切腹侍
我が名は、黒澤宗真。
東の山間に生を受け、刀を握って三十年。忠義を貫いて生きてきた……つもりだった。
だが、誤った。
主は己の忠義を利用し、裏切り、使い潰し、捨てた。
味方に討たれ、誇りを失い、生き延びてしまった我に、もはや道などない。
ならば、この命。せめて自らの手で締めくくろう。
竹林の奥、人気のない静寂の中。
我は短刀を取り、膝をつき、覚悟をもって、腹へと添える。
「──これにて、終いに致す」
刃が肉を裂く。
脂を割り、臓腑を押し出す手応えがある。
苦しい。だが、それが良い。
これこそが、武士の死だ。
深く、横に――そう思った瞬間。
世界が、破れた。
風が逆流し、目が眩み、音がねじれ、地が浮き上がったかのような感覚。
何が起きたのか理解はできぬ。ただ、ひとつだけ確かだった。
「……なにゆえ、刃の通りが浅い……?」
妙な滑り方をしたのだ。脂か? いや、膝下の感触が違う。
顔を上げた。
竹林ではなかった。
石張りの床、煌びやかな天幕、見知らぬ群衆。ざわめき。悲鳴。驚愕の眼差し。
「人間!?」「腹に刃が!?」「血が!」「レナ様、これは……召喚ですか!?」「事故!? 演出!?」
意味のわからぬ言葉が飛び交う中、我は、正座の姿勢を保ったまま、ただ一つ、確信した。
「……浅いな。まだ、足りぬ」
刀を握り直す。臓腑を押さえつつ、膝を整え、呼吸を整える。
そのとき、壇上の中央、金髪の少女が、顔を真っ青にして叫んだ。
「ちょっと誰か止めてええええええええええええ!!!!!」
だが、我はその声にも振り向かず、ただ静かに、言葉を漏らす。
「……なにゆえ?」
◇
私は、レナ・オルタニア。
王立魔術学院が誇るエリート召喚士。
この式典でトリを務めるにふさわしい、家柄も実力も完璧な存在。だった。
詠唱は完璧。陣も美麗。魔力も満ちてた。
出てくるはずだったのは――
たてがみをなびかせ、凛然と吠える狼獣。
あるいは風をまとう神虎、牙を輝かせる魔狼――
そう、気高くて、誇り高くて、毛がふさふさしてて!!
「それがなんで!! なんで血まみれの人間なのよぉおおおお!!!!!」
現れたのは、腹から刃を突き立てたまま正座する、謎の侍。
血を流し、呻き、何かぶつぶつ言いながら、刀を握り直してる。
「……浅いな……もう一度……」
「ちがーーう!! なんで続き始めてるの!? 今から!? ここで!? お腹やる場所じゃないから!?」
会場は完全にパニック。
逃げる貴族。記録係は泣きそう。教師は目を逸らしてる。
その中、学院長が落ち着いた声で宣言した。
「召喚は成功だ。精神面にやや問題はあるが、術式は完璧だった」
「その“やや”に全人類が飲まれてるのよ!? ややじゃない! めちゃくちゃよ!!」
「よって、この者の管理は、召喚者であるレナ・オルタニアに一任する」
「やだやだやだやだ! 絶対無理!!」
そのとき、侍が立ち上がった。
血を滴らせたまま、私のほうにぬっと近づいてくる。
「すまぬ、儀式の途中であった。……場所を借りるぞ」
え、嘘でしょ。まだやる気なの?
ていうか、“場所を借りる”ってそういう意味だったの!?
侍、再び正座。刀を構え――
「もう一回、腹、切るなあああああああああああ!!!!!」
私が召喚したのは、
毛もふさふさしてなければ、気高くもない、
ただひたすら、死ぬ気満々の忠義の化け物だった。




