5.ラストバトル②
【虹彩】。
『ライブラリ・スクエア』の初期環境から二周年を迎えるころまで”一強”の座に位置していたデッキである。
特徴としては、主要な五種類のスキルが持つ『発動時に”虹炎”という特殊バフを付与する(虹炎が付与されていない場合のみ)』という共通効果だ。
現在リンドウの左目に宿る虹色の炎が、そのバフが付与されていることを示すエフェクトである。
そしてもう一つの特徴は、その五種のスキルは虹炎を消費することで、固有の強化を得るという点だ。
素の状態で使えば平凡な性能だが、虹炎で強化されればきわめて強力。
その非常にシンプルな強さに当時のプレイヤーは【虹彩】を使うか【虹彩】をメタるかの二択を迫られたのだが――――
「それは昔の話。現状、【虹彩】デッキのパワーは環境において明らかに足りていない」
『ライブラリ・スクエア』はサービス開始からおおよそ五年が経過している。
その間、どんどん強力なスキルが実装され、数多のデッキが生まれては環境の彼方へ消えていった。
結果、【虹彩】はインフレに飲まれてしまったのだ。
「じゃあリンドウさんがそのデッキを使ってるのって、好きだからなのかな?」
「……思い入れがあるんだろうね」
静かにつぶやくレイの視線の先では、リンドウが次なるスキルを使おうとしていた。
緑色に輝く剣を振るうと、巨大な竜巻が巻き起こる。
虹炎によって強化された《新緑の風》だ。
「う……おおおッ!」
ボルゴはとっさに槍で受け止めるも、竜巻は止まらない。
スキルはスキルでしか防げないという法則の通り、竜巻が男のHPを削る。
直後、リンドウのHPが回復した。強化された《新緑の風》の追加効果だ。
吹き飛ばされたボルゴを見下ろし、リンドウが口を開く。
「同じセリフを返してやるよ。ガードが引けてなかったのか?」
その言葉を遮るように、勢いよくボルゴが立ち上がる。
「わざと受けたんだよ! だが……ハハッ、【虹彩】なんて時代遅れのデッキをまだ使ってるとはな!」
リンドウの瞳に宿った虹色の炎が消える。
《新緑の風》を強化したことでバフが消費されたのだ。
「それが【虹彩】デッキの構造上の弱点だ。お前も自覚してるんだろ?」
「…………」
虹彩デッキの弱点。それは基本となる五種のスキルに共通する、『虹炎を重ねがけできない』という制約と、虹炎の消費が強制であることだ。
よって強化スキルを使った後は、虹炎を付与するために必ず非強化状態のスキルを使う必要に駆られてしまう。
虹炎があれば強いというのは、裏を返せば、それが無ければ弱いということでもある。
弱いスキルをわざわざ使わなければならない――それは明確に付け入る隙と言えるだろう。
観客席で見守るレイはそのことを良く知っていた。
【虹彩】デッキを実際に使ったこともあるし、その弱点は身をもって知っている。
「……まあ、一年くらい前に《虹の空域》っていう【虹彩】デッキを強化するスキルも実装されたんだけど、それくらいじゃパワー不足は補いきれない」
「じゃあ、リンドウさん負けちゃうの? 嫌だよそんなの!」
不安を顕わにする妹に対し、レイの笑みはそれでも崩れない。
「ほら見て。リンドウが動くよ」
〈ドローフェイズ〉
リンドウ:手札5
ボルゴ :手札5
戦場に電子音声が鳴り響き、二人のプレイヤーの手札にスキルが加わる。
リンドウは、今引いたスキルをすかさず発動した。
「《虹の空域》。自身に虹炎を2つ付与し、デッキから虹彩スキルをランダムに1枚手札に加える」
リンドウの身体を雲のようなエフェクトが取り巻くと瞳に虹色の炎が宿り、手札にスキルが加えられる。
スペルスキル。アタック・ガードのどちらにも属さない、戦闘を補助するスキルだ。
一律で硬直が非常に少ないが、手札にスキルを加える効果を持ったものは比較的硬直が長い傾向がある。
そして、ボルゴはそのわずかな隙を見逃さない。
「《ダストスネーク》!」
突き出した槍から砂の大蛇が飛び出し、空中をうねるように突き進む。
だがリンドウは着弾の直前、渦のバリアを展開するガードスキル――《紺青の渦》を発動させ、大蛇の牙を防ぎきる。
ダメージを軽減しつつ1枚ドローのおまけつき、さらに虹炎があれば特殊効果を発揮できるスキルだ。
だがその効果はこの状況では発揮できず、その上バフが強制的に消費されてしまう。
対【虹彩】デッキにおけるセオリーは、ガードスキルである《紺青の渦》に虹炎を消費させることだ。
虹彩スキルを発動すると、バフは強制的に消費される。よってこちらが攻めて《紺青の渦》を使用させればアタックスキルにバフを回せなくなる。
そのことをボルゴは理解していた。
「守ってばっかじゃ勝てねえぞ!」
ボルゴの槍が赤黒く閃き、横なぎに力強く振るうと、三日月形の斬撃が飛ぶ。
《ガードバニッシュ》。相手の手札にあるガードスキルを墓地に送る、手札破壊スキルだ。
「だからと言って守らない理由も無いだろ」
リンドウはこれを一瞬のためらいもなく《ファジーガード》を発動する。斬撃がバリアに弾かれ、あっけなく霧散した。
基本的にアタックスキルの追加効果はガードすれば発動しないのでハンデス効果自体は不発に終わったが――どちらにせよ今の攻防で、リンドウの手札のガードスキルは無くなった。
(ハンデスで相手の有効札を叩き落し、ダストで相手の手札を染める……ドローロック特化型の【ダストロック】か)
ここでリンドウは相手のデッキタイプを完全に看破した。
【ダストロック】には大きく分けて2種類のタイプがある。
ひとつはダスト系スキルとは別に性能のいい汎用アタックスキルを多く積んだ、攻撃重視の型。ダストスキルに不足している決定力を補う形。
もうひとつはハンデススキルを多く積み、ドローロックすることに注力した型。
そして――リンドウの手札のガードスキルがなくなったと判断したボルゴがここで駆ける。
ホーミング機能によって高速で距離を詰め、砂を纏った槍で二段突きを繰り出した。
「《ツインダスト》! これでダスト2枚追加だ!」
スキルが直撃し、リンドウのHPが大きく削られる。
そして追加効果によって《ダストジャンク》が手札に2枚加わった。
これでリンドウの手札は6枚のうち半数がダストとなった。
狭まっていく選択肢。
ただ立ち回っているだけではすぐに手札が溢れてしまう。
次の攻防に思考を巡らせるリンドウだったが、ここで再びシステムアナウンスが響き渡った。
〈ドローフェイズ〉
お互いの手札にスキルが加わる。
リンドウ:手札7
ボルゴ :手札3
「リンドウさんの手札、これで上限の7枚だ……!」
「ここからが正念場だね。相手にドローロックを決められる前に攻め切るか、それとも……」
固唾を呑んで見守る姉妹の眼下、リンドウはドローしたスキルを確認する。
汎用ガードスキルのひとつ、《ファジーガード》だ。
先ほどの《ガードバニッシュ》がらみの攻防でガードスキルが枯渇していたリンドウにとっては助け舟となる。
【ダストロック】への対策は、相手のダストスキルをしっかりとガードすること。
ガードすればダスト生成効果も不発になり、ドローロックされづらくなる。
だが。
「オラ次のハンデス行くぞォ!」
ボルゴの槍から白い斬撃が飛ぶ。
《スキルカット》。相手の手札のスキルをランダムにひとつ墓地送りにするハンデススキルの一種。
《ガードバニッシュ》と違う点は、落とされる手札が完全にランダムであること。
《ダストジャンク》が落とされる可能性もある。ここで貴重なガードスキルを切るのはリスクが高い――そう考え、リンドウはこれを素直に受ける。
しかし、運は彼女を見放した。
「落とされたのは《ファジーガード》か! 今引きだろ? 運がねえなオイ」
的確に有効札を落としたことで嘲笑を上げるボルゴ。
その槍から砂の大蛇が飛び出した。《ダストスネーク》だ。
ガードスキルは無く、今の状態でこのスキルを受ければ手札がダストで溢れてしまう。
リンドウが選んだのはこちらも遠距離スキルで迎撃するという択だった。
「《白陽の翼》!」
リンドウの背中から純白の翼が飛び出し、そこから広範囲に羽根が連射される。
大量の羽根は大蛇を削り取り、ボルゴの全身を穿った。
「ぐうっ……!」
虹炎により範囲と威力が強化された《白陽の翼》のさらなる追加効果が発動する。
デッキから3枚ドローし2枚捨てる――が、ここで7枚という手札上限が立ちはだかる。
《白陽の翼》発動時のリンドウの手札は5枚。よってドローできたのは2枚のみとなり、溢れた分が墓地へ送られ、その後手札を捨てるという処理がなされる。
手札を捨てたリンドウの瞳から虹色の炎が消える。虹炎が全て消費されたのだ。
リンドウ:手札5
ボルゴ :手札1
「次はこっちの番だ!」
再びボルゴが接近し、赤黒く発光する槍を振るう。
《アタックバニッシュ》。相手の手札のうちアタックスキルをランダムに墓地へ送るハンデス。
その切っ先がリンドウの胴体を切り裂いた。
(捨てられたのは《新緑の風》……)
手札の内容と墓地の枚数をカウントしながら、リンドウは素早く踏み出し男の懐へ肉薄する。
斜め下から剣を振り上げると、ボルゴの構えた槍の柄に阻まれた。
弾かれたところで、すかさず再び剣を振るう。剣戟が連続し、激しい打ち合いが始まった。
余裕のない状況で、しかしボルゴはしつこく嘲笑を浮かべる。
「よくもまあ、のうのうとこのゲームに居られたもんだな!」
「…………」
金属音が連続する中、リンドウは沈黙する。
その様子が癇に障ったのか、ボルゴはまたも声を上げた。
「お前のせいで辞めてったやつが何人もいるんだろ? そいつらの気持ちとか、考えたことねえのかよ!」
剣戟の隙間を縫って突き出された槍の切っ先を、リンドウは身を翻して避ける。
反論はしなかった。する気も起きなかった。
ボルゴの言葉がすべて事実だったからだ。
「……ああ、死にたくなるほど考えたよ。それよりいいのか? 集中しなくて」
静かに告げるリンドウの右手から剣が滑り落ちた。
取り落とした――――?
これまで剣の軌道に意識を集中していたボルゴは反射的に落ちていく先へ視線を投げる。
だが、その直後。彼の身体を鈍い衝撃が襲った。
「ごはッ……!?」
リンドウから目を逸らしたボルゴの鳩尾に掌底が突き刺さっていた。
意識外からの攻撃。身体をくの字に折り曲げた男は数瞬のあいだ行動不能となる。
リンドウにとって、それは充分すぎる隙だった。
落ちていく最中の剣の柄を軽く蹴り上げつつ、スキルを発動させる。
「《虹の空域》」
雲がリンドウを取り巻き、再び瞳に虹炎が灯った。
そのままくるくると落ちてくる剣を掴み、《虹の空域》で手札に加わったスキルを発動する。
ボルゴがこのタイミングで硬直を脱するが――その手札はゼロ。ならばこの攻撃は必ず通る。
「《赤狼の牙》!」
虹炎により強化された《赤狼の牙》。
発動時にスキル威力と速度にバフをかけ、さらに強大になった深紅の剣がボルゴへと襲い掛かる。
だが、その直前――ボルゴの身体から膨大な質量の砂が巻き起こり、彼の全身を覆った。
「EXスキル――《侵食する砂の霊鎧》!」
リンドウの振り下ろした剣が、砂の鎧に阻まれる。
完全に止められた直後、炸裂装甲のように砂が爆発し、リンドウを弾き飛ばした。
「くっ……今のは」
EXスキル。通常のスキルとは違い、デッキとは別枠にプレイヤーが一枚だけ直接装備する特殊なスキル。
その効果は大きく分けて二種類。『常に効果を発揮し続けるパッシブ系』と『通常のスキルのように発動するアクティブ系』だ。
ボルゴが発動した《侵食する砂の霊鎧》は後者。
手札に無ければ使えない普通のスキルとは違い、アクティブ系はいつでも発動できるのが特徴だが――コストや発動条件が設定されているものも多い。
「つい最近手に入れたEXスキルだ。相手の攻撃をガードし、《ダストジャンク》をお前の手札に3枚追加――さらに俺はデッキからダストスキルを2枚加える!」
バトル中一度しか使えずガードを成立させる必要はあるものの、圧倒的アドバンテージを稼げるEXスキル。
枯渇していたボルゴの手札がこれで補充され、さらにリンドウの手札に3枚のダストが加わった。
これでリンドウの手札は6枚。だが、その大半は《ダストジャンク》となった。
リンドウ:手札6 うちダスト5
ボルゴ :手札2
ドローフェイズまでは残り数秒。次に引くカード次第で勝敗が決まりかねない。
ドローとは、可能性である。リンドウがドローするスキルがこの状況を打破する札であれば、明確な負け筋となる。
だからこそボルゴは手を緩めない。
(潰してやる。お前の可能性を、全て!)
リンドウが使えるスキルは現状手札に1枚きり。そして戦況を鑑みれば、それがガードスキルでないことは明白だった。
「俺の手札がゼロだからって勝ったと思ったかよ! EXスキルを警戒するなんて定石中の定石だぞ!!」
ボルゴは先程EXスキルの効果で手札に加えたスキル――《ダストスラスト》をすかさず発動する。
砂を纏った突進突きがリンドウの胸を穿ち、吹き飛ばした。
再び《ダストジャンク》が追加され――これでリンドウの手札は上限の7枚。
〈ドローフェイズ〉
リンドウ:手札7 うちダスト6
ボルゴ :手札2
ここでドローフェイズが訪れるものの、手札が上限に達しているリンドウのドローしたスキルは墓地へと送られてしまった。
ダスト系スキルの威力が低めに設定されているおかげで、HPにはまだ残っている。
だが、今のリンドウは手足をもがれたも同然の状況だった。
「結局ブランクがあるってのはマジだったみたいだな。俺が相手じゃただの雑魚、三流以下だ。何度でも言ってやるよ。お前も、お前の先代も、どうしようもない――――」
そこでボルゴの口が止まる。
その足が、一歩後ずさる。
「……仮に私が弱くなっていたとして」
恐ろしかったのだ。
立ち上がるリンドウの眼差しが、その立ち姿が――俯いて垂れた前髪から覗く、紫紺の瞳が。
「どうしてお前が勝てる道理になる?」
ぽつりと零されたその声が、ボルゴという男に、バーチャルの世界であることを忘れさせるほどの恐怖を喚起させた。
リンドウが纏う迫力は観客席にも伝わる。ルーシャは思わず身震いをした。
「……お姉ちゃん」
「なんだい、妹よ」
「リンドウさんって何者なの?」
その問いに、レイはただ目を眇める。
「このゲームのメインコンテンツは、近い実力者とランダムでマッチングし、試合を行うランクマッチだ」
「うん。それは……リンドウさんが教えてくれたよ」
「リンドウはその最上位ランク――”マスターランク”で、100連勝を記録した唯一のプレイヤーなんだ。この記録は『ライブラリ・スクエア』の歴史において一度も破られていない」
この『ライブラリ・スクエア』というVRMMOはカードゲームの要素を色濃く内包している。
ありていに言えば、運の要素が少なからず関わっているのだ。
そのゲーム性で、安定して勝利を重ねるというのは非常に困難。
だがリンドウは誰も成し遂げることのできなかった偉業を達成した。
圧倒的な実力と、それを支える抜群の安定感。
それがリンドウというプレイヤーの強さだった。
「『百戦錬磨のリンドウ』。……あの子、そう呼ばれてたこともあったっけな」
かつてそこには栄光があった。
称賛、畏怖、嫉妬、そして憧憬。
当時の彼女にはあらゆる感情が集まっていた。
だが。
彼女は――リンドウはもはや、そこに何の興味も示さない。
今もただ、渇くのみである。