第6話、廃旅館【後編】
花夜はもしやと思い二人に近づき、女子の様子を数秒間見た後に「君は霊感持ち?」と質問をする。花夜の話ではどうやら普通の人間は匂いも味もするらしい。
だが、この女子にはそれがないようだ。女子は眉をハの字にさせて「え?」と困惑する。その表情からは“何故わかったの”と言いたげなもので、図星だった事が聞かなくてもわかる。
「あ、貴女、幽霊見えるの?! じゃあ、あの旅館の人達、なんだか変だとは思わない?」
毬慰はパッと大きく見開きながら骸骨達を指差し、骸骨と女子を交互に見ながらそう聞き、次にずいッと女子に顔を近づけた。女子は毬慰の勢いに押されつつ顔を後ろに引き、「ぅ、うん……!」と答える。他にも客や仲居等がこの場に居る……話を聞かれて失礼にならないように女子は二人に寄り、こっそりと思ったことを話す。
「なんだか、生きてる感じがしないというか……。」
花夜の思った通り、この女子には多少霊感があるようだ。女子から見て周りの仲居達は生きているように見えないらしく、例えるなら画面越しにドラマを観ている気持ちだった。実際にその場には居るが、彼女達の肉体からは生きた感じが全く伝わってこない。#姿形__すがたかたち__#はリアルでも、マネキンが動いているように思えてしまうのだ。
そこで毬慰は考える。通常自殺者が作り出した異空間に完全に嵌まってしまった人間はあまり救えない。救おうとする人数が一人二人ならできなくはないが、今回生きた人間が女子を含めて三人もいる。救おうとしている間も削除者は自殺者から魂を削られていってるため、自らの命のためにも時間が惜しいのだ。
できれば少しでも人間は救いたい。毬慰は他の人間は救えなくてもこの子だけは救えるかもしれないと希望を持つ、他の人間は既に自殺者が作り出した異空間に完全に嵌まっているので、こちらが何を言っても聞く耳を持たないだろう。
此処に来た人間達はどこか訳ありに見えた。この旅館は廃旅館で予約もできないはず……にも関わらず、こうして彼等は予約も無しにやって来た。人生に疲れたのか、または何となく遊びに来たのかはわからないが、何かしらの理由で疲れている雰囲気を感じる。自殺者は恐らく、このような人間を狙って上手く誘い込んでいるのだろう。
「ねぇ花夜、この子ちょっと気づき始めてるみたい……だけど、マリー達のお部屋に一緒に居させる?」
折角の毬慰にとっても貴重な任務、経験としてなるべく彼女のやりたいようにやらせるべきだと思っていた花夜は、助ける人数が一人という事もありそれ程問題がないと判断し許可を出す。
それに、もし何かあれば花夜だけでも二人をフォローできる。訳もわからず勝手に二人が話を進めていくので最初は戸惑った女子だったが、一人では少し不安だったので二人と行動することにした。
三人はレストランを出ると部屋に向かう。歩きながら毬慰は自分達がまだ名乗っていない事に気づき「あ、」と声を漏らすと、立ち止まってから女子に振り向き自己紹介をする。
「ぁ……あの、わたし胡桃まり"い"! あんま自分の名前言いづらくて……可愛くマリーって呼んで欲しい……な。」
名前が言いづらく、最後の"い"を強調するような言い方になってしまう毬慰。女子は特に気にもせず、自分も慌てて名乗った。
「ぁ、さ、幸……っ!」
毬慰は新しい友人ができたような気持になり喜び「幸? いいお名前だね!」と言って無邪気に笑う。花夜もついでに自分の名前を幸に教えた後に、「俺達と居れば安全だ」と微笑みながら言った。それに対し幸は「はぁ……」とよくわかっていない様子で相槌を打つ。
少しの間だけ幸という名の話し相手ができて嬉しい毬慰だったが、共に過ごす部屋がこんなにも汚ければ気分も沈む。部屋に着いては相変わらずのボロボロ加減に、先程まで上がっていたはずの気分が一気に落とされた。
幸はというと、自殺者の幻覚で綺麗に見えるはずのソファーに対し、何となく座りたくないなと感じていた。花夜が幸の様子に気づき「これを敷いて座って」と言いながら、コンビニで買ってきたであろうタオルを幸に渡す。幸は一言礼を言うと、タオルをソファーに敷いてその上に座った。
「これから……どーする?」
花夜の所へとたとたと行けば毬慰はそう告げる。自分からした提案ではあるが、もし危険な目に遭わせてしまったら……と、最悪の事態を想定してしまう。花夜は数秒間毬慰の顔を見た後に頭を撫でると口を開く。
「マリちゃん、あの子は君が守るんだ。」
花夜は自分達の命を最優先させつつ任務を遂行すればいいと思っていたため、最悪人間を見殺しにする選択も仕方がないと考えていた。確かに毬慰から言い出した提案ではあるが、毬慰が言い出さなければ花夜も彼女を助ける事はなかっただろう。
「君はいつか一人で任務に行きたいと目標を立てている。一度自分で決めた事は責任を持って、……自分の力で彼女を守り抜くんだ。危険な目に遭わせてしまうか否かは君の腕次第、アドバイスはするさ。」
「ま、マリーが幸を……?」
花夜の話に耳を傾けていた毬慰は、不安ながらも真剣な表情で花夜から幸に目を移し見つめる。いずれは一人で任務に向かう事が夢……けれど、いざ自分に任せられるとなると不安は勿論、自分はやり抜く事が出来るのかという自信もなかった。
ここで初めて毬慰に、命を預かるという責任感が芽生えた。これもきっと彼女の成長に繋がるだろう……花夜はお手並み拝見という顔で毬慰を見ていた。毬慰は真剣な眼差しで再び花夜の顔に目を移した後、自分の両手で両頬をペチンと一発叩き喝を入れた。
「……わかった。マリーがんばるッ!」
この後、毬慰は花夜から一つ頼みを引き受ける。“幸を連れて風呂に行ってくれ”との事──此処は廃旅館で、温泉に行ったとしても湯は入っていない。だからといって旅館に来たにも関わらず三人も風呂に行かないのは流石の骸骨達も不審に思うだろう。
そのため、最低二人くらいは行かなくてはならないのだ。中には入らなくていいが、脱衣所で脱いだフリをして三十分くらいまでそこに居るだけでいいという簡単な事だった。毬慰は「わかった」と答えると幸にお風呂に一緒に行こうと誘う。二人でコソコソしていたのを不思議そうに見ていた幸は我に返り、「は、はいっ!!」と返事をし勢いよく立ち上がった。
テーブルには籠が二つ置いてあり、中には新品のバスタオルと小さいタオルが入っているように幻覚では見える。現実では何年も経ちカビまで生えていて触りたくもない籠、中にはタオルも入っていない。
「籠は二つしかない。俺は一人で幸ちゃんの居た部屋に籠を取りに行ってそのまま風呂に向かうよ。君達はその籠を持って行っていい、鍵はマリちゃんに渡しとく。」
花夜は毬慰に部屋の鍵を渡すと、幸に部屋の番号を聞く。幸は聞かれた通りに番号を教えると花夜は「わかった」と言って幸から鍵を貰い、先に部屋から出て行ってしまった。ドアが閉まるのを確認した後毬慰は、籠を二人分重ねて持つ。
「幸の貸して、マリーが持つよ!」
毬慰はとても楽しそうな笑みを浮かべていた。同じ年齢ぐらいの友人なんて出来た事がなかったからなのか、とても生き生きとした笑顔だった。幸も友達が少ないのだろうか、嬉しそうに頬を赤らめ照れている様子だった。
毬慰は遠慮なく幸の右腕に抱き付き、引っ張りながら部屋を出た。
「友達、あまりできたことないから嬉しい……な。」
二人は通路を歩きながら、女湯の脱衣所に着くまで暇なので会話する。
実は、幸は学校で苛められていた。中学に入って初っ端から同じクラスに反抗期の生徒がおり、日直の仕事をサボっていたのを見て幸が注意すると、それに対し気に食わなかった反抗期の生徒は、仲間を作り集団で幸に意地悪をし始めたのだ。
教師は反抗期の生徒の親に何を言われるか怯え見て見ぬふり、同じクラスの生徒達は自分に火の粉が降りかからないよう見て見ぬふり……、両親には心配かけたくない上勇気もなかったので言えなかった。なので、幸には友人も味方も誰一人いなかった。
初対面である毬慰にはそこまで事情は話せなかったが、同じく友人の少ない毬慰は、幼い頃に両親が心中した事もあり、明るく振る舞ってはいるが誰よりも周りを気にしている。そのため幸が何か悩みを抱えている事を何となく察していた。
事情は知らないが、毬慰は幸を元気づけたくなり「マリーもお友達あまりいない……かな。私達、お揃いだねっ!」と笑顔で言った。
脱衣所に着き中へ入ると、勘の良い幸はすぐに湯の香りがしないのに気づく。大浴場の入り口辺りまで来た時に薄々感じてはいた。普通なら、湯があったら大浴場の入り口辺りからほんのり香りがするはず、……流石におかしい。
香りだけじゃない、温度もだ。湯があれば脱衣所に入ったら少しは温かいはず、それどころか旅館の外よりもっと空気が冷たい。
「マリーが見てくる。」
毬慰がパタパタと小走りで大浴場へ向かい、中を覗き込む。幸も気になり毬慰の後ろからそろりそろりと興味本位で覗き込んだ。
幸から見ると、温度や香りは全く感じてこないが、湯気の立った温かそうな湯の入った浴槽が見える。その中には「湯はマシね~」と文句を呟きつつも寛いでいる全裸のギャルが入っていた。
──現実では、鏡も割れ風呂桶も散らばった広い元大浴場、浴槽には勿論湯なんて入っていない。それどころか砂まで入り混じっていた。そんな湯も入っていない汚い浴槽に、全裸で座っているギャル。
現実が見えている毬慰にはそれが異常に見えた。幸には温かさも湯の香りもしてこないが、湯は見えているため異常には見えない。そんな幸に毬慰は、現実に見えている姿そのままを言葉で伝える。
「あれ、お湯じゃないよ。もう何もない。温泉じゃないよ、ここは。」
「お湯……無いんですか?」
毬慰は辺りを見渡し、不審な者がいないか確認する。大丈夫だと確信すればすぐに戻り、汚れてはいるがまだ使えそうな木製の椅子に座る。
普通は信じられない話だが、幸は毬慰から現実の姿を聞かされても、妙に納得してしまった。見えているはずなのに、温かさも香りも無い──まるでテレビでも観ているかのような感覚。幸は自分も椅子に座る。
「そういえば……その持っている大きな物はなんですか?」
幸は今更ながら、毬慰が肌身離さず持ち歩く赤色の両刃の斧と槌について聞いてみる。出会った時からずっと持ち歩いているため、内心気になっていた。毬慰の容姿は割と普通だが……服装も何かのコスプレのようなデザインな上、色々ツッコミどころ満載である。
「この子は相ちゃん、お話しができるんだよォ~?」
「あ、いちゃん……?」
謎が深まるばかりの幸をよそに、毬慰は脱衣所内をまた見渡す。かつて綺麗に管理されていたであろう洗面器等も、今は不良が入り散々荒らされた跡が残っている。壁のあちこちに“俺/マサコ”と書かれた相合傘や、“参上”というありきたり過ぎてしょうもない文字や落書き等が残っている。服を入れる籠はボロボロになっていて床に落ちていたり、埃や砂が入り混じっている。
かつてはここも綺麗だっただろうし、客が利用していた。なんだか建物内が寂しく感じる毬慰だった。
……その頃、花夜は自殺者の作り出した骸骨達を一体一体壊していた。気配を辿りながら通路を歩き、骸骨を見つけると自らの気配を消して後ろから様子を窺う。
「装備」
花夜が小声で言うと、花夜の両手に手甲鉤が現れる。デューティーフラワーである月桂樹は左の爪に、甘野老は右の爪(どちらも薬指)に描かれている。花夜は神経を研ぎ澄まし、獲物を狩る鋭い目付きになった。花夜の魂に宿っていた犬の魂がじわりと熱を上げ始め、花夜の瞳の色を赤く染める。
相手の動きが徐々にゆっくりに見えてきた時が狙い所、花夜の目に……骸骨の動きがグラリとスローモーションのように見えた時だった。花夜と犬の魂の心が一つになる。
「──“灰砕き”」
一瞬だった……瞬きを一度するような速さで骸骨の背後に移動し、目では追えない高速で相手を粉々に砕く、砕かれた骨が地面に落ちる様子は灰が舞うかのようだった。
花夜が両手をだらんと下すと、瞳の色が赤から黒へスッと戻り手甲鉤も消えた。旅館内の骸骨の気配はもう感じられないので、これで全部だろう。
花夜の本名は"花咲"花夜、詳細は今は必要ないので省くが、“日本昔話家”と呼ばれる内の“花の家”。その名の通り、有名な日本昔話の内の“花咲か爺さん”と思われる技を使う。花咲家の天使は代々犬の魂が体内に宿っているので、技を使う時に瞳の色が赤色になり、獲物を狙う獣のような力を発揮する。
話は戻り、花夜が何故骸骨を退治していたのかというと、今回の自殺者の女将は張り切っている毬慰に始末させてみようかと花夜は考えていたからだ。しかし一人の人間を守りつつ女将一体を相手するだけでも、今の毬慰にはかなりの体力を使う。せめて下っ端だけでも自分が退治しておいたのだ。
全部倒したと確信した花夜は、そろそろ部屋に戻っているであろう毬慰達のいる部屋へ戻って行った。
花夜が部屋に入ると二人は既に戻ってきていた。どうやら脱衣所で沢山お喋りをしたらしく、二人はすっかり仲良くなっていた。もう少し会話をさせてあげたかった花夜だが、そろそろ女将が動き出す頃だと判断し、「そろそろ寝ようか」と二人に言った。
“カカオの法則”──自殺者の出現する“場所を確認”、“姿を確認”、“時間を覚える”。毬慰も一緒という事もあり、もし何かあればすぐ対処ができるよう最初の二つは廃旅館に来る前に少し調べてあった。
毬慰が女将と戦いやすいように骸骨を退治していたのもそうだが、それだけではない。骸骨の行動をよく観察しつつ、まず骸骨がどこまで女将と意思疎通がとれているのか試しに一体倒してみた。結果、下っ端を一体倒されても女将は気づかず行動しなかった。
という事は、女将は骸骨を生み出して来訪者を持成しながらある程度は指示しているが、骸骨自体は女将と意思疎通ができていない上、通信機能のような役割もそれ程ないらしい。Dランク程度の自殺者が下っ端を生み出すだけでもかなりの力を使うため心配はしていなかったが、念のため確認をしたという事だ。
淡々と退治しつつ、骸骨達の様子を見ていると一つわかった事がある。骸骨を退治している最中、何体かが通路の壁に掛けてあった時計を妙にちらちらと気にしていたのを覚えている。女将は捕食する時間を決めており、誘い込まれた客が寝静まった頃を狙うため、変に時間は変えない。そのため時計だけは女将の怨念で動かしているらしい。
つまり、カカオの法則の三つ目の“時間”は……。
「えー、まだ全然、眠くないっ」
「そろそろ女将が動き出すと思う」
毬慰は文句を言い始めるが、花夜は幸に聞こえないよう毬慰の耳元でそう告げる。骸骨達が時計を何度も気にするという事は、そろそろ女将が捕食する可能性が高い。
「いッ、今何時!」
毬慰が食いついて問いかけると、花夜は自分の腕時計を確認する……二十一時十五分少し過ぎた辺りだった。Dランク程度の自殺者が下っ端を生み出し動かすのはかなりの力を必要とする。いくら怨念を溜め込んでいたとしても、毎日それを長い時間出し続けていればその分力も消耗する。少々時間は早いと思われるが骸骨達を出しておくのにかなり消耗されたらしく、足りなくなった分を新たに蓄えるため今すぐにでも捕食したいのかもしれない。
毬慰は腕の見せどころだと思い目をキラキラと輝かせるが、寝るフリだとしても、傍から見れば明らかにこれから寝るような雰囲気とは思えない。そして花夜はある事を思い出し「あ、」と声を漏らす。
「寝袋忘れた」
その言葉に毬慰は、先程までキラキラとした目と笑顔だったのが一気にくしゃっと眉間に皺を寄せる。
「寝るとこどーすんのッ!」
寝たフリをするだけとはいえ、こんな虫も湧いている床に寝るなんて嫌な毬慰は花夜に訴えるが、花夜は申し訳なさそうに眉をハの字にさせながら「ごめん」と言い右手でこめかみを掻く。その様子を見てて面白かったのか、幸は初めて心から笑い出した。
「もー、笑い事じゃないんだよ?」
「ごめん……ははははっ!!」
結局、毬慰と幸は二人で花夜のコートを床に敷きその上で横になる事にする。花夜は壁に背を預け座り込んだ。
──三人が横になり何十分か経過、何やら部屋の外からゴドンという大きくも鈍い音が聞こえた。音がして何秒かしない内に「ぴぎッ」と、あの小太りで偉そうな男性の悲鳴が聞こえた。……恐らく女将に喰われたのだろう。毬慰と幸はその声にびくッと反応して目が覚める。幸は怖くなりそのまま動かないが、毬慰はガサガサとあまり音を立てずに静かに起き上がる。
傍に置いてあった相に手を掛け、耳を澄ませる。音と悲鳴を聞いただけでなく、何やら生臭くなってきたのはきっと女将がもうすぐそこまで来ている証拠。毬慰は人一倍に聴覚と嗅覚が良いためあまりの臭さに顔を歪める。花夜も勿論女将の気配に気づき起きてはいるが寝たフリをしている。
一分もしない内に、また鈍い音が聞こえては「ガ、パボ」と、今度はギャルが喰われたであろう悲鳴が聞こえてきた。次はいよいよこの部屋だ。毬慰は“マリちゃん、あの子は君が守るんだ。”という花夜の言葉を思い出し、そろりと幸の耳元で声をかける。
「幸、マリー達からぜっったいに離れないでね?」
「──あ、」
幸が恐る恐る怖くて閉じていた目を開くと──そこは現実世界。綺麗に見えていた部屋は、毬慰達が見ていた姿に戻って初めて幸の瞳に映った。目を丸くしながら幸が周りを見渡していると、花夜がすぐに状況を把握し目を開ける。
「どうやら幻覚が消えたみたいだね。」
花夜がそう言った直後、何か大きな物が天井からすり抜け三人の目の前に“それ”は大きな鈍い音を響かせ落ちてきた。
頭と体のバランスが明らかにおかしいそれは、かつてこの旅館に務めていたであろう女将の姿だった。体は通常の人間の大きさに対し、頭はトラック一台分はありそうな大きさ、両目は空洞になっていて無い。
女将は毬慰と花夜が人間ではないと気づいたのか、初めに弱そうな幸へ重そうな顔を向け口をぐわりとゆっくり開ける。毬慰は咄嗟に自慢の足の速さを活かして幸に向かい、幸の右手首を掴み引いた。女将の口は開ける時は遅かったが閉じる時は鋏で紙を切るように早く、幸の長くもさらりとした綺麗なポニーテールが大きな生臭い歯で切られてしまった。
「幸! 大丈夫っ!?」
肩の長さまで短く切られてしまった髪を纏めるのが難しくなったヘアゴムが、ポトッと畳に落ちる。幸は訳もわからず、先程まで見ていた旅館内やら目の前に現れた化け物に対して頭の整理がつかず固まっている。
毬慰は幸を自分の後ろに座らせ、目の前の女将を威嚇する。花夜は立ち上がり、毬慰に手を貸さない。
(さて、どうするマリちゃん?)
顎に右手を添え左手で右肘を支え、花夜は毬慰を冷静に見守る。先輩として、彼女がどこまでやれるのか試し、危険ならいつでも助けるつもりだ。人間一人を守りつつ考える時間もそれ程ないこの状況で、彼女は一体どう対処するのだろうか。
毬慰は短い時間の中、一生懸命頭の中をグルグルとさせ考える。考えなしに相を振り回しても腕を食い千切られるだけだ。……よく考えろ、弱点が必ずあるはずだ。
毬慰は目を大きく開き、女将の体を全体に見ると「あ、」と声を漏らした後に直感で動いた──毬慰は相を振り下ろすと、部屋全体に女将の怨念が血のように吹き出す。
「自殺者も、最初は人間だったもんねっ!!」
自殺者も元は人間、少しでも人の形をしていれば誰だって致命傷なはず、そう、この短い時間の中で毬慰は……女将の“首”を確実に斬り落としたのだ。
「ッし!」
毬慰が喜びに声を上げ、相に付いた血のような怨念を払うため一振りすると、それと同時に液体状だった怨念がシュオシュオと霧に変わる。霧となった怨念は相に吸収されていくと、毬慰は二人に振り向き笑顔でピースした。
怨念がどんどん没収されていき、普通の大きさになった生首の女将は切り離された体と共にスゥッと消えた。彼女に何があって、どんな理由があって自殺を選んでしまったのかはわからないけれど、この世界は皆平等……残念な事に女将はまた今夜から、千年経つまで同じ死を繰り返すだろう。
「……ッはぁ」
緊張していたのもあり、女将が消えては安堵の溜め息をつく毬慰。力が抜けたのか手が緩み相が手から離れガランと音を立てて畳へ落ちる。──それにしても命を張ったとはいえ、少々疲労感が出過ぎている気がする。目の前がぐらりと歪んだ気がして気分が悪かった慌てて相を拾い上げては「お疲れ様! 相ちゃん!」と話しかける。
終わった……自分の攻撃で、自殺者の怨念を没収出来たのだ。……自分の力で!!
幸は驚きのあまり固まったままだったが、毬慰が幸の存在を思い出して心配し、「幸、大丈夫?!」と駆け寄り声をかける。幸はハッとして毬慰を見上げると、怖かったのかぶわっと目に涙が浮かび、毬慰に抱き付いた。それもそうか、霊感が多少あるとはいえ、あんな化け物は初めて見たであろう。
毬慰は安心した笑みを浮かべて、幸の頭をよしよしと撫でる。幸は毬慰が自分を助けてくれたのだと漸く気づき、「……助けてくれてありがとう。」と鼻を啜りながらボソリと礼を言う。それに対して毬慰は「どーいたしましてだよ!」とふわッと嬉しそうに微笑んだ。
毬慰は花夜の方へ顔を向けては、どんなものだと誇らしげに今度はにやりと笑みを浮かべる。花夜はそんな毬慰にくすりと笑みを浮かべた後に「さ、て……」と窓を見る。
女将の捕食時間の間は時間が歪んでいたのか、気づいたらあっという間に朝になり光が差し込んでいた。
「よく頑張ったね」
花夜は毬慰に近づき、毬慰の右肩に左手を置き褒める。その手はすぐに離れ、花夜は「帰ろうか」と一言言う。
「うん! ちょっとねむくなってきちゃった……。」
毬慰は眠そうな目をゴシゴシと左の手の甲で擦り始める。その後毬慰は幸に振り返り「バイバイ……ちゃんと家に帰らなきゃ、だよ!」と言い残して、次に幸が瞬きをした時には二人の姿は消えていた。
「夢だったのかな……いや、そんなはずは……っ」
二人は人間に姿を見られなくなる腕輪を付けていた。幸にはもう二人の姿は見えない。
今回、幸という女子の悩み等を毬慰達は聞きもしなかったし解決もしなかった。けれど、それは幸が自分で乗り越えなきゃならない事だ。これからまた幸が家出をしたり、自殺をしようとしても自由。──それが彼女の決めた事なのだから。
しかし、家へ帰る途中の幸は何だか清々しい表情だった。あんな死と隣り合わせの危険な状況の中、毬慰は諦めずに困難に立ち向かい化け物を倒した。幸は自分も毬慰のように、どんなに辛くても諦めず勇気を出して前へ進もうと思った。
まずは、そうだな……。
「お父さんとお母さんに、相談してみよう。」
立ち止まり胸に両手を当てる。勇気を出して、自分にできそうな事をしてみようと決心した。
「……んー……ふぁ」
欠伸をしながら眠たげにトボトボと歩く毬慰の手は、花夜の手首を掴んでいた。
「マリちゃん、おんぶしてあげる。おいで」
今日という日はやはり疲れてしまったのか、やけに素直だ。毬慰は花夜の背中に回り体を委ね、肩に掴まる。大きくて暖かい背中、すぐに眠りについてしまった。細かい呼吸音がすよすよと聞こえてくる。削除署に戻った頃には、きっと睡眠をしっかりと取った後のサッパリとした笑みを浮かべているであろう。
花夜は毬慰の呼吸音を聞きながらくすりと笑みがこぼれる。「お疲れ、おやすみ。」と背中で眠っている毬慰に言うと、削除署に戻るためその場を去った。




