番外編 - 2、花に必要なもの
仕事が一段落し、オフィスチェアにドカリと座り天井を見上げる桜馬。大量の怨念摘出作業は体力と精神をかなり消耗するため、一気に疲れが出てきて頭痛がした。目蓋を閉じて暫くこの状態のまま休憩しようかと、目の上に左の手の甲を乗せると眠気が誘う。
次の摘出作業まで眠っていようか考えていたところに、甘野老の間のドアがノックされた。もう次の削除者が来てしまったのかと内心ガッカリしながら「どーぞ」と癖で笑みを浮かべて答えると、中に入ってきた人物を手の甲を少し退けてチラリと見た桜馬は笑顔が引きつった。
「削除・没収係サフィニア削除者、鶴野恩織鶴です! ぉ、しごとおつかれ"ら"さです!」
"最後、絶対に噛んだでしょ"と心の中でつっこみ、桜馬はオフィスチェアから立ち上がり歩み寄った。摘出作業かと思い手を差し出し「武器頂戴」とニコリと笑みを浮かべる。正直、桜馬は織鶴が苦手なのだが嫌いではないし、特に意味も無しに誰に対しても露骨に冷たい態度はとりたくない。
手を差し出した桜馬に対し、織鶴は「ごめんなさい!」と急に謝罪し頭を下げる。
「怨念摘出ではなくて、今日は……その、これを……っ」
そう言い差し出してきたのは手紙だった。一瞬上司から何か自分宛てにでも届いたのかとも疑問に思ったが、桃色の封筒にはベタな赤いハートシールが貼られており、すぐにこの子からのラブレターなのだと察する……今時珍しいやり方だなと冷や汗をかきながら礼を言い受け取る。織鶴はラブレターを本人に渡すというミッションをクリアし、恥ずかしそうにはしているが表情はどこか満足そうで、赤面したまま「失礼しました!!」と言い残した後にもう一度頭を下げて、いそいそと甘野老の間から出て行った。
「……読むけどね。」
苦手な子ではあるが、自分を好きになってくれた相手を蔑ろにする程桜馬の心は冷めきっていない。オフィスチェアに戻り座ると、片足を組み眉をハの字にさせて溜め息を一つつき封筒を開いた。内容は桜馬への気持ちをつらつらと書いた物で、やはりどっからどう見ても読んでもラブレター以外の何物でもなかった。
……さて、最後の文を読んだ時だった。
「──ッ!?」
桜馬は盛大に吹き出し、両手で腹を抱えてゲラゲラと笑い出す。手紙の内容は最後にこう書かれていた。
──『桜馬さん、"大丈夫"です。』
「何がッ?!」
きっと最後に"大好きです。"と書きたかったんだろう……そこに書かれていたのは安否報告だった。笑いのツボだったのか、桜馬は暫く腹を抱えながら笑いが止まらずオフィスチェアをガッタンガッタンと揺らしていた。笑い過ぎて腹が痛かったが、後からまたじわじわと何かが込み上がってきたので地獄だった。
「あの子……面白い子だなァ」
先程までの疲労困憊は足でも生えてどこかへ行ってしまったのだろうか、腹を抱えて思いっきり大笑いしていたら一気に吹っ飛んでしまった。笑いが未だに込み上がってきながら桜馬は本人がいないところでそう呟く。
(そういえば……)
織鶴のちょっとした失敗に微笑ましく思っていると、ふと昔の事を思い出した。
「織鶴ちゃんのミスとは種類が違うけど……"アイツ"も、よくちょこちょことミス犯してたなァ~……」
手紙をオフィスデスクに置き、頬杖をつきながら桜馬は目を閉じる。昔の記憶を脳内で探り始めた。
挿絵:雪野鈴竜
***
花咲花夜は今でこそベテラン削除者だが、今から六十四年前の新人時代、彼は"自信過剰"という言葉の塊みたいな男だった。ちなみにこの時彼の髪型は、前髪を通常より長めに残したスポーツ刈りで、日本で流行したこの時代の男性ヘアスタイルだったらしい。
「納得いかねぇ!」
実家の居間にて、家族会議の中花夜が右手の拳を座卓に叩きつけて両親に怒鳴った。それに対し両親は感情的にならず落ち着いた様子、父親は「もう決まった事だよ、この話はこれで終いだ。」と言いゆっくりと腰を上げてそのまま散歩に出かけようとする。
花夜はこのまま話を終わらされては困ると立ち上がり、父親を呼び止める。
「おいクソ親父! "花の役目"はぜってぇ俺のが上手くやれる!」
「花夜、父上だろう? 座りなさい。」
花夜の隣で正座しお茶を飲んでいた兄──花月は、湯呑みを座卓に置くと静かにそう言う。淡黄色の柔らかい長髪は左側で一つの角髪に、そこに品のある桜の櫛が挿してある。森林を連想させる灰緑色の着流しに、落ち着きのある雰囲気の青年だ。
自然溢れる中、ひっそりとできた日陰のような涼し気な黒い瞳を花夜に向け見上げる。表情は笑みを浮かべているが、涼し気な瞳は父親に無礼な態度を取った花夜を確かに注意するものだった。普段おっとりとしている兄に対して花夜は、その威厳のなさについ反抗的になってしまうため、注意された事に苛ついた。
花月を見下ろしながら悔しそうに睨みつけ、拳を震わせている花夜を暫く見ていた父親は、顎に左手を添え少し考えると花夜に条件を出した。
「それ程花の役目と当主の座を得たいのなら、条件を出そう。」
──日本昔話家の内"花の家"に産まれた花夜は、小さい頃から自分に自信があった。普段何を考えているかいまいち読めない上、昔から、兄としての威厳もなくぼんやりとしていた十歳年上の花月に対して気に食わなかった。花月より自分の方が立派に当主としても、花の役目を果たせると信じていたし、花技も上手にこなせていた。
十歳も年上なのだから、花夜より先にとっくの昔に兄の"役目渡し(※十歳になった年内の自分が誕生した日に役目を与えられる日)"は終えているため、花夜が花の役目を与えられる事はまずあり得ない。それでも、自分の実力に自信のあった花夜は諦めたくなかったのだ。
両親と兄に度々訴えかけていたからか、十八の夏──花咲家では家族会議という名の花夜への説得が行われていた。しかしどんなに説得しようとも納得しない花夜に現当主である父親は、いっそ"本当に花夜が当主と花の役目を務める資格があるかどうか"試す事にしたのだ。
その為にはまず……。
「ぅざけんじゃねぇぞゴラ」
花夜はこの時思った。自分は"厄介払い"されたのではと……。
今、花夜は"削除署"の前で立ち止まり建物を見上げていた。父親から出された条件とは、削除者として一ヵ月働き、一つでも成果を出す事だった。あまりにも聞き分けがない故、削除者として働かせてそのまま話をなかった事にしてやろうとでも企んでいるのではと想像してしまう。
なら、ここで見せつけてやればいいのだと花夜はククッと声を漏らし両肩を震わせ不気味に笑ってやった。
「いいぜぇやってやるよォ! こんなお綺麗でナヨってそうな奴等の集まる場所での仕事なんざ、俺がちょちょいのちょいっとこなしてやらァ!」
「"お綺麗"……ね」
両手で拳を作り、周りの事も考えず空に向かって叫んでいた花夜の真後ろに、一人の銀髪の男性が立っていた。花夜は自分にしては珍しく、全く気づけなかった気配に恐怖を覚えゾワッと鳥肌を立たせ、すぐに後ろを振り向き一歩下がった。
……この男は後に幹部の一人になるエジリオだった。この頃はまだないが、幹部になったと同時にいつも藍色の外套を羽織っている。強面でない綺麗な人形のように整った顔だが、その目は無気力そうなジト目。エジリオの光を宿さないシトリンの瞳は、お調子者そうな花夜を一瞬びびらせるには充分だった。
エジリオは花夜に名乗りもせず、冷え切った表情のまま削除署へ入っていった。
「なんだよ……アイツ、」
イラッとはきたが、名も知らない相手に一々構ってはいられない。一日でも早く此処で成果を出すため、自分も中へ入らなくてはならない。……削除署へ入る寸前、本家を出る前に兄から言われた言葉があり、それを思い出してしまった。
──「花咲か爺さんの、"隣人老夫婦"にはならないように。」
「……クソッ! 馬鹿にしやがって!」
削除署の中へ入ると、兄の言葉を思い出しては、苛立ってつい近くの壁を一発殴ってしまった。
花夜は自分の幹部になる者へ挨拶するため、実家を出る前に知らされた通り、指定された場所へ向かう。幹部が居る執務室の前にまで来ると、軽くノックする。中から「入ってくれ」と許可が下りると、花夜は返事をしてからドアを開けて中へ入った。
「あれ、君……」
どうやら先客がいたらしい。花夜は自分より先に来ていた相手の顔を見ると、見覚えのある顔に目を見開き驚いた。相手も同じく驚いたようで、目を丸くしてこちらを見たまま数秒間固まった。
腰程の艶のある黒い長髪は一つに束ね、こちらを振り向くとさらりと涼しげに揺れた。狐のような切れ長の目……こちらを見つめる夜空を連想させる黒い瞳はずっと見ていると吸い込まれそうで、けれども、どこか寂しさも感じる色だった。
彼の名は猿蟹合"猿之王"、花夜と同じ日本昔話家の者で、集会等で何度か顔だけはお互い見た事はあった。……確か、彼は長男にも関わらず、兄の座と蟹の役目を自分の一つ下に渡してしまったと聞く。
(……気に食わない。)
花夜の眉間に皺が寄る。今の自分は、花の役目と当主の座を手に入れたいがために、両親に認められようと此処へ来た。そうまでしないと手に入れる可能性さえ掴めないのに、猿之王は違う……初めから花夜の欲しかった全てを手に入れているにも関わらず、全てを自ら手放している。
猿之王は笑みを浮かべこちらへ歩み寄ると、握手を求めてきた。そして彼の初めの挨拶に、花夜は頭に血が上る事になる。
「初めまして、浄化係オーニソガラム削除者、桜馬です。」
(……なんて?)
「話は聞いてるよ、君と同じ浄化係だからこれからよろしくね?」
日本昔話家に産まれた者は、その名にそれぞれの家の漢字が入る。天界全体を守る結界的存在である我々は、天使達にとって最も神に近いとさえ言われる誇らしい存在だ。それを、この男は全てを手放している挙げ句に名前さえも──
「貴様ふざけるなッ!!」
花夜は険しい表情を浮かべ、握手を求めてきた猿之王……否、桜馬の手を荒々しく叩き払った。これには近くで様子を見ていた幹部も驚き、ニコニコと笑みを浮かべていた桜馬もキョトンとしながら、ヒリヒリと痛みがする払われた手を摩る。
流石に幹部の前で取り乱したのはまずいと思い、すぐに二人に頭を下げ謝罪した。しかし、心の中では桜馬にだけは決して従わないよう誓った。これはただの意地だった。
困った事があれば桜馬に聞くよう幹部から言われたが、花夜は一度決めれば頑固だったため、意地でも桜馬に頼ろうとせずにどんな仕事も引き受けた。だが、所詮は親のコネで削除者になった身、今まで経験してこなかった仕事に戸惑いちょいちょいミスを犯しては係長に叱られた。桜馬はそんな花夜にアドバイスをするが、花夜は一切聞こうとはしなかった。
これでは成果を上げるどころではない……正直、花夜は焦っていた。焦れば焦る程、全て裏目に出て失敗に終わる。花夜は係長に頼まれ、摘出作業を終えた茶色く濁った水が入ったバケツを倉庫へ運びながら、どうすれば早く両親と兄に自分の力を見せつけられるか頭の中でぐるぐると考えていた。
「わ、」
床に雑巾がある事に気づかず踏んでしまい、足が滑ったがなんとか転ばず踏みとどまった。今はただの水とはいえ元は自殺者の怨念、万が一中身を零してしまって問題が起きれば大変だ。何をやっても上手くいかず、花夜は大きく舌打ちをしバケツを床に置く。
「お疲れ」
扉の方から声が聞こえ振り向くと、倉庫の壁に背をつけて立つ桜馬がいた。見たくもない顔を見てしまい花夜はさらに眉間の皺を深くさせる。
「……一体何の用だよ、お猿さん」
桜馬は肩をガクッとさせ、「おさるて、」と苦笑いした。自分が好かれていない事は自覚していたが、仮にも先輩に対しての呼びにしてはショックだった。しかし桜馬はそんな花夜に怒りもせず、労いの言葉をかける。
「君はよく頑張ってるし、これからもっと成長する。僕なんか少しでもサボりたいって思ってるダメな男さ、尊敬するよ。」
桜馬は卑下している様子だが、とんでもない……彼は誰が見ても優秀な男で、何をやらせてもそつなくこなせる。言葉だけ聞くと嫌味に聞こえるのだが、笑みは浮かべているが、桜馬の表情は心の底から自分を嫌っているように見えた。
何故、そのような表情をするのか……花夜には全てが理解できなかった。会う度に威嚇されている桜馬は、そんな花夜に対し嫌な顔一つせず、懲りずに世話を焼いてきた。今まで散々彼の親切な言葉を聞こうとはしなかったのに、それでも彼は一切怒らなかった。
「用って程ではないんだけど、」
「じゃあ聞かない」
「ままま、待ってって!」
気に食わない。何をやってもそつなくこなせるくせに、全てを手放す。わかっている……これはただの嫉妬なのだと、花夜はさっさと倉庫から出ようと早足で桜馬を横切ろうとするが、慌てた様子で呼び止められる。花夜は背を向けたまま立ち止まり、「早くしろよ」と冷たく言う。
「花夜君、疲れてるみたいだから、少しのんびりしてみたらいいんじゃないかなァ~って」
「……ッ……てめぇ」
頭に血が上ったのはこれで二度目だった──花夜は桜馬の胸ぐらを掴み、荒々しく壁に押し付けた。桜馬は頭を壁にぶつけ少し痛そうに顔を歪めた。
「ぁったた……大胆だなァ~……そーいうのも、キライじゃあないケド?」
眉をハの字にさせ、ウインクしながら舌を出す。やはり彼は怒らない。ふと、花夜はこんな事を思ってしまった。
(このまま、壊シテシマオウカ?)
ヘラヘラと何の苦悩も知らなそうな気の抜けた表情を、余裕のない苦しげな表情に塗り替えてやりたい。沸々と黒い何かが込み上げてくるのを感じながら、花夜は兄の言葉が脳内にじわりと浮かび、ハッと我に返る。
──「花咲か爺さんの、"隣人老夫婦"にはならないように。」
今、自分は何を考えていたのか……花夜は自分の拳に向けていた目線を桜馬の顔に向ける。彼はこちらを責める事もなく、寧ろ安心させようと柔らかい笑みを浮かべていた。
「気に障ったのならごめんね。でもさ、あまり張り詰め過ぎても上手くやれる事もやれなくなっちゃう。」
桜馬は震えていた花夜の拳に両手でそっと触れ、両目を閉じ言葉を続ける。
「君は優秀な子だ、基本もしっかりできてる。ただ、いくら足が速くても、走りっぱなしでは体力も尽きて使いものにはならない。蛇口の水だって、出しっぱなしじゃあただ無駄にしてるだけだし、必要な時にだけ栓をひねって出せばありがたいものだ。」
自分に足りないものとはなんだろうか、桜馬を見ていると、自分が欲しているものに大切な何かがあるように思えた。認めたくはない。このようないい加減な男に自分が劣っているなど、自分は桜馬や兄なんかよりも、日本昔話家の者として役目を受ける資格があると自信を持って言える。
「……クソッ」
自分にはまだ仕事が残っている。花夜は悔しそうに桜馬の胸ぐらを掴んでいた手を乱暴に放し、その場を今度こそ去った。掴み上げられていた桜馬は急に解放され、重力に逆らえず蹌踉けた。
──1957年、第二次世界大戦終戦後から十二年。この頃の削除者達が回収してきた怨念は、今より危険なものだった。詳細は語るべきではないだろう……最後まで戦った彼等のためにも、削除者達はただ彼等の思い全てを日々受け止め、考える事を終わらせない。それが、削除者達が彼等を相手にする責任の取り方だろう。
怨念摘出作業は主に係長と、係長が認めた浄化係の削除者が行うがそれも限られた人数だ。この日、一人の削除者が片腕を失いながらも命がけで、"一つの禍々しい黒い霧を纏った刀"を持って帰還してきた。大勢の他の削除者達が集まり、数人がその者を病院へ運び、もう数人は今にも怨念が暴走しそうな刀を浄化係へ運んできた。
刀は数分も持っていられない。手にした者は怨念の主だった者の感情が体内と脳内へ伝わってくるため、自分が何者かを見失いそうになったり、怪我もしていない者が苦痛を感じたりとかなり厄介な物だった。浄化係へ運ぶ間、一分以内に交代で削除者達が手渡しして移動している。
「こっちへ早く!」
清掃場へ到着すると、桜馬が清掃場の中心に彫られている円型線に置くよう指示する。持っているのももう限界だったのか、刀を持っていた削除者は円型線に置くとその場で倒れ込んでしまう。倒れ込んだ削除者の脳内と体は恐怖、絶望、悲しさがごちゃ混ぜになっており、歯と歯がガチガチと何度もぶつかり音が鳴る程震わせ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃに歪んでいた。
此処へ運ぶまでの間に、刀を交代で手渡す度にその状態になり削除者はその場で倒れ込む。そのため浄化係へ続く道には、まるでヘンゼルとグレーテルがパン屑を落とすように倒れた削除者達が並んでいた。
この頃の削除署はこんな事毎日だった。怨念に苛まれた削除者は何日も寝込んでは悪夢を見るので、常に人手不足だった。
……ここで一つ、深刻な問題があった。
(係長が、まだ寝込んでいる……どうする気だ?)
倒れ込んだ削除者の体に肩を貸し、円型線から離れた場所へ移動させながら花夜は桜馬の様子を見る。怨念摘出作業はそこそこ削除者歴の長い者でも任せる事はないくらいに危険だ。係長の手伝いをし信頼されている桜馬でも、一人で作業をするには難しい。
係長が戻って来るまで待機するべきか、しかし、刀は今もなおガタガタと震わせながら黒い霧を滲み出している。早めに対処しなければまずい。
「花夜君」
汗を滲ませながら考えていると、桜馬に声をかけられてハッとし顔を上げると……。
「危険だと思うけど、ここでこの刀を見張っててくれるかな?」
こちらへ来ると、桜馬は花夜の肩に手を置く。寝込んでいる係長の様子を急いで見に行ってくるらしい。清掃場を出る前に、念のために、一人で摘出作業をしないように言ってから桜馬は走って出て行く。
言われなくても、流石の花夜もこの刀を自分一人が対処できるとは──
(けど、もしこれの摘出を成功させれば……?)
ドクリと、嫌な心臓の高鳴り。
──「納得いかねぇ!」
──「おいクソ親父! "花の役目"はぜってぇ俺のが上手くやれる!」
──「花夜、父上だろう? 座りなさい。」
──「それ程花の役目と当主の座を得たいのなら、条件を出そう。」
家族会議の時の会話が脳内に響く、そうだ、自分はこんな所でただ自分の無力さを思い知っている場合ではない。削除者として成果を上げて、自分が、自分こそが花の役目と当主の座に相応しい事を両親と兄に見せつけなくてはならない。
(舐めるな、俺を誰だと思っている。)
この時、またあの兄の言葉が脳内に響いたが、今思えばこれが最後の警告だったのかもしれない。花夜は警告に気づかず、肩を貸していた削除者を床に寝かせ、震えている刀へゆっくりと目を向ける。
「花咲花夜、俺こそが……花の役目に相応しい!!」
……この頃の怨念摘出作業は、今よりもっと難しかった。掃除機型の摘出道具は開発されておらず、摘出する武器に左手を向け、天使の持つ赤い豹を込めて怨念を取り出していた。掃除機型摘出道具の場合は掃除機の中で水に変換しているが、道具が無かった時代では、空中に浮かばせた怨念は浄化係の赤い豹のみで水に変換するように意識を集中しなければならなかった。
係長とその認められた浄化係の者は、摘出後安静にしていなければならない。桜馬も普段ふざけた様子だが、あれでも摘出後は数時間の長い睡眠時間を取って安静にしている。
花夜は円型線の前に立ち、近くで係長達がやっていたように見様見真似で武器に左手を向け、右手を二の腕に置き目を閉じた。
(……暗い)
目蓋を閉じた数秒後、周りの音が少しずつ消えていく感覚がした。寒くて、常に誰かに見られているような……一言で言えば"居心地が悪い"。左手の指先から、氷が解けた水の冷たさが伝わってきた。
"助けて"と、脳内に何者かの声が響き鳥肌が立つ。この怨念の主か、本体は別の場所で自殺を繰り返しているだろうが、主の感情だけは怨念越しから伝わってきて精神ごと押し潰されそうだった。全身から魂が抜けていくような不安を感じていく。
(まて、待ってくれ……!)
自分の体が奪われていく、焦り、恐怖、孤独……。花夜は意識が薄れていく中、声だけは出そうとした。
「──大丈夫だよ」
音が無かったはずの空間で一人の男の声が響くと、抜けていく感覚から段々と今度は自分の肉体に吸い込まれていくように戻っていくのを感じた。完全に魂が肉体に戻ると、動かなかった目蓋が開けるようになった。
……目蓋を開くと、先程まで居なかったはずの桜馬が真横で左手を前へ向けていた。顔に汗が滲み出ていながらも、その表情は穏やかなものだった。"大丈夫、怖くない。辛かったね、苦しかったね。悲しくて心細かったね。"と、言葉にしなくても伝わってくる桜馬の心からの温かさ、花夜は自分まで自然と涙が目に浮かんでいた。
「"君の全てを、受け止めよう。"」
桜馬の腹の辺りに違和感を感じ目を向けると、服越しから血が滲んでいた。もしかすると、花夜の代わりに傷を負ってしまったのかもしれない。それでも桜馬は怒りを見せなかった。その時花夜は、自分に何が足りないのかわかってしまった。
桜馬にも兄にも、役目を持つ者として二つのものが共通して備わっている。それは"寛大"と"鷹揚"だった──植物はただ水を与えればいいという訳ではない。水以外にも光や空気等といったものを沢山必要とする。ただ水だけを与えればいいと、花技を身に付けて役目とその立場を欲しがっても、何の意味もなかったのだ。
「花の役目は兄貴に任せてきたよ。」
「……おかえり?」
てっきり削除者を辞めて実家に帰ったのかと思いきや、なんと花夜は数日後には削除署に戻って来た。桜馬は腹回りに包帯を巻きつけたまま、目を丸くさせて椅子に座ったまま花夜を見上げていた。たった数日で、花夜の雰囲気はガラリと変わっていた。
まず、喋り方。一人称等は特に変わってはいないが、全体的にほんのり柔らかくなっている。それから服装、これもあまり変わっていないが、アスコットタイを結んでいるしきちんと制服のボタンも止めているのだ。……正直、いきなりの変わりように桜馬は引いていた。
「どうしたの、きみ……。」
花夜は自分でも急に喋り方と服装を変えたため、照れくさそうに頭をポリポリと左手で掻いた。
「別に、ただ……確かに俺は役目に相応しくないと自覚したよ。けど……、」
桜馬の顔をしっかりと見て、彼なりに答えを言った。
「"寛大"と"鷹揚"は身に付けておいて損はないし、……考えてみたら、アンタの事は普通に尊敬してるんだよ、俺は。」
"だから、アンタの近くで見習うと決めた。そのために削除者も続けるからよろしく。"……そう言われてしまい、桜馬はただ頷く事しかできなかった。




