を揺らしアプリゲームを楽しんでいた。兄に声をかけられ一時的に顔を向けていたが、またすぐにスマートフォンに目を戻した。アプリゲームをしながら、器用にも質問に答える。
「噛んではいるけど、……昔程ではないよ。」
「人の話ゲームしながら聞いてんじゃねぇーよ」
スマートフォンを弄りながら話しを聞かれたのが不快だったのか、戒目は咎目に近づき、左手でスパーンと良い音を響かせ咎目の額を引っ叩く。手元が狂いスマートフォンを落としてしまい、画面にひびが入っては「ぁあー!」と咎目は大声を出す。
「ぅるっっせぇ」
「兄ちゃん酷い! ホーム画面の鶴ちゃんの顔に! ヒビが! どぉぉしてくれんの!!」
「画面が割れただけで画像にヒビなんか入っちゃいねぇよ黙れ」
ドスッと鈍い音を立てて、咎目の横腹を左拳で今度は一発殴る。咎目は噎せたが、兄の言葉にすぐ「そっか!」と納得するが、スマートフォンを自分から落とす形になったとはいえ壊れてしまったので、怒ってもいいところなのだがそれに気づきもしない。
画面が割れたスマートフォンを拾ったところでノック音が響く、扉の向こうから中世的な声で「お使い頼まれたからきたよー」と軽いノリが聞こえてきた。戒目は面倒そうに無視し自分のオフィスチェアにドカッと倒れ込むように座り、天井をまた気怠そうに見つめているので、咎目が代わりに「ありがとナー! どーぞ!」答える。
「そーれーと、ケンガクさせてー?」
そう言いながら入ってきた削除者は、サンシュユのシルイート、それからもう一人は──
「失礼します……です……。」
……最近漸くサフィニアに昇進した削除者、鶴野恩織鶴だった。織鶴はシルイートの後に恐る恐ると何やら気まずそうにして入って来る。シルイートの他が織鶴とわかった瞬間、咎目の反応は速かった。チェアからピョンッと立ち上がり、飼い主に走っていく犬のように向かい、パイナップルのヘタみたいなポニテをぴょこぴょこ揺らしながら、織鶴の元に来た。
織鶴は目の前に来たキラキラとした眩しい笑顔の咎目に、びくぅっとしながら冷や汗をかき苦笑い。彼にもし尻尾が生えていたら、もの凄い勢いでブンブンと振っていたであろう。
「見学!? モッチロン! 愛する君のために、この身がブッ壊れてトンカチで叩かれたように砕けようとも付き合うよ!!」
織鶴の両手を包み込むように握り、咎目はキラキラとした目で一直線に彼女だけを見つめる……彼がここまで明るくなったのはたった数年前までの事、手首を噛み血塗れになっていたところを、彼女が心の底から心配してくれた。その日以来、咎目は織鶴を見かける度にこうして愛の告白をする。
織鶴は浄化係の桜馬係長が好きだ。彼の気持ちには答えられないので正直困っている。
「ねーねー僕が君達に頼んでるんだケドきいてるー? まぁ鶴ちゃんのためのケンガクなんだケドさ」
シルイートは両手の拳を腰に置きジト目で咎目を見るが、本人の耳には完全に入っていない。彼の目と耳は織鶴にだけに集中し、その他はシャットダウンしている。しかし、それを一気にぶち壊す者が一人だけこの場にはいた。
「ぅるせぇ黙れ、耳がイカれる」
戒目は未だにベラベラと織鶴への愛を語る弟のテンションにイラッときたのか、近くに置いてあったまだ蓋の開けていないスポーツドリンクのペットボトルを投げつける──見事に咎目の横腹に命中、咎目は「どぶふグッ」と変な声を上げてその場に倒れ込む。……兄、強し。
──シルイートは特にエルネストから新しい任務を引き受けていなかったため、月桂樹の間から出てサボろうかと廊下を歩いていたら、たまたまおろおろと慌てた様子でどうしていいかわからず歩いていた建築係の者がいたので声をかけてみた。
建築係の者はやらなければならない仕事が立て続けに重なってしまい、猫の手も借りたい様子だった。暇をしていたシルイートは、仕事の一つである建築係に新しいシャクプセルを届けるのを引き受けた。シルイートは日々コンビになった後輩の成長の事を考えていたので、丁度いいと思い織鶴を連れて見学させようと考えに至ったのだ。
頼まれていたお使いをさっさと済ませるため、シルイートは戒目の前へ行き、シャクプセルの入ったプラスチック製の小物ケースを差し出す。それを右手で受け取ると、戒目はチェアから立ち上がり、首をポリポリと左手で掻きながら目を閉じ気怠そうに「おめぇら行くぞ」と言った。
ペガサスの馬車は最大2、3人程度が限界なので、二台呼んでシルイートと織鶴、戒目と咎目の二組に分けて乗った。咎目としては勿論織鶴と乗りたかったのだが、織鶴に好意を寄せているのも明らかにわかり、妙にベタつく様子に良い気持ちがしなかったシルイートは、大事な後輩を守るために頬を膨らませながら織鶴の手を掴みさっさと馬車に乗ってしまった。
戒目と咎目の馬車内では、織鶴と一緒が良かっただの相変わらず可愛かっただの語っているのにまた鬱陶しく感じた戒目が、咎目の横腹を肘でドスッと鈍い音を鳴らし殴るのだった……。
──ペガサスの馬車を使い数時間、現世のとある雑居ビル前に到着した。馬車から降りる前にきちんと隠輪を嵌めた四人は、早速ビルに入って行く。
この雑居ビルは老朽化が進んでしまい、近々ビルが取り壊される予定だ。そうなると、千年間死を繰り返さなければならない自殺者の居場所が消えてしまうため、建築係が代わりの場所を作るために現場へ向かい、データを取らなければならない。
今回の自殺者は、この雑居ビル内にあるスナックのママに失恋した無職の中年男性が、スナックの出口から階段にかけて焼身自殺をしたらしい……全く、迷惑な話だ。咎目は戒目から内容を聞くと、ぐずぐずと自分の失恋した記憶を思い出し、右の手首で涙を拭い始める。
「わがる……わがるぞぉおまえのぎもぢッ」
「わかるなぅざってぇ」
戒目の蹴りが見事に咎目の尻に命中──そのままスナックのドアに咎目はキスをする形になり顔面をぶつけた。織鶴はビクリと両肩が跳ね、鼻血を出し鼻を押さえている咎目に対し心配でおろおろした。戒目は「唾つけときゃ治る」と適当な事を言いながらスナックのドアを開けて入って行った。
後ろから「兄ちゃん鼻にどーやって唾つけんノ?」と馬鹿正直に聞いてくる馬鹿弟の声が聞こえたが、戒目は無視した。今は二十一時、スナック内は既に営業開始していた。
……さて、建築係も早速仕事開始だ。まずは『観察・設計』の作業から始まる。
戒目はボディバッグから天使の翼がデザインのペンを取り出す、戒目と咎目は一々ポケットに金を払うのが面倒という理由で、削除者達がよく使用する"万能リンクポケット『ハイール』"を持っていない。取り出したペンは"#描天使__かいてんし__#"という物で、これから行う仕事に必要な物だ。
ペンのデザインを数秒間見つめていた戒目は、クシッと眉間に皺を寄せて軽く舌打ちするとこう呟いた。
「……天使天使言うけどよォ……なんでこう人のイメージ受け入れてわざわざこんなモン作るかねぇ……しかも翼デザイン……だっせぇ。俺等の事おちょくってンのかねぇ」
「まー、本来俺等翼ねぇしな」
天界に住む彼等天使には翼は無い。大昔、まだ隠輪の無かった時代に、たまたまペガサスの馬車から降りた時に人間に見られてしまった。ペガサスの馬車は予め赤い豹が込められていたので姿が見えなかったが、天使は馬車から降りた時は赤い豹を体内から放出していないため姿が人間に見える。
そこで、いきなり目の前に現れた天使の姿を見てしまった人間が、"いきなり降りてきたから、空から来るという事は羽が生えているに違いない。そうでなければ説明がつかない。"と勝手に話を盛った可能性が高かった。天使達は人間のその発想を、寧ろ面白い発想だと思い、大体の物はこうして翼をデザインした物が多く作られるようになった。
しかし、一部ではそれを気に食わないと思う者もいる……戒目のように。
「翼があったらこの仕事も苦労しねぇよ馬鹿野郎が……、今からデータ取るために床から天井にかけて線描くんだぞこちとらァ……」
「兄ちゃん! 兄ちゃん! 折れる! ペン折れる!」
「ぅるせぇ……黙れ、死にてぇの?」
ペンを握る力が強くなっていき、ぎちぎちと嫌な音が静かに鳴るのを見て咎目が慌てた。シルイートは織鶴に、これから行われる作業の内容をどこまで知っているか聞いてみる。
「鶴ちゃん鶴ちゃん、あのペンは今から何に使われると思う?」
「へ?! ……ぇと、」
急に話を振られたが、そういえば自分は今、建築係の仕事を見学しているんだと思い出し、基礎知識を答える。
「建築係の作業は二つあり、一つは『観察・設計』、二つ目は『建築』になります。今は一つ目の『観察・設計』ですよね? あのペンを使い、自殺のエリアの地面や壁に線を描いていき、囲んでいきます。」
このスナックのような室内ならば、床の角から線を引き一周する。囲みながら"赤い豹"を込めていくと、自然と辺りの風景がデータとして線の中に記録される。この時、何処に何があるか、何が置いてあるかを術者自身も脳内で大体を把握していないと、いくら描いてもただの線でしかなく記録が不可能。
そのため、かなりの赤い豹が体内から消費され疲労感が来るので、一見簡単な作業に見えて、かなりの集中力と体力を必要とする。
戒目は辺りの設置された家具、床、壁紙、立てかけられた絵画等をじっくりと眺める。数分後──室内の角へ行きしゃがむと、"描天使の蓋をきゅぷんと引き抜いて角にペン先を付き立てる……すると、水色の光がインクから放つ。室内では小太りの男性が心地よさそうにカラオケで何やら歌っている。お酒が回っているのか顔もほんのり赤い。
少々音痴な歌が響き渡るが、戒目の耳にはもう入っていない。線を引きながら赤い豹を注ぎ込む様子はまるで書道家、引かれた線のインクは黒から少しずつ輝く水色に変わっていく、インクが水色に変わらず黒のままなら、辺りの物を脳内で把握できていない証拠。
イルミネーションにも見えてくる水色の輝きに、織鶴はその様子が何だか幻想的で見惚れてしまう。戒目がこちらへ近づいてくると、シルイートがちょんちょんと織鶴の腕を左手でつつき、邪魔にならないよう真ん中に行こうと人差し指だけを動かし教える。
織鶴が煩くしないよう黙ってすぐにシルイート達と共にその場に移動していると──背後からドンッと何やら鈍い音が聞こえた後に、大きく舌打ちが聞こえてきて織鶴の両肩がびくぅっと跳ねる。恐る恐る後ろを振り返ると……。
「んなジャマなとこでクソ下手ゲスボで歌ってンじゃねェよクチ臭おやじ」
カラオケで心地良く歌っている小太りの男性と戒目が尻と尻でぶつかってしまったらしい……グシャッとした表情で心底鬱陶しそうに、後ろを振り返りながら男性を睨み上げていた。男性はというと、何も無い場所から誰かとぶつかったため不思議そうに後ろを振り返ったり辺りをキョロキョロと見渡していた。
戒目の邪悪なオーラに織鶴はあわわわと口をパクパクさせながら怯えている。少し体がぶつかったせいか、一瞬水色の輝きが揺らいだがすぐにまた輝きが安定する。戒目は最初にペン先を突き立てたところまで何とか一週すると、その場を離れ織鶴達の方へ来る。
ボディバッグからプラスチック製の小物ケースを取り出し、中からシャクプセルを出すと、戒目は室内の丁度真ん中に置く。……数秒後、水色に輝く線はぶるぶると震え出して床からもの凄い勢いで剥がれ、シャクプセルに吸い込まれていく。
「わ、……わっ!」
歯医者でよく聞くエアータービンという歯を削る機械のような音、何とも言えない嫌な音に織鶴は顔を顰め両耳を手で塞いだ。シルイートは寧ろ心地がいいのか、両目を閉じて耳を澄ませている。咎目は織鶴と同じく慣れないのか、両耳を閉じて「くぅ~……相ッッ変わらずこの音だけは好きになれねぇ」と両目を閉じて声を漏らす。
シャクプセルにデータが全て送り込まれ音も静まると、戒目はさっさと次の作業に移る。ボディバッグから今度は"ピョンピョーズ"という特殊な靴を取り出し履き替える。これもサラが作り出した物で、これに履き替えるとジャンプしただけで空中を自由に動き回る事ができる。
さっきのように線を引いていき全てデータを取り終えると、床に着地した戒目は怠そうに眉間に皺を寄せたまま首を鳴らす。
「かったりぃ……次行くぞ」
──スナックから出ると、丁度そこには焼身自殺をしている自殺者がぐねぐねと藻掻き苦しみながら歩いていた。自殺者はこの通路を横断するよう階段の方へ向かっていた。
戒目は先程のようにペン先を床に突き立てるが、一度自殺者がよろよろと歩く様子をしゃがみながら顔を向けて観察する。今度は室内全体ではなく範囲が広いため、自殺者が歩いた範囲を把握し、必要最低限の範囲に線を引かねばならない。
こうすれば、シャクプセルに閉じ込められた自殺者は怨念が溜まり、一見何も無い方向へ逃げ出そうとも、見えない壁にぶつかるだけだ。
ちなみに、シャクプセルは万能ではないので、怨念の溜まり具合次第では壊れてしまう可能性がある。この場合、シャクプセルの保管室奥には"没収広場"があり、そこで定期的に削除・没収係の削除者が、シャクプセルから出した暴走した自殺者から怨念を没収する。
カカオの法則も何もない状況での急な戦闘──よっぽどの腕を持った削除者でないと務まらない仕事だ。その削除者の腕を手本として見学するために、観戦する部屋があり室内窓越しから観る。この室内窓は特別製なので滅多な事では壊されない。
見学目的の削除者だけではなく、部下の安否確認のため幹部も観戦する事もある。観戦部屋は四階あり、一階は幹部の座る席、二階は見学目的の削除者の席、三階は研修中の削除者の席、最上階は任務失敗続きの削除者の立ち見席(落ちこぼれ階とも呼ばれる)。
幹部が一階の席なのは、最上階の者の退場が遅れる事で幹部の退場をスムーズに行わせるため。一部の削除者からは没収広場を"闘技場"とも呼ばれている。
没収広場での仕事を自ら進んで引き受ける者はそうそういないが、物好きも中にはいる。エジリオの部下である"ヴィンツェンツィオ"という男がいるのだが……それは今度の機会にでも語ろうか。
……話は戻って、通路の線を引き終えればそのまま階段へ、範囲もそれ程広くはなかったので自殺者を何とか追えた。自殺者は階段の踊り場でゆらゆらと同じ場所を動いており、その内階段から転げ落ちてしまう。これでは線が引きづらく、気が遠くなった。
その様子を見ていた戒目は今度は「ヂッ」と大きめに舌打ちをすると、また織鶴がビクッと一瞬怯えてしまう。咎目はそれに察し、「つるちゃんが怖がっちゃうだろー!」と頬を膨らませ兄に対し口出しする。
「あ? じゃあおめぇが笑わせりゃいいじゃねぇか」
「あそっか!」
そういう問題ではないのだが……、咎目は兄の言葉に左手の平に右の拳をポンッと置き、兄からくるりと織鶴へ笑顔を向けると、ズンズンと織鶴の方へ向かってくる。訳もわからず「え、えっ」と声を漏らし織鶴が困惑していると、咎目はこんな事を言い出した。
「つるちゃん、俺の頭を見て!」
織鶴とついでにシルイートは、言われた通りに咎目の頭を見た。すると咎目は、自分のポニーテールを掴みピーンと上へ立たせ、頭をほんの少し屈みこう言った。
「パイナポゥ~」
「つまんな」
──ピシャリと戒目からの辛辣な感想が飛んできては、「ムキーッ! ムチャ言うなよな?!」と咎目はブチ切れた。織鶴はとりあえず苦笑いを浮かべ、シルイートは呆れた様子で溜め息を一つついた。
***
全てのデータが撮り終わり、四人は一輪草の間の奥──"作業場"へ向かった。作業場は浄化係の清掃場並みの広さ、内装はシンプル、床も壁も天井も全てが白く、見ていて目がチカチカしてしまう。
扉のすぐ横の壁に鍵穴があり、咎目は戒目から受け取ったシャクプセルの蓋を開けると、そこには鍵が付いていた。鍵がデザインなのは、自殺者が収監される部屋といった意味なのだろう。シャクプセルを鍵穴に差し込むと、部屋全体に立体映像が映し出される。
立体映像は戒目が取ったデータ通り、自殺者の死を繰り返す内装だった……スナック内から通路、通路から階段と転げ落ちるエリア、それだけではなく、身の回りにあった家具や物等も正確に記録されていた。織鶴は数時間前に自分達がいた場所が、予想以上にそのまま再現されて映されているのに目を丸くし驚いて固まってしまう。
シルイートは任務中何度か戒目の仕事の様子を見た事があり、改めてこうして見ると素直に感心してしまう。
「相ッ変わらず凄いね~……細かすぎ、僕ならすぐにでも投げ出しちゃうヨっ」
口の形をアルファベットのOにしながら全体の風景を見渡すシルイートに、戒目は扉の横にドカッと胡坐をかいて、眉間に皺を寄せながら気怠そうに言う。
「再現率が低けりゃ……その分カプセルも脆ぇ、作り直し程面倒なモンはねェよ……やるなら一発OKだ。」
常に気怠さを感じている戒目だが、適当に仕上げて面倒事が増えるくらいなら、やるなら徹底的に、隙が無く完璧に仕上げてみせる。それが彼のやり方、だからこそ任務先で集中力を削がれる事態になると心底怒りが芽生えるのだ。
……折角見学をしてもらっているのだから、咎目もたまには先輩らしく織鶴には勉強してもらおうと思い、左手でちょいちょいっと手招きする。織鶴も自分が今勉強中の身だという事を忘れていないので、素直に咎目の所へ行った。
「今から俺が"建築"するから、見ててね!」
「はいっ!」
実は織鶴は、密かにこれを楽しみにしていた。この建築という仕事はここからが楽しみになってくるのだ。咎目は予備のトンカチを織鶴に手渡した後、くるりと背を向けて通路へ近づき、近くの観葉植物に向かってトンカチを上下に軽く振るいながらこう唱えた。
「トンテンカンカン カンカント」
そう唱えながら、微かに赤い豹が込められる──カチンッと木琴を打ったような音が響き、水面に反射する光と同じ輝きが一瞬したかと思うと、……そこには映像ではなく観葉植物の実物が置かれていた。……但し、色は無い。
(楽しそう……!)
織鶴は目を輝かせ、笑顔を見せて観葉植物を見ている。好きな子をやっと笑わせられたと内心喜んでいる咎目だが、隠しきれていないのか口元をにまにまとさせている。遠くから戒目が「鼻の下伸ばしてねェでとっとと先進めろ、死にてぇか」と脅され我に返った咎目は、織鶴に指示する。
「つるちゃん、次はこの色の無い観葉植物に向かって"カンカントンテン トンテンカン"と言いながらトンカチに赤い豹を込めて打ってみて。」
咎目の顔を見た後に、「はいっ!」と大きく頷いた後に織鶴も同じように、トンカチを上下に軽く振るいながら唱えた。
「カンカントンテン トンテンカン!」
──カチンッと木琴を打ったような音が響き、先程と同じく光の輝きが一瞬したかと思うと、そこには今度こそ色の付いた観葉植物が置かれていた。
「じょーずにできたね! 鶴ちゃん!」
シルイートがこちらへやって来て、先輩らしく織鶴の肩に手を置き、顔を見上げながら笑顔で褒めた。織鶴が頷こうとした時──咎目が織鶴の両手を握り見つめ合う形で目を輝かせながら愛を囁く。
「つるちゃん……君はやっぱり仕事も簡単にこなせる最高の女の子だよ……俺と結婚しよう。」
「ごめんなさい無理です。」
申し訳なさそうだが秒で断った。それでもかまわず「大丈夫! ちょっとやそっとではへこたれない! 必ずや振り向かせてみせる。」なんて言い出す。シルイートもイラッときたのか、眉をキュッと吊り上げて間に入り両手でゆっくりと引き剥がす。
「はいはぁーい、不真面目な僕らしくないケドオシゴト続けようかー?」
……仕上げに床をトンカチで叩くと、床から天井にかけて全て一瞬で組み立てられた。暫くすると、隠輪を嵌めながら赤い豹を込めて壁を通り抜けて戻ってくる咎目の姿を確認すると、織鶴は改めて、咎目の実力の凄さも知る。
実は、始めの観葉植物以外は全て咎目が組み立てた。織鶴は観葉植物に色を付けるだけでもかなりの赤い豹と体力を持ってかれていた。それを、この男は全て歪みなく忠実に組み立て完璧に再現させてみせたのだ。
今日の見学だけでも、建築係として、この兄弟の腕は確かだった……。
「おい咎目ェ……お前保管室にカプセル置いてこい。」
終わるまでずっと床に座り目を閉じていた戒目は、欠伸を一つした後に両腕を伸ばしてからゆっくり立ち上がる。咎目は面倒そうに「えー!? 俺また行くのー? 兄ちゃん毎回ズリィー!」と文句を垂れるが、戒目が近くに置いてあった飲みかけのペットボトルのお茶を手に取り──見事咎目の顔面に投げたお茶が命中した。
関係ない話だが、このお茶は、浄化係から摘出される怨念の濁った水から連想して名付けられた"怨念茶"という商品である。
怨念茶が顔面に直撃しそのまま後ろへ大の字に倒れる咎目に、織鶴はわたわたと心配しどうしていいかわからず動揺。シルイートは鍵穴に差し込まれたシャクプセルの方へ向かい、鍵穴から引き抜いた。
「ケンガクさせてもらったお礼ー、僕たちが持ってくよー。」
咎目は織鶴が行くなら自分もと言いかけ起き上がるが、戒目が近づき咎目の額を叩いた。
──削除署の地下“カプセル保管室”、シルイートと織鶴はエレベーターから出てくると、丁度保管室に用事があったのかすれ違いざまにサラと一瞬合う。
足を止めずにサラが頭を下げてきたので、シルイートは軽く左手をひらひらと振り、織鶴も頭を下げた。サラはそのままエレベーターに入り、シルイート達は保管室の扉の前へ到着。
シルイートは、……暫く無表情で扉を見つめていた。織鶴が不思議に思ったのか「どうかしましたか?」と聞くが、すぐにシルイートは笑みを浮かべ「なんでもないよー」と答えた後に、扉を開けて二人は中へ入ったのだった……。




