無用の人としての老後とは 蟻の一匹としての老後生活 枯木も山のにぎわいとは?
いま日本は
少子高齢化が進んで
コドモは減り続けて
老人が長生きで?増え続けていますね
まあそれがいいのか悪いのか
わたしにはなんともいえませんが
まあ、とりあえずは
長寿はめでたい?のでしょうね。?
そんな老人大国?日本で
じゃあ
老いるとはどういうことを意味するのでしょうか?
まあそんな真剣に考察しなくてもいいんじゃないかとも思いますけど
自分が老いてみて
見える景色も変わってきたからです
若いころ風景はまばゆくて
輝いていましたが
老いてみると同じ景色が
なんだかくすんで見えるんですよ
まあ定年を迎えて
それからまあボランティアもしましたし
シルバー人材ではたらきましたし
でもそれも
やがて自分の体力や気力が
なんというか
動かなくなってきて
持病も出てきて
しだいに遠ざかるようになったのです
其の後は
老人サークルや
長寿クラブなどにも通いましたが
なんだかじじくさくて
詰まらなかったです
それもやめて
いま
何もしない
何もできない
何処もゆかない
趣味もない
芸もない
持病のある不自由な
老いた自分がいるのです
どうしたらいいのでしょうか?
どうにもなりませんよね?
いわゆるどこにでもいるような
自宅で毎日テレビ付の老人というありさまだからです
何処も行くところがない
何もすることもない
働く体力もない
気力もない
持病で動けない
だから自宅でテレビ漬け、
そういう老人が多いのでしょうね?
わたしの父母のことを思い出しました
わたしが遠方で働いていましたので
介護もできませんでしたので
ヘルパーさんに頼んでいました
父は酒好きで
日頃から「酒が飲めないなら生きてる意味がない」などと
豪語していましたが晩年は肝不全になり
足がむくんでも寝酒を呑んでましたものね
半ば寝たきりになっても飲んでいたようです
蒲団で寝ていて枕元にはラジオが一日中なっていましたね
効いてるのか わかりませんがラジオがかかっていました
そしてある日静かになくなりました
母は晩年軽い認知症になり
夏場以外は
ほぼ一日中炬燵に当たっていましたね
ある日ヘルパーさんが訪問すると
倒れていて
大動脈解離でなくなっていました
そして今私も父母の老後に近づいてきましたが
わたしは酒は飲みませんし
といって趣味もないし
持病もあるし
まあたまあに老人サークルに行くくらいです
あとは自宅待機??ですね
しょうがないでしょ
老人って
何処も行くところがないんですから
持病でもあればなおさら出られませんしね
マヒや不自由でもあればなおさらですよね。
自宅にいるしかないんですよ
なんのために生きてるのか?
正直わからないのです
でも
命ある限り生きるしかありませせんね
じゃあ世間の老人たちはみんな何か生きる意味があって生きてるのか
といわれると
ハッキリした
生きる意味なんてないんでしょ
でも生きてる
ボケても
マヒでも
車いすでも
寝たきりでも
持病でも
薬を飲んで
通院して
介護ベッドで
生きている
なぜ?
分かりません
でも
命がある限り
生きるしかないのです
それが人生だから
それが老後生活だから
まあせめては
自分なりの
生きがいを作って生きるしかありません
命がつきるまでは
「蟻の一匹」という言葉があります
何千匹もの蟻の大群に
一匹が死のうといなくなろうとどうでもいい話ですよね。
そうです
あなたも
わたしもそんな蟻の一匹なのです
でも
命がある限り生き続ける
それが人生だから
なにか楽しみを見つけて
何かできることを見つけて
今日も生き続ける
それが人生
それが命だから
波乱万丈の人生だって
平凡なだけの人生だって
終わってしまえば人生なんて
全て夢
おわってしまえば
命なんて
全て抜け殻
蟻の一匹のような
人生なんて終わってしまえば
そうさ
全て夢
だから
そんなに悩まないで
もっと
気楽に
まったりと
生きようよ
ねえ
みなさん
山の枯木が言ったとさ
若木ばかりが山じゃない
枯木も
山の一景色
枯木も
山を彩ってるのさ
枯木も山の賑わいだってさ
だから
老いを悲しんでばかりいないでさあ
一匹として
一景色として
まったりと命を生きるんだよ
ねえ
皆さん
そうすれば
やがて
ある日
お迎えがくるからね
その日がいつなのかは分からないけど
まあ
気長に?
焦らず
まつんだよね
いまさら焦ったってしょうがないしね
まあ気長に
その日を待つんだよね
いつか知らないけど
かならず
お迎えは来るんだからね
ねえ
みなさん
その日まで
まあまったりと
楽しく?
気長に待つんだよね
ねえ
みなさん