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削除者 - Deleter -  作者: 雪野鈴竜
*Episode2~ 浸食の歯車 ~*
14/25

第9話、慈悲と意味

 本当の"正しさ"とは存在するのだろうか? そもそも、正しさというのは何なのか……考え出したら切りがないものなんていくらでもある。

 人を殺してはいけないが、犯罪者の中には死刑になる者もいる。生き物を殺してはいけないが、人が生きていくためには殺す時もある。理由があれば殺してもいいのか、それが正しいのかはわからない。

 "この者は沢山の人を殺しました。殺されるべきです。"、"殺すしかなかった。日々周りから暴行を受けており死にかけました。"……。"この者は沢山の人を殺しました。殺されるべきです。"、"むしゃくしゃしてその辺の人達を殺しました。"……。理由があってもなくても、そこに同情の余地があるか否かでその後がどうなるか変わるとしても、どちらも沢山の人を殺した事に変わりはないのだ。

 生き物は殺してはいけないが、人がタンパク質を摂るため肉や魚を食べる。これにも"死"が含まれているが、必要な事だから殺している。食べていなくても、残酷にも楽しんで意味もなく野良猫や虫を殺す者もいる。そこに必要か必要でないかの違いがあったとしても、どちらも生き物を殺した事に変わりはないのだ。

 削除者は神が作り出した天使達の職業である。現世で自ら死を選んだ人間達──自殺者の魂を管理するのが仕事内容だ。自殺者達は死後、"神から頂いた命を自ら捨てた事が、神への冒涜であり罪になる"ため、死んだ時と同じ方法で死を繰り返さなければならない。

 現世では理由次第で結果が変わる事もあるが、天界ではそうはいかない。自殺者はどんな理由があっても、自ら死を選んだ事には変わりないのだから……。

「貴女は……」

「鶴野恩!! 耳を貸すなッ!!」

──織鶴は戸惑っていた。自分達のしている使命がはたして"正しい"のか、そして今目の前に立っている哀れな少女に矢を放っていいのか……。弓を構える両手がガタガタと震え、顔に嫌な汗が浮かぶ。

 今自分達が居る場所はとある空き家のリビング、近くには処分されなかった曰く付きのブラウン管テレビが置いてある。テレビの画面はコンセントも付いていないはずが砂嵐が映っており、その中にはアロンザが閉じ込められていた。アロンザはいつもは見せない必死な表情で織鶴に声をかけていた。


挿絵(By みてみん)

挿絵:雪野鈴竜


 ***


 “削除・没収係”は常に死と隣り合わせの仕事、ランクの低い削除者にはベテランの削除者がペアで任務に行く事も多い。これはまだ鶴野恩織鶴が花無しの頃、先輩であるアロンザと共に任務に行った時の話である……。

 この日、織鶴は幹部のエルネストから一緒に任務に行く相手を紹介された。相手はなんとあの──全削除者の憧れの的であるアロンザだった。

「馬車はもう呼んである。行こう」

「はいっ!」

 軽く挨拶も済み、準備のいいアロンザはそう言うと先に歩き出した。織鶴は急いでエルネストに頭を下げると、やる気のある返事をしてアロンザの後を追い二人は執務室を出て行った。

──任務内容は自殺した少女で場所は空き家、ランクはD。詳細は調べられていないため、実際に行ってみないとわからない。ペガサスの馬車に乗り現世へ着くと、スマートフォンのチャットアプリにそれぞれエルネストから届いた地図の画像を確認し、大体の場所がわかるとスマートフォンを尻ポケットに戻し歩き出した。

 時刻は十七時二十七分、空は後数十分もしない内に暗くなる勢いだ。住宅街を歩いていると、どの家も部屋の電気を付け始めているのか、彼方此方の窓が明るく照らされていた。明かりは水色だったり黄色だったり、家によってバラバラでそれがまたファンタスティックな景色だった。

……その中で一件だけ、寂しげに電気もなく建っている家があった。カーテンも無く、窓から覗くと家具も何もないガラリとした殺風景な部屋だった。此処が例の空き家、中にはターゲットである暴走した自殺者が居るはずだ。

 二人はドアの前まで来ると、織鶴はこの家の鍵を持っていない事に気づく、鍵も無しにどうやって中へ入るのだろうとアロンザに聞くと「隠輪は持っているか」と逆に聞いてきた。織鶴は慌ててポケットから隠輪を取り出して見せる。

「腕に付けた隠輪は、"赤い豹(レッドパンサー)"を込めれば大体の建物の壁等は通り抜けられる。」

「そうなんですか……!?」

 隠輪を購入した後、真面目過ぎるくらいな織鶴は勿論説明書を読んだ。だがそのような裏技は書かれていなかったので驚く、アロンザによると、本来の使い方以外で何か使い道はないかと他の削除者達が色々試してみたのだとか……。

 その結果、隠輪を付けた時の全身透過の際に天使が持つ能力──"赤い豹(レッドパンサー)"と呼ばれる力を込めると、全身に何かしらの影響が出て壁等の建物を通り抜けられたらしい。

 大体の天使は生まれつき赤い豹(レッドパンサー)が体内に宿っており、その能力は自身や物の重力を変更したり、攻撃の際に力を込める時に発揮する事が可能。但し、赤い豹(レッドパンサー)は体力と同じで使い過ぎると命に関わる。怨念摘出作業のため掃除機に神経を集中させる時にも、この赤い豹(レッドパンサー)は発揮されている。

 隠輪は浄化兼削除・没収係のフラワーランクオーニソガラム(※A)削除者のサラが開発した物、削除者達がスムーズに仕事ができるように考えられた物なのだが、全身透過以外の効果はまだわかっていない事が多い。調べた結果、体に害ではないらしいので安心していいだろう。

 サラという女性は頭の回転の速さや洞察力の高さで評価されており、様々な成果を出しているため、普段は研究室や製作部屋で黙々と作業をしているらしい。隠輪の他にも、削除者のアイテムの多くは彼女が考えた物だ。織鶴は嫉妬心も湧かず、純粋に尊敬していた。

「サラさんって、凄いですよね……あんなにお若いのにこんな素晴らしい物まで作れちゃうんですから」

 心から出た言葉は柔らかく暖かい声だった。サラの年齢は三十七だが、寿命の長い天使にしては若い。削除者になった時の年齢も十九で、その頃からアイテムを次々に考案しては評価されてきたのだから、多分彼女は天才なのだろう。しかし天は二物を与えず、アイテム考案の才能はあっても体力が元々あまりないせいで、能力を発揮するための体力が追い付かず通常の仕事はこなせなかった。

 サラの才能に嫉妬する削除者も少なくない。通常の仕事をこなせない事に対して嫌味混じりに指摘しては何度もサラは精神的にまいっていた。そんな彼女の姿はアロンザや他のベテラン削除者達も見てきたため、織鶴みたいに純粋に尊敬している削除者の様子は素直に嬉しかった。アロンザは「そうだな」と一言だけ返すが、その表情は少し明るく微笑んでいた。

──アロンザの言う通り、隠輪を付けながら赤い豹(レッドパンサー)を込めドアに触れればすんなりと中へ入れた。家の中は自殺者が居るという事もあって、氷水を全身にかけられたみたいな寒さを感じる。

「まずは一階を手分けして見ていこう。」

 この家は二階建てだ。本当は一階に一人、二階に一人と見て回った方が効率が良いのだが、後輩に手本を見せる身……なるべく近くにいた方がいい。アロンザの指示に従い、織鶴は一つ一つ部屋を見て回り始めようとした──

「Aspetta un secondo(ちょっと待って)……土足で入る気か」

「えっ? ……あっ」

 アロンザに肩を掴まれ言われなければ、そのまま靴を履いたまま廊下を歩くところだった。勿論織鶴は日本系天使なので普段から室内は靴を脱いでいるが、今は任務で来ているため外にいる気持ちのままで歩こうとしてしまった。任務に来ているとはいえ、削除者達がしているのは現世では立派な不法侵入、せめて廃墟でもない建物内ならなるべく汚さないのが最低限のマナー。

 しかし、こういう時どうすればいいのだろうか。室内とはいえ、ここは自殺者が居る空間。何が起きてもおかしくはないし、足を負傷する可能性もある。おろおろと悩んでいると、アロンザがポケットから何やらある物を取り出した。

「香水……?」

 こんな時に何故香水を出してきたのかわからない織鶴は首を傾げる。アロンザはその場でしゃがみ、織鶴のパンプスに向けてシュッシュッとかける。「靴裏を確認してみろ」と言われ床に腰をおろし、右のパンプスを脱いで裏を確認すると驚く。

「汚れや傷が……無い。」

「"シューズクリーナー4505454(ヨゴレゴシゴシ)"……これもサラが開発した物だ。」

(……言わないでおこう)

 思わず一言"ださい"と言ってしまいそうになったが、口をキュッと絞め堪える。尊敬しているとはいえ、流石の織鶴も苦笑い。折角優れたアイテムなのにこの悲しいネーミングセンス、ある意味謎の才能を感じた。アロンザも少々気恥ずかしそうに言っていたので察した。

 さて、では早速二人は見て回る。和室、トイレ、洗面所、そして次は浴室なのだが……。

(何か……今黒い物が)

 洗面所に入り浴室のドアを開けようとしたところで、真横に黒い何かが一瞬通った。霊は水場を好む、警戒しながら織鶴はドアを開けると──ポチャンとテニスボール程の大きさの何かが浴槽に入る音が響いた。

「……ッ」

 織鶴はすぐさま戦闘態勢になる。浴槽に水を張ってあるのは別に不思議ではないが、ここは人が住んでいない。浴槽に水が張ってあるはずがないのだ。天井高2mのここでは221cmもある織鶴の和弓は使えないため、自らの髪を一本抜き取り、前へパラリと放り鶴を二羽程出す。

 日本昔話家の鶴技であるこの"千羽鶴"は、最大千羽まで出す事ができるが織鶴の意思で数を調節できる。場所が狭い室内という事もあり、自分の身代わりになる鶴は二羽程で充分だろう。

 一分間が経過したが、黒い何かはこちらにやってこない。もしかすると別の場所に移動したのかもしれないと思い、織鶴は警戒をしつつその場を去ろうとした。

「──わっ!」

……どうやら鶴を出していて正解だったようだ。張ってあった水から何かが飛び出してくると、こちらに攻撃してくる。身代わりの鶴は織鶴の前に出て何かに一瞬で噛まれると、首から血を噴き出した。血飛沫が織鶴の顔にかかると反射的に目を閉じてしまい、すぐに飛び出してきた何かの正体を確認しようと慌てて目を開けるがそこにはすでにいなかった。

 折角相手の姿がどんなものか確認するチャンスだったにも関わず、あまりに一瞬過ぎて逃してしまった事に悔しさを覚える。しかしあまり時間をかけるとアロンザが探しにくるかもしれないので、迷惑をかけないためにも洗面所を出る事にした。


 全ての部屋が一通り見終わったらしく、織鶴を待っているアロンザの姿がリビングにあった。近くには処分されず何故かブラウン管テレビが置いてあるが、特に何の気配も感じられないので問題ないだろう。織鶴は「遅れてしまいすみません!!」と慌てて謝罪し駆け寄るが、アロンザは黙って腕を組んでいる。

 すぐに織鶴は、時間がかかったという事は何かあったのだろうと察した彼女が詳細を待っているんだと気づき、洗面所と浴室で起きた事を報告する。報告を聞いたアロンザは顎に右手を添え、何かを考えていた。

「実は、似たようなものをキッチンで見かけた。」

 どうやら、アロンザも織鶴が見たのと同じものを目撃したらしい。話によると、なんとか姿を見れたのだが、その姿がまた不気味だったのだとか……しかし、何度も任務を遂行してきたアロンザ達ベテラン削除者達には見慣れた姿だった。

「兎……ですか?」

 体は兎、だがその顔は人間のものなのだという。これだけ聞いても確かに不気味な見た目をしているが、この人面兎の自殺者は他にも沢山見かけるもの、このタイプの自殺者には皆共通点があった。

「自殺者達の怨念がそれ程強くない場合は、姿形に偏りが多い。人面兎の場合は……"首吊り"だ。」

 人面兎が首吊りの理由は、死後長い時間をかけて首を吊るため、その姿が兎が跳ねたように見えなくもないからだ。怨念が体内に溜まっていく内に、その姿が見た目通りに変化する事があるのだ。兎の他にも、飛び降り自殺は何度も地面に落下し潰れてしまうため、伏せている蛙のように変化する事もある。

 勿論例外もある。怨念があまりにも溜まり過ぎると本来の人の姿に似た何かになったり、最早なんの姿かもわからない歪な者もいる。

 さて、自殺者達の姿についての説明も終わりここからどうしていくかを決める。

「二階への階段だが、気味が悪いくらいに自殺者の気配を感じなかった。」

 この一軒家は二階建てだ。念のために一階の探索の後は二階へ行こうと、織鶴が戻って来る前に階段の下から二階の気配を予め探っていたのだが……驚く程に、二階だけは自殺者の気配を一切感じる事ができなかった。

 不思議な事に、つまりは二階だけは安全地帯という訳だ……。

「……もしかしたら、首を吊った部屋が二階なのかもしれないな。」

 死を何度も繰り返していく内に自殺場所である部屋にトラウマを持ったのかもしれない。大体の自殺者は、一時的とはいえ痛みや苦しみから解放された後、自分が死んだその場所には一秒たりとも居たくないのが殆どだ。ここの自殺者も、自分の死んだ場所から少しでも離れたいはず……だから、一階のみにしか出現しないのかもしれない。実際そうであってもそうでなかったとしても、警戒しておいて損はないだろう。

……情報をまとめる。一つ目は、人面兎の出現場所は不規則で確認がしづらいとの事。二つ目は、織鶴は浴室で、アロンザはキッチンで人面兎を目撃した。

 ここで一つ問題がある。この状況では──

「カカオの法則が通じない……ですよね。」

 任務に使われるカカオの法則は、削除者達がよく使うやり方だ。その一、自殺者の出現する“場所を()認”。その二、“姿を()認”。その三、“時間を()える”の三つで“カカオ”となる。

 その二はなんとかアロンザが確認できたのだが、後の二つは使い物にならない。一と三はどちらもバラバラ、こんな時どうすればいいのか織鶴はわからなくなってしまうので、思い切ってアロンザに聞いてみるのだが……。

「何もしない」

 織鶴はつい「え?」と驚きを口から漏らし固まってしまうが、アロンザは説明を続ける。

「相手から出てくるのを待つ、ただ、自殺者が一瞬でも気配を出した時に対処できる腕でないと命取りになる場合もある。新人にはお勧めしない。やるかやらないかは自己責任だがな。」

「けど……」

 本当に何もしないで自殺者が仕留められるのかどうしても不安になる。今の段階ではまだ魂玉は飲む必要はないが、一応此処は自殺者の居る空間だ。長居をしても魂は確実に削られていく、それはアロンザも理解しているので、織鶴に更にこんな事を言った。

「まぁ、待機するとしても多少の準備は必要だな。基本は私達自身が餌にはなるが、この場所なら広さもある。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……鶴野恩、なんだと思う?」

 先輩として、織鶴がどこまで一人で考えられるのか知るのために聞いてみる。織鶴は頭にパッと浮かんだものを答えようとするが、あまりにも単純過ぎて自信が持てず、言うのを躊躇ってしまう。

 けれど先輩から答えを求められている以上何も言わないのは失礼だ。思い切って呆れられるのを覚悟で織鶴は目を閉じ、少々自信なさげだったが答えてみる。

「どちらも"水場"で出現しています。なら、直接水を用意してみる……とか」

「正解だ」

「ぇえッ!?」

 まさか自分の単純過ぎる答えが当たるとは思わず、両手をピョイッと上げ目をまん丸くさせ驚いた。アロンザは満足そうにフッと笑みを浮かべ、説明する。

「私達は自殺者達を相手している。奴等は一見自由に見えるが、痛みや苦しみから完全に開放された訳ではない。」

 自殺者が自由に動いていられるのは、生きた人間や霊の魂を喰っているからだ。魂を蓄えていない間は痛みや苦しみから解放されておらず、常に魂を求めている状態。そんな自殺者には考える余裕なんてないので、寧ろ織鶴の考えた単純過ぎる作戦で丁度いいのだ。

 出現場所は浴室やキッチン等水場を好む辺り、不規則ではあるが無意識に水のありそうな場所へ移動しているのがわかる。自殺者を仕留める場所を決めて近くに水を用意し置いておけばいいのだ。

「ここは空き家だ、水を入れておく器等はない。私達の持ってきたペットボトルの水を置いておくしかないだろう。」

 二人はポケットから持ってきたペットボトルを取り出す。削除者の制服の尻ポケットは特別に作られており、これもサラが天使達のレッドパンサーから採取し製作した物。このポケットは天使がレッドパンサーを込め、"今必要な物"を想像すると出てくる。ただ、収納できる数は大体十個くらいが限界。任務に行く時は必要最低限の物を選ばなくてはならない。

 水の入ったペットボトルをリビングの真ん中に置く、織鶴の和弓は天井高3m程あるこの部屋でぎりぎり使えるだろうが、即座に攻撃できるかは難しい。アロンザがペットボトルを置いた真ん中へ移動し、近くで織鶴が見守っている。万が一織鶴の方に人面兎が来たとしても、傍には先程出した二羽の内一羽が生き残っているので問題ない。

 さて、後はいつ来るかわからない自殺者をただひたすら待つのみ。

 一秒経過、二人は感情に施錠する。一瞬の迷いが命取りになるため、任務遂行以外の感情を捨てなければならない。

 二秒経過、二人は空気と一体化するように気配を消す。三秒経過、二人は神経を研ぎ澄ます。

(……動いてる。)

 きっとアロンザも気づいているだろう。織鶴は自殺者であろう気配を感じ取り、少しずつこちらへ近寄ってきているのがわかった。

 よく考えたら、今のこの状況は釣りに似ている。釣り針に餌を付け、只管(ひたすら)獲物がかかるのを待つのだから……。魂を喰うために、獲物はどんどんこちらに移動してくる。織鶴達が一箇所に集まっている上、霊の好む水も近くに置いてある。釣りと違うところは、自分自身が餌になる事くらいか。

……ここで問題が起きた。人面兎がアロンザの前に出現し、確実に槍で一突きし仕留めたまでは良かった。

「くッ」

 アロンザが巨大な黒い両手に掴まれ、近くに置いてあったテレビに飲み込まれる。どうやら人面兎はフェイクだったようで、貫かれた瞬間に黒い霧となり消えてしまった。織鶴はアロンザを飲み込んだテレビの方を見て焦った様子で声をかけるが、すぐに後ろから気配を感じ振り向く。

「く、びぃたイ」

 そこには小学三年生くらいの少女が、両手で首元を押さえながら織鶴を恨めしそうに見てそう言った。手の間からチラリと見えるくっきりとした紐の跡がとても痛々しい……下唇を噛み締め、少し切れているのか下唇の傷から黒い血を滲ませている。

 この自殺者、怨念が濃く体内に溜まった時に獲物を誘き寄せるため無意識にフェイクを作り、自分の気配を全て人面兎に注ぎ込み本体を隠していたのだろう。油断をしていたつもりはなかったが、レアなケースとはいえ結果的には捕まってしまったのだから同じ事。

「……ぅ、あ」

 ズキリと頭が痛み、織鶴は左手で押さえる。脳内に流れ込む誰かの記憶──少女のものだ。痛みや苦しみから解放されたい感情もあるが、辛かった記憶を知ってほしい思いも同時に放出されていたのだろう。

 "何故何も悪くない自分が"、"酷い目に遭うべきはアイツなのに"、"悲しい……会いたい"。自分ではない別人の記憶や感情が脳内に流れ込む感覚は気持ちが悪かった。痛み、苦しみ、悲しみ、寂しさ……それらの感情で頭の中がぐにゃぐにゃの闇鍋状態だ。

(でも、私がやらなきゃ……!!)

 織鶴は頭が割れそうな痛さに耐えつつ、顔に汗を浮かべ息苦しくなっていく中でも必死に和弓を出し、震える両手で少女に向け構える。

「あ、グぅ……!?」

 薄っすらと、少女の当時の光景が脳内で映像となり映し出され、そのままの体勢で目を固く閉じてしまった。


 ***


──少女の視点だろうか、まだこの家が生活感あふれている頃だった。少女は何かに怯えながら階段を駆け上がり、自室のドアを開け中に入る。

 そわそわしながらベッドに潜り込み、風呂にも入らず、食事もしないで只管深夜になるのを待っていた。微かに遠くから玄関のドアが開かれる音が聞こえると、どんどんと荒々しく階段を上がってくる足音が聞こえてきた。"奴だ……奴がこっちに来る"、少女は体をガタガタと震わせていると、乱暴にドアが開かれ壁にそのまま打ち付けられた。

「こっちにこいや、父ちゃんの話を聞いてくれよ。」

 どうやら父親らしい。声だけ聞くと柔らかく優しそうな雰囲気だが、先程の乱暴さといい大体どういう人物なのかは想像できる。父親はなかなかベッドから出てこれない少女に痺れを切らし、「来いっつってんだろうがッ!!」と怒鳴り散らし、こちらの方へドシドシと足音を鳴らし向かってきた。

 少女は必死に「ごめんなさいッ!!」を連呼する。父親は自分に対し怯える様子に更に苛立ち、なんと毛布に包まっている少女の背中を右足で踏みつけた。

「ごぇ、げぇ、ほッ……ごぇんあ、あい! ごぇんな、あい……!」

 背中を何度も踏みつけられ、横腹を蹴られ……、痛みに咳き込みながらそれでも謝り続けた。何故自分が謝っているのか、そもそも何の理由で謝っているのかもわからない。どうして自分がこのような目に遭っているのかさえもわからない。

 そんな時、慌てた様子で玄関のドアが開いたかと思えば、すぐに誰かが二階を駆け上がってくる。二階の騒ぎは外からでも聞こえていたのだろう。少女の自室にまで来ると、中学生くらいの女子が少女を庇うように覆い被さるとこう叫んだ。

「パパやめてッ!!」

 少女を庇ったのは少女の姉だった。父親は元々娘達に優しかったのだが、母親が浮気をして一方的に離婚してほしいと言われた挙げ句に子供だけを残し家から出て行ってしまった。母親の顔に似ていた少女は特に虐待を受けやすく、その度に姉が少女を庇っていた。

 食事は父親が寝静まった深夜、浴室を使えるのは父親が仕事に行っている間だけだ。平日の昼間は学校もあり風呂に入れない事も多く、そのせいで姉妹揃って学校で苛められるようになってしまった。学校でも家でも逃げ場がない地獄の日々、姉妹は身体的にも精神的にもボロボロになっていった。

 ある日……事件は起こった。心のどこかで想像していたが、ついにその時がきてしまった。

「警察に言うな……いいか、わかった……か……?」

 怯えた様子で父親は少女に震えた声で命令する。いつものように少女を庇っていた姉に対し父親が暴行していたら……テーブルの角に頭をぶつけ姉が死んでしまったのだ。

 姉の死体を横に、少女は心に穴が空いた感覚でキッチンの床にペタンと座り込み放心していた。父親は現実逃避するため、リビングのソファーに座り何本もの缶ビールを飲んでいた。姉を殺してしまった事で漸く我に返り、焦り、恐怖、それから罪悪感に苛まれ泣いたり空いた缶を壁に投げつけたりしていた。

 どうしようもない父親の荒れている様子の音を聞きながら、少女は全てがどうでもよくなり、自殺を決めたのだ。


 ***


「貴女は……」

「鶴野恩!! 耳を貸すなッ!!」

──織鶴は戸惑っていた。自分達のしている使命がはたして"正しい"のか、そして今目の前に立っている哀れな少女に矢を放っていいのか……。弓を構える両手がガタガタと震え、顔に嫌な汗が浮かぶ。

 近くには処分されなかった曰く付きのブラウン管テレビが置いてある。テレビの画面はコンセントも付いていないはずが砂嵐が映っており、その中にはアロンザが閉じ込められていた。アロンザはいつもは見せない必死な表情で織鶴に声をかけていた。

 自殺者達は死後、"神から頂いた命を自ら捨てた事が、神への冒涜であり罪になる"ため、死んだ時と同じ方法で死を繰り返さなければならない。どんな理由があろうとも……しかし、いくら自ら死を選んだ事には変わりないといっても、少女の自殺理由は気の毒に思える。

 アロンザも同じく少女の記憶を脳内に流されたが、このような自殺者には慣れている。いや、"慣れるしかない"のだ。アロンザは一旦冷静になり、一度ゆっくり息を吸い口から吐くと「鶴野恩、私の話を聞いてくれ」と織鶴に言う。

「私は、……削除者という存在が本当に意味のあるものなのかわからない時がある。」

 仕事に真面目なアロンザの口から意外な言葉が出た事に、混乱していた織鶴は内心驚くが、黙ってそのままの体勢で聞く。

「殺生は許されないが、理由次第で殺す事もある……それが正しいのかはわからない。かといって、削除者の仕事のようにどんな理由があろうとも平等に自殺者を扱うのが正しいのか、それもわからない。」

 理由次第で結果が変わるのが正しいのか、理由も関係なく結果が変わらないのが正しいのか、疑問に思う事が世の中には多過ぎる。もしかすると、いくら考えても無意味なのかもしれない。だが、これだけは言える……アロンザは少し間を置いてから力強く「それでも!!」と腹から声を出す。その声に、戸惑いの表情を浮かべていた織鶴はハッと我に返る。

「慈悲の心を捨て、考え続ける事さえやめてしまったら……本当に全てが無意味なものになってしまう。無くしてきた者達の分も、私達は背負い続けているんだ。」

 アロンザのその言葉を聞いた後、織鶴は目を閉じ何かを考える。そして……決心する。

 織鶴はゆっくりと目を開け──少女に矢を放った。すると少女の怨念が弱まり、アロンザはその隙に右肘で画面を突き破るとブラウン管テレビそのものが砕かれる。アロンザはテレビの中から解放され、そのまま床に倒れ込みそうになりながらも、右足で床を踏み何とかバランスを取った。

 倒れている少女の右胸には、しっかりと矢が突き刺さっていた。織鶴は少女の傍に歩み寄ると跪き、空いている方の手で少女の胸から矢を引き抜く。傷口からは禍々しい黒い怨念が霧となり出てきて、織鶴の和弓に吸い込まれていく。

「私は私の使命を全うします……そして、貴方達の苦しさも受け入れます。何度でも……。」

 月明かりに照らされたその表情はとても美しく、全てを包み込む天使らしい優しい微笑みだった。

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