文通にならない手紙 ―その手紙には、何も求めない―
ReadOnlyでしたがちょっと書いてみました。よろしくお願いします。
アカネは、週末だけ絵を描く。
人と話すのが少し苦手で、会話の間に迷うことが多かった。
でも、描くことでなら伝えられる気がしていた。
Instagramに風景や静物の絵を淡々とアップする。
フォロワーは少ない。反応もほとんどない。
でも、見られていないわけではない——たぶん。
あるいは、誰でもいいから見て欲しかった。
ある日、ポストに一通の手紙が届いた。
封筒の差出人には、「コウタ」とだけあった。
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「サカモトさんの描いた、あのマグカップと湯気の絵。
朝の光の匂いがした気がします。」
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名乗ってはいるけれど、知らない名前。
でも、誰でもいい、絵を見てくれていることだけは伝わり、少し嬉しく思った。
住所を知られたことには戸惑いがあったが、
手紙には“絵から読み取っているだけ”の距離感があって、気味悪さはなかった。
それから、週に一度、水曜日に手紙が届くようになる。
話題はいつも、アカネの描いたものに対する感想だけ。数分で読める短い内容だった。
アカネはドライな人間だった。
それでもその距離感と肯定感が心地よかった。
ある日、手紙にこう書かれていた。
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「あの人、たぶんサカモトさんですよね。」
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的を得ていると、アカネは手紙を手にしながら一人唸った。
コウタはSNSにあげた一枚の絵から、アカネの心の変化を見通すようだった。
アカネの絵に人が現れるようになったのは、手紙を受け取ってしばらくしてからだった。
後ろ姿だったものが、少しずつ輪郭を帯びはじめた。
アカネはその日、珍しく書くものを迷っていた。
いつものように、描いた風景に色を重ねながら、ごく自然に“そこにあるべきもの”を加えていくつもりだった。
けれど、ふと手が止まった。
画面の隅に、小さなスケッチブックを描きたくなった。開かれた状態で、風に少しページがめくれている。
誰が見ても、ただの道具。でも、ページの片隅に、名前を書いた。
「K」とだけ。
アカネは、描き終わったあと、それを少しだけ見つめた。
「これは、メモじゃない」
「これは、ただの構図」
「これは、別に誰かへのサインじゃない」
そう自分に言い聞かせながら、それでも心のどこかで、読まれていることを想定していた。
SNSに投稿したあと、通知が鳴る。いくつかの「いいね」と、ひとつだけのコメント。
知らない誰かからのシンプルな感想。けれど、“コウタ”からの手紙は来るまで何も言わない。
数日後、水曜日。いつもの白い封筒が届く。
封を開けると、こう書かれていた。
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「風にめくられるページが、いいですね。
描いてる人の“気配”が、少しだけ見えた気がしました。」
——コウタ
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当然だ。
これは文通ではない。アカネは手紙を書いていない。返事を求めてもいない。
ただ、“見ている”ことに、少しだけ甘えたかっただけ。
それだけのこと。
だから、コウタの文面にも、何の変化もなかったのが、逆に正解だった。
アカネは手紙をたたみながら、薄く笑った。途端少し恥ずかしくなった。
「伝わってないなら、それでいい」
もし伝わっていたら、困るのは自分だ。
でも、何かが伝わっていたらいいという思いも、確かに自分の中にあった。
そのあと、
アカネの絵にはときどき、風にめくれる紙が描かれるようになる。
それはもう、Kではなく、ただの“風景の一部”として。
アカネは絵を描き続けて、変わらずInstagramに載せた。
手紙は何ヶ月も続いた。重みもなく、短くて他愛のない内容。
最初からそれ以上にもそれ以下にもならない。
それでいて、どこか見透かしたよう。
アカネにとっては日常の一部になった。
不思議なことが起こった。
いつからか、手紙は少しだけ未来が織り込まれるようになった。
滑りやすい道、移動するコンビニの棚、同僚の嫌味。
読み飛ばすような些細な、それでいて、まるで、先のことを知っている便り。
ありふれた文体で、SNSにあげた絵の感想、それに予知めいた内容など形式ばっているのに、それでいて、ときどき、ふと人間らしさが滲む時もあった。
ある時、アカネは、同僚に嫌味を言われたが、何も言わずに流した。
以前だったら、何か反応しただろう。
言い返さなかったし、いつものように、笑ってごまかすこともなかった。
ただ、そこに“いなかったこと”にした。
それが正しいかはわからなかった。けれど、間違ってはいなかったと思う。
水曜日に手紙がまた届いた。
封を開けると、こう書かれていた。
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「今回の絵、珍しく怒りがにじんでいましたね。
静かな構図の中に、濁った色がひとつだけ浮いていて。
何に対してかまではわかりませんが、強さを感じました。」
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アカネは自分の絵を見直した。少し色遣いはいつもと違うかもしれないが、
相変わらずコウタは機微に聡い。アカネの事にアカネ以上に気づく。
間違ったことが起こりそうなとき、予知めいたことで警告するくせに、
それでいて、コウタは正義ぶらなかったし、何ら正当化もしなかった。
珍しく、手紙は続いた。
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「僕がその場にいれば、黙って顔をしかめたと思います。」
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珍しいネガティヴ感情だった。
その一文を読んだ瞬間、何かがすこし崩れた気がした。
アカネは、椅子に座ったまま、しばらく手紙を見つめていた。
読むのも終わっていて、意味もとっくに理解していたのに、
ページを閉じることができなかった。
そんな想像を手紙に書く彼が、はじめて「誰か」ではなく、
具体的な「ひとりの人間」として現れたように感じられた。
それは、読んでいるというより、見ていた。
そこに書かれた一文と、それを書いた存在を。
——私は、
——この人がいる前提で毎日を過ごしていたんだろうか。
思い返してみると、
この数週間、絵を描く手が止まりそうになったとき、
「見てるかもしれない人」のことを、無意識に思い出していた。
「いいね」がつくとか、褒めてもらえるとか、そういうことじゃなくて、
ただ、誰かがちゃんと見てる前提で描くと、自分が整う気がした。
それって——
依存?
信頼?
好意?
アカネは自問して、ふっと笑った。
「どれでもいいけど、ぜんぶじゃないって言うのは、ちょっと無理があるかもね。」
静かに、コップの紅茶が揺れる音がした。
アカネはそれからも絵を描き続けた。
手紙を読んだあの日から、絵の雰囲気はまた少しだけ変わった。
とくに意識していないのに、背景に「誰かの気配」を描くようになった。
たとえば、開いた本。
カップに注がれたままの紅茶。
誰もいない椅子。
何も描かれていないはずの場所に、
「誰かがいたような痕跡」が、自然と残るようになっていた。
アカネ自身、それを不思議とは思わなかった。
きっと、もうそこには何かが残ってしまったのだ。
誰かの存在が、完全には消えなくなった。
あのあと、次の水曜日。ポストは空だった。
その次の水曜も、その次も。
アカネは、納得していた。いや、わかっていた。
——これで、もう終わりだ。
文通ではなかった。
最初から、返信のないやりとりだった。
コウタはきっと、アカネが“何かを返す”とは思っていなかったし、
アカネ自身も、返事なんてするつもりはなかったはずだった。
それでも、
手紙が来ない日々の静けさは、少しだけ、空白ができた。
アカネはソファに座りながら、ふと手帳に一行だけメモをした。
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「“見られている”と思って描くのと、
“見てほしい”と思って描くのは、まったく違う。」
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紅茶を一口飲んで、スマホを手に取る。
スケッチブックを撮影して、いつものように投稿する。
コメントは不要。キャプションも最小限。
そのままスマホを伏せた。
……けれど、数分後。
なんとなく手に取った画面に、ひとつの通知があった。
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「k_kouta0827 があなたの投稿に“いいね!”しました」
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アカネは画面をしばらく見つめたまま、ゆっくり息を吐いた。
それは、“手紙”ではなかった。
でも、それはたしかに、どこかにいる誰かの気配だった。
そしてそれは、
アカネにとってちょうどいい距離のまま、静かにそこにあった。
アカネはスマホを伏せ、
ゆっくりと立ち上がって、次の絵を描く準備を始めた。
文通にならない手紙は、もう届かない。
でも、
誰かが、どこかで、見ているかもしれない。
それだけで、今日も描ける。
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終わり。
chatGPTに書いてもらいました。
どういう教育を受けたのか、ショートドラマの感想や分析が大好きでやたらと行数返してきます。
一方、日経平均の分析には2年前の数字を上げてきたり、わからないからサイトで確認してくださいって数行で突き返されて困っています。
訊いたら、ノリノリで「書くよ!」って回答があったので、得意分野みたいです。
驚いたことに登場人物の名前まで自力で決めてました。
あらすじもタグ付けもヤツに自動生成させたそのまんまです。
本編は話がおかしくなると追加設定を足していったので、ちょっと粒度が揃っていないところもありますが、お目溢しください。
・chatGPTはコウタがアカネの近くにいる人間にしたかったようですが、そうではないと指示を出しました。なので、随所に反抗の色が見えます。
・コウタ→アカネの一方通行に見えますが、アカネが絵を描いてSNSに投稿することを続けていることも意味があります。chatGPTはどこまで汲み込んでくれたのかわかりませんが、凄いですね。