公爵令嬢エリザベートは、おバカな王子が嫌いじゃない
「エリザベート・オーレル公爵令嬢、僕は君と婚約破棄する!」
パーティー会場、人の耳目が集まる場所で、おそらく彼なりに考えて狙ったタイミングで、わたくしの婚約者であるミシェル王太子がびしっと決めて宣言なさいました。
あらあら、どうしましょう。
「婚約破棄、と申されましたか?」
「ああ、そうだ。君には散々、その、なんというか、見下され? てきたからな。」
先程の決め顔はどこへやら。わたくしより頭一つ分上にある、顔だけは良いと噂のきれいなお顔が困り顔ですわ。
「そんなことは断じていたしておりません。なぜそんな濡れ衣を? もしかして、本当の理由は、いま殿下の隣におられるその女性なのですか?」
「なっ。いや、アミスは関係ない!」
「わたしの名前はアリスです。」
まあ、怖い言い方。ただでさえ冷ややかだった会場の雰囲気が凍りつきましたわ。
「あっ、ごめん。えっと、アリスは関係ない!」
色白の王子の頬が、羞恥でほんのり赤くなる。今さら恥ずかしがってもねえ。むしろこうなってまでよく続けられること。
「これは、ご無礼をいたしました。お名前を覚えていない方のために、殿下がわたくしに婚約破棄なんて無体なことをなさるわけがありませんものね。」
「そのとおりだ! ん? あれ、それでいいんだっけ? ……で、婚約破棄は受け入れるのか?」
「さて、どういたしましょう。」
うーん。別に殿下に未練などありませんけれど、公爵令嬢として、一度婚約破棄されてしまうと家の名に傷をつけることになってしまいますわ。
まあ、お父様やお兄様がどう見られようと、わたくしには関係のないこと。わたくしが十分満足できる、おそらくは殿下より顔は劣っても頭の良い男性との再婚は容易。
婚約破棄しても、問題はなさそうですわね。
ですが、あのアリス嬢に……ふふ、いま、殿下よりわたくしの方が彼女のことをしっかり覚えているかもしれませんわね。
って、そうではなくて。アリス嬢に、わたくしの未来の王太子妃としての十年間を奪われてしまうのは、なんだか小癪ですわ。
ろくに名前も覚えられていない彼女とは違って、十年間一緒にいたわたくしの名前を、殿下はフルネーム肩書付きでスラスラ言えるのに。
どうせアリス嬢は、結婚したらすぐに殿下なんて捨てて、王太子妃の地位を使って贅沢して、王太子妃だけが出会える男性と素敵な恋をするつもりでしょうし。
でもそうなると、殿下がかわいそうですわね。明日は殿下の十八歳の誕生日、つまりは殿下が婚約者と結婚なさる日。結婚したら、いくら愛されずともそれから一生共に過ごさねばなりません。
それなら、浮気などせずお話ぐらいはしてあげるわたくしの方が、殿下だって良いでしょうに。まあ、それを言って分かる相手ではないかもしれませんけれど。
まあなにはともあれ、婚約は神聖なもの。わたくしの同意無しに破棄などできないと、殿下もわかっていますわね。教え込んだ甲斐がありましたわ。
さて、どうしようかしら。
「エリザベート。」
「あら、お兄様。どうなさいまして?」
「断るなよ。あのバカだって王様にならなきゃいけないんだ。その上、あんな何も考えてなさそうな女が妃になったら、俺が専制政治なんて面倒なことをする羽目になるじゃないか。」
まあお兄様ったら、ひどい言い草ですわ。
「わたくしの知ったことではありませんわ。バカだなんて、あんまりでなくて?」
「しかたないだろう? もし俺が専制政治したら殿下怒るぞ。何もできなくていじけて引きこもっちゃうぞ。それで引くに引けなくて、大事な乗馬をさせてあげられなくなっちゃうぞ。」
まあ、嫌なことを言いますのね。殿下はたしかに乗馬がお好きだし、馬に乗っていると生き生きなさいますけれど。
「そうならないようにお兄様が気をつければよろしいのでなくて?」
「そんな義理はない。それに、あのまま結婚したら殿下傷つくだろうなあ。もういやだ、全部いやになったとか言って、大好きな桃を食べるのをやめたりするかもなあ。逆に食べ過ぎて、太っちゃってやっぱり乗馬ができなくなるかもなあ。」
「だからなんだと言いますの。」
まったく、回りくどい貴族のあの雰囲気は嫌いだなんて言っておいて、こんな回りくどい嫌味を言うなんて、お兄様ったらそういうところがモテないのですわ。
「要するに、断固拒否しとけよ。嫌いじゃないんだろ?」
「別に好きでもありませんわ。」
「でも、お前結構やさしいじゃないか。十年連れ添った幼馴染が、お前を失ったらもう誰にもまともに話してもらえなくなるかもしれないぞ。」
「そんなことはありませんわ。殿下だってお優しいから、嫌われているわけでもありません。侍女がたまに天気の話をしてくれるかもしれないでしょう。」
でも、殿下に天気の話が楽しめるかしら。馬の話とか、食べ物の話とか、王宮の猫の話とか、興味のあることなら結構理解できるし、あとになっても覚えていたりするのだけれど。
「エリザベート? どうなんだ?」
「少しお待ちくださいませ、殿下。」
「わかった。少しだけだぞ? 僕はあと1時間くらいしか待たないからな!」
「ええ、わかっております。その半分も待たせませんわ。」
そう、お優しいところだってあるのです。1時間も待ってくださるなんて、まあ、器は広いといえますもの。
んー、そうですわね。貴族として民の税で生きるからには、国を崩壊させないよう努める義務はありますわ。たまにはお兄様の言うことを聞く可愛い妹になってあげるのも、悪くはありませんね。お兄様のことも、殿下のことも、嫌いじゃありませんし。
「殿下、よろしいですか。」
「さすがエリザベート。まださっきから5分くらいしか経っていないのに、もう決めたのか。」
「せいぜい30秒ですわ、殿下。」
あらまあ。この感じだと、先程1時間と言ったのも、もしかして時間の感覚がよくわかっておられないからなのかしら。30秒で5分なら、1時間だと6分になってしまいますわ。
「それで、婚約破棄してくれるのか?」
「殿下、申し訳ございません。わたくしは、殿下と婚約破棄するなんて、到底受け入れられませんわ。」
「えーっと、つまり、婚約破棄していいということか?」
「いいえ。ダメ、ということです。」
「そうなのか……。では、僕はマリスと結婚できないということだな。」
「そうなってしまいますわね。」
殿下がしゅんとなってしまわれました。わたくしのほうがマリス嬢より顔も頭も品もいいと思いますけれど、どうしてそんなにマリス嬢のことを……って、マリス嬢って誰のことですの?
「わたしの名前はアリスよ! ちょっとあなた、なんでわたしの逆ハーレム計画を邪魔するの!?」
あまり品があるとは言えな言い方で、マリス嬢が言われました。あら間違えた、アリス嬢。マリスのほうがお似合いなのではないかしら。
「ぎゃくはーれむとは何だ?」
「お気になさらなくて良い言葉ですわ、殿下。」
「どうしてだ?」
「あまり良い言葉ではありませんの。」
「そうなのか。マルス、悪い言葉を使ってはダメだ!」
「アリスっていってるでしょ! なんでわたしがあんたみたいなバカに媚びへつらって、あげく偉そうに説教されなきゃいけないのよ! はっ、本当にあんたはバカなんだから! あんたなんて、そこの高慢ちきな公爵令嬢じゃなくても、ここにいるみんなが見下してバカにしてるわよ!」
なんとまあ、品がない。言葉遣いだけでなく、人としての品性に欠ける物言いですわ。
「え、エリザベートは、さっき見下してないって言ったぞ。」
「そんなの口からでまかせに決まってるでしょ! 本っ当にバカね。そんなんだからちょっと優しくしてやるだけでつけあがってわたしに騙されるのよ。」
「エリザベートは出任せなんて言わない! 騙すとはどういうことだ、マルサ。」
「ア・リ・ス! あのね、あたしがあんたみたいなバカを本気で好きになると思ったの? あんたなんか大嫌いだわ。結婚してわたしが王太子妃になったら、あんたとなんて口も聞きたくないわよ。」
なんってことを言うのかしらこの女! 殿下が傷つくでしょう!
「そうなのか、アリサ。君も僕のことなんて嫌いか。」
ああ、落ち込んでしまわれました。こんなことを言わせるなんて、ひどい女ですわ!
「あら、前よりはまだマシな名前ね。……ええ、そうよ。そこのエリザベートだって、そうに違いないわ!」
「そうなのか、エリザベート?」
殿下がこちらを心配そうに見られました。あら、わたくしが殿下のことが嫌いかもだなんて、思われるようなことをしましたかしら。
「そんな事ありませんわ。わたくしは殿下の味方、殿下の婚約者、殿下と一生連れ添う覚悟です。嫌いだなんて、そんなわけがないじゃありませんか。」
「そうなのか。やっぱり僕は、エリザベートのほうが好きだ。」
そう言って、殿下はにっこりと笑われました。ふふ、やはりこちらのほうがお似合いですわ。
「アリス、君の発言は品性に欠ける。このパーティーは明日執り行われる僕らの結婚式の前夜祭だ。これからの王国の未来を象徴する儀式に、君の発言はふさわしくない。即刻退場してくれ。僕とエリザベートへの侮辱に対する沙汰は、また後日下るだろう。」
急な殿下の宣言にアリス嬢があっけにとられていると、警備兵が彼女を連れ出しました。何か叫んでいるようですわね。
「殿下、完璧でしたわ。日夜立派な国王になろうと努力なさっている成果ですわね。」
「うん、僕は最近頑張っているんだ。そろそろ君と結婚するんだから、君に負けないようにならないと。」
「ええ、そうですわね。ところで王子、一つお尋ねしてもよろしいですか?」
「なんだ?」
殿下は子供っぽいようでいて、案外しっかりなさっているところもあります。きっと、話してくれるでしょう。
「殿下、わたくしに不満はありませんか? アリス嬢と結婚するだなんて、どうして言い出されたのです?」
「だって、僕は結構贈り物をしたり、好きだって言ったりしているのに、君は嫌いじゃない、としか言わないじゃないか。不安になるのはしかないだろう。」
あら、そんなことを思っていたなんて。たしかに嫌いじゃないけれど、考えてみれば好きかどうかは考えたことがありませんわ。でも、答えは決まっております。
「ご安心ください、殿下。わたくしは殿下が大好きですわ。」
「そうなのか? しかし、君は顔じゃ好きにならないだろう。一体全体、わたしのどこが好きなのだ?」
「難しい質問ですわね。具体的ではないですけれど、全部と言ったら怒りますか?」
「怒らないが、納得できない。さっきだって、君は45分くらい悩んだじゃないか。」
「そんなに長くはありませんよ。わたくしとアリス嬢と、どちらと結婚なさるのが殿下のためか、よく考えていたのです。」
もちろん、わたくしのことだって考えましたけれど、まあわたくしは殿下と結婚しても幸せだし、そうでなくてもまた別の形の幸せが見つかりますものね。
「では、エリザベートは正解したのだな。エリザベートは僕が大好きで、アリスは僕が大嫌い。僕はアリスが好きだったけど、エリザベートも好きだ。君には幸せになってもらいたいと思うんだが、君はこれで幸せになれるのか?」
「もちろんですわ、殿下。」
「それはよかった。そうだ、もう一つ、明日の結婚式の前に、一ついいか?」
「ええ。」
何かしら。
「さっき、エリザベートが僕を見下していると言って、悪かった。ごめんなさい。」
殿下はたしかに、頭がキレるほうではないですけれど、こうやってわたくしが予想もしないようなことを言ってくださるから、わたくしは嫌いじゃない……でなくて、好きなのだけれど。
あ。こういうところと、優しいところと、素直なところと、努力できるところ。
わたくしは、殿下のそういうところが好きですわね。
「ふふ、わたくしこそ、殿下を不安にさせて申し訳ありませんでした。」
「いや、いい。ところでエリザベート、明日、桃のケーキを作ってくれないか?」
「ええ、もちろんですわ。喜んで。」
ああそれと、殿下が嬉しそうになさっているところも、わたくしは大好きですわね。