強盗
そろそろ日が傾き始める頃合いだ。
窓にかかっているブラインドを下げると、オレンジがかった太陽の光が遮られる。
時生と依頼人、満宗千颯は机を挟んで向かい合っていた。どことなく緊張した空気が流れる中、グラスに入れた氷がからんと音を立ててとける。
先に口を開いたのは依頼人だった。
「わざわざ呼び出したってことは修理が終わったんですか?ずいぶん早かったですね」
落ち着かないのか、依頼人の指が膝をさするようにせわしなく動いている。
「残念ながら修理はまだです。しかしいくつか確認しておきたいことが出てきましてね……」
時生の言葉に依頼人がごくりと生唾を飲んだのがかわった。俺は抱えていた修理途中で下部が欠けた状態のロボットを依頼人の前にそっと置いた。
「あなたは最初、やたらと依頼内容が外に漏れることを心配していた。あんなに高級な時計を持ち出してまで」
依頼人は前金としてあの腕時計をうちに預け、さらには成功報酬でもっといいものを用意すると言っていた。
そこまでして隠したいことがあるのだ。
「このロボットには家族写真が入っていると言っていましたが、本当は何があるんです?テストの結果?それとも親の不倫の決定的瞬間とか?」
「……もし人に見られてまずいものがあったとしても、あなたたちに教える義理はありません。知られたくないことなんですから。……話は終わりです。次は修理が終わってから呼んでください」
苛立った様子で依頼人が席を立とうとする。しかし時生はそんな依頼人を呼び止めるように話を続けた。
「ご自宅に強盗が入ったそうですね」
腰を浮かした中途半端な姿勢のまま依頼人は時生の目を見つめる。この質問は予想していなかったようで、目は見ひらかれ立ち上がるため膝についた手は硬く握りこまれていた。やがてあきらめたようにフッと鼻から息を抜くと、椅子に深く座り直し会話を再開する。
「調べたんですね。まぁこんなに様子のおかしい中学生が来れば怪しみもするか」
「うちはどんな依頼人でも身辺調査をしてから依頼を受ける方針なんですよ」
客が店の雰囲気や評判を調べてから行くかどうかを決めるのと同じです――と続け、時生は机の上で組んでいた手を椅子のひじ掛けに移動させる。
探偵小説ぐらいでしか情報を得たことがないので、他の探偵がどんなやり方をしているのか知らないが、依頼が来るたびにいちいち身辺調査を行うのはうちぐらいじゃないだろうか。砥紙さんを雇うのもこのためが大きい。
「最近あなたの家がある地区内で空き巣や強盗を繰り返していた2人組の報道がありました。そして、そのうちの1人が逮捕されたとも」
そういえば数日前に見た記事にそんなことが書かれていた気がする。
「逮捕の報道があったのが5日前、あなたの家に強盗が入った日だ」
確か記事にはこう書かれていた。
犯人たちは盗みの実行役と見張り役に分かれ、高級住宅街ばかりを狙い空き巣、強盗を繰り返していた。逮捕されたのは見張り役の人間で、家のすぐそばに車を停め人が来ないかを確認していたらしい。警察が駆け付けたときには実行役の犯人は逃走し、見張り役だったもうひとりだけが捕まった――
「満宗さんの家に忍び込んだことが逮捕のきっかけになったことは確かでしょう。だが、満宗さんの家に強盗が入ったことについては一切記事にもニュースにもなっていない」
なぜか――
「実行役の犯人が満宗邸で死んだからです」
依頼人の口は真一文字に引き結ばれ、開くことはない。
時生はさらに続ける。
「これだけでは報道されない理由にはならない。問題は殺人を犯したのが誰かということだ」
家の中で殺されたというなら当然強盗以外にも人がいたということである。
そして、それは必然的にその家で暮らしている住人――
確か父親と母親は仕事の都合でよく家を空けている。息子たちも同様に学校で夕方までは家にいないはずだった。
「その日は台風がくる予報でした。時間帯的に下校時間と被る。あの地域の学校一帯には午前中に家へ帰るよう下校命令が出ていました。だから、あなたとお兄さんは2人とも家にいた」
いつもはいることのない時間に、たまたま兄弟は帰宅していた。そこで空き巣――もとい強盗に鉢合わせてしまったのだ。
時生は腰を上げると、奥の部屋から例のアザラシのロボットを持ってくる。そして、外してあった外側の部分をどけて、四角い箱のようなものを取り出した。
いうならばアザラシのロボットの脳部分だ。
千颯くんは何が起こっているのかわからないといった様子でこちらをうかがっている。
「このロボットに記録された録画データを見ました」
「……さっき、まだ直ってないって……」
「外側はね。先にデータの修復だけ行ったんです」
前回千颯くんが帰ってから、俺は修理作業を映像データの復元に専念して行った。
何とか復元できたデータには、強盗が千颯くんを殴り飛ばす映像、その後お兄さんが強盗につかみかかり、そして――重みのある灰皿を振り下ろす瞬間が収められていた。
「強盗を殺害したのはお兄さんですね?6日前から学校を欠席している。うちで調査した際も唯一姿を見ることがかなわなかった」
砥紙さんが調査結果を伝えにきて数日もたたないうちに、満宗家のホテルの宿泊記録についてのメールが送られてきた。事件の翌日から宿泊していた記録の中には、満宗家の父母、千颯くんの名前が記されていたが、兄である満宗世河のものはなかった。
「警察に映像を見られたくなかったあなたは、ロボットを壊してデータごとなかったことにしようとした。しかし、時間をおいて少し冷静になると、警察なら壊れたロボットのデータくらい修復可能かもしれないことに気がついた」
そういえば砥紙さんが千颯くんの兄の写真を撮ることができず、調査書の写真に卒業アルバムの写真を使っていた。一度も姿を見せなかったのは、生活圏内から出ていたから。
……警察から逃げるために。
「お兄さんは今どこにいるの? 強盗に抵抗しようとしたのなら、きっと正当防衛になるんじゃないかな。警察に行った方がいいよ」
俺はそう言ってみたが、相変わらず千颯くんの表情は曇ったままだった。
時生は千颯くんがしゃべるのを待っているようだったが、黙ったままの彼を見て、質問を投げかけた。
「……あなたのお兄さんはMoO.Rなのではないですか?」
ほとんど確信を得ているような問いかけだった。
お兄さんがMoO.R?
そんなことがありえるのか? 事件があるまでは普通に学校へ行き、人らしく生活していたはずだ。
千颯くんは口を中途半端に開いたり閉じたりさせ、どうにか言葉を探しているみたいだった。
「これが事件が報道されない大きな理由です。人を害することが許されないロボットが殺人を犯した。このことが明るみになっては困る企業があります。Waveと仲良しのね」
つまり、MoO.Rを開発しているハマナがWaveに命じて情報に規制をかけているということなのか。
にわかには信じられないが、現に報道はされずお兄さんは行方不明だ。
「あなたのお父さんが勤めている会社は、ハマナの関連企業だそうですね。おそらく、そのつながりでお父さんは、MoO.Rを社会で人間として生活させる実験に協力し、世河さんを家族として迎え入れた、といったところでしょう」
……まて。人間として生活させる実験?なんだそれは。
この場では俺だけが知らないようで、話はどんどん進んでいく。
「……その通りです。兄は人間じゃない。俺が生まれる前、なかなか子どもを授からなかった両親が、父の会社に頼まれて、実験に参加したそうです」
生まれたときにはすでにお兄さんは家族だった。人間として、千颯くんの兄だった。
「俺が知ったのは偶然です。夜中に部屋で苦しむ声が聞こえたので、何事かと思って部屋に入ってみると、コードでコンセントとつながる兄を見ました」
千颯くんはその日の光景を思い出しているのか、ゆるゆると瞳を閉じながら話を続けた。
「とても驚いた。驚いたけど……だから何か変わるわけじゃない。今までの関係は、正真正銘目の前の兄と、両親と築いてきたものだから」
千颯くんの話を聞きながら、俺はよくわからない変な気持ちになった。ロボットは人間に使われるものだ。対等な関係など望めないし、想定もされていないはずなのに。
一瞬目の前がチカチカと明滅したような気がした。
少しの間考え込んでいた時生は、顔を上げると千颯くんに尋ねた。
「お兄さんに会いたくはないですか?」
「……はい?」
「以前も言いましたが、MoO.Rが人に危害を加えることがあれば問答無用で廃棄処分です。ハマナは何が何でもお兄さんを見つけだして処理するでしょう。……万が一捕まらずに生きていけたとしても、殺人を犯してどうやって元の生活に戻れるというんです?」
千颯くんはしばらく時生の顔に目を向けていたが、やがてその視線は弱々しく床の木目へと落ちていった。
「だから、最後に一度会っておくべきではないですか。このままお兄さんがいなかったことになる前に」
「……会えないですよ。携帯はもちろん置いていったし、連絡手段がない。どこにいるかわからない」
「なら僕に依頼すればいい。探偵の得意分野は浮気調査の次に人探しですから」
時生はいつも仏頂面で変化の乏しい顔に微かな笑みを浮かべている。
「成功報酬はいいものをいただけるんでしょう? ぼったくりにならないためにもたくさん働かないとね」
千颯くんの目が大きく見開かれ、目尻にたまっていた涙がぽろりとこぼれた。
「……っ、ありがとうございます」