第10話、始・赤ずきん
幼き頃……思えば、私は妻に出会ったその時には異常だったのかもしれない。妻は恵みの雨を沢山浴びた花弁に滴る雫のような美しい女性で、周りの男は皆彼女を見ては潰される勢いで心を掴まれた。
しかし、美しさが増していく彼女に対し私の心は日に日に冷めていった。私は最低な人間なのだろう……妻が交通事故で亡くなったのに涙一つ流さなかった。再び会う事がもしできれば、その時はあの日出会った瞬間の姿で現れておくれ。
「パパ……痛い。」
あぁ、妻よ。会いに来るのが早いじゃないか、私の気持ちを察してあの頃の姿で目の前に現れてくれたんだね。そうだよ、私は……いや、僕は"キミ"に恋をしていたんだよ。何処に行っていたんだい。
「パパ、なんでわたしの胸に耳をあてているの。」
「お前の鼓動がよく聞こえるようにだよ。」
「パパ、なんで目がぎらついているの。」
「お前の姿がよく見えるようにだよ。」
「パパ、なんで舌をちらつかせているの。」
「それはお前という存在をたっぷりと味わうためだよ。」
小さな体を受け止めるベッドは、指輪を収めるリングケースを連想させた。汚れ無き白いシーツに広がる金の糸を掬い上げると、手から水が零れるように落ちる。
……私は、決して許されないであろう事に手を出してしまった。
挿絵:雪野鈴竜
***
アロンザとファウストは現世のショッピングモールに来ていた。勿論、わざわざ現世にまで来て仲良くデートという訳ではなく、二人は色気のないいつもの制服を着ていた。ファウストは内心"人間の姿に変装してデート気分が少しでも味わえたら……なんて何を考えているんですかね俺は"と、一人で想像して一人で反省していた。
ショッピングモールに来たのは映画館が併設されているため、今回の任務先はそこだ。自殺した場所は別の場所だが、場所が近かった事もあって映画館に忍び込んでしまったらしい。因みに、隠輪はしているため人間には二人の姿は見えていない。まぁ、夜も遅いのでところどころ店は閉まっているから人も少ないのだが……。
「へぇ……、現世ではこんな映画がやっているんですね。」
「気にはなるかもしれんが、仕事に来ているから観れなくて残念だ。」
仕事熱心のアロンザにしては珍しい発言。そういえば……と、ファウストはある事を思い出していた。随分前に、仕事終わりに馬車の中でお互いについて雑談をしていた。その時に彼女は舞台鑑賞や読書が趣味だという話をしていたので、きっと休日には映画も観に行ったりするのだろう。
アロンザは内心観たいのを我慢し、先にスタスタと歩き進む。壁には今上映中の作品のポスターが沢山貼られていた。"透明猫の創作物。~テリーヌのコレクション達~"、"幽霊少女咲"、"ヂヂヂ"、"期間限定理想彼氏"……。ファウストが個人的に気になったのは最初に目に入った透明猫なんたらとかいう作品だろうか、どうやらシリーズ物らしく、ポスターにはそう書かれていた。
メインの登場人物らしき金髪三つ編みの女性は、両手に何かを抱えているのだが、包帯に巻かれているとはいえ形的に人の首に見えた。タイトルにも"コレクション達"と書いてあるのだから、つまり……。
(ヤバイ女だ……!!)
意味がわかりファウストは思わずビクッと反応し後ろに一歩下がる。罪を犯した罪人霊が地獄へ送られたり、自殺者が千年間死を繰り返したりと、こちら側の世界の者もなかなか残酷だが、人間の考える発想も劣らず恐ろしい。
ファウストはちらりと少し離れた距離にいるアロンザへ目を向ける。彼女も何やらポスターを見ているようだ。あの堅苦しそうな性格からして、やはり戦等の勇ましい映画だろうか、少し気になったのでファウストはアロンザが去った後に、そのポスターを見に行く。
「……なんなんだ、あの乙女は。」
"期間限定理想彼氏"……。タイトルもポスターに写る人物達もどこかキラキラとした雰囲気で、見ているだけでも眩しくて目が痛くなった。
(ギャップ萌えで俺を殺しにかかっている……。)
アロンザは別にそんなつもりはないだろう。
映画を観に来た訳ではない二人は自動発券機に用がない。グッズ売り場等を通り過ぎて通路へ移動すると、アロンザは両腕を組み立ち止まる。通路には1~9番のスクリーンが並んでいるが、エルネストから聞いた話によると、どのスクリーンに自殺者が潜んでいるのかは日によってバラバラらしい。
ならどうやって見つけるかという話になるのだが、一つ一つのスクリーンを見て回るのは効率が悪い。しかし、ある条件が揃えば自殺者に遭遇できる。
「……さてファウスト、"黒猫"を探すか。」
アロンザがそう言うと、ファウストは頷いた。それは今回の自殺者の捕食方法に関係していた。
自殺者は映画館に来た観客かスタッフの中で、特に"物静かで体が少し弱そうな女性"を無意識に狙って異空間へ誘導する。誘導するには、館内にいるはずのない"子猫の黒猫"を出現させ、気になった観客が黒猫についていく。黒猫が入ったスクリーンに入ると、自殺者が作り出したであろう異空間にいるという訳だ。
……暫く気配を探りつつ周りを見て回っていると、チラリと黒い小さな影がファウストの目に入った。小さな影の正体はアロンザ達が探していた子猫の黒猫で間違いはなく、微かに死者特有の異臭を放っていた。
黒猫は1のスクリーンの扉に行き、扉の前で一回ぐるりと歩いて回る。次に4と3の順に扉の前に行った後に一回ぐるりとまた歩いて回る。次に1の扉に行ったかと思えば一旦離れてまた1の扉へ行き、最後に一回ぐるりとまた歩いて回った。
黒猫がそうしていると、スタッフであろう一人の女性もこちらにやってくるのだが、その目は何かに操られたように虚ろだった。恐らく、この女性が自殺者の獲物なのだろう。黒猫はピタリと立ち止まり、女性が近くまで来るのを確認すると一回ぐるりと歩いて回り、3と4の順番に扉の前に行くと最後に二回ぐるりと歩いて回って、4のスクリーンへ入っていく。
アロンザとファウストはお互いの顔を見ると頷き、魂玉を飲んだ後に無言でスクリーンへ入っていった。
***
暗闇の中、オルゴールのネジを巻く音が聞こえた。カチカチと心地の良い音をぼんやり聞きながら、自分が何者だったのかをふと思い出そうとする。自分の名前はおろか、性別さえも思い出せない。一つわかるのは、自分が今"寝ている状態"というだけだ。そして今の状態は起きる数秒前だというのも何となくわかった。
やけに冷静な自分にも驚く、記憶を無くす前もこんな性格だったのだろうか……しかし、確かにここで慌てても仕方がない。まずは目を覚まし、自分が何者でどういう状況なのかを把握すべきだろう。
──誰かに呼ばれる声がした。目蓋をゆっくりと開き、目だけをきょろりと動かし部屋を見渡す。
(……"妙な世界"だな。)
初めに思ったのがそれだった。上半身を起こし、改めて今度は頭を動かして周りを見渡す。テーブルや椅子等……物が少ないのもそうだが、生活感がない訳ではない。なら何が妙なのか、数秒間考えた後にふとこんな事を考える。
(自分は、この時代の者ではない気がする。)
近くの壁に鏡がかけてあったので、ベッドから降りると次に自分の姿を確認するため足を動かす。ここでも違和感──自分の体にしては小さ過ぎる気がした。
鏡の前にまで来て、早速自分の姿を確認するために自分の顔を見た。
「……随分幼いじゃないか、」
第一印象が口からそのまま出る。そう、一言で言うなら"幼い"。つまり自分は本来子供の姿ではなく、もう少し……いや、二十歳等とっくに過ぎている年齢なのだろう。しかし全くの別人という感じはしない上、寧ろ懐かしさも感じられたため、もしかするとこの姿は過去の自分の姿という可能性が高かった。
容姿は十歳未満くらい。確認してはいないが、歩いた感じ男性にある物が無いので性別は女性だと判断する。肩の少し上くらいにまでカットされた髪は雪のように白く、大きめなツリ目に瞳の色は宝石のシトリンを連想させた。
記憶はまだ完全に戻ってはいないが、間違いなくその娘は"アロンザ"だった。
……ここで少女は頭の中を整理する。まず一つ、記憶を無くしている。二つ、住む時代が違う。そして三つ、自分は子供ではない。
証拠も何も無いのに何故確信しているのかはわかっていなかった。"もしかするとこの感情や思考さえも何者かに操られているのでは"と考え、察しのいい少女はまたここでおかしい事に気づいていた。
(何故、今私は"何かに操られている"と思った?)
少女は今、母親らしき人物に呼ばれて、ベッドの上に用意されていた背中に二つの穴がある服に着替えていた。茶色のカートルをスモックの上から着ながら、なんだか"劇か何かに着るような服"だと思った。つまり、自分は日常的にこのような服を着ない時代の者という訳だ。"劇に着るような服"と考えるのだから、未来から……そもそも、この世界が現実の世界なのかも怪しい。
「まだ着替えが終わらないの? 早く来なさーい?」
呼んでからなかなか来ない娘に不思議に思ったのか、母親らしき人物が再度呼ぶ。少女は他の情報も知るために、とりあえず言われるがまま声のする方へ向かった。
「お兄ちゃんはもう農作業に出たし、お姉ちゃんは今家の事で手が離せないのよ。」
来ると早々、母親はそんな事を言いながらバスケットを渡してくる。中を覗くと、パンとミルクの入った瓶が入っているのが見えた。ピクニックのお弁当にしては質素だったが、この時代では食べれるだけでもいい方なのかもしれない。母親はこれを病気の祖母に届けるように言ってくる。記憶の無い少女は祖母の家が何処にあるのか知らないので、母親に質問した。「何、忘れたの?」と呆れた様子で、母親は少女に家の場所を教えた。
祖母の家は村から離れた森の中にあるらしい。大体の道は頭に入ったので、後は言われた通りに御使いを済ませるだけなのだが……少女は「もう一つ、質問がある。」と母親に言う。
「熊や狼にいつ遭遇するかもわからない森に、何故私を一人で行かせる?」
一瞬空気が凍り付く、母親の表情はスッと無表情になりながらも、困惑しているようにも見えた。少女は更にこんな事を言った。
「大体、婆さんが病気になったのにヘラヘラと笑いながら道を説明していたが、正直気味が悪い。」
少女の言う通り、母親は道を教えている最中ずっと少し嬉しそうな笑みを浮かべていた。それに、何が出るかもわからない危険な森に、何故老人が一人住んでいるのだろうか、まるで……。
「まるで姥捨て山だな。」
少女はくすりと笑いそう呟くと、更に両腕を組んだ後に考える。先程から母親が自分に対して冷めた態度なのも気になったが、母親の発言から察するとどうやら自分には兄弟がいるらしい。それも農作業や家事ができる程の年齢だとわかる。
それに比べ、自分はまだ任せられる仕事が少ない年齢くらい。そして、危険な森に御使いを一人で行かせる……成る程。
「理解した。御使いに行ってくる。」
脳内に立ちこめた疑問という名の霧が晴れた気分だった。母親に切り捨てられたというのに、絶望どころかスッキリとした表情を浮かべる。少女はバスケットを両手に抱えたまま母親に背を向け家を出ようとする。まだまだわからない事が多い、一刻も早く記憶を取り戻さなければならない。
記憶は無くしても、少女は"アロンザ"だった。この調子なら自分という存在を取り戻すのに時間はかからない──そして、その時はあっさりとこの後くる。
冷めた態度をとっていたとはいえ、心のどこかでは多少の罪悪感は持っていたのだろうか、妙に達観した娘に焦燥感を抱いた母親はハッとする。その後慌ててある物を取りに行き、戻ってくるとぎこちなく娘に渡してきた。
「忘れ物……ほら、"頭巾"だよ。」
少女は渡された頭巾を見つめながら、徐々に目を大きく見開いた。"あぁ、そうきたか。"と心の中で呟き納得した笑みを浮かべた。
家を出て森へ向かいながら、少女……否、記憶を完全に取り戻したアロンザは呟く。
「童話好きの自殺者よ、残念だが私は人間ではないんだ。」
この世界は過去でもなんでもなく、自殺者の作り出した異空間だった。それも自殺者にしては作り込まれたもので、アロンザの頭には赤い頭巾が被られていた。
どうやら舞台は"赤ずきん"。室内での違和感はプラグを差し込むコンセントがどこにもなく、電化製品らしき物も一切見当たらなかったからだ。自分が普段暮らしている時代で当たり前のようにあるはずの物が無いと、記憶が無いとしても違和感があっても仕方がない。さらに現在に至るまでの流れも、有名な童話通りとなれば察しのいい者はわかってしまう。
自殺者のやり方としては、誘い込んだ獲物の反応を遅れさせるために記憶を消しているといったところか……。普通の人間ならば上手くいくかもしれないが、アロンザは天使である。それもどのような状況でも、冷静に考え行動するよう訓練された削除者だ。
──「思考停止は死んだも同然、困難な状況になったとしても常に考える事を放棄するな。まずは周りをよく"観察"すればいい。」
アロンザの脳内に懐かしい男性の声が響く。任務先で生き抜くために、全てを頭と体に叩き込まれた自分が何者であるかを思い出すのにそう時間はかからなかった。
(彼は私の中で"生きている"……削除者として生き抜くための術と共に。)
ここが赤ずきんの舞台というならば、ストーリーの流れは把握しているのだからそれを利用し自殺者を仕留めればいい。しかし今の自分は子供の体、一応家を出る前に包丁を持ってきたとはいえ、無いよりましだとしても自殺者を前にした時にどこまで戦えるか不安だ。
流れ的に何となく狼役が自殺者だと想像するが、実際にまだ会っていない。森の中を歩いていればその内出会うだろう……まずはその狼がどんな形で出てくるのか確認しよう。
(あぁ、わかりやすいな。)
アロンザは歩き進んでいた足を止める。少し離れた前方から、禍々しい雰囲気の何かがこちらへ向かってくる。普通の霊等は、たまに傍に現れたとしても見た目が普通の人間に見える者も多く、大体の人間にはそれが霊だと気づかない場合が多い。霊といっても色々な種類があるので、怨念が強く姿形も歪になっている者もいるが、大体の人間は"何となく嫌な感じがする"程度で、姿まで見て認識する事はできない。
天使は"寒さ・異臭・禍々しい雰囲気"の三つを感じ取れた時点で、"それ"がこの世の者ではないとすぐにわかる。
前方から来たのは"狼男"、見た目はほぼそのまま二本足で立つ狼。何故か首には#金__きん__#で作られた重そうな首枷がはめられており、枷に繋がれた鎖は長々と何処まで続いているのかわからない程だ。ジャラジャラと草や小石にぶつかりながら音を立てて引きづり、苦しそうに息を荒げながらこちらへやってくる。
アロンザはそれを見て内心気味悪がる。多くの暴走した自殺者を相手にしてきたのだから見た目とかの問題ではなく、この大きな作り込まれた舞台を作った者にしては、窮屈そうに首枷と鎖に繋がれている。考えられる理由としては、このような舞台を作ってしまった分、自ら首を絞める形になってしまったのか……。
狼男はアロンザの前にまで来ると、一言も喋らず体をだらしなくゆらゆらと左右に揺らしている。言葉は話せないようだが、代わりにアロンザの脳内に声が直接響き、アロンザは脳内で声を聞きつつ自分は声に出して会話をする。
赤ずきんの内容通り。狼男がアロンザに何処へ行くのかを聞き、質問にもいちいち親切に答えてやると、狼男はその後に花を見に行かないのかとアロンザに勧めてきた。狼男の声は全て感情が込められていない棒読み……というよりは、異空間を作り出した本人にも関わらず、何かに操られているように見えた。
(そうだな……。)
アロンザは考えた。狼男には指示通りに花を摘む事を言い、狼男が去ったのを確認した後に急いでお婆さんの家へ先回りをする。そうと決まればさっさと花でも摘んでいくよと言い頷くと、相手が背を向け歩き出すのを見送った。
大分離れた所で、アロンザも歩き出そうと一歩を踏み出すのだが……。
「……まいったな、やるべき事をやらないと先へ進めない仕組みなのか。」
見えない壁でもあるのか、右足がカツンと何もないところでぶつかる。試しに力を入れても先へ進めないので、大人しく花を何本かだけでも積んだ方がいいらしい。
……さっさと花を数本摘みバスケットに入れると、アロンザは走り出した。子供の足ではいつもより早く移動ができないのは想像していたが、思った以上に遅い。
(迷惑な話だ。力や速度まで忠実に再現されている。)
家の手伝い程度でしか生きてこなかった子供の体力まで忠実に再現されているらしく、いくら走っても狼男より先にお婆さんの家に辿り着ける自信がなかった。なら、慌てても仕方がないとアロンザは走るのをやめ、両膝に手を付き、両肩を上下に動かしながら必死に呼吸する。
先回りできないのなら、体力を無駄に消耗しないよう自分のペースで歩くしかない。お婆さんの家に着いた後に対策を考えればいい。
(考えろ、自分にできる事を……。)
目を閉じながら数分間考えていたアロンザは、ここでまさか本好きの自分に感謝する日が来るとは思わずつい笑ってしまった。
「自殺者も"このネタ"を知っていたらの話……だが、」
──母親に言われた通りの道を進むと、お婆さんの家に無事着く。ドアは不用心にも開けっ放し、……やはり、狼男は先に到着していたようだ。という事は、恐らく中に居たお婆さんは既に食べられているであろう。
この赤ずきんの舞台は、子供に見せるような優しいストーリーの作りはしていないだろう。お婆さんへの扱いが姥捨てのように見られたり、"そういう時代だった"とはいえ、娘を手放すような行為をしつつお婆さんが病気になったと聞き嬉しそうな母親の顔。ならば……。
("あれ"を期待してもいいんだろうか、一か八か。)
幸い家を出る前に包丁を持ち出している……いつでも切れる。
中へ入ると、早速脳内にまた狼男の声が響く。内容はカチカチ山を連想させるもの、狼男はベッドの中でお婆さんの服を着てベッドに横になりながら、"戸棚にある肉とワインがあるよ"と勧めてきた。
(……想像通りだな。)
言われるがまま椅子を戸棚の前に置いてその上に乗り中を覗くと、中には皿に乗せられた生肉と謎のワインが入った瓶があった。
カチカチ山では、狸がお婆さんを虐殺した後に鍋に入れて煮込み、"婆汁"を作りお爺さんに食わせたという……。そして赤ずきんでは肉はお婆さんの物で、ワインと言われた物も血だ。
「……ありがたく頂くよ。」
アロンザは戸棚から取り出した瓶を右手で掴み、左手で皿を持ちゆっくりと椅子から降りる。テーブルへ向かい全て置き、次にアロンザはテーブルの下を覗く、するとそこには……。
「腹は減っているか?」
映画館で獲物をスクリーンに誘い込んでいた子猫の黒猫がそこにいた。黒猫は"にゃ~"と鳴くだけ、物は試しだ……皿を掴むと黒猫の前に置き、続いて瓶に入った血も肉の入った皿に注ぐ。黒猫は普通の猫ではなく自殺者の使い魔だ。ただの餌だと思い匂いも嗅がず、目をぎらつかせてガツガツと食いつき始める。
これでお婆さんの肉と血は一応食べられたのだから合格、数分後、狼男は皿と瓶が空っぽなのを確認すると、こんな事を言い出してきた。
"こちらへ服を脱いでおいで"と……。ふとアロンザはこの時、外で何者かの気配を微かに感じた。
(どうやら、包丁を使わずに済みそうだ。)
アロンザはニヤリと笑うと、ベッドへ行く前に窓の方へ向かう。「こんなに清々しく晴れているのに、窓を開けて新しい空気を入れないなんて勿体ないよ。」と言いながらさり気なく窓を開ける。外から心地の良い空気が入ってくるのを感じながら、一枚一枚脱ぎ始める。
まずは赤い頭巾を脱ぎ、狼男にこの頭巾をどうするか聞く。狼男は"もう必要はないから暖炉にくべておしまい。"と脳内で伝えてきた。近くにある暖炉の火に頭巾を放り込む、次にアロンザがカートルに手を出そうとした時──銃声が響いた。
窓から風を切るよう何かが見えない速度で横切ると、狼男の体が激しく揺れた。アロンザはもう服を脱ぐ必要もなくなったので、ホッとした表情で窓の外を見て礼を言う。子供の体とはいえ、肌を誰かの前に晒すのは多少抵抗はあったのだ。
「ご苦労だった。礼を言わせてもらうよ猟師……いや、"ファウスト"。」
遠くの方から走ってくる音が聞こえてきて、待っている間アロンザは近くに置いてあった椅子に座った。開けっ放しの入り口から猟銃を持ったファウストが入ってくる。
「一つ、いいですかッ」
彼が少し息切れしているのは、体力を普通の人間と同じに設定されていたからだろう。アロンザは「何だ?」と平然とした態度だ。
「言われた通りに動いていましたが、俺が居なかったらどうしてたんです?」
いつも通りあまり表情は変わっていないが、眉間に皺が少し寄っている。珍しく怒っているようだ。しかしアロンザは、「あぁ、その事か」と寧ろ笑みを浮かべながら椅子から降りる。そのまま眉間に穴が空いているであろう狼男が寝ているベッドへ向かう。
アロンザは左手で毛布を掴み、思いっきり引き剥がす。そこには"縄"があった。
「これ……」
「あの時、私が全裸になった後狼に縄で縛られる予定だった。」
赤ずきんはベッドに入り、狼がお婆さんでない事に漸く気づく。どうにか自力で逃げようと赤ずきんは狼に、「おしっこに行きたいから外へ行かせてほしい。」と頼みます。最初は「ここでしろ」とまで言って許可を出さなかった狼だったが、赤ずきんが何度もお願いするのでとうとう折れた狼は許可を出してしまう。
その後、赤ずきんは外へ出るとすぐに縄を解き逃げ出すのだった。
「本でたまたま読んでいたネタまさかここで役立つとは思わなかった。護身用に包丁も持ってきていたし、外へ出たら縄はそれで切ろうかと考えていた。」
「縄のパターンが無い場合は?」
「勿論その可能性もあった。本当に、一か八かだった。」
──そんな会話をしていると、あまりの舞台の大きさに時間がかかっていたのだろうか、少し遅めだがやっと狼男の額から黒い霧が出てくる。
***
徐々に身の回りの物や背景がぐにゃりと歪んでいき、二人が次に瞬きをするとそこは普通のスクリーンだった。近くには映画を観にきた人達が黙って何かの映画を観ている。アロンザ達の姿は隠輪のお蔭で人間には見えていないようだ。ターゲットの自殺者の怨念はどちらの武器に吸収されたのだろうか、仕留めたのはファウストなので鎖鎌の方かもしれない。
任務は無事片付いたのだが、アロンザは左手を顎に添え何やら考え込んでいる。ファウストはどうしたんだろうと思い質問する。
「何か、気になる事でも?」
アロンザが引っ掛かっていた事は二つある。一つ、あれだけ大きな舞台をただの自殺者が作り込む事ができるのか。舞台自体だけなら作れない事も無いだろうが、あれだけ小ネタまで込められる余裕などあるのだろうか? そして二つは……。
「服の背中に、"二つの穴"があった。……私とファウストのにな。」
「……すみません。気づいたら既に違う服に着替えていた状態だったのでわかりませんでした。」
言われるまで気づかなかったが、今のアロンザの話を聞いた瞬間ファウストもすぐに妙だと感じる。服の背中に穴が二つある必要が人間にあるのだろうかと……。一つの可能性に気づいたアロンザは内心腹が立ってきて、自然と眉間に皺が寄る。
「どうやら遊ばれたみたいだな。さっさとエルネストに報告しに行くぞ」




