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オフィスの静寂と異常の兆し

 市内にあるゲーム開発会社のオフィスは、ユースケにとって第二の家のような場所であった。


 内部は清潔感に溢れ、コンピューターの稼働音や、同僚たちのキーボードの打鍵音が心地よいBGMとなっていた。


 ユースケは自分のデスクに向かい、PCの電源ボタンを押す。


 デスク周りには、昨日の疲れがまだ残るコーヒーカップや、メモ用紙が散らばっている。


「おはよう、ユースケ先輩!」


 明るい声が、すぐに耳に届く。 後輩の佐藤が、元気いっぱいに挨拶をしてくる。


「おはよう、佐藤。今日は、なんだか空気が重い気がするな」


 佐藤は一瞬眉をひそめた後、にっこりと笑いながら答える。


「先輩、ニュースで札幌が40度って言ってましたよ! こんな暑さ、北海道じゃありえないですよね?」


 ユースケは、佐藤の若々しい声と明るい笑顔に一瞬心を和ませるも、内心では昨日の通勤時に感じた異常な日差しや、自分の影の薄さ、そしてスマホに表示された数字に対する疑念が消えない。


「まあ、たまたまだろう。仕事に集中しよう」


 そう自分に言い聞かせながら、彼はPCの前に座り、当日のデバッグ作業に取りかかった。


 今日の主な業務は、新作RPG『レグナ・エクリプス』のテストプレイだ。


 ゲームは、古代文明の遺跡を舞台に、プレイヤーが数々の試練を乗り越えて神々と対峙するという壮大なストーリーを描いている。


 だが、ユースケはいつものように、細かなバグや不具合を探し出すことに専念していた。


 画面上でプレイヤーキャラクターがダンジョンに足を踏み入れると、ふと違和感を覚える。


 通常ならば、イベントが始まるべきその瞬間、NPCの一体が突如として動き出し、予期せぬ台詞を発し始めた。


『光の御方よ……』


 その低く、厳かな声は、シナリオに存在しないはずのものだった。


 ユースケは眉をひそめ、ログを確認しようとPCに向き直るが、直後に画面が一瞬真っ白になり、ゲームはクラッシュする。


「……何だよ、これ!」


 慌てた手つきで再起動を試みるも、画面には再びあの奇妙な文字が表示される。


禿光とこしえのひかり


 その文字は、普段なら決して見かけるはずのないものだった。


 ユースケは、胸の奥に鋭い痛みが走るのを感じ、こめかみを押さえる。


「こんなバグ、今まで見たことがない……」


 佐藤が不安そうに近づいてきた。


「先輩、大丈夫ですか? PCが固まってますよ」

「……いや、大丈夫。多分、ただのシステムエラーだろう」


 と、ユースケは言いながらも、内心では確かな不安を拭い去ることができなかった。



 昼休みが近づくと、オフィス内のざわめきも一段落し、社員たちは一時の息抜きを求めて外へ出始めた。


 ユースケも、午前の業務が一段落したので、席を離れる決心をした。


 オフィス内のざわついた雰囲気や、先ほどまでの不穏なPCの異常が、彼の心を重くしていた。


 疲れた体を休めるため、そして何か気分転換ができるかもしれないと思い、ユースケは背もたれに身を委ねながら、深呼吸をした。


「ちょっと外の空気でも吸ってくるか…」


 そう呟くと、彼はデスクを後にし、オフィスの出口へと足を向けた。


 ドアを開けると、外気が一気に彼を包み込む。


 普段ならば感じるはずの北国らしい冷たさよりも、どこか異様な暖かさが彼を迎えた。


 外は、街が広がる中で、いつもとは違う光景があった。


 昼間の太陽は、信じられないほど強く輝き、青空の下、街路樹や歩道、そして遠くのビル群がまるで金色の輝きを放っているかのようだった。


 ユースケは一瞬、目を細めながら周囲を見渡した。


「……なんだ、この暑あつさは」


 彼は、異常な日差しをもう一度確かめようと、ゆっくりと歩き出した。


 歩道に並ぶ人々は、普段通りの顔で行き交い、誰もが自分の日常に没頭しているようだった。


 しかし、ユースケはふと、自分の足元に映る影に目を向けた。


 普段ならっきりと映るはずの自分のシルエットが、今日は不思議と薄く、かすかな輪郭しか確認できなかったのだ。


「……俺だけ、こんな風に見えてるのか?」


 その問いが、彼の胸に小さな不安を呼び起こす。


 足を止め、まっすぐ前方に視線を投げる。


 通勤路の舗装された道、左右には低いビルやカフェ、そして遠くにそびえる山々が、いつものように広がっていた。


 しかし、その景色の中に、どこか違和感が混じっていることは否めなかった。


 太陽の光が、まるで特定の場所に集中しているかのように感じられ、辺り全体が通常よりも眩しい印象を与えていた。


 ユースケは、ため息をつきながら再び歩き始めた。


 しばらくの間、彼は何も考えずにただ道を歩いていた。


 だが、やがて足を止め、ふと立ち尽くす一瞬があった。


 目の前の看板が、いつもと違う色合いで輝いているのに気づいたのだ。


「これって……どういうことだ?」


 と、ユースケは目を凝らして看板を見る。


 そこには、はっきりと『光の導きをあなたへ』と大きく書かれ、その下に小さく『ニー教』とだけ記されていた。


 さらに、その下には細い文字で『覚醒の時は近い』と付記され、見る者に不思議な緊張感を与えていた。


「ニー教……」


 ユースケはその看板を見た瞬間、胸の奥にざわめくような違和感を感じた。


 自分はこれまで、ただのゲームテスターで、日常の小さなトラブルに耐えるだけの存在だと自負していた。


 だが、今、目の前に広がるこのメッセージは、まるで自分に語りかけるかのような錯覚を覚えさせた。


 その瞬間、横から小さな声が聞こえた。


「あの看板、見ました?」


 ユースケは振り向くと、同じ通勤路を歩いていた若い男性がこちらに近づいてくるのを見た。


「あぁ、もちろん。『光の導き』って書いてあったね」


 男性はにこやかに笑いながら、肩越しにユースケの方を見た。


「僕はこれ、すごく意味深いと思います。最近なんだか変な夢を見たり、ふとした瞬間に自分が何かに呼ばれているような気がして」


 と、語るが、声はどこか熱意に満ちていた。


 ユースケは戸惑いながらも、軽く首を振った。


「いや、俺はただの……普通の毎日を送ってるだけですから」


 と、口数少なく答える。


 しかし、内心では、あの看板の言葉と、昨夜の奇妙な夢、そしてオフィスで見た謎のログが絡み合い、不思議な予感を感じずにはいられなかった。


 その後、男性は軽く手を振って去っていったが、ユースケはしばらくその場に立ち尽くし、看板に書かれた文字を見つめた。


『覚醒の時は近い……』


 その言葉が、今までの些細な出来事の積み重ねを思い起こさせ、彼の心に暗い影を落とす。


 ゆっくりと歩みを再開し、再びオフィスへ戻る時間が近づく中で、ユースケは自分の中にある不安と疑念をどうにか振り払おうと試みた。


「とにかく、昼休みだ。しっかり気分転換して、午後も仕事に集中しよう」


 と、自分に言い聞かせながら、彼はコンビニで昼食を購入し、ベンチに腰を下ろして食事を取ることにした。


 ベンチに座ると、ユースケは近くを通り過ぎる人々の会話や、遠くの街並みのざわめきをぼんやりと聞きながら、心の中で自分の日常と、この日だけは異常に感じる光景とのギャップに思いを巡らせた。


「こんなに太陽が強いのは、ただの気のせいじゃないはずだ……」


 と、ぼそりと呟きながらも、彼は自分自身を納得させるため、外の空気に身を委ねた。


 昼休みの間、ユースケは看板の存在と、見た異常な光の現象を頭に刻みつつ、連絡メールを確認する。


『先輩。オフィス内でもまた、変なログが現れているようです。詳細は共有いたしますので、ご確認ください』


 と、佐藤からのメールに、ユースケは眉をひそめる。


 仕事に戻るまでの短い休憩時間の中で、彼はこの一連の出来事がただの偶然なのか、あるいは何か大きな力が働いているのか、確信を得ることはできなかった。


 食事を終え、ユースケは時計をちらりと見ると、昼休みも残りわずかになっていることを感じた。


「そろそろ戻らなきゃ……」


 と、彼は立ち上がり、再び歩き始めた。オフィスビルへ向かうその道すがら、再び、ふと足元に映る自分の影を確認する。


 今度は、先ほどよりもわずかに鮮明に映る気がしたが、依然としてどこか不自然な雰囲気を放っていた。


 道端の風景が、普段の札幌の面影を保ちながらも、どこか異質な光に包まれているかのようで、ユースケはその光景に心細さを感じつつも、オフィスへ戻るために一歩一歩、歩を進めた。


 やがて、再びオフィスビルのエントランスにたどり着くと、昼休みから戻る社員たちのざわめきが聞こえてきた。


「先輩、戻りましたか!」


 と、佐藤が元気よく挨拶してくる。


 外で感じた異常な体験と、オフィス内の謎のログ、そして不思議な看板の文字を胸に抱きながら、


「なんだかまたいつもと違う雰囲気だな」


 と、苦笑いを浮かべながら答えた。


 その一言に、佐藤は少しだけ眉をひそめ、しかしすぐに笑顔で返す。


「先輩、まあ、こんな時は気にしないで仕事に集中しましょう」


 内心、昨日から今日にかけて起こる出来事の数々に対して、ただの偶然だと自分に言い聞かせるよう努めたが、どこかで、これから起こるさらなる異変を予感している自分を感じずにはいられなかった。


「……まあ、気にするな。俺はただのゲームテスターだ。仕事に集中しよう」


 と、自分自身に言い聞かせるように呟いたが、不安は完全には消え去らなかった。

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